2004年08月22日(日) 労わられたい系
上海冷茶の加藤ローサバージョンは、代理店の担当者がローサちゃんのファンでああいう格好させたかっただけなんじゃないかという説に255ダイチマオ、そんな井ノ本ですこんにちは。
前回の続きですがBlog。 私が前のテキストサイトやってたときはBlogはそんな流行ってなかったと思います。 個人の多くはROMだったんじゃないかなあ。 まあ、だからこそ昨日書いたような語りたい子ちゃんがサイト管理者にアプローチするのもわかるような気が。 でもそういう人たちが手軽にBlogを開設できるようになってきたらまあ、なんつうんでしたっけあれ、ブロゴスフィアっていうんでしたっけ。 似たようなBlogを書く人同士のなんともいえない空間がどんどこできててそれがまたなんかすごいです。 日本語で書いてあるはずなのにまったく理解できないのとかすごくたくさんある。 専門的マニアックすぎでついていけないっていうんじゃなくて、日常のことを書いてあるはずなのにまったくわからない。 いえ別に理解しなくてもいいんだということはわかっています。 ただ、住む世界が違うなあ・・・・と。
いわゆる社会の序列とは全く別なところで、階層は存在しています。 話の合う人、合わない人っていうほうがわかりやすいかな。 まあ、リアルの場合、その話の合う合わないがえてして社会的序列によるものが多かったりするがゆえに起こるいろいろがあるわけですが、それはまた別の話。 Blogの場合相手の属性が見えない分、純粋に話が合うか合わないかで階層が作られているかも、と思う。 まあそりゃそうですよね、料理に興味ない人は料理ネタのblogをそもそも読まないし。 で、そこかしこで何がしかの共通項をもとにBlog同士の交流があったりなかったり。 そういうのを見つつ、面白かったりためになったり退いたり笑ったりしてますが、たまーにうわーと思うのがあります。 テーマありきのやつはそんなにうわーとはならないなあ。濃すぎ!とか薄すぎ!とか思うことはあるけど。 どっちかというと、うわーとなるのは昨日書いた「語りたい子ちゃん」ぽい人たちがより集いているやつで。
Blogは日記といってもwebなので世界に発信されています。 だからいくら思ったことをそのまま書くと言っても、大なり小なり考えて書いてしまいます。 それはそれでいいと思う。 でもそこで考えるベクトルがいろいろあるんですね。 「こう思われたい、だからそう思われるように書く」っていう方向に行く人もいる。 女性のBlogに多いと思います。モテ自慢とか、アピール日記とか。 まあそれはそれで生温くウォッチしてればいいんですけど、他にもベクトルがあって、 「こんな自分だけどいいよね?いいよね?いいんだよね?」という方向になってる人もいる。 自虐的に自分のダメなとこを(但し自分は悪くないもん、という雰囲気を匂わせつつ)書いてるの。 「また人に迷惑掛けちゃった、ダメな私…でも、こんな私につきあってくれてありがとう。こんな私でも、まだ友達でいてくれるかな?」みたいな。 依存性が高い割に(いや高いからこそかな)他者からの肯定を求めるって意味ではアピールも自虐も同じなんですけど、 自虐のほうが「うわー」感が高いなあ。 たぶん「いや、そんなことないよ」っていう言葉を求めているのがまるわかりだからだと思う。 自虐的な割に自己憐憫はてんこもりっていうか。 アピール系の場合、自己申告だから、ある意味自己完結してるのでまあ適当にスルーもできますが、 そういう、人から言質をとりたくて書いてる、っていうのがダメなんだな、きっと。 だってリアルでダメなとこ延々あげつらって「こんなだけどいいよね?」とか言われたらわたしきっと「いや、よくないと思う」とかツッコんじゃうもの。
別にそういう生き方を否定はしません。 その人なりの生き方がある。 でも、なんというか、自己憐憫を全世界に発信して、自分が言って欲しい言葉を掛けてくれる人を待ってるっていう感じがこう、うわーとなる。 で、すごいのは、そういう人のところにはそういう人にそういう言葉を掛けてあげたい(または、そういう言葉をかけてあげるのが好きな)人が集まってくるんですね。 そこでみんなして「こんなダメでごめん」「ううん、いいんだよ」「ほんとに?」みたいな空気作ってる。 ダメだなーと思ってるんなら直すつうか変えてけばいいじゃん、とか思ってしまう私みたいなのはお呼びではないわけです。 ダメなここを変えたい、んじゃなくて、ダメな自分を丸ごと受け入れてほしい、こんなにがんばってて大変でツラくて傷ついた繊細な私を労わってほしい、みたいな逆説的にすっごく高飛車なメンタリティとそういうダメなやつを受け入れてあげちゃう心の広い自分だーいすき、みたいな逆説的にすっごく狭量なメンタリティの生温くうすら寒い癒しあいとか見てるとすげえなあーと思います。 いやーほんと住む世界が違うなあ、と。
少なくとも井ノ本的は全く状況を知らない第三者に労わってもらうのもなんか申し訳ないなあ、と思います。 |
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