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2020年11月09日(月) いつでも待っています

今から6年前くらいに、私の道場生だった子達4名が私に会いに道場に来てくれました。その子達ももう大学生になっていたり、働いていたりでした。その頃は私の道場には国際親善大会や東日本大会で入賞する選手も育っていました。その事をその子達に話すと「私達の時はみんな関東大会に出てもみんな一回戦負けだったのに、今の子達は凄いね」と言いました。私はその子達に「みんなが頑張って試合に出てくれたから、それが伝統となり、東京城南京浜支部の道場生は試合に出るようになったんだよ。みんなが頑張った事が今に繋がっているんだよ。だからみんなには本当にありがとうと思っているよ」と話しました。私の道場に入門した道場生の一人一人の力が、私の道場で汗を流して稽古をした道場生一人一人のおかげで今があると思っています。本当に感謝しています。私はいつでも道場で道着を着て稽古しています。いつでも道場に帰って来て欲しいと思います。いつでも道場に会いに来て欲しいと思います。菅野先生はいつでも待っています。


2020年11月08日(日) 勉強になった本

「アントニオ猪木・世界闘魂秘録」を読みました。この本を読んで本当に凄い人だと改めて思いました。あの人を魅了するカリスマ性は激動の人生の中で培った物なのだと思いました。苦労は勝ってでもした方が人間が大きくなり、人間味が出るんだろうと思うし、人間に魅力が出るんだろうと思います。私も、これからの人生を生きて行くうえで本当に勉強になる本でした。1番感動した一文だけ書いておきたいと思います。「恥をかけ。馬鹿になれ。そうすれば、自ずと道は開ける。それがどんなに険しい茨の道であっても、まずは一歩を踏み出すことだ。小さな一歩で、未来は大きく変わる。」


2020年11月07日(土) ケジメ

仕事にしろ習い事にしろ辞める時に、辞め方と言うものはとても大切だと思います。しっかりと挨拶をして辞めないと、その時に関わった人達と堂々と会う事が出来なくなってしまいます。自分の行いで世の中を狭くしてしまいます。辞める理由も出来るならばしっかりと伝えた方が良いと思います。その時には、それを言った事で少し嫌な思いもするかもしれませんが、後に頑張っていれば、辞めた事を判ってもらえる日も来ると思います。ですが上手くしのぐような事を言ったり、嘘をついてしまうと、世の中は狭いですし、自分では上手くしのいだと思っても、意外に周りはその嘘を見抜いています。もしくは後に見抜かれてしまいます。そして自分の信用を失ってしまうことになります。私はこういう事はしっかりやって来ました。怖くても1人でそこに行ってケジメをつけて辞めました。中には半殺しにされた事もあります。目も見てもらえなかった事もあります。でも辞めた後にその人達と再会して笑って話せる時を作りました。ちゃんとケジメをつければ、全て良い思い出になり、新たな世界に堂々と飛び出して行けます。


2020年11月06日(金) 何がどうなろうとも

長男の可愛げのないところが私は大好きです。次男の可愛げのあるところが私は大好きです。たぶん親というものは、そういうものなのだと思います。何がどうなろうとも自分の子供もいうものはとても可愛いものです。その子供達を可愛いと思う気持が私の原動力です。


2020年11月05日(木) ヒントになる言葉

琉球拳法空手術の達人である本部朝基の言葉で印象に残ったものを書きます。「すべては自然であり、変化である」「構えは心の中にあって、外にはない」「夫婦手は唐手の欠かすことの出来ない定めて、日常生活の中でも−例えば酒を注ぐとき、盃を持つとき橋をとるとき等々−拳法修業者はこの定めを守るようにし、夫婦手の定めを自ら身につけるようにしなければならない」(夫婦手とは左右の手の連動で、攻め手、防ぎ手が左右呼応して連動すること)「唐手は先手である」「本当のところはやってみなくては判らない」(形や形式的な組手ばかりやっていると、実際には何の役にもたたない架空のお遊びになる。実戦を通して、はじめて利き技が判り、無駄な技を知る。という意味だそうです)「ナイファンチの形の足腰の在り方が、唐手の基本である」「ナイファンチの形を左右、いずれに捻ったものが実戦での足立で、ナイファンチの形は左右、いずれかに捻って考えた場合、いちいちの動作に含まれるいろいろな意味が判ってくる」空手道修業のヒントになる言葉がたくさんあります。


2020年11月04日(水) 膝の怪我

膝を悪くした事で自分を見つめ直す事が出来ています。自分の生き方ややりたい事や稽古方法や夢や目標などなどいろんな事を考えています。自分が良い時には意外に自分を見つめ直したり、自分を変えると言う作業が出来ていなかったりします。だからある意味で言えば悪い時こそ自分を見つめ直したり自分を変えるチャンスの時だと思います。この膝の怪我で私は大きく成長出来る気がしています。


2020年11月03日(火) 天地と一心になって

剣道には、昔から「恐・驚・疑・惑」の四つの戒めがあるそうです。一刀流の(切落)とは「恐れ、おののき、疑う、惑う」の四つの欲を切り落とす捨て身の技だそうです。柳生新陰流の(合撃)は相手の全人格を認め、相手を活かす活人剣ですが、そのためには、自分に自我があってはならず、自分を捨てて技を出さなくてはいけないそうです。そこから技を考えると、捨て身になり、無心となって技を出す事が大切なのだと思います。自我を捨てて無心になるという事は、自然と一体化するという事で、言ってみれば天地と一心になるという事なのだと思います。天地と一心になって技を出す。言うのは簡単ですが、やるのはなかなか難しいと思います。この境地に辿り着いた人は本当にいるのか?私はそれを見ていないので分かりません。そして自分は果たしてその境地に辿り着くことが出来るのか?それも全然分かりません。それでもそれを目指して稽古していきたいと思います。いつか誰かはそこに辿り着く事が出来るのではないか?と思っています。


2020年11月02日(月) 空手に先手なし

「空手に先手なし」と言う言葉はとても有名です。空手をやっいる人なら誰でも1度は聞いた言葉だと思います。そして沖縄から始まる多くの空手家達がこの言葉を大切にしてきました。特に船越義珍先生はこの言葉とこの教えをとても大切にしたそうです。大山倍達総裁は「空手に先手あり、しかれども私闘なし」と仰られています。琉球拳法空手術の達人である本部朝基は実戦時には「空手は先手である」と言ったそうです。自分から人と争いを起こすなどは言語道断です。また今ある自分の全てをかけて戦いを避けなければならないと思います。戦うと言う事は誰かが傷つき誰かが悲しむ事なので、戦うという事に勝者はいないと言う事になります。だから戦わないために自分の身に付けた全てをかけて本当の勝利者になりなさいと言う事なのだと思います。戦わないために常に戦いを意識して稽古しなければならないと思います。そして常に自分に厳しく誠実に生活しなければならないのだと思います。ですがもし戦いを避けられないのならば、その時にはやはり先先の先を取る気持で戦わなければならないのだと思います。


2020年11月01日(日) 素晴らしい成長

今日はとても嬉しい事がありました。雑色道場生の北村優翔と冨樫圭斗の二十歳になるお祝いに呼んでもらいました。二人とも久しぶりに会いましたが、しっかりと立って挨拶をしたり、私が座るまで立っていてくれたり、座ってもしっかり正座をしていたり、両手で飲み物を注いだり受けたりとしっかり人に対して気遣いが出来る人間に成長していました。二人ともどんな世界で生きていく事になっても先輩に気に入られ、同輩と仲良くし、後輩に慕われて、人から愛されて重宝されると思います。二人の両親の教育の素晴らしさに感動しました。これからも二人とは一緒に飲んだりする機会もあると思います。二人の未来がとても楽しみです。


2020年10月31日(土) 自分の中の正解

膝が悪くなった事も新たな気付きを得るキッカケになっています。毎日、三戦と鉄騎の型をやっています。私は三戦も鉄騎も何種類かやり方を知っているので、いろいろなやり方でやっています。何回も型を行う事で、型の中に隠されている意味を考えたり、自分の中にある感覚を確かめたりしています。いろんな先生の考え方ややり方を試しながら型をやっています。その全ての中に正解のヒントが隠されています。それを探りながら自分の正解を探して稽古しています。まだまだというか全然というか、正解がさっぱり分かりません。いつか自分の正解を見つけられる日が来るのだろうか?それは分かりませんが、とにかく稽古に励んでいます。


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