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2005年02月28日(月)  春一番
こんな気分は
春一番にのって消えてしまえばいいのに


最近、随分と人前で笑うことがなくなってきた。
きっと、目が笑っていないのだと思う。

先を急いで、明日に焦って、
来週を不安に思い、来月が見えない。

仕方ない。
そんな気分になってしまうのは、確かに仕方ないことで、
誰かのせいでもなければ、何かのせいでもない。

心の底から楽しいと思うことがない。
無理やり、笑って楽しんでいる振りをするには
あまりにも疲れてしまって、
誰かと別れて改札をくぐった途端
その笑みを消してしまえる瞬間に、
私は心底、ほっとしたりする。


電車の中で俯いて、本を読む。
パソコンをじっと見つめて、真剣な顔で仕事をする。
誰かが近寄ってくれば、私は逃げるし、
誰かに誘われたら、私は逃げる。
誰にも会いたくないし、何をも消費したくない。


そんなときもあるそんなときもある。
2005年02月27日(日)  出口がなく始まりがない
スカートは皺になり、髪の毛がまとわりつき、空はどんより曇っていて、外は寒い。
まだまだ続く、どこまでも続く、けれどそれは平坦ではなく、坂道や急な下り坂ばかり。出口がない、ゴールがない、スタートはどこだったろう、始まりはなんだったろう、終わりがないレースは、誰も熱狂しない。気になること、気に入らないこと、気の進まないこと、それはこんもりと盛り上がっている。目指すものは遠く、憧れは遠く、理想は高く、プライドも高い。どこまでもドライに、どこまでも合理的に、どこまでも冷たく、どこまでもどこまでも。馬鹿馬鹿しく、だらしなく、起きれない眠れない、気を抜けば吐いてしまう、呼吸をすれば背中が痛む、足は棒、手はぶらぶら、首は回らない、ささくれだらけ。

ものすごく、毎日しんどい。
いろんなことがしんどい。
なるようにならない。
望むようにならない。
だけど、疲れた疲れた、思い通りにならないよって言って、一体何になるんだろう。
誰かに甘えることは、よくない。
誰かに慰めてもらうことは、よくない。
誰かに助けてもらうことは、よくない。
誰かに手伝ってもらうことも、誰かを頼ることも、誰かを誰かを、それはよくない。

自分がしなければ、
自分でやらなければ、
自分で立ち向かわなければ、
自分で奮い立たなければ、
自分ひとりでやってしまわなければ、
自分が自分が自分で自分で。

そうやって自分を追い詰めて、追い詰めて、
そうやって私はここまで生きてしまいました。
2005年02月26日(土)  冷えた体
何にもしたくない。
何にも考えたくない。
ただ横になって、好きなだけ寝て、好きなだけぼんやりして、好きなだけ時間を無駄に使いたい。

寝て覚めて、
目を開いたら恋人の背中が見えた。
おはようと言って、また目を閉じる。

また目が覚めて、
目を開いたら恋人と目が合った。
ごめんと言って、知らないうちにまた目を閉じる。

また目を覚まして、
部屋を眺めたけれど誰もおらず、
ため息をつきながら、また目を閉じた。

最後に目を覚ましたら、
部屋は真っ暗で、じっと暗闇を見つめていたら、
がちゃがちゃとドアが開いて
恋人がただいまと言った。

ずっと眠っててごめん、と言ったら、
怒っちゃいないよ、と彼は言った。


恋人の手はすごく冷たかった。
2005年02月25日(金)  休日を!
気づけば、朝7時から深夜0時まで働いた今日。働きすぎではありますが、月末だから仕方ない。2月は年間で忙しい時期なのです。来月も忙しいけど。
今日中に仕事を終えないと、来週の月曜日の月末最終日は、泣く羽目になってしまう恐れがあるため、今日はしゃかりきに働いておかねばならない。
また、私は自分の仕事以外に、他の仕事もやらせてもらっており、そのチームの中では私は最年少なので、先輩や上司の指示には逆らえない。逆らえないというか、面倒なことはすべて押し付けられる。愚痴ったってごねたって、最年少としてはさらに下に押し付ける人間がいないものだから、結局は、ぶうぶう言いながら自分でやるしかないわけだ。

あ、その仕事は今日中にやらなくてもいいよ。月曜の朝までにやってくれればいいから。
という上司のその言葉は、暗に「休日出勤してもいいよ。そんなに急いでやらなくても、土日で仕上げてくれればいいから」と言っているのに等しい。

誰が、休日出勤するものですか。この数ヶ月でどれだけ休日出勤したと思っているのかしら。しかもタイムカードにはつけずに出勤してんだよ。だって、あんまり働きすぎたら人事から指導が入ってしまうじゃないか、叱られてしまうじゃないか、人事の締め付けをなめてはいけないよ、人事に叱られるってことは、上司であるあなたも叱られるってことなんだからね。まったくさー、ボランティア出勤だわよ、土日なんて。
だけど、今週の週末は出勤しないよ。
しないつもりで、今日は7時から働いてるんですから。今日中に終わらせるといったら終わらせてやる。目がギラギラしようが、後輩に怖がられようがしったこっちゃない。今日、ぜーんぶ終わらせて土日は休むんだ。


朝7時から深夜0時まで。
17時間耐久、週末獲得大作戦で、私は見事勝利をおさめたのでありました。
2005年02月24日(木)  どーでもいいですよ
好きな男の腕の中でも、違う男の夢を見るぅぅぅぅうぅぅぅー。
という、ジュディオングの歌が、いま会社では大流行です。
大流行といっても私の周りでは、ということですが。

私の上司は、しもねたが大好きだそうですが、知ったこっちゃありません。
時々、深夜の残業タイムで、きりきりと仕事をする部下の気持ちを和ませようとしているのか、突如としてシモネタを披露する上司を見かけますが、なにがエロイんだか、さっぱり上司のエロさのツボがつかめず、みんな、「???」マークが頭の上でまわっている幻想が見えそうです。

私「えっと……。今の話、どこらへんにエロさを感じればいいんでしょう?」

と、もう忙しいのでシモネタなんかにかまっていられないのだけど、あまりにもみんなが無反応過ぎて寒い状況になってしまったので、一応、疑問を口に出して上司に聞いてみたところ、

上司「★★★★★★なところがエロいと思わない?」
といった。
1年目「★★★★★★ってエロイですか?」
3年目「★★★★★★ってエロなの?」
私「★★★★★★よりは、◆◆◆◆◆◆のほうがもっとエロイ気がする」
2年目「◆◆◆◆◆◆は確かにエロイですねー」
4年目「あんた、女の子でしょう。◆◆◆◆◆◆とか言うもんじゃないよ」
1年目「◆◆◆◆◆◆って、きゃー」
4年目「◆◆◆◆◆◆が×××だったらもっとエロイよねぇ」
2年目「それ、言葉にしちゃっていいんですか。×××って!×××って!」
3年目「◆◆◆◆◆◆ってエロイの?×××もエロなの?」
(3年目の子は、ナンの話ししたって食いつきが悪いというか、ボーっとしている子なのだ。)
私「×××と●●●●●が□□□□」

と、深夜の残業ですからみんな頭のねじが緩む時間なので、★★★★★★も◆◆◆◆◆◆も×××も□□□□もあんまり大声で言ってると人格を疑われてしまいそうなの言葉なのですが、とにかく深夜の残業時間は下々のお話しすら、仕事の話と同じようにかわされるわけです。
まあ、それはどうでもいいのですが、とにかく上司の話はどこかずれている。
なにがエロイんだかわからないまま、メンバーだけで×××や□□□□で会話をしていたのだけど、結局、上司は置いてけぼりで面食らった顔をして聞いていました。

このように、私たちは仕事以外の下々の話しでさえ、上司と上手く会話できていませんという、どうでもいい話し。
2005年02月23日(水)  自分の世界を持つ人
駅のホームにぼんやり立っていると、向こうの線路に青い電車が入ってくるのが見えた。

その電車をぼんやり見ていると、若い頃の父に思いが馳せる。
高校を卒業してまもなく上京した父は、板橋に住み、高田馬場の学校に行き、会社勤めをしていた。あの頃の父もだからきっとあの電車に乗ったことだろう。朝のラッシュにもまれ、また帰宅ラッシュにもまれ、夕方のあの商店街を歩いて古いアパートに帰る。そんな若い頃の父の姿は、一体どんなものだったのだろう。

父は、独特の世界観を持った人のように私は思える。
私がまだ子供の頃は、話をしても面白くない、話題が続かない、会話もない、今時どこにでも溢れる父と娘だったけれど、今になって思うのは、父は、父だけにしかわからない世界を持っている人なんだろうと思える。

誰もが言う父の印象は、寡黙という言葉で統一される。
私がもっともっと幼かった頃、まだ自分のコミュニティも認識できていなかった頃、父とよく小さな動物園に出かけた。主にそれの記憶は冬の季節が多く、葉を落としつくした寒々しい木々と落ち葉で埋め尽くされた大きな広場が、私の中に強く残っている。
動物の声がどこからから聞こえるけれど、見られる動物の種類はそれほど多くなく、またそれを楽しむ人の姿もあまり見られない。寂びた鉄格子の中で無気力そうなサルや、滅多に羽を広げないクジャクを、私はずっと見つめていた気がする。敷地の中には小さな公園もあり、遊歩道では時々、近所の老人や犬を散歩させている高校生の姿を見かけた。その公園のブランコに乗り、満面の笑みを浮かべた私の写真が、我が家のアルバムの中にはおさめられている。
父が撮ったものだ。

父と動物園に出かけるとき、父が私に「遊びに行くか?」と聞き、私は喜んで「行く」と答えた。ふたりで急いで出かける準備をして車に乗り、坂を上って動物園に到着して、そしてただ黙って愛想のない動物達を眺めてブランコをこいで帰った。ただ黙って、私たちはそんな遊びを毎週のように行っていたのだ。
普通の親子がどんなものかは知らないけれど、キャッキャとはしゃぐ子供とそれを目を細めて見つめる親というものが、普通の親子だとしたら、私と父はそんな形からはかなりかけ離れた姿だったかもしれない。
父とふたりで動物園に行く。
けれど、父は父の世界で休日の時間を楽しみ、だからこそ私は私で自分だけの世界をつくることを当然として知ったのかもしれない。会話もない。言葉もない。だけれども、私たちは決して離れて歩いたり、お互いの存在を忘れるわけではない。

子供はみんな、自分の世界をたぶんきっと持っていると思う。大人になりいろんなことを知り、他者を知り、外側を知り、社会を知って、その世界は誰かと共有するものになったり、誰かの影響を受けたり、誰かに壊されたりしてどんどん形を変えていくことだろう。子供のころ築いた世界をそのまま大人になるまで持ち続ける人は少ないだろう。
けれど、私は自分のことをこう思う。私が持つ私の世界は、あのころ父と一緒に歩いていた頃のものとそう変わることはなかったと。誰をも受け入れない、強固なものになっていたのだ。あの頃、父を見て自分の世界の必要性を自分に許してから、私はそれを今まで大事に作り守ってきたのかもしれない。そしてその世界の作り方は、父から引き継いだものではなかっただろうかと。


父の友人という人を私は見たことがない。
父にはきっと友人と呼べる人は近くにいないのかもしれない。
父は他者を受け入れることをせず、今の今まで自分の世界だけで生きてきたのだろうか。

不器用な人なのだ。無意識に非社交的で、他者の必要性がない人なのだ。
とてもとても不器用な男の人なのだ。
不器用だからこそ、母は父の世界を今の今まで理解することが出来ないまま、夫婦をやることになり、私でさえ、あの頃は父の世界を見ることは出来なくとも身近には感じていたはずなのに、今はもう遠くの世界のように感じる。
けれど、父は世界でたったひとりだとしても、それに危機感を感じない人なのだ。
周りから見れば孤独な人のように映るだろう。
けれど本人にはたいした語弊のある言葉なのだ。

私はそんな父に同情もしなければもちろん否定もしない。
父には、それがいいのだと思う。
父がそれでよければ、私はそれでいいと思っている。
だからこそ、今の私から見る父は、独特な世界で生きる人なのだ。
ひとりで生きる世界にいながら、こんなにたくさんの人間の居る東京に住んでいた父は、一体あの頃何を見て、何を感じて、どんなふうに生きていたのだろう。

そして、そんな父への思いにふけりながら、その思いの向こう側に見える人物は紛れもなく、異母兄の姿で、父の姿を透かして見れば兄の姿が見え、兄の姿は父の姿に重なる。
あのふたりはやはり親子なのだと、そんな思いに至ったとき、私は少し胸がどきっとした。
2005年02月22日(火)  恋人の中で眠る
弱音や愚痴ならいくらでも吐くことはできるし、何かを途中でやめることなら簡単にできる。
だけどそれをしないのは、私のプライドなのだろうか。

仕事は、終わりを知らないのではないだろうかとふと思い、そしてぞっとする。繰り返しの毎日のように思えて、目の前で起こる出来事は今までの私には経験のないことばかりだ。
うまいことやってやろう、うまいこと切り抜けてやろう、うまく出し抜いてやろう、一番に飛びぬけてやろう。実績を、結果を、私たちは日々求められ、売り上げた数字は日々積み重ねられ、終わりが訪れることもなく、私たちは走ったり歩いたり喋ったり頷いたり、人と会い人に話しかけ人の話しを聞き人を説得し人を満足させ、プレゼンの書類を広げ見積書を広げ契約書を広げる。
同じことの繰り返しのようで、毎日は、私の経験値では到底及ばないことばかりである。

いつ疲れをとればよいのだろうか。
いつ気持ちの切り替えをする時間があるのだろうか。
いつリセットされて、いつ何もかもを忘れてしまえばいいのだろう。


“仕事の楽しさ”と“仕事の辛さ”のバランスが崩れたとき、私は私の恋人に逃げたくなる。

夜遅く家に帰ると、喋るのも億劫で、トイレに立ち上がるのも億劫で、風呂に入るのも億劫で、ベッドにもぐるのさえ億劫だ。だけど、恋人がいて恋人の胸があって恋人の腕があれば、私の中で燻っているいくらかの不安やストレスは消えてなくなってくれそうな気がする。

疲れたよ疲れたよと言いながら、暖かい布団に包まれて、暖かい恋人の体に自分の体を摺り寄せて、私は恋人の中で眠って、朝また目を覚まして仕事に出かけられる。
2005年02月21日(月)  どうぞご自由に
ここ4,5年でわかったことは、私は12月頃から3月頃にかけて途端に無気力になったり塞ぎこんだりしてしまうということだ。流行の言葉で言うと、プチ鬱みたいなやつだと思う。
しかし、よく考えてみると、私は年中無気力だし、年中「やる気が出ない」と言っているような気がするし、自分で自分を「鬱」だということほど、おめでたいことはないとも思う。

だいたい、最近は私の中の私を30%しか使っていない気がする。日々、30%程度の力加減で事務的に仕事を右から左へ流している、休日をやり過ごしている。

はい、構いません。はい、わかりました。はい、了解です。
という、同意の言葉、了承の言葉、理解して受け取ったという意志を表す言葉。それの本音を言えば、
はい、どうでもいいです。はい、どちらでもいいです。はい、なんとも思いません。
という意味でしかない。

派遣社員が「仕事をやめたい」「契約を中途解約したい」と言った。
「わかりました。解約しましょう」「わかりました。もう終わりにしましょう」という言葉で私は流すようにしている。
本当ならば、理由を(愚痴や本音を)聞き、その問題解決に努めて、出来るなら私たちの会社の利益・売上げのため、躍起になって対応しなければならないのに、それはかなり心労があるし肉体的にも疲れるし時間もかかるので、私は易々と了承することにしている。

会議中、ぼんやりとみんなの口元を見ていた。
ああ、みんな、よくあんなに唇を動かせるなぁ、よくもまぁ身勝手なことがいえるなぁ。よくしゃべれるなぁ。私なんか、なにひとつ意見がない、なにひとつ考えられない、なにひとつ、何も思わないし感じない。
そんなことを思いふけってぼんやりと会議をやり過ごす。


ベッドに寝転がって眠れるのを待つ。眠れる日は週の半分ほど、眠れない日は週の半分ほど。どんな朝が来ても、顔を洗って、出かけなければならない。その動きはもうオートメーション化されている。そのことに、ああ、自分は立派な会社員になったのだなぁと感慨深く思う。

やる気がない日は、やる気がないらしく、無難に仕事をすればいいのだし、セックスをしたくなければ眠ればいいのだし、誰とも会いたくなければ布団にもぐってすごすのがよい。
たぶん、私は環境の変化に追いつくのが苦手なのだろうと思う。周りの変化についていけないのだ。これは致命傷である。ただ望める変化は自分自身の変化でしかない。それを促すものは、そして自分自身でしかない。とても致命傷だ。この年末に引越しをしたのがいけなかった。1月から会社の組織が変わりすぎた。しかし私の最も重大な致命傷は、多分、誰かか何かに責任を転嫁してしまうところだろう。

こんな無気力な時期、私はとても多くの水分をとりたくなる。
今日も飲み干したペットボトルが転がっている。
誰にも干渉されたくはなく、だから誰をも干渉する気はない。

だから、どうぞ、私のことは気になさらずに。
どうぞ、皆さん、ご自由に。
2005年02月20日(日)  マッチョチョマッチョチョチョマッチョ
恋人がマッチョになりつつある。
何を企んでのことなのか、怖ろしい。
その、その筋肉で、私に、な、なにをするのー。

電話で話していると、「ウハ、はぁ、はぁ」となにやら会話の端々に声が漏れる。何してるの?って聞いたら、ん、ちょっとねーと言っていますが、ぜったいに鉄アレイを持ち上げてるんだよ。相変わらずマラソンは続けていますし、なにやら最近ジムにも通っているようだ。

なんで鍛えてるの?って聞いたら、最近ビール腹になってきたからと言いながらビールを飲んでいる。ビールは飲んでいるけれど、なかなか最近スマートになってきて腕がモリッときている。モリッと、モリッと。腹筋もわれそうな勢いだ。
なんだか、脅威を感じる。
恋人がもっとマッチョになったら、私の胸囲より恋人の胸囲のほうが大きくなるんじゃないだろうか。オソロシ。あんまり、マッチョになってもねぇ、ちょっと気持ち悪いしねぇ。彼はナルシストなのではないだろうか。私の知らない間に、素っ裸になって鏡の前に立ってたらどうしよう!うっとりしながら自分の筋肉を撫でていたらどうしよう!笑えないよ、笑えないよ。

「マッチョチョマッチョチョチョマッチョ」って10回言ってみて、これ言えたら天才だよ。と遊んでいる恋人は怖ろしい。ただのアホなのか、ナルシストなのか、暇人なのか。

そ、その、筋肉で、わ、私に何をする気なのー。
2005年02月19日(土)  焼肉イェー
土曜日
10:00 起床
10:05 牛乳を飲む
10:15 ソファーで眠る

12:00 起床
12:05 ヨーグルトを食べる
12:30 ベッドで眠る

15:00 慌てて起床

16:30 病院(遅刻)
16:31 主治医に叱られる
16:32 また寝そうになる
16:33 さらに叱られる
17:30 診察終了

18:00 焼肉イェー。
18:01 牛タンイェー。
18:02 カルビイェー。
18:03 ユッケイェー。
18:04 朝鮮人参酒イェー。

19:00 ビビンバイェー。
19:01 再びカルビイェー。
19:02 サンチェイェー。
19:03 ハラミイェー。
19:04豚トロイェー。

20:00 朝鮮人参酒イェー。
20:01 アイスクリームイェー。

23:00 帰宅
23:30 シャワーを浴びながら歯磨き
0:00 就寝
2005年02月18日(金)  私、みそラーメンで。
課のメンバーでミーティング室に集まりまして、密談を行いました。

密談つっても、どうにもならない新しく着任した課長についてどうしたもんかと話し合ったのですが、みんなドライというかマイペースというか、悪く言えば身勝手で自分のことしか考えない人たちの集団ですので、反りの合わない人をあれこれ批判するより、気にもせず無視して仕事やっちゃえばいいじゃん。関係ないよ、課長なんて。自分の仕事の成果が上がればそれでいいじゃんと、考えてはいたのですが、そうは言っても社会人の集まりですから、自分のペースで自分の仕事さえ上手くいけばいいかなんて考えているうちは、今以上の成長は見込めないんじゃないんだろうかと、そういう課題が浮かんできまして、今日、課長が休暇を取った日にこうしてミーティングをひらいたわけです。

私の課は、4年目のメンバーが年長という若い課なので、やはり考え方とか感じ方とかのバランスが偏ってしまいがちなような気がする。とは言うものの、みんな個々で勝手に仕事をするので同じ課であっても他人に興味がないというか、自分だけで一生懸命になってしまいがちで、みんな本当にバラバラ。
じゃあ、ずっとそんな感じで仕事をしていたのかと聞かれれば、決してそうではなかったと思う。前の上司のときはぜんぜんそんな風に感じることもなく、一致団結で頑張るぞー!オー!ってほどではなかったけれど、それでも課の雰囲気はいい感じで緊張感もあったし、意見の交換も頻繁にあったんだけどな。上司が違えばこれほど違うものなのか。あらためてそんなことは確認した。

とは言っても、前の上司のときはぁ〜なんて言うのはナンセンスであって(当たり前なんだけど)、今は今、以前は以前なわけである。

課長に信頼がおけるかといえばまったくない。
まだ二ヶ月じゃないか。信頼できるほどの時間はまだたっていない。
それよりも、どんな環境であっても状況であっても上手くまわしていく技術は欲しいと思う。「社会人としての器用さ」みたいなもの。馴染めるとか馴染めないとか、信頼できるとか出来ないとか、ウマが合うとか合わないとか、そういうレベルで考えるのは必ず壁にぶち当たるだろうし、行き詰るのが早いだろう。どんな人と仕事するにしても、その状況をどんなことにでも有利に働かせることもしなければいけないのかもね。
本当に当たり前のことで、頭でわかっていることなんだけれど、やっぱりあらためて言葉にすると、それは容易ではないのだけれどもね。

と、なんだか熱く語っちゃったよ。
語ってしまいましたけれども、ま、社歴は浅くても年齢が年齢で年長ですし、社会人4年目な私ですし、唯一の中途入社者ですから、転職したばかり、この会社に入ったばかりのときを思い返すと、今のこの状況に非常によく似たことを考えた覚えもあったわけで。

いや、頑張りましょう、若者よ。
ワレワレはまだ若くて浅い人間なのだから、結論を早まるでない。
今いちど、冷静に考えてみようではないか、若者よ。
と、ミーティングで言ったら、誰かの腹の虫がなった。
よし、ハラヘッタし、ラーメンでも食べにいくかといってみんなで会社をあとにした。
どこまで深刻な事態なんだか、これからどうなるんだかわかりませんが、とにかくラーメンは美味しかった。
2005年02月17日(木)  ヘルペスまた来た
おかしなことに、またヘルペスが唇の端に出来てしまいました。この半年の間で3回目のヘルペスです。しかもガムを噛んでいるとき、口の中も一緒に噛んでしまい、血が滲んでお歯黒ならぬお歯赤なかんじで、散々なことになっています。指もあかぎれになってしまい、不健康極まりないですが、毎日寒いデスネ。

私は、今週大変忙しく、しかも朝5時おきの日々。夜の帰りは23時ごろ。なんだかんだで0時に寝れるはずもなく1時ごろ寝て睡眠4時間ほど。私にとっては睡眠時間が少なすぎる。6時間は寝ないとだめだ。翌朝、働けない。朝方にシフトを変えていきたいのですが、どうしても夜早く家に帰ることが出来ず、早く帰れてもぐだぐだしているのですぐ眠ることも出来ず。
朝6時台に家を出ると外はまだ真っ暗で、夜暗くなって家に帰ってきてまだ暗いうちに家を出るというこの毎日。ため息が出ます。

どうでもいいことではありますが、生理がきません。
ほんとにどうでもいいことではありますが、私がコレまで付き合った男性の中で、私の生理の日程を調べることが好きな人がいて、「今月は29日できたね」とか、「今月は35日だったね」とか、そんなことばかり数えては、「もうすぐ生理来るよ、今日明日には来るよ。」と熱心な人がいました。

あいさん、顔が死んでますよ、と新人の男子に言われますが、そんなことはどうでもよい。あと何日でお休みですか。あと何日で週末ですか。あと何日でゆっくり眠れる日が来ますか。
しんどい、しんどいんではありますが、仕方ない。ハードな仕事を選んじゃったのは自分ですから。
2005年02月16日(水)  早朝の不安
今日も朝5時起き。

地震で目が覚める。
揺れた瞬間、はっと目が覚め揺れる部屋をぼんやりとベッドの上から眺めていた。ああ、とうとうやってきたのか、とうとう東京に大地震がやってきたのかと思った。長い揺れがおさまって窓を開けると、昨晩のぞいたときと同じように風景は変わりなかった。

携帯電話をのぞいて時間を確かめると、起きる時間まであと15分ほどあった。
テレビをつけてエアコンをつけて、上着を着てずっとニュースを見ていた。

かかとを触ったらすごくガサガサしていて、ボディクリームをとろうと立ち上がったらまたグラグラと足元が揺れている気になった。部屋の電気のヒモをじっと眺めていたけれど、部屋は揺れている様子もない。へたりと座り込んでずっとガサガサのかかとを触っていた。
私だけ、まだ地震の余韻に包まれているようで、とても怖かった。
2005年02月15日(火)  祈る人たち
5時に起きて、6時に家を出る。昨晩、家に帰るとき真っ暗だった道は、今朝、家を出るときも同じようにまだ真っ暗で、私は時間の感覚をなくしてしまいそうな気分になる。

朝の電車を待つホームの人たち。
池袋始発の山手線の電車は、ホームに滑り込んできてもまだ扉を開かない。明るい電車の中とまだ暗いホームは扉で隔てられていて、その扉の前に長い長い列をなす人たち。その列はみんな一様に俯いていて首をすくめている。
なにかに祈りを捧げているような。なにかにじっと耐えているような。
一切無駄な言葉を発しない列に自分も加わり、同じようにマフラーを巻きなおしてから首をすくめ、俯いて扉の開く瞬間を待つ。
早く今週が終わって、週末が訪れますように、と私は祈りたい。
2005年02月14日(月)  It's ok.
夜のドライブをした。
もうすぐ0時になろうかというとき、私たちは真っ暗な道を走っていた。
くねくね曲がる道路は、上や下にも同じような道が走っていて、まるで迷路型のジェットコースターみたいに縦横無尽に延びている。
私たちはそんな道をただ目的もなく、車を走らせる。

それでいいんだ、これでいいんだ、と自分を慰めることは、とても必要なことで重要なことである。同じように自分以外の誰かにそれでいいんだよ、このままでいいんだよ、と言われることはどれほど救われることかわからない。
自分自身に納得することは出来ないし、満足することは決してない。
けれど、不満や自己嫌悪ばかりでは、時々疲れてしまう。

誰かに何かを教えてもらえることは、とても幸福なことだと思う。
2005年02月13日(日)  バレンタインデー廃止
バレンタインデーなんていう悪しき風習はもうそろそろやめにしたほうがいいと、私なんかは思います。
だって、なんでチョコかって贈らなきゃいけないのよ。私が欲しいくらいだわよ。

というわけで、あ、明日バレンタインデーじゃない?と、遅すぎますが、日曜の夕方にそれに気づき、走って池袋西武に行き、バレンタインきっかけで愛の告白をしようと企む女性が溢れるデパ地下におり、自分の好みの生チョコを買い、家に帰った。
仕事帰りの恋人に、ほらバレンタインデーだよ、チョコをお食べと手渡し、半分ずつわけて私も生チョコの甘さにありつく。

そしてバレンタインデー当日。
数々の派遣スタッフの皆様から義理チョコをいただき、アシスタントの女性の方々からも義理チョコを貰い、大小あわせて計7個。私もバレンタインデーのチョコをいただきました。小さなチョコをふたつ、残業中に食べてしまい残りを家に持ち帰って、恋人とバレンタインデーチョコの数勝負。
私7個。恋人5個で、私の勝ち。
恋人は、残業中にふたつ食べてしまったというのは本当か、家に持ち帰った数で勝負しろと言ったけれど、残念ながらふたつ食べてしまったのは真実で、この胃の中にきれいに納まってしまってはいますが、7個というのは本当。勝負は勝負。私の勝ち。
けれど、チョコの大きさから言うと恋人の勝ち。
すごい豪華なの。それ、義理チョコとは思えないよ、というくらい豪華なチョコ詰めの箱。本当に義理チョコなの?怪しいものです。誰かに愛の告白でもされたんじゃないの?だってだって、義理の人にそんな豪華なチョコあげないもの。普通、あげないもの。

恋人のものは私のもの。
という横暴さで、恋人のチョコも食べる。
でも、このチョコだけは食べないでね、と恋人がひとつのチョコだけバッグに仕舞う。なんで?なんでそのチョコは食べちゃいけなくて、こっちのチョコは食べていいの?なんで?そのチョコはなんなの?なんのチョコなの?誰から貰ったチョコなの?怪しい。
見せてよ。ダメだよ。なんで食べちゃいけないの。僕が貰ったチョコだもん。じゃあなんで他のチョコは食べていいの。こっちはいいの。おかしいよ。おかしくないよ。怪しい!怪しくない!なんか隠してる!隠してないけど。そのチョコはなんなの見せてよ。だめだって。なんでよ。だって僕のチョコだから。
と、奪い合い隠し合い、追いかけ追いかけられ、ひどくムカツくのでふくれっ面で寝転がっていたら、「だって、だってこのチョコ、手作りだって言うンだもの」と、彼はとうとう暴露した。

手作り!手作りだって?
ああー、手作りという概念が私にはありませんでした。手作りのチョコレートを恋人にあげようという概念が私にはそもそもなく、西武池袋で買って渡せばいいやーくらいにしか思ってなく、バレンタインデーなんて面倒くさいよねーとしか思っていなかったけれど、やはり誰に貰うにせよ手作りのチョコレートというものは男心をくすぐるものなんですね。そうですかそうですか。

あいのチョコが手作りじゃないのを責めてるんじゃないよ?ただ、やっぱりせっかく手作りなんだから、僕が食べてあげなきゃいけないかなぁっていうか、そのチョコをくれた女の子も、ほら、僕の彼女が食べるよりやっぱり僕に食べてもらいたくてつくってくれたわけだし、それをねぇ、人にあげて食べさすのもその子に悪いじゃん?それにさぁ、やっぱり手作りのチョコって嬉しいし……。

あっそ。と言ってさっさと電気を消して、私はふて腐れて寝た。

なんかむかつく。
来年は、バレンタインデー廃止にしてください。
2005年02月12日(土)  モヒカンに乾杯
しまった。
また今日も夕方近くまで眠ってしまった。

ピンポーンという玄関のチャイムで目が覚めると、テレビの音が消されたままスイッチが入っていて、すでにタモリは仕事をしていた。時間は午後12時過ぎ。寝起きの顔はこの世のものと思えない代物ですが、そのまま玄関を開けると、クロネコのおじさんが立っていて「宅急便でーす」と言った。
祖母から米が届く。
どうして、テレビがついたまま私は眠ったんだろうと、半分目を閉じながら考えていたけれど、ああそういえば恋人がいないなぁ、昨晩はたしかに泊まりに来ていたけれど、どこに行ったのかしら?仕事だったかしら?まぁ、出かけてしまったことには変わりなく、しかもテレビを消さずに外出したのは、一体どういう意図があるのか知りませんが、私は二度寝します。

ピンポーンとまた玄関のチャイムが鳴って目が覚める。テレビがちらちら光っていて韓流ドラマを放送している。あぁ、テレビ消すの忘れてた。ずっとつけっぱなしではないか。髪の毛も逆立ったままドアを開けると、ペリカン便のおにいさんが立っていて「宅急便でーす」と言った。
母から苺が届く。
我が家はやけに宅急便が来る家です。

時計を見ると午後3時半。あぁ、今日も一日眠ってしまって一日を潰してしまった。がっかり。もう今日は、何にもする気が起きないなぁ。もうこれ以上寝てはダメだ。寝ようと思えば眠れそうだけど、いや眠っちゃダメだ。夜眠れなくなってしまう。

と、がちゃがちゃと玄関が開いて誰かが入ってきた。え?だれ?と思ってそっと玄関をのぞくと「あ♪」と向こうの方も私の顔を見つけてニヤニヤしながらこちらに向かってくる。
え?だれ?ホントにこの人は誰?怖い、知らない人が入ってきた!と思ってよく見たら恋人だった。
いや、うちがあまりにも広いから玄関に立つ相手が恋人だと気づかなかったのではなく、私の視力が悪すぎて恋人の顔が見えなかったのではなく、髪が、髪が変なのだ。昨晩とちがう髪型をしている。

ど、どうしたのって見上げた髪型は、明らかに爆笑できる髪型で、「美容室行って来たんだけど、どう?似合ってるでしょ?」似合ってるとかどうとかいう問題じゃなくて、私は泣きながら爆笑した。(参照)なんか、ハードロックを連想させるほどのモヒカンではないにしろ、横の刈り具合と上のふさふさ具合のギャップがなんとも言えず。しかもトップが風に吹かれた後みたいに髪が横撫になってる。なんか、なんか、いきなり私の目の前に現れて、あ♪って喜びながら、似合ってるでしょう?って褒めてもらいたがっている恋人がなんか面白くて、泣きながら爆笑。

どんな髪型にしてくれって言って切ったの?
かっこいいモヒカンにしてください

なぜまたモヒカンが浮かんだの?
なんとなく。

その髪型は、仕事に差し支えるとか考えなかったの?
べつにー。

あなたさ、医療従事者でしょう?その頭で患者に「あなたは癌です」って言っても、「先生、冗談はやめてください」って言われるよ。説得力ない髪型だもの。
あのねぇ、この頭見てねぇ、患者さんはすっごくリラックスすると思うよぉ。僕がサァこれだけリラックスした髪型なんだもの。患者も気楽に治療に専念してくれるんじゃない?

周りの看護士さんに叱られると思うよ?
叱られたら、(参照)上の髪の毛を寝かせて、それでもまだダメだったら丸坊主にするから大丈夫。


私の恋人は、おしゃれに気を使うタイプかと考えると別段そういうわけでもない。ただ無頓着というわけでもないけれど、時々、突拍子もないオシャレをしてくることがある。それが予想の範疇を超えて私を驚かせたり、爆笑させてくれたりするのでそれはそれで面白いのだけど、この人の美的センスみたいなものは、ちょっと人と変わっているなぁと思うことはある。
人のおしゃれってその人の顔とか体型とか好んで着る服とか生活で違うものだと思うのね。だから、モヒカンでも違和感のないスタイルを持った人はもちろんいると思う。だけれども、この恋人がモヒカンになるには目を潰れない要素をたくさん持ちすぎている。
まず、30歳を超えているということ。
ね?30過ぎのおっさんです。高校生とか10代の子から見たらおじさんだと思う。その人がモヒカンってちょっと、アレじゃない?
次に、仕事がやや堅めな仕事であること。
もちろん職業によってやっちゃいけない髪型があるなんて真面目なことは言わないけれど、的外れというか場違いというか雰囲気を読まない髪型ではあると思うんだ、モヒカンは医療にそぐわない。もっとね、カタカナで呼ばれる職業のほうがまだ似合いそうな髪形だよね、モヒカンって。

まぁいいけど、本人がよければ。
恋人の顔を見てしまうと、噴出してしまいそうなので、似合うと思うよーと、とってつけたようなことを言って目をそらした。なにが面白いって髪型もそうだけど、恋人がその髪型にしようとしたその勢いに乾杯。
2005年02月11日(金)  人のオナニーを見て面白いのかどうか
私の日記は、事実でないことも含まれています。
当たり前です。すべて事実であれば、波乱万丈すぎます。
けど、新宿の占い師が私を指差して言いました。
「あなたは波乱万丈の人生を歩むでしょう」
余計なお世話です。

私は、あんまり自分の書いたものは見返さない。
ワードで書いてアップして一回見直して、それで終わり。
見たくない。自分の書いたものはあんまり見たくない。
無責任に垂れ流し、書き流しです。

もう、恥ずかしいもの。
何年も前の日記を読むのは恥ずかしいものだろうけど、
昨日書いたものでさえ、読むのは恥ずかしい。
私は過去を振り返りません。
と、格好よいことを言っても格好よくなるわけでもないけど、
昨日の日記を読むことさえ、恥ずかしい。
この人、馬鹿じゃないの。なに書いてるの、恥ずかしくないの?
と、自分で自分に言いたくなる。

そんなことを言っても、私は2年近くも書いちゃってますから、
恥ずかしい恥ずかしいと言っても、過去はこうして日々書き溜まっていくのであります。

まぁ、そんなんでも、今日、書くこともないので、
去年の今日は何を書いてるかなと、ちょっと読み返してみましたが、
ひどい。
去年の今頃の日記は、どれもヒドイ。
鬱々な気分で充満していますね。
どうしちゃったんでしょう、自分。
恋人と別れ、入院をすることになり、
荒れてしまっていますね。
ああ、もう消してしまいたい。
なんだこの鬱加減は、と言いたい。
ヒドイ。見ないで下さい。
私は、2日間ほど読んだだけで画面を閉じてしまいました。
自分の書いたものを最後まで読めません。
ひどい。ひどすぎます。

あと、男の人の事ばかり書いている気がするね。
しかも、別れちゃった男の人のことばかり。
未練があるんでしょうか。
美しすぎる思い出になっちゃっています。
記憶はほとんど曖昧なので、
もう自分で作っちゃってる部分もあるかもしれません。
美化しすぎてやしないかと思いますけど、
どうなんでしょう。
美化しているところもあるでしょう。明らかに。

あと、自分で言ってしまいますが、
「キレイ事」が多い。
書いた後で、自分でさえ鼻で笑ってしまうことがあります。
けど、勇気をもってというか、無責任にも自分で鼻で笑っときながら、
ウェブにあげてしまいますから、
たいした心臓の持ち主だな、自分は、と思います。

だいたい、ウェブ上のことですから、「あいさん」なんて人は
架空の人物でありますから、
もちろん本名だって違いますし、もしかしたら私は男かもしれないわけで、
ここに書いていることすべて、100%嘘かもしれないわけで、
まぁでも、読んでいる方も、これが嘘であるとか本当であるとか、
そんなものはあまりたいした問題でもないんでしょうね。
読んでいただいて、「この人、馬鹿だわ」と笑っていただければ、
いいかなと、思いますね。

なんでしょうね、このサイトを読んでいる方は、日々何人かいらっしゃいますけど、
なにが、楽しくて見ているんでしょうか。
自分で書いといていうのもナニですけど、
何を見たくて読んでいらっしゃるんでしょうか。
暴言ですか?
そうですか。

なんの益もないんだよね。
書いてること、すべてナンの益もないの。
べつに、社会がよくなるために書いているわけでもなく、
誰かのために書いてるわけでもないので、
だからこそ、そりゃ誰の益になることもない日記ですが、
この無益なものを、なんで自分は毎日書いているんだろうかと、
ふと疑問に思うよね。
というか、我に返るよね。
なにを赤裸々に書いちゃってるんだろうかと。
なにを鬱々としたことを書いちゃってるんだろうかと。
思いました。

結局、私という人間は、もともと暗い子ですから、
鬱々と考えたりとか、
暗い部屋で電気もつけずにぼーっとすることもよくありますから、
本当に根は暗い子なんです。
なので、必然的に暗い日記になってしまいますので、
無益といわず、害なのではないかとも思われます。

じゃあ、なんで毎日毎日、恥ずかしい恥ずかしいと言いながら書いているのか。
これは、私のオナニーだからだと思うんだよね。
美化することで気がすむとか。
言葉にすることで感情を発散させるというか。
だから、オナニーなわけです。
自分で書いて自分ですっきりすればよいという、
自慰ですね。本当に。
オナニーを不特定多数に公開しちゃってるということですね。

私も、決まったサイトを見に行くことはあります。
で、その人のオナニーを見て、面白いなぁと思います。
なので、次の日も見に行くし、その次も見に行く。
その人がオナニーのつもりで書いているのかどうかはわかりませんが、
ウェブで書いたことが、その人のリアルそのものじゃないときも
あるよね。
リアルで出来ないことをウェブで出来ちゃうこともある。
リアルで言えないことをウェブに書く。
リアル以上の、若しくはリアルを無視したモノが
ウェブで公開されることが多いんじゃないかと。

まぁ、それがどうしたと言われれば、どうっていうことでもないんだけど。

オナニーオナニーと言ってますけど、
まさにこれはオナニー以外の何物でもなく
自分の気のすむまで、やってしまうんだろうなと、
思いますけども。
しかし、本当にヒドイことばかり書いていますね、私は。


なんか、今日は何にも考えないで書いてしまったら
何を言いたいのかまったくわからない日記になってしまいましたが、
みなさんに、私のオナニーを見て、
喜んでいただけたらなと思っていますよと、
いうことでした。
2005年02月10日(木)  仕事をやめる日
出社。
このまま5連休してやろうかと思ったけれど、そうもいかずに出社。

うちの会社は、本当に待遇だけはいい。
誕生日の特別休暇もあり、有給のほかに別の特別休暇もあるし、インセンティブはばんばん出すし、フレックスOK。直行、直帰ぜんぜんOKという至れりつくせりな会社です。よい会社だ。待遇だけ見ればね。

でも、ほら、一昨日だって急に仕事休んじゃっても、誰かがフォローしてくれるから有難いね。しかも、その急に休んだ日はアポイントもふたつあったんだけど、私の担当するお客さんもいい方で、普通なら私が「す、すみません、今日行けなくなりました。」って事情をお話しすべきところを、私も慌てて病院行って連絡しにくい状況だったから、アシスタントの女の子からお客さんに連絡をいれてもらったんだけど、どのお客さんも「ああいいよいいよぉ、じゃあ今日はキャンセルねぇ〜、また来れる日会ったら連絡してねぇ〜」と、軽い感じで理由も聞かず、承知してくれたらしい。普通ならあんた、「ドタキャンってどういうことですか?おたくの会社は本当に不誠実だなぁ、どういう会社ですか?!」なんて言われても仕方ない状況なのに、私のお客さんはみんな軽い。軽いというかいい加減というか、緩い。同僚とかアシスタントに言われるのは、「この営業担当にこのクライアントあり」という、私が緩いのでクライアントも緩い人たちばかりが引寄せあうのだよということらしい。

でも、まずいなぁとは思う。
まずいのは客や自分が緩いことではなく、普通ならこんな体調で営業なんて出来ないと思う。急に休んでも務まる仕事でもないと思うし、もちろん代わりの営業ならいくらでも居るんだけど、ある程度自分のペースや裁量でやっていい仕事だとも思うから、急に誰かにピンチヒッターで行ってもらうってことは出来ない。どの仕事もそうなのかもしれないけども。

もし自分が、仕事に順応できなくなっちゃったら、たぶん廃人になってしまうなぁと思う。
仕事がないと生きていけないかと問われれば、私はそうだと答えると思う。仕事が生き甲斐ですと言えるのかはわからないけど、それでも仕事は私に対して何かしらの影響はあると思う。それが面白いと思うから。だからそれがないと、私は毎日つまらないと思いながら死んだように生きるかもしれない。私には仕事と置き換えられる趣味とか他のものを持ってないから。
そういう考え方は、ひどく疲れる。自分でもたまに、そういう考えで自分の身動きを封じてしまうところがあるんじゃないかと思うときもある。だけど、はっきり言えることは、仕事もあってプライベートがあって、音楽を聴いたり、友だちと飲みに行ったり、恋人と過ごしたり、買い物したりプールに行くことすべてをひっくるめて、私であることには違いないと思う。それのひとつでも欠けてしまったら、悲しいなぁと思う。


もし、体の具合が今以上に悪くなって仕事をやめなければいけない日が来るのであれば、私は潔く仕事をやめることは出来ないかもしれない。
2005年02月09日(水)  ラモスを案ずる
今日は誕生日なので特別休暇で仕事はおやすみ。
特別休暇だからといっても、周りは平日でみんな仕事してますから遊んでくれる人がいない。昨日の今日で体調はまだ楽観視出来ないし、なによりもひとりで過ごすことが怖い。いきなりまた、倒れちゃったり、知らない間に気を失っていたり、若しくは知らない間に死んでしまったら困るので、異母兄の家に勝手に遊びに行くことにした。
兄の家は、一階が仕事場なのでなにかあったらすぐ誰かしら来てくれると思うし。

何をするわけでもなく、本を読んだり昼寝をしたりしていましたが、夕方を過ぎるとおもむろに兄の仕事仲間が二階にわいわい集まり始め、私の恋人も仕事帰りに遊びに来て、何をするかといえばサッカー観戦。
10人くらい部屋に集まって、北朝鮮戦を観戦。みんな、仕事を早く切り上げてサッカー観戦をするのであります。
特上のお寿司をとってビールを飲んでと、まぁすごい熱気。
野球よりはサッカーのほうが面白いよね。Jリーグはそうでもないけど、代表戦はやっぱり面白いね。国同士の戦いになるわけだし、日本中が日本チームを応援するわけだからやっぱり話題にもなるし、雰囲気も高まるし。サッカーを熱心に好きなわけじゃないのに、このあいだのワールドカップ以降、ジーコとか代表戦とか聞くと、みんな結局見ちゃうもんね。

それにしても、Jリーグって今どうなってんのかしら?あんまり見る機会もないけど。
発足した当時、忘れもしない私は中学2年生でそのときはものすごいJリーグに騒いでたし、高校サッカーからトヨタカップまでよく見ていて、当時の四国の高校は南宇和が強くって地元の少年サッカーチームに所属してたクラスメイトの男の子たちが愛媛に遠征して練習させてもらったりとかしていたみたいで。国見とか帝京とか他にもいろいろありましたけどね。いまはどうなんでしょうね。トヨタカップもバティストゥータとか言ってましたけどもね。こうして書いてみるとかなり懐かしいです。
ずっと思ってたんだけどさ、ラモスってなにしてんだろうね(懐かしいけど)。もう全然見なくなっちゃったけど。死んでないよね?マスコミとかテレビからは遠いところでサッカーしてんのかしら。確かねぇ、ラモスと私、同じ誕生日よ、きょう誕生日のはずよ、ラモスは。ま、どうでもいいけどね。

ところで、サッカーのテレビ中継ってイライラするんだよね。遠目で誰がどこに居るんだかまったくわからない。そんなに試合を見てるわけじゃないので背格好でだれってわかるかわけでもなく、背番号が見えないと俯瞰の映像ではわかりづらい。ポジションでだいたいわかるものだろうけども、どうにもイライラする。なので、今後のサッカー中継は、動き回る選手に矢印さして背番号とか書いておいて欲しいね。したら、見やすいと思うから。


ということで、かなり白熱しながらサッカーを見て、流れでそのまま皆さんに誕生祝をしていただいて、けどちょっと体調も良くないのでせっかくの寿司もかっぱ巻きしか食べる気がなく、もったいない誕生日を過ごしました。

それにしても、アンヨンハッ、小っちゃい「ッ」が入って、アンヨンハッ・ハッハッ!
2005年02月08日(火)  ほふく前進
上司と喧嘩したり、仕事が盛りだくさんだったり、部屋が汚かったりする毎日ですが、今日はわたくし丸一日寝込んでしまいました。
昨日、上司を泣かしちゃった罰が当たったのか、疲れが溜まっていたのか知らないけれど、なにも誕生日前日に倒れないでもいいと思う。ま、でも誕生日当日でなかったことだけが救いだとも思うけど。

朝、ストッキングをはいていると、急に気分が悪くなって力がふぅーっと抜けていった。ああ、なんか吐きたい、すごく眠たい。すごく世界が回っている。ち、地球がものすごい速度で回っているぅーと思いつつ、瞼の重みに耐えかねて、たぶん数分、気を失っていたと思う。よくわからないけど。
ぷはっと目が覚めたら、パンツ一丁の姿で片足のつま先だけストッキングに突っ込んでいるという、セクシーなんだか緩いんだかわからない姿で冷たい床に寝転がっており、体を動かすのが億劫うだったので、転がったまんまで、今日は会社を休もうと決めた。大事なアポが入っていようが、今日が締め切りの案件があろうが、もうどうでもいい、今日は休もうと決めた。

会社に欠勤届の電話をするか、恋人に電話してこの状態をどうにかするか、それともさっさとストッキングを脱いでパジャマに戻るか、どれを先にするかぐるぐる考えたけれど、如何せん体に力が入らず起きれない。ほぇーっとか、がーっとか掛け声をかけながら頑張って携帯電話を手に取った。あんなに力の入らない腕で匍匐前進をしたのは、生まれて初めてです。

で、まず恋人に電話してことの次第を告げると、「きゅ、きゅ、救急車呼ぶね?」というけれど、ああ、それはちょっと恥ずかしい。ご近所に恥ずかしい。そこまでは大げさじゃない。今しゃべれてるんだし、あなた迎えに来てよ。それまでは我慢できるから。で、どうしたかと言うと、恋人は私の異母兄に電話をして異母兄に迎えに来させたのです。兄の家のほうが恋人の職場よりうちから近いから。
でも、人って可笑しなもので、急場なほどどうでもいいことばかり考えてしまうというか、今はそれどころじゃないだろということが気になってしまう。兄が病院に行って恋人もいれば、ふたりに怒られると私は思った。恋人が迎えに来て、恋人だけが病院にいるんだったら、怒る人はひとりでいいんだけど、兄も来たら兄にも叱られてしまうじゃないかと思った。なので、いや、兄に電話するのだけはヤメテとちょっと揉めた。
なんか、叱られるんだよね。
体調崩して大騒ぎになると、落ち着いた頃にものすごく叱られるんだよね、いつも。
そんで、みんなちょっと落ち込むんだよね。病人の私以上に気落ちするんだよね、みんな。


で、病院でアレコレされて、ずっと眠った。
仕事はぜんぶアシスタントに任せて眠った。

入院するかい?と医者に聞かれ、明日は誕生日なので入院はしませんと答えたら、お誕生日おめでとう、じゃ、自宅で安静ねと言われた。あっさりしたものです。

恋人と兄に、やっぱりお説教をいただいて、25歳最後の日を終える。
2005年02月07日(月)  上司、泣く
今日は、ものすごく面白いことがあった。大事件が起こった。

夜、営業から帰ってきて課のミーティングをしていたのだけれど、課長VSメンバーのバトルが起こったのです。みなさん、かなりのヒートアップぶりでひと悶着どころか、さん悶着くらいやってしまいました。

口火を切ったのは、何を隠そうこの私なのですが、終盤にさしかかる頃には、もう可笑しくって可笑しくって、でも笑えない状況ですから書類で顔を隠して笑いを堪えるのが精一杯でした。
笑ってごめんなさい。無責任でごめんなさい。

過去、日記に書いたダメダメ新任課長がねぇ、とうとう暴言を吐きましてねぇ、暴言といってもたぶん本人はナンの気なしに言ったことでしょうけれども、だからこそメンバーはカチンとくるものですしね。

暴言つってもねぇ、『それは、お前らの問題だろう』っていう上司の一言だったんですけれども、これはねぇ、前後の会話とかミーティングの内容がないとなにが暴言だか、ひとっつもわからないと思いますが、その一言をいったときねぇ、私はメンバーの顔を一周ぐるりと見たんだけど、みんなお口があんぐりだったの。まず、驚いてそのあとキレたの。
私も、あん?と一瞬固まったけれど、冷静にそのときの会話を反芻してみてから、チョット待ったー!と上司の話を止めてですね、口火を切らせてもらったんですけどもねぇ、いやぁ、もうそのとあは非難の嵐というか、非難ごーごーってこういうことを言うのだなぁとあらためて思いました。
ごーごー、ごーごー。

ま、でもね、このミーティングにお集まりの皆さんは大人ではあるけれども、社会人1年目から4年目の若い社会人たちですから、多少ヒートアップが過ぎることはあるでしょうけれども、それにしてもね、34歳の課長の焦りっぷりというか、慌てっぷりというか。それがなんだかねぇ、憐憫でした。自分で言っといてなんですが、その姿が憐憫でした。
多少、正論というか理屈というか、大人の口ぶりで対抗してくるか、それとも一喝・一蹴するか、そんな態度で交わすかなぁとも期待していた部分もあるのだけれど、(それは単に甘えとも言うけれど)ダメでした。真に受けちゃって、慌てておられた。

で、結局、どうなったかというと、ちょっと上司の目は潤んでいたね。
泣いてたか知らんけど、しょぼくれていたね。落ち込んでた。

それが笑ってしまった理由なんだけど。いや笑っちゃいけないんだけど。なんか、なんか、可笑しかった、可笑しかったの。あー、喧嘩のひとつも出来んのか、あー、口論のひとつも出来んのか、しかもそれを交わすんじゃなくて真正面で受け止めたのか。こら、なに言っても無理なのだろうか、どんなアプローチも無理なのだろうかと、思った。反抗したら泣く、持ち上げたらどこまでも昇っていく、なんなのよというかんじだ。

ミーティングもなんだか中途半端に終わり、課長はしょぼくれて帰った後。

あい「明らかにやりすぎたね?」
4年目「明らかにね」
2年目「泣いてたよね?」
1年目「泣いてましたよね?」
3年目「え?そうなの?気づかなかった」
2年目「泣いてましたよ。ミーティング室出たあと、すぐトイレ行ってましたもん」
あい「うそ!」
1年目「行ってましたねぇ」
あい「目ざといね?」
3年目「見ときゃ良かった」
2年目「30過ぎても、人間って人前で泣けるんですね」
あい「うん、泣けるんだね」
4年目「あーあ、もうどうなるの?うちの課は」
2年目「もううちの課、終わったね」
あい「もう課長はいないと思ったほうがいいかね」
4年目「そうだね、もう自主的にやるしかないね」
あい「ないかもねぇ」
1年目「自主的にってどんな風にですか?!」
4年目「とにかく、毎週のミーティングはがっつりやってくよ。まとめ役がないんだから、メンバー同士で情報は密にね」
2年目「あー、終わったね。今年のうちの課ダメだね。ダメだダメだ。もう終わりだ」
3年目「終わったって言うもんじゃないよ。課長が営業やってんじゃないんだから。自分たちがやれればそれでいいじゃん」
1年目「そうそう、関係ない、関係ない」
あい「あー、とうとう孤立しちゃったね、課長」
4年目「あんたが最初に喧嘩売ったんだよ」
1年目「いやでも、あいさんが言ってくれると思いましたよぉ」
4年目「うん、言うと思った」
あい「いや、みんなが言いたそうな顔だったからね、場の雰囲気を感じ取って口火を切っただけであってね」
3年目「さすが」
あい「いやいや、みんながね」
4年目「さすが」
あい「人のせいにしないで?」
1年目「さすが」
あい「いやいや、やめて?押し付けるの」
4年目「仲間割れかよ!」

という、頭の悪い小学生の会話みたいな会話をしていましたが、みんながどれほど真剣に考えているかは知らないけど、状況は良くありません。

私の上司が、どんな言語を持つ人かはまだわからなくて、それを探るのはけっこう楽しい作業なもんだけど、今回はけっこう苦労することになるであろうと、予測。
2005年02月06日(日)  春ですか
とうとう花粉の季節がやってきたようです。

私は、「今年こそ花粉症」と言いながら、今日まで堪えてこられました。予備軍みたいなものです。けれども、可哀想なことに私の恋人は真性の花粉症で、目が腫れ、鼻水が垂れ、毎年春は相当ひどい目にあってきたようです。


で、あまりにも布団干し日和だったある休日の夜、恋人がベッドに入った途端、5回連続のくしゃみをしたので、あらあら風邪ですか?と聞いたら、あんた、今日、布団干したでしょう!と言われたので、はい、干しました。お日様の匂いがするでしょう?と答えると、10分くらいすごい勢いで説教された。

春の布団干し禁止令がしかれたわけですねー。花粉がつくから。

でも、ちょっと布団を干しただけだよ。ちゃんと布団タタキでぱんぱんしたし、あまりにも敏感すぎやしないかい。ベッドに入った途端、私の恋人に少々早い春が訪れ、今年の花粉症が始まっちゃったよ。私のせいでしょうか?私のせいです。

しかも、人のくしゃみを聞いていると、私までくしゃみがうつり、ここ最近は、くしゃみと鼻づまりの症状が出始めているようです。やりました、今年こそ花粉症。
2005年02月05日(土)  世界の果て
おやすみまたねと手を振る。
改札の向こう側とこちら側とで、手を振る。
改札をくぐる人をよけながら、ホームに続く階段に気をとられながら、ずっと手を振る。
別れがたいというよりも、手を止めるきっかけとか、目をそらして歩き去るきっかけがなく、私たちはずっと満面の笑みを湛えて手を振り続ける。


ほこりみたいな雪がちらちら舞う夜に、真っ直ぐの道をひとりで歩いていた。
街灯はいつもと変わらず等間隔に並んでいて、どこまでもどこまでも果てがなく道を照らしている。

その道がどこまで続くのかとか、その道がどこへ行き着くのかなんて、たまに考えたくないときがある。たとえ、果てがなくても、終わりがあろうがなかろうが、それはたいして気に留める事でもない気がしてきた。

夜の上り電車に乗客の姿は少なく、ただたまに通り過ぎる街の光を眺めていると、どこまでもどこまでもこの電車は走っていってしまえばいいのにと思う。止まる駅さえ知らず、私はふくらはぎに生暖かい風があたることだけに集中する。

電車は、窓から光を漏らしながら、夜の都心を走りぬけ、夜の住宅街を走りぬけ、やがて田畑が広がる風景を走って、夜空を走る。どこまでもどこまでも走り続け、やがて電車ごとじゅんと夜に溶けていってしまうようだ。

映画で見た世界の果ては、薄暗い海に向かって墓石が並んでいる。波が打ち寄せる崖に墓石がたっていて、その墓はみんな海を臨むようにたっている、空に祈るようにたっている。

同じ顔触れの毎日とか、山積みの問題とか、毎日繰り返し訪れる朝と夜とか、世間の狭さとか、閉塞感とか、そんなものをすべて捨ててどこかに逃げてしまいたいと思う。

果てがない、果てがない。
2005年02月04日(金)  26歳になってもいいですか
きゃぁー、もうすぐ26歳になっちゃう。
26歳だってさー。
自分でビックリ。
だって、1年を26回やるのです。
26回だよ?なげーよ。
長生きしすぎだよ。
いいのかしら、こんなに生きてしまって。
人間80年といいますけど、80回も1年を過ごすなんて気が遠くなりそうです。
人は30年くらいの寿命でいいんじゃないんでしょうか。
26年も生きてしまったわよ。
いいのかしら、26歳になっても。
何してたべさ、26年も。なんもしてない気が。

ちなみに私は早生まれなので、同期の子たちは「もうじき27歳です」なんて言っておられる。
そういうのを聞くと、まだ26歳にもなっていないというのに、25歳のうちから27歳を意識し始めるのですね。もったいない生き方をしています、早生まれの人というのは。
そしてそのうち、自分は一体、いまいくつなのかという不安に駆られてしまいます。
もうじき、27?26はいつくるの?いまいくつ?
私は何歳?私はだれ、ここはどこ。

恋人が、「今度、いくつになるの?」と聞きます。
あら、この人は私の年齢も知らないのかしら。「26です」と答えると「ふぅーん」と気のない返事をしますが、しばらくたつとまた「今度の誕生日でいくつだっけ?」と聞いてきます。「26歳です」と答えると「へぇー」とまたどうでもいいような聞いているような聞いていないような返事。これを、この数日間であと3回は繰り返されました。そのうちこれは嫌味なのではなかろうかと、私に何度も26歳と言わせて、26歳なりの自覚を持てと言われているのではないだろうかと、段々腹が立ってくるわけです。
なんで、何回も聞くのー。嫌味ですか、と言ったら、「いやいや、自分が26歳の頃は君ほど大人ではなかったのでね。君は、本当は30歳くらいなんじゃないかと思うわけだよ。でね、しつこく年齢を聞いたら、そのうち本音が出るのではないかと思っていたわけだよ、ウンヌンカンヌン」
くふん。
人を30歳だと疑うなんて、なんて失礼なのかしら。まだ水は弾きますえ。嘘でも何でもない、私は正真正銘の1979年生まれです。

んもうー、なにはともあれ、もうじき26歳。
に、に、にじゅうろく?!と、自分でも「26歳」と呟くたびに驚いています。
いいのかしら、私、こんなに長く生きてしまって。
いいのかしら、私、26歳になってしまって。
いいのかしらいいのかしらいいのかしら。
2005年02月03日(木)  show or lose
もうすぐ一年になる。

恋人と恋人になって、もうすぐ一年になる。振り返るなんて可笑しいけれど、とてもそれは短かった気がする。

知り合ってすぐ、彼が海外出張に行ってしまうことがあった。
それはたったの2週間だったけれど、私にはひどく長い2週間だった。この一年よりも長い長い2週間だった。私がただの甘えん坊だったからかもしれない。私が彼に依存したかったからかもしれない。もしかしたら、私たちがまだまだ綱渡りをするように相手のことを窺っていたからかもしれない、いろんな気持ちが凝縮された、長い長い2週間だった。
彼は、毎日電話をすると言った。
私は曖昧な返事をして、彼を見送った。
私は人を待つことが嫌いだ。
待っていてくれといわれることが嫌いで、好きな人がそばにいないことが嫌いだ。
毎日会ったり、毎日話しをするわけではないし、彼の存在が毎日必要だったわけではないのに、物理的な距離を感じさせられることがとても苦痛だ。それを思い知らされることが嫌いなのだ。
決まった時間に彼は電話をかけてきた。
そんな彼のことをとても純粋で素直で可愛いらしい人に思えた。
だけれども、それとは裏腹に、そんな彼に同情した自分もいた。

私を好きになってしまって、なんてかわいそうな人だろう。
私に好かれてしまって、なんてかわいそうな人だろう。

そして、今から始まるであろうその恋愛に、嘲笑する自分もいたのだ。
また始まるのだなぁ、いつか終わるものがまた始まる。
なぜ、自分は性懲りもなく恋愛をするのだろう。
なぜ、自分は性懲りもなくまた人を好きになってしまったんだろう。
それを、嘲笑しているのだ。自分自身で。

毎晩かかってくるその電話は、いつも決まった時間にかかってきて、私はいつも電話がかかってくる前にお風呂に入ってしまおうとか、友だちと遊んでいても時間が気になったり、落ち着かない気分になった。けれども、時々、鳴った電話にビクビクしたり、光る電話機をただ見つめるだけだったり、伸ばしきれない腕に戸惑ったり、布団をかぶって耳を塞いで留守電に切り替わるのを待っていたり、ただそんなことばかりしていた。
電話が鳴る寸前までは、わくわくしたりどきどきしたり、嬉しくてただ待ち焦がれていたのに、電話が鳴り始めそれが耳に突き刺されば刺さるほど、私は自分の惨めさと情けなさと馬鹿さ加減に、ため息ばかりついていたのである。そして切れてしまった電話を見つめて、ああ、また24時間待たないとこの電話は鳴ってくれないのだなぁと思った。
とても矛盾している。
そんな自分が歯痒い。

その出張から彼が帰ってきたとき、私はひどく緊張していた。なぜだか心臓が口から飛び出るんじゃないかと思うほど、ひどく緊張していた。出かける準備に何時間も必要だったし、約束の時間に何時間か遅刻した。


あんまり一緒にいたくないと思ったこともある。
あんまり顔も見たくないと思ったこともある。
都合よく別の男性と知り合って遊びに行ってしまいたいと思ったこともある。
そうやって、恋人から逃げたくなったこともある。
なにもかもを放棄したくなったこともある。

けれど、今もこうして変わらず恋人でいられるのは、すべて、すべて彼のおかげなのだろうと思う。
彼がいろんなことを我慢してくれたから?
彼がいろんなことを許してくれたから?
彼がいろんなことを辛抱強く待ってくれたから?
彼が私を理解してくれているから?
彼の心が広いから?
たぶん、そういうことではなく、何があったとしてもどんなことが起こったとしても、お互いのベクトルがお互いに向き合っているからだと思う。彼のベクトルが私に向かい、私のベクトルがくるくる彷徨いながらも結局彼をさしてしまうのだ。
幸せなのだろうかと考えるけれど、それはよくわからない。
けれど、もうちょっと、あともうちょっと、もう少しだけ、いや、まだまだこれからも、私は彼に興味があるのだ。そして、彼が私に興味を失わずにいてくれることに、私はひどく驚くし、それこそが彼のおかげなんだろうと思う。
2005年02月02日(水)  逃げない
愚痴とか不満っていうものは、自分の手で止めないといつまでもいつまでも垂れ流されるものだ。

今日は、「もう帰れ」と言われて早々に会社を出た。

一ヶ月間、異動してきた新しい上司と付き合って、ひとつ見えてきたものがあった。

私の仕事や、私の書いた書類ひとつとっても、上司は何かしら一言付け加えて、私に詰め寄る。詰められる理由があるのか、詰められる落ち度があるのか、それを何度も確かめたり周りと見比べてみたけれど、別段、私だけ何かが違うとか誤っているとかというわけではなさそうだ。
決裁をもらうのに何時間も時間がかかることもある。
私の仕事は、一向に前へ進まない。
上司が問う疑問は、私にとって何が問題なのか少しもわからない。話しているうちに何が問題点なのか見失ってしまうくらいだ。
いま、話し合っているのは何が問題で話しをしているのか、それを求めても「ちょっと、部長に相談してみるから」と自分の口では何も答えず、上の上司に案件の採否を求めにいく。

上司の話はいつも一方方向なものばかりで、正面からしか話しを受け止めようとしない。真裏からの検証や外側からの判断はいつも忘れ去られてしまうように思える。

上司がいないとき、部長に呼ばれて、部長まで決裁のいった案件について詳細をたずねられた。どうしてそれくらいの案件をお前の課長は決裁できないのかと、私に聞かれても答えようがない。「私の仕事が気に入らないんじゃないですか」と言ったら、「そんなこというな、あいつはあいつで頑張っているんだから。真面目な男なんだからさ」と言われた。

振り返れば、私はけっこう周りのメンバーと比べて、好き勝手に仕事をさせてもらえたと思う。これまでは、上司が判断する件でさえ、自由に仕事をすすめ、上司の決裁はあとになってもらっていたくらいだ。それで許されていた状況があったし、それで上手くいった実績もあった。課外の企画の仕事を並行してやらせてもらい、少しばかりの課内の仕事を免除してもらっていたこともあった。
けれど、そのやり方が、上司が変わっても変わらずまかり通るとまでは、私も思っていない。用心して細かく相互理解をしなければいけないとは、思っていたはずだ。

遠くから噂が聞こえてくる。
新しく異動してきたその上司が、私のことを誰彼なく聞きまわっているという話。
あの子はどんな子? あの子はどんな仕事をこれまでしてきたの?
こんなことをされるのは、社会に出てから二回目だ。
いい気分ではない。こそこそ何かを知り得たいなら、面と向かって聞けばいい。
それが出来ないのなら、こちらから聞くまでである。

今日の昼間、営業メンバー達はみんな出払っていて、空きが目立つデスクには私とその上司しか座っていなかった。今日もいろいろと目ざとく指摘され、私はそれにいちいち答えていた。結局、上司の持つ疑問のアウトラインさえつかめず、時間は刻々と過ぎていく。仕事の納期は迫り、クライアントからは催促の電話まではいった。私は居留守をしてまで上司のこと細かい質問に、繰り返し答える。

なにを知りたいんですかと、私は聞いた。ふたりの間のデスクはたったひとつ。何が疑問なのかわかるように言ってください。なにか落ち度があってなにかミスがあるのなら、そう言ってくれないと私は気をつけようがない。ずっとこのままの繰り返しであれば、私はあなたの下で働けません、と言った。

先週、この上司の歓迎会を課内で開いた。
みんな、忙しくてスケジュールが合わずに、結局その予定はずるずる延びてここまで遅くなってしまった。仕事を途中で切り上げたけれど、みんな気乗りもせずだらだらと呑んでは食べて、上司は男の子のメンバーと仕事の話ばかりしていた。その横で女の子たちは別の話しばかりしていて、盛り上がりもせず終わった。
仕事の仲間と飲むとき、仕事の話題しか出てこないこの上司はとても不器用なのだと思った。気を使ったアシスタントの女の子が、話題を変えようとしても上司の口からは上手く言葉が出てこない。仕事が終わってまで仕事の話をされても、メンバー達の疲れた顔は色濃くなるだけではないだろうか。
駅のコンコースで、先を歩く仲間たちに遅れて、私ともうひとりの同僚とで、「盛り上がらなかったね」などと言いながら追いつこうともせず歩いていた。先にいる同僚たちのすぐ後ろを上司がひとり歩いている。
上司は振り返り振り返り、私たちの姿を確認しながら、前を歩く同僚に追いつこうと歩いている。
その振り返った顔が、とてももの悲しく、とても疲れたように見えたのは、私だけなのだろうか。

一番気を使っているのは誰か、ということを考えてわかったとしても、それはそれで何もしようがない。メンバーはただただ仕事に追われ、課内がうまく噛みあっているとはいえない。それは何のせいなのか、誰のせいなのか、それを考えたとしても解決してくれるのは時間だけではないだろうか。
まだまとまりきっていないこの課を、誰が力を振り絞ってまとめ上げようとするのか。
みんな、自分のことしか頭になく、誰も手をあげることもない。そんなことに時間を割くのであれば、みんな自分の仕事に没頭したいと思うだろう。私も例外なく。

私は、確かに部下としては扱いにくいかもしれない。
素直に、上司の気に入るように仕事をすることはない。自分が自分が、と自分の判断や自分の意見を主張することが多いだろう。力でねじ伏せようとするなら、それはかなりの抵抗力だろう。裏で姑息な根回しをしようものなら、真正面から直球を投げつけられるだろう。
だけれども、私は逃げたことは一度だってないと思う。
上司と相反することになっても、逃げたことは一度だってないはずだ。
相手が逃げるのはかまわない。
ただ、逃げ果せたいのなら、私にはもう二度と構わないで欲しいのである。


上司はもう一度私の案件に目を通している。
いらいらして、私は喫煙室に篭り何本もタバコを吸う。
見かねた先輩が、今日はもう帰れと私に言い、明日には必ず決裁をくださいと上司に言って会社を出た。
2005年02月01日(火)  やる、やらない
今日、ふと、ああそうかそうか、今日はあの日かと思い出した。
そんでもって、いろんなことを思い返して、くすくすとひとりで思い出し笑いばかりしていた。

音楽大学というところは、たいていのところが体育会系のノリだと思われる。
本当の体育会系がどんなものかは知らないけれど、たぶん私たちの大学は体育会系だったと思う。なにがそうかって、新歓コンパというものは新入生に倒れるまでお酒を飲ませる場だったし、(「俺の酒が飲めないのか」と無理やり酒を飲ませる馬鹿な先輩がたくさんいた)先輩方がいらっしゃったら椅子を用意し灰皿を用意しジュースを買ってきて先輩方の楽器を運び、先輩方が帰られるまで自分たちも帰ってはいけなかった。(車のお見送りまでやらされていた)
私は、管楽器科だったのだけれど、管楽器の生徒達はほかのピアノや声楽や作曲専攻の生徒達と違って、各先生ごとに“門下”という制度があったので、その上下関係は非常に厳しかった。1年生から4年生のトランペット専攻で集まって週に何回かは練習をしていたし、週に一回はオーケストラやブラスの授業があったので、常に楽器ごとのグループで行動しなければいけなかった。だから、その体育会系ノリはピアノ科たちの比じゃない。だって、ピアノ科なんて先輩や後輩がいなくったってどうにでも練習できるじゃん。

私は、そういう馴れ合いにはとても反発を感じるしバカバカしかったので、どんなに周りにギャンギャン言われようとそんな奉り方をするのはぜったいにやらなかった。アホアホしいから。

で、私たちが入学したときも養老乃滝のひっろい座敷でコンパをした。オーケストラのコンパ、ブラスのコンパ、金管楽器のコンパ、トランペットのコンパなど数々のコンパが繰り広げられ、そのメンバーはたいてい同じ顔触れなのだけれど、なにせ酒好きな人たちが集まる体育会系なので、なにかと理由をつけてはいろんなコンパが開かれていたのです。

先輩を奉らないかわいくない新入生ではあった私も、やはりコンパの席ではお酒をぐいぐい飲み、ところどころの記憶が途切れてしまうほどの飲みっぷりでわいわい騒いでおりました。あるコンパで、なぜか管楽器のコンパに潜り込んでいたピアノ科の男の先輩と仲良くなった。で、べろんべろんになった私たち新入生は、それぞれの先輩方に家まで送ってもらったり、家に泊めてもらったり、二軒目三軒目に連れて行かれたりとしていたのだけれど、私はもうすっかりタコみたいに酔っ払ってしまったので、誰かに家へ送ってもらうことにした。
そのときは、私鉄で40分くらいのところに住んでいたのだけれど、誰かが私の腕をとってちゃんと支えてくれて電車に乗ってくれたのです。そのときは、一体誰が私を送ってくれようとしてくれているのかさっぱり気づいていなかったのだけれど、途切れ途切れの記憶の中で「ラッキー!誰か知らんけど送ってくれるらしいから、とりあえずラッキー」とか思っていた。ちなみに、酔っ払いの私は、40分の乗車時間も5秒ぐらいしか覚えていないという記憶しか持っていない。酔っ払うってなんて幸せで楽しいことなんだろうね。

で、駅について夜道を歩いていたら、ふと、誰が送ってくれているのか気になった。
誰が私を送ってくれようとしているのか?
40分もかけて電車に乗って。
というか、もうこの時間だと家まで帰る電車はもうないよ。
ということは、うちに泊めなければならないのではならぬか?
と、不幸なことにだんだん酔いもさめていき、あん?と相手の顔を見ると、さっきのコンパの席で仲良くなったピアノ科の男の先輩で、「えー、男かー」とあらためて相手の正体に気づいてびっくりした。
酔っ払いってとても身勝手なもので、「なんでここにいるの?」とか「うちに泊まるの?」とか、ちょっと我に返りながら、しかもタメグチでその先輩にたいしてごねていた。
えー、泊まるの?
泊まりたいの?
泊まらなきゃ帰れないもんね。
どうすんの?
来るの?来ないの?
などと、散々詰め寄っていた気がする。(とても朧気)
というか、私は嫌なのね。来て欲しくないわけ。ひとりでゆっくり寝たいの。だから、えー、来るの?やだー。と、ここまで送ってもらったくせに、とても身勝手な酔っ払いなわけです。
マンションの前まで来て、やんやともめて、というか私がひとりでどうするのどうするの?と聞きまくっていただけなのだけれど、その男の先輩は節操のある?人だったので「い、いや、いいよ。大丈夫。俺、男だから、ファミレスで時間つぶしたってかまわないし」と言ったらしいのだけど、後輩を家まで送った夜中、ひとりファミレスで始発を待つこの先輩の悲しい後ろ姿を想像すると、それもまた可哀想だなあと思い、
えー、お金持ってるの?
寒いよ?
ひとりだよ?
淋しくないの?
と、泊めたいのか泊めたくないのかさっぱりわからない酔っ払いだったらしい(朧気過ぎてあとから聞いた話し)。
んー、んー、じゃあいいよ。
でも玄関で寝てね。
なんにもしない?
なんにもしないの?
と、あんた何様ですかっていうくらいの、上からの物言いで、その先輩を部屋に入れたらしい。
お互いにテーブルを挟んで座ってテレビを見ていたらしいのだけれど、「これはやられる」と私はずーっと思っていたことを覚えている。やられる、やられると自分で招いた状況ではあるのに、これはぜったいやられると馬鹿みたいにぐるぐるぐるぐる考えていた。
ねえ、やるの?
やるの?
やるの?
やらないの?
やるの?
と、思いついたことはすぐ言葉にしてみないと気がすまなかったみたいで、やるの?やるの?とずっとその先輩に確認していたようです。
……やらないから。
と、その先輩は一言答えて、やるの?やるの?って聞く女とはやりたくない、と思ったそうです。

で、まあどうなったかと言うと、私は健やかに眠り、その先輩も部屋の端っこで眠り、そして翌朝を向かえ、すごくお決まりなんだけど、「だれ?」と、私は寝ぼけてその先輩の顔を見て言った。


そんなこんなで、その先輩とはその後も仲良く遊ぶようになり、たぶんあのときやらなかったから、今でも遊んでいられるのだろうし、今でも仲良くしていられるのかしら。あのときやってしまっていたら、こんなふうにはならなかったよねー、と言うと「お前とは死んでもやらない」と言ってくれる彼は私のマブダチです。
やる、やると、下世話な話で申し訳ない。
で、今日はそのマブダチの誕生日だったなぁと、今日ふと思いたったのでした。
29歳になられたそうです。大変おめでたい。
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