ゆうべの酒日記

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2009年07月30日(木) なぜなら暑かったから

昨日も暇だった。
でも所属会社の部会に出たのでだいぶ時間が潰せた。

帰宅して、飲んだのは黒ホッピーとか彩旨とか。
肴:増田さん作・ポテトサラダ、柳田の刺盛と鯵酢、牛肉とレタスと椎茸オイスター炒め

増田さんはメールで「ポ」が打てない。あと「ピ」も。
だから「ボテトサラダ作りました〜」とかって。
このごろは私も、現物を見て「あ、ボテトサラダ」と思うようになった。
ホッピーも「ホッビーだ」って思うことが三割くらい。

それはいいとして、オールアバウトの月間ノルマがこなせてなかったので
それを終わらせてから増田さんは晩酌。
私は先に始めてた。
ていうか増田さんは自分から「これやっちゃってからゴハンにするよ」とか言わないので
私がそういうレールを敷いた。

あー、しかし、なんか最近めっきり頭まわらない。
最近て、どのくらいだろう。ここ一週間二週間くらいだろうか。

テレビはサプライズ見た。
ユミリーっていう風水師が田中絹代が住んでた家をビーチごと買って改装して住んでたわけだけど
そこにたどり着くには三崎口から車で行って、途中からは車が入れない私道になるので歩いて歩いて
こんなところに家なんかあるのか?っていうところに門が登場する。

あんな番組に出しちゃって。
夜遅くに帰ったら林に潜んでた強盗にやられちゃったなんて事件が起こるかもしれない。
せめて門まで車でたどり着ける環境にしとかないと危険だと思う。
いくら風水に守られてるとはいえ。

寝たのは22時くらいかな。
ちなみにその前の夜は、実は私の方が先に寝たらしい。
増田さんは投稿映像番組みたいなのを見て笑い転げて眠れなかったみたい。

夢は見た。
暑いから箇条書き

私と行動を共にする同僚ガードマン2人
女 ルンビニ共和国人
男 中国人
私の住まいはアパート
「呼べば上の住人がすぐ来るはず」
仕事中は日記書くのがせいいっぱいで、人の日記を見る余裕はない。

休みなのに5時前起き。


2009年07月29日(水) やっぱり夜の記憶が薄い

昨日はヒマ過ぎて、昔つきあってた人たちを検索したりした。
音信不通の人限定だ。あと、あの人どうなったかなっていうコピーライターの女の人とか。
2勝2敗だった。2人は写真が出て来た。
2勝のほうは、楽天のECコンサルタントとかいう地方めぐりの営業になった人
福岡行ってCAD系の講師になった人(結婚情報誌のカメラマンとか派遣会社経営して失敗とか色々あった在日の人だった)。

あとは明日行く大阪の見所なんかを。
グーグルマップは楽しい。

定時に退社して、増田さんと改札前で落ち合ったら、前日とは違ってスッキリした顔してた。
バイトが終わったからだろうな。(あんまり張り切り過ぎないように指導されたらしい)

帰宅して、飲んだのはドラフトワンと彩旨とゴールドブリューと赤ワイン。
肴:増田さん作・重ねキャベツ、同・大根と手羽としし唐煮込み、豆腐サラダ
、えび満月

テレビは、サプライズを見た。石ちゃんとウエンティが六本木なんとかかんとかで試食してた。
寝たのは増田さん21時、私22時ってところに違いない。

夢は、えっちゃんの家にいた。
えっちゃんが世間的に言う美人だということには、小学校時代は気付かなかった。
(あまりにもおっちょこちょいキャラだったから)
えっちゃんと、私と、もう一人か二人の女の子。
えっちゃんのお父さんが戻って来た。(袋菓子とかを売る店をやっていて、かっぽう着を着てるけどかっこいいけどせっかち)
私達がいるので狭苦しいけど文句も言わずにラーメン作って食べてた。昼休みなのらしい。
なんだか悪いから、ほこりが積もったりしてる床拭きを女の子たちと始めた。
台所と居間の仕切りもえっちゃんが移動して、つきあたりの洗濯機まで行きやすいようにした。
洗濯機は二台あって、これ洗濯に失敗しちゃったんだよねって言ってえっちゃんがもう一度洗おうと途中まで何かして放置してあった。
とりあえずスイッチ入れて洗濯機を回すことにした。
えっちゃんちは下宿みたいで、住人が自分の洗面器とか持って降りてきた。
朝ごはんを食べるらしく、椅子に座って新聞広げたりして待っていた。
(中高年独身男みたいな人が2人くらい)

敢えてゆっくり寝ていた。
満足したところで起きたらやっぱり5時半くらいになっていた。


2009年07月28日(火) 夜更かし?って聞いたら「起きちゃったの」と

昨日も暇だった。
月曜日だから、やる気も40%くらい。

いろいろ調べたりしてた。
余計なお世話ばかりだった。

定時に退社して、歩きながら、
よくよく考えると自分は、人の表情見て何考えてるとか判断したことないかもしれないと思った。
特に昔は、本当のこと言ってるだけなのに相手が怒り出す、的なことが多かった。
でもいつしか加減ができるようになった。
でもそれって、顔色見て判断してるとかじゃなくって、あくまで内容の加減だよな。
「あの人忙しそう」とかそういうのも、顔っていうより状況とか全身の動きとかがヒントになってる。

そもそも相手の気持ちとか考える必要性に気付いたのって30代以降じゃあるまいか。
たぶん瀬戸際まで追い詰めてキレられる失敗を繰り返して繰り返して、ようやく懲りるその前までは
なんでこれを言っちゃいけないのよ?くらいに思ってたわ。

あと、おじいちゃんおばあちゃんにはどういう言葉遣いをするのが適切なのかとか
よくわからなかったもんで、逃げ腰になってたな。
幼児の頃はそんなことなかったのに、礼儀を要求される年頃になってからのことだよな。
電話の応対とか挨拶系も、当初は鬼門だったけどパターンでマスターしてった。

前のダンナさんは、礼儀レスな人だったので、これでいいんだ!と目からウロコというか、急にラクになれた。
「鼻水を手でぬぐうなんて汚い」みたいな面倒なルールから解放されたんだよな。

コドモが生まれて、礼儀レスな人員が2人に増えて、ますますそういった意味では開放的だったけど
ただし片付けとか生活上の負担は激増した。
でも私はやることやらないと気がすまないタイプだったので
とはいえ上手にできるタイプでもないので
やらないと気がすまないのにやれてない、ということが心理的にも負担だったか。

とりあえず道々考えたことを思い出してまとめるとこんな感じだったかな。
しかし読点入れるの苦手だな。

自宅最寄り駅を出て、横断歩道の向こう側に、でっかい傘さしてる増田さんがいたので
隠れながら横断歩道渡ろうとしたのに発見された。

帰宅して、飲んだのは黒ホッピーとゴールドブリュー(CGC発泡性リキュール)と焼酎お茶割り。
肴:増田さん作・茄子としし唐と挽肉のピリ辛炒め、柳田の刺盛、柳田のヒラメえんがわ、ニラ玉、えび満月

増田さんはタウン誌配布のバイト初日で、活気付いたみたいだけどお疲れではあった。
すっごい張り切って差し出し続ける様子が目に浮かぶ。
(でも前日から緊張でゲリしてた)

月4日、一日2時間て噂だったのに、8時から14時までやったらしい。
なので晩酌の後、日焼け部分を保冷剤で冷却しながら原稿打ってた。
脚とかもんで、21時半くらいに寝た。
私はmixiとかにいらんこと書きまくって(さっき削除済)22時くらいかな。

夢は見たんだけど忘れた。
雨がザーって降り出した音と、蚊に刺されて痒いなーっていうのとで覚醒しはじめてしまい
そこからは考え事だか夢だかわからない内容になってたけど、その内容すら忘れた。
どうも、会社のこととか、森っぽいこととかのような気がする。

蚊取り線香つけたら煙くて寝られなくなったので諦めて起きたのが3時48分とかそのへん。
コドモからメール来てたから返事して3往復くらい。


2009年07月27日(月) 今週は3日の辛抱

昨日は、朝ごはん食べたのが7時くらいと休日にしては早めだったので、長い一日だった。
涼しいうちにと思って、まず母から送られて来たイクラの醤油漬けをコドモのとこに持ってった。
日陰は涼しかったけど、9時台なのに随分陽が高く、夏のトンボが群れで飛んでた。
先日からセミも鳴いてるし。

ブログで知ってたけど、コドモは結構茶髪になってた。
でも化粧前だったので、顔に違和感はなかった。

そのあと三徳の朝市に行った。
CGCビールとか29円鶏胸とかカツオのたたきとか買った。

帰宅したら増田さんがいなかった。
朝市行ったのかと思って買い物が被らないようにメールしたら
図書館ですとのことだった。

そのうち帰って来て、お昼ごはん。
コップ一杯づつ彩旨飲んだ。
肴:焼きそば、茗荷奴

掃除してたら増田さんも手伝ってくれた。
私は掃き掃除、増田さんは掃除機かけ。
狭い家なので一瞬で終わった。

日曜日ということで、明日から仕事なんだから休みらしく過ごしたいと思った。
(コドモの夏休みの空気にあてられたのが大きかった)

とりあえずアヤさんから借りてる24のシーズン2の1枚目を見てみた。
畳に寝転がってダラっとして。(続かなくて柔軟とかしてしまう)

シーズン2の1枚目もストレスフルだった。
特にベビーシッター先の父親が気持ち悪いんだけど
それを硬いもので殴り倒したキムがたくましすぎてそれも怖い。
なにより頭痛がってた小さい子の安否が心配。
(続き見たって安心なんかできやしないってわかってるからまた遠のく)

すさんだ気分で増田さんの季節外れな質問にもイラっとしてしまう。
ポストのデータなんだからしょうがないけど、このクソ暑いのに北海道の冬の話を思い出せだなんて。
思い出せるけど嘘言ってるような気分になるじゃないの。

晩酌は、CGCビールとか富久娘金箔入りとか。
肴:さしみこんにゃく、しめじベーコン炒め、マーボー茄子、かつおのたたきに茗荷大葉青葱

テレビはバンキシャとからくり見た。

バンキシャではDV男が沖縄で海水浴したり部屋契約しようとしたりしてた話。
低脳だったのか、不幸な話だな。と思った。

からくりは、農業少年が蕎麦粉作りを体験していた。
大人と対等に話せてすごい。

増田さんは天地人のオープニング見て寝た。
私は夏休みだから外出。
新宿と逆方向に行って、チェーンのカウンターもつ焼き屋。
ホッピーに氷入ってる店だった。
外1中3でガツぽんとカシラ串。
会計1300円とかだったかな。

22時には寝ようと思ってちゃんと帰って寝た。

朝方の夢では、増田さんとゲーセン行ってた。
イマイさんがやってたコインゲームどれだったかなあ
と真剣に機種?を探している増田さん。
私は100円握ってて、それで普通にゲームしようと思ってたんだけど
しょうがないからそれでコインを買う。
販売機のルールがよくわからなくて、店員に手伝ってもらったりしながら
結構たくさんコインが手に入った。

明るいからそろそろ時計見ないと、と思って手を伸ばしたら、4時47分とかだったのかな。
当然あわてて起きた。


2009年07月26日(日) 何がしたいんだろうな

昨日は、昼前に増田さんと図書館・ワンダフル・まるえい・柳田・100円ローソンに行った。
昼は日本酒飲んだ。
肴:イカオクラ納豆、ホタテ貝ヒモ、紙カツ、瓶ウニごはん

YOUTUBEで世界仰天ニュース見ようと思ったらパソコンから音が出なくなっていたので
プロパティみたら「オーディオデバイスなし」だったので
ダウンロードしてインストールして、モニターのドライバもインストールして
どうにか出るようになったのが16時過ぎ。

あっさり書いたけど、これは午前からやってた作業で
インテルからなんちゃらを落としてきてインストール試みたり
なんだかわからないけどチップセットっていうのの型番?を調べるソフト落としてきて見てみたり
あれこれ無駄作業が多かったので、非常にウロチョロした。
「申し訳ありません、Windowsを正常に起動できませんでした」的なメッセージも見たし
メモリが足りなくなったのか強制再起動とかもあったし
最後にチェックディスクした。
CDドライブが壊れてるかなんかで外付けしか使えないのでリカバリーどうすんだろうなこのPC。
(BIOS起動もF2押してもできないし)

晩酌は、夕方涼しくなってから増田さんとコープで買って来た麦とホップと彩旨。
肴:ニラにんじんチヂミ、青梗菜筍ハムあんかけ、大根おろしにすしのこ入れて鮭フレークと青葱とゴマ油、長芋千切りワサビ醤油

テレビ見たけどなんだったかな。
増田さんは21時には寝たよね。
私も毎度おなじみの葛藤の後に就寝。たぶん22時半とか。

夢では、麻生久美子に似てるけど違う顔の女の人がエントリーされていた。
美人コンテストとかそういうのではない。カメラ目線ではなかった。野外で浴衣?
あとスイートポテトが関係してたような。
相当忘れた…

起きたのは6時ちょうど。増田さんも既に起きてて仕事してた。


2009年07月25日(土) 良く寝た

昨日は、まあまあ仕事して、まあまあロイター見て
待ってましたとばかりに定時に退社して
飲んだのは富久娘金箔入り(冷)と黒ホッピーと神戸居留地チューハイと。
肴:増田さん作・肉豆腐、同・マカロニサラダ、もやしニラ麩玉子炒め、イクラきゅうり

テレビは、何見たか忘れたなあ。
増田さんは赤い顔して寝て、私も出かけようかどうしようか迷いつつ、
結局出られないくらいまでアルコールが体に染みてしまい、22時半くらいには寝た。

増田さんが窓開けたりエアコン消したりつけたり蚊取り線香炊いたりで
何度も何度も起きたり寝たり起きたり寝たりしていた。
隣の部屋の窓も閉めたり開けたり行ったり来たり。

夢は見た。

事務所の引越しだった。
山の上に荷物を仮置きしなきゃならなくて
置きに行くのも一苦労なら取りに行くのも一苦労だった。
アケミちゃんが、「やったこともない刀研ぎを一人でやりきって、大変だったのにまた荷物を取りに行くなんて」
と自分の苦労のことばかり言ってたけど、置きに行くときはアケミちゃんは行かなかったので
どうなんだろうな、苦労はみんな同等なんじゃないかな、と思った。

次の夢では、アケミちゃんの妹(赤ちゃん)を預かっていた。
元ダンナさんとかと一緒だった。
トイレの床でゴロンとしたり、キティの人型布団を着たがったり
念願叶って着られるとそれは嬉しそうにしたり、小さいなりに主張があって面白かった。

起きたのは7時半くらい。


2009年07月24日(金) 金曜日だ!

昨日は、のんびりした。
設定の後片付けというか、資料まとめというか変更管理作業とかした。
あとは株価見たり、吉川ひなのの家族を調べたり。
左頭が一日中ちょっと痛かったので、それを理由にミーティングをパスして定時退社。

増田さんは最寄り駅上の路上で向こう側から歩いて来た。
ランニングの横から毛が放射状に生えたピンクまじりの長い乳首がはみ出てて、公衆衛生違反だと思ったので速攻指摘。
生春巻きがうまくいかなかったそうで、時間の見積もり間違ったよ〜とか言いながら
一人だけ雨に打たれたように濡れていた。

帰宅して、飲んだのは彩旨2と金麦1とドラフトワン1とお茶割り缶1を二人で。
肴:増田さん作・生春巻き、茹でとうもろこし、レンチンスナップえんどうにウニマヨ、茗荷奴

テレビは、報道特集だっけ?TBSのやつ。
増田さんが沖縄で逮捕されたDV男のニュースを気にしてて。
その日は増田さんの実家方面の大雨被害が朝の時点ではトップニュースだったんだけど
すっかりそっちにさらわれちゃって、ついでにもうひとつ監禁男ニュースがあったんだけど、それも薄く扱われてた。

夏はDV盛りなのかな。
私は暴力振るう男、子供の頃から許せなかったなあ。
殺してもいいくらいに思ってたもんなあ。
でもお兄ちゃんのことは殺れないと実感したことがある。
私死ぬかもしれないと思ったときにすら、家族への愛着みたいなのが作動したんだった。
思えばお兄ちゃんも、キレると殺人しかねないタイプだったよなあ。
私は昔から、正論言って(もっと早口だったそうな)お兄ちゃんの神経をよく逆撫でしてたらしい。

増田さんは21時過ぎに、私はメールチェックしたんだったかで22時くらいに寝たと思われ。

夢では、吉祥寺みたいな遠いところで、私は何かがなくて困ってしまって
電話かなんかして元ダンナさんに頼んで持って来てもらった。
それを受け取ったら元ダンナさんはスクーターを駐輪してどこかに行ってしまった。
そのへんは柄の悪い土地で、私はスクーターが盗まれる可能性を気にして、そこに留まった。
ヒマなのか佇んでるだけの中高年エプロン主婦がいて、様子の変な私を観察していた。
私は泥棒だと思われないように、持ち主ぶってヘルメット(白)を被ったり脱いだりしてみた。
でもヘルメットはガバガバだった。余計怪しいよなと思って、とりあえずジタバタしないことにした。
元ダンナさんが幸い戻って来た。
バイク屋の人が二人こっちを見てて、どうやら元ダンナさんはバイク屋に入ってたらしい。
ニヤニヤしながら戻って来たので、私の様子を見ていたのかもしれない。
私は、いや盗まれないか心配だったから、と弁解した。

次の夢では、ユニクロみたいな店にいた。
倉庫みたいな感じの店舗で、照明がおざなりな感じで暗めだった。
セールの終わりなのか、いかにも売れ残った感じの下着が安くなってる気配だったので
いくつか物色。柄物だけど、オレンジのは自分が持ってるのと組み合わせられるからいいかなとか
赤もたまにはいいかな、ボディスーツもめずらしいからどうしようかな、とか。
一番買う必要性に疑問が大きかったボディスーツは股間に汚れがついてた(試着されたものらしい)のですぐ候補外に。
カントリーっぽい切り替えキャミソール上下があったので、色は暗いけどこれもいいかなとか思いきや
忘れちゃったけど、もっとベストな色柄の上下もあった。
物色してたのは一番下の棚で、右端にダンボールが置いてあって
そこに超ロングのフレンチかアメリカンスリーブの透かし編ニットチュニック(新しい畳色)アンサンブルを着た簡易マネキンが隙間に突っ込んであり
あ、これも安いのかな?と思って値段を探すと、手書きのメモみたいなのがあって
2940円とかだったので、あ新シーズン物か、と思った。
夢の中では、マネキンは首なしの透明だったんだけど、今思い浮かぶのは、黒い頭に大きいベレー被ってる。

夏休みみたいな気分で目が覚めた。
でも違う、金曜日だ、と焦って時計見たら4時56分。


2009年07月23日(木) 木曜だから、あとひと踏ん張り

昨日はまた1時半に職場から出て日本橋に行った。
どうにかセットアップやらユーザー追加やらは全部終わり18時過ぎに退社。
また浜町まで徒歩。
帰宅は19時過ぎくらい。増田さんが焼き豚とけんちょ作ってた。

飲んだのは、彩旨とドラフトワンと金麦と焼酎水割り。
肴:増田さん作・焼き豚、同・けんちょ、同・浅漬け、ニラもやしナムル、ベリートマトにマヨ

テレビは日テレのサプライズ(えなりデー)で有名人のお取り寄せSPだった。
島バナナとまぐろ節とペンギン食堂だったかのラー油と、あとなんだったかな。
山瀬まみの舌が一番信頼できる気がするんだけど、オススメは梅漬けとかだった。

そのあと貧乏バラエティじゃなくて節約バラエティを見た。
西川史子がスーパーとか居酒屋でバイトしてた。
あと浅丘雪路が井荻かどっかの自分で焼く焼き鳥屋とか、また別の場所の鉄板焼き屋とか、そのへんの庄屋とかで色々食べてた。

増田さんが寝たのはそれが終わった頃かなあ。
私はメールチェックとかして22時半くらい。

夢では、Cさんが休憩室みたいなところで誰かと喋ってて、そこにたまたま私もいた。
避けたいと思いつつ、穏便に部屋を出られるタイミングを待つ。
お菓子の話になったところで、部屋の出口付近に「ご自由にお持ちください」と書かれた箱があり
キティちゃんスナックとかチョコウェハースの袋菓子とかあったので
あ、これご自由にお持ち下さいですよ、とか言いながら立ち上がって中から一つ選んで出た。
Cさんは、「あ、僕はいらない」って言ってた気がした。

次の夢では、授業が始まってる教室に遅れて入り着席した。
何か地域の行事の準備がどうので遅れた気がする。(エンドウさんもいた)
先生は田村正和だった。
授業料3万円が入った封筒か何かを渡す。
お釣りを他の生徒経由で受け取ったんだけども、為替の領収書部分だったり商品券的なものだったり
これじゃ換金できないじゃん、ていうものばかりだった。
でも田村正和の持ってたものだからいいのかな、商品券はまあ使えるし、と思った。
この前の授業で払ったお金が返されてたよ、とエンドウさんか誰かが2万円入った封筒を渡して来た。
遅れて入るのはいいけど、早退してしまうと出席扱いにならなくて授業料も返金されるらしかった。

次の夢では、ギリギリで飛行機に搭乗するところだった。
私は昔から持ってる女の子人形を二つ持ってて、登場口に到る手前にある売店で
ごく小さい人形が売られてるのを見て、これ二つ買って女の子人形に抱かせてあげようと思った。
でも家に同じのが一個あったようななかったような、記憶が曖昧で
一個でいいかな、どうしようかな、二個買っちゃえ、とお買い物をしてる間に
搭乗時刻がホントにギリギリというか、お待たせ状態になっていたみたいだった。

かゆいなあと思った(耳元でブーンと羽音も聞こえた)けど無視してたら、
増田さんが起き上がってベランダ行って蚊取り線香を焚いていた。
よく寝たなあと思って起き上がった4時45分くらいには、もうかゆみは引いていた。


2009年07月22日(水) 昨日今日と寒いのは太陽のせいなのかな

昨日は、午前中にごちゃごちゃの資料を整理して、午後から日本橋。
実際行ってみたら、やる気が出切ってなかったせいか、整理した資料に見落としがあったりした。
あとTさんからのメールもひとつ読み飛ばしてた。
でも落ち込まない。役に立ちたいと思う気持ちが半減してるから。
とりあえず18時までで帰った。浜町まで歩き。

帰宅して、飲んだのは赤ワインと富久娘金箔入りと金麦。
肴:増田さん作・ロールキャベツ、柳田の刺盛と鯵刺、えのき三つ葉バター炒め

昼間は日経新聞で20足くらい?靴をためし履きしてきた増田さん
久々に赤ワインがぶがぶ飲んで「もう限界〜」って言ってハミガキして寝た。

私はコドモのブログを見てた。(けっこう痛い)
心の根幹に触れるようなことはブログにはほぼ書いてないけど、友達中心の楽しい生活のようだ。
意外と自分の失敗についてもちゃんと把握してるところもあり、賢いなと思った。
それがわかったところで22時半就寝。

夢は、すごい稼げる店があるという噂だった。
駅前にあってカタカナの名前で、あんまり稼げるから毎日すぐ女の子がいっぱいになるとIさんも行っていた。
申し込むのもめんどくさいのでとりあえず遊びに行って、飲んでソファーに倒れこんでみたりしている私。
ドロレスじゃないけど、それ系のショーがみられるようだった。

昔、一人暮らしの男がいて、自然素材の器を使って過ごして寿命で死んだ。
直系じゃないけど子孫の女がいる。ドラマで主婦役をよくやってる人だ。
その人は、男のことがDNAに刷り込まれてたみたいで、今は家長の老女らが使ってるその器に
「小松菜 5千円」「水菜と長ねぎ 1万2千円」などと、その素材と価値を器にラベル貼りした。
「なんだか落ちつかへんなあ」と眉間に皺を寄せながら器で食事(庭)する老女。


2009年07月21日(火) エアコンも扇風機も作動してないとスッキリ起きられるな

昨日は出ずっぱりだった。
10時過ぎくらいに、増田さんの掛け声で家を出たんだったかな。
私はそれまで本読んでたんだけど。

11時過ぎくらいに小川町に着いて、松屋っていう蕎麦屋で湯葉とかけ蕎麦とビール。
そのあと秋葉原まで歩いて、閑散とした裏通りの中華屋で、川海老唐揚と麻婆豆腐ときゅうりの甘酢でビールとサワー。
13時半から駅前のビルでSBI証券の無料セミナー。
無料だからこんなもんよねという内容ではあった。
それから元我が家まで徒歩。
途中のスーパーで落雁を買おうと思ったら売ってなくて
スイカとペプシソとお茶を買って、近くの公園でスイカ食べたら意外と美味しく感じた。
アルコールで脱水してたんだろうな。

増田さんと別れて元我が家へ。
そしたら、アイプチで変な目になってるコドモが、「私のせいでパパが行かないことになっちゃった」と言う。
ハムの小屋の掃除を手伝ってと言ったらイヤイヤやってくれたんだけど、喘息が出始めて咳と鼻水がすごくって
怒ってパチンコかどっか行っちゃったとのこと。

前日まで2日間コドモの友達が泊まってたんだそうで、ストレスで免疫力落ちたんじゃないかと予想しつつ
まだ出しっぱなしだったファンヒーターを片付けたりしてから、近くの蕎麦屋へ。

ビール頼んだら、昼も出たけどまた蕎麦味噌。(山椒が入ってるほうが好み)
食べたのはそうめん。お腹ぜんぜん空いてなかったけど、水っぽいので入った。
コドモは鴨せいろ食べて、相変わらずネギだけ残してた。

そのあとサイゼ行ってお茶、と思ったら、コドモはスープとイカマリネみたいなの食べてた。
なんだかんだ話して20時過ぎたのでスーパーで買出し。コドモが夏休み入りしてて給食がないので。

そこのスーパーは、ばあばの行きつけだったため、昔ばあばが「これコドモちゃんに」と買ってくれたものがたくさんあった。
果物とか味付け海苔とか十勝ヨーグルトとか。
なのでコドモはちょっとセンチメンタルになっていた。
(私との思い出もあるみたいだった)

買ったものを半分づつ袋に入れて家に運んだ。
ちょっと上がって冷蔵庫の賞味期限切れのものとかを回収。
私が今住んでるところは、いつでもゴミが出せるから。

夏休みだからまた遊ぼうねーと言いながらおいとまして、帰宅したらジャスト21時くらい。
増田さんが扇風機で風浴びながらNHKの料理番組見てた。
お腹空かなくて夕飯食べてないと言いつつ、そこらへんのスナック的なものをガリガリ食べたり焼酎コーヒー牛乳割り飲んだりして。

私も焼酎お茶割り飲んで、22時過ぎにはテレビ消して寝た。

夢は、外為天気予報に似たような、でもチャートではない画面があって
それは増田さんが独自に設定したデリバティブ商品なのか
○○(企業名)交渉権とか購入権とかそういうのが、並んだ青いアイコンに白抜き文字でビッシリと。
それは、いかにも商品っぽいバージョンと、こんな素朴な権利が売り物になるの?っていうようなバージョンと二種類あった。
とりあえず、もしかしたらイケるのがあるかもしれないから、じっくり見てみようと思った。
企業名はわりと堅実な感じ(といっても大企業とか一流企業というわけではなく)のが並んでいる雰囲気だった。

窓が開けてあって、カラスの鳴き声で気がついて、時計見たら4時半前くらいだったので
5分くらいしてから起き上がり。


2009年07月20日(月) 扇風機の強風で筋肉が緊張する

昨日は、午前中に入浴してサッパリしたはずなのに、次から次から汗が出てきて結局不快な質感で過ごした。
風呂上りの汗がすごかったことから、そうだ扇風機を買おうということになり
エアコンの送風でいいんじゃね?と内心思いつつ、結局午後にはドンキに買いに行った。
増田さんが原稿書けなくて退屈したから。

ドンキの陳列は圧縮陳列っていうんだそうだ。
「あぶないっ!!」て声がして、ビックリして(とっさに声とかは決して出ない)ひえっ!てなったら
上からでっかいリラックマが降ってきた。
いくらでっかくてもぬいぐるみは柔らかいんだから、そんなにでっかい声で叫ばなくてもいいじゃんと拍子抜け。

職安通りのドンキから、1980円の扇風機を増田さんが持ち帰り。
(白い浴衣がグッショリ)

晩酌は、金麦とドラフトワンとベジーヤと白ワインと黒ホッピーを適当に二人で。
肴:鶏のトマト煮込みの残りに砕けたライスペーパーとか麩とかチーズとかピーマんとか、もやしの上にニラ大葉豚肉巻きを乗せてレンチンしたやつにポン酢とベリートマト、焼きごぼうイカ天、赤札堂で買ったカボチャ天

テレビは笑点とバンキシャとスーパーからくりTVを見た。
寝たのは21時台かなあ。

夢は色々見た。

お兄ちゃんの部屋っぽかった。
ベッドで寝ていたら、入り口に男のシルエット。
お兄ちゃんかな?と話しかける。
なんか違うかもしれないと思うと同時に犯罪者の予感がした。
態度に表さず、話しかけ続けながら様子を見た。
凶暴性はないようだったので、抱き寄せるなどして懐柔を試みる。
母性に飢えてるタイプだったみたいで作戦は成功した。
黒い短髪で細長い離れ下がり目の男の子だった。
おっぱい揉まれたりしていたので、家の中にお父さんがいるはずなのが気になった。
その子は、脚かどこかに障害があるけど気の荒いお父さんから逃げて来たらしかった。
お父さんの世話を放棄して来ていることが激しく心の重荷みたいで
激怒されることを承知で戻る覚悟というか諦めをしていた。
お父さんの体が不自由になった事故の原因を二人で思い出した。
その頃その子の家は、規模大きめの氷室みたいなことを家族でやっており、
5歳くらいのその子が、お母さんからたしなめられていた。
商売物の巨大な氷柱の周りを、カリカリ削って遊んでいたからだった。
あるとき、その氷柱が削られていることから角度がついて、スロープを滑り降りてしまった。
スロープ下には近所の主婦ら、見学者がいて、その先には氷を破砕する長い突起みたいなのがいくつも立っている池。
巨大氷柱に押し流されて主婦らが突起の池に落ちる。
針地獄みたいなことになった。
「子供の手が離れてこれから色々やりたいことがあったのに…」と言い残して
流血し息果てる主婦ら。
回想し終わって、何もかも諦め果てた気分で、その子と病院に行った。
そこの病院ではお母さんがパート看護師をしていて、あれなんていうんだっけ、移動する用のベッドを押していた。
横たわっているのは、パーマヘアのフクヤママサハルだった。
そんなに病人ぽくは見えなかった。
北海道の病院になんでいるんだろうと思った。
フクヤマは、私のお母さんを専属として指名しているみたいで、お母さんはたびたびそうやって
フクヤマを散歩?させる係りなのらしかった。
車椅子にも乗れないレベルなのだから、何か重病なんだよね?と思って
なんの病気なんですか?ってそのへんの人に聞いてみたら、白血病なんですって、と小声で教えてくれた。
それでもテレビの仕事はしていて、病気も告白していない。
そういえば座ってる役とかばっかりだなと思い、精神力みたいなものに感動した。
夏のセーラー服を着たコドモと中途半端な田舎道か閑散とした住宅街を歩いていた。
コドモは実は、まだ学校で無視を続けられてると告白した。
平然とした顔で、「せつなくて苦しくて、でもそれだけじゃないんだよね、色々なことがわかったから」というようなことを言う。
なんでそんなに大人になったの?
ジーンとしたり、置いてかないでという気持ちになったりした。

その「ジーン」が体に響いて覚醒のきっかけになった。
でも6時前だったみたいで、しばらくしたら増田さんの携帯のアラームが鳴った。


2009年07月19日(日) エアコンつけて寝ると体温が上がらなくて起き上がりが鈍い

昨日は、午前中に増田さんが自主制作映画の撮影に出かけるので
「じゃあ僕はお昼、適当にオニギリかなんか買って食べるよ」って言うので
そんなこといちいち私に宣言する必要ないのに言うってことは、
何か私の役割減らしてあげてるみたいな恩着せ的な意味なのかなって思って
急遽ごはんを炊いて弁当作った。
増田さんの勘違いであっても、恩関係のしがらみは少なめにしたい。私の自由のために。

ごはん入れとおかず入れの二段構造で、おかずパートの4分の3くらい
増田さんの好きな甘いお菓子「やまんぼう」(3切れ)で埋めたので
あんまり苦労していない。
気を使ったと言えば、季節柄、梅干と大葉とレモンとホースラディッシュで防腐効果を狙ったくらいか。
増田さん腹弱いから。

増田さんが10時半くらいに出かけて、掃除して、お弁当の残りで彩旨1本飲んで
景気がついたところで図書館行って、本読みながら地下鉄で会社最寄り駅へ行って
前日アクシデントで帰りがけの買い物が一切できなかったため、買い物巡りをぐるぐると。
3連休だし。

生憎、肉魚系があんまり安くなくって、鶏胸100グラム37円のを二枚ほど買っただけだった。
しかし金麦6缶パックが577円だったので買った。
スーパーブルーはもっと安かったけど、懸賞に応募したかったので金麦だった。
両手いっぱいに買い物して1800円くらい。満足。

帰宅したら15時くらいだったんだけど、増田さんはまだ戻ってなかった。
と思いきや、弁当箱が洗ってあって、カバンが投げ出してあった。
そのうちコンビニ袋に週刊ポスト入れて帰って来た。
イマイさんに言われて、ポストのインタビューをネタにした日記を書かなきゃいけないらしかった。

私もパソコンでなんかしてたな。
でもそのうち飽きて、鶏のトマト煮込みを作ったりしはじめた。

そしたら増田さんに「どうするー?」って言われた。
そういえば朝、ビヤガーデンでも行く?って言われてたんだっけ。

歌舞伎町のコマの近くのビルの上の屋台村みたいなところに行った。
飲んだのは生とサンミゲルとチンタオ×2かな。
肴:ヤムウンセン、サテの盛り合わせ、モモ、バクソー、沖縄薩摩揚げ

ヤムウンセンがタイ式じゃなかった。すっぱくてそれなりに不味くはなかった。
バクソーとは春雨温麺のことだった。肉団子みたいなのが何味なのか、しっかり味がついていた。
モモっていう水餃子みたいのは、タンドリーペーストっぽいものをつけて食べる。
サテは、いいんだけど焼きすぎなのと、できれば唐辛子成分がほしかった。
沖縄薩摩揚げは、抱瓶で食べたようなやつをイメージしてたら
普通のスーパーに売ってる薩摩揚げを焼いたみたいなのだったけど美味しかった。
基本的に薩摩揚げ好きなのかな。

とりあえず、増田さんはどれも美味しかったと言っていたから良かった。
会計は7500円くらい。また経費で落とすらしい。大胆だよな。外注なのに。
ドラえもんとポケモンがあるから安泰だと信じてるんだろうな。

帰り道、今泉さんが増田さんの腕を後ろからつかんだ。
でもワッ!て言わなかったような。

タップダンスの稽古の帰りだったとかで、ちょっと話して、ボクそっちでゴハン食べて行くから、と去って行った。

我が家で「最近今泉さんとゴハン食べてないですよね、誘ったらどうですか?」っていう話が定期的に出るんだけど
つい数日前にも出たばっかりで「うんそうだね」なんて言ってたくせに
金曜日の昼に、今泉さんから誘われてまた断っていたということも発覚。
言い分は、あなたが朝作ったパンがたくさんあったから、っていうことだった。
(そんなの、その日のうちに食べなくてもいいじゃないですか、っていうのは何度言っても通じない)

途中で増田さんが、増田さんの中で「横綱」と呼ばれているスナックを購入してボリボリ食べてた。

そして家に着いてから彩旨一本飲んでた。
私は冷たいお茶割り。

増田さんは21時くらいに寝て、私は22時くらいまで雑誌とか読んでた。

夢では、なにかデータを揃えるような内容だったと思う。
それは結構複雑で、追跡して取り寄せるみたいな作業で、件数も気が遠くなるほどあるような気配だった。
でもやる、まだ先は見えないけど向かっている。そういう感じがした。

起きたのは6時ちょっと前。


2009年07月18日(土) 弁当作らなきゃ

昨日は、月次のジョブ投入の日だった。
私には与り知らぬ原因で、それが通常より30分くらい早く終了し
問題ないかどうか確認作業をCさんが。
結局、何かの使ってないサマリーファイルの件数が、運用上の都合でガサっと削られてたのが原因だった。

それはいいんだけど、早く終わったからって、
Cさんがビールでも飲みに行く?って言ってきた。
ゆっくり買い物して帰宅して晩酌しようと思っていたので、ものすごく予定が狂った。

ちなみに私の所属会社(システムインテグレーター的な会社)はご多分に漏れず受注が激減しており
Cさんはでっかいシステムのリプレースプロジェクトの機器選定をかなり任されてる人なので
御機嫌如何で色々と、こう。
常に相見積もりなわけでもあり、競争に勝つっていうか選んでもらわなきゃならない立場ということで。

キリキリもんもんとストレスを感じながら、飲んだって飲んだって酔っ払うわけがない。
Cさんが話したいことを誘導したり、言われて嬉しい言葉ばかりをタイミング良く言ったりし続けること2時間強。

最初は「手がスベスベだね〜」とか言って触ってくるので、
「いえいえ、樹木と間違えられてセミに液吸われたこともあるくらいで」と面白トークで逃げているのに
そのうち隣に座って来て腰に手をまわしてきたり。

今思えば、下ネタに真剣に乗ってしまうのが悪いのか。
私にとっては本当に単なる健康問題でしかないし、しかも特別エロなことは口走らないように言葉選んで話してるというのに
「ほらもうこういう会話してるだけでこんなんなっちゃうんだよ」って手を股間に誘導されそうになり
「いやいやいや、触りませんから」と逃げたり。

次回は携帯アドレスをゲットするつもりだと展望を語られつつ22時前に解散。
あちらはJRでこちらは地下鉄なので心底ほっとした。

ほっとしたあまり、幡ヶ谷まで乗り越した。
増田さんは夕飯食べないで待ってて、メールで「何時になる?」って言ってきてるし。

あまりに情けない一日で、自宅最寄り駅から半泣きで坂道を駆け上がりつつ、男って生き物を呪った。
でもよく考えたら増田さんのそれは、むしろ嫁目線な文句なわけだった。
生きるってめんどくさい。
だからおばあちゃんが死んだこと自体に対しては可哀想なんて1ミリも思わない。

ハアハアしながらドア開けたら、増田さんは23時過ぎてるのに仕事してた。
いや、株板見てただけかも。

飲んだのは彩旨。
肴:増田さん作・ささみのマヨネーズ焼きピーマン添え、マカロニサラダ、柳田のサバコハダ

いつもと違って既にお皿に盛られてて、「いつでも食べられるようにしておこうと思って」と新妻のような健気な話。
だけど私は神経がたかぶってたので、そのことに対する評価とか感謝とかをする以前に、いろいろグチを言った。
失敗失敗大失敗、そんな人間になりたくなかった。

こんなことが繰り返されるようになると、本当に自分が大嫌いになりそうなので
やっぱり結論的には、会社辞めたいなってことだ。

それを思わず増田さんに言ったら、じゃあ僕仕事頑張らなきゃ、と負担そうに言うので
いやいや私が何か稼ぐ手立てをみつけなきゃ、と言ってみるものの展望はない。

当分、充分にCさんを回避しながら過ごさなきゃならないだろう。しかも回避してることを悟られないように。
まあCさんは来年夏までは激務が続くから大丈夫な気がしてきた。
そもそも思い出したんだけど、Cさんはものすごく異常なほど忘れっぽいことで意外と有名だ。

もう遅いので、晩酌はサックリと終わって24時まわったくらいに寝た。
夢とか見てないと思う。
朝のお勤めで「やっぱりチンコが感覚統合不全だね、ここ一年の訓練でだいぶいい方向に向かってるけどね」
ってことを話して終わって6時半起き上がり。


2009年07月17日(金) 今日は給料日

昨日も変わりなかった。
とりあえず今日の日本橋出張は週明けということになった。
定時に退社。

自宅最寄り駅路上で増田さんと合流。
増田さんが原稿のことを考えながら歩いていて一度通り過ぎたため
後ろから肩をたたくことになったけど、やっぱりものすごくビックリされた。
動揺を抑えようとしたのか、ギュッと手を握られてつないだまま帰宅。

飲んだのは缶のお茶割りと黒ホッピー。
肴:増田さん作・挽肉けんちょ、ピーマン細筍牛肉炒め、きゅうりと大葉と塩辛マヨ和え、ゴボウ巻きとイカ巻きと茗荷と昆布煮

テレビは何か見たなあ。
でも思い出せない。
納豆ごはん食べて合成清酒に氷入れて飲んで
メールチェックとかして21時くらいに寝た。

夢では、出先で仕事して部長とエレベーターに乗っていた。
なんか部長の肘があたるなあと思ったけど、距離を空けずにふんばった。
そしたらガバっとされて、なにか思いがけない展開になったのでハッとして起きた。

仕切りなおして次の夢では、どこかレジャー温泉施設みたいなところに泊まっていた。
私達一行は、なぜか体育館的なところが居室として割り当てられていた。
一行の中の中高年メガネパーマスーツの押し出しのいい感じの人は、なにか権力を持っているらしく便宜を図ってもらえる人らしかった。
本当は、その日の昼間は体操の練習の人が体育館を使いたいのだとかなんとかで
じゃあ出ようかということになった。
フロントに行って、ゴチャゴチャ荷物(かくし芸用派手着替えとか)があるのを回収するために台車とボール入れみたいなのを借りる
体育館の高みに「これはここ置いとこ」と台車を置く。
荷物は下(5メートルくらい?)から運んでくるんだけど、見下ろすと怖い。
私はずっと上にいて、眺めていたら、メガネパーマスーツは実は双子だったらしく、そっくりな二人で「せーの、いちにいちに」と荷物を運んでいた。

なんか暗いなあと思いつつも、寝たりた感じで時計見たら4時くらいだったので起きた。


2009年07月16日(木) いつもの夜のように増田さんが窓開けたりなんだり温度調節に奔走してた

昨日はなんだったっけ。
TさんがPC作業日の選定で苦労してくれていたっけな。
あとは普通。急ぐものがなかったので、定額小為替買いに行ったり、暑くなってきたからチェックディスクしたりした。

あとどうも朝から胃が痛い気味だったのが、10時頃には確実にきていたので、医務室に行って
「胃酸を抑える薬(水を飲むと痛みが緩和してたから)ください」と言ったら、またセルベックス二錠だった。

セルベックスって胃酸を抑える系じゃなかったよね、と思って調べてみたら
プロスタグランジンだったかが胃粘膜を守ってヒートショックたんぱく質で壊れた細胞を修復するってことだった。

で、プロスタグランジン?は、痛みを感じると脳に指令を送って患部に血流を集中させるんだと。
それで胃粘膜が厚くなるとかなんだろうか。

とりあえず痛みを感じてるってことは、プロスタグランジン?が脳に指令を出し中で、これから胃粘膜が強くなるとこなのねってことで
どうすればプロスタグランジン増やせるかというと、日光に当たれと書いてあった。

ヒートショックたんぱくを増やす方法も調べてみたら、38度くらいの温度にするってことだった。
胃はもうずっと熱感があったので、これも壊れた細胞修復作業中だってことだ。

とかなんとか、納得しながら一日乗り切る。
セルベックスは10時半と、再度痛みが強くなった15時半に飲んだ。

定時に退社して帰宅して、増田さんに胃が痛いって言うと、じゃあ生ものはやめとこうって言われるので、言わなかった。

飲んだのは彩旨5本とベジーヤっていうのを1本、二人で。
肴:増田さん作・ヤムウンセン、同・生春巻き、バナナチップ、やまんぼう

今回はスイートチリまで自作だった。
水差しを倒したりなんだり、おおわらわで製作したとのこと。

テレビは珍百景とサプライズ(えなりくん)と、あと梅宮親子が荻窪鳥もとと、高円寺の魚居酒屋と、思い出横丁のつるかめ食堂で飲み食いする番組。
もう一軒あった気がするけど思いだせない。
そうだその番組は、激安バラエティーだった。
野村サチヨがスーパーで刺身切ったり回転すしで厨房に入ったりしていた。

お皿洗ってメールチェックもそこそこに、22時前就寝。

夢は、どこかの小ギャラリーみたいなところで何か見た後のようだった。
私はその関係者っぽかった。
一階のエレベーター近くというかエントランス?は壁側がポスターとか作品とかのガラスケース展示スペースになっていた。
見ていたら、カジムラくんに声をかけられ立ち話。
カジムラくんの奥さんもたまたまやって来て、カジムラくんが「おう」と片手をあげる。
二人が話しはじめたので私はまた作品見てた。見ていた展示物はホラーマンガみたいな本だった。
ちらっと、いまアルバイトなんだろ?うんそうなんだ、というような会話が聞こえた。
カジムラくんの奥さんが「そんなの見てわかるなんてすごいですね」と私に話しかけてきて、それじゃあ、みたいな感じで二人は立ち去った。
見送りながら、視界には、エレベーターに向かって歩いてるフジムラくんらしき横顔が見てて、あっ久しぶりと思った。

次の夢では、起きたら9時近くだった。お母さんと一緒に住んでた。
これまでちゃんと通ってたのに、今日の学校は一時間目遅刻だと腹をくくった。
学校には、何気なく行って途中で帰って来ようと思った。
出席になってもならなくてもいいけど、なんとなくニユキ先生には目撃される気がした。

カーキ色の服来た誰か、舘ひろし?

気がついて時計見たら4時40分になっていたので慌てて起きた。
別世界から急に帰って来た人みたいな感じがする。


2009年07月15日(水) 今日入れて3日辛抱すれば3連休か

昨日は、調査を一応?仕上げて、サーバーにユーザー登録して
仕様書作って、PC設定の日取りの相談して、8月までのスケジュール聞かれて
株見て為替見てロイターニュース見て、てな感じだった。

定時で退社して増田さんに駅で荷物バトンタッチ。
コハダの話とかサイト社?の書籍企画募集印税5%とか、近所で起きた自転車と車の接触事故とかのことを話しながら帰宅。

飲んだのは、スーパーブリュー短缶4と金麦短缶1と、神戸居留地缶チューハイと焼酎水割り。
肴:柳田のコハダとしめ鯖、増田さん作・ポテトサラダ、セロリ味噌漬け、ししとうベーコン炒め

岡山土産の餡子の詰まった棒状ドラ焼き的なものも一口食べた。
あと塩辛ごはん少し。

で、出かけようなどということは考えず、22時前には寝た。
増田さんはもちろん先に寝てたはず?

夢では、母方のおじいちゃんちに居たっぽい。
でも部屋は自分の実家の自室だったな。
私は帰る支度してた。
もうおじいちゃんやおばさんや、元ダンナさんの親戚の子供(菓子食ってる)なんかが家の車のとこでスタンバイしてるんだけど
私は忘れ物や戸締りやラジオか何かのつけっぱなしを気にして何度も二階の自室にあがった。
時間がものすごく遅くなり、何かに間に合わない感じだった。

次の夢なのか、バスに乗ってた。
成宮くんと、工藤くんか梶村くんと、運転席のすぐ後ろの席(テーブルもある)でビール飲んでた。
成宮くんが私のコップにどんどん注いでくれるので、何本かあった瓶ビールが空になった。
頼まなきゃ、って成宮くんが言うので、私はもう一人と目配せして、もう着いちゃうからいいんじゃないかな、と言った。
すると成宮くんは、僕もう飲めないや!と言って窓際の席に戻った。
成宮くんはお酒が弱いのだった。

また次の夢に入ったのか、リーダータイプの男の人の家にいた。
その嫁みたいな人もいて、それがまた今どきの姐さんタイプだった。
そして二人はわりと美男美女。仕事は自営っぽかった。
そこにいる外部の人間は私だけじゃなくて、何人かが出入りしてた。
そのうちの一人が婚姻届の用紙を「はいよ」とリーダーの前に落とした。
どうも夫婦はまだ未届けだったらしい。
書き方わかんねえんだよな、とか言っていたので、私が指導することになりそうだった。

4時22分に、増田さんが窓開けたので気がついて、半まで寝よう、と思って29分に起き上がった。


2009年07月14日(火) 今また寝てる

昨日は、調査の進み具合を聞かれたり、プロジェクト外部要員用PCの設定とかサーバーの登録とかあるんだけどどうでしょうとか聞かれたりだった。
調査のほうは、ひっかかる謎があり、推理系なハマり方をして
気がつけば定時という久しぶりな展開だった。

自宅最寄り駅で合流した増田さんは、いつものようにニッコリしたあと困った顔をした。
それはゴハンの出来に関することだと知ってはいるけど、どうしたんですか?って聞いた。
タコの酢の物作ろうと思ったら間違って生のタコ買っちゃって、ツナの酢の物にしたんだけど、なんか…
ってことだった。

そして帰宅して見てみたら、タコは生じゃなくて普通のボイルブツ切りだった。
薄切りにしてツナの酢の物に加えた。

飲んだのは、ゴールドブリュー?だったかな?サントリーとCGCの安いやつ。
あと合成清酒と黒ホッピーと。
肴:増田さん作・ツナきゅうり酢の物にタコ添加、カネコマのコハダと鯛刺と生協のタコぶつ、空心菜炒め

日テレでラーメン決定戦みたいなのやってて、結局あれはどこのだったかな
横長のチャーシューが二枚と味玉が乗ってる醤油っぽいラーメン。
まあそれが優勝したわけだけど、お皿片付けようとしたら増田さんが「ええっ
て言うんで、何で「ええっ」なのかときいたら
「もう終わりなの?ラーメン出てくるかと思って」と不条理なことを言い出したので
とりあえず棚にあった袋麺を空けたら焼きそばだった。

まあ焼きそばでも食べた。
そのあと増田さんはハミガキして寝て、私は何かを持て余して生協に買い物に行った。
いろいろ半額になってて嬉しかった(生協は見切るタイミングが早い)うえに、ポイントで支払いがまかなえた。
嬉しかったので、住居下の中華屋でタンタン麺食べた。
辛さをきかれたので、すごく辛くって言ったけど、案の定特に辛くなかった。
ご主人湖南省のはずなのになあ。

帰宅して、わりとすぐ寝た。22時ちょっと前くらいだったと思われる。
食べてすぐ寝たせいか、夜中も胃のあたりに血流集中してるのが感じられた。

夢では、夏の夜、増田さんと盛り場へ出かけていた。
フルーツパーラーみたいな店の前に、アイスクリームが詰まった何かと、焼きバナナの本物見本が出ていて
店の人はどうせ見てないだろうという感じで、ちょっと食べようとした。
私は焼きバナナで増田さんは詰まった何か。
でも私は、焼きバナナをスプーンで切ったところで躊躇した。
増田さんは一口食べたら加速がついて、どんどん食べてた。
店の人が窓越しに気付いて出て来る様子を見せた。
まずい、逃げよう、って手に手をとって駆け出し、ここを曲がろう、と路地へ右折。
少し先の左手に工事現場があったので、そこにしゃがみこんで隠れて様子をうかがったら、特に誰も追って来てなかった。
でも路地に群がるヤクザなホストっぽい若者達にインネンをつけられる。
どうもホストでもヤクザでもなくて暴走族っぽかった。
命からがら路地を脱出。出てしまえば追ってこないみたいだった。
帰宅したら増田さんが何か棚のものをいじっていた。
物をどかしたところにホコリのカタマリが見えたので、私が掃除機で吸った。
電話が鳴り、私が出たら、変な電話だった。
音声アナウンスみたいなのが流れてるようで、内容がどうも妙だった。
音声アナウンスを真似たイタ電みたいで、増田さんは、いつものことだよって顔してた。
朝方になってたけど、私はもう1回表に出ていた。
スーツを着てネクタイを緩めた男達がいて、顔見知りだった。
タクシーに乗せてくれるというので乗った。
その人たちは家に帰るんだけど、「いくらくらいになるんだろうね、43万くらい?たりるかな」とか言っていた。
私は歌舞伎町あたりで降ろしてもらうつもりだった。
どうも会話を聞いていると、政治家の手下とか役人とかそういう関係者みたいだった。

気がついたら増田さんがバタバタしてて、暑くて起きたみたいだった。
私は4時38分くらいに起き上がって、パソコン部屋行ったら増田さんが仕事してた。


2009年07月13日(月) さっきまでいい天気で爽やかな朝だったのに

昨日は朝ごはん食べて片付けてちょっとしてから、増田さんと小学校に投票に行って
それから三徳の朝市に行って、戻ってパソコンに向かい
気がついたらお昼近かったのでゴハン作って
食べ終わったら増田さんがすぐ仕事し始めたりして、
いつもなら1時間くらいテレビ見てたりするのに、なんかのってるのね、と思って
そうこうするうちに、増田さんはJRみどりの窓口へ帰省のきっぷを買いに出かけた。
私はそのあいだに原稿見たりAmazonに本出品したり。
そのうち増田さん帰宅。
お父さんから電話来て、てきとうにこなす。
原稿見てるうちに気がつけば18時近くなっていて、夕飯作った。

飲んだのは、白ワインと彩旨と金麦。
肴:ポトフ、焼き油揚げ納豆詰め、しらすおろし、ラストじゃがポックル、その他葬儀の残りの珍味

テレビはバンキシャ見たあと選挙速報やるかと思ったらやってなくて
からくりテレビを見たら久しぶりに大江君が出てた。
まったく変わってなかった。
そして瀬戸内海の島に渡る海上タクシーが14000円とかだった。
地元の人は5000円でいいらしいので、なかなかの暴利だなと思ったけど
そうそう商売のチャンスがないからということなのかな。
大江くんは激しく船酔いしてた。

寝たのは何時だろう。22時よりは前だと思うんだけど。
しかし、なんか毎晩物足りないと思ってる今日このごろ。

夢は、おばあちゃんものを見たけど内容忘れた。
もう一つは学校もので、大勢女子中学生が出て来たんだけど
一人が留年してる子で、みためはモサめなんだけど、すねてタバコ吸ったりしてた。
学校は終業式とかそんなような日で、休みに入るのでもう体育館とかは使用しちゃいけないとかなんとかになってた。
でも、その子はしちゃいけないって言われるとしたいみたいで、意味もなく大勢を誘導し、皆の体育館行きをリード。
バカらしいと思いつつも私も行った。
校庭脇でシロツメクサもてあそんでるほうがいいと思った。
音楽の先生にみつけられてしまったので、
あの子はこの季節が来るたびに一人だけせつない気持ちになっている
強くなろうとする年頃ゆえに泣くよりは攻撃に出ることでそれを果たそうとする
というようなことを半泣きで先生に語るキチガイな私。

時計見たら4時48分だったのでバチっと起きた。
今5時40分なんだけど、増田さんがデカいくしゃみ連発しながら起きてきて
いま家中が増田さんの口から出た飛沫のにおい(猫のヨダレみたいな)で充満してる。


2009年07月12日(日) 三徳朝市へ

昨日は、朝ごはん食べて片付けてメールチェックして日記打って増田さんの原稿少しいじって白髪抜いた後
増田さんと一緒に伊勢丹へ。
新聞の懸賞みたいなので増田さんが商品券5000円分を当てたので、それでまな板を買った。
これまで100円ショップで買ったやつを使ってて、カビてくるのがいやだったので。

お昼は上のレストラン街を物色。
どこも行列してて諦めかけたところ、ナントカ茶寮だったかな、有名な(伊勢丹店の評価はおいといて)店が並んでなかったので、そこへINした。

高いんだけど、和定食っていうのがギリギリ許容範囲で、私は単品で煮付けと鯛唐揚。
あと二人ともビール。鯛唐揚美味しかった。煮付けは650円くらいだったけど、量的に400円が妥当と思う。生麩が高いんだろうか。

そういえば伊勢丹行く途中で、南国っぽい猿をリードでつないで歩いてる人がいて
猿といえば川村さん、と私がその人の後ろで言ったところ、実際川村さんだった。
川村さんとは、増田さんがこれまでで一番長く(半年)交際してた女性(シンガー)で、
一緒の家から出て来た感じがする60代くらいの男の人と一緒にお散歩中だった。
なんか何気ない感じの人だった。子供の学校の音楽の先生の休日みたいな感じというか。

あとはなんだろうな。
増田さんはグラスに半分しかビール飲んでないのに、いい気持ちだと言っており
帰宅してしばらく仕事したら昼寝してた。
私はMr.BRAIN総集編見ながら爪切りしたり掃除したり。
キムタクの歯並びが結構な乱食いだということに気付いて、ちょっと見直した。

晩酌は、彩旨中心。二人で7本飲んだっぽい。私は黒ホッピーも飲んだな。
肴:キムチ鍋、大葉と煮豚とチーズのチヂミみたいなもの、じゃがポックル

そしてMr.BRAIN最終回を見た。
わかりやすい話だったので、増田さんも最後まで見てた。
お酒が足りなかったのか、二人ともそのあとアド街見て、それでもダラダラ寝なかった。
最終的に23時半くらいに無理やり寝た。

夢は、未亡人の藤原ノリカが出て来た。
二人で暮らしてたアパートに一人で帰って、不安な気持ちでいると、布団小山の上部のタオルケットの形がなにかいびつだった。
と思ったら、やっぱり中に男が隠れていた。
栃木県っぽい顔をした男で、何か悪さをして稼ごうとしている系ではあったけど、乱暴とかはとりあえずしないみたいだった。
洗ったコップを立てて並べていたのを、これって実は伏せたほうがいいのかしら、などと考える薄幸のノリカ。

次の夢は、おばあちゃんちから帰るところだった。
コドモや元ダンナさんともそこで別れなければいけないので寂しい。
元ダンナさんがスポーツバッグに適当に詰め込んでいた荷物をハンガーにかけて吊るして並べた。
そしたらいつのまにか元ダンナさんに回収されていた。
しょうがないからバッグの中の荷物は、たたんで端からクルクル巻いて収納することにした。
私は家電とか会社のメールとかを全部携帯に転送してて、連絡体制は万全だった。

最初に気付いたのは5時少し前だった。
当然二度寝して、7時くらいに増田さんがNHKをつけたのでニュース眺めてるうちに覚醒しきった。


2009年07月11日(土) 今日は風が涼しい

昨日は、真面目に調査をした。14時くらいまでは。
飽きちゃったらもうだめだった。
でもWEB更新のタイミングで30分残業。

増田さんが会計士さんの接待受けに行ってるので、
私は会社駅近くの生300円の店に寄ってみる。
が、失敗だった。
朝鮮族系中国人らしき奥さん(夫は日本人で彼がオーナーか?)が始めたっぽい店で
激辛麻婆豆腐と生2杯にお通し(200円)はキムチ。
激辛じゃなくて激しょっぱかったのでごはんが欲しくなる麻婆豆腐だった。
まずいとまでは言わないけど、いつまでも口の周りが脂っこかった。

そこでかなり膨満感が襲って来たけど帰宅して(猛暑)からライスヌードルの支度して食べた。
香菜があったので、それを消費するためだった。
彩旨を飲んだら更に膨満感で、外に飲みに行く予定だったけど、何も入りそうにないから諦めて
テレビをサーチしたらハリポと県庁の星となんかクイズみたいなの。
しょうがないから県庁の星を見てみた。
まあまあこんなもんだろう。

増田さんは、22時くらいに帰って来たんだったかな。
布団敷いて部屋も冷やして香取線香も行き渡らせて、万全にしておいたので、すぐ寝た。

私は胃が冷却を求めていたみたいで、お茶に氷入れてガブガブ飲んで、23時半になったので強制的に横になり
考え事しながらそのうち寝た。

夢は、県庁の星にかなり影響されていた。

田舎だった。役場の中年男が自分は偉いんだと、貴様が何言っても叩き潰せるんだと
そんなようなことを言ってはばからないので、決闘みたいになった。
あっちは知性がないので刃物を持ち出して来た。
そうなると私も手近にある鋭いものを構える。
ほら刺してみろと刃物を放られてあおられる。
構えてつっこんだものの、腹表面で刃物先端が止まる。
体ごとぶつかるくらいじゃないと、表皮は貫けないようだった。
しかし殺意とかそういった情熱が不足しててだめだった。
その様子を見て、その男と周囲の町役場の人らがワッハッハと笑う。
と、刃先が腹にちょっと入ってた。
どうも腹の筋肉が収縮したタイミングでスッといったらしい。
笑いながらそれに気付いて動転する相手。
たいしたことないのにと思いながら刃物を抜いたら、ヘソ周りの肉が刃先にぐるりとついてきて一緒に抜けた。
モツみたいだった。

あとなにか、元我が家に行ったら元ダンナさんがやけに冷たく無視してきたみたいな夢も見た。
何かお願いがあったんだけど、無理そうだった。
小さいコドモの、紺色に朝顔の浴衣があって、これから祭りなんだなと思った。

気がついたら4時半くらいだったかな。
でも二度寝して6時半に気付いたら増田さんがお試し購読中の日経新聞取りに行って戻って来た。


2009年07月10日(金) 今晩なにしようかな

昨日は会社に着いたら机上にプリントが伏せて置いてあり、Tさんからだったので嫌な予感がしたんだけども
なんてことない、OSのパッチのメーカー検証を調べてくれっていう依頼だったのでほっとした。
あとは若手さんからも調査依頼が入ってた。
そっちはやり始めたら、意外と込み入ってた。
でも株とか見たり買ったりしながらのんびりと。

夕方、ミーティングの司会の順番が今日だという連絡(先週いなかった上に先週担当が議事録回してない)。
えー?と眉間にシワを寄せながら急遽案内メール発信。
ちゃっちゃと終わらせるように進行したんだけど、時間の概念のないメンツはどうしようもなく
退社が遅れること10分。一本乗り遅れたので増田さんに迎えはいらないとメール。
でも結局来てた。

飲んだのは彩旨短缶6本を二人で。
肴:増田さん作・煮豚と煮卵と煮大根、同・ポテサラ、パセリとにんにくと赤ピーマンとギョニソとじゃがポックルを豚脂で炒めて塩コショウ味にしたやつ

増田さんと何話したんだっけ。
鉄人社の本のこととかPHPの原稿がかたまったこととか明日のこととか株のこととか?
テレビはぐるナイを見たんだったかな。
それでメールチェックして雑誌読んで居眠りして、いつの間にか所定の竹シーツ上で寝てた。

夢は、元ダンナさんに何か手伝ってもらって、そのあと元ダンナさんの現在のツレである相田翔子が荷物の確認に来た。
てきぱきと確認して仏頂面で出て行こうとしており、ギクシャクした関係になる必要はなかろうと、私は何か話しかけた。
ほんとに私が○○さんに夢中で、とかなんとか、俯きがちに言うのを聞いて
それならほんとに安心したと伝えると、なんか嬉しそうにしてた。

猫村さんみたいな猫と私と新宿の裏道を歩いてた。
最初は繁華街の裏っぽかったんだけど、気がついたら高級住宅街エリアだった。
路駐高級車の直後に青いスーパーカー的なものがぴったりつけてあり、というかぶつかってる?くらいの勢いで
私達が通り過ぎたあと、PUMAのペパーミントグリーンのバイクに乗ったすっぴんの女の子が横を走り抜けたんだけど、何かやらかして逃げてるような雰囲気。
スーパーカーじゃなくて今のバイクが高級車に突っ込んでたのかな?それにしても様子がただ事じゃないよねってことで心配して追っかけた。
途中、対面販売の揚げ物屋があって、猫が、「私には小判しんじょうがあるから」と言って、
ちっちゃいちっちゃい揚げ餃子みたいに見える小判しんじょうを買い求めて悦に入っていた。好物らしかった。

お母さんと若者っぽい焼肉屋に行っていた。わりと奥の方に通されて、蓮向かいに着席した。
神経質な傷つきやすい大泉洋が、焼きプレートの上にジョッキ置かれて
このくらい温まったのが存外おいしいねと言って飲んでいた。ワインだったと思う。

コドモと出かける時間だった。その前に風呂でシャワーを浴びようとしていたら
コドモ(4歳くらい?)も入って来て一緒に浴びるつもりのようだった。
貼っていたばんそうこうを取って元気に服を脱いでいた。
家の中には家族以外の人が何人かいるような気配で、そこは常にそういう家なのだった。

気がついたのが4時半前くらいかな。


2009年07月09日(木) 蒸すなあ

昨日は、午後に職場を出て、東京駅日本橋口へ。
馬喰横山から野生の勘などを使って歩いて行った。
JR東海ツアーズを探したら、まずJR東海きっぷ売り場があったので、そこで教えてもらってすぐたどり着いた。
ぷらっとこだまを行きの分だけ調達。
それから東京コンファレンスなんたらへ。

新会社のキックオフミーティングだったわけなんだけども、知らない人ばっかりでなんとも。
18時からの懇親会は、更に誰と話すわけでもなくなんとも。
ひたすら飲み食いして、19時くらいに適当に帰った。

一人だけ美味しいもの食べたので、悪いかなと思って千代田寿司で穴子と青海苔巻きセット買った。
増田さんはチャンチャン焼き作って待っててくれた。
飲んだのは彩旨。私は懇親会でさんざんモルツを飲んで来たのでそんなには。

よく憶えてないけど、寝たのは何時かなあ。22時前じゃないかな。

通帳を何通も持ってた。お母さんだかお父さんだかから預かっているものだった。
ATMでお金をおろした。頼まれてだと思う。
後ろに並んでるリーマン二人が近い。私の尻に腿が触れるほど近い。
うざいので、率直に、もっと離れろと言った。暗証番号見られたかもしれないなとブルーになった。
バッグのポケットの通帳たちが見えた。なんか重荷だなあと思った。

明美ちゃんちにいた。女4人兄弟だった。一人多い。
運河沿いみたいな貧乏くさいエリアのこれまた安普請な家だったけど、窓を開けて窓際のベッドに寝そべって上を見ると、
風通しもいいし爽やかで、行ったことないけどベニスみたいだなと思った。
なんでか知らないけどエアコンのコントローラーみたいなのがあちこちに上からコードでぶらさがってた。
明美ちゃんのお父さんが自作で何かに応用しているようで、妹のエリちゃんやお姉さんが巧みに操作してた。

赤毛のアンが研究室みたいなところで行列に並んでた。自分で椅子を運んで一個づつ詰めて進んで行く。
教室内に収まるように、ぐねぐねした列になってた。
アンは何をやるのか決めてなかったけど、列の途中にある小動物系にはすごく興味を示してた。
そういう研究をするんだろうな、たぶん面接も合格だろうな、という感じがした。

神楽坂の道を曲がると、路上に人糞とか落ちてて、足の踏み場を選ばなければ歩けなかった。
さらに進むと、どうも道が舗装されたばかりみたいな感じだったり、ヒビが入って緑が顔を出してたりする。
そういえば、爆発があったんだっけ、と思い出した。
さらに進むとつきあたりには古いアパートがあり、行きがかり上その狭い階段を上った。
各部屋はドアを閉める習慣がないみたいで、中で掃除機かけてる人とかと目があったりして気まずかった。
用もないので早々に退散し、広々とした方面を通って戻ることにした。
通過した公園の入り口付近に駐車されたワゴンの横で、目玉オヤジ型の時計が転がっているのを見た。
でも放置して過ぎた。すると、ワゴンの持ち主らしき3人の男女が、あ!目玉オヤジが転がってる!見つけたもんがちだよね〜って喜んでた。
私は先を急いだ。

明美ちゃんと妹のエリちゃんがいた。
エリちゃんは小さくて、明美ちゃんが小脇に抱えてる。
私は枕くらいの大きさの烏龍茶の缶を右腕に抱えていた。
家が近づき、何かするために明美ちゃんが振り返って、ちょっと抱っこしてて、と言った。
あ、危ないな、と思ったけど、明美ちゃんは容赦なく私にエリちゃんを預ける。
でも思ったとおり、抱えきれなくてエリちゃんは頭から地面に落下。
ワーン!て泣いて、ごめんねごめんね!と慌てて確認すると、頭右上から血が出てる。
明美ちゃんにもエリちゃんにも謝りながら、病院に行く。
エリちゃんは途中で泣き止んでたから、傷は浅かったのかもしれないけど
何せ頭のことだから、心配だった。
明美ちゃんは何かやらなきゃならないことがあったり、慣れていたりするせいか、冷静だったと思う。

増田さんが戻ってきたとき気がついて、何時?って聞いたら2時って言って横になり
なんだかゴロゴロしてるので、脚を脚に乗せたら、起き上がって扇子持ってきて私を扇ぎだした。
暑いの?エアコンつければ?と言ったらエアコンつけて、そのうちイビキかいて寝てた。
私も寝て、次に気がついたら4時25分。
エアコンのせいかだるくてすぐには起きなくて、4時45分起き上がりだったか。


2009年07月08日(水) 今朝はなんだかきれいな5時だけど天気のせいか

昨日の日記、打ったのに消えてるな。
登録ボタン押し忘れかな。

月曜日は会社行くことをリアルに意識するとダメになりそうな気がしたから
押し殺して出勤。でもなんてことはなかった。
チトセ空港土産のじゃがポックルを配布したけど、人数が思い出せなくて多めに4箱持って行ったため、1箱余った。

定時に退社して増田さんと合流して重い荷物を持ってもらった。

飲んだのは彩旨とホッピーと神戸居留地レモンサワー。
肴:増田さん作けんちょ、柳田の鯛酢と鯵酢、鶏胸肉ブツ切り焼きと赤ピーマンと玉ねぎ炒め、じゃがポックル

テレビはヘイヘイ見て、増田さんが大阪の宿を予約してる間に
嵐と一緒に踊ってみた。相葉くんの魅力の謎にやや迫りたいという意識が働いた。

そのうち麺が食べたくなり、下の中華屋に行くことを考えた。
でも単価が高いし量が多いことに間違いないよねと思いなおし、しぶしぶデニーズへ。
かけうどんがあったので、それと小ジョッキ的なもので710円だった。
増田さんのコメントが出てる夕刊フジ見ながら飲食。
飲食そのものに満足はしなかったので、単純に、座ってると勝手に提供される感じを味わいたかったのかもしれない。

22時には寝たよねたぶん。
夢は見たかもしれないけどもう憶えてるはずもなく、起きたのは4時ちょっと過ぎくらいだったと思われ
朝から資源ゴミの整理とかした。

七夕の火曜日の会社は、たいしてすることもなく、特に印象に残ってることはないけど
昼休みは買い物に出ないで共有ドキュメントいじってた。
これを本にするってどうなのよという老婆心だった。
変更を反映するしないは増田さんが決めることなんだけど。

定時に退社して、荷物がないので迎えはいいよってメールしたんだけど
ちょうど出先からの帰りだからということで、自宅最寄り駅で合流。

飲んだのは、うちゴチのトマト料理に合うやつと、彩旨とストレート。
肴:増田さん作ロールキャベツ、同・マカロニサラダ、レンチンもやしの和え物、じゃがポックル

増田さんは夏になってきて季節の変わり目に体をやられ中。
毎年そうなのだという。たしかに昨年もそうで、ほんとに体温調節機能が低い体をしてると思う。
フラフラしてるから不器用度が増してビール的なものが入ったコップをなぎたおしたり。

真っ赤になるのも早かったので、ハミガキを促して早々に横になってもらった。
うっかり布団を自分で敷かせた。(ドサっ!バサっ!ていうからイヤ)

私は黒ホッピー飲んだ。飲み終わったら寝た。21時台だった。

夢は、誰かと伊東美咲と三人で、どこか会社に案内されていた。
どうもオールアバウトのようだった。
エントランスはきれいっぽくしてあるけど、小規模なビルだな、と思った。
でも同じビル内にIBMも入ってるようだった。
フロアのデスクは密集していた。
なんとなく挨拶周りをするようにと案内の男に言われる。
私は特にあてもないので一番近くの人に挨拶したものの
思わず自前の古い名刺を差し出し、営業のような挨拶をしたところ
あー、いらないいらない、うちはそういうの一切いらない。
と勧めてないのに断られた。
そういえば、ここはオールアバウトだから、せっかくだしEくんの顔を見て行きたいと思いついた。
また手近にいる人に、エンドウくんてどの人ですかと聞いてみた。
エンドウくんはあの席3つくらい使ってるよと、男の人が立って身を乗り出して指差した。でも今は離席してるようだった。
なんだかモニターが二つあって、対戦ゲームが映し出されていた。
伊東美咲は案の定ちやほやされており、案内の男がついて戻って来て、
表に出てもまだ話し込んでいた。
どこかで秋田について語り合いたいねえというような内容で、伊東美咲はそうでもないけど男がノリノリだった。
よくみるとホント秋田っぽい男の人だな、と思った。
なにが秋田っぽさなのかはわからないけど、頬がこけてて肩幅が狭くて髪の毛の染め方がショーパブっぽかった。

次の夢では、テーマパークのような街にいた。
私が出発したのは自室からだった。
街のマップが画面なのか脳内なのか、映し出されていて
「ROW」とか「OLD」とか赤いスタンプが押してある。
その下には赤い手書きで各々のニックネームのようなものが縦書きされており
今そこにいることを周知したい人はそれを書き込むらしい。
私は、一人でいたかったので書かなかったけど、なにか中年の男(細川とか石田とかそういう雰囲気の)と待ち合わせしているっぽく
遭遇しないように行動していたら、だんだんあっちがイライラしてきたみたいで、なじられ気味になっているのが伝わった。
でも気持ち悪いから会いたくなかった。マップは家に戻ると見れるようだった。
家ではタンスを開けて服を見たりしていた。昔の服だけどこれ今着られるなっていうデザインの服があったりした。
ROWとかって頭文字の集合で、OはOLDのような気がした。
そこがOLDな人向けってことだ。

一度時計見たら3:33で、ゾロ目だなと思いながらもう一度寝た。
次に気がつく前にテーマパークの夢見た。起きたのは4時45分。


2009年07月06日(月) 刺された3箇所のかゆみは引いてる

昨日は起きたら10時だった。
前夜遅かったってのもあるけど、なにか充電のようなことなんだろうか。

家から一歩も出てない気がするなあ。
午前中に台所の壁拭いたりしてたら汗まみれになったのでシャワー浴びたりして。
おばあちゃんが亡くなった日に狂い始めた時計は、電池換えても接触いじっても直らず。

増田さんは夕方1回だけ買い物に出た。
特に目的なかったみたいなのでホッピー買って来てもらった。

笑点の後半くらいから晩酌始めた。
飲んだのはホッピーとコープスーパーブル彩旨。
肴:牛すじと結びしらたきと中国の丸い麩と三つ葉を煮たの、にんじんチヂミ、トマトにガーリックチーズとバジルオイル、細切りきゅうり束にウニつけて海苔で巻いたやつ、じゃがポックル

スーパーからくりTVは留守番ハウスやってて、増田さんがまた企画に対して意義を唱えていた。
そしてヒロミチお兄さんの下の息子は意外と性格が悪かった。
それはいいとしても農業少年は本当にすごい。真剣に台本ナシなんだろうか?
「これやっとくと夏場そうめん食べるとき役立つよ」って言う小学生って…

増田さんはいつのまにか寝ていた。
私も22時前に寝た。
そして蚊に刺されたことと増田さんが起きてる気配で覚醒。
夢的には、余貴美子が私よりちょっと年上かなくらいの若輩に、部屋がイマイチだと批判されていた。
部屋は茶色貴重の庶民的な落ち着いた部屋だった。
余貴美子も不満そうだったけど、私も「おまえに批判の権利があるのか?誰かに依頼されたのか?」とホリに似たその男に対して不満だった。

いつのまにか増田さんが再び眠りに落ちてて軽くイビキが聞こえつつ
時計見たら4時50分なので飛び起きた。


2009年07月05日(日) 明日から仕事かー

昨日は何したかな。
昼前にワンダフルとまるえいとクックワイに行ったな。
いや、午後に行ったんだったかな。

確か、お昼ごはんはゴーヤとニラと麩と玉子を適当に炒めたやつと納豆と茹でとうもろこし。
ニラ(2束77円・まるえい)と、とうもろこし(3本105円・ワンダフル)が登場してるので、
買い物は昼前に行ったということか。

それから何してたんだっけなあ。
何せ朝ごはん後と昼ごはん後にテレビを見てた時間が長かった気がする。
あとはたいしたことしてないと思うんだけど、ほんと何してたんだろ。
ああ、ネットか。

夜は、なんかテレビ見ながら晩酌を19時くらいから。
飲んだのは焼酎お茶割り。
肴:牛すじ煮、三つ葉とギョニソぽん酢、赤ピーマンチヂミ、とうもろこし

そうか、牛すじ煮てたんだな。
それを小分けにしたりなんだり。

増田さんは麦とホップとのどごし生の短缶各1飲んで真っ赤になって
そのあと合成清酒を一杯くらい飲んで、ヘロヘロになって寝てた。

私は22時くらいにコープ行ったな。
5個で150円のコロッケは今回なくて、かつおのたたきが半額になってたのでそれ買った。
あと玉子とスーパーブルー彩6缶パック。

それで家戻ってからそれ飲んで、タタキつまんで寝た。
そして起きたら10時近かった。増田さんにちょっかい出されて起きた次第。
夢は、たしかお父さんがらみで、食事のお膳が用意されてるんだけど
それは選んで注文されたもので、選ぶと言っても一種類しかなくて、しかもお父さんの独断で決まったもの、って感じだった。


2009年07月04日(土) そろそろワンダフルでも行くか

昨日は、たまりまくってるメールチェックをして、日記打って、
午後は増田さんと郵便局行って(愛知と小樽に戸籍謄本取り寄せ依頼)
会社のある市に本の返却と引き取りに行って、京成線乗って立石行って
宇ち多でモツ喰ってルービーみーのーして、串揚げ100円ショップで串揚げ喰らって酎ハイみーのーして
江戸一探そうとしてるうちに増田さんの全身にアルコールが廻り、地下鉄乗り継いで帰宅。
ハミガキして増田さん就寝。
私は北海道土産を誰もいない元我が家へ持って行き、ついでにゴミ捨てとかして戻る。
途中で巻き寿司とか買って帰宅。
増田さんが起きたのでテレビみながらリキュール類(発泡性)飲みつつカッパ巻きとかパックシフンゴ巻き。
そのうち体が萎えてきたので大の字寝転がり。
シンスケが司会の番組見ながらなんか眠いなあと思ったら、23時半になっていたので寝た。
夢は見たかもしれないけど記憶になく、8時までノンストップノンレム睡眠。


2009年07月03日(金) 諸々

6/26(金)
午前 会社(地下鉄乗る前にOK寄って巻き寿司とおにぎりと金麦とパック酒とストリングチーズ購入)
19:30 歌志内市立病院着(おばあちゃん薬注入で寝てた)
20:30 かもい岳温泉(周辺店なし・街灯なし・施設内飲食店営業終了)
22:00 増田さんとメッセしながらマイケル見て寝る(Black or Whiteだったかの仕上がりが最強かと)

6/27(土)
10:30 マイケル見て病院(おばあちゃん目を覚まさず・院内荷物整理など)
15:00 お兄ちゃん着(入院患者中最も人間に近い会話可能な隣のベッドのおばあさんが自分の身内ではないかとしきりに疑う)
18:00 お父さんの病院(おばあちゃんのことにはさほど興味示さず金の心配)
19:30 お母さん宅(お兄ちゃんと、フリーメイソンが世界経済に及ぼす影響力のことでもめそうになる)

6/28(日)
9:30 みよしの(お兄ちゃんが土産買う)→セイコーマート(ホットシェフのからあげがウマイということなので買ったら実際うまかった)
11:30 飛行機(からあげとビール)
15:00 元気不いっぱいにダラダラと帰宅
17:00 名門(本来増田さんと土曜日に行く約束だったので)→電話(病院とお兄ちゃんから・ベルコに手配電話も)
20:00 コドモとパパ(修学旅行のお土産私に来たので葬儀関係のアドバイスをもらう)
23:00 飛行機の手配とかして就寝

6/29(月)
4:40 家発(見送りの増田さんと塩八橋食べながら)
9:40 実家駅着 電話連絡 シャワー 遺体移送同乗
15:00 葬儀場着 食事 接待(兄嫁の母<※議員>がキビキビ動くので劣等感を抱き、正子さんもこんな気持ちなのかと想像) お兄ちゃん送り迎え数往復
18:00 通夜 接待 お兄ちゃん入浴
23:00 就寝

6/30(火)
5:00 起床
5:30 (蝋燭番してた)お兄ちゃん就寝
7:00 朝食
7:30 お兄ちゃん起床
10:00 法要・繰上げ法要 遺体とお別れ(涙腺を刺激する陳腐な悲しい音楽に全滅)
13:00 お焚き上げ? 終了後お骨と一緒に帰宅 お兄ちゃん送り迎え数往復 
   (お兄ちゃんの伝言間違い?から正子さんパニくる)
18:00 正子さんと三人でお膳
22:30 お兄ちゃんとお喋りしながら就寝(意外とお兄ちゃんのトークは止まらない)

7/1(水)
9:00 お父さんのとこに保険証券届く(電話攻撃)
10:00 それ持参で郵便局に手続き方法聞きに行く
12:00 老人ホームの清算と荷物の撤去と役所の手続きと寺に向かう(岩見沢PAでラーメン)
18:00 戻って来て荷物発送して回転寿司で夕飯(ニクソンロールうまし)
19:00 正子さんに泊めてもらうことに
23:00 就寝 お兄ちゃん入浴(腰痛)

7/2(木)
5:00 起床 シャワー セブンに朝ごはんの買出し
8:30 兄起床(私は正子さんと会話しつつの朝ごはん済)
9:00 病院で父拾う ケースワーカーさんと打ち合わせ
10:00 郵便局で保険金受け取り手続き(時間がかかって父キレるもパワー不足でスルーされる)
11:20 病院に送る 私はドコモで祖母携帯解約(父名義で良かった) 兄バッテリー(死にかけ)交換
14:00 免許証印鑑車返却後タクシーでJR駅
14:30 母と合流してゴハン(兄のダーティーヒーローストーリー好きを下手に突っ込みブチギレ退場させ団欒が台無しに=たぶん暫しの絶交コース)
17:30 JRタワーのカフェ?で母としんみりした後エアポートなんたら乗車(乗車前に母から金入り封筒をカバンに押し込まれブルーに→これ系は真剣にどうしていいかわからず心の負担)
19:30 土産買った後ラウンジで落ち込んでたら搭乗時間10分前でハッとする
19:58 案の定定刻10分以上遅れで離陸するスカイマーク(例によってアルコール抜きでは耐え難い振動)
22:30 迎車があった頃を懐かしみつつ帰宅したら増田さんが嬉しそう
24:30 (のどごし生のみながら増田さんとよもやま話)就寝

7/3(金)
休み取ってあるので7時過ぎ起き