ヤグネットの毎日
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2002年06月04日(火) 『子どもの社会力』を読む

 とても蒸し暑い一日。いくらでも水分がとれてしまう。水分をとるだけ体がだるくなる。自重しなければとおもいながら、つい。午後から、議員団控え室で6月議会にむけての諸準備。
 合間に門脇厚司著『子どもの社会力』を読み終える。詳しい内容は、プライベートサイトの「ブックレビュー」にのせることとして、感想を短く書いておく。

 共感したのは、「いじめ」「学級崩壊」など子どもたちをめぐる深刻な状況の根本原因だ。教育社会学を専門とする著者は、最近のわが国の子どもや若者にみられる変化の特徴は、他者への関心や愛着や信頼感がなく、自分が住む生活世界について具体的なイメージを描けない、とする。「社会的人間として育っていない」「社会をつくり維持していくために必要な何かをなくしているのではないか?」という強烈な問題意識から、著者は、「社会力」を育てる重要性を力説する。

 「社会力」とは、門脇厚司氏の造語である。本書の随所で、「社会力」の概念が紹介されている。いくつかピックアップしてみよう。

本書で私は、社会的動物ないし社会的存在たるに相応しい人間の資質能力を「社会力」と呼ぶことにした。…「社会性」なる用語が、既にある社会に個人として適応する側面に重きをおいた概念であるのに対し、本書で用いる社会力には、一つの社会を作りその社会を維持し運営していく力という意味を込めている。

「社会力」とは何か。端的にいえば、社会を作り、作った社会を運営しつつ、その社会を絶えず作り変えていくために必要な資質や能力ということである。

「社会力」とは、よかれと思う社会を構想し、それを作り、運営し、その社会がさらにいいものに変えていく力であるとした。また、社会力が本来の機能を発揮するには、その下地として十分な他者意識や他者への共感能力が備わっている必要がある。

 「社会力」の乏しさは、何も子どもに限ったことではなく、親など大人が相当に社会力を欠いているのが現状だ、という指摘にはギクッとさせられた。思い当たる節はあげればキリがないからだ。

 人間がもともと社会の中で、人と人との相互の働きかけのなかでしか存在できない動物であること、またそのための高い能力を備えていることなどを様々なデータをもとに実証する。
 「ヒトの子無能説」(著者)にたつイギリスの代表的哲学者ジョン・ロックへの批判や心理学者ピアジェの「ヒトの子は4歳まで自己中心的な見方しかできず、他者の立場でものを考えたりすることはできない」などの理論を最新の研究結果にもとづいて、次つぎと論駁していく箇所などは、刺激的だ。

 では、社会力を形成するために、何が必要か。著者は、「原理的には、生まれた直後から、可能な限り、子どもとの相互行為に努めること」だという。子どもとの応答(子どもが仕掛けてくる様々な意図に敏感に察し、それに応じて適切な行為を返してあげること)が必要だ、と指摘する。
 そのために、世の親、とくに父親に仕事人間、会社人間であることを変えるべきだ、とズバリ提言。
 そして子どもとかかわることに喜びにして、子どもを中心にして、地域の教育力などを高めることが必要だと力説。「CCC運動」(Create the Comunity for Children)=児童・青少年の健全な発達促進モデル地区育成事業)の実践や「ライネル・プラン」などを提案してきた著者の実践が具体的に紹介されている。
 「ライネル・プラン」とは、これも著者の造語で、Life Need Learning Planを短縮したもの。自分がよりよく生きるために必要だから(life-need)学ぶ、自分の今の生活をもっといいものに改善していく必要があるから(life-need)学ぶ、とのメッセージがこめられたものだ。

 個人の切実な欲求や、日常生活で抱えているさまざまな問題や、地域で実現すべき課題にはっきり“答えをだす”ことを目指して学ぶべきで、地域における活動もこのような考え方と学習を踏まえて行うべきだ、と提案している。

 僕が、著者の実践活動として、もっとも興味をひかれたのは、地域活動の拠点としての冒険遊び場づくりである。

 冒険遊び場とは何か。著者はいう。

子どもの身体や、欲求や、行動は、発達段階に応じて、どんどん変化するものであり、また同じ年齢でもその子によって様々に異なるものである。それゆえ、どの子のどのような欲求にも応じることができ、また子どもの欲求を喚起する刺激に富んだ環境こそ、子どもの発達に望ましい」とい哲学にもとづいたつくられた場所ということである。

 専門的教育をうけ、子どもの悩みや遊びの相手になれて、子どもたちと地域の大人たちを引き合わせる役割をも果たす。それが、この冒険遊び場に常駐しているプレイリーダーである。待遇は先生と同じ地方公務員。欧米ではすでに実現している「冒険遊び場づくり」を、東京・世田谷区でも住民があらゆる困難を乗りこえてつくりだしているそうだ。
 少なからぬ住民の苦情に悩まされながら、それでも冒険遊び場を維持しようとするのは、なぜか?
 
 本書の最後で、著者はこう結ぶ。

そこに住む父母たち多くの、「わが子をよく育てたい!」という熱い真剣な思いに違いない。さらには、地域の子は地域で育てようという姿勢であろうし、自分が住む地域をよくしたいという志向ではないかと思う。煎じ詰めれば、地域住民の中に、コミュニティ意識が強くあるということである。

子どもの社会力は、生きることに対する大人たちの前向きな姿勢があり、それから発する強いコミュニティ意識があり、それに根ざした大人たちの地域づくりに連なる様々な活動があり、その中に子どもを取り込みつつ重ねられる大人と子どもの相互行為の過程で育てられ強化されていくのだと考えるべきである。

 考えようによっては、息の長い努力が必要な課題である。
 経済不況やリストラの不安にあえぐ男親たちに、子どもや地域を中心にした生き方を選ぼう、とよびかけて、果たしてすぐに振り向いてもらえるかどうか、不安も残るが、子どもたちの生き生きとした笑顔を思い浮かべるとき、自らがまず実践しなければ、という強烈な問題意識と決意を迫られる一冊だった。


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