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2005年03月31日(木)  メル友について
よし、書くことがないときは、メル友の話しをしようじゃないか。
よし、メル友の話しをしよう。

私にはもう2年か3年くらい続いているメル友がいます。
たぶん、「メル友」っていう関係だと思います。
メル友っていうのは、メールでしか会話したことがない関係という定義が前提です。ややニホンゴオカシイ気もするけど、まあよろしい。

どんな会話をしているかというと、
「仕事が忙しいよー」
「歯が痛いよー」
などという、仕事の愚痴?または恋の話?あとは、どうでもいい歯がイタイの話し。
とにかく、現実に会ったことがない人なので、メールでしかその接点がないわけ。とはいうものの、メールでしかコミュニケーションとる方法がないからこそ、一生懸命応えようという気にはなるわね。
そうよね?

それにしても、かなり続いているね。3年近くもやっているなんて、すごいね。

よくサイトを見てメールをくれる方々がいますが、その内容はほとんど、私が書いたことに対しての話題が多いですよね。当たり前かもしれないけど。
私がまずウェブ上で誰に話しかけるわけでもなく何か思ったことを書く。それにたいしてのリアクションが返って来る。そして、それについての話題が更に続く。ずっとずっと続く。だから、たまに私はこの話題をいつ収束していいのか、いつクロージングすればいいのかわからなくなる場合があります。そして、いつのまにやら私が返信をしないままフェイドアウト。そうすると、メールをくれた人は、「あ、あらあいさん、メールをくれなくなっちゃったわ……」なんて(たぶん)思って、二度と、二度と二度とメールをくれなくなる。そしてまた私はひとり言のように毎晩日記を書く。それの繰り返し、ね。
その点、どうしてこのメル友とは3年もメールのやり取りが出来るのか。
メールのやり取りったって、月に2往復・3往復するくらいですけど、その時間の緩やかさというか、メールのやり取りの間隔の広さから、話題が続かないために、いつだって新しい話題でメールをしつづけることができるわけです。

ん?
これって、メールをくれる間隔が広くて話題が続かないことを責めたてている様に聞こえますが、けしてそうではありません。けっしてそうではないのです。その間隔が続いていける秘訣かと。いや、別に秘訣というほど偉そうなものでもないのだけれど。
それに、サイトを見てくださってメールを下さるなんて有難いことですよ。ホントに。べつに、毎回、「この話題はいつ終わればいいんだろー」って悩んでいたりうっとうしがっていたりするわけではなく、ただ悩むときは時々あるというだけであって、別に変な意味ではないのですけどね。

なんだかまとまらなくなったので、終わり。
2005年03月30日(水)  お詫び
季節の変わり目だからだとは思いますが、体のあらゆるところが痒い。特に顔が痒い。発疹みたいなのが出来てしまいました。これはファンデーション塗らないほうがいいのかしら、と思ったので、ほとんどスッピンで仕事をしています。

周りの皆さんには、素顔をお見せすることになってしまい大変申し訳ない。
お見苦しい点がありましたことを深くお詫びいたします。

しかし、痒いものは痒い。疲れているから肌のコンディションなんていいわけない。かきすぎてホッペや額が真っ赤っか。なんか田舎の鼻垂れたビンボーな子供みたいに顔が赤いです。

なんとかならないものかしら。
2005年03月29日(火)  イチャイチャシタイ
さて、何も書くことがないときは恋人のことを書くのが手っ取り早い。
というか、恋愛のことを書くのが一番手っ取り早い。

がしかし、忙しくて会う時間もなく、電話すらしていない。メールを受信してから12時間後くらいに返信するくらい。まったく会話が噛みあいません。

付き合いはじめのころは、「全然、会う時間ないじゃない!」と私が文句を言い、彼が「だってしょうがないでしょ、仕事なんだもん」と言っていたのが、今じゃ逆転し、「また仕事? いつ会えるの?」と恋人が言い、私が「忙しいんだもん、しょうがないでしょう」という形式になってしまっています。

いやまあ、お互い大人なんだから、仕事というものの前では駄々がこねられるわけでもなく、背中に痛い野次を受けながらも、日曜日だって出勤しているのです。

ハヤク、ハヤク、この辛い状況を抜け、ハヤク、ハヤク、恋人とイチャイチャしたい。
あー、ハヤクイチャイチャシタイ。
2005年03月28日(月)  教育するザマス
最近、何も考えていないので、書くことがありません。
土日も仕事。
休みもなく期末を終え、新しい年が始まってしまいました。
自分の時間がないためにこんなにも書くことがないとは自分でも驚きですが、ホントに日々何にもありません。仕事だらけです。

4月から、我が課に新卒の女の子が入ってくるそうで、私はその教育係となりました。まだ本人に会ってはいないのですが、教育プログラム(名刺交換の仕方からアポとり商談のロープレまで)を本人が配属になるまでに考えなければいけません。
が、面倒くさい。
去年の新人がやったプログラムを丸々もらおうかと思い、去年の新人にその時の資料持ってる?と聞いたら誰も持ってないとのこと。役立たずめ。
年下の面倒見るなんて、私の性にあいません。
かなり憂鬱です。
2005年03月27日(日)  モルジブはさてどこにあるのか
メガネをした男性ほど、せくすぃーなものはないと思う。
普段かけない人がかけているほど、せくすぃーさは増します。
オタクっぽい人がかけるメガネは除いて。

恋人が花粉症のおかげでコンタクトを取りやめ、メガネをかけているので、もう嬉しくってしょうがない。せくすぃーですね?!せくすぃーですね?!と喜んでいる。私もメガネを持ってはいるが、かけるとSM女王様みたいになるので、せくすぃーと言うよりかは、誰も怖がって近寄ろうとはしてくれなくなる。

で、メガネってキスするときちょっと邪魔じゃない?でもさー、それがまたちょっとヤらしい。私も恋人も普段まったくメガネをしないので、メガネをしてするキスの距離感がつかめない。べつにガシャガシャメガネがぶつかるわけじゃないのに、ぶつからないかなーと逆に気になってしまうのだ。それがオモシレい。

わざと、私がメガネをして、ねえちょっとキスしようよ!メガネしてキスしてみようよ、つってわざとがしゃがしゃメガネをぶつけるのが面白くって仕方ない、ヤらしくって仕方がない。やらしー!やらしぃー!と喜びながら、ねぇーモウ一回!と言ってまたがしゃがしゃぶつけて喜ぶ。
恋人はどうにか花粉症のない生活を手に入れようと、「花粉症のない国」とグーグルで検索しては真剣に移住を考えている。


ねぇー!もう一回! がしゃがしゃ ぎゃっはっはー!ヤらしーよヤらしーよ!

沖縄は花粉が飛んでないんだって。上海もないんだって。

もっかいやってー!もっかいキスしよー! がしゃがしゃ やー!やらしー!バシバシ。

モルジブもないんだってさ。でも、あっちのほうは、いま地震が心配だよなー。

ねー!やらしくないー?やらしいよねー!もっかいしてー!もっかい!

モルジブでリゾート満喫したい。花粉症と手を切りたい。水上コテージとか、いい。

メガネかちゃかちゃしてキスってエロクない?エロイと思う!エロイ、ヤらしー。

モルジブ安いなー。安い。   ……もう、メガネ壊れるからそろそろヤメテ。
2005年03月26日(土)  バカ殿
個人情報保護法、個人情報保護法、個人情報保護法。
こじんじょうほーのおべんきょ、おべんきょうー。
プライバシーマーク、プライバシーマーク、プライバシーマーク。
ピーマーク、Pマーク。
数十万人の派遣スタッフの個人情報。数十万件の企業情報。
情報の保護。情報漏えい防止。

毎晩、勉強会ばっかりー。
眠っちゃう、居眠りしちゃう。でも、おべんきょーう。おべんきょうー。
瞼に目書いとくー。かいとくー。


スタッフサービスのサービス残業で自殺で労災。賠償責任。
自殺過労死。企業の代価は30億円。
かろーしー、かろーしー。
残業するなって叱られたー。
人事から叱られたー。
年間の自分の残業時間見せられて、びつくりしたー。
働きすぎー。
疲れて死んじゃうー。
お前はブラックリストに入っている
っていわれたー。
ブラックリストっていうのは、残業しすぎの社員リストで、
人事から要注意人物としてみなされて人たちのリストだってー。
あははん。はははん。
じゃあ、社員の数を増やしてください。業務を分散させてくださいって思うけどー。

クライアントの担当者に
「私が、いつ過労死するかわからないので、契約してください」と、冗談で言ったら
「や、やっぱり人材系のお仕事って、相当キツイんですね?!」といわれた。
冗談ですから。

そうこう言っても、来年度、私は出張三昧でございます。
通常の業務に加え、いろいろと出張に行く羽目になりましたです。
東京からふたり選ばれて東日本・西日本担当で出張に行かなければ行けないのですがー、
私が西日本担当です。どうぞよろしく。
出来れば、東日本がよかった。だって、そっちのほうがエリアも狭いし
地方の支社も東京からさほど遠くないじゃないか。
あたしなんか、九州まで行かなきゃなんだよ、むかつくー。
変わって下さい、と東日本担当に言ったら「やーだねー」といわれた。

先日、社長がうちのフロアに遊びに、遊びに!遊びに来ていたので、
「わたし、西日本担当ですか?どうしても西日本担当ですか?」
と聞いたら、
「そうだよぉー」とニコニコして言うので、
「西日本、広いんですけど」というと
「きみ、四国出身なんだってね。いいじゃないの、西日本は馴染みがあるでしょう」
と言った。あるわけないじゃん、ばーか。と言えなかった。
「僕が、あいさんの出張に行く先々の美味いものリスト書いてあげるから、あとで渡すねー」とニコニコするので、よけいハラタツ。
はらたつのり。
このしゃちょさんはあまりにもニコニコした人なので、ふとした瞬間、バカ殿に見える。
2005年03月25日(金)  なぜ、私が選ばれたか
私は異母兄を傷つけてしまった。

なんでもない話が膨らんで、私は兄に酷いことを言ってしまった。
その酷い言葉が私の一体どこから沸きあがってきた言葉なのか。
意識的に心で思ったことがあっただろうか。
無意識のうちに私はそんな酷いことを考えていたのだろうか。

どちらにせよ、兄が絶句したことには違いない。
そして、そのあと兄が無口になったことには変わりない。


私はよく夢を見る。
幼い私が現れる夢が多い。
今の私には記憶すらない、私の小さかった頃の夢。
それが実体験なのか、欲望や欲求から来る夢なのか、それさえも区別がつかないほど幼い頃の私が現れる夢。

私は兄と父母と一緒に暮らしている夢を見た。
父が食卓につき、母が私と兄に「ごはんよ」と声をかける。
兄が先に椅子に腰掛けると、母がにっこり笑って兄に箸を手渡した。
父が兄の皿に料理を盛って、「いっぱい食べようね」と言った。
私はそんな三人の姿を見て、自分の存在がとても心細く薄っぺらく思えた。
父と母は私にもそんなに優しくしてくれるのだろうか。
私も兄と同じように優しくしてもらえるのだろうか。
父と母は私のことを忘れてやしないだろうか。
自分たちの子はたったひとり。兄、たった一人だと思っていないだろうか。
私もここにいるのに。私も父と母の子供なのに。
私は兄に複雑な嫉妬をおぼえる。

お兄ちゃん、一緒に遊ぼうよと私は言う。
イヤだよ、僕は友だちと一緒に遊ぶんだからと兄は答える。
私も連れて行ってよと行ったら、
兄は私を振り切るように立ち上がり、家を飛び出した。
兄は走る。私は置いていかれないように追いかける。
そしてこう思っている。
このまま兄を出かけさせては、もう二度と兄は家には帰ってこないかもしれない。
このまま兄を見失っては、兄は家までひとりで帰ってこれないかもしれない。
夕方になって友だちが家に帰っても、兄はうちがわからずに泣きながら道に迷ってしまうかもしれない。私がいなければ、兄はひとりで家になんか帰ってこられない。私は、ちゃんと兄が家まで帰ってこられるよう、一緒に居てあげるんだ。兄を見守ってあげるんだ。
お兄ちゃんがいなくなったら、淋しいから。
お兄ちゃんが道に迷ったら、かわいそうだから。

だけど、私の足では兄の速さに追いつかない。
みるみる間に兄の後しろ姿は見えなくなって、私は躓いてこけた。
悲しくて痛くて、膝小僧には血が滲んでいた。
淋しくて淋しくて、ふと、兄は家に帰ってきたくなかったのかもしれないと思った。
私が邪魔で、私が嫌いで、だからあんなに、一生懸命走ったのだろうか。



折り合いをつける、とはどういうことだろう。
家族の間で折り合いをつける、自分自身の中で折り合いをつけるということは一体どういうことだろう。
その言葉を使うとしたら、私はまだまだ自分自身の中で折り合いをつけられていないのだ。
だけど、今の現実では、私の納得も私の折り合いも必要ないまま、家族は毎日生活をして、私は私の生活を、兄は兄の生活を、父も母もそれぞれに生きている。だけど、私たちは血のつながりがあり、そして家族である。兄の母も含め、私たちはそれを望もうが望まないでいようが、容赦なく繋がってしまっているのだ。

私が、家族に対して複雑な思いを抱えているからといって、なにがどうなるわけでもない。
現実は、こうなってしまっているのだから。
捨てたくても、私は逃れられないし、
そして同じくらい、私には失えない大切なものでもある。
両極端の思いの中で私はどうやって存在すればいいのだろう。

兄、父、母、兄の母親、そして私。
私はその5人の中で一番年下であり、一番最後に生まれてきた人間だ。
私は翻弄されているのだろうか。私は周りの人間に翻弄されているのだろうか。
生まれてきて、何もしていないのに、この状況を無条件で受け入れなければいけない立場だったのだろうか。

だとしたら、私は私として生まれなければ良かったと思う。
私という魂が、私という体を得て、生まれてこなければ良かったと思う。
私は少しも今を望んでないし、折り合いもつけてはいない。
だけれど、今という現実がある以上、私は私として兄を傷つけることがあってはならないとも思う。
2005年03月24日(木)  今年は40倍
花粉症の方、ツライ季節真っ只中ですね。大丈夫ですか。

営業に回るとどこに行っても花粉症の話題になります。
花粉が舞ってますねぇ、あいさんは花粉症ですか?なんてよく聞かれます。
同僚の女の子も花粉症で目は真っ赤だし、鼻声です。かわいそうに鼻ばっかりかむので鼻の皮がむけむけです。

今年は昨年の何十倍の花粉が舞うらしいね。
私の恋人も花粉症で、最近は神経質なほど花粉退治に気を配っています。
外から戻ったら、目を光らせて私が服をはたくところを監視しているし、ちゃんとはたかなかったら家にもあげてくれません。はたきが弱いところはバシバシ叩いてくれますし、手洗い・うがいだって強制されます。
僕がキミの家に来ないときもちゃんと花粉を落としてから家に入るように!と注意をされています。なんでさー、面倒だサーと言ったら、僕がキミんちに入ったら一発でわかるよ!花粉を家に上げたってわかるんだから!と言います。
マスク・ゴーグルは必須アイテムだそうです。夜道でゴーグルとマスクをした恋人に会うと怪しい人間、若しくは変態にしか見えないのだけれど。
朝起きて換気しようと窓を開けたらお尻を叩かれる。少しでも汚れたらすぐ掃除。髪の毛をごしごし洗えと命令する。手洗いは指の間も爪の中も洗えと見張られ、いやはや、かなり私も花粉症対策を強いられています。
そのおかげかどうか、多少くしゃみが出たりすることがあるものの、鼻水は全くなし。おかげさまで、異常に花粉が多いといわれる今年も何とか乗り切れそうです。

でも、花粉症の人って大変なんだね。
恋人は、くしゃみ、鼻水、目の痒さはもちろんのこと、皮膚が痒くなったり喉が痛くてセキまで出たり、少しむくみがちだったり、あまりにもくしゃみをするので頭痛がしたりするらしい。風邪じゃないかとも思ったけど、診断してもらったら風邪ではなかったらしい。今年はまったく薬が効かないみたいで、くしゃみが出て夜もあんまり眠れないみたい。
かわいそう。
夜寝れない恋人をよそに私はぐっすり眠れてしまう。
ごめんなさいね。

それでも、あまりにも辛そうなので「花粉症に効くハーブティー」を買ってハチミツをいれてあげた。すごく美味しい。花粉症じゃない私のほうがいっぱい飲んでる。


今日も恋人はくしゃみをする。うちのボックスティッシュはもう4個目をあけました。
かわいそうかわいそうと言っても、余計にかわいそうなので、彼にとって辛い春を忘れさせてあげようと、夏の遊びの計画をたてることにします。
2005年03月23日(水)  美化されてこそ
春になりかけのこの頃。
暖かかった日の夜は、生ぬるい風がひゅいっと首を撫でて、
まだその暖かさに慣れない体が、ふわふわと空を飛んでいるような気になる。
地に足が着いていないような、気持ちをどこかに置いてきてしまったような、
どこか心が軽く、どこかそわそわしながら、
もうすぐ春だと感じたその夜、高く空を見上げながら、
ひとつあることを思い出した。


ヒロキにはお父さんがいない。ずっとずっと昔に出て行ったそうだ。
うちのお父さんには隠し子がいたんだよ、と私が言ったら、
家族が増えていいじゃない、とヒロキは笑った。
ああそうか、と私もつられて笑った。

仕事中、ヒロキの昼休みの時間に合わせて新宿駅で待ち合わせをした。
駅ビルの最上階から見渡す東京の景色は、煙っていて美しくない。
食事をして下りエスカレーターで、また駅に戻る。
私の前に立っていたヒロキは振り返る。
ちょうど振り返ったら私と同じ目線になって、そしてニッコリと笑った。

うちのソファーでしくしくとヒロキは泣く。
男の人の涙は女の人の涙より、ずっとずっと強力な武器だ。
泣かないで泣かないでと私はヒロキの頭を撫でる。
私が支えていたヒロキの体は、耐え難いほど重かった。


その駅におりたって、私はどちらに向かって歩けばいいのかわからない。
目に入った喫茶店に入り、私はアイスティーを飲む。
窓から大きな桜の樹が見えている。風が吹くたび花びらを散らせているけれど、その花びらはいつまでも枯れることがないように思える。
清潔なテーブルクロスの模様を指でなぞって、ヒロキからの電話を待った。
この街のどこかにヒロキは暮らしている。
だけど、私はヒロキの家を知らない。
ヒロキの彼女の顔も知らなくて、私の前で見せる以外の彼を私は知らない。
窓の外の桜は花びらを散らせて、テーブルクロスには暖かい春の光が降り注いでいるけれど、いつまでたってもヒロキから電話はかかってこない。


春になるたびちらちらと思い出すその記憶は、けれどいつしかきっと色あせていく。
それに比例して、まだ少し残ったその記憶はどんどん美化されていくのだろう。
春を迎えれば迎えるほど、記憶の欠片が残れば残るほど。

記憶は美化されてこそ心に残り、自分自身を慰めるのだ。
2005年03月22日(火)  悲劇と喜劇について考える
悲劇と喜劇について考える。

苦しいことは悲劇で、逃げることは喜劇だ。
省みることは喜劇で、自己嫌悪は悲劇だ。

子供を作るということは喜劇で
親になることは悲劇だ。

孤独であることは喜劇で
ふたりであることは悲劇だ。

誰かを傷つけるのは悲劇だけど
傷つけられることは喜劇かもしれない。

喜劇を客観視するその視点はきっと悲劇で、
悲劇の裏側はきっと喜劇だ。


私は子供の頃、誰もいない家でずっとひとりで過ごした。
家に一人でいるということを、淋しく思ったことはあまりない。
それ自体、喜劇だと思う。

誰かを好きにならずにはいられなくて、誰かと恋愛しないではいられなかった。
それはとても悲劇なことだと思う。

手を繋ぐこととセックスをすることは違う。
だけれど、ふたりで暮らすことと結婚することは同じように思える。

なにが喜劇でなにが悲劇なのだろう。
喜劇とは何か、悲劇とは何か。
2005年03月21日(月)  想像してごらん
想像しない人間が私は大嫌いだ。
想像してみようと思えない人間が私は大嫌いで
考えない人が大嫌いだ。

結論ではなく、プロセスを。

人間の一番素敵に見える部分は、その横顔だと私は思う。

あなたはどう思いますか。
2005年03月20日(日)  ワッショイ松井
画面を見ずにタイピングに挑戦。


[御題]
タレント、ガッツ石松(55)が25日、東京・文京区のラクーアガーデンステージで約600人のファンを前に新曲「ガッツ人生 ワッショイ祭り〜OK牧場〜」の発売記念イベントを行った。

[チャレンジ1]
タレント、ガッツ石島rつ‘77’は26日、東京・文京区のラクーアジャーでンステージで焼く60−0人のファンを前に新曲「ガッツ人生 ワッショイ松井〜OK牧場から」はtル倍記念イベントを行った・

まあまあいけてるけれど、
ワッショイ松井。
2005年03月19日(土)  眠る前に思い出す
暗くて高い天井を眺めていたら、いろいろな思いが浮かんできて、眠れそうにもなかった。疲れていて眠りたいのだけれど、眠るよりも何かをじっと思うことをやめられない。


今日、帰りの電車を待つホームで、ある二人を見ていた。
男は、電車を待つ列に並び、女は、その男の横顔に向かい合うように立ち俯いていた。
ふたりのあいだには会話もなく、お互いに醒めたような泣く寸前のような顔つきでじっと立っていた。
女がゆっくりと視線をあげて男の顔を見つめる。けれど、男はそれに答えずただ前を向くばかりだ。何かを懇願するような女の目線を見ていると、私は首を横に振りたくなる。たぶん、彼女の望むことを、男は受け入れはしないだろうと思った。諦めるべきだと思った。だから、首を横に振りたくなった。
女が唇を動かし何かを呟いたけれど、男は自分のつま先に視線を落とすだけで、何も答えようとはしなかった。

やがて、電車が風をふかして到着し、扉を開いた。
私の前の座席に男は座り、その背中は何も言わずホームに立つ女に向けられていた。
女は、その背中にただ視線を向けるだけで、振り返ってくれることをただ心の中で強く願うことしか出来ないだろう。男は目を閉じじっと俯いている。私は女と向かい合うような格好で、そのふたりを見ていた。
扉は閉まり、電車は走り出す。
女は走り過ぎ去る電車を、目で追いかけることしかできない。


ずっと以前、渋谷駅の改札の前で私も同じような目にあったことがある。
もう帰ろうと言う男性とまだ一緒にいたいと思う私と、そんな言いあいをしながら駅まで歩き、そして改札の前で、またねと手を振って男性は定期券で改札をくぐった。私はずっとむくれて、人の流れの多い場所に、今にも泣いてしまいそうな顔でずっと立ち尽くしていた。
どれだけたったかわからないけれど、やがて呆れたような顔で男性が戻ってきた。
その人は、「今を急ぐことはない」と言った。「また会えるし、いつだって会える。だから、今を急ぐことはない」と言った。それでも、私は「今、一緒にいたいのだ」と答え、彼は黙って俯き静かに歩いて、また改札をくぐった。
私はそんな背中をずっと見ていた。振り返れ、振り返れと願いながら、ずっと見ていたけれど、ついに彼は振り返らなかった。
彼の姿が見えなくなってから、小さく手を振ってみた。彼の見えなくなった場所に小さく手を振ったら、とても自分が嫌になった。
その後、その人とどうなったかはもう忘れた。
2005年03月18日(金)  眠る前に考える
暗くて高い天井を眺めていたら、いろいろな思いが浮かんできて、眠れそうにもなかった。疲れていて眠りたいのだけれど、眠るよりも何かをじっと思うことをやめられない。


自分の結婚というものを考えてみた。
結婚はしてみたいと思う。もっと具体的に言えば「結婚式」にたいする女性としての普通の憧れはある。ただ、結婚生活をおくってみたいとはあまり思えない。まだ早いと思うし、まだ遠いと思える。では、いつになったら結婚生活をおくるに値する人間になれるのかどうか、私はそんな基準さえ持っていないのに、まだまだ早いと思っている。

誰かの親になることが怖いと思う。誰かひとりの人間に責任を持って育てられるのかどうか。子供が生まれたばかりと同様に、親になる人間もそこで初めて親になるのだから、最初から立派な親であることを自分に望むことは、無謀に違いない。けれど、生まれたばかりの赤ん坊は小さい。ため息で出るほど小さい。涙が出るほど小さいのだ。ひとりで生きていかれない存在なのだ。
そんな存在の親になるなんて、私にはまだ考えられない。

結婚するということは誰かの親になるということだろう。
そして、結婚する相手に望むことは、良き夫であるよりも、良き父親であって欲しいということだろう。素敵な夫婦であるよりも、素敵な両親でありたい。良い両親であることが良き夫婦であり、良い父親が私にとっては良き夫なのだろう。
そんな結婚が出来たら、私はとても幸せだろう。
2005年03月17日(木)  かまわないでちょーだい
引き篭もりになりたい。
ヒキコモラーになりたい。
ヒッキーになりたい。

私はきっと社会に出て仕事したり、友だちと会って飲んだり騒いだりするより、自分の家で菓子をバリバリ食べてコーラなんかごくごく飲んで、一日中テレビばかり見ているヒッキー、もしくはニートになったほうが性格的にはあっているのかもしれない。
いや、よくわかんないけど。
とにかく、ぼーっとしたい。
とにかく、誰とも喋らず、着替えず顔も洗わず髪もとかずに、ぼんやりと一日中過ごしたい。
それを一週間くらいやりきってみたい。
これが私の願望です。チープな願望です。

とかく、最近の休みの日はそんな風にすごしがちではあります。
今日だって、家から出たのはたった5分くらい。
ローソンに行くためだけね。なに買ったってタバコですけども。
けれど、たった土日だけでは満足できない。
とにかく、誰にも話しかけられたくない。
とにかく、ひとりでいたい。
2005年03月16日(水)  希望というものはもともと根拠などない
3月の頭に、課長よりも部長よりもずっとずっと上の人から、お前の課長をどうにかしてやれよ、と言われた。どうにかしてやれよというのは、メンバーと課長とのあいだに出来たちぐはぐなコミュニケーションやかみ合わない仕事を、なんとかしろよということなのだ。

勿論、課長はそんな内部の空気を感じて焦っているようだ。けれど、彼が焦れば焦るほど、溝は深まるばかりで、空気は刺々しくなるばかりだった。メンバーは悩みもしたし不安もあったけれど、結局はそんな状況の中で流されるままだったし、納得できないことも疑問を感じることにも目を瞑って仕事をしてきた。

そんな状況をどうにかしろよと言われたのだ。

どこかしら、4月からの人事異動でこの課長から離れ、この最悪な状況から抜け出せることを願ったけれど、結局、よくよく考えてみれば、私に「どうにかしろよ」と3月に発破をかけてくるということは、来年度も私はその課長と一緒に仕事をするという布石だったのかもしれない。


私は、黙っていられないタチだ。
自分自身、それを不幸に感じることもある。
主張が強いとか、反発心があるということなのかどうかはわからない。
若しくは、ただ気取って正義感ぶっているだけなのかもしれない。

私は、自分自身に納得しないと、どうしても仕事に身が入らないのだ。
自分に嘘をつきたくないからだろうか?
それほど格好よいことでもない。
なぜ、自分がこの仕事をしてその結果何が生まれるのか、私はそれを知りたがり、その全貌を把握してないと気がすまないのだろう。

自分が納得しないでも言われたことを素直にただ仕事できる人もいるらしい。
私は、そんな人たちを見ながら、自分の中の「納得することの拘り」をより一層感じる。


だからこそ、そんな状況下で一番疑問を感じていたのは、私自身だった。誰よりも誰よりも。「どうにかしろよ」と言われたのもそんな性質があるからこそ、ということもあったかもしれない。


来年度の人事が決定し、発表があった。
任される仕事と課内の顔触れを見て、(勿論変わらない課長と、半分以上メンバーの入れ替わりがあった)自分の立場を知ろうと思った。


私は、今の状況に人一倍敏感になり、危機感を感じていた人間にもかかわらず、先頭に立って組織を引っ張る立場でいようとは思わなかった。避けてきたからだ。これまで、誰かをおだてては先頭を人に預け、自分は悠々と一番後ろから歩いていくタイプだったかもしれない。誰かが置いていかれそうになったら「どうしたの?」と聞いてフォローしていくような、ただそんなことばかりしていただけだった。
ただ単に面倒だったからだ。皆を引っ張っていくことを面倒に思ったからだ。

けれど、新しい課での自分の位置を考えて、これからはそうもいかなくなりそうだと思った。
自分が課を引っ張って、課長と結び合わせて潤滑にしていかなければなりそうだと思った。
どうにかしろよ、の言葉が今まさに「やらなければならないこと」になってしまったのだ。


よそから、「あの課は大丈夫かしらね?」というヒソヒソ声が聞こえ、「頑張ってね」と無責任な笑顔で私の肩を叩く人もいる。
最初は不安を感じた。
出来るのだろうかと思った。
ただ、最悪だ、不幸だとは思わない。

他のどの組織と比べても、私たちはマイナスからのスタートを強いられることになるかもしれない。スムーズに出来ることに苦労ばかりしなければいけないかもしれない。でも、もしかしたら他には出来ないことが私たちだけは出来ることがあるかもしれない。
すべてがマイナスだと決め付けるには早い。
方法がただ他の課と異なるだけで、目標までの道のりは探せば見つかるかもしれない。
嘆くより、それを探したほうがいくらか楽しくなるかもしれない。
もし、その方法やその道のりを探し当てれば、私の引き出しはまたひとつ多くなるかもしれない。


「君の好きなところは、希望を捨てないところだ」と誰かが言ったことを思い出した。
たとえ、誰かが君の希望はただのきれいごとだ、君の希望には根拠がないと言われても、自分で可能性を捨てたら周りは壁だらけになってしまう。
何事もやってみなければ。
そう思ったら、4月からが楽しみになった。
2005年03月15日(火)  はらはらと散る
なんだかとても甘えたくなって、恋人の家に連泊した。
同じスーツで、中の洋服だけ取り替えて会社に行った。
私はあんまり恋人の家に行かない。
恋人と家でのんびり過ごすなら、自分の家のほうがいいからだ。
でもなんとなく、気分を変えてみたくなって、甘えたくなって、コンコンとドアをノックした。

春になったらお花見をする約束をしている。

昨年の春を思い出した。
ずっと長いこと病院のベッドの上にいて、早く家に帰りたいとそればかり願っていた。
陰鬱な冬の風景を、ただ窓から見渡すだけで、春だけをただ待ち焦がれるばかりだった。
春になったら退院させてくれると主治医と約束したからだ。
桜が咲く頃ね、暖かくなる頃ね、と説得され続け、つぼみが膨らんで桜が咲いてもまだまだ入院生活は続いていた。

病院の深夜、上着を着こんで、靴下を重ねてはいて外へ出たら、思ったほど寒くもなく、門を出て少し歩くと大きな大きな一本の桜の木にたどり着いた。真っ暗になりきらない東京の夜空からの明かりと時々通り過ぎる車のライトで、はらはらと散る桜の花びらが見えた。
なんて儚いのだろう、なんて弱いのだろう、なんて悲しいのだろう、なんてキレイなのだろう、そんなことを思いながら桜を見た。
昨年の桜は、そんな風に楽しんだ。

私の後ろをついて来て、あのとき一緒に夜桜を見上げた恋人は、薄着の服で寒そうに腕を組んでいた。


恋人の家の冷蔵庫にはなにも食べるものが入っていなかったので、もう一度外に出かけ、24時間営業のスーパーへ行った。

リンゴを選ぶ恋人の後ろ姿を眺めながら、ぎゅっと手を握りたいと思った。
2005年03月14日(月)  Quiet Life.
Quiet Life.


何かを気にしないでいようとする努力ほど、疲れるものはないと思う。

その何かについて、あっさりと割り切れる者もいれば、そうはいかない者もいる。
かといって、後者が諦めの悪い人間で前者が諦めのよい人間だとは言い切れない。

誰にとっても、拘ってしまう「何か」の視点はそれぞれ違うのだから。
たまたま、その「何か」が前者にとっては割り切れるものであっただけ、後者にとっては割り切れなかったことという、ただそれだけのこと。

気にしない努力というものは、私の精力を著しく低下させて、萎えさせる。
イライラさせて頭に血を上らせる。
とてもやっかいなことだと思う。

煙草の煙を吐きながら、ガラス張りの喫煙室でそんなことを考えていた。小さな空間には、空気清浄機が3つもあって、ゴウゴウと大きな音をたてている。

でも、私も体験したことがある。

あれほど気になって仕方のなかったことが、あるふとしたきっかけで、消えてなくなってしまうということを。理屈などない。理由などない。はっと何かに気づいて、これまで悶々としていた自分が馬鹿馬鹿しくなるのだ。そして、そんなことを気にしようが気にしまいがどちらでもいいではないかと思えるのだ。
気にする、気にしない、どちらでもない感情、それはたとえば無関心といえるなら、「何か」に無関心になれるきっかけがきっとどこかに潜んでいるはずで、今日までイライラしていた種もどこかに吹き飛ばしてしまえる。
そのきっかけは、ある日空から舞い降りて、啓示のように閃く。
啓示がおりてくるきっかけは、時間の長さに比例するような気がするし、反比例するような気もする。
どちらにせよ、私にはまだなんの閃きも啓示も、まだない。


何十年か後、私がおばあさんになったら、とても静かな生活を送りたいと思う。
何にも惑わされることもなく、関心も無関心もすべて大きな器で受け止められる、そんなふうに年を重ね、静かな静かな生活を手に入れたい。
だからこそ、今はこのときを耐えるのだ。
2005年03月13日(日)  今日も血だらけ
3月3日に届いた友だちからのメールに久しぶりに返信をしたら、「いつの話題よ、おせーよ」と怒られた。当たり前です。返信し忘れていました。3月1日に届いた友からのメールもあるけれど、もうこちらは返信するのがおっかないので、このままにしておく。

中学時代の同級生の女の子が、このたびご結婚されることになった。
同じく、中学時代の同級生だった従姉妹もご結婚されることになった。
同じ時期に、結婚しちゃってさー、ご祝儀どうなんのよ、一体いくらになんのよ。だいたい、結婚式はどこでやるのよ。旅費はいくらかかんのよ。結婚するこの2人はもちろんお互い同級生なので、互いの結婚式の時期を牽制しあっているらしいけど、どうなることやら。
どうか、同じ月にやりませんように。どうかどうか、GWなんかにやりませんように(だって、私は恋人と旅行に行くのです)、せめて3ヶ月はあいだをあけてくれますように、南無阿弥陀仏、とただただ願うばかりです。

私は、たぶん馬鹿だからだと思うけれど、最近、ガムをかむと必ず自分の口の中も一緒に噛みます。しかも同じところを毎回毎回。口の中が血だらけです。おかしいよ、この子はおかしいよ、本当におかしな子だよ、と毎回血だらけの口の中を見せられる恋人は私に言います。私も自分がおかしいと思う。なんで、ガムと一緒に口の中を噛むのか、しかも血がダラダラ出るほど。馬鹿かな私、と思うのもそりゃ当然。

ちなみに、今日、ネットに繋がらなくなりました。突然。あら、私間違って接続を削除してしまった?いやよくわからないけど、プロバイダーに電話したら「再起動してください」「電源を抜いて、再起動してください」と言われるばかりでちっともサポートなぞしてくれない。「こちらでは対応できかねますので、別の電話番号のサポートセンターに電話してください」と言われ続け回され続け、計3回。未だネットは繋がらず。しかも、電話をかけなおすたびに同じ事情を説明させられ、同じ質問をさせられ、「再起動してください」と繰り返し言われ、うっとうしい。挙句、モデムに異常があるかもしれないのでお取替えしますが、それでも繋がらなければメーカーに問い合わせろといわれ、なんだそれ、散々電話させといてさー、だったら先にそっちで聞くよ、と思いながらメーカーに電話してみると、「土日祝日は、お休みです……」のアナウンスが流れたので、いつネットに繋がるかは不明になりました。

私の一番仲の良い同僚が4月から別事業部に飛ばされることになりました。いや、栄転されることになりました、と言うのかどうかはわからないけれど、とにかく異動になったというメールが届いた。いってらっしゃい。頑張ってお元気で。3月は別れの季節だね、と返信すると、「あー、お先が真っ暗」と返ってきたので、仕方ないってサラリーマンだもの、所詮。と言ったら、返事が返ってこなかった。明日、正式に辞令が下りるそうです。それよりか、私が異動したかったよ、ホントにさー。12月ごろ、部長に「○○へ異動したい」と言ったら「ダメ」と一蹴された。

恋人は、どうやら野生動物が好きらしく、動物が出る番組(奇想天外とか?)をすっごく熱心に見ている。話しかけると叱られるし、ひとり言だと思って聞き流していた言葉に相槌を打つよう求められる。なんて子供なんでしょう。アイスは食べるわ、明日の朝用のパンを勝手に食べるわでもう大変。

明日は5日ぶりに仕事に行くわけですが、どんだけ仕事が溜まっているのか考えるだけでも空恐ろしく、怒涛の一週間がまた始まりそうです。これからの毎日は、ゴールデンウィークだけを心の支えに仕事をしていこうと思っています。
2005年03月12日(土)  ギャーオス
ご近所に、野良猫さんが住んでらっしゃるらしく、真夜中、「フンギャー!」というお声を何度か傾聴させていただいたことがございました。

何匹かで喧嘩しているような声だったので、「あらあら血の気が多いこと」と思いながらフンギャー!をBGMに眠りましたけど、今朝4時半ごろ、「ギャオースギャオース、フンフン、フンギャー!」って鳴くのが聞こえてきた。それも尋常じゃないのその声音が。なんか切羽詰った感じというか、動物虐待快楽主義者?が野良猫の首にナイフを突き刺しゆっくり引いている姿を思い浮かべるほどの、断末魔的な鳴き声で、本当に尋常じゃない。
しずかーに、窓を開けて外をうかがってみたけれど、人影も猫影も見えない。
なんなんだろう、怖いなぁと思いながら、「ギャオースギャオース、フンフン、フンギャー!」というのを何度も聞いて、大丈夫かしら?と心配になった頃、その鳴き方がとても規則正しく「ギャオースギャオース、フンフン、フンギャー!」と鳴いているのに気づいた。
野良猫虐待にあっているのであれば、不思議なことだ。
今まさに殺されようとしている猫が、規則正しくリズムに乗ってそんな鳴き方をするだろうか。

いや、しない。

うん、わかった。
もうすぐ春でしょう?
動物は子供を作る時期よね??
子供生む時期じゃない?
盛んになる時期じゃない?
たぶん、そうだよ!
やってんだよ、交尾してんじゃないのー。
そうだよそうだよ、そうに違いないよ。
だって、規則正しいもの声がサー。
あれは、断末魔的な喘ぎ声なんじゃないかと思うわけ。

そりゃ、都会の昼間じゃあまりにも憎たらしい人間どもがうろうろしてて、交尾どころじゃないもんね、野良猫にとっては。そりゃ、やるなら夜中でしょう。明け方までやってしまうんでしょうね。子孫繁栄のためだものね、生理的欲求が猫にあるかは知らないけれど、遺伝子には逆らえないものね。


しょうがない、そりゃしょうがないよね。
と、なんとなくその断末魔に納得がいったので、再びゆっくり就寝。
2005年03月11日(金)  神様の匙加減
たとえば、恋人と一緒に居て、「ああ、この人は本当に私の恋人なんだなぁ」と当たり前のことを、あらためて新鮮に感じる瞬間がある。

それは彼が何をしたとか、何を言ったとか、そういう具体的なことではなく、私がふと彼の体や仕草を見たときに感じるのだ。歩くときにゆらゆら揺れる肩を見て、ああ、この人はここにしっかりと実在しているのだなぁと思う。ここに居て、私と一緒に歩いてる、とあらためて思うのだ。タバコを吸うときのその指の傾け方の加減とか、コーヒーカップをソーサに戻す仕草とか、そういうのをいちいち見ていると、あらためて「この人が私の恋人なんだなぁ」と思うのだ。

なぜ、その瞬間にあらためて恋人の存在を感じたり、彼が恋人であるということを再認識するのか。自分でもわからない。

ただ、この人は30年生きてる。
長いのか短いのか、私が彼を知っている時間と比べれば、それはとても長いと思えるし、人の一生の寿命と言われる時間からすると、まだまだ短いのかもしれない。
ただ、この人は私の知らない人間たちと一緒に過ごした時間があって、私の知らない場所で勉強して恋愛をして友達と遊んだ記憶があって、それを全部ひっくるめて彼なのだ。
そんな人が、今まさに私の恋人であるということが、私にはとても不思議に思えるのだ。今まで知らなかった人とふと出会って、今は一緒に過ごすということに、あらためて何かを再認識したりするし、驚きもする。
それから、なんかちょっと感動したりする。

なんともないきっかけで人と人は出会うわけだし、それと同様に人と人は会うべくして会うものなのかもしれない。どちらにせよ、人が出会うきっかけなど、ちっちゃなちっちゃなきっかけにしか過ぎず、何か大きな力の気まぐれな匙加減によっては、私たちなど会えなかったような気がするのだ。
なにかの本で読んだ、「神様のレシピ」の神様の匙加減次第によっては、私たちは会わなかったかもしれないと思うと、いまちゃんと会えている現実に、ああ良かったと胸を撫で下ろしたくなる。会えてよかった、ちゃんと会えてよかったねと思う。

飾らずにそう思う。素直にそう思える。
2005年03月10日(木)  こんな素敵なデイズ
さて、平日休みというものはなんだか得した気分になります。

みんなが働いているのに、のうのうと昼近くまで寝てていいんだ、好きなだけブラブラダラダラしてていいんだ。そう思うと、得した気分になります。といってもどこもちっとも得していないんだけど。
休みといいつつも、仕事のお客さんにとっては関係のないことなので、朝の8時半から携帯電話が鳴ったのに起こされ、寝起きの声を無理やり仕事モードに切り替えて対応しないといけない。簡単な用事ならアシスタントに投げて、少し手間がかかりそうなら来週に仕事をまわす。所詮、休みがとれたとしてもこんなものなのです。

でも、せっかくの休みなんだから、ぜひ充実したものにしたいということで、特に決めた予定もなかったけれど、いつもと違うところでなんかして遊びたかった。
なので、朝11時にインターネットで調べた美容室に飛び込んで
髪の毛をさらさらにしてもらい
昼1時半にこれまたネットで調べたマッサージに飛び込んで
よだれが垂れるほど揉んでもらって
3時からいつも行っているプールで
飽きるまでクロールで泳いだ。

やはり、もやもやした気分をリフレッシュさせたり気分転換をするには、自分の体をいじったり動かしたりするのが一番だと思う。それが女性なら、自分を磨くためのエステや美容室に行くのが一番いいらしい。金はかかるが気分が変わる。キレイにしてもらったという気分的充足感が必要なのだ。

平日のプールは混んでなくて、土日なら1レーンに5人くらいがいつも泳いでいるのに、今日は2人か1人程度。後ろの人のスピードを気にせず悠々と泳げる。2時間くらいスポーツクラブにいたけれど、泳いでいたのは1時間もなくジャグジーに入ったりお風呂に入ってはまたプールに戻ったり。

好きなだけ堪能して、さて西友で買い物でもして帰ろうかなーと思いながら、ビルの一階したのフロアにある喫煙所に行くと、なにやら5人くらいの人たちが折りたたみ椅子にジッと座っている。なにかなーと思ったら、そのフロアにはサンシャイン劇場があって今日の夕方からどこかの劇団がお芝居をするらしい。彼らはその芝居の当日券のために並んでいるらしい。へぇー、なんのお芝居?と思いながら張ってあるポスターを見てみると、キャラメルボックスの「TRUTH」というお芝居があるらしい。名前は聞いたことある劇団だし、上川隆也って人も所属してるところでしょう。6時開場で7時開演だって。へぇー、面白そうだな、当日券に5人くらいしか並んでないなら、まだチケットあるかな。見れるなら見てみたいなぁと思いながら、でもスポーツバッグ持ったままお芝居見るのも恥ずかしいし、メガネも持ってない。メガネがないとぜんぜん舞台が見えないもの、一回帰らないとダメだなぁ、どうしようかなぁ、見ようかな、それとも家で大人しくテレビでも見てようかなぁ。
と、思いながら西友で買い物して家に帰ると、まだ夕方の6時前。
よっしゃ、いっぺん見てみるか、ということで、スポーツバッグを普通のバッグに持ち替えてメガネを持って、もう一回自転車をこいでサンシャインに行き、当日券を買って(すごく見やすくて良い席だった!)お芝居を見た。

すっごく面白かったし、悲劇的なお話しだったけれど、とても充実したお話だと思った。
「TRUTH」って芝居は再演らしいけど、とても人気があるお話しだったので再演したものらしいのだ。しかも上川隆也がキャラメルボックスの芝居に出るのはとても久しぶりのことだったらしい。なので、私はすごくラッキーだったのかもしれないなぁ。恋人にも見せてやりたかったなぁと思う。

実は、映画監督だったり演出家だったり、または脚本家だったりという仕事にすごく憧れがあるのです。表現する人というのは勿論だけど、なにか別の媒体(たとえば演者とか)を通して表現するとか、その人と一緒に作り上げていくとか、プロデュースする仕事って面白そうだなぁと思う。自分で作ったもの(考えたもの)を自分で表現するというのは、やや味気ない。だから、たまにこういうモノをみると、いい仕事してんなぁーと思う。


今日は、非常にいいことをした。
思いついたことをやって、やりたいことをやって、目についた面白そうなものをやってみたり見てみたり、計画性はまったくないけれど、そうやって無計画にふらふらと遊ぶのも、けっこう私は好きだったりします。
こんな素敵なデイズ。
2005年03月09日(水)  イチゴ狩りに出かけましょうよ
コッリーナコッリーナコッリーナ。

私が社会人になって以来、仕事が極めてハードです。お胃が痛みます。
お胃が痛いのでご飯も食べれません。食べると顔が青くなります。
時間的拘束で辛いというより、精神的圧力、切迫感。

つまりは、ひとつの街にキングはふたりいらないということです。

さて、急ではありますが明日から4連休です。
木・金とお休みです。休暇命令でございます。
嬉しいやら、ツライやら。

仕事が気になります。
あの上司に仕事を任せる羽目になり、どうなるやら。
増してお胃が痛い。

というわけで、この突然の休暇を何して遊ぼうかと思うわけです。
久々に、恋人も金・土が休みでちょうど同じ日。やったー。
温泉、買い物、海、映画、ドライブ、なんでもいいねー。

最近、JRや私鉄に乗るとイチゴ狩りの広告を見かけます。
電車に乗ってイチゴ狩りに行こうという企画らしいです。
ぜひ、イチゴ狩りに。イチゴ獲り?
「イチゴ狩りに行きたいー!」というと
とっても可愛らしい乙女のようで、
私が言うにはかなり勇気の要る言葉ではありますが、イチゴが食べたい。
真っ赤なイチゴをおなか一杯食べたい。
1050円、時間制限、食べ放題、一本勝負。

けれども、池袋で一度だってカラーギャングを見かけたことはありません。

恋人は、イチゴ狩りは遠いのでイヤだと言います。
それよりか、買い物に出かけよう、映画を見に行こうといいます。
私は、映画館は落ち着かないので嫌だといったら、
じゃあ、買い物!と恋人は言うけれど、
なんだか面倒くさくなって、
じゃ、別行動にしようといったら、
恋人が泣いた。

友だちが、池袋ウエストゲートパークを、池袋ウエストサイドストーリーと言い放った。
あなた、ありがちな間違いですよ。
2005年03月08日(火)  6
自分のあまりの不器用さに泣きました。
恋人は、そんなこととは露知らず、散らかった台所を見て
「もったいなーい!」と言った。
ムカツク。
2005年03月07日(月)  5
まずは、湯せんね。湯せん。湯せん?湯せんって?どうやってやるの?
というところから、まず躓き、湯せん中に、お湯の中にチョコを落としてしまったので、やる気をなくした。
2005年03月06日(日)  4
本当にムカついたので、バレンタインデーを少々過ぎたこの良き日に、私も負けじと手作りチョコを作ることにしました。材料は買ったし、ラッピング類も準備OK。
2005年03月05日(土)  3
しかも私の恋人は、他の女性から貰った義理チョコらしきものは、ぜーんぶ私にもわけてくれたのに、その手作りだけは食べさせてもくれず、見せてももらえず、触らせてもくれなかった。
2005年03月04日(金)  2
人の恋人に!
多少、ムカつきますね。
2005年03月03日(木)  1
バレンタインデーの日、私の恋人に手作りのチョコを贈った女性がいます。
2005年03月02日(水)  退場候補者
結果を出せなかったものは、即刻その場から除外される。

外されるまでの時間の長さ短さは、会社によって違うだろう。どこと比較するというわけでもないが、私の会社はその決断を早めに下す傾向がある。
私はそんな環境が嫌いではない。
早いに越した事はない。仕事がスピーディーなことと見極めの速さが同じことではないにしろ、私はなんでも早いことに悪いことはないと思う。特にそれが仕事なら。
ただ、私の期待するスピードと熟慮を重ねることは相反しない。

どうにかしろ。
と、言われた。
今の課内の状態をどうにかしろ、と立場がずっとずっと上の人間から言われた。
お前の課長をどうにかしろ、お前の同僚・後輩をどうにかしろ。
お前の課の状態をどうにかしろよと言われた。
嫌です、出来ません。
そう言ったら、では誰がやるのだと聞かれた。
やらねばならないことですかと答えたら、お前はこのままでいいとは思っていないはずだと言われた。

私はそれまで、色々考えあぐねては逃げてみたり、無視してみたり、誰かに押し付けてみたりしていたが、上の人間から直接それを言われて、気が楽になった。
意外にも、気が楽になったのだ。
私は、この人に焚きつけられた。
私を知っているからこそ、その人は私をたきつけたのだ。
私はそれを承知している。承知していながら、出来ないと一度返した。
それでも、畳み掛けられたことに、私は心底ほっとした。
上の人間の意志を継いで、自分はこの役目を押し付けられたんだと、自分に言い訳が出来るからだろうか、周りの人間に示せる動機が出来たと思っているからだろうか。
どれも、YESであり、どれもNOな気がする。

課内の誰もが危惧を感じていた。
課長でさえ、新人でさえ。
けれど、誰もが誰かに押し付けあっていた。
来年度になればまた組織も変わり、今の状況から抜け出せるかもしれないなどという淡い期待も抱いていたのだ。
誰かがどうにかしてくれればいいのにと思っていた。
誰でもよかったし、なんでもよかった。
今の状況がどうにかなってくれれば。
ただ、誰もやろうとしなかった。
そんなとき、外の環境からそのきっかけを与えられたのだ。
相手が、立場の上の人間であれ、下の人間であれ、外部の人間も同じような危惧を感じてくれたことに、たぶん私はほっとしたのだと思う。
近すぎて見えていないのではないだろうかという迷いを、払拭してくれるきっかけが欲しかっただけなのかもしれない。冷静に考えるチャンスを得たのだ。
そして同様に、私は私の不満や不安に自信を得てしまったのだ。
得てしまった。

それは悲劇でもあるし、最悪な結果であり、始まりでもある。
けれど、今こうして始まってしまった。


結果を出せなければ、その場から即刻退場してもらう。
退場者の候補リストにその名があがるのは、一体誰なのだろう。
2005年03月01日(火)  耳たぶ
3回鳴らして出なかったら切ろうと思っていた。
恋人は、4回目のコールで受話器をとった。

来て。
と言った。
今すぐ来て。
と言った。

シャワーを浴びて服を着こんで髪の毛を乾かして、床に転がっていたらドアが開いた。

耳たぶを甘く噛んだら、口の中いっぱいに美味しい空気が入り込んできて、ごくりと飲み込んだらじんわりと体が温まってきた。爪を立てて頭を掻き毟ったら、ポロンポロンとマリンバの音がした。

雪が降っている。
雪はどうして音もなく降るのだろう。
いつから降っているのか、いつ止んだのか。

歌って。
と言ったら、
彼は歌う。

寝かしつけて。
と言ったら、
彼は背中を撫でる。

私の足先は冷たい。
私の鼻は冷たい。
彼の手は温かく、
彼の頬は冷たい。

午前3時、
私たちはそんなことをまだ続けている。
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