世を忍ぶ仮の日記
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2003年12月25日(木) ジーザス・クライスト・スーパースター

最近テレビの調子が悪くて、WOWOWが映りません。
画像が悪いなんてもんじゃない。音が無いと、自分WOWOW視聴料払ってないんじゃないかと思うくらいに見えない。
でも意地になって夜『ジーザス・クライスト・スーパースター』を観ました。ちゃんと言い換えると、聴きました、です。
クリスマスに、「クリスマスで良かったー」と思わせてくれる企画なぞ少なく、コバルトに至っては10年前に私を半死の目に遭わせたのだが(←根に持つなよ…)、WOWOWは良い企画を持ってくるな。
「クリスマスっつったらキリストが生まれた日じゃねえか。ここはいっちょ死ぬまでの物語」
てそれはとてもステキだな、と(敬虔なクリスチャンの皆様ごめんなさい)。
日本じゃなくアメリカで、しかも20年以上前に、これだけキリスト教に根底からの疑問をぶつけてきているミュージカルっていうのも凄い。内容が凄いし、曲も凄い。
真面目に観ている私も当然いる訳ですが、もう一人の自分というのが勝っています。
だって……みんなタンクトップが似合うマッチョがぼかしのきいた画面の向こうで動いているんだもの。
ユダが禿頭なのがちょっとアレだけどこのさいマッチョな体で良しとして、画像の向こう、脳内でより耽美化されたキリストとユダの、裏切りのキスのシーンがね。
「ギャー! キリストの手が! ユダを撫でっ撫でているように見えるのはぼかしの効果なの? 本当はなんにもしてないの? ていうかエロく見えるのはぼかしの所為? 私の脳が悪いの? うわっ、エローエロー」
10年前からイエス・キリストだのイスカリオテのユダというと、キリスト教のアレよりもむしろ太宰→ごめんなさいミラージュっ子です、な私は、もの凄い騒いでました。
観たい。
ニューヨークでナマでこれを観たい!
と思ったミュージカルは実は、はじめてです。割とミュージカルは初心者なもので。
『ジーザス・クライスト・スーパースター』は日本でも演じられているもので、その昔はカガタケシがジーザスでユダが滝田栄とか、ジーザスを山口祐一郎で、いまさん想像が沸かず、祐一郎はちゃんと痩せていたんだろうか、心配、など下らない心配をしてますが。私も一応日本では観た事あるけど、端役の人達の形相が怖かったのが一番印象的だわい。ユダのエロが無かったのう(←結局そこへ集約されたらしい、て違うんだ、それだけじゃないんだー!)。
画面で観た限りの感想(しかもほとんど見えてなくて、光過敏性てんかんを起こしそうになった)ですが、やっぱり日本人で、キリスト教を信仰していない土壌で演じられる『ジーザス・クライスト・スーパースター』と、キリスト教が土壌にあって、それをどう覆してやろうか、というエネルギーの差っていうのは全く異質のものであったな、という感じです。
怖いもの見たさで、その昔行われた『ジーザス・クライスト・スーパースター(ジャポネスク版)』ていうのも観てみたい気もするが、もの凄く怖い。



今日はクリスマスを味わった気持ちです。
人にものをあげた時に、相手が嬉しそうな顔をしてくれる、その笑顔が嬉しい、その為にプレゼントがあるんだな、て。
でも相手が病院の受付のお姉さんとかに「いつもどうもご迷惑おかけして…来年こそは倒れずにしますのでこれ皆さんで」っていうのがやっぱり私……はやく元気になれよ自分、人を喜ばせてる場合かよ、ていう感じですが。

コバルトのミラージュの新刊も、桑原水菜のは同人誌を商業誌にあげたみたいなほのかなウキウキ感があり、嬉しかったです(難を言うならイラストが付いて……ゴフッ)。
9巻あたりの緊迫感の中、高耶(待て、今何故か高耶が変換出来たぞ。何故だ)さんが実は直江がいなくなると何かが抜け落ちたような目をするって……想像して笑い堪えてむせちゃったよ、ごっつ可笑しいわ、それ。


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