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2004年09月30日(木)  優しく揺れる電車で
午後5時に5分前。
東京駅に滑り込んだタクシーを降りて丸の内の改札をくぐったら、携帯を取り出して上司に電話をした。今から電車に乗ります。6時前にはそちらに行けると思います。上司は、低い声で答え自分は先に言っていると付け加えた。

ホームに止まっていた平塚行きの東海道線の電車は、半分くらいの座席が埋められていて私はドアから入ってすぐの2シートが向かい合ったボックス型の席に向った。窓側の進行方向を向いた席には若い男性が既に座っている。私は、彼の斜め向かいの通路側に座った。

今日最後の商談が終わってやっと今月の終わりを迎えることが出来た。当初、予定していた通りに仕事は進んだ。その間、予想外のトラブルは起きることもなく、ある程度の仕事の動きはキャッチして対応できたと思う。半歩でもいい、状況を早めに掴んでいればどれだけ仕事量が多くても、充分にこなせていける。毎月末、そうやって少しずつ自分の理想とする姿と、実際の仕事の結果が追いついてきているのを感じる。充分に満足しているわけではないけれど、自分を追い込んで自分に厳しくなるのも、モチベーションの保ち方としてはあまりいい方法ではないのでは、と最近思う。甘いだろうか。
明日からは10月になって、またいちからの仕事が始まる。営業目標を達成するために計上してきた数字は0になり、また10月の仕事を追いかけるのだ。
疲れてはいない。体は疲れているけれどそれ以外はまだ疲れてはいない。楽しいと思える仕事の仕方をしたい。これからもいろいろと模索したい。
首をまわして肩の緊張を解く。ほっとした気持ちから知らずにため息が漏れる。ぼんやりと電車の外を歩く人たちを眺め、車内のアナウンスに耳を傾けていた。

斜め前の席の男性に目をやる。30歳前後で髪の毛が柔らかそうだ。カーキのパンツに黒のジャケットを着ている。ニットのネクタイが似合っていて、そのラフなスーツ姿からは、私たち営業とはかけ離れた仕事をしているように見える。大きな目ときりりとした眉と、そして無表情に閉じられたその唇の形が好きだなと思った。じっとしたまま窓にかけた腕で頭を支え、外の人を眺めている。

ひとりの女性が彼の隣に腰掛けた。もうひとりの若い女性もやってきたので、私は窓際に詰めて彼女は私の隣に腰掛けた。たちまち車内は人に埋め尽くされていく。私の膝が微かにその彼の膝と触れたので、お互いに腰を引いてそれを避けた。ドアが音を立てて閉まり電車はゆっくりと東京駅をあとにする。
私も彼の真似をして、窓枠に肘をかけ腕で顎を支えて、夕暮れの街を眺める。

台風一過の今日は気持ちのよい晴れの日で、ずっと向こうの空はもうすでにオレンジ色に染まっている。細長く幅狭いビルばかりが並ぶ街も、やはりオレンジ色に染まりつつある。大きな通りにはそろそろネオンが光り始め、タクシーが渋滞している。止まった駅で開いたドアからは冷たい空気が入り込んでくる。すっかり秋になってしまって、すっかり夕暮れになってしまって、人々は会社や家に向って帰り始め、私はそんな風景を見て少し淋しい気持ちになったし、どこかホームシックに似た恋しさを感じた。赤く光る東京タワーがビルの切れ間に見えると、私は空のてっぺんを見上げた。空のてっぺんから地平線があるだろう方向に向って、黒、青、オレンジ色にグラデーションになっている。
目の前に座る彼も、同じように空を見上げ、東京タワーを眺め、街を見つめて、何かを考えているようでもありぼんやりとしているようでもある。電車の揺れにあわせてたまに触れる膝頭から体温が伝わってきそうな気がした。もし、体温から相手の考えることが伝わってきてこの彼の気持ちを感じることが出来たなら、私はきっとこの人に共感してあげたくなるだろうと思う。それくらい優しい夕焼けと何かを恋しく思う気持ちが募って、誰かに無闇に優しくしたくなる。

品川駅を過ぎたら、風景は低い屋根がびっしり並ぶ住宅街に変わる。電線が縦横無尽に伸び、ずっと向こうの空まで見やすくなった。まだ青さが残る空には筆で刷いたような短い飛行機雲が見える。小さな飛行機が空港に向って帰っているのだろうか。私も彼も風景が変わろうとも、相変わらず窓に体を預け、片腕で頬杖をついてじっとしたままだ。

これから横浜でミーティングをして今月の打ち上げをやったら、早めに家に帰ろう。早く帰って温かいスープを飲もう。熱いシャワーを浴びたらすぐにベッドにはいろう。運良く恋人がやってきたら、かたく抱き合って眠ろう。電車の中は、疲れきった人たちのため息や暗い顔で充満しているはずなのに、どこかゆっくりと時間が流れているようで、温かな光に溢れているようで、私はとても安心することが出来たし、甘い想像を掻き立てて少し眠ってしまいたい気にもなった。

私は文庫本を取り出し栞を抜き取って、通勤途中で読みかけていた本を読むことにした。
彼は、まだあの格好のままでじっと空と街を見つめている。
カタンコトンと電車は優しく揺れて、優しいオレンジ色が少しの時間だけ車内を染めた。

いくつかの駅を通り過ぎた後、電車は横浜駅に止まった。私は本をしまってカバンを閉じ顔を上げた。彼が黒めがちの視線をそっと私に向けて、優しく微笑んだ。無表情に結ばれていた唇は薄っすらと開き、私にこう言った。
さようなら、またどこかで。

たまたま向かい合って座った席で、私と同じ時間を共有した彼は、このまま電車に乗って一体どこへ行くのだろう。もしかしたら彼は、きっと伝わった私の体温から、私が彼のことを気にしていたことと秋の風景を見て感傷的になっていたことを知っていたのかもしれない。そして少しばかりの優しさをわけてくれた。
さようなら、またいつか。

私は彼にそう答えたけれど、このまま彼の前の席に座ったまま終点の駅まで行き、湘南の海にでも行ってしまいたいと、一瞬、逃避した。
2004年09月29日(水)  親の許しを請う子供のように
初めて恋人と、ケンカをしました。
今まで真剣なケンカなどしたことはなかったのに、今日初めて恋人が真剣に怒りました。理由は、なんでもないことです。けれど、私がケンカの理由など何でもないことだと思うことに、恋人は怒っているといっても間違ってはいないと思います。

私が結論を後回しにしたことに、恋人はとても腹が立ったのです。

仕事が忙しくて、今一番忙しくて、だから私はとても疲れていて、疲れているからと恋人に甘えたかったのです。甘えさせてくれてもそれはあまり長く続かなくて、私は早く恋人の言葉に耳を傾けるべきだったのです。わかっていたけれど、言い訳はいくつだって出てくるのです。

早く謝ってしまえば、すぐにまた元に戻れるかもしれない。
だけど、私は可愛らしく謝ることも出来なければ、恋人の言葉どおりに出来る余裕も今はない。電話をかける勇気もなく、メールをしていても結局送らずに消してしまう。
どこか私は、億劫がっているのです。
彼のことを本当は好きじゃないのだろうか。

彼が真剣に私を叱ったことを、私は痛いほど理解しているはずなのに、叱られた子供が親の許しを怯えながら待つように、私は恋人から与えられるチャンスをただ待っているだけなのです。
疲れているのです。
甘えているのです。
2004年09月28日(火)  顔の見えない夢
よくあなたの夢を見ます。
半月に一回くらいでしょうか。
夢から覚めて体を起こしたあと、もっと夢の余韻に浸っていたくてじっとしたまま動けないことがあります。そして、目が覚めたその瞬間は、悲しいくらい胸が痛みます。

不思議なのは、あなたの顔がはっきりと見えないことです。
声もはっきりと聞こえないのです。
テレパシーのようにあなたの言葉は、すっと私の胸に響くけれど、声そのものは聞こえない。同じように、あなたの顔はただの記号のように当然としてそこにあるだけで、唇の端をあげて笑う表情や潤むその瞳を見ることは出来ないのです。
あなたそのものを見ることが出来ないのに、私はあなたが間違いなくそこにいるんだと感じている。
それがとても不思議です。
そうやってあなたは私の夢に出て、現実とまったく同じように私を悲しくさせて去っていくのです。朝になれば、もうあなたの存在を感じることは出来なくなってしまう。

あなたの顔が見えないのは、きっと私があなたの顔を忘れてしまっているからでしょう。声を聞けないのは、もうあなたの声音を忘れてしまっているからでしょう。
それはとても悲しい事実です。


あなたは私を女性として見なくなってしまった。
あなたは私を嫌悪した。
私はそうなってしまった現実に目を背けたくて、せめて夢の中でもあなたの存在を感じ、謝りたくて元に戻って欲しいと必死に取り繕う夢なのです。どうすることも出来ないとわかっているからこそ、私は夢の中でさえ、顔の見えない遠い存在のあなたを求めているのです。
とても悲しい事実です。
2004年09月27日(月)  じゃあ結婚してよ!
はい、ということでですね、覗き事件のその後ですけど、その後何にも無いんだよね。

あの日以来、私はいつまた覗かれるか、覗かれたときはぜったい顔見てやるぞ、証拠を残してやるぞと意気込んで、暇があれば窓辺に立ってじっとベランダを見つめています。手にはデジカメ。
怖いでしょう?私が気味悪いでしょう?ね、もう覗かれてしまったとわかった女性は、こんなふうに不気味になれるのですよ。窓辺でじっと覗かれるのを待つ女性の姿を想像してみてください。手にはデジカメ。ね、怖いでしょう?ちょっと隣の部屋を覗いてみたら、すぐそこに目をランランと光らせ、いや充血した目をいっぱいに見開いてデジカメ持った女性が立っていたら、ビビルでしょう?不気味でしょう?なので男性の皆さん、容易に覗きをしないように。

ちなみに、私は生まれて初めて交番に連れて行かれました。いや、逮捕されたんじゃなくてね、通報?というか相談?しにいったのです。彼に引きずられて。それでも覗かれた日から2日はたっていたので、やっぱり覗かれてすぐ通報しないとダメなんだって。当たり前なんだけどねー。散々恋人には叱られました。「どうしてすぐ僕に電話しないの!どうしてすぐ警察に電話しないの!」つーか、電話しましたけど出てくんなかったじゃん……と答えたら、「何回も電話しないと緊急かどうかわかんないでしょ!」と余計に叱られる始末。お巡りさんにも「どうしてすぐ通報しないの?」と逆に叱られてしまいました。なんだよ、みんなさー。こっちも動転しすぎてそのまま寝ちゃったんだよ。まあ、事が起こらないうちには警察も出ようが無いしねー。言ってることはわかります。
最終的には、お巡りさんに定期的にパトロールしてもらえるようになりました。が、まあパトロールしても外から見ただけじゃわかんないと思うけどね。しかも隣人だし。最後にお巡りさんが「もう二度と覗かれないといいね。おじさん心から祈ってるね」と言ってくれました。なかなか印象的な言葉です。

でも、自分もなかなか根性ないなぁ、どうして覗かれたとき怒鳴り込めなかったのかなあ、とあとから思ったけど、友達にも恋人にもぜったいそんなことしたら刺し殺されるよ、殴り殺されるよと言うので、まぁそうだねと思いなおしました。数日たってやっと私も恐怖というより怒りを感じられてきたので、よし、証拠写真を撮って今度覗いたら相手を脅してやるぞ(?)と息巻いてデジカメ持って嬉々として窓辺に立つ毎日です。

恋人がデジカメ持った私の後姿に、「もうこのマンションで一人暮らしをするのは無理じゃないか」と言いました。引っ越しするのもいいけど、なんか癪なんだよね。「カーテンを開けっぱなしで着替えたり裸でうろついたりするから覗かれるんだよ!」んー、それは改めます。ごめんなさい。「うちに来れば?うちの部屋、ひとつ余ってるし」でもさぁ、結局、一時的に非難してもなんにも変わらないかもよ?「じゃなくってさぁ、うちに住めばいいじゃん」えー、それって同棲みたいじゃん。「同棲を勧めてるんだよ」ええー!同棲するんだったら結婚してよ!「あ、それでもいいけど」ということで婚約します。


だいたい、自分が女だから覗かれてしまってこれほど大騒ぎになっちゃうんだよね。やだなぁ、やだなぁ、女に生まれてこなきゃよかったなぁ、女って面倒くさいなぁ。覗かれて恐怖を感じるのも自分が女性であるが故だし、同棲とか結婚とか、あんまり簡単に言われて欲しくないのだよなぁ。だって妙齢の女性ですから、そりゃドキッとします、そんなこと言われては。
2004年09月26日(日)  龍馬ぜよ
私は坂本龍馬が生まれた土佐の高知の出身です。
最近は、「新撰組!」を毎週欠かさず見ゆうけど、江口洋介演じる龍馬は、なっかなかの男前やね。私の知っちゅう限りの俳優さんの中で江口龍馬はなっかなかの男前です。たとえば、あのもみ上げ辺りが。
しかし、江口龍馬の土佐言葉はちょっと可笑しいがやないかと思うことがいっぱいあるがよ。たとえばね、「〜〜ぜよ!」ってよく言うけんど、そんなあに土佐の人は「ぜよぜよ」って言わんき。あの頃の土佐言葉はもうずっと昔に使われよった言葉やき、今の人たちは江口龍馬の言葉を使う人はあんまりおりません。おじいちゃんとかおばあちゃんらあは、「おまん」とか「ぜよ」って言いゆう人もおるけどね、今は滅多に使わんなった。

高校生のときの体育の先生はちょっとおじいさんに片足突っ込みゆう先生やったけど、その先生がある日、「きにょーな」って言うき、私「尿?!」と思うたてビックリしたがやけど、「きにょー」って言うのは「昨日」のことみたいやった。かなり昔の言葉を使う先生やったき、たまあにコミュニケーションとるのに苦労したよ。

うちのおばあちゃんは、よく私のことを「はちきん」って呼びよった。
「はちきん」ゆうがはオテンバいう意味で、「いごっそう」っていうがは頑固な男の人のことを言います。

小さいときから、龍馬の勉強をよく学校でやったけど、私は土佐の出身や言うて龍馬が特に好きいうわけではないし。今の世の中、龍馬みたいな人がおったら日本はもっと劇的に変わるいうて言われるけんど、龍馬は特別な存在でもなんでもないと思うがよ。みんなあが思うほど龍馬はヒーローでもないし、龍馬は特別な才があった人でもないがやろうか。ちょっとばあの単純で好奇心旺盛な男で、そのくせ人に惑わされんような頑固ないごっそうやった、いうことやと思うが。龍馬の価値観が当時ではとても変わった価値観を持った人やっただけやと、私は思います。
でも、そこが男前なところやと思う。

もうすぐ「新撰組!」で龍馬が暗殺されるやろうけど、この「新撰組!」では誰が龍馬の犯人か早よう知りたいと思うぜよ。ぜよぜよ。
2004年09月25日(土)  もう死ぬかもしれん
もう死ぬかもしれん。
死ぬかもしれないのです。
仕事が忙しいのです。
期末ですねー。決算ですねー。月末ですねー。忙しいデスネー。
休日出勤ですよー。ですよですよー。

いぇー、月間の営業目標達を成しました。前半期の営業目標も達成しました。
いぇー、優秀です。えらい、よくやった。よくやったよ。
えらいえらいと口ずさみながら鼻歌うたう、今日この頃の帰宅路。
2004年09月24日(金)  トウキョウコワイ
恐怖に襲われると、人は動けなくなります。

こ、怖い思いをしてしまいました。ま、まさか自分が……。
金曜日、仕事から帰ってきて、部屋の電気もつけないままフンフンと鼻歌歌いながらジャケット脱いで、カーテン開けっ放しの窓の外を見ながらスカート脱ごうと思ったのです。
ベランダの隣の部屋との境は、非常時に蹴破る用の目隠しをしただけで、手摺から身を乗り出して目隠しを跨いだら、簡単に隣の部屋のベランダ、若しくはカーテン開けっ放しの窓から部屋の中を窺えるのですが。
その目隠しの横からニョンって黒い影が一瞬見えたので、え?と思って凝視してたら、また黒い影がニョンと出て、私と目があったのか慌てて黒い影は引っ込みました。
えー?!
隣の人が覗いてた?
ちょー怖くて、慌てて片方のカーテンを閉めて、そのままフリーズしてしまいました。

1. 彼氏に電話する
2. 異母兄に電話する
3. 警察に電話する
4. マンションの管理会社に電話する
5. 非常用目隠しを蹴破って隣に怒鳴り込む
6. 隣の部屋のドアを叩いて怒鳴り込む
7. 引っ越す

5分くらいグルグルとこの7つの選択肢のどれがいいか、考えていたのだけど、とりあえず体が動かず、そのままベッドにへたり込んでフリーズした後、とりあえず1と2を実行してみたけど、電話は繋がらなかったので、私は何をしたかというと、そっと着替えて携帯持って部屋を出て、マンションの一階まで降りて外から自分の部屋を見上げていました。なんかヘンな影が見えたら写メで撮ってやると思ったのだけど、しんと静まりかえったまんまで。

向こうもねー、私のシルエットしか見えてなかっただろうけれど、ばっちりスカート脱ぐ寸前のシルエットは見えていたはず。どうしたらいいのかわからなくて、とりあえずネットで「マンション・覗き」でグーグルしてみたら、エロビデオが検索できたヨ。んもう、こういうことする人に直接言っても、余計におかしなことされちゃうだけかな。み、見間違いかな?勘違いかなー。そうだったらいいけど、明らかに慌てて頭引っ込めたんだよねー。

というかなに?なんなの?どうしたらいいの?どういう対策が?
このあいだ、突然出現したコギブリをベランダ越しに隣の部屋まで追いやったのがバレチマッタノカシラ?
こ、怖い。怖いので、早く誰か電話に出て欲しい。すぐ誰かに来て欲しいのだヨ。
2004年09月23日(木)  リーマン生活
13:00起床
13:01時間を確かめ一瞬寝坊したかと慌てるが、今日が休日だったことを思い出し一安心
13:02が、しかし昼過ぎに目が覚めた自分に唖然
13:03トイレに座り、今日一日何をしようかと考える
13:10バナナを食べる
13:15牛乳を飲む
13:20ベランダで伸びをする
13:21テレビをつけてベッドに横になる

15:30起床(2回目)
15:31また寝てしまったことに再び唖然
15:32外出することが億劫になり今日は一日家で過ごすと覚悟
15:33つけっぱなしのテレビが虚しく音をたてる
15:34またうとうとしてくる

16:30起床(3回目)
16:31これだけ眠れてしまう自分の体に不安をおぼえる
16:32今日は眠気に任せて眠ってこまそうと決める
16:33眠気に任せ再び瞼を閉じる

20:00起床(4回目)携帯電話の音で目が覚める
20:01真っ暗な部屋に携帯の液晶とテレビだけが虚しく光る
20:02夕方からちょっと昼寝をしてしまったよと電話をしてきた恋人に嘘をつく
20:03一日中眠っていたんじゃないかと、恋人疑う
20:04外食でもしようじゃないかと、恋人誘う
20:05今さら起きて着替えるのも面倒なので丁重にお断りする
20:06これからまた寝たら、夜中に眠れなくなるよと恋人は言い残して電話を切る
20:07もう一度眠ろうとベッドに横になる
20:08次に起きるときは朝であることを願いながら再び瞼を閉じる


翌日
7:00起床(5回目)
7:01携帯アラームで起こされ清々しい朝を迎える
7:03すっかり体の疲れも取れ、低血圧とは思えない素晴らしい朝の目覚めを体験する
7:04元気良く置き出しシャワーを浴びて、出勤する準備をする


と、このように私は通算して耐久30時間睡眠に挑戦し、見事に成功したのでありました。
立派な「疲れたリーマン」でございます。
2004年09月22日(水)  象徴の人
たまに届かないことがある。届いているのかどうかわからなくなることがある。
相手はただ柔らかすぎる笑みしか見せなくて、それはときに弱々しく見えるし、ときには最大限の優しさを感じられることもある。だからこそ私は届いていないんじゃないかとふと疑問をもってしまうことがある。

私にとって、空想と現実の境目はあまりにも曖昧で、時々どちらがどちらかわからなくなることがある。空想の世界で使った言葉が現実でも通用すると勘違いをしてしまうことが多い。だから、時々周りを困らせるし、自分の記憶に戸惑う。

けれどただひとつ、私には指標となるものがある。
あれを目指していれば、現実と空想の世界にははっきりとした境目ができ、空想の世界から身を起こすことも出来る。それは、私にとって現実世界の象徴であり、現実に戻りたくなる甘美な誘いなのだ。

恋人の存在は、私にとって柔らかく、弱々しく、優しく、甘美で、そして特に私の現実の象徴になる。
私はそれに向かって全速力で帰ろうとしている。
そうやって彼の元に帰ったとしても、たまに私という存在が相手に届いていないんじゃないかと思うことがある。
私から彼にあげられるものは、一体なんなのだろう。
届けられるものは、一体なんなのだろう。
私に気づいてもらうには、一体どうしたらいいんだろう。

たとえばもし、恋人の存在が幸福の象徴だとしたら、
やはりそれは、届きそうで届かない、甘美な匂いで私を誘うのに、
全速力で叫んだって、手の隙間から濡れ漏れるような
恋人の存在は、届かない場所にある象徴なのかもしれない。
2004年09月21日(火)  忍び寄るししおどしの影
私が79年の2月生まれで、従姉妹が78年の10月生まれなので、まあ同級生ということになり、兄弟姉妹のいなかった私にとっては姉のような妹のような。同学年なので小さい頃はよく一緒に遊んだり、中学では同じ学校で勉学に励んだわけですが、けれどその同じ年齢ということがたまに痛々しいときもあるわけで。父さん、東京はまだまだ暑いです。

あい「ちょっと」
従姉妹「もしもし? ああ、久しぶり」
あい「久しぶりじゃないっつーの」
従姉妹「電話がかかってくると思っていました」
あい「でしょうね」
従姉妹「(含み笑い)」
あい「笑ってる場合じゃないんですけどですけど」
従姉妹「あんた、やんなさいよ」
あい「なんでよ!2年連続かよ!」
従姉妹「あいはさぁ、全然地元に帰らないでしょ、たまにはこういう機会に帰ってあげなさいよ」
あい「無理。東京と四国がどれだけ離れてるか知ってんの?」
従姉妹「大阪と四国もどれだけ離れてるか知ってる?」
あい「大阪のほうが近いでしょうが」
従姉妹「あのねぇ、私も仕事で忙しいんだよね」
あい「こっちも忙しいんです」
従姉妹「いいじゃないの。あのオバちゃんはねぇ、あいのことを心配して言ってくれてんだよ?」
あい「なんで私のこと心配されなきゃいけないの。あんたのことも心配してんじゃん。だって、あんたでも私でもいいから来いって言ってたもん」
従姉妹「オバちゃんからいつ電話かかってきた?」
あい「日曜日」
従姉妹「ああ、私のほうが先だったか。うちは土曜日だった」
あい「ほらみなよ!ぜったいにね、あのおばちゃんはあんたに来て欲しいんだってば。」
従姉妹「いやいや、そんなことないって」
あい「ぜったいそうだよ。だって去年は私が行ったからね。今年は君の番だよ。観念しなさい」
従姉妹「今年もあいが行ってあげなさいよ」
あい「なんで2年連続よ。去年だってあんたが行かないって言うから仕方なく私が行ったんじゃん。仕方なくだよ?」
従姉妹「でもさぁ、結局、去年のヤツは成功しなかったでしょ?」
あい「成功ってなにをもって成功って言うの。アホかいな」
従姉妹「だから、ね、あいちゃん再チャレンジしてきなさい」
あい「やだ。ぜったい無理。つーか、私、彼氏いるもん」
従姉妹「私もいるけど」
あい「私たちなんか、すっごく愛し合ってるんだからね!」
従姉妹「馬鹿じゃないの(くす)」
あい「すっごく愛し合ってるから、行けないの。だから、君が行きなさい」
従姉妹「てゆーか、私たちなんか同棲してますけど?」
あい「ふん。同棲なんてイケないんだー!お母さんに言いつけるからね!」
従姉妹「ホント、馬鹿じゃないの」
あい「言いつけるからね!」
従姉妹「親には内緒って言ったでしょ!」
あい「言いつけられたくなかったら、早く君が帰ってあげなさい」
従姉妹「イヤだってば」
あい「私もイヤ」
従姉妹「イヤイヤ言ってたら、オバちゃんが可哀想でしょ。だから、どっちかがどうせ帰ってやらなきゃいけないんだよ」
あい「だから、君が行きなさい」
従姉妹「頼むから、あいが行って」
あい「いや」
従姉妹「今度会ったとき奢ってあげるから」
あい「お金で釣ってもだめ」
従姉妹「頼んます」
あい「やだ」
従姉妹「頼む」
あい「ずーるーいーよー。なんで私ばっかり?!去年は私が行ってやったじゃん。朝、早くたたき起こされてだよ?着物着てだよ?頭もセットしてだよ?料亭行ってだよ?ししおどしカコーンってほんとにあるんだよ?カコーンだよ?カコーン!」
従姉妹「今年こそはいい人来るって」
あい「なんで勇気付けられてるの!」
従姉妹「大丈夫だよ。今度こそ結婚できるって。幸せにしてくれるって」
あい「いやいや、二度としたくないですよ。ああいうことは。君行きなさい。あんまり体験できないことだよ?行っときなさいって」
従姉妹「いやいや、私はまだそんなのは早いですから」
あい「あのねぇ、オバちゃん言ってたよ。『あいたちも、もう25歳でしょ。もうそろそろ結婚しないと行き遅れちゃうわよ。さあ、あいでもいいし、アノ子でもいいから、どっちか帰ってきてちゃんとお見合いしなさい』ってさ!」
従姉妹「あのオバちゃんさぁ、余計なお世話なんだよねぇ」
あい「しょうがないよ。好きなんだからさぁ」


ということで、田舎ではもはや25歳は結婚の心配をされるお年頃なようで、よくいるお節介なオバサンが私たちに「お見合い」をお勧めしてくれるのですが、その言い草が「あいでもアノ子でも、どっちでもいいからお見合いしろ」と、どういうふうに聞いても、ただお見合いの世話をしたくて仕方がないような、そんなふうにしか思えんのです。
ということで、こうして同じ歳の従姉妹、そして同性である私たちは、お見合いを押し付け合い、結局、去年は私がお見合いさせられる羽目になり、本物のししおどしを見て興奮し、ドラマそのもののお見合いをして、和やかに事は進みそして今に至ると、よくわかりませんが、今年こそはぜひ従姉妹に行かせようと、お互い押し付けあっているという事態に発展してしまっています。
そのオバちゃん曰く、あいたちは東京や大阪の都会の男と結婚してはならんと、言います。都会に嫁いだら都会の子になってしまうからダメだよと、小さい頃からよく言われていましたが、もう都会の子でも何でもいいので、お見合いだけは恥ずかしくてイヤだ。あれも一種の出会い系だよなぁと思う今日この頃。

さて、母からオバちゃんにお断りしてもらうべく、これから実家に電話してみます。
2004年09月20日(月)  揺れる草原を見ながら考える
ホルストの「惑星」を聴いている。シカゴオケの演奏だ。
最近は、童謡やクラシックの曲をポップスがカバーするのが流行っているみたいで、惑星の木星(ジュピター)をいまや知らない人はいないと思う。
“もしも”の話は、現実を超越した夢のまた夢の話しになるけど、私がもし、音大を卒業した後プロになれていたら、シカゴオケに入りたかった。ヨーロッパのオケも好きだけど、金管奏者ならシカゴも憧れのオケだ。
先日、Blast!というマーチングバンドをショー化させたパフォーマンスを観てきた。ラベルのボレロを金管と打楽器の編曲した演奏を聴いた。金管楽器のキラキラした音とパフォーマーの動きと光の演出で、体が動きそうになるほど気持ちいい演奏だった。
つい最近、ストックホルムのオケがチャイコフスキーの5番を演奏しているのを聴いた。指揮者の振る棒にあわせて弦楽器の弓が上下するたび、それが風に揺れる草原みたいに見えた。

このオケのここがいいよねとか、この奏者のこのハイトーンすごいよねとか、この曲のこの動きって気持ちいいよねとか、この空気って不思議だよねとか、その言葉で表せないクラシックの微妙さや気持ちよさを、私は誰とも共感できなくてもどかしい思いを抱えてしまっている。

もう、あまり私の周りにクラシックの気持ちよさを一緒に興奮してくれる人はいない。

音大を卒業して、そのまま音楽の道には進まないと決めたのは私自身だ。音大時代のある友だちは私と道を違えてプロを目指している。もう彼らと私との道が、今後交じり合うことなど一切ない。久しぶりに連絡をとって居酒屋に行く以外は、もう彼らと交差することもなく、だから同じ曲を同じ板の上で同じ空間で音を交わらせることもない。
それを決めたのは、私自身である。
音大のころの先生にいろんなことを教わった。正しいことを仰ぐために先生は存在し、私にとっていくつも存在するクラシック曲への入り口が先生であった。初めて聴きにいったオケの曲で、「ここがすごかった」とか「あんなの、真似てみたい」だとか、けれど、もうそんな興奮を聞いてくれる先生もいない。

もう関わることもないとわかっていて、私は音楽とは違うことを選んだ。
その行為は、「逃げた」ともいえるし、「捨てた」とも言える。どちらも間違ってはおらず、私は肯定する。
本気でプロを目指す努力などしてこなかった。
本気でやり遂げられるなんて思ってなどいなかった。
「プロになりたいです」となんの抵抗も無く言える同級生達が羨ましかった。
私は口が裂けても「プロになる」などとは言わなかった。
言えなかったし、言いたくもなかった。
私のプロへの憧れは、子供が「大人になったらケーキ屋になる」なんていう憧れと同等のものにも思えたし、それはとてもおこがましいことのようにも思えた。

でも、本当はプロになりたかった。どこかのプロのオケにのりたかった。
目指すべき方向を仲間と同じにして、苦しいことも辛いことも嬉しいことも分かち合うはずだった。いくつもオーディションを受けて、毎日数時間も練習して、いろんな音楽家と交流を持って、そんなプロの目指し方をしたかった。

私は、あのころ真剣さが足りなかった。
目の前にある楽譜にだけ心を奪われて、将来を真剣になど考えなかった。
私は、けして出来の悪い生徒ではなかったはずだ。充分に先生に期待され、充分に先にプロになった先輩から目をかけられていたはずなのに。
けれど、自分が持っていたテクニックとか、感性とか、そういうものを検討する以前に、私には目指す真剣さが足りていなくて、そしてきっと私は脱落者なのだろうと思う。
周りの期待を裏切り、そして私は自分の憧れさえも裏切ったのだ。

クラシックを聴いて感動した気持ちを持て余す瞬間、共有できる仲間がいないことにふとした淋しさを感じる。けれど、そのあとこう思いなおす。あのとき仲間から離れて行ったのは自分自身だったじゃないかと。

私はどれほどの真剣さが必要だったのだろう。どれほどの真剣さがあれば、私は私自身にプロを目指す許可をしたのだろう。私はどれだけあのころ、自分自身を苦しめてしまったのだろう。
いま考えても、正しい答えは出てこない。
2004年09月19日(日)  ひとつずつ一緒に考えよう
最近、疲れている。
ここのところ、毎日忙しい。まあ、仕事が一番の疲れの理由だろうとは思う。
ストレスはまだ溜まってはいないと思っている。けれど、少し疲れている。

会社から休暇をとるように言われた。
うちの会社では、上半期のうちで有給以外に3日間休暇をとらなければいけない。私はまだ1日しかとっていなかった。9月末まで数日しかない中、あと2日間休暇をとらなければいけない。先日、人事から休暇指導のメールが来ていた。忙しいのに休めといわれ、けれど結局、休みをとっても社用の携帯は会社からの着信やメールで一杯になるだけなのに。
仕方がないので恋人と旅行に行って、旅行先でも社用の携帯と手帳を持っていき何回も何回も会社からの電話をとっては、アシスタントに仕事をお願いするはめになる。
矛盾だ。

それでも、旅行を楽しもうと、数日前から旅行計画を恋人と話し合って、ずっと楽しみに待っていた。
少しヘンなセキが出るようになったのは、旅行に出かける2週間くらい前で、喉の調子がおかしいのかなと思って煙草はやめていたのに、そのうち左手の中指と薬指の先に違和感を感じ始めて、薄っすらとそこだけ痺れを感じるようになった。
体調が悪いなら旅行はやめようかと恋人に言われないよう、のど飴を必死に舐めて煙草も吸わずに我慢していたけど、指先の痺れのことは黙っていた。黙っていたら痺れはどんどんひどくなるばかりで、そのうち手の甲全体が痺れるようになってきた。爪でつまんでみても痛くない。
週に一度、入院していたときから引き続いて通院を繰り返しているけれど、そのときも主治医にさえそのことは言わなかった。ぜんぶ終わって、旅行から帰ってきたら診せようと思っていた。それほど、ずっとずっと旅行に行くのを楽しみにしていたのだから。

旅行中もセキは出ていたし、痺れの範囲も広くなるばかりだったけれど、ただの疲れのせいだろうし、旅行先でゆっくり休めば治るだろうと思っていた。

明日、東京に帰るという深夜、神戸のホテルで目が覚めてトイレに行った。
鏡の前でセキをしたらひどく喉が痛んで、手のひらに血がついた。
血が出るのはいつものことで、痺れも相変わらずだった。
部屋中の電気が付けっぱなしでテレビもつけっぱなしで、恋人は布団もかぶらずに眠っている。

自分の体がひどく嫌になった。
少しも言うことを聞いてくれない自分の体と心が嫌になった。
自分ではそれほどストレスを感じていないと思っているのに、そういうときに限って心はいつも知らない間にストレスを感じてしまっている。私は私の体に無頓着ですぐに我慢したり隠したりしようとする。

今は、もう肘の辺りまで痺れは迫ってきている。ずっと以前も何回も痺れたことがあって、腕から痺れ、お腹に移り胸が痺れて顔の下まで痺れたことがあった。太もももふくらはぎも痺れたこともあった。病院に行ってもレントゲンを撮られたり注射をされたりいろいろと検査をされるのに、結局原因もわからずに、曖昧な「ストレス」という言葉で片付けられてしまう。もし、本当にストレスが原因だとしたら、私はこの毎日の中で一体どの部分にストレスを感じているというのだろう。
仕事なら、キツクて忙しいけど、嫌いじゃない。声高に好きだと叫ぶほどではないけれど、好きでやっていることだとは思っている。会社に不満がないと言えば嘘になるけれど、不満や不審を感じても自分をうまく納得させる術は身に付けたと信じている。社会で正義や正しいことがいつも通用するものではないともうわかった。恋人だって、好きで一緒にいるわけだし、今は家族のことでストレスを感じるようなことはない。
なにがストレスで、自分にとってどんなことがストレスなのか、だんだんわからなくなってくる。

すやすやと眠っている恋人を揺り起こしたら、時計を一度確かめて「どうしたの」と彼は私にたずねた。泣いている私を引寄せて、「怖い夢でも見たの」とたずねた。東京に戻ったらすぐに病院に連れて行って欲しいのと言ったら、彼は座り直してこう言った。
ひとりで悩んでないで一緒に考えようと彼は言った。
2004年09月18日(土)  新幹線を待つあいだ
神戸に二泊三日してきました。
オランダ館で香水を作ってもらって、たこ焼き食べて神戸ビーフを食べて、ハーバーランドから700円払って船でクルージングして、高架下の狭い商店街歩いて、神戸の夜景を見て、いっぱい楽しんだのに、デジカメを持っていくのを忘れて、帰ってきて手元に残った旅の思い出は、オランダ館でつくってもらった香水と三宮で買った彼の靴しか残らなかった。あとは、会社の人へのお土産と友だちへのお土産、その他諸々。私も彼も、食べてばかりであまり物を買わないし、買ったとしても誰かにあげる用で自分のための買い物はあまりしない。このヘンなキーホルダー、もらった人は迷惑だろうなぁと妄想しながら、ヘンなキーホルダーをいくつか買って会社の人たちに配ったりする。なんか、そういう嫌がらせ的な買い物ばかり。

東京駅でデジカメ忘れたことに気づいたときは、もうすでに新幹線発車5分前で、使い捨てカメラを買っても現像するのが面倒だし、ということで一枚も写真を撮らずに東京に帰ってきてしまいました。あーう。

彼のデジカメはずっと前に壊れたらしくてもう使い物にならないのだけど、私のオリンパスのデジカメで、彼はよく写真を撮っています。
私はあまり写真を撮られるのが好きではありません。自分の変な顔が映ってる写真なんか見たくないからです。気を抜かないように、カメラを持っている彼に隙を見せないように気を付けてはいるけれど、こうして今年は3回旅行に行った中で、彼はよく私の一瞬見せた隙の写真を撮っているのです。ホテルに戻ってデジカメのデータをチェックしてみると、私の知らない間にふと撮られた写真を見て、なんだか別人みたいだなぁとよく思います。

写真には、被写体への撮影者の気持ちがよく映り込むなんていわれます。
彼が撮る私の写真は、彼の気持ちが投影されているとしたら、今の彼は私のことをこういう風に見ているんだなと、写真を媒体にして彼の気持ちを覗き込むような気になります。
だからこそ、写真に撮られるのが好きではないのです。
あんまり本音を知りたくないときもあるからです。たとえば、とても身近な恋人の。
すごく臆病なだけなんだけれど。


新神戸の駅で新幹線を待っているあいだ、すぐそばまで迫っている山の木がさわさわと茶色の葉を落としていました。頂上に向ってロープウェイが上っていって、どこかで鳥が鳴いていました。
とても静かで気持ちのいい雰囲気でした。
彼はそんな風景を写真に収めることが出来なくてとても残念がっていました。
2004年09月17日(金)  水面下の攻防
自己主張するということはある意味では標的になりやすい立場にあると言えるだろう。主張したければ味方をつくれば良いのかもしれない。


水面下で話し合いがもたれる。
誰かがその話し合いを影で支配する。
その「誰か」の主張が、その「誰か」のものとは思われずに
巧みに主張が通るように進んでいく、
謂わば結果の見えた誰かが操作する話し合い。
水面下で行われているそれは、
さわさわと水の表面を揺らしては話し合いの外側まで波紋を広げている。
その波紋に気づく人もいれば気づかない人もいる。
それほど小さな波紋ではあるけれど。

私はその輪には入らない。
入りたくもない。
傍観者になりたいのではない。しかしもちろん、当事者になるつもりもない。
私は私。
そんな話し合いは私のポリシーではない、というのがその理由。

この状況の中で私は何が出来るだろう。

多方面から情報を集める。
誰がどんな風にそれを見てどんな風に感じたか。
人それぞれの様々な意見があったほうが、真実は見えやすい。
多角形の中に放り込まれた光は、やがて一点に集中して色濃く事実だけを照らすから。

私はまだこの時点では自分の主張を持たない。
多方面の意見や情報を聞き終えたあとに自分自身を決める。
あくまでもニュートラルに。

私は企む。
その企みが私の主張。
ぼんやりと仕事をしながら頭の仲であれこれと考えを巡らせる。
不正だと思われるその水面下の話し合いを消滅させるその方法。

そして私は、最後の意見をまとめる正式な会議の場で
計算され尽くした石を、ど真ん中に投げた。
そ知らぬ顔をして、何気なく腕をまわした振りをして。
そして、掌を顔の前で組んで場の雰囲気を窺う。

事態は混乱するか?
いや、しない。
「誰か」の主張を自分の主張であると勘違いしてきた人たち。
そう思わされていた人たち。
彼らははたと考える。それぞれにもう一度これまでのことを振り返る。
自分がこれまで主張してきたことは、誰かに左右されてはいなかったか。
主張してきたことは、本当に自分の主張だったか。
もう一度、みんながそれぞれ考える時間。
秒針はチクタクと進む。

そして再び、全員が集まる。
けれどもう、「誰か」の主張は主張として成立しない。
その場はただの意見の交換になり、
純粋な意見のぶつかり合いとなる。
「誰か」は私に視線を投げかける。
影で支配したその人間の目論見は屑になって消えた。

私が消した。

そして私の目論見どおり、
最終的に支配したのは、この私。
最後まで輪の外にいたまま
声高に自己主張をするというリスクも背負わずにいられた、
この私。

遠隔リモート。
主張なき主張。
惑わされる大人たち。

社会でありがちなワンシーンで。
2004年09月16日(木)  セックスフレンド
大学生のときはパソコンを持っていなくて、学校の課題のレポートとかはぜんぶ手書きにするか、学校のパソコンを使うか、もしくはバイト友達の家に行ってパソコンを貸してもらったりしながら、レポートを書いていた。
バイトに来ている子達は、ほとんどがそのバイト先の近所に住んでいて、私もすぐ隣の駅に住んでいるし、その人もそのバイト先から自転車で3分くらいのところに住んでいた。

セックスフレンドというのが、どこからどこまでのものを指すのかは知らないけど、その人の家にパソコンを借りに行って、そのあとふたりでご飯を食べてセックスをしていたので、結局、この男の人はパソコンを貸した報酬としてセックスをしたがるのだろうなと私は思うことにしていた。
じゃあ、私は何のためであろうが誰とでもセックスできるのかと考えると、そりゃ、嫌いな人とは出来ないし、油ぎったおじさんとだってしたくない。ただ、好きとか嫌いとか、そういう感情ですっぱり割り切れない曖昧な関係の人は、別にセックスしてもいいかなあと思っていた。だから理屈で言うと、好きな人と好きでも嫌いでもどっちでもない人とだったらセックスしてみてもいいと思っていた。
そのころは。

そのときは丁度、彼氏をつくるのが面倒だなとか、恋人って煩わしいなと思っていたときだったし、バイトの中で働く子たちもほとんどが同年代か少し年上の人が多くて、誰と誰が付き合って別れて、また誰かと付き合って、みたいなことが繰り返されていたこともあったので、男の人って本当にうっとうしいと思ったし、女であることにも少し辟易していたんだと思う。
だから、セックスだけしかしない相手は、恋人という形の末端を切り取っただけの関係でしかなく、需要と供給だけがシンプルに重なっただけの関係で、これは恋愛とは違うし、この人は恋人でも何でもなくただの友達だと思うと、セックスは煩わしい関係から唯一逃げ出せる行為だと思っていた。もっと簡単に言うと、その人と恋人になるのが嫌でセックスフレンドだけで勘弁してもらっていたという感じだった。けれど、もっと本音を言えば、そのころの私は好きな人に受け入れてもらえずにいて、すごく悲しくて淋しかったし、暴挙にも似た無気力を感じていた。

セックスをしながら「恋人になるかならないか」という話しをしてはケンカをしたり、セックスをしながら「そのうち飽きたらもう会わなくなるかもね」という話しをしてはキスを繰り返した。

さらさらとしたセックスだった。虚しいとか無意味とか、あまりそういうことも思わずに、ただ淡々と、学校の話しをしながらバイトの話しをしながら。
たぶん会話の部分だけを切り取れば私達はただの友だちだったのだけど、その姿は、ただの恋人同士にしか見えずに、宙ぶらりんとも言えず中途半端とも言えず、プラスでもマイナスでもない、ただのゼロだった。どちらにも針は触れず、ただの何も無いというゼロだった。
だから、たぶんさらさらとしたセックスだったと思えるのだろう。

今思うと、バイトの子たちが相手をとっかえひっかえ付き合っているのを、私は遠巻きにうんざりして、女であることに辟易しそうだったけれど、でも結局、セックスフレンドとセックスをすることはただそれだけで自分が女であることを自覚する行為だったし、そのバイトの子たちを軽蔑する自分は、結局のところ、いくら遠巻きな立場をとっていたとしても、彼らと少しも変わらないことをしていたのだと思える。


20歳になるかならないかのときだった。
2004年09月15日(水)  さて、IQサプリ正解発表の時間です
さて、正解発表の時間がやってまいりました。

が、その前に、またまた「blast!」の最終公演行ってきた話し。
もう病気ですねー。ブラスト病。だって、あれすごくいいんだもん。
みんなにも行って欲しい。すごい興奮する。お口あんぐり見てしまうもの。

ブラスとパーカッションとダンスが融合されたショーです。ショーショー!
今日は、なんと前から2列目の席だったのだ!
パフォーマーとばっちり目が合うし、音がガンガン響くし、息遣いまで詳しく聞こえて、トランスに入ってしまいました。えとね、色で言えばね、私は「ブラック」のBATTERY BATTLEが一番カッコよくて好きだった!(見に行った人しかわからないね)トランペットソロしてたパフォーマーとも握手してもらった。んもうすごい嬉しい。
んー、また来年ブラストが来日したら、ぜったいまた行きたい。もう何回見ても飽きないよ。もうダイスキ。みんなにも見に行ってほしいなぁ。
もう、この興奮をなんて説明していいかわからない。この興奮を引きずって明日から神戸に遊びに行ってきます。5連休の夏休みだいぇー。

ということで、明日の準備をしたらシャワーを浴びて早く寝よう。それでは、おやすみなさい。

あ、正解発表ね。うん、正解発表。
その前に、ていうか、誰からもメール来ないし。こなかったし。こなかったし!
メールはくれるけれど、だーれもあのクイズに触れてくれない!どうして!
誰もこのサイトを見ていないのかしら。クイズ、めんどくさーとか思ってるのかしら。
いじけてやる。いじけて正解発表なんてしてやんないよ。
頼まれたってしてやんないよ!してやんないからね!やんないから!やんない!やん……ない。
( ┰_┰)
2004年09月14日(火)  キチョーはコマめに
何回合併しても統合しても吸収しても縮小しても構わないけれど、私の口座支店が変わるのはけしからんよ、君。

ということで、三井住友銀行に大口口座を持つこの私が、わざわざ銀行へ足を運んで通帳の変更をしてやったのです。なんだかいろいろと合併するとかメガバンクは2個か3個でいいとか言ったり、世界一大きな銀行とか、よくわからないけれど、とにかく支店が潰れすぎ。というか縮小しすぎ。
面倒でしょうが、通帳変えたりするのがさあ。あ。カードはそのまま使えるんですね、そうですか、でも、うちの会社の人事から言われたんですよ、給与振込みは自動的に新しい支店のほうへ振り込めるけれど、そろそろ新しい口座支店の通帳コピーを下さい、さもないと給料あげません、とか言うので、こうやって営業時間を切り裂いて、三井住友銀行へやってきたのです。やってきてやったのですよ、有難く思いなさい。

やあ、やっぱり銀行って「いらっしゃいませ」っていうものなんだね、まあ一企業ですから「お客様は神様です」なんでしょうけれど、銀行へ来て「いらっしゃいませ」って言われて違和感があるのは、私が社会の仕組みを知らなさ過ぎるからでしょうか。御用聞きのおばさま行員にこれこれあれそれと用件をお話しし、「あら、それなら記帳されたときに新しく発行いたします通帳に、新しい支店名が記載されますので、ぜひ記帳してみてはいかがでしょう」といいますので、「あら、それなら簡単ではないですか。ぜひ、そうしましょう」というので、ぜひぜひ記帳をしていただいた。
やばいなー。記帳なんてここ数年していません。
何分かかるやら。

投資信託かぁ。年金かぁ。投資?SMBC?資産運用?
そろそろオカネのこと考えなきゃなー、なんて三井住友のビデオで洗脳されながら待つこと5分。なかなか記帳されないようで、御用聞きのおばさま行員は恐縮しながら「もう少々お待ちくださいね」と私に気を使ってくださるのだけれど、いえいえいいのですよ。もう数年記帳してませんからそりゃ何分かはかかるでしょうね。覚悟してますから、平気ですよ。お気遣いなく。
と、涼しい顔をしてみたものの。

20分待って、記帳された通帳を持ってきてくださったおばさまからそれを受け取ったとき、おばさま行員はくすりと笑いながら私にこういいました。
「大変、お待たせいたしました。ぜひ記帳はこまめにやってくださいね」

ちょー余計なお世話なんですけど。ええ、記帳しませんでしたから今日受け取った通帳は7冊でしたよ。20分掛かりましたしね。私、かなりちまちまお金を引いたり振り込んだりしているので、かなりの量だとは覚悟してましたけど、なんだか私の怠慢?だらしなさ?を笑われた気がして、ちょームっとした。7冊の通帳を受け取りながら、チョーむっとした。

ちょっと恥ずかし悲しかった。
2004年09月13日(月)  僕はあのとき、君をたくさん傷つけたね
僕はあのとき、君をたくさん傷つけたね。
昔の恋人が私にそう言った。
確かに、私たちはあのとき散々にお互いを罵って、そして受話器を叩きつけてその恋を終わりにした。もう二度と会いたくないと思ったし、そう思えば思うほど、同じくらいの未練も残った。いまこうして平静に話しが出来る日が来るとさえ、あのときは想像も出来なかった。
私はその昔の恋人に向って答える。
そうだね、とても傷ついた。
とても傷ついたけれど、同じくらい私もあなたを傷つけたと思っている。

私は信じている。
自分が傷ついたのと同じくらい、相手だってきっと傷つけてしまったろう。
私が泣いたのと同じくらい、彼も悩んだろうと。

けれど、それがただの自分勝手な自分のための気休めだということも、わかっている。
自分が思うほど、相手は傷ついてもなく気にしているわけでもないかもしれない。
でもただ、私が「相手も傷ついているだろう」と納得すれば、私自身が何かに我慢できる気がするのだ。傷つけられたことも泣いたことも、すべてうまく忘れてしまえるような気がするのだ。

だから、それはただの身勝手な自己整理の方法でしかない。


幸と不幸は、みんな同じ分だけ持って生まれてくると、誰かが言っていた。
まるで、どこかの宗教が唱える言葉のように聞こえるけれど、私は密かにその言葉を信じたいと思っている。誰かを傷つけたことも、誰かに傷つけられることも、それと少し意味が似ているような気がする。

私は、人を傷つけた分だけ、自分も傷つかなければいけない。
仕事で成功するたび、どこかで失敗は待ち受けているだろう。
幸せだと感じた時間だけ、不幸だと涙を流さなければならないだろう。
そんなふうに、私は自分に言い聞かせている。
けれど、その不幸や失敗を恐れているわけではない。
もしかしたら、いつか襲ってくる悲しみを思って、自分の気持ちの準備をしているのだ。
本当の意味で、自分が傷つかないように、本当の意味で、自分が落ちないように、
そうやって自己整理をして、心構えをしている。


卑怯だと誰かが私を指差す。
けれど、私は私の世界で私のルールで生きている。
あなたと私のその距離は、とても遠い。
2004年09月12日(日)  淋しい人
背筋を伸ばして何かに臨もうとする彼の毅然とした後姿を、
私は見送りながら、そしていろんなことを思った。


とても淋しい男の人だったと思える。
人は誰だって誰かに理解されたいと思いながら生きている。
そして、少しでも理解してくれる人を愛しいと思う。
その理解がたとえ錯覚だったとしても、それを認めず、
ただただ愛されたいとか理解されたいとか、愛したい理解したいと思いながら、
誰だってそんなふうに生きていく。

そんなことを考えていくと、彼は理解されたがっていたにも関わらず、
どうしてか、誰からも遠ざかって、ひとりで居たがったように見える。
とても淋しそうで悲しそうで、誰かにそばにいて欲しいくせに、
誰かがそばに近寄ろうとするとびくびくと警戒するような、そんな男の人だった。

孤独というものに、耐性の無い人だった。
彼の部屋のフローリングの冷たさとか、
放っておいた洋服に入った皺だとか、
なんだかそういう小さなものから、私は彼の孤独を感じられた。
孤独の中に放っておくには、彼はあまりにも儚く
私は私の手を尽くせることをすべて彼にしたいと思った。
それがたとえ同情であったとしても、彼から興味を逸らすことは出来なかった。
そして、どうしてそれほど自分を孤独に追いやるのか、それがとても謎めいていた。
そんな思いに至るまでに、一体何があったんだろうと、私はずっと彼のことを考えた。
そしてそれが、そのころの私に出来た、精一杯の彼に対する理解だった。
頑なな彼の心がゆっくりと開かれることを、ただ待つことが私に尽くせる唯一のことだった。

どれくらい長い時間がたったかわからないけれど、いつしか彼は自信のない弱々しい笑顔を見せて、ゆっくりと心を開く。
開放された喜びと外への恐れが混じったような笑顔だった。

そして今、彼は、私を入り口にして外に飛び出し、背筋を伸ばして去っていく。
さようならと、声を震わせて彼は言った。
それが、彼にとっての最後の淋しさだと信じたい。
2004年09月11日(土)  私より先に死なないで
大切な人が亡くなってしまうというドラマを二晩連続やっていて、私はその両方とも見た。
「世界の中心で愛をさけぶ」と「9.11」というやつだ。

亡くなった理由が、事故であれ事件であれ病気であれ、亡くなった人はずっと心の中で生きつづけるという。そして、残されたものたちは、亡くなった人との思い出を胸に、再生していく。

どんな死に方でも、私は自分の大切な人より先に死にたいと思う。
死に際を看取られたいというわけではなく、大切な誰かのいない世界で生きていくのが嫌だから。遠く離れてしまっても、生きてさえいてくれるだろうと、どこかで暮らしているだろうと思えば、私は別れの淋しさを少しだけでも和らげられる気がする。

とても大きな力が私の大切な人の命を奪い去るなら、私は、私もたぶんきっと生きていけない。再生などしたくない。再生する姿が美しいから、それは本になりドラマになるのだろうけれど、私が同感できるのは、大切な人を失った場面までで、それ以降の前向きに生きていこうとする姿には、私は少しも同感できない。

大切な人が亡くなることはとても空虚だ。すべてが無意味になる。
そんな喪失感をも乗り越える強い意志が、果たして本当に人間の中にあるのだろうか。
私はきっと、失ったことがないから、その真実がわからないのかもしれない。
とても大切な人を、本当の意味で失ったことがないから。

私より先に死なないでねと、恋人に言う。
恋人は、私を見て静かに笑う。
そんな今があって、だからこそ私は大切な人を失うことに、自信がない。
2004年09月10日(金)  空白の選択
恋人は、一週間の半分を私の部屋で過ごす。
けれど、私はあまり恋人の部屋を訪れない。
私は自分の部屋でないと眠れないことが多いし、自分の部屋のほうが落ち着くと思うからだ。
恋人が、いつ私の部屋を訪れようと、いつ自分の部屋に帰ろうと、それは彼の自由であり、飽きるまでそれを続ければいいと思う。ひとりの時間も恋しくなるけれど、それは週のもう半分の時間で足りるくらいの恋しさなので、私たちはまだお互いに相手への好奇心を忘れていない証拠なのかもしれない。

でも、どうしてもひとりでいたい日もある。
誰とも一緒に過ごさず、誰とも口をききたくない、誰の存在をもリアルに感じたくない、じっとひとりで過ごしたいこともある。何かを考えるために、何かに浸るために。
明日はひとりで過ごしたいと言うには勇気が必要だったけれど、私は迂遠な口実でひとりの時間を手に入れた。

夜、窓からサンシャインビルを見上げて何度も眠ろうと努力する。
手首に手をあてて脈をはかってみたりする。
指を広げてこめかみを押さえてみたりする。
枕の位置を変えて何度も寝返りを打ってみたりする。
眠れない夜を越えて、朝を迎えた。
空はどんよりと、でも確かに広がっていく。

ひとりになって何を思おう。
何を思い出そうか、何に浸ろうか。
伸びをして窓を開けると空がぐるぐる渦巻いて風を起こした。

私たちは、自分でも知らないうちに、岐路に立たされる。
それはたいてい、二股に別れた道で、右を選ぼうか左を選ぼうか、
それはひどく迷う選択だけれど、私は迷って迷って迷った挙句、結局、投げやりに
若しくは、衝動的に身を任せてどちらかの道をすすむことになる。
もうすべてがどうでもよいと思った結果、選んだ道だ。
それは、“選んだ”とは到底言い難い選択ではあるけれど。

右を選ぼうが、左を選ぼうが、それはどちらが正しくてどちらが誤りか、
それは誰にもわからない。
左へ行く私、右へ行く私、それは行ってみないことには正しさも間違いもわからない。
右へ行くことと左へ行くこと、どちらがどれだけ幸せで不幸なのか
誰にも比較は出来ない。
だから私たちは、その道の選択の正しさや誤りを知らずにいられることを、
幸せに思わなければならない。
岐路に立つことは苦しいけれど、それでも私は行った道を正しかったと思いたい。
不意に与えられた幸福に報いるため、私はだから後悔などしてはいけない。
選んだことに後悔をしたくない。


私は選んだ。
多少、衝動気味でも、多少、投げやりでも、
それでも結局はそんな気分で選んだ道は、
私の潜在的な本能を映しているからだ。
本能とか、本質とか、最近はもうそんな言葉さえ辟易してくるほど
私は、悩み喘ぐことに疲れてしまった。
この疲れから解放されるために、私は選ぶ。


私は最近、悲しいと思うことがある。
それは、まったく逆の意味を持つ事柄すべてが、紙一重に存在しているということだ。
だからこそ私は自分の意志で選ぶ


...


選んだ道は、やがてあのとき選ばなかった道と交差していた。
どちらを選ぼうと、結局この辻にたどり着くことを、私は知っていた。
そして、また道は平坦で平凡だけれど真っ直ぐな一本道に繋がっている。
どちらを選ぼうと、私の生活には何の変化を与えることはなく、
また、道はいつもと変わらずそこにあるだけ。

けれど、確かに私はあのとき選んだ。
だから、この道を行く私は、あのとき選ばなかった道を進んだ私より、
遥かに多くのものを背負っている気がする。
それは重くもなく、軽くもない。
その荷物を背負うことを、私はあのとき選んだのだ。
それで良かったと思う。
選んで良かったと思える。
少しほっとしている。
2004年09月09日(木)  IQサプリ(回答募集)
あるところに砂漠に囲まれた国がありました。
砂漠の国の王様にはふたりの息子がいます。
王様は、そろそろ王権をその息子のどちらかに譲ろうと考えています。

ある日、王子たちふたりは王様の部屋に呼ばれました。
そして、王様はそのふたりの息子にこう言います。
「勝負をして、勝った者に王の座を明け渡そう。勝負とは、ここから100キロ離れたある泉までレースをしてもらう。ラクダをひとりに一頭用意するので、それに乗って行くがいい。ただし、勝者とは“早く到着できた者ではなく、あとから到着できた者”とする。」

王子たちふたりは、悩みます。
早く到着するレースであれば、話しは簡単です。ラクダのお尻を叩いて走らせればいいのですから。しかし、この勝負はあとから到着した者、つまり相手より遅く行かなければ勝てないのです。

さて、王子たちはこの勝負をどのようにして決着をつけたのでしょうか。

[状況説明]
1.泉までは100キロ。ゆっくりタラタラと行っていれば、暑さにやられていつかは餓死してしまうでしょう。
2.ふたりにそれぞれ与えられたラクダは、2頭とも同じ条件のラクダです。
3.ラクダ以外の方法で泉まで行くことはできません。


ハイ。みなさん考えてください。
私は、これを3分で考えるように言われましたが、3分ギリギリでようやっとわかりました。
日記に書くことがないので、こういうことでもして日数を稼ぎたいです。
なので、みなさんにクイズを出します。IQサプリみたいなクイズです。
つまらなくてすみません。

わかった方はメールで。質問のある方もメールしてもらっていいです。
free-will@bu.fem.jp
たとえ、正解者がいたとしても賞品は出ません。あげるものがありません。
ただ、賞品のリクエストはしてもらってもかまいません。なんとか検討します。
メールが1通も来なかったら、私は泣きます。泣きこまします。
泣きこましていじけます。だから、お願い。

3日後(水曜日)に答えを発表します。
2004年09月08日(水)  やばい!
やばい!
今日も仕事がおもしろい!

ど、どうしよう、お、面白すぎる!
うまくいきすぎてるー!
じゅ、充実しすぎてなんだか怖いー。

お、おもしろすぎて、い、いきおくれになりそうー、嫁に。
2004年09月07日(火)  やばい
やばい!
仕事がおもしろい!
お、おもしろすぎる!
2004年09月06日(月)  社会っていろいろあんのね
最近、会社が暗い。

誰かが、「夏バテ、回復しないなぁ〜」などと言ってしまいたが、本当にみんなお疲れモード。私はこの猛暑の中、風邪をひいたまんまだったので、それほど夏バテになるわけでもなくどっちかというと快適に過ごしたので、今はとっても元気。元気なのです。みんな、ガンバローヨー。

暗い理由は他にもあります。私はその場にいなかったのであとから聞いた話し。
営業マンはほとんどが、朝は直行するので会社には出社しません。そのままクライアント先に行きます。その行き先とか一日のスケジュールとか戻り時間は、前の日の夜にボードに書いて帰るのですが、その日のSさんのスケジュールは、朝、出社する予定だったらしいのです。
でも、9時を過ぎても10時を過ぎても出社しない。だから、アシスタントの女の子は「Sさんは、スケジュールを書き間違えて、営業に出かけているのかしら?」と思ったそうです。で、Sさん宛てにクライアントから電話が何本かかかってきたので、Sさんの携帯に連絡をとってもSさんはつかまらない。ようやく、Sさんの所在がはっきりしないことに気づいて上司に報告したそうです。で、上司も何度か携帯の留守電に連絡しても、返事がないので、人事に頼んで自宅に連絡をとってもらったそうです。
この時点で、みんな、Sさんが事故か事件に巻き込まれたんじゃないかと心配していましたが、日中もずっと連絡が取れず、そして夕方になって会社に戻った私は、はじめてSさんと連絡が取れないことを聞かされ、そして昨日のSさんの様子はどうだったかと上司に聞かれたとき、「ああ、これは無欠なのかもしれないなあ」と思いました。

結局、無欠でした。

Sさんは、営業課のメンバーの中で最年長で冗談もあまり通じないほど真面目な人です。
だからかもしれません。最近、営業成績もよくなかったし。Sさんは特にみんなの精神的な柱の存在というわけではなかったけれど、でも一番年上の人がそういうことになって、みんなが受けたショックは大きかったです。そのことについて、あまり皆はヒソヒソと話すこともなく、逆にみんな口をつぐんで、その話題を避けるようにもしていました。
みんな、変に優しすぎるのです。

3日後、Sさんは出社し、みんな宛てにメールをしていました。「心配をおかけして申し訳ありませんでした」と。上司からもSさんからも理由について話すことはなかったけれど、ミーティング室にふたりでこもって2時間くらい話し合っていたのをみんな知っています。

なんだか、会社が暗いのです。
暗い、暗いよ、暗すぎてなんだかやだな。
社会っていろいろあんのねー。きっついな。
2004年09月05日(日)  不吉
この1年ほど、私は鏡を4つも割っています。
縁起が悪い。不吉。

まず、手のひらサイズのポーチに入れとく用ミニ鏡を2枚。そしてメイクをするときに使う15センチ×20センチくらいの鏡2枚。
外出中、鏡を見ようとバッグをあけてポーチをあけて鏡を開いたら、「ひゃあー」ってビックリします。だって、鏡を開いたら、ピキピキと罅がいくつも入っているからです。そこに映っている自分の顔も何重かに映っている。かなりショックで不吉です。どこかにぶつけて割れたか知らないけど、とにかく鏡を開いたら、自分の顔が何個も映っていて、ドラマの火サスのイントロみたいにきれーいにパリーンと罅が入っているのですから。チャーチャーチャーン。

ちなみに、そのミニ鏡が割れたので、翌日新しいのを買ったら、その日のうちにまた割ってしまいました。本当に気味が悪いのでもうポーチの中には鏡を入れていません。これが2枚目。

自宅の鏡も、2回とも落として割っています。手が滑りすぎる。ガン!パリーン!とキレイにまた火サス。そして、昨日、また鏡を割ってしまい、もう気味が悪いとか縁起が悪いというよりも、そのたびに買い換えるのがなんだか面倒くさくてどうでも良くなって、罅が入ったままの鏡を覗きこんで化粧をするようにしています。

そんな私を見て、友だちが「あいに降りかかりそうになった悪い出来事や運の悪いことをその鏡が代わって持ってってくれたんだよ、だから割れちゃったんだよ」と霊媒師みたいなことを言っていましたが、本当でしょうか。

割れた鏡をいつまでも買い換えない私を不憫に思ったのか、恋人が新しい鏡を買ってきてくれましたが、これがいつまた割れるのか、怖ろしくてなりません。チャーチャーチャーン。火サス。
2004年09月04日(土)  893
iPodほしいなあ。

まゆ毛を整えようと、眉用のハサミと剃刀で格闘していたら、左側の眉頭以外をすべて失くしてしまう事態に陥ってしまいました。いや、すべてと言っても1ミリくらいはほっそーい幅のまゆ毛は辛うじて残っています。
仕方がないので、右側の眉頭以降も1ミリ幅でカットしました。

その惨状を恋人に見つかってしまい、「あ、眉毛ないよ」と一日のうち5回も言われました。
何回も何回も、いま初めて見た風に「あ? 眉毛ないよ?」という風に言われます。

そのたびに、私は鏡をのぞきこんで自分の眉の存在を確かめてみます。
なかなか怖い顔です。
スバラシー。
2004年09月03日(金)  恋人のAVを見つけてしまうの巻
で、恋人の部屋からアダルトDVDを見つけたのです。
「素人娘 ハメ取り〜〜」とかという題名のヤツ。
丁度、恋人は出かけていてもうすぐ帰ってくるころだったので、一応彼の許可を得て見た方がいいかなという配慮?をきかせて彼の帰りを待つことにしました。けれど、彼はなかなか帰ってきません。痺れが切れたので電話をしてみることにしました。
最近、恋人は「子猫ちゃん」と呼びます。もちろん、私をです。馬鹿でしょう?ものすごく馬鹿でしょう?もう30歳です。けれど、彼は私を「子猫ちゃん」と呼んではひとりで勝手に照れたり喜んだりしています。なにに触発されて「子猫ちゃん」と呼びたがるのか知りませんが、私は、ふたりで外出した際などに、ついポロッと「子猫ちゃん」発言をしてしまい誰かに聞かれてしまわないだろうかといつもハラハラしております。まあ、どうでもいいですが、私はかなりドン引きです。
ア「いま、どこにいるの?」
彼「子猫ちゃん、もうすぐ帰るから待っててね」
ア「周りに人いないの?電話口でよく『子猫ちゃん』なんて言えるよね」
彼「いいじゃん、だって誰もいないもの」
ア「あのねー、『素人娘、ハメ取り100連発』というDVDを見つけてしまったのですけどね」
彼「ふぅーん」
ア「見てもいい?」
彼「なんで見るの?」
ア「後生の勉強のために」
彼「今さら、勉強するの?」
ア「そうそう」
彼「じゃあ、じっくり勉強してぜひ役に立てたまえ」
ア「オッケー。じゃあゆっくり帰ってきていいからね」

アダルトビデオは見たことがない。だって機会がないから。でもちょっとだけ見たことはあるけど、カメラに向って「お名前は?」「メグです♪」「じゃあ、スリーサイズは?」「えっとぉー、上から90、58、85のCカップです♪」とかいう、あのああいう会話がむかつくのです。なんかムカツク。どっか行って欲しいと思う。もうヤダ。あの媚びた感じの女の人がヤダ。で、男の人の「オラオラ」ってかんじもヤダ。もう全部が気持ち悪い。他人のセックスの話しを聞くのは面白いけど、直に見るのは気分が悪い。吐きそうになるのです。
でも、機会があるなら見たい。
というか、見たい。
気持ち悪いけど、怖いもの見たさで見たい。というか率直に言うと、今日は見る気マンマンです。

男の人がカメラを持って、素人の女の子とヤルのです。ただそれだけ、それが2時間近くも続くのです。女の子はみんな「お金くれるなら、ヤッテもいいよ〜」みたいなスタンスらしくて、あらー凄いわねと思う。私なんか、夏の電車の中で隣の男の人と、腕が直に触れ合うだけで気持ち悪いなぁと思うくらい、知らない人と肌が触れ合うのがいやなのに、この子達はお金もらえるならやっちゃってもいいらしい。ふーん。いろんな人がいるもんだね。

というか、恋人が息を切らせて帰ってきました。

でも、やっぱりAVとは言え、人のセックス見るのは面白かった。気持ち悪いけど面白かった。へぇー、そんなふうにやるんだ。へぇー、そんなに気持ちいいの?えー、ていうかこの男の人のセックスは一辺倒じゃないか。言葉が白々しい。こんな低い喘ぎ声出す人いるんだなぁ、目が!目がいっちゃってるよ!どうやったらそんなにすごい大きな音が出るの?うわ、いっぱい出た!なんで口に?!男の人のカメラ目線は辞めて欲しい。いま、カメラ意識して唇舐めたでしょー。モザイク邪魔!

とかいうふうに、感想はいくらでも述べることは出来ますが、はっと我に返ってものすごくバカバカしくなってきたので、もうやめます。2時間あまり、人のセックスを見続けたので、自分は今後3ヶ月くらいはセックスしなくてもお腹いっぱいのような気がしてきました。
でも、やっぱり触発された恋人が、その夜セックスしようと言うので、まあいいかと思ってやろうとしたら、そのアダルトDVDとそっくりのことをしようとしたので、なんだかカチンと来たので腕をはたいて、「やっぱり今日はやらない」と丁重にお断りしました。
アダルトDVDの件といい、『子猫ちゃん』発言といい、ちょっと最近恋人が馬鹿になりつつあるのではないだろうか、という不安でいっぱい。
2004年09月02日(木)  父のエロ本を見つけてしまうの巻
最近、本棚が満室になってきました。
どんなに工夫をして縦にしたり横にしたりして本を整理しても、とてもじゃないけど入りきらない数になってしまったので、仕方なく床に並べて置くことにしました。なので、ここ最近は本を買うのではなく、買った本を読み直すことにしています。

うちの実家の本棚には歴史全集とか、文学全集という本がたくさんあります。誰が買ったかなんのために買ったか知りませんけど。私に読ませるために父と母が買ったのなら、私はその期待に背いていることになります。だって、夏休みの宿題の「歴史研究」のときに、その全集を開いて文章をそのまま写し、先生に「よくここまで調べましたね」と褒められるという時ぐらいしかその本を手にしたことがなかったのですから。
話は変わりますが、小学生のころ、私は作文とか感想文でいっぱい褒められてよく賞状をもらっていました。感想文コンクールみたいなのによく入賞していたのです。でも、かといって私は子供のころはまったく本を読まない子だったので、どうやって感想文を書いていたのかというと、まず触りの3ページと最後の3ページぐらいを読んであとは自分でストーリーを妄想したりとか、触りの3ページぐらいの感想をちょこっと書いて、あとはそんな感想に関連付けた自分のことばかり書き並べて原稿用紙の枚数を稼いでいたという、素晴らしいほどに子供らしさからはかけ離れたずる賢さを働かせていたのです。母は、そういう私の感想文の書き方を知っているので、「本は読んだの?」と私に詰問をして「読んだよ」と嘘を言う私に「じゃあ、ストーリーを言ってみなさいよ」とよく迫っていました。
それでも、賞状なんかをもらえたぐらいなので、私の妄想は子供のころからやばいぐらい膨らんでいたのです。自分のことながらなんだか感心してしまいます。馬鹿な子だったなぁと。

母は、向田邦子やシドニィシェルダンを読んでいました。読書家というほどではないけれど、私が実家にいたころは、ごくたまに母が本を読んでいる姿を見かけたものです。
父は、新聞しか読みません。家で父が本を読んでいるのを見かけたことはありません。だいたい、父はちょっとしたオタクです。なにオタクかというと、地理オタクというか社会科オタクなのです。地図が大好きで、そう言えば48都道府県の全集を買ってきて、(その本には各県の地理や歴史や文化や出身有名人のことなどを書いたヤツだったのだけど)私に読み聞かせていました。時間があれば地図を眺めていました。自分はたいして旅行に出かけるわけでもないのに、行ったことのない土地のことでさえかなり詳しいのです。


そういえば、先日、恋人の家に行ったときアダルトDVDを見つけました。というか、持っていることは知っていました。彼の引っ越しの手伝いをしたときにその存在に気づき、そういえばあのエロイDVDはどこにしまったのかなあと思っていたら、CDの収納ボックスの奥の奥に隠されていたのを、先日見つけたのです。
で、実は私が高校生くらいのとき、父から何かを拝借しようと父の仕事部屋で探しものをしていたら、引き出しから雑誌を見つけたことがあります。週刊雑誌だったのですが、ああいう雑誌って巻頭にちょっとしたグラビアのお姉さんとかちょっと脱いでるお姉さんとかが載っているときがありますよね。へぇー、お父さんはこういうの見て喜んでるのかなぁ、まあ男だもんなぁというくらいしか私はそのとき思わなかったのだけど、もっと奥のほうを見てみると、かなりエロイお姉さんの写真集が出てきて、かなり素っ裸な様子だったので、私は人知れずかなりのショックを受け父の部屋をあとにし、その後父の顔はもちろん、母の顔さえまともに見れず、ひとり悶々と考え込んでしまったことがあります。
まだ、週刊誌のエロイ写真なら許す。他の記事を読みたくて買っただけなのかもしれないし、でもちょっと写真集はあまりにもその写真集を買った父の目的が明確に想像され、なんだか複雑な気分になったのです。

でも、父だって男なわけで。
父だってエロなものを見たいときだってあるだろうし。
たとえば、父だって自慰行為なんてしているのかもしれない。
あー、うん。するだろう、だって男なんだし。

よし、ここはひとつ娘として寛容になろうじゃないか。寛容にね。
これは、たぶん一人娘の私と父とのあいだにおかれた試練なのだよ。
娘が父を乗り越えて、他の男性と愛し合うには、こういった「父の性」という試練を乗り越えていかなきゃいけないんだよ、たぶん。たぶん、そう。ぜったいに、そう。
だからお父さん、私は寛容になります。
お父さんがエロ本を見ようと、アダルトビデオを見ようと、私はお父さんを軽蔑しません。
お父さんを汚いものだとは思いません。
逆に、お父さんが仕事部屋にこっそりエロ本を隠していたことを、何かしら“かわいらしい”とさえ思うことにします。意地らしいじゃないですか。私の父は。だって、こっそりと仕事部屋に隠しているんですよ。堂々とリビングのテーブルの上に置く無神経さよりも、気恥ずかしさに苛まれながら仕事部屋に隠している父の後ろ姿を思い浮かべると、なんだか意地らしいじゃないですか。
私は、そう思うことにします。そうやって、私はお父さんを乗り越え、いつか立派な男性と巡り合い、そしていつか結婚します。お父さんを早く安心させてあげるからね。


などと、高校生のころ父のエロ本を見つけて、そんな妄想をしたことを思い出した。
恋人が隠していたアダルトDVDを見ながら、思い出した。
ぜったい、私の結婚などまだまだ先だと思ったけどね。
2004年09月01日(水)  満々と沁みこむ
明日が土曜日だからということで夜更かしをした。

会社帰りに恋人と待ち合わせをして居酒屋に行き、今度の連休で出かける場所のガイドブックを買って旅行の計画を立てる。あれこれと予定は立てるが、きっと実際には予定通りにはいかないだろう。その場その場の思いつきであちこち歩き回るので、きっと「予定をたてる楽しさ」と「実際に旅行に出かけて見つける楽しさ」は別物になってしまうんだと思う。別物になってしまったって、その瞬間瞬間はとても楽しい。

飲みすぎてしまってベッドに伸びる。熱いシャワーを浴びると少し眠気が遠のいた。電気を消して眠ろうとするけれど少しも寝れなくて、だから私たちはいろんな話しを始める。ベッドの端に腰掛けて座る彼と、ベッドにもたれて床に座る私。

静かな時間の中では、お互いに穏やかな話しをする。
でもたまに、私はヒステリックになることもある。
好きな人の前でなにも我慢したくないということは、それは相手を信頼していることでもあると私は思っているのだけれど、たとえばそれは時として相手への思いやりも忘れてしまうことにもなる。ただの浅はかな甘えになってしまうときもある。ぶつけてしまった後でやり過ぎたと後悔しても、過ぎてしまった言動は取り戻せない。我慢するのとは少し違うのだけれど、言葉を堪えたり最後まで追及しないことも、ひとつ大切なことだと最近になってようやく思い至る。

それでも、この恋人は、すべてを受け止めようとしている。ヒステリックな私でさえ私の感情のすべてを受け止めようと思っていることがこちらにも伝わる。それが彼が私に伝えたい何かのメッセージなのだろうと思う。
そんな彼の姿が、私のグラスにとくとくと何かを注いでいるのだ。

真夜中の暗い部屋でふたりの会話が続く。

彼は、溢れんばかりの何かを私に注ぐ。
私のグラスはすぐに乾くし、すぐに欲しがる。そして彼に注いでもらうことを至福としている。彼は毎日少しも変わらない態度で、私にとくとくと注ぐ。私は、私が欲しがらなくともいつだって彼は私に注いでくれることを知っているし、私のグラスに毎日何かを注ぐことじたいが彼自身の喜びであることを知っている。
私はたまに彼に意地悪をする。子供みたいに、好きだからこそ意地悪をする。
わざとグラスに穴を開けたり、そっぽを向いてグラスを差し出さないときもある。それでも彼は穏やかな顔で、私に溢れんばかりの何かをとくとくと注ぐ。
彼のグラスはどうだろうか。
たまに、彼のグラスは干からびているかもしれない。私は、気をつけて注ぐことを忘れないようにしようとしているけれど、それでも時々注ぐことを怠りがちになる。忙しくて忘れてしまったとか、ぼんやりしていて忘れしまうことが多い。彼に注ぐことがいやなのではない。忘れたいわけでもない。
どうして私は注いでもらってばかりで注ぐことを忘れてしまうのだろう。

暗い部屋で電気もつけず、私は彼のグラスを指で突付いてみる。
私が注いだものがちゃんと入っているかどうか確かめてみる。
ちゃんと間違えずに彼のグラスに入っているかどうか覗き込んでみる。
ちゃんと彼のグラスは私の注いだもので満たされている。
私はほっとして、そして彼の注いだもので溢れかえっている私のグラスを見る。
いつもありがとうと思う。

満々と私は彼に注がれて溢れていく。
疲れたとき、こうやって彼に注がれている自分を感じるたび、私は全身が満ちていく感覚をおぼえる。彼が私に浸透していき、彼が私を満たしていくのです。
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