世を忍ぶ仮の日記
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| 2004年08月07日(土) |
『バレエ・カンパニー』 |
なんともまあ難しい映画を観たもんだ。 話のストーリーを説明せよと云われるなら至って簡単、バレエ・カンパニー(ジョフリー・バレエ)でソロを踊っていた女性がある日ちょっと首の調子が悪くて背後で振り写しで練習をしていたところを抜擢され、更にそれが好評を博し、彼氏と別れたばかりのところに新しい可愛い彼が出来たりして……という話。 不思議な作りになっているのか、単に私だけだったのか、全く主役に感情移入出来ないようにできているように思える。 逆にいうと、カンパニーの誰に感情移入してもおかしくはない作りになっているのだ。 ドキュメンタリータッチで描かれているので、舞台の裏側やリハーサルの様子が多い。 ある時、監督(ミスターA)が「なんか足りない」とこれがまた芸術家にありがちな曖昧な表現を使って、クラシックバレエのリハーサル(多分ゲネプロ)の時に言い出す。 「ええと、スザンヌ、踊ってみて」 言われた普段優秀と言われているのであろうスザンヌが、手本を見せるかのように踊っている最中にアキレス腱を切ってしまう。 その映像も、まったく効果も使わなければ悲劇的な音楽も無い。 ただ、事実として映像が流れるだけ、かのように作られる。 その後、「なんか足りない」と言われた人は当たり前のように舞台に立つ。そして踊れなくなったスザンヌはわざわざ松葉杖をついてまで、舞台袖でその踊りを観に来る。 このシーンが非常に印象的にうつるのだ。 誰に、感情移入するだろうか。 運悪くアキレス腱を切り踊れなくなったスザンヌだろうか。 私がスザンヌだったら、わざわざ自分が踊れなくなった舞台を見られるだろうか。 それとも、運良く役を奪われることなく何事もなく舞台に立てた彼女(名前知らない)だろうか。 彼女は、最初から何か足りなかったのか。 スザンヌが見ているか否かはともかく、自分の箇所で人生を切られた人間がいることを知りつつ舞台に立って晴れやかに跳び続ける。 ミスターAは知らん顔で、その日も舞台が成功したと祝う。 ああ、そういうもんか。 そのシーンを考えると凄くもやもやとした感情が残る。 スザンヌは後に結婚という幸せを迎えるのだが。 主役も、ネタバレになってしまうが、最後に「アレグロダンサー」という栄えある役に選ばれたが、踊っている最中にズッこけてしまい、腕を折るか何かする。 最後に違う人間が、振り付け家を呼んだり、拍手を浴びたり、どんなに頑張っていても最後にスポットを浴びて拍手を浴びるのは他人。 笑顔で、彼が心配してかけつけてくるのを迎える主人公。 というところで終わるのだが。 笑ってらんねーよ、私なら。 つい思ってしまうのだ。 多分、職業の違いだろう。 結局ピアノやってるとズッ転けようが止まろうがループ(終われなくなる)しようが哀れみの拍手だろうが野次だろうが拍手喝采だろうが、光も陰も当たるのは自分一人なので、つい「他人に取られるのはイヤ」という根性が知らないうちに身についていたのかもしれない。 例えば(例えばの話ですよー)オケで、何かの楽器のトップの人がぎっくり腰か何かで(例えばの話ですよー)消えた消えたの大騒ぎで結局トップが抜けることになる。 それでもオーケストラとしては進行せざるを得ないわけだ。オーケストラとして成功ならば良いわけだ。 が。 ピアノってピアニストが「弾くのやめた」て言っちゃったら終わりだ。 実際ドタキャンで有名なピアニストのチケット買った時はドタキャンされるんじゃないかとドキドキしながら開演時間過ぎても30分間開かない会場にドキドキしたもんだが。
とかブツブツ言ってみてむーんむーんむむむと考えてみたりしたのだけれども、結局結論としては。 これは考えさせる為に敢えて放り投げてやがるな、監督。 という考えに落ち着きました。 ちょっと前にハリポタ観たから余計違和感があるのか。 ここから観ている側に何か考えさせるであろうという場面で全部敢えて切ってあるし、向こう側から「こういう風に考えろ」というメッセージが無い。ドラマティカルな演出だとか、主人公の大仰な演技とか、過多のオーケストレーションも一切無いのだ。 どう思ったかは観た側が感じ取るものだ。 そういう精神がみてとれる。 我々はただ作品を、素晴らしい作品を提出する。 どう受け取るかはそちら次第。 そういう心意気がいっそ心地良いのである。
で、一言だけ文句付けるとしたら、バレエ好きとしては、もちょっとバレエシーンをカメラ寄りすぎずライン綺麗に観たかったかなー、くらいですかね。
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