矛盾スルニモ程ガアル
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2007年10月11日(木) こりゃ多分不安定に違えねえ。

そりゃそうだよな、元々人に嫌われることが苦手(相手に正当性があったとしても)なのに、嫌われることを盛大にした挙句に自分の欠点に今更気付いちゃったらなあ…。


けどまあそこを「人は人、私は私」って思えないのが欠点の一つでもある訳で、ここは嘘でも「別にいいし」って思ってた方がいいんだろうなあ。



しみじみ思うのは、正常な人に「異常」は分からないし、異常な人には「正常」が分からない(のではないか)ということでございますな。



どっちも自分が「正常」と思ってるからなんだよね、多分。



私が目指すのは、「ニュートラル」だと思う。



私の友達が持っていてくれるような、「ぼむって人間はこういう人間なんだな」っていう目。


そのまま、ありのままを受け入れる、チカラ。



否定も肯定もせず、「こういう人なんだな」っていう理解をするということ。



いいか悪いかとか、正しいか間違ってるか、じゃなくて。




多分、その上での「私はこういう考え方は共感できる」「私はこういう考えは苦手」なら、いいんだと思う。




私は今まで、相手を否定してきたなあ。



まずは「相手の考えはこういうものなんだな」「相手はこういう人なんだな
」ってそのまま受け入れて、そこから「その相手と、自分は合う」「自分とは合わない」って判断すれば良かったんだなあ。



合わないなら離れる。合うから近付く。それだけでいいのに。それだけのことなのに。






気付かせてくれた多くの人に、今、感謝しています。


ちょっと遅すぎましたがな。


でも多分、遅かった、もうダメだったのにって考えるより、今気付けて良かったって思った方がいいと思うから、これからの出会いを大事にしていきたいです。



今まで傷つけてしまった人、ごめんなさい。

っていうか、基本的に「自分は人より下」という価値観だったので(そして今でもそれが中々拭えないので)、何ていうか、こんな私の言うことで傷つく人なんているのかな? って思っちゃうんですよね。

変かなあ…変なんだろうな。←自覚まだ全然できてないじゃん。



同じように、「嫉妬」という感情に対しても、自分が人にするのは当たり前だったけれど、人が自分にするというのは信じられなくて、パートのことでもAさんやBさんが「Cさんは、ぼむさんが仕事も出来るし夫婦仲もいいから嫉妬してるんだよ」なんて言葉をお世辞だと思ってたし、「そうかなあ?」なんて全然信じていなかった。

嫉妬されるような存在じゃないと自分を感じていた。



けどそうじゃないんだよね。自分が何も出来ない人間じゃないよと、自分を認めてあげて初めて分かる。


えっと、何ていうか、自分が価値のある(何かが出来る)存在だと思うと、嫉妬される可能性も、逆に自分が人を傷つける可能性も理解できるというか。
嫉妬されるかも知れない、ってことは、自分の言葉が相手に対してある程度重みを持つかも知れないってことなんだよね。
それは、きっと、自分がそれだけの重みがある、自分が認める自分という存在を認識できると分かることなんだよね。(もう意味不明ですみません)


そして皆は当たり前のようにこの「自己肯定感」があって、私には無くて、どちらもそれが当たり前だったからずっとすれ違ったというか。



だけどこれは私にとって免罪符じゃなくて、今まで傷つけた人にも振り回した人にも申し訳ないと思って生きなきゃいけないし、この反省を活かして、人に左右されない、「変わらない、代われない、自分」というものを認識して、いかなくてはと思う訳でございます。




ところでタイトルに繋がってますかね?


何かもう言ってること自分でもぐちゃぐちゃだから、それで不安定っぷりが伝わりますでしょうか?(笑)




「これは不安定かも?」と思ったら不安定かもと書いてしまうのは変わってないです、ハイ。


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