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2004年10月31日(日)  足を愛撫する人
そのうち、服を脱がされないままセックスをすることになる。
恋人と何度かセックスをしていくうちに、服を全部脱がされなくなると、もうその頃にはあまりセックスを嬉しいとか楽しいとか思わなくなってくる。

どうして男の人って、みんな揃いも揃ってそうなのだろう。
服を全部脱がさなくなるときまで、それぞれの時間の長さは違っても、結局のところいつかはみんなTシャツを着たままセックスをすることになる。面倒なのか知らないけど、惰性でやっているのなら、別にもうしてくれなくてもいいのにと思う。

私の足の裏は、いつもヒールを履いて歩いているので、皮膚が固くなっている。指の付け根の下の部分、一番皮膚が盛り上がっている部分がカチンコチンになっている。手入れをしようとしても、あまりキレイにはなってくれない。両方の親指と小指は靴擦れに慣れて色素が沈着している。
とても可愛らしい女の子の足ではない。
私はそんな足を見られたくなくて、男の人の視線からそっと隠している。それがもう癖になってしまった。

恋人は、私のそんな癖を知っていて、ソファーに座っているときや床に座っているとき、無意識に私が足を隠そうとするのをわざと手で引っ張る。何気ないときにでも、恋人はふと思い出したかのように私の足を膝に乗せて、ふくらはぎや太ももではなく、ずっと足の甲や指を触っている。どうしてそこばかり触るのと聞いたら、隠そうとしているものは余計に見たくなるからだと言った。

私はずっと密着していたいと思う。けれど、うでまくらをしてもらって彼の胸に自分の体を押し付けて寝ようとしても、結局、息が苦しくて眠りづらくて、自分から体を離してしまう。それがとても残念に思う。

私の足ばかり愛撫するのなら、少しはTシャツでも脱がして欲しいものだと思う。

人間は飽きていくものだから、ずっと同じ形のセックスをし続けることは出来ない。だとしたら、この向こうにはどんなセックスがあるのだろう。私には、想像もつかない。
私は、ずっと同じ男性と長い間セックスをしたことがないからだ。
男性と長く付き合ったことがないからだ。
2004年10月30日(土)  引っ越し発表
えー、この度、ワタクシ、引っ越しをすることに相成りました。
ありがとうございます。

引っ越し時期は、来年の1月頃を予定しております。
えー、15歳の高校1年生からはじまり、足掛け10年の一人暮らし歴。その中で引っ越し回数は3回でございます。そして実は、これまで住んだ3つの部屋は、私自身で決めた部屋ではございませんで、父母が勝手に決めた部屋に、ワタクシ不承不承住んでおったというわけでございました。
そして、今、住んでいる部屋は実は我が家の持ち物でございますので、家賃は0。ということですからワタクシ、学生じぶんから社会人になった今まで、家賃というものを払った経験がなかったのでございます。

ということで、何を言いたいのかと申しますと、『自分で部屋を決めて、自分で金払う』ということを、今回初めてさせていただける、ということでございます。ありがとうございます。
なんだかんだと、家賃を払っておりませんでしたので、金はほかの人間と比べても有り余るはずですが、そうは言っても、まあ、O型という性格も手伝ってと血液型のせいにして、私には貯金という概念もなく、ここまで過ごしてまいりました。大変、恥ずかしい限りでございます。金は使わなければ貯まります。しかし、使おうと思えばある程度の裕福をして過ごすことも出来る。お金って怖いデスねえ。

そこでワタクシ、こう考えたのでございます。
親の持ち物の部屋でぬくぬくと過ごし続けるのは、果たしてワタクシの経済的概念を一般的なソレより逸脱したモノにさせてしまうのではなかろうかと、危機感を持ち始めたのでございました。と言いますか、はっきり申し上げると、「25歳になって家賃も払ってないこの現状、このままでは親に偉そうなことを言ってる場合じゃないわ。完全に自立しなければ。それに、このままのお金の使い方の感覚だと、そのうち痛い目にあいそうだなあ」と、今さらながら思ったのでございます。社会人を4年も経験してまだ脛齧りかと、いやはや本当に重い腰をやっとあげた、という事の次第でございます。

ワタクシ、よく異母兄や友だちにことあるごとにこう言われておりました。たまに兄や友だちに異見すると、「家賃払ってないヤツが偉そうなことを言うな!」と、屁理屈で叱られていたのでございます。本当に屁理屈ではありますが、「家賃払ってない」ということは、ナンでしょう、ワタクシにとって、それそのものがもう既にハンディのような、ちょっと違うような。贅沢なハンディではありますが、もうワタクシの腹の中では決まったことでございます。どなたもお止めくださいませんように。ありがとうございます。


とまあ、アホみたいな事情で引っ越しを決めましたが、部屋を探すっていうのはワクワクします。
2004年10月29日(金)  たいせつな話
浅い眠りの中で不思議な夢を見ていた。
目的地はよくわかっていないのだけれど、海外へ向っているのだけはわかっている。その飛行機は初めて私を海の向こうの国へ連れて行ってくれる。飛行機の中はとても広くて、大きなベッドが病院のようにいくつも並んでいる。このベッドの上で眠りながら、私は海外へ向けて飛んでいる。
エアポケットに落ちたのか飛行機は上へ下へと揺れる。私はシーツを握ってベッドに横になったままそれに堪えている。
急激に落下する感覚が襲ってきて、私は思い切りシーツを握る。
そのとき、目が覚めた。
現実の私も、実際にベッドのシーツを掴んでいた。きつく掴みすぎてシーツがめくれてしまっている。なんだか、夢と同じ事をしていた自分が恥ずかしかった。「大丈夫?」と背中の恋人が言った。「うなされていたよ」とも言った。少し恥ずかしくて、「ヘンな夢を見た」とだけ答えた。
彼は私がうなされたのに目を覚ましたのか、それともずっと起きていたのか、ビデオのデジタル時計を確認したら、まだ眠ってから1時間ほどしかたっていなかった。

私たちは眠る前、少しお互いの心が離れてしまいそうになるほどの冷たい話しをしていた。私も、そしてきっと彼も本当はもっといい方向に向って話しをしたいと思っていたはずなのに、結局、話は収まることもなく着地点を決めかねて、曖昧なままおやすみを言った。

私たちの飛行機はエアポケットに落ちてしまった。

私はすごく疲れていた。体がとても疲れていたので、眠りたかった。すぐに眠気はやってきて、私はその波に身を委ねて眠りに落ちる。
また不思議な夢を見た。
私は階段を上がっている。とても急で狭くて一歩でも踏み違えるとまっさかさまに落ちていってしまいそうだ。私は高いヒール靴をはいている。足元が慎重になる。階段の上には明るい光がさしていて、真っ直ぐな光が目をさす。壁に手をつきながら、私は陽のさす地上を目指して地下からの階段を上がっている。
ふと誰かが後ろから私の体を支えた。腰の辺りに誰かが手を添えて私の体を持ち上げている。その人は顔を確かめなくても、誰だかわかっている。無謀にもこんな崖に近い階段を上がる私を助けてくれるのは、きっと恋人しかいないだろうと直感した。恋人には私の味方でいて欲しいと思う。私を叱ったとしても、私に腹が立ったとしても、それが私の味方であるが故のことであるなら、私はきっと心を離したりしない。そしてそれと同じように、私も彼の味方であり続けたいと思う。

目を開くと、うっすらとカーテンの後ろが明るくなりかけていた。一体、何時間眠れたのだろうと思う。恋人が腕をまわして私の腰を引寄せている。その手触りがきっと、私に不思議な夢を見せたのだろう。

私の一番の味方は、私の恋人である人だ。

私たちは、あと数十分で目覚ましがなるこの時間に目を覚まし、そして大切な話しをした。眠る前のあの冷めた話の続きでもあるし、私たちが願った着地点へ向けた話だった。彼は眠ったのだろうか。眠らずにずっと冷めた話の続きを探していたのではないだろうか。私が不思議な夢をふたつ見るあいだ、彼はずっと考えていたのではないだろうか。
私の恋人は、大切な言葉を一語一語選んで、話し続けた。

私はその言葉を聞いて、今までずっと疑っていた気持ちを捨てることにした。彼に無理をさせているんじゃないかとか、彼が本心を言っていないのではないだろうかとか、そういう疑いをすべて捨てることに決めた。それは、彼は信じるということなのだろう。それは仲直りというのかもしれないし、理解したというのかもしれない。とにかく、私の中で何かがすっと溶けていった。
恋人は幸せだと言った。

私たちは幸福感に包まれて、じっと目覚ましが鳴るまでの時間を待った。
2004年10月28日(木)  部長の目の前で起こる様々な出来事
オフィスの席替えをしたのだけど、私の後ろ側に部長が座っている。
私のパソコンが丸見えだし、無駄話も丸聞こえ。背中からの視線がとてもイタイ。
なんで、私、ここの席なのー。って言ったら、上司が、部長の前に座るのはメンバーの中でキミが一番無難なんです、と言った。意味わがんね。

ファッキン。

先日、経理課とケンカをした。
私のクライアントで彼女たちが立て続けにミスを起こしたからだ。クライアントに怒られるのは、もちろん営業担当のこの私。どうなってるんですかー、と電話したら、謝りもせず、こちらは営業の指示通りにやっただけですけど、と抜かした。指示書を見直したが明らかに経理課の処理ミスである。ミスの指摘をしたら、ああ、指示書の読み落としをしてました。とまたまた抜かした。
怒り心頭。読み落としてましたじゃなくて、ミスの大きさを理解して欲しい。
で?これからどのような対応をしたらいいですか?と彼女らは飄々と聞きぬかすので、自分のミスくらい自分で拭いてくれと思った。自分の処理ミスなのに、営業の指示なしではキミらは何も出来ないのでしょうか。
うちの上司から、経理課のマネジャーにクレームしてもらった。
じきに、経理課の彼女から謝罪の電話が入った。マネージャーに叱られてはじめて謝る彼女たちを不憫に思えて仕方ない。なので、電話は居留守。

ファッキン。

新人に注意。
先輩として、新人の不味い対応を注意。〜〜したほうがいいよ、なぜなら、==だから。と、話すと「はい、わかりました」と、良い子のお返事。この子は本当に聞き分けの良い子だが、聞き分けがよすぎて、こちらは少し疑心。本当にわかって頷いているのだろうか。
翌日、新人の子は同じ不味い対応をしてしまい、クライアントに大目玉をくらっていた。
この子の「はい、わかりました」は信用してはならない。ぜんぜんわかってなかった。
「あのね、先輩や上司からいろいろアドバイスをもらうと思うけど、意味が解らなかったり納得できなかったら、その都度聞かなきゃダメだよ。ちゃんと納得できるまでちゃんと聞いてね」と言うと、「はい、わかりました」と答えた。いや、ぜったいわかってないと思う。

ファッキン。
2004年10月27日(水)  見ていられない
また、地震が起こった。

そのとき私は、お客さんの運転するお客さんの車に乗っていて、赤信号でちょうど止まっていたのだけれど、「なんか揺れてない?」と聞かれて、そうかな?車の中だからよくわからないなと思っていたら、やっぱりちょっと振動が来て、カバンをぎゅっと握った。
仕事中だって、やっぱり地震は起こるわけで、これがたとえばもっと大きな地震だったり、電車の中にいる途中だったり、高い階のオフィスにいたらもっと怖い思いをしていただろうなと思う。
揺れがおさまって、また仕事の話の続きをしていたけれど、ちょっとなんだか動揺した。

家に帰ってテレビをつけたら、その地震が起こった瞬間の新潟の様子をうつしていたけれど、私はもうそういう、地震の最中に人々がおろおろしながら立ち尽くしたり、慌てて逃げ惑ったりする姿とか、見たくないし、もう見られない。そういうニュースはもうあんまり見たくない。
2004年10月26日(火)  カラスが鳴くから帰ろう
10時半ごろ、寒い中を駅から家まで帰っていたら、ものすごい数のカラスが、カアカアうるさく鳴いていた。
夜の10時半の空に真っ黒なカラスが数十羽。
怖い。不気味だし不吉。
カアカア鳴いてどこかに飛んでいく途中なのだろうかと目を凝らしてみたけれど、ただそこら中を大きく旋回しているだけのようだ。
どうしたのだろう。もしかしたら、カラスの世界で事件や事故が起こって騒いでいるのか、でも、鳥ってなんだか未来を予測できる生き物のような気がする。雨の振る前、鳥はそれを察知して、急いで巣に戻っているような気がする。空のことを鳥がよく知っているのなら、カラスが騒がしくカアカア鳴くのもなにかの前触れかもしれない。
たとえば、明日は雪とか。
たとえば、もうすぐ雷が鳴るとか。
でも、もしかしたらもうすぐ地震が起こるのかもしれない。
地震は空に関係ないけど、神戸の震災が起こる寸前、ヘンな色(朝焼け?)に空が染まっていたという話しをどこかで耳にしたことがある。空の異常と地震に密接した関係があるのなら、やっぱりもうすぐ地震が起こるのかもしれない。カアカアカラスが鳴くから。
コンビニに寄って食料品を買い込んでおこうかと思った。それよりも懐中電灯を買ったほうがいいのかもしれないと思う。携帯をとって恋人に電話して、事の説明をして、「早く避難して!」と言ったら「考えすぎ」と一蹴された。

うん、考えすぎだと自分でも思った。
2004年10月25日(月)  アイフルです
アイフルです。
アイフルです、とCMの中で言っている女の子は、あまりにも舌足らず過ぎだと思う。いい加減にして頂戴と思うほど、舌が足りていない。

さて、自分の顔の中でどこが一番好きかというくだらない質問を、よくしたがる女の子がいる。どうでもええやん、と思いながらも「んーとねぇ、まつ毛?」と答える私もいる。じゃあ、自分の顔の中でどこが一番嫌いかと重ねて聞かれたので、うっとうしいなぁ、と思いながらも「声?」と答えたら、「それ、顔じゃないじゃん」と突っ込まれた。おっしゃるとおり。
私の声は、おかしい。どこでどう間違えたか知らないけれど、おかしい。普通じゃないと思うのでおかしいのだと思う。舌足らずなのかわからないけどカツゼツが悪い。タクシーに乗って「○○までお願いします」と言うとぜったい必ず聞き返される。「え?」「○○です」「△△?」「いや、○○です」はっきりくっきり行き先を伝えないと、一回では伝わらないことが多い。声が小さいとかじゃなくて、これはぜったいカツゼツが悪いのだと思う。一度、鼻が詰まって風邪をひいていたとき、タクシーの運転手さんに「東京駅にお願いします」と言ったら、5回くらい聞きなおされてしまった。東京駅って誰でも耳にするコトバなはずでしょう。ちょっと聞き取れなくてもわかるでしょう。「……、ちょっとなに言ってるのかわからないんだけど」と、苦笑を浮かべながら言われてしまった。ちょっとカチンときた。カツゼツの悪さに加えて鼻づまりだ。
声が鼻にかかっているのだ。声が幼いので馬鹿っぽく聞こえる。馬鹿っぽく思われるので私はちょっと損をしているような気がする。初対面の人に馬鹿と思われやすいんじゃないかと思う。いや、どうでもいいことかもしれないけど、本人はいたって真剣にそう思っている。友だちは、可愛い声でいいじゃないと言うけれど、コンプレックスは他人にはわかんないものだなと思った。
ハスキーな声の人にすごく憧れる。
酒焼けしているような水商売の女の人の声とか、かなり憧れ。

アイフルです。って聞いたとき、「この人、同類」と思った。
でも、たぶんきっとあのCMの人よりは、私はまだマシ。あれほどは、鼻にかかってないから。と、自分より馬鹿っぽい声を出している人を見て溜飲を下げる。
2004年10月24日(日)  恋人が恋人でなくなること
今日は、10回くらい同じ事をぐるぐると考えていた。

もう別れる?別れちゃおうか。別れようかな。別れようって言ってみようか。ああ、なんだかしんどいな。って、そればっかりぐるぐる思って、結局、最後は疲れ果ててしまったので、昼寝をした。

恋人と恋人でなくなることを想像した。
なんだかとても疲れたからだ。
でも、その疲れはきっと恋人だって感じていることだろう。
すれ違ってしまったとか、行き違ってしまったとか、
そういう気持ちの温度差ではなく、
お互いが、個々に、ぐるぐるといろいろと考えているからだ。
いろいろと、いろいろと。
自分で勝手にぐるぐる空回りして、目が回って、疲れて、しんどくなったのだ。

私が許すべき相手は、恋人ではない。
恋人は、私が許すとか許さないとかいうほどの悪いことをしたわけではない。
私は、私を許すべきだと思う。
私は、私を解放してあげるべきだと思う。

恋人と恋人でなくなったとしても、私は私と一生付き合っていかなければいけない。私が逃げ出したいのは、恋人からではなく自分自身なのだと気づいた。なんだか自分が嫌になったので、恋人と別れてしまおうかと思った。なんて、身勝手な。

恋人が、口笛をふいていた。
私も真似して口笛をふいてみた。
やっぱりまだ、別れたくないと思った。
2004年10月23日(土)  心配しています連絡ください
地震がおさまったら、私はすぐに玄関のドアとベランダの窓がちゃんと開けられるかどうか、確認するようにしている。誰かに教わったわけでもなく、それが正しい地震後の対応かどうかもわからないけれど、何となく確認するようにしている。もしまた地震がきて、いざというときに慌てて非難したくても柱が歪んでしまってドアが開かなくなってしまっていたら、怖ろしいからだ。

ぐらぐらと揺れているときは1秒が長く感じられて、ハンガーにかけてあるスーツがゆらゆら揺れているのを見たり、蛍光灯のひもが揺れているのを見ていると、なんだか背筋がひんやりとする。ぐっと体を萎縮させて、これ以上揺れないようにとただ願って、静かになるのを待つ。
作りかけていたオムライスは、途中で慌てて火を消したので、フライパンの上で玉ねぎと肉を炒めていたままの状態だ。

こんなとき、誰かが一緒にいてくれることをとても頼もしく思う。恋人がテレビをつけて、私は玄関のドアを確かめる。


高校一年生のとき阪神大震災が起こった。私はそのときまだ夢の中にいた。酷く揺れる部屋が、夢なのか現実なのか区別がつかなくてぼんやりと目を覚ました。母が混乱した声で電話をかけてきて、言われるがままにテレビをつけると、どこか遠くの国で戦争が起こったのかと思い違えるほどの、焼け野原のような神戸の街が映っていた。

当時、とても好きだった先輩がいた。春休みを利用して、彼はボランティアに加わり神戸の復旧作業に出かけていった。神戸の街はまだ予断は許されないと聞いていたので、私は彼に行って欲しくはなかったけれど、それを聞き入れる人ではなかった。彼はまだ高校3年生だったのに、自分のことより他の誰かを心配できる人だった。

数日たって、彼が帰ってきたとき、私は彼の無事を確認できてとても安心した。
彼は、神戸で見たいろんなことを私に話してくれた。
ある日、炊き出しをしていた公園で、男の人と話しをしたという。
その人と奥さんは、彼らの子供を震災で亡くしたそうだ。どうしても、その男の子の体だけ柱に挟まれて引っ張りあげることが出来ず、近所であがった火の手はもう隣の家まで迫っているのに、いくら柱を持ち上げようと踏ん張っても、子供の体を引っ張っても、だめだったそうだ。子供は両親に早く逃げるように言って、両親は自分の子供が火に包まれていくのを見ることしか出来なかったそうだ。
その話しを聞いて、私は何も言えず、そしてこの彼が神戸に行って、見てきたことや聞いてきたことはずっと彼の心の中で生きつづけていくんだろうなと思った。大切な記憶として、ほかの記憶とは特別な存在として、残されていくような気がした。

そして、その話は、私の中でも生きつづける。
私は、地震にあうとその話しを思い出す。何も言えず、ただ彼の話しを聞いていたことを思い出す。子供を目の前で亡くした両親の姿を想像し、今どこでどうしているのだろうと馳せる。その両親も、そしてあのとき好きだった彼も、今どこでどうしているだろう。この地震であの男の子のことを思い出しているだろうか。

私がひとりでいるとき、もし地震が起こったら、私はきっと何も出来ず、ただ玄関のドアが開くかどうか確かめるような、そんなどうでもいい対処しか出来ないだろう。どこに避難すればいいのか、何を持って避難すればいいのか、ひとりではきっと何も思いつかないだろう。
今晩、恋人がいてくれたことを幸運に思う。
テレビの中で新潟のアナウンサーが、三度目の地震で揺れるカメラの前で、言葉をつまらせながらテーブルにしがみつきながら懸命に原稿を読んでいる。その姿を見かけた数秒後、東京も大きく長く揺れて、私はまた体を萎縮させて早く静まってくれるようにと、恋人にしがみついてただ待つことしか出来ない。


私と恋人は、ずっとNHKの安否情報の番組を見ていた。アナウンサーが、たくさんの人々の名前を読み上げて新潟にいる人へのメッセージを読み上げている。「心配しています連絡ください」と。いくつも羅列されている人の名前を見るたびに、出来るだけ多くの人に無事の連絡が届けばいいのに、と思った。
2004年10月22日(金)  笑顔にさせる力
病院から家に帰ってきた。一週間の検査入院が終わったからだ。

入院した日、異母兄と恋人と私とで、私の検査結果で賭けをしていた。予想を一番大きく外した者は、他のふたりにラーメンを驕る、という屈辱を賭けて。
私と兄は、入院とか検査とか病気とか病院とか、そういうことをあまりにも真剣に考えすぎて疲れ果ててしまったので、最近は、その疲れの反動で楽観的になるという術を学んだ。ふざけてお茶を濁すとか、茶化して笑い飛ばすとか、そういうことで疲れを忘れたいと思い始めている。
けれど恋人は、恋人こそ医療従事者なので、たとえば検査結果など体の機微からすぐに感じ取ることが出来る。だから、楽観視して茶化すなどということからは程遠い、結果と言う事実にとても近い部分に居る。
だからこそ、彼には私たちのようにふざけることなど出来ない。
最近、恋人はあまり笑わなくなったと思う。

私と異母兄の予想は、相当悪い結果が出ると予想した。もちろん、それは冗談で悪い予想をたてただけで、実際に予想したとおり私の体が悪ければ、これほど馬鹿げた賭けなど出来るはずもない。恋人は、検査結果は良好だという予想をたてた。けれど私は、その恋人の予想が彼の「希望的観測」そのものにしか思えなかった。誰だって、結果が良好であればいいと思っている。けれど、良好であるとすんなり結果が出るほど、状況は良いものではないと感じる。

恋人が、最近笑わなくなってきたのは、あまり良い状況でないということを表している気がする。恋人は、私や兄よりも検査の結果を的確に察する知識を持っているから。

すべての結果が出たわけではないけれど、今の時点でわかっていることを説明する主治医は、「良くないよ」とはっきり短く言った。

ふざけ過ぎた私と異母兄は、結局ふたりで恋人にラーメンを驕ることになったのだけれど、お店に入って3人で横一列に並んで座ったら、恋人が「今日は僕が出すよ」と言った。

私はメガネをかけたままラーメンをすすっていて、美味しいものを食べると無口になると言うけれど、誰もなにも話す気力がないように、ずっと無言で麺をすすっていた。メガネが曇って私の視界は見えにくくなったけれど、レンズを擦ることもしないで、ふたりに顔を見られないで丁度良かったと思った。


どうしていいのか、結局わからなくて、恋人とふたりで私の部屋に戻って、ありきたりな恋人の会話をしてテレビを観て笑って、シャワーを浴びて歯を磨いてベッドに横になった。

恋人がかたくかたく抱きしめたので、
私は自分がとても無力だということを痛切に思い知った。
2004年10月21日(木)  父について
私は、高校生のころから一人暮らしをしている。

通った高校が実家と同じ県内だったけれど、とても遠い場所だったのでアパートを借りたのだ。一人暮らしの第一日目の夕陽をよく覚えている。開放感いっぱいの気持ちできれいなオレンジの夕陽を眺めていたことを覚えている。これから、一人暮らしの自由を思い切り楽しんでやろうと思っていたけれど、その日の夜は意外にも心細くて、一秒だけ家に帰りたいと思った。そして今日まで、実家にもどりたいとホームシックになったことは一度もない。

一人暮らしの高校生に、夜早く帰ってきて勉強机に向うなど期待しないで欲しい。母は当初、毎晩のように電話をしてきては、私が家に居ることを確かめていた。最初は、それを見越していい子に家に居たけれど、そのうち1年もたつと夜遅くに帰宅し始める。そんな中、外泊をした夜に限って母から電話がかかってきたことがあって、そして結局、母は翌朝早くに車を飛ばして、私を叱りに来た。
私も悪いけど、その叱り方にうんざりもした。そのときこそは、早く大人になりたいと思った。いま思うと、母の気持ちもわからなくもないし親不孝なことばかりしているなと思えるけれど。

そんな高校生のとき、父が私に電話をよこしてきたことがあった。
今でも、それは鮮明に覚えている。
父は、外では寡黙だけれどうちではふざけておどけてばかりで、典型的な内弁慶だ。それでも、やはり普通の一人娘の父親のように、私に対しては不器用であり照れもあるようだ。私から実家に電話をしてちょうど父が出たとしても二言三言しか言葉をかわさずすぐ母に変わるくせに、父が自分から受話器をあげて電話をしてくるなどとても考えられず、だからこそ私はその夜の電話の内容をよく覚えている。
元気か?といつもそう言うように切り出してから、毎晩、何を食べているんだとか、学校は面白いかとか、洗濯や掃除は行き届いているかとか、父親らしい質問をしたあと、父は会話を探すように自分の仕事の話を一方的に話し、そして、実は今まだ会社なんだと言った。
残業中に父は私に電話をしようと思いついて電話をしてきたそうだ。

広いオフィスにぽつんとひとつ電気がついて、その下で父が受話器を握り締めているかと思うと、なんとも言い表せない気持ちになった。ふと、お前がいま何をしているかなと思って、電話をしたみたよと父は言って、そしてまたぼそぼそと喋ったあと、電話を切った。
本当はきっと、私のことが気になるくせに、母の手前、家で電話をしづらかったのかもしれない。曖昧な記憶だけれど、私が一人暮らしをしたいと言い出したとき、寮に入れと主張する母に一緒に対抗してくれたのは父だったように思う。


そのことをふと思い出したのは、きっと真夜中の病室でじっと横になっていると、心細くなったからだと思う。
2004年10月20日(水)  濡れる東京
ジェット機が、旋回する、ゆっくりと、頭上200メートルのところを。

台風の夜、ホームレスたちは、一体どこで眠るのだろう。

室戸岬の防波堤が
気象庁によると
500ミリの
しけと大雨に
現在近畿地方で
行方不明者が相次ぎ
明るいうちに避難を
在来線の運転休止
980ヘクトパスカル
警戒するように呼びかけています

今日の世間話は、台風のことばかり。
遠くで消防車と救急車が走る。
にわかに病院が騒がしくなり、
灰色の空がゴウゴウと音をたてる。

ニュースから台風の被害者たちの声がする。
子供が雨合羽を着て、大変、大変だ、とウンザリしたように言った。
誰かの「助けて」という声が聞こえたと、男が息を整えながら証言した。
浸水で家の二階に取り残された老人が、カメラを見つけて無気力そうに手を振る。

どこかで山が崩れたようだ。
どこかで火事が起こって、
どこかで誰かが海に連れて行かれて、
どこかで電車に閉じ込められる。
雨に降られて風に吹かれて傘を折られて
東京の蟻んこたちは、それでも今日も仕事をする。


私の頭の中でジェット機が轟音をたてる。
東京タワーの上空200メートルを飛んだあのジェット機からは、
一体どんな風景が見えたことだろう。
2004年10月19日(火)  トカゲ(No.23)
もうすぐ、トカゲさん(No.23)がおいでになる。
ノックテンさん(No.24)も続いていらっしゃいます。

もうすぐ、主治医さんがお見えになる頃で、
先ほど、担当の看護士さんがいらっしゃってました。

頭痛がするし、眩暈がする。
目に映るすべてのものが全部染みて見える。
貧血がする。

昨日は、恋人さんが様子を見に来てくださり、
今日は、兄が見張りに来てくださるそうです。

ぺたぺたと裸足で床を歩くと、とても気持ちがいい。
でも、気分はとても重い。
頭が痛くて、眩暈がして、貧血がする。
目がゴロゴロして、喉がパサパサして、体はダルダル。

母に、次に来る台風は「ノックテン」って言うんだってさ、と教えてあげたら、「なにそれ、どういう意味なの?誰がつけたの、ヘンな名前。」と言った。まったくその通り。


ところで、トカゲさんは今どちらですか。
2004年10月18日(月)  また明日にしよう
昨日の夕飯が、なんだったのかも覚えていません。
ぼーっとしすぎです。


深夜0時を過ぎて、「眠らなければいけないよ」と恋人が言うので、私は昼間に寝てしまったのですっかり目が冴えてしまっていたにも関わらず、病院のベッドに寝かしつけられ、毛布を上から押さえつけられ、じっといい子で目を瞑っていました。
からかって、寝たふりをしてみても、「嘘寝してもすぐわかるよ」と言われたので、じゃあ、本当に寝ている私はどんな感じなの、と聞いてみると、「健やかな寝息をたてている」と恋人は答えた。健やかなる寝息とは一体如何なるものだろう。よく牧師が言っている「健やかなる時も、病める時も」というアレなのだろう。

恋人は、いつどんなときだって、「おやすみ」と言わずに「また明日」と言う。ベッドにもぐって毛布を首まで持ち上げてひとつ安心したようなため息をついて、「じゃ、また明日」と言ってさっさと目を閉じる。「おやすみ」じゃなくて、「また明日」と言われると私はなんだか心細くなって悲しくなる。もうちょっと起きていようよと彼の体を揺すると「また、明日だよ」と言って眠そうに向こう側に寝返りをうつ。本当に淋しい。

恋人は、今日も「じゃあ、また明日ね」と言って病室を出ようとする。
居てくれないとダメだと言ったら、オーバーな苦笑を浮かべてベッドの側に戻ってくる。

居てくれないとぜったいにダメ。居てくれないと嫌だ。
私が一度、「ぜったいにダメ、ぜったいにイヤ」と言ったら、それは梃子でも動かない。
途中で、意味の無いわがままだなと自分で気づいたって、相手が困っているなとわかっていたって、そんな我侭がふたりの関係を遠ざけてしまう要因になると知っていたって、一度言い出したら、もう引き返せなくなる。


彼が困った顔をしている。
いつまで側に居てあげればいいのか、それを考えている。
もう時計は1時を指そうとしている。
2004年10月17日(日)  ありきたりな存在になれればいいと思う
子供のころ、クリスマスの前とか誕生日の前とか、よく大人に「あいちゃんは、サンタさんに何をお願いするの?」とか「誕生日は何をプレゼントに貰うの?」って聞かれた。私は、誰かからそう聞かれるたびに、アレも欲しいコレも欲しいと頭を悩ませていた。
「ねえ、あいちゃん、弟か妹が欲しいってお願いしてみたら?あなたも一人っ子で淋しいでしょう?」って、その大人は決まってそんなことを言った。そんな言葉に、隣にいた母が、面白くも無い冗談を交わすように愛想笑いを浮かべていたのを見て、小さいながらもなぜだか肩身の狭い思いがした。意味もよくわからないのに、なぜだか少し傷ついていた。

弟か妹が欲しいと私が望めば、父と母はそれを叶えてくれるのだろうか。

けれど、私は弟も妹も欲しくない。父と母の子供の席は自分で独り占めしたかったし、何より自分より小さな子供がいると、自分が可愛がられなくなるんじゃないだろうかと恐れもしていたからだ。私の従兄弟たちは、みんな、私より年下だ。母が私よりもまだまだ幼い従兄弟達を可愛がるたびに、私は嫉妬していたし、「あいは、お姉ちゃんなんだから」と、年長なりの我慢を強いられるのが苦痛でならなかった。
だから、私は弟も妹も欲しくなかった。

一人っ子で淋しいと思ったことがない。
兄弟や姉妹が、そもそもいないのだから、何が淋しくて何が楽しいのかわからない。
ただ、もしも叶うなら、私は兄が欲しかった。

友だちのお兄さんは、足が長くて腕が長くてのっぽで野球をしている男の子だった。一緒にファミコンをしたり、キャッチボールをして遊んでいる友だちを見て、とても羨ましかった。自分は女の子なのに、男の子の遊びに加えてもらっているその友だちが羨ましくて仕方なかった。
そんな部分が、姉ではなく兄が欲しいと思った理由だと思う。
毎日、お兄ちゃんが家にいて、毎日、遊んでもらえたら、今よりもっともっと楽しいだろうなぁと思っていた。

「あいは、お兄ちゃんが欲しい!」と叫ぶと、決まって大人たちは微笑んだ。それは無理なお願いね、と言って微笑んだ。自分だって、無理な夢だとはわかっている。でも、兄のいる毎日はどんなに楽しいものだろうかと空想してはため息をついていた。

小学生くらいまで、ずっとそんな空想をしていた。


17歳の高校生のとき、突如、私の目の前に兄が現れた。
それは、青天の霹靂のような、足元が突然にすくわれたような、ナイフで胸をえぐられたような、驚きと絶望だった。

血の繋がった関係とは、一体どんな感覚のことをいうのだろう。
腹違いの兄は、私と同じ血を、その半分だけ流しているということ。

私は時々イメージをするのです。
私と兄との繋がりは、きつく手を握り合うよりも、指3本か2本くらいでしか手を繋ぎあっていないように感じる。たとえば、お互いの人差し指と中指とでしか手を繋いでいなくて、だからこそちょっとした刺激ですぐ離れてしまうかもしれないし、だからこそちゃんと繋いでいないともう二度とその手を探し出すことは出来ない気がする。
私と兄は、ぎゅうぎゅうと押される人ごみの中で、そんなあやふやな手の繋ぎ方しか出来ない。
だって、半分しか血が繋がっていないのだから。
なんだか、そんなイメージがする。

世の中の、すべての兄弟がどんな風に相手を思っているかなんて、私には計り知ることは出来ない。問題も何もなく100%完全に血の繋がったもの同士が、その相手とどんな風に付き合ったり、どんな風に思いを馳せているかなんて、私にはわからない。それほど、たいして相手を意識していなかったり、たいして相手を思いやったりしていないのかもしれない。たとえば、空気のような存在や、ありきたりな存在を感じるように。

私と兄は、充分に自分たちが異母兄妹であることを、意識している。
様々な問題が、その現実を忘れさせてくれないからだ。
異母であることを残念に思う。
それと同じように、私と兄は、自分たちが兄妹であることを意識しようと努めている。
同じように、様々な問題が、その現実を突きつけてくるからだ。
兄妹であることは、一体どういうことだろうかと、時々悩んでしまう。


私は兄が欲しかった。
幼い頃、自分がそう願っていたことを思い出した。
そして、その夢は叶った。
幼い頃の私は、きっと今この現実なんて想像も出来なかったに違いない。
2004年10月16日(土)  あの枯葉が散る場合
今朝の体温 35.3
私は爬虫類か。


よくあるでしょう。
あの枯葉がすべて落ちるときは、私の命も尽きるのね。
というか、病室から見える木には、まあ枯れつつはあるけれど満々に葉っぱがついています。満々にね。

夕方、異母兄が来てくれて2時間話して帰って行きました。
誰かが訪ねてきてくれても、ドアがパタンとしまる音に淋しさを覚えます。

昼間、休日出勤をしたらしい同僚からメールが来て、「○○の資料ってどこだっけ?」と書いてあった。「□□の入ってるところの引き出し」と返信したら、「いつ帰ってくるの?」と聞いてきたので、「もう戻れんかもしらんわ」と返すと「そうか」で終わった。淋しい。

注射してもらうとき、必ず針先を見せてもらう。どんだけ尖った針か、見たいから。
でも、意外に注射針って太くて、針先にあいた穴もはっきり見える。なんだか感心してしまった。看護士が「針先見るなんて、君も趣味が悪いな」と言った。そういう楽しみを見つけないと、こんな退屈な入院生活なんて1日で気が狂ってしまいそうだ。


今日の夕焼けは、なかなかナイスなものでした。
2004年10月15日(金)  冷たすぎる
冷たいシーツが嫌いです。
冷たい聴診器が嫌い。
背を預けた腰掛の冷たさが嫌い。
看護士の触れる手の冷たさが嫌い。

廊下の隅っこが暗く湿っているように思える。

今日になって、こんなに晴れるなんて、なんだかむかつく。
今日から病室暮らしです。
2004年10月14日(木)  文庫本5冊
今日は、たらふく美味しいものを食べましょうと、回転寿司に行きましたが、「美味しいものをたらふく=回転すし」と考える自分はなかなか安上がりだなぁと思う。
ひかりものと味がついたヤツ(マヨネーズサーモンとか、アナゴとか)と、貝類が好きなのだけど、決まって貝をたくさん食べた夜は、胃痛がして仕方ありません。胃薬を飲んで青い顔してベッドに横になっています。

さて、明日から入院です。
明日から入院なので、「美味しいものをたらふく」なのであります。
でも、胃痛でございます。

検査入院というのは、じっくり休んでる暇はないらしく、正味1週間の入院期間の間に複数の検査を行うので、朝から夕方までなんだかんだと忙しくなるみたいです。

はぁー、気が重い。
気が重いけれど仕方ない。

文庫本と遊び道具をたくさん持って、さて明日から入院です。
2004年10月13日(水)  機嫌の悪い夜
もう何もかもがどうでもいいと思うような夜、
窓を開け放したまま、ベッドに横になる。
涼しいというよりかは冷たい風が部屋に入り込んできて
足の小指から順番に体を冷やしていく。
寒いのに窓も閉めず、すべてがもうどうでもいいと思う。

もうみんなどこかに行ってよ、と
誰もいない部屋で呟いてみる。


すごく機嫌の悪い夜はなんだかとても淋しい。
2004年10月12日(火)  今日も雨
最近は、ずっとミーティング室に篭って上司と話しをしている。
私の上司、そのまた上の上司、それぞれとたっぷり2時間程度話して半日を潰してしまう。

自分のデスクに戻って、隣に座る新人の子に相談をされて、話を聞く。
その子が納得するまで話しをして、私の出来る範囲のアドバイスをする。

ひとりで煙草を吸いたくても、喫煙ルームには誰かしらが入ってきて、仕事の話になる。電話が苛立つほど鳴って、コピー機の側にはコピーし損じた紙がいくつも散らばっている。誰かがバタバタとオフィスを歩き、誰かの嬌声が耳につく。同僚からIMが飛んできて、誰かの噂話を聞かされる。いくつもの資料の山でデスクが見えない。アシスタントが仕事を間違えた。システムが重い。メールはまだ来ない。電話はまだ繋がらない。


今日も外に出かけ客先を回る。
今日も雨が降っている。
2004年10月11日(月)  マツケンサンバ
このあいだ、課内で飲みに行ったとき、散々酔っ払って、同僚の女の子とふたり、「マツケンサンバ」を踊りながら2軒目に移動していた。
うちの上司も、散々酔っ払っていたので、彼も私たちにつられて「マツケンサンバ」を踊っていた。「あいつらアホだよ」という顔をして、他の同僚たちが後ろから歩いてきていた。

マツケンサンバを踊る上司を、調子に乗って携帯カメラで激写しておいた。

翌日、その画像を同僚たちに転送して、みんなで爆笑し笑いを堪えながら仕事を終えた。
とてもステキな画像なので、みんなでパソコンの壁紙を「上司のマツケンサンバ」にしておいた。いつ、上司に知られて怒られるか、スリリングである。ただし、上司の上司、部長には知られてはいけない。洒落にならなくなるからだ。これもまたスリリングである。

人の上に立つ管理職は、部下に、少しでも隙を見せてはいけない。
2004年10月10日(日)  ジャンレノ贔屓
近所のコンビニの店員は、ジャンレノに似ている。
格好いい。
なんだか無骨そうで、「わたし、不器用ですから」なんて言っても許せる。
それは高倉健だけど。

主に深夜にいるらしく、仕事帰りに寄るといつもいる。
でも、もう30代後半くらい(もしくは40代かもしれない)の男の人だ。

ジャンレノをはじめてそのコンビニで見かけたとき、大学生かフリーターの20代の男の子に一生懸命仕事を教わっていた。年下の子に顎で指図され、敬語も何も無く仕事を教わり、いろいろ苦労したみたいだ(あくまで憶測)。

私は、ジャンレノびいきである。
なぜなら、高校生のときはじめて吸った煙草の銘柄が、当時、本物のジャンレノがCMしてたやつだからである。(おじさん銘柄なので、あえて言いたくない)「煙、スクナイ」とジャンレノが言っていたので、なるほど!と思いこそこそと自販機で買ったのだ。
ジャンレノびいきは、その当時からである。

コンビニの店員の癖に、初期のジャンレノはヒゲ面だった。小売業の癖にいいのか、と思ったけれど、あまりにも彼がジャンレノだったので、目を瞑ることにした。今は、清潔なヒゲ無しジャンレノになっている。

ジャンレノはシャイである。
いつだったか、ジャンレノは私に渡すお釣りをいくらか間違えて渡してきた。あの、足りませんけど、と私が言うと、す、すいませんと顔を赤くして正しいつり銭をくれた。なんだかこちらも、顔が赤くなってしまって、いいえ、と言ってそそくさと店を出てしまったのだけれど、ジャンレノはシャイで、そして可愛い。おっさん特有の可愛らしさがあって、そこがまた良い。

なぜ、ジャンレノはコンビニでバイトをするか。私は考えた。
「リストラにあったから」というのはあまりにも悲しすぎる。ジャンレノがリストラされるわけがない(あくまで思い込み)ので却下。「食えない仕事だから」ほら、たとえば売れない劇団役者とか。役者人生20年、売れなくても演じることを生涯やりつづけたいんです、みたいなね。あとはなんだろうね。「やりたいことが見つからないから」っていうのもアリなんだろうか。あの年齢でそういうこと言ってしまえる大人はいるのだろうか。
ま、「食えない仕事だから」というのが、一番リアルでなんだかジャンレノっぽいので、そういう理由だと思い込むことにする(勝手)。


ジャンレノの話にはオチもなにもないが、とにかくジャンレノにはコンビニの仕事を頑張って欲しいと思う。ジャンレノのレジに無理やり並び続けることで、応援していきたいと思う(余計なお世話)。
2004年10月09日(土)  記憶の連想
私には記憶にまつわる癖がある。
それをどんな風に説明していいかわからないし、ちょっと自分でも不気味に思うので、それを人に話したことはないと思う。でも、もしかしたら誰にも同じような癖があって、それは世間一般的に言えば、どこにでもありふれた人間の癖のひとつなのかもしれない。

その記憶は、私が子供のころに見た映像が多い。
空き地で見た夕陽/細い路地で友だちを振り返ったとき/三輪車をこぐ自分の足/台所に立つ母の後姿/洗車されている車に滴り落ちる雫/犬が首をかしげてこちらを見る様
その映像は、断片的で静止画である。あるワンシーンを一枚の写真のように切り取った映像だ。他には、自分が今住んでいる部屋のバスルーム/オフィスの喫煙ルーム/大学の構内/大学の側にあった公園の木漏れ日。大人になってから見た記憶、その映像もたまに出てくる。そして、今現在、私が日常生活で目にしている自分の部屋やオフィスや通勤電車の中の映像もある。

その映像が、誰かと話しているときふと思い浮かんでくる。

ある日、同僚と飲みに行った。同僚の話しに耳を傾けながら、私の頭の中にはある映像が浮かんでくる。たとえばそれは、“三輪車をこぐ自分の足” その映像とこの同僚やいま同僚が話している話は、まったく関係がない。幼い頃からこの同僚を知っているわけではないし、その同僚と一緒に三輪車をこぐはずもない。

映像が浮かんでくるというよりは、その映像がその場にしっくりと馴染んでいるのだ。私の頭の中で。記憶がまったく関係のない「今」という時間に馴染んでいるのだ。そんなとき、私は相手の話に耳を傾けながらも、その映像に気をとられてしまう。
ああ、あのとき三輪車をこいでたんだなあ、ああ、あのころよく母親が後ろをついてきながら三輪車をこいでたなあ、ああ、あのころはよく三輪車で転んだなあ、って。「今」の時間とはまったく関係のないことに、私は頭の半分を使っているのだ。

突如として現れる記憶の映像は、なぜ、いま、このとき、浮かんでくるのだろう。

不思議なことに、たまに頭に飛び込んでくる映像は、とても私の視点からは見ることの出来ない映像であることもある。それは幽体離脱を起こしたときに見る映像のように、私の身長からはとても見ることの出来ない高い位置から見回した映像だったり、私を私自身が見ている映像であることもあるのだ。道を歩く私を見下ろす映像。天井の隅っこからグランドピアノを見下ろした映像。私の後姿を見ている映像。他には、他人のデスクに座ったことなど無いのに、そのデスクから座ったときに見回した映像だって浮かんでくる。
それはきっと、私が想像して作り上げた映像なのだろうけれど、私は如何にもその映像をリアルに体験しているような錯覚をおぼえる。
「今」にまったく関係のないその映像は、なぜかしら「今」にとてもしっくりと馴染んでいるのだ。

「映像」と「今」には相互関係はない。思い当たる限りのことは考えてみたけれど、まったくそこに関係性などないのだ。
ただ、もっと不思議なことに、“Aさんという人と食事をしている”という「今」に、“自分が今住んでいる部屋のバスルーム”という「映像」が浮かんだとしたら、その後何度もAさんと会うたび、私は“自分が今住んでいる部屋のバスルーム”という映像を思い浮かべることが出来る。

Aさん=自分が今住んでいる部屋のバスルーム

これが固定化されてしまう。Aさんとどこで会おうと電話で話そうとメールを書こうと、Aさんイコール“自分が今住んでいる部屋のバスルーム”なのだ。けれど、またまた不思議なことにその固定化された映像は、ある日ふと払拭される。そして、Aさんに会っても『無・映像』になってしまう。
Aさんという人でなく、場所でもいい。Bというお店に行った。“洗車されている車に滴り落ちる雫”という映像が思い浮かんだ。“洗車されている車に滴り落ちる雫”を思い浮かべると、Bという店を思い出す。どちらからも、思い返すことは出来る。
“大学の側にあった公園の木漏れ日”という映像にCさんという人とDという場所、ふたつを連想させることも出来る。

無意識に記憶を連想させているのだろう。
無意識のうちに共通点を見出しているのかもしれない。
他の人みんな、こういう連想をしているのだろうか。
それは私だけの癖なのだろうか。

先日、ベッドに入って恋人の子供のころの話を聞いた。
『小学校の頃、近所にとても親しい友人がいて、その子とは毎日一緒に登下校していたのだけれど、突然その子は僕と一緒に帰るのが嫌だと言って大喧嘩になった。1年間くらい口をきかずにいたけれど、ある日その子が話してくれた、一緒に帰らなかった本当の理由は、あの頃、彼はイジメにあっていて僕に悟られたくなかったらしい。どうして、あのとき僕はあんな風に喧嘩をしちゃったのかなぁ』という話しを聞いたとき、私はある映像を思い浮かべた。

私は、小学校にあがる前の年の一年間、幼稚園に通っていた。制服がみんなお揃いで、紺のスモッグに同じ色の帽子をかぶっていた。私はその制服がお気に入りで、幼稚園の入園式の前にはよくその服と帽子をかぶって祖父や祖母に見せまわっていた。大人たちが手を叩いて「よく似合っているね」と褒めてくれるのがたまらなく嬉しかった。幼稚園は高台を切り取った見晴らしの良い住宅地にあって、通園バスに乗って毎日通園していた。
夕方、幼稚園が終わり庭に通園バスが2台止まっていた。友だちがみんな玄関で靴をはいていた。私はとてもマイペースな子供だったようで、みんなが靴をはいてバスに乗る準備をしているときでも、後ろでぼんやりとその様子を見ていた。紺色の帽子がゆらゆらと揺れて、靴のつま先をみんなが地面にトントンと叩きつけていた。私は、それを見てなんだか急に悲しくなって大粒の涙を流して大声で泣いた。玄関中に響く大声で、みんなが帰ってしまうのが悲しくて、大好きな帽子がゆらゆら揺れているのも悲しくて、なんだか急に突然悲しくなって大声で泣いたことがある。その映像を、私は彼の話しを聞いてふと思い浮かべた。
その映像は、私が大声でしゃくりあげて泣いている様子を後ろから見た映像だった。

その映像は、もうずっとずっと前に起こった出来事で、どうしてそれほどのことで泣いてしまったのか今になってもよくわからず、それに恋人のこの話とはなんの脈略もないのに、25歳になった今の私をその映像はあのときと変わらず、悲しくさせたのだった。
その恋人の友だちは、とても悲しかったのかなぁと思うと、もっと悲しくなった。悲しさが連想させてそんな映像を見せたのかとふと思ったのだけれど、私があのとき感じた感情とその友だちが感じていた感情は、“感情”の種類が違っているような気がして、あまり共通項は見出せない。

知らず、涙が流れてきて、泣くところじゃないのにと恋人は笑っていた。
自分勝手に感情を盛り上げて出てしまった涙だった。

この記憶の連想は、どうして起こるのだろう。
この連想は、私の中でしか起こり得なくて私の中でしか理解できないものなら、突然連想した映像に、涙したり笑ったり懐かしんだりする私は、他人から見たらとても奇異に映るのではないだろうか。

あまり喜ばしい癖ではない。あまり他人に話せる現象ではない。
みんなは、そんな記憶の連想をしているのだろうか。
無意識に繋ぐ映像に、何か意味があるのだろうか。
2004年10月08日(金)  If I can change the world.
仕事で、久々に品川に降りました。
ちょっと来ない間に、ビルってすぐに建ってしまうのね。

仕事帰り、駅ビルのジャズバーというか、ライブラウンジというのかしら?に、行きました。
明日は関東に台風上陸かという夜、洒落たお店でピザとリゾットを食べ、洒落た生バンドの音を聴いて、とても贅沢な時間を過ごしました。
キレイなお姉さんがふたり、カーペンターズを歌ったり、クラプトンのチェンジザワールドを歌ったり、とても格好よかった。私と同僚は、手を叩いて体を揺らして、その音楽にずっと耳を傾けていました。計3回のステージを粘って聞き、踊りながら駅におりて、鼻歌をうたいながら電車に乗った。

歌をうたう人、楽器を演奏する人、どうしてあんなに格好いいんだろう。
家に帰ってベッドに突っ伏して、チェンジザワールドの残響を鼻歌った。
2004年10月07日(木)  右足、小指の爪
ご飯も食べてシャワーも浴びて髪の毛も乾かしたので、あとは歯を磨いて寝るだけ。
でも、まだ10時過ぎなので、ベッドに寝転がってテレビを見る。私の背中には恋人も寝転がっている。毛布の中に入れたふたりの足がもそもそと触れ合う。

うでまくらをしたり、髪の毛を触ったり、テレビに笑ったり、なんともなしに時間を過ごしていたけれど、さっきから右足の小指の爪が毛布に引っかかっているのが気になっていた。もそもそ触れる恋人の足にもきっと引っかかっている。

もそもそ、もそもそ、もそもそもそもそ……もそもそ、もそもそ、……もそもそ?

何度か恋人の足が私の足を撫でるように往復して、少し動きをとめてはまた足で足をさする。最後にクエッションマークのつく触り方をして、恋人の足が止まったかと思うと、何も言わずに彼は起き上がり、引き出しから爪切りを出して毛布をめくった。そして、のっそりと私の足元にかがみ、無言で小指を選び出して爪をパチンと切った。

無言で彼は私の爪を切った。

爪切りをテーブルにおいて、また何も言わずに私の横に寝転がる。
その一連の動作を、私は何も言わずに見ていたけれど、寝転がった恋人が満足そうに息を吐いた途端、笑いがこみ上げてきた。


私の小指の爪は、あなたの思い通りになるのです。
2004年10月06日(水)  Shall we アフリカ?
野生動物を見に、アフリカの草原に行きたい。

来年の話しをするにはまだ早いのですが、2005年の水瓶座の運勢は中の下。中の下ながらも、海外旅行にツキありということで、海外旅行へでも行こうかしら。アフリカへ。マサイ族?と上下ジャンプダンスをしてみたい。海外へ未だ行ったことのない私にとって、外国など未知の未知の未知。命を落とす覚悟を決めて、飛行機に数十時間も乗るなんて気が遠くなりそうだけど、行っといたほうがいいよなぁ(何のためかはしらんが)。行ってみたいよなぁと思うここ最近。


イィィイイー!
と、叫ぶのはストレス満タンのときの私の癖です。喉の奥から声にならない声を振り絞って、イに濁音がついたかんじ。髪を掻き毟って天井に向って叫ぶのです。イィィイイー!
最近、オフィスでそんな雄叫びばかりあげています。なんだか最近、急にイライラしはじめました。イライラするので、アフリカの草原に思いを馳せているのです。

ストレス解消方法 その1
部屋を暗気味にして、ヘッドフォンをして大音量で音楽をかけ、頭を振って踊る。
ストレス解消方法 その2
お酒を大量に飲んではっちゃける。
ストレス解消方法 その3
プールに行ってくたくたになるまで泳ぐ。
ストレス解消方法 その4
夜道を、大声をあげて走り抜ける

その1を試してみて、2を試してみた。それでもまだまだストレスが解消されないので、久しぶりに晴れた日の夜、恋人にバッグをもってもらって、勢いをつけて夜道を走る。「ひゃーあ」と叫びながら走る。途中、学生の自転車とすれ違おうが、帰り道のOLさんとすれ違おうが、構わない。
「ひょーえー」
腕を挙げて空をあおいで、涼しくなった夜道をかける。


馬鹿じゃないかという顔をして、後ろからゆっくりとした足取りで恋人が追いついてきた。
「来年さぁ、アフリカ行かない?」
2004年10月05日(火)  フレックスを有効に使った飲み会
うちの会社はフレックスです。「うちの会社はフレックスです」という日本語はおかしいと思うけれど、うちの会社はフレックスです。
フレックスと言っても、どうせ営業会社なのでフレックスを有効に使えることは稀ですが。

しかし、今週、私は暇をもてあましている。仕事がないのだ。
いろいろ会社の事情があって、私は毎日、午前中に仕事を終えることができる。まだ仕事が振られないのだ。だから上司は、今ものすごく焦っている。仕事の割り振りを焦りながら考えている。

昼過ぎにぼんやりとしながら定食屋に行って、街をぼんやりと歩いてちょっと絵の個展なんかに行ってみたりしたり。机の上の書類をぜんぶきれいにファイリングして片付けたり。社内をうろうろして喫煙室でぼんやりしてみたり。営業部長につかまって2時間の世間話に付き合わされたり。4時とか5時に退社してみたり。

うちの会社って馬鹿だなーと思う。
ものすごい量の仕事を任せて圧力をかけてきたと思ったら、新しい仕事の準備さえ間に合わずにひとりの社員をぶらぶらさせている。
どうせそのうち仕事が降りてきて、この仕事を今月中にやってくれ、あと3週間でやってくれ、って丸一か月分の仕事を投げて来るんだよ。
別にもうどうでもいいんだけど。

私は、上期にある企画に加わっていたのだけれど、同じようにメンバーだったほかの課の営業マンもそんな状態だそうだ。私たちは、その企画にずっと携わっていたので自分の課内の仕事から少し離れていた。もとの課に戻ったとき、仕事がなくてこの数日間ずっとぶらぶらして、呆けている。ちょっと疲れたので、少し休めるのはいいのだけど、逆に暇だと気が滅入る。みんな生きた屍みたいな顔をしている。
なので、最近、その企画の打ち上げと称して毎晩のように飲み会をひらいている。5時くらいから酒を飲んでいる。みんな昼過ぎには手持ちの仕事を終えられるので出席率もすこぶる良い。へんなトラブルさえ起きなければ、時間の調整などいくらでも出来る。


もしかしたら、私のキャパは伸び切ってしまったのかもしれない。
無闇に忙しかったときを経て、私の中の箱がぶよんぶよんに伸びきって、「もっと仕事したいよー、仕事したいよー」って言ってるのかも知れない。午前中に終わらせた仕事も、少し以前は丸一日かけてやってた仕事の量と変わらないのかもしれない。

怖ろしい想像をしてしまって、ますます気が滅入る。
2004年10月04日(月)  24人のうちのひとり
鉄板の上にはいくつも肉が並んでいるのに、その肉ばっかり、触っている。

落ち込んでるから付き合ってよと言われて、ふたりで焼肉屋に行った。
まあいいやと思う。
私は、焼けた肉を裏返して新しい肉を焼いて、サラダをつついてビールを飲む。

どうして私は、彼に付き合わされてしまうのだろう。
なんで、ついていってしまうんだろう、とぐるぐる考える。

久しぶりに会った彼は、半年前には入院中の私を見舞い、一年前には私を助手席に乗せて雨の江ノ島に行った。そのまた半年前は数時間も遅れてやってきた私を怒りもしなかった。
奇跡的な偶然みたいな、それとも計算したような、完璧な半年という期間を経て、私たちは再会して一日だけ一緒に過ごし、また半年後に会うだろうと予測して別れる。

新しいサンチュを持ってきた若い女の子の店員が、彼の顔をちらっと見て彼に微笑んだ。整った顔や手足の長いスタイルは女の子の目を引く。彼は自分が女性にモテることを知っている。女性にちらちらと見られていることを知っている。微笑み返せばその子が喜ぶことを知っている。
けれど私は、そんな整った彼の顔にも、着こなした格好よい服装にも、なんの魅力も感じなくなってしまった。そして、彼が周りの女の子たちに愛想を振りまくことになんの嫉妬もなく、嫌味だとも思わない。
そして私がそう思っていることさえも、きっと彼は知っている。

なんだかんだ言って、私がこうやって彼と会うのは、きっと彼の「何でも知っている、自分のことをよくわかっている」というところが気に入っているからだと思う。

彼は鉄板の上にいくつも肉があるのに、その肉ばかり箸でつついてひっくり返す。まるで、「この肉は僕のものなんだ。誰にもあげないから」と言っているようだ。そんなにひとつの肉に執着しないでさっさと食べて、いっぱい食べればいいのに、と私は思う。

彼はなにが楽しくて、半年に一度私を誘うのだろう。

ああ、そうか。彼には食事に行ったりドライブに行ったりというデートをする女の子がたくさんいて、セックスもさせてくれる女の子がたくさんいて、だからこそ私は半年に一度だけ誘われるのだな。
週に一度、誰かと会うとすれば、半年が24週だと考えると、きっと彼は遊んでくれる女性が24人はいるということになる。その、ずっと触っている肉みたいに、その週だけは半年振りに会うその女の子に執着しているのだったりして。

それはそれですごいことだ。
2004年10月03日(日)  大人になる悲劇、大人になりたくない喜劇
「ウルルン滞在記」を見てウルルンどころか大号泣してしまいました。
逆ウルルンのヘンリーさんに大号泣。あんなお年を召したおじいちゃんが遠いところから日本にやってきたというだけで、もう号泣。VTRなんか何も始まっていないのに、「ヘンリーさんが遠路はるばる日本にやってきた」という事実だけで大号泣。ヘンリーさんが泣いたらもっと号泣。

私もすっかり涙腺が弱くなりすぎてしまいました。

今日は朝から雨。
雨の日は、家に篭ってCDを聞くか、ドライブに出かけることにしています。
最近、ふとテレビから聞こえる曲をいいなぁと思っていたら、それはいつもいつも「アジアンカンフージェネレーション」の曲です。なので、次のアルバムが出たら即買い決定です。ちょっと前から「Maroon5」のサイトに行ってよくthis loveのPVを見ています。あのCDも欲しいのだけど、なかなか買いに行く暇がなくて、サイトでPVを見るばかり。忙しくてCDを買いにいけない。買いたいと思いついても買いに行く暇がない、買いに行く気力がない。そういう物欲さえ諦めてしまいたくなるほど、どこかちょっと最近私は、切羽詰っている。
気分転換に、恋人の車に乗ってどこに行くという当てもないくせに、ドライブをしました。
最近、彼が好きだというアーティストの曲が車の中で流れていて、もうそのアーティストの名前は忘れてしまったけれど、やけに雨に似合ったボサノバの曲でした。

やらなければいけないことは沢山あります。
それとは別に、やりたいことも沢山ある。
もっと一緒に恋人といたいと思うのと同じくらい、ひとりで過ごしたいと思う気持ちもある。やっつけてしまいたい仕事もあれば、臨んでみたい仕事もある。
よく、大人になればしがらみが多くなると、聞かされ続けたけれど、ああ、それってこういうことなのかなと、身をもって実感する。その瞬間、ああ、私、大人になったのだなあと思う。
ずっと以前、好きだった男の人が「僕はもうすっかり大人になってしまったから、自分と異なるものを受け止め難くなってきた。自分が柔軟でなくなったと最近思い始める。」
私はその言葉を聞いたとき、自分のそのときの年齢がまだ子供だったことを幸運に思ったし、大人になりたくないと言葉にしてはっきりと思った。好きだった人のそんな姿を見て、私は彼のようになりたくはないと思ったのです。
そして彼は、「だからもし、君が僕を変えようと頑張ったとしてもそれは無駄なことだから、こんな僕に愛想が尽きたとしたなら、君はすぐに別れたほうがいいよ」と言った。
大人になることって悲劇だなと思ったし、別れようと言われているのかと思った。
辻仁成の本の1ページに「喜劇と悲劇」という節がある。
子供でいつづけることは喜劇で、大人になってしまうことは悲劇だ。
もし、誰かに鼻で笑われたとしても、私はあまり大人になることを嬉しくは思わない。しがらみが嫌いだからだ。身動きがとれないことが嫌だからだ。あのときの彼の言葉は、そのしがらみもその身動きの取れなさも、自分の力ではどうしようもないと言っていたのと等しいと私は感じた。
私は、あのときから何年もたった今でも、あの彼の言葉にずっと締め付けられている。あの言葉に追いかけられ追い詰められ、催眠術をかけられたように逃れられない威圧感を感じてしまっている。

私の恋人は、あと2、3年もすれば、あのときあの言葉を言ったあの彼と同じ年齢になります。その年齢になったとき、私の恋人は果たして同じことを言うでしょうか。もし言ったら、私は彼の頭を撫でてあげようと思います。きっと言葉が出てこないので、ただ優しくしてあげるだけだけにします。それは慰めでもなく、同情でもなく、少し離れた位置からそっと彼に優しくしてあげるだけです。

私の方はといえば、まだ未だに大人になりたくないと思っています。なので、きっとあのときのあの彼のあの言葉を吐くのは、到底先になりそうです。意地を張ってでもその言葉から逃げ出したくて、私は言わないかもしれない。ただ、「まだ子供でいたい、子供でいたい」とぶつぶつ言っているだけなのかもしれない。ただの甘えん坊なだけなのです。

やらなければいけないことは沢山ある。
それとは別に、やりたいことも沢山ある。
やっつけなければいけないことも沢山ある。
立ち臨みたいことも沢山ある。

大人になるって忙しいね、と恋人に言ったら、大人になるって可能性が広がることだよね、と恋人は言った。この人はきっと、「大人になるとしがらみが多い」なんて言わないタイプの人なのかもなと思った。この人が恋人で良かったなぁと思った。

彼の言葉と車の中で流れるボサノバが気持ち良かったので、私はこれからもこれまでと同じように自由でいられるだろうなと、どこからか自信がわいてきて、自分が自分で良かったなぁと思った。
2004年10月02日(土)  君はどうするの?
もう少ししたら、また入院することにした。一週間くらいだけど。
恋人とのケンカの理由はこの入院の件についてだった。結局、彼と話した結果、私はどちらのせいでもないことでケンカはしたくない、と言ってケンカを終わらせることにした。
とても不毛なケンカだったと、私はまだ思っている。
彼の真剣な気持ちは知っているくせに。

今、たぶん、大事なときだと思う。私にとって大事な時。
体調のこともそう。仕事もそう。恋人とのことだって、そう。

先日、会社で夜遅くまでミーティングをしていた。今、私が参加しているある企画が、この9月で一端の終了をするため、最後の追い込みのミーティングをしていたのだ。今回、この企画が成功の兆しを見せたので、今後、全社で実施していくことになるだろう。
そのミーティングには、よく会社の上層部が来る。彼らは、ただ黙って部屋の隅っこで聞いているだけなのだけれど、その存在の威圧感がこの企画のボスにプレッシャーをかけているのを、私たちは少しも漏らさず感じることが出来る。そうすると、非常に馬鹿馬鹿しいミーティングになってしまうので、書類の束にぱらぱら漫画でも描きたくなってしまう。
その夜、全体の営業部門を統括している常務が、こう言った。「君は、この会社で何をしたい?」
したいと思った仕事をさせてくれるのか、私にそんな自由を与えてくれるのか知らないが、常務は私の顔を見つけては、よくそんな風なことを聞いてくる。忙しいときにそんなことを話しかけれられるのはとても面倒なので、「社長にでもなって業界ナンバーワンにでもなりましょうかね」と冗談を言っては早く解放されようと願っている。

同じ25歳の営業の男の子がいる。
彼は、結果を残す優秀な営業だと思う。周りからも期待されているのがわかる。彼は、よくそんな上層部からの言葉に、いつも真剣に問答を繰り広げている。先日、私は彼に聞いた。「将来、どうなりたいの?」と、彼はこう答えた。「昇格試験を受けて、自分で仕切れる立場に早くあがりたい」
彼はきっと言葉どおり、出世の道を歩いていくだろう。彼は社歴は私より長いが、年齢は私と同じだ。

私はどうなりたいのだろう。
今、それを決めるチャンスが巡ってきていると思う。男も女もなく、そのチャンスは平等だと思う。今、それを選び取れる場所に立っている。自由な選択肢があるわけではないだろうが、選べるという権利をもてるのは極少数でしかないだろう。その中に立っていることを、ひしひしと感じる。出世に興味があるかどうかはあまり問題ではない。そう思う。自分がどうありたいかということがとても大事だと思っている。本当は何も感じていない。上に上がれなくてもいいと思っている。一番下の現場で働く営業メンバーでいたいと思っている。いろんな仕事の企画を立てるとき、その肩書きの重さが必要だとしたら、私は上に上がっていくだろう。どんな仕事をしたいか、いろんなアイデアや理想は持っている。けれど、それはとても漠然としていて、自分で自分が情けなくなる。実行に移すまでの行動をどうしたらいいか、決めかねている。「君はこの会社で何をしたい?」その問いにはっきりと答えられることがある。“この会社”という枠だけで納まりたくないと思っていることだ。すごく漠然とした答えでとても情けない話だけれど。

今月中に、一週間の検査入院をする。気は進まないけれど、周りの気が済むならもう入院でも何でもしてやろうと思っている。入院のおかげで仕事が一旦ストップされるのは、もう仕方がない。入院中に出来る仕事を今のうちにまとめておこうと思っている。

ボロボロの体に鞭をうっている自分の夢を見た。
夢の中でひたすら眠る夢を見た。
恋人に充分すぎるほど甘えさせてもらっているのに、恋人に料理一つ満足に食べさせてあげられない自分がいる。

うまくいかないことや、うまく動かせられないことはたくさんある。
2004年10月01日(金)  私は知っている、みんなは知らない
1.私はも知っていてみんなも知っている、私
2.私は知っていてみんなは知らない、私
3.私は知らなくてみんなは知っている、私
4.私も知らなくてみんなも知らない、私

1.が多ければ多いほどすべてのコミュニケーヨンは上手くいく。この部分を多くすることが上手い人付き合いの方法。
2.の場合は、自分からの積極的なアウトプットで1.に持っていくことができる。
大事なのは3.の場合。
私の知る私、私が把握する私、けれど外側から見たらまだまだ知らない部分の多い私。それを周りの人間を媒体にして知るということ。周りの人間が教えてくれる未知の私。それを素直に受け止めるということ、素直なインプット。


私の会社は実質、人材を商品にした会社なので、その人となりや(仕事に対する)志向や嗜好など、各人材のそれを調べて分類するシステムがある。それはよく女性向け雑誌に載っているような、行動分析診断とか、恋愛傾向診断に似ている。キャラミル研究所みたいな、アレだ。
もちろん、仕事のシーンの中での分析診断だ。だから、それで出た結果がその人すべてを表すわけではなく、プライベートはむしろ逆だという人さえいる。
自分の会社に入社するときその診断を受けた。100近くもある似たような質問に対して、「非常にあてはまる、あてはまる、わからない、あてはまらない、まったくあてはまらない」という項目にチェックをいれていく。自分を良く見せようと見栄を張って嘘のチェックをいれたとしても、何個も同じような質問をされるので、人はそのうち見栄などどうでもよくなってくる。なので、比較的本質が見えてくる。

私の結果が出てフィードバックをもらったとき、人事の人が苦笑いを浮かべながらこう言った。「あなたは非常に異質な人ですね。あなたがもし派遣社員で登録に来たら(うちは派遣会社)、派遣社員として働くことをお勧めしません」
注釈として、派遣社員には“従順に指示に従って働く意欲”がある程度求められてくる。それがまったくない私には、派遣として働くことを勧められないという意味だ。

自分の結果を見たとき、頷ける部分もあり頷けない部分もあった。
私は非常に内面的なのである。内向的という意味ではない、内面的なのだ。主張できるとか出来ないとかではなく、裡で物事をすべて整理し、決断するのだ。良く言えば人に左右されない。悪く言えば、自分から人に相談することをしない、人の事を頼らないのだ。
上で書いた、1〜4のことで言えば、3.については比較的素直に受け入れるけれど、2.をしないのだ。3.について他者から教えてもらったことを、自分の内でよく理解する。けれど、それを他者に発信することはない。自分で理解し、自分でわかっていればいいのだ。

そんな自分を、よくオフィスではっと見つけることがある。
私は知っている。けれどみんな、私のことを知らない。私が何を考えているのかわからない。これは仕事のシーンだけで診断した結果だけれど、恋人といるときにもふと見つけることがある。私は自分のことを話さないのではない。よく話している。わかってもらいたいと思っている。知ってもらいたいと思っている。
けれど同僚が、「キミの底が見えない」と言った。
そして恋人が、「今、何を考えている?」と聞く。

底の知れない女。赤い口を開けてすべてを飲み込んでしまえ。
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