ココロモヨウ
dokin



 気持ちの蒸発


虚無というのは恐ろしい

虚無の前では努力という言葉も

頑張るという言葉も意味を持たない

何を入れても埋まらないから虚無なのか

虚無の蓋が頑丈に閉まってるから

放り込むことすらできないのか

その時笑うような楽しいことがあっても

それはすぐに蒸発してなくなってしまう

何も蓄えることができない虚無の力

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さて何回虚無と書いたでしょう



2004年07月20日(火)



 もうマジで嫌


あーダメ、やっぱダメ、全然ダメ

あの文字列を見るとぞっとする

嫌いな奴そうでない奴様々だけど

それらの中に自分の名前が加わるかと思うと

どうしようもなく嫌、マジで嫌

見る分にはどうってことないけど

名前を一緒に連ねたくはない

消滅で軽いノスタルジーを感じたけど

無理なことはさっさとやめよう

持ち主との個人的な繋がりだけを大事にしよう







2004年07月09日(金)



 女友達とは


女友達ってなんだろう、どういう役割があって
どういう存在で、どういう位置づけなんだろう

悲しいことがあった時支えとして求めるのは
友達ではなく好きな人なのか
ココロの底からの感情をぶつけて吐き出せるのは
友達ではなく好きな人の前ということか

なんて、あたりまえかそんなの

じゃー友達はそれとは違う種類の
感情を吐き出し発散する存在なのか
喜びと楽しさを主に共有するだけなのか

それでは物足りないと思うのは贅沢なのか

私は寂しさを覚えた

自分が本音を吐き出さない人間であることは棚に上げて





2004年06月22日(火)



 逃げ場所


私はいつも逃げ場を探している
どんな隙間でもいいから安全な場所を常に
探して確保して身を潜めている
でも年を取るごとにその逃げ場は
見つかりにくくなりなかなかゆっくりもできなくなる

ただじっと息をしているだけではダメなのか
常に何かを創造していないとダメなのか

私に何も期待しないで欲しい
期待には多分何も応えることはできないから

からっぽでも明日はまたやってくる



2004年06月20日(日)



 何も感じない


私は薄情なのかな
物理的な距離はココロの距離も遠ざけてしまうのかな
あれを見ても正直特別な感慨はなく
今まで親しい人や大事な人に寄せてきた
親身な気持ちは全く湧かなかった

なんかもうその人の存在が私のエリア外になっていて
その他大勢の他人に向けるような平坦な感情でしかない

別に大きな理由とか喧嘩とかそんなのなくて
ただすぅっと離れていったって感じ
多分相手も私に対してそうなんだろうと思う
離れるのは離れるので客観的に見てるけど
悲しい出来事に対しても平坦な気持ちにしかなれない
自分の冷たさにすごく驚いた





2004年06月06日(日)



 私だけのために


私は私のために私のやりたいことをやる

こんな当たり前で基本的なことを

ついつい忘れてしまいそうになる

誰かのためにやってるなんて思ってないけど

根本的な気持ちが無意識の内に消えてしまい

はっと我を振り返り確認しないと

流されてそのまま所在をなくしそうだ

私は私のためだけに好きなことをやる



2004年05月28日(金)



 ひたひたにする


そろそろまた動き出さなきゃ

からっぽの箱には空虚しかない

このままでは底をつくだけではなく

そこに穴が開いてなにもかもが

流れ出てしまいそうだ

なんでも、どんなことでもいいから

内側から自分をひたひたにしなければ

ふっくらと肌理の整った水瓶を作らなければ



2004年05月23日(日)
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