カウントシープ
indexpastwill


2005年03月31日(木) 拘禁反応

昨日は山奥で泊り込みの仕事をしていた。

山奥といっても、ちょっと車で数十分(!)移動すれば、コンビニに辿り着けるような山奥なのだが、H”(仕事時&移動中用)の電波が入らずネットができなかった。流石に携帯は入ったけれど、久しぶりでビックリ。何とか受信しようと窓際に張り付いてみたり、怪しい行動で悪あがきしたが無駄に終わった。

途端に閉塞感を感じて、広い部屋なのに何となく居心地も悪くなった。(この仕事は部屋に1人ぼっち)
ボクは今のところ花粉症ではないのだが、子供の頃はアトピーがあったりとアレルギーの気がある。そして山奥なことが原因なのか、なれない仕事へのストレスなのか、晩飯に出てきたおかずが合わなかったのか、全身痒くなってきてやや呼吸困難気味に・・・持っていた抗アレルギー剤を内服したけれど、どうにも具合が悪かった。

朝、やっと外に出られたときは、朝日が3割増しに眩しかった。


2005年03月30日(水) 朝のメロディ

ボクの家には目覚まし時計がない。一個前の、もう携帯電話としては使用しなくなった携帯が枕の下においてあって、毎朝起こしてくれるという具合だ。
携帯電話はボクの分と相方の分の2個、それぞれ3回くらいセットしてある(寝起き悪し)ので、計6回音楽が鳴ることになる。音楽はそれぞれメロディを変えているのだけれど、当然、最後に鳴るメロディをしっかり覚えていて、それが鳴ると諦めて起きる。

最初のメロディで起きたなら、朝ごはんが食べられる。
次のメロディで起きたなら、朝のシャワーをゆっくり入れる。
最後のメロディで起きたなら、ご飯も食べれずシャワーもそこそこで飛び出していく。

もっと早い特別なメロディもあって、そいつで起きたならお昼の弁当が用意できるのだけれど、なかなか朝は起きられない。2人とも朝にはまったくもって弱いのだ。

関係ないけれど、ペールギュント組曲の「朝」という曲(グリーグ作曲)、ボクの中学校ではこの音楽が鳴り出すと朝の会が始まった。(=この音楽までに教室に入らないと遅刻)この曲も携帯に入っているのだけれど、どうもこれで起きる気にはなれなくて、曲は携帯の中で眠ったままだ。


2005年03月29日(火) スキンヘッド

ボクがこんなことを言っていちゃいけないのかもしれないけれど、髪の毛がなくなった相方はやっぱり可哀想に見える。今までフサフサしていた茶色い髪の毛は今は全部なくなって、ほんの少し、産毛みたいな髪が残っているだけだ。相方は気にしていないよ、というけれど、ボクは気になる。見るたびにはっとするし、撫で撫でしてしまう。

1つ判ったことは、髪がなくなることで愛は変わらないということだ。病気でなくなるのと加齢でなくなるのは違うかもしれないけれど、髪がなくなったって相方が相方なことに変わりはない。そんなの当たり前じゃないか、と言われそうだが、髪の毛がなくなると外見の印象って随分違うものなのだ。

抗癌剤が終わったらまた生えてくるから・・・という安心?があるけれど、もしずっと髪が生えてこないままだったらそれでも愛しているかといえば、やっぱり愛しているんじゃないかな。相方はもう自分の気持ちの一部にもなっているので、病気を抱える気持ちも、乗り越える苦しみも、失う悲しみも、共有した今では、髪の毛のない頭だって2人のものなのだ。


2005年03月28日(月) 左の深窓

仕事が忙しいのと仕事の内容が濃かったのとで、疲れてフラフラになった。こういうときのフラフラは、足に力が入らなくなって座り込んでしまうような感じで、案の定夜になったらすごい頭痛がしてきた。

頭痛といっても痛いのは左目の奥で、多分左目の神経を含めた顔面神経の領域が痛いのだと思う。目の奥と頬が少し、唇の近くまでが痺れて、視力も一時的に低下してしまう。左目を手で覆いながらのたうち回る。普通の頭痛だったら効く鎮痛剤もこの痛みにはあまり効果なし。とにかく休むしかないな、と思いながら痛みに耐えた。

子供の頃から、精神的に嫌なことがあるとおなかが痛くなるタイプなんだけれど、どうもこの左目の(左しか痛くならない)痛みは、疲れた時に出てくるみたい。どう表現したらいいかわからないけれど、「歯にしみる」ような痛みで、これは多分神経を直接刺激した時の痛みなんだろうな。

左目から起こるこの痛みを、今は内側からくるメッセージだと思っている。ここが痛くなったらドクターストップで、自分の力量を超えたことをしようとしているんだ、と解釈しているのだが、理屈を超えたメッセージをも、ボクは左から受け取るようだ。


2005年03月27日(日) 左の法則

ボクは、同じようなものが2つ、どちらを選んでもいいような場面で二者択一する時、必ず左から選ぶようにしている。特に理由はないけれど、選ぶ時迷うのが嫌なので、左と決めているのだ。
必ず左だけ選んでいれば、あの時右を選んでおけば・・・という考えは浮かばない。左を選ぶことは最初から決まっているので、その結果自分が選んだものも、最初から自分のところにくる運命だったと、そういうことにしておけるのだ。

そもそもこの法則は食事の場面から発生した。同じ模様の皿に同じ内容のものが2つ並んでいる。作ったのは相方。さあどっち?という場面で、相方に選ばせると、相方は少なく見えるほうをとる。ボクに食べて欲しいから−という理由だ。
ボクが選ぶ時は、ボクが好きな食べ物はボクが多く見えるほうをとって、相方が好きな食べ物の時は相方に多く見えるほうを相方の席に置く。
でも、大抵はどちらも同じくらい好きだからそうすると相方がいつも少ないほうをとっていくことになってしまう。いつも「どちら?」といわれて「どちらでもいいよ」と答えると不満そうな顔をするので、考え出したのがこの左の法則。子供の頃、左足から歩き始めるというルールがあったので、それを応用したのだ。
待てよそれじゃあ左を多く盛り付けてしまえば相方の思惑通りじゃん、と思うが、よそうときそこまで優劣をつけているわけではない。もともと公平に見えるようによそっておいて、その上での選択なので、本当はどっちが多いかなんて判らないんだけれど、気持ちの問題なのだ。

そうしてできた左の法則は、施行してみると案外便利だったというわけ。癖って知らないうちにできる気がするけれど、これは作為的に作られた癖になるのかな。


2005年03月26日(土) 謎はひとつだけ

昨日呟いていたマグノリア、映画のタイトルだと教えてもらった。どんな映画かはまだ調べていないが、DVDのジャケットは木蓮を上から見たショット。プレビューを見る限り、あまり『木蓮』に関係なさそうな雰囲気だ。木蓮の合言葉を調べてみたら「自然への愛 持続性 気高さ 壮麗」などなど。ちょっと検索しただけなのでその根底にある流れはわからないが、映画を見たらなるほどと思うのかしらん。

奥田民生が『マシマロ』という曲を作って、歌の最後に「マシマロは関係ない」っていうの、一発芸みたいなんだけれどちょっと笑っちゃう。別にマシマロって何だよ?って考え込んで寝れないほど気になるわけでもないけれど、そういわれると何だよ、、見たいな感じ。

謎って不思議なもので、あまり謎だらけにするともう謎が当たり前で解く気もうせるんだけれど、ちょっとは解るけれど、完全には読めない、みたいなのはどうしようもなく知りたくなったりする。エンターテイナー側は、そこらへんを上手くクスグルのが大切だよね、とか思ったり。


2005年03月25日(金) マグノリア




散歩の通り道にある小学校に、一本だけ植えられている木蓮の木が、今年も花をつけるようになった。今つぼみが大きく膨らんで、もう少しで花が開きそう。白くて大きな花が一斉に開花するとそこだけ真っ白で、非現実的な感じがしてとても綺麗になる。

子供の頃は、一年のうちほんの少ししか花をつけない木なんて、つまらないと思っていたけれど、そうではなくて、一年を通して変化していくことも楽しみだと解った。花が咲いていない季節が長いから、花が待ち遠しくて、花が咲くと立ち止まって、記憶にとどめようと見つめるのだ。
木蓮が咲いたら今度は桜が咲く。これからしばらく、散歩が楽しみでいっぱい。

ところで、木蓮を英語でなんていうか調べたら、マグノリアだった。マグノリアって何処かで聞いたことがあるんだけれど、何だったっけ?ミステリー小説のタイトルとかしら?


2005年03月24日(木) スプラウト

スプラウト、という野菜がある。スプラウトというのはもともと新芽のことで、たとえばモヤシや貝割れ大根が日本で馴染みのスプラウトだ。

この間実家に帰ったら、ブロッコリーのスプラウトがサラダになって出てきた。ボクはそのときまでブロッコリーのスプラウトの存在を知らなかったのだが、身体にいいのよと薦められ、味も悪くなかった(というかあんまり味がしなかった)ので、また今度食べてみようと思った。




スプラウトは貝割れ大根やモヤシと比べても格段に小さい。もしゃもしゃしていて食べやすいし、特に変な味もしないし、相方がしょっちゅう買ってくるのでそれ以来ブロッコリースプラウトは大活躍だ。

例えばある日の晩御飯。




ソーメンチャンプルー
スプラウト(お好みでソーメンチャンプルーに載せる)
納豆/スプラウト和え
海苔
紅茶
カロリ/桃味

こんな感じで何にでも掛かっている。


2005年03月23日(水) 帽子

とうとう相方の髪が抜け始めた。いきなりごそっといくのかと想像していたがそうではなく、パラパラと抜けていくようだ。最初の抗癌剤から二週間を過ぎるとビックリするくらい抜けますよ、と聞かされていたけれど、バスタイムのたびに髪が排水溝に溜まっていくのはやっぱりセツナイ。ウィッグは嫌だというので、帽子とバンダナを幾つか用意したのだが、髪が少なくなってくるや早々に相方は風邪をひいてしまった。髪の毛は結構保温の役目をになっているようだ。




そんな経緯で、相方は家の中でも帽子を被り始めた。帽子はケミストリーの片方が被っているようなすっぽりタイプのやつで、これが結構可愛い。帽子のお洒落に目覚めたのか相方も結構気に入って服装に合わせてコーディネートしてみたりしてて、ボクも帽子が欲しくなってきた。
(ボクの相方は犬ではなくて人間 念のため)


2005年03月22日(火) ホルンの右手

ある日、オーケストラの演奏を見ていた相方が『ホルンの中の手は何をしているの?』と呟いた。
そういえばホルン奏者はみんな右手をベルの中に入れている。まあおそらく手を入れることで音を調節しているのだろうけれど、では、他の管楽器は手を入れなくてもいいのだろうか?いや、他の楽器はベルがホルンほど大きくなさそうだから、手が入らないかもしれない、などと考えてみたり。調べてみたらやっぱり手で音程を調節しているみたいだ。

管楽器にかんする知識がまったくないボクは、各々の音がどんな音なのか知らないし、聞き分けることができない。そもそも管楽器ってなんだろうと調べてみると、管楽器には木管楽器と金管楽器があると。フムフム・・・ここで初めてクラリネットが木管楽器だと解った。ボクはクラリネットはトランペットの親戚だと思い込んでいたのだが、どうやらフルートみたいな笛の仲間に入るらしい。

ボクの大切なクラリネット♪を思い浮かべるとき散々トランペット状のものを思い浮かべてきたんだけどな。


2005年03月21日(月) 青い目の羊

相方がアヒル好きなので、よくアヒルグッズを見ているが、よく見ると和製のアヒル=ガーコは目がクリリと黒目なのに対して、欧米産?のアヒル=ダッキーは青い目をしている。実際のアヒルの目が青いかというと黒っぽい目をしているので、青い目なのは欧米だからなのだ、と強引に理解していた。

昨日、アフタヌーンティを散策していたら、可愛い羊のキーホルダーを見つけた。(ボクは羊を愛している)革でできていてそれなりに値段がしたけれど、結局連れて帰ることにした。



羊は特に変わったデザインでもないくせに、何処か違和感を感じた。何が違うのか少し考えて直ぐに解ったのだけれど、羊の目が青いのだ。ボクは羊が大好きなくせに生きた羊を真近で見たことがないから、羊の瞳がどんな色か正確にはしらないが、写真で見る限り茶目かその系統の色に見える。

果たして欧米で作られるキャラクターが青い目が多いかどうかしらないが、日本で生まれたキャラクターには黒目が多いし、日本で子供達に絵を描いてもらうと、まず目を黒で塗らない子供はいないだろう。それと同じように、青い目の子供が絵を描いたら、青で目を塗るかもしれない。

そんなこんなで気に入った青い目の羊、案外ちょっと風変わりなことが好きな日本人が作っていたりしてね。


2005年03月20日(日) 新世界より

ドヴォルザークの『新世界より』という交響曲がある。有名なフレーズが沢山あるので、知らず知らずのうちに皆聞いているクラシックの代表作だが、ボクはずっとこの新世界とはどこだろう?と考えていた。

調べてみると、ドヴォルザークはチェコ人、アメリカに招かれて51歳から54歳まで移住している。1892年、彼にとっての新世界とはアメリカだったのだ。(思い出してみれば、彼は『新世界より』のほかに『アメリカ』という作品も残していた)

故郷に寄せられた思いが、この交響曲の魅力なのだろうか。クラシックは適当に聞いているだけのボクだけれど、この曲はすごくドラマティックに感じる。話は連想して、萩尾望都氏の作品のひとつ『銀の三角』は、数ある彼女の名作の中でもボクにとって一番感銘を受けたものなのだが、この話の中に出てくる物語の鍵となる人物は、自分の故郷から遠く時空と空間を引き離されてしまう。彼女は、その思いを胸にリュートを片手に歌を歌うのだが、その歌は人々を煽動するほどの力となっていくのだ。

故郷的なものに対する思いがそれほど力を持つことなど、若者には思いもよらない。若者は、外へ外へ、もっと広い世界を見たくてうずうずしているから、背後に残してきた故郷のことなど省みない。

50を過ぎたドヴォルザークがアメリカに渡って一番最初に書き上げた『新世界より』は、『新世界』ではなく『新世界より』なのであり、何処か別の場所からこちらに遣された思いなのだ。


2005年03月19日(土) ターナーの機関車



昔、山下達郎の音楽をよく聴いていて、今でも時々聞く。好きな曲は沢山あるけれど、ボクがタツローを好きになったのは、「ターナーの機関車」という曲(アルバム「アルチザン」に収録されている)。その曲の解説に、ターナーの絵からインスピレーションを得た、と描いてあったので、ボクは見たこともないターナーの絵を勝手に想像していた。
ボクの空想の機関車は、夜汽車だった。子供の頃「夜汽車」という寂しいメロディの曲を聴いてから、ボクの中では機関車は夜に走るもの、という感じが強いのだけれど、とにかく暗闇の中を走る汽車、しかも絵はシュールリアリズムっぽいイメージだった。

実際のターナーの絵は「雨、蒸気、スピード−グレート・ウェスタン鉄道」という1844年の作品で、何処かで見かけた方はこの絵がとても印象的なものであるとご存知だろうが、ボクはこんな絵は今まで見たことがなかった。ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナーは、とても素晴らしい風景画家で、その作品に描かれ続けた光は、大気を通過するときの煌きや靄をも映し出しているようだ。

ボクは、何かを通過してくる光が大好きだ。大気を通過してくる光、雲を通り抜けて降りてくる光、布を透けて届く光・・・輝くものはいつも美しくそして触れられないところにあるべきだ。


2005年03月18日(金) 空と海



昨日の本屋で、興味はあったけれど買わなかった本があって、それは「海」の写真集と「空」の写真集だ。ボクは海とか空とかの写真を(自分で)撮るのが好きだし、海や空といったら誰もの心を掴む光景だと思う。
でも、立派な写真集になっちゃうと何だかやっぱり物足りないのだ。写真は綺麗だし、見たこともないような青空や綺麗な雲が移っていてとても魅力的だったけれど、結局書架に戻した。

多分、目の前に広がる空が好きなのだ。そのときの光とか風とか匂いとか、そういったものを一緒くたにして空を捉えているのだ。普段見れない海の写真集は、ビニールが掛かっていて中が見れなかったけれど、ボクは相方の故郷の沖縄の海が見たい。


2005年03月17日(木) 新しい本屋

いつも通っていた道に新しい本屋ができた。本屋というとそれだけでワクワクするものだが、二階にCDショップ&レンタルが入っていたりして、この手の本屋は回転のいいよく売れるものしかおかないだろうな、と中身には期待していなかった。
通りがかりに「入ってみようよ」と相方が言うので付き合って入った。

ところが中に入ってみると、まず入り口に洋書が並んでいた。洋書があるのは、これからしばらくここの近郊で国際博覧会が始まるからだと思うが、それにしてもその数は多く、写真集も沢山あった。店は外から見たよりもずっと広く、色々な分野に分かれて並べてあって、種類もジャンルも豊富で、つまりとても嬉しい予想はずれだった。

ボクは嬉しくて、今まで見かけなかった写真集や絵画の本、ユングの本などを手にとったりしてうろうろ浮き足立っていた。相方は自分が誘ったのだから文句も言えず、1時間半も付き合わされ、最終的に沢山お金も使ってしまった。でも満足。本を買うのって買い物の中で一番楽しいかもしれない。


2005年03月16日(水) 虹模様



少し洒落たデザインショップに行くと時々出会えるのが「ORIGO(オリゴ)」というブランド。スウェーデンのアルフレッド・ハベリがデザインした食器なのだが、インパクトある縞々模様は一目見たら忘れられない。ボクも3年位前に見つけて、以来その食器が欲しくてたまらなくて何度も手に取ったのだけれど、結局買わずじまいで今に至る。
そもそも縞々模様が好きで、突き詰めれば虹が好きなのだ。ゲイの象徴としってからはますます好きになったけれど、ボクは虹の色のならびになみならぬ興奮を覚えて、子供の頃は夢中でプリズムや懐中電灯で、虹を作り出していた。

さて、話は飛んで。

ボクは子供の頃から絵が大好きで、お気に入りの絵を並べたらキリがないのだけれど、そのお気に入りの一枚にアンリ・ルソーの「眠れるジプシー女」がある。幻想的な雰囲気、美しい色彩、1度見たら忘れられないこの絵は小学生か中学生の教科書で見て以来好きになった。つい最近あるきっかけでこの絵を見る機会があって、そこで初めてこのジプシーが着ているドレスがオリゴの縞々にとてもよく似ていることに気がついた。

そのことに気がついたら、またオリゴの食器が欲しくなって、手に入れたくてウズウズしている。誰か、この模様に興奮を覚える人が居たら、お友達になりたいなぁ。


2005年03月15日(火) 廻りくる春

3月も半ばだけれど雹が降ったり雪がチラついたりと寒さが足踏みしている。雪を見たかったけれど、ずっと職場に篭っていたので見られずしまい。きっともう次の冬まで降らないんだろうな、と思うとちょっと残念。

予定では抗癌剤治療と放射線治療は9月の末まで続けることになる。これは短いほうの予定でもう少し伸びるかも、と言われているけれど、一段落する頃にはまた冬の足音が近づいているのか、と思うと何だか不思議だ。

ボクの家の近くに、桜並木がある。もう数週間できっとピンクの花が咲くのだと思うととても楽しみ。毎日散歩するから、じっくり歩いて桜を見られるのも、ひらひら落ちてくる桜の花を鼻先にくっつけて犬がくしゃみするのも、5月に入って毛虫が沢山落ちてきて悲鳴をあげるのももう直ぐで、去年も今年も来年も、その先もずっと、そうやって桜の下を歩きたい。


2005年03月14日(月) アヒル



先週友人からお見舞いに頂いたアヒルは背中で植物を育てる働き者。早速種を蒔いて栽培開始。(相方は鳥好きのアヒル好き)それにしても我が家にはアヒルグッズが沢山ある。

・お風呂に浮かぶアヒル3羽(スタンダード)
・お風呂に浮かぶアヒル光るVer.
・身体を洗うスポンジ 3羽
・アヒルメジャー
・アヒルマグネット
・アヒルシャボン玉
・アヒル水鉄砲
・アヒルメモスタンド
・アヒルツボ押し
・アヒルメモリースティック
・アヒルカレンダー
・アヒルの置物各種
・アヒルクリップ
・アヒル文房具色々

今思いつくだけでこんなにある。他にもこまごまとしたものが沢山あって、普段はオモチャ箱にしまってあって時々入れ替えするんだけれど、万年頑張っているのはやっぱりお風呂場のアヒル隊長。


2005年03月13日(日) 一工夫



日曜日に仕事するととっても滅入るのだけれど、そんな気分を解消しようといろいろ工夫をしたりする。
好きな紅茶を魔法瓶に入れて持ち込み、気に入っている小さな小道具を持ち込む。具体的には『羊』と『リンゴ』と『キノコ』の小さなマグネットを計12個と、それをくっつけるボード。あと仕事のためでもあり半分興味の対象でもある本たちを自分の家の本棚から職場に数冊移動。壁には犬の写真とフラミンゴの写真(フラミンゴはボクが飼っているわけではないけれど)、あとは人からもらった絵を数枚張ってある。それから鳥のシルエットのカラフルなカレンダーと、疲れたときに食べてねと差し入れてもらったチョコレートの箱。
そんなものを並べて、自分の机の周りと本棚を掃除して並べなおしたらちょっとすっきりした。仕事はめったに自分の机ではしないでもっと大きな会議机で店を広げるのだけれど、やっぱり自分専用のスペースは心地よい空間でなくっちゃね。

魔法瓶はおなじみAladdin。赤チェックの中に1つだけ緑があったので、先日連れて帰ってきた。午後のティータイムにも熱い紅茶が飲めてちょっと幸せ。


2005年03月12日(土) ミッドナイト・フルーツ



どうも抗癌剤というやつはじわじわと効くのかどうか解らないが、最近相方は夜になると騒がしい。曰く『身体が熱い』らしく、内側から火照るような感じがするそうだ。じゃあアイスノンでも、と思うがどうも体表は熱くないし、布団をかけないとかアイスノンで対応するような感じはしない。

結局水分を取ったりしていたようだが、昨日の夜は果物が食べたいと言い出して、真夜中に果物を剥かされた。ボクは眠くて眠くて目は半分も開かないし、頭が朦朧としていた。そうまでして何でボクが果物を剥くかというとそこは病人の特権で、果物は看病するものが剥くというしきたりのもとに、ボクはせっせと梨やら林檎の皮を剥いた。


2005年03月11日(金) ティーポット



今から10年くらい前に、ティーポットを買った。チャイナボーンでできたミルク色のもので、御揃いの皿やボウル、カップなど一通り御揃いで揃っているシリーズだった。ボクは1人暮らしでお金もなかったので、お皿を1枚、スープ皿を1枚、それにティーポットを買って帰った。そのうち少しずつ増やしていこうと思っていたが、数年後お店自体が潰れてしまった。

やがてお皿は割れて、スープ皿とティーポットになった。半端な数のスープ皿はあまり食卓に登場しなくなったが、ティーポットはこれ1つしかないので、緑茶から紅茶から何でもこれでずっと10年飲んできた。お客様がきてもこれを出していた。一張羅みたいなポットだけれど、小さいしお湯の切れは悪いし、いつか買い換えようと思いつつ、だらだらと付き合ってきた。

今日、新しいティーポットを購入した。今までの倍くらい入る大きな、紅茶専門店なんかで出てくるような丸みを帯びたポットだ。早速たっぷりの茶葉とお湯を注いでみたら、あまりの重さに手がぐらぐらしたけれど、新しいポットにまずまず満足した。新しいものは何時だってちょっと嬉しい。


今までのポットを食器棚の奥にしまった。普段食器に愛着なんてないんだけれど、このポットは捨てたくないな、と思いながら、こちらはちょっと寂しかった。


2005年03月10日(木) 固執傾向

ボクは1度お気に入りができると、そればっかりしばらく続けちゃう性質だ。お気に入りの部門はあらゆる感覚に関することで、一番譲れないものは触覚。気に入ったバスタオルとかトレーナーとか、肌触りのいいものがあるとそればっかり手を伸ばしちゃう。靴だって、ジーンズだって、とにかく感触第一、お陰で服も靴もコートも沢山あるのに、着まわしているのはいつも同じ、ということになる。

それから味覚。コンビニで見つけた美味しいパンとか、飽きもしないでしばらく続けて食べている。飲み物もしかり。今のブームは紅茶とスコーン。買ってきたり家で相方に作ってもらったり、とにかくイギリスかぶれ。

聴覚ならあいもかわらず菅野よう子を中心に、カウボーイ・ビバップ&攻殻機動隊のサントラを毎日聞いている。家にいれば相方が毎日ヴァイオリン名曲集をかけるのでそちらも頭にしっかり浸透中。


2005年03月09日(水) スタート

とうとう抗癌剤が始まった。

抗癌剤を打つ前に色々説明を受けた。毎回診察のたびに、どちらかというとBADな情報が増えていくのだが、今回もまた悪い情報がひとつ追加で、転移は2箇所でなくて4箇所だった。13箇所とって調べたうちの4個、という率はやっぱり悪いらしい。
若い年齢の癌は進行も早いこと、今回の癌は同じ癌でも悪い細胞が集まっていて、周囲を食い尽くしていくタイプだということ、転移があることなど、予後を決める因子の殆どは再発のハイリスク・タイプだということ・・・

などと、おもーい話が終わって直ぐに抗癌剤を点滴してもらった。終わってから病院の中で一緒にご飯を食べてお別れしたけれど、仕事から帰ってきたらワリに元気にしていたので一安心。やれるうちにやっとこう、と相方は仕事をやってる横でボクはうとうとしていたら、やっぱり吐き気がしてきて辛そうになってきた。

とにかく何とか食べさせなきゃと、冷蔵庫を漁って料理開始!ボクだってやる時はやるんだぜっ、と思いながら、ちょうどサーモンの切り身を買っておいたのでそれをベースに和食を作ってみた。
明日のお昼とかも準備してあげなくっちゃいけないよな、と思うけれど、冷蔵庫にあるもので何ができるのか皆目検討つかない。


2005年03月08日(火) また来る日々

今日も友達が遠方からお見舞いに来てくれた。皆でご飯を作って(ボクは見ていただけ)皆で食卓を囲んで食べたらすっごく楽しい。明日からは抗癌剤が始まって、どうなるか解らないけれど、こんな風に楽しいことがあると、またこうやって皆でご飯を食べる日がくるんだと思う。

どうも考えが後ろ向きでいけないな、と思いつつ。最近誰にあっても、ボクのほうがまいっているように見えるみたいで、自分でもいけないなぁと思う。こんなときこそどーんとでっかく相方を支えてあげたいと思うのに、むしろ自分で精一杯な感じで大変に駄目駄目なのだ。

みんなが応援してくれて、元気を沢山貰ってきて。本当に2人だけだったらとっくに沈没しちゃったように思う。ボクの両親が相方を自分の子供と同じように応援してくれることも嬉しかったし、友達もみんな声をかけてくれて、病院の先生も一緒にがんばろうって言ってくれて、ボク達だけじゃないってことが嬉しい。

反面体が頑張るのは相方だけで代わってあげられない。相方の苦しみが柔らかなもので、そして色々な困難を乗り越えらるよう、今はそう思うだけだ。


2005年03月07日(月) 危険区域

気の早い送迎会が街中であった。開始10分前についたので、傍にある大きな本屋に入って探している写真集を探す。だが探し物は洋書で、ボクは英語に長けていない。結局背表紙を眺めただけで10分が終わってしまい、未練たらたらで本屋を離れた。

何時の頃からか、ボクは人ごみを沢山歩いているととっても疲れてしまうようになった。犬達と散歩するなら一時間だってテクテクあるいているのに、街ではもっと違うことで疲れるみたい。どうしてかな、空気が悪いのかな、とか思っていたけれど、多分そうではないんだろうな。

他者を意識して気持ちを張って歩き回るというのは疲れるんだ。海外でひったくりに会わないように気持ちを張り詰めて歩いている時なんか最高級に疲れちゃうし、同じ人間を敵とみなくてはならないしんどさがあって。

山を歩いているときはすごく頭がクリアで気持ちがよかった。熊の足跡見つけたときは皆が怖がって下山したけれど、昔は熊がいるようなところのほうが危険だったのに、今じゃそれより人のいる場所のほうが危険なときがあるのだ。


2005年03月06日(日)

大阪から友達がお見舞いに来てくれた。本当だったら先週に山奥で雪遊びをする予定だったのだけれど、こうなったからキャンセルして、ちょっと寂しかったところだったので、嬉しくて沢山おしゃべりした。

ちょうど東京で雪が降ったりしていたから、せめてここでも少し落ちてこないかなぁと期待していたけれど、悲しいかなむしろ暖かいくらいの日が続いていたので、ちょっと残念だった。もともと一冬の間にほんの数回しか降らない土地柄で、おまけに地球温暖化が進んでもっと降らなくなっていて、滅多に見られないのだ。

雪が好きかと言われたら、社会人になってからは出勤を考えてしまうから複雑。仕事に出かけるためには雪が降らないほうがいいのだけれど、雪が降ってくると気分は高揚する。犬達も同じみたいで、雪が舞う中の散歩はそれだけでワクワク楽しかったりする。これが積もると犬達は駆け回ってスライディングしたり、「キチガル」のだけれど、そんな風に遊んでいるところをまた見れたらいいな。


2005年03月05日(土) 水飲みバード

毎朝7時になるちょっとまえ、6時45分くらいになると犬が起こしにやってくる。というか、足元に寝ている犬がにょきっと起き上がって、長い嘴でツンツン突くのだ。犬の口はにゅーと長くて、その姿はさながら大昔に流行った水飲みバードのよう。平日なら起こしてくれてありがとうだが、週末にはまだはやいぞこのやろう、だ。

ボクは基本的には休みの日も普段と同じくらいに起きることにしている。そのかわりお昼寝したりして普段よりは沢山ねているのだけれど、このお昼寝が曲者で、結構夜寝付けなくなったり。
この日は風邪を引いていたこともあって、布団に入ったり出たりを繰り返していたら、夜になってすっかり目が冴えてしまった。お陰で風邪も良くなってきたからよかったのだけれど、久しぶりにすっきりした頭で布団の中ゴロゴロしたり、浅く眠ったりしていたら、沢山短い夢を見た。

↓この嘴で突かれる


2005年03月04日(金) 替われなくても

昨日は喉が痛かったのが、今日は咽頭痛+鼻水。お陰で声が一段と低くなって、今カラオケに行ったらいつもは唄えない曲も歌えちゃうよ、って感じに声変わりしている。

風邪は引いたけれど、メンタル的には浮上してきたみたい。あんなに重かった気持ちが少し軽くなって、本当に気分って不思議だ。ボクがこんなに大波小波で過ごしているのに相方の気分は一定のところで安定していて、これがもともとの精神力なのかな。
ストレスが掛かるとボクは直ぐに弱っちゃうし、相方はどうして弱らないんだろ?これがボクが病気で相方が病気だったら、相方が弱っちゃったのかしら?なんて考えてみたり。

ボクは、ボクの相方を思う気持ちが本当に愛と呼べるものなのか自信がない。一人ぼっちになりたくないのも、自分の為なのじゃないの?とか、言い出したらきりがない。人間はみんな何処かで1人で、自分の足であるいていて、誰も誰かの変わりに背負って歩いたりはできない。けれど、相方の病気を一緒に背負えたらと思う自分がいて、一緒に応援してくれている友人達も同様に背負ってくれていて、そうした誰かを思う気持ちは、やはり愛することに通じるのではないかと思う。


2005年03月03日(木) キャッチ・ア・コールド

何てことか、風邪を引いてしまった。来週からは抗癌剤なのになのに、と後悔しても仕方ない。こうなったら一刻も早く風邪を治さなくては、と思うけれど、幸い相方に移る気配はない。
そもそも、もともと相方は大変とても頑丈にできていて、ひと冬にボクが3度風邪を引くなら相方は1度、それも仕事を休まなくてもいい程度の半日風邪だったりする。
ボクが3日寝込めば相方は半日、ボクの6倍丈夫なことになっているのだ。

そんな頑丈な相方なのに、癌なんてデカイものには掛かってみたりするんだから。相方は[昔からやることがでかいと親に言われてきた]と笑ってみせるので、ボクだって笑うしかないじゃん。

ボクがよく熱を出すから?相方が立派な氷枕と頭の上に載せる氷袋?みたいなのを以前買ってくれて、常時冷蔵庫で待機している。それを頭の上にのせているととても気持ちいいけれど、これじゃどっちが病人か解らなくってとても情けない気持ちになるんだよね。

でも気持ちいい。


2005年03月02日(水) 雛ショート

今日も重たい足をズリズリと引き摺って仕事へ行く。仕事自体は嫌いじゃないけれど、忙しいのでこなすのが大変、さあ今日も引き締めてがんばるぞ!という気持ちを込めてアイロンの掛かったぱりっと白いシャツを着て出かけた。

夕方職場で、世話好きな人が、ひなまつりだからとケーキを買ってきてくれた。ひなまつりっぽい飾りのついたショートケーキで、ひなまつりにケーキを食べる習慣があるのかそういう商品があることを知らなかったのでちょっとビックリ。

ボクは忙しいと昼食も食べれないし、トイレにも行く時間がないし(一日に一回くらいはあるけれど)、何かを飲むこともできないくらい。もちろん毎日じゃなくって、忙しい日とそうでない日はあるけれど、1日ずっと仕事をし続けていると、大抵誰かがチョコレートやパンを分けてくれたりして、時々はバナナだったりおまんじゅうだったり本当は好きじゃないものもあるけれど、ボクがおなかを空かせて仕事していることを知っていて、食べ物を持ってきてくれる気持ちはありがたい。

考えてみたら貰ってばかりだから、今度お返しに何か持っていこうかな。


2005年03月01日(火) 知識欲

今日の仕事はキツイことが最初から解っていて、重い足取りで出勤したら、キツイ根源の上司が風邪でダウンしていた。
急に時間がぽっかり空いてしまって、それはそれで他にやることもあったのだけれど、一番気を遣う相手が居なくて拍子抜け状態。
この上司と一緒にいるとすごく勉強になるし、とても尊敬している。だからこそ、一緒に仕事するときには、教えてもらえたことを1つも聞き漏らさないように全身耳になって集中しているので、ものすごく疲れるという次第。いつもの火曜日ならもう全身ぐったりで、家に帰ってから晩御飯をつついているときに話した会話とか不思議に全部忘れてしまうくらいなのだ。

この年齢にもなって新しい知識に出会い吸収する喜びを与えてくれる相手に出会えるというのはとても幸いなことだ。知らないことが沢山あって、ひとつづつ知っていくことで世界が広がっていくように感じることは、ボクにとって喜びの1つだし、人間とはそういう好奇心を備えた生き物なのだと思う。

せっかく時間が空いたので、上司(ボクは先生と呼んでいる)が以前から、見てもいいよといってくれていた書庫に入ってみたら、読みたい本がずらりと並んでいた。とりあえず10冊ピックアップして、ボクは勉学のための本は自分で買うので、後で取り寄せて読もうと思うのだけれど、それはちょっと楽しみなことだ。

仕事に直接関係する本ではなかったけれど、灰谷 健次郎の全集が並んでいた。昔読んだ[太陽の子]もあったので、手にとって読み返していたらやっぱりなんともいえない悲しさがあった。愛情に深い家族が手をとっていてくれていても、人は自殺することだってあるのだ。

ふうちゃんが、大きくなったらおとうちゃんを生むんや、と言う台詞があって、ああこの子は本当に女の子で、愛することを知っている子なんだとしみじみ思ったっけ。


ロビン