ヤグネットの毎日
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| 2002年04月03日(水) |
「作家」が言葉を失うとき |
7日にむけて政治への関心が高まりつつある。 昨日、城陽団地に40人ほどの「政治を変えたい」と願う人たちが集まった。そのど真ん中を、「政治を変えたくない」と願う人たちが、車から音をいっぱいにあげて走り抜けていった。 なんとう常識のない人たちなんだろうか? 怒りどころか悲しくさえなった。 夜、石原東京都知事が荒巻知事の継承を訴える人を応援に、 おとなりの宇治市にやってきたそうだ。 3日付けの新聞報道からしか情報は得られないが、目を疑うフレーズが あった。 「私は『共産党』が生理的に嫌い」と声を張り上げたそうだ。(「城南新 報」4月3日付) 石原知事といえば作家である。言葉で相手に自分の主張や考えを伝えるこ とには、もっとも巧みで説得力をもちうるはずで、事柄の説明はより厳密 で正確でなければいけない。 ところが、共産党が「生理的に嫌いだ」とぶち上げて演説の大半を共産党 攻撃に使った、という。しかも、公務を休んで。 生理的に嫌い、というのは換言すれば、「理由はない。とにかく嫌いだ」 ということだ。
自分が何かを好きか嫌いかを述べるときには、なぜ自分がそう思うのか を、言葉によって説明すべきはないだろうか。 あの第二次世界大戦に突入する暗闇の時代。 多くの「作家」がペンを握る自由、言葉を綴る自由を奪われた。 「作家」が言葉を失うとき、それは戦争が足音をたててやってくる恐い時代 の再来だ。 自らすすんで、言葉を失って、ヒステリックな反共のお題目を唱えると は、「作家」にとっては、自殺行為ではないのか?
反共は戦争前夜の声ーーこれは、蜷川虎三元知事の名言だ。 いま再び、この言葉を僕たちが心をこめて発信するときではないだろう か?
ちなみに、石原知事は横浜市長選挙では、落選した現職市長の応援演説に 力をいれたそうだ。 僕が心配するまでもなく、有権者は冷静な判断をしているのだ。
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