ヤグネットの毎日
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| 2002年06月23日(日) |
篆書にみる「民」の由来 |
22日は、午前中が党の会議。午後からは、雑然となりすぎた家の部屋の掃除。どこから手をつけてよいのやらわからないくらいの散らかり。まだまだ続きそう。夜も会議。
以前、とても興味深いお話を聞いたのだが紹介する機会がなかったので、今回書いておこうと思う。 城陽市の党後援会長は、大変な博学で書の専門家。その方が、最近「篆書」を学ばれているそうだ。ある宴席で「篆書」の「民」という字の由来は大変興味深い、というお話をお聞きした。
『篆書ー入門から応用までー』水野栗原・著の中からのおなしだ。引用すると、こうである。
「民」があります。目を針で刺された奴隷の姿です。為政者にとっては賢い連中がゴロゴロおられては厄介ですから、転じて民衆とはそういうものであってほしい、いやあるべきだとのエゴの産物のような気がします。
と矢で射いた形の民もあります。民衆とはつまり盲目の民なのだそうです。何となく現代にも通じるような話しでありませんか。小篆では目の部分が抽象化されて、

となっています。
奴隷制社会と資本主義社会。その間には、幾世紀もの時代が流れているというのに、支配者の民衆に対する見方、「自立し力を貯える」ことへの怖れは不変であることは、興味深い。 しかし、高度に発達した資本主義社会の最大の違いは、幾世紀もの民衆によるたたかいを経て、連帯する力闘いを組織する力を身につけていることだ。そのことが試される世紀こそ、21世紀ではないだろうか。そんなことを、この話しを聞いて感じた。
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