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2005年11月30日(水)  誰に話しかけるおじさん
誰にも見えない人とおしゃべりしている人って、たまにいますね。
ひとり言というより、誰かと会話している人、いますよね。
あたかも、そこに誰かがいるように大きな声で喋っている人。
頭がどうかなっちゃったのかわかりませんが、たまにそういう人を見かけます。

ある寒い寒い日の早朝、私は浅い夢の中を彷徨っていました。
なんの夢だったかは忘れたけど、どこからかおじさんの声が聞こえたのです。
「あんたは間違っちゃいないよ!自分の思うとおりに生きな!」と。
おじさん、いい事言うねぇ。と、おじさんの言葉がしみじみと身に染み入りました。
おじさん、いい事言うわぁ、いいこと言う!と、浅い夢の中で私は思い、ぼんやり目が覚めてしまいました。

はぁ、おじさんいいこと言うけど、ものすごい近くからおじさんの声がしたけど?と寝ぼけた頭で思っていると、おじさんの声がまた聞こえてくるじゃないですか。今度はものすごく怒った声で「小泉が……」とか、「共産党は……」とか言っています。どこから声がするのかなと思って、窓を開けると、薄ぼんやり明るくなった道の真ん中を、ぼろきれみたいな服を着てのろのろ歩くおじさんを見つけました。

はぁー、見えない誰かと会話しているおじさんです。

おじさんのその声があまりにも大きいので、まだ目が覚めない街に響いちゃって私の夢の中にも登場してくれたみたいでした。
おじさんの声で目が覚めちゃったよ。

小泉論も、共産党論も、おじさんの言っていることは私には難しすぎますが、こんな朝っぱらに日本の政治に怒りを露に出来るそのおじさんの後ろ姿が、迷惑やらなんやらで。

元気だなー、と思いながらぼんやり眺めていると、新聞配達途中の自転車少年がおじさんの横に、キーッと止まり、「おじさん、結構好き勝手なこと言ってますね」と、意外に好意的な笑みを浮かべて、そしてまた走り去った。

まったくですね。
2005年11月29日(火)  父と母
顔の輪郭は母に
目の形は父に
爪の形は母に
肌の弱さは父に

明るい性質は母に
内省的なところは父に
友だちが多いところは母に
内弁慶なところは父に
神経質なところは母に
ものぐさなところは父に
石橋を叩いて渡る部分は母に
あとさき考えない部分は父に


音楽が好きなところは父に
勉強が嫌いじゃなかったところは母に
地図を見るのが好きなのは父に
本を読むのが好きなのは母に

ひとりでいるのが好きなところは父に
淋しがりなところは母に
淡々としている部分は父に
涙もろいのは母に


母は私で、私は父
父は私で、私は母
それは永遠に変わらないことだ。
2005年11月28日(月)  どうして私を可愛がってくれないの
細木数子の番組を見ていたら、5歳くらいの子供たちが細木数子に悩みを相談(?)をするコーナーがあった。
『どうして、お母さんはいっつも怒るの?』とか、そういう内容だ。
で、その中である男の子が、『どうして、お父さんとお母さんは弟ばかり可愛がるの?』って、もう今にも泣きそうな声で言うの。
ちょー泣くんですけど。
その言葉、胸が痛いんですけど。

子供って、大人からしたら、思っているより子供じゃないけど、思っているよりまだまだ幼いものなんでしょうね。私たちはかつて赤ん坊だったことがあって、子供だったことがあるのに、想像も出来ない子供の心の中(たとえば、痛みとか淋しさとか)にときに驚かされたりするものなのかもしれない。

それでもって、その番組の中で、『どうして、お父さんとお母さんは弟ばかり可愛がるの?』と言った子供に、スタジオ中の大人が一斉に笑ったの!どうして?!
その男の子の泣き顔に大人たちは笑ったんだろうけど、私があの子だったら大泣きするなと思う。真剣に考えてるのに笑われちゃったらね。
いろんな大人に茶化されて、もう見てらんない!と思った。

だけど、数子はいいこと言ったね。
「キミだってお父さんとお母さんに愛されてるんだよ。弟が生まれてくる前まではキミだって、弟と同じように可愛がられてたんだから」
「だから、キミがお父さんとお母さんに可愛がられた分、弟も可愛がろうね」って。
数子、いいこと言うね。
ちょっと見直したよ、数子。


私は一人っ子で育ったので、きょうだいのある家庭がどんなものだったか、まったくわからないけど、少しばかりこの男の子の気持ちがわかるような気がした。
私のいとこたちが生まれたとき、母はその子たちばかり可愛がって、「あんたはお姉ちゃんなんだから」って言われたことある。どうして、お母さんは本当の子供の私を、可愛がってくれないのかな、って思ったことがある。
今になって思うのは、母は一人っ子で育つ私に、少しでもきょうだいがいる気分を味わってもらいたかったのかなって、お姉ちゃんであることとはどういうことかと、いとこたちと一緒にいる時だけでも感じて欲しかったのだろうかとも思える。
弟や妹がいるということ、年下の子供を可愛がって面倒を見てあげるということを、私にわかって欲しかったのかなって。

だけど、小さい頃はそんなこと少しもわからなかった。


子供は、大人が思っているほど子供でもなく大人でもない。
それは大人の押し付けや期待にしかすぎず、子供は思わぬところで傷ついたり自信をつけて成長を遂げていくものなのかもしれない。
2005年11月27日(日)  しようよ!ミレナリオ
「好きにすれば?」
といったら、恋人に怒られました。
当たり前ですねー。ですねー。すねー。ねー。


ア:世はすでにクリスマスですね。
恋:まだ一ヶ月も先だっていうのにね。
ア:浮かれポンチばっかりなんだよ、世の中の人間というのは。
恋:あなたもね。
ア:だって今年は3連休じゃない。楽しんだっていいじゃなーい。
恋:なにしますか?
ア:なにします?

お互い、予定をたてるのが面倒だったので、クリスマス話しは30分中断。

ア:というか、別にクリスマスなんてしなくていいんじゃない?
恋:そう?
ア:別に無理して、クリスマスにウキウキしなくてもいいんじゃない。
恋:はあ。
ア:あえて、クリスマスをしないクリスマスとかね。
恋:はあ。
ア:ケーキも食べない。プレゼントもしない。お洒落もしない。セックスもしないクリスマス。
恋:クリスマスにセックスは付きモノだったんですか?
ア:だと思ってましたけど?
恋:無理してセックスしなくてもいいんじゃないの?
ア:あ、そう。

段々、面倒になってきたのでまたクリスマス話は30分中断。

恋:どこか近場に旅行でも行く?
ア:どこへ?
恋:近場に。
ア:どこ?
恋:どこか。
ア:どこよ。

ほとんど面倒くさくなってきたので、意味のない質問と答えになっていない返事をずっと繰り返して時間が過ぎる。

ア:3連休だから混んでるだろうし、あんまり出かけたくない。
恋:まあ、そうかもね。混んでるだろうね。
ア:じゃあさ、ミレナリオ行こう!東京駅だよ。近いでしょ。
恋:えー、あれこそ、人ごみの中を歩かなきゃいけないじゃない。
ア:いいじゃーん。ミレナリオ見たい!
恋:ただ混んでるだけだって。
ア:あれ?ルミナリエだっけ?
恋:ミレナリオであってるよ。
ア:じゃあ、ルミナリエってなに?
恋:……さあ?

恋:ミレナリオ、やめようよ。
ア:行く。
恋:人が一杯出るから、やめよう?
ア:行く。ぜったい行く。だって、去年は、私引っ越ししてたし、あなたは出張で行けなかったじゃん。
恋:違うことして遊ぼうよ。ね?
ア:その前の年は、なんでか、会社の同僚と仕事終わりに見に行ったけど、もう時間が遅くて、全部電気消えてて全然見れなかったし。
恋:そうなんだ。
ア:だから、今年こそは行くの。見に行くの。
恋:僕は、一昨年行ったからなあ。
ア:え?行ったの?
恋:行ったよ。
ア:へえー。

ア:誰と?
恋:そのときの彼女と。
ア:あっそあっそあっそあっそ。

ア:もう、ムカついた。なんで私とはミレナリオしてくれないの?
恋:一回行ったから、僕はもう行きたくないの。すごい人で大変だったんだから。
ア:むかつくー!もういいよ。今年のクリスマスは何にもしない!
恋:なんでー。
ア:今年のクリスマスは、サンタは来ないよ!
恋:どこか行こうよ。映画見に行く?ライブとか行かない?美味しいもの食べに行こうよ!それとも、温泉とか行ってみる?ね?ねね?
ア:好きにすればー。勝手に一人で好きにすればー?


で、怒られた。
2005年11月26日(土)  事件ですか?事故ですか?
「事件ですか? 事故ですか?」

すごいです。
110番すると、すぐさまこのように聞いてくれます。
通報者は、とっても慌てているでしょうから、まず2択質問を投げかけてくれるようですね。素晴らしい。素晴らしい110番コールセンターマニュアル。
ちなみに、119番もそうらしいです。
「火事ですか? 救急ですか?」だったかしら? 忘れちゃったけど。

「事件ですか? 事故ですか?」
と、私もこのように最初に聞かれましたけど、
「んー、事故ではないと思います。けど、事件ってほど何かが起こったわけでもないでしょうけど……、うーん」と、なかなか情けない答え方をしてしまいました。電話を取ってくれたお姉さん、ごめんなさい。「事件です!」「事故です!」と明確に答えられれば良かったのですが、如何せん、状況というのが分からないので、110番したわけで。

なにやら、うちの近所でトラブルが起きているようで、尋常じゃない人の叫び声や物騒な音が聞こえるので、これは何かあったかな。と。かといって見に行く勇気がない。見に行きたい気分100だったけど、相手がナイフを持っていたら?拳銃を持っていたら?というような状況と思えるほど、尋常じゃなかったので、これは110番かなと。

無関心は一番いけないことです。
だって、人の叫び声が聞こえるの。
その言葉が普通じゃないの。
それがずっと20分くらい続いているの。
怖いよね。だって、殺人事件とか起きたらどうするの?
警察がもっと早く行ってれば、死なずにすんだ人もいたかもしれないと、あとで思っても遅いのです。

ま、考えすぎだと思うけどね。
でも、最悪の状況を想定しても間違いではないだろうと思った。

「事件ですか? 事故ですか?」
と聞かれても、だけど、私、直接見たわけじゃなく、ただ音が聞こえるだけなので、どんな状況かわからないからとにかく来てほしいと言うと、同じ通報が複数件はいっているとのこと。やっぱり。尋常じゃないと思ったのは私だけじゃないらしいです。
当たり前だよね。あんな大きな音、やっぱり誰も無関心ではいられないのです。

やがて、自転車に乗ったお巡りさんと、サイレンを消して赤いランプだけ回したパトカーがやってきた。
「突撃!」とか、「確保!」とかやるのかと思ったら、意外に地味にやってきて、ベランダからお巡りさん達を見下ろしていた私に、「どっち?」とのんびりした声で聞いて、私が指差した方向に懐中電灯をあて、「ああ、あっちかぁ」と言ってのっそりその建物に入っていった。

本当に意外と地味ですね。
でも、早く行かなきゃですよ。
結構、深刻な状況みたいですから、音からすると。

なんか、その後、よくわからないけど、階段を数人がバタバタ走り去る音が聞こえたんだけど、大捕り物?
怖いよ!家中の鍵をちゃんと閉めたか確認しちゃったよ。
眠らない街、トーキョー。


110番を切る間際、私の住所と名前を言ったのだけれど、「もしご心配でしたら、警官をあなたのところにうかがわせますか?」と言った。いえいえ、私は大丈夫です。私の身に何があったわけではないので。なかなかお姉さんは優しい人みたいです。だけど、私は上手く状況を説明できないもどかしさで一杯だったので、「いや、それは大丈夫です。ヘラヘラ」となぜか半笑いで答えてしまいました。
これって、きっと記録されるんだよね。
110番の通報って記録されて残されるんだよね。
ああ、なんで私、あのときヘラヘラ笑っちゃったんだろう!
これ、きっと残ってるはずだよ!

と、騒ぎが治まってからパトカーもいなくなった後、そればかりが気になったはじめての110番。
2005年11月25日(金)  雨が本を濡らす
私はどこかの図書館に行った覚えがある。
あれはどこだったろう。

東京のどこかの小さな街。
私の家からもそれほど近い場所ではなかったのに、私はなぜかその図書館にしかない本を読むために、そこにいた気がする。

天井まで届きそうな本棚は、本を探す人がすれ違えないほど密接していて、古い古い紙の匂いがした。私はこの匂いが嫌いじゃない。

外は雨が降っている。
もう夕方で、そのうち暗くなっていくだろう。
壁一面が広くて大きな窓だった。
その窓からは、大きな道路が走っていているのが見える。ヘッドライトをつけた車がたくさん走っている。渋滞している。雨が降っている。もうすぐ暗くなる。
私は、外の渋滞の音を聞きながら、本を探している。
夜の雨の気配を感じながら、本を探している。
くるりと本棚を曲がったすぐそこの棚に、探していた本はある。
私は手に取り、ページをめくる。

あれはどこの図書館だったろう。
そのページをめくり、探していたものを見つけたときの安堵感。
探していた誰かの名前をその本に見つけた。
そして私は安心して、本を閉じもとの場所に戻した。

あれはどこの図書館だったろう。
じめじめした空気が本を濡らしていく。
私は窓を閉めて、その図書館を立ち去った。
その後、どうやって家に帰ったかは覚えてない。


あの名前を、私はどうして探していたのだろうか。
何を知りたくて、探していたのだろうか。
あれはどこの図書館だったろう。
あの図書館は本当に存在したのだろうか。
私は本当にあの図書館に行ったのだろうか。
何も覚えていない。
何も覚えていないけれど、私は何かを覚えている。
現実と虚構が入り混じっている記憶。
2005年11月24日(木)  下品なキミ
下品なことをして人を笑わせといて、「キミの笑い方は下品だよ」と真顔で言う人の気が知れない。


先日も思ったのですが、私はそろそろ、と言うか遅すぎたくらいですが「妥協する」ということを覚えなければいけません。理想やプライドが高すぎる。あんまり高すぎると卑屈な人間になっちゃいますので、ここらで軌道修正をね。ホント、気づくの遅いし、すでに卑屈な人間に片足を突っ込んではいますけどね。

それにしても、歳を重ねるごとに、人って変わりにくくなるね。
まあ、人間、劇的には変わらないものではあるけどね。

ずっと年上の男の人と付き合ってたとき「僕は充分大人になっちゃったから、君の望む通りには変われないよ」と言われたことがあったけど、あれは悲しかったね。充分、悲しい言葉ですね、その言葉。

それにしてもさ、平井堅の新曲は許せないね。
アイワナビヨポップスター、って知らないよ!って思う。
知るかそんなもの、と思う。
あ、ほら。
ほら、こういう小さなところから、少しずつ妥協していかなきゃね。
木村カエラはいっつもため息が出る。
ホント、いらいらしてくる、なんでか。
でもさ、こういう小さなところから、ほら妥協しないとさ。
妥協しないとダメなんだよね。

大人なんだから、もっとこう広い心を持たないとね。

平井堅の新曲は最高だと思うし、木村カエラも可愛らしくて仕方ないよ。
もう、どうでもいいよ。
ハイハイ。
2005年11月23日(水)  ヘルペスくるのか
最近、健やかなる生活を送っているはずなのに、口内炎ができ、間もなく口の端にヘルペスが出来そうな予感。みなさん、お元気に過ごしてらっしゃいますか。
私の体の中には、ヘルペスの菌が常に活き活きと過ごしてらっしゃるようです。
今か今かと、姿を見せられる絶好のチャンスを365日24時間うかがっているようです。
私は本当にヘルペスになりすぎです。
素晴らしいね。
体の不思議。

ヘルペスできた。
と言うと、変に誤解されそうなので、
唇の端にヘルペスできた。
と、きちんと言うことにしました。
あらぬ誤解は受けたくないのよ。

「女の子の性器は、男性と比べ見えにくいものなので、性病にはくれぐれも気をつけなきゃね。」
と、前の会社の男先輩に幾度となく言われていました。
なんで、あなたに言われなきゃいけないのかしら、と私はずっと思っていたのですが、「そうですねー」と受け流して聞いているようにしていました。
これでも、先輩思いの後輩だったのです。
こんな返事の仕方でも、精一杯の思いやりなのです。

ちなみに、その先輩は「料理上手になれないんだったら、床上手でいいじゃないか」と私を励ましてくれたことがあります。
なんで、いきなり私はそんな励ましを喰らったのかもう覚えていませんが、余計なお世話!と思いつつも「へぇー、そうなんですか」と受け流して答えていました。

その後、その先輩は同僚の女性と出来ちゃった結婚を致しました。
先輩の数々の私へのアドバイスは、一体なんだったのか。
今では、とても不明です。
もっと多くのことを先輩から聞いておけばよかったと、今になって1ミクロンくらい思えます。
2005年11月22日(火)  ボーナッス!
ボーナッス!

今日、12月のボーナスがいくらになるのか聞きました。
いぇーい!
こんな大金、今まで26年間生きてて一回ももらったことないよ!って叫んだよ。
これを元手に、年末宝くじを買い占めたら一等くらい当たるのかしら?
誰か、試してみて頂戴。


いやそれにしても、一生懸命働くと、お金ってたくさんもらえるものなんですね。
当たり前のことなのかもしれませんが、あらためてその世間の仕組みっていうものに感動しました。
私たちは、所詮、営業職ですから、成績というものが顕著に数字に出ちゃうのでわかりやすいわけです。評価のされ方というか、査定がね。
んもうー、今年の前期、頑張ってて良かった。
梅雨のジメジメした中、夏の暑い中、土日もなく曜日の感覚もわからなくなるほど、休まずに出張ばっかり行ってたけど、これで報われたのかしらねぇ。報われたってことになるのかしらねぇ。
こっちは、出張のせいで恋人と2回くらい喧嘩してんだからね。
報われなきゃやってられませんわよ。
ホントにサー。

ああ、お金って大事。
お金ってやっぱりひとつの価値だね。
ああ、お金。
ああ、お金お金。
2005年11月21日(月)  こんな大人になりたくない
あなたのマンションは大丈夫でしょうか。
あなたのマンションを設計した建築士や設計事務所や建築業者を調べてみたほうがいいかもしれません。


30代後半(男)の派遣スタッフの営業担当をしていました。
妻もあり、子もいる男性です。
もう、今日は久々に激怒しました。
なんつうか、もう40になろうかという家族のある男が、なぜにあれほど無責任になれるのか、開き直れるのか、私には理解できない。

社会のルールとか社会人としてのマナーとか、そんな言葉で追及するほど偉くもないし、ずっと年齢が上の男性にいう気力はないし、そもそもそんな言葉が彼に通じるわけもないのですが、こんな大人にはならないでおこうと肝に銘じた一日でした。

開き直って周りに責任転嫁する彼の姿。けれど、事態の深刻さに慌て、自分より立場が上の人間が出てきた途端、ぺこぺこと頭を下げへつらう彼。

彼の無責任さ、浅はかさ、甘さは、どんな会社に行こうとどんな社会で働こうと、変わらないだろう。同じことを繰り返していくのだろう。どんなふうに育てば彼のような人間が出来上がるのだろう。不思議に思う。

もう二度と彼のような人間と一緒に仕事をするのは嫌だ。
もう二度と彼には会いたくない。
彼には激昂するとともに憐れみさえ感じる。
2005年11月20日(日)  ネタを下さい。
日記のネタを下さい。
書くことがありません。

日記と言っても日常的なことを書くべきところだとは思いますが私の日常などそれほど何かお話しできるようなことは毎日起こるわけでもなく平々凡々とした毎日を送ってるわけでそれをいちいち書くというのもなんだかつまらないのでなにかネタを下さい。


もしくは誰か書いておくれ。
2005年11月19日(土)  Try&Error
今日作ったパスタは最低な味がした。
食い物じゃないっす!なかったっす!
一口も食べれなかったっす!ひもじいっす!


アサリとの格闘。

アサリを塩抜きしてくださいってあるよね。
一体、どれくらい塩水につけとけばいいのかよくわからず、しかも塩抜きするとアサリの口がぱっくり開くのかと思って今か今かと待っていたけれど、ついぞ開くこともなかったことがある。
これは、数十分くらいつけただけじゃダメなんだと思い、朝出かける前に塩水にアサリをいれて、「これで準備万端」と夕方帰ってきたら、台所中が塩水だらけになっていたことがある。しかも、アサリが入っているボウルから塩水がピュッ!って。ちょービックリした。塩水がピューッッ!って飛び出たの。
神秘的な光景でした。
しかもくっさいの。生臭いの。もう腐ってる匂いなの。アサリの身がどよよんと塩水に浮いていたので、速攻捨てた。臭かった。あれはもう死んでるものから発する臭い以外のなにものでもなかった。
アサリとの凄まじい格闘でした。
今日、作ったパスタのアサリは火にかけてもなかなか開かなかったので面倒くさくなって(短気は損気)そのまま食べた。
ということは、貝が開かなかったということは、身が食べれなかったわけで。


余りモノで作ってみる無謀。

冷蔵庫の中にあるもので、何かをちゃちゃっと作れる人こそ、料理上手だというらしい。魅力的だよね。冷蔵庫の中身を腐らさないで済むでしょ。だけど、余りモノで作るにしても、野菜の組み合わせとかいろいろあるじゃない?そういうセンスって必要じゃない?
今日は、アサリとしめじでパスタを作ろうとしたの。
したら、ほうれん草があったので、これも入れちゃおうと思ったの。豚肉もあったのでベーコンの代わりにしてみようと思ってそれもいれたの。で、冷蔵庫の中をキレイにしたくって、しいたけがあったのでこれもキノコ繋がりでいれてみたの。あと、キャベツもあったのでそれもね。
もう、美味しいものを作ろうというより、冷蔵庫の中をキレイにしようということだけに夢中だったの。
しかもね、一回、塩コショウしたこと忘れてもう一回してしまったのね。
救えなかったです。もうそのパスタは救えなかった。
なんつっても、パスタの量より具のほうがずっと多く、フライパンじゃ間に合わないので鍋に入れてかき混ぜてみたけど、辛いし濃いし生臭いしで。豚肉はいってるパスタなんてある?しいたけやキャベツの入ってるパスタってある?あんま聞かないよね。そういえば。
ダメだねー。センスないね。
格好つけてお料理上手になる必要なんかない。
私は、料理本どおりに作る以外、してはならなかったね。

わかってはいたんだけどねぇー。
2005年11月18日(金)  眠れない夜
嫌なのか、そうでないのかわからない。
目をかたく閉じていても、目を薄っすら開けていても、どちらもそれほど変わらない。
私は恋人の言うがまま、じっと横たわっていたり、体を起こしたりする。
彼の思うが侭、私はそれに従う。

ねっとりと肌が触れ合う。
じっとりと唇が触れ合う。
髪の毛が彼の顔を覆う。
心の中がじくじくとしている。
体中がじゅくじゅくとしている。
裸になることが心許ない。
素肌に触れるすべてが心許なくて仕方ない。
恋人は没頭する。私は没頭できない。

彼の体は重く、べとついた肌は気持ちが悪い。
このまま眠ってしまいたいと思う。
このまま眠れるのだろうかと思う。
2005年11月17日(木)  後輩、失恋
最近、会社の後輩の男の子のテンションが高くて、鬱陶しい。
「の」がいっぱい。

最近、彼は彼女と別れてしまったようで、ずっとグチを聞いてやっている。
グチと言うより、泣き言といったほうが正解。
もうなんだか、弱りすぎてテンションが高いのだ。

まあまあ飲みに行って忘れようよと、居酒屋に行ったけれど、ずーっとハイテンションでメソメソされると、鬱陶しくなる。

早く忘れて早く次の人見つけなよ、と言ったら、
じゃあ、誰か女の子を紹介してくださいよ、と言った。
それは無理なお願いだよキミ。

散々酔っ払わせて、終電に後輩を押し込み、早くいい人見つけなねーと言って送ってやった。
その後、彼は電車で眠ったまま車庫まで連れて行かれたらしい。
手のかかるこってす。
2005年11月16日(水)  赤ん坊
赤ん坊のいる夢をよく見る。
だけど私には、産んだ覚えもなく妊娠していた記憶もなく、夫がいるわけでもない。
何かしらの理由があって、いま私の手元には赤ん坊がいる。
この子は私の子だと強く母性を感じている。そんな夢を見る。

一生懸命、子供を抱いて母乳を飲ませようとするけれど、乳が出ない。
ごめんねと私は赤ん坊に囁く。
粉ミルクを買いに行かなきゃ、哺乳瓶を買いに行かなきゃ。
私は、そう思い立って家を出る。

だけど、私はいつのまにかスーツを着て仕事をしている。
地下鉄を乗り継ぎJRに乗って商談に出かけている。
駅の階段を上るとき、はっと気づく。
あの子をひとりぼっちで家に残してきてしまったと。
あの子に飲ませるミルクを買いに外に出かけたのに、私はすっかり忘れて仕事に来てしまった。
なんて酷い親だろう。今ごろ、あの子は泣いているだろうか。
腹を空かせ過ぎて死にかけているのではないだろうか。
どうして私はあの子のことを忘れてしまったのだろう。
私は走って家に戻る。
階段を走って電車に飛び乗り、呼吸が出来なくなるくらい走った。
家に戻ると、赤ん坊は死んでいた。

そんな夢をよく見る。
2005年11月15日(火)  何にも
最近、何にも考えない。
何にも考えないようにしている。
何も考えられないからだ。

何にも興味がない。
何にも気をとられない。
何にも集中する気がない。

私には何にもわからない。
私には何にも出来ない。
2005年11月14日(月)  シャワーの音
彼は走る。
彼は走っている。

冬の夜道を、ランニングシューズを鳴らして彼は走っている。
規則正しく呼吸の音が聞こえるだろう。彼は走っている。

シャワーを浴びた後、伸びた前髪が気になってハサミで切った。
真っ黒に濡れた髪の毛がぱらりとゴミ箱に落ちていった。
私は自分を責めることしか出来ないことにひどく歯痒い思いがする。
いつだってそうなのだ。
私は自分を責めることしか出来ない。

今ごろ、彼はどの辺りを走っているのだろうか。
何かを振り切るように、何かを忘れるかのように彼は走っているのだろうか。
恋人の気持ちがわからなくなる。


ひとりで暮らしていると、ユニットバスでシャワーが流れる音を聞くことはない。
自分以外の誰かが、ひとりで暮らすこの部屋を訪れない限り、その様子を聞くことは出来ない。
壁の向こうで水がはねる音がする。水が流れていく音がする。
冬の夜、汗をかいて戻ってきた恋人が、シャワーを浴びている。
その音を、私はベッドにもぐって聞いていた。
真っ暗な部屋の中でただひとつ灯りがついているのは、彼がシャワーを浴びているバスルームの中だけだ。

私は恋人に背を向けて目を閉じていた。
やがてベッドが揺れて恋人が寄り添ってくる。
私の膝の裏に自分の膝を、私の背中に自分の腹を、私の髪の中に自分の顔を埋めて。

恋人は冬の夜道を走っている。
白い息を吐いて彼は走っている。
玄関に置かれたランニングシューズ。
カゴに放り込まれたタオルとTシャツ。
脱ぎ捨てられたジャージ。
私の背中に寄り添って眠る恋人。
2005年11月13日(日)  B型さんこんにちは
私の新しい上司は典型的B型です。

上司と同行営業中、私がタクシーをつかまえようとしていたら、上司が「よし、僕がつかまえますから!」と言って、車がたくさん通っているところに出て車の前に立ちはだかって、「僕は死にましぇん!」と言う勢いで、空車タクシーを止めてさっさと車に乗り込んだ。すっごいクラクションが鳴らされているのにまったく気にせず、歩道にタクシーが寄せてくれるのも構わず、バンバンとドアを叩いて開けてもらってさっさと乗りこむ人。危ないですから。車に轢かれるところでしたから。
人の迷惑をかえりみない我関せずなB型。

上司と同行営業中、私が地図を見ながらお客さんの会社があるビルを探していたら、上司が「貸して!」と言って地図をつかみとって率先して歩き出したけど、地図をぐるぐる回しながら見るから結局迷った。「ああ。ここはどこでしょうねぇ。どこですかねぇ。この地図で言うと僕らはいまどこにいるんでしょうねぇ。キミ、地図見て探して」と言って私に地図を返してくれた。こりゃ、どうも。
主導権を握りたがるくせに飽きやすいB型。

上司と同行営業中、あるデパートの前を通った。店の前ではボジョレヌーボー解禁で試飲の列に並ぶ人たちがたくさんいた。「あ、飲んでみたいなぁ」と言って上司は列に並び、コップに入ったちょっとの量のボジョレをとってきて、ひとりでごくごく飲んでいた。おつまみのチーズにも手を出し、「あ、キミの分、とってくんの忘れちゃった」とお茶目な笑顔を浮かべてご満悦だった。仕事中ですからいま。お酒なんか飲んでる場合じゃないですわよ。
目の前のものに夢中になりすぎて周りが見えなくなるマイペースなB型。


そんなB型に対しO型(わたし)はといえば、「危ないですよ、いま車に惹かれるところだったジャナイですか」と優しく叱り、「たぶん、いま私たちはここらへんにいるので、こっちの方角に行けばいいんですよ」とB型のお尻をふき、「ささ、遅刻しちゃいますからもう行きますよ、はい、コップはこっちに捨ててくださいね」とB型のお尻を叩くと言う、役割を演じてしまう。
面倒くさい人っちゃあ面倒くさい人だけど、見ていて面白いのでそれほど腹も立たない。はいはい、本当に困ったサンだねぇ、という大らかな気持ちになってしまう。
だけど、それにたいして、キーキー怒っているのはA型の部下。
AB型はどうなのか知らんけど。というか、AB型って謎だよね。AなのかBなのかはっきりせんかい。という風に私には思える。

とまあ、人間を血液型の枠にはめていろいろ考えると、まあ納得する部分もあるよね、ということで。
2005年11月12日(土)  インフルさんこんにちは
今年のインフルはすごいらしいね。
お客さんに医薬メーカーのお客さんがいるんだけど、「今年は、諦めたほうがいいよ」と言われた。今年のインフルはすごい猛威だから、いくら罹らないように頑張っても無理だってば、という意味。「死者もけっこう出るんじゃないのー」とのこと。なんだかこういう会社の人に言われると、妙に説得力があるようで怖いね。そんな後ろ向き発言はやめていただきたい。

でさ、ワクチンをうっといたほうがいいんじゃないかと、先日、主治医からメールが来ていたのですが、(本当は月イチで病院に行かなきゃいけないのに、全然行ってないので催促のメールが届くのであるが)えー、だって型がさあ。型がヨメないんでしょ??あんまりワクチンの仕組みが分かってないけど。今年のインフルはどういう種類かあんまりわかってないのに、それで当て馬?みたいにワクチン打つなんてさー、意味ないじゃん。

だけど、ワクチンしとくなら今のうちらしいです。
効き目の潜伏期間が長いらしいので、今の時期にやっとくほうがいいらしいけどね。

ここ最近、インフルには罹ってないけど、罹っちゃったら最後だね。今年はね。生死の境をさまようでしょうね。かといって、ワクチンまでして予防してたのに種類が違いましたとインフルに罹るのもまた癪なのだ。
2005年11月11日(金)  7万円也
私がショックなのは、その歯医者が私に何にも言わずに、ゴリゴリ私の歯を削り、神経をとり、「神経が死んでますから、すべて歯を削りました。それで、歯の上から被せ物をした方がいいと思いますが、銀歯にしますか?それとも白い被せ物にしますか?ただ、白いものだと保険が適用されませんので、7万円になります」と言った。

私がショックなのは、7万円という金額よりも、私になんの説明もなく神経をとっぱらって、歯をごりごり削ったあとに、そんな説明をして、ニヤリと笑ったときに銀歯がキラキラ見える笑顔にするか、7万円を支払うか、という選択を迫ったことである。

なんで、先に言ってくんなかったの。私の大事な大事な歯を勝手にそんなに削っちゃってさ。といっても、先に説明してくれたとしても、選択の余地が広がるわけでもなく、どちらにせよ、銀歯or7万円ということには変わりないわけで。

ええ、どうしよう。7万円なんて払えないよ。払うんだったらiPodとか買ったほうがいいじゃん。iPodなんてふたつ買えちゃうよ。いいんじゃない?銀歯で。多少はニヤリと笑ったとき見えるけどさあ。別にいいか、銀歯で。
と、家の鏡で歯を見ながら言っていたら、恋人が「女の子なんだから、そんなブサイクなことをしてはならない」と言った。上の歯の前から4番目の歯なので、正面から見えるか見えないかぎりぎりの場所だし、別にいいじゃん?と言っても「7万円くらい払えばいいじゃないか。銀歯の見える笑顔なんて魅力半減」と言う。魅力がある笑顔なのかどうか、それはさておき、7万円と言う金額の貯金がないわけではないけど、なんだかねぇ、お口の中に7万円もかけるってどうなの?ちょっと考えられないけど。じゃあ、お金貸してよと言ったら、「いいよ」とあっさり言うので、私はナンだか説得されてしまい、自分で7万円払って白いのをいれてもらうことにした。
恋人間でのお金の貸し借りは禁止。
という祖母の遺言を私は破るわけにはいかないのです。(おばあちゃんは死んでないけど)
7万円貸してくれるという恋人の勢いに負け、来月私は7万円を支払うことになりました。

来月までは、仮の被せモノを歯に入れているんだけど、それがなんだか心もとないの。すぐ取れちゃいそうで心許ないの。なぜか、透明な被せ物なので削られまくって小さくなったもともとの歯がうっすら透けて見えて、変な感じなの。
なんだかなー。
2005年11月10日(木)  かすめていった
今日はずっと渋谷で仕事をしていて、夕方から横浜の会議に行ってくれと言われていたので、会議の時間に充分間に合う時間に東横線に乗った。
座席に座ってずっと本を読んでいたので気づかなかった。
「緊急停車します」とアナウンスが流れて、たぶんスーッと停まった気がする。急停車したようには覚えていない。「ただいま、大倉山駅で人身事故が…」と駅員の声がした。周りの乗客からは、ああーというため息や苛立った声が聞こえた。窓の外を振り返ると、私たちが停まっている駅こそ「大倉山」と書いてあった。

私は、入り口に一番近い端の席に座っていた。入り口ドアの前には3人の大学生くらいの男の子が立っていて「大倉山ってここじゃん。この電車じゃん!」と言った。すぐ駅員のアナウンスが流れて「ただいま、この電車で人身事故が…」と言った。

振り返った窓の外に、よく高校生が持っているバッグが地べたにそのまま置いてあった。その周りには誰も居ない。誰のものかわからないバッグが、黄色い線の内側に置かれてあった。

進行方向にあたる側の外を、大学生達の間からのぞいたら、すぐそばにホームの端を示す白い柵が見えた。私が乗っているのは確か一番後ろの車両だった。私たちの車両は駅のホームにぎりぎり差し掛かっていて、前の車両はホームを通り過ぎている状態らしかった。
その白い柵に向かって、駅員が走っていったのが見えた。

胸がドキドキした。どれくらいのあいだ、停まった電車の中にいたかはわからない。アナウンスが「レスキューを呼んだので、電車が動き出すのには時間がかかる」と告げた。乗客たちは口々に不平や不満を漏らし「ここから出せ」と言った。

人身事故というのは、ホームから人が落ちたのだろうか、それとも誰かが線路に立ち入り事故になったのか、それとも? 律儀にバッグをホームに置いて線路に落ちる人がいるだろうか、線路に入ろうとする人がいるだろうか。私が乗った電車は大倉山駅を通過するはずだった。いわば、それほどスピードを落とさずに通り過ぎる駅だった。レスキューを呼ぶほどの事故というのであれば、今もまだ、この電車の下にあのバッグの持ち主は挟まっているのだろうか。

オレンジの作業着を着てヘルメットをかぶった男たちが、幾人もあの白い柵の向こう側に走っていった。駅員達が右往左往し、その後車内のアナウンスは「復旧にはかなりの時間がかかる」とだけしか告げなかった。やがて、レスキューの指示により電車内の電力をすべて落とすとアナウンスが言った。乗客たちがどよめき、車内は不満の声で渦巻いていた。誰かが声をあげて「ここから出してくれ」とドアを叩いた。立ち疲れたのか女子高生が座り込んだ。みんな、イライラして殺気立っていたのだ。

電気が消え、真っ暗な車内には、そとから入ってきたネオンの灯りと、いくつかの携帯電話の画面からの明かりがぽつりぽつりと見えていた。苛立つ人たちと同じ空間を、しかも薄暗い密室で過ごしているのだと意識すればするほど、酸素が足りないのではないかという強迫観念が私を襲う。それに、まだ外は慌しく走り去る駅員や、大きな工具のようなものを持ったレスキューの人たちが走っている。私たちの足元には死んでいるのか生きているのかわからない人が横たわっている。

担架が運ばれたとき、誰もがホームを見つめていた。立っている人も窓やドアに近寄り視線を寄せていた。私はもう外を見ていることなどできず、口を押さえて浅い呼吸ばかり繰り返した。とても気分が悪かった。

もう死んでいるのだと思った。そしてなぜか、その死んだ子は男の子のような気がした。男の子か女の子か何も示してはいないのに、なぜか男の子のような気がした。こんな夕方、中学生なのか高校生なのかわからないけど、学校が終わってすぐの時間、たぶんきっとホームから身を投げたのだと思った。バッグを律儀にホームに置いて、そんなことをしたのだ。なんだかそんな気がした。

ドアのそばに立っていた大学生達が「俺たちは、一番前の車両じゃなくて良かった」と言った。
こんなんだったら、東横線に乗らなきゃ良かったと、女の子の声がして、ホントむかつく、と誰かが言った。早く開けてくれよと誰かが言って、しきりに携帯電話でいろんなところへ電話する人たちがたくさんいた。

そしてその後すぐ、唯一ホームに停まっていた私たちの車両のドアが開けられ、出たい方は出てくださいと駅員が言った。私はすぐに席を立って、柵の向こう側を見ないようにホームから降りる階段を目指した。改札の向こう側には、すでに事故がおきて電車が停まっていると知った人たちが中に入らず立ち止まってたまっており、事故車両から出てきた乗客たちが改札窓口で振替券をもらう列をなしていた。駅員ともみ合う乗客たちがたくさんいて、「何分後に電車は動くのか」と怒鳴っていた。若い駅員が「30分後をみています」と言ったけれど、「もう事故が起きてから30分はたっているじゃないか!」とまた怒鳴った。駅員は、振替券を配りながら、「たぶん……、レスキューが入ってから30分後かと思います」と言った。それは確かか?と詰め寄る乗客たちがたくさん集まっていた。
駅の周りには野次馬とも乗客ともつかない人だかりと、消防車や救急車やパトカーが赤いサイレンをまわして停まっていた。
すぐそこにいたおばさんふたりが「飛び込み自殺らしいわよ」と言った。

私はそんな様子をただ呆然と見ていた。ただ呆然とし、深呼吸を繰り返すしかなかったのだ。
駅の周りの様子を見て、この騒ぎの大きさを知った。どんどんと広がる騒ぎの渦中にいる人。彼の両親へ知らせが届くのはいつだろう。あのバッグを誰かが開いて早く身元の確認をして、自宅に電話をしてあげればいいのに。だけど、両親がこの駅周辺の騒ぎを見て、ホームに上がっていくことが果たしてできるだろうか。まだ車両の下から出られない人を家族が直視できるというのだろうか。これから騒ぎはどんどんと大きくなるだろう。波紋が広がるように渦中の人を中心に騒ぎは広まっていくだろう。一体、どれだけ多くの人が足止めを喰らい、約束の時間を守ることが出来ず、家に帰ることができないのだろう。
東京ではよく人身事故で電車が止まるけど、私が受ける影響などその波紋の末端でしかないと思っていた。だけど、今日は違ったのだ。より近い場所でそれを感じたのだ。

私は降りたこともない駅におり、とりあえず近くの駅に向かうバスをつかまえ、そこからまた電車を乗り継いで横浜までやっとたどり着いた。すでに会議が始まって1時間がたっていて、事故が起きてから2時間が経過していた。そして、ちょうどそのとき、東横線の電車が再開したと駅のアナウンスが告げていた。

私を駅へ運ぶバスの中で、渋滞した車を見つめていた。なんでこんなことになったんだろうと思った。すぐ傍らを救急車が走っていった。あの駅から走ってきた救急車だろうか。


自分のすぐ脇を、魂が走り去った気がした。
バスを救急車が追い越していったからではない。
私がぽかぽかの電車の中で単行本を読んでいたあのとき、誰かの魂がすぐ近くを走り去っていったのだ。死がかすめていった。頭が痛い。胸が痛い。視界が滲む。
2005年11月09日(水)  後悔
いろいろと現実逃避出来たらいいなと思うけど、久々にいろんなことを思い出していたら、やっぱり逃げたくなってしまった。
声なんてとうの昔に忘れてしまって、どんな顔だったかさえあまりはっきりと思い出すことは出来ない。なのに、嫌だったことや悲しかったことははっきりと思い出すことが出来る。
そういうことだけははっきりと思い出すことが出来る。
なんて、身勝手なことだろうとも思う。

後悔という感情は非常にタチが悪い。
私ははっきりと認める。後悔しているのだ。
あんなふうになってしまったことを後悔しているのだ。
私自身に後悔をしていて、あの時間に後悔をしている。
思い出せば出すほど、後悔の感情は根強くなっていく。


真っ暗な海が凪いでいる。
空に浮かんだ月だけを映している。
もう戻せない時間に後悔をすることは愚かだと思う。
2005年11月08日(火)  ここだけの話
ここだけの話、10月はずっと生理がこないで焦っていました。内心ビクビクでした。生理が来たとき、トイレの中で歓声をあげたのは、本当に内緒です。

ここだけの話、貯金がドンドンなくなっていきます。なんだっけ?何買ったっけ?スーツ買ったね。靴買ったね。コートも買ったよね。あと外食も多いよね。飲みすぎだよね。真剣に貯金しないとスッカラカンカンになってしまいます。

ここだけの話、もうほんとメル友とちょう仲良しです。

ここだけの話、ちょっとは妥協することを覚えようと思い始めました26歳冬。

ここだけの話、サンタさんに「iPodをください」とお願いした。

ここだけの話、パスポートのとりかたがわかりません。
2005年11月07日(月)  些細なこと
人は、他人から見ればどんな些細なことであっても、気に病んだり簡単に傷ついたりする。

そのときに言わないと、いつまでたっても、相手は、若しくは私は、ずっとその傷を深くしていくばかりなのである。

ときに、自分でもわからないうちに、段々気分が落ち込んでいったり、段々悲しくなっていったりする。自分でも気づかないほどの小さな小さな切り傷が、そのうち血が止まらなくなるほどの大きな傷になるのだ。それはとても怖いことだと思う。取り返しのつかないことになりそうで、とても怖いと思う。

私は以前、恋人だった人に「私たち、すごく仲のいい親友みたいだね」と言った。私はほめ言葉のつもりで言ったけれど、相手にはそう思えなかった。異母兄が私に他人行儀な言葉を使った。恋人が「もう眠いから明日話そう」と言った。
本当にとても些細なことだ。
私の身勝手で自己中心的な感情だ。
そのときは、些細で悪気のないことであっても、ずっと後になってから時々そのことを思い出したりする。ずっと後になってから自分が相手を傷つけたのだと知る。悲しかったと自分で感じる。


だったら、あまり人と関わらないで生きたほうがいいのかもしれない。
人はひとりでは生きていけないなんて思っているくせに、頭の片隅では強く誰かを求めているくせに、怖い怖いと思っている自分もいる。
とても複雑だ。
どこにも出かけたくなくなる。誰とも会いたくなくなる。電話にも出たくなくなる。
だけど、ひとりでいることはとても淋しい。
怖いけど、強く求めている自分の気持ちは、一体どうなれば気がすむのだろう。

それはすごく悲しいことだ。
それはすごく怖いことだ。
だとしたら、どんな風に生きればいいのだろう。
2005年11月06日(日)  無気力による無気力のための過ごし方
友達が言うには、「あなたは年中、無気力だよね」と言う。
他人に言わせればそうなのかもしれないけど、今現在の私は自覚するほど無気力なのだ。
年中無気力な人間が、自分で自覚するほど無気力ってことは、相当な脱力感に襲われていると理解して欲しい。

無気力な休日は、出かけないほうがいい。
なので、借りてきたDVDをずっと部屋に篭って見ることにした。
では、ここ最近見たDVDをここに明記しておく。

ユーガッタメール ★☆☆
オールドボーイ ★★★
イブラヒムおじさんとコーランの花たち ★★☆
キャッチミーイフユーキャン ★☆☆
スクールオブロック ★★☆
フィラデルフィア ★★☆
ターミナル ★☆☆
ブラザーフッド ★★☆

トムハンクス見過ぎ。
もっと見たけどもうすっかり忘れてしまった。
以上、私のオススメ度もつけておきました。
2005年11月05日(土)  ブラジャーはちきれる
そんでもって、新しい下着を買った。
下着を買うということは、楽しい。

こんなにヒラヒラしたのはいやだとか、この色はありえないけど、これとの組み合わせだったらまだ許せるとか。この色でこの形のがあればいいのに!とか。何時間だって見ていられる。
なんだかんだと時間をかけて買って帰り、そんでもって、恋人に見せる瞬間ってのがまた楽しいよね。イヤらしい嫌がらせではあるけれど。これくらいのささやかなイタズラだったら別にしたっていいじゃないか。

こんなの買ったのー!って見せるだけならつまらないので、ベッドにどどーんと出しっぱなしで嫌でも見えてしまうようにしてみる。だけど、この場合ちらっと見ただけで、何のリアクションもない可能性も高いのでダメ。

たとえば、玄関に上下セットで並べてみる。玄関を入ってきた途端、床に置かれた下着を拾ってしまう恋人。うーん、これもいいかもしれないけど、そのまま何にも触れず跨いで部屋に入ってきてしまう可能性もあるのでこれもダメ。

もう、すごく大胆に、下着を身に付けて服も着ずに部屋をブラブラしてみるのもいいかもしれないけど、寒いのでダメ。

でも、そんなこんなで頭をひねって色々とどんなイタズラをして驚かしてやろうかと(?)頑張ってみたけど、段々面倒になってきたので、ベッドに転がってテレビを見ていたら、恋人が遊びにやってきた。
ぼやーっとテレビを見ている恋人の後ろ姿があまりにも隙だらけだったので、こそこそと恋人のカバンの中に新しいブラとパンツを忍ばせて、「ねえ!かばんの中になんか入っているよ!」と叫んでみた。ぼやぼやしている恋人は、「あ、そう?」となかなか相手をしてくれない。「ねえ!さっきかばんの中がごそごそ動いたって!」としつこく言ってみると、やっと恋人が自分のかばんを開けてくれ、新しいブラとパンツを引っ張り出してくれた。
「買ったのー、それ」と言ったら、「なんで僕のかばんの中にいれんの」と彼は言った。
「見て欲しかったから」と言ったら、「別に僕のかばんの中にいれなくてもいいでしょ」と彼は言った。
「それはそうだけど、普通に見せたってつまんないじゃん」と言ったら「別に僕を驚かすことはないんだよ」と彼は言った。

結局、私が何をやってもどうせ面倒くさいんでしょ!つまらないー!キーッ!と叫んだら、「ああ、ごめんねごめんね」と言って、私を宥めだしたけれどそんなのもう遅いんだって!

こんなこと大声で言いたかないけど、なんだかこう最近の私たちはマンネリ?っていうか、マンネリって死語だと思うけど、こう刺激がないというかマッタリしすぎというか、刺激がないというか、なんというか、そんなんだから、だからだから、こう新しい下着でも買ってね、小奇麗にしたほうがいいカナなんて。発想が痛々しい発想ではあるけれど、だって他になんか方法ある?いろいろ考えたけどブラとパンツ買うしかない!と思ったんだもの。
だからさ、買ってさ、それで買っただけじゃつまらないから、見せてあげようと思ってさ、普通に見せたんじゃ「ふぅーん」で終わらされるのもなんか淋しいからさ、ビックリさせてあげようと思ってさ、思ってさー!だから、かばんの中にいれてみたの!

と、一気にまくしたてて、ずーっとベッドの中にもぐって「バカ」と30回くらい言っていたら、
「ちょっと、これ見て!ねえ早く見てよ!」と恋人が言うので、毛布をはがして恋人を見たら、恋人が私の新しいブラをつけてた。
ちょー乾いた笑いが部屋の中にこだましていた。

別につけて欲しくて買ったわけじゃなし。
別につけて欲しくて怒ってたわけじゃなし。
そんな慰め方って、ないと思う。
なんだか、僕らは墓穴を掘っていっているような気がするね。
2005年11月04日(金)  大人の嗜み方
イチノクラ。イチノクラ。

と、ずっと友人が私の耳元でそう囁きながら、私のコップにお酒を注いでいた。
別の友人は、ずっとウーロンハイを飲んでいた。
もうひとりの友人は、たぶんビールかイチノクラを飲んでいて、「とにかく一升瓶持って来てあげて」と、一生懸命店員に向かって叫んでいたのだ。

そうやって何時間飲んでいたかというと、お店もかえずに4時間は座っていて、ここは西池袋なので終電の時間を気にする必要もない。

イチノクライチノクラ。と友人はずっと呟いている。

仲のいい友人と飲むのはいいけど、とくに話す話題もなく、だけど酔っ払っているとどうでもいい話題でも、何が可笑しいのかはわからないままゲラゲラ笑っていたりする。
イチノクラ以外も飲みたいと思っていたけど、やけに隣の友人がイチノクラを気に入っている様子なので、そればかり飲んでいた。水みたいな味しかしなくなった。

0時になって、私たちは5時間飲んでいることになる。そろそろ眠くなってきたので帰ることにした。
際限なく飲んでいると、誰かが吐く。真っ暗な夜道の道端で、苦しそうに呻いている友人を、10メートルくらい離れた場所で「がんばれ!がんばれ!」と応援してあげる。「吐いたら楽になるから!」といって応援してあげるのが、私たちの常で、友人が吐き終わったら、どこでもいいからまた居酒屋に入って吐いた分だけ飲むという罰ゲームをする。
吐いたら罰ゲーム、ということが、酔っ払った頭では面白い。

どうやって家に帰ったかはまったくもって不明で、それでも気づいたらベッドでうつ伏せになっているので、どうやら無事に帰れたのだと頭で理解する。
実は、今日ばかりは私も吐きそうだった。吐くかも?と3回くらい思ったけど、友人の吐いている姿を見ていると、途端に面白くなって気持ち悪さがなくなる。
翌日、二日酔いにもならず、もうちょっとこう、大人のお酒の嗜み方をするべきだと思うけど、それが一体どんなものなのかはよくわからない。それでもわかることは、私はたぶんザルなのだということだ。
2005年11月03日(木)  フィラデルフィア
私はフィラデルフィアという映画が好きだ。
トムハンクス演じる、同性愛者でエイズにかかった弁護士が、所属していた法律事務所から突然の解雇を言い渡される。エイズと同性愛者という理由での解雇は不当だと、元職場の法律事務所を相手取り裁判を起こすという映画。

高校1年生のとき、学校の行事で映画館に映画を観にいったことがあった。そのときに初めてこの映画を見た。
私はその当時、エイズという病名は知っていたものの、その詳細まではまったく知らなかった。けれど、ちょうどあの頃、エイズという病気が世間に広く知れ渡った時期ではなかっただろうか。
それからすこしたって、薬害エイズの川田龍平という人を知った。
彼は、薬からエイズにかかり、薬害エイズ裁判の匿名原告者だったけれど、私がフィラデルフィアを見たころ、彼が実名を発表しマスコミなどに取り上げられた時期だったと思う。

フィラデルフィアという映画を観て以降、私はずっとこの映画はエイズ差別を描いた映画だと思っていたけれど、見直してみると同性愛差別の映画だったのではないかとも思えた。

同性愛者の差別について考えてみた。
もし私のそばに、女性を愛する女性がいたとして、彼女が私に好意を持ったとしたら。そんな場合、私は彼女を差別せずいられることができるのだろうか。嫌悪は感じるだろう。だけど、その嫌悪は好みでない男性に好かれたときと同じ嫌悪感であるような気がする。すごく嫌いなタイプの男性が私に好意を持ったとき、私は嫌悪感を感じる。それと同じような気がするのだ。愛せない人間に愛されたときと同じ嫌悪感。
だけど、だけどやっぱり実際にはどんな気持ちになるかは想像できない。実際に同性愛者と出会ったことがないため、私はその想像が出来ない。

エイズは、川田龍平という人間に関する本を読んでよく知ることが出来た。
私が彼を知っていたときの期間、彼はまだ発症していなかった。今はどうかわからない。


今日、久しぶりにフィラデルフィアを観た。
トムハンクスの弁護人が黒人だったということが何かの奇遇なのかどうか、差別を扱う裁判の弁護士役が黒人の俳優であること、また被告側の弁護士事務所の社長や役員達がすべて恰幅のよい上流階級の白人であったこと。トムハンクスのやつれ振り。
そして何よりも、高校1年生のとき初めてあの映画を見たときの衝撃はずっとずっと忘れない。病気で死ぬより先に、社会から殺されるという差別。人の尊厳とはこんなにも簡単に社会は踏み潰してしまうのだと思った。


同性愛にどうこう言うことはない。愛したい人を愛するのは自由だ。それを相手が受け入れるかどうかも相手の自由だ。世の中の皆、誰かを愛して誰かに愛されて、そして好きな人と気がすむまで一緒に居ることは自由だ。そして、同性愛を嫌うことも自由だと思う。そんな自由があるからこそ、同性愛への嫌悪を誰かに向けることや、同性愛への差別を誰かに強要することは、自由ではない。自分の中で嫌悪することと、相手にぶつけることは違う。

そして、誰しも、愛する人が死んでいくのには堪えられない。
エイズであろうが癌であろうが、誰かが死んでいくのには私は堪えられない。

高校生のあのとき、映画の最後のクレジットが流れても、私たち生徒はただじっと席に座ってスクリーンを眺めていた。誰しも動けなかった。けれど、引率で来ていた男の先生ふたりはそそくさと映画館を出て行った。振り返った先生たちの顔は涙でぐしゃぐしゃだった。
私には涙が出るというよりもあまりにも衝撃的な映画だったけれど、大人には涙を出させるほどの映画だったのかもしれない、と思った。


この映画を見直してみて、川田龍平くんのことを思い出して、いろいろと書きたかったのだけれど、なんだか、うまくまとまらなくてうまく言葉に出来ない。
2005年11月02日(水)  言葉のない
私は、なんだかんだ言っても、結局、素直な人間ではないと思った。
もっとちゃんと言えば、相手だってわかってくれるのに。
もっと身構えずにいれば、相手だってわかってくれたかもしれないのに。

不器用と言う言葉では済まされず、孤独と言えばそれにも近い。
ひとりでいるのが好きなのに、ひとりぼっちになるのには淋しがりすぎる。

もう話す言葉がなにも出てこない。
なんにも出てこないのだ。
2005年11月01日(火)  一勝一敗
久々に夜道ですってんころりんと前のめりでこけた。
足からものすごく血が出た。マキロンが手放せない。
なぜ、こけたかと言うと、またヘンな人に「一緒に飲みに行きませんか」とふへへふへへと微笑みながら話しかけられたので、ヤナこった!と思って全速力で突っ走ったらこけたのだ。

昨晩、人通りの少ない道で後ろから人に追いかけられている気がしたので、またヘンな人に声をかけられて怖い思いをするのはゴメンだ!と思って先手をとって脅かしてやった罰が当たったのかもしれない。
どうやって脅かしたかというと、通りのブロックを3回曲がってもまだついて来ていたので、これは絶対におかしいと思った。だって、真四角のブロックを3回曲がってもまだついて来る人って滅多にいないでしょ?そこまで歩く道が一緒だったって、ちょっと不自然でしょ?みんなよく考えて?真四角なブロックを3回曲がったんだよ?明らかにもとの道に戻るよね?それでも、同じ方角に歩くトコロでした、ってのは可笑しな話だ。

なので、3回目の角を曲がったすぐのところで、突っ立って待ってたら、後ろから来たそのおじさんは「フワァ!」って、突っ立ってた私に驚いて声にならない声で叫んで走って逃げてった。巻いたはいいけどまた追いかけられると怖いので、ちょっとのあいだ、今度は逆におじさんの後をつけて、コンビニで立ち読みしてヨーグルトを買って帰った。
これが昨晩の出来事。

そして、今日の出来事。
「一緒に飲みに行きませんか」ふへへふへへと夜道で笑われて、驚かない女性はこの世にいない。なので、私は振り切って走って帰ったのだ。そしたら、ちょうどマンションの前でずざーってこけたのだ。ただ、それだけのこと。

それだけのことですが、たぶん昨晩の罰が当たってマキロンが手放せません。
恋人が私の左足の惨劇を見て、「目もあてられない!」と3回言った。
そんな言葉は1回でよろし。
Will / Menu / Past