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2006年01月31日(火)  感傷的になる
たまに、何らかの理由で感傷的になることがある。
私は人から話しを聞くのも好きだし、生身の人間にも興味はあるけれど、自分の中に残っている記憶を紐解いて感傷的になるのも、実は好きだったりする。

大学生のとき、歳の離れた男の人と付き合っていたことがある。
彼は、あんまりつかみ所のない人で、淡々とした人だった。愛想もないし社交辞令も言わないし優しそうにも見えない人だった。器用だけれど積極的ではなく、物知りなのに狭い世界で生きるのが好きなようだった。どうしてそんな人に私が魅力を感じたのかというと、私よりずっとずっと年上で、私よりずっとずっと大人だったからだ。
それは、実際的な年齢が私より上だということ以上に、考え方の筋道や選ぶ言葉が、私の中に圧倒的なものを感じさせたんだと思う。
私が理想とする「大人」が、今、目の前に実際に存在して私を翻弄させたし、翻弄されたい、圧倒されたいと自分でも思っていたのだと思う。

「私の話しを聞いて欲しい」というよりも、「私に色んな話をして欲しい」と思っていた。

たまに、ずっと歳の離れた異性が私を甘えさせてくれたらいいのにと思う。
お世辞も言わず愛想がなくても、自分を誇示せず何があっても動じないそんな男の人がいてくれればいいのに、と思うときがある。

自分に自信がなくなると、そんな人の存在に頼りたくなるときがある。
2006年01月30日(月)  喫煙ルームの巻2
タバコを吸おうと思って喫煙室に入ると、3人の女性の先輩がいたので、私は隅っこでタバコを吸った。
またまた、聞くつもりはなかったけれどたまたまそこに居合わせたので、彼女たちの話が聞こえてしまうと言う危険な状況になってしまったのである。

まあ、そんな危険な状況でも、自分から話題にはいっていけば、危険な目にあうことも少ないかなと思い、会話にあわせて愛想笑いしたり、「へぇー」とか「ほぉー」とか『私も会話にはいってますから!』というアピールをしながら、その場に居たんだけど、またその話題が、「占い師に占ってもらった」という話題で、良く当たるという評判らしいので、「その占い師ってどこにいるんですか? 私も占ってもらいたぁーい!」と、私が言うと、何でか知らないけど、急にみんな黙り込んでシーンとなった。

っていうかさ、別に本当は占って欲しいわけでもなく、知りたいわけでもないけど、興味があるポーズで話題に加わって無難に過ごそうかなと思っていたわけで、
私「その占い師どこの人ですか? 私も占ってもらいたーい」
先輩A「あいちゃんも占ってもらいなよぉ」
先輩B「そうそう、当たるって評判だから。恋愛相談とか聞いてもらいなよぉ」
先輩C「えぇ? 恋愛相談なら私が聞いてあげるわよぉ。カレってどんな人?どこで知り合ったか教えなさいよぉ」
先輩A・B「そうよそうよ、教えなさいよぉ」
私「えぇ、私の話しはいいですよぉ。あ、私仕事にもどらなきゃー。」
という会話になる予定だったのである。調子はやや古い会話ではあるが、それで無難に過ごそうかと思っていたわけであるが、予想外にもシーンとなり、彼女たちはなにやら目配せをし、

先輩A「……ああぁ、んまあ、あんまり言っちゃいけないんだよねぇ。ひっそり占いしてるような人だから、あんまり人に教えられないの」
先輩B「そうそう、まああんまり気にしないでね。うふふ」
ということだそうなのだ。

じゃあさ、内輪の秘密の話なら、誰かがやってきた時点で話しやめろよってことなんじゃないの。喫煙室なんて誰かが入ってくる場所なんですし。大声で喋ってるくせに、人が会話に入ってくると途端によそよそしい態度に出るのはなぜかしら。

ということで、「オバチャンは人の存在をあまり気にしないで内緒話をしてしまう」、そして意外にも「秘密は守る」ということがわかった。

なんだろうね、オバチャンって本当に難しい人種だと思う。私もああなってしまうのかしら。オバチャンと絡むって言うのは難しいね。話に加わらず静かにしているとからまれるし、積極的に話しかけると優越感たっぷりで肩透かしを食らわすという、難しい存在である。
というか私、嫌われてるのかしら? あらあら?

喫煙室を出て行くオバチャンたちが、まだ占いの話をしているうしろ姿を見つめて、「クソババー」と呟いたのは言うまでもない。もちろん心の中で。
2006年01月29日(日)  喫煙ルームの巻
会社の喫煙室でタバコを吸っていると、女性の先輩がふたりが入ってきて話し始めた。

話題は、ずっと旦那と姑の悪口?というか、どれだけヒドイ人かという話を延々としていたんだけど、だんだん話しがディープになってきて、離婚すべきかどうかなんて話に転じてしまったりして。
私はまあ彼女たちとはあまり口を聞いたことがないし、彼女たちも私の存在を気にしないで話し始めたので、ずっと聞こうという気はなかったけど聞こえてしまうという羽目になってしまった。

先輩A「それはさあ、やっぱり子供のことを考えて離婚しないほうがいいと思うよ」
先輩B「でもさ、子供からしてみたら両親が仲悪いのはよくない環境だと思うわけよ」
先輩A「まあ、それもあるかもしれないけど、離婚はねぇ……」

と言った先輩Aが私のほうを見てニヤリと笑ったかと思うと、

先輩A「ほらぁ、あいさんだって『私もそう思う』って顔してんじゃん。ねぇ?」
と急に話題をふられたので、すごく困った状況になってしまった。

別に人の離婚話をどうとも思わないし、むしろ、先輩たちの憤懣ぶりや愚痴っぷりを聞いていると旦那さんのほうが可哀想だなぁと思っていたところだ。
私「んー。まぁ、んー、そ、そうですねぇ」なんて、返事に屈する。

そして、彼女たちは結局、年下の私に何を言ったかというと、『ま、あなたにはわかんないことよねぇ、うっふっふ』と笑ってさっさと喫煙室を出て行った。

旦那・姑の愚痴を存分言って、無関係な人を巻き込んでからみ、つんつん突っついて弄んだ後、子ども扱いしてさっさと去っていく、という一連の行動は『おばちゃん独特』のものであると、私は考える。


気をつけましょう。
2006年01月28日(土)  やはり武豊に限るそうだ
堀江社長やら小嶋社長やらで、ワイドショーは最近イキイキと報道しているこの頃、皆さんいかがお過ごしですか。

最近、うちのマンションは外壁のペンキの塗り替えをしているそうで、ペンキがベタベタついたツナギを着たお兄さんたちが頑張ってペンキを塗っています。
ところが、私の部屋のベッドは窓のすぐそばにあって、土曜日だと言うのにペンキ屋のお兄さん達はお仕事だったらしく、朝9時に窓の外で『競馬・競輪・競艇』の話で盛り上がるお兄さん達の声で私は目が覚めてしまいました。
そんなに張り切って9時から仕事しないでも、どうか私をゆっくり寝かせて欲しかったです。
しかもね、窓のすぐ向こう側にお兄さん達はロープでぶら下がってペンキを塗っているらしく、壁一枚、カーテン一枚隔てた向こう側に人が居ると思うと、ヤな気分ではあります。数十センチも離れていない場所で、住民が眠って話し声で目が覚めて、目覚めの悪さにキレかかっている人間が居ると、果たしてお兄さん達は気づいているでしょうか。いや、気づくはずもなく。
しかも、さっきから外側の網戸を閉めたり開けたり。
お兄さん達は足場を作るために、人んちの網戸を開けたり閉めたりしてんだよ。
なんかもう、ソワソワするわ。
「私、ちゃんと窓の鍵閉めたかしら? もし、この人たちが容赦なく人んちの窓を開けて入って来たらどうしよう!」とか、妄想が膨らむばかり。
それほど、数十センチ向こうに知らない人がいて話し声が聞こえるという不安感。
なんとも嫌な状況です。

『競馬・競輪・競艇』の楽しそうな会話に、いちいち心の中で悪態をつき、早々にお兄さんたちが上階か下階にいってくれることを切に願った、休日の朝。
2006年01月27日(金)  歯医者の巻2
私の行く歯医者は、何人かお医者さんが居るんだけど、私を担当してくれている人は歳の近そうな女の先生である。

で、女同士だからってことで、私は我慢していることがあるんだけど、それは、治療器具を私の胸の上に置いて治療をすることだ。3本くらい器具を置いといて、とっかえひっかえやってるんだけど、それがたまたま何かの拍子におっぱい部分に置かれることがあるんだよね。
鎖骨の下〜おっぱいまでの間ならいいんですが、おっぱい上に器具をおくってどうなんすかね。
私はどうやら、歯医者におっぱいを触られに行っているような気がしてきました。
ま、女同士だからいいんですけどね。

あと、奥歯の治療時などは、よっぽど奥が見えにくいのか、ぐぐっと顔を近寄せて先生のおっぱいが私の顔にあたることもあります。

まるで何かのプレイをさせられているような歯医者ですが、あと2回で終わりそうです。
2006年01月26日(木)  歯医者の巻
もう、かれこれ4,5ヶ月になると思いますが、歯医者に通っています。
久々に歯医者に行くと、なかなか終わらせてくれません。虫歯が一杯見つかっているようだし。
ちょっとショックです。だって、キレイに歯磨きしていると思ったのになぁ。
私は、歯磨き粉が嫌いなのでつけてないけど、それが原因でもあるのかしら?使ったほうがいい? だけど、子供の頃から歯磨き粉を使わない癖がそのまま残ってしまったし、今ごろ使うってのもなんだか抵抗あるなぁ。

うちにある歯磨き粉は、代々の彼氏のために買ったものであり、その都度彼らが歯磨き粉を買い足してはうちに残していき、別れたら誰も使う人はいないけど、また新しい恋人が出来たら誰かがソレを使い始めるという、とても効率のよい使い方をしているなぁと感心してしまいます。
感心感心。

「どうしてアイは歯磨き粉を使わないのに、この家には歯磨き粉があるのさ?」と聞かれると「野暮なことは聞かないで」と答えると、「ははーん」と納得してくれる彼らに感謝です。
謝々。

歯医者が終わったあと、無印に寄ってこれを買うのが日課です。
こんなものを食べてるから虫歯になるのかなー。
だけどこれはかなり美味しいです。オススメ。






2006年01月25日(水)  ガッカリな人
今年の目標は、
・恋人を大切にする
・早めに仕事を切り上げて帰る
・文化的な遊びをする

というものです。

1番目はきちんと目標どおり行動できているかは、他者の視点で決めてもらうことですので、私には目標を遂行できているかどうかはわかりませんでございますけど、2番目のものはかなり達成しまくっています。毎日毎日、さっさと帰るようにしています。というのも、1月はそれほど忙しくないから出切る業ではありますが。
ま、そうは言うもののさっさと帰ることができる毎日ですので、文化的な遊びができるわけです。
ということで、今日もクラシックの演奏会を聴きに行きました。
自分の大好きな曲をどこぞのオーケストラが演奏すると聞けば、名も知らないオーケストラであっても出かけたいです。

でも、ちょっと腹が立ったことがありましたよ。
隣に座っていた、二人組みの女の人(おそらく年上)の会話が聞こえてきたんだけど、どうやら彼女たちは音楽関係の仕事をしている人なのか、どこかで演奏をしている人なのか、とにかく話していることが、「バイオリンの○○さんはカッコいい」だの、「あの弾き方はプロよね」だの、当たり前ですわよ、プロのオケですもの「プロよね」なんて、鼻の穴膨らまして大声でぎゃーぎゃー言うのもナニかなと思うし、「○○さんはカッコいい」なんてミーハー以外の何物でもない彼女たちは、本当に鬱陶しかった。
まあ、プレイヤー目当てで来るのもそれはそれでいいと思うけど、うるさいのが鬱陶しい。

しかも、自分たちが所属している楽団の人間の悪口大会が始まり、片方の女の人がひとりでヒートアップしながら、「アノ子はダメよ。全然音が小さいじゃない! 致命的よ!」と言う。片割れが「まあ、でも音はきれいだと思うよ」とフォローしているのに、「あんたそんなんじゃダメよ!音が小さいと何やっても聞こえないじゃないのよ! アノ子終わってるわね!」なんて。
人の悪口を食べて生きているようなタイプの人間に見えたので、本当にうるさかった。

しかもね、プンプン人の事を批判している割には、演奏中寝てんだよね。
寝るのは構わないけど、寝るんだったらこの際がっつり寝て欲しい、と私は思う。
よく、「うとうとしながら頭がガクッとなると目を覚まして起きようと努力するけど、またガクッとなって頭を持ち上げてはまたガクッとなる人」っているでしょ?あれは、隣に居る人には気が散って仕方ないです。
もう寝るんだったら、頭を後ろにもたせかけて眠って頂戴。お願いだから眠って頂戴。
目の端で、ガクッ→ふはっ→ガクッ→ふはっと、繰り返されるとイライラしちゃう。

もうビックリな人でした。
眠っていた彼女は、演奏後の拍手に驚いて起きたと思ったら、ここぞとばかりに大きな拍手をして足元においてあった花束をもって舞台下まで駆け寄り、係員が止めるのも構わず指揮者に花束を渡そうとしていた。だけど、指揮者に立ち止まって花束を受け取ってもらえず、何度も舞台にあがって拍手を受ける指揮者に執拗にアピールするものの、それでも結局気づいてもらえず、アンコールの演奏が始まって終わってしまったという、何ともガッカリな状態になってしまっていました。

はははーん。
2006年01月24日(火)  模倣犯
やっとこさ、宮部みゆきの『模倣犯』の文庫本を読み終わった。
途中で飽きかけたけど、粘って読んでよかった。
面白かった。

けど、宮部みゆきの本って『理由』を読んだときからちょっとずつ気づいてきたけど、ちょい役の登場人物でさえその背景の描写とかを細かく描いていることが、面白い部分でもあるし段々飽きてくる部分でもあると思う。
もっとスマートに、ある限られた人物の視点だけで書けばいいのに、どうしてちょっとしか登場しない、あまり重要でない人間の細かい描写が必要なのかなと思う。
まあ、それが「常に自分中心で地球は回っていない」というか、「主人公は自分で他は脇役というわけじゃない」というか、本の中にもあったけど、『群集』という中にも個々があって、それぞれの事情や理由や思いがある、ということなのだろうけど。

で、本を読んでいるとき挫折しかけていたので、ちょっと気分転換にネットでネタバレに注意しながら、模倣犯を検索していたら、模倣犯の映画の公式サイトにたどり着いて、配役をばっちり見てしまった。
中居君がピースなのは知ってたし、ヒロミ役の俳優さんも知ってたけど、あとのキャストを見たとき、「早く本を読み終わって、映画見てみたい!」と思った。

ので、今日、やっとこさ、映画を見た。
ははーん、ははははーん。こーれは、先に本を読んでおいてよかったなと思った。
映画を先に見ていたら「なんだよ、宮部みゆき。全然面白くないじゃん」と思ってしまいそうな内容だったので、先に本を読んでおいて本当に良かった。

どこかのサイトでも書いてあったけど、本の中で起こったことを女性の視点から描いたのが“本の模倣犯”、男性の視点から描いたのが“映画の模倣犯”だと思ったほうが良いそうです。
そしてそれぞれの立場で望むクライマックスはこれほど違うものなのだと思うと、なんだかなー、男って……、と思った。もちろん、男の人全員がこの監督の考える“模倣犯”を望むような人ばかりではないと思うけど、なんだかなーと思った。
あくまでも噂だろうけど、宮部みゆきはこの映画の試写会であまりにも堪えられなくなり席をたったそうだけど。

どうぞ、「模倣犯」を映画しか見てない人が居たら、本も読んでみてください
と、切に願う。

次は、「半落ち」だ!
2006年01月23日(月)  平日のせいか海は空いていた
『平日のせいか海は空いていた。』
というくだりが、伊坂幸太郎の「砂漠」という本にある。P112のL13だ。

『平日のせいか海は空いていた。』
何てことない文章なんだけれど、私はこの一文に違和感をおぼえた。
発音の仕方がわからない。どうしても訛ってしまう。
『空いていた』の部分の発音の仕方がわからなくなった。

『スいていた』?    (カタカナにアクセント)
『空いテいた』?
『空イていタ』?
空いていたの最初の“い”にアクセントを置くなら、私の実家の訛りになってしまう。

たまに、標準語のアクセントがわからなくなって、「あらぁ、私訛ってるわ」と思うときは、誰にも気づかれないようにスルーするに限る。東京人の振りをしていても、所詮は田舎っぺぺぺなのですから。

小さい頃、『マヨネーズ』と何回も連呼していたら、だんだん頭の中が『マヨネーズ』という物質を認識しなくなって、そもそも『マヨネーズ』ってナンなの? なんで『マヨネーズ』っていうの? というか、本当にアレは『マヨネーズ』なの? 『マヨネーズ』ってヘンな言葉! なんて気持ち悪い言葉の響きなの?! イヤーーー!気持ちワルイ!
と、ひとりで勝手にマヨネーズということばの真実と、マヨネーズというモノの真意を図りかねたことがある。

なんだか伝わりづらい話ではあるけど、そういうことってない?
2006年01月22日(日)  朝目覚めて
朝、目覚めて窓を開ける。
まだ雪が残っているという喜び。





2006年01月21日(土)  雪積もる
メールが届いていたので件名を見てみたら、『堀江です』と書いてあったので、「まあまあ塀の中からわざわざメールを!? 恐縮です!」と思いながら、なんとなく開いてみたら、エロサイト勧誘メールでした。塀の中からご苦労様です!

昨日は、じりじり焼け付くような商談を2時間ぶっ通しでやってしまったので、体がくったくたです。というか、声がガラガラです。頑張る、サラリーマンです。
どうも、冬は寒いので、プールに行って泳ごうという気になりません。
体を動かしてストレス発散、とか考えられません。寒いです。

雪はどうして私に黙って降るのでしょうか。
降る降るとニュースで言われていたので、知ってはいましたがどうして音もなくひっそりと、というよりこっそりと降るのでしょうか。
今、豪雪地域は大雪で大変な被害にあっていますが、けれど所詮私は南国育ちですから、雪には好意的なつもりです。大雪被害にあっている人たちには申し訳ないですが、どちらかと言えば肯定派というかウェルカム派なのです。東京生まれの恋人もそうです。
だけど、「いつ降るのかなー」と窓の外を何回も確かめていたのに、気を抜いた途端、外は大雪というのはやめていただきたい。せめて私に一言、降っているよと教えて欲しい。
雨のように、自分の存在を窓を叩くことで表して欲しいよね。

雪はいつの間にか降って積もり、いつの間にか溶けて消えてしまうのは惜しいことだと思います。
2006年01月20日(金)  ゲロおじさん現る
さっきから、隣に座っているおじさんは、「ウーン」とか「アーン」とか喘いでいる、というか唸っている。酔っ払ってヘンな夢でも見てるのかしら? と、さほど気にせず電車の中で本を読む。

そんな状態が数分続いた後、突然おじさんは何かに取り付かれたように、上半身をくねくねさせて痙攣を1回したら、おえっとゲロした。
結構、たくさん人が乗っていて立ってる人も多かったので、おじさんの前に立っていた人は、咄嗟に腰をひいてゲロを避けていた。おじさんの向こう側に座っていた女の人は、さっと席をたっておじさんを睨んでいたし、おじさんの斜め前に立っていた人は貰いゲロしそうな顔をしていた。
みんなおじさんをじろじろ見るか避けるかな状態だったとき、私はつとめて冷静にいなくてはならないと、本を持った手の震えを止めるのを頑張った。
とにかく今日は、鼻がつまっているのでラッキーだったと思う。
確実に、鼻がつまっていなかったら私は貰いゲロをしてしまったと思う。

おじさんは、なんかもう、1ラウンドでへばったボクサーみたいに、前かがみで顔をふせて、ぜーぜー喘いでいた。洋服と床にちょっとゲロが落ちていて、これはどうしたものだろうと、あと5分で電車が池袋につくというその時間が、50分くらいの時間に感じた。

ああそうだ。今日、定期を買ったときJRのお姉さんがポケットティッシュをくれたのを思い出して、かばんの中を探してみた。

だってさ、きっとこのおじさんも家に帰ったら娘もいるかもしんないじゃん。奥さんもいるかもしんないじゃん。まあ、風体からして家庭に居場所のある中年にはまったくもって見えなかったけど、もしくは、とうの昔に妻も娘も出て行きました、というようなおじさんに見えたけど(偏見)、百歩譲って家に帰ったら娘とか奥さんとかいるかもしれないじゃん。
もし、私の父が電車の中で気分が悪くなってゲロはいたら、かなり悲しいんだけど。情けないというか、「お父さんのことじろじろ見ないで!」と思うもん。だったら、早くその口周りについたゲロくらいはふいたほうがいいよねと思った。

ので、ポケットティッシュを探したけど見当たらず、無情にも電車は池袋に到着し、おじさんのお向かいに立っていた3人と、私を含めた両隣の人は電車をおりていった。ちらっとおじさんの座っていたシートを見たら、ゲロが残っていて、あそこは誰も座れない有様になっていた。

しかしゲロおじさんは、その洋服についたゲロが人ごみの中で誰かの背中につかないように気を使う素振りも見せず、人をグイグイ押して、さっさと改札をくぐっていったので、「なんだよ、ヤなおじさんだなー。ティッシュあげなくて良かったよ」と思った。
擦れたおじさんだった。
2006年01月19日(木)  ハイハイ、バレンタインデー
昼前に、恋人の職場の近くで仕事をしていたので、「一緒にランチしましょうよ」ってことで、彼のお昼休みの時間に合わせてご飯を食べに行った。

レストランに入って向かい合ってご飯を食べていたら、OL風の女の人が3人はいってきて、隣のテーブルに座った。まさに彼女たちは本当に昼時のOLという感じで、制服の上にコートをひっかけてお財布だけ持って、みたいな格好だったので、どうでもいいことだけど私は心の中で(うわぁー、本物のOLだよぉ、本物のOLだよぉ)と興奮した。

そしたら、その女性のうちのひとりが恋人に気づいて、「あら、○○さんじゃないですか」と声をかけてきた。どうやら恋人の職場の人らしく、恋人もやけに親しげに「○○ちゃん」とちゃん付けで彼女たちを呼んでいた。

だけどさ、たとえ職場の人であっても、誰かと一緒にご飯を食べているのだから、話しかけるのもほどほどにするものじゃない? ねえ? 私、間違ってる?厳しすぎる? その女の人たちは私がスーツ姿だったので、「ボクが、取引先の営業マンと打ち合せ後のランチをしているのかと思って、特に気にしなかったようだよ」とあとになって恋人は言っていたけれど、ずーっと恋人に話しかけて、そんでもって恋人も話を切り上げようともせず、ずーっとずーっと話してたの。
そんなに仲が宜しいのなら、私たちとあなた方のテーブルをくっつけて、ご一緒しましょうか、と思ったくらいだったけどね。私、心が狭い?寛大じゃない?でも気にならない?これって嫉妬?ねえ、嫉妬?

話しちゃいけないとは思わないけど、せっかく時間を調節してご飯食べてるんだから。ねえ?

でね、彼女たちと恋人の会話の中で、
女1「じゃあ、バレンタインデー楽しみにしててくださいね」
恋人「ああ、楽しみにしてるよ」
女2「ええ?じゃあ、私もチョコレート買います!」
女3「えー、私も○○さん(恋人)にチョコあげようかなー。」
恋人「わぁ、今年のチョコレートは3つ確保できて嬉しいね」
女1「今年も、手作りチョコあげますね(ハート)」
女3「えー?去年、手作りチョコあげたの?まじでー?」
女2「じゃあ、私もチョコの作り方研究しとかなきゃ♪」

ペキッと、私の頭の中で、ペキッと、ペキッと音がしましたです。
チョコレート?! 手作り?!今年も手作り?! 私もチョコの研究?! は?!
しかも、なんでこの男は、本物の彼女の前で別の女の人と「チョコもらえて嬉しい」みたいなことを言えるのでしょうか。怒らせたいの?この場で怒っていいの?修羅場にしていいの?!

そういや、去年のバレンタインデー、恋人はたくさんチョコをもらってきて私にも食べさせてくれたけど、たった一個だけ食べさせてくれなかったチョコレートがあって、白状させるとそのチョコは手作りなのでお前には食べさせられないよと、言ったことがあったね。そうか、そういうことか!ここでやっと誰の手作りかわかったよ!わかっちゃったけど!

女1の昨年手作りチョコをあげたという、女性の顔を見たけど、私勝ってるよ。勝ってるよ。だって、全然私のほうが可愛いいもの。ぜったい勝ってるもの。まあ、何をもって勝ち負けを決めるのかは自分でもよく分からないけど、店を出てすごいふくれっ面で「では、さようなら」とさっさと恋人と別れて仕事をして、家に帰って、あまりにも悔しくて悔しくて、スーツを脱ぎ捨て布団にもぐっていじけていたら、恋人がやってきた。

なにしに来たの? 良かったねー、チョコレート3つもらえるって。手作りだって。良かったねー、良かったねー。
という私に恋人は「だって、しょうがないよ。後輩なんだから、話しかけてくれるものを無下にするのも可愛そうじゃないか。チョコだって、喜んであげないと可愛そうじゃないか。ボクだって、どうして毎年手作りチョコをもらえるのか思い当たらないんだよ」と言うのが、益々腹立たしいね。
最終的に、この話し合いの結末は、「どうせ、私のこと女だと思ってないんでしょー!彼女だと思ってないから、他の女の人と私の前でそんな話しできるんでしょー!」と、いうところまでたどり着いて、「けど、私のほうが絶対あの人より可愛いもん!可愛いもん!」ということになって、「ハイハイ、あなたのほうが全然可愛いですよー」という恋人の言葉で締めくくられた。

そんなこんなの修羅場があったので、私の人生に「バレンタインデー」というイベントはなかったことにします。躍起になって「私も手作りチョコ作るわ!」なんて、同じ土俵に(?)たってあげません。私は闘いません。

ムカつかない?あなたが私の立場だったら、怒るでしょ?怒らない人っているの?怒らない人はどういう心理で怒らないの?なんで?ねえなんで?私に説明してよ!納得できるまで説明してよ!
ねえ、これって嫉妬?嫉妬ですか、ああそうですか。そうですね。
ハイハイ、嫉妬嫉妬。
2006年01月18日(水)  ネオンのゼリー
鉄塔のガイコツ ネオンのゼリー

ああ、知ってるよこの景色。まさにGOING UNDER GROUNDが歌っていた景色じゃないかと、私は営業帰りの真っ暗な道の真ん中で思った。
周りには誰も居なくて、坂道のてっぺんで私は街を見下ろした。

ずーっと向こうに、青や緑やオレンジのまあるい灯りがキラキラ光っていて、すぐ近くに電線がたくさん繋がった背の高い鉄塔が、太陽が残していった青い光に照らされて、痩せっぽちのガイコツみたいに見えた。手を大きく広げて、いつか私に覆いかぶさってきそうなくらい高くて細い鉄塔。
あそこにどこかの工場から生えた長い煙突の影が見えていて、時々オレンジの炎をあげている。炎は誰かの呼吸のように、リズム良く空に向かって細長く延びたかと思うと、ひゅっと煙突の中に吸い込まれ、また細長く伸びる。カンカンカンと鉄を打つ音が聞こえる。心地いい音だと思った。
私は上から覆いかぶさりそうな鉄塔を気にしながら、ひんやりと冷たい気持ちいい夕方の空気を吸い込んだ。それにあわせて、オレンジの細長い炎が煙突から吐き出された。

辺りが真っ暗すぎて、私はまるで宙にフワフワ浮いているかのような錯覚がした。
フワフワしていると、ネオンがまるでゼリーのように思えてくる。
指で押すと、ぽよんって弾き返されそうな真ん丸いネオン。
空を飛んでいるような、水中に浮いているような、なんだか変な気分になってきた。
山裾の淡い青い光が、じっと見つめているとどんどん黒に浸食されていっている。

冬の風がぴゅーぴゅー吹いて、私のコートの裾は何かの生き物みたいにぱたぱた足を打った。

オレンジ空から夜に変わる一瞬、濃い青い色が地平線に吸い込まれる時間がとても似合う歌だと思う。宙に浮いて、遠くの街の景色を見下ろしているようなそんな風景が浮かんでくる。
ああそうだ、だからあれは「トワイライト」という曲だった。
2006年01月17日(火)  記憶力
私の記憶力はあまりよくない。
人の名前は覚えられないし、顔だって覚えられない。
だけど、こうして何人もの人に出会ってサービスをする営業の仕事をしていられるのは、多分、誤魔化すのが上手だからだと思う。誰だっけ?名前なんだっけ?って、相手の話を聞きながらこっそり探すのが上手いからだと思う。
それに、あまりにも誤魔化してばかりなので、周りの人の怒る気も失せてしまうのかもしれない。

私の記憶は、だからとても都合がいい。
悪いことが起こったときなんてそこだけぽっかり記憶がないし、嫌だったことも、あのときどれだけ嫌な思いをしたかとか、どれだけ泣いたかとかすっかり忘れてしまった。
私はありがたいことに都合よくつくられているみたいだ。

ところどころ、私には記憶が定かではない時期がたくさんあって、たとえば大学生の頃、学校で何をしたかなんて、あまり覚えてない。あそこで遊んだ、こんな恋人と付き合っていた、バイトが楽しかったっていうのは覚えているのに、学校でのエピソードがひとつかふたつくらいしか残ってない。4年間もいたというのに。

だけど、そんな私の中にも残された思いでは、やがて時間をかけて段々美化されていく。美化されることは悲しいことだと思う。現実に起こった出来事でさえ、自分の気のすむように捻じ曲げられてしまっている。本当にあったことかどうかさえ、だんだんわからなくなってきた。
私は、あのとき本当にそんなことを言っただろうか。
あの人は、あのとき本当に私にそんなことをしてくれたのだろうか。
現実を忘れてしまうことは悲しい。事実が捻じ曲げられることは悲しい。
自分を慰めるために、なかったことがあったことになるのは、とても悲しい。
誰かと昔の話をしていると、自分の記憶のあやふやさがとてもよくわかってしまう。
それに気づいたとき、なんて悲しいんだろうと自分で自分に思う。

毎日毎日、大事にしてきた私の記憶は、毎日毎日塗り替えられていって、やがて本当のことはどこにもなくなっていくようだ。
事実と向き合えない人間なんて悲しいだけだと思う。

悲しいことは全部忘れたよ。
嫌だったことは全部忘れたよ。
キレイで楽しくて嬉しい思い出だけ、私の中に残っていくのだろう。
2006年01月16日(月)  酔っ払いの背中
久々、インフルエンザから立ち直った恋人が缶ビール一杯で酔っ払った。

酔っ払う恋人はあんまり好きじゃない。ま、嫌いじゃないけど、相手になるのが面倒なのであんまり好きじゃない。そもそも自分が素面なのに相手が酔っ払っている状況というものほどつまらないものはないじゃない。

以前、すごく酔っ払った恋人が、ずっとタクシーの運転手さんに自分の身の上話をしていて、最後に「男って辛いっすよねぇ」とちょっとジンワリ涙をためて、そして車をおりるとき「おじさんも頑張ってくださいねぇ」と言ったけれど、その運転手さんはちょっと男っぽい(和田アキコ的な)オバサンだったことを私は恋人に打ち明けていない。いまだ、恋人はアノ運転手さんはおじさんだと信じているであろう。言うまでもなく、私はお金を払うとき「すみません、酔っ払いの言うことなので忘れてあげてください」と謝っておいた。

たまに、酔っ払って電車に乗ったはいいけれど、駅から歩いて帰るのが面倒になったのか、よく「ホームまで迎えに来て」と電話がかかってくる。やや面倒なんだけれど、酔っ払ったにしてはちゃんと目的の駅で降りられたことを褒めてあげるくらいにして、あんまり怒らないであげる。
だけど、酔っ払った同僚と一緒にホームのベンチに座ってスナック菓子をボリボリ食べて私を待つのだけはやめて欲しいと思う。どうやら、この酔っ払いはお酒を飲んだ後は、ポテトチップスを食べたくなるようだ。

今日も今日とて、ビールを一缶飲んでテレビをげらげら笑いながら見て、チョコレートを食べている。ぜったい太る飲み方をしているけれど、悔しいことに暇さえあればランニングをしている彼は、それほど贅肉がついていない。
体を鍛えるために走っているのではなく、ビールが飲みたいから走るのだと彼は言う。ビールをたらふく飲みたいから、おじさん体型にならないように走っているのだと。走った後にビールを飲むのが楽しみだからと。

この人のすごいなぁと思うところは、平和っぽい雰囲気をかもし出しているところだと思う。
だって、平和じゃない。機嫌よく酔っ払って機嫌よく甘いもの食べて、好きなだけ走ってまたビール飲んで。満喫してるなぁと思う。もちろん、自分の思うとおりにすべてがいくわけじゃない、仕事で嫌なことも気分が悪くなることもたくさんあるだろうに、それでも最後は結局、平和そうだなぁと思える顔をしていられることを、私は凄いなと思う。
私なんて、いっつもくさくさ攻撃的になるしか出来ないのに。自分ってちっぽけだなぁと思えてきた。

どうやって、この人は自分の中でいろんなことの折り合いをつけているんだろうと、ごきげんにビールを飲む背中を見て思ったりした。
2006年01月15日(日)  理解して欲しい
自己顕示という言葉がある。
誰かの注意を自分に惹き付けておくため、必要以上に自分をアピールすることであると私は思っている。そして、それは時に、後向きなイメージにとられることが多いように思う。

以前、自己顕示欲の強い人がいた。
うんざりするほどその人は執拗に自分を誇示させていたけれど、だけどその言葉の向こうにその人の本当の姿が透けて見えるかのような、とても悲しい自己顕示欲の塊の人だと思った。
身の丈に合わない言葉を使ったり、微笑んでみたり。

人は誰れでも、誰かにわかって欲しい、理解者を得たいと思うときがある。
誰かに敬われたくて、誰かに大切にされたくて、誰かに気にして欲しいと思うものなんじゃないだろうか。

だから、私は、その人の言葉に頷き続けた。
その人が必死で私に自慢したり、実際よりも大きく見せているその人の姿を、私は信じることにした。

私だって、誰かに信じて欲しい。誰かにわかって欲しい。誰かに許して欲しいし認めて欲しいと思っている。だけど、誰かにそうしてもらえなかった場合、私は自分で自分を慰めなければいけない。自分の中で、自分を悲劇のヒロインにしたり、自分を責めることで自分を慰めてきた。
だけど、それは癖になると、段々と悲しい作業になってくる。
世界に一人ぼっちに取り残されたみたいな、孤独感を感じる。
私だって、誰かに信じて欲しいし、わかって欲しい。

私は、その人の言葉に頷き続けた。
その人は、とても満足していた。
だけど、その人はとても疲れていた。
私が孤独だと感じるのと同じように、その人は自分のしていることに段々と疲れ果ててきたのだ。

私はその人にどうすることも出来なくて、何も言葉をかけることが出来なかった。

どうして人は、理解者を求めるのだろう。
理解者を求めたがる自分の姿に疲れを感じるのだろう。
理解者が得られなかったとき、どうしてこんなに深い孤独感を感じるのだろう。
そんなことを繰り返して、どうして人は何十年も生きつづけることが出来るのだろう。
どうしてそんな生き方をしなくちゃいけないんだろう。
孤独だと思う。
2006年01月14日(土)  アイボンなさい!
どうやら風邪をひいたみたい。

金曜日の夜から、喉に違和感があるなぁ、痛いなぁと思って家に帰ったら、ホッとしたのか体が重くなって関節という関節が痛い。
こりゃ、風邪だわね。熱が上がるようだったらインフルエンザだわね。
風邪って本当に不規則な生活をしていると、すぐに隙をついてやってきます。風邪ひかないようにしなきゃと思って、うがいと手洗いとご飯をちゃんと食べていたのに、ここ2,3日、手洗いうがいを怠って、夕食をスナック菓子にした途端すぐこれだもんね。まあ、お菓子を夕食にするのはただ面倒くさかっただけなんだけれど。
明日から休みなので、風邪をひいてもインフルに罹ってもいっこうに構わないけれど、月曜日までには絶対絶対治さないとまずい。打ち合わせが3つも入っているので人に代わって行ってもらうのは忍びない。

セキも出始めたので、早速熱を測ってみると、37.5。
やー、いよいよあと0.5熱が上がったら、インフルかもしんない!インフル罹っちゃうかもしんない!明日、病院行こう。暖かくして寝よう。
マスクして、厚着して寝て、朝起きて熱測ったら、36.8。
あら、熱下がったけど。平熱からしたら高いけど、これじゃ病院いけないですぜ。
インフルじゃないのかしら?けど、節々は相変わらず痛い。
兎に角だるいし、喉は痛いけど、鼻水はないしお腹も壊してない。
なんというか、病院に行くには中途半端な症状で、どうしたものかしら?

でもたぶんアレだね。アレが多少効いるんじゃないかと思う。
目を洗う、アイボンあるじゃない。
あれやったらいいと思うよ。
私は、アレをやると必ず水がジャーッと垂れてきて服や顔を汚すので、シャワーを浴びるときにしているのですが、アレは多分風邪に効くんだと思う。目と鼻と口の通りをよくするでしょう。なんか気持ちいいの。そんでスースーしてちょっと体が楽になるの。だから、熱下がったのかな?

とにかく安静にして、月曜日はお仕事行きます。
だけど、全然元気だし、セキが出て体がだるいだけなんだけどなー。
2006年01月13日(金)  チクショー!
チクショー!
なんてね、女性が使う言葉じゃないでしょ? でもね、チクショー!って言いたくなるときもあったりする。
チクショー!

仕事が上手くいかないときがある。
派遣会社で仕事をしていると、生身の人間を扱う仕事なので、自分の力では及ばないことで仕事がダメになってしまったりすることがある。せっかく、派遣スタッフを企業に紹介して契約をしたのに、初日の勤務で派遣スタッフが「旦那が、私が仕事するのを反対したので辞めます」と言い出すとかね。
仕事をする上での、自分の周辺の準備が足りなかったスタッフの責任でもあると思うし、その理由が本当か嘘かはわからないけれど、結局、迷惑をこうむった企業が怒りをぶちまける相手は派遣会社なのである。
「まったく、なんて人を紹介してくれたんだ!」
「申し訳ありません!」てね。

そんなの、日常茶飯事にあることだけれど(あってはならないことではあるけれど)、あまりにも同じことが重なると、自分は呪われているんじゃないかと思いだす。

チクショー! なんてね、女性が使う言葉ではないとは思うけど、大きな声で夕陽に向かって叫びたくなるときがある。チクショー!

こんな日は、さっさと仕事を片付けて帰るにかぎる。
だけど、帰るにはまだまだ早い時間なので、ジュンク堂にふらりと立ち寄ってみたりする。
「ビジネス」なんていうカテゴリーの本棚の周りをうろうろして、『勝ち組になる方法』とか『売れるセールスマンになれる本』とか『仕事ができる人の時間の使い方』『金持ち父さん貧乏父さん』とか、そういう本のタイトルをいちいち見て、心の中で悪態をついてみる。
何が勝ち組だ!勝ち組、負け組なんて他人から区別されるなんてまっぴらだ!
売れるセールスマンなんて!そもそも売れる人がこんな本を手にとって読むはずがない!本から学んでその通りに仕事をしたとしても、そもそも二番煎じじゃないか!そこからして、すでにその人はトップになれないんだよ! 時間の使い方?ほっといて欲しいな! 金持ち父さん? どれだけ売れてる本かしらないけど、知ったこっちゃないね!そんなもの。
と、散々心の中で悪態をついてみる。

私は意地でも、こういう本は読まない。
意地なのだ。こういう本を読んだ時点で、誰かの真似をしているみたいで嫌なのだ。
クサクサしている今なら尚更、読みたくないね。
どうにかして、今の状況を覆さなければいけない。

私が信じている、クサクサ予防法は、とにかく行動量を増やす。モンモンと考えてムラムラするからクサクサしてくる。なので、そんなときは行動量を増やして、とにかくいろんなところに行って営業をする。クサクサしてしまったらさっさと寝て、クサクサしそうだなと思ったら行動量あげて、さっさと忘れる。そもそも営業なんだから、あまり頭の中で仕事をしすぎちゃダメなんだ。
これに限ると思っている。
明日から、クサクサ気分を吹き飛ばすために、ガシガシやる。

クサクサガシガシモンモンムラムラ。
たまに、チクショー!
2006年01月12日(木)  さようならと言える幸運
さようなら、ねえさようなら。

さようならと言える機会があるだけでも幸運に思ったほうがいい。
そもそもお別れとは、お別れのその瞬間にはこれが最後だとは意識できないものだと、私は思う。
いつの間にか、別れはやってきて、いつの間にか、誰かをどこか遠くへ連れてってしまう。

さようならと言う勇気を持つ必要はないと思う。
さようならと言って、それが最後の別れになった例などない。
さようならと言う間もないまま、黙って別れはやって来てしまった。
ふと気づくと、あああれがあの瞬間があの電話が、私たちの最後だったんだと気づくものだ。

そんな別れが出来ることを、私は幸運におもう。
目を見て、さようならなど私は言えない。
言うにはあまりに酷だと思う。

さようなら、ねえさようなら。
心の中でそう囁いているうちは、私たちにはまだ本当の別れは来ない。
2006年01月11日(水)  元気で
気持ちいいねえ。
ぽかぽか陽のあたるテーブルに座って、紅茶を飲んで、「気持ちいいねえ」と言って、ただそれだけ。昔の恋人という男の人と会うのはあまり居心地がいいものではないかもなと、最近思い始めた。

好意を持っているかといえば好意を持っているであろう。
好意を持っているのは確かだけれど、「好き好き、いやいや、離れていたくない」と大きな声で叫ぶほどでもなく。
居心地が悪いのは、普段の調子が出るまでに、エンジンがかかり出すまでにやや時間が必要だよね、というよそよそしい空気やギクシャク感があるからなのだ。

遠い遠い、私の行ったことのない国に住む彼は、こうして帰国してきた。
休暇のあいだ、久しぶりの友人にたくさん会い、日本での仕事のコネクションをたくさんつくって、親孝行をして姪を可愛がり甥を可愛がる。
私たちが別れるとき、彼の姪が生まれた。
その子はもう4歳になったという。携帯電話で彼と姪が映った画像を見せてもらった。私が覚えている彼女の面影がうっすら残っていた。

彼に、「恋人をつくらないのか」という話しになって、向こうの国の女性はとても積極的で一緒にいて楽しい子が多いけど、ただそれだけで終わってしまうと彼は言う。大事な人が欲しいとは、特に思わないと言った。なるようになるよ、と彼は笑った。なるようになるものだろうか、と私は思った。

私はもっと大人になれるだろうか。年齢のことを言うのではなく、もっと大人になれるのだろうか。
恋人は、私にとって恋人であり親友であると思う。
親友である恋人だった人と、恋人を解消してからも会えるということはとても稀だと思う。
親友のままでいられるということは稀だと思う。
私たちは、悲惨な修羅場で別れたわけでもなく、想いを残したまま別れてしまった。少なくとも私はそう思っている。この人とまだ付き合っていれば?結婚していれば?この人の子供を産んでいれば? もしもの話ならいくつだって想像できる。
だから、もっと大人になれればいいのにと思う。私が混乱しているのは、私がまだ子供だからだと思える。彼を、恋人抜きの親友だけの存在に思おうと努力している私の姿は、とても滑稽だと思える。
悲しい話である。

別れ際、キスをしようかと思った。
キスをしてしまえば、もうそれで気が済むじゃないかと思った。
もうそれで今戸惑っていることは消え去ってしまえると思った。
けれど、そうすることによって新たな問題が待ち受けていることも知っている。
迷うことはない、キスをしてはいけない。

「じゃあ、また帰ってきたときに」
そう言って、彼は空港に向かった。
彼が日本で最後に会ったのは、この私。
大切に思われているということじゃないか。それだけでもういいじゃないか。
私はそう思うことにした。
「元気で」
私はそう言って、彼の乗ったリムジンバスは走り去っていった。
2006年01月10日(火)  さて。
さて。
本腰を入れて洗濯物をたたもうとベッドの上に集合させたはいいけれど、私がパソコンの前に落ち着いてしまったので、あとまわし。

恋人がインフルエンザにかかったそうよ。
熱がすごく出てるそうよ。A型だそうよ。
A型ワクチン打たれた方、とりあえずおめでとう。
ポカリを買いだめしておいたのとお粥や雑炊の素を買いだめしておいたのは正解だったよぉ、と恋人は受話器の向こうで申しておりました。一週間くらいは幽閉ですね。
私がインフルエンザにかかりたいくらいです。あー、仕事休みたい。

さて。
ここ最近、不思議なメールが届いております。
綾音さんという方から毎日のようにメールが届いていますが、私は彼女のメールを自動的に「削除フォルダ」に入れるようにしてあるので、一回も開いてみたことがありません。
だって、イタメールなんですもの。
けどね、その綾音さんのエロサイトへの勧誘(?)の涙ぐましい努力を、私は毎日感心してもいるのです。

その表題がね、
『昨日の件』なんて、最初のほうは「あら?何の件だっけ?」と惑わせようとしているわけ。
で、そのうち『ちゃんとメール届いてますか?』なんて、「これはイタメールじゃないのでとりあえず開かせよう」という意図が見え隠れするわけ。
そのうち、『淋しいよ〜(T_T)』なんて、ちょっと可愛ぶってみたり。
このあいだなんかは、『何度も誘っているのに……』から、『私のことキライになった?』ときて、『とにかく連絡ください。待ってます』になり、『ずっと待ってるから……』といいつつ、『やっぱりあなたが好き……』と縋る女の心理を、プリッと表題にしてるっぽいの。
なんだかね、綾音さんの正体が女子か男子かは知らないけど、その件名を必死に(?)考えている某さんの姿を思い浮かべるとね、私はなんだかある意味愛らしいものを感じてしまいます。
ひそかに、彼女からのメールの件名を楽しみにしたっていいじゃないか。
だけど、一回も開いてみたことはないですけどね。

とかいって、本当に綾音さんという方からの「非・未承認広告メール」だったらヤバイな。

さて。
洗濯物をたたみます。
2006年01月09日(月)  私は妊娠するのですか?
今日は土佐弁でお届けします。

最近、よいよ困ったことに妊娠する夢を見るがやき。
今日の夢で、2晩続けてで?
なんか暗示するものがあるがやろうか?

昨日の夢は、もうすぐ産まれそうなくらい大きいお腹で、すごいブヨブヨしゆうき、恋人に「ねえ、なんでこんなにブヨブヨしゆうがやろ?大丈夫やろか?」と聞いてみたら、恋人が「うーん、あんまり柔らこうてもいかんきね。なんかで支えてちゃらんといかんかもしれんで」って言うが。
やき、なんかお腹を締め付けるもんないろうかと探して、腹巻したっていう夢。

なんか、私、もうすぐ妊娠するが?
もうすぐ妊娠する暗示やの?
妊娠するのは困るで、そうやっても心の準備っていうもんがあるろうに……。

―和訳—

最近、とっても困ったことに妊娠する夢を見るんだよね。
今日の夢で、2晩続けてだよ?
なんか暗示するものがあるのかな?

昨日の夢は、もうすぐ生まれそうなくらい大きいお腹で、すごいブヨブヨしてるから、恋人に「ねえ、なんでこんなにブヨブヨしてるのかな?大丈夫かな?」と聞いてみたら、恋人が「うーん、あんまり柔らかくってもダメだからね。なんかで支えてやらないとダメかもしれないよ」って言うの。
なので、なんかお腹を締め付けるものないかなと探して、腹巻したっていう夢。

なんか、私、もうすぐ妊娠するのかな?
もうすぐ妊娠する暗示なの?
妊娠するのは困るよ、そうは言っても心の準備というものがあるだろうに……。


まあ、和訳しないでも通じるとは思う。
2006年01月08日(日)  自己判断のもと
私の画力と申しましょうか。
絵の才と申しましょうか。
残念ながら私は、絵心というものを母のお腹の中に置き忘れてきたようです。
まったくもって、絵というものを描けない。
学生の頃の美術の授業といえば、もっぱら、英語の宿題や数学の宿題と引き換えに友だちにやってもらっていました。中学生の夏休みの課題、「写生」というものも、当時付き合っていた男の子にやってもらっていたという始末でしたのでね。

私は決して、絵を描くのが嫌いなんじゃないんです。
むしろ、下手なりに積極的に描きたいわけなんです。
けれど、出来上がったものはもう見るに絶えず、私の描いた絵を見た人は、確実に24時間以内に死にます嘘です。もう少し遠慮したとしても、24時間以内に泡をふいて倒れるとか、精神錯乱するとか。それほどむごいダメージを貴方に与えるでしょう。

私は、貴方に与えたダメージについて、一切責務は負いません。
よって、皆様の自己の責任のもと、判断してください。
「見る」か「見ない」か。
言っておきますが、私の絵を見た人は確実にダメージを受けています。
この絵を描いた本人(わたし)でさえ、笑い死にするかと思いました。
それくらいの威力です。

….
まず、見本の絵をお見せしましょう。




協力:04

これは、言わずもがな「キリン」ですね。
では、私の描いた「キリン」はこちらです。
(押せ!)
もう一度言いますが、見るかどうかはアナタ次第です。

では、次、「ガチャピンとムック」




協力:04

普通にテレビで見る、ガチャピンとムック。
で、私が思い浮かべて描いたガチャピンとムックはこちら。
(押せ!)

どうか、見た人、死なないで下さい。
あらためてこうして自分の描いた絵を見ていると、なんだか舌を噛み切りたくもなりました。
死んでも責任とれないので、どうか心臓発作とかで死なないでね。
2006年01月07日(土)  正月番外編2
正月番外編その2

初夢について、一富士二鷹三なすびと言われますが、私の初夢は、
友1「今度、私、双子を産むんだよね」
ア「ええー、私は三つ子だもんね!」
友2「私なんか四つ子だよー!」
友1・ア「負けたー!」

という、友人と双子だ三つ子だ四ツ子だと、生まれてくる子の数を争う話をしたという初夢を見ました。これはきっと、鬼子母神に初詣に行ってしまったせいです。

元旦の夜、眠っていたら恋人に起こされました。
「なに?」と恋人を見ると、恋人はむっくり上半身を起こしています。「なに?」と、私は寝ているところを起こされると、どうにもご機嫌がうるわしくないタチなので、ちょっと怒りかけながら恋人にたずねると、「す、すごい夢を見た」と言うのです。
どんな夢ですか?と、とりあえず機嫌が悪いのをおさえて聞くと、恋人はそれっきりずっと黙ってこちらを見ています。なんなの?なんで無言なの?怖いよ。なんか憑依しているようなその顔で私を見ないで。しかもこんな夜中に怖いじゃん。
その後、ずっと恋人は放心したまま無言で私を見つめるので、気味が悪くなって私は寝てしまうことにしました。

朝起きて、きっと昨夜のアレは恋人が寝ぼけていたのだろうと思っていると、「昨晩見た夢、聞いてくれるか?」と真顔で恋人が言うので、すごく不吉な予感がして「聞かない、聞きたくない」と逃げ回っていたのですが、とうとう聞かされることに。

自分が家の近くを歩いていると、向こうから鎌を振り回して白髪を振り乱して走ってくる老婆がいたそうです。その老婆が自分に向かって突進してくるので、恋人は逃げ回っていると、「お前を食べちゃうぞー」と老婆は叫び、持っていた鎌を恋人に向かって投げ、びゅんびゅん回った釜は恋人の首にがっつりひっかかり、恋人は「ぐはっ」と唸ったところで目が覚めたそうです。
で、起きたら、寝ていた私の腕が恋人の首にエルボーしていたというのです。
その首の痛みが、こんな可笑しな夢を僕に見させたのだよ、と変な言いがかりを私につけてくるので、そんな私の寝相(もしくは寝言)は私の責任には非ずですよ、と話したのですが、恋人は信じてくれませんでした。
恋人の初夢と比べると、私の初夢のなんとお気楽なこと。彼の怯えた姿がなんとも切なかったです。

本当に、今年は「恋人をもっと大切にしよう」とあらためて誓いました。
2006年01月06日(金)  正月番外編
と、正月3日間かけてDVD「新選組!」を見てやろうと意気込んでいたのですが、所用が諸々あって達成できませんでした。なので、皆さん是非見て頂戴!としつこいね。
あんまり、家に引きこもってテレビばっかり見ていると、正月も仕事の恋人に叱られてしまいます。「本当にテレビばかり見てダラダラ過ごすのはやめて頂戴」と言われるので、恋人が家に帰ってくる10分前には、テレビ漬けだった痕跡(床に転がったスナック菓子の袋とか、お餅を焼いてそのままにしてあるお皿とか)をすべて抹消し、「今日はとても有意義なお正月休みを満喫しましたよ」という顔をして、仕事帰りの恋人をいたわってあげるのです。有意義な正月の過ごし方ってなあに?と聞かれると窮してしまいますが。

恋人の車で所用をすまして、ちょっと用事があるから実家に寄るという恋人についていって、車の中で待っていたら、彼のお母さんがわざわざ家の外まで出てきたので、「あけましておめでとうございます」とご挨拶をして、まあ家に上がってちょうだいなというお言葉を頂いたのですが、「いいよ、また来るよ」という恋人の言葉に助けられ、家にお邪魔せずにすんだ。

私は、恋人を独り占めしてしまっているんだなと思った。
お正月に実家に帰らなくて良かったの?お母さんは淋しいんじゃないの?と恋人に聞いたら「それはあなただって同じことでしょう」と言われたので、あそっかと思った。

私はとても親不孝な娘だと思うけど、恋人はとても親孝行な息子です。
誕生日とか母の日とか、そういうプレゼントはもちろんですが、「正月の買物行くなら、僕、車だそうか?」なんて電話しているのを年末に聞いてしまいました。

先日、「犬が欲しい。犬飼いたい」と恋人は言いました。それで私は悟ったね。恋人は淋しいんだなと。だって、30代の男性が犬を飼いたがるってさ、もう淋しい以外の何を感じられましょう。あ、私のせいかもな。私がわがままだからかな。いっつもわけわからないこと言って困らせるからかな。

今年の目標は、「恋人を大切にする」にします。
だって、切ないんだもの、恋人の背中がさ。だって、せっかく一緒にいるんだからねぇ。いくら気の知れた恋人同士だからって、「初心忘れるべからず」ですよ、本当に。
2006年01月05日(木)  お年玉はもらったか
さて、仕事始めだったのですが、すっかり客先でおとそを頂いてしまい、あってはならないことですが、赤い顔して会社に帰りました。
あってはならないことですが、パソコンの画面を正視できないほど酔っ払うというのは、私には余りないことです。しかしながら、会社の人間には誰も「酔っ払っている」と気づかれることもなく、私の特技は「努力すれば、酔っ払っているけど酔っ払っている風に見えない」ということじゃないかなと、気づきました。

私の後ろを歩く部長から、「お年玉はもらったか?」と、私をいくつだと思ってんのかしらこの部長は、なんて思いながら一本指で必死にキーを打ちつつ、仕事始めの日は定時で早々に帰宅。
2006年01月04日(水)  会えないという淋しさ
人は、自分の生まれたときのことを覚えてはいない。
だけど、何かのきっかけで誰かの口から聞く事は出来る、知ることは出来る。
そうしたら、人の死ぬときっていうのはどうだろう。
自分の死ぬ瞬間を人は意識できるものなのだろうか。もし記憶できるものだとしても、その記憶は何の役にも立たない。死ぬ瞬間の記憶をあとからしみじみ思い出すことができないからだ。
死ぬということは考えることが出来なくなるということ、思うことが出来なくなるということ、感じることが出来なくなるということ。

幼い頃、大阪に住む親戚のお兄さんが、友だちを連れて私たちの住む田舎に遊びに来た。
二人はとても仲良しで、うちの祖母は彼らを家に泊めて甲斐甲斐しく世話をしてやっていた。私たち子供は、彼らに毎日のように遊んでもらっていた。
その友だちはとてもハンサムでとても優しかった。親戚じゅうの人間が、彼を見て「いい子だね」と口をそろえていた。私はその人に淡い恋心を抱いていたので、いつも親戚のお兄さんの後ろに隠れては彼の顔すらまともに見られなかった。

ある日、もういつだったかは思い出せない。
私の家に親戚のおばさんから電話がかかってきた。
その友人がバイク事故で亡くなったそうだ。
おばさんの話だと、真夜中の道でトラックとぶつかり亡くなったそうだ。
友人を亡くしたお兄さんは、とても塞ぎこんでいると言った。

人が死ぬということは、もう会えなくなるということなのだなと思った。
もう田舎に遊びに来てくれることもない。もう遊んでくれることもない。もう会うこともない。
とても淋しいことだと思った。

昨日の朝、恋人に悲しい知らせが届いた。
ずっと歳の離れた友人が亡くなったそうだ。病気にかかって長く、近頃は病状も良くなかったそうだ。恋人は亡くなった友人に会いに行き、夜になって少し酔っ払って帰ってきた。
「こんなに賑やかなお正月にひっそり亡くなるなんてね」と恋人は言った。
その亡くなった人がどんな人だったかを聞いた。
うんうん、と聞いていると、恋人はいつまでも話し続けてくれるような気がした。

人が亡くなると残された人は悲しいし、淋しいのだ。
亡くなった人は、残された人がこんなにも淋しがっていることをわかっているだろうか。亡くなった後のことが、彼らの意識や記憶に残らないとしても、どこか空の上で淋しがっている人たちを慰めてくれたらいいのに、と思う。
2006年01月03日(火)  見て頂戴!
せっかくゆっくりできるお正月休みなんだから、とりあえずチェックしておきたいテレビ番組をビデオに予約し、そしてツタヤから借りてきた「新選組!」のDVD全巻を制覇してやろうと画策する。
しかしながら、何度か地元の友達から電話がかかってきて、
友「ねぇ、飲みに行こうよ。今から迎えに行くから」
ア「いいよー。じゃあ池袋の駅まで迎えに来てね」
友「えー、東京にいるんだ?こっちに帰って来てないんだ。なんだ、じゃあまた来年ねー」
なんて、お正月にしか会えない友達とも会わず、私はゆっくり家で過ごすのです。

それにしても、「新選組!」は2004年の大河ドラマですが、皆さんご覧になりまして?見ていない方はぜひ見て頂戴。お願いだから見て頂戴。この通りお願いいたします。
これはいいです。すごく面白いドラマだと思う。面白いっていうか、泣かずにはいられない悲しいドラマなんだけどね、だって新選組だし。なんていうか、切ないし見ていて苦しいんだけど、だけど見ちゃうんだよね。
テレビで一回見てるのに、もう一回ツタヤまで足を運んでDVDを借りて見たくなったくらい
いいドラマです。

幕末の頃のお話を好きな人って結構いると思う。だって、いろんなことが起こったし、ヒーローだって生まれたし。自分の地元から出たヒーローが日本を変えるために活躍したと思えば、身近に思える出来事がたくさんあったものね。
きっとあの頃は、本当に何が正しくて何が悪なのか、誰もわからなかったと思うのです。「何が良いのかわからない」という不安定な世の中で、何かを信じて戦うということは、きっと現代に生きる私たちにはない感覚だと思う。それが怖くもあるし、見届けたくなるというわけなのです。
もしあの混乱した時代に生きていたとしたら、私はきちんと自分の正義を持てるのだろうかと、ふと思いました。自分は日本をこんな風にしたいんだって思えるかなと。
まあ、そんなことを考えるよりも、今のこの2006年にたいし真剣に考えたほうがいいわけでもありますけど。
なんだか熱く語ってしまいそうですが、とにかく「新選組!」は面白いので、ぜひ見て頂戴。

それから、DVDを一話みるたびに、「ほぼ日刊イトイ新聞」を見て頂戴。糸井さん達がドラマについてアレコレ話しているのをあわせて見ると、もっと面白いことを発見。
引きこもって、テレビとPCを交互に見て、ドラマに涙する、という「あんた、ネクラだね、引きこもりだね」と言われても仕方のない過ごし方を致しました。

ああ、明日から仕事だと考えると憂鬱になってしまうそんなお正月休み最終日でした。
2006年01月02日(月)  テキ屋のおじさん
はじめて過ごす東京のお正月は、とても静かでした。

恋人と近くの鬼子母神に初詣に行き、「鬼子母神なんかで初詣して、今年は赤ちゃんが授かっちゃったらどうしようどうしよう」とどうでもいい心配をしながら御参りをし、おみくじをひいたら「吉」と出て、内容はなんて書いてあるかしら?と読もうと思ったけど、昔の仮名文字(?)「ゑ」とかっていう昔の仮名文字(?)、「言ひて」とかって書いてある昔の仮名文字(?)で書かれてあったのでまったく読めず、理解できず。これって、現代語で和訳されたおみくじないのかしら?と思ったけど、代わりに恋人が読んでくれるということなので、耳を傾ける。

恋愛 「待てば良縁」とのことなので、きっとステキな王子様が迎えに来てくれるのね、と今まさにそれを読み上げている恋人がいるにも関わらず、ステキな良縁を心待ちにしていようと心に誓い、団子屋でみたらし団子を食べて家路に着く。

テキ屋さんっていうのは、ヤ○ザがやっているんですよね。
ヤさんのしのぎの商売なんですよね。
初詣の列に並んでいると、境内にテキ屋が並んでいるので、テキ屋のオヤジの様子を観察してみたんだけど、あれは間違いなくヤさんだと思う。ヤさんもお正月からお仕事して大変だわね、でも稼ぎ時だもんねと思いつつ、くじをひいておもちゃと交換してもらえるテキ屋のオヤジを観察していたら、そこへお父さんと息子がやってきた。
息子「パパー、5番が出たよ」
ヤ「はい、5番ね、5番は○○のシールだよ、はいどうぞ。」
息子)「……」
見るからに息子は嬉しくなさそうな顔をして代物を受け取っていた。遠目から観てもけっして今時の子供が喜びそうなものは店先に並んでない。なんというか、一風昔のちゃちなおもちゃしかないのです。
息子「パパー、これいらなーい。こんなのいらなーい。」
子供が駄々こね始めました。パパはもう焦っています。だって、お店の前で「こんなのいらなーい」なんて、いくら子供の言うことだからって、ヤさんの前でそんなこと言っちゃったらねぇ。こんなときのヤさんってどんな顔してんのかしら、とそっと見てみると、ヤさんも弱った顔で、頭をかいている。
ヤ「じゃあ、これも付けてあげるから、ほら野球カードだよー」
なんて、怖そうな顔した大人が懸命に子供の機嫌をとろうとしている姿を見ていると、ヤさんのくせにイイヒトだなと思った。
ま、でも野球カードであっても子供の機嫌がなおるわけでもなく、お父さんは引きずるようにして息子を連れ帰っていきました。

客のいなくなった店前で、ヤさんはタバコを吸い、渋い顔で空を見上げていました。
なんだか静かなお正月で、どうしてこの人はヤになったんだろうなぁと、疲れた顔で空を見上げている彼を見て思ったけど、そもそも見かけだけで彼をヤと決め付けるのはよくないなと思いなおし、初詣。
「今年も健康で過ごせますように」
2006年01月01日(日)  コバケンすごいっす
新年あけましておめでうございます。

年が明けた瞬間は、滅多に見ない12チャンネルの番組を観ていました。
年末からずっと第九の演奏会のテレビ番組を観ていて、12チャンでもコバケンという指揮者がタクトを振っていたので、熱心にそれを観る。
0:00:00丁度で、第九の演奏がジャーンと終わったときの感動ったらないよ。
数十分もあるクラシックの演奏を、0:00:00丁度で終わらせる指揮者の力量ったらすごいよね。コバケン今年も凄いねと思った年明けの瞬間でした。

テレビも電気もすっかり消してベッドにもぐると、どこかから除夜の鐘が聞こえてきて、私は少し感激した。帰省していたらきっと知ることのなかった、この近辺での除夜の鐘を、あれは何番目の鐘の音かなと思いながら目を閉じるとすやすや眠れてしまいそうだ。
ああ、眠っているうちに私の煩悩をすべて消し去ってしまえたらいいのにと思いつつ、こうして私のお正月は始まったのでした。
Will / Menu / Past