ヤグネットの毎日
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| 2002年05月30日(木) |
視察番外編 新発見・有島武郎 |
北海道への視察から戻った。とても勉強になった3日間。番外編として残しておきたいことを書く。
ニセコ町を視察したあと、出発の電車まで少し時間があったので、「有島記念館」を訪問した。ニセコ町と有島武郎は、切ってもきれない関係である。小説『カインの末裔』や『親子』の舞台となったのもニセコ町である。そして、父親から引きついだ農場のすべてを、自身の「相互扶助」という思想にもとづき、農民全員の共有の形で無償解放を宣言したのも、ニセコのまちだ。
正直に書く。僕にとっての有島武郎は、プロレタリアートや農民など、被支配層へのシンパシーを覚えつつも、ブルジョワ階級出身という自らの階級的限界に悩み続けた、弱い存在という印象が強かった。婦人記者との心中事件など、ショッキングな人生の結末も、「弱さ」という評価に安易にむすびつける原因となっていたのかもしれない。 だから、彼が作家という顔のほかに、どんな仕事をなしとげたのか、それが彼にかかわった人びとにどういう影響を与えたのか、こんなことに思いを広げることなどしたことがなかったのである。 今回、「有島記念館」を訪問して、いかに僕の「有島武郎」像が浅薄なものかを思い知らされた。
僕の関心は、「農場解放記念碑案文」という有島本人が書いた文章に集中する。 まず、案文はこう書かれてある。
「この土地を諸君の頭数に分割してお譲りするといふ意味ではありません。諸君が合同してこの土地全体を共有するやうにお願ひするのです、誰れでも少し物を考へる力のある人ならすぐ分ることだと思ひますが、生産の大本となる自然物即ち空気、水、土地の如き類のものは、人間全体で使ふべきもので、或はその使用の結果が人間全体の役に立つやう仕向けられなければならないもので、一個人の利益ばかりのために、個人によって私有されるべきものではありません。それ故にこの農場も、諸君全体が共有し、この土地に責任を感じ、互ひに助け合ってその生産を計るやうにと願ひます。諸君の将来が、協力一致と相互扶助との観念によって導かれ、現代の不備な制度の中にあっても、それに動かされないだけの堅固な基礎を作り、諸君の正しい精神と生活とが、自然に周囲に働いて、周囲の状況をも変化する結果にもなるやうにと祈ります。」
この案文が訴えるのは、21世紀の人類の共通した課題である、「自然物即ち空気、水、土地」をどうするのか、という環境問題に関する有島の鋭い問題提起である。 自然は人間がつくりだしたものではない。だから、人間は謙虚に力をあわせてこの自然を生かすために知恵を出さなければならない。そして、相互扶助の考え=共生の思想こそがそれを可能にする道であることを、訴えている。なんという先見的な考えではないか。
そして、僕が釘付けになったのは、次の事実である。 有島の案文を刻み、碑の建立の計画を示す文章の最後には、もともと「狩太共産農団」と書かれてあった。ところが、この碑文の内容は、土地の私有の否定等、体制批判に繋がるとして、《共産》の文字を《共生》に書き換えざるを得なかった、という。しかも、記念碑そのものも建立が許可されず、碑文がたてられたのは、有島武郎の死の翌年、狩太共生農団発足の年であった。 有島は、自ら無償で農地を解放した。知識人の立場を捨て、農民やプロレタリアートとともに生きる決意をこめて。
その有島の理想を日本で実現することができず、今日もなお基本的に同じ課題を抱えたままとなっているのはなぜなのか?有島武郎が自らの思想を込めて《共産》という文字を刻んだ、その生き方を僕はもっともっと学ばなければいけない、と痛烈に感じた。
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