世を忍ぶ仮の日記
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| 2004年08月06日(金) |
広島原爆投下の日 広島の一人の人間として考えること |
朝方3時半過ぎ、東京で地震があった。 今まで謎の理由で目が覚めたら地震だった、という経験しか持ち合わせていない私は、地震が起きてから目が覚める、という体験が逆に奇妙に感じられて、そこで目が覚めた。 震度3の地震。 上京して間もない一番下の妹のKはひたすら東海地震の前触れか、と地震が怖かったらしく、「怖い怖い怖い怖い怖いよう!」と言い焦ってうろうろしていた。 私は、昨晩眠れなかった事を思い出し、時間軸がずれはじめた自分についてちょっと悶々と考えた。
朝の目覚ましはそれでも変わらずに8時にセットし、きちんと起きる。 広島で生まれ育ち、物心ついたからには、黙祷をしたかった。 8時にのそりと起きあがり、テレビをつけて、1分間の黙祷をする。 必死に色々祈ると1分間というのはなんともあっという間なんだ、というのをはじめて黙祷で体感した。 小学校の頃の1分間のなんと長かったことか! でもあの頃の体験が、今の自分の8月6日8時起床に繋がっているのだろう。
結局、まだ5年と7年生まれに差がある妹達は起きるのを忘れていてずっと昼まで眠っていた。 Kに至っては地震の余りの怖さ(震度3程度)に全く眠れず、ベッドの横のデスクにしがみついて眠れるまでずっと「怖い怖い怖い怖い怖い……」と呟き続けていたらしく、起きた時大層しんどそうだった。 地震雷火事親父と言われているが、 8月6日という広島の人間にとって象徴的な一日に、地震が起こったので、 原爆の被害と地震と、いわば人災と天災と、どちらが一体怖いと云えるのか。 むしろ、人災と天災に区別はつくのか。 人災も、もしや天からの巡り巡った人口の廃絶の上になりたっているのではないか。 だとしたら、巡り巡る災いを、自然と立ち向かう訳ではないのであれば、巡りをどう断ち切るか、それを大切に考えていきたい。 広島の人間として、来年60年の節目を迎える時に何が出来るのか。 この間考えに考え抜いたアイデアを母に言ったら一蹴された。 「あんた程度の人間にそれが出来るのか」と。 ぐーるぐるぐるぐるぐる……。じゃあどうすればいいんだろう。 一人一人に、出来る限りの事をする、それしか無い、筈なのだが。 上京して10年以上、広島に居た頃は、この日のテレビは退屈で仕方が無いくらいに一日中原爆の事をテーマにして放映されていて、いっそビデオを借りに行こうかと思うくらいだったが、東京は、「東京大空襲の日」が節目とされているのかいないのか、広島という土地柄とは重きが違うのか、N○Kで少し放映された後は全部極々普通に番組は進行していた。 テレビ東京は意地になっているのかなってないのか、黙祷の行われる8時代も全く関係の無い番組をやっていた。黙祷をするという事はテレビ東京では無かった。 夜には他チャンネルで広島をテーマに番組があったけれども。 印象的だった。 結局、落とされたクニの広島にとって8月6日が大切な日であって、他の地域では関係が無いことなのか。 確かに、沖縄慰霊の時も東京ではそんなに知らされなかった。 今年はじめて沖縄に行った。 時間の都合でひめゆりの塔等に行けなかったが、いたるところで土地を蹂躙された跡がある沖縄。 未だに蹂躙され続ける沖縄。 自らの土地を踏みにじられ殺される。 ある日、核爆弾によってクニ一つが無くなり平らになる。木も根も無くなり、大量の死骸。 毎日毎日蹂躙され毎日幾人も大量に殺されていく。 どちらが、と比べるものでは無いだろう。 ただ、両方が、今、戦争と平和について、それぞれ思い思いに考えていく機会を与える、平和への祈念になる。
広島は確かに被害を受けた土地だが、大日本帝国は、確かに他の国に対して酷い事をした。 その報いを、心の奥底で戦争反対と思いつつ、お国の為なら死にましょうという教育を受けていた一般市民が一斉に焼け焦げ皮膚は溶け爪も溶け黒い雨を一斉に浴びながら助けて下さいと呻きつつ死んでいくことが、他の国に対する罰になる、とは思えない。 イラクの一般市民が死んでいくのが許せないのは、イラクの一般市民が戦争をし、イラクの一般市民達が何か特別に他の国に対して、報いを受けなければいけないような事をしたか? 違うだろう。 象徴的な何かが壊される、という事(ヒロシマが壊される、等)は、大日本帝国であった日本が余程酷い事をしてきたからだと、分かってはいる。 ただ、民間人を巻き込んでしまうのだけは理解したくないとしても。 だからといって、自国に対して象徴的なものが壊されたから相手の国を壊すというのは負の連鎖のはじまりなのだ。 正の連鎖がきっと何処かにあるように、負の連鎖は目に見える形である。負の連鎖は戦争をいつまでも繰り返す。 同級生が言った、「宗教戦争がこの世で最も醜い戦争だ」と。 戦争に、「最も」など無い。綺麗な戦争でもあるかのようで嫌悪感を憶えた。
負の連鎖を断ち切るには、正の連鎖を作っていく、のが大切なのではなかろうか。
私が、あの世にいるけれども最も好きな、母方の祖父は、優しい人だった。 太平洋戦争中には軍でそれなりの地位まで行ったらしい。 たくさんの人を殺したのだろう。 たくさんの人を殺させた。 彼は、他の祖父母が戦争や被爆について語る中、只の一度も戦争について語ろうとはしなかった。 幼い頃の無邪気かつ残悪な行動も、全て赦した。 肩車してもらって「おじいちゃんのハゲー」と頭をペチペチ叩いても、絶対に怒った事は無い。 ひたすらに優しかった。 未だに祖父の禿頭を思い出す。大好きな祖父の禿頭。 祖父の教えてくれた無償の愛は、今でも私の大切な核の部分になっている。 彼は、加害者である事を、ずっと責めつづけてきたのではなかったのだろうか、と後になってから思う。祖父はきっと元来優しい性格だったのだろうが、あそこまでの無償の愛というのは、人生で大きな出来事が無い限り、子供の無邪気な残悪な行動に対して、怒りの一発も入れている筈なのだ。 だが彼は、いつも私が行くと必ず真っ先に足のマッサージをして、肩車をし、ハゲー! とペチペチされても笑っていた。 死ぬ時も、死ぬ寸前まで苦しんでも、絶対に何も言わなかった。 彼は、一人の人間として、加害者としても体験し、また原爆投下の被害者でもあった。 誰一人、憎まない。 自分の身を投じて、全てを赦す。 祖父の生き方は、振り返ればそんな風に見える。 私は只無償の愛を受けただけの身でしか無いが、祖父の人生の中で、正の連鎖だけを受けた。 色々な負の連鎖の中で、大切な正の連鎖。 祖父に対する愛情も込めて、今、正の連鎖を動かすにはどうするべきなのか、考えなければならない。
夜『バレエ・カンパニー』を観たんですが、それもまた頭がぐるぐるしちゃったので明日に回します。
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