兼松孝行の日々つれづれ

2001年12月22日(土) 久しぶりの電話

久しぶりに高校の同級生と電話した。
彼は中日新聞社に勤めるカメラマン。
電話したのは仕事絡みだったのだけど、彼と電話しながらいろんなことを思い出していた。

彼は高校時代野球部で頑張っていた。
ちなみにオイラは陸上部で適当にやっていた。
一度だけ野球部を応援にいったことがある。
3年の夏、確か中京高校との試合だったかな。
この試合に勝つとベスト16に行けるという試合だった。
わが校はなんと前半リードしてしまったのである。
そして彼はというと3塁ベースコーチで一生懸命声を出していた。
試合は進み後半になって逆転された。
やはり私立の名門校の底力は計り知れないものがあった。
そして3塁で大声を出していた彼の野球は終わった。

試合の翌日彼に「応援に来てくれてありがとう」と声をかけられた。
実はそれが彼との記憶に残っている最初で最後の会話である。

月日は流れ、ある日ナゴヤ球場の1塁ベンチ近くでオイラは観戦、カメラマン席を見ると・・・お!
なんと彼がカメラマンのアルバイトをしているではないか。
その時は先輩カメラマンの撮影済みフィルムを持っては走る役割をしていたように記憶している。

そして月日は流れ・・・・1999年と2000年の狭間の時間、オイラは名古屋市のど真ん中で花火を打ち上げるイベントに参加していた。
その時にまたもカメラを構える彼に偶然あった。
そして彼は一人前のカメラマンになっていた。

そしてここ最近、中日スポーツを見ていると、一面の写真の撮影者のところに名前を見かけるようになった。
時には星野監督の写真だったり、時にはイチローの写真だったり。
彼は野球を追いかけて世界中を点々とするようになっていた。

そんなある日中日スポーツを見ていると、彼の写真が最優秀賞として表彰されていた。
何だか自分のことのように嬉しくなった。

そして、オイラの街の人たちにもその活躍が知ってもらいたくて、何か企画は出来ないかなと思って彼に電話をしたのだった。
この企画が実行できたらいいなあ。


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