馨絵詞〜かおるのえことば
楽しいことも、そうではないことも。

2003年02月20日(木) ひとつ、スッキリした。

町田、という街に行ってきました。
稲葉家の最寄駅である東神奈川からJR横浜線でおよそ30分。
ある女性とご飯食べながらお話するために。

先日、その子に出した手紙の中で、つい弱音をぽろっと書いてしまいました。
そしたら「卒業前にスッキリさせなさい」と今回の場をセッティングしてもらいました。
彼女自身も忙しいに違いない中で。
ありがたいことです。

   ◆

1998年まで稲葉は小机という町に住んでいました。
横浜線で東神奈川と町田の間にあるところです。
東神奈川〜小机間は6年間通いつづけたコースでした。
電車はガラガラだったのですが、景色を眺めるためにドアのところに立っていました。
5年間でずいぶん変わっているようで、変わってないようで。
鳥山川の土手がひどく汚かったのが気になりますが、それでも懐かしさで胸いっぱい。

町田に降りたのは初めてでした。
駅周辺がとても立派でとても大きくてやられました。
うろたえている稲葉のまえにやがて彼女が現れました。
こんなとき、知ってる顔っていうのは心強いですね。

   ◆

ニューヨークスタイルの小洒落たレストランでフォークを動かしながらいろんなことを話しました、話してもらいました。
話の内容に関してはここでは書けません。
あしからず。

たくさんの人にごめんなさいを言いたくなりました。
たくさんの人にありがとうを言いたくなりました。
直接会わなきゃ分からないことってずいぶんあるんだなあ。

芝居前で、時間面より精神面で忙しい日々が続いていましたが
すこし、だいぶ整理することができました。
全部、というわけにはいかないけれど、芝居を前にしたモヤモヤは消えました。
そしたら次の日からの稽古でもなんか動きが良い。

人を元気にできる人って素晴らしいっすね。
どうせなら元気をもらう人よりも、元気を上げる人になりたいものです。

帰りの横浜線の車内、今度は景色を眺めずに椅子に座って眠りました。
気持ちよく眠りました。

彼女に宛てた弱音を書いたお手紙は、今頃は灰になってどっかに埋まってるはずです。



2003年02月19日(水) 稲葉の教習所ライフ・5〜路上教習

自動車教習所も第2段階、つまり後半戦突入となりました。
学科も技能もいよいよ深いところまで突っ込んでいきます。

ということで、路上教習、やってきました。

これまでは教習所内のコースでのみの練習でした。
交差点はあるけど、歩行者はいないんですね。
踏み切りはあるけど、電車は走ってないんですね。
他の車は走ってるけど、その全てに教官さんが乗ってるわけですからね。

路上は何が怖いって、人がいる、隣の車には教官いないってこと。
友人や教官にさんざん脅かされてちょっとびくびく。

   ◆

いざ路上に出たら恐怖よりも楽しさの方が先に来ました。
うおぉ、稲葉、路上走ってるよって風に。
楽しい! あれは楽しい!

運転席からの絵って助手席や後部座席とはぜんぜん違うんですね。
新鮮でした。
まだ慣れないので何処を見たらよいのかがたまに分からない。
しっかし、法規を守ってない車ってけっこうあるんですね。
違う意味でそれも新鮮でした。
自分が運転してて初めて気が付くこともあるんですね。

教習所内のコースではどんなにスピード出してもせいぜい時速40キロ。
路上だったら50、60出せますからね。
なんどか教官さんに「アクセル踏みすぎ」って怒られました。

同じ学校の教習車を見かけると嬉しくなります。
頑張ろうなお互いって声かけたくなります。
すぐ前に教習車がいて、そのまま真っ直ぐ付いて行こうとしたら赤信号で怒られました。

でも歩行者は怖かったですね。
車よりも人間の方が怖い。
交差点とか横断歩道とか。
住宅街ではノロノロ自転車オバサンがいたりしてね。

あとね車道のど真ん中に作業用の長手袋が転がってたのね。
あれはメチャメチャ怖かったゾ。

怖い要素は多いけど、路上は教習所内コースよりも絶対楽しい。
早く免許取りたいな。

【関連記事】
2002年11月27日『稲葉の教習所ライフ』
2002年12月4日『稲葉の教習所ライフ・2』
2003年1月18日『稲葉の教習所ライフ・3〜ひとつの正念場』
2003年1月23日『稲葉の教習所ライフ・4〜仮免学科試験』



2003年02月10日(月) 携帯電話の時計

大学生は1月末、或いは2月頭で学校が終わるんですね。
つい1年前まで自分もそうだったのに、すっかり忘れてました。

いやね、教習所の技能の予約がね、途端に取りづらくなったのですよ。
先月までは次の週からとか、明日のとか予約で取れたのに
今は2〜3週間先のしか取れない。
学生さんがどおぉぉっと入ってきたのですね。
学科の教室も多くの人間で賑わうようになりました。
なんかね、ほんとに学校みたい。

べディックの後輩で、現在一緒に芝居を創っているはる殿も教習所を始めたようです。
頑張れ頑張れ。
普通車マニュアルだそうです。
ちなみに稲葉はオートマ。

……なんか悔しいぞ。

   ◆

昨年12月に携帯電話をリニューアルしました。

先代の携帯はディスプレイに表示される時刻の流れが微妙に早くて、
最終的に13分も進んだ状態になってしまっていました。
実際には6時ジャストなのに、「6:13」って表示されるの。

買ったばかりの頃は正確な時刻を示していたのが
1年後には5分進んだ状態になり
2年後には10分進んだ状態になり。
その度に頭の中でマイナス5とかマイナス10とか計算してました。

5とか10とかなら良いんですけどね
7とか8とか13分ってなると計算がチョットめんどくさい時もある。
でもね、慣れてくるんですね。
2002年の9月から12月の稲葉はマイナス13の計算がメチャクチャ速かったのです。
その前3ヶ月はマイナス12が速かったのですね。

こんなところで順応力を発揮してもしゃあないのですが。

   ◆

面倒ではあるんですが、機種変更をして新たに時刻設定をする際に
13分進んだ状態を残したんです。
特に意味は無いんですけどね。
携帯が変わったのに、頭の中のマイナス13の暗算は続いたんですね。
なんか、前の携帯の名残を出したくて。
マイナス13もすっかり慣れてしまってるし、みたいな。

で、今の携帯になって2ヵ月。

ん? お前、14分進んでないか? という事態になっています。

時刻の進むペースが先代とほぼ同じ。
やっぱりちょっと早い携帯の時計。

ひょっとして、そういうものなんですか?
携帯電話の時計って、そういう風に設定されているものなんですか?
わからなぁい。

このままだと今年の年末、稲葉はマイナス16の計算がとても得意になっているかもしれません。
あはは。

うーん、お前もか!
でも、なぜかちょっと嬉しい。

【関連記事】
2002年12月3日『こんな代替わり』



2003年02月08日(土) 卒業への道〜卒制審査会

携帯メールを手にして2ヵ月以上が経ちました。
いつかは来るだろうなと思ってはいましたが
ついに来ました、迷惑メール。

「○○の部屋。チョットえっちいけど♪」

みたいなの。
稲葉は人並みに助平だと思いますが、これにはちっとも心が動きませんね。
鬱陶しいかぎりですね。
いやはや。

   ◆

大学卒業に必要な単位と書類をそろえました。
いよいよ卒業も秒読みです。

しかしその前に最後の関門があります。
それが「卒業制作作品審査会」なるもの。

映画学科の監督・撮影録音・演技の3コースが1つになって夏休み中に映画を撮ります。
これが卒業制作作品になります。
演技コースは夏休みで終わるのですが、監督・撮録コースは今に至るまで編集などの作業が続くんですね。

そして完成したところで、教授陣に審査されるわけです。
ここでNGが出てしまったら、単位を取っていようが卒業はできません。

   ◆

江古田校舎は入学試験の真っ最中。
8時45分までに学校に入らないと校門が閉鎖されちゃいます。
普段は集合にルーズな人たちも、この日はさすがに揃っていました。

映画学科棟の第1スタジオ。
スクリーンを前に3コースの学生がすごい密度で座っていきます。
学生の前に、教授席が30。
学生の出席確認が終わると先生方、おもむろにぞろぞろと入ってきます。
つまり学生は教授陣の後頭部ごしに作品を観るわけです。

1作品観て、審査対象の監督・撮影・録音・演技の人間が教授席前の椅子に座らされ、教授との質疑応答。
これのくり返し。
30人の教授陣を前にすると圧巻ですよ。

   ◆

シナリオ・監督・撮影・録音・演技など、それぞれの担当の先生から学生に次々に質問が飛びます。
メインはやっぱり監督コースですけどね。
歯に衣着せない教授たちで、なかにはボロクソに言われた監督もいます。
もちろん誉めるべきところはしっかりと誉めてくれます。
学生も教授もどっちも本気です。
質疑応答は1作品あたり10分が原則なんですが、教授のテンションが上がってくると質問が……というかダメ出しが止まらないわ止まらないわ。

ある教授が「ダメだ!」と言ったことに対し、別の先生が「俺は面白いと思う」なんて言ったりします。
教授ごとの感性が見られて面白いですよ。
お互い熱を帯びて相手の言ったことに対して憮然としてたりね。

あと担当ごとにいろいろと違うところを観ているんですね。
伊達に教授を名乗ってませんね。

   ◆

結局、予定を1時間オーバーして審査会は終了しました。
その後に審査の発表があるわけですが、稲葉は芝居の稽古のために早退。
共演した友人に結果の連絡を頼み、熱気を帯びた映画棟をあとにしました。

で、無事合格!
いやあ、よかったよかった。

こうして、卒業のための条件がひとつ、またひとつ整っていくのです。

それにしても、撮影したのはたったの半年前なのに、えらく若い自分がいて驚きました。
うはあ。

【関連記事】
2003年1月10日『卒業の始まり』
2003年1月14日『卒業への道〜単位というもの』



2003年02月06日(木) お茶に塩! お茶に塩!

『馨絵詞』2月4日付けで「タバコの文句への文句」を書いたら、べディック公式ホームページの掲示板がタバコの話題で盛り上がってました。
ちょっと嬉しかったりします。

芝居にしても映画にしても文芸作品にしても、見た人の反応があるっていうのは良いですね。

   ◆

稲葉はタバコは吸いません。
小学生のときに、拾ったタバコ(未開封だった)を吸って呼吸困難に陥りそうになってから、恐怖心を抱いています。
あと母方のおじいちゃんが明かにタバコの吸いすぎによる肺ガンで亡くなったことも影響しています。
あ、でも人が吸うぶんには一向に平気。
だから稲葉の前では「ごめん」は言わずに堂々と吸ってくださいね。

タバコは吸いませんが、コーヒーは飲みます。
ブラックでも砂糖のみでもミルクも付けても……まあその辺は気分次第。
幼い頃はあんな苦いもののどこが美味しいのかちっとも理解できませんでした。
大人ぶって、みんな我慢して飲んでるんだと思ってました。

初めてコーヒーをちゃんと飲んだのはいつなのか、今では覚えていません。
でもなんか「ぼく、大人になったよ!」的な感慨があったのは覚えています。
一種の通過儀礼みたいな。
今では待ち合わせや話し合いをするときなど、喫茶店でちょいちょい飲んでいます。

   ◆

しかし、タバコよりもコーヒーよりも、稲葉にとっての嗜好品はお茶にトドメをさします。

お茶。
紅茶じゃありません。
日本茶です。
緑色の。
おうちで飲む温かなお茶。

そんなお茶で、ちょっとしたグルメをしてみました。

ARCさん(べディックと親交の深い日芸の部会)のサニー殿より教えてもらったのですが
お茶にお塩をちょっと混ぜると、料亭で出てくるお吸い物の味が出るとのこと。
熱々の煎茶を湯飲みに1杯。
そこに塩をひとつまみ。
まあここはお好みで。

で、やってみたよ。
お茶好きの稲葉としてはやらない法はございませんもの。

んー、とりあえずね、本物のお吸い物を飲む方がずっとずっと良いね。
塩の加減によっては飲めないこともないけれどね。
味そのものよりもね、お茶を飲んでるのにやたらと喉が渇くのがね。
紹介はするけどお薦めはしない味ですね。

お茶はお茶
お吸い物はお吸い物
んー、けっこう!



2003年02月04日(火) タバコの文句への文句

昨日は「OBなりの悩み」っていう、まあまあ真面目な日記でした。
今日はくだらなく行きます。

   ◆

タバコには商品本体にも、ポスターにもテレビCMにも以下のような注意書きが載っています。

「あなたの健康を損なうおそれがありますので吸いすぎに注意しましょう」

ふむ。
一見、正しい。
でも気に入らない。
なにがって「おそれ」の3文字が気に入らない。
まるで、人によっては大丈夫♪ みたいな。
そんなこと無いんですよ。
タバコは屈強な大男であろうが確実に害なんですよ。
ですから

「あなたの健康を確実に損ないますので吸わない方が無難です」

とするのが正しい。
まあ、こーなっちゃうと広告になりませんけんども。

べつに欧米系の美男美女でイメージ操作してもかまいません。
青い空に青い海の映像でイメージ操作してもかまいません。
でも言っとくことは言っとかないと。

よく「誇大広告」が問題になってますけど、だからって控えめな表現にすれば良いってものじゃないですね。
断ずべきは断じましょう。



2003年02月03日(月) OBなりの困惑

節分ですよ、節分。
歳の数だけマメ喰って、喰ったらそのマメまきましょう。

2月3日は稲葉の受験記念日。
中学受験の本命校の試験日でした。
努力の甲斐あって、無事合格しました。
この日を迎えるたびに、当時の苦労とそれが報われたときの喜びが新鮮によみがえります。

   ◆

べディックの総会でした。
つってもとっくに引退している稲葉は出席していません。
代替わりして、総会がどんなカラーになっているかは一遍見てみたいですけどね。
仕切る人が変わると総会の雰囲気も変わりますからねー。

総会の前後で執行部といろいろお話しました。
病み上がりでしたが、稲葉にはとてもとても有益な時間でありました。

稲葉は引退して今はOB。
当然、べディックとはこれまでと違う距離を取ります。
飲み会とか合宿とかには遊びに行くかもしれませんけど。

最近考えているのは
べディック離れをすることと
べディックの人から離れることは違うのかなーって。

べディックという組織からは離れます。
とゆーか離れないといけません。
稲葉もそんなにヒマじゃ困る。

ただ、べディックの現役部員と個人的に繋がりが続くのはどうなのかな。
組織から離れても、部員の「人」から離れる必要はあるのかな。
なにせOBというものにまだ慣れていないもので。
なにかしらアドバイスがほしいところだわ。
いま、「人」との関わり方が少し、ほんの少しわからなくなっているかも。

……んー、これってOBなりの悩みというより
いかにも稲葉的な悩みって感じがするなあ。
執着心が強すぎるのかな。

   ◆

この日は総会後、軽く飲むだけのつもりが、結局朝を江古田で迎えることになりました。
2次会はカラオケ。
けあま殿と渡辺殿がおかしなテンションでマイクを握っているのを見ながら、眠ってしまいました。

やっぱり病み上がりの不意の徹夜は少々きついです。
でも、心にはとても大きな栄養が注入された感じがしました。


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稲葉 馨

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