考えました。(また独善的に)
「正常」は「異常」を理解しないし、「異常」は「正常」を理解しない。
「正常」は「異常」に気付くが、「異常」は「正常」に気付かない。
「正常」は大抵の場合、「異常」に気付くと近寄らない。ゆえに、「異常」に関わるのは「異常」である。
勿論、例外もあるとは思いますが。異常もさまざまですが。
でも何ていうか、パーソナリティ障害の本を読んでたら「妄想性パーソナリティ(障害)」っていうのがありまして、これが!!!!
例の、不倫してた何となく相性が合わなかった(お互い)友達にいくつか当てはまるんです…!!!
勿論、彼女の場合は「障害」までいってないと思います。
パーソナリティっていうのは元々人にあるもので(性質のようなもの)、それが社会や人間関係に支障をきたすようになると「障害」と呼ばれるだけで、その境目っていうのはかなり曖昧らしいのですが、何ていうか、これだーーーー!! って思ったんですよね。
診断基準のDSM−�犬箸いΔ里�ありまして、これを見るとピンとこないのですが、『パーソナリティ障害』(岡田尊司・PHP新書←回し者みたいになってますが)にのってる付録を読むと、いくつか当てはまっているような気がするのです、彼女に。
・自分のプライベートや秘密を他人にあまり話さない ・人の言葉によく傷つけられることがある
とかが、特にそう。
別に彼女のことを話していないときでも、彼女が自分にあてはまると思って「ぐさ」とか自分が傷ついたよってことを言っていることがあることが、今思えば多かったです。
んで、何より納得したのが、このパーソナリティ、本によれば「根元には父親を求める気持ちがある。父親とは、揺らぎ無い存在でなければならない」んだそうで、びくびくしたり、おどおどした態度は相手を逆上させてしまうそうです。
オレだよ。
自分に自信がない、堂々とした態度なんて取れないこの依存性パーソナリティの私には、まさに鬼門!!
自分が自分でいるだけで、相手にイラッとさせてしまう訳ですね…!!
つっても、この妄想性パーソナリティは読んだ感じ物凄く厄介そうで、反抗しても絶対敵わないというか、絶対に戦おうとはしてはいけない相手みたいに書いてあって。
私の元友人は、こんな感じではなかったので、まだ全然なのでしょうが…。でも相性合わない訳ですよね…(と一人で納得)。
ちなみに、旦那の知り合いにもいたらしいです。なんと、DSM−�犬凌巴任法蔽尭疆�に)全部あてはまっちゃうよってぐらい素敵な方が。
しかし、旦那はその人結構好きだったらしくて。
もうささいなことでも自分への攻撃と受け取り、相当困った人だったみたいですが、多分一番旦那がうまく付き合えてたそうです。(旦那談)
何故なら。その本によると、このパーソナリティには、
・のらりくらりと中立的な立場を維持し ・間違っても相手を否定したり戦ったりせず ・距離をおいて付き合う
ことがいいらしく。
旦那、全部そうしてたらしいです。
つーか、そもそも「人との間に距離がある」「ほとんどの場合、人と親しくなろうと思わない」という素敵なシゾイドタイプの旦那。
その人に反論せず(基本どうでもいいと思っているので)、距離をおきまくり、戦って勝てる訳ないとすぐに悟って、付き合ってたらしいのです。
例えばその人が、「あの人とあの人がお前の悪口言ってたぞ。あの人って△△だし××だよな」と同意を求める感じで悪口言ってても、
旦那「ふーん、そうすか」
で巻き込まれない。
「お前、自分のことなのにどうでもいいのか?」と言われても、
旦那「どうでもいいっす」
でスルー。
ドライな奴だなあ、とか言われてたらしいです。
因みに私は、絶対これ「あの人そんなこと言ってたの!? 本当に!?」とかむしろ自分から巻き込まれに行っちゃうタイプなので、あーなるほど、こういうタイプは無理だわ、と見分ける力をつけようと思います。
旦那、シゾイドだから絶対人の言葉に揺らがないしな…ホント凄いよな…。
しかし色々考えたんですが、正常っていうのは凄くバランス取れてていいですね。友人にもいるのですが、本当に理想です。
けど、確かに「異常」を遠ざける傾向もあるような気がします。
だけど、「異常」を理解しようとする「異常」もいていいんじゃないかと、それがないと「異常」は生きられない世界になっちゃいますのでね。
「異常」が「異常」のままで、程度もキッツイ(犯罪犯すような)とちょっとアレですが、多少の異常がいるぐらいが、人生面白いのかも知れないなあと。
少なくとも、私はシゾイドの旦那好きですし。(一緒に感動系のものが何一つ楽しめないというのはありますがね…)
旦那も、多分「正常」ではない「異常」な私に惹かれたのは、そういうものがあったんでしょうね。
だって本には、シゾイドってあんまり恋愛とか興味なく、特にどろどろしたのを嫌うって書いてあるんですよ。
旦那、私にはどろどろしたものを感じないのだそうです。(そうか?? 浮気された頃とかそれなりだったような気がするのですが…)
想像するならば、依存性って「子供」のままなんですよね。 だから「大人」特有の卑怯さとか、ごまかしとかあれこれ複雑な感情は無いのではないかと。
恋愛にしても、旦那の傍には「私、今度○○に行きたいなあ〜。誰か連れてってくれないかな〜」みたいな、暗に連れて行けと言っているような女が多かったらしく(それも凄い確率だと思うのですが)、私のように「今度、○○に一緒に行きませんか?」みたいに聞いてくる女が新鮮だったとかで。
確かに、恋愛するにしてもそういうテクニック的なものには無縁でしたが…でもそれを好む人もいますもんねえ。やっぱり相性なんだなあと。
けど、自己評価が低いと、浮気されても離れられないとか自分のことも色々困るし、傷つかないでいい所で傷ついて社会に長くいられない(人に迷惑をかける)とか、色んな弊害が出てくるのも確かで。
「悪いことばかりじゃない」っていうのも新たな発見だったのですが、かといってこのままでいいとも思えない、訳で。
とりあえずは自己評価を上げること。
自己評価を上げるには、自分で行動すること。そしてその結果をきちんと受けとめること。
今、試験勉強をしていますが、まあさっくり適当にしていたせいで、直前になり焦っています。
だけど、これに落ちても受かっても、自分のした結果として、ただ受けとめればいいんですよね。
落ちたとしても、それで自分の全てが否定される訳じゃない、否定される訳じゃないから「勉強しなかったから〜」とかって言い訳を思わなくてもいいわけですよね。(←寒いです)
落ちちゃった、次は頑張ろう、でよいと。
何ていうか、こういう試験とかでも、受けることを私、中々人に言えなかったんですよ。
「落ちた」って報告するのが恥ずかしいし、とても自分がダメな人間だって見られる気がして。
だから、受かった後でないと言えなかったんです。親しい友達でも。
今度○○の試験受けるんだ、って言える友達を、凄いなあって尊敬の念で見ていました。
けど、自己評価がちゃんとあると、そういうことに左右されないんですよね。それは沢山ある中のたった一つのことで、受かっても落ちても自分がやったことだと。
教科書(?)を2回読んで、問題集、やっと2冊解きました。範囲が違うので、それぞれ1回目にしかなりません。
3回は繰り返せっていうのに…出来るのか不安ですが、とりあえず受けてきます。
落ちるから受けるのやだな…。いやいや、落ちてもいいじゃないか。
そんな思考の繰り返しでございます。(←ならもっと前から勉強しておけよ)
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