ココロモヨウ
dokin



 言葉はいらない

始まりの言葉はなくても終わりの言葉はある。
始まりに理由がなくても終わりには理由がある。

でも全てにそれが当てはまるとは限らない。
それは始まる前に全てが透けて見えているから。
それらを言葉にする必要はなく,
それぞれのココロの中に持ち続ければいい。
理由と理屈を付けて正当化したい本音は葬るのだ。
それに負けた時は潔く終わりにしよう。
そう自分に言い聞かせて束の間の幸せにココロをあずける。

確認をしなくても通じ合うのが気持ちである。



2001年08月26日(日)



 ないものねだり

今の私を見てると何年か前に流行った
『不機嫌な果実』を思い出す。
現状に満足せずないものねだりを続けて
不倫・離婚といってしまう主人公。
不倫・離婚は私と一致しないが
『ないものねだり』は一緒。
常に自分のいる場所はここではなく
もっと他に幸せがあるはず,と。
ただ私がこの主人公と違うところは,
私は私の手で行動でそれらを手に入れようとしている点。
人をあてにせずまずは自分でやる。
『動かなきゃ何も始まらない』これが私の信条。
次に進んでもきっと『前の方が良かった』とか
『戻りたい』とか思うだろう。
不安は上げれば切りがない。でも現状を打破したい。
このままでいたくない。
誰の為でもなく自分の為にできることを
可能な限りやっていきたい。
ミスチルの歌じゃないけど
生きることは正に『終わりなき旅』なのだ。

2001年08月11日(土)



 

その声を聴いた時何を思ったか?
懐かしかった?切なかった?嬉しかった?・・・
どれも違う。情緒的な感情は何もなかった。
いつもより1つも2つも高い声。
いつも横で聞いてた営業用の声。
間違い電話のフリして
受話器から聞こえてくるそんな声。
『違います』と素っ気無く応える私の声は
どう聞こえたのだろう。
声はあれど姿はなし。
今の姿をお互いの目に映すことはない。
残像の中の古い姿をいつまでも追うばかり。
人はそれを『思い出』などと
美化してしまっておくのだろう。



2001年08月08日(水)



 臆病者

考え過ぎなのだろうか?
もっと軽く考えればいいのだろうか?
傷つきたくないのならこのまま
石橋を叩き続けるべきなのか?
石橋を壊すと傷つけられるのではなく
自然と傷つくことになる。
目に入らなければ何も感じないのに
目に入ると考えてしまう。
嘘だ。目に入ってなくてもいつも考えている。
保身ではなくただ臆病なだけかもしれない。

2001年08月06日(月)
初日 最新 目次 MAIL


My追加