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2020年11月19日(木) 少林寺への道

「少林寺への道」を長男と次男も見たそうです。とても真剣に見ていたそうです。私にも見た感想を話して来ました。この映画は私が子供の頃に見た、たくさんのカンフー映画の中でも上位に入る作品なので、息子達もきっと好きになるだろうとは思っていましたが、やはりでした。血は争えないものです。私はこの映画の音楽もとても良いです。


2020年11月18日(水) 決断

右の膝がいよいよ悪くなっている事は以前に日記でも書きましたが、大きな病院で診察をしMRIとCTを取り、診察を受けて、必要なら手術を受ける決断をしました。今年は本当に頑張って来ました。ここ2年半は本当に空手にかけて来ました。型競技の全日本で優勝し、セミコンタクトルール全国交流大会でも準優勝しました。新しく始めた事にも一区切りになるような結果も残しました。極真会館の技術委員にもなり型の改訂にも微力ですが、いろいろと提案をさせて頂きました。毎年正月には総本部の冬合宿に参加して20kmマラソンも毎年入賞したり頑張って来ました。この数年の努力に悔いはありません。だからこそここで一区切りをつけたいと思います。私は今、47歳です。空手道の研究、極真会館の技術委員の仕事、演武のプロジェクトチームの仕事とやらなければいけない事はたくさんあります。そして残りの空手人生をしっかり頑張るために、自分の身体としっかり向き合い悪い所をしっかり治したいと思います。今、やってしまえば、来年の今頃にはもう今より良い状態に進化出来ると思います。1度はいろんな事が滞ってしまうと思います。でもこの先20年を頑張るために勇気を出して決断したいと思います。その時には、道場生、ご父兄様には、多少のご迷惑をおかけしてしまうかもしれません。皆様におかけするご迷惑が最小限になるよう努めますので、その時にはご理解とご協力をお願いしたいと思います。


2020年11月17日(火) 空手に先手なし

長男が学校でお友達に叩かれたそうです。長男はそれに対して何もやり返さなかったようで、それを見ていたもう1人のお友達が長男に「コハク君は空手をやっていて強いんだからやり返したらイイじゃん」と言ったそうです。長男は「それは絶対やっちゃダメだって先生に言われてるから、出来ないんだよね」と言ったそうです。それが本当にやり返さなかったのか?やり返せなかったけどそう言ったのか?それはその場にいた訳ではありませんから分かりません。でもそう自分をしっかりと納得させられるなら、それが本当であれ嘘であれ、それで良いと私は思います。自分の中でしっかり納得出来ているならば、心にストレスは残りませんし、それで誰の心も身体も傷付かずに済むのなら、それは最高の事の終わらせ方だと思います。空手をやってる事で戦わずに、自分の心と身体を守る事が出来ることが、相手の心と身体を傷付けない事が、そしてその結果に自分が心から納得を出来る事が「空手に先手なし」の精神だと思います。


2020年11月16日(月) 面白い事に

最近、「少林寺」「少林寺への道」など中国のカンフー映画を見ています。面白い事に空手の型の中にある動きが少林寺拳法の動きの中にたくさん出て来ます。こんなに似てる動きがたくさんあるなんて、やはり偶然とは思えないと感じました。やはり空手のルーツを知るには中国拳法や少林寺拳法を調べるべきなのかも知れません。まだまだ勉強する事がたくさんありそうです。


2020年11月15日(日) 力を発揮できる場を

私の運営する極真会館東京城南京浜支部の第14回型競技支部内交流試合と第5回I.K.Oセミコンタクトルール組手競技支部内交流試合が行われました。回を重ねる毎にレベルが上がって来ています。あまり試合に積極的ではなかった生徒が型競技やセミコンタクトルールの試合が出来た事で稽古に励み、試合に参加してくれた事が嬉しいです。これからも生徒達が力を発揮できる場をどんどん作って行きたいと思います。


2020年11月14日(土) おすすめの作品

中村文則の「逃亡者」を読んでいます。まだ3分の1ほどしか読んでいませんが、とてもおもしろく読めています。この作者の作品はどれもとても面白いです。作者の作品で私が特に好きな作品は「教団X」です。この作品を読んだ事で私の考え方、は少し変わったと思います。


2020年11月13日(金) この道を

私が運営する東京城南京浜支部蒲田道場は、私が21歳から29歳まで通っていた旧城南支部の蒲田道場の近くにあります。なのでその頃と同じ道を歩いて道場に行きます。大森道場で稽古をした生徒達と一緒に電車で蒲田まで移動し、蒲田駅からみんなで歩いてスタジオまで行きます。そこを子供達と歩いているといろんな事を思い出します。呑川の橋を渡る時、あまりに身体が怠くて、稽古を休みたくて、その橋から川に飛び込もうかな?と思った事や、その道を先輩達と一緒に歩いた事やみんなでご飯を食べた事やみんなでお酒を飲んだ事やみんなで銭湯に行った事など、思い出したらキリがないほど、いろいろ思い出します。そして、いろんな人のおかげで私は今こうして生徒達とこの道を歩けています。本当に本当に感謝、感謝です。


2020年11月12日(木) 型をやらなければ空手じゃない

私の師匠が「型をやらなければ空手じゃない」と仰っていました。今、私はその意味が良く分かります。空手道にとって型が大切な事は「空手は型にはじまり型に終わる」と言う言葉がよく表しています。でも今は型をやらない道場なども多々存在しています。その人達が何故そうするのか?私も分からないわけではありません。何故なら私もその道を通って今があるからです。私も20代の頃は何故、型をやるのだろうと言う疑問を持ちました。その頃の私は試合で勝つ事だけを目指していました。気が付いている人は気が付いていると思いますが、型のなかにある技を洗い出したら、試合のなかで使いやすい技はほとんど出て来ません。逆に言えば試合で使う可能性が無い技や動きばかりだと言っても良いかも知れません。では型は何故大切なのか?試合で勝つ事を目標にしている人にも型をやる利点はたくさんあります。先ずは、様々な身体の使い方を学べること、様々な足さばきを学べること、動くときの重心の移動を学べること、左右の均等に動く事で左右のバランスを学べること、動作と呼吸を合わせる事で動く時や技を出す時の正しい呼吸方を学べること、様々な方向に様々な足さばきで素早く動き、様々な技を素早く出す事でバランスや重心の移動や力の強弱や正しい呼吸の使い方を学べば自然と自分の身体が居付かない状態を学ぶ事が出来ます。私の浅い知識の中でも試合で勝つ事を目標にしている人でも型から学べる事は、これだけの事が出てきます。でも本当に大切なのはここからです。もうここまで読んで気付いている方もいるかも知れませんが、空手道の型は、空手の試合が始まるずっとずっとずっと以前からあったものです。という事は、型は試合で使う技術のために作られたものではありません。自分の命を守る為に戦う事を想定し、一対一だけではなく、多人数や様々な状況を想定して作られた身体の使い方や技の使い方を集めた物が型です。その他にも型を行う中で、呼吸方で自分の内面や気を鍛えたり、自分の持っている力を瞬間的に爆発させる方法を学ぶ事が出来ます。また型を一心不乱に行う中で、心の使い方や、心を高めることが出来るので、型は動く禅にもなります。型をやらなければ本当にもったいないです。たった一人の人間が一生を賭けたとしても経験出来る事はたかが知れています。長い長い歴史の中で、先人たちが次の世代、次の世代と受け継ぐ中で、長を取り短を捨てて、今に伝え遺してくれた物が型です。その先人達の素晴らしい財産を学ばせていただけるのが型です。だからそこに敬意を表して稽古しなければいけません。昔から兵法には三つの戒めがあります。一つは「疑廬(ぎりょ)」先人の教えに対して軽率な疑いを抱かないこと、一つは「懈怠(けだい)」不断の努力を重ね修行を怠らないこと、一つは「慢心(まんしん)」上達してもけっして奢りや自惚れの気持ちを持たないこと、だそうです。その三つの戒めを忘れず型の稽古に励む事が大切です。私も今、一生懸命に型を稽古しています。その中で本当に型の素晴らしさに気が付いている毎日です。型に含まれている技法の無限の変化に驚かされます。私達がどれだけいろんな事を経験しどれだけの技を編み出しても、おそらく全く新しい技という事はあり得ないだろうと思います。それだけの物が型の中にはあります。うちの道場は型を稽古しないなどと言う言葉を目にすると本当にもったいないなと思いますし、その道場に入門した生徒は本当に運が悪かったな可哀想だなと思います。


2020年11月11日(水) 私の好きな型

私は「観空大(カンクウダイ)」と言う型が好きです。この型は全空連の指定型で松濤館の型なのですが、全空連の講習会で習った型でした。この観空大という型は、中国の武官である公相君(コウソウクン)から沖縄に伝えられたという説もあります。カンクウダイをクーシャンクーと言う流派もあります。琉球の唐手を日本に伝え空手とした松濤館の船越義珍先生もこの観空大を好んで演武されたようです。挙動数の多い長い型で、とても激しい型なので、体力が必要な型です。松濤館の先生もこの観空大を何歳になっても演武出来るよう稽古をしていると話されていました。私もこの型が1番好きで、ほぼ毎日この型を行うようにしています。そして糸洲安恒先生が中学生の体育の科目に空手を入れる為に、この観空大を元に作った型が平安一から平安五だと言われています。なので平安一から五をしっかり稽古すれば観空大が出来るようになり、また観空大を稽古する事で平安一から五の見直しも出来たりします。この型は手を合わせて上に上げ満月を描くような動きから始まるのですが、この手を合わせて上に上げ掌の間から空を観る動きから型の名称も「観空大」となったそうです。この手を合わせて空を観て満月を描くような動きは、円満に事を収めると言う心を表していると言われています。「空手に先手なし」の心構えが出ているのだと思います。


2020年11月10日(火) 新しい事を

常に新しい事をインプットして行きたいと思います。でもインプットした事が直ぐに役に立つか?と言えば、それはそうではない事もたくさんあります。でもインプットした事を何年か自分の中で寝かせておいたものが後に役に立つ事もけっこうあります。歳をとればとるほど、新しい事をインプットするのが難しくなり面倒になりますが、数年後の自分のためにそれを怠らないようにしたいと思います、


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