世を忍ぶ仮の日記
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時間はあれども動く元気が無く、1日でビデオを3本観ました。他に、フィギュアスケートのハイライトと『ダーク・エンジェル』(1部最終回)を観た。 ダルかったんだもーん。 昨日観たのと合わせると計4本があっという間に消化されたことになります。 普段連続して映像観ないから疲れたよう。楽しかったよう。 『十七才のカルテ』 素朴な疑問なのだが、主人公やまわりも、十七才では無いように見受けられるのだが気の所為だろうか。 アンジェリーナ・ジョリーのキレっぷりの良さに感服しました。 やっぱ格好いいわあアンジェリーナ・ジョリー。いやみなく、気持ち悪さを出さず、キレていたので見てて気分が良かったです。ま、少数意見かもしれないけど。 ウィノナ・ライダーの演技が控えめ過ぎて目立たないっていう意見をどこかで目にしたようなしなかったような気がするけど、ウィノナ・ライダー演じる主人公は、どちらかというと「まわりを見て感じる」役で、アンジェリーナ・ジョリーは「見られる」側の演技だったのだからいいのではなかろうか、と。ウィノナ・ライダー可愛いし(←それかよ)。ただ、同じクラスターBの障害の役割としては、確かに大人しめではあったのだけれど、人それぞれ病状も違うしさぁ。 前半観ていて、「この話は一体どうやって落とすつもりなんだろう、激しく不安。どうせ治るのが落ちだろうけど、それだけじゃつまんないよー?」と思っていたけど、一応クライマックスにかけて盛り上がって、落ちたし。 ウィノナ・ライダー演じる主人公が、精神病院に入院し、まわりの患者達と友情を築いたり、壊れたりしつつも自分を見つけるまでの話。 簡単に纏めると寂しくなってしまうが、『十七才のカルテ』は一言で纏まってしまう。 ウィノナ・ライダーが最後に「ボーダーラインの治癒」と最後のカルテに書かれた、というところで終わったのだが、精神医学の言葉に治癒という言葉は使われない筈だ、とか退院しても通院するんじゃないのか? とか本当に自由連想法だけで診断を下すんかい、て色々疑問は残ったけれど、思春期から青年期に以降していく心の揺れを、敢えてストレートに描いたという作品は興味深い。 て、あんまり映画観ないから他にもたくさんあるのかもしれないけど。 アンジェリーナ・ジョリーの(多分)反社会性人格障害じみたハデな演技が、ダルいだけになりそうな作品を全体的に引き締めていて、ブラボー! ジョリー姐さん、でした。 金髪も似合うのね…。 一番下の妹が「ああ! 観たかった!」と言っていたのは「そうかー残念だったね」で済んだんですが、ピロが「あ、観たかったんよ!」と言ったのは非常に意外でした。 理解出来るんだろうか。 違う観点(というかピロという特殊な視点)から観た『十七才のカルテ』の感想も、ちょっと楽しみだったりします。 気になったのは、正常か、異常か、それがアメリカでは非常に厳しく線引きをされていて、その中での「ボーダーラインパーソナリティディスオーダー」診断だったのですが、日本にその概念をそのまま持ってきて、線が曖昧である日本でも同じように診断が下っているという状況でしょうか。 とずっと引きずっていたら、下の妹が「ああ、あの精神病院の話でしょ?」と言ったので、まだ精神病院=異常、退院=正常、というのが世間の見解なんだなあ、としんみりしました。 そんなに線を引いてどうするんだろう、と。 入っていない自分を正常だと位置づけしたいが為に異常の概念を作るのだな、人間は。 実際は線はあるのか無いのか、社会が決めるのか自分が決めるのか、もっと一人一人深く考えて欲しい。<映画に対しての感想ではありません。
『シカゴ』 キャサリン・ゼタ・ジョーンズ凄い迫力。大画面で観ていたら押されていたです。 息を付かせない程の迫力でした。 それに比べてレニー・ゼルヴィガーの迫力の無さがまた天下一品で。 演技力のたまものだと思うのですが、白痴演技とか媚びる視線とか、キャサリンを逆撫でするのにビッタシな媚を入れてくるんです。 ハリウッド女優って迫力有り余る美人が多いから、ちょっと媚を入れると本格的に媚られた気になるんだけど、レニー・ゼルヴィガーだと、笑いを取れる上手い媚になるのが絶妙。 んでもって、前評判で私のまわりで悪かったリチャード・ギア。 いや、私はあれだけダメなムカつく男を演じられるのは天然でリチャードだけだと思いました。 一つ一つが神経逆撫でするのね! 凄いわ! 作品全体の印象としては、ミュージカル映画の為、音楽だけで血が騒いでしまって気持ちが良かったのですが、ミュージカル映画としての演出は、「ああ、舞台で観たらもっと楽しそう」というブロードウェイの宣伝のようになってしまっています。台詞の合間に歌と踊りが入る時に、舞台装置になるからそう思ってしまうのだと思うのです。主人公の妄想の場合だと比較的自然に入る事が出来ると思うのですが、ちょっと場所が飛びすぎると、違和感を感じずにはいられません。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の場合は、セルマの妄想として確固とたる妄想の世界として、場所で突然に踊ったり歌ったりなので違和感は無いのですが、突然に舞台演出をされるとちょっと変。ま、キャサリンが凄いんでそれは観て良かったですが。 そしてチョイ役でルーシー・リュウが出ていたのが私のツボにえらくハマりました。蹴られた人はマジで痛かっただろう……(笑)。 ミュージカル映画を観ると元気になりますね!
『スリーピー・ホロウ』 何もかもがツボでした。 ジョニー・デップ。 呪われた、閉鎖的な村。 忌まわしき首無し騎士の伝説。 西の森の、善き魔女、悪しき魔女。 魔女と呼ばれた母を、父に殺された過去を持つヘタレ刑事(ジョニー)。恋に落ちたのは魔女も信じる清冽な乙女。 何故かヘタレと分かりつつもずっと付いてくる少年!(←ツボった) この呪われた閉鎖的な村の忌まわしき伝説が蘇るという筋書きだけでも血湧き肉躍る私の業。やっぱ魔女は西の森なのね! とガッツポーズ。 だって、だってジョニーってば、蜘蛛を見ただけで飛び上がって震えてるんですよ? 少年に「踏みつぶして殺さなきゃダメだー!」て震えながら。 か・わ・い・い! 西の森の魔女に会いに行く時も、拳銃構えてるのは良いけど、さりげなく少年を盾に使うというヘタレの極み。少年も素直に従うなー!(爆笑) ベッドで首無し騎士に怯えてシーツ抱えてブルブル震えてるのはサイコーでした。 ジョニー……ヘタレをやると天下一品だって心得てやってるんだろうか、この確信犯め! 私をハメやがって! ジョニーの失神演技は良いですね。ええ。心得てます。ハイ。 次は何のジョニーを拝もうかしら、ホクホク。 こないだ観た『ブロウ』のジョニーは格好良くなかった……!
『レッド・ドラゴン』 名作『羊たちの沈黙』の7年前の話、だったか? 朧気です。 ハンニバル・レクター博士が7年前なのにクラリスと会うよりも老けているのはもうご愛敬だとして、レクター博士から愛憎半ばする感情を受けているダメダメ追いつめられ刑事さんが良いですね。五條作品に出てくる、どこかの誰かに指図されたりヒント出されたりしてはキレつつ一生懸命操られて失敗しつつも最後に真実に辿り着きつつ、自分の身が危険にさらされたりする誰かに重ねてしまっしま(←石川弁)。 サスペンスの映画として作られた、という感触が一番強かったです。 前作の『ハンニバル』で、どこかラストに釈然としない感じがあったのは、サスペンス映画としての緊迫感や最後の盛り上がりが、映像美を意識しすぎてドキドキ感が少なかった(それはクラリス愛の賜物か)のに対して、これは徹底的にサスペンス映画として描かれていました。 一件落着と見せかけて、その実…という最後は、サスペンスの常套手段だし、それをうまく使っていると思われました。 もっとレクター博士を出してほしー! というのは我が儘なんですが、レクター博士のフレンチ料理堪能のシーンで、昔私が弾いた曲がチョイスされていて「キャッ! レクター博士もこの曲好き? 私も大好き!」て画面に向かって言っていましたが、だからどうしたっていう話ですね。 と、あと昔は嫌いな人間の肉も食べてたんですね←コラ。 ダメダメ刑事さん(FBI捜査官でした、失敬)が落ち込む様を見ると、なんか嬉しくなって危険です……。 レッド・ドラゴンさんが葛藤する姿は、思わず「頑張れ、正気君!」と励ましたりもしました。 一番、真っ当であることを目指した、ハンニバルシリーズの中で異色の作品かもしれないですが、どれも好きです。 ヘタレちゃんバンザーイ!
これだけ遊んでいるのに夜にはまた暇になったので、妹の部屋で倫理の教科書を借りて、読んでいました。 活字が……全集以外全部段ボールの中で漫画すら読めないのようおうおうおう。 妹の倫理の教科書に「この人ホモ」とか「この人もホモ」とか「この二人はホモだったんだけど喧嘩別れ」とかなんじゃらかんじゃら色々書き込んで勉強を憶えやすいようにしておきました。 多感な高校時代に2年も倫理の授業を取った成果。 哲学者のホモ率の高さ、でした。 未だに当時のプリントを読むと、自分(とその周囲)の阿呆さ加減に爆笑します。 フランシス・ベーコンはホモか否か。 まだ謎は解けていません。
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