| 2003年01月16日(木) |
『詩歌の待ち伏せ』上 |
今日は修論提出後の初授業。 久々に読むこととなった近世の版本に少々てこずる。 こういうものはやはり慣れてナンボのものである。 いったんコツをつかめばスラスラ読めるのであるが、 ブランクを置くと咄嗟に浮かんでこない文字もいくつかある。 そんな中、翻刻本もミスし、教授も読めなかった部分を解読。 おおいに誉められ、非常に気分がよい(笑) ダテにココで歳を取っていたわけじゃないからね。
本日の一作: ・『詩歌の待ち伏せ』上(北村薫/文藝春秋)
やっぱりこの人は凄い人なのだと思った。 作家としてはもちろん、国語の教師として。 日常生活の中でふと目についた詩、情況に応じて思い出した詩を、 「コレは詩のほうが自分を待ち伏せしていたのだ」という感性を 私は羨望の眼差しをもって見つめるしかない。何とステキなのだろう。 しかも、この一冊の中には北村氏のすでに他界されたご両親への愛が 本当にこれでもか、これでもかとめいいっぱい詰まっているのである。 特に、石垣りん「悲しみ」の項は、胸に迫るものがある。 私は電車の中でこの本を読み進めていたのであるが、 この項を読んでいる間は涙を堪えるのに必死であった。
悲しみ 石垣りん
私は六十五歳です。
このあいだ転んで 右の手首を骨折しました。
なおっても元のようにはならない と病院で言われ 腕をさすって泣きました。 お父さんお母さんごめんなさい。
二人とも、とっくに死んでいませんが 二人にもらった身体です。 今も私は子供です。
おばあさんではありません。
これから年を重ねていくにつれ、いっそう胸に染みるに違いない。 北村氏がふと耳に留め、心に留めておいたこの詩は、 今また、私の心の奥にそっと息づき、未来の私を待ち伏せている。
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