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2021年03月11日(木) 今日は

東日本大震災から今日で10年が経ちました。時が経つのは本当に早いです。被害に遭われた方々にとっては9年も10年も11年もないのだと思います。心からお悔やみを申し上げます。震災の時は、私は福島出身なので友達や親族の安否情報を毎日確認したりしていました。そして妻と長男は福島で震災を経験しました。地震の被害もすごかっこたそうですが、原子力発電所の建屋が爆発してからの福島の状況は凄まじかったそうです。運良く妻と長男は私の両親とその日のうちに避難をしました。これは私の友達に聞いた話ですが、地震の被害のため鉄道も高速道路や国道が使えず、大きく日本海側に迂回して避難をしようにもガソリンを何かの力に押さえられ、ガソリンを入手する事は不可能だったそうです。避難のための観光バスも金なのかコネなのか分かりませんが、何かの力に押さえられて避難はできない状況だったそうです。そしてもう風化しつつありますが、私や妻や親戚の知り合いだけでも相当数の方が震災の数年以内に癌や白血病などの病気でお亡くなりになりました。自分がこうして幸せに生きている事は自分の知らない所で、自分の知らない人達の力があっての事だと感謝しております。私も自分の出来る事をしっかりと頑張って行きたいと思っています。今日は確定申告を終わらせました。


2021年03月10日(水) 毎日

長男も次男も頑張って毎日、腕立て伏せをしているみたいです。次男はかなり怪しいやり方だったそうですが、100回以上やったと言っていました。どんな事だって何かを頑張って損をする事はありません。頑張って続けて欲しいなと思います。


2021年03月09日(火) 私が住んだ場所と空手の指導をした場所

早いもので私が、東京に来てから28年が経ちました。いろいろな所に住み、いろいろな所で空手の指導をさせて頂きました。今までに住んだ場所は、中野、蒲田、池上、六本木、大森、雑色、空手の指導をさせて頂いた場所は、蒲田、五反田、恵比寿、都立大学、中延、向ヶ丘、川崎、新丸子、溝口、大森、雑色、矢口渡、全ての場所に思い出があります。その中でたくさんの人に出会いました。皆さんには本当に感謝しております。でもやはり私は、今住んでいる雑色が大好きだし、大森、蒲田、雑色、矢口渡が大好きです。自分という人間にあった場所だと思います。行ってみたい場所はたくさんありますが、私は今住んでいる場所と今指導をしている場所がとても居心地が良いです。まあ東京に来て空手の内弟子になり、選手になり、指導員になり、自分の道場を出しただけでなかなかな大冒険でした。でも子供達には、ここからさらに何処かへ、生きがいを探して自分のあった場所に、旅立って大冒険をして欲しいなと思います。


2021年03月08日(月) 知らないの?

私はこれを言われるのは嫌いだという言葉があります。それは「〜も知らないの?」という言葉です。何故嫌いか?それは東京に来て、この言葉にはずいぶん苦しめられたし、この言葉と戦って来たからです。そのため知らなくても知っている体で振る舞い、相手の様子を見てそれに合わせて上手く誤魔化すと言う能力を身に付けてしまったほどです。これは28年前、私が東京に上京してきた時の話です。友達に「マックに行こう!」そう言われました。私は「マック」と言う言葉を知りませんでした。何故なら私の住んでいた街には当時は「マクドナルド」がなかったからです。でも少し離れた郡山という街にマクドナルドがあったのでCMを見た事はありました。だからマクドナルドと言う単語は知っていました。でもそれがハンバーガーのお店というのも知りませんでしたし、それが「マック」と呼ばれているという事はとうてい知る由もありませんでした。でも私は「ヨシッ!行こう!」とが「この辺どこにマックあったっけ」みたいな感じで、相手から上手く回答を引き出し、「駅前の〜の横にあったよね」みたいな言葉に「あー、そうそう、あったねー」という感じで返し、その最中も頭をフル回転させ情報をまとめ出ない回答を探しながら相手に合わせて歩きます。お店に着き、なんとなく知っていたマクドナルドの看板を見て「東京の奴らはマクドナルドをマックと呼びやがるのか?」と理解した瞬間には、もう知っている体で振る舞います。しかし次の難関は注文です。危うくスターバックスでコーヒーを注文するようなバカな失敗をしそうになるのを回避して、先ずは相手に、何を食べるかを聞き、それと同じ物を注文しました。それはチーズバーガーセットでした。なので私の少し遅い20歳のマクドナルドデビューではチーズバーガーセットを食べたという事になります。そして、もう次の日には当たり前のように「マック」という単語を使い、友達に「マックに行こう!」とやるのです。言葉でも少しは苦労しましたが、それはそれほどコンプレックにはなりませんでした。でも「知らない」という事に自分は田舎者だと言うコンプレックを強く感じました。だから私には「〜知らないの?」とはどうか言わないで欲しいと思います。


2021年03月07日(日) 私が思春期に過ごした何もかも憂鬱な夜

「何もかも憂鬱な夜に」を読んで、私が思春期に過ごした何もかも憂鬱な夜をブッ壊してくれた物を思い出しました。それは中学三年生の時に友達からもらったTHE BLUE HEARTSのファーストアルバムの「THE BLUE HEARTS」のカセットテープでした。夜中にそれを聴きながら、感動して涙が出てきて、自分の中で、何かが爆発したような感じがしました。大袈裟に言えば自分の中で革命が起きました。今まで感じた事がない事を感じたのですから、自分の中で何かが生まれたのだと思います。でもその自分の中で起きた爆発と自分の中で生まれた力をどうして良いか分からずに、私は夜中に家を抜け出し、私の住んでいた町と言うか村というかに、たった一軒あったセブンイレブンまで走って行きました。そして夜空を見上げてコーラを飲みました。その時は何をして良いか?は分かりませんでしたが、ただ漠然と何かが出来る気がしてウキウキしました。それだけの事ですが、ずいぶん気持ちが楽になりました。だからあの時にTHE BLUE HEARTSの曲に出会えた事は私にとってとても大きな事でした。音楽や映画や漫画や小説などなど、自分に力を与えてくれる、感動という爆発を生んでくれる、素晴らしい物はたくさんたくさんあります。これからもそんな物にたくさん出会えたら幸せです。その感動から生まれたパワーを空手の指導を通して、誰かに伝えて行けたら良いなと思っています。


2021年03月06日(土) 題名だけで涙が出て来ませんか?

中村文則の「何もかも憂鬱な夜に」を読み終わりました。「何もかも憂鬱な夜に」もう題名だけで涙が出てきませんか?たぶん誰でも何もかも憂鬱な夜を過ごしたことがあるのではと思います。特に思春期には、何もかも憂鬱な夜と言うものを何度も過ごしたのではないかと思います。自分のどうにもならない想いや、何者かになりたいのだけど何者にもなれない自分や、自分の中にある力を何処に使えば良いかを見つけられない自分や、出口の見えない悩みや、いろいろな事で憂鬱な夜がたくさんあったと思います。誰にでも何もかも憂鬱な夜はある、もちろんこれからもあるかもしれない、でも生きて行こう、そう思える作品でした。この作品に、もし自分が思春期に出会えていたら、あの時もっと楽になったのになと思いました。でもこの作品は2008年の作品ですし、作者の中村文則さんは1977年生まれで私より年下なので、それは無理なんですが。本当にそう思える作品でした。すごく感動した言葉が2つあるので載せておきたいと思います。1つ目「これは、凄まじい奇跡だ。アメーバとお前を繋ぐ何億年の線、その間には、無数の生き物と人間がいる。どこかでその線が途切れていたら、何かでその連続が切れていたら、今のお前はいない。いいか。よく聞け」「現在というのは、どんな過去にも勝る。そのアメーバとお前を繋ぐ無数の生き物の連続は、その何億の線という、途方もない奇跡の連続は、いいか?全て今のお前のためだけにあった、と考えていい」2つ目「人間と、その人間の命は、別のように思うから。・・・・・殺したお前に全部責任はあるけど、そのお前の命には、責任はないと思っているから。お前の命というのは、本当は、お前とは別のものだから。・・・・・」思春期には、挫折したり、道に迷ったり、絶望したり、自分の命に意味や意義を見出せなくなる時もあるけど、自分の命は素晴らしい物で、生きているということは素晴らしい事だ。この作品を読んでそう思いました。この作品はたぶん何度も読み返すと思います。読むたびに自分がどう思うのか?とても楽しみな作品です。子供達には、本や映画や音楽や漫画にたくさん触れて欲しいと思います。別にそれを見て賢くなる必要も感性豊かになる必要もありません。ただそれを楽しめば良いと思います。じゃなきゃ、せっかく生まれて来たのにもったいないと思います。


2021年03月05日(金) やせ我慢

私が極真空手から学んだ教えの1つに「自分が苦しい時は、相手も苦しい」と言うものがあります。戦いの時には、自分が苦しい時は、相手も苦しいと思い、もう一踏ん張りし、普段の生活の中では、自分が苦しい時は、相手も苦しいと思い、人に親切にしてあげる事が大切だと思います。そうやってやせ我慢をしているうちにそれが本当の自分になって行きます。本当に苦しい時にやせ我慢をする事は自分を強くしてくれます。おそらくこの世から去る時もやせ我慢をして穏やかに振る舞いカッコつけるのだと思います。男は一生やせ我慢です。


2021年03月04日(木) 自分史上最高

1月4日から断酒して始めたダイエットも2ヶ月が経ちました。1月14日に手術をして、あまり身体を動かせない事もあり、なかなか目に見えて体重は落ちませんでしたが、だんだん身体が動かせるようになって来た事で体重も落ち始めて来ました。1月4日時点で98キロでしたが、90キロになりました。2ヶ月で8キロなので、思うような成果はまだ出ていませんが、ここから1ヶ月で一気に80キロまで行きたいと思っています。この2ヶ月で体質も変わって来たのでここからはどんどん拍車がかかって行くと思います。80キロに成れば膝の負担も軽減され膝もよくなり身体も健康になると思います。頑張ってウエイトトレーニングもしているので、4月には自分史上最高の身体を手に入れているはずです。


2021年03月03日(水) 次男の不満

次男が少し前から花粉症になり、花粉を避ける為にメガネをかけるようになりました。次男は私に「カッコイイね!」と言って欲しかったそうですが、私はそれを言ってあげませんでした。妻が次男に「パパにメガネの事、聞かれた?何て言ってた?」と言ったら、次男は「ふーん、そうなんだ」と言ってたと言い、「パパは言って欲しい事を言ってくれないんだよな」「コハクにはカッコイイって言ってるのに、マシロには言わないだよ」と言っていたそうです。私が意識してそうした訳ではありませんし、思い当たる事もないのですが、次男がそう感じているなら、やはりもっと「カッコイイね!」とか褒めるような事を言ってあげなくてはいけないなと思いました。子供は子供なりにいろいろな事を感じたり思ったり考えたりしているんだなと思いました。


2021年03月02日(火) 子供達の夢

長男の二分の一成人式を見に行きました。将来の夢とそれを実現するために何をするかを発表していました。長男の夢はギタリストでした。夢を持つ事は素晴らしい事です。実現するにしろ諦めるにしろ夢を変えるにしろ、自分が納得出来る所まで頑張ったら良いと思います。私は四年生の頃の夢は、自分が将来仕事をする事ではありませんでした。たぶん大人になんかなりたくない、仕事なんてしたくない、と思っていたのかもしれません。私の夢は「世界一強くなりたい!」とか「ウルトラマンになりたい!」とか「飛べるようになりたい!」とかだったように思います。具体的な夢を持ったのは17歳ぐらいだったと思います。自分のやりたい仕事に付いて真剣に考えたのは20歳ぐらいだったと思います。子供の頃の夢を実現させたらそれは素晴らしい人生だと思います。でももし夢を実現させなくたって、自分が選んだ仕事を一生懸命にやって、趣味を持ったり、好きな人と楽しい時間を過ごしたり、家族と楽しい時間を過ごしたり、友達とお酒を飲んで楽しんだりと人生は楽しい事はたくさんたくさんあります。頑張って夢を実現させる事とは矛盾するかもしれないけど、もし子供達が夢に挫折した時にはその事を教えてあげたいなと思います。


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