| 2004年11月21日(日) |
発芽玄米ごはんのオコゲの薫り |
癒しの森465
人は記憶に刻まれた味というものがある。私の記憶では、電気炊飯器が大衆に広まったのは昭和40年頃である。年齢からいくと現在50歳以上の人たちは、子供のころ釜で炊いたご飯を食べた記憶が残っているのだ。発芽玄米ごはんの炊き方を指導していると、共通した静かな歓声が上がる。発芽玄米が炊き上がり「見てください。発芽玄米ごはん全体の薫りを出すだめには、この程度のオコゲを作る必要があるのです」と言って圧力釜のご飯の攪拌(オコゲを全体に混ぜる)をすると必ず「ワァーオコゲだ!」という声が上がるのである。
一昨日いわき市でも同じ声が上がった。ここでは参加者のオコゲの記憶が鮮明と見えて「ワァー!オコゲだ。オコゲだけ頂戴」という声が5人ほどありアッという間にオコゲ混じりのご飯がなくなってしまった。子供のときに食べた味が鮮明に残っているのである。いつも思うことであるが「食」を囲むコミュニケーションには、なんともいえない人の心が流れるものである。
私の知る範囲では、日本人が最初の白米を食べたのは、江戸時代の大奥であった。玄米の中に含まれているビタミンの不足で、大奥特有の病気「江戸わずらい」が発生したとの記述を読んだ記憶がある。いまでいう「かっけ」である。日本人は古来から玄米を食べてきた。昔の釜は分厚く重い蓋をする。あの蓋がまさに圧力釜であったのだ。そして、釜の底にはオコゲがあったことは容易に予測できる。玄米のオコゲの風味は、日本人の遺伝子に刻まれている風味のような気がしてならない。 ・炊き上がり オコゲの薫りに 歓声が 故郷想う 懐かしき味
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