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2021年01月22日(金) 肉体改造上手くいかず

1月4日からお酒を止めて肉体改造をしています。手術をした事でなかなか身体が動かせないので、体重も上手く落ちていきません。昨日からやっと入浴ができるようになり、入浴後に体重を計ったら94キロでした。目標は80キロなので、まだまだ道程は遠いですが、頑張りたいと思います。4月1日には80キロになっていたいと思います。


2021年01月21日(木) 環境

私の人生が劇的に変わったのは、20歳で東京に来た時でした。もちろん17歳で極真空手を始めた時も、それまでの自分とは大きく変わった時だったのですが、どうしても地元にいると夜は友達と遊んでしまったりお酒を飲みに行ってしまったりという事がたくさんありました。そのために稽古をサボってしまう事もたくさんありました。でも東京に来てからは「自分は空手をしに東京へ来たんだ」という思いから、空手の稽古なりトレーニングをしなかった日は意味の無い1日と思い頑張れるようになりました。また道場にも自分と同じように空手をするために上京して来た仲間がたくさんいたので、その仲間と一緒に頑張れた事も良かったと思います。そう考えると環境と言うものは大事だなと思います。


2021年01月20日(水) 私は空手家

私が今まで得た知識と言うものは、空手家として成長するために得たもので、別に物知りになりたくてでも、ましてやその知識をひけらかして自分を賢く見せるためでもありません。では何故、もともと勉強が嫌いな私がたくさん本を読んだりして知識を身に付けたのか?私の生きるベクトルの方向は空手家として成長する事に向いています。若い頃は私のそばにいつも先生がいて私を指導して導いてくれました。私はその指導を信じて付いて行くだけでした。ですが29歳で先生の元を離れて1人になってからは自分で考えて稽古をするようになりました。その中で無駄な事もしましたし、間違った方法で稽古していた事もありました。その時に学んだ1番の事は努力も仕方によっては無駄になってしまうという事でした。それは言ってみれば、東京から大阪に行きたいのに北に向かって一生懸命に走っているという事です。また大阪に向かったとしても飛行機や新幹線があるのにひたすらに走っている、または時刻表を調べずに家を出たため時間を大幅にロスしたり、迷って目的地に着けない、でももし知識があり正しい情報があれば、最小の努力で最短でそこに着く事が出来ます。そのために知識が必要なのだと思ったのです。ですが知識があるからなんだと言う事もあります。知識があってもその知識を実践の中で試し活かして自分が成長して行かなければ、その知識も無駄なものとなってしまいます。それこそただ空手の知識やウンチクが多いだけの頭デッカチの物知りの空手オタクになってしまい、人からウザがられてしまうでしょう。だから知識は自分の成長のために使い、また出来たらその知識を人のために活かせれば良いと思います。私は空手オタクになるつもりも、空手を教えてお金を稼ぐだけの空手屋さんになるつもりもありません。あくまで空手家です。自分が人間としても空手家としても成長したいから空手をしています。空手の稽古をする時間を作りたいし、せっかく自分が学びを得たのだから、それを人に教えて人の役に立てて社会に貢献出来たら良いなと思い、空手の道場を経営して空手の指導をしているわけです。だから私は空手オタクでも空手屋でもなく空手家なのです。


2021年01月19日(火) 空手をやって自分の身体を理解する

先週の14日木曜日に手術が終わって昨日で4日後の昨日から松葉杖がなくても歩行出来るようになりました。道場や病院などに外出する時は何があるか分からないので松葉杖歩行で行きますが、家の中や道場の中や少しその辺に買い物に行く時は普通に歩いて行っています。そして昨日から出来る範囲でのストレッチとリハビリの筋トレと型の稽古を始めました。今日から上半身のウエイトトレーニングを始めました。本当は明後日に抜糸をして2週間は松葉杖での歩行と言われていたのですが、32年空手で鍛えて来た私の強靭な気と心と身体は4日で歩けるようになってしまいました。医師の診断を受けてからにした方が良いよとか、また無理をして悪化するのではと思われるかもしれませんが、私も自分の身体と47年付き合って来ましたし、空手を始めてから32年はあらゆる怪我をし、あらゆる痛みや苦しみを経験して来たので、今の自分の身体の状態は誰よりも理解しているつもりですし、どこまでが可能でどこからが無理かも今までの経験から誰よりも正しく判断出来ると思っています。もちろん自分では治せない病気や怪我もありますし、医師の診断を受けなければいけない事もありますし、今回の私のように手術を受けなければいけない事もありますし、鍼治療やマッサージなど人の手を借りなくてはいけない事もたくさんあります。ですが、自分の身体は自分が操るものですし、出来る出来ないが本当に分かるのは自分しかいないと私は思っています。その証拠に病気に行き、嘘でも自分が痛いと言えば医師は必ず診断してくれますし、薬や湿布や何かの処置をしてくれます。自分の痛みの具合や出来る出来ないの本当の所は自分にしか分からないものだと思います。これは私は子供の時にはもう分かっていました。でも逆もあると思います。医師に大丈夫だと診断されても自分が無理だと思うのならば、また病院を変えて医師の診断を受ける必要があると思いますし、自分で休む事を決める必要があると思います。今回の私の手術はまさにそうでした。初め何軒か整形外科に行きましたが、別にそんなに問題はないと言われ、今すぐたくさんの検査を受けて処置をする必要はないと言われました。ですが私はこれは絶対に何かがおかしい、今しっかりとした診断を受け処置をしないといけないと思い、大きい病院を紹介してもらい、MRIとCTの検査をし医師の診断を受けました。そうしたところやはり早い段階での手術を受ける必要があると診断されました。自分の身体をここまで理解出来るようになったのはやはり空手のおかげだと思います。空手がここまで自分の人生に役に立つとは空手を始める前の自分には分かりませんでした。本当に空手をやって良かったと思っています。


2021年01月18日(月) 型について

私は2014年8月に初めて型競技の試合に出場しました。2016年5月から2年間、全日本空手道連盟の型競技講習会に参加し四代流派と言われる流派の型を学びました。その型は全日本空手道連盟の第一指定型八つ、剛柔流のセーパイ、サイファ、松濤館のカンクウダイ、ジオン、糸東流のバッサイダイ、セイエンチン、和道流のセイシャン、チントウでした。そして2018年3月から、さらに独自で松濤館の型や沖縄空手の型や歴史を調べたり稽古したりするようになりました。そうして調べていると今行われている型は、ほぼ全て沖縄から伝わって来たのですが、大体の型は歴史が古く伝承が不明であったり何時、誰が創作したのか?など正確には分からない物ばかりです。しかし平安(ヘイアン、ピンアン)の型は何時、誰が何を目的として型を創作したのか?がハッキリしています。平安の型は創作者は糸洲安恒先生で、1905年(明治38年)に完成させたと言われています。型を作った目的は、沖縄の中学生の体育授業に空手が採用された事がもととなっています。はじめはナイファンチ(極真会館の鉄騎その一)だけを2〜3年練習させていましたが、より生徒達が空手に親しみやすく、基本技を修得させようという事で平安の型を考案し創作したそうです。この型は公相君(コウソウクン)いわゆるクーシャンクー、カンクウと言われる型をもとに創案されたと言う説があります。ですが良く型を研究して見ると平安五段(極真会館の前ピンアンその5)はバッサイダイの部分が多く含まれています。なので平安の型では高度な技術の部分部分を分割して学ぶことが出来ます。そしてもう一つ大きな特徴があります。大体の型と言う物は闘争術、殺人術の秘伝的な技を学ぶために作られているので、いわゆる禁じ手と言うか反則技ばかりで型が作られています。ですがこの平安の型は護身術や体育的な事を目的に作られているため、目潰しや金的への攻撃などの技は入っていません。またこの型の全てが受けから始まっています。この受けから始まるという事で、先ずは相手の技を受けて戦いを避けようとする謙虚な気持を表す意味で平安と名付けたとも言われています。またこの型の技術を修得しておけば平安な心でいられると言うことから名付けられたのだと言う説もあります。そして平安の型は、昔は平安二段(極真会館のピンアンその二)が平安初段だったそうです。そして平安初段が平安二段だったそうです。何故それを逆にしたかと言うとそれはただ単に難易度からだそうです。では何故、糸洲先生は現在の二段から始めさせたのかと言うと、それは先ず難しい型を学んでから、安易な型を反復するのが良いと考えられてそうしたそうです。私の師匠である広重師範は、型は平安の型が出来れば、実戦で使う動きや技はほぼ事足りている、逆に平安の型が出来ずにたくさんの型を出来ていても、それはただ型をたくさん知っている物知りで終わってしまい、型の動きは実戦では使えないと言っていました。私もたくさん型を学びましたが、全くその通りだと思います。そのように思うので私は、身体の内面を作るために鉄騎その一と三戦をやり、身体の動きと技を作るために抜塞大と観空大を毎日稽古するようにしています。


2021年01月17日(日) 私の心と身体は頑丈です

私の心と身体は頑丈です。今日は右足に体重を60パーセントは乗せる事が出来るようになり、膝の可動範囲は0〜90度まで行くようになりました。と言うのも退院の日から家にいる時はずっとアイシングしリハビリもしていました。普段の生活では当たり前の事ですが、靴下も下着も自分で履けるようになりました。軽いストレッチなんかも出来るようになりました。運動をしないと太ってしまうので、次男と買い物がてら松葉杖で散歩に行きました。右足に体重を乗せる事が出来るようなったのもありますが、松葉杖歩行が上手くなり楽に歩けるようになりました。これも全部、空手をやって心と身体を鍛えてきたからだと思いました。心と身体はお互いにお互いを補いながら強くなって行きます。なので心だけが強くなる、身体だけが強くなると言うことはありません。だから自分にピンチが訪れ身体が悪くなってもそれを強い心が補ってくれ、心が弱くなっても強い身体がそれを補ってくれます。それを今回の事ですごく感じました。明日から元気に指導したいと思います。空手の素晴らしさを道場生に伝えていきたいと思います。


2021年01月16日(土) 病院へ行く

朝は4時に起きて「TENET」のDVDを見て、朝食を摂って薬を飲んで、7時30分に家を出て病院に行きました。病院は9時からなのですが、松葉杖での歩行はなかなか大変で病院まで時間がかかりそうなので早く家を出ました。松葉杖のため両手がふさがっての歩行なので、途中買い物などは出来ないので、ペットボトルのコーヒーをポケットに入れて家を出たら、ペットボトルのフタが松葉杖にぶつかっていたらしく、上手い具合にフタが開いてしまい、パンツにしみるほどズボンにコーヒーがこぼれていました。でも家に戻って着替える時間はないので、そのままタクシーに乗り蒲田駅まで行きました。ズボンはコーヒーで濡れて冷たいしコーヒー臭いし、身体はうまく動かないし、背中や肩や上腕三頭筋が筋肉痛でパンパンで掌は痛いしで、もう心が折れそうになりました。もう病院に着いた時点で疲れてしまいました。病院では手術後のレントゲンを見ながら、手術で何処が改善されたかを見て、膝の傷口の状態を見てもらいました。その後リハビリを行いました。昨日ずっとアイシングしていたので、だいぶ腫れは引いて、リハビリもしっかり出来ました。帰りは松葉杖の歩行のコツを掴んできたのとリハビリで足の状態が良くなり、痛い方の足に少し体重を乗せる事が出来るようになったので、だいぶ楽に松葉杖の歩行が出来るようになりました。それでも家に帰ったらもう疲れでグッタリでした。家では長男と次男がいろいろと私に協力してくれるので本当に助かります。家族には迷惑をかけて申し訳ないと思いますが、みんなが私に優しくしてくれるので、たまには身体を悪くするのも良いものだと思ってしまいました。でもやはり早く身体を治して稽古したいと思います。


2021年01月15日(金) 無事に退院する

夜中には麻酔が完全に切れて手術をした箇所の痛みもあり、昨日の手術のあと寝ていた事もありで、夜は1時間程度しか眠れませんでした。長い長い夜でした。朝は起きて、松葉杖で歩いてトイレにも行けて、朝ごはんもしっかり食べる事が出来ました。執刀医に傷の具合を見て頂いた後にリハビリに行き、レントゲンを撮り、退院しました。本当にいろんな方にお世話になりました。自分は日本という国に生まれ、この社会に守られて、そしていろんな人のお陰で生きているんだと言う事を実感し感謝しています。退院し松葉杖で歩き電車とバスで家に帰ったのですが、もう家に着いた時にはヘトヘトでした。松葉杖で歩くというのは本当に大変でした。電車の中でも、席を譲ってくれた方がいたり、「手を貸しますか?」と声をかけてくれる方がいたり、優しい人がたくさんいました。身体を悪くすると人の優しさが心にしみます。自分ももっと優しい人間にならなくてはと思いました。家に帰宅しても妻や子供達がいろいろと私に協力してくれました。特に妻はいろいろと気を使ってくれました。本当に感謝しています。松葉杖で帰ってくる時に掌の皮が剥けてしまいました。体重が全部掌の厚いとこらに乗るので皮が剥けてしまったのだと思います。財布は右のポケットに入れないと改札でスッととってスイカをタッチ出来ないなど身体が健康ならあまり気にしない事にも気づく事が出来ました。身体が悪くなると生活がトレーニングのようにシンドイですね。たまには身体を悪くする事も大切だと思いました。


2021年01月14日(木) 手術無事終わる。たくさんの感謝

本日、無事手術が終わりました。朝は6時に起きました。昨日の19時から絶食だったので空腹でしたが、朝食はもちろん抜きで、朝の7時には水分を摂れなくなりました。手術の前に家族の写真を見て、道場生に頂いたお守りを膝に当て、自分の右膝に「今までありがとう!でももう少し一緒に頑張ろうね!」と声をかけ12時30分に手術室に入りました。膝の中の映像を執刀医の先生に説明を受けながら手術をして頂きました。膝の内側の半月板がだいぶ削れていました。その遊離体や脂肪などを取り除き、半月板と前十字靭帯の補強をして頂きました。手術は14時過ぎに無事終わりました。手術のあと麻酔のため少し気分が悪くなったのと、麻酔が効いているので動けないので、ずっと寝ていました。18時ぐらいにやっと落ち着き妻に連絡をしました。またたくさんの方からあたたかい声をかけて頂いたので、お礼のメッセージをさせて頂きました。明日には退院します。自分の膝の状態がしっかり分かったのでこれからは自分の身体を労わりながら、でも自分がこの世から居なくなるまでには、しっかりと身体を使い切りたいと思います。何はともあれ、こんなに好きな事をやって来てもこうやって健康でいられる身体に産んで育ててくれた、両親には本当に感謝しています。またこうやって幸せに生きている自分まで命を繋げてくれた先祖の皆さんに感謝しています。しっかりとこの命を燃やし尽くし社会に貢献して行きたいと思います。


2021年01月13日(水) 入院と右膝への想い

明日の右膝の手術のため本日から3日間の入院となりました。今回の手術は右膝の中にある遊離体の除去と半月板と前十字靭帯の補強です。今の状態をこれ以上悪くしないための手術なので、劇的には良くはならないと思います。手術後どのぐらい動けるのかもまだ分かりませんが、手術が終わったらダイエットとトレーニングと稽古をしっかりして良い状態に持って行こうと思います。本当にこの右膝には苦労をかけているなと申し訳なく思います。私が17歳の時に自分の馬鹿な行動で怪我をし手術する事となり、30年経った今も膝の中に金具が入っています。その時の担当の医師の指示を無視し空手を続けて、利き脚なのに満足に蹴る事が出来ず、いつも事あるごとに右膝を痛め、この右膝には本当に可哀想ことをしました。でも手術した時には、空手は出来ないと言われたのにもかかわらず、そこから30年間激しい空手の稽古に耐え、13年間で130戦も戦ってくれ、ほぼ毎日100キロもある化け物のような人達に蹴られても頑張ってくれ、スクワットで270キロを持ち上げ、スクワット2000回、ジャンピングスクワット1000回にも耐え、総本部の合宿では20キロマラソンでは3位になりました。47年間、私の我儘に付き合ってくれた右膝です。本当に感謝しています。手術の前には「今までご苦労さん!また良くなったらよろしく!」と感謝の気持を込め摩ってあげたいと思います。そしてこれからは少し労わってあげたいと思いますが、この膝が治ったらまた頑張って稽古に励みたいと思います。この手術を決めたのは、残りの人生しっかりと自分の身体を使い切るためです。身体を使い切って命を燃やし尽くすためです。道場生、ご父兄様にはご迷惑をおかけします。また「頑張って下さい」と暖かい言葉を頂いたり、お守りや身体に良い蜂蜜などを頂きました。来週からまた指導を頑張ります。身体が動かなくても良い指導が出来る事を見せたいです。空手の知識なら誰にも負けないので、その知識をフルに生かして、細かい心配りと目を配り1人1人に声をかけ指導したいと思います。


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