ヤグネットの毎日
DiaryINDEX|past|will
昨日は、子育てについて考えさせられる一日だった。できるだけありのままに昨日の出来事を書き留めておきたい。
僕の妻(つまり息子の母親)は、今年から新しい学校に転勤となり、今週は家庭訪問がびっしり詰まっている。1年生の担任ということもあり、家でも仕事をしたりするなど慌ただしい。 ここ数日も妻は、夜ゴソゴソと仕事。神経質な息子は脇に母親がいないと寝つけないのか、布団に入っても12時ごろまで起きている日が続いた。
先週も「ちょっと眠いから保育園お休み」と保育園を休んだ息子が、昨日も「眠たいからお休みする」と言い出した。母親は学校があるので先にでて、いつもの通り僕と息子だけに。
「今日は、お父ちゃんお仕事があるから保育園休めないよ。」と僕。
9時には間に合いそうもなかったので、保育園に遅刻の電話を一本いれた。9時前。まだ、息子はゴロゴロして、ビデオを見たいといっている。
だんだん僕もイライラしてきて、言葉もきつくなってしまう。 「お父ちゃんに協力してくれよ!。なんで、保育園に行かないの?!」 なんどいっても、「眠たいから、今日はお休みする」としかいわない。
ついに(いつものように)折れた僕は、保育園に電話をしてお休みする旨を伝えた。
息子を抱き上げると、なぜか涙があふれてきた。なかなか自分の思う通りに動いてくれない息子に対して、つい大声をはりあげてしまう。その原因は、たいがい僕の体裁を気にする「自尊心」からくるものなのだ。 「こんなにしょっちゅう保育園を休ませたら、『お父さんお仕事忙しくないのかしら?』と思われるのでは」 「保育園にいきたくない、というのは集団生活になじめない子なのだろうか?将来はどうなのだろう?集団の大切を普段から説く者の子どもが集団になじめない子に育っている、などと言われたら…」。
そんなちっぽけな自尊心にとらわれている自分が情けなく、息子を大きく包み込んであげられずに、感情をコントロールできずヒステリックに叫ぶ自分がイヤで、息子を抱き上げたとたん、涙が自然にこぼれてきた。 「お父ちゃん、なんか涙がみえているよ。」といって、両手で僕の目を隠した息子の仕草を見て、涙がまたあふれだした。 その後、市役所に行く用事があったので、息子を連れていき、そのあと「イズミヤ」に行くことにした。 いま思うと「イズミヤに行こうか?」と息子の歓心を買うためにかけた、この一声が失敗のもとだった。
イズミヤには、息子のお目当てのおもちゃがある。この前の日曜日にいったときには、「また今度にしようね」と納得させたはずだった。ところが、息子は、お目当てのおもちゃを買うといってきかない。フロアーに大の字になって、「買って買って買って〜」とおねだりをする。 こうなると、また僕の「まわりを気にする」自尊心がむくむくと沸き上がる。 また僕は、敗北。
お昼をイズミヤの地下で食べて、家に帰ろうとしたときだ。 「ソフトクリーム食べたい」といいはじめたので、買ってあげたのに食べようともせず、フロアーを走りはじめた。 ようやくつかまえると、「おしっこでパンツがぬれたので取り替えたい」といいはじめる始末。
ついに、僕の怒りが頂点に達した。「いいかげんにしろ!!」店内に、怒りの声を響かせてしまった。
想像してほしい。片方の手にソフトクリームを抱え、もう片方におもちゃを買った買い物袋をネクタイをした男が子どもを追いかけて、バタバタとしている。ソフトクリームとはとけはじめて、買い物袋にポタポタと垂れはじめた。焦る僕、それに比例して泣き声も大きなったいった。 息子の服をぎゅっとつかまえた僕は、息子が泣き叫ぶのも聞き入れず、片手に抱えてイズミヤを離れた。
頭に血がのぼっていた。買い物客の何人かが、「何ごとか」と驚いた様子でみていただろう。 狭いまちだから、僕が議員であることを知っている人も見ていたかも知れない。平日のこんな時間に、買い物袋抱えて、子どもが泣叫ぶのに無理矢理ひっぱって…
「まわりの人はどう思うだろう?恥ずかしい…」そんなことが、頭のなかをグルグルと渦巻く。 泣叫ぶ息子を家に連れて帰ると、服を着替えさせてしばらくすると、息子は寝息をたてはじめた。
夕方、妻が帰って、一部始終を伝えた。 息子の歓心を買うために、イズミヤに連れていったことが失敗のもとだ、と言われた。子どもに向き合っているようだが、それは、ある意味で「いなし」なのだ。 せめてドライブでもしながら、保育園でどんなことをして遊んでいるのか、どんなことが楽しいかを詳しく聞いてあげるようなことをすべきだったと反省した。
子どもに正面から向き合うということは、子どもをありのままに受け止めてあげることだろう。それは、歓心を買ったり、何でも言うことを聞いてあげることとは違う。 まず、子どもの話を聞いてあげることであり、それに対して親である自分はどうしたいか、どうしてほしいのかを粘り強く語りかけていくことだろう。 率直さが大事だと思うのに、僕は自分の自尊心から、息子に自分の思いだけを一方的に押し付けるだけになっていなかったか?。 自尊心は自己嫌悪と表裏一体だ。昨日は、自分が情けなくて嫌でたまらなくて、その後もたまっているデスクワークもあまり進まなかった。 子どもを自分の未熟さや都合だけで叱り飛ばしてはいけない。頭で分かっていても…と自分を責めた。本当に未熟な父親である自分がイヤだった。 夕食のときだ。
母親が息子に、「なんで保育園いかなかった?」と聞いてみた。息子は「ねむかったの」とポツリ。
「それだけ?」とさらに母親が聞くと、「お友達にパンチをもらったりする。だからイヤ」と言いはじめた。母親がよくよく聞いてみると、息子がいつも「えいや〜っ!」とお友達にたたかいを挑んでいくのだが、たいがい相手のほうが強くて自分がたたかれてしまう。それがイヤだったようだ。 「でも、それはあなたがたたかいをしかけていくからでしょ。自分がイヤだったら、お友達もイヤなのよ。だから、もう自分からたたかいをしかけたらダメだよ」と母親がやさしくいうと、「わかったよ〜〜」としおらしく答えていた。
そのやりとりを聞いていて、僕は自分の力不足を恥じた。 夜寝る前に、息子は母親に促されて「お父ちゃんごめんね」といってくれた。僕が涙で枕をぬらしたのは、ご想像のとおりだ。 翌朝(つまり今朝)、息子のためにたまご焼きをつくってあげた。妻は「おいしい!」とほめてくれたが、息子は、「ちょっと味がないよこの卵焼き」と一蹴。 まあ、いいさ。その率直さこそ、父子にとっては大切なのだ。 元気に今朝、息子が保育園にいってくれた。僕は、自分の弱点が洗い出されるこの子育てに、ひるまずに挑んでいこう、とあらためて思った。
|