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2006年04月30日(日)  寝坊助、歩く
起きたら、いいとも増刊号もすっかり終わってしまって残念。

先日、20代の所得格差が広がっているというニュースがあったが、30代40代の所得格差も拡大しているらしい。要因は主に派遣・パートの労働者が増えたからだと言う。所得が少ない独身者がおおいので、ひいては、少子化問題にも繋がるそうな。
なるほど、耳が痛い話題ではあるが、一体、自分の(先月までの)年収・所得は世間の平均のどの程度なのだろう。

あまりにも世間がゴールデンウィークで浮かれているので、自分も外出して恋人の部屋まで歩いていくことに。
途中、ドトールとカフェドクリエでそれぞれ休憩したので、2時間強かかった。
2006年04月29日(土)  寝坊助生活
起きたらお昼過ぎ。
今日から世はゴールデンな休日なのだそうで。
しかし私自身は世間よりも長い長いゴールデンな休暇を楽しむ所存。
何もかもに解放された気分を味わいたく、もう一度眠ることにする。

周りが休暇で遊び呆けているかと思うと、なぜだか活動する気が起きない。
周りが必死で働いているからこそ、自分の休暇がより贅沢に思えるというもので。
堕落した生活が今日から始まるのだなあ。
2006年04月28日(金)  振り返る
ひとりで廊下を歩き、でも振り返ってみたくなってふと振り返ると、灰色のスチールドアが、非常口を示す緑のランプにひっそりと照らされていた。
これほど廊下が真っ暗だったのかと、今になって思い知らされ、私はぜったいにこれからあのドアを開くことはないだろうと思う。
もうあのドアを開いて中に入ることなど、ない。

最後に花束をもらって、少しみんなの前で話し拍手をされた。
そしてみんな思い思いに、また仕事に戻っていく。
私もパソコンを片付け、デスクの中を最後に片付けて、昨日までと同じように「お先に」と声をかけると、みんなが「お疲れ様でした」と声をかけた。
私が外へ出るドアへ向き直ったとき、誰かが大きな声で「お疲れ様でした」と言った。その声に振り返ってみると、ひとつ下の後輩の男の子と目が合った。

彼とは同じフロアで働いていても、一緒に仕事をすることもなかった。あまり話をする機会もなく喫煙室でもそれほど顔を合わせることもなかった。「これからも頑張って下さい」と彼は言ってくれた。
一緒に仕事をすることがなくても、顔見知りの程度でも、彼の真っ直ぐな目に私は「はい」と答えた。

あまり、みんなに見送られることが好きじゃないので、私はそそくさとフロアを出た。
廊下に出て振り返ると、緑色のランプがドアをひっそりと照らしていた。
あの向こう側では、電話がたくさん鳴りたくさんの人間が働いている。
ここから見ると、それが嘘のように思える。
2006年04月27日(木)  ジューシー!
すっごい美味しいステーキ屋さん見つけちゃった。
すっごくジューシーなお肉なのにお安いの。
誰にも教えないぞ。

で、よくそこに同僚や後輩や恋人を連れて行っているのですが、レジのすぐ横にガラス張りのキッチンがあって、お金を払っているとそこでジュージューとお肉を焼いているコックさんたちが見えるのです。

で、またそのコックが白人の背の高いハンサムな外国人でね。なんだかああいう方が焼いているお肉かと思うと、余計に「美味しいはずだよ」と思うわけです。なんか、本場の人が焼いている気がして。というか、ステーキの本場ってどこか知らんけど。アメリカ?

で、私は週に3回くらい行っていると、もうその外国人コックも私の顔を見つけて「また来たね」って顔で微笑んでくれるわけです。同僚の女の子なんかが「カッコいい人!」って顔でニコッと笑いかけると、彼もウインクしたりね。なんだかとっても愛想がいいコックさんなわけです。

ある日、恋人を連れてそのお店に行き、肉を堪能したあと、レジでお金を払っていると、やっぱり外国人コックの彼は「Hi〜♪」という感じで手を振ってらっしゃる。私も無下に無視するわけにもいかないので手を振り返して帰ろうとしたら、投げキッスまでしてくださって。

愛想のいい外国人の方はよくいらっしゃると思うけど、私が男性(しかも恋人)といるときに投げキッスしてくださるって、ちょっとどうかと思う。まあ、いいけど。
まあ、お肉が美味しいからいいけど。
2006年04月26日(水)  身に染みて
私たちは、カウンターに座ってずっとお酒を飲んでいた。

その人は、「考えるということは悪いことじゃない」と言った。
彼は今、奥さんと別居している。その理由は何があったのかはっきり言ったことはないけれど、私は薄々気づいている。あんなに娘さんのことを可愛がっていたのに、どうして別居なんかに踏み込んでしまったのだろう。

「人にはいろんな事情があるからね。あなたにも事情があるから悩んでいるのだろう」と彼は言った。そうだ、私にも私なりの理由があっていろいろと悩んで、考えている。
男と女って結局何なんだろうと思う。だけど、それにはきっと正しい答えはなくて、自分が納得できる自分なりの理屈を見つけない限り、私は一生そんなことを考え続けてしまうだろう。
自分の腰を落ち着けられる理屈を見出すことが出来れば、私は一歩大人になるだろう。退屈な大人と言われてもかまわない。私は早く大人になりたい。

「僕が思うに、あなたは正直な人だし、バランスのいい人だから、きっと一番いい結論を出せると思うよ」と彼は言った。
「あなたは、私の仕事をしている姿しか知らないのに?」と聞くと、「仕事であってもプライベートであっても人の本質は変わらないものだと思うけど」と彼は答えた。
人の本質か。私は考えた。私の本質。

「彼氏を大切にしなきゃね」
と、その人はいつも最後は私にそう言う。

彼は、以前に私と一緒に仕事をして、今は別の会社に移り、そして私ももうすぐ彼と出会った会社を辞めようとしている。また飲みに行こう、と言い合って私たちは別れた。

「彼氏を大切に」彼の言葉が身に染みて痛かった。
2006年04月25日(火)  いつか誰かが
うちの会社には、アルバイトの人たちも働いている。アルバイトと言っても学生アルバイトではなく、20代くらいの所謂フリーターの人たちだ。事務の仕事をしている。私もいろんな仕事をお願いしている。

今日、新人の子たちがそのバイトの事務の子に妙な態度をとっているのを見かけた。
なんかちょっと見下したような、なんかちょっと高圧的な態度というか、ちょっとそれが気になった。

でも、こういうことってよくあることだ。
社員の人間がバイトの人間に居丈高な態度をとることはよくある。
それが、雇用形態の力関係の問題なのか、仕事に責任がある社員のプライドからなのか、いろいろ原因はあるだろうけれど、本当に些細なことからでもそういうことが感じられて、それがたまに目に余ることがあるように思う。
もちろん、責任を背負うのは社員だ。バイトでもある程度の責任はあっても最後はぜったい社員の責任の下、彼らは仕事をしている。
でも、会社がバイトという雇用形態の人間を採用して仕事をさせているということは、何らかの理由があって企業のメリットがあるからこそ彼らがいるわけで、私も「外部から来た人間」という雇用契約で働いているからこそ、彼らに居丈高な態度をとることに私は抵抗がある。
極端な言い方かもしれないけど、新卒で入社してきた人からしてみれば、愛社精神というか純粋な社員としての意識があるからこそ、きっと私の感じる抵抗感が理解できないのだろうと思うこともある。

でも、それを新卒の子が如何にも当然のようにとっていい態度なのかどうか。
私はそこが疑問なんですけど、と上司と話しをしていたら、「じゃあ、彼らに話しをしてみたらどう?」ということになって、夜のミーティングに話しをすることになった。

なかなか難しい話をすることになった。
難しい話ではあるけれど、結局、私たちは派遣会社の人間なんだから、自分たちがアルバイトの子を尊重して一緒に働くことが出来なければ、今後、自分が担当するであろう派遣スタッフも尊重して働いてもらうことは出来ないんじゃないか、という話しをした。

私は、正義を振りかざしているだけなんじゃないだろうか。
キレイゴトをただ並べているだけなんじゃないだろうか。
ふと、思った。
新卒の人間にはもっと別の大切なことを学ぶ必要があり、今はこんな話をしている場合じゃないかもしれない。そう思った。
彼らがもっとこういうことを考えるのは、仕事からいろんなことを学んで経験したあと、ずっと先のことなのかもしれない。

だから、今は何のことなのかさっぱりわからなくても、いつかわかってもらえたら私はそれで嬉しい。いつか、ああ、あれはこういうことなのかな、と少しでも覚えてくれていたらそれで嬉しい。

そんな話しをしているミーティングルームで、一番後ろで聞いていたその上司は私と目があってにっこりと笑った。誰かがわかってくれて、誰かが同じように思っていてくれたら。
2006年04月24日(月)  感謝をする
ということで、もうすぐ退職をするので、最後だから飲みましょうと、いろんな人と夜な夜な飲み歩いている。

長く担当していたお客さんたち。
部長、同僚、後輩、先輩。

私はここ2年半の間、ふたつの事業部に籍を置いて仕事をしていた。そのうちの片方の上司は、退職をしようと思うという話しをしたとき、随分と相談に乗ってくれた。
これから何をしていきたいと思っているのか。
私が30代、40代と年齢を重ねていく上で、どういう仕事をしていきたいのか。
だからこそ、何故、今この会社を辞めなければいけないのかという私の言葉にも耳を傾けてくれた。

会社は、たったひとりの社員のために、力は尽くさない。
ヒトは企業にとってかけがえのない存在だけれど、結局それは組織の中の「ヒト」のことを言い、個人の個々の問題に何かを尽くすほど暇じゃない。
普通の上司なら、部下が辞めると言い出した場合、たいてい最後は「はい、わかりました」で終わるものなのだ。何故、私がこの会社を辞めようというのかという理屈はそこに必要ない。
普通はそういうものだろうし、そしてそのことに私は異存はない。
むしろ、「結婚でもするの?」などと無関心なくせにニヤニヤ笑いながら詮索してくる。そういう人には、ニヤニヤ笑い返しながら「かもしれませんね」とだけ答える。

私の話しを真摯に聞いてくれる人がいてくれるということ。
私に手を尽くそうと言ってくれる人がいてくれるということ。
そういう人と一緒に仕事ができたということに、私は強く感謝している。
2006年04月23日(日)  『父と暮らせば』
最近観たDVD。

『父と暮らせば』 宮沢りえ 原田芳雄
これはかなり良かった。すごく泣けましたね。
広島の原爆で家族も友人も亡くした女性が、ある日ある青年に恋をするのですね。でも、みんな死んでしまって自分だけ生き残ってしまって申し訳ないと、ひっそり生き続けていた彼女は、なかなか彼に心を開くことが出来ない。そこへある日、幽霊の父親が現れて……、という映画です。

その映画の中で主人公の女性は、「あの日のあの広島では死ぬのが自然だった」と言うのですね。「生き残るのは不自然なことで、だから死んだ皆に本当に申し訳ない」と言うのです。
すごくショッキングな言葉だと思いました。
だって、原爆の中、生き残って、無事で生き残って良かったね、と普通ならそう思うはずです。そう思うはずと言っても、それはきっと私が戦争を知らない世代だから言えてしまう言葉なのだなと思うと、余計にショックな言葉でした。

戦争が関わる映画ってあんまり観ないけど、これは本当にいい映画でした。原田芳雄カッコイイよ。
2006年04月22日(土)  起きたらカラスが鳴いていた
寝て起きたら夕方。
そんな休日でした。
料理をする気もなく、掃除をする気もなく、トイレにたつのも億劫で、テレビのスイッチを押すのもなんだかもう。

週末の金曜日はヘロヘロなので、土曜にはいつだってこんな過ごし方です。
2006年04月21日(金)  沈む夕陽
山下公園から横浜駅に向かう船に乗った。

天気が良くて、いい気持ちだ。
ベイブリッチが見えて赤レンガが見える。ビルの間から夕陽が見え隠れして、恋人の顔がその度に赤くなったり陰になったりしている。
少し風が寒いけれど、少しのあいだ我慢すればすぐに横浜駅に到着する。
こんな大きなターミナル駅のすぐそばに海があるなんて知らなかった。

誰かが私の耳元で「真剣になれよ」と囁いた。
風が耳の下を撫でるように、でも確かに「真剣になれよ」と言った。
私はいつだって、ふざけていろんなことを考えたことはないはずなのに、だけど真剣さが足りないんじゃなくて、勇気がないだけなのかもしれない。
そうしたら、今度は「勇気を出せよ」と誰かが囁いた。
私も、勇気が欲しい。誰かに自分のすべてを許せる勇気が欲しい。
こんな大人になってまで勇気が欲しいと言うなんて思ってもみなかった。

恋人は、手摺に体をもたれさせてずっと夕陽を見つめている。
私は赤く照らされたり陰になったりするその横顔をふと見つめた。
2006年04月20日(木)  若者よ明日も出社してきてね
台風がおとずれたのかと思うほど、強い雨と風が吹いた午前中。急いでビニール傘を買ったのに、午後はすっかりいいお天気だった。

新人の研修に付きあって私も営業にまわる。
今週から、彼らは飛び込み営業を行っているのだ。
それに付き添って、と言っても飛び込みをする彼らの後ろをくっついていくわけでなく、初めだけ私が飛び込みをするのを見せて、そのあとそれぞれひとりで飛び込んでもらうというもので、私は近くの喫茶店でお茶していただけなのだけど。(暇だし)
4人のグループにわかれて飛び込むエリアを決め、集中的に飛び込んで営業をかけていく。そんでもって、なんかあったらすぐ私が駆けつけて対処する、という、なんとも過保護な研修だなぁと私は思うのだけど、まあそれも仕方ないよね。
だって、「飛び込んで来い!」と言ってすぐ出来るものじゃないし、営業するにしても彼らには知識も勇気もまだまだないわけなので。

数時間おきに、私が居る喫茶店に集合して成果や状況を確認して、なんかあったらフォローするということをしていたのだけど、とにかく店員のお姉さんは不審がっていた。
だって、長時間居座り続ける女がいるかと思えば、数時間おきに若者が入ってきてはコーヒーを飲んでこそこそ話し込み、また出て行っては別の若者がやってきて、こそこそ話してまた出て行く、というのを繰り返しているからだ。
そして、ちなみに、その若者はほとんどがめそめそしており、ほとんどがぐったり疲れ果てている。
そりゃ、不振がられてもいたしかたないね。

まあでもね、なんかめそめそされるとこっちも困っちゃう、正直。
めそめそしたくなる気持ちは、よーく、よーくわかるんだけど、わかるんだけどめそめそしっぱなしっていうのはどうかと思うんだよね。
私、初心を忘れかけているかしら?
私もめそめそと飛び込み営業してたことあったよね?
きっとあった。そんな時期があったはずだ。
だけど、忘れちゃったなぁ。すっかり忘れてしまっている。
忘れてしまって、むしろ新人のめそめそしているのに、うんざりしてしまったりしている。
あ、でも、私、めそめそしてなかった。
うん、自分はめそめそしてなかった。
めそめそしたのは1回くらいで、あとはずーっとケンカ腰に飛込みしてた。
うん、そうだった。
怒られそうになったらヘラヘラ笑って「さようならー」とさっさと退散して、ぐちぐち嫌味を言われたらちょっとケンカ腰になってた。
確かそうだった。

それもどうかとは思うけどね。

明日から出社してくる新入社員がひとりずつ減っていったらどうしよう。それもまたそれでちょっと面白いね。むふ。
とにかく、若者よ、メソメソはちゃんと夜に消化して、明日も元気に出社しましょうね。
2006年04月19日(水)  当店のカレーは椎茸入り
『トリビアの泉』で、男性の器が大きい行動は? というテーマをやっていて、カップルのお客の料理にわざと髪の毛をのせて出したときの男の人の行動を観察する、というのをやっていたんだけど、ああいう状況に身を置かれると、私は本当にヒヤヒヤビクビクする。

彼がお店の中で店員に怒鳴っちゃったらどうしよう、とか。
「言いにくいから黙っていよう」って気の小さい男だったらどうしよう、とか。
私は結局、見栄っ張りだと思うので、そういう場合の彼の態度がいちいち気になる。

料理の中に髪の毛っていうのは明らかに衛生的にも気分が良くないので、お店に言ってもいいことだと思えるけど、これは言ったほうがいいのか、それとも別に気にしないでもいいのか、そのボーダーがわかりづらい状況だったことがある。
以前、恋人とご飯を食べに行ったとき、何の料理で何が入っていたかはさっぱり忘れてしまったけど、その料理の中には入っていない具材が一欠けら混入していて、これは一体どういう経路で入ってしまったのか、ふたりで悩んでしまったことがある。
たとえば、カレーの中に椎茸がひとかけら入っていたりとか。
たとえば、オムライスの中にたけのこが入っていたり。
その料理に、その野菜って入ってないでしょう。って明らかにわかる具材がしかも一欠けらというと、味噌汁をすくったお玉を洗わずにカレーをかき混ぜたね? だから、これは味噌汁の椎茸がカレーに入ったんだね? って想像できてしてしまうような混入の仕方だったので、少々悩んだ。
お店に言ったところで、「はい、当店のカレーは椎茸一欠けら入りでございます」って言われたら、それはそれで理にかなったことであるかな? と、この状況の正当性を私は見出そうとしていたのである。
私は、見栄っ張りなくせに小心者なのだ。如何ともしがたい性格である。
それに気づいた恋人が、「ちょっとちょっと」と店員を呼んで、「椎茸が入ってるみたいだけど、これは間違って混入しているのかな?」と聞き、慌てて店員が取り替えますと言ったけど、私たちが気づくまでには半分くらい食べていたので、代わりにアイスティーをご馳走になった。
なんだか、私も恋人も店員も乾いた笑いを吐き出しながら、お店を出た。
そして、それ以降そのお店には行ってない。


ずっと以前に、一緒にタクシーに乗っていた男性が、とっても横柄な態度を運転手にとっていたので、嫌になったことがある。
他には、一緒にレストランに男性と行ったとき、注文をとる女の子がまごまごしていて、何度も同じことを繰り返さないと把握できなかったらしく、「あ、大丈夫大丈夫、ゆっくりね」と言っていた男の人もいた。だけど、そのまごまごしていた女の子が注文の品を持ってきてくれたとき、「仕事、頑張ってね」と再び声をかけていたその男性は、ただ単にその女の子に声をかけたかっただけのような気もしてならないけど。

という風に、女性は男性のどういうところを注意深く見ているのかと言うと、自分(彼女)に対しての言動ではなく、第三者への言動をよくよくチェックされているのだよという話。
2006年04月18日(火)  日々薄れがちな
私は、あなたが居てくれたからこそ、今こうして仕事を続けてられるような気がします。

と、ある派遣スタッフの人に言われた。
私の仕事を引き継ぐため、後任の営業担当を連れて挨拶をしてまわっているところだった。
その派遣スタッフと応接室に入ったとき、彼女はそう言った。

彼女がそう思っていることなど私は想像もしてなくて、だけど1年前くらい確かに彼女はいろんな事情を抱えていて、不安を抱えていて、出来る限りのことを私はしたけれど、結局、仕事を続けるかどうかは彼女の判断に委ねて、そして彼女は今でもその仕事をしている。
そこまで言ってくれるほど、私は彼女に対して最高の対応をとったとは覚えていなかった。もっとああしていればあんな風に悩ますことはなかったかも、もっとこうしていればこんな風にもめなかったかも、などと思うことばかりだ。
そして、そんな派遣スタッフは私の担当する中でもたくさんいる。
みんな人間なのだから、仕事にいろんな悩みを持っていて当然なのだ。私も同様に。


家に帰ってすっかり電気を消して、ベッドにもぐったとき、ふと彼女の言葉を思い出した。
「私は、あなたが居てくれたからこそ、今こうして仕事を続けてられるような気がします。あのときは本当にありがとうございました」

この言葉って、最高の褒め言葉じゃない?
営業担当として最高の褒め言葉じゃない。
ふと思い出して、ああ、派遣の営業担当をしていて最高に嬉しい言葉だなと思った。この仕事をしていて良かったなと思った。
日々、たくさんの人と接するからこそ、薄れがちな喜びを見失ってしまうところだった。
私も良かった、と思った。一年経っても、そう言ってくれることが私には嬉しい。
2006年04月17日(月)  ただお茶したいだけ
JR止まりすぎだね。

高田馬場で電車が止まったとき、私は新宿駅にちょうど到着したところで危なかったよ。
なんか駅が騒がしいなと思いながら、新宿駅をあとにして営業に行ってお昼に駅に戻ってきたら、まあ大変だったね。大混乱で。

仕方がないので、四ツ谷までタクシーでびゅんと走ったけど、そもそも四ツ谷までだったら地下鉄使えばいいじゃーん、と後になって気づいてももう遅い。四ツ谷で仕事を終え地下鉄で新宿に戻っても、まだまだ大混乱中だったので、同僚に電話をしたら「おうおう、俺も今、新宿駅に居る」というので、騒ぎが治まるまでお茶しましょうということで、ただサボりたいだけ。
2006年04月16日(日)  気どった声で
歯も磨いたし、目覚ましもセットしたので、本を少し読んで寝ようかと、ふとつけっぱなしだったテレビのチャンネルを変えてみたら、ベルリンフィルが、ラベルの名曲「ボレロ」を演奏していた。
どこかの野外ホールで、ステージの後ろには夕焼けが見えていた。
観客たちは思い思いに芝生に座り、寝そべっているもの恋人と肩を組んでいるもの、子供と話しながら聴いている者と、それぞれ自由に楽しんでいた。
とてもカジュアルなコンサートのようだ。観客の手に持った花火が、夜の闇へ変化していく会場に星が光るように見えている。

単純な旋律だからこそ、どこか複雑そうな、シンプルだからこそ難解そうな、そんな音楽だと思う。

それを聴きながら、恋人のことを私は考える。
もう最近は、考えすぎるほど考えて、ほとほと疲れ果ててきているかもしれない。
決壊したダムから大量の水が溢れてきて、私たちは飲まれないように必死にもがいている、そんな気分だ。
では、ダムが決壊したのは何が原因なのか。
それは、いろんなことの積み重ねだろう。
これは悪いことだけが積み重ねった結果じゃない。良いことも良くないこともすべて積み重なったもので、ダムが決壊しようとダムが干からびようと、人と人が長く付き合っていれば、たまにトラブルが起こることもあるだろう。

考え続けても仕方がないので、恋人に電話をかけた。

テレビの中ではボレロがクライマックスを向かえ、演奏が終わると観客たちは一斉に立ち上がり拍手をしている。指笛がどこかで鳴っている。素敵な演奏会だ。

電話の向こうの恋人は、どこか騒がしいところにいるようで、少しお酒を飲んでいるようだった。「最近僕らは、デートというものをしていないね」と、恋人がどこか気取った声で言い、じゃあどこかへ行きましょう、と言うと「任せろ」と言った。

幸せになりたい。そして誰かを幸せにしたい。
その思いは単純な思いのようで、実のところとても難しいことなのかもしれない。
2006年04月15日(土)  チャッチャラッチャ
ストレスが地球をダメにする、チャッ、チャラッチャ。
と歌っているあのCMはなんか強烈だね。

あのダンスと歌、強烈だね。頭でまわって離れてくれないよ。
ヤメテ欲しいんだけど、テレビから聞こえてくると、手を止めて見てしまうね。
それで無意識に鼻歌ってしまうね。
しかも、ふと残業中に口ずさんでしまうと、ものすごい自己嫌悪に陥ってしまうのですが、どうしましょ。
しかも家で踊っちゃうんだよね。どうしましょ。
ま、会社で踊んなくてよかったけど。

あのCMは私をダメにすると思う。チャッチャラッチャ。
2006年04月14日(金)  going on
こうも毎日、モンモン・ウツウツとしていても仕方がない。
人生辞めたくなってきてはいるが、そうも簡単に降りられないものだ。

今日もたっぷり働き、新人とのミーティングが遅くまでかかって結局深夜に帰宅。
また来週からは、新しい新人研修プログラムが始まるので、また私の担当する業務もかわる。
私は結局、今月で退職するので、自分の担当していたクライアントは随時引継ぎをしている。そうして、自分の持っている仕事が少なくなってくると身軽になるので、誰かと誰かの間の継ぎ接ぎのような仕事をする。たとえば、新人研修プログラムの担当のような。みんな忙しいから、新人の面倒を四六時中見てあげられないから。

週末が怖いと思う。仕事をしているときは忘れられる問題も、週末には自分の目の前に突きつけられるからだ。
家に帰ってテレビを観るのも洗濯をするのも嫌だったので、深夜までひらいているカフェに行って、お酒を飲みながら本を読む。

線路は続くよどこまでも。
私の人生はどこまでもどこまでも続くだろう。
あと何十年だって続くだろう。
その中で、どれだけ誰かを傷つけ、どれだけ傷つき、
どれだけ泣いて、どれだけ幸せになれるだろう。
私の人生はまだ続く。
何が起こったとしても、時間は止まってくれない。
人生は止まってくれない。
2006年04月13日(木)  先輩、驕られたい
というわけで、私は新入社員のぴちぴちフレッシュマンの面倒を見る係りになったわけで、あまり営業に出かけず社内に居ることが多いのですが、彼らは今、先輩の営業担当に連れられて、営業同行に毎日出かけています。
だけど、営業マンの仕事の都合によっては一緒に連れて行けない場合もあるので、そのときは私が営業に連れて行ったり、社内で一緒に仕事をしたりすることになります。
だけど、ここ最近、毎日のように同行にいけないフレッシュマンがひとりは出てくるということが続き、仕方がないので、私は彼らにかかりっきりで仕事をする羽目になりました。もとい、一緒にお仕事させていただくことになりました。

で、やっぱり、お昼ご飯をひとりで食べさせるのも可哀想なので、一緒に会社の近くのお店に行くわけです。
毎日、ひとり、驕らなきゃいけないので、お財布が悲鳴をあげています。
またこれが、一緒にお昼を食べに行っても、彼らは緊張しているのか知らんけど、会話も弾まないしね。「大学は何の専攻を?」「サークルは何を?」なんて会話、続くわけないよね。
でも、ある新人がこう言いました。
「先輩やお客さんとご飯を食べに言った際、気をつけなければいけない点はありますか?」
「やっぱり同じメニューを頼まなきゃいけないんでしょうか」「お会計はどんな風にすればいいんでしょうか?」なんてね。どうしてこうも初々しいんでしょう! 彼らの疑問のひとつひとつが初々しく可愛らしいのです!

可愛らしいんだけどね。お財布がね。悲鳴をね。あげていてね。
はぁーう。と溜息をついていると、見かねたマネジャーが「今日は俺が連れて行くよ」と言ってくれたりもしますが、彼らも営業に出かけているので昼間は滅多に会社に居るわけでもなく。
と、ある日、とっても偉い部長がふらりと現れましてね。何かの会議だったらしく、お昼時までいたものですから、「ご飯、行きましょう!」と無理やり誘って新人連れて、ついでに私も驕ってもらえました。

やっぱりモノは使いようだね。
2006年04月12日(水)  先輩、口先だけで適当に答えてしまう
というわけで、私は新入社員のぴちぴちフレッシュマンの面倒を見る係りになったわけですが、先輩風を吹かせて、「わからないことがあったら、何でも聞いてね」などと言ってしまったがために、ある男性フレッシュマンからこんな質問を頂戴した。

「やっぱり、新入社員というのはシャツは白でないとダメなんですか」
え? 言ってる意味がわからないけど、よくよく話しを聞いてみると、新人はカラーシャツで営業をしてはいけないのか? やっぱり最初は白のほうがいいのか? ということらしい。
うーん、別にいいんじゃない? 営業マンらしく見えれば。

でも、以前、男の先輩が後輩の男性社員にこう言っていたことを思い出した。
「若造は、シャツは白だ。カラーのシャツなんて100年早い」
ええ、そこまで言わなくてもいいじゃん、と思いましたが、まあ男の世界には男の世界なりの上下関係があるのかもしれませんし、白とカラーで何の拘りがあるのか知りませんが、そういうことらしい。
なんか、押し付けがましい男のルールのような気もするけどね。
やることやれば、カラーシャツくらいどうでもいいじゃん。と私は思ったので、

「そんなこと気にしなくてもいいんじゃない。服装は個性なんだから、スーツであれば問題なし」と、「服装は個性」と適当な言葉で答えてしまいました。

そしたら翌日、無垢で純粋なその男性フレッシュマンは、淡いブルーのシャツを着てきた途端、男の営業の先輩にこう言われたそうです。「シャツは白。とりあえず、まだカラーは着るな」だってさ! んもう、ビックリした。ごめんね、私がちゃんと確かめもせず、口先で答えてしまったために、君は叱られてしまったのね。ごめんね。
というわけで、その先輩営業マンに、
「ちょっとおー、叱ったんだって? シャツは白って」
と、文句を言ったら、「新人は白。お客さんの前に『新卒です』って言って出て行くんだから。初めはパリッと白だ!」と言っていた。

なんの拘りがあるのか、まったくもってわかりませんが、そういうことらしいです。
たぶん、こんなどうでもいいルールがあるのは、うちの会社だけだと思う。
ナンセンスなこってす。
2006年04月11日(火)  即時的社員
私は、4月末に今の会社を退職します。
3月末に契約の期限が切れるからです。更新することももちろん可能ですが、それをしませんでした。社内のいろんな人と話しをしたり、相談にのってもらたりしたけれど、自分だけの事を考えると、退職するという選択肢でもいいのではないかな、と思っています。
いろいろと思うこともあったりして、決めたことです。

あまり詳しくは言えないけど、私は今の会社に中途入社の契約社員で働いていましたが、通常の中途入社者とちょっと契約内容が違っていて、正社員と同じような営業の仕事もあったけど、それ以上に即戦力の営業担当しての職務があったので、ときには正社員たちの上に立って幹部候補生みたいな役割をしたり、新しい事業の立ち上げを推進する役割を担ったり。
正社員は、やっぱりそこの会社の社員なので、私と比べたら会社に大切に扱われがちなのですよね。ゆっくり育てようとしている。私はそういう扱いは受けないので、外部から来た人間として、きつい結果を求められたり先行きの見えづらい新しい事業の立ち上げをしたりと、なんだか正社員のための実験台ですか、という役割だったようにも思えますが、だからこそ、正社員よりは会社に縛られず、即時的に会社の中心に近い仕事をしてこられたこともあります。
やっぱり、経営者や管理職の人間と一緒に仕事をするということは、本当に勉強になりますね。何もかもが真新しかったです。

ま、というような仕事をしていましたが、3年という契約で一旦終了することになりました。
ですから、私は正社員とは違うので、私が辞めるからと言って後任の営業担当を採用するかというと違います。ただ、正社員と同じ仕事をしていた部分では、後任が居てもいいような気がしますが、やっぱり今のご時世を考えると、人間が減るからといって補充はせず、残った人間で業務をまわしていく、残った人間で担っていくことになります。「人が減り抱える業務が増える」という状況は、どこの会社でもみられることですよね。わざわざコストを維持していくことなどせず、自然にコスト削減できるのなら企業はそれでよしとするものです。

でね、私、前年度のMVP営業担当として表彰されたのよ。
嬉しいのよ。表彰状なんかもらったのよ。たぶんミニボーナスとか出るんじゃないかしら?
どうかしら? 勝手に期待しているけど。

なんだか、この3年間、報われた気分です。
指示された仕事だけをこなしていても、つまらない。自分の思うことがあれば積極的に手をつけていきたいと思ったけれど、上手くいかずに投げ出したくなったりもした。でもその都度、やっぱりアドバイスをくれた人がいました。相談できる人がいて頼りにしていた人もいました。
私は、ひとりでやりたい、ひとりでやり遂げたい、と思いがちな人間だけど、それだと限界はすぐきます。仕事を独り占めしたいわけじゃないけど、他の人間を巻き込んで仕事をすることがあまり得意じゃなかったんだと思います。でも、誰かを巻き込んだほうが成果はもっとあがるということを、身に染みてわかった気がします。そのためには、誰かを信用しないといけない。それは難しかったけど、でもやってみればスッと雲が晴れる思いがしたものです。
その結果が、今回の結論なんだと思える。いろんな人と仕事ができてよかったと思えます。報われたというと、語弊がありますが、もちろん、嫌なことだらけだったわけではないです。でも、最後にこういう結果を出せたことは、ひとつの締めくくりだと思えます。

全体会議の場で、そんな思いを持てた一緒に仕事をした人と久しぶりに会えて、とても嬉しい一日でした。
2006年04月10日(月)  理由のない理由
悲劇的なことも喜劇的なこともひとつもない。
なぜ、私は記録をつけるのか。それは真実起こったことであり、私にとっては意味深いことだったからだ。

男と女であるなら、私たちにはセックスをする選択肢がある。
それは余白のページにメモを残す程度のものでなく、かと言って序章やエピローグに飾り立てるものでもなく、ただ、何かを成立させるために必要な要素のうち、そのひとつのものでしかなく、それでも欠けることのできないものだと、私は思う。
気負いもなく打算もなく、ただ人が物を食べ、排出し、身を小奇麗にして眠るのと同じ重要さでセックスをすれば、私たちには何の問題も起きずストレスも感じない。意味のある意味のなさで。理由のない理由で。
だけどいつしか、セックスがなくなる時間がやってくる。相手に情だけが残る頃、それはやってくるようだ。私はそれに抵抗を感じずにはいられない。なぜ、人は食べることを我慢できないのに、セックスがなくても平気な人間がいるのだろう。
愛しているならセックスを、ということではない。なぜなら、人が物を食べ、排出し、眠ることと同じ必要性でセックスがあればいいと思うからだ。セックスがもっと何かに密着したものであればいいのにと思う。

いや、もうすでにセックスは私たちに密着しているからこそ、様々な問題が起こるのかもしれない。


私は男の人と、そんな話をしていた。
そんな話。
だから気負ってセックスをすることこそどれだけ嫌なものか、という話をしていたということだ。
その人は、沈黙してその後じっとテーブルの木目を見つめていた。
別にわかって欲しいとは思わないし、本当は私の本心ではない。
私の建前の話しだ。
男の人は、たぶん何にもわかってない。
こんな理屈を並べている理由なんか、ちっともわかっていないはずだ。
2006年04月09日(日)  喫煙高校生
営業途中、バスに乗って発車するのを待っていたら、外に立っていた学生服姿の高校生がタバコを吸っていた。わあ、なんかすごいな。制服で堂々とタバコなんて、やたら強がっている子供にしか見えない。
周りの大人は見てみぬ振り。
度胸(間違った度胸だけど)のありそうな高校生に、正義を教えてやろうというおせっかいな大人はいないということだ。
未成年の喫煙マナーとしては、せめて隠れて吸うべきじゃないだろうか。能ある鷹は爪を隠すというし。(?)
それとも、彼は制服マニア、もしくは高校生マニアで、制服着て街を歩くのが好きな大人なのだろうか。まあ、制服姿を除けば、見た目は25歳だといわれても否定は出来なさそうな顔している。

と、そんな喫煙高校生の彼が私の乗っていたバスに乗ってきた。
つり革に捕まって友達たちとおしゃべりしている。
同じ制服と思われる高校生も他にたくさん乗ってきて、バスの中は混雑してきた。
バスが走り出し、おばあさんがあるバス停で乗り込んできた。すると即座に座席に座っていたある高校生がすっと席を譲り、しきりにお礼をするおばあさんに「いえいえ、どうぞ」という風に頭を下げていた。
まあ、なんて素敵な子なの。同じ高校生でも見せびらかすようにタバコを吸う高校生もいれば、年配に席を譲る高校生もいるのね。なんて思っていたところ、先ほどの喫煙高校生の目の前の席が空いた。バスは変わらず混雑している。
彼は座るのかな、と観察していると、彼の背中合わせに立っていた、おじいさんの肩をぽんぽんと叩いて、「おじいちゃん、ここ座って」と言い、おじいさんはまたしきりにお礼を言って座席に座った。
まあどうして、喫煙高校生も席を譲ったではないの。
なんすか、最近の高校生の頭の中ってわからないね。
煙草を吸うことと、他人に席を譲ることは、どういう風に彼の頭の中で共存しているのでしょうね。
常識というか、マナーというか、そういうものの「○と×」がちょっと変だね。

なんだかおかしな高校生でした。
2006年04月08日(土)  三月の出来事
言いたいことがあったらちゃんと言ってね。
と、私は今にも恋人に言いそうになる。
恋人は随分我慢をしているのじゃないかと、私は彼を疑ってしまう。
疑うということは、その前提に信用があるということなのだろうか。
信用していたから、疑うのか。何も無い状態でも人は人を疑えるのだろうか。
恋人は、私に我慢をしているのじゃないだろうか。
そう思い当たるのは、私が恋人に我慢をさせているだろうと思うからこそ。

それは私が彼に負い目を感じているからだろう。
私が恋人に応えられなかったから、感じる負い目。

いつか誰かに望まれたとき、私はこんな気持ちを感じながら恋人と付き合っていかなければいけないことを想像できなかった。誰かに望まれたとき、自分は一体どう応えればいいのだろうという怯えにも似た気持ちや、焦燥感や、義務感を私は思っていたけれど、その先にあることを、私はきちんと想像していなかった。

言いたいことがあるなら。
でも、もしかしたら、もう恋人は私にかける言葉を持たないかもしれない。
ふと、恋人の横顔を見て何を考えているのと思う。
ふと、恋人は私を見つめて同じことを訊ねているのかもしれない。
ただ、お互い、それを言葉に出さずに、言葉に出来ずに。
ただ、苦しいだけである。
2006年04月07日(金)  わからない
異母兄に、
「お前はわかっているけどわからない振りをしているだけなんだと思っていたけど。やっぱり本当は何もわかっていないんだな」と言われた。
きっと兄は私に落胆しているだろう。

私はいつも心のどこかで、誰かが救ってくれると思っていて、実際、今までに誰かが救ってくれたり慰めてくれたけれど、それは当然のことだと受け止めていた甘い部分があったろう。
誰がどんな思いで私を救って慰めてくれたのか、私は知ろうとしなかったのかもしれない。
当然、誰かが私の側にいてくれ、当然、誰かが私を守ってくれた。
私は孤独だと思っていたけれど、やはり、本当の孤独は知らない種類の人間なのかもしれない。

私は、野心やプライドで誰かを傷つけることも出来る。
自分の思う以上に、誰かを傷つけることが出来るようだ。
だけど、そんな強さは何の意味もない。
ただ、自分を見失うことを助長させるだけだ。

わかっているけどわからない。
わからないことはわからない。
わかろうとしていないだけで、
甘えているだけ。
2006年04月06日(木)  三月の初めの出来事
あの本、読んでる? と聞かれたけど、私はその人に借りた本にはまだ手をつけていなかった。別の本を読んでいる最中だったからだ。

私と、業種は違えど同じ営業という仕事をしている彼と仕事の話をしていると、うんうんと共感して頷きたくなることがたくさんある。たとえばお客さんと向かい合って対応しているときのシーンや、社内の人間関係や組織の中でのシーン、いろんなところで営業として共感したくなることがたくさんあった。

私の会社の先輩でとても苦手な人がいる。
その人は、男の人で年齢も私より7つくらい上だと思う。その分、キャリアも長いわけだ。
その人は、私だけでなくきっと他の営業マンに対してもだろうけど、仕事に対していつも否定的な考えをする人のように思える。その否定的な思いを誰かに押し付けたがり共感してもらいたがっている。
お客に手間のかかる要望をされたとする。お客さんの前ではもちろん愛想よくしているけれど、そのビルを出た途端、そのお客への文句や不満や愚痴が始まる。そして一緒に同行していた私に「ね? あいさんもそう思うでしょ?」と聞く。私は、それほど文句があるなら愛想よく受けず、要望値の緩和をする交渉をすればよかったのにと思う。
明らかに無理難題であると決め付けるのは良くないかもしれないけど、はじめから応えらそうにないものにまで「YES」と答え、最終的に顧客の不満足を引き起こさせるのは、結果的に良くないのではないだろうか。
要望に応えたい。だけれど、営業マンが丸呑みして「YES」としか応えないのであれば、その人間は営業担当である必要性はなく、誰か暇な人間が御用聞きで顧客のもとへ向かえばいいのだ。だけど、そんなことであれば誰だって出来ることではないだろうか。
自分の持つサービスの能力と、相手の要望がどれだけ共通項を持てるかではないだろうか。

「ね? あいさんもそう思うでしょう?」と、そういうやり取りがその先輩と続き、私は黙って聞き流していたけれど、何も答えずただ微笑んでいるだけというのも苦痛になってきたので、「そうでもないと、私は思いますけど」と答えたら、その先輩は、「君、最近僕に冷たいよね」と醒めた顔をして言う。
自分の意見が相手に受け入れられなかった場合、その相手を異質な人間と判断し、協調性がないと言う。仲間でないと言う。
互いを舐め合って、馴れ合っていさえすれば、彼らのような人間はそれで安心する。優しくしてもらい、共感して同調してくれることが、たとえそれが口先だけであっても彼らのような人間は安心するのだろう。
「自分は、そうは思いません」と言った人間に、「なぜ?」と問わない。なぜと問う代わりに「マイノリティな人間」とレッテルを貼り、気がすむまで嫌味をちくりちくりと繰り返す。

「ね? そう思うでしょ?」そうやって、仲間であることを認識したがり、仲間を増やしていこうとする。私は、そういう馴れ合いが嫌いだ。仕事に否定的で無気力なのは、その人の勝手であり自由だ。ただ、それを前提として他人にもあるものだと思い込むのだけはやめて欲しい。

私は、そういう共感の求め方は大嫌いだ。

私の隣に座る彼は、会社の中で仕事の中で、どんな存在なのだろう。
業種は違っても、やっていることは似ている。同じことを私もしたことがある。
彼の話の中に、自分のなぞったものを見つけると、それだけで心が軽くなる。
これも共感のひとつだ。

人は、相手に共通項を見つけるとそれだけで親密さを増すことが出来る。
同じ県の出身だから。同じ大学の出身だから。そんな些細なことでもだ。
その共通項が、自分が大事にしているものであればあるほど、親密さは増すだろう。
それは、人間の基本的な感情のひとつだ。

人には、プライベートな部分とパブリックな部分の二面があって、私のプライベートはほぼ恋人で占められている。一緒に過ごさない時間も含めて、恋人によって占められている。そして、パブリックな部分はすべて、仕事仕事仕事。私は、けれどそういう自分に、不満を持っていない。
仕事はとても私の大切なものだからだ。
その中の共通項を持っているであろう隣に座る彼を、私の中の高い位置に占められる存在であることを否定できない。
そして、今の私の周りの人間の中で、パブリックの面での共有を出来る人間はあまりにも少ない。会社の人間は、同じ営業の仕事をしていても、立場が違い役割が違うからだ。学ぶことや教えられることはもちろんたくさんある。だけれど、底の底まで共感できる人は少ない。
それはひとつに、たとえ別の価値観をもって仕事をする人が現れようとも、容認することが出来るからだ。そういう考え方もあるね、と言って終わらせることが出来るし、そういう考え方もあったのか、と言って感心することもある。だけど、感心は共有とは少し違う。

同じ会社の中だからこそ、共感しづらいのかもしれない。
相手の立場がよくわかるからこそ、相手の仕事がよく見えるからこそ。
裏を返せば、その彼の社内での存在が見えないからこそ、会社が違うからこそ、共感を呼んでいるのかもしれない。

その人と仕事の話をするのは楽しい。聞かせて欲しいと思える。聞いて欲しいと思える。仕事の話ばかりで、なんだか悪いなとは思う。
そして、ふと頭の隅で、これも互いを舐め合って馴れ合っていることだろうかと思う。
馴れ合ってもいいじゃないか。別に馴れ合うことがカッコ悪いことではないと思う。
そんなふうに自分を追い込んだら、疲れるよ。
と、彼は言った。

私はこの人に共感しているんだなと思う。
もしかしたら、頷きあうことは、いずれ満たされることをおぼえ相手への依存度が高くなるのではないだろうか。私にとって彼のような人が貴重だからこそ、いつの日かの枯渇感は目を背けられないものになってしまったらどうしよう、とも思う。
2006年04月05日(水)  先輩、手を拱く
さて、今年の新人くん・新人さんは、皆さんとても可愛らしい方たちばかりで、もう先輩方は色めきたっています。

私の役割は、毎日彼らが先輩営業マンと同行をするので、そのスケジュールの管理が主な仕事です。誰にどの新人を同行させて、というのを毎日日替わりで行うので、営業担当たちひとりひとりに頼んで、一週間くらいのスケジュールを立ててやります。
そして、日々の同行営業から戻ってきた新人たちは、日報を書いて私に提出。その日報を前にふたりでミーティングをするというものです。
ミーティングと言っても、別に仕事の内容まで突っ込んで話をするわけではないので、新人たちがどの程度理解してくれているかな、というのを認識していく程度なのですが。
あとは、諸々、彼らの面倒を見るのです。

たとえば、先輩営業担当の中には、とてもとても新人たちを連れていけそうもないアポイントが急に入る場合もあります。所詮、といっては失礼ですが、新人たちはおまけの存在で先輩についていくだけなので、大きなトラブルがあったときや、中には「うちは、おたくに勉強をさせるために取引をしてるんじゃないぞ!」と怒られる企業もあるので、そういう場合は新人たちを連れて行くことは出来ません。
そんなときに、私の出番。
急な同行のキャンセルが入ったときは、私が社内で何かを教えてやる。何かって?なに? と、私はあまり何かをわかっていませんが、ま、きっとやることたくさんあるよね。
「って、社内に残って何を教えればいいんですか?」と、上司に聞いたら、「やることあるだろうー。ほら、えーっと、何させようかな。社内システムの使い方教えてもまだ早いしなぁ。法律の勉強させてもいいけど、それだけじゃかわいそうだし。うーん、困った」
と、結局、同行がキャンセルになった場合は、時間を持て余してしまうようです。
他の拠点の、私と同じ役割をしている人に、社内で何をしているか聞いたけど、「それが困るのよねぇ。何かを教えようとしても、結局、営業の話ありきでデスクワークがあるから、教えても仕方ないのよね。だから、雑用やらせてるわよ。シュレッダーかけてとか」って、それ、なんだかかわいそうですね。シュレッダーをかけてっていうのも。

なので、出来る限り、新人全員が外に出払ってくれることを祈りますが、どうしても無理な場合、決めました。私の仕事の手伝いをしてもらうことにする。
膨大に溜まった整理しそこねた書類を全部ファイリングしてもらいます。私はこういうの苦手な作業なので。
ということで、嬉々としてファイリングする予定の書類を全部引っ張り出して、机に積んである。
手をこまねいて、キミたちが同行からあぶれることを待ち望んでいるわけだよ、先輩は。
2006年04月04日(火)  二月の終わりの出来事
私が舞城王太郎の本を手に家に帰りついた頃、私の恋人はわざと私の誕生日に気づかない振りをしながら、どんな風に驚かせてプレゼントを渡してやろうかと画策していた頃だった。
やがて、27歳になり私は誕生日を恋人と過ごし、だけど恋人とケンカをしたり、忙しく仕事に追われたりしながら私は過ごしていた。

自分が今まで生きたことを思い返していると、自分を苦しめたくなることがある。
うまく言えないけれど、自分に罰を与えたくなることがある。
それはきっと、今まで自分が犯した罪深いことを、わざと自分の傷をえぐるようにして私自身を苦しめそしてどこかで私は安心しているのだ。
痛い傷にさらに塩をもみこんで、苦しむ自分を客観的に見ているという作業を、私は自分に強いることがある。
すべて、わざと。
馬鹿馬鹿しいと思いつつもわざと自分を苦しめて、悲嘆にくれる自分に酔っているのかもしれない。


ある晩、私は本を貸してくれた人の車に乗っていた。
送ってもらうのは家のそばまでと思っていたけれど、結局、雨が降っているから家の前まで送るよといわれ、私は黙って座っていた。
私はセキをした。ずっとセキが続いていて頭も痛かった。
大丈夫? とその人が私の顔をのぞきこんだ。
私はひとりで車をおりた。
家に上がりたいとも言わず、誘って欲しそうにも見えなかった。

家に帰って、きっと相手も自分の家に帰った頃、携帯電話にメールが来て、「今度誕生日プレゼントを渡すから」と書いてあった。

私が恋人とケンカをしたこととこのことはまったく別のものだ。
たまたま重なってしまっただけだ。
私はベッドに寝転がってずっと恋人のことを考えている。
恋人の悲しそうな顔を思い返して、自分を苦しめようとしている。
もっと恋人が喚いて怒鳴って私に怒ればいいのにと思う。
もっと恋人が悲しそうな顔をして涙を流してくれればいいのにと思う。
だけど、恋人は耐えようとしている。何かにじっと耐えている。
恋人は何も知らない。私のことなど何も知らない。

恋人とこのことは何も関係のないはずなのに、何も知らない恋人に私はさらに罪悪感を感じようと、自ら自分を苦しめるようなことばかりしたがっている。傲慢な女だと思う。
2006年04月03日(月)  あなたたちを尊重したい
今年の新卒入社者の面倒を見ることになった。
いくつかある役割のうち、好きなのを選んでいいよと先輩に言われたけど、結局、その中では自分が一番下だし、将来的に長くこの会社にいるわけではないので、あまり新卒の子と関わっても仕方ないという頭もあったので、初期段階の導入オペレーションをする役割をやらせてもらうことになった。
新卒で入社をした人たちは、どこの配属にいくにせよ、一度は数週間の営業同行の研修を受ける。営業担当に同行をさせてもらい、名刺の渡し方やアポイントのとり方、訪問の仕方など基本的なことを勉強するのだ。まだきっと、打ち合わせの運び方や折衝の仕方まではわからなくていいのだろうけれど、実際に企業の人と話をする場に行ってもらい、雰囲気だけでも感じてもらう、という主旨らしい。

彼らにとっては、初めての「社会」になるわけだ。
きっとわくわくしているだろうし、緊張や不安もあるだろう。
入社式の一番後ろの壁にもたれて、彼らの背中を見守っていた。

私が所属している部に配属になる新卒者は決まっているわけだけど、営業同行の研修期間だけは、自分の配属部署を避けてグループ分けされることになる。
どこの部署でも研修の内容は変わらないけれど、今のうちにいろんな社内の人間と接点を持っておくのもひとつの利点になる。ひとりでクライアントを任されるようになると、企業が大手であればあるほど別のセクションとの営業担当ともやり取りが生じるからだ。
それに、配属されるまでの研修期間とのメリハリも感じられる。

私の部署には12名の新卒者を迎えることになった。
私は営業の途中で入社式を少しのぞき、また営業に出かけ、夕方になって新卒者を迎えに本社に戻った。
ミーティングルームCという部屋に12名の新卒者が座って待っている。
長い長いオリエンテーションに疲れたのか、出社初日に疲れたのか、彼らは少し元気がないように見えたけど、私がこれからどんな風に営業同行の研修が始まるのか説明すると、彼らは私の一言一言を漏らさぬようにメモに留め、懸命に耳を傾けていた。

新しい人間を迎え入れて、また会社が動き始める。ほとんどの会社が新しい年を迎える。
それをこんな風に身近に感じることが出来て、私はとても新鮮な思いがした。
私自身は、新卒入社という経験をしたことがなかった。
学生の頃から企業に勤めて、インターンという形をとって社会人になったからだ。新卒入者でないというわけではないだろうけれど、彼らが内定を得るまでに経験した苦労を、私は知らずに今を迎えている。
就職活動をして、入社説明会に行き、いくつもの面接を行い、内定をもらって、入社すれば同期がたくさんいるという環境は私になかった。
だからこそ、彼らはよく頑張ったなと、私は思う。22歳やそこらで会社を選ぶ、仕事を選ぶ、生活を支えるためのサラリーをもらう仕事を選ぶ、どこかの会社に自分は受け入れてもらえるのだろうか、自分は社会に適合していけるのだろうか。あまり情報や経験のない中でそれらの決断をしなければならないということは、大変な苦労だったろうと思う。
彼ら自身ももしかしたら、今でも半信半疑でこの場にいるのかもしれない。
本当にこの会社でいいのだろうか。本当にやっていけるのだろうか。
先行きは正直、不透明かもしれない。自分次第と言われても、何をどう頑張るのかよくわからない。
そんな気持ちではないだろうか。
だからこそ、この場に集まった彼らを私は尊重してあげたいと思う。
私自身の出来る限りのことをして、彼らの安心に変えられればいいと思う。


ミーティングルームで、私はたくさんのことを彼らに説明しなければならなかった。
だから細かく、質問はないか不明なところはないか、その都度聞いてやった。
「今のところでわからなかった部分はありますか?」
唐突にグループ分けされた彼らたちは、お互いにどれほど親しいのか、私にはそれはわからない。だけど、そこここで彼らは隣り合った者に、お互いのメモを見せ合い、小さい声で話をして確認をしている。
わからないことがあれば、手を挙げればいいのだ。私はいくらでもわかるまで説明する。何がわからないのであればそう言ってもらって構わなかった。
「わからないことは聞いてね。自分たちだけで確認しあわず、今、私に聞かないとずっとわからないままだよ。」
そろそろと一番後ろにいた男の子が手を挙げた。
全員が一斉に彼を振り返って、手を挙げた男の子は律儀に席を立ってしどろもどろに私に訊ねた。

私が彼らにわかって欲しいことは、自分たちの中だけで憶測で判断しないで欲しいということ。必ず、私に何でも聞いて欲しいということ。どんな小さなことでもいい。いくら私が忙しそうにしていても、新人の面倒を見ることが、私の最優先の仕事なので、気を使わずに声をかけて欲しいということ。そして、その上で理解できたことやわかったことなどは、お互いに共有をして欲しいということ。
こんな質問、してしまうと迷惑かな? 笑われるかな? 恥ずかしいかな? と、自分で勝手に判断して押し込めてしまわないで欲しいのだ。

それを話して、その日は解散した。
彼らは、明日から、私たちのフロアに出社してくる。
楽しみだ。
2006年04月02日(日)  二月の始めの出来事
私からするとまったくの赤の他人である異母兄の弟が、遊ぼうと誘ってくれたのでクラブに行った。ふたりだけで遊ぶのかと思ったら、クラブには彼の友だちがたくさん集まっていた。彼は私よりも5つも年下のくせに、あらゆる年齢の人と知り合いらしくいろいろと彼らは私に優しくしてくれたけど、どうにも居心地が悪かったので、一人で隅っこでお酒を飲んでいた。
居心地が悪かったのは、その弟が私のことを「友だち」とみんなに紹介していたからだ。
時々、彼と私のことをどういう風に呼び合っていいのか、又は誰かに紹介するとき何と紹介していいのか、私は迷ってしまう。
だけど、そんなことをゴニョゴニョ考えても仕方がないことだし、そんな仔細なことに理屈を付けたがる自分は、嫌なヤツだとも思った。

音にあわせて踊っていたら、知らないうちに白人の背の高い男の人が側に寄ってきて、なんだか窮屈だったので私はゆっくりと彼から離れたら、今度は日本人の男性とぶつかってしまい私とその人は踊るのを止めてお互いの顔を見やった。

こういう遊ぶ場所の不特定多数の人が集まる場所で、堂々と自分の会社の名刺を出せるということは、自分の仕事や会社にとてつもないプライドを持った人でないと出来ないことのように思う。私はぜったいに出来っこない。もしくは、誰かに誇示することによって自分を尊大に見せることが好きな人でないと出来ないことだとも思う。彼の出した名刺の会社名は、誇示するに充分に足る企業だった。
鼻持ちならない男だなぁと思った。

音楽が大音響で響いているので、私たちはお互いの耳の側で大きな声で怒鳴りあいながら話した。それはなんだかトランシーバで話しているような気がする。
大きな声で耳元で聞かれ、私は少し黙って考えてから、顔を彼の耳元に寄せて大きな声で答える。彼はそれを聞いて大きく頷いて、何かを考えるように少し間をおいてから、私の耳元に顔を寄せる。
その人の耳の下からはいい匂いがした。
お酒をたくさん飲んで段々とおしゃべりをするペースが早くなり、そのうち顔を寄せる私の肩を彼は自然に引寄せたり、私も彼と顔を見合わせる距離が随分と近くなっていることに気づいた。

もう一度お酒を飲んでいると、随分と向こうのテーブルに弟たちが座っているのが見え、私はよたよたと歩いて弟の隣に座った。
弟は、「なぜ僕と一緒に来たのに僕と一緒にいない?」と私に言った。私が知らない間にどこかに行ってしまい姿が見えなかったことを言っているのだ。
「だってあなたはたくさん友達がいるじゃない。」と私が答えたら、彼はむくれていた。
「何が言いたいのかわからないよ」と私はもう一度言ったけれど、彼は聞こえない振りをした。だけどそれは、私が先にわからない振りをしているだけのことだと私はわかっている。

また踊ってまたお酒を飲んで、もうどれくらい時間がたったかわからなくなった頃、またさっき話していた名刺をくれた人と出くわした。
その人とお店を出て、少し歩いた。雨が降っていた。傘をささなくても気にならないくらいの細かな雨だった。
電柱にもたれてキスをしている男女がいた。私たちはその傍らを歩いてファミレスにはいった。目が眩むくらい明るい店内になんだかお互い照れ笑いをした。
鼻持ちならない男だなぁ、と思ったことは遠く彼方に消えてしまって、私たちはまた色んな話しをした。楽しくて話題が尽きなくてたくさん笑って、その人のいろんなことを知りたいと思ったし、私も自分の色んな話しをした。
その人とセックスの話をした。
その人がセックスの話をしていたとき、私は今まで付き合ってきた男の人のいろんなセックスを突然思い出し始めて、よく人は死ぬ間際、走馬灯のように人生を思い返すと言うけれど、そんな走馬灯のように今まで付き合った恋人たちとのセックスを思い返していた。
気持ちの良いセックスもあったし苦い思い出しか残らなかったセックスもあったし、何もかもが雑多に思い返されて、自分のセックスに対する気持ちが一気に自分の内側に向かって走っていくのを感じた。

外が少し明るくなり始めて、もう帰ろうよと私は言った。一緒に眠ろうと彼は言った。
でも私は自分の家のベッドで寝たかったし、かと言って誰かを自分の部屋にあげることは嫌だった。でもどちらかを諦めなければいけない。どちらも諦めないことも出来たけれど、頭が半分眠っていた私には、もう何がどちらでも良くなって、結局その人の家に行った。
シャワーを借りて、新品の歯ブラシをもらって、ベッドに入った。
ベッドから見える本棚には向田邦子の本がたくさん並んでいた。男の人の家に向田邦子の本というのは大きな違和感をおぼえる。偏見だろうか。最近面白かった本はなに? と聞いたら、舞城王太郎という作家の本が面白かったと言った。私も読んでみたかった作家の本だったので、一冊借りた。

セックスしなくていいの? と聞かれたので、この人は特にセックスしたいと思ってないんじゃないだろうかと思えたので、別にしなくていいよと答えた。ただちょっとこういう状況なのでお伺いをたてた程度なんだろうと思った。
半分眠った頭の片隅で、そういうやり取りをしている自分たちがむしょうに可笑しく思えて、私は自分で自分に腹を抱えて笑っていたけれど、とうとう眠ってしまった。

目が覚めて、いいとも増刊号を見てバナナを食べて家に帰った。
まだ、借りた本には手をつけていない。


二月の始めの出来事。
2006年04月01日(土)  ベッドの中で
私にはやっぱり言葉が足らないんだと思う。
誰かを知りたがったり、誰かに興味をもつことはたくさんあるほうなのに、自分を知って欲しい、自分をわかって欲しいということについて、言葉がたらな過ぎると思う。自己顕示欲が強いくせにそれを解決する術を知らな過ぎる。
仕事のシーンではなく、ごくごく日常の中にある私の言葉のことだ。

私は思うことをそっくりそのままこんなとろこに書いているけれど、だけどじゃあそれを身近な人に話をしてきたかというと、きっと1割か2割くらいしか話をしていないだろう。
だから、そのうち相手と衝突してしまうのだ。私はその衝突に、ときにおろおろして、ときに気持ちを爆発させる。そして壊れた防波堤には水が押し寄せてきて、その水圧で私も相手も疲れきってしまう。その疲れに、私と相手が堪えられるか堪えられないか、そんな賭けばかりをして、私はこれまでの恋人たちと付き合ってきたような気さえする。
堪えられない人は去り、堪えられたとしても段々と気力を消耗していく。

静かな夜、ベッドの中で、気持ちは言葉にしなければ伝わらないとふと思った。
今一緒にいる、この恋人に、今言葉にしなければ、私は一生後悔すると思った。
ふと、そう思い至ったのだ。

思う言葉は頭の中にあるのに、どうして私はそれを口にしてこなかったのだろう。心のどこかで、言葉にしなくてもわかってくれていると思い込んでいたのかもしれない。

私は、恋人が贈ってくれたものを大切にしている。
何もかも、私は大切に扱っている。時々使って、特別な引き出しにしまってある。汚れないようにきれいにしまってある。
物だけじゃなく、言葉も大切に記憶している。共有した時間もたくさんある。
すべてがすべて、私と恋人だけの大切なものなのだ。
大切だと思っていることを、私は言葉にしたことがあっただろうか。

私は恋人に伝えなければいけない。
とても大切な人だと伝えなければいけない。かけがえのない人だということをわかって欲しい。
ありきたりな言葉だけれど、ありきたりだと初めから諦めてかかることは、何の意味も見出さない。使い古された言葉だけでは伝えられないと諦めるのは、意味がないことだと思う。
永遠を願うより、今言葉に出来ることを伝えたほうがいくらか幸せのように思える。
Will / Menu / Past