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2004年12月31日(金)  大晦日
12月31日。大晦日。

文章を書くのが好きだ。
みんなもそうだと思うけど、休む間もなく頭の中(心の中)ではいろんなことを考える。感じたり気づいたりする。
私も、頭の中では喋ることを休まない。
そんなことを、夜、パソコンに向って、今日は何を考えたかなって思い返す。
それをタイプしていくうちに、ぐだぐだととり止めもなく考えていたことが自然と整理されたりしていく。
思いが言葉になって整理されていく。

そのうち、あーそうかそういうことか、なんて新たに何かに気づけたり、まったく違うこと感じられたり。だから、文章を書くことはとても好きだ。

自慰行為でもあると思う。
誰に聞いて欲しいというわけでもなく、記録に残すほどのことでもなく、ただ書いておきたいから。ただ整理してみたいから。もう一度はっきりと言葉にしてみたいから。
自慰行為そのものでしかないと思う。


誰もが今年一年を振り返る日。
そんな一日を私は文章を書いて過ごす。
今日、感じたことをこれまでと変わらず言葉にしてみる。
2004年12月30日(木)  結婚してもらいなさい
帰省しました。

同じ年齢の従姉妹が結婚することになり、親戚一同から「お前はいつ嫁に行くのか」と散々言われ、打ちのめされてしまいました。
結婚すんだってー?と彼女に聞いたら、
そうなの、赤ちゃんできちゃったから。だってさ。

まだまだ25歳だし結婚は早いかなぁと思っていたのに、田舎の人たちにとっては「25歳はいき遅れ」だそうで、ああ、もう来年から私は帰省なさらないことにしました。だって、結婚結婚とこれからどんどん周りがうるさくなるからです。
おじ「あいは、結婚してくれるヤツおらんのかー?」
あい「おらんね」
おじ「おまえ、彼氏おらんのかー?」
あい「おるけど、結婚はまだまだするつもりないよ」
おじ「アホか。おまえ、もう嫁にいってないと、これからどんどん歳とってそのうち結婚してくれる人もいなくなるぞー」
あい「はぁ、そうですか」

今年の5月に恋人を連れて実家に帰っていました。
親戚一同、あいが彼氏を連れてきたのでもうすぐ結婚かと、喜ばせてしまったようだけれど、この年末には私ひとりで帰ってきたので、「あいは、あの男の子とは別れちゃったのかしら?」と思われてしまったらしい。
無闇に恋人を田舎に連れ帰ってはいけないね。
ところで、母はその恋人のことをとても気に入っています。
母「○○君は元気?」
あい「元気」
母「あんたは、○○君と結婚せえへんの?」
あい「さぁ、どうかねぇ」
母「あんたねぇ、○○君と結婚してもらいなさい。彼氏がいるうちに結婚しといたほうがいいわよ。早く捕まえてさっさと結婚しとかないと、あっという間に30歳よ!」
あい「まだ、あと5年もあるけど」
母「いいから、○○君と結婚してもらいなさい。」

なんという言われ様。
すごいヘコんだ。
結婚してもらえって、してもらえって!


みんなが結婚結婚とうるさいので、来年からは帰省を規制します。
2004年12月29日(水)  東京初雪
雪だよ、という言葉で起きた。

私は、夢から現実に醒めるその一瞬を掴まえてみたいと思っているのに、どうしてもその一瞬を味わうことを忘れて目を覚ましてしまう。眠りの中でもなく完全に覚醒しきっていないその一瞬は、一体どんな感覚なんだろうと思う。

恋人がつけたエアコンで部屋は充分に暖まっていて、テレビからは「東京には初雪が観測され……」と聞こえて来る。

雨の日は外に出たくないと思うのに、雪の日は早く外に出てみたいと思う。
雨の日は傘をさすことを躊躇わないのに、雪の日は傘をさすものなのかどうか迷ってしまう。

古い家の屋根や桟には雪が積もっているのに、新しく建った鉄筋のマンションにはそれほど長く雪はとどまらない。

私たちは買い物に出かけて大きな荷物を両手にカフェに寄った。
なんの飾りもない大きな窓の前に座ると、真っ白いふわふわした雪がはっきりと見えて、空中が白く見えた。

恋人の吐く息が白かった。
私の吐く息もきっと白いのだろう。
2004年12月28日(火)  久々に年賀状にかかる(4枚)
仕事納めでございます。

なんだか、無理やり仕事を納めた感がある今日ですが、まあ良いではないか、終わったものは終わった。いやー、終わったね、終わった終わったと、同僚の女の子が放心しきってうわ言のように繰り返していた姿が印象的です。

で、なにやらメールで課内の住所録が回ってきたので、なんなのこれ?とアシスタントの女の子に聞いたら「年賀状ですよ!あいさん、書いたほうがいいですよ!年賀状は。社会人の常識です」と。
なるほどー。みんなちゃんと書いているのか。社会人になってからというか、高校生くらいからあんまり年賀状なんて書いてないなあ。中学生までは母に年賀状の束を渡されて「書け」といわれ、渋々書いていたけど。

そっかそっか。
やっぱり今年は書くべきかなぁ。うちの上司も1月から異動だしなぁ。お礼の言葉くらいは書いたほうが言いかなぁ。んー、それからアシスタントの子にも書いたほうがいいかなぁ。散々、お世話になっているし、いや、こうなったら全員に書くか。んーでも面倒だなぁ。

ということで、うちの課は8人なんだけど、イラストがついた年賀状5枚入りを買った時点で、全員に送るのは断念、というか、5枚入りを買うことじたい、書く気がそもそも無いということなんだけど。
で、まず上司に。
『新年あけましておめでとうございます 昨年は大変お世話になりました 異動されても頑張ってください』
と、書こうとしたら一枚書き損じてしまったので、これですでに年賀状を送る人は4人に減ってしまった。アシスタントの女の子になにを書こうかと悩んだけれど、年賀状にあった鶏のイラストが目に入ったので、
『コケコッコ あけましておめでとう 今年もアシスト宜しくね』
と書いてやった。
『コケコッコ』がかなり気に入ったので、これはもうどうでもよくなり、一番親しい同僚に一枚。
『コケコッコ あけましたよおめでとう』と一言書いた。

ちなみに、上司に送る年賀状にも『コケコッコ』と付け加えておいた。
完全に上司をナメている。

残りの一枚は、会社の同僚に送るのはもったいなくなったので、恋人に送ることにした。


社会人の常識を、今年も破ってしまいました。
2004年12月27日(月)  東が西武で西東武
♪不思議な不思議な池袋 東が西武で西東武
♪高くそびえるサンシャイン
という歌が延々と流れる店に毎日のように行っている。

何が欲しいのかというと、台所がやけに寒くて凍え死にそうなのでヒーターが欲しいのだ。で、アワヨクバ空気清浄機の安くて小さいのがあれば欲しい。(じゃ、タバコやめなよと誰かに言われそうだけれど)。引っ越しっていろいろそろえるのにお金も掛かるので、オカネに余裕があれば買いたいと思っていたのだけれど。

で、見つけたの。電気ヒーターが8000円で空気清浄機が6000円だったの。
でねー、ポイント使ったらタダになったのー。ポイントでぜんぶ精算できたのー。
ただでもらった気分だねー。

んー、誰かに自慢したい誰かに自慢したい誰かに自慢したい!
2004年12月26日(日)  あふれる
恋人がそばにいなかった一ヶ月を埋めるように、たっぷりと彼に甘えた。
私たちは、レストランに入って食事をしているときも、人が沢山乗っているデパートのエレベーターの中でも、布団に潜り込んで目をつぶっているときも、ずっとずっと話し続けていた。
いつまで話してもまだ足らなくて、私たち以外の誰もいない部屋なのに、誰にも聞かれないように、ベッドの中で小声でひそひそと話し続けた。

死ぬまでの時間をもってしても、誰かのすべてを知り尽くすことは出来ない。
自分以外の誰かを知りたいと思う欲求は、その人と自分の間の引力になる。

恋人と一緒にいると、私の心の中で大量の水がざあっと流れている音が聞こえる。本当にその水の量は多くて、留まることを知らないし枯れることを知らない。
ざあっと何かが流れ出る。それは溢れているということに近くて、潤んでいるということに等しい。満ちているというのかもしれない。

私の中のその水は果てることもなく、久しぶりの恋人との時間をゆっくりとかみ締めている。
2004年12月25日(土)  クリスマスな日
新しい部屋は、電気温水器というのかしら?
タンクの中に水を貯めてお湯を沸かしてくれるのだけれど、それが深夜にしか動かないらしい。なので、引っ越しした当日は、ブレーカーをいれたのが夕方だったので、その日はお湯が出なかった。
裸ン坊になった恋人が、「お湯が出ないよー!」とドアの前でぶるぶる震えていた。ああ、そうだったと気づいたときには遅く、お湯のことなどぜんぜん忘れていた。ごめんなさいね、せっかく来てくれたのにと言いながら、服を着せて自分の着替えもいろんなダンボールを開けて見つけ、タクシーに乗って彼の家に。深夜1時に彼の部屋についてシャワーを浴びて寝た。

ああ、そういえば世はクリスマスでしたね。
こっちはクリスマスどころではなく、なにがどこにしまってあるのか、何から開ければいいのかさっぱり。
トイレに行こうとするでしょう?→ドアを開けて便座に座るでしょう?→でも、カバーをしていないので、お尻がチョー冷たいでしょう?→なのでモウ一回パンツをはいて便座カバーを探すでしょう?→みつからないでしょう?→トイレが我慢できなくなるでしょう?→焦るでしょう?→5個目くらいのダンボールの底に便座カバーを見つけるでしょう?→早速カバーを取り付けようとしてやっと気づくのね。
便座カバーはUなの。
便座はOなの。
入らないの。
悲しくなったけどもう限界なので、冷たさを我慢して用をたすでしょう?→で、トイレットペーパーがないのに唖然とするの。
ちゃんとオチがあるの。


なんか、こういうクリスマス。
2004年12月24日(金)  引越し完了
夕方に引越し会社のお兄さん二人が来てくれて、さっさと荷物を運んでくれた。
なにか手伝いますか?と聞いても、いっすよぉと言ってくれる茶髪のお兄さんだった。

今日は、仕事を午後から休んでいたのだけれど、案の定、携帯には会社から電話がかかってくる。携帯に応答しながら、私はドアの前でずっと座って彼らの作業を見守っていた。ぜんぶトラックに運んだあと、新しいマンションへの道順を確認して私は一足先に自転車で引越し先に来ていたのだけれど、そこでも何にもすることがなく、ぼんやり部屋の真ん中で邪魔になりながらも、彼らを見守っていた。

なーんもすることないのね。ホント。

そのマンションの最上階にオーナーが住んでいるそうで、不動産屋さんに「引っ越しが終わったらご挨拶に行って下さいね」と言われていたので、面倒くさいなぁと思いながらも、これは手土産?でももって行くべきか否かと、考えていた。その日の午前中にある派遣社員と打ち合わせをしていたのだけれど、「今日、大屋さんにご挨拶に行くんですけど、なにか持って言ったほうがいいと思います?」と相談したら、「持っていったほうがいいですよぉ、そういうことを気にする人だったらあとあと面倒になりますしね」とアドバイスされ、「なにを持ってったらいいと思います?」と「食べものは趣味があると思うんで避けたほうがいいかも。洗剤とかなら日用品なので喜ばれるかもしれないですよね。」と教えてもらった。なるほど!と思ったけれど、その前にそんなものを買いに行く暇がなく、で、結局買ったのは前のマンションの近くで買ったお菓子。
あー、面倒だ面倒だ、と思いながら、ピンポーン。「○号室に越してきたものです」とご挨拶に。「これ、もしよろしかったらどうぞ」とお渡ししたのですが「いえいえ、気を使わなくて結構ですよ」といわれ、2回目お断りされたら、ああそうですかじゃ持って帰ります、と言ってやろうかと思ったけど、「いえいえ、本当にどうぞ」とにっこり笑いながら言ったら、案外かんたんに受け取ってもらえた。
ゴミの出し方やら自転車の置き方やら、なんだかんだお話しをしていただき、「これから、宜しくお願いしますねぇ」と、お互いに大人な笑顔を振りまいて終わり。

最近、忘年会も多くて休みの日も早く起きて荷造りをしたりしていたので、ここ数日寝不足続きだった。カーテンをつけてベッドシーツと布団を出して、ちょっと寝た。
ハッと目が覚めたら、時間はすでに9時をまわっていて、やばい片付けないとなぁ思いながら電話とパソコンを出して玄関先で(モジュラー?が玄関にある。なんて昔風。)立ってネットサーフィンをしていた。何から開けて片付けていいのかわからないので、まずネット。何を見るわけでもなく、ぼんやりしていたら、ピンポーンとチャイムが鳴って、恋人が東京に帰ってきた。一ヶ月ぶりに私の元に帰ってきた。
2004年12月23日(木)  5分→20分
新しい部屋にガスコンロと照明をが必要なので、アノ店に買いに行き、「配送しますか?」といわれたけれど、この引越しのお金のかかる時期は少しでも節約したいので、「いや、自分で持って帰ります!」と意気揚々と答えたけれど、お店の前まで見送ってくれた店員のお兄さんが「本当に、持って帰りますか?だ、大丈夫ですか?」と言われたとき、まだ自分の手で持ち上げてみる前に、すでに配送にしなかったことを後悔した。

重いっす。
10キロですね。また、これがデカイので肩に担いだりできず、手にぶら下げることしか出来ず、指が千切れそうになった。
夜の8時くらいに、祝日の池袋の人の多い街中をえっちらおっちら照明とガス台を持って、そろそろ歩いていたけれど、かなり泣きたくなった。重すぎて、10歩くらい歩いたら右と左を持ち替えて、また10歩歩いたら持ち替えて、としていたけれど、とうとう疲れてしまって途中で午後の紅茶を飲んで休憩した。
歩いたら5分の道のりを20分かけたよ。
虚しかったよ。
街はクリスマス一色なのに、私は10歩ずつ立ち止まっては泣きそうになり、前を歩いているカップルにムカついたので、彼らに飛び蹴りする自分を想像しながら自分を励まし、最後のほうは、「自分、ガンバレ。自分、ガンバレ」とひとり言をいう怖い人になりながらやっとこさ部屋まで運んだ。

翌日、筋肉痛ですから。
2004年12月22日(水)  変わることは新しさを期待できることだ
1月から、社内の組織がやや変わることになりました。
それは、メンバーの私たちでさえ予想できていたことなので、異動の発表があっても誰も驚かなかったけど、やはり感じていたことが現実になるかと思うと、微妙に不安にもなったりします。

まず、私の上司が変ることになった。
課内のメンバーがひとりずつミーティング室に呼ばれているのを見て、ああやっぱり上司は異動するんだなぁと、前の席の同僚と目配せしてみたり。
私も上司に呼ばれて、「実はねぇ」なんて話しを切り出され、「僕、他の拠点に行くことになったよ」って言われたので、「今度のマネジャーはどんな人なんですかねぇ」なんて次の上司の話をしていた。
その日の夜に、同僚2人と食事に行ったのだけど、「僕、異動になったよ」って言われた瞬間、その2人は「えぇ?!そうなんですか?! 残念ですぅー」って言ったらしい。私は「じゃ、次の上司はどんな人っすか?」みたいな話しをしたと言ったら、「あいちゃんって薄情だねぇ、そういうときはまず最初に悲しむべきだよ。」と叱られた。

リーマンスキルがお高いこと。


組織が変わって会社が変わる。
私の仕事はどうなるだろう。
上司が変わってしまうのだからその影響を受ける部分もあるだろうし、まったく変わらないこともあるかもしれない。でも、やっぱり変わってしまうだろう。私のマネジャーが代わること以外にも、その上の上司も代わることになるし、これまでと違った人の下で働くということは、その方針が変わってしまうことも考えられるということだ。噂や評判や外から見た限り、今度、上司になる人たちは、今までの私の上司たちとは、相反する意見を持った人のようだ。

最近、以前転職活動をしていたときに、面接を受けたけど採用されなかった会社の人事の人からメールをもらった。といっても数ヶ月に一度くらいはメールのやり取りをしていて、お互いの近況やら、仕事のことやら、プライベートなことまで話をしたり、仕事に使う本を貸してもらったり、いろいろ教えてもらったりしていた。もうすぐ、その人の会社で営業の採用を始めるかもしれないという話しを聞いた。「あいさん、どう?」といわれた。

最近、今年の5月に会社を辞めた先輩と食事に行った。やっとこさ、転職活動を始める気になったようでいろいろと面接を受けているようだ。「営業職はつぶしが利かない」と言っていた。ある会社のセミナーに行った話を聞いた。その会社はちょうど私が、最終的にはそこに入社して働けたらいいな、と思っていた会社だった。その会社で働いている人たちの様子を聞いたり、セミナーに参加していた人の数の多さと、次の面接にいける確率の低さを聞いた。


まだ、2年じゃないかと思う。
今の会社に変わって一回目の転職をして、まだ2年。
区切りのいい30歳を目処にして、こんなふうに働きたいとか、こんなところで働きたいというのは、それなりに考えている。それはまだはっきりとは明確になってないし、ぼんやりとしたまんまだけれど、叶えばいいと思う。だからこそ、私はまだここの会社にいなければいけない。まだ何にもしていないし、何にも出来ていない。
変わることは新しさを期待できることだと、その先輩は言っていた。

たまに、将来を見失ってしまうことがある。
誰でもそうかもしれない。
今に自信がもてなくなって、明日のことさえ見えなくなってしまう。
周りが変化することだけがその理由ではない。
きっと、私自身が私自身に自信を持っていないからだ。
自信を持てる人なんて、一体どんな人なんだろう。

私はきっと、生活をしていくための仕事をするんじゃなくて、好きなことを仕事にしたい人間だと思う。やりたいことを仕事にするタイプだと思う。
2004年12月21日(火)  心は変わらない
代々木公園をずっとふたりで歩いていた。
向こうの道では等間隔に並んだ車のヘッドライトがこちらを照らしている。
人通りは少なくて周りはとても淋しげな雰囲気がする。
枯葉が足の下でぱちぱちと音をたてている。
昔の恋人と肩を並べて歩く。
懐かしい声に、私はずっと耳を傾けている。

今年は、昔の恋人に会える年だったのかもしれないと思う。
それが私にとって喜ばしいことだとは言い切れない。
かといって、不幸なことかといえばそういうわけでもない。
ずっと心に残る人との再会を果たして、私はなにを思うだろう。


もう、そういう運命なのだと思うけれど、今まで付き合った男性の中で、ふたりも海外へ飛び立っている。仕事で海外へ行ってしまったのだ。私は置いてけぼりにされて別れた。一緒にいられないなら、付き合っていく必要はない。私はそう思う。遠くに離れて恋愛をし続けるなんて、私には考えられない。そして同時に、その彼についていくことが私にとって必ずしも幸せだということではない。私はあのときそう思った。
ほかにも、一ヶ月、二ヶ月という期間をおいて恋人が遠くへ出張に行ったりすることも何度かあった。
恋人がそばにいないということは、私にとって大きな喪失感を感じさせる。
毎日、一緒に過ごすわけではないのに、ただ東京にいないことが私をとても淋しくさせる。
そういう思いは、時に男の人にとっては邪魔な重さになるのかもしれない。
電話口で淋しいと言うことが、会いたいと言うことが、早く帰ってきてと言うことが、みんなの幸せではないと頭ではわかっているけれど、私の喪失感はなにもかもを突き破って、ただ恋人を困らせることしかしない。

いまの恋人も今は東京にいない。
だからこそ、私は一度だって淋しいとか会いたいなどと言っていない。
言わないことが良いことだとは思わない。けれど、言うことも良いことだとは思わない。だから、心の中で毎日思っている。あと何日で帰ってくるのか、あと何日で会えるのか。
毎日、思っている。
でも、そう思うこともあまり良くないことなのではないかと、自分に自信を失わせる思いがあることも事実だ。

そして、もうこれ以上ないことを祈りたいけれど、もし、万が一、そのとき付き合っている恋人が海外へ移住するとか海外で仕事をすることになったら、私はついて行こうと決めている。その人が一緒に行こうと言ってくれたなら、私はついて行こうと思っている。
取り残されるのは、もうごめんだから。


海外へ飛び立った昔の恋人たちは、今年、東京に戻ってきた。
私は彼らに会うことをひどく悩むけれど、それでも結局、会いにいくことを選んでいる。
さっきまで会わないと決めていたくせに、タイムリミットが近づくとやはり会うことを選んでいるのだ。約束の場所まで私は息をきらせて走る。こんなことなら、もっと余裕を持って、もっと早く、会おうと決めていれば良かったと後悔しつつも。

彼らについていく選択肢もあった。
彼らと結婚して暮らす選択肢もあった。

だけど、私は相変わらず東京にいて、久しぶりの再会のために走っている。
それがとても不思議に思う。
人生は二度ない。
あのときもし、を考えるときりがなく、大きな決断も小さな決断も日々私を追いかける。
だからこそ、今という決断をした私を、私は後悔していない。
彼らはとても心に残る男性たちだけれど、たまに思い出して悲しくさせたり幸福にさせたりするけれど、私には今がある。たまに、あのときもし、と考えるけれどそれはただの現実からの逃避に過ぎない。

気持ちが変わっても心は変わらない。
彼らを好きだったという事実は何年経っても変わらずに心に残っているけれど、今の恋人をとても恋しく思っているという事実も心の中心にある。
そして、今の仕事をすることが出来ることも、あのときあの決断をしたからであり、あのあと出会った人たちと今でも親しくしていられることもあのときの決断が間違っていなかったことを示していると思える。
私は、彼らと一緒にいることを選べたけれど、選ばなかった決断を私には悔いる理由がない。選ばなかったことを悔いるより、今のほうがもっと重要だからだ。
2004年12月20日(月)  ダンボールだらけの部屋の中心で奇声をあげる
えー、引越しは今週の金曜日ですが、なんにも梱包していませんけど、大丈夫だよね?

● 電力会社・引越し届け
● 水道・引越し届け
● ガス・引越し届け
● NTT・引越し届け
● プロバイダー・引越し届け
● 銀行・引越し届け
● カード・引越し届け
● 郵便局・転送届け

あとはなんかありますか。
携帯ですか?まぁそれは追々。
住所変更なんて気づいたときにやればいいしー。
区役所の届出は引越し後でいいそうなので、それも追々で。
あと、なんかある?
なんか忘れてそうだなー。すごく重大なことを忘れていそうだ。
なんか忘れていたら教えて下さい。

23日が休みだからってことで、梱包を一気にやってしまおうと予定していたんだけど、部屋の契約やらガスの立会いやら鍵の受け渡しやらビックカメラに買い物やらで、どうやら昼間は時間が潰れてしまいそうな予感がするるるる。

はぁ、怖い。怖いよぉ。
なんにもしてない24日の悲惨さがありありと思い浮かぶ。

怖いよぉ、怖いよぉ。とひとり言をいいながらシャワーを浴びて寝る。
2004年12月19日(日)  この興奮をあなたに
ぜんぜんわからない人にはわからない話し。

TKYのライブを見に恵比寿に行った。
彼らの音楽はジャズなんだろうけれど、いやロックにも近い。私はなんでもそうだけどカテゴライズの根本やルールを知らないので、わかりやすくは言いがたい。
もちろん、私はT目当てだ。フリューゲルホルン&ボーカリストして日本唯一のプレイヤーなのだ。で、スペゲとして、な、なんと、あのいつまでも垢抜けない感じなゴスペラーズの村上てつや。まぁ、この人はどうでもいいとしてまったりゆったりとTOKUの音楽を聴きたい。
ジャズライブの小さなお店なら、お酒を飲みながら食事をしながら小さなテーブルについて、すぐ目の前の演奏を聴くスタイルが多いけれど、ここは7、800人程度が入る小さなホールだ。椅子に座ったまんまジャズを聴くというのもなんだか心地が良くない。ノリノリで聞きたいのだけど、周りのみんなはじっと動かず、映画を見ているのか講演会を聞いているのかといった様子。
んー、これはどうしたものか、なぜみんなノリノリではないのか。

Kってあの日野皓正の息子なんだってね。
Yってすごいカッコいいじゃん。
ピアノも格好よい。

インターバルでフロアに出てシャンパンを飲んだ。一緒に来た男友達はエビスを飲みながら、ふたりでふらふらしていたら、芸能人を見かけた。えっと、「坂」が名前についてる人。えっとー、「みき」。ああ、坂上みき? 
シャンパンがとにかく高い。グラス1000円。けど、美味しい。美味しいのでおかわり。友だちもおかわり。3杯飲んで3000円。席に戻ったらアルコールがまわってフラフラで、なんだかちょっと楽しくなってきた。
やっと、村上てつやが出てきたら、これまでけっこう静かだった観客席が急にわーっと賑やかになった。これは大半が村上ファンなのか。TKYに失礼ではないか。TKYのライブなのに。

ジャズの人たちって他のジャンルの音楽とも抵抗なく融合できることが多いみたい。
たとえばクラシックなら、格式高いとか品よくあれという、他を受け付けない頑固さがある気がする。なのに、ポップスもロックもR&Bもすべてセッションできてしまうのは、すごく羨ましいと思う。私は音楽を聴くと自分もうずうず踊りたくなってしまう。うずうず演奏したくなってしまう。もっといい音楽を聴きたいというよりも自分もあんな風に演奏したいという思いを感じる。
トゥッティというのは合奏という意味だけれど、クラシックが型にはまった予定通りの譜面道りのトゥッティならば、ジャズは感覚のトゥッティだ。最後にトンとみんなが揃う気持ち良さったらない。クラシックが偉大な作曲家が作った音楽やその意志を正しい形に起こして再現する音楽ならば、ジャズはひとりのプレイヤーの個々が作り上げる、その瞬間でしか得られない快感の音楽のような気がする。音楽はひとりひとりの力を集結させてつくるものだけれど、クラシックはプレイヤー個々の顔が見えない。ジャズは個々の存在が見える。
クラシックとジャズは、古くから受け継がれてきた音楽同士なのだけれど、けして真反対に位置しているとは思わない。だけど、それぞれに憧れる、もしくは羨ましくなるような要素を持っているような気がする。

TKYと村上てつやの組み合わせだってそうだ。明らかに異文化コミュニケーションで、ステージで腰を振る村上てつやのリズムにジャズのライブがこんなのでいいのかとたじたじするけれど、それはそれでいいらしい。とりあえず形になっていてそれなりに面白いから。

そしてなんと、最後にジブラが出てきた。YO!YO!とか言いながら、ちょーカッコよかった。
私と友だちは、もう我慢できなくなってヒップホップ調の阿波踊りをゆらゆら踊りながら、自分の気持ちを抑えることが出来ずに興奮して踊ってしまった。SAY wow-wowとかなんとか言いながら叫んでしまった。村上てつやとジブラとTKY。なんて素晴らしい異文化コミュニケーション。客席の隅っこでジブラの連れっぽいBなお兄さんたちが踊っているのが見えてますます興奮した。
ジブラのラップに村上がかぶる。ちょっと、ジブラが聞こえないじゃないよ。やめてよ、ゴスペ。ちょっと嫌味だわよ、村上ファン。

TKYを聴きにいったのに、最終的にジブラに侵されて、YO!YO!と言いながら動く歩道を走って、YO!YO!と言いながら友だち7,8人に電話して、3人が加わって池袋の居酒屋で飲み倒した。

現在、午前3時。帰宅。社会人としての責任が欠如しているのではないだろうかと、明日は仕事なのにきっと二日酔いと寝不足を確信して眠る。

この興奮をあなたにも。
2004年12月18日(土)  瞳の奥
自分から手をはなしたものは、けっして戻ってはこないよ。

と、誰が私に言っただろうか。
誰だったか、今ではもう思い出せない。

そのときは、わかってるよと意地を張っていたけれど、今になればああそうだねと思える。

ずっと前にもらったメールを見ていた。
僕は結婚しましたと書いてあった。
私があのとき手をはなさなければ、彼が結婚しなかったのかというとそれは違うかもしれないけれど、彼を一瞬でも迷わせることは出来たのかもしれないと思う。けして、彼が結婚するために私は手をはなしたつもりはなく、自分のためにそのほうがいいのだとあの時は思っていた。
今となっては、いっそ、ずっと捕まえておけばよかったと思う。
後悔というよりも、今という時間軸とは別の時間軸に憧れを持つのと似ている気分だ。


言わないことと、思うこと、それは別の次元のことだ。
一緒くたに考えることはナンセンスだ。
思っているけど言わない。
言ったからといって本当に思っているかどうかはわからない。
思ってもいないことを言えるわけもない。

彼は、このメールの中で何を一体言いたかったのだろう。
私に何をわかって欲しかったのだろう。
この私に、何を想像して欲しかったのだろう。

二度と会いたくないと思う。
もう一度会えたら何を伝えようかと思う。

僕は君に何もしてあげられなかったと書いてあった。
あのとき私は、彼に何をして欲しかったんだっけと思い返そうとしてみる。
瞼を閉じて空想してみても、その人の顔はもう思い出せない。
けれど、瞳の色はなんとなく覚えている。
おかしなことに、ただ瞳ひとつの色だけ。


けれど、バスは通り過ぎる。
私を見落としてブレーキランプを光らせることもなく、走り去る。
2004年12月17日(金)  寝覚めの悪い
セックスのことで恋人と喧嘩する夢を見た。

セックスしたい私と、したくない彼とで大喧嘩をした。
したくないと主張する彼は、けっして疲れているからしたくないという風ではなさそうで、何が理由でしたくないのか私にはさっぱりわからない。
けれど、目の中をのぞいたら、すぐにその理由がわかった。

もう、私のことを好きではなくなったから。

私はさっさと立ち上がって彼にこう言った。
わかった。さようなら。
取り繕ってくれなくてももう構わない。
言い出す勇気がないのなら、私から言ってあげる。
さようなら、もういなくなってあげるから。

彼はなにも言わずに、ほっとしたような顔をした。

男と女のあいだにセックスがなければいいのに。
セックスなんてこの世になければいいのに。
2004年12月16日(木)  テレッパシー
大変疲れているのです。
吹き出物も肩こりもふくらはぎの腫れも生理前の憂鬱さも、そして胸の奥のどっしりとした疲れも、すべてすべて取り除いてしまいたいのに、今すぐ眠ってしまいたいのに、それをするのもなんだか億劫で、矛盾した停止の時間がどこか私を急き立てるのです。

すごく嫌なことはない。
ストレスがあったとしてもそれをストレスとは思わない。
嫌なことはひとつもないのに、何かが嫌な気分になる。

答えのない毎日にハハハと笑えれば

と、NHKでウルフルズが唄っているのを聞いて、あー疲れたなぁと思った。
満たされるということは、きっとずっと訪れないだろう。
潤うことはあったとしてもそれが心に満ちるということはない。
満たされたいという願望は、いつもずっと現実より先にたっている。

ひとりで部屋にいるので、誰にも迷惑をかけないだろうと思って泣いた。

答えのない毎日にハハハと笑えれば

聞きながら、膿を出すように泣いた。
ひとりしかいないから、別にいくら泣いたっていいのだ。

どうして今恋人がいないのだろう。
毎日、そう思うけど、彼は私の持ち物ではないし、彼は彼の意志でどこか知らないところに行っただけのことだ。けど、私が必要だと思うときに出来れば居て欲しいと思う。
疲れを癒すためだけに居て欲しいのか。
必要なときだけ居て欲しいのか。
恋しがるタイミングに、私は意味もなく、恋人に対しても自分に対しても後ろめたさを感じる。
彼に対する私の必要性は、ひとりよがりの我侭なこと?

なんだかんだお金がかかるし、時差でお互いの時間も合わないし、何より余計に恋しくさせるので私たちは電話をしない約束をした。どうして、そんなどうでもいい約束をしてしまったのだろう。あのときの自分の頑なな強がりを、今さら少し後悔する。

ああ、もう寝よ、と思って髪の毛を乾かそうと思った。

ルルルと電話が鳴った。
真夜中に電話が鳴ると、胸騒ぎがする。
もしかして? と思って受話器をあげたら、こっちは朝だよぉと声が聞こえた。
テレパシー!と思った。
2004年12月15日(水)  朝方に考えたこと
帰宅して着替えて、ちょっと横になろうとベッドに転がっていた。
気づいたら、午前4時だった。
ヒドイ。ヒドすぎる。
ズボンの中に手を突っ込んで寝てしまっていた。よだれが出ていた。夢の最後で自分は笑っていたようで、起きた顔もニヘラしていた。
化粧もしたまんま風呂にも入らず、寝ちゃった。

シャワーを浴びてもまだ5時前なので、このまま起きて出勤しようと思う。

いろんな人たちのその根本は、善なのか悪なのか、それを考える。
様々な人たちのその入り口は、善なのか悪なのか、たまにそういうことを考える。
悪に溢れている人をどこかで見かけた気がする。
善で覆い尽くされている人と、昨日はなしたような気がする。
自分は悪なのだろうか、善なのだろうか。
たぶんきっと、入り口は善で出口は悪なのだろう。

どちらにせよ、この世には悪人もいて善人もいる。
ただそれだけのことだけれど、とても複雑なことだと思う。

やはり、もう一度眠ることにする。
2004年12月14日(火)  陰鬱
夜道を歩きながら思うことは、今日あった嫌だった出来事とか、昔、恋人と別れた辛かったこととか、傷ついたこととか、淋しかったこととか、大泣きしてしまったことを思い出す。

ぐりぐりと痛かったところを自分でほじり出して、再びその痛みを自分に与える。
自分が嫌いだからだ。
そうやって、自分をぐりぐり苛めたくなる。

自分はたったこれだけの人間で何の価値も無いと、卑下して踏みにじりたくなる。

あんな馬鹿なことをしてしまった。
こんな失敗をしてしまった。
あんなことをすれば人に嫌われるのは当たり前で、あんなことをしたからには自分は傷つけられて当然だと、昔の過ちや失敗を今でも自分に責めている。あの人が言ったあの言葉も、あの人がしたあのことも、今になって冷静に考えれば当然の結果だと、自分が悪かったからこうなってしまったんだと、腕をぎゅっと掴んで爪をたてる。


そんなことを思うとき、やはり私はひとりでは生きられないのだと思う。
私がこれまでずっとひとりでいたとしたら、きっと自分はもうこの世にいないと思う。
責めて責めて、最後は死んでしまうことでその責めを完結させたかもしれない。

これが私の陰鬱な部分。
2004年12月13日(月)  何でも屋
例によって、ポストには不要なちらしが入っている。捨てはするものの、私はそれでも何気なくすべてに目を通す。デリバリーヘルス・裏ビデオ販売・マンションの広告・寿司屋のメニュー、そして何でも屋のちらし。

何でも屋のちらし。
小さな紙に
「何でも屋サン!ご相談無料、今すぐお電話ください」と書いてある。
そして、「お話し相手から庭の草むしりまで何でもやります!」と書いてある。

お話し相手かぁ。話し相手を必要とする人ってどんな人だろう。
孤独な一人暮らしの老人が思い浮かぶ。

得体の知れない話し相手がいれば、得体が知れないあかの他人だからこそ、人は多分普段言いがたいことを何でも話してしまうかもしれない。王様の耳のことをばらした床屋みたいに。
この何でも屋は、いろんな人の話し相手になりいろんな人の奥底を聞いて、一体なにを思うんだろう。
私がもし、何でも屋に電話するなら、この何でも屋がいろんな人の話し相手になった末、彼が(彼女が)一体どう思ったのか聞いてみたいと思う。

何でも屋のちらしには、1000円のクーポン券が4枚ついている。
1000円オフにしても商売できるということは、話し相手になってもらうために、一体、1時間につきいくらを支払えばよいのだろう。相場はどれくらいなのかなぁ。


何でも屋のちらしは捨てずにとっておいた。
電話の横に置いてある。
いつか必要になるかもしれないと思ったからだ。
いつか、いつかね。
でもたぶん、翌朝になってちらしを見たら、昨晩の自分はどうかしていたんだと、きっとちらしを捨てることになるだろう。
2004年12月12日(日)  引越し日決定
んーー、新選組!(NHKドラマ)最終回でございました。
ここ数ヶ月、毎週欠かさず見ていたのですが、毎週泣きながら見るほどいいドラマだったなぁー、あー、今日もオイオイ泣いてしまったなぁー。

引越し日は24日に決まりました。
24日というと、皆さんご存知かとは思いますがクリスマスイブですね。私はイブの日にむさ苦しい男子(引越し会社の人)と一緒に引越しなのです。それまでは一切荷造りするつもりはなく、23日に徹夜覚悟でダンボール詰めして、翌日のイブの日に引越し予定です。
恋人たちがいちゃいちゃするイブの日に引越しです。
ちなみに、恋人は24日の夜に日本に帰ってきます。
なんとも。
2004年12月11日(土)  冬の陽
よっぽどのことがない限り、土曜日は病院へ行くことにしている。
地下鉄に乗っていくと、階段をおりたりあがったりするのが面倒なので、バスと徒歩で行っている。

その道の途中に小さなケーキ屋さんがあって、ショーケースの向こう側に高校生くらいの女の子がぼんやりと立っているのが見える。見かけるたびにお客さんはいつもいない。物憂げに外の通りを見つめる女の子に、私はいつも視線を向けてしまう。

病院へ行く時間はあまりはっきりとは決められていない。
行って主治医がいなければ本を読んで待ったり外をぶらぶら散歩して主治医が帰ってくる頃に私も戻ってくる。

誰もいない待合室は淋しげだけれど、窓の側に座り冬の陽を浴びる。
私は、静けさがあまり好きではない。
しんと静まりかえることが好きではない。
けれど、特に理由のない沈黙は好きだ。
私は静かな中で眠るのが嫌いで、音もしない部屋で過ごすことが嫌いだ。

けれど、たまに静かであることに幸福を感じる。
誰も居ない待合室で、静けさを感じて、ぼんやりとあの女の子みたいに外の通りを眺める。

だれもだれもいない。
2004年12月10日(金)  上司に求める役割というもの
毎日毎日、忙しいです。
どれくらい忙しいのかというと、吸いかけのタバコがあるのにもうひとつタバコに火をつけてしまうくらい、気分が落ち着かなかったり、今タバコを吸っているのに、「あーイライラする!タバコ吸いたい!」と思ってしまうくらい忙しいです。

最近、上司にミーティング室に呼ばれて、いろんな話をします。
私から相談することもあれば、上司から相談をされたり意見を聞かれたり。

なんだかんだと意見をしたり相談をしても、こちらの要望どおりにすべてが上手くいくことはない。当たり前と言えば当たり前なのだけれど、初めから諦めてかかるつもりもない。
かといって、意固地に、もしくは天邪鬼に相手に食ってかかってやろうと思っているわけでもない。

たまに、上司を怒らせてしまうこともあります。
私の上司は、ガミガミいうタイプではないので、怒っていても怒りを爆発させて怒鳴ったりするわけではないのですが、少しむっとしていたり考え込んだりしていることがあります。
上司が怒るのは、私が正論を言っているからだと思う。
私の言うことが正論であり、正攻法であるのだろうけれど、私の言うそれが今の状況では許されないやり方であることを私が理解しようとしないから、怒るのだろうと思える。
そして、私も状況が許さないからこそ私の意見が通されないことも知っている。知っているけれど訴えてしまいたくなる。一番下で働いているからこそ、それを胸にしまって仕事を続けるのはたまにしんどくなるのです。聞いてくれる人は、私の直の上司である人しかいないのです。
上司は、そんな愚痴ともつかないことを聞いてくれる相手そのものであって欲しいのです。

ただの甘えなのだけれど、仕事の指示を出してくれることが上司の役割ではなく、そういうことを聞いてくれるという役割を、私たちはずっと自分たちのマネジャーに期待しているのです。
だからこそ、私は働かなければならないし、結果を出さなければならない。私は、社会で働く営業としてまだまだ幼くて頼りない人間だけれど、言いっぱなし、甘えっぱなし、愚痴を流しっぱなしでは格好つかないと思うのです。
2004年12月09日(木)  年末行事
忘年会の季節。

この一週間、お酒を飲まない夜はありませんでしたと言い切れるくらい、忘年会の予定が詰まっています。なにかと、お客さんと飲みに行ったり、誘われたり、強引に連れて行かれたりと、なかなかお付き合いというのは体にこたえます。

うちのアシスタントの女の子は、忘年会に参加する回数が多ければ多いほど、格好よい社会人(大人)だと勘違いしているようで、誘われてもない場に顔を出して朝まで飲んだり、それほど付き合いも深くないクライアントと忘年会の企画をたちあげてくれたり、お客さんとの忘年会なのにどこかのコンパと勘違いしたような振る舞いばかりで、本当に余計なことばかりしてくれます。
困ったもんです。いっそのこと、彼女は水商売の仕事でもしたほうがよさそうです。そろそろ一言言わねばならぬかな。

この年の瀬のファッキンに忙しいときくらい、静かに仕事をしていたいものです。
2004年12月08日(水)  昔の恋人
ずいぶん前に恋人だったある人は、今、海外で仕事をしている。
スポーツライターになるのが夢で、向こうでその勉強をしている。

12月に、日本でトヨタカップというサッカーの試合がひらかれる。南米とヨーロッパのチャンピオンがその中間にある日本で戦い、世界一を決定する試合だそうだ。毎年、トヨタカップの取材に便乗してその彼は日本に帰国し、実家に戻って新年を迎えている。

その彼から、まる一年ぶりにメールが来たとき、私は、ああもうすっかり1年が過ぎてしまったのだなぁと、時間のたつ早さと正確さに感心したほどだった。

1年ごとに会ってお互いの近況を語り合える昔の恋人というのは、誰にでもいる存在ではないのかもしれない。それが私にとって幸運なのか悲運なのかは私でさえわからない。

いまの私の恋人にこの彼はとてもよく似ていると思う。
顔や体つきはぜんぜん似ていないけど、持っている雰囲気が似ていると思う。
好きになる男性像はそれほど簡単には変えられないものなのだろう。

いつか数日以内に、私はきっと彼と会うだろう。
久しぶりに会って、今はこんな仕事をしているとか、こんな人と付き合っているとか、こんな毎日を送っているよと話し合うのだろう。

そんな彼のような存在が、私にとって幸運なのか悲運なのか、自分でさえわからない。
2004年12月07日(火)  指の動き
東京で数少ない森のそばに、そのお屋敷は建っている。
見上げるほど高い門がぎーっと音をたてて開くけれど、とても手入れが行き届いた庭や屋敷には、不思議な魅力がある。

異母兄と連れ立って、私たちはその人を訪ねた。
兄の母方のおばあちゃんを訪ねた。
私から見れば、血の繋がった家族でも親戚でもない人だけれど、それでも私はその人を兄と同じように祖母のように思える人だ。
学生の頃はよく遊びに来ていた。社会人になったらその日その日を送ることで精一杯になってしまい、自然と足は遠のいてしまう。たまにそのおばあさんを思い出しては、顔を見せに行ってあげないと心配かけてしまうなあと思うときもある。

その家の一番奥の部屋、絨毯敷きのとても明るい部屋にグランドピアノがある。

友人や同僚と食事をしにいったりお酒を飲み行ったりするとき、ピアノが置いてあるお店だと、「音大出身のあいちゃんのピアノの腕前を聞かせてほしいなぁ」とよく言われる。私は笑いながら手を横に振って、もう弾けないから、と避けることに決めている。

その部屋にあるグランドピアノは、おばあさんが兄の母親のために買ったものだそうだ。兄の母親が家を出てからは、おばあさんがひっそりとピアノを弾いている。だからそのピアノは埃をかぶることもなく生き続けている。

兄がおばあさんと向こうの居間で話しをしている。
私はしっかりとドアを閉めて、ゆっくりとピアノを開いてみた。
私の中で譜面もなくすぐに弾ける曲はとても少なく、あまり知らていない曲だ。

私は人前でピアノを弾くのが嫌いだ。
上手くないから。
もっとこう弾けたらいいのにと思うことがある。
音楽大学での専攻はピアノではなかった。ピアノを専門にしていたわけじゃなくとも音大生だからこそピアノの単位は必須だった。こう弾けたらいいのにと思うほど、指の動きや指の力はコントロールできない。それでは集中力も続くわけもなく、ピアノの練習はあまりやってこなかった。
小学生にあがる前から習っていたというのに。

だから、私はドアをしっかり閉めて、この家のこの一番奥の部屋でピアノをひっそりとこっそりと弾く。
たぶん、私のコンプレックスなのだと思う。
ピアノだけではなく音楽を勉強することに真剣になれなかったことのコンプレックスや、音楽の仕事を目指さなかった自分のコンプレックス。

それでも私は私を責めてはいけない。
2004年12月06日(月)  亡くした瞬間
小さい頃、泣けば誰かがかまってくれると知っていた。
その通り、大人たちは泣く私にかまってくれた。そんなことを無意識に感じ取っていた嫌な子供だった。そして、加えて私は泣き虫だった。小さい頃から、そして多分いまもすぐに泣く種類の人間だと思う。

母は、私が小さい頃、夜遅くまで仕事で家をあけることがあった。
父とふたりきりで過ごす夜、母が居なくて淋しくて、お母さん早く帰ってきてと、じんわりと涙を流していた。父はそんな私をかまうこともしないで、ナイターばかり見ていた。私はどこで仕事をしているかもわからない母に向って、心の底から声を振り絞って泣き叫んでいた。祖父が私の尋常でない泣き声を聞きつけて、私を慰めに来た。もうご飯は食べたかい?おじいちゃんと一緒に遊ぼうか? それでも母を恋しがる私は泣き続け、そのうち祖父は私に目を向けることもない父を叱って、自室に戻っていく。祖母も祖父と同じように私を泣き止ませることが出来ず、父を叱って帰っていく。
やがて、母が帰宅して、あまりにも叫び泣きすぎて声も出なくなった私を見て、父に怒鳴った。どうして、ちゃんと面倒を見てくれないの。母は父を罵るけれど、父は困った顔しか出来ず、何も言わなかった。

けれど父は、私が泣くことを気にしなかったのではなく、私の涙を無視したわけではなく、父は私の扱いにただ困って、何も出来なかっただけなのだ。私は幼心にそれを知っていて、だからこそ母を恋しがるポーズで父に甘えたかったのだ。そして、母を恋しがって泣く私を、母に抱きしめてもらいたかった。家に帰ってきたら一番最初に、早く帰ってこられなくてごめんねと母に言って欲しかった。
けれど、その前に母は父を罵り、父はそれをただ黙って聞いていた。
私が小さい頃、うちはそんな家庭だった。

時々、そんな私の泣き声を聞いて、隣のおばあさんが来ることもあった。
隣の家まで聞こえるほどの私の泣き声に、祖父や祖母は困惑し、父は無言だった。
隣のおばあさんは私を連れて、隣の家に連れて行った。
うちと隣の家の境にある壁に取り付けられた小さな木の扉を開けたら、すぐそこがおばあさんの眠る小さな部屋がある。小さな縁側があって、夏の夜にはそこに腰掛けて、私とおばあさんは一緒にキャンディーをなめた。

そのおばあさんは、若い頃、小学校の先生をやっていたそうだ。校長先生にまでなった人で、祖父はよくそのおばあさんを立派な人だと言っていた。泣いているとキャンディーを飲み込んでつまってしまうよ。さあ、泣き止んで一緒にキャンディーをなめようねと言って、私は無理やり泣き止んで開けた口の中にキャンディーを放り込んでもらっていた。

おばあさんは、おばあさん独特の匂いがして、部屋は暗かったけれど、とても知的で上品なおばあさんだった記憶がある。小さい体だったけれど、おばあさんの前では私は行儀よくなれた。私が泣いても、このおばあさんは何にも惑わされず、そしてしつこく泣く私を行儀よくさせる特別な魔法を持っているような気がした。


小学校にあがったか、あがる前だったか、それはもう忘れてしまった。
私は、二階の部屋からうちの前を走る道を眺めていた。深夜だった。
その道は、昼間は車の往来が多く道幅も狭いので、私はぜったいに門の外へは出ないようにと、小さい頃から言い聞かされていた。うちの家の門は高くて頑丈だ。道を渡るときは祖父が見守って、私は友だちの家に遊びに行ったものだ。

深夜のその道は、しんと静まり返って人の気配もしなかった。
暗い闇の中を、私は怖いくせにそれでもじっとカーテンの隙間から、何かの訓練を自分に課すようにじっと見つめていた。
どこか遠くで、ブーンと車のエンジンの音が聞こえ、だんだんとライトの光が迫ったかと思うと、ぱっと闇に浮かんだ人の姿が見えた。強いライトに照らされたその人は、確かに隣の家のおばあさんで、浮かび上がったその人影を私はしっかり覚えている。次の瞬間、真っ暗な闇の中に、けれどしっかりそのおばあさんの小さな背中が見えた。地面に転がってうずくまっているその小さな背中が見えた。鈍いどすんという音と高いブレーキ音が、どちらが先に音がしたのかわからないけれど、その音が聞こえた瞬間、父も母も窓を開け外をうかがい、ぜったいに来ちゃダメよと私に言って、たくさんのタオルを持って外に飛び出た。

タオルはきっと血に染まり、小さなおばあさんの背中にはたくさんの近所の人たちが集まり、鋭い声や緊迫した空気が二階の部屋まで届き、外から母が早く寝なさいと私に向って叫んだ。それは見ちゃだめと言われているのと等しくて、その瞬間、そのおばあさんはたぶん死んだのだと思う。
車に撥ねられたおばあさんは、どれだけ痛かったろう。

私は、たぶん撥ねられた瞬間を見ていたのだと思う。
強い光の中で浮かび上がったその体と顔と、そして次の瞬間うずくまったその小さな体を、私は今でも覚えているけれど、その間にあった時間を私はまったく覚えていない。光る体とうずくまる体、そのあいだの時間、瞬間。

あの頃、死ぬことがわからなかった。理由も言わないでおばあさんは遠くに行ってしまったのだと思っていた。葬式の光景は覚えていない。けれど、いなくなってしまったことだけはわかっていた。うちとの境にあるあの小さな扉は、今は誰も使うこともなく、誰もくぐり抜けることもなく、だから今はもうない。


泣けば、誰かがかまってくれると知っていたけれど、おろおろすることもなく、困惑することもなく、叱ることもなく、私を泣き止ませたそのおばあさんはもういなくて、私はたぶんそのおばあさんが大好きだったのだと思う。私はそのおばあさんの消える瞬間を見て、そしてあの頃何を思っただろう。

車に撥ねられたとき、どれだけ痛かったことだろう。どれだけ悲しかったことだろう。
2004年12月05日(日)  ジャケットを握り締める小さな手
日曜日。

目が覚めたら午後1時だった。
たっぷり眠って目を覚ましたら、天気がとても良かったので洗濯機をまわした。
顔を洗って眉毛をかいてまつ毛をカールしたら、服を着替えて、洗濯物を干して、リップクリームをぬって外に出かけた。

バスに乗って文庫本をひらいた。ジャケットがいらないほど暖かい。キリンジの歌を静かに口ずさんでバスの揺れに身を任せる。
異母兄の家で用事をすませて、またバスに乗る。ドトールでコーヒーを飲んで本屋に行った。
外国人の男とその息子。
探している本が見つからないようで、取り寄せの申し込み用紙を書くように店員に言われている。「日本語ですか?」と父親がたずねたら、「ええ、日本語ですよ」と店員が答えた。
「ちょっと手伝ってもらえませんか」と彼は聞いた。
店員たちは薄く微笑んで、「かまいませんよ」とひとりの店員が彼とカウンターに向って腰掛けた。彼の子供は不安そうな顔で父親のジャケットを握り締めている。

部屋に戻ってまた本の続きを読んだ。
外が暗くなってきたので電気をつけて、また本を読んだ。
テレビもつけずCDもかけず、私は本を読む。
気づくと周りは静かで、この世に誰も居ない気がした。

パソコンを立ち上げると、メールが届いていた。
私は、恋人が出張の荷造りをしている横で、本を読んでいた。
彼の見ていないうちに、自分のお気に入りのCDをそっと荷物の間に滑り込ませた。
そのお礼のメールが届いていた。

彼が遠い異国で困ったとき、誰か助けてくれる人がいてくれればいいと思う。
2004年12月04日(土)  悪魔の子
昨日、新宿の駅で電車に乗る恋人を見送る予定だったけれど、結局、仕事中にそんなことをする暇もなく、一通のメールを残して彼は行ってしまった。


最近、あまりよく眠れない。
私は、ある一定期間をおいて不眠気味になる。眠りが浅かったり、まったく眠れなかったり、その期間はだいたい一週間くらいで、一ヶ月から二カ月おきにやってくる。その動機は、ストレスとか仕事の忙しさとはあまり関係ないようだ。
まったく眠れず、仕事に行くこともある。真っ暗な部屋でちらちらと光るテレビを見ながら、冬の遅い朝を迎える。または、おかしな夢を見る。決まって不気味な夢だ。鳥肌が立つほどの怖ろしい夢だ。

人間の子供くらいの悪魔が、窓から外に飛び降りる。
彼は、地面に叩きつけられ、足が反対側に反り返っている。
骨が砕けて脳みそが飛び散っている。
体をくねくねさせながら起き上がる。
悪魔の子は、体に痛みを与えることによってその体を強くする。
再び、二階に上がってきた悪魔の子は、先ほどよりも少し体を逞しくさせていた。
何度か二階から飛び降りる。
不気味な笑みさえ浮かべ、嬉々として二階から飛び降りる。
飛び降り、骨が砕けるほど、彼の体はひとまわりふたまわりと大きくなる。
その音が、耳にこびりついて離れない。
体が重力にしたがって砕ける音。

人間たちは、そんな悪魔を遠まわしに見つめながら、耳を塞ぐ。眉をひそめる。叫び声をあげる。悪魔がそばを通り過ぎるたび、目を合わせないようにと顔を覆う。

私は、悪魔と目をあわせないようにしながらも、砕ける音がするたびに一階を見下ろす。
どれだけその体がおかしな曲がり方をしているのか、脳みそがどんな風に飛び散っているのか、割れた頭蓋骨はどんな風になっているのか、それを見たいがためだ。

私は悪魔に追いかけられる。
悪魔はゆらゆらと揺れながら、私を追いかける。
私が走ればきっと悪魔は追いつけない。
けれど、私はなぜだか悪魔の手の届く範囲をゆっくりと走っている。
故意にゆっくりと。
捕まえられてもいいとさえ思っている。


目が覚めたら午前4時で、部屋の暗闇の向こうに私を追いかける悪魔が潜んでいるような気がした。こちらを見ているような気がした。
2004年12月03日(金)  林檎
私は、毎年11・12月くらいになると決まって気分が落ち込む。
冬になるからかもしれないし、なにか特別な理由があるのかもしれないけど、決まって冬の入り口辺り、私は気分がどんどんどんどん落ち込んでいく。
なんだか、殺伐としてしまったり、卑屈になったり。無気力に近いような、なにもかもがどうでもよくなる。かと言って、仕事に行くのがいやだとは思わない。
むしろ、仕事に行きたい。
仕事をしていたい。

林檎の皮をむいていた。
親指を刃先にそえて、ざざっざざっと音をたてて皮をむく。
サザエさんみたいに、皮が途中で切れてしまわないようにソファーの上に立って、皮をむく。
でも、途中でぷつりと切れた。
落ちた皮がぽとりと音を立てたので、私は何もかもが食べたくなくなった。
半分だけ皮をめくられた林檎を冷蔵庫に仕舞う。

何かを仕事で紛らわしたいと思う。
2004年12月02日(木)  優しい男の子
急いで池袋のホームにおりたら、酔っ払いをかいくぐって改札を出た。
東口の前にはまだまだたくさんの人が出ていて、手相を見せてくださいという宗教の勧誘をまたかいくぐってタクシー乗り場に走った。

私の名前を呼ぶ声がして振り返ったら、ダウンジャケットを着てニットの帽子をかぶった若い男がこちらに手を振っている。目が細くて唇が厚い。遠目で見るとキャバクラのキャッチか、どこかのホストの見習いみたいに見える。私は彼を見るといつも幻聴がする。
ちゃらちゃらと、幻聴がする。
だって、見た目も態度もちゃらちゃらした男だから。
ちゃらちゃらと音をたてて、その男は私に近寄ってくる。

彼は、私の異母兄の弟だ。
彼は、異母兄の異父弟だ。
その複雑さを文字で説明しようとすると、お経を唱えているかのように見える。
彼は、私の異母兄の異父弟。
ということで、私とは一切の関係もない。

やあ、久しぶりだね、と私は微笑む。
微笑むけれど、私にはこの時間さえももったいない。
早く帰らなければならない。恋人に約束した時間はもう一時間前に過ぎている。
いま、仕事終わり?と彼は聞く。そうだよ、と私は答える。
同じ格好をした彼と同じ歳くらいの男の子が、へらへらと向こうから歩いてきて、だれだれ?知り合い?と彼にたずねた。

アノ子は、私より5つ年下だから、きっともうすぐ21になる。
兄と私とアノ子は、学年にしてちょうど5つずつ歳が離れている。
73年5月生まれと79年2月生まれと84年1月生まれ。
彼が高校2年生くらいのとき、私に言った。
「おまえ、俺のお姉ちゃんってこと?」
違うよ、と私は答えた。そのときの会話はそれで終わった。
学校にちゃんと行ってなさそうな、よく渋谷でたむろっていそうな、いつも女の子のお尻を追いかけていそうな、煙草とかお酒とかセックスとかドラッグとかそういうものを日常的な感覚として持っていそうな、そんな不健全な高校生だった。
いまも、その印象はあまり変わっていない。

たまに、ばったり池袋で出会う。
なんのバイトをしているかは知らないけれど、「俺のバイトは池袋の東口に突っ立って可愛い女の子を見つける仕事なんだ」と言う。「オカネ貸してぇー」と真顔で言う。「ご飯おごってぇー」と猫なで声を出す。「女の子、紹介してぇー」と纏わりついてくる。
でもたまに、「将来、なにになりたいか決められない」と言う。
たまに、「あいちゃんは俺の姉になるの?」と真剣な顔をする。
この子は、今までどんな風に育ってきたのかなと、私は時々思う。
私は彼に言ってあげる。
将来のことはいつかきっとみつかる日が来るよと言って、私はキミの姉ではないよ、私たちは姉弟ではないよと言う。


同じ風貌の彼の友だちが、「ねぇねぇ、お前の知り合い?」としつこく彼に聞いている。
彼は姉ではない私のことをなんと言うのだろう。
知り合い?友だち?兄貴の妹?じゃあ姉?私と君のあいだに名前をつける必要はないよと、私は彼に言ってあげるべきだっただろうか。
「ねぇねぇ、飲みに行かない?飲みに行こうよいこうよ」と、その友だちは私の腕を引っ張った。

私と彼は今日、約1年ぶりに会った。去年のちょうど今頃、私は彼を誘ってご飯を食べに行った。メールで「彼氏にフラレタからご飯おごって」と送ったら「いいよ」とすぐに返事が来た。フラレタことを誰かに聞いて欲しかったはずなのに、我侭な私はそのことは何も言いたくなくて、彼はとても敏感な男の子なのでなにも聞かなかった。
すごく優しい男の子だと思う。
私はそれを知っている。そして異母兄もそれを知っている。みんな知っている。
彼がとても優しい男だとみんな知っている。

タクシー乗り場の前で、彼の友だちが私の腕を掴んだけれど、「やめろよ」と彼はその手をはたいた。私は少し驚いて、友だちはもっと驚いているようだった。


年末に遊びに行くね、と手を振って私はタクシーに乗った。
行き先を告げてドアが閉まると、窓の向こうでじっとこちらを見つめている彼の顔があった。私は、「またね」と言って手を振った。彼はまだじっと私を見つめていた。

どうして、そんなに悲しい目をするの。
2004年12月01日(水)  わたしはわたしは
忘れがちになるけれど、
私は私を見失ってはいけない。
自分を持って生きなければいけない。
自分のプロットをしっかり持たなければいけない。

私は誰かではない。
誰かのようにはなれない。
誰かと自分を比べることは出来ない。
私は私でしかない。

それならば、自分は自分を忘れてはいけない。
忘れがちになるけれど、
私は私でしかなく、私は私以外の誰でもない。

わたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしは。
Will / Menu / Past