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2004年07月31日(土)  夏の風物詩
彼は、駅前の美容室に髪を切りに、私は、近所の美容室へ浴衣の着付けをしに、待ち合わせの時間に部屋へ戻ると、さっぱり短くなった髪の毛の彼と、しっとり浴衣を着た私。
今年初めての浴衣を着てお出かけしました。
近所に「着付けします。着物・浴衣」の看板を下げた美容室は、私が2年に一度の程度でお世話になるところです。自分で着れるわけないしね。

団扇で扇ながら電車に乗って、カランコロンと下駄を鳴らして下町を歩いて、綿菓子を頬張りながら手を繋いで、ちりちりと控えめに散る線香花火を見つめて、鼻緒で親指と人差し指のあいだを傷めながら、そんなふうに夏の夜はふけていきました。

夏は大好き。寒いほうより暑いほうが好きだし、夏ならではの食べもの、たとえば素麺とかスイカとか好きだし、なによりお祭りと花火が好き。浴衣を着て神輿をかつぐのを応援して、縁日で食べ歩きしながら小さな花火をするのが好きです。それにしても、夏の季節は他の季節よりもずっと短く感じる。夏らしい頃って2ヶ月くらいしかないんじゃないかしら。ずっと一年中、夏だったらいいのにと思う。梅雨が明けてセミが鳴いたらその短さを惜しむように夏の楽しさを味わって、山下達郎のさようなら夏の日〜っていう歌を悲しい気持ちで聞きながら、やがて私の夏は終わるのです。

夏のシーンの中で一番好きなシーンは、深夜の駅のホームでセミの声を聞く瞬間。こんな真夜中でも、都会の街樹に止まるセミはまだミンミンと鳴き続けているのです。目を閉じて電車が来るまでその声を聞くのが、私の一番大好きなときです。


夜道を歩いていると、涼しい風が私と彼の耳の下をくすぐる。
あと1ヶ月ちょっとの夏を、もっと一緒に楽しみたいね。
2004年07月30日(金)  7月終わりざますっ
終わった。やっと終わった。しんどかった。7月の仕事は本当にしんどかった。
いろいろと考えた。計画して、試されて、期待されて、走ってみて、踏ん張って、ひっくり返して、また省みる。

今月から、会社が新しい事業に挑戦をする計画をたてて、まだ実験段階ではあるけれどそのプロジェクトに参加させてもらうことになった。そのプロジェクトの中で私は、社歴も年齢も一番下。十年以上もキャリアのある人と対等に仕事をさせてもらえて、とてもいいチャンスに恵まれたと思っている。今までの仕事は、自分ひとりで完結することが出来たし、ほとんどすべてが個人プレーな仕事と言っても過言じゃない。ひとりで計画してひとりで交渉してひとりで契約をまとめてひとりでフォローをする。困ったことがあったら先輩や上司に相談して、事務作業はアシスタントに手伝ってもらって、そんな感じの毎日だったけれど、こんかい加えてもらった仕事は、企画課の人たちや専門的な課の人たち、口もきいたこともなかった別の事業部の営業マンたちと一緒に仕事をすることが出来て、とっても楽しかった。
まだまだこの仕事は続く。来月は今月よりももっともっと忙しいものになってくる。

月末を終えて、残務処理をしていた夜のオフィスで私の上司と話す機会があった。

上司から見れば、私は十分に頑張ったし、十分にやってくれたと思えるのだろう。何度も「十分にやったよ」と上司は言った。
でも、本当の私はいろんな新しいことを始める上で、やはり様々なことに悩んだしぶつかったし、へこんだこともあった。「楽しかった、仕事の中で新鮮な発見をした」という爽快感と「まだまだ自分は足らない、どうして私はこんなことも出来ないんだろう」とへこむ気持ちが半分ずつ。けれど上司は、そんな私を「そこまで考えなくてもいいんだよ。」と言う。「今の君にとっては今ぐらいの成果で、十分頑張っているほうなんだから」。私は合格点はとっているのだろうけれど、やはり抜きん出ているわけではないのだろう。
もっとこうしたかった、もっとこうやれば良かったと自分で思っていても、他人の期待はそれ以下の場合もある。上司の言葉は無意識で他意はないのだろうけれど、私はそれほど期待されていないのだろうかと、少し考えてしまった。

評価は気になる。
それはなにか目に見える評価が欲しいとか、肩書きが欲しいとか、給料をあげろとか、そういう具体的なことではない。誰かに期待されたいし、そして何より褒められたい。いまはその通り、みんなは私を褒める。でも私はそれは違うと思う。もっともっと私が“出来るよう”にならなければ、いま褒められたとしても嬉しいとは思えない。
そうだ、私は私に褒められたいのだ。自分自身が設けた自分自身のためのハードルを越え切って、そして私自身に私は褒められたいのだ。

実は、少し落ち込んでいる。いまの自分に落ち込んでいる。この一ヶ月の自分の「出来なさ」程度にとてもがっかりしている。肩に力が入っているのかもしれないけれど、もっとこうしたいという期待は、少しも消えることはない。


あー、もうちょっと気楽に仕事したいなー。考えすぎだよ、自分。まぁいいじゃないか、来月頑張ろうよ、自分。落ち込んでる場合じゃないよ、自分。あー、力抜いてがんばろーっと。
2004年07月29日(木)  ずっと一緒にいようという約束
会社を出て、そのまま駅のコンコースに通じるエレベーターで地下に降りて、エスカレーターをふたつ上ってホームにあがったら、そこで初めて雨が降っていたことに気づいた。ぬるぬると線路が光っている。傘を忘れたことを悔やんでも会社にとって返す気にはならない。

カツカツとヒールを鳴らして濡れる街を走る。一刻も早く帰りたい。

マンションのエレベーターが下りてくる時間すら惜しく、手にはすでに鍵を握っているし、靴はすぐ脱げるようにバックベルトは外してある。

そっとドアをあけると玄関の電気だけがついていて、奥は真っ暗だ。静かに鍵を閉め、靴を脱いだらストッキングを脱いで洗濯機の上においてあるカゴの中に投げ入れる。そこには恋人のTシャツとハーフパンツも入っている。私の恋人は、夜の空いた時間を見つけては、最近走ることを始めた。玄関にはランニング用の靴が置かれてある。たぶん、今日も走っていたのだ。

ジャケットをハンガーにかけて、膨らんだ布団を見下ろしてみた。寝息が聞こえる。寝たふりをしているのかと、そっと顔をのぞいてみたけれど閉じられた彼の目は、不自然ではない。
今日の約束を、私は守れなかった。結局、彼はひとりで夕食をとったのだろう。かわいそうな事をしてしまったと思う。守れない約束を私は半ば無理やりに自分にしてしまった。仕事が忙しいのはわかりきっているのに、毎日何時に帰れるかなんてわかりもしないのに、最近恋人との時間が取れなくて自分でどうにかしなければと焦っていた。恋人は何の不満も言わなかったけれど、誰もいない家に帰ってきてひとりで私の帰りを待って、やっと私が帰ってきたと思ったら疲れてすぐに眠ってしまう、そんな毎日を彼は淋しいと感じているだろうとは思う。
私たちは、子供じゃない。恋の駆け引きよりも安定した関係を望んでいる。仕事はお互い様だし、一緒に過ごす時間がないからといって壊れてしまうような間柄じゃない。彼だって十分大人の年齢なんだし。
だからきっと、彼に淋しい思いをさせているんじゃないかと思うより、私のほうが淋しかったんだと思う。あれもしたいし、これもしたい、仕事もしたいけど、恋人ともいたい。だから、ぽろっとこぼした彼の言葉に私はほとんど守れそうもない約束をしてしまったんだろう。

彼は怒っているに違いないし、諦めた気分になっているかもしれない。私に愛想が尽きたかもしれないし、嫌になってしまったかもしれないと思う。

「眠ったの?」と聞いてみる。ねえ、と呼んでみる。
私は、たぶんこの世で一番の子供っぽくて我侭な人間だと思う。
膝をついて彼の顔をのぞいてみる。眼は柔らかく閉じられてままだ。
寝息が乱れて寝返りをうち、私に背を向けた。
きっと、一緒にいられなくて淋しいのは、目まぐるしい忙しさを抱えた私の方なんだ。恋人は私ほど淋しさは感じていないのかもしれない。

自分も布団にもぐって恋人の背中に抱きついてみた。何の反応もないからもっと強く抱きしめてみた。恋人が鼻をすすって寝返りをうつと、おかえりと言った。怒ってない?と聞くと夢の中から意識を取り戻すように間をとって、どうして?と言った。やっぱり、恋人は私ほど淋しいとは思っていないのかもしれない。
私はシャワーを浴びて眠る準備をした。起きた恋人は私の濡れた髪の毛をタオルで拭いてくれながら、ずっと一緒にいようねと言った。
私の淋しさは彼に伝わっていたようだけど、その約束も私は守れないんじゃないだろうかと、ふと思った。
2004年07月28日(水)  深夜のオフィスにて
北海道で焼けたのに加えて、営業焼けで腕は黒くなるばかり。日焼け止め対策はやっぱりするべきかも。
私は、本当に肌が弱いので無闇になにかを肌に塗ると、すぐに痒くなったり吹き出物とか、発疹のようなものが出てしまいます。日焼け止めも一度使っていたことがあったけど、顔じゅう赤い吹き出物が出来てしまったので、その後は怖くて使っていませんでした。けど、今年はやむなく購入。
資生堂の日焼け止めのCMが可愛いので、アネッサを購入。
これは、大丈夫らしい。未だ何も肌のトラブルは起きず。よかったよかった。

メイクの仕方を私は知らない。知らなすぎる。いろんな化粧品に手を出しすぎると肌が拒否反応を起こして痒くなるし、あまり興味もないのかもしれない。雑誌とかテレビでメイク方法なんてよく見かけるのに、見るだけで試してみようとは思わない。
でも、ほらやっぱり、ねぇ、残業してるときに鏡見たらヒドイのよ、目が。ショボイ。しょぼくなってる。やばいなぁ、疲れだとは思うけどもうちょっとこう、目のメイクの仕方とか考えたほうがいいんじゃないかしら。ドモホルンリンクルのCMでやってたけど、歳をかさねると目の周りがくぼんで影が出来るらしい。で、それが老けて見える原因らしいのだけど。いやいや切実な悩みだねぇ、アイメイク。

化粧に興味が沸く高校生の頃、それはそれは化粧品を大量に買い込んで、友だちと化粧をして遊んでいたわけ。で、アイラインとかひいてたのだけど、どうしても目の際にラインをひくのが怖かったので、(目をつきそうだから?)友だちにやってもらったら案の定目玉にぐさーっと刺さってしまったのをきっかけに、私は一切アイラインを引かずにここまで大人になってしまいました。マスカラも自分でやってみたけど、宝塚みたいな顔になったので、その後一切マスカラもせず。アイシャドーしてビューラーでカールして終わり。そら、しょぼいわ。しょぼくなるわけだわ。

で、同僚に「ていうかさぁー、アイラインとマスカラしてないんだけどぉー、したほうがいいとおもうー? ていうかぁー、しょぼいでしょー、わたしの目」と言ったら、「えぇー、あいちゃんマスカラしてないのぉー?アイラインもぉー?まあじー?うそー? 見えない見えない、アイラインしてるかとおもったぁー、マスカラもしてんのかと思ったー。それ地毛―?まじー?ぜんぜんわかんなかったぁー。ちょーいいじゃーん、。まつ毛長くてうらやましー。目もぱっちりしてるしぜんぜんだいじょぶー。 ぜんぜんいけてるぅー。いけてるしー、だいじょぶだいじょぶー。」
と言うので、「まあじー?まだいけるぅー?ライン引かなくてもいいわけぇー?マスカラなしでいけるー?やっぱりー?じゃ、やめとくぅー。アイラインもしないしぃー、マスカラもしないしー、これ地毛だしぃー。まあいけるしぃー。ていうかどこにいくわけぇー。いけてるって死語だしぃー。」

という深夜のオフィスでの会話。
どうしてだろう。残業してると頭の中の線が一本切れてしまうんだよねー。
2004年07月27日(火)  男の子女の子
今年の新卒は何人入社したのか知らないけど、私の身近にはふたりの新卒がいる。
ひとりは私と同じ部署で斜め前の席に座っている女の子。そしてもうひとりは、私がプロジェクトの仕事をするときにしょっちゅうお邪魔する部署にいる男の子。彼は私とは部署も違うしどんなクライアントを担当しているかもあまり知らないけど、よく顔をあわせたり彼の隣の空いたデスクでよく雑務をしているので、よく話す機会もある。けれど、残念ながら私と同じ部署だというのに女の子の新人とはあまり口も聞いたことがない。

男の子と女の子の違いについて考える。

私が営業という仕事を始めたときに先輩がこう言っていたのを覚えている。「男の子と比べれば女の子は“売れる”のが早い。入社して数ヶ月で新規の受注をとってこれる。でも、男は仕事に慣れるまでにまず時間が掛かるし受注をとってこれるまでにはもっと時間がかかる。でも、女の子は“売れなくなる”のも早い。男は“売れ続ける”時間が長い。女の子には慣れとか物覚えに瞬発力があって、男には持続力と安定性がある。」理由は?と聞いたら、「女はどうせ結婚したら仕事をやめるでしょ?クライアントだって女の子の営業担当なら、“買ってあげようかなぁ”なんて思うけど、どうせ仕事をやめるだろうという考えがあるから、“長く取引しよう”とは思わないんじゃないの?」と言った。私は、なんてバカバカしい理由だろうとそのときは思った。その理由はどうであれ、女の子の瞬発力と男の子の持続性には、多少頷ける部分もある。身をもって体験したことがあるし、身近でよく見かけるから。

私の身近にいる女の子のほうの新人は、とても真面目で努力家だ。そして周りの先輩や上司とうまくやっていこうと、あれこれ気を使っていることが窺える。残業時間に女の先輩達が「会社の近くに安いランチが食べられる店がある」と話していたら積極的に話の輪に入って溶け込もうとしている。庶務の仕事をする先輩を手伝って、コピー用紙を運ぶ手伝いをしているのをよく見かける。仕事の相談に乗ってくれる先輩の話に必死にメモを書きながら真剣な顔で頷いている。真面目でよく周りに目が行き届いていて、健気な姿が印象的だ。
男の子のほうは、一言で言うと「いつもボーっ」としているということだろうか。何分もパソコンに向って唸っていたかと思えば、頬杖をついてぼんやりと考え事をしている。デスクの上が汚いと上司に叱られ、比較的時間が空いてそうな先輩がいるのに、忙しそうな先輩に仕事の相談をしようとして叱られている。残業の時間は雑談ばかりが過ぎていつも帰りが最後になってしまう。ネクタイを汚してしまって庶務の先輩に洗ってもらっている。仕事で同じ間違いを何度か繰り返す。電話の相手の名前を何度も聞き間違える。手が掛かる子ほど可愛いと言うものだけど、本当に彼はその言葉そのもので、馬鹿っぽいんだけどそれでもどこか憎めない男だ。
入社したての女の子は、男性の先輩からも女性の先輩からもちやほやされて、よく気遣ってもらえる。入社したての男の子は、みんなにいじられいじめられて、それでも結局は「仕方ないなぁ」と言って手をさしのべてもらえる。うちの会社の特色なのかもしれないけど、新人達はそうやって先輩に育てられていく。

そんな彼らは比較的恵まれた場所で仕事をしているといっても過言ではない気がする。彼らは恵まれている。けれど、私はひとつ気になる点がある。危惧さえ感じるしどうにかしなければいけないんじゃないかと思う部分がある。

月末なんかは、オフィスは戦争のように慌しさを極める。新人達の仕事はそれほど量も多くないので、先輩たちの慌しさに置いていかれる。何も手伝えこともなく、だから仕方なく自分の仕事だけに没頭する。そんなとき、彼らの仕事の中で小さなトラブルが起きそうになる。それを誰かに相談したい。トラブルが起きそうな問題を、どう話をつけて収束させればいいのか。どんなふうにクライアントに話しをすればいいのか。彼らにはそれがまだわからない。誰かに相談したいけれど、いつも相談に乗ってくれる先輩たちには、月末の慌しさで誰も手が空いていなさそうだし、困っていることに気づいてくれない。だから彼らから声もかけ辛い。時間はどんどん過ぎるからクライアントへの回答は先延ばしに出来ない。
そんなとき、男の子は一生懸命手をあげて「誰か助けてください。誰か相談に乗ってください」と言える。周りが忙しかろうと誰も手が空いてなさそうでも、そんなことをいちいち気にしていられるほど気を回したって仕方ない。そう思って手をあげる。誰か相談に乗ってください。
けれど、女の子は忙しそうな先輩にどうしても声をかけられない。手をあげようとするけれど、その手がどうしてもあがらない。みんなに迷惑をかけちゃいけない。ひとりでやらなければいけない。だって、これは私が任された仕事なのだから。ひとりでやってみようと深呼吸をする。

別れ道がひとつここにあった。

会議のとき、新人の男の子はしつこいほど質問をしてよく先輩に叱られる。「そんなこと、新人研修で習ったでしょう?」と。わからない、と思ったらすぐに聞く。彼はそれが癖なのか思いついた疑問をすぐに口にしたがる。苦笑しながら先輩は丁寧にその質問に答える。でも、女の子は会議の進行を邪魔することもなく真剣に頷いてメモをとる。ただ必死に先輩達の話についていこうと頷いている。でも、私は知っている。そのメモに書かれてあることは彼女が会議の中で理解できなかった部分が書かれていて、だから彼女は会議が終わったあといろんな資料をひっくり返してはその答えを自分で探そうとしている。
彼女が、彼のようにその場で質問することが出来て誰かに意見を仰ごうとしていれば、きっとその資料に書かれている以外の先輩達の実体験の話しを聞くことが出来たのに。実体験は資料に書かれていることよりとてもリアルでとても解りやすいのに。

別れ道がもうひとつ。

深夜のオフィスで、誰もが空腹に耐えながら仕事をする。「コンビニに行ってきますけど、なにか買って来るものありませんか?」と女の子がみんなに声をかける。先輩たちは財布を取り出しながらパンやらおにぎりやら飲み物を彼女に買って来るようにお願いする。
男の子は、「コンビニ行って来まーす」と間延びした声を出してオフィスを出ようとする。数人の先輩に呼び止められて買い物を頼まれる。「調達料金、いただきます」なんてちゃっかりお釣りはもらっている。


男の子だからとか、女の子だからとか、はっきり分けられるわけではないのかもしれないけど、彼と彼女はこんなにも違いがある。スタートは同じだった彼らは小さな分岐点をくぐってその道はどんどん別のものになってしまう。それが個性というものかもしれないし、人それぞれのスタイルなのかもしれない。もちろん、その別れ道の決断の先には誤りというものはない。どれを通ってもそれが彼だし、それが彼女自身の道なのだから。誤りや正しいという判断は彼ら自身で下すしかない。

彼女は真面目すぎて、気を使いすぎることが私には気に掛かる。気分が疲れるのではないのだろうかと心配になる。責任感が強くてひとりでやってみようと頑張るのも、それはとても大切な要素なのだけれど、大切なときに誰かを頼りに出来なくなるのはそれもまた淋しい。その悩みに気づいてあげられない私たち先輩にも悪い部分はあるけれど、でも社会は学校じゃなく、だからこそ先輩たちは君たちに常に気を配っているわけじゃない。誰かに助けてもらえる、気づいてもらえると待っているだけでは事は動かない。わからないことをわからないと言えること自体が、実は強さだとよく言われることだし、叱られることは悪いことだけじゃないし恥ずかしいことではない。気を使ってアウトプット出来なくなるようであれば、それはとても危なっかしいと思える。彼女は周りとうまく協調しているようで、実はまだ仮面をかぶっているのかもしれない。疲れはどの程度溜まっているのだろう。

私が気に掛かることは彼女のことで、いく人かの先輩たちも気にしていることかもしれない。彼女が自分を打ち明けない限り、誰もそのことについて助言をしてくれないことを、彼女は気づいてくれるだろうか。社会は誰も教えてくれない。自分から乞わない限り、教えてくれない。乞えば何らかの答えはある。それが自分の予想外の答えや不服な答えや納得できないことであっても、きっと何かは返ってくる。彼女には早くそのことに気づいて欲しい。

男の子のほうは、大丈夫じゃないのかなぁ。だって、天真爛漫だもの。自由人だもの。ボーっとしていても、うるさいくらいアウトプットしてくるので、彼の状況は部署が違う私の耳にも届いてくる。だから、大丈夫じゃないのかなぁ。彼の社会への乞いは自分で少しは考えなさいよと思うほどうるさいもの。かなりうるさいもの。
2004年07月26日(月)  ヘコんでる暇なんてない
あ、もう月末じゃないか。もう7月も終わりじゃないか。あっという間じゃないか。
やばいよやばいよ。月末だよ。仕事が苦しいよ。仕事の流れが月締めなので末日が近づけば自然と仕事も詰まってしまいます。今月中にこの仕事をやり終えないと、ひどいことになる。お客に殺される。会社に殺される。上司に殺されるう。
と、毎月毎月、私はそう思いながら月末を過ごします。
やばいの、仕事が。半端じゃないの。残りのやらなきゃいけない仕事を書き出してみるでしょう。それで今月はあと何日かと数えてみるでしょう。そうすると、途端に現実逃避したくなるのです。現実を見たくない。ああ、海に行きたい。ああ、プールに行きたい。ああ、お腹いっぱい昼寝したい。とまあ、逃げてしまえるほど私は勇気を持っていないし、それに社会人としての常識も責任も持ち合わせているので、今日も仕事をするのです。めいっぱい。月末に向けて、さあ仕事をするのだ、若造よ。

どうして、私は月末になるとこんなふうに切迫してしまうのでしょう。
月初は一体何をしていたのか。先週や先々週は一体何をしていたのか。
もちろん遊んでいたわけでもなく、先月の悲惨さを教訓に、今月は切羽詰らないようにしようと頑張っていたはずです。なのになのにナゼデスカ。

考えられる要因その1 私の要領が悪い
考えられる要因その2 周りの人よりも仕事の量が多い
考えられる要因その3 ただの神経切迫病

2でお願いします。要因は2です。あとは却下の方向で。
と、冗談じゃなくこのままじゃ9月の繁忙期を乗り越えられないので、自分で自分の仕事をもう一回洗いなおしてみました。要領という点で言えば私はかなり要領はいい、というよりも自分で言うけどずる賢いタイプ。コツコツ仕事することは私には性にあわない。出来るだけ仕事にはメリハリとか、ムラをつけるようにしている。いい意味で。手を抜けるところは手を抜くし拘りたいところは拘るようにしている。でも、もしかしたら手を抜く部分や拘る部分を間違えているのかもしれない。だから、時間がかかるのかもしれない。
と、思いながら残業していたら、上司が私の隣のデスクに座ってこう言った。
「あいさん今月も頑張ってるね。今月の営業目標なんて先月の倍だよ。よく頑張ってるな。あともうちょっとで達成するね。頑張れ頑張れ。」
きゃあーと私は悲鳴をあげそうになった。白目を剥いて泡を吹きそうになった。あらら、気づかなかった。先月の倍額になってたなんて気づかなかった。そりゃ、仕事の量も必然的に多くなるわけで。というか、何より一番驚いたのは先月の目標額より今月の目標額が多くなっていることに気づかなかった自分にビツクリ。なにを私はぼんやりしていたのでしょうか。今月の初めに営業目標の額を聞いた私はどれほどぼんやりしていたというのか。
ということで、結論が出ました。私が月末になって切迫した状況になるのは毎月毎月怖ろしいほどに仕事が増えているからということです。よって考えられる要因はその2でした。

上司からすると、私は可愛い部下だよね。ホント可愛いよ。営業目標がひと月で倍になるなんてそうそうないよ。それを文句も言わずに、というか気づかずに素直に仕事するなんて、なんて私は可愛い部下なんでしょう。私がこんな部下を持っていたなら、すぐに給料を倍にしてあげるしボーナスもがんがんあげるのに。

またヘコんだ。ボケボケと知らずに仕事をしていた自分にヘコんだ。
私は仕事中、へこんだ時はある歌を口ずさむようにしています。
『ヘコんでる暇なんてなーーい ラーラーラーララ ララーラー』というCM曲。
私の支えの曲です。そして今日もまた終電で帰ります。
2004年07月25日(日)  非セックス
最近、仕事以外の時間は恋愛とセックスのことばかり考えている。

暗い部屋で窓に映る自分の姿を見ていた。ベッドに横になった自分の姿を見つめている。シャワーを浴びた恋人が、短い髪の毛にバスタオルを擦りつけながら煙草に手を伸ばしていた。その姿も窓に映る。
私の肩幅は広い。腰も張っている。その隆起している影が窓に映っている。眠気にまどろみたくなる。涼しい風がカーテンを揺らした。恋人が立ち上がりTシャツを着た。ベッドの端にこしかけて私を振り返った。私は恋人に背を向けたまま、窓に映る彼を見ていた。
恋人の指がゆっくりと太ももをさする。出っ張った腰を撫でて何度かウエストを掴んだ。そのまま二の腕に指を滑らせて肩の骨を強く押す。
飽きもせず単純な遊びをひとりで楽しむ子供のように、恋人は太ももから肩にかけて指で撫でる。その表情は暗い部屋の中ではよく見ることは出来ない。肌をこする音しか聞こえない。こんなとき、私はただ人形のようにじっと恋人の姿を見ている。抵抗することもなく、かといって恋人の首に手を回すことをしない。ただセックスをするよりも、こうやって自分を撫でる恋人の姿を眺めているほうが、いくらか性的だと思う。

他の人たちはセックスをどんなふうに捉えているのだろう。
恋人同士のセックスをどんなうふうに捉えているのだろう。
恋愛とセックスについてどんなふうに結び付けて考えているのだろう。

以前の恋人が、僕のセックスには相手が誰であろうとセックスそのものに個性がないと言った。セックスはすべて画一的に思えると。そのあと、いやその以前からかもしれないけれど、どれだけ私が願っても私たちはそれほどセックスをすることもなく恋愛は終わった。その彼にとって、そのときのセックスの相手は私であり、そしてきっと私とのセックスも、“私”を意識したセックスではなかったということだろう。
ショックと言えばそうかもしれないし、傷ついたと言えばそうかもしれない。
セックスなんてそんなものじゃないのとも強がってみたし、彼のその言葉を聞いた後で私は一体、どんな顔をして彼と向き合えばいいのか途方に暮れた。

私はこれからセックスと恋愛をどんなふうにして考えればいいのだろう。
ふと、そう思う。
セックスをしているときに、この恋人はセックスをどんなふうに考えているのだろうとふと思う。でも、それを聞く勇気はない。傷つきたくないからだし、理解できなかったときの悲しさを味わいたくないから。けれど、聞いてみて一体どうなるというのか。恋人がセックスをどんなふうに思っているからといってそれが一体何になるのか。私たちの関係は終わってしまうのか。気持ちは失せてしまうのか。

以前、とても好きだった人が、その人は恋人もいたのにいろんな女性と遊びまわっている人だったけれど、その彼が私にセックスを深刻に考えてはいけないと言った。セックスは男女が向き合う時間の中のオプショナル的なものでただ快楽さえ得られれば、他には大切な要素などないと言った。そのときの私は、その彼の考えに近いものをもっていて、セックスとたとえば恋愛を充分に切り離して考えることが出来た。それでも幾度かその彼とセックスをするたびに、今のこのセックスは彼の言葉どおりに考えるとすれば、何の意味も深刻さもない空虚なものなんだと気づいた。この彼とのセックスに重さがないとわかったとき、私は泣き叫びたい気持ちになった。

そんなことを考えていると、セックスは嫌悪すべきもののように思えてくる。

性と恋愛は違う。
性は、セックスを画一的なものにしてただの快楽を求めるもののように思える。そこには恋愛感情とか愛情とか少しも混ざってはいないように感じる。
そんなふうに考えることは間違いだろうか。
今の私はセックスと恋愛を充分に切り離して考えることなど出来なくなってしまった。

暗い部屋で、窓越しに恋人の姿を眺める。それはとても性的なことに思える。
私の体に触れていた恋人が、やがて唇で触れ始める。性に惑わされる自分がとても愚かな人間に思えた。
セックスは嫌悪すべきものなのかもしれない。
とても泣きたくなった。
2004年07月24日(土)  おじいちゃんと孫
今日、とうとう病院に行きました。風邪がまだ治らないので。
うちのマンションのとなりのとなりに、古い町医者があるのですが、そこのおじいちゃん先生が可愛い人で。もうおじいちゃんなので、手が震えているししゃべることも覚束ない。だけど、可愛い。可愛らしいのです。

おじいちゃん「いつから、風邪ひいてるの」
わたし「んー、1週間くらい前です」
嘘。2週間くらい前なんだけど、あまりにも放置していた時間が長いと怒られてしまいそうな気がしたので、咄嗟に嘘ついてしまいました。

おじいちゃん「1週間?! どうしてもっと早く来なかったの?」
わたし「ハイ、すみません……」
くそー!1週間でも怒られたか。

おじいちゃん「そうかそうか……。放っておいたら治ると思ってたんだよね。」
わたし「そ、そうですそうです!治ると思ってたんですけどねぇ」
なんて優しいおじいちゃんなんでしょう。

おじいちゃん「はい、じゃあアーンして」
口をあけるように促すおじいちゃん。自分も大きく口をあけちゃったりして、なんて可愛いの。
わたし「あーん」 おじいちゃん「あーん」 わたし「あーん」 おじいちゃん「あーん」

おじいちゃん「たんは出るの?」
わたし「たん? まぁセキしたときは出ます」
おじいちゃん「なにいろ?」
わたし「なにいろ?! 色ですか?」
おじいちゃん「白とか黄色とかあるでしょう。」
わたし「ああ、たぶん黄色?」
たんなんていちいち見ないよ。黄色なんてあてずっぽうだよ。

おじいちゃん「じゃあ、肺の音聴くからね」
わたし「はい」
聴診器を胸にあてるおじいちゃん。
おじいちゃん「うん、君はいい音してるね。肺までは悪くなってないみたいだ。大丈夫だね。」
わたし「そうですか」
おじいちゃん「君の肺の音は健康優良児そのものだよ」
わたし「あ、……ありがとうございます」

おじいちゃん「冷房つけっぱなしで寝てるんじゃないの?」
わたし「いや、冷房つけないでちゃんと寝てます」
おじいちゃん「そうかいそうかい。えらいね。冷房なんて風邪ひく元だからね」
わたし「そうですね」
おじいちゃん「冷房つけないで寝るなんてえらいじゃないか」
褒められちゃった。

おじいちゃん「じゃぁ、注射しとこうかね」
わたし「注射ですか……」
おじいちゃん「注射はきらいかい?」
わたし「はぁ」
おじいちゃん「目をつぶっとけばすぐだからね」
わたし「はぁ」
おじいちゃん「この注射とっても痛いんだけど、お尻にしとくかい?」
わたし「お、おしりですか。い、痛いんですか」
おじいちゃん「痛いよ。だって注射だもの」
わたし「……」
おじいちゃん「お尻にする?腕にする?」
わたし「ぜったい注射しなきゃだめ?」
おじいちゃん「だめだねぇ、だって治らないよ」
わたし「ここでお尻出すの?」
おじいちゃん「じゃ、腕にしようか」
わたし「じゃ、腕で」
震える手で注射器を握るおじいちゃん。大丈夫かい。
おじいちゃん「あら、勇気あるね。注射さすところ見とくかい?」
わたし「だって、知らない間にさされるの嫌ですもん」
おじいちゃん「見てないほうがいいと思うよ、すっごく痛いから」
わたし「お、脅しですか」
おじいちゃん「これは痛い、注射だからねぇ」
とか言いながら、急に針を刺しちゃった。びっくりしたよ、いきなりだったから。
わたし「あらら」
おじいちゃん「よくがんばったねぇ。えらかったねぇ」
私は幼稚園児か。
おじいちゃん「はい、お薬出しとくからね。粉と錠剤ね」
わたし「はい。」
おじいちゃん「ちょっと大きい薬だから頑張って飲むんだよ」
わたし「はい、頑張って飲みます」
おじいちゃん「じゃ、お大事に」
わたし「ありがとうございました」

私はすっかり孫扱い。
2004年07月23日(金)  君は逸材だ
手相の勉強をさせて下さいという人が、この世の中にはたくさんいるみたいです。勉強熱心はよいことですね。池袋の東口のほうにはそういった熱心な方々がたくさんいらっしゃって、私も毎度毎度声をかけられるのですが、いつも時間がなくてお断りしております。お勉強のお役に立てなくて、大変申し訳ない。とか思ってるわけないじゃん。
で、その東口で私は友と待ち合わせをしていたある日。来た来た、「手相の勉強をさせて下さい」という人が。お断りするにもあまりにもしつこく、いや何て勉強熱心な人だろうと、そのしつこさにある意味敬服した部分もあるのですが、ま、手のひら見せるだけでしょと思って見せたのがいけなかった。

「ハッ。あっあっあなたの手相は……?!」なんて、勉強家の彼女は私の手相を見て大変驚いているわけです。なになに?生命線が短いのかしら?明日にでも死んでしまうのかしら?とか思っていたら、「あなたは10年に一度、いや50年に一度誕生するかどうかの逸材です。あなたは将来、この世の中を背負って立つ偉大な才能の持ち主です」とかなんとか、何て言ったかはもう忘れてしまったけど、勉強家の彼女は目を潤ませながら、もうそこで私に向って土下座をしながらはは〜〜と拝んでしまいそうなほどの勢いで私の手を握るのです。「こんな素晴らしい手相は見たことがない。他の仲間にも見せてあげていいですか」と聞くので、ヨロシイですよと答えると、今度はもっと勉強熱心そうな彼が来て、私の手をのぞきこんでは仰け反って驚いているのです。「あなたは素晴らしい人だ。あなたはご自分の才能にお気づきですか。」と言うので、いや、お気づきじゃないです、と答えると「それはいけない。これほどの才能をお持ちの方が何も知らずに無意味に過ごしているのはあまりにも勿体無い」とか言うのです、勉強家の彼がね。無意味とか言うなよと思いましたけど、はぁソウデスネ。と答えるしかなく、ああナンだか彼らは胡散臭いよと思い始めたときにはもう遅く、「ぜひ、私たちと一緒にあなたの将来を真剣に考えましょう」と声をあわせて言うので、ああこれは間違いなく宗教の勧誘だと思いました。

でも、ちょっと面白い。彼らは宗教にこの私を勧誘したいわけで、何だかんだと褒め称えてまつり上げては哲学のような屁理屈のような問答を私にぶつけてくるのです。で、私は言葉で攻撃するのはとても長けているので(どうかと思うけど)、そういう方々と議論を交わすのはとても好きだったりします。どんな方法で才能を開花させるか、そしてその才能をどんなふうに活用していくか、それを彼らは滔々と話し始めるわけですが、もっと詳しく聞かせてといくつか質問してみると彼らは途端に言葉に詰まってしまいます。それは多分きっと彼らがただの使いッパシリだから。マニュアルみたいなものを読まされて、それの通りに人を勧誘して来いって言われているのかな。自分たちでもよくわかっていないのに、よく言うよ。どうして、こんな質問にも答えられないあなた方にどうして私の将来を託せるんですか?と言うと「じゃあ、もっと詳しいものがおりますので、我々の事務所に来て下さいませんか」と言うわけ。何宗教ですか?って聞けばよかった。自分の将来に他人に割って入られたくないんで、結構です。と言うと「そう言わずにお願いします。私たちはあなたを救いたいのです」と、ちょっときもくなってきた。私のほうこそあなたたたちを救ってあげたいんですけど。

で、いろいろ柔軟な対応で話し合いを続けた挙句、けちょんけちょんに彼らのプライドはけなされて、退散しました。ちょっと女性のほうは目が潤んでしまっていたので、泣いていたのかもしれません。どんなふうに泣かせたかは、あまり具体的に書いていると友達を失くしそうなのでやめておきます。


というわけで、東京の街ではいろんなところで手相の勉強を熱心にやられている方々がいらっしゃいます。皆さんも、暇があるときは彼らの勉強の役に立ってみてはいかがでしょうか。
2004年07月22日(木)  おばさんになったら膝丈ストッキングをはきます
どうも、妙齢です。妙齢な私です。どうもこんばんは。

最近、一番ビックリしたこと。

今年の新卒の女の子に、「あいさんは、まだ結婚しないんですか?」と言われてしまった。かなりビツクリ。やっぱり結婚適齢期に思われているんだなぁと痛切。というか、どうでもいいじゃんそんなこと余計なお世話なんですけどうるさいわねー。と言ってやりたかったけど、そこは先輩としてぐっと我慢して「しない」と答えました。こんなぶっきら棒な言い方も、かなり気持ちを押さえていたほうです。これでも押さえ気味なんです。

今日さぁ、新人の女の子に「あいさんはまだ結婚しないんですか」って言われちゃったよと、恋人に言うと「おばさんは、さっさと結婚して早く会社やめてくれ」って言外に含まれてるんだよ、と言った。
おばさん? だれだれ? だれのこと? 誰のこと言ってるの?

その後、恋人と口をきいてあげなかったことは言うまでもなかろう。

新人の女の子とは、3つしか離れていないんですけど。3つですけど。3つ。
あー、おばさんって何歳から?
高校生から見たら25歳っておばさんだろうね。
でも、べつに高校生はどうでもええねん。
22歳から見ても25歳はおばさんかどうか。
なんで、結婚の催促されなきゃいけないのか。
なんで、おばさんと言われなきゃいけないのかどうか。
私は納得できません。
納得しません。理解しません。
したくありません。
まだ水は弾きますし、筋肉痛も翌日にはきます。
お肌の曲がり角はまだ来ていません。
不健康気味ではあるけれど、渋谷のギャルの汚さを見たら私の不健康さなんて可愛いものです。
なにがおばさんなんですか?
どこがおばさんなんですか?

と、「オバサン」という言葉に過敏に反応することが「おばさん」になりつつある兆候だといえます。
ということで、私の怒りをかった恋人とは、いくら頼まれても結婚してやらないことにしました。
2004年07月21日(水)  面接ざますっ
朝、9時半。
私は朝イチのアポを終えて、会社に帰る途中。会社のボードに帰社時間9時と書いてあったけど、打ち合わせが長引いて少々遅くなってしまった。と、そこに会社から電話が。「いま、どこにいる?」と、上司がものすごく低い声で唸っている。「あ、いま駅なんでもうすぐ帰れます」チョー怖い。声が怖い。え?わたし何かへまをしたかしら?上司に怒られるほどのヘマをしたかしら?あ、なんか思い当たるフシはある。あれのことかな?これのことかな?強引に仕事をしてしまったのでもしかしてクレーム来たのかな?スレスレの仕事しすぎたなー。ああ、怖いな怖いな。怒られるのかな。ヤダナー。
「じゃ、すぐ帰ってきて」と上司が言うので、「5分後に帰ります」と返して駅内を猛ダッシュ。
相手を待たせている場合は、ちょっと多めに時間を設定すべし。5分といっておいて3分で帰れたらちょっと株上がる?まぁ、そんなことはどうでもいいので、猛ダッシュ。エレベーターとか来るの遅い。途中から乗ってくる人いたらむかつく。だって、私が会社に戻るのが遅くなるじゃないか。

も、戻りました。とビクつきながら上司の前に行くと、ちょっとちょっとと手招きをされてオフィスの隅っこへ。ああ、これは完璧、クレームきたね。ああ、あのことだ、きっとアノことだと思っていると、「今ねぇ、アシスタントの面接してるんだけど、あいさんもちょっと話してみてくれない?」
と、先日からうちのオフィスは、アシスタントを応募面接しているのですがなかなか条件にあう人がいないらしく、7月から採用する予定がこうしてどんどん押してしまっている。で、いま丁度、いい人が見つかっていて最終面接官である現場のマネージャー(うちの上司)が面接をしているところなんだけど、あいさんのアシスタントにもなるわけだから、あいさん自身で面接してみて、と言うのが上司の用事だったわけだ。
んー、私がですか。私が面接をするのですか。微妙だなぁ。なんか微妙だなぁ。

私は、派遣会社に勤めているので、派遣先(企業)に派遣する派遣社員を幾人も見て仕事をしている。面接と言うほどではないけれど、仕事の紹介をするときに、よくスタッフを観察することが求められたりする。会話をしている中でどれだけ理解度があるのかとか、どういう雰囲気の人かとか。大まかに言えば、派遣先(企業)からもらった仕事の内容に合う派遣社員をいろんな方向からマッチングさせていくことが求められているわけだ。いろんな方向とは、OAのスキルからこれまでの職歴から、またはその人の仕事の志向やら思考やら嗜好やら、その他諸々なわけです。
いろんなカラーを持った会社に合わせて一番近いイメージの人を派遣していくのは、ある意味第三者的な立場をとりながら企業の人事活用をプロデュースしていく、なんて格好よく言えばそういうわけなんですです。わかりづらいかもしらんけど。
私は、けっこうそういう「人を見る」ということが得意で、というか好きなんだけど(だから営業してるんだと思うけど)、なかなかねぇ、自分の会社となるとねぇ、やっぱり欲?が出てしまって慎重になるというか優柔不断になってしまってなかなか決められないものなんです。だから、上司も時間をかけすぎちゃって、未だアシスタントを採用できていないんじゃないかと。でも、もちろん今の私の仕事量や周りの人たちの仕事振りを見ていると、もう選んで採用している場合じゃないわけで。

あい(えー、私に面接を押し付ける気ですね、あなた。)
上司(いやいや、そういうわけじゃないですけどね。)
あい(いや、難しいですよ。私なんかの一介のサラリーマンが面接するなんて。)
上司(そこをなんとか。君が面接してくれてGOを出してくれたら採用しようと思ってるんだ。)
あい(あーちょっと、ほら、私に最終的な決断を押し付けているじゃないですか。)
上司(いやいや、そういう意味じゃないんだけどね。やっぱり現場で働く営業マンと直接話してもらったほうが、応募者も仕事の内容がわかり易いかなと思ったまでで)
あい(んむー)
上司(頼むよー)

と、無言で上司と目の会話をしたあと、ああなんだか面倒くさいなぁ。忙しいのに、なんで私が面接をしなきゃいけないんだろうと。ちょっと身なりを整えて、名刺を持って、手帳を持って、履歴書をお借りして、ああ、面倒くさいなぁ。と、いざ応接室へ。

なかなかハイエイジな方でした。落ち着きもあってどちらかと言うと淡々と仕事をしそうなタイプ。以前、営業をしていたというからコミュニケーションをとるのには無難な職歴かなぁなんて。ああ、でもどこをどういう風に判断していいかわからない。何をどんなふうに面接していいかわからない。
「いま、現在こういう仕事のプロジェクトがあって〜〜」とか「こういう仕事を今後はお願いしたいと思っています〜〜」と、もう充分に上司が説明しているであろう事柄をまた説明してみたりして。ああ、もうグダグダです。オロオロです。目の前の彼女は、「ええ、伺っております」なんて「そ、そうですよね。もう説明させてもらってますよね」なんて、もう間が持ちません。
実は、もし○○さんが当社で働いていただけることになったら、私のアシスタント業務を行っていただくことが多くなるかと思いますので、今日、直接私とお話しさせてもらっているんですよ、と言ってみたら「ああ、そうなんですね」とちょっと私を一瞥。そしてジロジロ。なんだろう。彼女は、「こんな若僧娘のアシスタントするなんて、大丈夫かしら。この娘はしっかりした仕事をしてくれるかしら。」って思ってたりして。逆に、私が面接をされているような気分です。「こんな私でヨイデスカ?」なんて言ってしまいそうになります。「わたし頑張りますんで、ぜひアシスタントをしてください」とか言いそうにもなる。

で、なんとか上辺だけは話しを終わらせて、面接終了。
なんだかものすごくヘコみました。自分の面接のグダグダさにヘコみました。派遣の営業をやっていく自信が……。一気にげっそりしてオフィスに戻ってくると上司が「どうだった?」と聞くので、「んー、大丈夫だったかと……」と答えると、おまえの面接の具合を聞いてるんじゃないんだよと言うので、「だ、大丈夫でした。あの人でイイです」と答えると、そうかそうかと満足げに頷いて、速攻うちの人事に電話して採用通知を出してもらう手配をしていました。上司めーっ。

だ、大丈夫でした。大丈夫です。はい。大丈夫、大丈夫。これからも営業やっていけるって。大丈夫ダッテ!
と何度か胸のうちで呟いて、自分を勇気付けてみたりします。
営業ってツライネー。

さて、私が面接したアシスタントの女性は、来週早々にでも出社されるそうです。
私の決定で彼女の仕事はスタートしたわけです。なんだか申し訳ないやらヘコむやらで。
2004年07月20日(火)  すもももももも もものうち
すもももももも もものうち

夏風邪は長引いています。もう2週間くらい風邪ひいているんじゃないのかしら。
風邪ひいているくせに、旅行をしたり日焼けしたりスイカをほお張ったり仕事をしたり。日常生活に差し障りはないので別にいいけど。
セキと鼻水がすごい。
私はあまり、鼻をかむという癖がないので、鼻が出てきてもすすったりほじったり(!)しているのですが、気を抜くと鼻が出てくる、で、トイレに駆け込んで鼻をかんではセキをしている毎日です。というか、これほど鼻をかんだのは生まれて初めてです。鼻の周りの皮がムケムケです。

ところで、「鼻をかむ」ということにすごく抵抗があります。耳が痛くなるし貧血がしそうだし。人前で鼻をかむなんて恥ずかしいなぁって思うけど、ぜんぜん気にせずあっちでもこっちでもところ構わず鼻をかむ同僚がいます。かなりビックリ。商談中にポケットティッシュを取り出してチーン。電車の中でチーン。エレベーターの中でチーン。蕎麦を食べながらチーン。うーん、私には彼が理解できない。鼻をかむことはオナラをすることにも匹敵することのような気がするんだけどなぁ。
私の恋人は、必ずお風呂からあがったら鼻をかみます。風邪をひいていなくても、です。それでもって、私の鼻がつまってきて鼻声になってくると「早く鼻をかみなさい」と私を躾けます。
早く鼻をかみなさい。早く起きなさい。早く着替えて。もう出かけるよ、早くして。遊んでないで早く食べなさい。もう早く寝なさい。早く病院行きなさい!

病院に行きたくない。まだ風邪を治したくない。
だって、快適だからです。この夏日が毎日続く東京で、私は風邪のお陰で快適に過ごせているからです。みんなが暑い暑いというときに、私はけっこう暖かく過ごせているのです。超熱帯夜といわれる夜でも、暑さで目が覚める恋人を尻目に朝までぐっすり眠ることが出来るからです。エアコンの温度だって28度が快適温度。チョーエコだね。
すばらしい、夏風邪すばらしい。夏バテ知らず。

けど、病人は病人。
病気してるからモモ買って。
スーパーの桃売り場の前で、「病人は桃を食べるものだ」と主張する私と、「病人なら病院へ行け」と主張する彼とでひと悶着あったけど、4個入り600円の桃を買ってもらってお風呂上りにカリリと齧る。
恋人は鼻をかみながら「僕にも一口ちょうだい」と言って、私は鼻をすすりながら桃の果汁が肘までたれるのを勿体無い気持ちで眺める。私の食べかけの桃に恋人がかぶりつきながら「だから、鼻をかみなさいって言ってるでしょ」と言った。
耳が痛くなるから鼻をかむのはイヤ。
2004年07月19日(月)  いと愛しい
私の愛しい人。


大きな鏡の前に座って髪の毛を乾かしていた。鏡の中のベッドの上では、恋人が寝そべって雑誌を読んでいる。足の親指のつめが伸びてきたのが気になって、私は爪きりに手を伸ばしている最中だった。恋人が、雑誌を指差しながらこの記事を読んでみてと私に言う。私は、生返事をしながら慎重に爪きりを親指のつめに沿わせる。「早くここに来て」と恋人はベッドの上を叩く。ちょっと待ってと言いながら私は勢いよく爪きりを握った。早く早くと恋人は急かすけれど、私は床のどこかに落ちた親指の爪をさがす。

濡れた髪の毛に指を絡ませながらドライヤーを使って風をあてる。鏡の中の恋人が私のことをじっと見ている。彼がにっこりと微笑むので、私もにこりと笑い返した。彼がにやりと笑うので、私はなに?と彼に問う。前髪が伸びてきたので少し切ろうかと、私はハサミに手を伸ばしている最中だった。鏡の中の恋人が、私の名前を呼ぶ。私は、うんと答えながら慎重に髪の束から前髪を選んで掴んだ。恋人はシーツを掴んで頭からかぶり、大声で私の名を呼ぶ。私は息を詰めてハサミの刃を髪の毛に沿わせる。はらりはらりと落ちる髪の毛。シーツを少し持ち上げて、恋人はこちらの様子を窺っているけれど、私は床に散らばった髪の毛を一本一本指で掴む。


休日の電車の中で、私たちはうたた寝をする。
こっくりこっくりと船を漕ぐ恋人は、時おり私の肩に頬を預けようとする。私は少し体に力をいれながら誰にも体を預けずに眠ろうと努力する。がたんごとんと電車の音が変わり、いまは鉄橋の上を走り抜けているところなんだろうと思ったのを最後に、私の記憶は途切れた。ハタと気づいて目を開くと、隣に座っている恋人はその向こう側に座っている美人な女性の肩に体を預けて眠っていた。美人も俯いて眠っているようだ。恋人の左腕を静かに引っ張り、美人からその体を引き剥がす。止まりかかったメトロノームみたいに彼は私の体にぴたりと寄り添う。少し鼻をすすった。目の前に座っていた大学生くらいの男の子と目が合った。少し照れた。

休日の電車に乗っていると、ひどく眠くなる。
もうすぐ目的の駅に着くから起きてたほうがいいと恋人が言う。私は頷きながらも意識が遠くなる。恋人の腕がぐいと私の肩を抱いて私の頭はことりと彼の肩に落ちたのを最後に、私の記憶は途切れた。名前を呼ばれて重い瞼をひらいた。恋人が私のバッグを持ち上げ私に手を差し出す。その手をとって腰をあげる。まだ少し寝ぼけた頭を振りながら、私はふらふらと電車からおりた。彼を見げると彼の喉仏が別の生物のようにぐるりと回った気がした。すぐに目を逸らした。同じホームに降り立った大学生くらいの男の子と目が合った。また目を逸らした。


セックスを連想した。
2004年07月18日(日)  遠い夜景の記憶
クリスマスとか彼女の誕生日とか、きっとそういう大切な記念日に、男の人はこぞってこういうところに予約を入れるんだろうな、と思わせる札幌の日航ホテルのスカイラウンジ。
雑誌やガイドブックで見るほど、実際の夜景は美しくはない。落ちている宝石はそれほど多くはないけれど、それでもカウンターに腰掛けて恋人と語らうには不足はない場所だろうと思える。碁盤の街はやはり真っ直ぐな街灯がどこまでも続いていて、飛行場の滑走路を思い浮かべるような夜景に、「それほどでもないよね」なんて言いながらそれでもやっぱり私たちはため息をついたりする。

背中では、アコースティックギターにあわせてカーペンターズを歌う女性。


大学の専攻は管楽器だった。管科の生徒は必須科目としてピアノの単位をとらなければいけなかった。週に1度たった15分だけのピアノレッスンをうける。初めのピアノ講師は外国人のおじいちゃん先生だった。一切、日本語が話せない講師と、片言の英語や身振りやメモに頼りながらのレッスンにはたった15分だけでも限界があった。「音楽は言葉を越える」なんてよく言われるけれど、管科の私にとってピアノは大嫌いなものだったし興味もなかった。それでも単位をとれなければ卒業は出来ない。そんな私がピアノを弾くことは言葉でないと伝わらないことが多く、苦手なものを理解するには言葉が必要だった。
だから1年生の後期に、私はピアノの先生を変えてもらった。

音楽大学にはたくさんのピアノのレッスン室がある。アップライトのピアノがめいっぱい入っているレッスン室は、4畳ほどしかなかっただろうか。音を吸収するための壁の穴が無数にあいていて、カーペットがかび臭く、窓はひとつもなかった。ドアにはちょうど目の高さの部分に横長のガラスがはめ込まれていて、レッスン室の前を通る誰かに、無防備にものぞかれる仕組みになっている。ピアノレッスンを受ける部屋は学校の教室ほどの広さがあって、そのドアにもちょうど目の高さにガラスがはめ込まれている。私も、いま誰がレッスン中かとか、今日の先生のご機嫌はどんなものかな、なんて、よくそのガラス窓から中を窺ったものだった。

私の通う大学は、いつだって薄暗かった。外見は瀟洒な建物なのに中はとても薄暗い印象がある。かび臭くてじめじめしていた。けれど、切れ間なくどこからか流れるピアノの音や管楽器の音、歌う声が聞こえてくる。それに耳を澄ますといつしか陰湿な空気は取り払われる気がした。
後期が始まってはじめてのレッスンに向ったとき、私はいつものようにそっと小窓から部屋の中をうかがった。生徒は誰もおらず、先生がひとりピアノに向って座っていた。ピアノは弾いていない。少し緊張しながら重いドアを開いた。講師の変更を願い出るなんて我侭な生徒だと思われてやいないかなんて、心配だったのかもしれない。

好きな人が弾くピアノの音は、それがピアノじゃなくてもいい、フルートやトランペットやバイオリンだっていい、好きな人が奏でる音はどれだけ遠くにいて聞いていても、きっとその人が奏でている音だとすぐわかるものだ。目を閉じて聞いているとその人の演奏する姿が今にも浮かんできそうだ。その人の音の癖がわかってくるようになる。その人のことを好きであればあるほど。
私が彼を好きになることは、ひとつも不可思議なことではなく、それはとても自然なことだと思えた。その人のピアノの音がすぐ聞き分けられるようになるなんて、とても自然なことだと思っていて、私が彼を好きだということは特に可笑しな部分もなかった。たとえば、その立場やそのときのお互いの境遇や、その他いろんなことなんて私にはひとつも関係のないことだった。彼にとっては障害だらけだったとしても、私にとっては何の障害もなかった。
一般的に言えば、それはある種の一方的な恋とも言える。
彼を好きになることに精一杯で、私はときに彼を思いやることを忘れそうになった。

ピアノに向ってただ何もせず私を待つその先生の姿を見ていた。好きになるなんて思いもしなかったし、それにまだ彼の左手には結婚指輪がはまっていたから。

毎週金曜日、先生はあるホテルのバーでピアノを弾いていた。高いアルバイトだよと笑って、そのホテルの名前を教えてくれた。学生の私にはひとりで入れる場所でもなく、だからとても縁遠くて敷居の高いところだった。
大学でピアノを教える先生と、バーのラウンジでスポットライトを浴びることもなく背景と同化しながらピアノを弾く先生と、一体どんなふうに違って見えるのかただそれだけに興味があった。どうしても行ってみたくて、垣間見たくて、聴きたくて、好きで仕方なかった。思い切ってエレベーターを降りると私の姿を一瞥したボーイが、にこりと嫌な笑顔を振りまいて私を中に招いた。ラウンジの隅でひとりでぽつりと座った。メニューに書かれた値段を見てとても驚いたし、たまに隣の客が怪しげな目で私を見た。背中で聞く先生のピアノの音は、とても控えめで大人の雰囲気がして近寄りがたい空気がした。届かない思いがしたし、相手にされない気がした。そして、店にいる誰もがピアノの音に耳を傾ける様子もなく、だから私はとても腹が立った。彼を遠くに感じた淋しさと、ピアノに耳を傾けるふうでもない周りの人間への腹立たしさとで、ひとりで勝手に途方に暮れてくたくたになった。頬を膨らませて怒ってみたり、わたし何しているんだろうと溜息をついてみたり、目の前のガラスにそんな自分の顔を映してはひとりで夜景を見渡していた。東京の夜景はひとりで見るには持て余す。
だから、それはきっと一般的に言えば片思いというものだったんだと思う。
持て余した思いは、その夜、届ける場所を見失いそうになって挫けそうだった。

私があの日、ひとりでホテルのバーに行ったことを彼は知らない。何も私が言わなかったから。けれど、彼は知っているような気がする。私がきっと行くと思っていたような気がする。そのあとも、彼はずっとそのアルバイトを続けていた。「なにも、そんなバイトをしなくても他にもいっぱいピアノを弾いてお金をもらえる仕事はあるでしょう」と私は彼に言ったけれど、あの仕事が好きだからと彼は言ってピアノを弾いた。好きな人が好きなことをして、そして私を好きだと思ってくれたらこれほどステキなものはないだろうなと思う。


日航ホテルのラウンジでは、ノラ・ジョーンズのDon’t Know Whyを歌う声がした。隣に座る恋人がそれにあわせて口ずさむ。私はそのあいだ、遠い記憶にある人を思い返していた。今ごろ、遠い記憶のあの人は数年ぶりに戻ってきた東京でピアノを弾いているだろう。けれど、私はいま札幌にいる。私たちはどこまでも遠く離れ離れでけっしてひとつになることなんてない。そう思うと、隣にいる恋人がいま私のすぐ横にいることが正しいことのように思えた。

今ごろ東京で、あの人は英雄ポロネーズを弾いているのだろうか。
好きな人の音は、すぐ聞き分けられると信じていたけれど、今もそれが出来るのかどうかわからない。
2004年07月17日(土)  旅記
3:00  起床
5:00  タクシーに乗って
6:00 羽田に到着
6:30  ANAに乗って
8:00  千歳に着いて
8:30  札幌に到着
9:00  やっとホテルを見つけて
9:02  荷物を預けて
9:10  なんとなく時計台
9:15  が見える場所でお茶しました

10:30 とにかくこの3日間で何をしようか考えて
10:31 というか、北海道に来るまでに考えとけってかんじなんだけど、
10:32 まあここ最近忙しくて、ぜんぜん考えてなかったんです。
11:00 よし、スープカレーを食べるぞと、
11:01 観光客らしくガイドマップ片手に
11:03 スープカレー屋探しに出かけ
11:30 やっと見つけたよ
11:32 かんじのいい店で
11:33 かんじのいい店員さんで
11:40 カレーは辛かったけど
12:00 まあまあおいしかった。

13:00 まえ、札幌に来たときは3月だったね
13:01 なんでまた、札幌へ?
13:02 なんとなく……
13:03 ほら、前来たときはあんまり遊べなかったし
13:04 札幌以外にもいろいろ行きたいしね
13:05 せっかくの夏休みだしね
13:06 暑い本州なんかにいられないよね
13:07 東京なんか38度だってさ
13:08 やだね、東京の暑さは
13:09 ぜんぶ汐留が悪いんだよ
13:10 あのビルさえなけりゃね
13:11 日テレの陰謀だよ
13:12 マンマミーヤの陰謀だよ
13:13 こんど、汐留デートしようよ
13:14 いいよ

15:00 雨降ってるね
15:01 札幌の地下鉄に乗って
15:02 地上に上がってきたら
15:03 雨がざあざあ降っていました
15:02 あるコーヒー屋さんまで走って
15:03 白玉ぜんざいください
15:04 カフェというより
15:05 一軒家みたいで
15:06 誰かのおうちにお邪魔しているみたいな
15:07 まわりにはうっそうと木が茂っていて
15:08 猫がにゃあおと鳴いています
15:09 猫が鳴くたびに
15:10 お店のご主人が猫を追い払って
15:11 とても静かな雰囲気でした
15:12 木の床の上をご主人が白玉ぜんざいを運んでくる足音

16:00 大通りまで戻ってきて
16:15 ぼんやりと周りの人たちを眺めたり
16:30 これからのいろんな話しをしたり
17:00 それからホテルにチェックインをして
17:01 やっぱり3時起きは辛いね
17:02 知らない間に眠ってしまって

20:00 目が覚めたら
20:01 腹ペコ
20:30 おなかいっぱいお寿司を食べに
20:31 行きました


よる、夢を見て、目が覚めた。
カーテンからのぞいたテレビ塔の電気は、とっくに消えていたけれど、ベッドの上の恋人も目を覚ましていて、夢の話をしたら、くすくすと彼は笑った。
2004年07月16日(金)  雨の日に思うこと
私の異母兄は、きっとずっとこれからもひとりぼっちで生きていくのだと思う。

私が兄をどうにかしたいと思ったとしても、兄はそれを受け入れはしないだろう。それは兄が誰かの力を必要としない孤独な人間だからではない。兄は誰かに心配されることや優しくされることにとても不慣れで苦手な人間だからだと思う。
その点では、私と兄が兄妹であるという証にもなる。

兄は仕事に熱中する。
兄は妹を心から愛する。
兄は友人を心から大切にする。
けれど兄は、自分自身を大切にすることも愛することもしない。

異母兄はこれからもずっとそんな生き方を選んでいくのだろうか。

兄はよく言う。
異母妹である私の幸せが、自分の幸せだと。

私は兄妹愛というものは、よく知らない。
私たちが兄妹でなければ、この言葉は異性同士の至極の愛情だと思える。
私はその兄の気持ちをどう受け止めればいいのかわからなくなる。
私は、兄を兄だと思う瞬間もあれば、兄を男だと思う瞬間もあって、親友だと思う瞬間もある。
兄だと割り切って考えられる時間が、私にはまだ少ないのだろうか。
兄を兄と知って、まだ10年もたっていない。
私たちが兄妹になって、まだそんなに同じ時間を共有していない。

雨の日にそんなことを思った。
雨の日は考え事をするのに最適な日だと思った。
兄はやはりとても悲しい人だと思った。
2004年07月15日(木)  反比例するもの
頭の中で弾ける死は点のように一瞬のものだけれど、やがてそれは一本の線になり、いつか私たちは固く抱きしめあいながら死んでいってしまうのかもしれない。


相手と一緒にいる時間が長ければ長くなるほど愛おしさは強まるけれど、セックスは重ねるたびにお互いの白々しさが募っていくような気がしてならない。相手への好意の強さと反比例をするようにセックスは恋や愛とはかけ離れた場所に存在するようなものに思える。
きっとそれは無意識に、セックスはお互いを傷つけていっているようで、一瞬一瞬の死が生まれていっているような気がした。死はそのうち連鎖して、確実に私たちを陥れる。

最近、よく思う。
セックスをすることは、私たちの一体なにになるのだろう。
セックスと人を好きになることは、まったく別の場所にあるような気がしてならない。
まったく別のもののような気がしてならない。
連動せず関わらず、ただ別個の行為としてそこに存在しているような気がしてならない。
恋愛の中にセックスがあったとしても、セックスの中に人を好きになる要素など必ずしも含まれていない。

けれど私たちにはセックスに疑問を持つ暇もなく、ただ休日の儀式のように、ただ食事のあとの祈りのように、私たちは固く固く抱き合って、また今晩、一歩死に近づくようにセックスをする。
2004年07月14日(水)  恋とか愛は、たとえば
恋とか愛は、たとえば
思い込みとか、勘違いとか、幻想とか、自惚れとか、不安の波の中の救いだったり、目の曇りだったり、そんな中から生まれるものだと思う。

幸せな思い込み
幸せな幻想
不安の中では一層輝いて見えるもの

それが恋や愛で、きっと誰しもそんな自惚れには気づいているんだけど、それに目を背けた結果、「愛している」だの「好きだよ」だのというものになるんだと思う。

けれど世の中には、それらを超越した本物の愛や恋があるという。
私は、知らない。そんなものは知らない。
本当にあるのか、ないのか。私にはどちらでもいい。なくてもいいし、あってもいい。
私には、そんな真実の有無は必要としないし、興味もない。
唯一、その真実だけは知りたくない。知るのは怖い。

けれども私は、そのつくりあげられた幻想の中でも、今日もあなたのことが大好きです。
それ以上でもなく、それ以下でもない。
2004年07月13日(火)  こんにちヘルペス
こんばんは。口唇ヘルペスです。左口角ヘルペスです。
生理前・風邪・疲れ・ストレスという4つがちょうど重なったため、ヘルペスです。
こんばんヘルペス。

そうだね、ヘルペスとの出会いは物心ついたころだったかしら。気づいたら常にヘルペスは私の側に寄り添っていてくれました。ふと気づくと、唇の端が痛む。「お母さん、唇、切れそうだよ」と言うと、母が「またヘルペス?!」とよく言っていたものです。
ヘルペスは、突然私の目の前に現れて、私を喜ばせてくれるかと思うと、あっという間にその姿を隠してしまう。淋しいやら悲しいやら。でも、またいつしか口角にむくむくと気泡が出来てまた私に会いにきてくれる。ヘルペスは、兄弟もおらず一人っ子として育った私にとって、「心の友・いつも側にいてくれる大切な友だち」でした。
幼い頃の私は、ヘルペスがちょこんと私の唇の端に現れてくれるたびに、友だちに自慢したものです。「ねぇ! 見て見て! かっこいいでしょうー! 殴られて怪我した人みたいでかっこいいでしょー!」なんて、殴られて唇の端が切れた男の人へのちょっとした憧れもあり、ヘルペスが出来るたびに友だちに自慢していました。でも、やはり現実世界にいる友人たちにはそのカッコよさが伝わらず、むしろ「えー、あいちゃん、気持ち悪いよそれ。」という言葉に、よく傷つけられたものです。
ヘルペスは、私にとって「ワイルド」若しくは、「一匹狼」という代名詞そのものなわけです。
一言でいって、「ヘルペスカッコイイ」。ケンカをして傷ついた男っていうイメージが私の心をくすぐるわけです。

「あ、あいさん、唇のところ、吹き出物できてるよ」
会社で、新人くんが私の顔を指差して言いました。
クス。この子は「ヘルペス」も知らないのかしら。やっぱり青二才ね。
「これ、“ヘルペス”って言うんだよ。知らないの?中学から出直してきなさい」
「……」
勝ったね!ヘルペスも知らない奴とは口きいてやんないよ。
「中学で、“ヘルペス”なんて習うんですか……」
「知らないけど。でも一般常識だよ?ヘルペスって」
「単に、あいさんが不規則な生活をしている表れなんじゃないですか……?」
ファーック!
いま、ヘルペスを馬鹿にしたね。いま、馬鹿にしたよね。私を馬鹿にしてもいいけど、ヘルペス馬鹿にするやつは死刑! キミは即刻死刑です。
「……なんなんですか。ヘルペスヘルペスって……」
新人くんも、一週間連続、終電で帰るくらい仕事をしたらヘルペスのカッコ良さがわかるようになるんだけどねぇ。惜しいねぇ、キミは本当に惜しい生き方をしているよ。先輩として、キミの将来が心配です。

「ほら、これ飲みな」
恋人が薬を持って帰ってきました。なにこれ。
「抗生物質だよ。すぐに効くから、これ飲んで早く寝なさい」
なに? なにに効くの?
「その口の横に出来ている、不規則で怠惰な生活をした証、“ヘルペス”に効くんだよ」
なんで、飲まなきゃいけないんですか。なんで、治さなきゃいけないんですか。
一年に一度、会えるかどうかもわからないヘルペスを、どうして抗生物質で殺さなきゃいけないんですか。私はナチュラル志向なので自然に流れる時間に任せたいと思うのですが。ヘルペスとの再会を楽しみたいのですが。
「僕は、あなたが鏡を何度ものぞきこんで、ソレを満足そうに眺めるその姿に我慢できません。」
なんと言われようと私は飲みません。断固として飲みません。


だって、ヘルペスカッコいいじゃん。
2004年07月12日(月)  元気ですかー?!
熱ありますかー?!
37.3でーす!

セキしてますかー?!
くしゃみも出てまーす!

だるいですかー?!
だるすぎまーす!

寒気はありますかー?!
汗かきながら寒気がしまーす!

喉痛いですかー?!
煙草は控えてまーす!

鼻水出てますかー?!
ティッシュをつめてたいでーす!

仕事休みたいですかー?!
休んでこましたいでーす!

忙しいんですかー?!
休みたいって言いづらいでーす!

今週末は3連休ですねー?!
ですねー!

どこかに行くんですかー?!
北海道にまた遊びにいきまーす!

風邪ひいてでも行きますかー?!
当たり前でーす!

あと4日がんばりましょうー!
ダー!
2004年07月11日(日)  牛乳なんて興味ねえんだよ
「牛乳なんて興味ねえんだよー!」

休日の朝、起きてすぐ冷蔵庫を開けた。カーテンの後ろで太陽が光っている。
牛乳パックの賞味期限を確かに確認したのに、口に含んだ牛乳は腐ってた!

なんか、ゲロの味。
ゲロを食べたことはないけど。
キノコが腐ったような味。
匂いが似てる。

あまりにも苦くて臭くて、ぺぇーっと台所の流しに吐いたら、勢い余って戸棚の角に額をぶつけてしまった。ゴーンとすごい音がしたので、慌てて恋人がベッドから起き上がった。デコが痛いのと、口の中が気持ち悪いのと、ゲェゲェ言いながら口の中のものを一滴残らずペッペと出した。
すごい不味い。すごい痛い。
デコに触れるとなんか濡れてる。触った指をカーテンの光に当ててみると
あ、血。

ものすごい笑われた。腹を抱えて笑う恋人に腹が立った。コニャロー。
「あ、おはようございます。貞子さん」と言われたので、「くーる、きっとくるー、きっとくるー」と歌ってしまった私はなに?

賞味期限前の牛乳が腐っていて、あまりの不味さに驚きすぎて、デコを切った。
もう、25歳です。
早く大人らしい振る舞いができるようになりたいです。
2004年07月10日(土)  ぼんやりとした記憶
恋人が音楽家だからといって、毎日クラシックを聴かされたり退屈な音楽史を延々と聞かされるわけではない。たまに練習中に話しかけると叱られたり、演奏会が近くなるとかまって貰えなくなるけれど、それはサラリーマンの恋人であっても、仕事中の忙しいときにかまって貰えなくなるのは同じだろう。

音楽家の家にはグランドピアノが置いてあって楽譜がそこら中に散らばっている。それだけはサラリーマンの家と異なるところだろう。ひんやりとしたフローリングに寝そべり、私は彼がいくどもペダルを踏みかえるのを見ていた。暑くて風のない日はそうやってひんやりと黒光るピアノを眺め、涼しいピアノの音を聴き、冷たいフローリングに頬をつけて彼の足元ばかりを見つめていた。
不規則に、けれども指の動きにあわせて彼の右足は器用にペダルを踏みかえる。

私が彼に弾いてとよくせがむ曲は、ショパンの「英雄ポロネーズ」だった。

私は大学生の頃、半年近くの時間を実家で過ごしていたことがある。
前期の講義をすべて休んで帰省していた。病気になったからだ。入院はしなかったけれど通院しながら休養をしなければいけなかった。両親が心配して実家近くの病院に行くことを勧めた。
音楽家の恋人にさよならを告げて、私は静かな田舎の町に戻った。
なにもない毎日、一向によくならない体、静か過ぎる街、退屈な時間、両親の不仲、息の詰まる家族、自分自身をひどく呪った。じっとりとした気持ちの悪い汗をかいているような、そんな気分の毎日だった。


音楽家の恋人は、本当に私の恋人だったろうか。
側には置いてはくれたものの、私たちには一緒に過ごすこと以上のものが何もなかった。好きだという言葉もセックスもなにもなにもなかった。僕みたいな人間を好きにならないほうが君のためだと言いながら、彼は私が側にいることを拒まなかった。そして、私が他の男性と遊びに行くことも嫌がらなかった。彼の何もかもがわからなかった。
確かな唯一のものは私が彼を好きだということだけだった。不毛な恋をしているのだろうかと何度も考え直そうと思った。他に好きな人がいるのかと彼に何度も聞いた。私のことを何とも思っていないのかと何度も聞いた。好きだと言って欲しいと何度も懇願した。けれど、私の気持ちはいつになっても彼に受け止められることはなかった。

彼の家の前にある坂道を、私は振り返りながら駅へと歩く。彼はずっとそんな私を見つめている。振り返ると彼はまだそこにいて、また振り返ると彼は手を振っていた。また振り返っても彼は手をおろしてずっと私を見ている。私が笑顔で手を振ると彼も手を振り返すけれど、その顔はどこか淋しそうだった。だから私は、たとえ私を受け止めてくれないとしても彼の側を離れることが出来なかった。彼の本心は一体どんな表情に表れるんだろうって、それをずっと知りたかった。手を振る悲しそうな彼の顔がずっとずっと引っかかっていた。悲しく見えた彼の顔は、けして私の都合のいい解釈ではなかったはずだ。


必ず毎晩、彼は私に電話をした。
静かな田舎の夜に響く携帯の着メロは、その日一日中私が待ち焦がれていたものだ。
私はもう、会いたいとは言わなかった。好きだと言ってくれと懇願もしなかった。ただただ、彼の話す言葉を聞くことだけが、その日一日中私が待ち焦がれていたものだった。私はいま、この狭い部屋に、退屈な街に閉じ込められている。受話器から聞こえてくる彼の話しが、思い憧れる外の世界のおとぎ話に聞こえた。閉じ込められている私には、遠い夢のような話。

受話器から聴こえてくる英雄は、少しくぐもって聞こえた。少し悲しく聴こえた。
悲しいの?と彼に聞いたら、悲しいよと答えた。
弾き手が悲しければ、いくら楽しい音楽だって悲しく聞こえてしまうものだ。
もう一度、悲しいの?って聞いたら、彼は一度沈黙をおいて、悲しいよと答えた。
彼は、受話器の向こうで泣いていたのかもしれない。
私には、泣いているのかどうか彼に聞いたところで、何もしてあげられない。

東京から遠く離れて私は過ごした。
まだ、東京には帰れそうもなく、そして彼の外国行きの話は現実味を帯びてきて、もう彼の側にはいられなくなるんだろうなと、ただぼんやりと私は感じていた。


あのときの彼は、本当に泣いていたのだろうか。
2004年07月09日(金)  自転車で駆ける
金曜日。
0時過ぎに部屋を片付けたり、洋服をたたんだり、お米を研いだり、シャンプーの補充をしたりして、30分くらいを過ごした。ちょうど2時間くらい前、私は確かにこの部屋で恋人と仲良くドラマを見ていたのに、なぜか今はひとりでいる。

他愛もないといえば他愛もないとは思う。私はべつに間違ったことを言ったつもりはなかったし、感情的にもなってなかった。気に障るようなことも言った覚えはなかったけれど、ちょうど30分前、恋人は部屋から出て行った。

彼は、恋人としては、とても純粋な人だ。純粋すぎるほど純粋で、だからきっと森の中の木しか見えていなかったのだと思う。けれどそれは悪いことではない。私だってそんなときはあるから。仕事をしているときの彼は、厳しくて怖くていつも冷静で彼の後輩たちはいつもビクビクしながら彼に話しかけるというのに、恋人とケンカをしてへそを曲げて部屋を出て行くなんていう、子供っぽい側面を彼が持っているとは職場の人たちは誰も想像できないだろうなぁと、ひとり台所に立ってほくそえんだりする。ちょうど3ヶ月前、仕事中の彼に出会った日のことを思い返した。

追いかければよかったのかもしれない。彼は、「今日はやっぱり家に帰る」と言っていた。でも、私はたぶんまだ彼はこの近所のどこかにいるような気がしてならない。コンビニで立ち読みをしているか、どこかのお店に入ってビールを飲んでいるか。私は悲しくはなかった。まだ家に帰っていないと予感したからではない。はじめてケンカをしたことに、不思議な清々しさを感じていたからだ。迎えに行くべきかもしれない。待っているのかもしれない。ちょうど一週間前、渋谷の駅で酔った私を彼が迎えに来てくれたように、今日は私が探しに行く番なのかも知れない。

生暖かい風が重たく私を撫でる。夜中に自転車で駆けることは気持ちが良い。誰も居ない夜道をただ坂を上ったり下ったりしながら、街灯に集まった虫を見上げながら、夏という季節はどうしてこんなに開放的なんだろうと思う。当りをつけている店は3軒ほどある。私と彼で何度か行った店だ。さっき寄ったコンビニには立ち読みの客はひとりもいなかった。JRの駅を通り過ぎて1軒、地下鉄の駅まで走って2軒。最後、駅の裏側の店に入ってみる。「もしかして、お待ち合わせですか」と若い店員が話しかけてきた。この店はさっき行ってみた店より、遥かに静かだったのできっと彼はここにいるだろうと予感した。店員は、彼と私のことを覚えていたようで「お連れ様でしたら、ちょうど5分前にお帰りになりました」と言った。

えっちらこっちらと、坂をのぼる。途中で諦めて自転車からおりた。もう電車は動いていない。タクシーで帰るのに気が進まないほど彼の家は遠くない。もしかしてやっぱり帰ったのだろうかと思いなおした頃、ちょうど向こうの街灯の下に人影を見つけた。ゆっくりゆっくり歩いている。


「もし、迎えに来なかったらどうしてたの?」と聞いたら、「迎えに来てくれるなんて思ってなかったよ」と笑って恋人は答えた。私はそんなに優しくない恋人として彼には思われているのだろうか。少し淋しくなった。すごく探したんだよと言うと、どうやって謝ろうか考えていたと言った。

私は、その気持ちだけで充分だと思った。
彼は、私にとって充分すぎる人だとも思った。
私が先に謝ったら、彼が笑った。
2004年07月08日(木)  立てば芍薬、座れば牡丹、眠る姿は蛙
人から聞いた話。
恋人がふと目を覚ましたら、私が一点を見つめながら煙草を吸っていたそうだ。ビデオのデジタル時計を見たら午前3時を過ぎていて、「早く寝なよ」と声をかけたら、私は煙草をもみ消してベッドに入った。
明日は何曜日?と私が聞くので、彼が明日は木曜日だよと答えたら、長い長いため息をついたそうな。「あと二日だから、頑張れ」と言ってやると「うん、がんばるー」と言いながら「すべてはこのボタンから始まるんだよ」としきりに私は言っていたそうな。こりゃ、いつもの寝ぼけなんだなと恋人は悟り、「何が始まるの?」と聞いてみると「すべてだってば!」と私は怒って答えたらしい。
通勤が面倒くさいとか、会社に泊まりたいとか、歯が痛いとか、部屋が汚いとか、暑いとか、おでこが痒いとか、私はいろいろと文句を言いながらずっと耳をほじっていたけれど、そのうち寝てしまったらしい。
その寝ている姿が、蛙を仰向けにした姿にそっくりだったので写真でも撮って収めておきたい衝動に駆られたと、朝、恋人から聞かされた。
撮ってないでしょうね?
と確認すると
撮ってないよというけれど、ほのかに信じがたい。

自分の知らない自分の話を聞くのは面白い。けれど、私にはまったく身に覚えのない自分の言動ゆえ、恋人への隠し事を増やすと面倒なことになりそうだなと気が引き締まる思いです。
2004年07月07日(水)  彼らを殺した
去年の夏は体調がとても悪くて、最悪な夏だった。

去年の恋人は、精神科の看護士をしていた人だった。
ふとしたきっかけがあって、私は彼の部屋にあった前の機種の携帯電話を手にした。誰も居ない彼の部屋でただひとり、彼の前の携帯電話を見つけた。電源ボタンを押すとそれはいとも簡単に作動した。使い終わった電話も電源が入るもんなんだなと思いながら、メールボックスを見ていた。
もう、そこからすべてがおかしくなったきっかけだったと思う。

自分が送ったメールを見てみた。いくつか別の女性のメールボックスを見つけて開いてみた。他愛もない会話が書かれてあった。その中の一通に手が止まった。何が書いてあったかは具体的にはもう忘れた。裏切られたと言えるほど、まだ私たちは親密でもなかったけれど、信じている彼の部分はたくさんあった。それがいとも簡単に覆された。

その価値観は人それぞれで一概には言えない。ただ、もし「恋人」と「そうでない人」の二種類に周りの人間をわけられるのなら、彼が彼女に送ったメールの内容は、私にとっては「恋人」にかける言葉そのものだった。そして、彼が彼女にしてあげていたことは恋人同士でもなかなか出来ない「かけがえのない存在」になっていたように見えた。きっと、彼女にはこの彼が「かけがえのない存在」だったのだろう。
精神的な悩みや痛みや苦しみを聞くことは、仕事柄、彼にとっては日常茶飯事だったかもしれない。聞き慣れていたし、対処慣れしていたかもしれない。でも、彼女にとって彼は、毎日くる生活の中のただ唯一の貴重な存在で、心のより所になる話し相手だったろう。
彼は、フィールドを間違えた。彼は、仕事の枠を超えてその彼女の話にずっと耳を傾けていた。彼はフィールドを間違えて、その能力のその優しさの誤った使い方をした。
彼は、仕事を一歩離れれば、精神科の看護士ではないのだから。

その後、毎晩毎晩、私はそのことを考え続けては吐いた。食べては吐き、口を拭いてはまた吐いた。
私は、その彼女にメールを送った。
何を書きたかったのだろう。たぶん、伝えたかったことは「もう彼には近寄らないでくれ」と言いたかったのかもしれない。けれど、私はその一文さえ書けなかった。私は、「権利」と言う言葉が嫌いだけれど、でも敢えて使うのなら、「私には彼女と彼についてあれこれ言える権利がなかった」からだ。彼女からの返信は、すぐに来た。彼女は、私に謝りつづけ自分を卑下しては私に謝っていた。

自分に嘲笑した。
恋人が、他の女性とセックスをしたとしよう。恋心を持ったと仮定してもいい。
それと比べても、私が一番許せないと思うことは、恋人が他の誰かの精神的支えになることだ。理由は、私がその支えを恋人にたいして求めているからだ。ひどく重い要求だろう。容易には応えられない要求だろう。でも、自分の恋人と他の女性が送りあったメールを見て、夜中にひとりでトイレに顔を突っ込み吐き続けている私が、精神的に強い人間だと誰が思うだろうか。私は、精神的に弱い。ひどく弱い。自分でさえ予想できない部分で私は簡単に傷つく。そんな自分が、恋人が他の誰かの支えになることを容認できるだろうか。出来ない。私こそが必要だからこそ、それは見なかったことにはできない真実だった。出来れば、彼女と彼が恋心を抱いていているほうが私にとってずっとずっと救いになることだった。

誰が一番悪いのか。

私が恋人のメールを見たことに発端がある。
もし私が携帯電話を盗み見ることもなく彼女のことを知ることもなければ、何も起こらなかった。でも、そうすれば私の知らないところで彼はどんどん彼女の支えになっていっただろう。それでも良かったのかどうか、私は判断することが出来ない。
でも、発端は私にある。そしてそれは、その恋人とだんだん歯車がかみ合わなくなってきた発端でもある。結局、すべてはそれだった。結局、すべては私から始まっていった。ひとつずつ積み上げた積み木を、一瞬にして払い崩したのは、紛れもなく私自身だった。
私は、あのとき彼と彼女と自分を自分の手で殺した。
彼らと私を殺したのは私です。


そんな話しを、昨晩ふと思い出して私は自分の恋人に話して聞かせた。
私の恋人も、精神科の看護士ではないにしろそれに近い仕事をしている。もし、この目の前にいる私の恋人が女友達の精神的支えになっていたら、今の私はどうしただろう。彼も、日常茶飯事に心の悩みを聞いている。心が少し欠けたり、少し変わった形をした心を相手に仕事をしている。そんな彼を私はどんなふうに見つめればいいのだろう。
恋人は何も言わずにずっと考え込んでいた。なんと答えればいいのか考えているようだった。私は彼をおいてシャワーを浴びた。シャワーに流されながら少し泣いた。

私に謝りつづけていたあの彼女は、今ごろどうしているだろう。メールはすべて捨ててしまった。自分の送ったメールもすべて消してしまった。彼女は、まだ彼を必要としているだろうか。それとも支えの存在をなくしてひとりぼっちでいるのだろうか。私自身が彼女と彼を絶ってしまったのだから、彼女を想像することも許されないことだけれど、また去年のように暑い夏がやってきた。
そして、彼女と彼とあの出来事を思う。
2004年07月06日(火)  さぶいぼ出た
家で散々ビールを飲んでいた恋人が、ぐでんぐでんになって寝そべっていた。ベッドで寝てよと声をかけると、むっくり起き上がってこう呟いた。
「ねぇ、あいたーん。僕、サミシー。」

あいたんって!
あいたんって!
あいたーんって!
サミシーって!

そりゃ最近、なんだかんだと忙しくてかまってあげてないけれど、あいたーんはないんじゃないかと。

最近起きたさぶい出来事の中でナンバーワンに輝いた瞬間だった。
2004年07月05日(月)  淡い恋心と嫌なガキの話
先日のゴールデンウィークに帰省したときのこと。

ちょうど、親戚のおうちで法事があり、母に「あんたも滅多に帰ってこないんだから、顔を出しなさい」と言われていたのもあって徒歩5分の親戚のお宅にお邪魔していた。都会の法事はどうか知らないけれど、田舎の法事は近所のオバサン連中が集まって巻き寿司を作ったり料理やお酒の準備をしたりと、お客さんをおもてなしする用意はすべて手伝ってくれる。

徒歩5分の親戚の家という事もあって、その近所のオバサンたち(もうおばあさんとも言う)は私の幼いときのことをよく知っている。高校生で実家を離れて一人暮らしをしていたので、多分中学生以来、久しぶりに私の顔を見るおばさんもいるだろう。まあ、大げさに「あらぁ〜、あいちゃんもすっかりベッピンさんになっちゃってぇ。もうすぐお嫁さんねぇ」と、小うるさい、じゃなくて余計なお世話、じゃなくてすっかり大人になった私を見て驚いているおばさんも多かった。寄ってたかって私の体をばしばし叩くし、ゲラゲラ大声ではしゃぐし、そのパワーといったらこっちが引いてしまうくらいだ。おばちゃん特有のものだね。

で、そのオバサンたちの中に私がもっとも会いたくないオバサンが一名。そのオバサンが私のことを見て感慨深げにこう言った。
「あいちゃんは、うちのお父さんのことが好きだったわねぇ」と。
あー、それを言って欲しくなかったよ。恥ずかしいじゃないの。今さらもう何年も前のことをよく覚えているわ、このオバサンは。
「そうだったわねぇ」と周りのオバサンも頷く始末。あー、やだやだそれを言わないで。

私は、当時、たぶん小学生の低学年くらいだったと思うけれど、随分ませたガキで同級生の男の子になどまったく興味もなく、いっつも鼻であしらっては「男子ってうるさいしバカだし面倒くさい」とか言うくらいのクソガキだった。で、その小学校低学年くらいで私が恋したのは、そのオバサンの旦那さんだったのである。オバサンの旦那さんである。その当時いくつくらいかだったかわからないけれど、たぶん40代か50代くらいだったんじゃないかと……。もう娘さんも就職して家を出て行って夫婦二人で暮らしていたおじさんだった。
10歳前後の女の子が4,50代のオジサンが好きだなんて、今じゃ犯罪すれすれなことじゃないかと思う。もちろん、加害者は10歳の女の子の方で被害者はおじさんのほう。もう、私はあまりにもそのおじさんの(顔の)カッコ良さと、朴訥とした雰囲気が大好きで、なんてステキなおじさんだろうと胸を躍らせていたんですね。私はあまりよく覚えていませんが、母にそのおじさんの素晴らしさをしつこいくらいに話したらしいし、とにかくいろんな人に「あのおじさんはカッコイイ」と言いまくっていたらしいので、町ではちょっとした有名な話になっていた。
まあ、それでも周りの大人たちは、私がそのおじさんを好き好きと言っても、「親戚のおじさんを慕うような好感」という程度の「好き」だと思っているようだった。当たり前だ。誰も10歳前後の女の子が4,50代のおじさんに恋をするなど思わないだろう。

私はそのおじさんを見つけては膝に座ってにんまりしていた嫌な子供だったのである。おじさんの奥さんも「なんだか大きな孫が出来ちゃったみたいね」と喜んでいた。いや、喜んでいる場合じゃなかったんだけど、本当は。私があまりにも「好き好き」と周りに言いまくっていたので、いつしかおじさんの耳にも届き「そしたら、あいちゃんはうちの子になるかい?」と言われ、私は大変気分を害した覚えがある。「そんな生半可な気持ちじゃありません!」なんて、大好きなおじさんを目の前にしてそんなドラマティックな告白は出来なかったけれど。

あー、なんて恥ずかしい。今思えば、かなり恥ずかしいし、本当におかしな子供だったなぁと思う。すごい捻じ曲がった性癖でもあるし、いわば犯罪すれすれの性癖だね。たぶん、あのときから「年上の男性が好き」という本領が発揮されていたんだろうね。しかし、そうは言っても歳の差がありすぎる。
2,3歳くらいの年上の恋人って、やっぱりなんだか違和感がある気がするし(?)ひと回りくらい離れていたほうが随分落ち着く気がするし(?)やっぱり歳がかなり離れていたほうが楽だなーってよく思う。あー、でも脂ぎったキモイおじさんは勘弁願いたい。

という性癖の話し。
2004年07月04日(日)  居場所
足の下を山手線が走り抜けていく。少し向こうには駅が見える。大海原にぽつんと浮かぶ孤島のような駅に人が溢れんばかりに立っている。孤島の両脇を緑の電車が止まっては走り抜けていく。
また、私たちの足の下をくぐって電車が次の孤島へ向っていく。

オレンジの夕暮れがゆっくりと青空を飲み込んでいく瞬間。
私たちはスーパーの帰り道、アーモンドチョコを食べながら何本もの電車が足元を走り抜けていくのを見ていた。彼が、手品のようにポケットからアーモンドチョコを取り出す。取り出すたびに、半分を私の手に落とし、そして自分の口に放り込む。私たちは欄干にもたれ夕暮れと電車を交互に見ながらアーモンドチョコを噛む。
休日の夕方は、子供連れの家族や買い物途中の主婦が歩道を歩き、車はたまに排気ガスをまきながら走っていく。信号は規則正しく青から黄色になって赤になる。コンビニの明かりは変わりなく光っている。
熱風が街を撫でていく。

地方に住む友だちは、東京は人が多くて嫌だと言う。治安も悪くて水もまずくて、何より空も空気も汚いと言う。人が住むところではないと言う。けれど、私はここで馴染んでいる。治安が悪くて怖い思いをしたとしても、人間関係の希薄さがときに辛くても、薄い空の色に満足できなくても、私はここに生きてここで成り立っている。
私は、自分の田舎こそが私にとっての「生きにくい場所」だと思っている。息が詰まり馴染めない場所だと思っている。こここそが、池袋で暮らすことが私の安心できる場所だと思っている。

ある程度、私の生活は両親によって成り立っている。それでもその上に築いたものは私自身の手で手に入れたものだ。働いてお金を稼いで生活をしている。ひとりで生きてきたとは言わない。親が作った基礎がなければ、私は東京の大学さえ進学することが出来なかったのだから。ただ、今はひとりで生きている。自分自身の力で生きている。
遠く離れた都会の街で、私はひとりで生きている。

そう考えると、なんだか涙が溢れてきた。
生まれた家は、もう私にとって住みにくい場所だ。
だからこそ、私は私の場所を見つけなくてはいけない。
だからこそ、私はひとりで生活をしなければいけない。
そしていま、その生活をこの池袋でおくっている。
そのことが、今まであったいろんな出来事を乗り越えてこれた証のような気がする。

こうやって、電車を眺めて行きかう人を眺めて、夕暮れに染まる空を見上げて、そんな安らぐ時間を感じられるようになった自分は、たぶんきっとこの場所を自分の居場所として認めた証拠なのだと思えた。

私は、たぶん田舎には帰らない。帰れない。
田舎は田舎であって、私にとってそれ以上の意味はない。
帰るべき場所は田舎ではなく、私にとってはここなのだ。
母は、私が実家に戻ると落ち着きがなくなることを知っているだろうか。
父は、私が実家に戻っても常に緊張していることを知っているだろうか。
だから帰らない。
ずっとここで暮らす。
私を待つことは諦めて欲しい。
もう帰る気はないのだから。

彼が、また手品をしてアーモンドチョコを私の口の中に放り込んだ。
もう帰ろうかと、私は彼の手をとってアーモンドチョコを噛んだ。
私の帰るべき場所へ、もう帰ろう。
2004年07月03日(土)  英雄ポロネーズ
腕時計は、深夜1時をとっくにまわっている。
終電車を降りてマンションまでたどり着くと、私は空を見上げた。
遠くでバイクのエンジン音が響いている。熱い空気が二の腕にまとわりつく。

人は、どういうときにふと古い記憶を呼び起こすのだろう。
悲しいことは、思い出したくないと思うほど、なんの前触れもなくふと蘇る。
嘘。
前触れはあった。前兆はあった。思い出すきっかけになる話が私の耳にも届いた。
『あの人が東京に戻ってくるらしいよ』友達が私の反応を窺うように呟いた。

あの人が東京に戻ってくる。一時の帰国をしてもうすぐこの東京に帰ってくる。音楽家である彼が、東京の仕事を引き受けて今年の夏はずっと東京で過ごすことになったそうだ。
彼とは、何年会っていないのだろう。

以前の恋人のうち、ふたりは海外に飛び立っていった。
そのうちの一人とはもう一切連絡もとれないでいた。
別れてしまうとき、私はもう一生この人とは会うこともないだろうと思っていた。
その気持ちを自分の中で認めたとき、もう私たちに未来はなく過去だけが残って、たまにそれを思い出しては自分で自分を悲しくさせた。
「未来がない」という言葉は何て悲しい響きなんだろう。

動揺しているのだろうか。
また、彼に会えるとさえ思っているのだろうか。
あのとき覚悟した、もう一生会わないだろうという思いは、簡単に破られてしまうのだろうか。また、未来を続けようと思っているのだろうか。
もし、会えたとしても、私には彼にどんな話しが出来るのか、どんな言葉をかけられるのか想像もつかない。そして、今の彼が私に会うことを望んでいるのかどうか、わからない。

もしかしたら、私のことなど忘れてしまっているのかもしれない。

私にとって、彼はどんな人だったろうか。
彼は、時間というフィルターにかけても、私の中を片ときも離れずたまに存在を思い出させては、私を悲しくさせる。
私は、これまで何人の男性を好きになっただろうか。きっと数えられない。これまでの恋人を、けれど私はその都度、出来るだけの情熱を注いでいたはずだ。時間は過ぎ、彼らと離れて過ごす時間が長くなれば、彼らの存在は薄れそのうちどんな顔だったかさえ忘れてしまう。熱い情熱を時間が冷ます。そんな時間というフィルターをかけても薄れずに存在する男性は、それほど多くはない。

あのときの彼は、私にとってはとても大きな人で父のような保護者でもあり仲のよい兄や親友のようでもあり、そして音楽大学に通う私にとって音楽の師でもあった。
当時の私の何もかもを、当時の彼はかんたんに変えてしまった。

彼のことを考えると、とっても悲しくなる。
どうして、彼と出会ってしまったんだろうと後悔さえする。
どうして、彼を知ってしまったんだろうと自分を呪いさえする。
どうして、好きになってしまったんだろうと嫌気がさす。
出会わなければよかった。近づかなければよかった。好きにならなければよかった。
けして、彼を憎んでもないし嫌ってもないのに、もう一緒に過ごさなくなった今でも私を悲しくさせる彼を、いや勝手に悲しくなっている自分が嫌な人間に思えた。
彼を通して、私の中に悲しい思い出や辛かった出来事が一斉に蘇る。
私は、彼と出会ったとき、とても酷い人間だった。とても醜い人間だった。


遠くでまた、バイクの走り去る音が聞こえた。
彼の弾くショパンが聞こえてくるような気がした。
目に見えない強い力が、私の意志を無視して、
私の体と心をどこかにやってしまうような気がする。
私は私を維持できないかもしれない。
そう思うと少し怖くなった。
2004年07月02日(金)  久々に記憶をなくしました
7がつ2にち 金よう日  はれ

きょうは朝5じにおきました。あつかったのではんそでの服をきて出かけました。まいにちまいにち、しごとがいそがしくて、さいきんあまりねむれていません。
ゆうがたにはお仕事のおきゃくさんにおすし屋さんにつれてってもらいました。あなごが一ばんおいしかったです。とても高いおすしをおごってもらいました。あなごをたくさん食べました。おさけもたくさんのみました。そのおさけはとうきょうでふたつのお店でしかうっていないそうです。おいしかったのでたくさんのみました。いぇーい。

かえりに、しぶやでこいびとのしゅん君とまちあわせをして、いっしょにかえりました。しぶやからいえまでかえるとき、ぜんぜんきおくがありませんでした。
ごめんなさい。こんな私でごめんなさい。

2004年07月01日(木)  夜道で説教
最近は、深夜の帰宅が多いので夜道は恐々歩いています。

池袋に住んでいると言っても、所詮、住宅街なので街灯もそれほど多くなく歩く人の数もほとんどない。出来るだけ明るいところを選んで歩くか、前を歩く男性のあとを帰り道が同じところまで、つけるように歩いて帰っています。その男性は、知らない女性がつけるように歩いてくるので怖い思いをしているでしょうけど。いいから、誰か一緒に歩いて欲しいし、私の後ろより前を歩いてほしいわけなんです許してください。

で、今日。その道はまだ駅から近かったので、一緒の電車だったであろう数人の人たちが周りを歩いていました。何人かが私を抜き、何人かを私は抜き歩いていると、さっき私を抜いた男性がハタと私を振り返り、また向き直って歩くので、「見てんなヨ!」と思いながらもとくに気にせず、さて今日は誰をつけて帰ろうかと考えていたところ、さきほど私を振り返った男が私の目の前まで進み寄って「すみません」と声をかけるのです。
すでに、周りは誰もおらず、時刻はもうすぐ午前1時。うざい。うざいコイツは、うざいよ。
「はい、なんですか」と私は止まらずに答えると「○○ってお店は知りませんか?」と聞くので、聞いたこともない店名ですから「知りません」と答えると「よかったら一緒にのみませんか」と言うので、「はあ?」と言って振り払いました。うざい。うざいよコイツは。

なに? これはなんぱ? バカじゃないの。
平日の深夜1時に、声かけられてほいほいついて行くスーツの女がどこにおりましょう。バカか。しかもここは住宅街ですけど。そんなに女性と飲みたいならもっと繁華街に行って終電に乗り遅れていそうな娘に声をかけるべきじゃないだろうか。焦って、誰でもいいから声かけてるんだったら、私はお応え出来ないので別の人に声かけてください。
ていうか、あなた、昨日も同じことを言って私に声かけたでしょう。

覚えてなさいよ。自分がいつどんな人に声かけてるか。同じ場所でやらないでよ、ばか。二日続けて同じ人に声かけて、二回とも「はあ?」って言われてるでしょう。もっと学習しなさい。もっと復習と予習はちゃんとやりなさい。私が怒っているのは、うざい声をかけてきたことも怒っているけど、一番怒っているところは、同じことを同じ人に君が言って同じ文句で振り払われたその君の浅はかさに腹が立っているのです。もうちょっと工夫をしなさい。もう一回同じパターンでやってきたら、刺すよ。

と、バカな男にダメだし。
Will / Menu / Past