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2020年06月24日(水) 七夕の短冊

長男と次男の七夕の短冊を雑色商店街のコミュニティーセンターで見つけました。長男は「自衛隊になる。偉大なる菅野琥白」と書いていました。長男はその短冊を書く時に「自衛隊になりたい、では夢は叶わないから、自衛隊になる、と書くんだ。」と言っていたそうです。多分それは私の教えた事だと思いますが、長男は私の話を聴いていないようで、意外にしっかり聴いていて、しかもしっかりと覚えている事に驚きでした。でも「偉大なる菅野琥白」には笑ってしまいました。夢を叶えて偉大なる男になってくれ。次男は「ウルトラマンになりたい。ましろ」と書いてありました。とても可愛く思いました。どんな夢でも、どんな目標でも良いから、その夢や目標目指して人生を賭けて突っ走って欲しいと思います。叶うか?叶わないか?成れるか?成れないか?なんて問題ではありません。その夢や目標を一生懸命に目指して突っ走った日々が、夢や目標を一生懸命に目指して突っ走った、その道程が自分を作り、仲間を作り、思い出を作り、自分の財産を作るのだと思います。頑張って欲しいと思います。


2020年06月23日(火) 次男と長男の言葉

次男の真白は「〜ガギガゴン」「〜グラッシア」「〜アハー」とよく言います。意味は分かりません。「それどういう意味なの?」と私が聴いても答えてはくれません。とても不思議です。何故が次男がそれを言うと長男は爆笑しています。なんかおいてかれてる感を感じます。長男も次男も登校で家を出る時間が8時になったので、朝起きる時間が6時30分になりました。次男はまだ生活リズムが慣れず眠いせいでとても不機嫌に準備体操をしていました。長男は次男に「頑張って走らないとウルトラマンになれないぞ!」と言って諭していました。ここのところずっと雨ですが、2人とも本当に頑張っています。夜の腕立て伏せも頑張って続けているようです。


2020年06月22日(月) 稽古について

昨日は疲れのたので7時半には寝てしまいました。絶対に筋肉痛になると思い、長めにお風呂に入って筋肉をほぐしてのですが、朝起きたらやはりお尻の筋肉がパンパンになっていたのと膝が痛くなっていました。でも筋トレのおかげか太腿な脹脛は全然筋肉痛になりませんでした。今日は生憎の雨でしたが、やはりこう言う悪条件こそ人間が強くなる最高の稽古だと思い、子供達と3人で雨の中を1.6キロランニングしました。朝の稽古もしっかり行いました。空手道の稽古の素晴らしい所は毎日の稽古に、毎回の稽古に気付きがあり、学びがあり、新しい発見があります。空手道をスポーツとして行うのならば、試合や組手などで勝ち負けを競うだけならば、パフォーマンスの向上だけならば、フィジカルの向上だけならば、30歳ぐらいが最高潮でしょう。しかし空手道を道として捉えるならば、稽古を行う事で、自分の心や身体の変化に気付いたり、自分の身体をより上手く動かす事を学べたり、心のコントロールを学べたり、自分の生き方を見直したり、自分の生活を改善するキッカケとなったりします。だから空手道は素晴らしいし、空手道の稽古は何歳になっても楽しいのです。ただそこには真摯な気持ちと謙虚な気持ちと素直な気持ちが必要です。その3つがなければ学びを得る事は出来ないので、稽古もつまらなくなってしまいます。


2020年06月21日(日) 2020年通い合宿2日目

今日は私の運営する道場の通い合宿2日目でした。あいにくの雨で生徒達もご父兄様も道場に来るのが大変だったと思います。昔の私なら雨が降っている事でスケジュールをどうしようか?とあたふたしたと思いますが、私も道場を運営して18年になり、今までの経験から、いろんな引き出しを持ち、どんな場面にも対応する事が出来るようになりました。午前の稽古は、普段の稽古ではやらない、いろんな柔軟体操と前回の型の復習と細かい部分の見直しをしてから、観空をやりました。午後の稽古は池上本門寺へランニングし、階段ダッシュを幼稚園生5本、低学年7本、それ以上の人は10本、休みなくマラソン形式で行いました。私も生徒達と同じ苦しさを味わうため、一緒にランニングし階段ダッシュも10本行いました。そしてケロッとした顔をして、「苦しい顔をするな!こんなの先生が現役時代はウォーミングアップだよ!この後に全力の階段ダッシュしたもんだよ」と話しました。今回の稽古で、途中歩いてしまう人、苦しい顔をする人、膝に手をつく人、帰りの下りで手すりに寄りかかって歩く人がいました。どんなに苦しい稽古でも、苦しい顔をしてやるならば誰にでも出来ます。しかし苦しい顔をしないでこのメニューをこなす事に意味があるのです。苦しい顔をするのは自分の心が苦しい事に負けているからです。自分の弱さに負けながらイヤイヤ稽古しても何も身につきません。ビリでもなんでも良いから、最後まで自分の苦しさや弱さに負けず顔色を変えないで稽古をしたらこれは凄く良い稽古になります。そして苦しい顔をしても苦しさは無くなりませんし、苦しい顔をしたり苦しい声を出したり弱音を吐けば、余計苦しさは増すばかりです。そして一事が万事で、肉体の苦しさに弱い人は、貧乏や人間関係や社会での出来事などでも、苦しい事があると、すぐ顔に出したり、弱音を吐いたり、人の悪口や、社会や会社への不満を口にする人間になってしまいます。そんな話を生徒達にするためにも、生徒達と同じメニューをツラっとした顔でやって見せました。その事もあり足腰がガタガタになって膝が痛いです。でも自分のためにもやって良かったです。今日は最高に美味しいビールが飲めました。とても疲れたので7時半には寝てしまいました。


2020年06月20日(土) 人の役に立ちたい

私は小学校1年生までは、身体が弱く病気ばかりしている子でした。その頃までは何度も入院をしていました。私が入院したり、体調を崩して寝込むと、私の両親は、私を元気付けるために、好きなおもちゃを買ってくれました。私が覚えているのは、入院している時に、夜に仕事の現場から父が超合金を買って駆けつけてくれました。私は具合が悪いのもあったと思いますが、機嫌が悪く「欲しかったのは、その超合金じゃない」と言うと、父はその超合金とは別に、私の欲しいマジンガーZの超合金を買って来てくれました。今思い出してみると父が最初に買って来てくれた超合金は五体のロボットが合体して完成形のロボットになる、とても高価な超合金でした。そう考えると自分はとても大切に育てて頂いたのだなと思います。私は親の期待に応えるどころか、長男なのに親の後も継がず、親の期待をすべて裏切り、多大な迷惑をかけて生きて来た人間でした。そのようにまでして育てて頂き、今もこうしてなに不自由なく生きさせて頂いているのだから、少しぐらいは人の役に立つような生き方をしなければならないと思います。


2020年06月19日(金) 発揮する時が来る

国際空手道連盟極真会館は、2015年に開催された第11回全世界空手道選手権大会で今まで使われていた、極真会館のロゴマークや試合場の舞台を変えました。また2016年には、IKOフルコンタクトルールの改定と共に、従来の支部長スーツや審判服を一新して全世界の支部長のスーツや審判服を統一しました。そして2018年にはIKOセミコンタクトルールの大会を開催し、2019年から型の改定に取り組んでいます。1994年に大山倍達総裁が逝去されてから、極真空手を名乗る団体も多数出来て、フルコンタクト空手の組織も乱立しています。私達、国際空手道連盟極真会館のこの数年の取り組みで、良い意味で他の極真空手を名乗る団体や他のフルコンタクト空手の団体と大きく差別化を図る事が出来たと思っています。そしてこの改革を行った松井章奎館長を凄いと思います。後の世の極真会館の人達がこの数年を見た時に、恐らく国際空手道連盟極真会館のこの何年間の活動は、極真空手史の新たな時代を創ったエポックメイキングな出来事として歴史に残るのでは?と思っています。私も2016年の支部長スーツと審判服を一新し、ルール改定を行ってから初の無差別の全日本大会である第48回全日本空手道選手権大会と、ルール改訂後初の無差別の世界大会である第12回全世界空手道選手大会の第1試合の主審を務めさせて頂きました。また昨年からは型の改定を行なう技術委員会にも選んで頂き、型の改定に尽力させて頂いております。革新的な瞬間に立てた事をとても光栄に思いますし、革新的な取り組みに尽力出来ている事をとても光栄に思っています。この3ヶ月半、世の中が滞っていましたが、ついにと言うか?やっとと言うか?という感じですが、本格的に世の中が動き出して来ました。私もこの3ヶ月半しっかりと力も知識も蓄えて来ました。この時を待ちに待って来ました。この力と知識をしっかり発揮して行きたいと思います。


2020年06月18日(木) 勢いを止める事なく

考えて見ると、昨年末から今年は本当に良く稽古をしているなと思います。昨年末から今年始めも日曜日も休まずに毎日稽古していました。4月、5月は緊急事態宣言が発令され休業要請もあり、道場の稽古は出来ませんでしたが、約2ヶ月間日曜日も休まずに稽古していました。今月も日曜日はほぼお休みはありません。8月はお盆休みを返上して道場の運営をしたいと思っています。やはり私はピンチに強いと思います。何かが起きた時にこそヤル気が湧いて来ます。この勢いを止める事なく活動して行きたいと思います。


2020年06月17日(水) 子供達と走る理由

ここのところ少し膝とアキレス腱の調子が悪く、それを妻に話したら、妻は私を心配して、子供達と走るのは止めて自転車で着いて行ったら良いのではないかと言われました。でもやはり私はどんなに悪い所があっても出来る限り子供達と走りたいと思い、今日も一緒に走りました。それは何故か?朝早起きして走ろうと提案をしたのは私ですし、今は子供達も自分の意志で走っているとは言えども、少しは私の期待に応えようと頑張っている所もあるのではないか?と思いますし、私が言い出した以上は、私も子供達の苦しさや辛さを、少しでも一緒に感じてあげたいと思いますし、一緒に走る事で、その日の暑さなどを私も感じる事で、子供達の状況を察知して、あまりの無理を子供達に強いる事を防げると思います。子供達が大人になった時、私と一緒に走った事を思い出し、自分に子供が出来たら、子供と一緒に走ってあげる事が出来る父親になって欲しいなと思います。


2020年06月16日(火) 今が1番

今までの人生で、いつが自分にとって幸せか?私は断然、今が1番幸せです。このままずっとこの時間が続いて欲しいと思うほど、今が私の人生のなかで1番幸せです。毎日、自分の前に好きな人がいてくれて、可愛い子供達もいて、一緒に走ったり、ご飯を食べたり、お風呂に入ったり、そんな日常に凄く幸せを感じます。生まれて来て本当に良かったと思います。今まで生きて来て本当に良かったなと思います。少し前に子供達と朝、走っている時に、ふと「後何年、こうやってこの子達と一緒に走れるのかな?」と思ったら、今という瞬間を本当に大切に感じました。また今という瞬間は永遠には続かないと言う儚さも感じました。今、自分の前にある幸せを一生懸命大切にして生きたいと思います。私は前へ前へ進んで生きて行きたいと思って生きて来ましたが、今はこの時間がずっと続いて欲しいと思います。こんなふうに感じたのは、たぶん私の人生で初めての事だと思います。


2020年06月15日(月) 限界を超える

最初朝の5時に目を覚ましましたが身体がダルく、もう少し寝ればと思い目を瞑り、また6時に目を覚ましましたが、やはりダルく、また目を瞑り、7時に朝起きた時にも身体が本当にダルくて眠くて、起きるのが本当に辛かったのですが、子供達は昨日の通い合宿で筋肉痛と疲れでもっと辛いと思うし、今日頑張って走る事は、子供達にとって凄く大切な事だと思いますし、それを教えられるのは自分しかいないと思い、頑張って朝のランニングだけ頑張ろうと起きて、子供達をハイテンションで起こし、頑張って一緒に走りました。子供達はやはり大筋肉痛らしく、重そうに走っていました。でも2人とも頑張っていました。帰りのランニングで次男は脇腹が痛くなったので少しだけ、皆んなで歩きました。最後は頑張って走りました。私も凄く身体が重く次男と同じペースで丁度良い感じで一緒に走りました。帰宅して朝食を済ませた後も身体は重く、少し横になり、朝の稽古に行こうか?凄く迷いましたが、今日は月曜日で15日なので、鷲神社参拝と神棚の掃除と榊などを変える日なので頑張って稽古に行きました。そしたら驚きで稽古をしたら、何故か身体が軽くなり、稽古の後にウエイトトレーニングも行いました。その後、鷲神社参拝と神棚の掃除や道場の掃除や事務仕事までして、指導も元気一杯に出来ました。自分の限界のリミッターを超えると、自分を超えた力が湧いてくるのかも知れません。朝は痛かった腰と膝の調子も何故かとても良くなりました。もし自分のためだけなら私は今日の稽古をサボっていたかも知れません。子供達がいたから私は頑張る事が出来ました。子供達のおかげで頑張れました!私もまた1つ強くなりました。


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