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2005年01月31日(月)  私がオーナーです
ということで、
以前私の住んでいたマンションを、我が家はどう運用していくか検討した結果、その実権及び権利をうちの異母兄に委ねることしたそうだ。異母兄はあれやこれやと資産の運用を考えた末(というか、賃貸しか使い道はないんだけど)、「地方から上京する可愛い女子大生に貸す!」という結論を導き出し、なぜかなぜか私がその女子大生とその母親の内見に立ちあうことになったわけでございます。

そんなものは、仲介屋がやればよいじゃないかと思うんだけど、皆さんお忙しいようで、女子大生にお目にかかりたがっていた兄でさえ仕事だそうなので、仕方なく私がかりだされたのであーる。

ゆっくり寝てたい休日の朝9時半。
やや寝坊気味に起きて、自転車こいで久しぶりの以前の部屋に到着。
内装もすっかり終わって、とってもきれいになったのだけれど、何にもない部屋はがらんとしすぎてちょっと淋しい。ああ、ここで私は何年住んでたんだっけ。そういや、男の子もいっぱい連れ込んだなぁ。友だちもいっぱい遊びに来たなぁ。と、感慨に耽っていると、ピンポーンとインターホンが鳴って、ドアを開けると、如何にも地方から上京してきました、東京に来るのだから頑張ってお洒落してきましたという風情のおばさんと、その後ろにパンツが見えるんじゃないかと思うほどのミニスカートでブーツとネイルケアに余念のないぴかぴかの女子大生が顔をのぞかせていた。
こっちは、擦り切れそうなジーンズでさあ、髪の毛もちゃんとしてないので帽子かぶってさあ、休日の朝9時半に急いで起きてきた格好だからさあ、明らかに小汚いのね。だからちょっと、彼女たちのオシャレ振り、奮闘振りに引きつつ、
どうも、○○です。どうぞあがってください。
などと、オーナーぶってご案内。

ご案内というほど広くはないので、3人でずいずいと奥にはいったら、女子大生が一言。
「ちょぉーせまぁーい」
ちょぉーとか言うな。狭いなら借りるな。即、帰れ。
なんかムカついたけど、慌てたお母様が苦笑いしながら、「あら、日当たりもいいし、眺めもいいじゃなぁい」などと言ってくださったので、私もムカッと顔に出る一歩前で踏みとどまった。
ええ、ええ、スーパーはこの角を曲がったところにありますし、コンビにはふたつありますし、歯医者とクリーニング屋さんはすぐ目の前ですから、とっても便利ですよ。なんて、ちょっと売り込んでみたり。
女子大生は、ふてくされたような機嫌の悪いような、なんだかイライラしてネイルアートな爪をかちかち噛んでばかり。なんか、汚い。
でもねー、なんかわかるんだよねー。親と部屋を探してにきた地方の子なら、いくら広くって可愛らしい外観でフローリングで立地も最高な部屋に住みたくても、実権は親が握っていて、見てくれよりお値段と実用性と安全性の高い部屋を望む親に勝手に部屋を決められちゃったりするんだよね。それに、田舎くさい親と一緒に東京を歩くよりももっと原宿とか渋谷とか表参道とか遊びに行きたいよねぇ。
彼女は、4月から私大に通うことが決まっているそうな。東北だかどこからか上京してくるらしい。

ふたりの様子を見ていても、明らかに娘はこの部屋が気に入ってないらしい。
せまーい。収納がなーい。ロフトがあったほうがいいしぃー。もっと池袋の駅に近いほうがいいじゃァーん。みたいなことをコソコソしゃべっている。
でも、母親は、家賃が安いほうがいいでしょ。あんまり街のほうに住んでも危ないんだから、それにここは前見た部屋より広いじゃないの。

なんて、こそこそと親子喧嘩をしたりしている。

にしても、この女子大生は本当に感じが悪い。
オーナーの妹を前にして、よくもそんな文句が言えたもんだ。
なら、借りないでよろしい。
他の人に貸すからよろしい。


内見が終わって、駅までふたりをお見送りして(なんて、優しいの!)、すぐ兄に電話。
あ「終わったよー」
兄「どうだった?」
あ「さあね、借りないんじゃない?」
兄「じゃなくって、女子大生はどんなんだった?」
兄は、女子大生が可愛かったかそうでなかったかを知りたいらしい。可愛い女子大生が部屋を借りたからといって、君と付き合ってくれるわけではないのだよ。遊んでくれるわけないのだよ。なにを期待しているのやら、30過ぎのおっさんのくせに。
あ「んっとねー、ぶさいくだった。直視できないくらいぶさいくだった。なんか感じ悪かったの。せまいとか収納ないとか、散々文句言ってたし」
兄「ふぅーん」
あ「たぶんアノ人たちは借りないと思うから、次の内見は自分でやってね。休みの日にこんな早起きするのやだよ」
兄「はいはいはい」


で、結局どうなったかというと、あの女子大生は部屋を借りることになりそうらしい。
結局かよ、と思ったけど、まぁ兄がウキウキしていたのは言うまでもあるまい。
2005年01月30日(日)  カーテンが揺れる
ベッドに寝転がると、視線の先でカーテンがひらひらと揺れている。
どこかで猫の鳴き声が聞こえ、誰かが道を歩きながらおしゃべりする声が聞こえる。

オーロラはきっとこんなふうに見えるのだろうか。
薄いカーテンがふわふわと冬の風に揺れている。

考え事をするにはこの体勢はとても心地がいい。
迷ったり傷ついたり、記憶を思い返したり整理したり、想像したり妄想したり、思いついたりひらめいたり。
私は考えることが好きだ。
なにを、ということはない。
なにかを、考えることが好きだ。
悩むことも、多分嫌いじゃない。
思い返したりひらめくことも好きで、ぐるぐる、ぐるぐると何かを頭の中で考えてみることが、きっととても好きなんだと思う。

そして、反動をつけて立ち上がったら、コートをまとって出かける。
考え付いたことを実行するために、思い切り足を蹴ってベッドから飛び降りたら、マフラーをまいて外に出かける。


私はぐずぐずと悩む自分もぐるぐると何かを考える自分も、そして思い立ったらすぐ行動に移さないと気がすまない自分も、それほど嫌いではない。
2005年01月29日(土)  言葉
価値観が人それぞれであるように、言葉の使い方も人それぞれであると思う。

言葉とは、その人の世界、たとえば趣味とか交際関係、仕事、家族、育ち方、読む本、見るテレビ、休日の過ごし方、それを総合したその人の世界の中で生まれやすい言葉で、その人がもっとも理解しやすい、しっくりきやすい言葉が、その人個人の使う言葉そのものであると思う。

こういう話しを聞いた。
Aくんという新入社員はBさんという先輩営業マンにある仕事の相談をしました。
その内容をAくんは必死にBさんに伝えようとするけれど、BさんはなぜそんなことでAくんが困り果てているのか、なにが今問題になっていて、Aくんが何をどうしたくてBさんに相談をしているのかさっぱりわかりません。
Aくんの説明不足もあるでしょうし、Bさんの理解意識も薄いのかもしれません。
けれどそんなこと以外に、いまここで一番重要なことは、Aくんの使う言葉とBさんの使う言葉が異なるため、相手の理解に苦しんでいるということです。Aくんは一生懸命、「カメ語」でしゃべっているけれど、「うさぎ語」を使うBさんには何を言っているのかさっぱりわからないのです。

この話の中でいう言葉の使い方の差は、きっとキャリアや年齢の違いで言い表せるものであり、Aくんがカメのようにのろまだから、BさんがAくんを馬鹿にしているといいたいわけではない。
そして、「言葉の使い方が違う」と言いたい私が、幼稚な言葉を使う馬鹿な人たちとは話しが通じないと言っているわけではない。
個々人が使う言葉を上・下という差別や区別をしているのではなく、価値観が違うように言葉の使い方が違う、と私が言いたいのはあらかじめ言っておきたい。


人と話しているとき、「この人の話はつまらないなあ」と思うことがある。
話題そのものがつまらないのかもしれないけれど、使う言葉がたぶん私に刺さっていないのだろうと思う。私がピンと反応する言葉を、もしその人も持っていれば私は興味を示すことがあったかもしれない。
「この人とは気があうなあ」と思う人は、たいてい同じ言葉を使っているのかもしれないし、よく「少しの言葉でも通じ合える、分かり合える」というのは、それも多分同じ言葉を使うもの同士だからかもしれない。

営業の仕事をしていると、いろんな人と出会って話しが出来る。
そんなとき、私の中にあらゆる種類の「言葉」があれば、きっともっと深い人間関係が築けるのではないだろうかと、最近思う。この人にはこういう言い方をすれば興味を持ってもらえそうだとか、この人にはこんな言い方をすればきっと納得してくれるはずだとか、そんな「言葉」の引き出しがあればもっと仕事は楽しいのにと思う。
そういう「言葉の選び方・接し方」という営業研修を受けたことがあるけれど、その方法はとても大きなカテゴリーでしか括られておらず、その研修の中では4つから8つくらいのパターンしかない。
けれど、世の中には何億という人間がいて、私が価値観と同じように言葉の使い方が人それぞれ違うんだと思い始めた今、4つほどのカテゴライズでは相手とのコミュニケーションには間に合わなくなっている。それを最近、仕事だけでないシーンでもとても多く日常的に感じることがある。
(もちろん、その研修で学んだことは営業スキルを養うためにあり、日常の人と人のコミュニケーションには一概には当てはまらない)

言葉の引き出しをたくさん持つ人を、たまに見かける。
けれどその引き出しは先天的なものではなく、理解しようとする意志が働いて多くもてるものだと思う。

私の恋人は、その引き出しを私よりは多く持っている人のように思える。
私が上手く言葉を見つけられない場合、恋人は「〜〜ってことかな?」「〜〜っていう意味?」「〜〜なこと?」と、一生懸命お互いの共通言語で共有してくれる。
だからたぶん、彼は私の恋人なのだろうと思う。

私はいま、中途入社した人の教育担当という仕事をしている。
彼が話してくれていることを、私は理解したいと思う。一方的に指示を出すのではなく、一方的に話しを聞くだけではなく、私は理解したいと思う。彼がどう思ってどう感じているのか、どんな感想を持ってどうしたいのか。彼の世界を壊さずに彼らしい仕事が出来るように、そしてもしそのとき私が必要だと彼にいわれれば、私は彼を理解しようと思うだろう。

同僚で、私とは使う言葉が違う人がいる。
私と彼が同じ主張をしているようでも、言葉が違いすぎるあまり、お互いの意見が異なるものなのではないかと錯覚するほどだ。彼と話すとき、とてもイライラする。まどろっこしくて話し合いをするにも苦労する。彼からすれば私は「理解力の劣る」人間に見られているかもしれない。


社会に出たら、言葉の違う人はいくらでもいて、けれどそんな中でも交渉をしたり話し合いをしたり、お互いを共有しなければいけないときがたくさんある。
そんなとき、どれだけ私が引き出しを持っていられるか、なのかもしれない。
2005年01月28日(金)  見上げる窓
寒くて暗い帰り道を、片方の手はバッグを提げて、もう片方の手をコートの中に突っ込み、首をすくませて歩く。ヒールの踵が減ったのかやけに大きな靴音がカツカツとアスファルトに響く。

道沿いでマンションを見上げれば、灯りのついた窓からゆらりゆらりと人影が揺れるのが見える。

そのシルエットは右に行って消えたかと思うと、返ってきては左に通り過ぎる。
もう少し目線を左に向けると、今度はそちらの小さな窓に電気がついて、また人影がゆらりゆらりと揺れている。コートの中の手をさすって寒さに耐えながら、私は道の真ん中に立ち止まってそれを見ていたい気がした。
あそこには、誰かが生活をしていて、誰かが誰かの帰りを待っているのだろうか。
暖かい電気がついて、今か今かとその帰りを待っていることだろう。
見回せば、どこの窓にもそんな灯りがともっていて、それは黄色だったり白だったり、カーテンの色だったり、いろんな窓がたくさんある。

後ろから歩いてきた女の子が、向かいのマンションに入っていった。
エレベーターに乗り込んで家へと帰る。

見上げていた部屋の小さな窓の明かりはいつの間にか消えていて、またもとの窓に人影が映っていた。そして、窓の中央で立ち止まり、すとんと影が消えたのは、きっと彼がベッドに腰掛けたからだと思う。

ドアを開けただいまと言ったら、誰かが迎えてくれる。
ベッドから立ち上がった恋人が、おかえりと私に答えてくれた。
私は、さっきまで自分が見上げていた窓から、外を見下ろしてみた。さっきまで自分が立っていたあの位置を見下ろしている。誰かが暗い夜道を俯いて歩いていた。

誰かが待つ部屋に帰ることは、少し幸せな気分になる。

窓を閉め鍵をかけたら、カーテンをひいた。
2005年01月27日(木)  有隣堂に踊らされる
買いたくなる本屋、ってあるよね。
それは、1にポップ2にポップ、3,4がなくって5にポップ。
ポップをたてて本を紹介してくれる本屋さんが「買いたくなる本屋」のような気がする。

私が好きな本屋さんは、ある駅ビルの中にあるのだけど、それは有隣堂です。有隣堂っていっぱいお店はあるだろうけれど、やっぱりお店ごとに雰囲気とか置く本の趣向がそれぞれ違うみたいで、同じ有隣堂でも違う店じゃ一切買う気にならん。しかも有隣堂はカバーの色が選べる。模様も何もないなんてことない画用紙みたいなカバーだけれど、色が選べるというところが何気に好きです。

で、その某有隣堂は、ずーーーっと、本多孝好と貫井徳郎と乙一を贔屓にしているみたいで、本多孝好フェア・貫井徳郎フェア・乙一フェアみたいなのを、私が知る限り2年くらいやっています。そんで、私もそれにつられて彼らの本はすべて読み倒しました。最近の、本多孝好の新刊が出たばっかりの頃、いち早く買って読んでいたら、いつのまにかその店にサイン本が出ていて、「にゃろー、早くサイン本を出しといてくれれば、ぜったいそっちを買ったのにさ!」と思った。

最近、「本屋さんに選ばれた本」みたいな帯が出てるよね。ああいうのってすごく読みたくなる。更に、ちゃんとポップで(裏表紙とは違う)解説を書いといてくれたり、感想を書いていたりすると、まんまと罠にはまって買ってしまう読者(私のことだけど)もいるのだよね。
私は、ほとんど新刊しか読まないんだけど、同じ新刊を並べているのでもささーっと並べている本屋よりは、いろいろ店なりの工夫をしてくれているところのほうが買う意欲が掻き立てられて好きです。
もうほとんどその某有隣堂で勧められていた本を私は買って読んでいます。
まんまとそのお店にヤラレちゃっています。


つい先日、テレビに乙一が出ていました。
アキバ系みたいなヤツだった。

そういえば、去年の8月に書いた日記で「次はコレだ」と偉そうにこれから流行る本を予想していましたが、市川拓司はキマしたね。うっとうしいほどキテしまいましたね。もう彼の本は読みません。映画は見ません。もうおなか一杯だからです。

ずっと桐野夏生は男だと思っていました。
本屋のポップで写真を見たとき、「え?ニューハーフ?」と思いました。
ちなみに、北村薫を女だと思い込まされそうになったことがあります。
そして、19と20で芥川をとってしまったあの本たちは、もう読む気もなく。

最近、唯川恵の本に心揺れます。
本を読むということを滅多にしなかった頃は、何気なく手にとって読んではいましたが、いろいろな本を読んでしまった今では、もう読む気になれません。読むと拒絶反応で蕁麻疹が出ます。でも、怖いもの見たさでちょっと読んでみたい気が。いやだいやだと言いながらキモイキモイと言いながら、その気持ち悪さを味わってみたい気が。
しかもそれは、秋元康にも言える。

それでは、そんな自分は最近何を読んでいるかと言うと、ミステリーというか探偵小説ばっかり読んでいますが、その本の中に「探偵小説の読者は脳軟化症の迎合主義者だ。あり触れた演歌のように聴いたことのあるメロディーと歌詞の順列で成り立っていて、すべての探偵小説・ミステリー小説は限りない改訂版だ」と言った節があった。言いえて妙だと思った。新しい刺激や驚きを求めても、実は少しも変わらず同じところを回っていたりする。


なんで、自分は本をひっきりなしに読むんだろうと考えた。
たぶん、手持ち無沙汰だからだろうと思う。
本を読み終えてしまったり、本を家に忘れて出かけてしまった日は、一日中落ち着かなかったりする。仕事で疲れて頭も気持ちも疲れているというのに、本だけはいつだって読める。活字中毒というより、手持ち無沙汰恐怖症なのだ、きっと。とても不健康な読書法ではあるけれど。
2005年01月26日(水)  ママン、上京
うちのママンが東京にやってきた。
襲来と言ってもよい。

正月に帰省したとき、母から「1月には東京に遊びに行くから、よろしくねぇ〜」と言われていたのだけどすっかり忘れていた。前日に電話がかかってきて、「明日、銀座でご飯食べるわよ」と一方的に言われ、さらに「○クンもつれてらっしゃい。アノ子も一人暮らしなんでしょう?あんた、料理しないんだから栄養のついたもの食べさせてあげなくっちゃ。6時に銀座でねぇ〜」という。
まず、突っ込むところは、『勝手に明日の予定をたててくれたこと』こちとら、平日の夜は遅いのです。早々に仕事を切り上げられたとしても8時に行けるかどうか。しかも『私の恋人も一緒に連れて来い』と、恋人の予定も顧みず勝手に言う始末。しかも『アノ子』呼ばわりですっかり息子?身内?扱い。で、極め付けに『あんたの料理は食えんから、アノ子も可哀想だ。旨いもの食わしてやる』と、散々です。

親子みず入らずの食事でいいじゃないの。それにもう少し遅い時間にしてよ、そんな急に言われてもこっちだって行けるかどうかわからないよと諭したのですが、「年に一回あるかないかの東京見物だもの。少しは孝行しなさい」と、親孝行という言葉を盾にされてはどうにもこうにも。
恋人に急いで連絡をして翌日、隠れるようにして5時半に退社する予定が、こういうときはいつも抜けられない仕事ばかりに追いまわされて、会社を出たのが6時。
きゃあー、早く行かないと、恋人と母をふたりっきりにさせてしまう。そんでもって、母の毒牙がアレやコレやと恋人に吹きかかって、襲われちゃうー!たぶんきっと「結婚するの?どうなの?うちの子と結婚してやってくんない?」とか言ってそう。いや言ってる。ぜったい言ってる。あの母のことだもの。

超がつくほど過保護な家庭だと思う。過保護に育てられた本人が言うのもなんだけど、客観的に考えて過保護だと思う。母は教育ママではあったけれど、その教育ママぶりの反面、ものすごく甘々なところも母にはあると思う。
中学生まで実家で暮らしていたけれど、食事のときはいつも、私の分から(父からではなく)小皿に料理を取り分けては配ったし、私は熱い湯に浸かれないタチなので私が風呂に入る寸前に母が水を出して湯加減を確認して、そして私が風呂から上がると追い炊きして湯加減を調整したり、究極は、反抗期以前までは“バナナの皮をむいて私に手渡ししてくれた”ということである。
たぶん、私の無自覚なところで他人から見ればもっと過保護なところはあるかもしれない。今は、ひとり暮らしをするようになって私に手をかけられなくなったり、私が嫌がったりした分、母にもそれほどの過保護な態度はなくなったけれど、そんな母が、年頃のしかもひとり娘の結婚を、どれほど気にかけているかは計り知れない。
自分で言うけど、母は私に構い過ぎる傾向がある。
自由でいたいと思う私の欲は、たぶんその反動から来ている部分も多い。

して、30分の遅刻後。
和やかな恋人と母のムードになんだか嫌な予感。
ああ、嫌だ。ああ、紹介しなければ良かった恋人を。これほどまでに恋人に対しての母の干渉をうけるとは想像しなかったなぁ。失敗したなぁと思っても、時既に遅く、私が到着したときにはいなかったけれど、母と一緒に上京した母の友人達に、恋人はばっちりイジラレたらしい。オバサン連中に突付かれる恋人の姿。その光景が目に浮かぶようである。
ああ、かわいそうだなぁ、私の恋人。こんな母のいる娘と付き合ったばっかりに……。
ごめんなさい、ごめんなさいと心で唱えてみる。南無阿弥陀仏。

明日は歌舞伎に行くのよぉーとか、今日は舞台を見てお買い物までしたのよぉーとか、それでね、ヴィトンのバッグを買っちゃった。あんたも早く来てれば買ってあげたのにぃー、と言う母に、恋人も気を使って頂いて東京の名所をいろいろと教えてあげたり、買い物するならあのお店に行ったらいいとか、あのお店の○○は美味しいから一度食べたらいいとか、お話してくれる。
私はそれを聞きながら、懐石料理を箸でつつき、いつ恋人が「そしたら、僕がお連れしましょうか」と言わないかヒヤヒヤしていた。あまりにも気がイイヒトなので、言い兼ねない。そして母も「じゃあお言葉に甘えて」とか言って、恋人を独占してまた毒牙で犯すに違いない。

『引っ越ししたという娘の部屋を、どうして親が見に行ってはならないのか』という母の意見に負け、もう夜も10時だというのに、池袋に行こうという母をふたりで連れて行く。

長い長い地下街を丸の内線を目指して歩く。
酔っ払いや疲れたサラリーマンで改札は大きな人並みのうねりが出来ている。
「東京は、知らない間にたくさん歩かされる街だね」と母が言う。
私も上京したての頃、そう思った。電車が網の目のように走っているから移動は楽なように思えても、網の目のような地下鉄の中では知らない間に歩かされ、大きな繁華街は切れることなくどこまでも続き、駅の近くで部屋を見つようとするほど家賃は高くなる。
母はずっと田舎暮らしの人だ。電車の揺れになれず恐々ドアにもたれている。止まった駅で人の波に押され、恋人が母の荷物を持ってくれて母は座席の前のつり革につかまった。田舎に住む母のパーソナルスペースは都会で暮らす人のそれよりも大きいはずだ。私と恋人に挟まれた母は、前に座る人の足に腰を引きながらつり革に精一杯手を伸ばしてつかまっている。
電車が混み始め、車内の空気が生暖かくなる。

私はやはり、親不孝なのかもしれない。
干渉しすぎる母であっても、慣れないこんな土地に来させたり、こんな混み合った電車に乗らせたりする私は、やはり親不孝なのかもしれない。他人の肩と母の肩がぶつかり、それを母が気にする仕草をすればするほど、無意識のうちに早足になる恋人に、遅れまいと地下街を急ぐ母を見れば見るほど、人に酔いそうになってため息をつけばつくほど、私は母に申し訳ない気持ちになって仕方がなかった。親のそんな姿を少なくとも私は直視出来ない。

私の部屋について、母はひととおり部屋を見渡すと、「それじゃ、帰るわ。遅くなったし友だちも心配してるだろうから」と言った。母の上京の動機はきっと、東京で買い物をして歌舞伎をみることではなく、私の引っ越しした部屋を見に来るためだったのではないかと思った。部屋を見て安心したようなその顔を見たとき、そう思った。私が気になってしかたがない母だから、たぶんそうなのだろうと思った。

恋人と私で、送るからと言ったけれど、母はひとりで帰れると言った。
けれど私はもう、夜の地下鉄や夜の繁華街で、ひとり迷う母の姿を想像するのは耐えられなかったし、なにより夜も遅かったのだ。恋人を残し、母とふたりでタクシーを拾って銀座に戻ってきた。車の中ではそれほど会話もなかったけれど、最後に2万円をもらって「仕事が遅くなったときは、夜道に気をつけて帰らなきゃね」と母は言った。大人になってもらうお小遣いはすごく複雑な気分にさせるし、私はたとえ異母兄がいようとも、母にとってはたったひとりの娘なのだとあらためて思った。

帰りの混んだ電車で少し憂鬱な、複雑な、淋しいような悲しいような、泣きたくなるような、親不孝だと自分を責めるような気分になった。混んだ電車の中で萎縮する、母の背中が見えるような気がした。
2005年01月25日(火)  掻きわける
時間があって気が向いたときは、スポーツクラブに行って泳いでいる。
数コースしかないプールの中で泳ぐ人がひしめき合っている。

小学生の頃、スイミングスクールに通っていた。
毎週土日の午後、バタ足をしてクロールを泳いで平泳ぎをして、背泳ぎの練習をしてそして1キロ泳ぐ。泳ぎ終わったものから休憩をする。たっぷり休んだら今度はタイムの測定をする。そして今度は1.5キロから2キロほど泳いで、泳ぎ終わったものから帰っていく。
私は、スポーツはあまり得意なほうではなかったけれど、水泳だけは誰よりも速かった。

泳いでいるとき、頭の中は無心になる。
ただ指先に集中して、太ももの動きに集中して、水の抵抗に集中して、心は無心になる。その動きはルーティンなものだけれど、体は確実に前へ進む。少しでも体が乱れたならスピードはどんどんと落ちていく。
頭を下へ折り曲げたら、自分のはいた空気の泡がつま先に向って流れていく。
ちりちり、ちりちりと水の中で音がする。
水泳は孤独なスポーツだと思う。
だからこそ、私は好きなのだろうと思う。


夢の中でも私は泳ぐ。
ここは水の中なのかそれとも外なのか、それはよくわからない。
けれど、体には抵抗を感じ、それを掻き分けなければどうにも前へ進めない。
どちらが進むべき方向で、周りがどちらへ向って流れているのかさえもわからない。
だから私は、上へ上へと掻き分けることにした。
真上には、水面に太陽が反射されてきらきらと輝く美しさがあるような気がしたから。
泳いで泳いで泳ぎきったら、幼い頃よく見た風景が現れた。
私はよくそこで、ひとりでぼんやりとしていたのだ。
何をするわけでもない、友だちとも遊びたくなくて、親の顔も見たくないとき、よくその場所でひとりぼんやりとしていたのだ。
大きく肺で呼吸をして肩を上下させて私は水の中から体をすくいあげた。
泳ぎきった場所にあったのは、遠い時間の中でよく過ごした場所だった。
私は大きな樹の下に腰を下ろして、幹に背をもたせて眠る。

夢の中でも眠る。
そんな夢を見た。
2005年01月24日(月)  甘く甘く
セックスをするとき、首の周りから熱くなる。
おろした髪の毛が、熱と匂いを閉じ込めるように首の周りを覆っている。
横になったり起き上がったりするたびに髪の毛が揺れ、自分でも何かの匂いがするのを感じる。

首からじんわりと熱が伝わってトレーナーの中がじんわりと暑くなってくる。
鎖骨にあたる恋人の頬も熱い。
背骨が折れてしまうかと思うほどきつく抱きしめられるのに、歯を食いしばって堪える。
その隙に、そっと恋人の首の辺りもかいでみる。
とても甘い匂いがする。
小さな子供がべたべたと口の周りを汚したときの匂いみたいに、甘い香りがする。

お互い、どんな匂いがするかかぎあってみたけれど、お互いのそれが同じ匂いなのかどうかはよくわからない。恋人の首筋からも私の首筋からも香りが立ち昇る、その様子がふと見えてくるような気がした。その匂いがセックスのときに発する人間独特のものなのだとしたら、それが甘美な香りであることは、その匂いそのものがセックスの象徴なのだろうと思った。

暗がりの部屋でテーブルに足の小指をぶつけた恋人が、指を握り締めて痛さに転げまわっていた。その姿があまりにも可笑しくて、げらげらと私は笑う。

今はまだ、片時も離れていたくないと思う。

目を瞑ってするセックスなら、相手が誰であろうがどうでもいいかもしれない。
目を開いて匂いを確かめながらするのなら、それは誰でもいいわけがない。
2005年01月23日(日)  レモネード
休日の夜。
もうすぐ1月も終わりにさしかかる。
どうしてそれほど仕事があるのか、自分でも不思議になるけれど、金曜の夜、どっさりと仕事を持ち帰って、今日は一日中パソコンに向っていた。気づいたら何も食べることもせず、着替えもせず買い物にも行かないでずっと家に閉じこもっていた。
誰からも電話がかかってくることもなく、誰かがたずねて来ることもなかった。
数時間前、誰かから来た携帯メールをまだ見ないで放っておいたことに気がついた。
携帯に手を伸ばすことも億劫で、ヘッドフォンをして音楽を聴きながらベッドに横になる。ぐるぐるとさっきまでパソコンに向って作っていた資料の文字が頭の中を繰り返しまわっている。

シャワーを浴びて少し化粧をして洋服を着替えて、外に出かけた。
風は冷たくて人通りは多い。
どこかでお酒を飲もうかと、客が少なそうな店をいくつか回ってみたけれど、やはり今日は休日の夜なのでどこも混雑して女性一人で入れそうな雰囲気ではない。
深夜遅くまであいているカフェに入ってみた。温かいレモネードを飲みながらぼんやりとしてみる。


昨日の夜、携帯電話が鳴っていた。
遠くから携帯の画面を見てみると、そこに出ていた名前は以前に出会った男性の名前だった。
曖昧な素振りで電話番号を教えあって、曖昧な返事をして曖昧に笑いあって、曖昧にまたねと言って別れた。曖昧なままの関係のくせに、電話で何を話そうと言うのだろうか。私に何が言いたいのだろうか。何を話したいというのだろうか。
昨晩、電話には出なかった。

携帯電話をひらいてみた。
未読のメールがそのままになっていて、開いてみたら恋人からのメールだった。今からもう6時間も前に、「今日は何をしているの?」と休日出勤をしていた恋人が送ってきたメールだった。返事を返すこともなく携帯電話を閉じる。


店員さんが、よかったらどうぞと言ってクラッカーをくれた。
可愛らしい小皿に入ったクラッカーを、私は一枚一枚大事に味わうように食べた。

たまに誰かが私のドアをノックしても、居留守したくなるときがある。
ノックの音が聞こえなかった振りをしたくなる。


熱いレモネードが喉の奥で、じんわりと身に沁みていく。
2005年01月22日(土)  飲むなら乗るな、乗るなら飲むな
私の知らない間に、私の異母兄と恋人が仲良しこよしで遊んでいるっぽい。
人から聞いて知った。
別にそれはいいんだけど、ふたりとも私に一言もそんなことを言ってくれなかったのが腑に落ちない。

兄と恋人の話題をするときもあったし、恋人といるときに兄の話しになることもあったのに。これは、私に秘密なことなのだろうか。私に隠したいこと?
なに?
ホモとか?

いやいや、多分、私には言えない遊び方をしているのでしょう。
んー、たとえば合コンとか。
たとえば、きれいなお姉さんのいるお店に行ったりとか。
もしかして風俗とか。
それもありうるかもしれない。
ま、いっけど。

いつだったか、恋人も私も疲れて眠ろうとしたある夜、その眠る瞬間に、「明日、どこか行くのー?」と、彼の予定を聞いたら、「うーん、合コン。」と言った事がある。私は一瞬、聞き間違いかと思ったけれど、ふぅーんと思って眠ることにした。きっと眠りに落ちるぼんやりした瞬間に、咄嗟に聞かれてしまったのでついつい本当のことを言ってしまったに違いない。そして、本人は言ってしまったことにも気づかず、ぐうぐう眠ってしまった。
やれやれ。
なんだか、翌日は妙に気を使ってしまって、電話もメールもいれてあげないようにした。邪魔しちゃ悪いかなーと思って。プ。
けど、それ以降一週間くらいは、私に触らせてあげなかった。多少、ムカついたから。

買い被りすぎなのかもしれないけどね、恋人は合コンではしゃぐようなタイプではないと思うの。にやにやしながらガッツくタイプじゃないと思うの。どっちかと言うとあちこちホイホイついていくタイプじゃないと思うの。
きっと、兄にイヤイヤ誘われてるんだよ!
だって、うちの兄さんは、女の子大好きだしね。彼女がおらず淋しいこんな時期は合コンと聞いたら、喜んで励むでしょうよ、あの人は。
ぜったい兄が恋人を引きずりこんでるんだって、悪の道に。

で、兄のお隣さんに兄の友人が住んでいる。
その友人に、最近の兄の素行を聞いてみた。
案の定でした。案の定、あっちの女の子と遊びに行き、こっちの女の子と遊びに行き、見てるだけで危なっかしいそうです。いつかいろんな女の子が鉢合わせしやしないかと。バカーだね。
いや、もう兄のことは別にいいんだけどね。
重要なのは、私の恋人のこと。

ある週末。
メガネをかけて恋人は本を読んでいる。私も文庫本を読んでいて、ふいに声をかけてみた。「合コンもほどほどにね」
その後、恋人の言い訳とごめんなさいの嵐に、腰をもんでくれるということで許してあげた。

怒っちゃいないけど、謝るくらいならやりなさんなと思う。

合コンは、
謝るならやるな、やるなら謝るな、でございます。
2005年01月21日(金)  最近、愚痴ばかり
最近、会社に行くのが憂鬱である。

なぜなら、新人教育担当に選任されてしまったからだ。むー。
とにかく、面倒くさい。面倒くさいの一言に尽きると私は思う。
だって、アレ教えてください、コレ教えてください、というほかにも新人を連れて私の日々の営業先に行って、商談や打ち合わせやスタッフとの面談を見せてあげなければいけないからだ。同行営業というのだけど、同行させて直にどんな風に対応するのか見せてあげなければいけない。それが、もっさり面倒くさい。

人になにかを教えるのは、自分を振り返るということでもあるとは思う。
気が引き締まる思いもするし、省みる機会になるとも思う。
だけどだけど、同行するとキワドイ話が出来なくて(キワドイというのは、上司に聞かせられない商談内容や、新人には真似して欲しくないこと。私と営業先以外にも、私と会社間でも微調整が必要なときもある!社会人の方にはわかって頂けるでしょう?)、相当ツライ。そして、ずーーーーーーっとその新人と一緒に行動しなきゃいけないのでストレスが溜まる。私はひとりの時間が無いと死んでしまうのです。

しかも、新人のその人は中途入社者で私より2つほど年上の男性なんだよね。
しかも、イイ人なんだ、これが。年下の人間にもちゃんと敬語を使うし気も使う。当たり前のことなんだけど、時々、「年下のくせに偉そうに、ケッ」という人もいるのでそれから比べると、この人はイイヒトだと思う。だからこそ、私は嫌なんだな。気を使われることが。
営業中の移動のとき、電車やバスに乗っているときに無言になっちゃう瞬間ってあるじゃん。私もアレコレ考えたいので無言にもなりたいし、そんなにずっとしゃべり続けていられるほどそれほど話題もないのにさ、無理に沈黙を避けようとしてあれこれお話してくれるんだよね。それがヤなの。

で、会社に帰ると、もうひとりの新人教育担当で、私と同じ歳の男の子がいるんだけど、これがまた細かいきちきちヤローな男で、「さて、今後の教育プログラムのミーティングしましょう」とか、「毎日、日報を書かせましょう、で僕らで目を通して指導しましょう」とか、「僕らが担当するクライアントを一社まかせてみましょうか」とか、積極的過ぎてうざい。ごめんなさいなんだけど、うざいんです。
いやいや、新人といっても新卒じゃないんだから、何をすればいいか本人に考えさせましょうよ、と言って逃げてはいるんだが、無理だねー。相方がはりきっちゃうと醒めてるほうは巻き込まれがちでして。

しかもさー、部長からは「新人のミスは君のミス。新人の成績は君の成績でもあるんだからね。がんばれよ」という始末。そうなんだけどさー、わかってるんだけどさー、もうみんな子供じゃないんだから、そういう縦社会というか先輩後輩の責任みたいなの?はやめようよと思う。

いちいち、手取り足取りというのは好きじゃない。新人の彼がどういうタイプの人間かでその対応って変わってくると思うし。紋切り型で仕事を教えるのはあんまりどうかと思うんだよね。

新人の彼自身は、教わったことは二度と質問することのないように、細かくノートにまとめているし、同行していてもその都度わからなかったことは聞いてくれるし、あの場合自分だったらこうする、という自分なりの意見も持ってきているようだから、心配ないと思うんだよねー。
だから、もう教育担当は外してもいいんじゃないですか?
と部長に言ったら、「これは君の試練だよ。君のマネジメント能力を試す機会じゃないか。嫌がらずにやってくれよ」と言われた。
しょえー。
2005年01月20日(木)  人と人
派遣スタッフのマネジメントをする、ということが私の仕事のひとつである。
マネジメント=効率的な方法で派遣スタッフを管理し利益をあげる、ということだ。

派遣スタッフが少しでも長く就業するように、派遣スタッフが少しでも良いパフォーマンスが出来るようにマネジメントを行い、それにたいして就業先の企業の満足が得られたとき、派遣会社は利益を得ることが出来る。
だけど現実は、起きてしまったトラブルのあと始末に追われてしまう日々だ。起きる前にどうにか対処したいのだけれど、どうしても手が回らない。私のキャパがないことも一因だろうし、効率が悪いのかもしれない。
私が担当する派遣スタッフの人数は、今日の時点で122名。うち、男性は8%ほど、女性は92%。その人数は日々変動する。契約を更新することなく、私の手から離れていくスタッフもいる。契約を放棄して破棄するスタッフもいれば、新たな契約がスタートすることもあるからだ。

人をマネジメントする、人を動かすというのは難しい。
「効率よく」などと、人間同士の接触においてその言葉を使うこと、実行することは難しい。

社会と自分、仕事と自分、周りの人間や環境と自分、それに対する価値観や期待、距離感や考え方、その方法や立ち回り方、それらを知らない人はとても苦労する。社会に出てとても苦労する。けれど、みんな初めはそんなことを教えられて生まれて来るわけではない。学校で、教科書で、そんなことを教えてくれることは滅多にないだろう。
そういうことは肌で感じて、自分で考えて、自分のものにしていくしかない。
だけど、それが出来ない人もいる。

じゃあ、私はその“正しい”社会や仕事や周りとの接し方をしっているのかと問われたら、それはわからない。けれど、日々考えている。受動的ではないと思っている。
ほとんどの派遣スタッフが私より年齢が上である中で、彼女たちのマネジメントや対応窓口になる以上、私がもつそれらの価値観だけでも足らない部分は、周りの先輩や上司に相談しながら、誰かのケースを参考にしながら、誰かにヒントをもらいながら行っていかなくてはならない。
日々、そういう努力はしている。
当然の努力だけれど、そんなに簡単に理解できるものではないと感じる。

“正しい”社会や仕事や周りとの接し方。
そんな方法は、けれど本当のところ実体を伴わない見えにくいものであることも知っている。だけどストライクゾーンのように、ある程度の幅や範囲はあると思う。それは一般的に“常識”というものかもしれない。

世間知らずな人がいる。
横柄な言い方を許してもらえるなら、世間知らずな人もこの世にはたくさんいる。自己中心的な要望ばかり主張するかと思えば、自己主張や自己アピールは出来ない。すべてを派遣会社任せにしてなにひとつ自分で決められない。最後には誰かの責任に押し付けて不意に逃げる。
そんな人と仕事をするのはとても苦労する。出来るならそんな人間とは関わりあいたくないと思う。
そんな人たちとは、言葉が通じない。
話していても、ひとつもかみ合わない。
だから、私は相手の言葉を使ってその人とコミュニケーションをとる。私はそのとき、まず私自身を捨て、私の言葉を捨てなければならない。

会社に利益をもたらす。
それがセールスマンの具体的で大きな任務だとしたら、派遣スタッフを失うことは会社に大損害を与えるのと等しい。派遣スタッフは派遣会社の一番大切で失えない大切な“資材”だからだ。大切な労働力の源で、彼女たちがいないことには商売が始まらないからだ。私たちはいくら企業と契約をしても、企業に提供するサービスの資本をなくしては、利益は1円も出ない。

だからこそ、私には派遣スタッフのマネジメントをしなければいけない使命がある。
ひとつの独立した労働力になるように、社会と仕事と周りと共存できるような派遣スタッフをひとりでも多く育てるために、「言葉の通じない相手をどこまで引っ張り挙げるか」が一番大切な仕事になる。
相手に通じる言葉で話し合ったり、納得をしてもらわなければならない。
そしてときに、そんな彼女たちに注意や警告を促さなければならない。


あなた、今後、どうするつもりですか?
どんな働き方をするつもりですか?
どうやって暮らしていかれるつもりですか?
真剣に仕事を見つけようと考えていますか?
それならば、今の考え方で、このままのあなたでいいと、思われますか?
もしかしたら、このままでは社会で生きるには難しいかもしれません。
もしかしたら、どこの会社で働いても変わりはないかもしれません。
周りの環境のせいではなく、あなた自身を見直すことが必要かもしれません。
“出来ない”、“私には無理だ”と考えるより、“何が出来るか”、“何から始めるか”それを考えてみませんか?
完璧を求めているのではなく、少しでもトライしようとする気持ちが大切なのです。


そんな言葉を、年上の人間に言わなければならないときがある。
他人のことなんてどうでもいいやと投げ出したくなるときもある。そんなしんどいことを言わなくても、こんな人のことなんか知るもんか、さっさとどこかへ行ってしまえと思うときもある。
だけど、投げなければいけない言葉もある。ほとんど、いちかばちかの投げかけだけれど、投げてみないことにはわからないこともたくさんある。人はそんなに簡単に分かり合えるわけでもないし、周りが思うよりも人はもっと複雑なのだから。
もし、投げた言葉を打ち返してくれたら私は精一杯応える。
けれど、暴投だと怒る人間はもう追いかけない。
一度のチャンスと一度の衝突。けれどそれは「人が人の上に立つ」ようなマネジメントではなく、「人を育てる」などという立派なことでもなく、もっと根本的な人と人とのコミュニケーションというものが、とても大切な何かを私に教えてくれる気がする。

だから、人材の仕事は面白いと思う。
2005年01月19日(水)  帰宅困難者
阪神大震災から10年を迎えた近頃、テレビではよく震災を特集にした番組を放送している。それでもたぶんきっと、17日を過ぎたらそんな番組はぴたりと止んでしまうだろうけれど。

テレビで神戸の街を見たとき、知らない間に戦争が起こったのかと思った。
先日の新潟の地震のとき、余震で揺れる体育館で、老夫婦が懸命にお互いを抱留めあう姿をテレビで見かけたとき、すぐに消した。
なんの震災対策も行っていなかった自治体の責任者が、「まさか私たちの街が地震にあうなんて思っていなかったから」と言った。
大阪に住んでいる親戚の人たちと何日も連絡が取れなかった。
先日帰省したとき、「四国も南海大地震が起こって津波が来るらしいから、そのときはあんたも家の裏山に逃げるのよ」と母が言った。
最近、帰宅困難者という言葉を知った。
自分の会社から自宅までの距離を調べてみた。
昨年、震災の2年後に神戸の大学に進み、今もそこで暮らしている友人のところに遊びに行った。地震が起こり復興した街とは思えなかった。
「いま、地震じゃない?」と急に同僚が言ったとき、体がすくんでしまいそうになる。
地震が起きたときの自分を想像してみる。

地域ごとの地震発生率のパーセンテージが問題なのではなく、「自分が地震にあうとは思わない」と考えることが浅はかであり、ナンセンスであり、惨めである。

いつかきっとやってくる。
私はそのときどこにいて、何をするのだろうと思う。
昼間や夕方の地震なら東京は帰宅困難者で溢れるという。
道路に車がはみ出したり、ビルからこぼれるガラスの破片が落ちてきたり、電柱や信号機が倒れていたり、繁華街でも灯りの消えた真っ暗な道をどれだけの人が歩いて帰れるだろうか。そんな道路状況と帰宅困難者の数とで、1平方メートルの面積にたいして20数人の人たちが押し合いながら歩かなければならない状況になってしまうそうだ。

私は一日のうち、ひとりで行動する時間が多い。
営業で外回りをしているので、ひとりになることが多ければ、どこか特定の場所にずっといるというわけでもない。あちらこちらに移動しながら仕事をしているので、そんなとき地震にあえば咄嗟に何をすればいいのか、私には思いつくことが出来るのだろうか。
電車に乗っているとき、私はどうなってしまうのだろうか。
タクシーに乗っているとき、ひとりで道路を歩いているとき、エレベーターに乗っているとき、眠っているとき、料理をしているとき、デスクに座っているとき。
それは運なのだろうか。
幸運か不運か、ただそれだけなのだろうか。

震災の番組を見ながら、恋人と、もし僕らが一緒にいないときに地震にあったらいけないから、ちゃんと落ち合う場所を決めておこうと話した。でも、彼は東京に家族がいて、仕事でも責任者であって友達もいて、その上恋人の心配までしなければいけないのは、困難ではないかと思った。私は、恋人と異母兄と友人達の安否だけ心配すればいい。こんなとき、家族が別々の地域に住んでいてよかったと少し思った。
けれど私は、ちゃんとその落ち合う場所まで歩いていけるのだろうか。
知らない人ばかりが周りにいる中、私は怪我もしないでちゃんと歩けるだろうか。


アメリカでテロが起こった日、祖母が私に電話をしてきた。
NHKでテロのニュースを見たとき、東京にいるお前がふと心配になったと言った。

地震が起こったとき、ちゃんと大切な人と連絡が取れるのかどうかとても心配になる。
その人とちゃんと連絡が取れてみんなが無事であればいいと思う。
2005年01月18日(火)  恋をすること
私は年中、恋をして生きていると思う。

他の女性にとって恋人という存在が、どんな風なのかはよくわからない。
私にとって恋人は、恋人であり兄であり父であり弟であり友だちであり、私の鏡であり、私との比較対象であり、他者である。私に最も近しい人であるには違いない。
こんなとき、彼はどうするだろうかと、他者であるということを意識しているし、私との一般的な比較対象になりうる。
けれど、そう考えれば考えるほど、私の恋人になる人は、いろんな役回りを期待されて、少し可哀想になる。

恋愛はとてもかんたんに出来ると思っている。
人を好きになったり、人に好かれたりすることは、比較的簡単だと思っている。
かといって、私は私を変えることはしない。
私が私でありながら、人に好かれたりすることはとても容易なことだと思うのだ。そしてそれはそれで脆いと思っている。
人を好きになる瞬間は、それはそれで楽しいけれど儚いのだ。

私がとても苦労するのは、その気持ちやその状態を長続きさせることだ。

私は時々、永遠を勘違いするときがあるかもしれない。
好きだと思う瞬間を持続させなければいけないと思い違いをしてしまう。
毎日、好きだ好きだと思い続ければそれはきっと永遠になると信じていた。
それはある範囲では間違いではないのだろうけれど、それだときっと息が切れてしまうだろう。少なくとも私は、息が詰まって何もかもが嫌になってしまう気がする。

私は女性なので、男性が好きだ。
いいなと思う男性のことを、とても知りたいと思う。それが、恋人以外の男性であれ、誰かの恋人である男性でも、結婚している男性でも、年が何十歳も離れている男性でもだ。そんな興味がいつかは恋愛に等しい好意になるのだろう。

だから、私は年中恋をしているのだと思う。


私の恋人は私を軽視しない。
けれど特別視もしない。
それが私にとってはとても面白い価値観だと思ったから、今はもっと一緒にいたいと思う。
2005年01月17日(月)  上司は選べない
新しい上司が来たら、みんなそれなりに興味が沸く。
さてどういう人か、どんなマネジメントをするのか。
放任タイプの人だったらいいなぁとか、親身な人だったらいいなぁとか、話しやすい人だったらいいのになぁとか、いろいろあると思う。

新しく異動してきたうちのマネジャーは30代前半で、私の恋人とそれほど年齢は違わない。
まあ、年齢はどうでもいいとして、1月から異動してきたその課長は、こちらに異動になったことがかなりプレッシャーらしく、(彼曰く、前任のマネジャーは優秀な人で有名だったからだそうな。)メンバーとの個人面談を時間をかけてじっくりやり、かなりしつこいほど“自分アピール”をやっていたらしい。
「らしい」というのは、同僚から聞いた話しで、結局のところ、個人面談がまだ終わっていないのは私一人になってしまったからだ。んあー、こういうのって苦手なんだよね。叶うなら、私の個人面談がまだ終わってないことを忘れていてくれないかなぁと思う。
で、“自分アピール”ってなに?と思うけど、同僚はなかなか教えてくれない。早く面談しなよ、と言うだけで詳細は一切教えてくれない。だって、教えると面白くないじゃんと言う。そらそうだけど、こういう面談はサァ、「君の仕事のスタンスはなんだね?」とかさ「うちの会社で何をやりたいんだね?」とか、去年の実績とか見ちゃって散々お小言聞かされるんでしょうー。面倒くさいもの面倒くさいもの。

逃げ回っていてもいつかは捕まり、ということで、今日その個人面談をやっていたのだけどもね。

1. 僕、営業の仕事にむいてないと思うんだよね。
2. 僕、一生懸命マネジメントするから苛めないでね。
3. 僕の性格について(僕は比較的、人とコミュニケーションをとるのが苦手です)
4. 僕の前職について(僕は以前○○業界に勤めていました。あの仕事は最高に楽しかったなぁ)
5. あとはシモネタ。

人とコミュニケーションをとるのが苦手で、前職は最高に面白かったと懐かしみ、営業に向いてないと思いながら仕事をする上司と、あなたは部下として上手くやっていけますか?頼りに出来ますか?

いいえ、できません。


個人面談が終わった後、同僚の一人が「あいちゃん、よくキレなかったねー。」と言って笑った。んー、ちょっとキレようかなぁと思ったけど、辞めた。無駄だから。

この人はやっぱりコミュニケーションをとるのが下手らしい。
メンバーの顔ぶれが変わらない課にマネジャー一人だけ異動して来たら、そりゃプレッシャーを感じるだろうし緊張もするだろうし、早くメンバーの掌握をしたいと思うのもわかるけど、そらあんた、腹をさらけ出しすぎというか、そんな話しを聞いてお茶目に「マネジャーって面白い人ですね☆」って思うメンバーなんてひとりもいないってば。しかもさー、自分ばっかり喋りやがって、私なんか全然自分のことをしゃべんなかったよ。どういう面談さ。事実、自分アピールな時間だったね。

なんだろう、これはどう思うべきなんだろうか。
こういう話しを聞かされて、ワレワレは何をこの人に思えばいいのだろうか。
なに?
よくわからないなー。
なんだろう、このマネジャーはワレワレに同情してもらいたいのだろうか?
営業向いてないというマネジャーを励ませばよかったのか?
コミュニケーションベタなところを「そんなことないですよー」って否定してやればよかったか?
最後にシモネタでくくられて、仕方ないので私はずーっと愛想笑いで、ひとっつも面白くないのに爆笑までしてやったんだよ。営業スマイルですよ。

彼は満足そうに席に着き、仕事を始めた。
どうなるんでしょうかー、私たちは。
うちの課は、もうダメかもしれません。
すごく憂鬱なので、私は自分の仕事以外に他の仕事も掛け持ちしているので、今はそちらのデスクばかりに座って課には帰らないようにしています。なるべく上司の顔を見ないように過ごしています。

管理職な仕事をしている人がいたら、ぜひアドバイスしていただきたい。
こんな上司と付き合う方法。
若しくは、無視する方法。
若しくは、性根を叩きなおす方法。
若しくは、うまく使う方法。
若しくは、ちょっとこのままだとイケナイナーと本人に気づいてもらう方法。
2005年01月16日(日)  ふたりの言葉はテレパシー
ああ、腰が痛い。
朝起きたときから、腰がいたいのです、今日は。
なぜって、昨日は一日中、床に座ってパソコンしていたからです。そら、痛くもなりますわ。だけど、今日もパソコンをせねばならない。なぜならこの週末にやっちまおうと思っていた仕事がまだ終わってないからです。

腰が痛いので、何回も体勢を変えながらヤンキー座りしてみたり正座してみたりお姉さん座りしてみたり体育座りしてみたりしますが、どうにもこうにも。おっさん状態で、腰をぐるぐる回して伸びをしてみたりします。

というか、もう仕事をする集中力が切れたので、こうして日記を書いているわけです。でも、あまりにも暇なので仕事中の恋人に、「ねぇ、セイリが来ないの」といううざいレベルのいたずらメールを送りましたが、相当無視をされているようでいまだ返信もなく、つまらないので友人に「あいあい」という旨のメールを送ったら「ジャンガジャンガ」という返信が来て、さすが私の友よと思ったのでありました。

夕方になり、部屋が真っ暗になってきたけれど電気をつけるのも億劫で、パソコンの光を頼りにパソコンをしています。自家発電です。エアコンとコンポからの音しか聞こえません。電気くらいつけてもよさそうなのですが、面倒です。暗い部屋でひとりパソコンをする、なんて暗い子なんでしょう、部屋も暗いし。

以前付き合っていた男性が、ウェブで日記を書いていますが、これをたまに見るととてもアンニュイな気分になります。私と付き合っていた頃の彼が、とても不幸そうだからです。なんだか、脅して付き合っているみたいだからです。そんでもって、彼の書くあの頃の私は相当優しくない不満だらけの女性のように映っております。もっと優しくしてやりゃ良かったなーと、今さらながら思いますが、もう終わったことは仕方ないッツーかなんつーか。

ずーっと前に友だちとつくったサイトもあります。写真をのっけて友達同士で見せ合う目的で作りましたが、いまや誰ものぞいていないようです。早く消してしまいたい。

真っ暗な部屋でそんなこんなのサイトを見ていると、なんだか本当に暗い子になってしまいます。がしゃんと音がして玄関のドアが開きました。恋人が仕事を終え遊びに来ましたが、どうやらチェーンが掛かっている様子。ドアの隙間からのぞくと恋人がじっとこちらを見つめています。(早く開けて)という顔をしています。私はそんな彼の顔を見つめ(開けて欲しい?)と心で問いかけます。(早く開けて、ここ寒いから)と、彼は若干眉間に皺を寄せています。(外は寒いの?うちの中は温かいよ)と答えると(そりゃ、おまえ、一日中外に出ず家に引きこもってばかりじゃ、家の中も生暖かいだろうよ)と言われました。
このように、私たちはテレパシーで会話が出来ます。

洗面所で手を洗う恋人の背中を見つめ、(ねぇ、「生理こないの」なんてくだらないメール送っちゃってごめんね)と言うと、(いいよ、毎度のことだから、冗談だってわかってるし)と彼はやや肩をすくめて手を拭き、そんな彼の背中にしがみつきながら台所を通り部屋までたどり着くと、彼はさっさと電気をつけて部屋は明るくなりました。(電気をつけないと目が悪くなる、って言ってるのに。どうしてお前は電気をつけない)とまた叱られるので私はジャンガジャンガのポーズで煙に巻こうとしたら、彼がひとつくしゃみをした。


驚くことに、私たちは彼が来てからずっとテレパシーでしゃべっています。
どうでもいけどねー。
2005年01月15日(土)  そんな土曜日
最近、男友達が失恋をしたようで暇らしい。
かといって、何も用がないのにうちに来られてもかまってあげられる暇はない。なぜかというと、私の仕事がたくさん溜まってあるので、それを端から片付けなければいけないからだ。

なに?
とチェーン越しに訪問した友人に問うと、「い、いれて」と寒そうに体を震わせていたので、家に入れてやった。私はジャージにガウンで頭は爆発だし、カフェオレはこれで3杯目である。その前は野菜生活を一本飲み干し、タバコは二箱目に突入な切羽詰った状況なのでアール。

なんだかんだと、なぜ失恋をしたか、そもそも失恋というか彼女と別れてしまったんだそうだけれど、その内容をね、きっと話したいというか、自分からめそめそと話すのはあまりにも恥ずかしいので、きっと「別れたんだって?なんで?」と話しをふって欲しいのだろうけれど、私は聞かない。いま、大事なところだからだ。あとで聞いたげるから、テレビでも見てコーヒーでも飲みなさい。というか、自分でいれてね、コーヒー。

人の実家から送ってきたみかんを食べ、テレビに笑い、コーヒーをすすり、タバコを吸う彼の背中は小さい。彼女になんと言って別れを切り出されたか、私は人伝いで知っている。
「あなたといても、面白くなくなったから」だってさー。
きっつーい。きついねー。

数時間、ほうりっ放しで、やっと仕事にも飽きたので、「で、なんで別れたんだって?」と聞いたら、彼女の愚痴を訴え、めそめそし、いやでもこれは友達の前だからこそ出来る弱気な態度であって、数時間もほっといたんだから、聞いてあげなきゃかわいそうだわと思いながら、そうかいそうかい、そうだったんだねーと頷いてやった。
ひとしきり愚痴を言い終え、友人はため息をつく。こりゃ、相当参っていますな。なんだか、しんみりとした雰囲気になったので、これはなにか勇気付ける一言を言ってやらねばいかんと思い、「あのねー、男の人はねー、面白くなくてもいいんだよ、面白くない人間でもイイっていう女の子もいるからねー」と言ったらちょっと裏目に出てしまったらしく、「俺は、そんなに面白くない?ねね、そんなに面白くない?」と詰め寄るので、大変困ってしまった。

まぁ、みかんでも食べなさいとお茶を濁し、また仕事をする。
友人はテレビを見る。
そんな土曜日。
2005年01月14日(金)  ジャンガジャンガ
恋人同士の倦怠期というものはオウオウにしてやってくるものですけれど、それはそれとして、うちの電子レンジが最近凄く生臭くなってしまった。なにが生臭いって焼き魚とピザの臭いが混じった臭さなのです。

いくら掃除してもダメ、ドアを開けっ放しにして出かけ、帰ってきて臭いを嗅いでみてもダメ。なんで、くさいのかなぁ、今までレンジでチンしてもそんなに臭わなかったのに、ねぇなんでだと思う?汚れが残ってるのかなぁ、ぜんぶ布巾で拭いたのにね。伊藤家の食卓でなんか言ってなかった?電子レンジの不快なにおいをとる方法とかってなかったかなぁ、ああ、あの電子レンジ専用のふき取りシートみたいなのあるよね、チンして拭く奴でしょ、あれもやったんだよね、でもさー全然ダメなんだよね。逆にさー、別の臭いをつけたほうがいいのかなぁ、レモンとかチンしてみたらどうなんだろうねぇ、甘酸っぱい臭いで魚臭さがなくなるかもねぇ、だって魚にレモンかけて食べたりするでしょう?あれって、魚臭さをとるためなんでしょう?ちがうの?

という話しをしながら、セックスをしようとする恋人の体を足で避けていたのですが、普通は、「なぁいいだろう、お前」という彼氏と「いやよやめてよ、今日はダメ」という彼女という、いやよいやよも好きのうち、みたいな会話を繰り広げてもよさそうなこの状況で、レンジが臭くて伊藤家の食卓で臭いをとる方法はやっていなかったかという話しをしており、だから私たちはとうてい倦怠期なのです。

そんなこんなでも、ふたりの目はテレビに行っており、なんだかんだ電子レンジの臭い話をしながらも、テレビの画面ではチンパンジーだかオランウータンだかが映っており、恋人は手を休めてそれに見入り、私は冷蔵庫を開けてレモンを取り出しカットして、真っ暗な台所で光ってまわる電子レンジを眺めておった。

それで、5分後電子レンジを隈なくふき取ったけれど、でもやっぱり臭い。レモンのにおいなんてすぐになくなってしまった。もう面倒になったので気になさらないことにしてベッドに戻ったら、恋人が「ゴリラって可愛いねー」というので、あああれはチンパンジーでもオランウータンでもなくゴリラだったのかと思い、「電子レンジ、もういや」と答えたら「ゴリラって絶滅しそうなんだって」と言うので、「やっぱりもう一回電子レンジ用のお掃除シート買ってこようかなぁー」と答えた。ぜんぜん会話がかみ合っていないけど、お互いの話しは聞こえていなくはない。ただ、興味がないのだ。

はい、いいよ。
いいよ、してもいいよ。
と言うのは、もうセックスしてもいいよ、今日は電子レンジのことは諦めたから、という意味だけれど、恋人はまだまだテレビの中のゴリラに夢中で、私はひとりで、ねえ、いいよ、もういいよ、してもいいよ、とずっとひとり言のように言っていた。


私はアンガールズが大好きです。
あいあい。
2005年01月13日(木)  平坦な声
おかーさん、ごめんなさーい。
おかーさん、ごめんなさーい。

と、朝7時に子供の声がする。
その声にあまり切羽詰った感じはない。
平坦な声で何度もその言葉を繰り返している。

窓をあけ、外をうかがってみた。
あたりには子供の姿はなく、通勤途中のサラリーマンしか見えない。

おかーさん、ごめんなさーい。
おかーさん、ごめんなさーい。

しつこいほどに、そしてなんの感情も篭っていないその声は、ずっと聞こえていた。

顔を洗って着替えてテレビを消したら、その声を余計に大きく聞こえてきて、私もひとりで呟いてみた。おかーさん、ごめんなさい。
2005年01月12日(水)  役に立つこと、励ますこと
私の会社は派遣会社です。私はそこで営業担当をしています。
営業の仕事は、企業から人材のニーズを拾ってきて派遣契約のメリットをつたえ、ニーズに合うスキルや経験を持った派遣社員を紹介して契約し、またその派遣社員と雇用契約を結び、稼動させます。
派遣社員の仕事が始まれば、今度はその派遣社員の就業中のフォロー、たとえば行う業務内容に変化はないのか、就業先とうまくかみ合っているのか、意志の疎通は上手くいっているのか、困っていることや不安はないのか、またあればそれを解決したり、派遣社員と派遣先との交渉の接点で調整を行ったりということもしなければいけません。

一日就業しただけで、「やっぱり契約をとりやめたい」という派遣社員もいれば派遣先の企業もあります。その理由は様々です。思っていた仕事内容と違った。思っていたようなスキルを派遣社員が持っていなかった。なんだか馴染めないから。なんだか居心地が悪いから。隣の女子社員が意地悪だから。課長に怒鳴られて叱られたから。通勤が辛いから。体調が優れないから。時給が低いから。

いろんなケースがあるけれど、それは時に私の責任でもあり、たとえば派遣社員がイメージしていた仕事の内容と実際が異なっていた場合は、それこそ、私の責任なのです。ちゃんとその派遣社員とイメージの共有ができていなかった。お互いが相手が理解しているだろうときちんとした説明が不足していたのです。
通勤がきついとか、時給が低いといった内容ならば、最初にきちんと通勤先も時給の金額も伝えてから、合意の上で契約をしたことなので、今さらそんな理由を言われてもこっちも困っちゃう。こらこらときちんとお説教させてもらいます。「だって、通ってみたら遠かったんですもんー」とか「よくよく考えたらやっぱり時給は安いかなぁーと思って」などと言うけれど、そういうことはもっと以前に検討していただきたい。たいてい、こういうことを引き起こす派遣社員は、どこに行っても同じことを繰り返し、職を転々として定職にも就けないでしょう。
馴染めないとか居心地が悪いとか正社員とうまくやっていけないという場合は、何がその理由で、どういったことが起きてそう思ったのか、その話しを聞いて解決できる可能性があればそれに努めなければなりません。

そういう問題は、たいていがスキルとか経験とかそういう社会で養った価値観ではなく、人間同士の「地の部分」みたいなものが大切になってくると思う。
たとえば、「派遣社員の癖に私より仕事を多く取ろうとしている」という嫉みとか、「派遣契約なんだからといって残業もしないでさっさと帰ってしまう態度が気に入らない」とか、「生理的に嫌だ」とか、「派遣社員をただの道具として使っている派遣先のスタンスが嫌だ」とか、いろいろです。

そういうことを、派遣先の人や派遣社員と話しをしていくうちに、いろんな人の汚い部分が見えてくる。もちろん、きれいな部分も見えてくる。


正社員と派遣社員のつかみ合いの喧嘩を見たことがある。
派遣先の課長を罵る派遣社員を見たことがある。
派遣社員同士のイジメでノイローゼになりそうな人を見たことがある。
パソコンの前で泣きながら仕事をする派遣社員を見たことがある。
無断欠勤でずっと連絡が取れない派遣社員もいたし、派遣社員をモノとして扱う派遣先もある。

時には、営業だということを忘れて本気で怒ったこともあるし、本気で心配したこともあるし、呆れたり、関わりあいたくないと思ったこともある。就業後、喫茶店で派遣社員の相談を受けたり、真夜中に派遣社員から電話がかかってきて泣きながら不満を訴えられたこともあった。3時間くらい派遣先の担当者と話し合いをして派遣契約を中途解約したこともあった。

人間が働くということは、その人の生活を支えていくことである。仕事がなければ生活出来ない人は世の中でほとんどではないだろうか。だからみんな、就業の機会を得るために必死だし、人材を確保するために必死で、その就業の機会に真っ向から触れる私たちの仕事は、時々、社会の立場や年齢や経験や知識などは必要なく、最終的にその人本来の人間性が試されるときがある。


いろんな人のいろんな価値観や考え方に触れることが出来て、私は今の仕事に就けたことを幸運に思う。モノを売る営業の仕事を私には経験がないのでよくわからないけれど、人材の仕事ほど人間が問われる仕事はないと思う。人材営業でよかったと私は思っている。

仕事始めの日、一枚の年賀状をもらった。
ある派遣社員からの年賀状で、その人は今仕事はしていない。
去年の暮れ、体調を崩してやめてしまった。
原因は、職場のストレスだった。私は、いろいろと彼女から話しを聞いて、慰めたり励ましたりしていた。ひどく重い問題で、私も少しその問題に疲れていた。どうしようもなく、仕事を辞めることを彼女に勧めた。せっかく見つけた仕事を手放すことに彼女はとても悩んだけれど、このままだと何も変わらないし始まらないと思った。ふたりで派遣先にそのことを伝えて謝罪した。
年賀状には入院することになったと書いてあって、最後に、ひとりでは何も出来なかったけれど営業の方がいてくれてとても心強かった、励ましてくれた言葉を忘れずに次の仕事は必ずやり遂げたい、と書いてあった。
入院させるほどのストレスを与える前に、もっと早く辞めさせてやればよかったとも思った。けれど、手を尽くして彼女と相対したことが、次の仕事をする彼女の役に立てればよかったと思った。そんな言葉を誰かに言ってもらえることは私にとっても嬉しいことだ。


人はみな、誰かの役に立ちたいと思っている。
誰かのおかげで頑張ることができ、そしてまた誰かの役に立てることがある。
2005年01月11日(火)  教育担当になりました
1月からうちのフロアにふたりの中途入社が入ってきた。

私も中途入社組みなので、「君は彼らの先輩に当たるのだから、ぜひ教育担当をしてくれ」と言われたけれど、しんどかったのでお断りをした。だいたい、中途入社なんだから先輩と言っても相手は私より年上の人だったりする。そういうのに気を使ったりするのも面倒だし、それに今は自分の仕事でいっぱいいっぱいなのだ。そしたら、もうひとりサポートをつけるから君もやりなさいと、やや命令口調で部長から言われたので、お断りできず引き受けることになった。

なんだか、最近、何もかもにやる気が起きない。自分のことだけをやっていたいし、誰かのペースに巻き込まれたくもない気分だ。他人に興味が起きない。自分も最低限のことだけやってあとはぼーっとしていたい。

もうひとりの教育担当は私と同じ歳のいつも鼻をかんでばかりの男の子だ。
彼は、上昇志向なのかしらないけど、教育担当なんて仕事は、これからの自分のキャリアになるし、将来、管理職になったときにきっと役立つからと、とっても勉強熱心で熱い男だ。だから、私は彼が苦手である。
すべてのスケジュールやプログラムはこの彼にお任せして、私は言われたことだけをやる。こういう人には横槍をいれないで黙って従ったほうが何事もスムーズに行くのだから。


けれど、なんだかいろいろと面倒なことが起きそうな予感がする。
彼が張り切れば張り切るほど、なにか嫌な予感がする。
それはたとえば一方方向のコミュニケーションのような、作用点の定まらない力関係がぐるぐると何かを巻き込みそうな、そんな嫌な予感がする。
そしてきっとそれは的中しそうななにかがきっと起こる気がする。
2005年01月10日(月)  起きれない
今日は祝日だけれど、ゴミは回収するんですって、奥さん。

以前に住んでいたマンションは、一階にゴミ置き場があってそこに出しておけば、毎朝来る管理会社の清掃のおじさんがゴミをまとめて出してくれていた。「ゴミを出す日は守りましょう」と、ゴミ置き場のドアに書かれていたけれど、私は、きっと他の住人も曜日に関係なくゴミを出しに行っていた。

でもでも、今のマンションは管理費がないということで清掃のおじさんも来ない。ということはゴミは朝八時半までに所定の場所に出しましょう、というわけである。
ゴミを出す場所は、ちょうどうちのベランダの真下にある。
ベランダからゴミを垂直に落とせば、ちょうどゴミ置き場に着地してくれる位置だ。
一度はやってみたい。
だって、休日の朝八時半に、何が悲しくて起きてゴミを出しに行かねばならないのだ。
なんで、目やにがついてないか確認して髪をまとめてガウンを着て、ジャージの破けそうなところを隠しながらスリッパはいてゴミ袋を担がなければならないのだ。

主婦のみなさんはいつもこうなのかしら。
誰かゴミだししてくれないかなー。玄関に出しといたら誰かいい人が一緒に持っていってくれないかなー。恋人が行ってくれないかなー。でも「ゴミ出してきて」なんて言ったら可哀想だもんなぁ。

携帯のアラームが8時に鳴って、朦朧とした意識の中で「ああ、ゴミ出しかよ」と思いながらうつらうつらする。会社の携帯のアラームも鳴り出す。けれど、誰もそのアラームを止めることもなく、律儀に携帯たちは5分おきに1分間の大音量を流してくれる。
起きなきゃー、起きなきゃーと思うものの、ぜんぜん体が起きない。恋人は頭からすっぽりと布団をかぶっているので、たぶんきっとアラームは聞こえていない。二度寝して5分後のアラームで目をさまし、また三度寝してまたアラームで目を覚まし、そうこうするうちに、髪をとかし目やにをとりガウンを着てゴミを出しに行く夢まで見てしまった。ああ、これでまた眠れる、やれやれ、とベッドに入る夢まで見てしまった。

ふがっと目を覚まして時計を見たら、10時をまわっていて、携帯はもうアラームを鳴らさなくなっていた。ベランダに出て真下を見たら、きれいさっぱり他の家のゴミは回収されている。これでうちは一週間もゴミをためる羽目になってしまったという、どうでもいい話。
2005年01月09日(日)  大工の孫ですから
最近、ディノスとベルメゾンとニッセンと無印のサイトばかり見ている。
引越し後の様々な買い物をそれで済ましている。

まず、買ったのはラグマットと押し入れ用の収納ケースと押入れ用のハンガーバーと台所の隙間棚。で、マット以外ぜーんぶ自分で組み立てなければいけないのだけど、商品が届く日にはちゃんと恋人が来てくれる事になっており、そしてすべて彼が組み立てる。

一度、説明書を見ながらハンガーバーを組み立てたのだけど、15番のねじで3番と2番を固定って書かれてあっても、2番と3番を両手で支えて並行に立て、15番のねじを足で探してみるけれど、ないないなーい、ねじがたくさんありすぎてどれかわからない。で、やっと見つけても2番と3番を両手で支えているので足でお取り寄せすると指がつるんだよねー。
面倒くさくてイライラしてきたので、ねじはどれでもいいやと思って、適当な大きさの使えそうなねじを側にあったものから差し込んでいったら、出来上がったのはグラグラ揺れるハンガーバーで、なんだか知らないけどいろんな部品が余ってしまった。それでもって洋服を一個かけたら、ガシャンと倒れてしまった。しかも足の親指の先にポールが落ちてきたので、うんざりした。

ふてくされて寝転がっていたら、仕事から帰ってきた恋人が見るに見かねてちゃんと組み立てなおしてくれた。

恋人とふたりで、台所の棚を組み立てるとき、ドライバーで一生懸命ねじを巻いていると、手のひらにマメが出来た。しかも真っ直ぐ入らなくってねじの頭を潰した。うちのおじいちゃんは大工なんだけど、私はその血をひいていないらしい。
恋人は格好つけてねじや釘を口にくわえて腰にはドライバーとトンカチ(100円ショップで買ってきた)をさしている。

そんな恋人を眺めながらそろそろと後ずさり、ばれないようにタバコを吸ったりカフェオレを飲んだりテレビを見ていたりすると、「出来たー!」と声が上がった。よしよし。
2005年01月08日(土)  じっと過ごす
まだぜんぜん風邪が治らないので、ずっと横になっていた。
体はだるいのに、せっかくの三連休を寝て過ごすのはつまらない。ベッドに寝転がって鼻歌を歌う。同じフレーズばかり繰り返して歌っていたら、台所でお粥をつくってくれていた恋人が、「早く続き歌ってよ」と声をかけてきた。


なんだか最近、体があまり丈夫でなくなってきた。
ひとつつまらない病気をすると、治るまでになかなか時間がかかるようになってきた。
ずっと前だったら、一日ゆっくり寝ていれば風邪なんてすぐに治ったのに。


たまに、自分の体から魂が抜け出るみたいに、自分が見えている映像そのものが嘘か誠かわからなくなる瞬間がある。自分は本当に生きて、今見えているものを眼球で追っているのだろうか。それは本当に自分の目で見ているものなのだろうか、もしかしたらその映像は頭が勝手に再生した、想像の中の映像でしか過ぎないんではないだろうか。
現実味がなくなり、いつが今で、過去がいつなのかわからなくなる。
そして貧血になって目を閉じる。

貧血になったら、恋人が私の背中を撫でてくれる。
そうされると落ち着くからだ。
小さい頃、背中を直に撫でてもらわないと眠れなかった。
寝つきの悪い夜、母がいつもそうしてくれた。

母を愛してないというのに、私はそれでも幼い頃の母を追い求めている。
恋人の手に昔の母を思い出している。
2005年01月07日(金)  鼻が出ます
昨日が、死ぬんじゃないかと思うくらい寒い日だったので、風邪をめしてしまいました。

朝、目が覚めたらひどく体が重くて、立とうと思ってベッドからおりると、腰に力が入らずにそのままへたれてしまいました。あん?これは何?とすぐにはなにがなんだかわからず、まだ寝ぼけているのかしらと思いつつ、もう一度立とうとしていたら眩暈がしたので、すぐにまたベッドに戻った。
こりゃいけねぇ、と思いながら熱を測ろうかと思ったけれど、体温を測ったところでもし相当な高熱だったら、余計に精神的ショックで寝込んでしまいかねないので、体温は測らないことにしてちょっと熱があるだろうと思うことで留まった。とにかく体調が思わしくないので、まずは会社に電話して上司を捕まえて欠席届を出さなきゃいけない。けれど、このうちの着任したばかりの上司が、気を張って頑張っている方なので、「なに?体調を崩した?熱は?どこが悪いんだ?今日、休むの?ほんとに?」とうるさく突っ込んできてうっとうしい。本当か嘘か確認されているみたいで、ちょっと嫌だ。別に急ぎのアポもないし、まだ本格的に仕事もまわってないので休む。休めるときに休む。上司が納得するかどうかは別にどうでもいいので、私はとにかく病院に行きたいので休みます。

タクシー拾って、行きつけの病院に駆け込んだら、すぐ血を抜かれ点滴の針を刺され寝かされた。
去年の今頃も、風邪をこじらせてそのまま入院させられたので、うわ言のように看護士さんや医者が側に寄ってきたら、入院しないからね入院しないからね入院しないからね入院しないからね入院しないからね、と呟いてあらかじめ拒否の意志を伝えてみた。
腕に針をさすとき、いっつも腕をパチンパチン叩かれて「あんた、ホント血管が出てこないのよね!」と言って叱られる。ごめんなさい。


なんだかんだと、この日は本当に大騒ぎでした。
また入院するのか?という噂が飛び交い、異母兄が病院に駆けつけ恋人も駆けつけ、結局、なんでもない風邪だと判明したらふたりとも「大げさなんだよね」と面倒くさそうに帰っていった。


ああ、安らぎが欲しい。
2005年01月06日(木)  ★◎△…☆○■……
あけましておめでとうござ★◎△…☆○■……。
今年も宜しくおねが●▽……◇★☆◎…。

と、毎回毎回、お客さんと会うたびに新年のご挨拶をしている。が、お客さんが頭をさけながら語尾をごにょごにょさせてご挨拶をしておられるので、私も真似している。

あけまし ごにょごにょごにょ。
おめでとうございま ごにょごにょ。

新年の挨拶をしている雰囲気が伝わればいいのだ。こんなものは形式的なものでいいんだから。でも、そのうち度が過ぎて、
あけ ごにょごにょごにょごにょごにょ。
おめで ごにょごにょごにょごにょ。
となると、本格的に何を言っているのかわからなくなってしまうので要注意。


仕事始めの日は、午前中にデスクワークをして午後から出かけた。
出かけたと言っても、新年一発目にそれほどアポもあるわけではなく、お客さんのほとんどが翌日から営業なので、暇で暇でしようがない。
なので、同僚とまずエクセルシオールで待ち合わせをして、カフェモカを飲みながら1時間座って、そのあとマックに行ってウーロン茶を飲みながら1時間ダラけて、その後スタバに行って外のテーブルに座ってぼーっとしながらラテを飲んで時間を潰した。
夕方、会社に戻ったときは30分おきにトイレに行きたくなるくらい、おなかの中がチャポチャポだった。

やる気がない日はこのように過ごしています。
もう何もかもがどうでも良い。
2005年01月05日(水)  薄っぺら
私は、母を愛せないと、帰省したときはっきりと自分に確かめた。

なにがあったわけでもないけれど、ふとそう思った。
母の姿を見ながらふとそう思った。
そして、そういう思いを自分の中に認めたとき、正直ほっとした。
母を愛さなければいけないという思いがふと解かれ、私は母を愛せないと思った瞬間、そういう親子もあり得るかもしれないと、その可能性を信じることにしたのだ。
無理に、素晴らしい親子の付き合いをつくろうとしなくてもいいのだ。
諦めたっていいのだ。
そう思ったらほっとした。

家族や親子は強い絆で結びついているとよく言われる。
そうかもしれないけれど、私には実感がない。

帰省したとき、母が「引越し先の新しい住所をメモに書いておいて」と言っていた。書かなきゃいけないと思いながらも、ついつい忘れてしまい東京に戻ってきてしまった。これで、父も母も私の住む場所がわからずじまいだ。
そのときふと思った。
このまま居所も教えずにいれば、私と父母とのあいだは切れてしまうのではないだろうかと。このまま連絡も取らないでいれば、母の元から消えていなくなってしまえるではないか、と思った。
このままずっと、父や母に会うこともなく、自分ひとりだけでもいい、生きていけるのではないかと思った。
電話が鳴り、恐る恐る受話器をとると、母の声がして、「住所、書いておいてっていったのに。さあ、住所教えて。」
私は一瞬、沈黙した。

ひどい人間だと誰か思うだろうか。
私はそもそも、良い娘ではない。だから、ひどい人間だと思われて当然だと思う。
それにたいして、反論する意味もないし理由がない。

親を、そんな風に思う人間は、恋愛も結婚も、そして子供を作ることも出来ないと思う。親を愛せないで、なぜ他人である男性を好きになれるのだろう。なぜひとの親になれるだろう。恋人が、私に愛しているよと言うたびに、私は「嘘だ」と思っている。だって、本当に嘘っぽいからだ。

私は、どこまでも薄っぺらい。


もう少し、自分は良い娘であればよかったと思う。
父や母の望むように、望む仕事をして望む場所に住み、望むような恋愛や結婚をして、望むような生活をする娘。今の私より、もう少し我が弱くて欲望がなくて控えめで、父や母を大切にする、良い娘であれば良かった。
そんな風に、親に対して後ろめたさも感じている。
人並みに、自分が親不孝モノであると言う自覚もある。
でもだからと言って、今から孝行すればいいじゃないかという問題ではない。
盆や正月に帰省して親孝行をし、誕生日には花を贈り結婚記念日にはプレゼントを贈り、感謝の言葉ひとつ伝える、ということではない。
私が、後ろめたさを感じているのは、もっと根の部分のことで、私自身のことだ。
私の性質や価値や存在が、もっと父や母の望むものであれば良かったということだ。

私はどこまでいっても薄っぺらだ。
2005年01月04日(火)  ガンバる課長
仕事始めで一月ということで、今日から上司が変わりました。

なんだか、新しくやってきた管理職の人たちっていうのは、肩に力が入りすぎてて、見ていてちょっと痛々しいものです。
ずっと続くわきゃ無いのに、いい格好をしようとしているのか知らんが、ちょっとした仕事の相談事で部下を詰める。つめてつめて厳しく管理しようとしているんだろうけど、ホント続くわけないよ。一ヶ月もたったら自分の仕事でいっぱいいっぱいになるに決まってんだから。
この一ヶ月は我慢の時間になりそうです。
早く、野放しでお仕事できる日がこないかな。

今日からメンバーのひとりひとりと個人面談をするそうですが、私は嫌なので逃げまくってます。時間くれと言われても、来週ならたぶん空いてると思います、と言いながら毎回逃げまくろうと思っています。だって、ヤナンだもん。
個人面談というのは、メンバーの仕事に対する考え方とか方針などをヒアリングして、みんなが一体どういう人物なのか上司が理解する機会なのだけれど、いやいや、人の腹のうちを探ろうとする前に、自分の腹をさらけて下さいよ、と思う。
一方的にはやられないよ。フフフ。

同僚なんかは、かなり気を使っておられる。明るく声をかけたり世間話をしたりと、新しく着任した上司の緊張をほぐしているのか(?)、やたらと気を回しておられる。なんで、そんなにヘラヘラしないけないのか。私はそういうのはダイキライなので、用がないなら接点もないし、無理に近寄ろうとも思わない。
むしろ、ちょっと底意地悪く、するりするりと逃げて、逆に上司の腹を探ってやろうと思う、嫌な部下なのです。そんなに来たばかりの上司に好意的ではないのです。
だって、所詮私は部下なのですから。
2005年01月03日(月)  片付けられない女
自分はきっと片付けられない女です。
いらないものは引越しの荷造りをするときに捨てちゃえば良かったのに、なんだかんだギリギリまで荷造りをしていたので、結局新しい部屋に全部持ってきていて、今さら「いるー、いらなーい」と捨てています。

PS2がうちにあります。(初代版?)
これを売ってしまいたい。ゲームしないし。PS2が出たばかりの頃の忘年会のビンゴで当てました。当時は嬉しかったけど、今じゃ埃をかぶっています。
誰か買いませんか。コントローラーは一個ついています。
3000円で譲ります。誰か買いませんか。連絡ください。

あと、壁に立てかけて使うハンガーポケット?みたいなパーティションみたいなやつ、あります。でかいです。ちょっと興味ある人、連絡ください。5000円で譲ります。連絡暮れたら写真とって見せます。今、うちではスーツをがんがんかけていますが、きっと洋服をかけるものではありません。

ところで、収納というのはセンスだね。
この開いた空間を何を使って片付けるかというひらめきが一切おりてきません。収納の神様は私に微笑んでくれません。なので、開いてるところにがんがん放り込み、無印に収納ケースを買いに行ったはいいが持ち帰るのが面倒になって、結局、お茶を飲んで帰ってくるここ数日。
とりあえず生活空間は確保していますが、押入れは開けてはいけない状態になっています。

そういえば、さっきからテレビでは「帰省ラッシュが始まりました」と言っておるが、世は明日から仕事なのではないのか?もっと早めに帰省ラッシュがあるものではないのか?明日は本当に仕事なのか?うちの会社は明日営業するのだっけ?と、急に不安になってきたので、同僚に電話したら「なにをほざいておる。明日は仕事だ」と言ってくれたので、多分、明日はうちの会社だけ営業をするようです。世は明後日から営業なのに、うちの会社だけ開店休業でだらだら仕事をするのだそうです。明日はきっと営業に出かける振りをしてどこかでお茶をして一日を潰します。こんな日があっても良いではないか。世は帰省ラッシュなのだ。

やっぱり自分は片付けられない女です。
やる気がおきないので、隅っこに荷物を寄せる。
置けるところに置く。
扉が閉められるところは扉を閉めて、見ないようにしてみる。
1万円やるから誰か片付けていただきたい。
暮らしやすいようにすぐ物が取れるように収納していただきたい。
2005年01月02日(日)  10年後の布石
夜の空港はとてもきれいだ。
青と緑の豆ライトが滑走路を縁取っている。

帰ってきても、自分の部屋は引っ越しから一向に片付かない。
うんざりするので、恋人の家に行って眠る。


私が、「あの人、すごいなぁ」と思う人は、いつも数年先を見て生きている。
たとえば来年、自分はどうなっているのかと考えてみた。
今の仕事を続けているかはわからない。
この恋人と一緒にいられるかもわからない。
東京にいるのかさえもわからない。
何も予定をしていない。
夢と現実とは違う次元で動いているように思える。
私には、夢と現実との架け橋がない。
ないと言うだけで、つくろうとさえしていない。

たとえば10年後。
35歳を想像してみる。
そのとき、「どうありたいか」に向かう架け橋として、これからの10年を考えてみる。
35歳の自分に向って、それまでのステップの一段目として何を選ぶのか。

たとえば35歳を想像してみた。

日陰の道路には、まだ雪が残っていた。
2005年01月01日(土)  一年の計は元旦にアリ
うちは何派の宗教か知らないけれど、神社に参ってお参り。なにを祈るのか。
年に一度だけしか参らないのに、健康な一年になりますようにとか家内安全とか、都合のいいことばかり一方的に参っても仕方がないように思える。

私は地元の高校には行ってないので、『元旦は同窓会をするので集合』というメールを貰っても、仕方がない。仕方がないくせに他人の卒業した高校の同窓会に紛れ込んで、中学の旧友とお酒を飲む。

今振り返ってみたけれど、去年の1月1日も同じように、他人の同窓会に紛れ込んでお酒を飲んでいる。そして同じメンバー。散々酔っ払って午前4時に帰宅。

居間のホットカーペットの上でうつらうつらしていると、真上に母の怒り顔。

ただいま。
一体、何時だと思ってんの!


恒例の雷、今年も落ちた。
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