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2005年10月31日(月)  くだらない価値
昔の恋人からメールが届いた。

洋服をたたんだり、かばんの中を整理したり、台所を片付けたりしながら、30分くらいかけて3回読み直したけど、なんだか書いてある言葉の意味が頭に入ってこず、たぶん酔っ払ってるからよく意味がわかんないんだ、と思うことにして眠った。

翌日、メールをもう一度読んでみた。
なんにせよ、彼のお願いに私は応えることが出来ない。

今度、写真展を開くことになりました。
一緒に見に行かない?って。一緒に見てくれない?って。

彼は、趣味で写真を撮っていて、たまに写真の雑誌なんかに掲載されたりなんかして、それはけっして趣味の範囲を超えることなく、ただ慎ましくカメラを愛する男性だったはずだ。
それが、写真展をひらくようになり、たくさんの人から見てもらえるようになり、それはそれで彼にとって幸せなのだろうけれど、私は行きたくない。
私と別れてから撮った写真なんか見たくもないし、それに彼が何を撮ったのか知りたくなかった。

どうしてそれほど、動揺しているのだろう。
なんて、つまらない女なのだろう。
彼は人ばかり撮っていた。知り合いの女性や知り合いの知り合いの男性や、知らない人や猫。
私と別れてから以降に出会った人々を、きっと撮っただろうその写真なんか私は見たくもない。それが本音なのだ。

私は撮られるのは好きじゃなかった。
レンズ越しにのぞかれるのが好きじゃなかった。
いつだって、写真に写っている自分という人間は、自分の思う自分よりもかけ離れていた。
自分の思う自分と、実際の自分の距離をひどく遠く感じる瞬間だった。
恋人という人から見た自分という人間は、まるで別人みたいだった。
私、こんな顔してない。私、こんな仕草してない。私、こんな表情してない。
あなたが好きだという女性は、本当の私じゃないかもしれない。
なんて、そんなことばかり思っていた。
彼が写した自分の写真を、一瞥しただけでいつもそのあとは見ないようにしていた。
彼をただ悲しませるだけだろうと思ってはいても、そういうことしか出来なかった。
以前の私は、今よりもずっとずっと子供で、そして今も変わらず自分の思う自分に固執しているだけなのかもしれない。

だから、写真に撮られるのは嫌いだった。
ただ、それだけだ。

写真なんか見ないほうがいい。頭の隅でそう警告する自分がいる。
行かないほうがいい。そう思う。行ったって彼にいい言葉なんかかけてあげられない。
なんて、つまらない女なのだろう。
2005年10月30日(日)  うがいしていいんですね
歯医者に行って、治療が終わって「はい、うがいしてくださーい」と言われたけど、先生、口の中に綿を詰めたままでうがいしていいんですか?

あ、これは出すべきなのね?そうなのね?
でも、この綿いれたの、先生だよね?
涎でダラダラになってるけど、綿。
自分で出すの?
先生、出し忘れたんでしょ?
もしかして、綿、取り出すの忘れちゃった?

でもこれ、すっごい奥に入ってるから、ものすっごいブサイクな顔して口開けて、手を突っ込まないと取れない位置にあるので、「はい、うがいしてくださーい」って言われたら、私は素直に綿入れたまま、ぶくぶくうかいしてペーって出しちゃいますけど、それでもいいんですか?
出しちゃっていいんですね?そうなんですね?


と、思っていたら、
「あら、ごめんなさい」と言って、先生は私の上唇をぺろっとめくって指で綿をほじり出してくれた。

笑っちゃったけど。
2005年10月29日(土)  噛み付かれても怒らなくなった恋人はマンネリ
久々に、恋人と休日がかぶり、金曜日だからってことで散々遅くまで遊んで、ベッドで死んだように眠っておきたら、清々しい昼過ぎ、という怠慢な休日を過ごしています。

ほかのカップルって、いっつも何して遊んでるんだろうね。
私たちは専ら食べてるか、飲んでるか、家でゴロゴロしているか、というくらいなんだけど、他の恋人って何してるの?
お台場とかなんかそういうところに行ってるの?安易な考えでお台場って言っちゃったけど、例えば遊園地とか動物園とか行くものなの?なんかアミューズメント的な遊びとかしてるの?ま、でも私はそういう遊びはあんまり好きじゃないので、行きたいとは思わないんだけど。でも、それ以外にデートの方法ってあるの?たとえばなに?教えて欲しいのです。

もう最近、何もやることなくて、ずっと家でゴロゴロしてテレビ見たりしてばっかりで、しかも一緒に私の枝毛を探したりしてもう猿の蚤取りみたいになっちゃってたり、意味もなく恋人に噛み付いてみて自分の歯形はどれだけ美しいかというどうでもいい確認をしてみたりとか。
というか多分、マンネリなのですね。
私も恋人も、本来、根暗な人間なのであまり出かけたがらないのですが、出かけると決めたときはとことん遠くに行ってやろうと計画をたてたりはします。というか、今年のクリスマスは3連休だってみんな知ってましたかー!
恋人同士がイチャイチャする夜、3連休なのですよ。なんて素晴らしい2005年。
だけど、クリスマスのイチャイチャの日に、恋人が仕事が休めるかどうかはまだ不明。
そのことについて、ごねなくなった私はやっぱりマンネリ。

「マンネリですね」と恋人に言ったら、「そうでもないっすよ」と言ってスパゲッティをつくってくれた。
2005年10月28日(金)  失敬!
今日仕事で、あいさつ回りをしていたところ、初対面の女性の派遣スタッフの方に、開口一番「失礼ですけど、おいくつですか?」と聞かれたので「26です」と答えたら、「えー?うそお。カワイイー!」といわれて、もっさりムカついた。

なんかさー、まず年齢聞いて「うそー!」の後、「かわいいー!」と言うのは、結局なんなのか意味もわからず、しかもこのスタッフの人は私よりも2歳ほど年下なはずで、なんでアンタ年下の女の子に「カワイイー!」言われなきゃいけないのか、益々意味が分からない。
私は猜疑心?が強いので、そういう褒め方をされると、「調子のイイコト言っちゃって」と思う人間ですから、可愛げがありません。それに「かわいい」とはあまり褒め言葉じゃないんじゃない?よくわからないけど。

とにかく、「年齢を聞いて→かわいい」とは一体どういう意味なのか。
なんかすごく失礼しちゃうわ!
2005年10月27日(木)  治療中はいろんなことを考えています
歯医者で診察を受けているとき「痛かったら左手を挙げてください」と言われるけれど、「どうして右手じゃだめなのかなぁ」と、散々口の中に他人の手や器具が押し込められている最中に考えたところ、「あそっか、右手上げても私の右側にいる先生には見えないからか!なるほどね!」と、どうでもいいことに気づき、ひとつ賢くなりました。

痛かったら言ってくださいと言うけど、痛いけど我慢できないほどじゃないのでほとんど我慢をする。それに、痛いってことは、虫歯の部分を治療していると言うことだから、痛いことはイイコトなのだと思うし。だから、痛くて当然で、「イタイ」と訴えて痛くないところを削ってもらっても仕方がないので、痛いことを申告するのは極力しない。
というか、はっきり言って、痛いことが嬉しいね、なぜかちょっと。
だってやっぱり、「ああ、痛いってことはちゃんと虫歯の治療がされてるからなんだな」という充実感というか充足感という安心感があるから。痛いの歓迎、みたいな部分がある。
逆に、削っているはずなんだけど、まったく痛くないことに不安を感じる。ちゃんと虫歯のところを削ってんのかな?って心配になる。

というか、マゾなのかしらとも思うけど、まあそんな部分も無きにしも非ず。
2005年10月26日(水)  興味と沈黙
最近、言葉が出てこない。

誰かと話さなきゃいけないのに、言葉が出てこない。
というより、興味が沸かない。
話そうという興味が沸かない。

だけど、沈黙しているだけでは仕方ないので、
ただ相槌ばかりうっている。

誰にも気づかれなきゃいいけど。
あの人、最近喋んないねって誰にも気づかれなきゃいいけど。
2005年10月25日(火)  定員オーバー
恋人が、昔の彼女とその今の彼氏と、恋人の女友達と4人で飲みに行くから、と私に言ったけれど、一体そんな人たちと飲みに行ってどんな話しをするのだろうと、首をかしげた夜、皆さんいかがお過ごしですか。

今の彼氏と前の彼氏が同席するということについて、一体女の人はどういう心境なのだろうと、やや興味が沸いてきて、恋人が帰ってきたらどんな感じだったのか聞いてみようとひとりワクワクする夜、皆さんいかがお過ごしですか。

私は最近、とってもいい子です。
夜、早く帰ってきて自炊などして夕飯をすませている、とってもいい子になりました。
いい子になったはいいけれど、少し時間を持て余すので、DVDなど借りてきて、夜な夜な鑑賞会をやっています。先日は「笑いの大學」を見て(あんまり面白くなかった)、「ターミナル」を見ました(これはよかった)。今度は「ブラザーフット」を見る予定です。
で、まだまだ意欲がありそうなら、もう一回ちゃんと「24」の最初のシリーズから見てみようかとも思うのですが、如何せん私は続編モノを見ていると、飽きてしまって長続きしなくなるので、なんか別のものにしようかとも悩む。


私だったら、前の彼氏と今の彼氏が同席している場には、死んでも居たくないけど。ひとりでなぜかやきもきしそうでヤダな。別になにがあるわけでも、全くないけど。まあ人の事はどうでもよろし。ターミナルを見ながら、結局それが気になるんじゃんと、そればっかり思う夜、皆さんいかがお過ごしですか。
2005年10月24日(月)  アスファルトの上に倒れた人
最近、車の交通事故が増えているようですね。
人の列に車が突っ込み、というニュースを最近よく聞く気がします。

静岡のほうで、保育園児の列に車が突っ込んで数十人が病院へ運ばれたとか。猫をよけようと思ってハンドルを切って事故が起きたらしいけど、それほどスピードが出ていなかったので、死者が出るほどの惨事にはならなかったとか。(もちろん、当事者たちにとっては惨事なのだけれど)

ワイドショーで、車の運転手のことをインタビューされていた人がいた。
「温厚な人で、いい人」という話で、警察官が現場検証を行っているときに立ち会っていた運転手の映像が流れていた。言われれば温厚そうな顔をした人だと、私は映像を見て思った。
この運転手は確かに法廷速度を守って運転をしていた。

病気と違って事故は、一秒前にピンピンしていた人が、すぐ次の瞬間には血だらけになり足があらぬ方向へ曲がり、目も向けられないほどの悲惨な姿になってしまう。そして時に命をも奪う。
加害者と呼ばれる、たとえばこのときの運転手も、たとえルールを守って運転をし、猫を避けようとしたとしても、次の瞬間にはたくさん人の、或いは誰かの健康または命を奪ってしまう結果となる。

その一秒という時間が短いからこそ、事故は悲惨だと思う。

私の実家は、車の往来の激しい道沿いにある。
私が小さい頃、近所に住む親戚のお姉さんを、花火に誘った。
夏の夕方、きっとうちに遊びに来てねと私は電話で言ったのだ。
一人っ子の私にとって、そのお姉さんは姉のように親しんでいた人だ。
夕方になり、私がわくわくしながら花火の準備をしていたら、突然、高いブレーキの音と表現のしようのない鈍いどすんという音と、誰かの絶叫が聞こえてきて、そのお姉さんは私の家の前の道路で交通事故にあった。
道路に出た母が、お姉さんの名前を叫び駆け寄って、家にいた父もそのあとを追った。
私は、そのあとずっと、自分が花火に誘ったからお姉さんが事故にあったのだと思った。

さっきの電話では元気な声で「今から行くね」と言っていたのに、このあいだは家に遊びに行って一緒にテレビを見たのに、だけどそのお姉さんの体は道路に転がったまま動かなかった。私は庭でどうすることも出来ず突っ立っていて、道路からは事故に気づいて飛び出してきた近所の人たちの緊張した声が聞こえてきていた。

幼かった私が自分を責めるのは仕方のないことだと思う。
お姉さんがうちに来ようとしなければ怪我などしなくてよかったのだから。
数ヶ月の間、お姉さんは入院していた。私はどうしてもお見舞いに行きづらかった。「ごめんね」と謝りたかったけど顔を見て話すことが出来ないと思った。お姉さんはすごく私を怒ってるんじゃないかとも思った。
母に連れられて行った病室で私は我慢できなくて、泣いてしまった。
「あいのせいじゃないよ」とお姉さんは笑って言った。


電車も飛行機も車もバイクも自転車も、人間が作り上げたものだけど、その操作を誤ればいとも簡単に人の健康や命を奪ってしまう。その恐ろしさは時々薄れ、安全で便利なものだと錯覚してしまいがちになる。便利なものには危険があること。操作を誤らなくても不慮の事故は起こってしまうこと。紙一重であることは、善人な人間をも加害者にしてしまうということだと思う。

さっきまでタイヤが踏みしめていたアスファルトの上に、人間の体がぴくりとも動かず横たわっているという光景は、悲惨であり絶望であり衝撃的な事実なのです。
2005年10月23日(日)  泣き真似で誤魔化してみる
週末はイライラしたので、腹いっぱい美味いものを食ってやった。食ったったわい。
私は所詮、腹部が幼児体型なので、食ったら食っただけ腹がポッコリする。

で、何を食ったかと言うと、
まず、土曜日にチーズ明太もんじゃ。そしてビール。そのあと焼きそば。そしてアイスラテ、バニラアイス。そのあとお味噌汁・ご飯。
そして日曜日にメロンパン。牛乳。肉じゃが。肉詰めピーマン。炒飯。ビール。ナシ・リンゴ。

実家から大量のジャガイモが送られてきて、うちの実家はけっして北海道ではないのだけど、どうしてこれだけジャガイモを送ってくるかというほど、ジャガイモを送っていただいた。
ので、じゃがいも使ってなに作るかしら?とジャガイモを自分の周りに円形に並べて考えてみたけれど、ビシソワーズが作れるほど料理達者でもないので、「肉じゃが」「カレー」「シチュー」の3つの選択肢しかなく、仕方がないのでお手紙書いたさっきの手紙のご用事なあに。
なわけで、肉じゃがを作った。

だけどだけど、私の肉じゃが。とっても甘いの。
あれだけ醤油入れたのに、砂糖の味しかしないんだけど、どうしたこと?
途中で味見したときは、「イケルね!」と思って自信満々だったのに、お皿に盛って食卓に並べて、いざイタダキマスしたときの一口目ったらないね。愕然とするしかなかったね。

私の恋人は、私が不美味なモノを作っても、まあ食べてくれるわけです。
優しい男かというと、申し訳ないのですが、そうではなく、タダのヤサオでしかないと私は思う。自分で不美味なものをつくっておきながら、この言い草はないのだけど、「こんなもの食えるかー!」と卓袱台を目をメラメラさせながらひっくり返してくれたほうが、よかったりする。
逆に、傷つくわけですよ。特にその不味い味に触れもせず、黙々と食べられると。
「なんか、ヘンな味するね?」と私がね、恋人にね、水を向けているのにね、「そう?そうでもないんじゃない?」って、無理してるその背中がなんだかちょっと。
別に、あなたに罰ゲームを課しているわけでもなく、むしろ美味しいものを作ってあげたかったのだけど、如何せん、甘かったのは申し訳ないと思うよ。思うけど、なんか、なんでもいいから、言って欲しいよね。これ、罰ゲームじゃないし、嫌がらせでもないし、だから耐える必要もないわけで。

どうしようもないので、箸をおいて一回ため息をつき、ベランダから夜景を眺めてもう一回ため息をつき、鍋の中のまだまだ大量に残っている甘肉じゃがをかき混ぜて最後にため息をついたら、泣き真似をしてみた。
2005年10月22日(土)  アンタがやんなさいよ!
横暴?な女性の上司という人は、往々にして自分の部下にはアマアマなのではないかと、「踊る大捜査線」を見て思った。

真矢みきが、織田裕二に「私の部下が怪我したらどうするのよ!こんな仕事はショカツがやんなさい!」と、危険な仕事はショカツの織田裕二に押し付けるシーンがあったけど、私はうちの会社の別の部の女性部長に「どうしてそんな手の掛かる仕事を私の部下がしなきゃいけないのよ!アンタやんなさい!」と言って、怒られたことがある。
くぅー!っとムカついたけど、踊る大捜査線を見て、はぁ納得と思った。

30代とか40代くらいである程度の地位を与えられて仕事をする女性のプレッシャーというか、勢いというか、それは他所から見たら横暴とも見えるけど、そういうのは計り知れないのかも知れないねぇ。
部下にアマアマというのは語弊があるのかもしれないけど、部下を守る気持ち?というか、母性なのだろうか?そういうのが芽生えてくるものなのかもね。

私の部長は男性だけど、表立って「オレの部下を守る!」という姿勢はあんまり見たことがない。まあ私たちの知らないところで、言ってるのかも知れないけど。それよりか、だまーって部下の仕事を見て、マズイことになったら裏にこっそりメンバーを呼んで部長と二人で反省会を開かされる。こっそり褒めてこっそり叱る。そんな部長です。
女性のその部長の下にいるメンバーからよく聞く話は、「怒ったらものすげー怖いぜ」という話し。怒るときは、フロア中の人間がみんなシンとするほど、キーキー金切り声を上げているらしいです。その場面に一度出くわしたことがありますが、あまりにも凍った空気だったので私は一度出直したくらいです。

私自身はやっぱり偉い人には黙って見ていて欲しいかなと思うわけです。
2005年10月21日(金)  これっぽっち
最近、思うんだけど、

好きな人が好きなことを好きなだけやっている姿は、本当にいいと思う。
好きなことを好きなだけやれることは、滅多に出来ないことだと思う。
それが出来る彼が、私を好きでいてくれることは、すごく素敵なことだと思う。

恋人の仕事がうまく進むとか、恋人が好きなものをお腹一杯食べるとか、恋人の欲しがっていた本がやっと見つかったとか、たったそういうことでもいいから、それを恋人が嬉しそうに話してくれることは、本当に幸せなことなんだと思う。

恋人の胸の上にそっと耳をあてて、コンコンとノックをしてみる。
多くを望むことは罪だと言われるけれど、本当にそうかもしれない。
たったこれっぽっちのことでも、すごく素敵なことだと思う。
2005年10月20日(木)  慈愛の精神
もう心が荒んじゃって荒んじゃって仕方がないのでお手紙書いたさっきの手紙のご用事なあに、なので、誰彼ともなく人を愛そうと心に決めました。

たとえば、どういうことかと申しますと、
電車の中で、隣に座ってこっくり舟をこいでいる女の子が私の肩にもたれかかってきても、「いいよいいよ、ゆっくり寝ていいよ。私の肩を貸してあげるから」と右肩を差し出してみたり。
すごい混んでる電車の中でおっさんが新聞を広げて読もうとして、その肘が私の背中をぐいぐいと押してきても、「ごめんなさいね。私が邪魔で新聞も読めなくて本当にごめんなさい」と心の中で謝ってみたり。
後輩が私の作った資料を破壊してしまっても「ちゃんと保存してなかった私が悪かったよ。君は何も悪くないんだから」と謝る後輩に菩薩の笑顔を向けてみたり。
恋人が「酔っ払ったので迎えに来てくれ」と電話を寄越してきて、駅のホームで半分寝ながら待っていても「寒かったでしょ。こんなところに一人で待たせてごめんね」と、体を抱き起こしてあげたり。

まあ、散々やったけど、やっぱり自分には慈愛の精神には向いてないとわかるまで丸一日もかかんなかったね。

だいたいさー、
人にもたれて寝てんじゃないわよ。重いから。
混んでる電車で新聞なんか普通読む?その神経が信じられないけど。
人の作った資料を勝手に触るな見るな動かすな。君、グラウンド5週してきなさい。
帰れなくなるくらいお酒を飲むな。限度を越えないで下さい。いい大人なんだから。
2005年10月19日(水)  フツウです
新しい上司はハイテンション過ぎて困っちゃいます。
私が最近、人生最低のローテンションであるからなのか、その上司のハイテンションにややびっくりしちゃいます。
なんだかよくわからないけど、「私たちメル友ですか」というくらい、一日4、5通の携帯メールのやり取りをしています。まあ、いろいろ小さな連絡ごとがあるから仕方ないのだけど。

で、そのメールのやり取りが複雑になってくると、面倒だからと電話がかかってくるのですが(最初から電話が早かったけど)、用件を話し終えて電話を切ろうとしたら、「ところで今日はいい天気だねぇ」と、ファッキンに忙しいときに限って世間話を始めるのです。

面白いというか、面倒くさいというか。

上「ところで今日はいい天気だねぇ」
ア「はぁ、そうですね」
上「どうだい、調子は?」
ア「ああ、まあまあですぅ」
上「そうかそうか。どう?最近元気?」
ア「え……、ああまあフツウです」
上「そうかそうかぁ。フツウが一番だよネ!」
ア「はぁ……」
上「じゃあ、アノ件、よろしくねぇ〜〜」

といって電話は切れます。
なんだったのかしら?と思うような上司との世間話ですが、わざわざ忙しい昼間の時間の電話でそんな話しなくてもいいと思う。元気?なんて、私たち嫌でも毎日顔をあわせているしね。そんなの今さら聞いてどうしようって言うの。
と、まあ、上司に向かって「まあまあです」とか、元気?と聞かれて「フツウです」と答える、自分の語彙のなさというか、アホさ加減にもちょっと、ねぇ、という感じです。だけど、「元気じゃないです」とか「毎日面倒くさくてヤな気分です」と愚痴ったって何にも始まらないのでね。

私は、自分があんまりずーっとテンションが高い人間じゃないので、どちらかと言うと、すごい気分にムラのある(面倒な)人間なので、24時間ずっとテンションが高いのではないだろうかというタイプの人に出会うと、臆するわけです。

だけど、「調子はフツウです」という部下に対して、「そうか、フツウが一番だよね!」となんだか会話を盛り上げようとしてくれるこの上司はいい人かも。
2005年10月18日(火)  それだけで生きていける
どんだけ涙腺が弱いのか知りませんが、私はかなりの確率ですぐ泣けます。

このあいだスーパーから帰ってきて、すぐテレビつけて見入っていたこと30秒くらいでもう泣いてしまった。だって、感動的なんだもの。
感動して泣くってのはさ、泣く瞬間までにじわじわと感動させるエピソードとか映像があって、頂点でじんわりと涙が出るものだと思うのですけど、それがなかなか私はそういうのを端折ってみても、30秒ですぐ泣けるらしいのです。
自分、どうしたこと?と、泣いている自分を客観的にとらえ、頭の片隅では「自分おかしいんじゃないだろうか」と思っていますが、なかなかどうして涙は止まりません。

買ってきたニンジンを抱きしめながらおいおい泣いていました。
ちなみに、泣いたシーンというのが、「死んだ妹のために花火をあげる兄」というシーンでした。なんだかよくわからないけど、泣けるじゃないか。兄は空を見上げて泣いてるじゃないか。その姿を見て感動。あ、そっか、これはもらい泣きと言うのだな。
もらい泣きが出来るほど、私もすっかり大人になったようです。

公共広告機構だと思いますが、あのキルビルに出ていた栗山千秋のCM。
『命は大切だと何万回言われるより、「あなたが大切だ」と言われたらそれだけで生きていける』
みたいな台詞がそのCMから流れてきたとき号泣だった。
そうなの、そうなのよぉー、とわあわあ泣いてしまいました。
私はどれだけ感傷的な人間よ、と泣きやんだあとふと冷静になるまったりとした瞬間が、実はちょっと好き。世話ないね。
2005年10月17日(月)  AB戦争
ある駅で、おばちゃん6人組がどやどやと、ゲハゲハと笑いながら電車に乗ってきた。

私を囲むようにして、オバチャンたちは座席に座ったので、その会話は丸聞こえ。
その大きな話し声を聞くともなしに聞いていると、ああやっぱり女って面倒くさいなぁとあらためて思った。

このおばちゃんグループを仮にAとする。
Aグループはこれからテニスに出かけるらしい。

「あたしさー、いいシューズ見つけたのよぉ。」
「あらー、あんたそれどこで買ったのよ。」
「○○で買ったのよぉー。安かったんだからぁ。」

そんでもって、別にBグループのおばちゃんたちも今日はどこかの温泉に出かけるらしいのだが、Aグループの中のひとりのオバチャンが、
「あたし、××さんに温泉行かない?って誘われたんだけど、あっちの◎◎さん、なんだかいつも嫌味でしょう?だから、あたし『その日は用事があるから』って断ったのよ。あはははは」と、なにやらBグループの誘いを断って、テニスAグループに来ているらしかった。

それから、散々とBグループの悪口大会が始まったのだけど、
△さんは、服が派手で年甲斐もないだとか、×さんはバス券を持ってないから一緒に行動できないだとか、○さんの旦那は無能だからリストラになっただとか、もうそれはそれは散々な悪口だった。

こういう状況は、私が小学生のときよく見かけたものです。
ちょっと強い女の子がリーダー的な存在になってクラスの女の子がふたつくらいのグループに分かれて、お互いを罵りあう喧嘩ですね。服がダサいとか、髪形変だとか、勉強できるとか、走るの早いとか、どうでもいいくだらない内容なんだけど、お互いを罵倒して優越感を味わうために女の子は必死だったりするわけです。
そして、とても不思議なことなんだけど、そのグループのメンバーは時々相手側に移籍したり、結果的トレードになったり。お互いのグループもなんで相手方のメンバーを受け入れられるのかわかりませんが、そういう現象もおきていました。
私は、というと、まあどっちかというと、リーダー的存在でワガママ言い放題だったあと、だんだんこの状況が馬鹿馬鹿しくなってきて、傍観者になって「くだらない」と思って見てたほうです。それはそれでタチ悪い子供でしたけど。


ということで、女性はいつまでたっても、群れで相手を攻撃して優越感を味わうことを楽しみとしている人が多いなあと、もちろん皆がみんなそういう人というわけではないにせよ、自分も含めそういう性質をもつのも女性ならではだなぁと、思った今日の出来事。
2005年10月16日(日)  武勇伝
私はとにかく、26年間の中で過去最低というほどのテンションで、毎日を過ごしています。どれだけ悲惨な状況かというと、毎日毎日、息をするたびに背中が痛むくらいです。

武勇伝武勇伝、と言っているお笑いコンビは面白いね。
ふたりのキャラクター的に、「レッツゴー」って言ってる右側の人に、みんなは目が行くような気がするんだけど、私はどうしても武勇伝を披露する左側の人から目が離せません。あの人のメリハリした動きが好き。そして、前の彼氏に似ている。

私の武勇伝は、上司のボールペンを隠したことです。そして、上司が見てないうちにノートに挟んでこっそり返してあげたことです。どうでもええがな。

着メロをクレイジーケンバンドにしました。
2005年10月15日(土)  なんか
なんか、なんか書こうと思ったけど、なんか忘れた。
なんか、最近寒いね。なんか寒いなぁと思って、トレーナーを2枚重ね着して布団にはいったら、なんか途中で暑かったらしく、朝、なんか布団がベッドの下に落ちてて、なんかやっぱり朝は寒かった。
なんだかなー。
2005年10月14日(金)  慰み
私は誰だって信用できる。だからこそ、私は誰のことも信用できない。

私の慰みはなんだろう。
私を慰めるものはなんだろう。

ひどく疲れた。
私は誰かにペースを合わせることが出来ない。
私は私のペースでないと、死んでしまうのだ。

私を慰めるのはなんだろう。
私を慰めてくれるものはなんだろう。

「疲れたでしょ」と誰かが私に言った。
私は「ええ」と答える。
疲れたことが一体なにになるというのだろう。

すべては捨てられない。
つまらない大人になってしまった。
私の慰みはなんだろう。


泣いても眠っても晴れないものは、もう諦めるしかない。
2005年10月13日(木)  ニート代表
杉村太蔵と大仁田厚は新手の荒手のお笑いコンビということでよいですね。

毎日毎日、私は19時帰社。18時帰社を繰り返しています。
なんで暇なんでしょう。会社って。
仕事はあるにはある。だけど、すぐ終わる。
やればやるほど、仕事はあるものだけど、相手があっての仕事なのでこちらの一方的なスピードで進むものでもなし。一晩待つ、一日待つ、なんてことはザラで。
すると、私はもう帰っちゃうよ。

帰ってもテレビはつまらない。
ドラマも見る気がしない。
ネットはなんだか繋がりにくいし。
ご飯も食べる気もしないので、横になってうだうだする。

仕事帰りにちょっとしたお酒が飲めるところに行ってみるものの、お尻がソワソワして落ち着かなくて、一杯飲んですぐ帰る。

このままこのペースで仕事が進むんなら、他に夢中になれるものも見つけられるのだけど、いつ突然忙しくなるのかわからないので、戦々恐々としながらも今は空いた時間を持て余して、早々帰宅して暇だわいうグチ日記。
2005年10月12日(水)  レクリエーションがなんだっての
近頃、というかたいてい私は、社内のレクリエーションに乗り遅れます。
というか、乗る気がないというほうが正しい。

飲み会しまーす。ご参加ください。
ボーリング大会を開催します。奮ってご参加ください。
ダーツバーでサッカーの試合を観戦します。ご参加ください。
などという、社内メールが頻繁に送られてくるのだけれど、いちいちチェックしておらず、なのでメールで参加不参加のお返事を送ってくださいという文句も読んでないので、口頭で後輩に「あいさんも来て下さいよ」と言われれば、どうせ口先人間なので「うん、行く」と言ったまま、当日、私は真っ直ぐに帰宅し家でとぐろを巻いている。という事態になる。

そして翌日。
後輩から「来なかったっすね。何回も電話したのに」と言われる。
着信はもちろんいくつもあったけれど、本当の用事があるなら携帯メールもしくは留守電に残しておくのが社会のルールだよキミ。メッセージがない着信は私はたいていほっておくのだよ。と言うと、益々後輩からお叱りを賜る。

でもまあ、サッカー観戦やボーリングやただ飲みたいが為の飲み会というのは、全く不参加であっても薄情モノ・付き合いが悪いといわれる筋合いもなく、ただ仕事以外でみなと仲良くするかしないかの問題であって、できれば、私は大勢の会社の人たちと一緒に遊ぶのはパスしたい。
なぜなら、めんどくさーいからだ。
結局は、泥酔した先輩・後輩・上司たちの世話をやかなければならなくなるからだ。
加えて言えば、皆さんお酒に弱いからだ。
だから、嫌なのだよ。

だけど、今日という日の飲み会はいつもの飲み会とは意味が違う。
今日は、歓送迎会。という名の元、フロア中の人間が集まり、酒を飲む日だそうな。
これは、まあ、嫌でもいかなくちゃいけないでしょう。
だって、異動する人退職する人異動してきた人と数々の人をお送りお迎えする場なのですし、会社公認の飲み会で、いくらか負担してくれるそうだから、これは飲まない手はないかなと。そう思うのであります。

だけどだけど、うっかり口先人間な私は、「今度は必ず」と後輩に言ったものの、うっかり八兵衛でそのまままた帰宅し、家で面白くもないテレビを見て、うとうとし、携帯電話はというと今度こそ後輩は学んだらしく留守電・メールと連絡をくれたものの、マナーモードにしたままの着信に私は気づくはずもなく、そのまま就寝。

翌朝、後輩のお叱りを賜った。
2005年10月11日(火)  (仮)
ということで、先日の「合コン!これ合コンじゃないのー?!これ、合コンだよねー?!」と、私だけがひとりではしゃいでいた、あの合コン(仮)で、捕まえた女子(26歳)を、その後お食事に誘いましたところ、ホイホイと軽いノリで約束を取り付けることができ、「いやこれ、合コンって簡単じゃないのー」と、思う今日。

友だちが一人増えました。
どうもありがとう。ありがとう合コン(仮)
他社競合にお勤めの営業の方という、全くの同業同職種ですけど仲良くなりました。
どうもありがとう。ありがとう合コン(仮)


私の会社では、妊娠中、もしくは現在分娩台の上で出産中、若しくは母親1年生という同僚が多く、なぜにこれほど同じ時期に妊娠出産が続くのかしらね?という話しを彼女にしていたところ、なんと、彼女の会社も妊娠中、もしくは現在分娩台の上で出産中、若しくは母親1年生という同僚が多いらしく、これは偶然とは思えない偶然とは思えないよと、ふたりで話しておりました。

遡ること、10ヶ月〜1年前、もちろん彼らは子作りをしたわけで、彼女曰く「子作りというのは、子孫を残すための人間の本能。本能を駆り立てる何かがきっと起こったのよ!」と。
なるほど、戦時中、若しくは台風が通り過ぎる夜などは、人は子作りに励むと言う伝説がこの世にはありますね。身の危険、死の兆候を感じると、人はどうしても子作りに励む欲望を抑えられないでいるわけであって、もしかしたら、この派遣という業界で、日本の雇用マーケットを震撼させる、若しくはそこで働く私たちの無意識に訴える大きな危機や不安があったのではないか。仕事で疲れ、絶望を感じて帰宅したその夜、彼らは無意識に配偶者及び恋人と子作りに励んでしまい、出来ちゃいましたという事があったのかもしれぬね。
そうかもしれぬね。
と、彼女と頷いておりました。

その、派遣業界、または雇用(労働)マーケットを震撼させるような一大事があったかどうかは、いくら頭をひねってもペーペーの私たちにはわかりかねるけれど、確かにそういう仮説をたてれば、この事態にも納得のいく理由が見つかるね、そうだね。と。

でもしかし、じゃあどうして、私たちには妊娠出産育児という機会が恵まれなかったのか、これだけ周りのものが身の危険を感じ子孫を残したのにもかかわらず、どうして私たちはその機会に恵まれなかったのか、という事態についてはまた今度検討しようと。
2005年10月10日(月)  今日も雨
今日も雨。

ColdplayのClocksを聴く。
わたしはどうやら、ミディアムロックという系統の音楽が好きらしい。
Mellowという言葉の響きが好きだ。

私はあんまりカテゴリーを知らない。
なんにせよ、カテゴリーを知らない。
何がロックで何がR&Bで何がヒップホップで何が歌謡曲なのか、よく知らない。
だけど、クラシックとジャズとボサノバとスカだけは知っている。


今日も雨。

ホテルで一人、本を読む。
Coldplayを聴く。
知らない部屋の自分のベッドでない場所で眠ることは苦手だ。
肌に触れるシーツが心許ない。
貧乏臭い枕が不快だ。
壁が、絵が、鏡が、灯りが、すべてが心許ない。

と言ったって、ここで寝るしか方法がない。
今日を眠らなければ明日は絶対に来ない。
眠ることは義務であり、壁である。
この部屋のクリーム色の壁みたいに、越えたくないけど越えなければならない壁である。


今日も雨。

タバコを吸ってみる。
窓の外をのぞいてみる。
Coldplayがyou are….と歌っている。
車が引っ切り無しに走っている。

この失恋にも似た喪失感とか淋しさとかは一体どこからやってきたのだろう。
さて、私は一体何を失ったっけ。
誰にフラれたんだっけ。
誰に恋していたんだっけ。

Home, home, where I wanted to go.
2005年10月09日(日)  鈴鹿
恋人は鈴鹿のF1グランプリに行き、私はテレビ観戦。
興奮しすぎて死んじゃうんじゃないかと思うほど、数日前から鈴鹿行きを楽しみにしていた恋人は、友だちと一緒に新幹線に乗って出かけていった。

F1なんて興味もないし、詳しくもないので、何が面白いのかよくわからないけど、まあ恋人がチケットを2枚持っていたので、私も行こうかなーと思っていたのに、私は私は私は私は。
明日からまた出張なのー!火曜日まで出張なのー!

もう出張なんて行かなくていいと思ったのに。もう終わったと思っていたのに。
「すまん、代わりに行ってくれ」と、先輩に頭を下げられ、不承不承で行かなくてはいけなくなってしまった。

あー、興味がないと言いつつも、F1なんて滅多に見れる機会なんてないんだから、出張なんか行かずに鈴鹿に行きたかった。

日本グランプリをテレビで見ながら、そして半泣きになりながら、明日の出張に必要な書類をセコセコとつくり、明日は朝イチの飛行機なんだぜ。

なんなん?なんなん?なんで出張?
もうホントムカつくわ。

夜中に帰ってきた恋人が、鈴鹿話しを散々しゃべっていたので、益々むかつく。

それにしても琢磨は残念だったね。
サーキットには魔物が住んでるからとパフィーも言ってたしね。
2005年10月08日(土)  押すのがダメなら引いてみな
某カフェの喫煙コーナーは、ガラス張りの小さい部屋で隔離されている。
その中には、お茶を飲む私とネクタイを締めた私と同じくらいの年齢の文庫本を読むサラリーマン。
ふたりっきり。

待ち合わせまでの時間はたっぷりあって、持ち歩いていた本は終わりまで読んでしまった。
何にもすることがないので、小さな小さな声で鼻歌を歌ってみる、
というイタズラをしてみる。

どれくらいの音量で、あのサラリーマンは私の鼻歌に気づいてくれるのかどうか。

店内には、ボサノバとかジャズが薄くかかっているので、思っているより大きな声で鼻歌してみても、相手は気づかないらしい。
ひーとみーをとーじてー、きーみをーえがーくよー、そーれだーけでーいいいぃぃぃいぃー。

そんなイタズラをしたからって、どうなるわけでもない。
だけど、なんか面白いじゃん。
何となく誰かが歌う声が聞こえてきて、ハッと顔を上げると知らない女とふたりっきりのこの状況で、彼はこの異常な鼻歌にどんな反応をするのか

だってだってだって、暇なんですもの。

ひーとみーをとーじてー、きーみをーえがーくよー、そーれだーけでーいいいー。

しゃかりきに、ぐんぐん音量を増していったけれど、彼は相当本に集中しているのか、まったく反応してくれない。これでもか、これでもかと大きくしていったけれど、全然無反応。
もう!ひとりカラオケじゃないの、これじゃーさー。
つまらない。

つまらない!と思って鼻歌を中止したら、ハッと彼が振り向いた。
ニヤリ。
押すのがダメなら引いてみろ。
2005年10月07日(金)  合コン成果
ということで、
「合コン!合コン!」と、私が勝手に騒いで、合コンを開いてもらいました。
お相手は、競合他社の営業の方たちです。

なんだよおー。
同業の人たちなの?やだなー。ほとんど知ってる顔じゃないの。新しい出会いがないじゃないのー。と、ぼやいていたら、同僚が「知った顔ではあるけど、お酒がはいると新鮮な面が見つかるかもしれないじゃないの。ふふふ」と言った。

クライアント先で、よく他社の営業の人と出くわすけど、会釈をするくらいで特に親しくもない。向こうから一方的に「最近、(仕事の状況は)どうですか?」なんて、話しかけられたりはするけど、私はあんまり愛想が良くないので、うやむやに笑って誤魔化したりしてた。
この同僚の男の子は、結構愛想もよく、誰とでも仲良くする人なので、いつしか他社の営業の人とも飲みに行ったりしていたようだ。

なんか狭い世界だなぁ、と思いつつも。
盛り上がったねー。
ガンガン飲んで食べて、カラオケ(嫌いだけど)行って踊り狂って楽しかった。

ということで、
合コンの成果は、女の子が一人釣れましたよ。
すごく可愛い女の人と仲良くなりました。
歳、同じなんだねーという話しから、たくさんおしゃべりして、捕まえました。
男の人は、別にいい人いなかったけど、女友達できたよ。
2005年10月06日(木)  eye lotion
腹が痛い。
目が痛い。
足が痛い。
歯が痛い。

目薬さしたら口の中が目薬の味。
体の不思議。
2005年10月05日(水)  broken heart
なんだか最近、元気がない。
なにがって、別に理由なんかないと思うけど。

この気持ちは以前に感じたことがあるなあと思っていたら、
そうだ、失恋したときもこんな気持ちになったなと思い出した。

失恋などした覚えはないけれど、
なんだかとても淋しいのだ。

なんだかとても淋しいのだ。
2005年10月04日(火)  頑固
「やる」と言ったらぜったい「やる」
「やらない」と言ったらぜったいに「やらない」

そんな人間です。
どうぞ宜しく。
2005年10月03日(月)  点と線
後輩と、「最近読んだ本は?」という、珍しい話題で会話をしていたら、ほとんど私の読んだ本を彼女も読んでいることを発見。と言っても、私は新刊ばかり読んでいるので、誰かも同じ本を読んでいる傾向は非常に高いのだけど、それでも同じ作家を好きだという後輩に、地味に親近感が沸いた。
私たち、仲良くなろうね。

彼女は、「村上春樹なら何でも持ってますから、言って下さいね。いつでも貸します」と言った。
普段の彼女からは、春樹のハの字も出てこないような、図太くのほほんとした人間だと思っていたけれど(すまんね)、人間って意外性があるから面白い。
ま、でも、春樹だけは一時期読んだだけで、今はまったく読まないので、春樹はいいです。それ以外の本なら交換してもいいけど。


最近よく思うんだけど、ある人の一言二言だけを聞いたり仕草や見た目で、「あ、この人ってこういう人かな?」って想像することがよくある。それは先入観というマイナスなイメージとは少し違うし、また私の好き嫌いの好みの問題でもない。


一言二言っていっても、その人の人となりが分かる言葉ね。
なんだか、具体的に説明するのは難しいんだけど、
その言葉が両極端な意味や重みがあればあるほど、相手の人柄を想像することって楽しくなる。
遠く離れたいくつかの点(言葉)を、直線や曲線で結びつけた形が、彼自身である。
そう思うと、誰かに興味を持つことって途端に楽しくなる。

いくつかの点(言葉)が多ければ多いほど、その形は真実に近くなりそうな気もするけど、本当はそうじゃない。多ければ多いほど、点が線にとって変わり、相手が近くなりすぎて今度は逆に見えなくなる、相手がわからなくなる。本当にこの形が彼の本来の姿かな?と、私は疑問すら持ってしまう。
なぜならきっと、その線(=多すぎる点で出来た線)は、私が時間をかけて苦労して引いた線ではないからだ。数々の相手からの情報量が多すぎて勝手に出来上がった形だからだ。

具体例としては、それは自分自身なのかもしれない。たとえば、恋人のような近しい存在の人なのかもしれない。

そしてまた、時々、相手の意外性を発見して、その形を少しずつ修正したり。
そういう想像もまた楽しい。

だけど、私は時々ずるくて、近すぎると見えすぎて怖くなるので、少し距離をおいて相手と付き合うことを望んだりする。あくまで遠くから客観的に修正することを楽しんだり、線を描くことを楽しみたいと思っている。
そうやって、私は自分のスピードで自分の苦労で相手を理解したいと思う。
ある程度、相手との距離を保っているところはずるいところだけど。


まずは、ふたつの遠く離れた点を見つけること。
2005年10月02日(日)  コンパ系?出会い系?秋葉系!
あー、いけねーや。
こりゃ、いけねーや。
仕事の愚痴ばかり日記にしてしまっているじゃないか。
こりゃ、いけねーや。
グチグチしてると、ブスになってしまいます。

コンパ系?出会い系?なのかよくわかりませんが、某からメルマガが届きました。
『大人のナイトクラブで素敵な出会いを♪』
という、青山だか表参道だかのクラブで踊りながら、出会いましょうよというイベントらしい。

過去の企画参加者からの声というので、
『ギラギラを卒業した大人の男性ばかりで大満足でした(女性30代)』
『名刺があっという間になくなりますね!彼女も出来ちゃいました!(男性30代)』
『気取らない場所でいろんな男性と知り合えて楽しかったです(20代女性)』
『女性との出会いだけでなく、気の合う仲間とも出会えた(20代男性)』
というのもあった。

ギラギラを卒業した男性って、生々しい表現だけど、
1ドリンクつきで2000円で参加できるらしいよ。
クラブで踊りながら名刺交換するのかしら。
なんだかでも、面白そうだね。
大人のコンパらしいです。
すごい行ってみたい。なんかそういうの行ってみたい。
でも、でもでも、結局、こういう出会いで出会った男女がさ、また次に会ったとき「あれ?この人ってこんな顔してたかしら?こんな人だったかしら?」なんて思うもんなんじゃないの?
「ゲレンデは3倍増し」って言わなかったっけ?
「クラブも3倍増し」っぽいけど。


ちなみに、メルマガの最後にこう書いてあった。
「秋葉系ファッションの方のご入場はご遠慮いただいております」
キビシー!
世の中、やっぱり秋葉系には風当たり強いらしいです。
2005年10月01日(土)  組織に属すること
昨日で9月が終わって、打ち上げをした。
私は10月から異動になる。異動と言ってもデスクが隣のチームに移るだけで、フロアも変わらないけれど、今までとはまったく別の課長の下で働くことになり、メンバーも今まで一緒に仕事をしたことがない人たちばかりになる。

夜になって、全員で打ち上げに行くことになった。
課長だけは、ミーティングがあるので参加できないらしい。
みんなが、さっさと残務を終えて、そろそろ出ようかと支度をしていたとき、課長が私の側に寄ってきて「とりあえず、お疲れ」と言った。
「他所の課に行ってもがんばれよ」と言った。

ああ、そうか。
異動になっちゃうから、本当は私の方から「お世話になりました」くらい課長に言うものだったかな、と思った。
「あんまり何もしてやれなかったな」と課長は言った。私は心の中で(ホントだよ!)と思ったけど「これからも頑張ります」と答えた。

この課長とは、全然うまく仕事が出来なかった。
私とだけ、というよりも他の全てのメンバーともうまくいっていなかった。
いろいろあったけど、こんな上司は世の中に沢山いるんだと思う。
私はただ、それまでの上司にとても恵まれていただけで、こんな上司はどこにでもいるものなんだと思う。
これしきの人で、ぎゃあぎゃあ騒いだり苦労するのは、自分のためにならない。
そう思って、やり過ごすことにしていた。

あんまり何もしてやれなかった、と言ったけど、それはただの社交辞令にしか過ぎない。本当にそう思っていたのなら、今までの仕事はもう少しマシなものになっているんじゃないだろうか。ただ隣の課に移るだけなのに、儀礼的な挨拶をするのも白々しい。体裁だけでもどうにかしようと足掻くこの上司の性格が、その言葉に表れているような気がする。


本当なら、私がやるべきことだったのだ。
私がメンバーと課長との間に立って、なんとかバランスをとる立場でいなければいけなかったのに。そういう位置づけにいたのに。この数ヶ月間、私はまったくそれに手をつけることが出来なかった。面倒くさいとも思ったし、重かったからだ。もう少し自分に余裕があれば、出来たのかもしれないけれど、課外の仕事もあったので出来なかった。
だけど、本当は課外の仕事に託けて、逃げていたのかもしれなかった。
大事なことってなんだったのだろう。


喫煙ルームでタバコを吸っていたとき、部長とそんな話しをした。
なんでも最初から上手く出来ると思うな、まだまだこれからなんだから、と彼は言った。


社会には、まだまだ私の知らないことがたくさんあって、もっともっと私の苦手とすることが沢山ある。それを突き抜ける瞬間って、一体どういうものなんだろうと思う。
大事なことって一体なんなのだろう。
Will / Menu / Past