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2005年08月31日(水)  美味肉
森で遊んでいたら、蚊に刺された。
恋人は刺されなかったのに、私だけ集中攻撃を受けた。

しかも左足の足首と太ももを集中的にやられた。
太ももの刺され具合が北斗七星みたくなって、北斗の拳を思い出す。
しかもねー、痒くってかきまくっていたら内出血みたいになってしまった。
痕に残るかもしれん。
とにかく痒いので、ウナコーワを毎朝塗って、ストッキングはいて仕事に行ったら、ウナコーワ塗ったとこだけ、ストッキングが溶けてたの。怖いよ、ウナコーワ。どんだけ強烈な薬よ。本当にコレは直接肌に塗っていいものなんでしょうか。怖いよ、ウナコーワと思いながらソレを眺めていたら、「2000.6」と書いてあった。賞味期限?が2000年のウナコーワって、そりゃストッキングも溶かすわ。こういうところがO型だよねぇ、と言ったら、「血液のせいだけじゃないと思います」と後輩が言った。

それにしても、恋人は刺されなかったのに、どうして私だけ。蚊にとっていい匂いを醸していたのか。ただ美味しそうな肉がついていたからなのだろうか。

私は小さい頃から、よく蚊に狙われます。
2005年08月30日(火)  参萬円也
上京していたうちのパパを羽田に見送りに行った。
まあ、仕事がんばれよと言って、3万くれた。

いつまでたってもいくつになっても、私は子供なのですね。

ちょっと、この年になって親にお小遣い貰うってこっぱずかしいね。
このお札だけは使えないねと思いつつ財布に仕舞うけど、たかが暑いからってアイスを買うときにあっさりコンビニで使ってしまったけどね。そういうもんだけどね。

それにしても、一緒に見送ったうちの異母兄は、そのときお小遣いをもらわなかったの。私だけ父はお小遣いをくれたの。「いいでしょー!いいでしょー!参萬円」と言ってたけど、よくよく帰りの車の中で考えたら、兄はずっと父を家に泊めてずっと父と一緒に居たので、私よりいくらか多くお金をもらっているに違いない。だって、私だけお小遣いもらえるってやっぱりちょっと不公平じゃん。
私がお小遣いを貰うとき、兄が「ずるいよ!」の一言もなかったのが釈然としない。

いくらもらったのー、いくらもらったのー。

としつこく聞いたけど「もらってない」という一点張りで逃げるつもりらしい。
「あんたはまだ子供なんだよ。俺はもうオトナだから」とも言った。
いや、ぜったいもらってるね。お金だけは骨肉の争い。
2005年08月29日(月)  社会を斬ってくよ(2)
社会を斬ってくよ。斬ってく斬ってく。

母と電話をしていたとき、
ちょっと、あんた聞いてよー!
と、母が言う。

9.11の選挙。
母の住む(というか、私の実家があるところだけど)地区の立候補者の中に、27歳の女の子が出るらしい(もちろん、地元出身の人)。知ってる人かと思って名前聞いたけど、ぜんぜん知らなかった。
「今回の選挙は面白いわよねぇ。」と母が言っていた。

あ「へぇー、私と同じ歳じゃん」
母「そうよ。しかもね、東京で派遣会社に勤めてたんだって」
あ「ええー?! 私と同じじゃん」
母「そうなのよぉ」
あ「もしかして、私なんじゃない?? 知らない間に立候補させられてるんじゃないの?!」
母「まあ、経歴はあんたに似てるわよねぇ」
あ「ていうか、なんで議員になろうと思ったんだろうね」
母「さあねえ。よくわからないけど。」
あ「お母さん、その子に票をいれたげて!」
母「そうねぇ、私は○○党を支持してるから、その子も○○党だっていうし、多分その子に投票するわねぇ」

という、27歳で立候補した女性がいるらしいのです。すごいわねぇ。たしか、25歳の男性が立候補してたこともあったんじゃないのかな。え?衆議院議員って25歳からでいいんだよね? そうだねそうだね。もうすっかり忘れちゃったよ。あれだけ、受験勉強でお勉強したのにね。
というかさ、政党から推薦してもらうにはどうしたらいいの?
あの27歳の子だって、普通にサラリーマンだったろうに地元の政党から推薦してもらったんでしょ?私も立候補したい欲しいと思ったらしてくれるのかしら?

すごく不思議なのは、ホリエモンとかって、広島になーーーんの縁もゆかりもない人でしょ?なのに、どうしてそこから立候補するのかしら?ただ議席数の関係なのかもしれないけど。地元の人たちはそういう外部から来た立候補者に票を入れようとするものなのかね?やっぱり地区にわけられて選挙をしてるわけだから、地元意識(?)ってあるものなんじゃないの?自分たちの住む場所からの代表として国会議員に送り出すような感覚ではないのかしらね。誰でもいいのかねぇー。
そこがちょっと不思議な気がした。

どこの党を支持すると言うわけではないけど、私は野党があんまり好きじゃない。ただただ、批判してるとこしか見たことない。とくに女性が党首の党ね。ただただ、小泉批判ばっかりで結局何が言いたいのかしらと思う。不毛だよ。まあでも、野党ってそういう立場や役割なのかもしれないけど。

もうさっさと郵政民営化して欲しいね。
なんてったって、うちの地区の郵便局員の態度が悪い!
私は怒っている。うちの郵便局に!
日曜日に配達してくれと言ってるのにも関わらず、土曜日に配達してくる。土曜日はいないんだから、日曜日にしてくれって言ってんのに、土曜日に来やがって日曜日に持ってこない。その上、「どうしていっつも不在なんですか?!」と逆切れされる。だーかーら!あんたが勝手に土曜日来てるんでしょうが!バカじゃないのか。どうして、こんな簡単なことも出来ないのか。どうして、こんな対応も出来ないのか。何が悪いのか知らないけど、ほんと対応が悪い。かなり怒っちゃいましたよ私。別にさ、客にたいする対応が悪いと言ってるわけじゃなくって、ひとつお願いしたことはちゃんと確実に行っていただきたいよね。ちゃんと、人の話しを聞かないでいるから、こういう二度手間の配達しなきゃいけなくなるわけじゃない。ばかじゃないのか、郵便局。
しかもねー、日曜日の午後に配達してくれって言ってたの。だって、朝は眠いから。寝てたいから。なーのーにー!!朝の9時にチャイムを鳴らすバカ郵便局。お前は時間指定配達をしているのに、なんで朝イチに配達してくるのか。ものっそ寝起きは悪いですよ。舌打ちしそうなくらい機嫌悪いですよ。しばくよ、郵便局。
だから、早く民営化して欲しい。
国営より民営のほうがまだちゃんと配達してくれそうじゃん。

とにかく、自民党はマスコミに対して「刺客」という言葉はイメージダウンに繋がるから、「刺客」という言葉は使わないようにと言ったらしいけど、いいじゃないの、面白そうだけどね。
ま、今度の選挙を面白いとは思うけど、面白いと言う言葉は客観的に見ているからこそ、出てくる言葉なのだと思う。自分たちの国の政治とは到底思えないのだ。私は、税金があがろうが、医療費があがろうが、年金がもらえなかろうが、正直どうでもよい。自分の生活は自分のものであって、自分の責任で全うする。だから、国政とかどうでもいい。仕事が出来なくなって収入が入らなくなって生活できなくなったら、そのときはそのとき。そう思ってるけど。だから、子供なんて産まないほうがいいんだよねー。

だから、地元で立候補したその27歳の子に聞いてみたいよね。私はこう思ってるけど、あんたはどう思ってんの?って。どうしてそれほど真剣に政治のこと、考えられるの?って。どうして立候補したの?って。私たち、同じ歳だけど、私はこう思ってんだよねって。私たちは同じ時代の世の中に生まれて同じ長さだけ生きてるのに、あんたはどうして議員になりたいのさ?って。機会があったら聞いてみよう。
2005年08月28日(日)  さよなら、夏の日
はぁー、夏が終わるね。
この夏、なにしたよ?自分。

とりあえず、出張という名のもと、各地には行ったね。
名古屋、大阪、大阪、広島、香川、愛媛、大阪。と。
まあ、こんだけ行ってるわけだけど、ひとつも夏らしいこともなく。
ただただ、暑くて、スーツが汗だらけ、みたいなことばっかり。
お盆すら仕事だしね。休みなんてとってないよ。

あー、あと3日で終わってしまうね、8月がね。
夏が終わるのに焦ってしまい、あー遊びに行きたい。
ロックフェスティバルとか行きたかった!
友だちが、ライジングサンに行ったらしい!
悔しいー!斎藤和義、くやしいー!聞きたかった。
今からいけるのないかしら。ないかしらと、ヤフーを見てみたら、今日あったらしいのだけど、今日行われたものがラストで9月にはもうないらしい。
もう、夏が終わっちゃったね。

とは言うものの、あー、8月の仕事が終わんない。あと3日で終わるのかしら。はぁー、ビクビクです。終わんなかったら、大変なことになる!んもう、しゃかりきに働いても、どうしたって人間相手のお仕事は相手があってのお仕事ですから、私が頑張っても仕事が進まないこともたくさんあるよね。あるある。あるにはあるけど、今月中に終わらせないと、もうダメです。
早くしてください、早くしてください、今月中に終わらせないと大変なことになりますから!
と、何度も言ってるのに、マイペースな人と仕事するのは辛いね。
金曜日の夜に、電話で何回も脅迫してしまいました。
今月中に終わらせないと、知りませんからね!とさえ、お客さんに言いましたよ。
まったく、さっさと仕事してくんないかしら。

あー、いやだないやだな。
明日の仕事を考えて、日曜の夜に悶々としたり、キリキリしたり。
立派なリーマンだね。

もう、9月は遊ぶよ。休むよ。出かけるよ。夏休みとってないんだから。
どこに遊びに行こうかなー。
ひとりで出かけようかなー。
恋人と遊びに行こうかなー。

皆さんが、この夏遊びに出かけてよかったところ、教えてください。
私のこれからの夏休みのため、参考にさせてもらいます。
2005年08月27日(土)  最近の友だちとの乏しい会話について
男の友人Aくんが、俺の性器は毎年でかくなっている、と言った。

知らないから、そんなこと。
どうでもいいから、そんなこと。

その場には、Aくん、Bくん、Cちゃん、と私という4人の人間がいたのだけど、Bくん以下私たちは、誰もその話しを信じず、そしてそれが本当だったとしてもどうでもいいことである。
でかいからなんなのよ、と思うし。
ちなみに、Aくんは今年29になられる。
29歳になっても、まだ性器の話で盛り上がれる彼は、若いというより、子供である。年齢は私より上であっても、ずっとずっと年下の男の子を相手に遊んでいるような気分になる。
どうでもいいよ、そんな話。

「信じてないと思うけど、本当なんだから!」とAくんは言う。
Bくんが「まあ、大きいに越したことはないと思うけど、男は膨張率だから」と言った。
CちゃんがAくんに「大きくなってるって、毎年測定してんの?」と聞いた。
Aくんが「いや、正確に測ってはないけど、成長してる気がする」と言った。
「気のせいだよ」と私が言うと、「そんなことない!」とAくんは頑なだ。

男の人って、大きいほうが嬉しいらしいね。
大きいことが自信に繋がるのか知らないけど、大きいことを誇示したいらしいね。
「別に私は大きかろうが小さかろうが、どちらでもいいけど。」
と、私が言ったら、Bくんが、「それはお前が、小さい男と出会ったことがないからだ」と言った。
はぁーん、そういうものかな。
そういえば、「うわ、ちっちぇー!」と思った男の人には出会ったことがない。
まあ、ちゃんとセックスできればいいんじゃなかろうか、と私は思う。
ま、どうでもいいけど。

じゃあ、女性にとっておっぱいはどうかという話しになる。
女性は、自分のおっぱいが小さいことを気にする人がいるね。
小さくてよかった!って人はあんまり見ないね。いるのかもしれないけど。
でも、大きいからって嬉しい!って人もあんまり見かけないけど、いるのかね。
Cちゃんが、「だいたい、おっぱいが大きいと言っても、カップの大きさは、アンダーによるからね」と言った。そうなのだ。胸囲があってもアンダーも同じくらいあったら、それはただのデブなだけなのだ。
それに、おっぱいが大きくて苦労することはたくさんあると思うよ。
走ると邪魔じゃん。あと、服も、胸のところだけびよーんって伸びたりピチピチするし。
おっぱい大きい人なんて、おっぱいが揺れるたび小さい血管が切れてるらしいよ。
やだよね、そんなの。中くらいでよかった。
「私たちは中くらいでよかったよねー。」とCちゃんと言っていたら、
Aくんが、「おっぱいは大きさも大事だが、柔らかさが一番大事だ」といった。
もう、どうでもいいよ、バカ。
おっぱいとか、デカイとか小さいとか、どうでもいいよ。バカ。

おまえらは、どれだけ柔らかいのか触らせろ、と言われる前に、私とCちゃんはさっさとスタバを出た。

このように、30歳をあと数年で迎えるオトナの男女であっても、未だおっぱいだのナンだのという話しで、1時間は会話が出来るという話。
2005年08月26日(金)  おへんろ
すごいよ!こんなマネキン見つけちゃった!




四国にはお遍路さんがたくさんいます。
実家の前の道というのは、まさにお遍路さんが寺を巡るときのルートで、よくチリンチリンと鈴を鳴らして、こういう格好をして歩いているお遍路さんを見かける。幼い頃は、「お遍路」ではなく「おへんど」だと思っていた。幼い聞き間違い。
本物のお坊さんも歩いているようで、うちの門の前で南無阿弥陀仏(?)とお経を唱えてくれる(頼んでもないのに)。
すると、祖父がいくらかお金をお坊さんの持ったおわんの中に入れて手をあわせていた。
あれは、虚無僧っていうのかな。お遍路じゃなかったかもしれない……。


空海に合掌。
2005年08月25日(木)  社会を斬ってくよ(1)
よし、社会を斬ってくよ。
社会を斬ってく。

【高校野球、駒大苫小牧高校】
もうあれはそもそも、学校(若しくは殴った部長が)が最初にちゃんと謝るべきだったね。親と生徒に。
みんなが、この暴力沙汰の件で大会出場が危うくなることを恐れていたのは、学校側だけじゃなく、被害者(?)の親も同じことだろうし。親としては自分の息子が殴られて怪我したことを、大袈裟にしたいわけじゃなかったんでしょ?ただ、謝って欲しいんだよね。慰謝料を、とか恨み(?)という話しではなく気持ちの問題なんじゃないの。
最初に、学校がヘンな小細工したのがまずかったよね。何発殴ったとかさー。
それが発覚しちゃったから、余計にこじれただけであって。
最初にちゃんと謝っていれば、親はそれほど大きな問題にするつもりもなかったと思うよ。
そりゃ、自分の息子が殴られて怪我したのに、優勝した、やったー!と浮かれている周りを見てると、その親も、優勝できて良かったと思う気持ちと、殴られて怪我したという惨めさとで複雑になるよね。
私だったら、そう思うけど。優勝後、親が学校を糾弾したとしてもそれはそれで仕方ないと思うよ。だって、問題が解決してないままだもの。
それは、学校が悪い。頭をさげるのってしづらいと思うけど、ちゃんと謝れば事態は思わぬ好転に転がることもあるのにね。善後策を焦って考えるより、今をきちんと謝ることが一番大切なんだよね。
もしかしたら、ちゃんと最初にしかるべき対応をしていれば、「公にしなくてもいいよ」ってことになってたかもしれないのにさー。と、ちらっと思う。

「優勝旗返還の処分は下されなかった」、って当たり前だから。
なんで、今回の件と優勝の取り消しが同じレベルで検討されなきゃいけないのか、イマイチ理解できないけど。高野連からの処分を下すラインと言うものも、ちょっとどうかねーと思うけど。

ま、ちょっと考えたのが、その殴った部長というのが27歳ということで、私と同じ年ではないか。

テレビで見たんだけど、苫駒が優勝した瞬間、カメラで追いかけていたある選手が、「やべー、やべーやべー」とずっと言っていた。優勝できて、感動しているのか、まだ信じられないのか知らないけど、ずっと「やべー、やべー」と言っていた。
なんて、語彙の少ない高校生だろうかと思った。
「やべー」という気持ちがわからなくもない。状況に興奮して言葉が出てこない気持ちもわかんなくもないけど。でも、もうちょいマシな言葉は出てこないものかと思った。すまんね、おばちゃんで。
でも、こういう高校生を相手に、部長としてまとめていかなきゃいけなかった、彼(27)を思うと、殴っちゃった詳しい原因ってナンだったんだろうなーとも思った。
同情ではないけども、普段から暴力性があった人なら別として、そうでないのなら、なんとなく、殴りたくなることもあったのかしらねー、とも思った。何となく彼が同学年だからということでそういうことも思った。
2005年08月24日(水)  2,3日は頑張る
どうしよう。
ものすごくカッコイイ男性に出会ってしまった。
仕事でだけど、出会ってしまった。
ものすごく男前。

無意味に笑顔になってしまうね。
男前と話すときには、もうぜったい目が離せなくなります。
帰りの電車で、「うへへ、うへへ」と彼の顔を思い出してはにやけてしまう。
はー、これで2,3日は頑張れる。

男前を見ると、頑張れる気がするね?
なんか、ガンバローっと思わん?
ねね、思わん?
ねねねね、思わん思わん?

思いませんと後輩は言った。
可愛くないー。
2005年08月23日(火)  鬼退治完了
と、鬼が島の遺跡があるのかなんなのかさえもわからないまま、船に乗ってしまった。
「女木」という島と「男木」という島があるらしく、港→女木→男木という順路で行くらしい。たぶん、どっちかが観光ポイントなんだろうけど、どっちで降りればいいのかな、とにかく船に乗ってるのは楽しそうなのでなるべく長く船に乗っていたいから、よし「男木」まで行ってみよう。ということで、切符売り場のおじさんに「おとこぎまで!」と言ったら、「はいどうぞ」と切符を売ってくれたけど、たぶんあれは「おとこぎ」じゃなくて「オギ」と読むのだと思う。自信ないけど、たぶんそう。

というか、あの島には人が住んでんだね。無人島かと思ってました。普通に家があって海水浴場なんかもあったりして。じゃあ、ここに住んでる人なんて高松でお買物しようと思ったら、いちいち船で出なきゃいけないんだね。きっと台風の日なんかは大変だろうね。と思いつつ、隣に座った外国人男性観光客に「Hi〜♪」と声をかけられ愛想を振りまきながら「英語喋れないから、それ以上話しかけないで」と怨念を出しながら誤魔化し笑いで誤魔化しながら、船を楽しむ。

で、男木島におりたら、なんもないじゃないの。普通に坂道の上にいっぱい家が建ってるだけで、えー、なんにもない。鬼なんてどこにもいないじゃないのよ。なんにもないけど、せっかく来たからどこか行ってみようと、尾道みたいな坂道の上に立つ家の周りをぐるぐる歩いて、観光終わりー。
20分後に出発する、さっき乗ってきた船で、また高松に帰りました。
同じ乗務員さんに切符を渡すのが超恥ずかしかった。
「なんだろう、この人は。ここに何してきたんだろう?その辺グルグル歩いて、また同じ船で帰るのかしら?」ときっと思われているに違いない。









ぴんぼけ、写真。
こうして、私の8月は終わるのでした。
2005年08月22日(月)  いざ、鬼退治
さて、西日本の出張担当である私は、西日本ですからそりゃ四国にも行かなきゃいけないわけで、「えー、自分の出身地に仕事で行くのってなんかやだなー」と思っていたけれど、行き先は松山と高松と聞いて、ほっとしたわけであります。

2泊3日で2県をまわる、超ハードスケジュールだったけど、まあ、なんとか松山をこなし高松に到着。と、高松の仕事が大幅に変更になってしまい、丸1日掛かる仕事が2時間で終わっちゃいました。

は?なんなの?
なんでこれだけで仕事が終わってしまうの?私の夏を返してよー!
と、やや心の中でキレました。
なんて、非効率的な出張でしょうか。だったら、そのまま愛媛から東京に帰りたかった。
夏なのにさー。ちょっとくらい自分の時間つくって夏遊びをしたいよねー。

ということなので、飛行機の時間までかなりな時間があまり、じゃあ、飛行機の便を変えてもらおうかと思ったけど、夏休みでみんな浮かれてしまっているのかどの便も満席だそうで。
仕方がないので、鬼退治に出かけました。
桃太郎?が鬼退治に出かけたといわれる島が、高松のすぐ側にあるそうで、船に乗って1時間も掛からないらしいので、いっちょ乗ってみようと。陸で買物したりぶらぶらしてるより、船にでも乗ってみようかと。

ひとりでぷらっと船に乗るって、なんか渋いよねー。










というか、私の目が悪いのか、私の携帯の使い方が悪いのか、なんだかよくわかりませんが、ものすごく写真がぼけてしまっております。
だけど、いい天気で、海風が気持ちよかった。


2005年08月21日(日)  久々の休み
今週末は、仕事もない、出張にも行かなくていい、なーんにも予定がなく、久々にゆっくりしてやるぞ。お昼くらいまで寝て、起きてぼんやりしたら、家中、掃除してやるぞ。洗濯物も一気にしてやる。シーツもカーテンも洗ってやるぞ。

と、思っていたら、風邪をひいた。
これまで薄っすらと夏風邪をひいていたのだけれど、それが一気に爆発してしまったらしく、恋人に「かわいそうー」と百回くらい言われるくらい、熱が出てぐったりし続けた週末だった。最悪です。

気が緩むと、体調崩しやすいよね。

恋人に、かわいそうーと言われながら熱を何回もはかり、週末なので病院へ行くことさえできず、恋人が持ってきた薬を飲み、薄い眠りの中を何度も行ったり来たりしていた。

土曜日風呂に入らず眠り続け、日曜日の夕方、やっと具合が良くなったので、シャワーを浴びたら貧血がして、床の上でぐったり眠った。最悪なんですけど。
2005年08月20日(土)  懺悔2
不健康なくせに牛乳が好きです。
いや、牛乳が好きなくせに不健康です。
すぐお腹を壊すくせに牛乳を飲みたがります。

で、小学生のころ、冷たい牛乳ばかり飲んでいるからお腹を壊すんだと思って、暖かい牛乳を飲めばいいんじゃない?と考えた。
当時、我が家ではよく給食に出るような(私の学生時代、給食というものはなかったけど)、ビンに入った牛乳をスーパーから買ってた。でも、それをいちいち電子レンジなりで温めるのが面倒くさいなあと思ったので、ビンごと温められる方法はないかなと模索していたところ、ポットが目に入り、熱いお湯の中に牛乳瓶を沈めて蓋を閉め、これでちょっと待ってたらホットミルクの出来上がりだなぁとほくそえみながら、待っていた。
だけどすっかりテレビに夢中になった私は、ポットの中で沸騰中の牛乳のことなどさっぱり忘れて夕食時をむかえ、母がお茶を用意しようとポットからお湯を出したら、チョー真っ白なお湯が出た。

叱られたこと間違いなし。
2005年08月19日(金)  懺悔
半身浴っていうのはいいです。
信じられないくらい汗がたくさん出ます。
最後は必ず毎回と言っていいほど貧血になりますが
だいたい30分くらいつかっている間、MDウォークマンを聞いているのですが、ある日、リモコン部分をお湯の中に落としてしまいました。

やばいやばいやばいやばい。
お湯の中から素早く救出してタオルで水気をふき取ったけど、
恋人に叱られる。ばれたら怒られる。
恋人のMDのリモコンを湯の中に落としちゃった。
どうしよう。
まだ使えるかな。とボタンを押してみたら、
10回中5回くらいはいうことを聞いてくれなくなりました。

ひゃー。
バレたら怒られる。
2005年08月18日(木)  臆病者
私は臆病なので、結婚することが出来ません。

結婚をしよう!
と、思い立つときって一体どんな瞬間なんだろう。
やっぱりビビビっと感じるのかなあ。
私にはよくわからない。
だけど、きっと多分、そんなことを思い立つ瞬間なんて、私が思っているよりもっともっと簡単なことなんだろう。私が考えるよりもそんなに難しいことではないのだろう。

いつかは、結婚すると思う。
せざるを得ないと思う。
だけど、いつ?
いつ、結婚するつもり?
と聞かれたら、まあまだ先かな、と思う。
じゃあどれくらい先なの?と聞かれても、まあ……まだまだ先だよ、と思う。

会社の同僚から、結婚式の招待状をもらって棚の上に置いておいた。それを恋人が見て、「可愛い招待状だね」と言った。そうだね、と答えたら、恋人が「あなたはまだ結婚する気ないの?」と言った。

私の周りで結婚していく人が増えて、さらには子供を産む人が増えて、ああそうか、私もそろそろ結婚したり子供を産むような年齢になったんだと感じる。だけど、具体的に、より現実的に自分の結婚する姿を想像できないし、あまりしたくない。理由は、嫌だからだ。『今を失いたくない』と思う。
何かを失わないと結婚できない気がするのだ。
今の日常を、ひとり暮らしをする生活を、今の仕事を、恋人という関係を、それをすべてすべて失いたくないのだ。

結婚することが『今を失う』ことだと考えている限り、私は結婚できない。
だから、恋人と結婚の話をしたくない。

さあねぇ、と言いながら風呂場に行ってシャワーを浴びた。
恋人と結婚の話なんかしたくないからだ。

恋人と結婚の話を避けていることじたいが、いろんな意味で結婚を意識しすぎている証拠かもしれない。


今を失いたくないと思っているうちに、今は逃げて行ってしまうかもしれない。
恋人は、結婚したいだろう。そろそろ結婚を考えようと思っているだろう。
それが、私が結婚しないのであれば彼はちゃんとした結婚相手を探しに行ってしまうかもしれない。そう思われても仕方ないのかもしれない。

自分から、勇気を持って今を手放さない限り、指の間から『今』はするすると滑り落ちていくものなのかもしれない。

私は臆病なのだ。
どうしてこれほど臆病なのか、自分でもよくわからない。
2005年08月17日(水)  正常とは
耳のない女性を見た。

ファーストフードのお店でトレーを持って席を探していたら、正面のテーブルに座っていた女性の顔に違和感を覚えた。後ろで髪の毛が結わえらていて、ワンピースを着ていた。その女性の顔に、一瞬違和感を覚えた。私は、彼女から通路を挟んだところのテーブルに座って、椅子に座った。私の目の前には彼女の左側の顔が見えている。
気づいたのは、彼女の左耳がないということだった。
あっ、と思った。
視線を外した。胸がドキドキしたからだ。
耳があるべきところは、つるつるの肌で、茶色の傷跡のような線がすっと伸びていた。
私はもう一度彼女の左側を見た。茶色の傷跡を見て、また視線を外した。

あるべきものがないということ。
だけど、「あるべきもの」とはなんだろう。

彼女には右側だけに耳がついていた。
どうして、左耳をなくしてしまったのだろう。

私が違和感を感じたのは、両耳がなかったからだ。
だとしたら、耳が二つあることは正常なのだろうか。
耳がひとつしかないことは異常なのだろうか。
彼女は異質な人間なのだろうか。
普通とは、なんなのだろう。
片耳しかないとうことは、ハンディキャップなのだろうか。
正常であるという価値観はどこから生まれるのだろう。


私は想像力に欠ける。
片耳が残っていてよかったじゃないかと思った。
両耳がなくても片耳だけあれば聞こえるのだから、それでいいじゃないかと思った。
聞きたいものが聞こえるのであれば、耳のひとつくらいなくてもいいじゃないかと思った。
そう思う私は、きっと想像力に欠けるのだと思った。
2005年08月16日(火)  過信の上に成り立つもの
地震よー!

そのとき、何をしていたかと言えば、会社の喫煙室で「お昼、なに食べようかなー?」と考えていたところだった。
ゆらゆらするので、うわ、貧血かしら?と最初は思っていたのだけれど、部屋がみしみしと音を立てる尋常じゃない揺れ方に、ナンだか何もすることが出来ず、暢気にタバコの煙をはいていた。

随分と長いこと揺れてたね。
ビルの上階だったこともあるのだろうけど、酔いそうになってしまったよ。
いつまでもいつまでも揺れていて、その揺れに体が慣れてしまったのか錯覚してしまったのか、その後もずっと地面が揺れているような気がして、気分が悪くなってしまった。


地面が、大地が、動かないからこそ、私たちはそこに安心して住むことが出来るのだと思い込んでいた。動かないことが前提として私たちは生活をしていたけれど、それが覆されたとき、怖ろしすぎて人は何も出来ないのかもしれない。
地震のメカニズムは誰でもわかっていることで、地面が動かないという理屈はどこにもないはずなのに、私たちは誰かから信じ込まされた前提の上に、たくさんのものを成立させている。
だからこそ、私は地震にあうたびににショックを感じる。
何かにショックを感じる。


本棚が倒れないように、数日間は腹をすかせないように、地震が来る前に準備することは出来るけれど、死ぬときは死ぬのだ。地面が動いて、その上に成立していたものがすべて破壊されるとき、私たちもその上で死ぬことしか出来ない。死ぬことしか出来ないこともあるのだと思った。
2005年08月15日(月)  雷
恋人は、お盆のため帰省中(都内)。

なんにもすることないのに会社に行って、ほとんどの人たちがお盆休みのため、今日は電話番。お客さんもほとんどがお休みなので、何にもアポイントがない。だけど、世が盆休みだろうが私は働く。皆が遊んでいるときに私は働き、皆が働いているときに私は休む。

定時でパソコンを閉じて、デスクの鍵を閉めて、私はJRと地下鉄を乗り継いである家に到着した。どっしりと重くてジメジメした空気が流れているけれど、家の中は涼しくて、テーブルの上には色とりどりの料理が並んでいる。
私も手を洗って、ビールを並べたりお皿をそろえたりと手伝った。

明日はお盆だから、みんな遊びにいらっしゃい。ご馳走つくるから。
そう言って、異母兄のおばあさんが私たちを家に招いた。
私の兄と、兄の弟、彼らの祖母が私も一緒に招いてくれた。
無論、私の祖母ではない。けれど、「だって、あいちゃんも田舎に帰らずに東京にいるなら、一緒にご飯食べなさいな」と言った。

兄がビールを持ってきて、弟がアイスクリームを買ってきた。私も何か買って来ればよかったと、自分の気遣いのなさに、少し落ち込んだ。

私たちは、いろんな話しをしながら、笑いながらご馳走を食べた。

なんだかまるで、本当のおばあちゃんの家に久々に孫たちが集まったような錯覚がした。そう言えば、自分の祖父や祖母の家では、私がまだ小さな頃はこんな風に孫たちが集まって賑やかにしていたことを懐かしく思い出した。私の祖父母には孫が10人もいる。
このおばあさんの家では、兄と弟と、孫は二人しかいないけど、今日みたいに賑やかだったことがあったのだろうかと想像した。

外は雷が鳴っている。
随分と近くに迫っているようだ。
いつまでも雷はなるけれど、私たちはあまり気にせず料理を食べつくし、ビールをたくさん飲んだ。何が楽しいのかわからないけれど、賑やかにすることが、誰にとっても良いことのような気がした。賑やかであることが、今、なくてはならないもののような気がした。

『血と骨』という本を思い出した。
血の繋がりはどれだけ否定しようとも、決して断つことは出来ないのだということ。
それをふと思い出した。
ここにいる私たちは、それぞれの半分ずつの血によって繋がっており、その繋がりを誰かが否定したとしても決して消えうせるものではない。
どれだけ憎んだとしても、憎みきれるものではないのかもしれない。


兄が、「ビールがなくなった」と言って、「そこまで行って買ってきてよ」と財布を出しながら、弟に言う。「雷が鳴ってるからヤダよ」と弟は言う。
「私も一緒に行ってあげる」と私は言った。兄のお財布には5千円札と一万円札しか入っておらず、「全部使うなよ、お釣り返せよ」と言って5千円をくれた。

私と弟は、大きな粒の雨が降る中を、傘を差して外に出た。
空が一瞬明るく光って、数秒後にすぐ近くで雷が鳴った。
私たちは、おそるおそる道を歩き、ゴロゴロいう音にあわせて足を止めて身をすくめた。
私の前を小走りに走る彼の傘に、雷が落ちてきやしないかと、自分の傘に雷が落ちてきやしないかと、じっと空を見つめながら、私たちは小走りでコンビニに向かった。
兄のビールを買って、弟はお菓子を買って、私は花火を買って、もう一度外に出た。
空がまた光り、近くに落ちたのではないかと思うほど、大きな雷の音がした。
私たちはまた走って、家へと急いだ。
走ったときに、私の指先から硬貨がこぼれ、道のいろんなところにお金が転がった。
弟が引き返してきて、地面から跳ね返ってくる雨に濡れながら、ひとつずつ拾った。
弟のジーンズのすそが真っ黒に濡れている。


雷の中、私たちは花火をした。
無意識にへそを押さえながら、花火を離さない弟を見て、私と兄は大笑いしながらビールを飲んで花火をした。
空が光る一瞬、稲妻が見えた。
おばあさんは、後ろのソファーに腰掛けて私たちの花火を嬉しそうに見ていた。

今年はそんなお盆だった。
2005年08月14日(日)  ぼこぼこ産んで頂戴
まあ、というわけで、従姉妹三姉妹の長女が出産をしまして。

すでに、三女は出産済みなわけですが、ここへきて、次女も妊娠中という事実を母から聞いてしまいまして。まあ、なんですか。結婚もせず産むそうで。何があったかは知らないけれど、とにかく赤子が出てくるっつうのは、良いことですよ。ほんとに。
しかしね、この三姉妹っつうのは、仲がいいんだかナンだかわかりませんが、長女・三女揃って出来ちゃった結婚ということで。おじさん・おばさんは、順番が違うでないかと泣きながらも、孫誕生で大喜びという、なんだかよくわからない状態になっていると、母は申しておりましたです。
とにかくね、従姉妹がぼこぼこ産みまくっているので、「うちの孫は、もう彼女たちに産んでもらえばいいじゃないかしら?」と、我が家の孫事情について提案してみたら、母は無言だったよ。
ごめんね、ブラック過ぎて。

ということで、今インターネットを駆使して、出産祝いを探していたのだけども。
そういえば、友人も先月出産しまして。もう、私はいくつの出産祝いノルマを背負っているのか、わけがわからなくなりそうですが、いえいえ、ノルマなんて酷いことを言ってはいけないですよ。さっさと買ってあげないと、遅くなってしまうとアレですから。

しかし、出産という痛みはどれほどのものなんでしょうね。
想像もつきません。従姉妹は一日半かけて産んだそうですよ。もう大変ね。
出産の痛みを想像すると、あー、なんだか敬遠したくなる話しですね。

私と従姉妹の共通の友人は、ちょっと「浮かれポンチ」なので、出産前に出産祝いを差し上げ、従姉妹が一日半かけて出産した2日後に病院へ押しかけ、赤子と対面したよ!という浮かれたメールを送ってきました。ほんとにもう、浮かれポンチは浮かれすぎて長文メール(3通)を送ってくれたよ。ちょい鬱陶しい。もう少し冷静に考えた大人の振る舞いをしようじゃないか、浮かれポンチ27歳。


まあ、とにかく、出産祝いだけじゃなくて、贈り物というのは長く使ってもらえるものがいいよね。ベビー服とかっていうのは、即物的に欲しいものだとは思うけど、すぐ大きくなるしねー。なにあげようかしら。なにがいいのかしらねー。こまったよ。
2005年08月13日(土)  忙しいので
忙しいので、
洗濯物を一週間たたんでいません。

忙しいので、
スーパーやコンビニの袋が台所の床に散らばっています。

忙しいので、
洗った食器が水切りのかごの中に入ったまんまです。

忙しいので、
灰皿が山盛りです。

忙しいので、
床の上に雑誌が5,6冊積んであります。

忙しいので、
化粧水がきれてもそのままです。

忙しいので、
トイレットペーパーがあと一個です。

忙しいので、
肩がぽきぽきいいます。

忙しいので、
鏡の前に化粧道具がばらけています。

忙しいので、
ソファーの上にスーツが3日分


そんなこんなでも私は元気です。
レッツキッス頬寄せて。
2005年08月12日(金)  父、上京
父が、早めの夏休みをとって東京にやってくることになった。

私の父という人は、なんでもひとりで行動したり、ひとりで過ごしたりすることが好きな人だ。異母兄が、東京は不案内だろうから、空港まで迎えに行くと言っても、「ひとりで地図を見て電車に乗ってみるよ」と言った。父という人は小さな冒険をすることが好きな人なのだ。心細いとか不安であるということを楽しむ人なのかもしれない。

私はその日、仕事があって父と会うことは出来なかった。
父はその日、兄の家に泊まった。

ふたりは今頃、どんな会話をしているだろうと、終電車の窓の向こうを眺めながら、私は思った。幼い頃、父に連れられて行った寂れた動物園で、憂鬱そうな猿やクジャクを見たのを思い出した。
兄と父との間には、そんな思い出などない。私はこれまでずっと父を独占してきたのだ。
彼らにはこれからつくる思い出しかなく、彼らには過去というものがあまりないのだろう。
実家にいる母は、今日という夜をどんな風に過ごしているのだろう。


昨晩、父がいよいよ明日上京するという夜。
兄が私に電話を寄越してきて「どうしても羽田まで迎えに来なくていいって言うんだ」と兄は言った。いいじゃない、好きにしてあげれば?と私は答えた。兄の自宅の最寄の駅なんてわかりにくい電車の乗り継ぎがあるわけでもなく、昔であるにせよ父は東京で暮らしたこともある人なんだから、大丈夫だろうと私は思っていた。
そして翌日、兄から何度も着信が残っていた。電話をかけなおすと「まだ連絡ないんだけど」と兄は言った。父は最寄の駅に着いたら電話をして兄が迎えに行く予定になっていたはずなのに、まだ父から連絡がないという。飛行機が羽田に到着して2時間が過ぎていた。「飛行機の到着が遅れたんじゃないの?もうすぐ連絡来るでしょ」と私は答えた。
父は田舎の人なので、自分の携帯電話を持っていない。会社用の携帯電話の番号は知っているけれど、まさか夏休みに会社の電話を持ち歩くはずがなかった。

どこかで迷っているにせよ、兄の電話番号は知っているのだから、子供じゃあるまいしそのうち電話はかけてくるだろう。私はそう思っていた。
仕事が終わって終電を待つあいだ、兄の自宅に電話をしてみたら、父が出た。
「羽田から品川に出てね。あそこの駅は随分ときれいになったなあ」と父は言った。
山手線に乗り換えて路線図を見ていたら、久しぶりに高田馬場に行ってみたくなったそうである。そのまま、電車に乗って懐かしい街を歩いていたそうだ。あっという間に時間は過ぎて、夕方、兄に電話をかけてみたら、兄は酷く怒ったそうである。

父は、高田馬場の専門学校に行っていたことがある。
行ってみたくなったのだろう。だけど、兄が心配するのも無理はなかった。どっさりと田舎からの土産物を持って、街を見上げながら歩く父の姿が見えてきそうだった。


明日は、私と兄と父とで食事をする予定になっている。
とても楽しみだと思った。
ひとり過ごす母は、今日という夜を一体どんな風に過ごしているのだろう。
2005年08月11日(木)  もっと近こう
最近、私がよく会うお客さんの中に、アメリカ人の男性がいる。
日本で働いて長く、向こうの大学では日本の文化について勉強していたそうだ。

受付のお姉さんに案内されてよく広い会議室で二人きりで商談をする。
私はいつも大きなテーブルの椅子に腰掛けて彼を待っていると、彼がやってきて「ちこう寄れ」と言う。私はテーブルの角の椅子に移動して、広い広い会議室の長い長いテーブルの隅っこで、私たちは体を寄せ合って話しをする。

ちこう寄れ、と彼は片方の眉毛をあげて私に言って、
私はその言葉に可笑しさをこらえながら、
彼の側に座って仕事の話をする。
2005年08月10日(水)  幻覚
夜中、目が覚めて、手が痒いことに気づいた。
指がいつもよりもふっくらと膨らんでいる。手の甲が指の間が痒い。爪の中が痒い。
掻き毟って掻き毟って、首筋から汗が流れてくる。

唇の感覚がいつもより厚い気がする。あわせている上唇と下唇が不自然に緩んでいる。歯で噛み、爪で掻き毟る。
鏡を見てみる。瞼が膨らんでいた。寝起きだから目が開かないのではなく、瞼がはれ上がりすぎて目が開けなかったのだ。

疲れたとき、しんどいとき、そんな夜中、私はしばしばこんな症状にとらわれる。
神経からくる症状ではなく、たぶんきっと何かの食物アレルギーなのだろうけど、疲れたときしんどいとき、ふと体が緊張の糸を緩めてしまって抵抗をなくしてしまうのだろう。

小さな虫が私の手首を這っている気がする。
私の唇を、私の瞼をちょろちょろと這っている気がする。
そんな錯覚にとらわれる。

私は体中を掻き毟りながら、いつの間にか眠ってしまう。
2005年08月09日(火)  犬も食わない
恋人が、仕事のため東京にいなくてツマラナイ。
ひとりで遊ぶことも出来なくはないが、かまってくれる人がいなくて、つまらない。

「いつ、東京に帰ってくるんだっけ?」と、メールをしてみたら、
『3回くらい言ってるのに覚えてないの?! もう教えないよ!』と返ってきた。
あら、3回も言ってたっけか?
土曜日だか、金曜日だかに戻ってくるといってた気がする。たぶん、金曜日だったと思うけど、ちょっと自信がない。土曜日だった気もしなくはないけど、たぶん金曜日だった気がする。るるる。

時々、右耳から入った言葉が左耳に突き抜けてしまうときがある。
聞いていないことはないんだけど、記憶できないんだよね。
きっとたぶん、ボーっとしていたから記憶するのを忘れちゃったんだね。
「ごめんね、今度はちゃんと覚えるから、もう一回教えて。」
と、返信したら、
『もういいよ!もう聞き飽きたよ!』と。
かなり怒らせてしまっているらしいね。

お願いー!
という文面とともに、土下座をして床に頭をこすり付けている、セルフタイマーで撮った写メを貼って送ったけれど、もう返信すらかえってこなかったので、こりゃ、相当怒ってんな、と思って仕方なく諦めて、お風呂に入った。

まあ、ちゃんと彼の話を聞いていなかった自分が悪いには悪いけど、そこまで怒ることかしらー?とも思う。どうかしら?世の中の人たち。この状況、どっちが悪いんでしょうか。
わたし?まあ、根源は私ですけど、謝ってんだし、いいじゃん、そこまで怒んなくても、と思う。
と、いいじゃんそこまで怒んなくてもさー、という態度がたぶんもっと怒らせるもとだと思うので、こういう場合は、ひたすら謝るしかない。
あー、まいっか。金曜日か土曜日か、どちらにせよ、いつかは東京に帰ってくるんだから。
と、これはぜったい恋人に聞かせられないことを思いながら、お風呂から出てみると、携帯電話に恋人からの着信が残っていて、あータイミングが悪いよ。なんでお風呂のときにかけてくるかしらね。電話に出なかったことでますます怒らせてしまったかも、だよ。

だから、お風呂入ってたんだってば。
と言っても、恋人はプリプリ怒っている。
ごめーん、ごめんねー、と何回も言ってみる。

あー、面倒くさい。この人はいま面倒くさい。
と思う寸前のところで、許してくれる恋人が好きだ。
自分だって、面倒くささ100のくせに、人の面倒くささに寛大になれない。
こんな私でごめんなさいね。

電話を切った後、『ところで、あいの土下座は中途半端すぎる』という文面とともに、超土下座をした恋人の画像が送られてきた。こういうことをやってくれるバカみたいな恋人がとっても好きだ。


ところで、帰ってくるのは金曜日らしい。
最初の勘で、自信をもっていればよかった。
金曜日に帰ってくるとして、特に何があるわけでもないけれど。
2005年08月08日(月)  真夏の日の通夜
真夏の日のお通夜は、どこか清々しく思えた。
不謹慎だけれど、悲しみというよりも淋しさと清々しさを思わせるそんなお通夜だった。

私が担当している、ある派遣スタッフのお母さんが亡くなった。
その連絡を受けて、私はお通夜の時間と場所を聞いて参列することを伝えた。

雨が今にも降りそうなどんよりとした夏の日、それでもセミは鳴き道路は乾いていた。
タクシーをおりて葬儀場に下りたら、たくさんの人が集まっていた。
亡くなったお母さんは、70代だったと思う。それと同じくらいの年齢の人が多く、会場の前に飾ってある故人の写真を見入っては談話していた。70代の老人たちはゆったりとした動作で写真を見上げ、確かに頷いて友人の死を偲んでいた。死を悼むというよりは静かに友人の死を受け入れているようだった。

癌だったそうである。
苦しんだのだろうか。
スタッフさんの話では、ずっと入院していたので家に帰りたいと言っていたそうだ。
もう何日もつかわからないんですと、話を聞いたのはつい一週間前だった。
葬儀場で見るスタッフさんの姿は、やはり老人だちとは違い沈痛だった。
向こうが私を認め、頭をさげた。
私も深くと頭を下げて、参列者達の列に並んだ。

お経の声が心地よく、お香の匂いが何かを鎮めているようだった。
心地よさが、夏の暑さの不快を忘れさせてくれるようだった。
初めて見た、亡くなった人の写真の前で、私はお焼香を3回した。
遺族の席に座っていた、スタッフさんとその旦那さんと高校生の息子さんが、私に頭を下げ、私もお辞儀をした。

別室に通されて、私はふるまいに箸をつけた。
支度の手伝いをしているらしいおばあさんが私に近寄ってきて、ウーロン茶をついでくれた。
「○○さんの会社の者です」と言うと、「まあ、まあ、来てくれてありがとうね」と言った。

病気で苦しかったでしょうけどね、こういうのは寿命ですから。
仏様が決めた順番なんですよ、こういうのは。

と、その老婆は言った。


外に出たら、またセミの声がして、そうか死ぬということは順番なのだなと思ったら、「死」というものが少し怖くなくなった。少し身近に感じた。生まれてくる順番があるように召されていく順番もあるのだなと思った。
2005年08月07日(日)  soso
まったく、家にいても何もすることがなく、暑いし汗が流れるしでシャワーを浴びて、半身浴をした。

もともと、お湯を溜めて入るお風呂ではなくユニットバスなので、体が窮屈で足が伸ばせない。伸ばせないから、足先だけ外に出してじっと湯に浸かる。
それでも、じっとしたままなのは退屈なので、一旦体を拭いて本棚の前で本を選んでから、また湯船に浸かる。


そろそろ私は、次のことを考えなければいけないのかもしれない。
たとえば、仕事の。
たとえば、恋人の。
たとえば、自分の人生の。
今に満足してないわけではないけれど、何かを変える必要があるのではないかと思った。

私は、常に、じっとしているのが苦痛だ。
現状に満足するということがあまりない。
「So-so」という中で私はずっと生きてきて、「満足」という思いに至ったことがあまりないような気がする。

湯船の中で本を読んでいても、本が濡れないようにと気をつけるのが面倒になってきたので、もう一度体を拭いて、今度はパソコンをバスルームの前に持ってきて音楽をかけた。また湯船に入って音楽を聴きながら鼻歌を歌う。

では、何を変えるのか?
今の私の何を、どう変えたいと思っているのか?
けれど、実態は、何をどうしたいという思いがあまりない。
だからこそきっと、私は今にもがいて何かを変えようと必死になったとしても、いつまでも「So-so」としか感じることが出来ないのだろう。
一体、私は何をどうしたいというのだろう。


私はきっと飽き性なのだ。
飽き性で、堪え性がないのだ。
だからこそ、何においても甲斐がなく、私は落ち着きのない人間なのだろう。

音楽も聴き飽きたので、私は体をずり下げて肩まで湯に使ったら、湯を抜いてシャワーを浴びて、体を拭いてベッドにそのまま横になった。貧血で頭がくらくらしたのだ。
スーパーに行こうと思った。あさりのパスタを作ろうと思った。
だけど、次の瞬間、夏の強い陽射しが床を照らしているのを見て、外に出ることを諦めた。


私は飽き性で堪え性がなく、落ち着きのない人間なのだ。
2005年08月06日(土)  白い浴衣、揺れる
出張から帰ってきたその足で、すぐ美容室に行き浴衣を着せてもらう。

今日は、花火大会に行くのだ。
約束の時間に30分も遅刻してしまって、随分待たせてしまった恋人と電車に乗る。
電車の中には、幾人もの浴衣姿の人が居て、車内ではカランコロンと下駄の音がする。

レモン味のカキ氷と綿菓子をふたりで分け合いながら、私たちはまだかまだかと空を見上げる。恋人の友だちと合流して、私たちはまだかまだかと空を見上げる。
ひゅーっと風の中を何かが通り過ぎる音がして、空に大きな花火が上がる。
わーっと誰もがため息をついて、私たちもため息をつく。

花火の光で周りが明るくなる瞬間、恋人の横顔は赤や緑に照らされ、周りに座っている誰もが同じように、空を見上げている。


耳の下を涼しい風が吹いていった。
恋人の白い浴衣もゆらゆらと揺れていた。
誰にも知られないように私たちは手を繋いで、皆と同じように空を見上げた。
2005年08月05日(金)  どうしてー!?
最近、私がよく見ている、サイトがどんどんなくなってしまっている。
私のサイトにリンクしたホームページはほとんどリンク切れだ。
リンク切れなら消せばいいのに、なぜだか億劫で消してはいない。

「私が好んで見始めるサイトは、すぐ消えてしまう」というジンクスは、最強である。
ちょっと忙しくて、パソコンも立ち上げていなかった日が続いてけれど、久々に開いてみたら、アラビックリ。「お探しのページは見つかりません」と出るじゃないのよ。
仕方がないので、ブックマークしているすべてのサイトを見てみたら、3分の1くらいはなくなっていた。
どうしてー!?

そんなに、私に見られるのがイヤなの。
そんなに、私に見に来られるのがイヤなのかしら。
だったら、見ないよー!
見ないから、お願いだから消さないで。やめないで。

最強の負のパワーをネット上で撒き散らしているようです。
これはまずいです。
脅威を感じている方がいらっしゃいましたら、今すぐ私から離れて下さい。
2005年08月04日(木)  広島の女の子
先日、広島に行った。
どうしても、原爆ドームが見たかったけれど、時間がなくて断念した。
とても残念だと思った。

小学校一年生のとき。
担任の先生は、「国語」に力を入れていた先生だった。
文章を朗読させ、その文からあなたが感じることを、教科書に書き込みなさい、と言うのだ。
「あなたがこの文章から感じたこと」
小学生の子供たちにとって、何をそれほど感じることを期待していたのだろう。
想像力を養いたかったのだろうか。
けれど、それは私たちにはとても難しく、手をあげて「自分が感じたこと」を発表できる生徒は少なかった。

夏休みも近くなったある日、戦争について勉強しましょうと、教師は人数分コピーした冊子を配った。
自分たちと同じ年齢くらいの広島に疎開していた女学生たちが、原爆投下にあった瞬間を、それぞれのエピソードをつけて綴った本だった。
もうそれほど本の内容は覚えていないのだけれど、それぞれ死んでいった女の子ごとに章が別れており、彼女たちが被爆した瞬間のそれぞれの話を、とても残虐にリアルに書いた本で、私はそれを読んだとき暑い夏の日だったにもかかわらず、冷や汗が出て鳥肌が立ったのを覚えている。それほど、リアルで残酷だったのだ。

教師は、本の中の女の子を生徒それぞれに割り当て「彼女たちは原爆にあって一体何を思ったのでしょうね?天国で何を考えているでしょうね?お父さんやお母さんを残して死んでいった彼女たちの代わりに、皆さんが両親に宛てて手紙を書いてみましょう」と言った。

私は、一生懸命、「お父さん、お母さん、先に死んでしまってごめんなさい。ごめんなさい」と何度も書いた。「火で焼かれて熱かったよ」とも書いた。「怖くて痛かったよ」と書いた。
私に当てられた本の中の女の子が、私の背中にじっと張り付いているような気がしてならなかった。


いま、思い返しても、その授業は私にとってはとても残酷なものだった。
死者に代わってその子の両親に手紙を書けなど、私には残酷だと思った。
たとえ、想像力を逞しくさせたって、そんなことは出来ないと思った。
だから、先生が喜びそうな文章を幾度も重ねて原稿用紙を稼いで、早くこの授業から免れたいと思った。

その手紙は、その本を書いた作者に届けられたそうである。

私が、そのとき残酷だと思ったのは、死んでいった人の言いたかったことなど、当人ではない私には測り知れないということと、無残に殺された人の「死」をこんな形で掘り返したくはなかったということ。そして、たぶんきっと、あっという間に原爆を投下され死んでいったその人たちの姿が無残で仕方なかったということだろう。それを想像するにはあまりにも残酷だったのだ。

だから、私はその先生が大嫌いだった。

最近、坂本龍一と元ちとせが反戦歌を歌ったそうだ。
原爆で死んだ女の子になりかわって歌った歌だそうだ。
私は、だからあれも嫌いだ。


いつか見てみたいと思う。
原爆ドームをいつか見てみたいと思う。
だけど、やはり怖いと思う気持ちもある。
ドームの周りは2005年の平和な風景に溢れていたとしても、あの建物の佇まいの怖ろしさはずっと変わらないものなのかもしれない。
だけど、いつかは見てみたいと思う。
「あなたが何を感じたか、ここに書きなさい」と人に指図されるのではなく、「この歌を聴いてください」と一方的に押し付けられるのではなく、私自身の意思で、自分自身の目で確かめてみたいのだ。
2005年08月03日(水)  今回ばかりは
もうやだぁー。
J○Lの飛行機、もうやだー。
事故寸前じゃない、いっつもいっつもさー。
私、出張行くときJ○L乗ること多いんだよねー。
A○Aの飛行機乗りたいのにさぁ、何故だか知らないけど、うちの総務の人たちはJ○Lのチケットしかとらないんだよね。
急に決まった出張なんかは、自分で立て替えて飛行機乗るからA○Aで行けるんだけど。

うちの会社は、どうしてJ○Lばっかり。
おかしいんじゃないの、頭。
明日も、J○Lに乗って出張だよ。


飛行機には沢山乗ってるくせに、どうしてもあの離陸のときの浮遊感に慣れない。
それまでは、雑誌を読んで離陸するのを待ってるのに、浮き上がった瞬間、雑誌の字が目で追えないくらい、くらくらする。
たまに、床の下からドン!ってすっごい音がしない?
その音に「もう今回こそは死ぬかもー!」と、毎回思わされます。

毎回毎回、こんなんなので、飛行機の中では寝て過ごすことに決めています。
ほら、寝てる間に飛行機が墜落して、知らない間に死んじゃってるなら、まだいいのかなぁとか思いつつ。

キーッ!明日もJ○L。
毎回、J○L機に乗るたびに、恋人に遺書メールを送っています。
「これから、J○L●●便に乗るから。●●便の△△行きだからね。ナニかのときには骨を拾ってください」
2005年08月02日(火)  本を読む
私がいま読んでいる本は、栗田有起というひとが書いた「ハミザベス」
時間の経過の書き方が、とてもユニークな本です。
淡々した主人公が誰かの本の主人公に似ているなぁと思っていたら、帯で絶賛していた角田光代の本似ていました。

さて、私の恋人が読んでいるのは、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」
何巻まであるのかは知りませんが、熱心に読んでおります。
「以蔵は、もう死んじゃった?」と聞いたら、「うん、もう死んだよ」と彼は言います。
「勝海舟はもう出た?」と聞いたら、「もうとっくに出てるよ」と彼は言います。
やはり、真剣に読んでるらしいです。

夏はどこにも遊びに行けそうもないので、高知の実家くらいには帰ろうかなと思っています。「桂浜で竜馬像みたいね」と恋人も言っています。私も高知生まれのくせに、小さいときに一度、桂浜に行ったきりなので、遊びに行ってみたいと思う。


電車はガタンゴトンと揺れ、私たちも肩を揺らしながら、それぞれに本を読んでいる。
ただ、それだけのことが、私にはとても幸せだと思うのです。
2005年08月01日(月)  もしもし?
「もしもし?」と聞いたら、「ん?」と答えてくれる。
いつ、どこにいたって、もしもし?と聞くと、ん?と返ってくる。
だから、私はいつだって、何をしていたって、もしもし?と彼に問う。
きっと彼は、ん?と答えてくれると信じながらも確かめたくなる。

誰が我侭で、誰が自己中心的なのか。
それはあまりにもわかりきった問いで、訊ねる気にもならない。

体はくたくたで、心はざらざらで、体の末端が私のものではないような感覚がする。

早く帰ってきてと言ったら、まだ仕事中だよと言った。
それでも早く帰ってきてと言っても、いつになるかわからないよと言った。
早くと言ったのに、もう寝なさいと言って電話は切れた。

ぐずぐずと私は泣きながら、ベッドに横になる。
眠っているのか、泣いているのか、その時間の区別さえつかなくなってきた。
台所の電気だけが眩しく光り、ソファーの足を長く映している。
自分だって、忙しいときは余裕がなくなるくせに、自分だって、早く帰れない時だってあるのに、それはそれは、言う間でもなく馬鹿馬鹿しいただの我侭なだけだ。


私は繰り返している。
未だ、同じところを繰り返している。
ぐるぐると繰り返し同じところを回っているだけなんだ。
これまでの恋愛はどうしてこれほど、白々しいのだろう。
これまでの恋愛はどうしてこれほど、薄っぺらなのだろう。
だけど、今の恋愛だって、白々しく薄っぺらだ。
だから、私はたぶん一生結婚しないし、出来ないと思う。


どれくらい深い時間になったのだろう。
ドアが開く音がして、靴を脱ぐ音がして、バッグを床に置く音がして、ソファーの足の長い陰がゆらりと遮られた。枕が濡れていて、恋人が私に寄り添ってベッドに横になる。男の人の匂いがして、ああこの匂いはぜったいに私にはないものなんだと思うと、それがとても淋しく悲しく思えた。
Will / Menu / Past