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2006年07月31日(月)  見てしまう人
ついつい細木数子を見てしまうわ。

男尊女卑に寄った考えを持っていることが、よく批判?されているけど、あの人はけっこう面白いよね。ずばり言わらっしゃるから。
「女は男をたてなさい!」とか言われると、「やっぱりそういうことしなくちゃいけないのかなー」とテレビの前で唸ってしまうなど、相当カズ子さんにやられてしまっています。

かといって、カズ子の言うように実践しているどうかって言うとまた別の話しですけどね。
2006年07月30日(日)  BonnyPink
CMで曲が使われたのがきっかけで、ボニーピンクがかなり流行っているみたいですね。
大学生くらいのときに一枚アルバム買っただけで、その後の曲を逐一チェックしていたわけじゃないけども、まあよかったね、売れ出して。

あの方、デビューしたときに髪の毛がピンクだったんでボニーピンクらしいわよ。誰かが言ってたけど。

それにしてもなんかあの人セクシーよね。
2006年07月29日(土)  自己犠牲とは
あんまり深刻には悩んでないけど、まあちょっと気になることがある。

中学生の頃からの友人の女の子が、ちょくちょく携帯メールをくれるんだけど、私はもうそれが嫌で嫌で仕方ない。
彼女は、関西に住んでいるのであまり会うこともないし、最後に会ったのはどれくらい前だったのかあまり覚えてない。私もあまりそういうことをきちんと覚えて、マメに連絡をする人間ではないし。

彼女はなんと言うか、彼女の性格は、自分の事を置いておいても人のことを心配したり思いやるような人なのだ。すごく極端なことを言えば、自己犠牲をしてでも他人のことを思いやるというか。他人の幸せが自分の幸せ、というような。
中学生の頃もそうだったけど、自分が大変なのに「私のことはいいから、それよりも私はアイちゃんのほうが心配なの!」と言うような人だった。
最近までは、そういう彼女の部分をあまり気にもしなかったのだけど、ここ2年くらいで急に彼女にイライラしはじめた。

私は、自己中心的なので、「まず、自分がどうしたいか」という「まず、自分が自分が」というほうで、まず自分がちゃんとしてなくちゃ何にもならないでしょう?と考える。だから思えば彼女とは反してしまう。

なんとなく、彼女にイライラしてしまうことがあり、なんだかなぁな気持ちだ。
人のことを心配する彼女にイライラするわけではなく、自分を犠牲にしてという部分に。
私はいいの、という姿(勿論、そればかりじゃないんだろうけど)にちょっと反発を感じる。
お互い頑張ろうという風には思えんのかな?と思った。
自分も大変、友だちも大変。そんな中で自分をほっといて相手を助けたとしても、あまり誰も幸福とは思えない。自分は自分の事を頑張る、相手は相手のことを頑張る。お互い頑張ろうって、それぞれやれば、結果として成功であろうが失敗であろうが少しはみんな公平に救われるのではないかと思う。

こういう子って居ない? みんなの周りにいないですか。
結構、いるんじゃない。
派遣会社で働いていたとき、担当していた派遣スタッフによく居たもの。
「私はいいんです。〜〜にはとても不満ですけど、でも私が我慢してそれでうまくいくなら私のことはもういいです。それよりも、他の派遣スタッフの話しを聞いてあげてください」っていう人いたよ。
いやいや、「〜〜が不満」って言い切っちゃってるのに、なんでどうでもいいの? 「不満だ」と大変なことを抱えている時点で、なにもうまくいってないんだよ。人のことはいいから、まずあなた自身のことをどうにかしなくちゃね、と思ったことがあるけど。

自己犠牲は美意識なのだろうか。
もし、そうなのだとしたら、「まず自分の事」というのが私の美意識だ。
性格の違いといえばそうだけれど、こういうことって気になりだすととまらなくなるね。
まあ、仕方がない。大らかに構えているか、少しずつ私の気持ちを伝えていくしかないかもだ。
「あなたにイライラしてるの!」じゃなくて、私のことは大丈夫だから、まずは自分のことを放っとかずになんとかしろよと。
2006年07月28日(金)  トトロ
「となりのトトロ」を見たんだけど、大人になってみて見ると、ぜんぜん違うものだねー。

確か、これが放送されたのは私が小学1年生くらいだったと思うんだけど。
よく、1学期の終業式の夜は、毎年ジブリのアニメがテレビで放送されていて、よく見ていたものです。明日から夏休みだー!と思いながらね。

自分が子供のときは、このアニメをどんな風に見ていたのかな、と思う。
大人になった今、これを見てみると、お母さんのことが恋しいのに我慢している子供の姿とか、他所の家に預けられたときの淋しさとか、お父さんの懐の深さとか、森はトトロの魔法のように一晩で成るものではないんだなとか。そんな風に思ったけど、自分が子供のときはそんなこと思わなかったもんね。どこがどういう風に楽しくて「となりのトトロ」を見ていたのかな、なんて、自分が子供の頃なぞったであろう感情や感動を、今はすっかり忘れてしまったような気がする。

大人になるということはこういうことなのかもしれないね。

それにしても、
ゲド戦記のあの声優の女の子は、どうしてあんなに暗い子なの?!
なんで、あんなに暗いの。なんだか怖いよ。
2006年07月27日(木)  いつまでやる気か
どうして、自分の家におらず、恋人の家に居るのかというと、段々とじんわりと恋人の家のほうが居心地が良かったりするからです。

まあでも、そういうところに長い時間居ると、アダルトビデオがちょっとずつ増えていったりする過程(2本→3本→4本→3本)とか、ビデオのタイトルがいろいろと変わっていく様子(言えないな)から隠された?嗜好が見て取れるので、なんとなく、あんまりお邪魔しちゃ悪いのかなと気を使ってしまいます。

恋人であっても、プライベートなことについての礼儀は必要ですよね。それが性的なことであれば特にね。
たとえば、アダルトビデオが増えていったということとか、タイトルが変わっていっているね、とかいうことに触れないということは、ある種礼儀ではありますわよね。

しかし、男の人はいつまでAVに興味を持つものなの?
AVじゃなくても、性欲処理?に必要な道具は、いくつまで必要なのかしら?
というか、いくつまで自己処理をするものなのかしら? 死ぬまで?
2006年07月26日(水)  おじいさん
オシムを見ているとすごく心配になる。
よぼよぼしているように見えてそのうち○んじゃいそうで、なんか心配。

私は、変な話し、おじいさんにたいしてすごく過剰(というか過敏)になってしまいます。
おじいさんというのは、自分の祖父というわけではなく、世の中すべての老いた男性であれば、誰にたいしてでも、そういった気持ちを抱いてしまいます。
少しよぼよぼしたおじいさんを街で見かけると、「大丈夫?! ちゃんと歩ける?!」って心配になってしまい、ついつい目で追いかけてしまう。すっごく余計なお世話で過保護?というのは、重々承知しているけど、つい過敏になってしまい仕方ない。

これって、なんていう気持ちなんだろう。

ある日、駅の階段をおりていたおじいさんが、あと数段を残してつまずいてよろけてしまった。
よろけながら、足をよろよろふらふらさせながら、何とかころばず一番下までおりたのだけど、「だ、大丈夫?! 足折れてない? どこか怪我してない?」と、すっごい心配になって心の中で(心の中で!)おろおろしてしまった。
多分、そのおじいさんは怪我もなく大丈夫そうで、というより、寧ろよろけてしまったのが恥ずかしくて出来れば誰にも見られて欲しくないだろうし、実際、そのおじいさんは何にも無かったようなしれーっとした顔をしていたのだけど、私はなんだか心配で心配で仕方なく、チラチラとそのおじいさんを見たくて仕方なかった。それでもって、すごく泣きたくなった。「おじいさんって儚い、おじいさんってか弱い」とか思いながら涙が出そうになるんだけど。なんか異常です。

これは、おばあさんには全く感じない感情だ。
なぜかってのを自分なりに考えてみたところ、おばあさんはオバサンの成れの果てなわけじゃない。そして、オバサンって言う人たちは、ガメつくて○にそうにないじゃない。まあ、極端な話しかもしれないけど、あのオバサンが慎ましくしているのはまったく想像できない。その最たる姿を観察できるスーパーなんかでは、物凄いオバサンの根性に私はいちいち腹が立ち、そしてそのうち感心さえします。なんて、強い生き物なんだろうかと、○にそうにないな、と。
それの延長線上の生き物と考えて、おばあさんにはまったくそういった感情は抱きません。

じゃあ、オジサンはどうか。
オジサンは、まっぷたつに別れますね。オバサン的オジサンいるじゃない。ギラギラしているオジサンは鬱陶しいことこの上ないのですが、弱々しいオジサンなんかを見ると同情してしまいます。この人の家庭に彼の居場所はあるのだろうかと(本当に余計なお世話の先入観だが)

なぜ、私にとっておじいさんなのか。
これは、異性であることが関係しているのか?
ということなら、性的感情を抱いているのか?
おじいさんに? まさか!
まあ、異性=性的と結びつけるのも、かなり安易とは思うが可能性は否めないではないか。

なんだ、この感情は。
なぜ、こんなにもおじいさんを美化し、儚い存在と思い、過剰に心配になったり不安を感じるのでしょう。
2006年07月25日(火)  ひねくれたい
異母兄と話しをする。
何の話かっていうと、家族の話だ。
異母兄と私の「共通している部分の」家族の話しをするというのは、なかなか重苦しい雰囲気だ。

ふと我にかえると、そんな自分たちがとても滑稽に思える。
ずーっと捻くれて生きていってやろうかと思った。
と思うことじたいが、捻くれているのだと思える。
2006年07月24日(月)  やってませんでした
まあ、あまり自宅に帰らないものですから、まったく日記がはかどりません。そして、先日パソコンを修理に出したとき、すっかりパソコンのない生活に慣れてしまったので、あまりパソコンを開こうとも思わなくなりました。

久しぶりに家に帰ると、もああーーって嫌な空気に包まれてますね。
梅雨でじめじめなので、もあああーー度が益々高くなっています。

まあ、あんまり家にいないので、以下もあまりやっておらず。




結局、三日坊主かい!
2006年07月23日(日)  スイカ
私はスイカが大好きなんですが、あまりに好きすぎて、数年前、中くらいのスイカを丸々一個、一気に食べたことがあります。
そうしたら、途端にぶるぶる寒気が襲ってきて、真夏なのに自分自身だけが冬の世界に居るかのように寒くなってガチガチ歯が鳴りました。
そのあと、スイカの利尿効果がまたもや一気に押しかけてきて、トイレが手放せませんでした。
いくら好きだからと言って、冷たいものを一気にたくさん食べると、体が拒否反応を示すんですね。気をつけましょう。
2006年07月22日(土)  難しく物事を考えてみる
『あわれ彼女は娼婦』というお芝居を観にいった。

三上博史と深津絵里演じる兄妹は、禁断と知りながらも愛し合ってしまい子供を妊娠してしまう。だけど、彼らは結婚することも出来ず。やがて谷原章介と深津絵里は結婚してしまうのですね。(カモフラージュするためでもあるのか)。プライドが高く傲慢な谷原章介は、深津絵里の妊娠を知り、かつその相手も知ってしまう。

--ネタバレ

全てを知ってしまった谷原章介は、三上博史を殺してやると怒りに身を震わせるわけです。三上博史を手にかけるべく谷原章介によって画策されたあるパーティー。妹の部屋で三上博史は死を覚悟し、また妹や自分、愛し合う絶望を感じて、自分の手で妹を刺し殺す。剣の先に妹の心臓をさしたままパーティーに姿を現し、愛しそうにその心臓を舐め、谷原章介やその場にいた客をも殺して、やがて谷原章介の侍従に三上博史も刺され死んじゃうと。そんでもって、自分が死にいく様に納得しながら、刺した侍従に対して「最後は自殺しようかと思ったんだけどね。その前に俺を殺してくれてありがとう」みたいな顔して、このお芝居は終わり。

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別に理解ある人間であろうとは思っていない。でも、古典のヨーロッパのお芝居であれば、こういうストーリーになるんだろうなとは想像がつく。
愛し合うことを止める理由は、古今東西あるわけないし、また、きょうだいで愛し合ってしかももうすぐ子供が産まれるとなれば、(誰かに殺されるか殺されないかという以前に)死を覚悟することも難くない。そして、愛しい人を自ら殺し、またその人そのものを征服して独占したくなる気持ちもわかる。(端から見れば猟奇的とも思われるのもわかる)
心臓を(または、腹の中にいる胎児を)取り出して掲げる行為は、当事者でなければエグイの一言でしかないけれど、全くあり得る事だよねとは思える。
なので、あんまりこのお芝居に関しては面白くもなく、衝撃的でもなかった。

もちろん、そのお芝居を熱演している役者さんのことを言っている訳ではない。

面白くなかったのは、
・近親相姦であること
・ありがちなストーリー
だったこと。

※※でも、どうしてこのお芝居をやろうとしたか、という動機は「近親相姦のみを取り上げ、近親相姦を見せているお芝居」ではなく、「禁断を打ち破ろうとするふたりの姿を見せようとしている」ということだそうなので、近親相姦とはあくまでストーリーではなく設定、ということになるそうだ。※※

近親相姦のお話というのは予備知識でわかっていたことなので、別にいいんだけど、それを目の当たりにしたときあまりにも自分には理解できなかった、という点がやっぱりある。
このお芝居の作者(演出家)が何を言いたかったのか、全然わからなかった。
その当時は、センセーショナルな話題なのかもしれないけど、現代においてはあまりにもいろんな出来事が起こるので、近親相姦と言っても(他人事であれば、本人が当事者でなければ)「そういうのもあり得るんじゃない?」で片付いてしまう。少なくとも私は。
それに、今は親が子供を殺して子供が親を殺して、まったく面識も無い人間に殺される時代なので、近親相姦になってしまった兄が妹を刺し殺しても別に驚かなくなったのだ。(そこに愛情というエッセンスがあったなら、余計に)

で、何を言いたいのかというと、
本を読むにしても、映画やドラマを観るにしても、共感することをしなければ、ちっとも楽しめないということだと私は思うのです。
でも、私の言う共感とは、「妹の身になってこの芝居を見てみる」というわけではない。もちろん、兄を演じた三上博史でも婚約者の谷原章介でもなく。誰かに自分を合わせる共感が必要だというわけではない。

共感の裏には、いつも「醒め」がある。
「はいはい、そういうこともあるよね」という『醒め』がある。
寛容に状況を飲み込んでいるように見せかけて、実は醒めているのだ。
近親相姦はもはやタブーじゃない、などと言っているけれど、実はそこにリアリティは無いのだ。「他人事。自分の事じゃないし」で終わっちゃうのだ。
当たり前のことだけど、お芝居の中の人物やストーリーは他人に起こった出来事を、客観的に客席で見るものだ。それがお芝居であり映画であり本だろう。

世界の中心で愛をさけぶ、が一時ヒットしたけれど、何故たいていの人が(皆がとは言わない)あれを見て涙を流すのか? あの映画や本を見た人に、あれと同じような経験はあるのか? 高校生の頃、恋人を白血病でなくした経験を持つ人は少ないだろう。類似的な経験を持つ、と範囲を広げたとしても、たとえば私の友人知人の中にはひとりもいない。
なのに、どうして感動したという人が多いのか。
健気で一途なサクタロウとアキに心を打たれたからだろう。愛する人を亡くすことが最高に悲しいからだろう。アキの死からサクタロウが立ち直ろうとする姿に感動するからだろう。
だから結局、同じ経験をしていなくても、人は心を打たれるし涙を流すほど感動するんだろう。それが私は共感しているということだと思う。
彼らはサクタロウやアキにはなりきってはいないが、彼らの中に在るポリシーのようなものの琴線に触れたから、感動したのだろう。

自分の中のポリシー(これは許せる許せない、受け入れられる受け入れられない、好き嫌い)とか、価値観とか嗜好によって、アウトかインか、ということを感じられないと、何にも楽しめないんじゃないかと。あとは、想像力ね。(これはある種、登場人物になりきるという方法になってしまうのかもしれないけど)
私はそれを共感する、ということにする。

だから、醒めてちゃダメなんだよね。
はいはい、そういうこともありますねー、と嘘の寛容さを見せても仕方ないのだ。
自分自身のアウトラインとか、心の中の整理をしていないと、アウトかインかなどとジャッジすることもできないし。そして、もちろん、アウトかインかというのは、私個人のごくごく個人の感情である。これは逃げ文句であるつもりはないし、例えばこのお芝居を醒めもせず自分をしっかりさせて観たとして、その結果として「アウト」であったとしよう。「なぜアウトなの?」と聞かれ「こうだから」と説明したとしても、なぜだかわからないという人には、それ以上の説明の仕様が無い。
語弊があるのかもしれないが、尊重とでもいうのだろうか、それは。
では、醒めと尊重の線引きってどこなんだろうか。
(他人事・そういうこともあるんじゃないのと醒めていることと、これは他人の意見・これは私の意見とわけること)

段々と、難しくなってまいりました。
2006年07月21日(金)  最近、面白い本ないですか
最近、面白い本ないですか。
本屋にはよく行くので、文学書?とか単行本のコーナーに行こうとするんですけど、雑誌系のコーナーに興味を惹かれてなかなかそのコーナーに行かないんですよね。
なので、どんな新刊が出てるのかあんまりよくわかってません。
皆さんのオススメ本を教えてください。

ちなみに、私が直近で読んだ本は、伊坂幸太郎の「終末のフール」です。
あんまり面白くなかったので、読むのに時間がかかりました。
ちなみに、私はずっと『終末のプール』という題名だと思いながら本を読んだので、読み終わったとき、「どこにプールが出てきたの?」と悩んだ結果、やっと本の題名を誤って思い込んでいたのに気づきました。

プリーズ、面白い本。
2006年07月20日(木)  軽井沢
どれくらい前の夏だったかは忘れたけど、友達と恋人と軽井沢に行った。

たっぷり遊んで日焼けして、そして東京へ帰る朝、先に電車で帰る友人たちを彼は車で駅まで送っていった。
私も一緒に車に乗って駅まで送って行けばよかったんだけど、何となく行きたくなくてずっと待っていた。皆で泊まった家は恋人の家の別荘で、私は誰も居ないその家でごろんと横になっていた。

畳の上に頬をつけてごろんと横になっていた。
なんとなく切ないなーと思った。
夏って切ないなーと思った。
気がすむまで寝転がって、ゆっくり起き上がり鏡をのぞきこんで自分の顔を見てみたら、畳の跡がほっぺについていて、それもまた切ないなーと思った。

遠くでセミが鳴いていて、目を閉じて耳を澄ましたら、恋人が走らせる車のエンジン音が聞こえてきた。
2006年07月19日(水)  三股四股当たり前に鼻で笑った
日曜の夜遅くにやってる、ドキュメント番組を見たんだけど。
小学6年生のクラスが荒れてるんだって。
小6でセックスするのは当たり前なんだよ、っていう子とか、三股四股当たり前の恋愛をしてる子とかいるんだって。「うぜーよ」とか「先生キモイ」とか言うんだって。

世の中からの情報が得られやすい世の中になったりした為に、今までの子供たちよりも思春期が早く訪れるようになったんだってさ。体はまだ成長もしていないのに。
クラスの様子を見ていると、その小学生の荒れっぷり?が、たとえば私が中学生とか高校生くらいにあったことだったような気がするんだけどね。

私が高校生のとき、担任の先生がすんごい傲慢な人で(東大の数学科を出てことを鼻にかけてたから! でも、そのクラスは進学コースだったので今思えば東大という難関校へのただの生徒のコンプレックスだったようにも思えるけど)、「お前を教育委員会に訴えてやる!」って、生徒に怒鳴られてたんだけど、なんかホントに笑えるよね。

だいたい、大人へ怒鳴るその言葉が、「教育委員会」だからね。
自分の力でむかつく大人を何とかしてやろうとしてるわけじゃなく、やっぱり頭の中では、教育委員会=権威に訴えかけ、お前を何とか痛めつけたい! ってことだろうから、まあ怒鳴られる教師も教師で生徒も生徒だね、という感じだけど。

あと、中学生のとき、本当に嫌な先生がいて、キモイっちゃあキモかったけど、その先生が校舎の裏側で掃除をさぼっていた生徒をグーで殴ったのを、ちょうど私と数人の友だちで目撃してしまったんですよ。2階のベランダから。で、「ヤバイ、見ちゃった」と思ってこそこそ隠れたんだけど、結局その教師に見つかってしまい。
で、なぜだか、職員室ではなく放送室(超密室で、音も漏れない部屋だから、何されるか怖かった)に呼び出されて「私が○○君を殴ったのを見たか?」と聞かれて、かなりビビッた。「見た」って言ったら何らかの形で口止めされるの?!って思えるような、このシチュエーション。怖いよね。
たぶん、その先生は不器用だったんだと思う。たぶん「もう殴らないから、(殴ったことを)怒らないで欲しい、責めないで欲しい」と言いたかったんだろうけど、なんてったって、密室の放送室ですからね。マイクのスイッチONにしてやろうかと思ったもん。マイクのスイッチちらちら見たもん。

その後、やっぱり私たちは「見た」と答えて、散々その先生に文句を言ったと思う。「暴力ってヒドイ!」とかね。言葉とは裏腹に少々『自分も殴られる?!』という思いで怖かったけど。
結構、そのことは学校中で問題になったかな……。その出来事の結末がどうなったかはもうすっかり忘れてしまったけど。

まあ、私の話しはおいといても、今の小学生ってこんなんなんだね。
教師にならなくて良かったと心底思った。(なる気もなかったけど)
体は小学生でも、頭がどんどん成長していって心がその成長に伴わなくて乏しいんだね。
もうそういう子は、渋谷の真ん中に3ヶ月くらい放っておいて、いろんな危ない目にあって痛い思いしたほうがいいよ。そしたら、多少いろいろ考えるようになるかもね。それで取り返しのつかないことになっても知らんけど。
というのは言いすぎだけど、こういうの見てると子供欲しいと思わなくなるね。こういう点が日本の問題?少子化を助長させる?

もうね、私の育て方はね、とにかく外へどんどん放り出すよ。
15歳か18歳になったら、出て行ってもらう。自分で生活してもらう。学費だけ出すから、生活費は自分でバイトさせる。ちょっとでも生意気になってきたら、自分で働いてやりくりしてもらう。「自分の責任の下、自由にやってもいいよ」って言うと思う。ただし、百回くらい耳元で「処女(童貞)は、たったひとつだけだからね。一回やっちゃったらそれでもう処女(童貞)はなくなるんだからね。その一回って後々までずーっと忘れられないもんだからね」って言ってやる。「処女(童貞)うざーい、早く捨てたーい」って言う女の子がいたけど、そういう子ほどただ強がって怖がってるだけなんだって。「初体験?はあ?そんなの忘れた。セックスって別にどうってことないし」とか言ってる子ほど全然覚えてるもんなんだって、それもあまり良くない思い出で。

その番組の最後は、その小6の生徒たちの卒業文集で「僕の先生は優しくていい先生です」っていう文章を担任の教師が読んで喜んでる、ってシーンだったけど、本当にあの子供たちがこの言葉を書くのか?本心か?大人を喜ばせる方法をこの子たちなら簡単に思いつくのではないか?と穿った気持ちをもってしまったのは、悪い大人になった証拠ですか。

まあでも、誰かの親になる前に、人を見る観察眼とか何があっても動じない気持ちを持っていたいですね。子供だけじゃなく大人同士でも言葉だけでは補えないものってたくさんあるもの。そして、誰かを型にはめて見るようなことはしたくないかな。昔の子供と今の子供は違ってきている、って当たり前だと思うよ。時代が変わってるというより、時が過ぎて行ってるからね。前例というものに頼ったり比較して、いちいち教育論文に取り上げることは、あまり実りあることじゃないと思うけど。

とかなんとか偉そうなことを言ってみたけども、何年後かに、自分に子供が出来て小学6年生になって、クラスの懇談会とかPTAとかで「こんなふうにクラスが荒れるのは、先生方に問題があるからですよ!うちの子は、優しくて『うざい!』なんていう子じゃないザーマス!」なんてヒステリックに言ってたら笑える。
真面目に考えたくない問題ですね。
2006年07月18日(火)  『主人がオオアリクイに殺されて1年が過ぎました。』
日々、様々なスパムメールが届きます。
件名が、『お元気ですか』となっていて、「あら、知り合いからのメール?」と思わせるものや、『入金の確認は出来ましたか?』という「あれ、お金入金してくれたの?」と、まあスパムメールを開かせようと、そのメールの件名というのは、なかなか凝られた?ものになっています。

まあ、即削除ですが。

でも今日のスパムメールには、ものすごい破壊力のあるメールが送られてきていました。
『主人がオオアリクイに殺されて1年が過ぎました。』
見たい! 中を開けてみてみたい! 何があったの。オオアリクイってナンなの?なんで殺されちゃったの!! あまりにも悲惨な文章をなぜ堂々と件名に?! ああ読みたい!

んでまあ、見てみたら、
29歳の未亡人からのメールでして、昨年ダンナさんが死んだんですって。シンガポールだかインドネシアだかに出稼ぎに行ったまま、不慮の事故(まあオオアリクイのことね)で死んじゃったんだって。で、夫の死からはやっと立ち直ることが出来たけど、体が火照ってしかたないんだって。夫の残した財産は莫大なんだって。だから連絡くださいセックスしましょう、だって。

んはは。
どうして、出会い系勧誘メール?はこうも凝っているんでしょう。
こういうことを、一生懸命考えているであろう誰かを思い浮かべると、痛々しいというより、滑稽だなと思える。そもそも、この話を信じてくれる人が居てくれると、真剣に思っているようには思えない。ある意味、楽しませてくれようとしてくれているようにしか思えない。
このメールを考えている彼は、ちょっと安っぽいコピーライターにでもなったら、今よりももうちょいいい暮らしができるかもしれないのに、とお節介にも思ってしまう。
だいたいそもそも、このメールに同情して返信してしまう人がいるのだろうか。

それにしても、どうしてオオアリクイにしたんだろうね。
これって、何かのネタなのかなと思って、グーグルさんに聞いてみたら、すんごい出たよ!
うひゃひゃ。
2006年07月17日(月)  なんだろうか
なんだろうか。
テレビで「はじめてのおつかい」を見ながら号泣したのは、なんだろうか。
なんなんだろうか。
この涙は。
2006年07月16日(日)  やってます
最近、山崎まさよしがビールのCMに出ている。
あの人は、あんな男前でしたっけ。男前じゃないですか彼。それにしても、えらい卵形ですね、顔が。

それにしても、最近、友人にこれを譲ってもらった。




上にのっかって、ギッコンバッコンして運動するの。結構、力が要るね。
ギーギー音がうるさいからあげるって言われたけど(だからってそんなうるさいものをくれる友人も友人で、もらう私も私。)、でもまったくうるさい音なんてしないけど?(ラッキーである)
喜び勇んで、一生懸命やっています。テレビ観ながら鼻歌うたいながら。

それにしても(その2)、なんで携帯カメラの写真ってこんなにボケボケなの?私の使い方が悪いの?画質が悪いの?なに、どういう設定したら画像が良くなるの?全然、携帯カメラなんて使わないからねー、おばちゃんわからないよ。
2006年07月15日(土)  雷と炒飯
まだ昼間なのに外が急に暗くなってきて、遠くでごろごろ鳴っていたかと思うと、あっという間に大雨と雷。
私は、台所の窓を開けて、空が光るのを見ながら、雷鳴を聞きながら、チャーハンをつくっている。

台所の電気もつけないまま、居間の電気もつけないまま、ただ、コンロの火が周りを申し訳なさげに照らしているだけで、私は一生懸命フライパンをふってチャーハンを作っている。
外は雷、私はチャーハン。

すぐにこの雨は上がるだろう。
すぐにまた太陽は強く照るだろう。
太陽が出る頃には、すっかりチャーハンは出来上がっているだろう。
もうじき、恋人がうちに来るよ。
そしたら、ふたりでチャーハンを食べるよ。
2006年07月14日(金)  期待と現実
束縛したいのか、束縛されたくないのか。

私は、束縛されたくないので束縛しない。
まず、自分がどうされたいかということがあって、どうするのか。
とは言っても、束縛はしてはいけないものだと自分に言い聞かせてもいる。
だからこそ、束縛をしてはいけないからこそ、どこか無意識に私は束縛をしたがっているのだろう。

「冷静でいようと自分に言い聞かせる」ということは、自分の中に焦りや興奮を隠し切れないからこそだ。それと同じことだ。

自分に期待するものは、いつも現実から遠く遠く離れたものだ。
私はその点において、いつも苦しさを感じる。
2006年07月13日(木)  何事も気が進まず
前に勤めていた会社の後輩から何度も電話がかかってきたのは知っているけれど、かけ直さない。

前に勤めていた会社の先輩から電話がかかってきたので電話に出たら、「○○会社の△△の契約って、ウンヌンカンヌンで、あれってどうなったんだっけ?」と、私が昔した仕事の話を聞かれても、もう私の頭の中の消しゴムで、すっかり仕事の記憶がなくなってしまっているので、「忘れました」としか答えようがない。

でもって、その後輩から何度も電話がかかってくるので、しつこいなあと思いながらも、こっちからかけ直せばもうかかってこないだろうと、「なあに?」と電話したら、「合コンしましょうっす!」と彼は言うので、面倒くさいので結構でござると言っておいた。合コンのために、何日も根気よく先輩の携帯を鳴らすとは。

そうしたら、前に勤めていた会社の上司から電話がかかってきて、「飲みに行くか?」と言われたけれど、「あーうーんー、あーんー、忙しいのでまたいつか」と、『全然行きたくない断り方』でお断りした。

正直、私はそんなに付き合いのいい人間でもなければ、愛想のいい人間でもないです。
可愛くなくてごめんね。
2006年07月12日(水)  クレイジー
毎日、暑いね。
朝起きたら、汗だくなのでシャワーを浴びないと一日が始まりません。

最近、目覚まし時計だけでは起きれなくなってきたので、コンポを目覚ましにしているのだけど、かけてあるCDが、2004年のグラミー賞にノミネートされたベスト盤で、最初の曲がビヨンセなのね。
クレイジーラブだっけ?クレイジーインラブかもしれない。
あの曲が朝一番になると、すっごい元気になるね。踊りたくなって、陽気にダンスダンスしながらシャワーを浴びに行こうとしたら、足が滑って肩を思いッきし壁で打った。
ビヨンセもソークレイジーって歌ってるしね。
2006年07月11日(火)  パソコンが帰ってきました
PCが不調だったので、富士通にみてもらったら2週間かかると言われた。それはそれで仕方ないかと思って修理に出したら、その2週間後に電話がかかってきて、もう少し時間がかかるかもよといわれ、まあ仕方がないかとなんの催促もせず、そのまま修理に出しっぱなしにしていたら、PCが戻ってきたのが一ヵ月後という。
パソコンのない生活って意外にできるね。
まあ、まったくない生活ってことでもなく、たまに恋人のPCでいろいろしていたけども。
久々にパソコンを触ったら、タイピングできなかったけども。
意外にPCのない生活ってできますね。
でも、どうして煙草のない生活って出来ないのかなと思うけど。

で、久々にメールをひらいてみたら、400通くらいメールが来ていて、ぜんぶ受信しきるのにかなり時間がかかった。と言っても、98%のメールが迷惑メールだったわけですが。
あともう、日記書けないね。過去を振り返るにしても一ヶ月も前のことをいちいち覚えてないので。
あーあ、なんとかここまで毎日の日記を埋めてきたのにねー。
2006年07月10日(月)  第何次産業になるのか
ワールドカップが終わったけど、どうしてみんなあれほどサッカーに熱中できるのかなあと思う。
みんながみんな、盛り上がったわけじゃないにせよ、一部の熱狂的ファンはいるわけじゃないですか。彼らのあの盛り上がりようって何ナノかなあと思う。
中田英寿が引退したのも、すごい話題になったし。
話題になったのはそれなりの理由があるわけだろうけど、もっとその根本的な熱狂ってなんなんだろうと思うわけです。

サッカー選手って、そもそも何かを生産しないよね。
たとえば、ボールペンを作る会社に勤めている人は、ボールペンの機能性や効率的なデザインを企画して、それを実際に造る人がいて、売り込む人がいるわけじゃない。
で、私たちの日常にボールペンって必要不可欠だよね。
ボールペン無かったら困るでしょう。エンピツだけじゃ出来ないことっていっぱいあるよね。だけど、サッカー選手って、サッカーって私たちの日常に無くても別に困らないもの。ワールドカップが無いときは、世間一般的にサッカーの話題はあまりのぼらないじゃない。ボールペンだけじゃなくて、農家の人も、製鉄所に勤める人も、漁師も、彼ら第一次、第二次産業にサッカー選手はもちろん属さないよね。
じゃあ、サービス業か? みんなをエンターテイメントするサービス業かというと、それも違うっぽい。選手は、みんなを楽しませるためだけにサッカーをしてないから。むしろ、自分の人生をもってしてサッカーを語っているほどだから。
サッカーに関わるビジネスで、誰かが得をして楽しむことはあっても、サッカー選手自身にはその利益ってあまり重要性を持たないよね。

どうして、選手はあれほど真剣にサッカーをするのか。
そして、どうして一部の人たちはあれほどサッカーに熱狂するのか。
別に、世の中にサッカーって必要不可欠なものじゃない、じゃない?
だけど、それに懸命になる根拠って、物や形では表せないなにかがあるからこそなんだろうとは思うけど。まあ、それって夢とか希望とか、そういう青クサイものになるのかな。でも、なんかもっとこう、他に言い方ってないのかなぁ……。

まあ、サッカーだけに限らず、他のスポーツも、たとえば映画もお芝居も。それらのプレイヤー(選手、俳優、映画監督、作家等々)は何を一体世の中に生み出して、これほどの影響を世の中に与えているのでしょうね。
2006年07月04日(火)  ニクソン
7:30*起床
8:00*充分に朝のボンヤリした時間を過ごす
8:30*シャワーを浴びて牛乳を一気飲み、とくダネを見る。
10:00*朝にやってるドラマの再放送を見る。

11:00*ジュンク堂に行ってみる。
11:30*西武と東武に行ってみる。
12:00*山手線に乗ってみる。
12:15*新宿で下りてみる。

12:20*電車の乗換えをせず歩いてみる。
12:30*途中の雑貨屋さんでニクソンのかっこいい腕時計を見つける。
12:33*買おうかどうか迷う
12:35*すっごい欲しい。12800円。
12:40*財布と相談。あと、2000円足りん。
12:41*カードを使ってもいいけれど、無職の癖にカード使うなんてイケスカン。
12:45*とりあえずあとで考えよう、ということで店を出る。

12:50*街は昼食帰りのサラリーマンとOLでごった返している。
12:51*それにしても、腕時計欲しい。

13:10*恋人の家に到着。
13:30*恋人とランチに出かける。
14:00*靴屋を冷やかす。
14:30*ブランドショップ店を冷やかす。
15:00*宝石屋を冷やかす
15:30*家具屋でソファーを冷やかす。
15:45*家電屋で液晶テレビを冷やかす。
16:00*冷やかして疲れたのでコーヒーを飲む。
16:30*本屋で涼みながら立ち読みをする。本と雑誌を3冊購入。
17:00*部屋に帰って、安藤さんのニュースを冷やかす。

17:30*ニクソンの腕時計が気になる。
18:00*とりあえず、明日もう一回店に行ってみようと思う。
18:15*ただ、行って見てくるだけで、買うかどうかはまだ未定。

19:00*ご飯もろくに食べず、DVD鑑賞。2本。
24:00*寝る。

翌日。
14:00*あの雑貨屋に行ってみる。
14:05*「その腕時計でしたら、もう売れてしまって在庫もありません」

ピンと来たらすぐ買えって事ですね。
2006年07月03日(月)  チョピン
で、昨日の演奏会では、ホルストの惑星の前にピアノ協奏曲も演奏していたのですが、あまりにも緩やかでゆったりした曲だったので(ショパン)、私の周りでは健やかにお眠りになっていらっしゃった方がいました。でも、ホルストが始まるとみんなお目覚めになったくらいの惑星(火星)の迫力はすごかったですが。

私も正直、ピアノは退屈だなと思って聴いていましたが、それでも何て言うか、演奏会でショパンの曲に健やかにお眠りになっていらっしゃった方々は、ほとんどご年配の方で、さすがご年配の余暇の過ごし方と言うか、なんかこう、年齢を重ねて人としての毒気?が抜けた、何をも大らかに受け止め、そして大らかに受け流すような寝顔を見せていらっしゃったので、人は歳をとるとこんなにも心に余裕が出来るものかと驚かされました。
ま、簡単に言うと、演奏会で眠ってしまうご老人には悪意は無いんだよね、ってことです。
寝てはいけないってことでもないし。ただただ、寝てたから演奏聞けなくて損したねチケット代、ってくらいで。
ま、私も寝そうになったけどね。
2006年07月02日(日)  膝の反射運動で
久々、オーチャードホールに出かけて、N響の演奏する「惑星」を聴いた。
「惑星」っていう組曲の中には、有名な曲がありますね。平原綾香が歌っていた「ジュピター」のもともとの元はこのクラシックなんですよね。
話は少し変わりますが、平原綾香って音大出身じゃないですか。彼女は確かもともと管楽器専攻だったらしいですね。声楽科じゃないのにあの歌声って凄いよね。だけど、そのデビュー曲がホルストの「惑星」っていうところが、なんだかやっぱり「らしい」なと思えます。

ホルストの惑星を聴いたことがある人は、わかると思いますが、何が凄いってやっぱり金管楽器がすごいですね。私もオケとブラスで何度か演奏したことはありますが、あれほど大きなホールでプロの奏者が演奏するものを生で聞くと、想像以上の迫力があっていいです。

私が音大のころ、オケでこの惑星を練習していたんだけど、その年のトロンボーンの学生がほんとに下手くそで、彼らが間違うたびヘナチョコな音を出すたび、私たち(トランペット)は彼らの椅子を蹴っていました。ちなみに、私たちラッパがへなちょこだった場合、斜め前に座っているホルンの子達がチッと舌打ちしてさめた目で私たちを振り返ってました。それでもって、ホルンの子たちがしょぼいとクラリネットやオーボエの学生が、「はあ?」となめた顔して笑っていました。
なんて言うか、私たちのオケの練習ってそんなもんでした。
学生のちっちゃいプライドではありますが、テンションがあがる曲の練習では、お互いほとんど喧嘩腰の練習をしていました。
今となっては、なんであれほど喧嘩腰だったのか自分でもよくわかりません。たぶん、同級生たちもわかっていません。きっと熱くなりすぎていたのでしょう。曲を流している最中に指揮者の先生が演奏を止めるたび、私たちの爪先は反射的にトロンボーンの椅子を蹴っていました。
キャラ的にトロンボーンの子は苛められやすかったのです。本当にあのころはごめんなさいね。
2006年07月01日(土)  300円
さて、私の吸う煙草が、いつぞやから300円になってしまいました。6月中にカートン買いかな?大人買いかな? いやいや、そこまでするなら、そろそろ煙草やめれば? とかなんとか、もぞもぞ考えているうちに、あっという間に時間は過ぎ、はっと気づけば300円になってしまいました。
これはもう、新橋前の疲れ切った安小遣いのサラリーマンのように、煙草止めてしまおうかなと、ふと思い浮かんだので、イッチョ煙草を止めてみました。
ただ、私はサドなので、灰皿もライターも、よもや煙草も、見えないところに片付けるわけでもなく、むしろテーブルの上に出しっぱなしにしたまま、食後の煙草吸いたい感マックスのときに、じっと堪えてみる、というのを自分に課してみました。
そんなこんなの方法で丸24時間は吸いませんでしたが、翌朝、ぼんやり目が覚めて一発目にしたことは、煙草を吸ったことですが、皆さんサバ?
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