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2023年02月04日(土) 楽しい夜

今日は、旧城南支部で一緒に稽古させて頂いた、数見先輩と竹石先輩と一緒に食事をさせて頂きました。話す内容は昔一緒に稽古した時代の事です。話しても話しても話はつきませんでした。あの時代を逃げずに頑張ったから作れた財産だと思っています。あの時には逃げずに頑張ったメンバーは10人ぐらいしかいません。その中に自分も入れた事は私の勲章です。毎日、本当に大変だったけど頑張って良かったです。でももうあの時には戻りたくありません。あんなに辛い事は一生一度で十分です。本当にあっという間の楽しい夜でした。


2023年02月03日(金) 希望

15歳から空手を始めて35年間、本当に身体を酷使して来ました。20歳で東京に来てから34歳までの14年は1番身体を酷使した時期でした。ほとんどはその頃の怪我が原因となって、その後少しずつ少しずつ悪くなって行ったのだと思います。本当に身体はボロボロです。頚椎と腰椎にヘルニアを持ち、尚且つ腰部は脊柱管狭窄で両膝が悪く、両股関節も悪く、手と足は変形し脛の骨も凹んで変形し肩も悪く、もう良い所がないぐらい悪い所だらけです。だからウエイトトレーニングをして筋肉をつけ、筋肉という鎧で身体を守ろうと思って頑張っています。この股関節も今年中に手術して決着を付けたいと思います。8月に手術をするので、それまでに身体を鍛えて、体重も落としておきたいと思います。でも股関節を人工関節にする手術を決断してから、私は希望しかありません。この何年か膝が悪い、股関節が悪い、アキレス腱断裂と身体のあちこちが悪かったために思い切り稽古が出来ませんでした。でもこれをやれば治るんだと思えば、もうあとは希望しかありません。人工関節がいつ壊れて再手術になるか?それが70歳か?80歳か?そんなの分かりません。もしかしたらそれまで生きてないかもしれないし、それまでにはもっと凄い医療が生み出されてるかもしれないし、それは誰にも分かりません。こんなのくよくよ心配しても仕方がありません。結局は人の人生なんてなるようにしかなりません。なるようにしかならない事をくよくよ悩むなんて馬鹿らしいです。なったその時にまた考えて対処すれば良いだけです。それに私はどうなろうと絶対に負けない自信があります。極真空手をやったおかげで、普通の人の数十倍は修羅場をくぐりました。それにも負けず今までも生きて来たのだから、これからもきっと負けないはずです。もうこの股関節を人工関節にする事も笑いにしてしまっています。子供達に「先生はサイボーグになるぞ!機械の身体に改造してもらってさらに強くなるぞ!ワンピースのフランキーみたいな感じだな!」と話しています。そして本当にそんな気持になっています。股関節が良くなったら今まで出来なかった稽古もたくさん出来ます。だから今は希望しかありません。


2023年02月02日(木) 本当に幸せ

50歳になって思う事はこの歳まで生きる事が出来て感謝していると言う事です。こんなに幸せな未来があるなんて10代の頃の自分には想像も出来ませんでした。大好きな極真空手を仕事に出来て、その好きな事を道場生に教える事が出来て、自分の稽古も毎日出来て、大好きな妻がいつも一緒にいてくれて、大好きな子供達がいつも一緒にいてくれて、これ以上の幸せはありません。私は今が1番幸せです。これ以上を求めたら今の生活はなくなってしまうと思うので、もう私はこれ以上は望みません。だから私はこれ以上は頑張らないって決めました。もう何かを犠牲にして自分以上の自分になる必要もありませんし、誰かと自分を比べて無理をして頑張る必要もありません。私は私のまま頑張ります。一歩一歩自分のペースで頑張りたいと思います。昨日、次男が「僕が具合悪くなったせいで、ママとデート出来なくなってゴメンネ!」と言っていました。本当に可愛い子です。長男も馬鹿な事ばかりしてるけど、馬鹿な所は私に似ての事だから、その部分も愛してあげたいと思います。昨日、家に帰ると皆でパッピーバースデーの歌を歌ってくれました。本当に幸せだなと思いました。子供達にも50歳の時には幸せでいて欲しいと思います。


2023年02月01日(水) 50歳は最高のスタート

50歳になりました。私を生んで独り立ちするまで育ててくれた両親には本当に感謝しています。私の先祖や私を導いてくれた方々や私にかかわってくれた全ての方々に感謝しています。今日は妻と食事に行く予定でしたが、次男が体調をくずし学校を休んだため、中止となってしまいました。私はトレーニングに行き、床屋に行き、銭湯でサウナに入り、稽古に行きました。たくさんの道場生におめでとうを言って頂きました。本当にありがとうございます。帰宅すると妻と長男と次男が電気を消してケーキのローソクに火を付けて待っていてくれました。そしてサウナハットをプレゼントしてもらいました。もう少しで泣くところでした。50歳まで生きて来て本当に良かったと思いました。妻と長男と次男には本当に感謝しています。50歳最初の日は最高の1日でした。50歳は最高のスタートを切る事が出来ました。


2023年01月31日(火) 49歳最後の1日、明日が楽しみです。

今日が49歳の最後の1日となりました。考えてみると47歳で右膝が悪くなり、48歳で右膝の手術、その年の10月終わり頃に腰部脊柱管狭窄症になり、半年ほど薬を飲み、次の年の5月頃に良くなり、稽古を始めたら6月に右足のアキレス腱を断裂しアキレス腱の縫合手術をし、股関節は2年ほど前から痛かったのですが、昨年末にいよいよ悪くなり今年の8月に人工関節の手術をする事に決めました。考えてみると48歳、49歳、50歳と3年連続で手術をしていると言う事になります。自分の罪の精算をここで一気にさせて頂き、ここから復活させて頂こうと思います。不安は全く無いか?と言われたらもちろん不安はあります。youtubuで股関節の人工関節手術の映像などを見ると、これは大変な手術なんだなと言う事が分かります。でもやっぱりこれは自分がやって来た事の中で起こった事なので、自分でしっかりケジメをつけたいと思っています。だからこのことには家族は極力関わらせないようにしたいです。右膝の時もアキレス腱の時もそうだったように1人で病院に行って1人で帰って来ようと思っています。今日は明日は妻と食事に行くため、明日の分までトレーニングをしました。現在22時26分です。あと2時間34分で50歳になります。かと言って明日から、全く新しい自分になる訳でも、自分の何が変わる訳でもありませんが、50歳と言う年齢に恥じない生き方や立ち振舞をしたいと思います。40代は本当に充実して楽しい時間でした。次男が生まれたり、ウエイトトレーニングを始めたり、マスターズの試合に出たり、型の試合に出たり、新しい事にもたくさん挑戦しました。本当に楽しかったしたくさん思い出も作りました。何も悔いはありません。50代は先ずは身体を治して、身体を労りながら、新しい事を修得して、また10年突っ走りたいと思います。明日が楽しみです。


2023年01月30日(月) 49歳のうちに決断をする

あと2日で50歳になる今日、この菅野日記を見たらアカウントが300003となっていました。菅野日記がそれだけ人の目に触れたと言う事なので、嬉しくもあり、恥ずかしくもありですが、責任を持った発信をしていかなければ行けないなと改めて思わされました。あと2日で50歳になる今日、私はある決断をしました。今日は金曜日に撮影をしたMRIを見ながら主治医の先生から診断の結果を聞きました。結果は左の股関節は今すぐ手術をしても良いぐらい悪い事、でもまだ歩けているなら、今の年齢と今後を考え、手術は歩けなくなるまで先延ばしにした方が良い事、右は現状はさほど悪くはないが、おそらく2年後ぐらいには手術が必要になる事でした。主治医の先生には「今話を聞いて今決断は出来ないだろうから、3ヶ月ほど家族ともよく相談して時期なども考えて決めたらどうでしょうか?3月の終わりぐらいに手術の相談としての診察を予約をしましょう。」と言われました。私は「今、手術の予約をしたら、いつ手術を受ける事が出来ますか?」と質問しました。先生は「手術をすると決めて、自分の都合の良い日に手術を受けたいのなら、すぐに決めないと手術日はすぐに埋まってしまいます。」と答えました。私はそこで手術をする決断をしました。私は今49歳です。49歳のうちにこの決断をしたいと思いました。あと数年、誤魔化して身体が動かないまま指導をする事も充分じゃない身体で稽古をするのも、僕らしくないと思いました。僕はあと何年生きるのか?それは分かりません。もちろん私も人並みに出来ることなら長生きしたいです。でもあと10年後にこの世からいなくなる可能性をもあります。やっぱり僕は全力で生きて行きたいです。毎日を頑張って過ごしたいです。70歳を過ぎた頃にもし人工関節が悪くなったら、その時に考えたいと思います。妻や子供達にはおそらく迷惑をかけてしまう事になるけど、僕はそう決めてしまいました。家に帰り妻に説明をしました。妻は明るく聞いてくれたけど、やはり心配そうでした。手術のあと2週間ほど入院をするので、8月のお盆休みを8月20日からとさせて頂き、8月21日に手術をし、9月から稽古開始とさせて頂こうと思います。自分の未来のために、極真会館の未来のために、道場の未来のために、妻の未来のために、子供達の未来のためにした決断でした。妻にも了解を得ました。あとは前に進むだけです。あと7ヶ月少しご不便をおかけしますが、道場生、ご父兄様にはどうぞご協力のほどをお願いいたします。


2023年01月29日(日) あと3日で

今日を入れてあと3日で私の40代が終わります。あと少しで40と言う数字にサヨナラです。まあそれだけの事なんですが、やはり自分が50歳になる事に驚きと感謝を感じています。自分が50歳まで生きているなんて子供の頃には想像も付きませんでしたし、そんな未来が来るなんて思いもしませんでした。でもこの年齢まで無事に生きて来れたのですから本当に感謝です。50歳まで楽しく生きさせて頂いたのだから、これからの人生は世の中のためになる生き方をしたいと思います。そしてこれからも思いっきり楽しんで生きたいと思います。家族を大切にして、自分にかかわってくれる人に感謝して生きて行きたいと思います。今日は次男と一蘭にラーメンを食べに行き、銭湯で身体を整えました。明日と明後日をしっかり生きて次のステージへ行きたいと思います。


2023年01月28日(土) 涙の釜飯

この前、鳥貴族で次男が釜飯を食べているのを見て、思い出した事があります。私は内弟子時代、最初の給料は3万円でした。その後5万円になり、最終的に7万円でした。なので23歳から27歳までそのお金で1ヶ月を過ごしていました。しかも給料が7万円の時は自分でアパートを借りていたので自動的に3万円が家賃で引かれてしまいます。風呂なしトイレ共同の3畳半の刑務所のように廊下の両側に5部屋ずつあるボロボロのアパートでした。この話をすると妻はそれは貧乏だけではなくお金の使い方も悪かったんじゃないと笑いますが、私は給料日には後輩にカッコつけて飲みに連れて行き、そこで2万円は使っていました。さてもう2万円しかありません、その2万円を30日で割ったら、1日に使えるお金は約666円です。ハッキリ言って無理です。なのでだいたい20日ぐらいで使い果たしてしまいます。残りの日は地獄です。その地獄を味わっても給料日には、また後輩を飲みに連れて行きます。本当に馬鹿です。ではそのお金がない時にどう過ごしたか?というと先輩にご馳走して頂いたり、いろいろです。凄く覚えているのは、私の母が即席で作れる釜飯を大量に送ってくれた時期がありました。固形燃料で火を付けて小さい鍋で1人分の釜飯を作れる物でした。お金が無くなるとその釜飯をよく食べていました。母親の有難みや食べる事が出来る有難みを感じ涙が出た事もありました。人間は弱っている時の方が優しさや有難みが身に沁みます。だから釜飯は私にとっては涙の釜飯です。あの時に食べた釜飯の味は最高に旨かったです。鳥貴族の釜飯ほど豪華じゃないけど、私には忘れられない最高の味です。


2023年01月27日(金) 結婚記念日

妻と結婚して14年になりました。妻と付き合ってから3ヶ月後に妻は東京へ来ました。妻はそれまで務めていた会社を退職し、家族や友達と別れ、自分の住みやすい街を離れて、僕の所に来てくれました。そして僕の身体の事やこれから作る子供の事を考えそれまで吸っていたタバコも止めてくれました。1年一緒に住んでその1年後の同じ日に入籍をしました。本当は妻をもっともっと幸せにしてあげる予定でしたが、苦労ばかりかけてしまっています。申し訳なく思っています。必ず幸せにするので待っていて欲しいと思います。そして最終的には僕と結婚して良かったと言わせてみせます。妻と出合ってから18年で付き合ってから15年で結婚してから14年になるけど、妻を好きだと思う気持ちは出会った頃より付き合った頃より結婚した頃より増えています。僕の希望はたまには二人で飲みに行って、グデングデンになるまで酔っ払って、昔みたいに大声で一緒に笑いたいなと思っています。


2023年01月26日(木) 手術歴

私は人生で4回手術をしています。3回は右膝の手術、1回は右アキレス腱の手術です。次は左右両方の股関節の手術になりそうですが、そうなると手術歴6回となります。人生で6回も手術する事になるなんて、私もなかなか業が深いようです。これからは自分の身体を少し大切に労ってあげたいと思います。子供達のためにも60歳まで健康でいなければならないので頑張りたいと思います。


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