カウントシープ
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2005年02月28日(月) 頑張れない

仕事から帰ったのが9時過ぎだったせいか、体がすごく重くて気持ちも重くて、帰って直ぐに寝てしまった。仕事をしているときはそうでもないけれど、帰ってくると急に体が重く感じるのは、張り詰めている気持ちが緩むからかな。

気分の浮き沈みをこんなに感じることって今までなかった。今までは、しばらくの間落ち込んでいることはあっても、その間に絵を描いたりと結構それなりに楽しみも持って生活していたのに、ここ最近は、5日くらいの周期で落ち込んで、また5日くらい回復して、を繰り返しているみたい。


この文章は3月6日の日曜日に書いているのだけれど、この月曜日から水曜日あたりは何だかとても辛くて、ずっと[頑張らなくっちゃ]って呟いていた。そういい始めたときって大抵調子が悪い時で、頑張れないときなんだけれど、そういっている傍から時間は進んでいって、明日の仕事がやってきて、また平然とした態度を振りまいていて、

こういうとき社会人って大変だなと思うけれど、これでご飯を食べさせてもらっているんだから、仕事があるだけ幸いだと思わなくっちゃね。


2005年02月27日(日) おすそ分け

家の隣の喫茶店でお昼にサンドイッチを食べた。
一切れあまったので持って帰って3等分してあげたら、ほんの一口だったけれど、今までに食べたことのない味に(シュリンプ・エッグサンド)に大喜びだった。
あげてから、犬には海老はよくなかったのではなかろうか・・・とちょっと思ったけれど、一瞬で食べちゃったのでもうもとには戻らないし、何しろでかい図体なので、ちょっとやそっとの毒ではびくともしなさそう。(実際後日も元気にしていた)

時々散歩がてらマクドナルドを買って食べる(マックぐらいしか屋外で食べるものがない)。ボクはチーズがあまり好きじゃないけれど少しなら美味しいと思うので、ダブルチーズバーガーを注文して、はみ出たチーズだけ千切って犬達にあげる。お陰で ハンバーガー=チーズ と犬の頭の中ではなっている。
本当は肉が入っている食べ物だって知ったらズルイ!って言われそうだ。


2005年02月26日(土) 吉田カバン

先週の土曜日にカバンを買った。

その日土曜日、お昼に入ったいつものサンドイッチ屋では、いつも読む雑誌[MONO]はまだ新くなっていなくて、読むものがなくて久しぶりに[MENS MOMNO]を手に取った。その表紙に[吉田カバン]と見出しがあったが、ボクは何処かで聞いたことがあるな、と思った。

確証はなかったが、そこから連想したのは、以前京都に本店があると連れて行ってもらった古風なカバン屋だ。レトロな縦書きのネームタグがついていて、麻みたいな素材でできていたカバンが沢山並んでいて、流石京都だなんて思ったりした。

だが、その特集ページを捲ってみたら、もっと普通の現代的なカバンが並んでいた。ボクはサンドイッチのほうに集中していたので、そのページはパラリと飛ばした。

その後街に出て時計を引き取った後、ロフトで(時計屋はロフトに入っていた)ぶらぶらしながらカバンを物色して、ひとつ気に入ったカバンがあったので目を付けていたが、いつものごとく本屋で長居をしすぎて閉店となり、カバンを買い損ねた。残念がっていたら、相方が『ポーターならパルコにもあるよ』と教えてくれたので、そうかあれはポーターという名前なのかと思いながら、パルコに移動した。

探していたカバンは相方の言うとおりパルコにも入っていて、今度は迷わず購入、ロゴを見たらちゃんとポーターと縫い付けられていたので、『君よくポーターなんて知っていたね』といったら、これは[吉田カバン]というブランドなんだよ、と教えてくれた。

そうかサンドイッチ屋で珍しくMENS MOMNOを手に取ったのもここに結びつくのかと、何となく縁を感じて嬉しかったが、さらに今使っている携帯[ドコモのpremini]の専用ケースもポーターなんだけれどな、と教えられて、早速携帯ケースをカバンにくっつけてみたりして、

それから毎日同じカバンで仕事に出かけている。


2005年02月25日(金) 凱旋布告

ある娘が駆け落ちして、住みなれた土地を離れて都会で暮らす。2人は社会的には認められず、苦労して共に生活していくうちに健康を害し、両親が都会にやってくる。
『娘を不幸にして』そういわれては男は項垂れるしかない。2人共に居たいと思うが、病気を治すため−と娘は故郷に戻され、男は家族に恨まれて暮らす。

というような話はよく聞くパターンだが、今のボク達はこれに近い。(周囲には認められるはずもないと脅えてカミングアウトしていないけれど)同性愛ですなんておいそれと言えない。そこそこきちんと生活していけるだけのお金を稼げる仕事にはつけたけれど、結婚という形をとれないから、相手の家族は自分の子供がボクの家に居候して、形見の狭い思いをしながら不安定に生活している、と思っている。

相方の家族も親戚も友達もみんな沖縄にいて、沖縄に帰ってきて治したらいいのに、という。ボクと相方が一緒にいたいと思う気持ちなんて、みんな気がついてくれない。『早く帰っておいで』という心優しいメッセージが届くたびに、ボクは辛い。




お話の続きは大抵、その後娘は死んでしまい、男は墓参りすることも許されない−と続くが、ボク達はそうはならない。相方はまた健康になって、すっかり元気になって、犬達を引き連れてみんなで沖縄に凱旋するんだから。


2005年02月24日(木) ママ

子供の頃、いつも聞かされた言葉。

『私は必要とされていない』
『私は何時死んでもいい』

うんと小さな頃は、何ていっていいか解らなくて黙って聞いていた。少し大きくなって言葉を使えるようになってからは、『ママにいて欲しい』といって背中か肩に少しつかまった。

母親は、真正面から抱いてくれることのない人だった。だから触りたい時は、少し斜めか背中にそっともたれるようにしていた。抱きしめてくれることこそなかったし、そういう時母親が何を言ったか覚えていない、もしくは何もいわなかったかもしれない。

母の母は心を病んで死んでしまった。祖母が焼身しようとしたとき、首を吊ろうとしたとき、母親はまだ小学生だった。母は自分が同じように発狂することに脅えているし、ボクもまた、母が狂ってしまわないか脅えていて、

だから、本当のことは言えないままだ。


2005年02月23日(水) 共有すること

手術をして2週間、詳しい検査の結果が出た。

検査の結果はあまりよくなかった。
癌の細胞にもレベルがあって、8段階あるレベルのうち、8が最悪としてレベルは7、癌は周囲の組織を食い破って浸潤し、転移もしていた。もう全身に小さな目に見えない細胞がばら撒かれている可能性が否定できないこと、
どこかに流れ着いた癌の種子が、そこで餌付いて新たな癌を作りうること・・・

2週間後からは抗癌剤がスタートする。
その1,2週後に髪は抜けて落ちてしまうことなど、これからのスケジュールが解ってきて、急に現実感がやってきたのか、今までになくボクは思いつめてしまったのか、少し泣いてしまった。

泣いたのは相方と別れてすぐで、親しくしている職場の同僚(以前絵本をくれた)の顔を見たら、声を出して泣いてしまった。





何年も前、部活の後輩が、リンパの癌になって一年くらいかかって死んでいった。どんどん痩せていって、抗癌剤で髪も全部なくなって 点滴棒に骨ばった指を添えて病院の廊下ですれ違ったとき、元気だったときを思うとあまりの変わりようになんともいえない気持ちになった。

ボクはそれほど親密ではなかったし異性だったのもあって、ちゃんとお見舞いに行かなかった。

今ではお見舞いに行かなかったことを後悔している。

相方と一緒に病室にいて、訪れてくれた人達と話したりしたことはとても力になったから。お見舞いに来てもらったんだから、みんなが治るように思ってくれているんだから治るしかないじゃん、みたいな。

みんなが病気を共有してくれているのだ。死にかかわる怖い病気から逃げないで、一緒に心細さや恐怖を共有してくれている、そのことがとても力になると初めて気がついた。


2005年02月22日(火) 先生

しばらく忙しくて絵を描いていない。文章はもっと書いていないけれど、今の心境で何か書いたりできるかしら。
今日は仕事で家に帰れないけれど、明日は仕事が終わったら、夜『先生』の所に行く。二週間ぶりに会うけれど、先生に会ったら何を話そうかな。何を話したっていいけれど、話すほどにボクの正体がバレてしまう・・・

先生には会いたい気持ちと、会いたくない気持ちがいつもあって、それは先生が好きとか嫌いじゃなくて、ボクの中の・・・
理解されたいけれど、否定されたくないのかな。

先生は、傍に近づきすぎるとちゃんと逃げてくれるから安心できる。ボクもどちらかというと逃げるタイプだから、同じくらいの距離を保ったままの関係だ。

ボクの正体がばれて困るのは、ボク自身だ。
自分の中の汚いものが沢山あって、それを突きつけられることが怖いんだ、多分。


2005年02月21日(月) 体感温度

夜の散歩がとてもとても寒い。

寒いけれど、散歩には出かけるので、一番暖かいスポーツ用のコートを着て、フードも被ってマフラーもぐるぐる巻いて歩く。これで銀行に入ったら入り口でつかまりそうだけれど、一応フルフェイスや目出し帽じゃないから大丈夫か。

とにかくそんな寒い散歩に出かけるには多少の勇気が要るが、出てしまえばこちらのもの。歩いていると不思議と寒さも辛くないし、星は綺麗だし、空気は冷たくてぱりっとする。
犬達は喜んでいるし、ぴょこぴょこと跳ねるような足取りなんかみてると、散歩に出かけてよかったなと思う。
本屋さんを覗いて、マーケットで足りない野菜を買い足して、ぐるりと回って帰ってきて−

そして、家に入った途端。

耳が千切れそうに冷たいことを思い出して、ああ寒いっって思い出すのは不思議。


2005年02月20日(日) 時の最果て

机の上を片付けていたらメモが出てきた。それはCDの情報が書いてあった。

以前友人のHPに遊びにいったら音楽が流れて、聞き覚えがあって好きな曲だったけれど、どうしても思い出せなかった。宮崎アニメとかの曲かな、ラピュタかな、などと思っていたが、ある日−それまでに1年くらい経過しているけれど−そのHPに貼ってあるリンクを調べたら全然違って、それは[クロノトリガー]というゲームのサウンドトラックだった。

ボクは人につられてゲームをやっていただけであまりゲーム歴がないけれど、このゲームはやったことがあるのだ。RPGで、キャラクターデザインが鳥山明氏で、スクエアのソフトだった。時をかけて少年少女やロボットが未来を取り戻そうとするファンタジーだったが、時折すごく物悲しいエピソードがあったりしてなかなかドラマティックだった。

そのゲームの音楽はどれも好きだったのだけれど、何年か経って思わぬところで再会したら、何だかとても聞きたくなって、CD情報を調べるまでは早かったのだけれど、肝心のCDはショップでは見つからなかったのだ。本でもCDでも、本当は手にとって買いたいと思うけれど、古いゲームなのでやっぱり無理かな。


2005年02月19日(土) 悲しい歌とお話

時計を取りに街に出かけた。入院前に預けたあの時計だが、相方が退院する前日に、修理が終わったという電話が入ったのだ。やっぱり時計は持ち主と共にあるものなのか。

ちょっと、大きなおじいさんの古時計 みたいだ。

おじいさんと一緒に古時計が壊れて動かなくなるところが、センチメンタルでこの曲のもう1つの魅力だけれど、他にこんな風に[実は悲しい童謡]って多いよね。グリーングリーンだって、明るいフレーズで皆大好きなこの曲も、最後の歌詞ではパパがもう死んでいないことを示唆しているし。

そもそも童話自体が結構シュールで、驚くことや楽しいことと同時に悲しいことも盛り込まれていて、理不尽なことも力いっぱい盛り込まれているし。今思い出したけれど、[花さか爺さん]の飼っていたシロという犬は、隣のおじいさんに殴り殺されちゃったんだよな。良いおじいさんはその遺灰を枯れ木に巻いて桜を咲かす話だったけれど、シロのことを思うと浮かばれない。

[スーホーの白い馬]も、とても悲しいお話だった。白い白馬が血だらけになって矢が沢山刺さっても走ってご主人様のところに帰ってくるのだ。お話の中の動物達はいつも、死んでまた桜の花や馬頭琴になって戻ってきたり傍に居てくれたりして、対象の消失と同時に、ずっと一緒に居られるという、物質的でない想像の世界へのイメージがこの頃に形成され、悲しみを乗り越える術を見につけていく力が養われていくように思う。


2005年02月18日(金) レイニィ・レイン

朝起きて、一番に感じるのは窓から差し込む光だけれど、最近は雨が降ることもしばしばで、そういう朝は光じゃなくて水の音で目が覚める。それは雨の音ではなくて、家の前の通りを走る車の、タイヤが水の上を通る時の音だ。

朝から雨が降れば空は暗いし、傘を差して歩くのも面倒だし、濡れれば不愉快だし、犬の散歩にも支障が出る。雨が降ると憂鬱になるのは仕方がないことだと思うけれど、雨が嫌いな訳じゃない。木造の我が家では屋根に落ちる雨音がよく響いてそれはそれで聞き入るし、傘に落ちる雨の音だって好きだ。

ポストカードやレターセットや、そういったお気に入りのものを眺めてみたら、雨をモチーフにしたものが幾つかあって、イメージの世界では雨にシンパシィがあるみたい。以前日記に書いていたお天気マグカップだって、雨が一番お気に入りだ。

雨と同じくらいすきなのが虹、でもこれはゲイの象徴だからかもしれない。


2005年02月17日(木) 絵本

ある人から絵本をプレゼントされた。
それは、その人が物心ついた時からずっと、幼年期片時も手を離さなかった「お気に入り」の絵本の復刻版で、もちろんボクにくれたのは新品だった。その人は、子供の頃はあんなにいつも一緒にいたのに、大人になってからその本を読んでみたら何故好きだったのか解らなかったんです、と言いながらその本を手渡してくれた。

本を読んだ感想はいずれまたにしておいて。

普段本を薦めたりプレゼントするときには、(過去の自分もだけれど)現在の自分が良いと思ったものを選ぶように思うし、今まで貰ってきたものもたいていそうだ。そうして、読み終わった後に感想を言い合ったりして、共感したりして満足感を得たりする。本にしろなんにしろ、プレゼントというのは気に入ってもらえることを期待して贈られるものだろう。

だが、今回の場合、この本を良いと思ったのは子供時代の相手で、大人になった今現在にはどうして好きだったのか解らない良さなのだ。同じ大人になったボクが読んで良いと思ったとしても、現在の相手とは共有できない思いであり、仮につまらないと思ったとしても、お互いつまらない本を2人手に取ることが目的でこの本は贈られたわけじゃないと思う。

この本を読むべきは、子供時代のボクだろう−が、その時間は巻き戻らない。

相手にさえ解らない部分、それは無意識と言い換えてもいいと思うけれど、その部分を共感して欲しいと思う気持ちがそこにはあって、それは友達の域を少し超えた範囲なのかな、と思いながら−何処かで孤独だから、人は人を求めるのだと思ったりする。


2005年02月16日(水) ZZZ...

最近仕事から帰ってくると眠ってばかり。

健康の為にご飯を食べなくてはいけないと思うから這ってでもご飯を作るけれど、それで力尽きて終わり。眠ってしまって起きるともう夜中になっていて、散歩はどうしたという犬達の視線が大変にイタイ。

人間やっぱり回復するには眠るに限るのかな。
気持ちがすっかり疲れてしまうと頭が痛くなったりぼーっとしてきて、もう脳がオーバーフロー状態。


2005年02月15日(火) パラドックス

学生の頃は毎日地下鉄を降りて直ぐの本屋に寄るのが日課だったけれど、今は週に1,2回本屋を覗く程度で、これは学生の頃からは考えられないくらいだ。
1つは今はネットがあるからで、家の中で日々何かしら情報が得られるということは便利ではある。ゴミとなって積み上げられていく束を見るのが嫌で、新聞も摂らないし、テレビのニュースも、スイッチを入れようと思うともう11時を回っていたりしてタイミングが合わないし、毎日世の中で何が起きているのかは殆どネットから得た情報のみで生活している。

もしネットが嘘ばかり流していたとしてもボクは気がつかないし、案外現実の情報なんて嘘が沢山でやっぱり気がつかないことばっかりなんだろうな、とも思ってみたりして、普段信じているものなど、実は何の根拠もないんだって知っているはずなのに忘れて過ごしている。

結局真実なんて多面的でどうにでもなっちゃうし、自分の中に確かなものを作り上げていくことのほうが今のボクにはしっくりくるけれど、自分が揺らぐと崩れ去るような危険もめいいっぱい持ち合わせているのだ。


2005年02月14日(月) 謎解き

ボクはなんでも謎を解きたがる人間だ。今は混沌とした不明瞭なものも、今のボクには解らないだけで、いつか理解できるようになると信じている節がある。
しかし一方で、この世界は何もかも明るみに出すことなどできない、だからこそ安心していられるのだという思いもある。光に満ちた場所と同じだけ闇に潜む場所があるのだし、未知なものがあるからこそ、世界はまた恐れつつも魅力的なものであるのだろう。

10代の終わりに、全てを知りたいと思った。それは適わぬことだと解ってしまってがっかりしたけれど、それでも少しずつ知りたいと思うのが今のボクだ。

「全ての謎が解けてしまったらそれはもう発狂した世界だろう」

子供の頃から、この世の謎はきっと死ぬまで解らないことが沢山だから、死ぬ時にこっそり教えてもらえたらと思っている。臨死体験みたいな場面で−この場合は本当に死んでいく片道切符だけれど−知りたかったことが見れたなら、と空想している自分がいて、自分の知りたがる気持ちに呆れつつ、

本当に知ってはならないものにそろりそろりと近づけるくらいに、ボクはもう無防備ではないところまで生きてしまって、ちゃんと安全圏から手を伸ばしているにすぎないことが、安心でもあるしちょっと寂しく思ったりする。


2005年02月13日(日)

入院している間、一番よく頂いたものは苺だった。季節柄なのか年中なのかわからないが、お見舞いやおすそ分けで毎日苺を頂いた。
そしてボクは苺が好物。
相方と一緒に、というか、手術前後相方が食べれないときはボクが食べていた。
お見舞いで頂いた苺は、大きくて甘い立派な苺だった。いつも買う1パック398円の小粒のものとは全然甘さが違う美味しい苺だ。1パックきっと980円位するような高価な苺を沢山食べれて嬉しかったけれど、

それ以来今までの苺があまり美味しくなくなってしまった。

ずっと昔、母方の実家で取れた苺を貰ったことがあったけれど、苺って栽培できるんだろうか?植物の栽培が苦手なボクにはどっちにしても無理っぽいけれど。


2005年02月12日(土) 1週間の終わり

というわけで、めでたく相方が帰って来た!火曜日に手術して土曜日に退院できるなんて、最初のスケジュールを聞いた時にはびっくりしたけれど、早く帰ってきてくれてとっても嬉しい。

まずい病院食から逃れた相方とまず最初に出かけたのはSABWAY:あの黄色い看板のサンドイッチ屋だ。ちょうどお昼時で沢山並んでいたけれど、一緒に並んでサンドイッチとポテトを食べた。
本当はこの後また映画を見に行こうと思っていたけれど、気が抜けたのかボクの方が気分が悪くなったのと、早く犬達の元にママを(犬にとってはボクがパパで相方がママなの)会わせたかったのだ。

この1週間、1度もテレビもDVDもつけなかった。
この1週間、1度も紅茶を飲まなかった。
この1週間、1度も絵を描かなかった。

お風呂に入りながら鼻歌を歌っていたら、
1週間歌も歌わなかったことにも気がついて、
独りじゃ何にも出来ないダメな奴だって気がついた。


2005年02月11日(金) ウェルカム・ディナー

今日はボクの両親が来てくれた。もちろんボクの両親も、ボク達の関係を知っているわけではないが、ワリと子供に無関心なところがあるのでそれはそれ、ボクはちょっと変わった子供ということで通っている。

母親はご飯を作って来てくれた。昔と変わらずあんまり美味しくない料理だったが、健康を考えて作ってくれたには違いなく、嬉しかった。美味しいものを食べて嬉しくなるのはよく解るが、美味しくないものを食べても嬉しいのは愛というスパイスがたっぷりだからか。

相方は入院するまえ、ボクの食事を大変心配していた。

月曜日には相方の両親がサンドイッチを持ってきてくれた。ボクは本当はマヨネーズが著しく苦手なので汗ダラダラしながらも半分食べた。もう半分は犬達が相伴した。火曜日には、相方が作っておいてくれたラタトゥユをソフトタコスの皮に包んで食べた。水曜日は相方の両親と外食し、木曜日には妹とその旦那さんと義理母さんと外食した。そして金曜日は母親がご飯を持ってきてくれている。

こうしてボクが何も用意しなくても、一週間ご飯の方からやってきた。明日は相方も退院してくる。


2005年02月10日(木) 回復

めきめき回復して、相方はもう歩き回っている。血液や体液を排出するために体内に入っているドレナージのパックをポシェットに入れて歩き回る姿はとても術後二日目とは思えない。お見舞いに来てくれた人もビックリの回復力だ。
というか、元気すぎないかお前?
痛み止めもなしで痛くないの?と看護婦さんも首を傾げ、ブラックジャックみたいな傷口は感染もなく綺麗だ。お粥も2食食べただけで、今日にはもう米粒を食べている。(もともとお粥が大嫌いな相方だが、これを完食しないと次の常食に進めないんだと脅すとしぶしぶ食べていて少し可哀想だった)

ベッドのサイドテーブルには同じ病室の人と交換したお菓子や差し入れてもらったプリンが沢山ある。皆自分の子供くらいの奴が入院してきたので、すっかり構い倒されていて、小さな家族みたいになっていた。

弱っている人は弱っている人の気持ちがわかるのだ。普段は他人行儀にすれ違う人々も、病院ではこうやって声を掛け合って助け合う。街を歩いていたときには他者に無関心でも、内側には優しい気持ちを沢山持っている。


2005年02月09日(水) 2人の片足

術後1日の朝、顔を出したら、相方はもう結構元気な顔をしていた。もうすっかり麻酔からも覚め意識もはっきりしていて、見ているこっちもずっと安心した。
今回は内臓ではなかったので回復も早いのだ。その分術後に外見が多少変わってしまうのだが、それでも生きていてくれるならボクは全然構わない。相方がその変形をどう思うのか解らないが、この病気も傷も含めて相方の一部で人生なのだから、ボクもまた一緒にこの傷もなぞっていこうと思う。

ずっと昔、異性の人と付き合っていた。ボクはまだ10代で相手も2、3上で。よく一緒に本を読んだが、その中の一冊のエピソード。『ある好青年が魅力的な女性と知り合い恋仲になる。それまで軽かった男は、彼女に夢中になり結婚を決意するが、その彼女が膝に骨肉種を患い足を切断することになる。彼女が男に、片足のない私でも愛してくれる?と聞くと、男は当たり前さ、と答える。だが彼女はしばらく会わないでおこうと提案し、男はそんなことで自分は愛さなくならないと自問自答するのだが、時間が経つうちに気持ちは変化していき、彼女に別れを告げる・・・』

このエピソードについて話し合った時、ボクはまだ幼かったけれど、たとえ片足がなくなっても愛は続くと思った。相手はこのエピソードに肯定か否定かの答えを出せなかった。ボクは自分が偽善者っぽくて嫌だなぁと思いながら、別れないと思うと答えた。

今は解る。今までに相手と共に過ごした月日が、思い出が1日1日積もっていき、次第に大切になってボクを構成していき、今では相方はもうボクの一部になっているのだから、相方の片足はボクの片足でもあるのだ。ボクはボクの片足がなくなっても当たり前に生きていくだけだ。


2005年02月08日(火) 一区切り

無事手術が終わった。

予想よりも結果はもう少し悪かった。これから抗癌剤と放射線治療を行って、残っているかもしれない癌細胞をたたかなくてはならない。結構長丁場になることが予想された。

それでも相方が目を覚ました時には、ここは笑って元気つけてやらなくっちゃと思って、ぎこちなく笑った。大丈夫だよ、と声をかけて手を握ってサヨナラしてきたけれど、本当はもっと一緒に居たかった。

帰ってきて、応援してくれた友人達に報告をしたりしていたら、涙が浮かんできそうになったけれど、滅多なことでは泣かないボクは、やっぱり泣かずに、犬の散歩に行ったりしていた。

うんと夜に相方から連絡があった。其処ではいつもと変わらぬ口調で元気そうにしている相方があって、それを見たらとたんに涙が出てきて声を出して少し泣いた。


2005年02月07日(月) ベッドのお供

相方が入院したから、キングサイズのベッドは半分空っぽ。だと思ったら、それを見越して子犬がぴょんと飛び込んできた。普段ははいってはいけないと教えてあるけれど、今晩は寂しいから一緒に寝てもいいよね・・・とちょっと相方に内緒でベッドに入れた。

ボクは、自分も入院の経験があるので、入院しているときの心細さをよく知っていた。だから相方もきっと今頃心細くて、オマケに10時に消灯になってきっとまだ眠れなくて困ってるだろうなとか思いつつ、犬を抱っこして寝ていた。
犬達は、どうして相方が帰ってこないのか、不思議に思っているだろうな。普段はボクが仕事とかで夜も帰らなかったりするけれど、相方がいないときなんて、2年に1回くらい相方の里帰りの時期くらいだもの。

早く犬達と相方を会わせてあげたいし、どんな風に喜ぶか楽しみだ。


2005年02月06日(日) 信じるもの

いよいよ明日は入院だ。
手術は危険の少ないものだし、これで死んでしまうことなど絶対ないのだけれど、何だか心がもやもやして、引っ付きあって眠るのだけれど、しっくり来ないままだ。

ボクは今、相方はきちんと治って元通りに生活ができると信じていて、だからまたなるべく誠実に生きていこうと思っている。全うにちゃんとやっていればそれなりのことが帰ってくると信じているし、世の中はそうなっていると思いたい。
でも、中には突然とばっちりを受けて死んでしまう人もいたり、殺されたり、実際の世の中ときたら、そんなきっちりとなっちゃいないことも本当は知っていて、それは遠い自分には起こらないことだと思っている自分がいる。

もし相方が死んじゃったりしたら、ボクは今までと同じように、神様に背かないように振る舞い、努めていくことができるだろうか。


2005年02月05日(土) 再生される記憶

普段は一年に一度くらいしか行かない映画館に行って、『オペラ座の怪人』を見てきた。明日は『ハウルの動く城』を見ようと、指定席も購入してやる気満々。明日から入院なので、死ぬ前に後悔がないように見ておこう、ということにしたのだ。

そういう冗談を言えるくらいには、もう心の準備はできた。映画に行こうと思ったのは、入院中に少しでも思い出すことに中に、楽しかったことや印象深かったことがあったほうがいいと思ったからだけれど、『オペラ座〜』は悲恋モノだからちょっと悲しい気持ちになったかもしれない。

昔、誰かのエッセイを読んでいて、その人は北極だかどこかを1人旅していたのだけれど、そういう孤独の中で何を思い出すかというと、昔見た映画のことをじっくり1コマ1コマ思い出すのだと書いてあった。それで、ボクは、一人ぼっちの時に思い出す歌や映画、心を沸き動かすようなものがあったらそれはきっと幸いだと考えたのだ。

高校生の時、ミュージカルの好きな友達がいて、ある日これいいよ、とくれたテープが『オペラ座の怪人』だった。舞台を見たこともなかったけれど、音楽がとても気に入って何度も何度も聞いていた。1年近く聴いていたので、終いには全部の台詞を言えるし唄えるようになった。何度も聴かされて、家族もそのフレーズを覚えてしまった。
大学生になって少しお金ができた頃、初めて舞台に行ってからますます虜になった。そしてそれからずっとボクはその舞台に魅了されている。


2005年02月04日(金) 和式一式

検査の結果、一番近くのリンパ節に転移しているかも?ということだった。これが転移しているかしていないかで、手術は大きく変わってくる。だが、そのほかの、もっと遠くに転移がなかったことは幸いだ。

入院と手術に関する説明を受けてきた相方が言うには、和式の寝巻きとT字帯を用意する必要があるらしい。和式の寝巻きとは、おそらくあの、温泉旅館とかに用意されている薄い浴衣のことだろう。術後処置をしやすいように、前をはだけやすいものを着ろということなのだ。

問題はT字帯。相方が「これってつまりはふんどし?」と聞いたが、どうなのだろう?さらには、『持ち物にはすべて名前を油性マジックで書いてください』とあって、「ふんどしに名前を書きたくない」とごねる相方。

そんなこんなで、結構楽しく入院してくるぜ!みたいな感じです。


2005年02月03日(木) 不安な夜

いよいよ明日は検査結果を聞きに行く日。本当は傍についていてあげたいけれど生憎ボクは仕事だし、休んでいったとしても立場は[友人]だ。病院の説明を一緒に聞くことが出来るのは普通は家族および婚約している者だけだ。

大きさはその種類の癌の中では中位、転移はあるかないかの境目。転移がないことを祈るしかないが、気持ちは落ち着かない。相方は病院から配られた説明書をベッドに持ち込み読んでいて、読み疲れると黙って引っ付きあった。

何もする気になれないまま夜がきて、眠れないまま夜が更けていった。

4つも5つもある検査を受けるため、たった独り病院に通った相方のことを思うと心細かったろうにと悲しくなるけれど、明日はいい報告が聞けるようにお祈りするしかできない。


2005年02月02日(水) 怪しい音

夜の散歩から帰ってきて、晩御飯を作ろうかななどと考えていた頃。
普段は聞きなれない音が聞こえてきた。

それは最初、外の車のドアを閉める音だと想像された。
ところが2度、3度と続いたので、今度は犬の悪戯だと思ったが、犬は3匹とも傍にいる。今散歩に連れて行ったばかりで悪さをすることもないか、と思いなおし、次は猫を何処かの部屋に閉じ込めたのか?と考えた。が、猫はいつもの定位置、我が家で一番良い椅子の上で怠惰なポーズをとって寛いでいる。

ボクはセコムのブザーを片手に(これを押すとセコムの警備員がやってくるというもの)、相方は護身用のぼうっきれを片手に、家中電気をつけて見回り始めた。ウォークイン・クローゼットを開けた時、表に出して飾っていない人形達と視線が合って、まさかこの子達が?などとチラリと思いつつ探索してまわった。

音の正体は、屋根を滑り落ちる雪の音だった。
何のことはない、普段しない音がしているのだから、普段はないものを考えれば直ぐに想像つくことだったけれど、氷柱のひとつも見たことのないこの土地では新鮮な音だった。

翌朝、子犬がポーチで吠えているので何だろう?と思ったら、落ちてくる雪と戦っていた。まだ世界の何事にも興味が湧く年頃なんだろうな。


2005年02月01日(火)

夕方から雪が降ってきた。
出勤の都合を考えれば雪は困るのだけれど、やっぱりちょっと嬉しい。いつも見慣れた風景が様変わりするからなのか、雪が降るときにワクワクするような気持ちになるのは、子供だけではないように思う。

犬達も雪が好きだ。この現象をどう思っているのか解らないが、飛び跳ねたりスライディングしたりして遊んでいる。残念ながらこの土地ではせいぜい5cmの積雪程度なのだが、雪山に連れて行くと何かもう狂ったように走り回る。そして、散々走り回った後で、足から血を流して帰って来るのもいつものことで、何処かで切ってきてしまうのだが、『雪の下に何かあるかも』という想像力はないらしい。

人間と暮らしている犬は、常に危険を人間が回避するから、学習できないだろうし。相方が子供の頃の沖縄の犬は、繋がれていなくて町を1人で歩いていて、ちゃんと車の往来を確認して道路も横切っていたというからね。

一番若い子犬は、雪が落ちてくるのが気になるのか、パクリパクリと舞う雪を食べて回った。次から次へと落ちてくるからそのうち厭きたみたいだけれど、ちゃんと食べ応えあったのかな?


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