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2005年12月31日(土)  2005年に合掌
ここに、つごう20枚の年末ジャンボ宝くじがある。

恋人とそれぞれ3000円ずつ払って買った宝くじがここにある。
さて今日は、宝くじ当選番号発表の日。

「では、読み上げます」と恋人と正座して、インターネットで探した当選番号を読み上げる私。
というか、当たらないよね。当たるわけないよね。連番で買ったから、それぞれ300円ずつしか当たらなかったよ。
私が信用できないのか、まだパソコンの画面と宝くじを見比べて頑張る恋人がふいに、「ふああーーっ!」と腰抜かした声を出して、ぴくぴく痙攣している。もうそんなに驚かさなくてもいいって、当たってないんだから、どうせ私を驚かそうとしているだけなんでしょ。
「当たってるじゃんー!当たってるじゃんかー!」と恋人は言うけれど、嘘だってそんなの。だって、私がちゃんと読み上げた番号のくじはなかったじゃないの。
「60万円当たってるよー!」と恋人は尚も、私をからかおうとして嘘ばっかり言っている。
「なんか、今年は60周年記念らしいから、特別に60万円の当たりくじがあるみたいだよ。ほらここに書いてあるの、さっき読まなかった分ここに載ってあるよ!」
え、マジで?マジで60万円?!
60万円っていう中途半端な金額がもっともらしい。
その中途半端に当たって嬉しい金額が、なんだかもっともらしい。
うそー!?本当に当たっちゃったの?

と、恋人から宝くじを奪い取って照合してみたけれど、「嘘だよ」と一言。
ちょっと本気にして、意地汚く宝くじをめくっていた自分がいやらしい。ムカツクね。
高笑いをする恋人の声と、テレビからはN響の「第九」が聴こえてきている。
風邪をひいているのか、さっきから指揮者はハンカチで鼻をふきながら指揮棒をふっている。
金などに目をくらますことなく、胸に手をあて歓喜の歌を聞くのだ、若者よ。
きこえるか、歓喜の声が。
ああ、来年は第九の合唱でもしてみようかなと思った。

今年の大晦日も何の変哲もない一日として終わろうとしている。
2005年に合掌。
2005年12月30日(金)  ママの味
かまぼこって高いの。
一本千円とかするの。
おせち作れないよね。
かまぼこ一杯のおせち。

お雑煮ってどうやって作るのかしら?
我が家のお雑煮ってどんなんだったかしら?
と、作り方がわからないのでインターネットで調べて、うちはきっとお味噌でおもちを煮るお雑煮だったわ、と思い出し、じゃあお味噌でお雑煮しようと思ったら、「東京下町のオラんちは、醤油のお雑煮。餅は焼かないと食わねえ」と言うので、じゃあ、ママのお雑煮食べればいいじゃないの、ママに作ってもらえばいいじゃないのと言ったった。

なんかこういう人いるよねー。
うちは代々こういう味だから、って言う人いるよねー。
じゃあ、ママに食べさせてもらえばいいじゃんと思うよ。

四国の我が家はお味噌でお餅は煮るの。
うちのママの味はこれなの。
食べたくなければ食べなくてよろしくってよ。

と、言い合いをしても埒があくわけでもなく、あまりに言い過ぎると恋人がかわいそうだし、私はとても優しい彼女なので、味噌味で焼いたお餅をいれてあげることにした。
この組み合わせありかしら?と思ったけど、丸く収めるにはこれしかなかったので、まあいいか。
2005年12月29日(木)  私のオーラ
よく、満員電車の中で思うんだけど、どうしておじさんの耳の穴には剛毛が生えているのだろう。




どうして、あんなところに剛毛が生えているのだろう。
中学生のとき、友だちが歯医者に行ったのだけれどそこの先生の耳からこぼれんばかりの黒い毛がはえていて、友だちは言葉を失ってしまったそうだ。
どうして、おじさんにはあんなところからあんな剛毛がはえているのだろう。




ちなみに、私の耳にも毛が生えているけれど、毛というよりは産毛と言っていいほど可愛いものです。
中学生のとき、窓際に立っていた私に友だちが「あいちゃんの周りにオーラが見える!」と叫んだことがあります。外からの光が私の産毛を照らして、私の耳まわりだけオーラがあるように見えたのですね。




ちょっとこの絵は、気持ちが悪い耳のように見えますが、もっと私の耳は可愛らしいです。こんなにキモクはないです。むしろ、私のチャームポイントです。オーラの元です。

もし、恋人の耳から剛毛な毛が生えてきたら、私はちょっと考えるかもしれん。
何をってみなまで言わないけど。
先日、こっそり恋人の耳を確認してみましたが、まだ今のところはその兆しが見られないので、まだ大丈夫そうです。




一体、このメカニズムはなんなのでしょうね。
ホルモンの分泌が多すぎるものやや度が過ぎやしませんでしょうか。
それを満員電車の中で、ドアップで見せつけられた日には、ちょっと一日やる気が起きナンだけど。
2005年12月28日(水)  納めましょう
私は反省をしない人間なので、今年の振り返りをしません。
「ただただ、忙しかった1年だったな」と、毎年のように思ってそれで終わりです。
そうは言っても今年は各地に出張したので本当に忙しかった。正直、春から夏にかけてはしんどかったです。それの反動か何かはわからないけど、今とっても充実してないです。
出張が終わって落ち着くと、なんだか暇をもてあましているような気がして全然暇です。暇なので何をしてもやり遂げた感がなく、なんだか豆腐に頭をぶつけているような(?)気になります。

とにもかくにも、今日は仕事納め。
目が血走るくらい疲れました。
同僚の皆も、血を抜かれた死体みたいな顔して仕事していました。

散々食って飲んで忘年会でわんさか騒いで家に帰ったら午前2時とかって。
まあ、仕事納めだから許されるよね。
よね。
2005年12月27日(火)  理不尽だと思う
だいたいね、年末の最後のゴミ収集日って早すぎるんだよね。
だってさ、普通、大掃除をしてたくさん出たゴミを最期のゴミ収集日に出して、大掃除が完了するわけでしょ。
でもさ、私の仕事納めの翌日が最後のゴミ収集日なの。
お仕事終わってから大掃除するつもりなわけだからさ、今年最後のゴミが出せないのよね。
おかしいと思わない?
理不尽だと思わない?
ゴミをベランダに出しっぱなしのまんま、私は新年を迎えなきゃいけないんだよ。
理不尽以外の何物でもないと思う。

恋人が住んでいる地域は、うちのゴミ収集日の翌日が最終収集日なので、車でゴミを恋人の家の前まで運んでやろうかとも思ったけど、面倒くさかったのでやめた。


うちのマンションの自転車置き場は、入り口を入ってエレベーターの前を通り過ぎた奥の扉の向こう側なんだけど、先日、自転車に乗ってスーパーに行って帰ってきて、自転車置き場の扉を開けたらね、そこにねイチャイチャしているカップルがいたの。

そこはね、外部の人間は入れない場所なの。夏ごろは、ノラ猫の住処になっていたほど奥まった場所だから、まあ、百歩譲ってラブホテルに行くお金が捻出できない、高校生のカップルにとっては勝手のいい場所かもしれませんよ。
だけどね、私が扉を開いたらね、若いお兄さんとお姉さんが地べたに座って、胸揉んでたんだよね。ちょっとキスしかけてたんだよね。
どうして、そこですーるーのー。
彼らは私に背を向けた格好だったけど、気配を感じて動きをピタリととめていました。明らかに冷や汗をかいていた背中でしたよ、キミ達の背中は。でね、私もビックリするじゃん。人がいないであろうと思ったその場所に人がいたことに、まずビックリ。その次に胸揉みかけのキスしかけだったことにビックリ。
だから、そーっとまた扉を閉めましたよ。
ソーッと閉めてあげましたよ!
理不尽だと思う。
自転車片付けられないので、外にとめたまんま部屋に帰ったら、テレビを見ていた恋人に、
「胸もんでた!チューしかけてた!」と報告。その後、ワルノリでもう一回そっと見に行こうと、今度は非常階段をおりて自転車置き場に行ったら、まだイチャイチャしていました。
そこで、もっとワル乗りした恋人が「コラー!」と叫んで階段の影に隠れていたら、彼らはこそこそとそこを出て行きました。
懲りない人たちだね、まったくさー!

理不尽だと思う。だって、うちのマンションなのにどうして私は彼らに遠慮して、自転車を置けなかったのか。彼らの間を割って「はい、どいてどいてー」と言って、自転車を置けなかったことに、理不尽さを感じる。
2005年12月26日(月)  孤独に生きていくということ
生涯、誰か一人を愛し続けることなんて出来ないと思う。
誰かに少しの想いを残して、そしてまた他の誰かに少しずつ私の想いは残されて、やがておばあちゃんになったら、私の人を想う気持ちはなくなってしまうのかもしれない。
誰かに少しずつ私の想いを、私の一方的な気持ちを残していく。

だから、生涯誰か一人を愛し続けることなんて出来ない。

私が死ぬまで誰かがずっと想ってくれることなんてあるのだろうか。
私が子供を産んでも、おばさんになっておばあちゃんになっても、私をずっと愛してくれる男の人がいるだろうか。
いつの間にか私を女性として見てくれなくなることが悲しい。いつの間にかセックスをしなくなり、やがて拒まれていくことは悲しい。
大事に想われなくなることは、とても悲しい。

男の人が、愛していると言うと私は鼻で笑いたくなる。
私が、誰かに愛していると言うと私はため息をつきたくなる。
根拠なんてどこにもないのに、どうして人はその場限りの雰囲気で、愛していると言えるのだろう。どうしてそんな大切なことを軽々しく口に出来るのだろう。私もあなたも。

愛情が続くなんて言える保証はどこにもないのに、想いがなくならないと言える理由なんてどこにもないのに、どうして、結婚を誓えるのだろう。どうして、生涯愛し続けることを誓えるのだろう。

どうして、人は愛情を肯定できるのだろう。
想いは少しずつ置いてけぼりにされて、私はいつしかひとりぼっちになる。
いつしか取り残されて、孤独に生きていくことになる。
2005年12月25日(日)  イチゴ
「どうしても、M-1グランプリ見たいから、6時半には帰るぞ!」と恋人は言い、彼の望みどおり家に帰ってきてテレビを見ている。

楽しくデートしてるのに、「テレビ見たいから帰る!」なんて、こんな大きい子供見たことないよってくらい。まあ、私も同僚に「飲んで帰ろうよ」って言われても「見たいテレビあるから帰る」と根暗な言い訳で断って帰ってるけど。それはそれでおいといても。
胡坐かいて缶ビール飲んでみかん食べてM-1見て、まあ平和なことですね。


ブーブー言っても仕方がないので、私も横に座って一緒にテレビを見る。

部屋は暖かくて、どこかで少し煙草の匂いがして、缶ビールは2つ開いていて、テレビを見て笑う恋人がいる。無理してどこかに行かなくたっていい、何か欲しいものがあるわけでもなく、ただ一緒に過ごせたらそれでいい。
恋人が、買ってきたクリスマスケーキの苺を私のお皿にひとつのっけてくれた。
そんなクリスマスの日。
2005年12月24日(土)  12人の優しい日本人
三谷幸喜脚本の「12人の優しい日本人」というお芝居を観てきました。
ちょー面白かった!

日本に陪審員制度があったら、、、という想定で12人の陪審員が事件について有罪か無罪か話し合う、密室での会話劇なのです。
でも、もうすぐ日本にも導入されるんですよね、陪審員制度。いつだったかドラマもやってました。
日本人は、事なかれ主義というか、人の意見に流されやすい、若しくは情に左右されやすい人種らしいので、今までなかなか陪審員の制度が導入されなかったようです。

自分が陪審員になったら、どうしよう。
ちゃんと事実を真っ向からとらえて有罪か無罪か決めることが出来るでしょうか。
人を裁くのは人にしか出来ない、と言われるけれど、やっぱり有罪にすると後味が悪い気もする。だけど、被害者のことを考えれば被告人は正統に裁かれるべきなんだけど。

それにしても、すっごく面白くって声を出して笑ってしまいました。それくらい楽しかった。
江口洋介ってやっぱカッコよかった。なんであの人はあんなにカッコいいんでしょうか。
どうして、三谷幸喜という人はあんな面白い言葉を思いつけるんでしょうか。
頭のいい人なんだねー。
機会があれば、三谷幸喜のお芝居をまた観てみたいです。
2005年12月23日(金)  コンヤガヤマダ
みなさーん!
この3連休が山です!
この3連休が過ぎてしまえば、忌々しいクリスマス何ていうイベントは終わりますから!
頑張って、この3連休をやり過ごしてしまいましょう!

日本人は、自分の信じる神なんて持たない人が多いくせに、クリスマスなんてイベントに踊らされすぎです。あ、あとバレンタインデーもね。みなさーん、他人に流されてはいけません。キリスト教徒でもないのに、イエス生誕の日をお祝いする理由はないはずでーす!

クリスマスを淋しく過ごす予定のみなさーん。
この3連休、頑張りましょうねー。
この3連休が終わったら、「クリスマス」なんて雰囲気は跡形もなくなくなりますから!
あの騒ぎはナンだったんだ?と笑っちゃうくらい、月曜になればクリスマスの「ク」の字も感じなくなりますから!
頑張りましょうねー!「今週末がヤマだ。」が合言葉ですよー!


という私は、恋人のクリスマスプレゼントをアバクロの洋服にしました。
店員さんに「これ、ぜったい本物ですよね?ですよね?」と確認して買いましたー!
店員さんは苦笑していましたー!

いぇーい。
2005年12月22日(木)  とても泣きたくなった
昔の恋人と1年ぶりに会った。
久しぶりの再会は、髪型が変わったねとか、そういうどうでもいい言葉しか出てこない。

毎年12月、彼と再会し、私と彼は否応無しにこの1年を相手に伝えようといろんな言葉を探す。そうやって言葉にすることによって、自分で自分を振り返させられる。たまにそれは、新しい発見もあるけど、残酷な瞬間にもなったりする。

薬指の指輪を見つけてドキリとしたりする。
それが右手だとわかってほっとしたりする。

クリスマスだからと言ってプレゼントを交換する。
私たちは誰かから見れば恋人同士みたいだ。
だけど、本当は最初の数分間は、相手の顔をまともに見れないし、最初の数分間は、何を話せばいいのかどう振舞えばいいのか、そんなことを考えてしまう。

楽しく食事をした帰り道は、とても冷たくてとても侘しかった。
とても泣きたくなった。

私のことを忘れないで。
私のことを思い出して。
私より先に結婚しないで。
私とした恋愛以上に素敵な恋愛をしないで。
そう思うことはとても泣きたくなることだ。

何も欲しいわけじゃなく、
ただとても悲しいのだ。
2005年12月21日(水)  見覚えのある風貌
ひとりで、クラシックのコンサートを聴きにいった。
誰も誘おうとは思わない。
ひとりでひとりの世界でゆっくりしていたかった。

国際フォーラムの高い高いところから、舞台を見つめていた。
見覚えのある風貌のトランペット奏者。
私はあのプロの演奏者に2回ほどレッスンを受けたことがある。
私が持っている楽器は、彼がいくつもの中から選んでくれたものだ。

キミの唇の形や演奏の癖なら、このトランペットが一番似合うと思うよ。

いくつも床に並べてあったトランペットをすべて吹いてみて、その人は言った。
彼はもうそのことを覚えていないだろう。
10年ほど前のことだから。
幾人もいたレッスン生のひとりでしかなかったから。

彼の音がここまで届く。
合唱の声が空気を震わせる。
ティンパニーは鋭く、ホルンは反響して、ヴァイオリンの弓がゆらゆらと揺れる。
トランペットの音が突き抜ける。ここまで届く。

私はあのときの光景を忘れない。
白に近いシルバーのキラキラしたトランペットを、ひとつ選んで私に差し出してくれたことを。
だから、私はこうして密かに彼の出演するコンサートを選んで、ひとりで聴きに来る。


鳴り止まない拍手の中、彼は舞台を去って行った。
2005年12月20日(火)  気まずかった
電車の中でうとうとしていて、ふと気づいて顔をあげたら、真正面に座っている女の子が、知ってる人に似ているような気がした。
「あ、この人どこかで見た顔だな」ってこと、私、一日一回あるんだけど。
でも、たぶん一日一回って多すぎだから、たぶん他人の空似か記憶違いだということですませている。
だから、たぶん正面の女の子も他人の空似だとそのときは思った。
だけど、彼女の、たとえばバッグからペットボトルを出してお茶を飲む仕草とか、ぱちぱちと瞬きをする仕草とか、やけに似過ぎてるなぁと思った瞬間、彼女と目が合った。

んんん、彼女は知り合いだ。
たぶんきっとそうだ。
知り合いだったので、なぜか目をそらしてしまった。
だって、だって、気まずいんだもの。

大学時代の同じ専攻の女の子なんだけど、私たちトランペット専攻の同級生達はかなり仲が悪く、なので今は全然親交もない。
私たちは、ブラスやアンサンブルの練習を、いろんな楽器の組み合わせでグループごとにわかれてしていた。彼女たちのグループは、「楽しくわきあいあいと」みたいなモットーで、女の子ばかりでキャピキャピ練習をしているグループだった。そんでもって、私はどちらかというと「真剣に!遊びじゃないんだ!」みたいなちょっと熱血漢というか熱くるしいグループだったんだけど、そうするとこのふたつのグループというのは相対するわね、必然的に。
なんなの?あんなにキャピキャピ練習しちゃって、ちっとも上手くなってないじゃないの!
なんなの?あんなに熱くなっちゃって、うざいったらないよね!
というふうに、まあ相対するわね。

卒業式前に、卒業生で学内のアンサンブルコンテストをして、私たち熱血漢グループが優勝したとき、そのいがみ合いは頂点に達し、私たちが打ち上げをしているところに彼女らが乗り込んできて、飲み屋でケンカをしたことがある。
それが今になると、気まずいというか恥ずかしい思い出というか、子供っぽかったねというか、なんというか。

真正面の彼女に気づかれないように、こそこそと電車を降りる。
実は、彼女の名前を思い出せない。「ま」がついていたような、そうでないような。なんだっけー?なんだっけ?名前を思い出せないまま彼女に気づかれて声をかけられたらたまらない。なので、こそこそ人の陰に隠れてホームに降りたその瞬間、
ポンポンと肩をたたかれ、総毛だった。
「あ、やっぱり、あいちゃんだー」

んんんー、全然彼女の名前を思い出せないまま、ホームで立ち話を2,3分ほどして、彼女は来た電車に乗って颯爽と立ち去っていった。

名前を失念していると悟られないように会話を続けるのは、至難の業です。
しかも、彼女は私と話をするためにわざわざ降りる駅でもなかった駅でおり、立ち話をしてまた電車に乗って立ち去るという、なんていうかなんか、んー、久しぶりの再会に興奮していた彼女のはしゃぎっぷりというか、そういうのになんかヒイた。
2005年12月19日(月)  エンヤと雪と富士山
冬になると、富士山が見える。
冬の空気はキンと澄んできれいだから、ずっと向こうの景色まで見渡せる。
そう思っていた。

あるビルの上階から、うっすらと雪をかぶった富士山が見える。
ずっと遠くにあるはずの山なのに、あんなにはっきりと姿を見ることが出来る。
あんなにきれいなのに、なぜかしら冬の季節しか見ることが出来ない。

私がまだ、20か21歳くらいの1月、東京に大雪が降った。
私がまだ、東上線の沿線に住んでいた頃、何日か続けて大雪が降った。
電車の中でイヤホンをしてエンヤを聴きながら、雪に反射してキラキラ輝く太陽の向こうに富士山が見えていた。
大雪で電車は徐行しながら走っていて、低い家々の軒に雪が積もっていた。
すごく眩しかった。雪にはエンヤが似合うと思った。

富士山はあんなに遠かったけれど、どこか清々しかった。

飛行機に乗ったり新幹線に乗るとき、富士山が見たいと思っているのに、どうしても眠ってしまって見逃してしまう。

東京にいながら、冬の季節だけ富士山が見えるこの場所は、私だけの秘密の場所だ。
2005年12月18日(日)  勝ったら焼肉
結局さ、南米VSヨーロッパの決勝戦になるんだから、6大陸の地球一だか知らないけどそんなのやらなくて良かったんじゃない? と思う。なんで今年から6チームのトーナメントにしたの?
来年、ワールドカップだねえ。早いねえ、4年って。

私は、日本は決勝行けないと思うよ。
なんとなく、ブラジルとクロアチアで。
私の予想です。

後輩の男の子は、ブラジルと日本、と言っていました。
負けたほうが勝ったほうに夕飯おごるという賭けをしてあります。

クロアチア頑張っていただきたく。
2005年12月17日(土)  痒いところありませんか
それにしても、美容室で髪の毛を洗ってもらうのっていい気持ち。

美容師さんっていうのは、たぶんお客さんごとのカルテ?みたいなのに、そのときどういう会話をしたとか、お客さんから聞いたパーソナリティーとかメモってるんだね。
あれ?私そんなこと話したかな?って覚えてなかったこともちゃんと覚えてくれています。
はー、感心。

私なんか、スタッフさんのところに行って「あ、このあいだ○○って言ってませんでしたっけ?」って言ったにもかかわらず「え?なんの話しですか?」と返されることもしばしば。ちょー、失礼なヤツです。全然違う話題を、全然違う人の話しだと思っておぼえていたりとか。
あんまり世間話的なことをメモしないし、ぶっちゃけ覚えていなくても仕事には差し支えないので。

でも、美容師さんって大変よねー。
いつもお洒落してなきゃいけないし。話題も豊富じゃないとダメっぽいし。
私なんかいっつもボーっとして、あんまり他人の話になんか興味をおぼえないので向いてないですね。美容師なんか。
それに、たぶん間違って、髪の毛じゃなくて自分の指を切ってしまうに違いない。

といっても、きっと多分、オシャレさんでお話好きでハサミで指なんて切っちゃわない人が美容師さんになるんだと思う。
人それぞれ、その人の志向があって選ばれるべき仕事があるということで。
2005年12月16日(金)  昇天
夜、仕事から帰ってきてふはっとベッドに横になって、はっと気づいたら午前3時。
っていうのは、よくある話です。

今週はとにかく忙しかった。
もう忘年会に行く気力すらありません。
今年はまだ一回も忘年会に行ってないよー!ドタキャン2回してるよー!
いぇーい。
今日なんて、朝5時起床です。真っ暗な時間に家に帰ってきてまだ真っ暗なときに家を出る、という生活を繰り返していると、時間の感覚がおかしくなってきます。
そして、体もおかしくなってきます。

足の裏側を人に踏んでもらってマッサージをしてもらうと、ちょー気持ちいい。
あと、肩甲骨の周りをごりごり押してもらうと、すんごく気持ちいい。
腰の骨がボキボキって鳴ったときの爽快感。
目薬をさしたときの恍惚感。
昇天。
2005年12月15日(木)  もういくつ寝ると
実家離れが久しいこのごろ、皆様いかがお過ごしですか。
先日、お話したように、私は今度のお正月には帰省しないのですが、帰省しないよ宣言を母にいたしました。
理由はなんぞや?と聞かれたものですから、「仕事が年末まで詰っておりまして」と嘘をついてしまいました。お母様ごめんなさい。
本当の理由は、結婚結婚とせっつかれるのが面倒だったのと、あとは恋人とイチャイチャしたいためです。
お母様ごめんなさい。

恋人とイチャイチャするっていったって、彼はお正月もお仕事なのでおうちでのんびりする予定です。じゃあ、お正月の準備をしなきゃねと彼と話し、デパートに行ったついでに食料品フロアでお節コーナーというものを見ていたけど、ちょー高いね、あれって。
2人分のお節で3万位するんだけど。
こんなもの?デパートでお節買うとこれくらいするものなのかしらね?
これって、買うより自分で作ったほうがいいかもねって言ってはみたものの、全然、料理できないんだけど。

早速、ジュンク堂に行ってお節の料理本を買って帰る、お正月の準備。
2005年12月14日(水)  帰省せず
今年は帰省いたしません。

理由
親戚一同が私の結婚をまだかまだかと心待ちにしているそうだから→帰省したらおば様おじ様たちがヤンヤヤンヤとうるさいから→加えて適齢期の従姉妹たちがみんな結婚して今年出産してしまったから→私、肩身狭いでしょ→だいたい飛行機代が馬鹿にならないし→帰ったら帰ったで友達と飲みに行って午前様になると母が物凄く怒るし→あとは、もうお年玉がもらえる年齢じゃなくなったから→あ、加えて親戚のちびっ子たちにお年玉をやらなきゃいけないから。

なので、今年は帰省いたしません。
2005年12月13日(火)  既婚か未婚か確認しよう
私が担当している派遣スタッフが、男性だと聞けば、ワクワクするわね?
どんな男性か、カッコいい人だったらいいな、素敵な人だったらいいな、なんてワクワクしてもいいわね?

で、好みでない人だったらガッカリするわね?
それほど、アレだったらテンション下がっちゃってもいいよね?

ちょっとくらい、ドキドキな出会いを求めても許されると思うんです。

企業のお客さんがカッコいい人だったら、無闇に笑顔になってしまうよね?
あれこれお話したくなって、ついつい左手の薬指なんて確認してしまってもいいわよね?

そういう出会いを、仕事の中に少しばかり求めても、私は許されると思う!
許されて然りだと思う!

ということを同僚に言ったら、「左手の薬指の指輪を確認するなんて、私たちもとうとうそういう年齢の域に達してしまったのねぇ」としみじみ言った。

あー、しみじみだね。
2005年12月12日(月)  イライラ
なんかもう、何にも書けない。
何にも書くことがないし、書く気力もない。

なんで、私は毎日書こうとしているのかな?

最近、なんだかイライラします。
カルシウムが足りていません。

今日、突然炭酸ジュースが飲みたくなってコーラを2本飲みました。
歯が溶けます。

朝起きると、ヘルペスのせいで口を大きく開けることが出来ません。
歯ブラシすら口の中にいれられないくらい。
夜のうちに、かさぶたが出来てしまって開かないみたいです。

ヘルペスこさえるなんて、ストレス溜まりすぎなんですよ。
2005年12月11日(日)  ホームラン
恋人が職場の人たちと草野球の試合をするというので、応援しに行った。
朝早くから恋人は出かけ、私がグラウンドに着いたときはもう試合が始まっていた。
みんな、思い思いのジャージやトレーナーを着て好きな色の帽子をかぶってグラウンドを走り回っている。

恋人はきっと野球が上手ではない。
空振りしてばっかりだったし、白い球を不恰好に追いかけてばっかりだったけど、恋人とその友だちがとても楽しそうに声をあげているのを遠くから聞いていると、なんだか優しい気持ちになる。
草もまばらな土手に腰掛け、ダウンジャケットを握り締めて、とても寒かったけど、そんな男の子たちの姿を見ていると、こちらも知らない間に笑顔になってくる。

「コーヒー飲みませんか」と女の人に声をかけられて、私はフェンスの近くで応援していた人たちの輪に加わった。フェンスに近寄ってきた恋人が「次はぜったいに打つから」と言った。
スコアは、ずっと0が続いていて、なかなか勝負がつきそうにない。

熱いコーヒーを飲んだら、吐き出した息が真っ白だった。
1球目も2球目も恋人はボールを見送る。
3球目でバットを振ったら空を切った。
外野からもベンチからも野次やら声援やらが飛ぶ。
恋人は、少し薄い笑みを浮かべて黒い帽子をかぶり直した。
何球目かのボールに向かって、恋人は勢いよくバットを振る。
私の口からは白い息が漏れる。
ボールは大きく空を横切って、スタンドもないどこまでも広いグラウンドの向こうに飛んでいって、外野を守っていた人たちが一斉にそれを追いかけていった。
恋人は全速力で、ベースを回る。
2塁をまわって3塁を踏んでも、まだ外野はボールを捕まえていない。
余裕で恋人はホームベースを踏めるはずなのに、得意げにベースに滑り込んでシャツを土だらけにした。


帰りの車の中、ハンドルを握る恋人の腕まで土がついているのを見つけて私はそっと笑った。
毎日マラソンしてるおかげでランニングホームランだったね、と言ったら、まあねと満面の笑みで彼は答えた。
2005年12月10日(土)  私は今日、わかったことがある
私は今日、わかったことがある。

私の自尊心は、完璧に自分の実力を超えてしまっている。
自分で思っているほど、私はなんにも出来ない。
自分が望むほど、私には能力がない。

プライドを捨てたいと思った。
等身大の自分を見失うほどのプライドは必要ない。
私は愚かなことに、着実に前進していると思っていた。
だけど、突き進んでいるものは自分の理想やプライドばかりで、
実態はあまりにも幼すぎていた。

思っていたほど、私は評価されてもなく、
思っていたほど、私は期待もされていない。
思っていたほど、私は愛されていない。

評価されていないと気づいたときの落胆は、評価されているはずというプライドのせい。
期待されていないと気づいたときの落胆は、期待されているはずというプライドのせい。
どうして、まだまだ評価されるほどではないと思えないのだろうか。
どうして、まだまだ期待されるほどではないと思えないのだろうか。

評価や期待だけじゃない。言葉に出来ない、言い表せないことたくさん。

私には、ゼロから始められる自信がない。
期待されている、期待されるだろうという僅かな自信の上に、モノを積み上げることしか出来ない。まっさらなものの上に、一体どうやって何を積み上げればいいというのだろう。

どうして出来ないんだろう。
どうして愛してくれないんだろう。
どうしてみんな私に気づいてくれないんだろう。

どうして私は、悲しんでばかりで人のせいにしてばかりで何もしようとしないんだろう。
2005年12月09日(金)  金曜の夜
やっぱヘルペス出たわ。
明日、歯医者だというのにこんな唇の端っこにヘルペスが出ちゃっちゃあ、歯の治療なんて出来ないね。

もう早くも、肉体的に辛くなってきました。
金曜日っていうのはほとんど惰性的に働いている気がします。慣性の法則で機械的に働いてる気がします。もしくは、トランス状態で自分の肉体を見失ってしまいそうな、そんな気分で過ごしている気がします。

金曜日の夜が一番好き。
冷たい部屋に帰ってきて、コートを着たままエアコンで温まるのを待っている時間がなんともほっとする。このまま眠ってしまいたい。ベッドに寝転がってこのまま眠ってしまいたいと思う夜が一番好き。

誰にも邪魔されず、何にも支配されず、眠り続けられる夜はとても気持ちが良いのです。
いかに、平日の自分は何かに支配され何かに追われているのかわかるような気がします。
そういう気持ちの引き締まりは、ときに必要なものだけどときに重たくなってしまう。
もっとリラックスして仕事が出来たらいいのに。
もっと力を抜いて仕事が出来たらいいのに。
プレッシャーやストレスという感覚に近い、なんだか重たいものを背負っている気がする。
そういうものは、実は誰かに背負わされているものではなく、自分から背負っていっているものなのだ。

そんなことわかっているはずなのに、きっと日曜の夜から私は少しずつ背負い始める。
明日から始まる新しい一週間のため、私は少しずつ背負いながら月曜の朝をじっと待っているのだ。
2005年12月08日(木)  いらっしゃいインフルさん
本日、私の担当するある派遣スタッフさんが、とうとうインフルエンザにかかったらしいです!
大変です。戦々恐々とかまえていた瞬間が、とうとう訪れたようです。皆さん、どうぞお気をつけなすって。

私は、イマイチ体調がよろしくない(たとえば頭痛とか腹痛とか)んではありますが、インフルエンザは「あれ、私の体おかしいな」と異変に気づいた途端、急速にその症状をあらわすそうなので、私のはインフルじゃないみたい。「あれ、私の体おかしいな」と思って数日たってますから。

とはいえ、アレがとうとう身近にやってきちゃいました。
皆さん、気をつけてー。気をつけてえー。
2005年12月07日(水)  いつまでたっても、さようなら
私たちは、いつまでたっても、さようなら。
私たちは、いくつになっても、さようなら。

いつまでたってもいくつになっても、いつかはきっと、さようならまたねと言って別れてしまう。
そんなの悲しすぎやしないだろうか。淋しすぎやしないだろうか。
たった1年に一度きり、私たちは出会って別れる。

切ろうとしても切れない男女の関係は、“切れない”んじゃなくて真剣に“切ろう”としていないだけなのだ。

私のことを忘れないでと思う。
私のことを少しでもいいから思い出してと思う。
だけど、彼が30になって40になっても今のように会い続けることが出来るのだろうか。
私が30になっても40になっても、彼は私を忘れないでいてくれるだろうか。

どうして、先の見えない関係はこれほど不安なのだろう。
先が見たいと思うことは欲張りで、小心者のすることだ。
私は欲張りで小心者なのだ。

私のことを忘れないでとその人に思う。
だけど、私たちはいつまでたってもさようならと言い続けなければならない。
2005年12月06日(火)  前に立ち話す人
ナショナルさんも大変よね。
富士通さんもね。
それにしても、イーホームズとかヒューザーの社長のような人間が、人の上に立てるということが不思議。あんな人が社長になれるのが不思議。私はそんな人間が社長の会社なんて即辞めるけど。


今日は、部の全員会議があった。
皆の前に立つ部長は、30分くらいずっと話をしていたけど、私は飽きることなくずっと聞いていた。

素敵な人というのは、人の注意を惹きながら伝えたいことを上手に伝えられる人だと思う。
彼らは役員会議や経営会議で、様々な問題や懸案について話し合っている。
そうして決定したことは、メールなり書類なりにまとめられて、私たち平社員に伝達される。もしくは、今日みたいにみんなの前に立って言葉にして伝えられる。
たぶん、経営会議などでは、とても難しい言葉で、難しい筋道を立てながら、難しいデータに基づいて彼らの経験によって決められていることだろう。だけど、私たちのようにまだ若くて経験も浅い人間には、とても簡単な言葉に変換されて伝えられる。

簡単な言葉というのは、ただ結果だけを伝えるだけではない。
私たちにでもわかるような言葉に変換して伝えられるということだ。
私たちがバカだから、簡単な言葉でないと理解できないということではなく、私たちが私たちの価値観でも充分納得できる言葉に変えてくれているということなのだ。
経営会議で話した言葉そのものを使って、私たちにそれを説いたとしても私達は理解するどころか、残念ながら集中して話しを聞くことが出来ないだろう。

私たちの前に立つ部長は、たまに面白く、たまに真剣に、そして現場で直接顧客に向かい合う私たちの価値観を尊重した言葉で、話をしていた。
私はそれをとても嬉しく思ったし、尊重されている気がした。

理解できる、出来ない、などという、たとえば知能の問題などではない。たとえば未熟さの問題ではない。
人それぞれ注目する言葉の使い方があって、共感できる言葉があるということだ。
それを知っている人を、それが出来る人を私はとても素敵な人だと思う。

そんな人になりたいと思う。
そんな人が私たちの上にいるひとであることを、私は密かに幸運に思っている。
2005年12月05日(月)  しわっす
12月っていうのは犯罪の多くなる時期なんでしょうね。毎年、コンビニ強盗なんてダントツに多いような気がします。一体、ここ数日で何人の子供がいなくなったでしょう。
年の瀬がそうさせるのか、よくわかりませんが最近とても物騒になりました。
昨日も今日も、池袋の街をパトカーが走っていました。夜中には消防車が走る音がしていました。

さて師走。
私は師走の慌しい雰囲気が嫌いじゃないです。
最後の終点に向かって街が慌しく動いていく様子に、自分の気持ちもいい意味で走らされるようなそんな気分が嫌いじゃない。
私たち、営業担当はこの12月、来年のカレンダーを持ってお客さんまわりをします。
大きな袋の中にいくつもカレンダーをいれて、重たい荷物を引きずりながら階段を走ったり電車に駆け込んだり、道々休んだり。

カレンダーを配るとはいっても、そんなに好景気なわけではないのでお客さん全員にカレンダーをつくれるわけではないです。なので、自分が分けてもらったカレンダーをお得意さんだけピックアップして配らなければいけないのですが、私はいつもいつも荷物の重さに負けて、営業に行く先々でさっさと配りまくるようにしています。なので、時々、お得意さんにカレンダーが行き届かないこともありますが、それはしょうがないよ。カレンダーで営業するなんて、如何にも日本企業独特のヘーコラ的営業じゃないか。
そんなのやなこったい。

会社にとってはあまり宜しくない社員ではありますが、毎日頑張ってお客さんまわりをしているので、毎日あんよが棒です。
2005年12月04日(日)  空を見上げ別れた恋人を思う
最近、江口洋介が出てくる夢を見てしまってしかたがない。
しかも二晩連続。
なんだろう、意識しちゃうなぁ。
これ運命かもー。何らかの運命かもー。何の運命かは知らないけど。


先日、友人(女性)と審議会を開きました。
私たちはたびたび審議会を開いております。
議題はそれぞれですが、常に真剣に審議をしているのです。
さて今回の審議会の議題ですが、「別れた恋人をどのような方法で忘れてしまうか」ということでした。いわゆる、恋人と別れた傷をどのような方法で癒すのかということですね。皆さん、興味ある話題でしょう?ですよね、すよね、よね、ね?

審議会の進め方は、まず提案者がその議題に関してひとつ提案をする。その提案の可否を皆で話し合うのです。
そして、提案者はこの私め。
『別れた恋人を死んだものと思うことにする』という提案をさせていただきました。

  別れた恋人、今ごろ天国で何をしているのかしら、なんて空を見上げる。
  いろいろとケンカもしたし、泣きもしたけど、彼が死んでしまった今、
  みないい思い出になった。
  死んでしまっても、時々彼を思い出そう。彼が生きていた頃を思い出そう。
  きっと彼も天国で幸せに暮らしているだろう。
  ねえ、そうでしょう?   と、空を見上げて爽やかな笑顔を浮かべる私。

死んだらもうどうにもならないですから、どうにもならない失くした恋を置き換えるのです。人って、死んでしまった者を恨むことも憎むことも、なかなか出来ないですからね。彼を悼みながら終わった思い出をキレイに整理するわけです。そうして、別れた恋人への未練を断ち切る。という意味で、私は、『別れた恋人を死んだものと思うことにする』という提案をさせていただきます。

友人A子は、「少々、妄想が過ぎ、死んでもいない人を想像内で殺してしまうのは、冗談が冗談ではなくなっている。笑えない。よって否。」
友人B子は、「なかなか画期的な提案である。死んだものを恨むことはし難い。別れた恋人を恨まず前向きな気持ちにさせる、とても良い方法である。よって可。」
と、討論を交わし、“否”の意見が周りを説得することが出来なければ、自動的にこの方法は“可”とされる。

否の意見の友人A子は、死んでない人を死なせるのはブラックユーモア過ぎるという点で、私とB子を説得させにかかったが、「どうせ、当人にはばれないことだから、いいじゃないか。」という反対意見に説き伏されてしまった。

結論。
「別れた恋人をどのような方法で忘れてしまうか」
『別れた恋人を死んだものと思うことにする』
ということで、今回の審議会はお開きとなりました。

どうぞ、皆さんもお試しください。
すごくいいです。私は最近試すようにしています。すごくすっきりします。
馬鹿馬鹿しいことだとお思いかもしれませんが、恋人と別れてしまった人間というものはガードが甘くなりますし、藁にもすがりたい思いでいるので、意外と「あ、それいいかもしれない」なんて思うらしいです。

このように、私たち友人はとっても楽しい遊びをしながら暇を潰しています。ごめんなさいね、バカっぽくて、アホっぽくて。真に受けないで下さいね。冗談ですから。お願いいたす。
2005年12月03日(土)  土曜日の朝
土曜日。
朝早くに目が覚める。眠れなかったわけじゃない。だけど、目が覚めてしまってもう一度眠ろうとしても出来なかっただけだ。
散らかった部屋を片付けて、掃除をして洗濯をして風呂を洗って、シャワーを浴びた。

金曜日。
精神病に罹っていた派遣スタッフに「あんたのせいで仕事をなくした」と怒鳴られた。彼女は何度も同じ言葉を繰り返した。私はただそれを甘んじて聞いていた。
彼女は、その日仕事を辞めた。

ずっと欠勤が続き、そのうち連絡もなしに休む日が続いていた。派遣先の企業は彼女をとても心配し、私に連絡を寄越してきた。そして控えめに「このまま仕事を休まれると、うちも困るんだけど」と付け加えた。
何度も彼女に電話をして留守電を残し、よもや一人暮らしの家で何かトラブルが起こったのではないかと考え始めたとき、彼女からやっと連絡がはいった。
「朝、起きれなくて」と彼女はか細い声で話していた。
不安でたまらないので夜眠れず、だから朝起きれないと彼女は言った。
これから、病院へ行くと彼女は言った。

仕事を続ける意欲はある。だけど、朝起きられなくて仕事へ出かけられない。
それが欠勤が続いた理由で、欠勤の連絡が出来なかった理由だ。
事情はわかる。わかるが、彼女自身もこのままでいいわけはないと思っている。
それに、彼女が居ない間、業務はずっと滞っている。
彼女が仕事を辞める意思を見せない限り、代わりの人間を探すことは出来ない。

企業側は、彼女の回復を待つと言った。
だけど、彼女からの診断の結果を聞く限り、それは見込めない。彼女自身もそれは理解しているのに、「治療を続けながら仕事をしたい」と言った。医師の見解は「仕事を辞め、治療に専念せよ」とのことだった。
彼女と企業側が、契約終了の意思を見せない限り、私には何の対応も出来ない。依然、彼女の業務は滞ったままだ。このままでは、ただ状況は悪循環するばかりだと思える。
これが、彼女が休み始めて一週間目の出来事。

二週間目に入った。状況は変わらず、彼女は休み続けている。彼女とはもう連絡すら取れない。もう、企業側もこのまま彼女を待つことは出来ないだろう。一週間たって、彼女に情をかけるより、今の仕事がまわらないことが深刻な問題になりつつあるだろう。企業が個人の労働者の事情に配慮できる期間はそう長くはない。
私は企業に赴いて「この問題は、数日間待てば彼女が回復するといった問題ではない。風邪をひいたり、怪我をしたという問題とは違うのだ。これ以上このままの状態が続けば、彼女に出勤のプレッシャーを与え続けてしまうことになり、余計に体を悪くさせる」と話し、企業に契約について考えてもらうことを勧めた。
彼女にメールを送る。「医師の言うとおり、治療に専念するため仕事を辞めてしまう道もある。検討してください」と送った。彼女はきっと今ごろこのメールを読んでいるだろう。彼女と連絡が取れないのは、彼女が電話をとろうとしないからだろう。きっと着信音が鳴る携帯電話を布団に潜り込んで見つめているだけではないだろうか。自己嫌悪とどうにも出来ない状況に彼女は焦っているだけで、現実は何も好転していない。

メールで何度も彼女と話し合い、「もうやめます」と彼女の言葉を聞けた。

金曜日。
契約の中途終了の手続きをとった。
電話口で、彼女はずっと私を罵った。
自分は確かに精神病に罹っているが、仕事が出来ないわけではないと言い、私が仕事をやめるのは医師からの勧めと、派遣先の企業に迷惑をかけてしまっているからで、自分の意志ではないと言った。あんたのせいで、私は会社を辞めてしまうのだと叫んだ。
言っていることが支離滅裂だ。

現実を見つめて欲しい。
仕事に対する意欲があっても、朝起きれず、出勤できないという現実。
仕事が出来る状態とは言えないという現実。
そして、最終的に「仕事をやめます」と決めたのは、彼女自身だ。

もちろん、私は「仕事をやめるという選択肢もある」と言い、「治療に専念し、良くなってから仕事をする道もある」と言った。だけど、最終的に決めたのは彼女自身だ。これ以上、彼女を待ち続けると、結果的に企業側から契約終了を言い渡され、傷つくのは彼女自身なのである。
これ以上傷つく理由が、私にはないような気がする。
彼女が私を怒鳴りたければ怒鳴ればいいし、罵りたければ罵ればいい。
それで気がすむのなら、そうすればいい。


土曜日。
シャワーを浴びて、ぼんやりしながら彼女のことを考えていた。
仕事をしたくても出来ないということ。仕事をしたくても体がいうことをきいてくれないということ。具合が悪いので会社を休むという理由を、毎朝会社に電話をする彼女。会社を休むことが罪悪感になり、自己嫌悪になるということ。そのうち、連絡をすることが嫌になり誰の電話にも出なくなった彼女。それでも、最後の電話口で喚いていた彼女。

私はきっと、時間がたてば彼女のことを考えるのをやめ、そのうち彼女のことを忘れ去ってしまうだろう。彼女が、このあとどんな風に生きていくかなんて、私には考える理由はない。そんなことを考え続ければ、私は派遣会社の営業なんてやっていけない。こんなケースはいくつだってあるのだ。いちいちセンチメンタルに考える時間などない。だけど、彼女にとっては大きな問題なのだ。そんなことはわかりきっている。
彼女のことをいつまでも考え続けても、他の私が担当する派遣スタッフには何の関係もない。


悪いことではない。
無難な対応だった。
他の営業担当だって、同じ対応をするのだし、ほかに方法なんていくら考えてもない。
だけど、精神的な病が関わる問題は、本当に私の気持ちを重くする。
どっしりと重いのだ。
翌日になっても、重さは変わらない。
明日になればいくらか軽くなるだろう。だけど、今日はこんなにも気分が重い。
これから先、いくつこんな重い問題に直面するのだろう。
きっと、100人の派遣スタッフを担当していれば、100ケースの問題があるのだろう。
私は、それに付き合って親身になれるだろうか。
親身になって、誠実に対応できるだろうか。
もし、その気持ちが相手に届かなくても私はやらなければならない。
直面して逃げ去るより、よほどましなのだから。
2005年12月02日(金)  お金より大切なあなた
♪忘れなーいで、お金よーりも、大切なものがある
♪忘れなーいで、あたなよーりも、大切なものはない
♪大切なものはない

なんて素晴らしい歌なんだろうと、テレビから流れてきたその歌の歌詞に聞き入っていたところ、消費者金融(だったかしら?)のCMの歌だったので、なんだか鼻白んだ。

鼻白むといえば、私の顔の中心にあるこの鼻は、やけに冷たい。
夜なんか、おかしなことに鼻だけがひんやりと冷たくなる。
みんな、そうなの?
私の恋人は違うけど。
鼻だけひんやりと冷たいなんて、なんだかおかしくないっすか。

でも、ちょっと気持ちいいです。
鼻でホッペをさわさわしてやると、すごく喜びます。恋人が。
どうでもいいですね。

このあいだ、「生協の白石です」という題名の迷惑メールが届いていました。
明らかに迷惑メールなのですが、すごく読みたい衝動に駆られました。
迷惑メールの人も、時事話題を意識して題名を考えるなんて、ユーモアを感じますし、その題名に、彼らの苦労がうかがえます。

白石さんの本を買おうかどうしようか、検討中。
2005年12月01日(木)  タナカヒロシ13号
「タナカヒロシのすべて」という映画を見た。
鳥肌実という人をみんな知ってるー?
右なのか左なのか、私にはよくわかりかねるけど、あの人の事を笑っていいんだってね。私、笑っちゃいけないのかと思った。真面目に聞かなきゃいけないのかと思ってた。

鳥肌実のタナカヒロシは、チャーミングな人でした。
ずっと、くすくす笑えた映画でした。
ああいう人っていそうだよねー。2回見ちゃいました。
だけど、これを見た後、ずっとグーグルで鳥肌実のことを調べていたら、彼のファンサイトみたいなところがあって、鳥肌実のイベントで撮った写真を掲載していたのだけど、彼の下半身モロ出しの写真を見てしまい、チャーミングな人だと思ったことを後悔しました。

★★★★☆



「隣人13号」も見た。
最近、漫画原作の映画って多くないですか。
原作は全く知らないけど、最後がよくわからなかった。わかるようでわからなかった。
そういえば、いろんな子役の俳優さんがいるけど、映画に出演するときってこれがお芝居の世界かどうか、彼らはよく理解しているのでしょうかね?
たとえば、子供を殺そうとする殺人鬼、というシーンの場合、もしかしたらこの子役はこれがお芝居であると理解できないまま、本当に自分は殺されちゃうんじゃないかと思いやしないのかしら?そこが心配。えぐいシーンの後、殺人鬼役の俳優が「ごめんねー、怖かった?」といいお兄さんぶったところで、子供のトラウマになりやしないでしょうか。あの子役の顔、ホント演技じゃなかったもの。いいの?こんなんで。大丈夫?あの子の将来。
子役って大変ですね。

★★★☆☆


以上、最近見た最新DVD情報でした。
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