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2005年05月31日(火)  ビクター?ケンウッド?
家電というものは、ホントに、ある時期を迎えるといっぺんに壊れるね。
まあ、そりゃそうなわけですが。
だって、同じ時期に買い揃えてるわけだし、寿命もだいたい同じくらいでしょう。

最近、コンポとテレビの調子が悪い。
コンポはちゃんと再生できるんですが、スキップが出来ない。次のトラックに進めない。3曲目を聴きたいと思ったら、一曲目からまわしてずっと待ってなきゃいけない。面倒くさい。
テレビの画面が、時々おかしくなる。縦幅1センチくらいしか映らないときがある。横幅はテレビの画面いっぱい映るんだけど、縦が1センチくらいしか映らない。なので、画面のセンターに横一線の映像しか映らず、しかもその部分以外の画面は真っ暗なので、かなりそこだけ強烈な光を放っている。眩しい。そしてテレビが見えない。
テレビは、引っ越ししてから調子が悪いんだよね。
なんか、接続の仕方がおかしいのかしら? それともこのマンションじたいの電波?が悪いのか。隣の家のテレビもこうなっているんでしょうかね。
それか、なんかしこまれているとか。
テレビに盗聴器?みたいな機器がいつの間にか組まれていて、画面がおかしくなった瞬間だけ、盗聴されてるとか。とか、とかね。


まあ、盗聴器が仕込まれているんじゃないんだったら、テレビはこのままでもいいかなと思うので、買い換えない。ただ、コンポ。これはないと困る。音楽が聴けないと困る。気が狂う。
そのうち買い換える。


そして、明日から出張。
予定では、9月ごろまでに4回くらいの出張予定だったくせに、もうすでにこれで4回目だからね。そして、これ以降も確実に4回は出張があるはずで。死んじゃうね。
はー、忙しい忙しいよ。
2005年05月30日(月)  けけけ結婚ですか
好きな人の昔の恋愛話を聞くと、もうだめです。
過ぎてしまったことではあるし、本人の中では終わっていることだとはわかっていても、もうだめです。単なるきっかけで聞いてしまった話しだとしても、かき乱されてしまってだめです。

かき乱されるという感情は、どうしてこんなに悲しいのでしょうか。

自分の昔の恋愛だって、相手にとっては心をかき乱してしまうようなことなのかもしれない。だけど、たとえばその恋愛があって今のあなたがいるんだね、という風に割り切れてしまうのであれば、特に拘るべき点でもないわけで。
でも、私はそんなに上手に割り切れるタイプではなく。いいじゃん、今はあいの恋人なんだからいいじゃん、今が大切なんだから、と頭ではわかっていても、見えない相手に嫉妬をするような、見ないように努めていたことを見せられちゃったような、そんな複雑な気分なのです。

だけど、その恋人の昔話もかなりヘビーな内容だった。
結婚しようかと思った人がいたんだけど、結局ちょっとした喧嘩で別れてしまった、と聞いて、いろいろ思ったねぇ。

結婚しようかと考えた気持ち<ちょっとした喧嘩

結婚しようと思う気持ちは、ちょっとした喧嘩に負けてしまうらしいよ。
という方程式は単純すぎるのだろうか。
結婚しようと思うのは、ちょっとしたことにも負けない強い気持ちなんじゃないの。
私、単純すぎ? 純粋すぎ? 世間知らず? 極端?

私の恋人は、一度結婚を真剣に考えたことがある

そりゃ、31歳ですもの。考えてもおかしくはない年齢なんだろうけど。
たとえば、私に31歳の男友達がいて、その彼が、結婚しようかと一度や二度考えたことがあるよ、なんて言われたら、そりゃそうでしょう、おかしくないもの、その年だし。と思えるのに、ねぇ。
だけど、自分の恋人がそうだったら、ちょっと複雑な気持ちになる。この人は結婚を真剣に考えることに免疫があるんだなあと思う。

それに、どういう女の人だったか気になるよね。彼はどういう女の人と付き合ってたんだろうとか、結婚しようと思ったんだろうとか。それを知ったからといってどうなるわけでもないし、どうということもないんだけど、なんだか心がソワソワするのです。


なんだか、そんな話しを聞いた後、少し無口になってしまい、早くこの場を離れたくて、先にシャワー浴びるねーとか言いながらメソメソした夜。
自分が鬱陶しい。
2005年05月29日(日)  フェイドアウト
こうして、
ああ疲れちゃった、
ああしんどいから寝る、
などとヘタれたことを言って、日記を書かないでいるとあっという間にカレンダーは進み、日記を書かなきゃ書かなきゃという強迫観念に襲われちゃって。
誰も書け書けと期待しているわけじゃかなろうに、ここを何人が見てるかわからねえですが、じゃ、やめちゃえよ、やめちゃえよ、日記書いてなんになるのよーと、思うわけで、だったらこのままフェイドアウトしちゃおうかしら。
とも思うけど、いやこの一時的な感情でやめちゃったら、ちょっとねぇ。

誰か、代わりに書いて頂戴、と再三言っているけど、誰も書いてくれない。
誰もそれにたいしてのメールはくれないね。
まあ、自分のことなんだから自分で書かなければばば。

そろそろ、6月6日になるわけですが、何日書いてないのかしら。
8日間か。
よし、頑張って8日間をどうにか埋めよう。
どうにかして、埋めよう。


よし、これで一日書いた。
2005年05月28日(土)  limit
給与明細をもらっても開かないまま引き出しにしまい、ATMでお金を引き出すとき、その残高の表示にたまにビックリすることがある。
働くからお金をもらって、たくさん働いたからたくさんのお金をもらう。
当然の報酬ではあるけれど、私が一ヶ月間働いたその量を質を時間をお金に変えると、こんな金額になってしまうのかと、驚いてしまう。
それは、たくさんお金をもらって嬉しいとか、だからもっとお給料をもらえるようにもっと働いて頑張ろうとか、そういう意欲に変わる驚きではなく、私の一ヶ月という時間が、なんだか無機質なものに変えられてしまったような、そんな気分になるのだ。


限界に達すると、途端に他人に興味がなくなる。
他人に興味がないということは、自分という主体がなくなることと同じだ。
自分がないから他人というものを意識する気が起きない。
電車に乗っていて窓の外を見る自分、前の座席に座った人間を見ている自分、つり革に捕まったその手や、スーツのボタンを外すその指が、もう自分のものではないのだ。

自分がどこかへ行ってしまって、自分という肉体を感じないのだ。
意識だけが浮遊して、音も聞こえる、目も見える、肌で雨も風も感じるのに、自分の触覚、その肉体に自分というそのものを感じることが出来なくなってしまう。
パソコンのキーを叩いている指が自分の指だとは思えなくなり、ご飯を食べたときの味覚に何の意味も見出さなくなる。体と心が乖離していつまでも戻ってこない、そんな毎日を最近送っている。

そうなると、仕事も、ただ右から左へうつすだけの作業になり、そのうち、限界という歯止めが吹っ飛んで、自分のキャパシティを無視した大量の情報がただ私の中を素通りしていく、素通りしたものに執着するはすがない。限界を超えた時点で、それは限界ではなくなり、無限の世界の中で私は生きなければならなくなってしまったのかもしれない。私は無機質でも無限大にも耐えられるロボットになってしまったのかもしれない。


ただ、人間はロボットのままではいられず、無機質な時間やお金を使い続けることも出来ず、やがて人間らしさを取り戻す瞬間、抑圧されていた大量の水が溢れ出すような、その水圧はすべてを破壊してしまうほどの威力を持って、それは恋人に向かっていく。
渦を巻く水流に上へ下へと押しつぶされながら、私たちは水の中をただひたすら太陽に向かって泳いでいるようだ。水面でキラキラ輝く太陽の光に向かって泳いでいるようだ。

では、恋人の恋人に対する限界は一体どこにあるのだろう。
どこに向かって発散され、どこで遮断されるのだろう。
2005年05月27日(金)  泣き笑い誕生日
2時間たっぷり飲んでも、まだ22時というこの素晴らしい夜の時間。
ブチョーありがとう。
あなたが20時消灯の号令をかけてくれたおかげで、今日はこうしてさっさと会社を出て、恋人とどこにでもある居酒屋で楽しい時間を過ごしています。
どこにでもある居酒屋ではありますが、個室であったことが幸いして、私は相当酔っ払ってしまい、そして号泣。

ああ、そんな自分がうっとうしい。
なにがそんなに悲しくて泣いているのか。
なぜにこれほど酔っ払っているのか。
いや、悲しくて泣いているのではないのだよ。
私は、泣き上戸になってしまったのではないのだろうか。
益々、うっとうしい。
とにかく、大号泣をしてしまったのだけど、普通なら、外で連れの女の子に泣かれるなんて男の人ならうっとうしい以上に、居たたまれない気持ちになるんだろうけど、恋人も相当に酔っ払っていたので、泣く私に大爆笑してくれてよかった。助かった。

なんで、泣いたのか。
今日は恋人の誕生日だったのです。
ああ、んもう、31歳おめでとう。本当におめでとう。
良かったね、こんなに立派な大人になって、怪我も病気もせず、本当によく頑張りました。
おめでとう、31歳オメデトウ。わぁーーー。と号泣。
うっとうしい。
恋人の誕生日を迎えて、私が号泣。
主役の恋人以上に、誕生日を一緒に迎えられたことに感激。
そして興奮。なので号泣。
まあ、最近仕事で疲れていたことや、まあ、ちょっと恋人とケンカをしていて疎遠になっていたこととか、あと、久しぶりにお酒を飲んだことが泣き上戸の要因ではあったのだろうけど。

自分の誕生日のとき、恋人が私以上に誕生日を喜んでくれて、泣いたら、ビックリする。
ヒク。
だけど、自分がやってしまった。ああ、本当うっとうしい。自分、うっとうしい。

鼻水なのか涙なのかだらだら流しながら、だけどお酒をあおる手は止めず、もうねー、キミが大好きなの!もう、なにがあっても好きなの!と、泣き笑いながら今さらの告白。居酒屋の個室でホントよかったね。恋人がヒィーヒィーいって涙を浮かべながら大爆笑して、オーダーを聞きに来た店員さんが、気を使って新しいおしぼりを持ってきてくれるくらい、ふたりとも泣き笑い。


で、また、その店内のBGMが、「さぁ〜涙ふいてぇ〜♪ここまでおいでぇ〜♪」と歌うのでさらに号泣。
もういや、自分ホントうっとうしい。
2005年05月26日(木)  合コンしよー!
うちのオフィスがあるビルには、他の色んな会社も入っているのだけど、同じフロアにある某会社のサラリーマンと仲良くなった後輩が、「今度、合コンしましょう、って誘われました」と言っていた。
あらそうがんばんなさいよ、あんた。

私はそのサラリーマンたちがダイキライである。
なにがイヤかって、およそ異性を意識しているであろうその仕草や態度がきにいらねーのだ。今どき、合コンの何が面白いのか。なにかあったら、それ合コン。二言目には、それ合コン。
バカではないのか。
私も時々、彼らのうちのひとりとエレベーターでふたりっきりというシーンに遭遇するけど、なんか馴れ馴れしく親しげに話しかけてくるので腹が立ちます。
なので、話しかけんなよオーラを発しながら、露骨に嫌な顔してエレベーターを下りるようにしています。

そんなに嫌がんなくてもイイジャーン。
ジャーんと語尾を延ばすその声が気持ち悪いの。
キー!っと彼らと会った後は虫唾が走ります。
嫌な顔されてんだから、話しかけなきゃいいのに。
彼らは図太いのか鈍いのか、それともある種のプライドがないのか。

あいさんも一緒に行きましょうよ!
あいさんも連れてきてって言われてんだから!

バカじゃーないのか。この後輩も。
何が嬉しくて合コン。
何が楽しくて合コン。
合コンするなら家に帰って寝てたほうがいいと思う。

私を誘うな。私を仲間に入れるな。
私に話しかけるな、という負のオーラを発散させて、後輩を無視。
2005年05月25日(水)  そのうち狩っちゃうよ
早く課長をやめてくれないかしらと思う。

私にとっては、如何せん、コミュニケーションのとり辛い上司なので、常にイライラさせられます。もし、上司じゃなかったらオヤジ狩りをしているところです嘘です。
彼は、常に的外れなトンチンカンなことばかり言って困ります。
「いや、それを聞いているんじゃなくて、こっちを聞いてるんですが」
と、何度も話しの行方を修正しながらお話しないと、なんとも。
1年目の女の子が、「○○はどうしたらいいですか?」と聞いても「いやごめん。俺しらない」で終わる。せめて、○○を調べてみろとか言えないものか。
今日も、イライラさせられ、それが頂点に達したので、詰めて詰めて問い詰めて、それでもなんのリアクションがないので、「もう結構です」と言って話を打ち切った。
そうは言っても、お友達同士じゃなく社会の人間関係なので、上司のやり方になるべくあわせて上手く仕事が出来るように努めてはみるけど、そのうち甘えてきて愚痴を言い出すので、うっとうしい。「俺、毎晩毎晩帰りが遅くってさー、ああ、もうやってらんないよなー」って課内ではあなたが一番早く帰れてますから。

どうして、課長になれたのかしら。
課長になる人だからこそ、それなりの功績があったわけで、じゃあどんな功績よ、と考えをめぐらせてみるけど、んー、それってクライアントとアシスタントに恵まれたからいい成績を残せたんじゃないの、と思う。ま、どうでもいいけど。

でも、たぶん彼のような人間は調子のいい人間なんだと思う。
上の上司には、すごく素直で言われたことはきっちりと真面目にこなしていい顔をする。
その姿勢には逆にこちらが驚かされるほど丁寧だけど、手のひらを返したように、部下に対してはその場しのぎなことばかりを言うので、あとになって大きなトラブルを招いてしまったり。
周りに確認もしないでホイホイ勝手に仕事をしてしまうので、他の部署の課長からクレームがきたり。
危なっかしいので、課長を飛び越して部長に仕事の相談をすると、あとでたっぷり課長に怒られる。
「キミの直々の上司は僕なんだからさー。こんなことされたら、僕がちゃんと仕事してないみたいに思われるじゃない」ってだから仕事任せられないんだって。
飲みの席では、自分が話の中心でないと機嫌が悪くなる。翌日になって「昨日の飲みは盛り上がらなかったねぇ」とか言ってるけど、私は課長が話しの中心じゃなかったのですごく盛り上がったけどね。

今日も、またトンチンカンなその場しのぎなことばかり言ってるので、そのうち部長に呼びつけられミーティング室に篭ってたっぷりとお説教をくらう課長。そろそろ、課長をやめてくれないかしら。迷惑なんだけど。

課長が課長である必要性をまったく感じない人です。
彼の存在がなくても仕事には差し障りないので、いなくても結構です。

はー、すっきりした。
2005年05月24日(火)  二晩目の雨
二晩続けて、雨が降った。
帰路を急ぐ人たちの上に、二晩続けて雨が降る。

昨晩は、雨が止んだころ会社を出た。
きらきら光る濡れたアスファルトを踏んで、駅へと急いだ。

ずっと俯いて本を読んでいると、電車の外の風景は目に入らない。
私の前に立つ人の濡れたビニール傘が、私の膝小僧に触れたとき、ああ雨かとそのときやっと顔をあげる。誰も彼もが傘を持っているけれど、私には傘がない。会社を出るとき、持って出ようかと傘立てにふと目が行ったけれど、結局、無駄になったときに持ち帰るのは面倒だと思い、そのまま会社を出てしまった。

まだ21時の池袋の駅は、サラリーマンやOLでごった返している。
傘を持たない人間は、駅前の信号が青に変わるまで、屋根のある場所で雨宿りをする。信号が青に変わったら、屋根の下を抜けて走って信号を渡る。傘を持った人間は、悠々と横断歩道の前で青信号を待ち、信号が変わればゆったりと足を踏み出す。
傘と傘のあいだをすり抜けるとき、滴り落ちる雫が私の肩に何度も当たった。

屋根のある場所を選びながら走り、コンビニに2軒寄ってみたけれど、どこも傘は売り切れで、私は店の軒先でため息をついた。傘を探して走るよりも、このまま濡れて走りながら家に帰ったほうがいくらかマシなのかもしれない。

パチンコ屋の屋根を借り、居酒屋の屋根を借り、洋服屋の屋根を借りて、私は小走りに走った。でも、結局どんな帰り方をしても、濡れるのは同じだ。スーツはびしょびしょだし、髪の毛は顔に張り付く。バッグの中には、明日の仕事で必要な契約書が入っている。濡れないよう、私は上着を脱いでバッグに被せた。

誰かが、傘、あげますよと言った。
私よりずっとずっと年下の大学生くらいの男の子が、傘、あげますよと、さしている傘とは別の手に持った傘を私に差し出した。

先日の連休。
私は旅行に出かけた。ひとりで飛行機に乗り電車に乗り換えて、恋人と待ち合わせをしたホテルへと急いだ。
電車の中で私は、座席の上の網棚にバッグを押し込もうとした。高くて届かなかったので少し背伸びをして、3日分の洋服が入ったバッグを押し込もうとした。すると、前の座席に座っていた大学生くらいの男の子が立ち上がり、私のバッグに手を差し出して一緒に荷物を押してくれた。
ありがとう、と私は言って彼の隣の席に座った。

ありがとうと言って、傘をもらえばいいのに、私はそうしなかった。
知らない人に話しかけられること
知らない人に親切にされること
私は彼の言葉に頷くことも首をふることもしないで、強い雨が降る中、また走った。

どうして、東京で知らない人に親切にされると抵抗を感じるのに、東京でない場所で親切にされることにはなにも抵抗を感じず、素直にありがとうと言えるのだろうか。旅行をするという開放感や休日であるという安心感があるからなのだろうか。
「東京は希薄な人間関係だから」、「緊張感を強いられる毎日だから」という言い訳を盾にして、私たちは結局、お互いに干渉も邪魔もしない距離を充分にとることに慣れてしまっている。困っていても誰も助けてくれない、むしろ、助けを呼ぶことすら考えに及ばない、そんな感覚を身に付けてしまっている。


家に帰って濡れたスーツを脱ぎ、少し濡れてしまった契約書をバッグから取り出して私はふと思った。いま、胸が痛むのは、明日の大切な契約書を濡らしてしまったからではなく、会社を出るとき傘を持ってこなかったことを悔やんでいるのでもなく、あの大学生の男の子から傘を借りなかったことを後悔しているのだ。彼の親切に胸が痛んでいるのだ。
2005年05月23日(月)  20時消灯
なにを思ったか、というか勿論、思うところがあってのことだろうし、その部分は私たちにもよーく思い当たるフシはあるのだけど、

ブチョーが、「今週は、20時をもって消灯とする」というメールをメンバー全員に配信した。

「20時をもって消灯とする」という意味は、20時に電気を消すので、全員退社せよということであり、会社の中でうちのフロアがダントツの残業時間を誇るという、大変不名誉なことかどうかはしらないけど、というか、うちのフロアには仕事に時間ばかりかかってしまうバカな人間がたくさん集まっているのかもしれないね、とも思ったけど、とにかく名誉か不名誉かの注意を受けたそうなので、ブチョーが強行手段である「消灯」という方法を用いて、残業時間を減らす作戦に乗り出したということであーる。
かなりの強行であり強硬であるその方法は、一度はメンバーのブーイングを受けたがあっさり跳ね除け、やっぱりブチョーはエライのかどうか、「俺がやるといったらやるのだ、みんな早く帰らないと怒っちゃうよ」と言ったのかどうかはわからないけど、とにかく強制的に今日から20時に退社せざるを得なくなってしまいました。

私は、こういうやり方は嫌いじゃなくて、早く帰りたいのに帰れない、仕事が追っかけてくる!という精神不衛生な時間を、「消灯」という物理的な方法によってバチンと断ち切ってくれるのは、結構有難かったりする。だけど、その分、朝早く出社して仕事をすることにしただけなのだけど。
夜型人間、素行をあらため、朝方人間に生まれ変わるのだ。今週だけ。

電話が鳴ろうがメールが来ようが、「だって、消灯なんだもーん」という理由で仕事を終わらせられるってステキダヨネ。

今日の20時はかなりな修羅場で、「消すぞー」と部長が太い声で叫び、あたふたあたふたと書類を片付ける者、椅子から立ち上がりながらもPCにかぶりつく者、電話を切ろうにも相手の長話に切れない者、いろいろ居ましたが、私はきっかり20時には仕事を強制的に終わらせ、口笛吹きながらアフター8を楽しみました。
ねー、うちの会社って楽しい会社だよねー。
楽しい楽しい仲間がたくさんいますよー。
2005年05月22日(日)  拘り
久々に異母兄の家に遊びに行った。
遊ぼうーと言って家に上がったら、何して遊ぶー?と声が返ってきた。

ずっと以前、兄には彼女がいて、兄の家に遊びに行くたび、その家の主婦であるかのように掃除をしたり食事をつくったり洗濯をしたりする人がいた。
「美味しい?」とその彼女の料理を食べるとき、五月蝿いくらいに聞かれたことを覚えている。確かに料理は美味しいし上手だった。だけど、人の心をそっとうかがう様な目で、何度も「美味しいかしら?」「お口にあうかしら?」「好みの味じゃなかったら言ってね、あいちゃんに喜ばれるように勉強するから!」と言ったその彼女に、私は背筋が寒くなるような、粘着質っぽい神経の太さを感じたのだ。それ以降、兄の家にもあまり近寄らなかった。
私とはまったく違う種類の女性だなと思った。
どうして、兄はこんな女性が好きなのだろうとも思ったけど、なんだかいろいろと面倒なので早く結婚してしまえばいいのにとも思った。

たぶん、その感情は嫉妬に似たものなのかもしれない。
甲斐甲斐しく兄の世話をするその彼女は、何かの拍子に兄と別れ、もうそれ以来私は彼女と会っていない。

今の兄には、好きな人はいないのだろうか。
結婚したいという気持ちはないのだろうか。
もう32歳になるのではなかっただろうか。

この人は、「兄」という固有名詞があるだけで、私には本当の兄はいない。

だけど、私のコンプレックスは、ブラザーコンプレックスであり、ファザーコンプレックスなのかもしれない。異母兄弟である私たちは、私のそんなコンプレックスがあるからこそ、ここまで付き合ってこれたのかもしれない。

遊ぼうよといって、私は外に出かけた。
何して遊ぶ? と兄は言って片足立ちでバランスをとりながら、スニーカーの踵を履きなおした。
「私は、ブラコンなんだと思うよ」と兄に言ったら「そうだよ?」と、何を今さら言っているのかという顔をされた。
2005年05月21日(土)  カフェにて
最近、自分はかなり機嫌がよろしくない。
なんだかこう、いつも不機嫌なのだ。
まるで、愛情の足りていない子供のようだ。

まるで、親の愛情を欲しがる子供のようだ
と、言ったのは恋人だ。

私はぐちぐちと考えるのが好きなタイプの人間なので、なぜ自分がこれほど機嫌が悪いのか分析し検証し課題にして解決することにしてみた。
そのいろいろな分析・検証の過程は省くとして、問題の根本がなんなのか、それの結論として導き出された答えは、私が恋をしているからだろうということに尽きる。

恋なのだよ。恋をしているからなのだよ。
恋をしているから、人は喜ぶし、楽しいと思うけれど、逆に機嫌が悪くなることもあるし怒ることもある。
そうなのだよ、恋をしているからなのだよ。
まさに今、私が恋をしているから、機嫌が悪いのだよ。

と、私が言ったら
男友達が、「わかるようにもう一回話してください」と言い、
女友達が、「なんとなくわかるような気がする」とツメの甘皮をむきながら言った。


よく小学校の頃の通信簿に「あいさんは、忘れ物が目立ちます。もう少し落ち着いて行動しましょうね」と書かれてあった。そうだ、私はいつだってソワソワしていたじゃないか。いつだってきょろきょろフラフラしていた子供だったじゃないか。そう、私はいまソワソワしているのだ。恋をしてオロオロしているのだ。

まるで、愛情を欲しがって駄々をこねる子供のようだと、恋人は言った。
生まれたばかりの赤ん坊は、母親に抱っこされたくて泣き声をあげる。
それと私のしていることは、同じだと言いたいのだろうか。
やめてもらいたい、もう26歳なのだ。
おっぱいだってちゃんとあるし、生理だって来るちゃんとした大人なのだ。


と、私が話したら
男友達が、「チーズケーキ!」と叫び
女友達が、「ブルーベリーのムース!」と叫んで
私が、「紅茶シフォンケーキ!」と叫んで
私たちは3人でスイーツを食べた。

なんだか、何を言いたいのかさっぱりわからなくなったけど、とにかく紅茶シフォンケーキにはホイップがついていないと嫌なの。
2005年05月20日(金)  わかっていない人
もうバレてると思うけど、私は何もわかっちゃいない。
知ったかぶりして、わかった風なことばかり書いているけれど、私は何もわかっちゃいない。
「自分は何も分かってない」ということだけはわかっている。
わかっちゃいるけど、わかっちゃいない。


高校生の頃、隣の席にすてきな男子が座っていました。
私は、横向きで机にダラリと寝そべり、隣の彼の横顔をノートの隅っこにスケッチしていました。
鼻の筋がすっと通った、きれいな顔をしていました。
私は彼の鼻と顎のラインばかり描いていました。
彼はとても優秀な生徒で、とても物静かな男の子でした。

大学生の頃、授業を受けるときはいつも一番後ろの席に座っていました。
音楽史の勉強はつまらなくて、風に揺れるカーテンばかり眺めていました。
ぼんやりとしていると、教授に指をさされ「今の問いに答えなさい」とよく言われていました。
そんな私にいつもコソコソ答えを耳打ちしてくれていたのは、作曲科の女の子でした。
そんなに親しくもないはずの彼女なのに、どうしてピンチの私を助けてくれるのか、私には今でもよくわかりません。

自分がそのときいくつだったかも覚えていない昔、ずっと幼い頃、私は母に言われて自宅の二階の部屋でじっとしていました。
一階の居間には、知らないお客さんが来ていました。
母は、私に二階に行ってなさいと言い、私はその言いつけを守って二階の部屋にいたのです。
何分たったのか、レースのカーテンの隙間から庭を眺めていると、そのお客さんたちが帰っていく後ろ姿が見えました。女の人と男の人と、小さなけれど私よりはいくつかお兄さんの男の子でした。
窓に顔をくっつけて、私は彼ら3人の姿をじっと、じっと見つめているだけでした。
揺れるカーテンが私の頬をくすぐっていました。


私はわかっていない。
どうして、私はあのときあの男の子の横顔ばかり書いていたのか。
どうして、あの子はあのとき私に答えを教えてくれたのか。
どうして、あの3人はうちに来て、そして帰っていったのか。
わからないことは、わからないまま。
ずっとずっと時が過ぎてわかることもあれば、わからないままのこともある。わかっているはずのことがわかっていなかったと、自分で気づくときもある。わかったように思えて、実はわかっていないのに、それもわからないまま死んでいくこともある。
わからないことはわからないままで。
わかっていても、わからない振りをしたことがよい場合もある。
私はもう何も知りたくないと思う。
2005年05月19日(木)  猫が鳴く夜
夜中、もう0時になろうかという夜中、
コツンコツンとドアをノックする者がいる。

夜中のノックは胸を騒がせる。

バスタオルで髪の毛を拭いていた手を止めて、小さな覗き穴からドアの反対側にいる人間を見てみる。誰も居ない廊下のクリーム色の床には白い小さな灯りが反射して、時々明滅している。

チェーンを外してドアを少しだけ開いても、誰の姿も見当たらない。
もう少し開けてみようと、私は素足で玄関におりた。
廊下の明かりが一瞬消えて、私の部屋から漏れる灯りがぼんやりと私の影を映している。

そこには、何も言わない恋人が立っていて、私は何も言わず裸足でただ玄関に突っ立っていた。どちらも、口をひらく気はなく、というより言葉が見つからず、いや、そもそも言葉を探したとしてもそれはきっと見つかるはずもなく、時として何も言わなくていいこともある。

好きだという理由だけで恋愛は成り立たないのだろうか。
私は、誰かを好きになるとき、自分が酷く嫌な人間に思える。
誰かを好きな自分が、すごく好きだと思う時間より、大嫌いだと思う時間のほうが遥かに長い。
私は一体どんな恋愛をしてきたのだろうか。
自分は欠陥だらけの人間なのではないだろうか。

「言葉など要らない関係」なんて嘘だ。
言葉すくなでもわかり合える関係なんて大嘘だと思う。
言葉など必要ともせず通じ合える関係なんてどこにもない。
だけど、何も言わなくていいときもある。
私たちは日々言葉を使って伝え続けなければ、なんの人間関係も持続させることは出来ない。
相手に甘えて言葉を削ぐこともなく、かといって言葉だけにも頼らず、出来ることなら穏やかに誰かと付き合っていけたらいいのに。


謝るべきなのは私の方で、
恋人が謝りに来る必要はない。
謝るべきなのは私の方なのに、
先に謝るのはいつもいつも恋人のほうで、
出遅れてしまう自分に歯痒さをおぼえる。


まだ髪の毛が濡れていたけれど、私たちは眠ることにした。
すごく静かな夜で、猫も鳴かない夜だった。
2005年05月18日(水)  退屈な人
今日、大手企業の経営者とお酒を飲む機会があった。

言ってることは小難しいし、経営論みたいな退屈な話ばっかりだった。
つまらなくて、相槌を打つのにも疲れてしまった。
三木谷社長を斬り、堀江社長を斬り、ユニクロの前社長をべた褒めし、その経営者の取り巻きたちは笑顔を振り撒いて、頷いていた。

経営者は偉いのかもしれない。
ひとつの会社を束ねるのだから、それなりの実力もあるのかもしれない。

だけど、楽しくお酒をのみましょうという席で、仕事の話をしたがる人はなんとなく魅力に欠ける。

数千人という従業員を抱える人は、仕事以外のことに興味がないのかもしれない。
仕事以外に使うパワーがまったく残らないくらい、仕事に情熱を注ぐ毎日なのかもしれない。

だけど、自論ばかりを振りかざして演説するよりも、最近ハマっているものだとか、最近見た映画とか、最近面白いと感じたこととか、そんなことを話してくれるほうがずっとずっとその人に興味がもてるのに。

経営論が退屈だと決め付けるのは語弊があるとしても、経営論でしか人と話せない人は、とても退屈で魅力のない人だということが、今日その人と話していてわかったこと。
2005年05月17日(火)  ラララ出張
それでまあ、恋人とケンカをして一週間がたつのですが。

ケンカ、うーんケンカ。
ケンカというか、ギクシャク、そうギクシャクしているのです。
何が原因なのかと言うと、何を隠そうこの私に原因があるのですが、じゃあ謝っちゃえばいいじゃん、という簡単な解決策があるわけでもなく、人と人の気持ちというのは時としてねじれてしまうと解けなくなることもありますね。

解けるのか、解けないままなのかは、よくわからないのですが、「もう、どうにでもなってしまえ」とどちらかが思ってしまえば、その時点で完全に終わりなるのだろうなと思います。

まだ、思っていません。
私はまだ思っていません。
というか、思ってはいけないと自分に言い聞かせながら毎日仕事に励んでいるような状態です。恋人に励めばいいのですが、そんな時間も見当たらず、多忙を極めてしまっているのです。

ギクシャクしたときは、どうすればいいのかしら。
もう、中学生のように、好きな男の子を前にしてオロオロしちゃって落ち着きません。
こういうときは、どうしたらいいのだろうね。
困っちゃうよ、まったく。

困っちゃうよ、困っちゃうよ。
ギクシャクしたままだよと思いながら、明日も出張に出かけます。
ごめんなさいね、本当に。
2005年05月16日(月)  テトリス
社会人になりたての頃、仕事は『テトリス』みたいなものだと思っていた。
大学4年生の後期から私は社会人になった。
金曜日の午前中だけ学校に行き、そのほかの時間を私は社会人として使った。

上からどんなブロックが落ちてくるかはわからない。
なるべく隙間をつくらないで、上手くブロックを積み重ね、組み立て、横一列に並んだブロックを消していく。

どんなケースの仕事が舞い込んでくるかはわからない。ミスをしないよう上手くこなし、仕事を端から片付けていく。

高得点を狙って、あのブロックが落ちてくるまで辛抱強く待つ。待っていたブロックが落ちてくれば、一度に4列も消し去ることが出来るんだ。

コツコツと作業を進め、大きなチャンスがくるまでじっと辺りを窺う。チャンスが来れば一気に何百万という契約が受注できるんだ。

その作業は、テトリスに似ていると思った。
仕事はゲームみたいだと思った。
如何に効率的に仕事をするかを競うゲームのようだと思った。
如何に高額な契約を受注するか、それを競うゲームのようだと思っていた。


でもある日思った。
ゲームはルーチンだ。
自分の手のひらの中で、ブロックを消し続けていくゲームなんてつまらなくなった。


今日、細長いテーブルの端と端に腰掛けた私とクライアントは、じっと真正面でお互いを見据え、私は相手の言葉を待っていた。キリキリと胃の痛む瞬間だった。周りの椅子には、競合他社の営業担当が座り、私の言葉に対してクライアントがどんな言葉を返してくるのか、固唾を呑んで見守るものもいれば、楽しげに眺めるものもいた。
キリキリと胃の痛む瞬間だった。
私はそのクライアントの人間を恐れているし、様子を窺ってもいる。
だけど、私は言わずにいられなかったのだ。
相手を怒らせたいわけでもなく、相手に嫌がられたいわけでもない。
私はその人を恐れているからこそ、その人に興味があったのだ。
彼がどう思うのか、私はそれを知りたかったのだ。言わずにはいられなかったのだ。
胃は痛むけれど、その相手に私は期待していたのだ。
彼はきっと私を見据えて答えてくれるだろうと期待したのだ。
これはゲームじゃない。
きっと見据える相手の目に、私はもう一度まばたきをして相手を見つめ続けた。
テーブルの端と端、私たちはそんな時間を過ごした。


人間はテトリスのブロックなんかじゃない。
2005年05月15日(日)  ハザード
私はずっと夢の中で生きているようだ。
まったく地に足が着かず、頭もぼんやりして、目も開いているのか閉じているのかわからない。

早く家に帰って眠ればいいのに、このまま家に帰るのはもったいないという思いがある。

ビールの泡はグラスの淵をのぼって空気に溶けていく。
私はさっきから相手が何を言っているのかまったく理解できない。
もっとわかりやすい言葉で説明してくれと頼んでいるのに、相手は言葉を変える気はないようだ。

よく知りもしない人と同じ時間を過ごすのは苦手だ。
隣の椅子に座るその人を、私は知っている筈だと思い込んでいたけれど、人はそんなに簡単に分かり合えるものではないと、いま思い出した。

ビールの泡がどんどん空気に触れて溶けていく様子を見ていると、私はだんだんイライラしてきた。

赤信号で立ち止まり、向こうのコンビニの前に止まる車を見ていた。
ハザードが規則正しく点滅している。1,2,3,4とハザードが点滅する回数を数えてみる。

目の前の相手を、深く傷つけてやりたいと思うときがある。

コンビニの前を通り過ぎ、車のドアを開き、私はシートに座って、彼はサイドブレーキをおろして指示器を右に出し、私たちはあてのないドライブをした。
信号は赤の点滅ばかりを繰り返し、ぬめぬめと光るアスファルトは不気味な生き物の皮膚のように見えた。

私たちには、行き場所がない。
どこかの店に入るのも億劫で、どこかに車を止めるのも億劫で、かといってどちらかの部屋に入るのも億劫で、だから私たちには居場所がない。

居場所がないふたりは、だからそのまま車を走り続けることしか出来なかった。
それはとても悲しいと思う。
もう帰りたいのだけど、自分の家がどちらにあるのかどこにあるのか、それさえもわからなくなって、私は誰に対して怒っているのか、何に対して怒っているのか、それもだんだんわからなくなってきた。

じっと前を見つめるその人の瞳を見ていたら、だんだん眠くなってきて私はシートにもたれて目を閉じた。誰かが私の耳元で「真剣になれよ」と囁いた。私は一度目を開いたけれど、誰が囁いたかはもう知ろうとも思わない。
2005年05月14日(土)  完全週休二日
土曜日、会社、仕事、22時まで仕事。

だーれも居ない広い広いフロアでぽつんとひとりで仕事をしていると、頭がおかしくなりそうです。電話が鳴るたびビクンとします。土曜日に電話してくんじゃないわよ、と思いながら出ません。

集中力が切れるたび、部長の椅子に座ってふんぞり返ってストレッチをしてみたりします。
窓の外では、カップルがいちゃつきながら歩いています。
大きなブランドのロゴが入ったバッグを提げて歩く人もいます。

ストレスが溜まる一方なので、ハメハメハ〜とハワイダンスを舞ってみたりします。
ワイハに行ったこともないくせに、踊ってみたりします。
ワイハー。

どうして、私だけ休日出勤をしなければいけないのか。
そんな恨みがましいことを考えていても始まらないので、仕事をします。
私の辞書に完全週休二日という言葉はないのだよ、キミ。
2005年05月13日(金)  リピート
音楽をかけっぱなしにしたまま眠ってしまったようだ。

電気もつけっぱなしで、テレビは音を消したまま、海外のサッカーのゲームを中継している。時間はまだ眠ってから1時間ほどしかたっていなかった。電気を消してテレビを消した。暗い台所で、シンクにひとつだけ取り残されていたグラスを洗った。
東京は夜でも明るい。その灯りで私はグラスを洗った。

暗い部屋にまだ流れているその音楽は、永遠に永遠にリピートして、曲が終わってもまた頭から演奏を始める。

私のコンプレックスってなんだろうと思う。
私がコンプレックスとしているものは、一体なんなのだろうと思う。
私が私という人間であるそもそもの要因は一体なんなのだろう。

恋人の頬には小さなホクロがある。
目を凝らさないと見えないくらい、小さな小さなホクロがある。
なんともない、誰にでもありそうなホクロがある。
そのホクロを思い浮かべてみた。
頬のどの辺りにあっただろうと、正確に思い出してみようと思った。

小学生のとき、団地に住む友達のところに遊びに行った。
夏の、急な坂道を必死に自転車をこいだ。
坂のてっぺんにそびえ立つ団地は、大きく見えて日影をたっぷり作っていた。
あそこまで、自転車をおりずに昇れたら、願い事がひとつ叶う。
などと、自分で勝手に空想して、必死に必死に自転車をこいだ。
すごく暑い夏だった。


どうして私は大人になっちゃったんだろうと思う。
大人になってしまった事実に、私は時々愕然とする。
どうしてコンプレックスが積み重なるほど生きているんだろう。
小さな欲望だけでは飽き足らずに、欲しいものがどんどん増えていく。

私は、そんなことばかりを考え、その考えはループしてリピートして、結論に辿りつかない。終わりを迎えないことばかり考えている。

雨が降ってしまえばいいのにと思う。
嵐が来ればいいのにと思う。
本当のことはどこにあるのだろう。
2005年05月12日(木)  チラシをお届け
出張してたのよ!
どこにも遊びに行けやしないわよ!
観光だってしてないわよ!
っていうか、当たり前よ!
仕事なんだから!

出張に行って参りますと、課内の人間に言ったら「お土産ヨロシクネー」と言われたけれど、君たちはファッキンです。
お土産だって?
買えるわけないじゃん。
8時発の飛行機に乗るために、何時に池袋を出なきゃいけないと思ってるのかしら?
というかその前に、何時に起きなきゃいけないと思っているのかしら?
空港について早々、現地の支社に赴いて、一日中建物の中で仕事してたわよ!
昼ご飯食べに行く暇も、買いに行く暇もないから、人に頼んでコンビニ弁当買ってきてもらったわよ!
地方に来て、名物も食べれず美味しいものも食べれず、東京のどこだって買えるコンビニ弁当よ!
なによ!なんなのよ!
ホテルに戻ったのなんて24時よ!
気を使って出張先の人たちが、「早めに仕事切り上げて、美味しいもの食べに行きましょう。いいお店連れて行きますから」って言ってくれたのに、結局24時よ!0時よ!バカ!
次の日も8時に出社よ!朝ごはんはクリームパンと牛乳よ!
バカ!

帰りの飛行機なんて滑り込みセーフよ!
危うく、名前をアナウンスされるところだったわよ!
東京に戻ったの何時よ、22時よ。家に戻ったの23時よ。
お土産なんかあるわけないでしょ!あるわけないでしょ!
うっとうしいくらいビックリマークつけてやるわよ。つけてやるわよ!

で、次の日、お仕事よ!
仕事なのよ、いつものオフィスで普通に仕事よ!
朝一番、この殺気立った私に「お土産買ってきてくれましたー?」と暢気に聞くヤツ、死刑。
死刑です。

あ、でも、一応ね、みんなにはお土産はあります。
通販のチラシね。
地方の名物、通販でお届け、っていうチラシね。
空港で見つけてたくさんもらってきたから、それを皆さんに差し上げます。
自分のお金で、各自お申し込みください。
どうぞ宜しく。
2005年05月11日(水)  頭の中がお花でいっぱいなの
本当に書くことがないので、お花畑をどうぞ。
昨年行った、富良野のラベンダー畑。

2005年05月10日(火)  自由課題
牛乳を、イッキイッキの掛け声で一本飲み終えたので、お腹がグルグルなのです。

小学生のころ、夏休みの宿題に「自由課題」というのがあったよね。
勉強は嫌いじゃないけど宿題が大嫌いという矛盾なのかどうなのかよくわからない子供だった私は、「自由課題」で『牛乳を毎日1パック飲んだら、夏休み中に何センチ背が伸びるか』という課題を打ちたて、実験を行った。

が、3日でやめた。
お腹がグルグルになったからだ。

バカな子供ではありましたが、こうして無事に育ちました。
2005年05月09日(月)  忘れ去られた人
彼が言った。
「君という人は、きちんと愛し続けていないと、僕のことなんかすぐ忘れてしまいそうになるね。」

とてもショックだった。
「忘れるわけないでしょ」と言ったら、
「僕の存在って、君にとってどれくらいの大きさなんだろう」
と、ひとりごとみたいに言った。

忘れ去られてしまわないために、彼は私を好きなのだろうか。

忘れられるのが怖いから、私を好きになったのだろうか。

好きだから忘れ去られたくないんだよ、と彼は言った。

忘れてなんかない。忘れるわけない。
アカの他人の癖に、親や兄よりももっともっと身近な人、
それが恋人なのだから。

私は気持ちを伝えるのが下手くそで、だからこそそんな自分にすごくショックだった。
忘れてなんかないよ、とわかってもらうには、一体どうしたらいいんだろう。
あなたの存在は私にとって一番大きい、とわかってもらうには、
一体なんと言えばいいんだろう。


私ってばかだなあと思う。
なんてバカなんだろうと思う。
2005年05月08日(日)  80円で終わった恋
社会人になりたての頃、仕事が終わって男の人と食事に行った。

渋谷で待ち合わせをして、タクシーに乗って青山に行った。
短いタクシーの車内で私たちは楽しく言葉を交わしたけれど、
運転手さんが曲がるべき角を飛ばしてしまった途端、一緒にいた男性は運転手を罵倒した。運転手は何度も謝ってUターンも出来ない場所を無理やりUターンして、元の場所に戻り、元々曲がるはずだった交差点を右折した。
660円で結構ですと、運転手が言ったときのメーターは740円だったけど、当然だと男性は言って、340円のお釣りをひったくる様に受け取り、舌打ちをして車をおりた。

私は、さっさとこの場から帰ろうと思った。
その男の人を一瞬で大嫌いになれてしまった。
実際、帰った。


優しくない男性が嫌いだと言いたいわけじゃない。
ケチな男が嫌いだと言いたいわけでもない。
心が狭い人が嫌いなのだ。

ということを、女友達に言ったら、あんたこそ心が狭い、と言った。

好かれたくて努力をすることは可愛いことだと思う。
だけど、私以外の人間に接する相手のことも見ているはずなのに。
私の前でこんなことをやって、振り返ってにっこり笑顔を振り撒かれても、私はその人を好きになれるはずがないのに、どうしてそれがわからないんだろう。
それが不思議だし、バカバカしいとも思った。

80円くらいどうでもいいじゃん。
道を間違えただけ、どうでもいいじゃん。
ちゃんと目的のお店の前で降ろしてくれたんだから、別にいいじゃん。
愛想振りまいて、ありがとうくらい言って車を降りれないものかしら。
それくらいのこと、どうして出来ないのかしら。


とにかく、心が狭いヤツは大嫌いだ。
いちいち強気なヤツは、とにかく大嫌いだ。
2005年05月07日(土)  父、退職
連休前に母から電話があり、「お父さん、5月一杯で会社辞めるかもしれないわよ」と言われた。
あーん、なるほど。と私は思った。
父は、何十年間もサラリーマンを続けてきたけれど、私が思うに父という人はサラリーマンの人ではない。たとえば、誰も興味を持ってくれなかろうと、自分のこだわりだけで何かの店を開いたりするオヤジなのだ。
だけどその反面、父という人は、自分に興味のない範囲では完全に流されてしまう人なので、だからこそたぶんこれまでサラリーマンでいたのかもしれない。
父が会社を辞めると聞いて、遅すぎたくらいだと思う。

もう50代の半ばにきた父のことだから、ここでやめてもいいだろうと思ったのかもしれない。私は特にそれにたいして言うことはない。

異母兄にそのことを話したら、「じゃあ、東京に遊びに来ればいいよ、東京ドームに連れてってあげるよ、ナイター観に行こうよ」と言った。
だけど、私はそのことを父には伝えない。
異母兄に意地悪をしているのかもしれない。
けれど、それ以上に思うのは、父が東京に来てしまうと母が淋しくなると思ったからだ。

いつも母と電話で話すときは、母から電話をかけてくることがほとんどで、特に用事もなければ私から電話をすることはない。そして、気づいてみれば母に尋ねたい用件など皆無に等しい。
母が電話をしてくるときは、何か聞いて欲しいことがある場合がほとんどだ。

連休中、私は旅行に出かけていた。5日に東京に戻ってくると言ったら、ちょうど5日の夜に電話がかかってきた。連休前にも電話をしてきたばかりなのに、何の用だろうと思っていると、ただ単に「いま、帰ってきたのね、ああそう」と私が帰ってきたかどうかを確認するだけの用件だったりする。
たまに、母は執拗なほど私の動向を逐一確認しないと気が済まないときがある。
一緒に住んでいるわけでもないのに、私がぽつんと言った予定通りに自宅に帰らないことを、母はひどく心配したり、干渉したりするのだ。
私のことをかまいたくなるときは、母が淋しいと思っている証拠だと私は最近思う。

母にとって、父が会社をやめることは、一体なにを思わせるのだろう。
いつもは居ない人が、家にいる、ということは一体母にとってどんなことになるのだろう。
今はそうでもないのだけれど、私が幼い頃の父は土曜日も日曜日もなく、毎日働いていた。それほどまでにして仕事のために家をあけていた人が、ずっと一日中家にいるということは、母にとってどんな感じなのだろう。

昔の、ひどくキザな曲の歌詞に「女はこのままでと願い、男はこのままじゃいけないと願う」というような歌詞があった。

母は家の中が変わりつつあることに、淋しさを覚えているのかもしれない。

土日もなく働いていた会社なのに、あと数年で定年なのに、父はあっさり辞めることを決心した。希望通り辞められるかどうかはわからないけれど、いまどき、50代の自己退職者を受け入れない会社はないだろう。
父のそのきっかけが私は何かまったく想像がつかないけれど、これから父が何を始めるのか、どうするのかは知らないけれど、父がそう決めたのなら、それでいいのではないのだろうか。


父は、会社を辞める。
私は、父が決めたことならそれでいいのではないかと思う。
兄は、東京に遊びに来ればと父を誘う。
母だけが取り残される。
母だけがひとり取り残される。
2005年05月06日(金)  6日(金)お仕事。
6日(金)お仕事。
飛び飛び連休の合間の仕事の日は、やる気が出ないことこの上ない。
あるわけないよ、やる気なんて。
なに。なにをすればいいの? なんの仕事をすればいいんだっけ?
打ち合わせの約束もなし、商談のアポがあるわけでもなく、じゃあ6日も休んじゃえばいいじゃん、有給とればいいじゃん、と思うんだけど、これまたデスクワークがこんもり盛り上がっている。
書類が、デスクの上にずっと積みあがっていて、一番下の書類なんかいつ置いたものかもわからないものばかりです。デスクの地肌をここ数ヶ月見たことがないよ、というくらいモノが溢れています。さすがO型。

で、そういう書類ごとは早く書いて早く出さなきゃいけないんだけど、一気に集中してにササッとやるのが一番いい。短期集中型でパパッとやるのが一番いい。ということで、まだ集中の神が私に下りてこないし、気がむかないのでまだやらない。
とりあえず、提出期限の早い順から並べ替えて、きれいに揃えて積み直したくらいで、終了。
やらない、まだやりません。

ところで、来週の出張は新幹線で行く予定が飛行機で行くことになりました。
飛行機で行くにも新幹線で行くにもどうにも微妙な距離があったので、だったら短い移動時間ですむ飛行機にしようじゃないかと、会社でチケットをとってくれたのですが、それがJ○L機。
今のこのご時世、誰が喜んでJ○Lに乗りましょうか。
あそこ危ないって、最近危ないって。あの航空会社ばっかりじゃん。事故とかトラブルあるの。
なに。会社は私を殺したいのかしら? 私を亡きものにしたいのかしら?
世間って怖ろしいねぇ。


というかんじで、特に仕事もせずだらだらと他人の連休旅行のお土産のお菓子を食べ、自分の買ってきたお土産のお菓子を食べ、ゲラゲラ笑って定時に退社。
2005年05月05日(木)  ダイヤ
夜の空港がとてつもなく大好きだ。

着陸した飛行機の窓から見える空港は、本当にきれいだと思う。
滑走路に沿って輝く青や黄色や緑の電球は、真ん丸くて規則正しくて、その順列に意味がある。
本当にきれいだと思うけれど、だけどちょっと淋しくなる。

夜の羽田空港にたどり着いたら、明日からまた休み前の生活に戻って、明日からまた仕事が始まるのだ。長かった連休ももう終わっちゃったんだなぁと思わせる。帰ってきてしまったんだなぁと思う。

楽しいことは短いからこそ、その記憶は楽しいものになるのかもしれない。
短いから楽しくて、得てして楽しいことはあっという間に終わってしまう。

長丸い窓におでこをくっつけて、夜の空港を眺めていた。
着陸の衝撃にも恋人は目を覚まさずに、首を折ってまだ眠っている。
その横顔が、夜の空港の風景に透けて見えた。
2005年05月04日(水)  嘘本当
連休なので、旅行に行きました。
恋人が、4月からずっと出張に出かけていたので、それを利用して、恋人の帰りの飛行機チケットの日程を変更させ(延期させ)、私が彼を追いかけて逃避行し、合流し、食べて飲んで遊んだのです。

で、その旅行の中で一番記憶に残ったことは、恋人が私のメガネを踏みつけてフレームがくねってしまったことですと言うのは嘘で、いや踏みつけたのは本当、一番記憶に残ったと言うところが嘘、旅行に来ていることは本当、逃避行したというのは嘘、合流したのは本当で、最近の私は便秘。

さて、その旅行の中で一番面白かったことは、夜、恋人がベッドに寝転がって腕から生えている白くて異様に長い毛ってよくあるじゃないですか、自分のあれをしげしげと大事そうに眺めていたことですと言うのは嘘で、色素の抜けきった長い毛があったことは本当、一番面白かったと言うのが嘘、しげしげと眺めていた姿は本当、長さを計測してみたかったけれど定規がなかったので残念だった。東京に帰ってきて探してみたらもうなかった。旅先に大事な毛を落としてきてしまったようです。

ひとつわかったことはねぇ、世の中が休みの時には旅行をすべきでない、ということね。
けど、美味しかった。食事が美味しかった。
最近までかなり仕事が忙しく食事もあんまりちゃんとしてなかったため、急激にたらふく食べて飲んだら便秘がすごいことになってしまったというのが本当の本当。
2005年05月03日(火)  爪先を追いかける
朝の飛行機に乗って昼間の空港に降り立って、電車に乗って街に出た。

ホテルに荷物を置いてタバコを吸いながら部屋を眺め回し、テレビをつけっぱなしで観光ガイドを読んでいたけれど、特に目ぼしいものも見つからなかったので、散歩に出ることにした。

ホテルを出て角を右に曲がって、ずっとずっと真っ直ぐの道を歩く。
どこまで行けばこの道は途切れるのか、どこまで行けばこの道はカーブするのか。
地理もよくわからない場所をただひたすら歩いてみた。
立ち並ぶ店やビルをただ見上げるだけでただひたすら歩いてみた。
聞き覚えのない言葉が耳をかすめ、少し冷たい風が耳の下をくすぐった。
かつかつとヒールを鳴らしてただひたすら歩いてみた。

お腹がすいたので立ち止まってみた。
何か食べようかと辺りを見回してみた。

そこは広い広い公園で、つやつやした緑の芝と、真ん中に大きな噴水が水しぶきを飛ばしていた。眩しいくらいの緑と白の世界で、小道を歩く人もベンチに腰掛ける人も、犬を散歩させる人もジョギングする人も絵を描く人もフリスビーを投げる人も、誰も誰も居ない。ただ殺風景だけれど眩しい世界にたどり着いた。

私は芝の目に沿ってただただ歩いてみた。
右足は左足を越え、左足は右足の前に進む。
歩くことは楽しい。歩くことは面白い。歩くことは無心で、歩いて世界に没頭する。

芝の目に沿ってくるくる回りながら、時々真っ直ぐ進みながら、たまにターンしながら、私は歩いてみた。無意識に動く自分の足を見つめて歩いていたら、誰かの爪先にぶつかった。

ふと見上げると、知った顔がそこにあった。
2005年05月02日(月)  心に比べれば
どれくらい眠ったろう。

背中の皮膚がベッドのシーツに引っかかって、重い上半身を起こしたら背中が裂けた。ベッドに手をついて足を床に下ろし腰をあげたら、まだ眠りから醒めていなかった骨盤が、事も無げに欠けてバラバラの破片になった。
私の左足は窓をむき、右足はテーブルの足を指で指している。大きな音を立て頭が転がった。ひんやりと頬に当たる床は気持ちがよく、髪の毛が視界を覆い唇から涎が流れる。鼻と顔を繋ぐ皮膚は薄く、まつ毛が涙のようにさらりさらりと落ちていく。へこんだ腹の中には何も入っていない。腕はどこに行ったのだろう。

骨のない、内臓のない、身のない、理由のない、意味のない体。
心に比べれば体など意味がない。
ハートがあれば体になど用は無い。

どれくらい眠ったろう。
カーテンの後ろが明るくなって暗くなって、それが何度も繰り返されて
どれくらい眠ったろう。
私は一体、どれくらい眠ったろう。
2005年05月01日(日)  強烈な赤
昔、「あんたを産まなきゃよかった」と、息子に言った母親がいた。

従姉妹が妊娠し、同僚が産休に入り、友人が出産した。
張ったお腹を、恐々触らせてもらったことがある。
とても硬かった。それが驚きだった。
確かに中に何かが入っている、そんな感覚で、だからこそそれが新鮮で驚きだった。
母親になった友人は、何かが変わった。
確かに何かが変わったけれど、それが何かは私にはわからない。

電車の中、赤ん坊を抱いた女性が私の隣に座った。
腕に抱かれて、母親と向かい合った赤ん坊の小さな足が、私の太ももに触れていた。
小さくて白くて柔らかな足だった。
それはとても小さかった。
驚くほど小さくて、胸が締め付けられるほど小さくて、それはあまりにも儚いために胸が締め付けられるのではなく、何か失われてしまいそうな、何か奪われてしまいそうな、そんな怖さが胸を締め付けた。それほどその足は小さかったのだ。
赤ん坊を見て、胸が締め付けられる気持ちは、混みあった人の群れの中、大切なものを落とした感覚に似ている。大切な誰かとはぐれてしまう気持ちに似ている。

私は、よく夢を見る。
いつも同じ夢だ。
自分の大切な赤ん坊を、手を滑らせてしまい、ぐつぐつ湯が煮えたぎる大きな鍋の中に落としてしまう夢だ。ふやけて溶けてしまったチョコレートみたいに、肌色はみるみる膨張してより透きとおる。目玉は鍋の底に沈んで、唇は強烈な赤さを放っている、そんな夢。
私は、パニックになって助け出そうとするけれど、ただその透きとおった肌色と、ふやけた黒い目玉と、強烈な赤色をずっと見続けていたい気持ちにもなった。
いつも同じ夢を見る。


小さいから、可愛いから、自分の血を引く者だから、好きな人の子供が欲しいから。
子供が欲しいと言う人は、子供の身になって子供を欲しがらない。
キャッチボールをしたいから、ピアノを習わせたいから、可愛い洋服を着せたいから。
とてもバカバカしい理由だと思う。

「可愛いですね」と、その場でお愛想を言うだけなら何度だって出来る。
その場だけ、子供をあやして、可愛いなぁと思うことなら簡単に出来る。
けれど、子供を産んだら、産んでから自分が死んでしまうまで、その子供に責任を持たなければならない。子供を産んだら、親であることを放棄できない。一生、親であり続けなければならないのだ。

それが出来るのかと自分に問えば、出来ないと考える。
だから、子供は要らないのだ。
欲しいと思えないのだ。
きっと、私が子供を産んでも、湯がグツグツ煮えたぎる大きな鍋の中に手を滑らせて落としてしまうかもしれないからだ。
「あんたを産まなきゃよかった」と、私はいつか誰かに言ってしまうような気がするのだ。
あの母親のように。
そう言われた息子の運命を、私はもう知らない。知る術がない。
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