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2004年11月30日(火)  30である男
30歳という年齢の男性を、私は無条件に好ましく思う。
30の代に足をかけた男性は、それだけでどこか無防備に可愛らしいと思える。

私より幾分何かを知っていると期待させる。
大人だけれどどこか子供のような無邪気さと焦燥感も垣間見える。
だんだんと色んなものが似合うようになってきて、だんだんと色んなものが釣りあってくる。

女性にとっての30歳と男性にとっての30歳。
この世の人間を、男性と女性というたった二つのくくりで括ってしまうのはどこか忍びないのだけれど、でも仕方のないほど、世間一般的に、やはりこのふたつは何かが違うしどこかが違う。

私は18のとき初めて30歳の男の人に興味をもってから、25歳になった今でも彼らに好感を持ち続けている。
そしてやがて、私も30歳になる。
きっとなる。
私は30歳で死ぬかもしれないと思う。30歳より向こうは生きていないと思う。
特に他意があるわけではなく、なにか理由があるわけでもない。
ただ、30歳を想像できずに、漫然と過ごしている今を思うと、私の30歳以降がふつりと途絶えてしまうような気がするのだ。
でも、こうも思う。15歳の頃、私は自分の20歳を想像できただろうか。
出来たわけもなく、そしてこうして私は漠然と20歳になり5年も過ぎた。
だから同じように、私はきっと30歳になっても生き続けるのだろう。
漠然と漫然と。
そして今度は別の年齢に憧れや好感を持つのかもしれない。


「30」というアルバムをリリースした30歳のアーティストがいる。
ジャケットの中の彼の顔は半分影に隠れているけれど、耳元でくるりと回った髪の毛が、私をくすぐる。ヘッドフォンをして彼の音楽を聴き、ゆっくりと目を閉じたら、いつだってどこだって眠れそうな気がする。その歌声にもメロディーにも“大人になった男性”という初々しささえ感じる。
共にいること
思いやること
君を愛することが僕であること
こんなことを君に言えるのも僕であること
It’s in Meと彼は歌う。

偶然だけれど、私の恋人も30歳の男だ。
私となにも変わらないように思えるし、私より年下のようにも思える。
でもふとした瞬間、彼はやはり30の男なのだ。
私はきっと、30歳の男性に無条件に好意を持つのは、そのふとした瞬間に見せる、そして本人にも無意識な “男性である部分”が垣間見えるからなのかもしれない。
偶然ではないのかも知れない。
恋人が30歳であることはただの偶然ではないのかもしれないと、ふと思う。
2004年11月29日(月)  馬鹿な人
恋人は、12月になれば東京からいなくなってしまう。

なんだかんだと淋しくなるけれど、でもひとりになって考えてみたら、少しほっとしている自分もいる。恋人と遠く離れることにほっとしているのだ。

くよくよと恋人のことを悩んでみたり、自己嫌悪になってみたり、どこかずっと淋しくて必要以上に恋人にその淋しさを埋める役割を望んだり、なにがあったわけでもないのに焦燥感を感じたり、ひとりで空回りしてしまっていた。
このまま付き合っていけるのかなぁなんて思ったこともあって、別に恋人を嫌いになったわけでもなく好きじゃなくなったわけでもないのに、そういう自分のヘンな気持ちをどう処理していいのかわからなくて、途方に暮れていた。

このままこの時間が続けば、私はもしかしたら自分から、距離を置いてくれと恋人に言ったかもしれない。
それが否応なく、一時距離をおける時間が出来て、私は少しほっとしている。


よくわからないけれど、
もし、恋人関係の中で、“段階”みたいなものがあるとしたら、
私はきっと、第一段階しか知らないでこれまで男性と付き合ってきたのだと思う。
誰かと付き合っては別れてまた誰かと付き合って、そんな風に第一段階ばかりを繰り返していた。そしてたぶん、私の恋人はその段階を相手の女の子と一緒に飛び越えて行ける術を知っている。けれど、私は目の前の段差に気を取られて、どうやって飛び越えていくのかひとりで行ったり戻ったりしながら、迷っているのだ。そんな私を見て、恋人は「自分を信じてくれていないのだろうか」と不審に思ってしまうのだろうか。
そうやって、無闇にぎくしゃくしてしまうのだろうか。

恋人が嫌いなわけじゃない。
気持ちは変わるけれど、心はそれほどかんたんに変わらない。
でも、男の人とずっと付き合っていくと、自分がどうしても嫌な人間になっていく気がして、それがまた嫌になるのだ。


いなくなるのだから、しっかりしなきゃと思える。
自分から距離を置いてくれ、と言ってしまうかもしれないと思っていたくせに、でもいざ居なくなることが現実になったらほっとするのと淋しいのが入り混じる。

もう、なんて自分は馬鹿なんだろうと思う。
2004年11月28日(日)  ニーズとサービス
私が、“営業”という仕事をやっている時間をのぞけば、私は一般的に“消費者”になる。

私は、ニーズにピントがあっていないサービスや商品は必要ないと思う。
需要に適していない供給は、必要ないと思う。

帰宅してポストを開けたら、DM・通販のカタログ冬号・裏ビデオのちらし・宅配ピザのメニュー、それら様々なものが入っていた。私のニーズには必要ないもの。すべて読まずに開かずに捨てる。
ファーストフードに言って、ウーロン茶を頼んだら、「ご一緒にポテトはいかがですか」と笑顔を添えて店員が言った。私はポテトは食べない、不要なサービス。

これとこれとこれが欲しい。
それに合うものを下さい。
それ以外の商品の案内やサービスはいりません。

私は、自分の欲しいものをただシンプルに欲しがる消費者だ。
様々なものを提示され、その中から選択して購入する消費者ではない。
ニーズ+αな情報を欲しがる消費者でもない。
欲しいものだけを下さい。私が消費者である場合、私はそんなタイプの人間だ。

けれど、きっと私が“営業側”である場合、私はきっとニーズ+αの話しをするだろう。「ご一緒にポテトはいかがですか」と露骨な笑顔さえ浮かべ、言い添えるだろう。だって、営業だから。でも、それはまた別の話しで。


私が恋人に抱きしめて欲しいと思うとき、私の恋人はとても従順に、とても純粋に、それに応える。そんなことをたとえば冷徹に「需要と供給のバランス」と言い換えるなら、私のニーズに彼は適切に応えてくれる。
私がもうおなか一杯で、抱きしめてもらわなくても大丈夫だと思っていても、彼が私を抱きしめたい場合、私はそれをきっと否定しない。これも「需要と供給」の話しに言い換えるなら、彼の抱きしめたいというニーズに私は適切な供給量をもって体を委ねる。自分のニーズに応えて欲しいからこそ、相手のニーズに体を預ける。そのバランスはとても適切であるように、私は彼に応えたいと思う。

私の恋人は、私の知る限り、恋人関係についてはとても純粋な人だ。

だからこそ、私はなんとなく感じている。
私は、恋人関係を、社会の需要と供給の話しに言い換えている限り、私という人間はただの理詰めでしかモノを考えられないつまらない人間である。そして、私の恋人がニーズや期待や供給などと、意識しないでいればいるほど、私は圧倒的にこの恋人に敵うはずはないのだ。

私がちまちまと考えている間、恋人はずっと先のことを眺めている。
彼に挑みたいわけではない。
圧倒的な感情の差を感じるのだ。
私の欲しがるだけ愛してくれればそれでいいと思えば思うほど、私の彼に対する愛情はとてもちっぽけでチープなものに成り下がってしまうように思う。
きみはきみを卑下すべきではないと、恋人は言う。
きみを否定しないでくれと言った。


なんて自分はつまらない人間だろう。
そういうことを、たまに思い知ったりする。
私は一体なにになりたいのだろう。
そういうことを、たまに思ったりする。
2004年11月27日(土)  匂い
力を込めてカーテンを一気に開けたら、夜の街の灯りが部屋をともした。
こちらは暗がりで、あちらはまだ明るい。
ベッドに向かい合って座った私たちは、厳かな儀式を行うように私たちは息をひそめた。
彼の目は影になって一体どこを見ているのかわからない。

電気を消した部屋に、私と恋人の影が壁に映る。
私が彼の胸に顔を押し付けたら、影も真似した。
彼の顔を覗き込んだら、瞳が光って見えた。
うるうると光は揺れている。
ゆっくりと体を寄せると、ゆっくりと腕に包まれて、私は落ちていく。
この匂いがたまらなく好きで、この温かさがどうしようもなく好きで、この人が泣きたくなるほど好きなのだと思う。

秘密めいた言葉を彼は囁いて、その瞳をまた揺らした。
私は声にならない言葉でそれに頷き返す。

人はどうして誰かを好きになってしまうんだろう。
どうしようも出来ない。
2004年11月26日(金)  怒鳴られる仕事について
営業だから、(営業じゃなくてもそうかもしれないけど)クライアントに叱られることがあります。その理由は、本当に様々なのだけれど、私が悪い場合もあるし無闇に八つ当たりされることもあるし、とにかく怒鳴られ詰められ監禁され(実際、ねちねちと叱られ2時間あまり軟禁された経験あり、一気に老けた)、私たちは、日々叱られています。

たまに思うのだけど、業者の営業担当に怒りをあらわにするとき、人ってたまに本性出るよね。お客であるという立ち位置から人を見下ろして怒り飛ばす姿って、本性がたまに見え隠れします。そういうときはたいてい、企業同士の話しではなくなり人間の嫌な側面がそのまま表れるような怒りの種類だったりします。

叱られたらへこみます。自分の行動に後悔したり、言葉の軽率さを振り返ります。それって、一般的に「反省」というかもしれません。けれど、叱られたとしても仕事は続くわけで、当然だけどそのあとの善処も求められるわけで、一番大切なのは逃げないことなのかなぁと、すごく当たり前のことだけどじんわりと日々感じます。

「お前みたいなヤツに怒る気なんかないよ」という人だっています。
怒るという以前に、お前になんかアレコレ言ってやんないよという、更にズキンとくるお言葉を頂く場合もあります。なかなか痛いことです。

他人に叱られなくても、「自分のいまの対応ってやっぱりだめだなぁ」と自分で自分にダメだしする場合だってあります。もっとこうしたいのに、こうありたいのに、全然足らないよって、たまにそういう青臭いことを思って自分で自分を叱るときもあります。

私が、営業を始めたばかりのころ、ついて回って教えてくれた先輩が、「今やった仕事はちょうど3ヶ月に自分に返ってくるよ」と言われたことがあります。今月手を抜いて仕事をしたら、3ヵ月後にいろいろとボロが出てくる。今月頑張ってすぐに成果が出なくても、3ヵ月後にはきっと実になって返ってくるよって、そういう意味です。

ある仕事のとき、私はそのお客さんに叱られました。ヒンヤリとするような言葉で刺されました。あーそっかと思って、申し訳ありませんと私は答えた。そのときはそれでも、同じ過ちを繰り返さないようにと気をつけて、無難な形で終われたのです。でも、自分ではやっぱりいまいち納得できなくて、あのときひどく叱られたなぁって、たまに思い出していました。
それからもう、1年近くたって、今日、そのお客さんとちょうどお話しをしたいたら、「あなた、あのときあんなことしたねぇ」って言われたのです。そうですね、本当に申し訳ありませんでしたと答えたら、「でも、あの後、してくれたことは本当に嬉しかったよ。これからもああいう形でやってくれたらこちらも助かるよ」って言ってもらえた。

そのとき、逃げずにいた報いが、今やっと返ってきたような気がしました。
そのとき、逃げないであれこれと工夫をしたことを褒めてもらえたような気さえしました。

だから、そういうところが私は営業という仕事が好きな理由なのです。
報われるためだけに仕事をしているわけではないけれど、お金だけではない“利益”というものを、お互いに感じられることが、私には嬉しいと思うのです。
私は、常に冷静でありたいと思う。
そのときだけの感情に任せて、何かを見失うのはとても損だと思うのです。
叱られれば、こちらだって反論もしたくなる。私もいち人間だし、感情だってある。正論はどこにあるのかわからないけれど、正論だけがまかり通るわけでもない。
だとしたら、正論や反論だけに拘らず、もっと先を見通していたいと思うのです。それだけが、今の私の唯一の“正しさ”だと信じるのです。

ああ、あれで良かったんだと、一年経ってそのときの自分に自信を持てた思いがしました。

私の仕事は、営業です。なんて言うと、キツイ仕事だねとか腰を低くさせて気を使って大変でしょう?と言われることが多いけれど、そればかりではない。それも必要な時もあるかもしれないけれど、営業の仕事だけが飛びぬけて神経を使う仕事だとは思わない。
企業間とのビジネス以外に、人と人の感情同士がぶつかるからこそ、そこに人間の腐った側面が見えたり、本音が垣間見えたり、やりがいや報いや自信が持てるのだと思っています。
2004年11月25日(木)  こんばんは
どん底から、こんばんは。
私は、いまどん底にいます。
そちらの天気はいかがですか。
こちらは真っ暗闇です。

仕事はめちゃくちゃ。髪の毛はばさばさ。顔はそもそもひどいし、足のむくみはもっとひどい。加えて、生理が止まりません。不健康そのものです。

なんで、仕事がめちゃくちゃなのかという反省は個人的にやるので、詳細は省略。
なんで、髪の毛がばさばさなのかというのは、きっとトリートメントをやればだいたいは解決するのでしょうけど、それをやってる暇もないので週末に後回し。
顔の問題と足のむくみの問題には、いっそのこと目を瞑っていただきたい。
生理が止まらないという、精神的切迫感に起因する問題は、やはり週末でしか解決できないようなので、これもまた後回しで。

どん底にいらっしゃると、何もかもがもうダメなものです。
ちょっとしたことが、すべてブルーに感じられてしまい、ブルーがブルーを呼び覚ますという最低な現象が起こってしまいます。トラブルはトラブルを呼びます。ぜったい呼んでます。どこかで声が聞こえるもの。私に隠れて逢引しています。トラブル同士惹きあっているのです。


こういう日は氷結とか可愛らしいアルコールを飲んで、寝るに限ります。
寝てこまして翌朝5時起床です。ええ、月末ですから。
いやなことは午前中にやってこましましょう。
明日は、誰にも八つ当たりしません。
誰のミスも、責めません。
仏様の笑顔で、仕事が出来ますように。
2004年11月24日(水)  言葉
言葉は形になることもなく、眠気と一緒に溶け込んでいく。
気持ちは伝わることもなく、シャワーと一緒に流れていく。

表したいことを、たとえば時間がないと理由で、私はそれを諦めなくてはいけない。
そんな日が続くなら、私はきっと死んでしまうかもしれない。

言葉は誰にも知らずに溢れていき、気持ちは誰の目に触れることもなくバスタブに反響して消えていく。

私には言葉にしてみたいことがたくさんあって、深めたい思いがある。
ひとりになって、頭の中でそれを逡巡とさせるけれど、けれど結局、私はひとりでは生きていけないと感じる。

言葉は一体、私たちのなにになるのか、という疑問は愚問だ。
それを捨てたら、私は私ではなくなりあなたはあなたではなくなるということだ。

さようならという言葉も、愛しているよという言葉も、大好きという言葉も、どれもみんな同じ言葉で、私たちはそれを失くしては生きてはいけない。
それはたまに、生きる意味を失うとか、生きる目的を見失うといったこととほとんど同じだと思える。

暖かい冬の夜、そんなことを思いついた。
2004年11月23日(火)  とり憑かれていますね
なに?
と、私は恋人に言いたい。

なに?なんですと?
と、私は恋人にたたみかけたい。

なあに?もう一度言ってごらん。
と、私は恋人に不気味な笑みをなげかけたい。

つまらない冗談辞めて!
と、私は恋人に叫びたい。

もっと上手い嘘、つけないの?!
と、私は恋人を嘲笑いたい。

だーかーらー、ね?ね?冗談でも嘘でもなくて、本当なの。
と、どんなにゴネても恋人のいう言葉は現実らしい。

あうあうあー、と耳を塞いで彼の声が聞こえないようにと頑張るけれど、ちゃんと聞いてよと腕をとられる。

12月になったらー、ひと月近くもー、ニューヨークにー、仕事でー、行くんだってー。
へぇーーー。
クリスマスは?
私の引越しは?
「たぶん、クリスマスの日までには帰ってくるよ」
ふぅーーーーん。
「ま、でも、帰ってくるのは24日の夜だけどね……」
ほぉーーーー。
「クリスマスプレゼントはニューヨークで買って来るからね!」
ふぅーーーーん。
「怒ってる?」
べっつにーー。
「怒ってるでしょ?」
つーかさー、その話しはいつ決まったの?
「き、きのう」
嘘おっしゃい!
「んー、ちょっと前」
ちょっと前に決まって、今の今まで黙ってたわけね!
「だってさー、嫌がるでしょう?怒るでしょう?泣くでしょう?」
べっつにーー。もう知らん。もうどこへでも行ってしまえ。


なんかねー、私には何かがツイテいるようですよ。
恋人がねー、一ヶ月間とかねー、東京にいないの。
そういうツキがねー、私にはツイテるみたいなんだよね。
それもねー、海外とかね。かなり遠くに行ってしまわれるわけね。
淋しいですよ。一ヶ月も会えないとか、ヤですよ。

ほんとさー、いい加減にして頂戴。
2004年11月22日(月)  透明な空
冬の朝は遅い。
家を出ても、まだ夜中のように辺りは暗い。
鼻の奥がつんとするような寒さに、マフラーをきつくしめなおした。

自動販売機だけが照らす朝の道を、私は駅を目指して歩く。駅に近づくたびに、同じように首をすくめて寒さに耐える人の姿がちらほらと見える。
こつこつと響く私の靴音だけが、朝の静寂をやぶっているような気がする。


こんな寒い日、あの頃まだ私は高校生だった。
通学する途中、私はその人とばったり出会った。
ふたりで手をとりあって、来た道をUターンした。
その人の自転車の荷台に腰掛けて、寒さに俯く人の流れに逆流した。

冬の公園は、落ち葉がぱちぱちと足の下で音を立て、見上げると頭の上いっぱいに手を伸ばしたような枝葉が見える。枝葉を透かして青く透明な空が見える。
きりりとした朝に、鳥の声がした。

その人がベンチの上を手で払って、私はその上に腰掛けた。
その人は走ってどこかに行ったかと思うと、缶コーヒーをふたつ握り締めて戻ってきた。
温かい缶コーヒーは、感覚のない私の手でじっと温度を取り戻していく。
その人の頬は赤く、肌は澄んでいた。
唇はかさかさでもその人の手のひらは潤んでいた。

子供みたいな恋愛だったけれど、私はその人に大切に扱われていたのだと思う。
冬の朝、たまにそんなことを思い出す。
2004年11月21日(日)  I can't
私は、なんだかここ最近、とても淋しいです。
なんだか知らないけれど、とても淋しいのです。
寒くなって、日が沈むのが早くなったからなのか、それとも、現実として淋しくなる出来事があったからなのか、その理由はまったくわかりません。
淋しくて心細いのです。
その感情は、「ひとりで気楽に過ごす心地よさ」の対極にある感情ではなく、「ひとりで過ごすことの淋しさ」という意味でもありません。だから、誰かと一緒に居る時間を多いからといって、それが解消されるわけでもない。もっと別の、まったく別世界の、全然違う次元の感情なのです。

足元の土がぽろぽろとこぼれていくような、ぐらぐらと世界が揺れるような、危うい心細さを感じるのです。紙一枚隔てた向こう側に、びくびくと怯えているような気がするのです。

どんな理由があって淋しいのか自分でさえわからず、どうにかしようともがきます。そしてその対象は、結局のところ、恋人に向って求めていくのです。
これまでいろんな男の人が私の恋人であったけれど、私がそれを求めたことで、その仲が裂けてしまったこともあった。私がそれを求めたことで、どこかに行ってしまった人もいて、泣かしてしまった人もいた、一生懸命応えようとして疲れてしまった人もいて、誰も彼もそれを解決してくれる人はいなかった。

それじゃない、そうじゃない、それも違うし、そういうことじゃない、こういうことでもない。

もし、淋しいという感情が、甘えられる場所があるからという理由で淋しくなるのだとしたら、私は実際に、そうやって恋人たちを困らせてきて振り回してきて疲れさせてきて、結局のところ別れてしまったら、きっと楽になるのです。淋しかったことなど微塵も忘れられる。そして実際、私はこれまでずっと、そうやって恋人と別れてしまって数日もたてば、淋しさなど消してしまえるのです。

不思議なことに、淋しさを埋めてくれそうな対象が消えてしまった途端、淋しくなくなるのです。
誰も甘えられる人がいなくなったから、淋しいという感情も私には要らなくなったのです。
そうしていつの間にかまた新しい恋人が出来て、一時は楽しく過ごすけれど、また得体の知れない感情が現れて、それを恋人に求め、恋人がいなくなると得体の知れないものは、ふっと消えていくのです。


羊水の中にいた頃を覚えているわけでもないのに、私はそこに返りたいと思うことに、似ているのかもしれない。ただじっと、そこで温かく守られたいという気持ちが、おかしな淋しさに繋がっているのだとしたら、私はこれまで、恋人に親への愛情を求めていることになる。

私は無償のものが欲しい。もらって後ろめたくなるものも、与えて疲れてしまうものも必要ではなく、私は無償のものが欲しい。けれど、結局、恋人は私の父親ではなくもちろん母親でもない。そして、“無償”というものは、たぶん、与える側が“無償”と決めることではなく、受け取る側が感じる形なのだと思う。恋人が懸命に応えようとする姿が、無償なのかどうかわからない。それをどう見てよいのか、どんな風に思えばいいのか、よくわからない。自分はものすごく馬鹿なのではないかと思う。だから私は、私がひどく嫌いだ。


淋しくて、恋人にそれを求めても、ただ別れを早めてしまうだけなのなら、ひとりでじっと耐えるしかない。私はまだ私の恋人を失えないのです。簡単に失ってしまっていいものではないのです。
2004年11月20日(土)  太ももを染める
腹痛がする。
子宮だか膣が痛む。ぼっこりと腹が膨れている。体の何もかもがむくんでいる。

太ももに血が一筋、落ちていく。
ベージュの床にそれは届きそうになる。

デスクから見る風景は、雑然としている。
誰も居ないオフィスで、私はひとり前を見る。横長の空間には紙だらけの乱雑さと無機質に冷たい収納棚しかない。どこかのプリンターがジリジリと音を上げ、今か今かと紙を吐き出すタイミングを待っている。

携帯をとって恋人の番号を呼び出してみる。電話をかける気があるのか、かけるつもりなどないのか、自分でもわからない。パソコンの画面ではカーソルが点滅している。今か今かとタイプされる文字を待っている。呼び出し音は数回聞こえ、そして留守番電話に繋がった。記憶させるメッセージもないのでそのまま電話を切る。

太ももから垂れた血は、やがて足首を回って床に落ちた。シャワーをひねると排水溝に渦を巻いて吸い込まれていった。私は狭いバスタブに四つんばいになって流れる血を想像した。暗くて臭くてぬるぬるした排水溝に流れた血の塊を。

社内プレゼンのために資料を用意してくださいと、どこからか声が聞こえる。社内プレゼンのためになぜ自分の時間を割いて書類を作らなければならないのか、とても疑問に思う。アピールは何かに恐れを感じている人だけがやればいいと思う。カーソルはまだ点滅したままで、その後に続く言葉が見つからない。頭の中には、言葉はまったく整理されていない。

ブルブルと携帯が震えて、小さな窓に恋人の名前が表示された。ブルブルと携帯電話はデスクを這い回り、そのままボールペンにぶつかった。腹が痛む。貧血がして、ため息が出る。憂鬱になる。席を立って自販機の前に立ったら暖かい紅茶が出てきた。煙草を吸うための小さな部屋に入ったら、街の喧騒がすぐそこに見える。

背中をシャワーの湯が打つ。しなった背骨に水がはねてはわき腹を通って滴り落ちる。カーブした髪の毛が腕に張り付いて、そこからもまた雫が落ちる。この雫の落ちる角度は偶然ではなく、きっとそれは物理的に裏づけされた角度によって足に落ちる。雫はすべて計算されつくしたものなのだ。

じゅくじゅくと何かが心の中で嫌な臭いを発しているような気がする。土曜のオフィスに来るものなど私以外に誰も居ない。窓のすぐ下にある道路には車が途切れることなく走り去っていく。恋人は、今頃なにをしているのだろう。だだっ広いオフィスでそんなことを考えるのは、一体どうしてだろう。携帯電話を開いたら、「不在着信あり」と表示されている。

立ち上がって首を伸ばす。温かい湯が首筋を流れる。太ももには血が流れる。血の塊は排水溝に吸い込まれる。耳からも水が出て鼻からも水が出て、太ももはそのうち真っ赤になって、足の親指に血がこびりつく。鏡をのぞいてみたら、そこには知らない女の顔があった。

恋人の電話番号を表示させ受話器をあげたら、すぐに恋人の声がした。
もしもし?と聞くと、
どうした?と答えた。
仕事が進まないの、と言うと、
そういうときもあるよ、と答えた。

保存もせずに画面を閉じた。シャットアウトしていますと、画面に表示され、やがて、ぷつりと言ってパソコンは真っ暗になった。
太ももの内側から外側にかけて、爪で引っ掻いた跡が出来ていた。
真っ赤な爪の跡。

結婚してよ、と言うと、
どうしたの?と笑って答えた。
男の人は、誰だって、私が「結婚してよ」と言うと冗談に任せて笑い飛ばす。そんなにみんな私のことが嫌いなのだろうか。
本気で言ってるのよ、と言ったら、
じゃあ、本当に結婚してくれるんだね?と答えた。
やっぱり結婚なんてしない、と思った。

ベッドに入ったら、恋人が優しく私の腹を撫でた。
2004年11月19日(金)  寒い夜、走る
最近、
恋人のことを考えると、とても自分が嫌になる。
その理由がどうのこうのというより、私は何度もこの言葉を呟くたびに、ああ、私は私が一番大事で自分本位の人間なんだなとあらためて感じる。

恋人のことを思うと、私は私が嫌になるのだ。
なにも出来ない自分に嫌気がさして、
上手く出来ないことを上手く割り切って考えることが出来なくて、
それがますます嫌気がさす理由で、
何かの出口を求めるように、恋人とはちがう男性と、たとえば食事に行ったりする。
たとえば遊びに行ったりする。

もうすぐ引っ越しするんだ、と私が言ったら、その人は、彼氏と一緒に住めばいいのに、と答えた。私は、自分が誰かと暮らし始めたとき、それが自分の最後だと思っている。最期だと思っている。

頭が痛くなるほど煙草を吸って、なにもかもが可笑しくなるくらい酔って、家のドアを開けたら洗濯籠に恋人のランニングトレーナーと、玄関脇にランニングシューズがあった。テレビの音がざわめいていて、誰かが「おかえり」と言った。

恋人がせっかく自分の部屋に来てくれたのに、誰がうんざりするだろうか。

雨の降る寒い夜、恋人は、あらゆるところで年末の道路工事が始まった街を走る。恋人の足は規則的にアスファルトを蹴って、私は誰か知らない男の人とお酒を飲み食事をする。

最近、嫌なことはない?
と、私は恋人に聞いた。
別にないよと恋人は答えたけれど、
私が一番嫌なのは、
何でも知りたがろうとする、この自分である。
どこかに行ってしまいたいと思った。
この恋人を、とても好きだから。
2004年11月18日(木)  らーすくりすます、あいげびゅまいはー。
らーすくりすます、あいげびゅまいはー。ばっざべりーねくすでー、ゆげびなうぇい。でぃーすいやぁー、つーせみーふろんむてぃぁー、あいぎびっつさんむわんすぺっしゃーる。

母が、年末ジャンボを買ってくれと小うるさい。
毎年、年末と夏のジャンボは買ってやっているが、当たった試しはない。せいぜい300円。「ほら、銀座だかどこかで、当たるで有名なくじ売り場あるでしょう。あそこで買ってよ」と本当に小うるさいので、「そこで買ってます」と言いつつ、仕事中、どこでもいいので目についた宝くじ売り場で買っている。宝くじは場所じゃない。運ですよ、お母さん。
「あんたね、あんた!あんた今年、くじ運いいんだって!だから、今年の年末ジャンボはいつもの倍の枚数かってよ!年末にあんたが帰ってきたらお金返すから!いいわね!あんた、今年くじ運がいいのよ、きっと当たるから!今年こそ2億円よ!」と母は電話口で興奮しているので、「誰にくじ運聞いたの?」と聞いたら、「このあいだ、ハンコを売りにきた人に占ってもらったの、あんたのこと」と言っていた。
私のことを、わざわざ占ってもらわなくて結構です。
というか、ハンコってなんやねん。宗教?いかさま?

世はすでにクリスマス。
今年のクリスマスは金曜土曜だけれど、ヒーヒー言いながらきっと仕事。師走だし、月末だし。
「ねえ、ダーリン。今年のクリスマスは何して過ごそうかしら」と聞いたら、「肉食いたいね」と言った。まったくさー。肉だってさ。雰囲気もなにもあったもんじゃないね。
「いいねー、肉!焼肉行こうよ!タン食べようよ!ユッケ食べようよ!」と、私はタン塩・ユッケが大好きです。

クリスマスだからという理由で、うきうきしてみたい。
なんか、普通の恋人同士がやるようなことをやってみたい。
普通の恋人同士が、一体クリスマスをどうやって過ごすか知らないけれど、とにか一般的に恋人同士がいちゃいちゃする馬鹿みたいな方法でクリスマスを過ごしたい。最近のクリスマスは友だちとお酒飲んで騒いでいる記憶しかない。否が応にもうきうきさせられるこの時期に、やけ気味に騒いでばかりいる。


最終電車で池袋の駅に帰ってきたら、チューしている男女に出くわした。
チュー。
チュー。
わーお、ウキウキですか。
2004年11月17日(水)  ヌボー
ボージョレヌーボーだかなんだか知らないけれど、今日はその日だったらしい。
ヌーボーってマヌケな名前だと前々から思っていた。ヌーボーだってさ。

お客さんに呼ばれてボジョレパーティーに出かける予定だったけれど、行ける筈もなく私は残業です。同僚たちは早々に仕事を切り上げて行ってしまわれた。ボージョレヌーボーというものは、一体どんな味なんだろうと思いつつ、鳴る電話の応対に追われる。

酔っ払って出来上がった同僚たちが、どやどやとオフィスに帰ってきて、「美味かった」など、「美味だった」など、うるさくて仕方ない。「あいさん、紅虎行きましょうよ」というので、みんなで中華。

みんなは、ヌーボ+紅虎。
私は、紅虎だけ。
水餃子の水を出し切って食べる癖が、私にはあります。

なんとも、やるせない一日でございました。
2004年11月16日(火)  火曜日
火曜日。打ち合わせ3回。タクシー2回。くしゃみ1回。
朝ごはん、リッツ。
昼ごはん、五右衛門のペスカトーレ。
夜ごはん、カゴメの野菜ジュース。
睡眠時間、4時間。

後輩が携帯メールをよこしてきて、「僕は、営業に向いてないかもしれません」と書いてあった。甘えてくれても困ると思った。「大丈夫。向いてなくてもやってけるから」と返した。「ありがとうございます」と返ってきたけど、いや励ましてないからと思った。

電車なら10分で行ける距離を、バスに乗って1時間かけて行った。
一番後ろの席で、頭を垂れて眠った。
夢を見た。
もうひとり自分が居る夢を見た。
自分がもう一人。
とても怖い夢だった。
起きたら、終点だった。
2004年11月15日(月)  振り返るということ
私と恋人は、付き合い始めた頃、週の半分を一緒に過ごし、週の半分はそれぞれに過ごした。一緒に過ごすそのほとんどが私の部屋だった。
私に「おかえり」と言って、ご飯を温めてくれて、ぐだぐだとテレビを見ている私のお尻を叩いてシャワーを浴びさせ、濡れた私の髪の毛に指を絡ませながら乾かして、眠りにつこうとする私の顔を見ながら、自分も眠りにつく。
休日は、昼近くまで眠って、起きたらシャワーを浴びて慌しくセックスをしたら、商店街に買い物に出かけ、帰りに公園に寄って買ったばかりのお菓子を食べ、夕暮れ前に私がご飯を作るのをそわそわとして待ち、深夜遅くまでスポーツニュースを見て、私の髪の毛を乾かしてまた眠る。
そうして、日曜日の夜遅くならないうちに彼は自分の部屋へと帰っていく。

彼はそうして私と過ごしていた。

今の彼は、週末だけ私の部屋に訪れる。
私たちの携帯の着信はすれ違ってばかりで、携帯電話から聞こえる彼の声は電波に阻まれ途切れ途切れの言葉しか聞こえない。それでも待ちに待った週末に、恋人はふらりと私の部屋を訪れる。
私たちは、付き合いはじめのころとは少しずつ形を変えつつあるけれど、変わった形の中でも彼はそのリズムを崩さずに控えめなメトロノームのように自分のリズムとルールを守る。


その週末に、彼は自分のスーツを抱えてうちにやってきた。
月曜日はスーツで出勤することになったと言って、彼はクリーニングのビニールが掛かったままの黒のスーツを持ってきた。あまり気に入ったネクタイを持っていないと言うので、翌日、私は彼の手を引いて買い物へ出かけた。グラデーションに並んでいるネクタイを左から右へすべてを手にとって、彼の胸にかざした。
すべてのネクタイを彼にかざした後、私はひとつだけ、ネクタイを選び取りお金を支払った。部屋に戻った彼は、何度も何度も、そのネクタイを眺めてはその模様に触れていた。
日曜の夜になっても、彼は自分の家には戻らず、それを私は咎めることも指摘することもなく、それは彼自身が自分の手でスーツを持ってやってきたときにあらかじめわかっていたことで、彼は彼のメトロノームを、彼自身の手でそのリズムを変えたのだった。

朝になって、私はその日、早めに出勤しなければならなかった。
一緒に起きた恋人に、出かけるときに起こしてあげるから眠っててもいいよと言ったけれど、彼はまだ開ききっていない目を細めて、首を横に振った。私は手早く支度をおえて、彼を振り返った。まだ眠そうな彼の顔がすぐそばにあって、その目はぼんやりと宙を眺めていた。
もう行くね、と言うと、彼はゆっくりと立ち上がり裸の体にYシャツを羽織ってゆっくりとボタンを閉めると、ネクタイを締めてと彼は言った。私は昨日買ったネクタイを手に取ったけれど、私が出来るのはただそれだけだった。私は、残念なことに男の人のネクタイを結んだことはないし、結び方を知らない。


私が幼いとき、母は忙しい人だった。
休日の日でも母が仕事の日は、私は母の実家に預けられた。私は祖母に手をとられて、慌しく出かける母のうしろ姿に「お母さん、行かないで」と声をかけた。いくら呼んでも母は振り返らなかった。
お母さん、行かないでと、私は懸命に叫んだけれど、一度も母は振り返らなかった。
だから、お母さん、早く帰ってきてねと叫んだ。それでも、母は振り返らなかった。

恋人は、シャツを着た体を少しも動かさずにそこに立っていた。
彼がスーツを持ってやって来たのは、私にネクタイを選んでもらいたかったからで、私にネクタイを結んでもらいたかったからで、それはよくわかっていたのだけれど、私はそれをしてあげられない。
私は、玄関先で彼を振り返った。あの日の母を思い出した。
ごめんねと恋人に言ったら、いってらっしゃいと恋人はそこに立ったまま言った。
捨てられた子供のように、そこにぼんやりと立っていた。
2004年11月14日(日)  年収騒動
私が最近ショックだったのは、賃貸マンションの申込書を書くときに、保証人である父の勤め先の他、年収を書く欄があったので、電話で母に電話をして父の年収を聞いたら、私の年収より若干少なかったこと。

父の勤めている会社は、今のご時世、相当に不況の煽りをうけている業界で、しかも小さな会社なので、役職についていたとしても、厳しいのであるね。

なんだか私は、ものすごく親不孝をしているような気がしました。
いや、父の年収でも田舎では充分多いほうの年収なのかもしれないけど(よくわかんないけど)、私は田舎に戻って田舎の仕事をして、田舎の暮らしをすることが一番の親孝行なんだよなと、見ないようにしてきたことを突きつけられたような気がしました。

それにしても、私の年収より父のほうが少ないのは、保証人として認められないのではないかと、若干心配にもなったので、ちょこっと上乗せした嘘の年収額を書きました。そこまで、不動産屋も調べないだろうし、いいじゃないかちょっとくらい見栄張ったって。
100万くらい上乗せしておいたよ、100万なんてチョットだよね、父ちゃん。

なんだか、世知辛いであるね。

ちなみに、今日は父ちゃんの誕生日でもあります。
おいくつになられたのかしら、あの方は。
2004年11月13日(土)  8.7万円は妥当なのかどうか
引っ越し先のマンションが決まりました。ありがとうございます。
池袋の駅により近くなりました。よく行くカフェがより近所になりました。
かなりご近所さんに引っ越すことになりますけど、今の部屋より10平方メートルも広くなるのでございます。1DK・8.7万円でございます。S56年築なのでかなり古くてユニットバスでトレイバス一緒でオートロックもないですが、台所が広い。
台所が広いので、「うちの台所が狭いから、料理が上手く出来ないの!」という言い訳は通じなくなってしまいましたが、まぁ良いではないか。
最近は、インテリア雑誌とか読みまくっておりますです。

欲しいものがたくさんあるなー。
まず、広い部屋を仕切るのにパーティションが欲しい。ドレッサーも欲しいし、テレビ棚も新しいのを買おうかなぁ。台所に置く棚もほしいなぁ。収納ケースも買わなきゃねぇ。フローリングなのでラグも買おう。格好いい椅子もほしいなぁ。

という、ひとり言をずーっとぼそぼそ言い続け、いつか誰かにプレゼントしてもらえないかと期待する日々。
2004年11月12日(金)  寝顔を見ながら考える
今週は、何がそれほど忙しかったのかわからないけれど、毎日毎日、深夜過ぎの帰宅になってしまった。

お客さんに飲みに誘われ、会議で遅くなり、同僚と食事をしにいって、後輩たちの相談に乗り、またお客さんに飲みに誘われ、仕事は終わることもなく、いや、終わることはないのだけれど、あっという間に一週間は過ぎて、そして同じくらいあっという間に週末は終わる。

恋人の寝顔をそっと見て、自分も目を閉じた次の瞬間には翌朝になっていて、急いで支度をしてまた仕事に出かける。

何のために仕事をするかなど、そんなことを考えていたら、仕事をする動機はただの「理由」や「義務」になってしまう。私はただ、仕事をしたいから。私はただ、売上げをあげたいから。私はただ、それをすることが好きだから。だから、いくら遅くなっても睡眠時間が減ろうとも、身を引きずって仕事に出かける。スーツの皺を気にしながら電車に飛び乗る。

仕事は仕事ではなく、ビジネスだけれど仕事ではない。
私は私のために仕事をして、私は私でしかない。
オフィスの電話は、いつまでも鳴り止むことはない。
2004年11月11日(木)  たぷん、と水の音がする
たぷん、と水の音がする。
それは重くどろどろしていて、油が揺れる音に近い。

井戸の中は真っ暗で湿気が多く肌寒い。
たぷん、と水が揺れる。
井戸の中にいると、どちらが上でどちらが地面なのかわからなくなる。
右がどちらで左がどちらなのか、わからなくなる。
たぷん、と井戸の中は水の揺れる音に反響している。

私の中には井戸がある。
どれくらい深い井戸なのか、その中にはどれくらい水が貯まっているのか、どれくらいその水が汚れているのか、どれくらい鬱々とした井戸なのか、どれくらい屈折した井戸なのか、私でさえわからない。


私の中には暗い暗い井戸があって、きっとそれは行き場を失っている。
2004年11月10日(水)  サボテンさえも枯らしてしまったけれど
「hairLABO」という観葉植物を買いました。
プラスチックの紙コップに入った、なんかコケみたいなヤツです。人形の形をしているのだけど、その頭の部分に何かの種が植わっていて、そこから植物がぐんぐん生えてくるといったヤツです。
数日たって、草が生えてきて、ぼーぼーになったら、それをきれいにカットしてあげるのです。

暇だったので、写真と絵で説明してみました。
以下、参照。








2004年11月09日(火)  口のきけない運転手
仕事上、よくタクシーに乗る。

タクシーに乗っているときは、なるべく話しかけられたくはない。なので、おしゃべり好きの運転手に捕まってしまうと、今日は運が悪かったなと思う。
それでも、話し好きな運転手の話しに耳を傾け、相槌をうち、笑って答える。
道が混んで恐縮している運転手に、時間はありますからと安心させてあげる。
話しを聞いてくれたお礼にと、車を降りる時にのど飴をもらってこちらもまたお礼を言う。

今日、同僚と一緒に乗ったタクシーの運転手に、行き先を告げた。
無言で車を走らせる運転手に、私は行き先が聞こえているのか不安になった。
行き先がちゃんと伝わっているのか不安になった。
もう一度、確認をしても無言だった。首を振るでもミラーで目で合図するでもない。
同僚が私と顔を見合わせて、訝しげな顔をした。
この人は口が聞けないのかと思うほど、彼は無言を貫いていた。
行き先、わかってますか?と同僚が運転席に身を乗り出して口調を強くして聞いた。
彼は小さな声にならない声で、「わかってるよ」とぶっきら棒に答えた。
気分を害したような同僚のその顔に、私は苦笑を向けた。

わかっているなら、それでいい。
個人タクシーにサービスを求めるでもないし、行き先まで連れて行ってくれればそれ以上はこちらも望むことはしない。
その応対に、「人間として、何々」と言うつもりもない。彼は彼で、私は私で、話し好きな人もいれば、私のように話しかけられたくない人もいる。話しかけられて無愛想にする客もいれば、私のように愛想よく調子よく相槌を打つ人間もいる。
走ってくれればそれでいい。

車が到着して、お金を払った。無言で釣りと領収書をもらった。
車をおりたら、背後でドアを乱暴に閉める音がした。
同僚が、よくあんな態度で商売をやっていけるね、と肩をすくめた。
私は、首を傾げて、何か自分に彼を怒らせることがあっただろうかと一瞬考えたけれど、思い当たることも無いので、もうそのことについて考えるのはやめた。

世の中、つねに機嫌の悪い人は、どこにだって、そしてたくさんいる。
2004年11月08日(月)  「尊敬する人」
残念なことに、私には「尊敬する人」という概念がないようです。

そもそも、それでは尊敬するとはどういうことをいうのか、を考えてみました。
私の考えは、その人のすべて、全てが私にとって絶賛できる、もしくは目指したくなる、存在でなければいけないと思うのです。
すべて、です。
その人の仕事も私生活も、恋愛観も価値観も経験も、全てです。
あの面は、すごいと思えるけれど、あっちの面がちょっとと思う人はたくさんいます。
仕事は素晴らしくできる人なのに、その恋愛観はちょっと……と思ったり、その人の営業姿勢は本当に真似したいなぁと思わせられるものだけど、デスクワークはミスばかりだったり。

あれは出来るけど、これはダメ。あれは得意だけど、これは不得手。
でも、人間ってみんなそういうものだし、すべてを完璧にこなせないことがいけないことだと思っているわけではありません。その、得手不得手がその人の個性であり、好かれる部分と好まれない部分を両方持ち合わせている人は、とても魅力的で、とても人間らしく、愛嬌があるとさえ思います。

「憧れる」ということ。
これについては、私はたくさんの人に憧れています。ああ、あの人のああいうことを真似出来たらいいのに、ああ、あの人のああいうようなことが出来ればいいのに。ああいう30代になりたい。ああいう女性になりたい。
私の憧れはたくさんあります。
でも、憧れと尊敬は同じようで、何かが違うような気がする。
それはなにか、憧れは理想であり非現実的であり、ときとして想像や妄想でだって、出来るものであり、尊敬は実際に実在する人物に投影しなければ、抱ける感情ではない気がするからです。


あちらはいいけど、こちらはあまり好きじゃない。
そういう人ならたくさんいる。
好きじゃないところがあるからと言って、その人を全否定するわけでもなく、その人を嫌うわけでもない。むしろ、そのバランスさが時として、好きになれる理由だったりする。
そして、私はその人たちと上手く付き合っていっている。
そういう人間関係の中に、私は「尊敬する人=すべてを良いと思える人」を見つけ出すことが出来るのだろうか。

私に欠けることは、「尊敬する」概念だと思う。
その代わり、私は誰をも否定はしない。
むしろ、全ての人を肯定する。

ただ、たまに「尊敬する人」がいないということに、限界を感じてしまう。
「尊敬する人」がいない自分は、何かの心を失った冷徹な人間になってしまった気がする。
私の尊敬の念は、理想が高すぎるだけなのだろうか。
私の尊敬の念は、完璧な人間を求めすぎているのだろうか。
2004年11月07日(日)  だーれーかー
物件選びを、日々頑張ってやっていますが、まだ1週間しかたっていないのに、すっかり面倒くさくなってしまいました。
だーれーかー、えーらーんーでー。
選り好みしているわけじゃないんだけど、なんかねぇー、やる気が起きないんだよねぇー、あーもう面倒くさい。

というか、どうして不動産の営業さんは、あんなにホストみたいな格好&顔な若い男が多いのでしょうか。うんざりです。チャラチャラしすぎ。人をなめすぎ。高圧的過ぎ。なんか全然信用する気が起きないのだけど。ちょっとこちらが渋ると、すぐ「家賃下げますから、うちで契約してくださいよー」と言ってぶらさがってくるんだよね。

あと、なんかもう、押し売りが凄い。売りたいと思った物件は何分も説明しつづける。いいことばかりしか言わない。「タイルはイタリア製で」とか、「エントランスはわざわざヒノキの木を切って」とか言うけれど、私は、外見は多少古くてもいいと言っている。この人たちは客のニーズを理解してくれているのか、かなり不安だ。一生懸命売ろうとしているのはわかるが、全然こちらに刺さってないのに気づいてないのだろうか。タイルがイタリア製だろうが、壁がフランス産だろうが、そんなものは知ったこっちゃない。辟易するので聞き流し。

あと、他社の不動産屋の悪口を言う人。「うちは優良不動産屋ですから」と言いたくて、他社の悪い噂や内情を聞かせてくれるのだろうけれど、ホント、聞いてるほうは気分が悪い。そんなことを言うと、逆に自分の店の株を下げていることに気づかないのだろうか。

うちの今の部屋の不動産屋さんは、とても良心的。うちの部屋は祖父の持ち物でもあるので、祖父のつてで物件を探してもらっている。とても親切で親身になってくれて良心的なのだけれど、いい物件が出てこない。ここと契約したほうがいくらか安心なのだけれど、如何せん物件があまりない。残念。

ああー、そうはいっても不動産の営業マンは、人の話を聞かない。自分本位でしゃべっているような気がする。そんな人ばかりではないのだろうし、たまたまそんな人が担当なのかもしれないけど、如何せん、信用できない人ばかりである。
日々、不動産営業マンを見て、明日の自分の営業活動に役立てる、この毎日。
皆さんいかがお過ごしですか。
誰か私の部屋を決めてください。
2004年11月06日(土)  死んでもいい権利
異母兄と並んで歩く。

オフィス街のデリに座って、何気なく外の風景に目をやる。真っ白い服を着た子供、スーツを着たその父親。ふたりが顔を寄せ合って楽しそうに微笑みあっている。兄はそんな風景をぼんやりと眺めている。私も何気なくその親子を眺めていた。

私は、自分の年齢、そして兄の年齢、そして周りの家族達の年齢に、うんざりとした溜息の出る因縁を感じている。25歳の私、31歳の異母兄。それに因縁めいたものを感じるのだ。

父が25歳のとき、兄がこの世に生まれた。
父が30歳を過ぎ31歳になろうかという頃、私がこの世に生まれた。
そして異母兄が25歳のとき、私が20歳にもならない時、兄は手首を切った。

兄は、死のうと思っていたわけじゃないと、私に言った。それが本音なのかはわからない。
死のうと思ったわけではないのに、死ぬ行為をした兄のことが私には怖かったし、「男性が手首を切る」というその方法が、私により大きな衝撃を与えた。兄が選んだその方法が、私にとっては兄の鬱屈した気持ちがとても生々しく思えたのだ。

「私は、死のうと思ったことがあります」
と、世間ではそんな言葉を言うのがダブーになっている気がする。タブーではないのかもしれないけど、本気で話を聞こうとする人なんて、あまりいないと思う。普通に言ってしまえる世の中になればいいのに。
死のうとすることはいけないことなのだろうか。
兄が手首を切って、私は「ああ、人は自分で自分を殺せるものなのだ」ということに気がついた。いつでもどこでも、どういった理由であれ、自分は自殺できることに気づいたのだ。兄は、死のうと思わずに手首を切った。私は自分に自殺できる権利があることに気づいた。
死のうとしてもいい、しなくてもいい。
私はそれを誰に咎められることなく選ぶことが出来る。
兄が手首を切って私は気味悪さを感じたのだけれど、自殺の権利に気づいたとき、兄の手首を切ったその気持ちが一瞬わかったような気分になった。


私たちはまだ、その白い服を着た子供とスーツ姿の父親を眺めていた。
兄は、きっとあんな種類の人間にはならないだろう。結婚して子供をつくるような人生は歩まないだろうと思う。意地悪で言っているのではなく、かと言って同情しているわけでもなく、漠然とそんな気がするのだ。そして、多分私もならない。多分きっとならない。

なぜなら、私たちはそういう兄妹だからだ。
2004年11月05日(金)  耳の痛む夜
私は、時々、恋人に懐疑心を抱く。
彼の心の中で、私はひどく嫌われているのではないかと。
にっこりと微笑む顔も、真剣に見つめる眼差しも、ぼんやりと過ごすふたりの時間も、本当は、彼はひとつも楽しんでいないのではないだろうかと、時々思う。
私の知らないところで、少しずつ彼は私を愛さなくなって、私の知らないうちに、少しずつ彼は私を嫌いになっていくのではないだろうか。自分では気づかず、私は彼に嫌悪感を抱かせているのではないだろうか。
そう思い始めると、私の何もかもがぎくしゃくしはじめる。
恋人という形の正しさを私は知らないくせに、私は自分が誤ってやしないだろうかと感じる。
ありもしない真実を、早く見つけ出さなければと焦りを感じる。

こんな風に思う自分は、ひどく病んでいると思う。
どうしてこんな自分かと、反対側の自分が嘆いている。

とても冷たい夜。
真っ暗で真っ直ぐで細長い道を、私は前に歩いているのか横に傾いているのかよくわからないまま、それでも歩いた。もう別れたはずの男の人の家に行くには、とても心細い道だった。暗くて寒くて、もう引き返そうかと何度も思ったけれど、もうどっちに歩いても寒さも暗さも遠さも、あまり変わらないように思えた。
彼の部屋に行き、彼の部屋を出て、駅に戻って、誰も居ないホームに立った。
上りの電車はもう終わっていて、下りの最終の電車が止まって走り去った。もう帰れなくなってしまった。もう私は自分の部屋に帰れなくなってしまった。

私の耳はひどく寒い日に痛む。
聴覚に問題があるわけではないが、とても寒い晩には我慢の出来ない痛さが襲ってくる。そして、そのうち鼻の奥が痛み、喉が痛んで、眩暈がしてくる。
駅員が「もう駅を閉めますから」と言って、私はまた改札を出た。すでに耳は痛んでいて、私のつま先はどこかに置いて来てしまったようになくなってしまっていた。

あいの耳が痛む日は、それだけ寒い日だってことなんだよ。
天気予報より当てになる耳だね。
いつか異母兄がふざけてそんな風なことを言っていた。
兄に迎えに来て欲しいと思った。もう行ける所もなく、帰れる方法もわからない。
闇に放り出された子供みたいに、ずっと駅の前でしゃがんで耳を押さえて我慢していた。
その痛さを我慢していた。
耳も喉も鼻の奥も頭もつま先も心も、ぜんぶ痛かった。


真っ直ぐで細長いその道のずっと先は、真の暗闇だった。
別れてしまった恋人は、その暗闇の向こう側にいる。
そこまで行くには、暗闇を渡らなければいけなかったし、闇をくぐり抜けたところでそこが暖かい場所ではないことも明らかだった。
道の細長さは心細さに比例して、暗闇の先はけっして暖かさを象徴してはいない。

その彼は、私の知らないうちに私の気づかないうちに、真っ暗な闇の向こう側にいってしまっていた。けれど、気づかなかったのは私自身の過ちで、そして気づかなかったのではなく、ただ私が気づこうとしなかっただけなのかもしれない。考えればすぐにわかった真実も、私はただ見ないようにしていただけなのかもしれない。それでは一体、私は何から目を背けていたというのだろう。
その彼と、何をどうしたかったというのだろう。
私はそのとき、何を望んでいたというのだろう。


私は懸命に、恋人の嫌がるようなことをしないようにと、いつも言い聞かせている。それは過敏といってもいい。私が彼に与えてしまったストレスをなるべく蓄積させないようにと過剰に気をつけているつもりだ。けれど、私の何気ない言葉が、私の何気ない行為が、もしかしたら私の思い当たらない理由で、彼に負担をかけてしまっていることもあるのかもしれない。じゃあそれは、一体どんな風に気をつけていればいいのか、わからない。
そして、私はわかっている。
そういうことは気をつけて防げることではない。
そういうことは気を回して防ぐものではない。
嫌われないようにと萎縮することや、顔色をうかがって体を強張らせることや、そして自分の我侭や彼の気持ちから目を逸らせることこそが、恋人から愛されなくなる理由だと思う。
2004年11月04日(木)  学生ローンの金利はどれくらいなのか
ユニクロのCMがとてもカッコいいので、早速お店に見に行ったのに、自分で着てみると「これは部屋着にしかしたくないなぁ」と思うほどダサく見えるのは、私のスタイルの悪さのせいです。

iPodがU2、GAPがレニークラヴィッツ。カッコいいです。カッコいいのでビックカメラに走ったら、秋葉系さんがたくさんいらっしゃって滅入ったので、帰りました。


先日、池袋を歩いていたら、汚い雑居ビルから、学生服を着た高校生が慌てた様子で飛び出てきた。なにごと?と思いながらビルの前の路上看板を見たら、「学生ローン」と書いてあった。
世知辛いよ。

つい先日、おっ洒落なカッフェでラッテを飲んでいたら、隣のテーブルの若い婦女子と若いイケメンが、こんなふうに話していた。「で、アダルトにはちゃんと台本があります。まず、ベッドでフェラチオね」これから、彼女は素っ裸の女優になるのですね。
世知辛いの。

ついつい先日、お部屋探しの不動産屋さんに行って、「池袋の東側の部屋がいいんです」と言ってるにもかかわらず、同年代くらいの営業マンは西口ばかりの部屋しか見せてくれない。「東がいいんですってば」と言ったら逆ギレされた。彼には西口のノルマがあるらしい。
世知辛いわよ。

その不動産の営業マンに、「とりあえずいい物件が見つかったら、メールで間取り図をください」と言ったら、「え?どうやってですか?」と真顔で聞くので、「いや、その、画像を添付で」と答えると、「え?添付?出来るんですか?」と言った。もうこの不動産屋はだめです。
世知辛いでしょう。


今日届いたスパムメールのアドレスが、「ima_aini_ikimasu@」だった。スパムも世間の流れに必死についていってるのです。アノ映画は何となく見てみたい。獅童さんが見たい。けど、結子さんはちょっとどうかと思う。


昨日恋人から電話がかかってきて、相当酔っ払った声で「迎えに来てー」と言ったので、急いで東京駅のホームに行ったら、彼の同僚とふたりでベンチに座ってポテトチップスを食べながら、ニヘラニヘラ笑っていた。ちょっとどういうこと?と思った。

酔っ払いふたりがポテトチップスを食べ終わるのを待って、まずはこっちの同僚から片付けることにした。恋人の腕を抱え、同僚の背中を押し、同僚の家方面の電車ホームまで隣のホームの癖に5分くらいかかって行き、同僚を電車に押し込む。「気をつけてねー」と言うと、なぜかドア越しに悲しげな視線をこちらに投げる。なぜかちょっと見つめあってしまって無意識にこちらも悲しげな視線で手をふってしまう。ちょっと何やってんですか、自分。

眠りこけている恋人を、ようやく来た電車に座らせて、自分もその横に座ったらべったり体重をかけられて重かった。何回も押しのけてももたれてくる。したら、目の前に立っていたおじさんに、「だ、大丈夫ですか?」と声をかけられた。どうやら、見知らぬ酔っ払いに絡まれていると思われたらしい。ここで、「た、助けてください」と言ったら、さて恋人の運命は如何に。
2004年11月03日(水)  15時から0時まで
起きたら3時だった。午後の3時。
休日はたいていそんなものです。

恋人が手袋を買った。私も欲しいと言ったら、買ってくれた。
お礼に夕食をつくった。
カレーライスを作ろうと思って人参を切ったら、包丁が滑って指が切れた。
人参がかたいんだよねー。

赤黒い血が出て、落ち込んだ。


人生は、スチャラカさ。
2004年11月02日(火)  よく眠ること、ちゃんと食べること
自分のために記しておく。どれだけ今嬉しいかということを記しておく。
2,3ヵ月後、もしかしたらへたれている自分のために。
もしかしたらへこんでいる自分のために。

9月まで社内で立ち上がっていた企画の仕事に参加させてもらった。とても短い期間ではあったけれど、とても楽しい仕事だった。
その企画が自分の会社のどんな位置にあったものかは、難しいことはわからなくても何となく肌で感じることが出来た。成功か失敗かは紙一重で、私たち営業は僅か紙一枚のところを縫うように、毎日夜遅くまで働いた。しんどかったし、倒れるかとも思った。でも、それでも面白かった。
そして、その仕事のあとを継ぐように、また12月から新しい企画が立ち上がることになった。
その企画が通るように会社に働きかけたのは、私と一緒にあの企画に参加した先輩であり、あの企画の中心で働いていた人でもあった。その先輩が、新しい企画を考えていることを、私は9月に教えられ、もし会社がGOサインを出してくれたならまた一緒に仕事をしようと言われ、私はとても楽しみにしていた。
今日、その話しが正式にまとまり、その先輩が9月までの企画に参加していた営業たちひとりずつに声をかけ、それぞれの上司達に稟議を通して、また私たちは再度集まることになった。

私がその先輩を好きなところは、私がどうしても言葉に出来ないことを、彼は容易く言葉に代えてくれることだ。「〜〜ってことかな?」と言ってくれる。「そうそう、そうなんです」と、私はまだいろんなことを形にすることは出来ない。それをしてくれるその人は、私よりいくつか経験があり、私の知らない私をその人は私に教えてくれる。だから、その人と仕事が出来ることを嬉しく思う。

営業は、ときにほかの職種の人たちと比べて、「自分はうちの会社の顔であり、自分が仕事を動かしているのだ」と驕ってしまうことがある。それは間違いなく驕りなのだけれど、でも、私はそういう驕りが営業のプライドであるなら、私は存分に驕るべきだと思う。愛社精神とか我が社の誇りをかけてとか、私はそんな言葉を言える世代に生まれてはいない。自分のために自分の好きなことを仕事にするという風に巻かれて大人になった世代だ。でも、だからこそ“自分が、自分が”という欲求は他の世代の人と比べてもきっと強い気がするし、まだ若いからこそ強いのだと思う。
だからこそ、私はそういう驕りをプライドに変換させないと、正面に立って仕事をすることが出来ない。誇りとか、プライドとか、そういうことを言うのって、かなり恥ずかしいのだけれど、でも私はそんな種類のプライドを持って仕事をすることを、密かに自分に許すことにしている。そんな方法でしか、私は出来ないのだ。

自分の課を少し離れることになる。
離れると言ってももともとの課内の自分の仕事は変わるわけではない。
私の上司は私の肩を叩いて、頑張れよと言った。
アシスタントにも今以上にもっと助けてもらわなければならない。


私は驕ってもいいけれど、必要以上の驕りをもつことは醜い。
私は、ひとりですべてのことを出来るわけではない。
私の代わりは誰でもいるからこそ、私が選ばれたと思っていてもいい。
それだからこそ、私でなければ出来ないことを残したほうがいい。
でも、私でなければ出来ないことというのは、意外にも身近にある。
〜〜するべきだという考えはやめたほうがいい。
口論になってもいいと思う、でも自分の幅を広げたいと願うことを忘れてはいけない。
泣きたくなったら泣いてもいいけど、翌日に目が腫れるほど泣くのは避けたほうがいい。
バランスをうまくとるのはとても難しいことだから、それほど悩まなくてもいい。
周りにあるほとんどのことが紙一重でも、吹けばきっといい方向に向うことが出来る。
今日には昨日のことを引きずらないこと。
飴玉は常時携帯しておくこと。
よく眠ること。
ちゃんとご飯を食べること。

このことを、2,3ヶ月後にきっと疲れてへたれているだろう自分に向けて書き置いておく。疲れてもいいけど、疲れたらちゃんと眠ろうと思う。これからがんばろう。
2004年11月01日(月)  車を飛ばして
自分は誰かを傷つけているなあと思うほど、
他人はそれほど傷ついたりしていない。

自分は誰かを傷つけているなあと思うのは、
自分で自分を慰めたり責めたりしている、ただの証拠だと思う。


私は、ずっと前、仙台に住む男性と知り合った。
今も知り合いのままだ。
異性として好きだったのか、ただの知り合いなのか、それすら、今でもわからない。
その人は、頻繁に東京に出張で来ていて、そこで私たちは知り合った。
その人が、私の部屋に泊まりにくるとき、東京の電車に疎い彼のために、私はいつも池袋までの乗換えを説明してやり、いつも池袋駅まで迎えに行った。
うちで眠った翌日は、彼と一緒に銀座に出かけ渋谷に出かけ、青山や赤坂を歩いて過ごした。

その人が、うちに泊まりに来たとき、決まって私がシャワーを浴びているあいだに、彼は恋人に電話をする。数分間だけ恋人同士の会話をして、おやすみと言って電話を切る。私は、その人がうちに泊まりに来るときは、決まって携帯電話をサイレントにしていた。

そういう付き合いが何ヶ月続き、何度彼がうちで眠ったのか、私はもう忘れてしまった。

ある夜、彼は私に電話をよこした。電話の向こうでは仙台の街の賑わいが聞こえていた。
どこかで会いたいと彼は言った。
今からすぐに会いたいと彼は言った。
車を飛ばせば数時間で東京に着けると彼は言った。
新幹線ならまだ間に合うと彼は言った。
宇都宮辺りまで新幹線で来てくれればすぐに迎えに行くと彼は言った。
どこかのホテルをとって、そこで一緒に過ごそうと彼は言った。

私は、ひどく冷たい仕打ちしか出来ずに、行かない、とただそれだけを答えた。
私は、彼と恋愛をするつもりはなかったし、彼のすべてを受け入れるつもりがなかったからだ。


今、その彼は、その出張先であった会社に出向した。
昨年、東京に出てきた。
だから、私たちはずっと身近になったにも関わらず、もうあの頃ほど頻繁には会っていない。

さて、誰が誰を傷つけて、誰がどれだけ悲しんだでしょう。
Will / Menu / Past