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2004年05月31日(月)  溜息と雨と運
帰りの電車を降りて駅の出口で空を見上げた。
雨はまだ細かい粒子のようで駅に入る人々の肩や髪をうっすらと濡らしていた。これくらいの雨なら傘がないことも気にはならないだろう。街が濡れているのかどうかさえわからないほどの暗闇をくぐって、傘を持たない私は足早に家へと急いだ。

仕事に復帰してちょうど今日で2週間が過ぎた。あっという間に過ぎてしまった。
今日は月末日で、仕事の忙しさは極まっていた。復帰したばかりの私に要求されたことは、丸一ヶ月をかけて行う仕事をこの2週間のうちに終わらせること。スピードをあげてハンドルを切ってブレーキを知らない車みたいに、私はしゃにむに働いた。営業マンは月間の売上げ目標をひとりずつ与えられている。私の行動計画と読みで言えば、確かに目標は達成されるはずだった。その計画がすべてうまくいけば、私は2週間の仕事を1ヶ月で行えたことを会社や周りの人間に示すことが出来る。休職していたからと言って、仕事を離れていたからと言って、アドバンテージを与えられる隙を見せたくない。
でも、圧力をかけて無理に加熱したものはいずれショートする。私の読みが甘かったのかツメが甘かったのか、それとも押す手が強すぎたのか、結局、最後の最後で今月の売上げは未達成に終わってしまった。達成率99.87%という数字は、誰にも真似できないほどキレイな外し方だ。それでもよくやったよと上司は言ったし、2週間しかなかったんだもの仕方ないよと同僚は言ったけれど、これほど悔しいことは他には見当たらない。
あーあ、と呟いて雨が降る帰り道を仰いだ。


歩行者用の信号が青色を点滅させて、卵形の街灯が黄色を浮き上がらせていた。雨足はやがて強くなって、粒は目に見て取れるほどになった。下から見上げる雨は面白いほどスローな動きをしている。だからそうやって、ずっと雨の降るのを見上げていた。あれほど高い空から降ってくる水滴は、どうして道路をもっと強く打たないのだろう。どうして私の顔に痛みがはしるほど打たないのだろう。こんな小さな雨粒でも重力に任せて落ちてくればアスファルトでさえ穴をあけてしまいそうなのに。
そんなことを思っているうちに、もっともっと雨足は強くなり、今日の私はツイテいなかったと思うことにした。私の帰る時間を狙っていたように雨は強くなるし、この数日間、懸命にした仕事でさえ、最後の最後では落としてしまった。だから、今日の私はツイテいなかったと思うことにする。運も仕事を形成する大切な要素のひとつだから。


気負わずに仕事をしたい。
周りの目や上司を気にせず仕事をしたい。
誰のために仕事をするか。
それは自分のため。
まだ家族を持たない私にとっては、自分のためだけに生きたとしても罰は当たらないと思う。

自分のために、ただ目標に向っていきたい。
2004年05月30日(日)  悲しみと幸せ
私は台所に立って、自分が飲むためのカンパリオレンジを作っている。ステアするとカランカランと氷の音が心地よい。冷蔵庫から缶ビールと冷やしたグラスも取り出してテーブルの上に置いた。彼はテレビに合わせて佐野元春の「サムデイ」を口ずさんでいる。孤高のロッカー佐野元春のスタイルに歌声に歴史に彼は憧れる。

足で彼の体を羽交い絞めにして背中を強く抱きしめた。
背中に耳をあてて彼の心臓の音を探した。
そうやって甘えてみたくなる。
向かい合って抱きしめ合うとどうして胸が熱くなるんだろう。
どうして、悲しくなるんだろう。
幸せだと思う気持ちと、涙が出てしまいそうな悲しい気持ちが隣り合っている。
彼がどこかへ行ってしまいそうな、ふたりが壊れてしまいそうな
そんな悲しい思いがこみ上げてくる。
きっと私は、彼とどんなに抱きしめ合っても
悲しみや淋しさや恐ろしさは深くなってしまうだけなのかもしれない。

どうして悲しくなるんだろう。
いま、目の前に彼はいて幸せはあるのに、
それがどこかへ行ってしまう幻想に私は苛まれている。
それが杞憂で終わればいいのだけど、
理由はわからない。
悲しくて涙が出る理由がわからない。

私は、おかしいのかもしれない。
どこかが間違っているのかもしれない。
大きな誤りが私の中にあるのかもしれない。
どこをどう間違ってしまったのか、誰か教えてくれるのなら私はどんな犠牲も払いたい。


永遠の幸せを願うほど欲張っているつもりはない。
それはたった一瞬でいいのに。
一瞬の幸せさえ、私は自分の中で悲しみに変えてしまっている。
私は幸せを幸せと思えないような人間なのかもしれない。
2004年05月29日(土)  罪
いらないものはすべて捨てよう。

私が捨てたからといって相手には痛くも痒くもないのだから。
私は私の道を生きる必要があるし、私は私の思うがままに振舞うことが出来る。
いまの私に必要のないものはすべて破棄できる権利がある。

すべて捨ててしまおう。
誰も私を止めることもなく、誰も邪魔することもなく、誰も悲しむこともない。

過去の私を捨て去りたい。
忘れてしまいたいことがある。
消去してしまいたいことがある。


自分が思っている以上に深く傷ついていたと知る。
根は深く、えぐれている。
誰にも癒すことは出来ず、
自分でも治すことは出来ない。

私が報いる必要のある罪は、まだまだ深く心に残っている。
誰にも助けを求められない。
誰も信じず、誰も求めず。


深夜にそんなことを思う。
2004年05月28日(金)  夏の日の坂道
東京には緩い坂道が多い。
私たちは知らず知らずにその坂道を上らされている。

その道は長く緩やかな坂道だ。滑り止めの穴が規則正しくあいている。私はその穴に足を合わせてゆっくりと坂をのぼる。重く熱い空気が私のわき腹を撫でていくのを感じる。じりじりと太陽が肌を焼く。
足をあげるリズムに合わせて鼻歌を歌う。追い抜く自転車のお兄さんに聞かれたって坂から降りてくる買い物帰りのお母さんに聞かれたってかまやしない。声を絞り出してじんわりと流れる汗を感じながら歌をうたう。
坂の左側には高校のグラウンドが広がっていてそこからは高校生たちの歓声が聞こえる。野球をしたりテニスをしたりハードルを飛び越えたり。彼らの少し日に焼けた腕がやけに眩しい。たまにそれを見下ろしながら私はもうすぐ坂を上り終える。

この坂のてっぺんには彼のマンションがあって、その部屋に招きいれてもらえれば私は冷房の効いた部屋で涼むことが出来る。直射日光を浴びてきらきら輝くガラスの向こうにグラウンド中に散らばった高校生たちの姿が見渡せる。部屋からは学校のチャイムが聞こえ、校舎の向こうには巨大なマクドナルドの看板が見える。足元だけを照らす太陽の光がゆっくりと長く伸びて部屋の端まで明るく照らした。それは部屋の奥におかれたグランドピアノまで届いていた。
鈍く光るピアノは美しいと思った。
私たちは冷たいビールを飲みながらただそんな風景を眺めていた。


そんな夏の日の風景。
坂の上のマンションで過ごしたある日を思い出した。
2004年05月27日(木)  悲しかった日
あの人の誕生日プレゼントを選ぼうと、週末にデパートをのぞいてみたけれど、そのときふと思った。私はあの人のことを全然知らないなぁって。なにを趣味としていてどんなタイプのものが好きで、今一番欲しいものは何なのかって。私は何にも知らなかった。少し悲しくなった。
ウィークデイになり仕事も忙しくなってプレゼントを買う暇も全然なく、あっという間に今日という日はやってくる。何にも、何にも買ってない。買えなかった。何を選んだら喜んでくれるかわからなかった。ますます悲しくなった。家に帰りたくなかった。ケーキを買って帰るだけじゃ私自身が満足できないし、だからと言って何を買う当てなんかあるわけがない。

プレゼントを選ぶことは、本当ならワクワクしてドキドキするものなのに。プレゼントを広げたときの相手の喜ぶ顔が私にとっての喜びにもなる。品物の高価さではなくて贈ったほうも贈られたほうもふたりが嬉しくなきゃ意味がない。彼には喜んでもらいたかった。嬉しいと思って欲しかった。

昨年暮れのクリスマス。私は恋人へのプレゼントを宅急便に託した。だから必然的に彼の喜ぶ顔を私は見ることは出来なかった。逆に、私は彼からのプレゼントを宅急便から受け取った。そのときの嬉しい気持ちを伝えたい人はもう側には居なくなっていた。とっても悲しい贈り物だった。私はもうそのプレゼントを心の奥に閉まって燃やした。私にとっては消してしまいたいプレゼントになった。


贈り物は、後になれば思い出したくもない廃物となるのかもしれない。それが形になった品物でもいいし、記憶でもいい。楽しかった出来事は未来にとっては忌々しい思い出に変わるのかもしれない。笑いあった日は時間がたてば自分を傷つける刃になるのかもしれない。そう考えるとあの人にプレゼントを贈ることは、未来の私や彼を不要に傷つけてしまう道具に過ぎない。
傷つくのなんてまっぴらだし、悲しくなったり淋しくなったりするのはもう繰り返したくない。もう自分を見失ってしまうようなことはしたくない。

クリスマスの出来事を思い出して泣きたくなった。あの頃のことを思い出して心が固くなった気がした。けれど、そんなことを堂々巡りに考えながらぐずぐずしているうちに私の乗った電車はあっという間に駅に着き、あっという間に私はあの人のマンションまで来てしまった。このままドアをくぐる気にもなれず、だけどその場にずっと立っていられるわけでもなく、今日という日が、たとえばあの人の誕生日がずっとやってこなければ良かったのにと思った。そうすれば、こんな風に忌まわしい記憶を思い出すきっかけにもならずプレゼントを選ぶ悩みに侵される必要もなかった。恋人同士の決まりごとのような「プレゼント」を贈り合うだなんて、とても馬鹿らしく思えた。
私は、何もかもをあの人の誕生日のせいにした。この世の中で一番罪なことを考えていた。世界中から非難されるに値することを考えていた。

けれど、そんなことをいつまでも考えていたって仕方がない。駅前まで引き返せば遅くまで開いている商店街がある。そこにケーキ屋はなかっただろうか。花屋くらいならあったかもしれない。男の人から花束をもらったことがあたっとしても、男の人へ花を贈ったことなんて一度もない。何をどう買えばいいのかわからなかったけれど、とにかく駅前まで引き返してみることにした。

彼の部屋の前まで帰ってくると、少し気持ちを落ち着けてインターホンを押す。彼が花束を見て喜ぶ顔を見た途端、とても自分自身が恥ずかしくなった。泣きたくなって花束から自由になった手で顔を塞がずにはいられなかった。この人の誕生日が来なければよかったなんて、それは彼がここに存在していることを否定するのと同じようなものだ。私は、この人がいなかったら今ごろ一体どうなっていたのだろう。まだ出会ってお互いをよく知らないというのに、私は随分と彼に助けられてきた。それなのに、どうして私はこの人に何もしてあげられないんだろうと思った。そんな自分が恥ずかしくて消えてしまいたくなった。
私の記憶は消してしまえないんだろうか。私の気持ちはもう前へは進めないんだろうか。このままだったら誰と一緒にいたって誰も幸せになれない気がした。自分も相手も。


彼の部屋は私の涙でいっぱいになって、花瓶もなくまだ飾られていなかった花束はそのうち窓の外へと流されてしまった。彼の部屋に会った本も洋服もテレビやパソコンも全部ずぶ濡れになって、彼自身の姿も溢れ続けた涙に飲み込まれてしまってどこにも見えなくなってしまった。さっきまで目にしていた風景はすべて流れ消えてしまい、思い出したくなかった私の記憶だけがあとに残った。

私はやっぱり周りを振り回してばかりの自己中心的で子供じみた人間だ。
彼の誕生日は私の涙のせいで台無しになってしまった。
2004年05月26日(水)  育毛力とブリーフ
悩みは日々耐えない。

まつ毛が毎日一本抜ける。毎日一本ずつ抜ければ新しく生えてくるまつ毛が追いつかない。まつ毛をカールさせたあと、ビューラーを見るのが怖い。やっぱり今日も抜けた。大事なまつ毛が一本、ビューラーに付着しているのを見つけると、毎朝溜息をつかなきゃいけなくなる。なんでだろう、最近急にまつ毛が抜け出した。

今まで周りにはばれずにいたけれど、額の生え際に生えている産毛のような前髪は、実は天然パーマチックです。その産毛が最近、急激に伸びてきてその天然パーマの威力を増してきた。クルリンとしている。うざい、どうにもうざい。お蝶婦人? と思える。切ったろかと思う。たぶん、まつ毛の抜け毛が多くなってきたのはこのクルリン前髪のせいなんだ。こっちに育毛力を吸い取られてるんだ。どうにかまつ毛に持っていけないものだろうか。

休職して復帰したばかりのつい先日、今年の新人の女の子にため口を聞かれてしまった。復帰して初めて顔を合わせた私を後輩とでも思ったのかしら。「ちょっと、これ片付けといて〜」と書類の束を渡され、私も相手がどこの誰かもわからぬまま、「は、はい」とは言ってしまったものの、それぐらい自分でやれ。私は雑用係じゃないんですけど、ちょっと。シバクぞ。あとから、その新人の女の子は、「あぁ、あいさぁ〜ん、さっきはごめんなさぁい。あいさんだって、知らなかったからぁ」だってよ。スリスリ擦り寄られたよ。相手を見て態度を変える今年の新人さん。新人の前で先輩ぶってるといろんな面倒くさいことを押し付けられそうなのであんまり先輩ぶりたくはないけど、態度がデカイなら最後までその態度のデカさを貫いてほしかったなぁ。器が小さいのぉ。今年の新人もはずれだったなぁ。

彼の部屋のベランダでそよそよと洗濯物が揺れている。彼のパンツはほとんどがトランクスだけれど、一枚だけ見つけてしまった。ぴちぴちのブリーフ。しかも白。どうだろう、今どき白の小さめブリーフ。彼はこのブリーフをどんなシーンで身に付けるんだろう。興味津々。もしかしたら彼の勝負下着だったりして。男にもあるんだろうか、勝負下着。ちなみにまだ私は彼がその勝負下着を身に付けているところを見たことはない。もしや、別の女性の前で身に付けていたりして。
ムフフ。
2004年05月25日(火)  暴風域
今年最初の台風が、紀伊半島を通り過ぎ関東地方に接近していると、車の中でラジオを聴く。私たちは防波堤の前に車を止めた。高い波が押し寄せているテトラポットを背に、雨合羽を着た若い男性アナウンサーが必死の形相でマイクを手に、顔の前に構えられたテレビカメラに向かって何かを叫んでいた。大粒の雨がその男の体を叩き、暴風が手に持つ原稿や雨合羽を剥ぎ取ろうとしている。
灰色の海が不気味にうねっていた。

危ないからと静止する彼を置いて、私は車のドアを開けた。
雨なのか、海の飛沫が飛ばされてきたのか、顔やむき出しの足や腕に、強い風が細かい水を叩きつけてくる。髪が視界を邪魔する。風に押されながら、私は海に向かって一歩ずつ進んでいく。台風が見たい。荒れ狂った海が見たい。どれほどの威力で私たちに向かってきているのか、この目で見てみたい。怖ろしくなんかない。
暴風雨に耐えながら、車から出てきた彼に向かって声を出そうと、口を開いた途端に強い風が入り込んできて、息が苦しくなる。自由にならない唇と開けていられない目を腕で覆った。彼も右手で雨を遮りながら私に向かって何かを叫ぶ。風に流されながらも耳に届きそうなその声に、私は懸命に応えようとする。

彼は、なにかを叫びながら私に一歩ずつ近寄ってくる。
私はありったけの声で叫び返す。

びしょ濡れになった彼の髪の毛と、彼の胸に纏わりついたシャツを、私は握り締める。
もっともっと近付こうと、腕を引き寄せる。
彼の目を見て私は叫ぶ。
風が甲高い声を出して耳元を駆けていく。頬に雨が伝わる。
髪の毛が踊っている。雨と風が私の体を叩く。
防波堤に波が跳ねる。白い泡が宙を舞う。空が荒れている。
もう一度、風が叫び声をあげて走り去っていく。
彼の声が耳のすぐそばで聞こえた。
彼の体と一体になりたいと思った。

遠くにある東京の街は今ごろこの台風で混乱しているだろう。


大地を揺るがすほどに強く吹く風にも、痛々しく肌を刺す尖った雨にも、大きな口を開けて私を飲み込もうとしている海にも、狂ったように早く流れる灰色の雲にも、どんなことにも屈することなく、私は彼に伝え続けたい。この気持ちを言葉で伝え続けたい。
この言葉は何にも汚されることなどなく、あなたを守り続ける言葉なのだと、信じたい。この言葉だけが二人の絆なのだと、証明したい。どんなに大きく、得体の知れない怪物のような台風が私たちを襲ってきたとしても、もっとあなたに伝え続けたい。
だから私は、あなたに好きだと叫ぶ。

夏の始まりを告げる今年最初の台風が、お互いの存在を唯一のものとして結びつけた。私たちはずっとずっと嵐の中で抱き合っていた。誰にも邪魔されず、何にも屈せず。


恋ってきっとこういうもの。
不気味なほどに荒れ狂う嵐の中で抱き合うようなもの。
2004年05月24日(月)  妄想して楽しんでいるのです
最近の異母兄のご機嫌はとてもとてもうるわしくない。
つまりご機嫌斜めなのである。

兄はいろいろと文句を並べ立ててはクレームをつけてくる。
私にとってはクレームを付けられる筋合いではないと思うのだけれど、兄の思う部分も何となくわかるような気がして、ひっくり返ってブータレている兄の言葉をハイハイと聞くようにはしている。兄は、私が最近とても親しくしている、ある男性のことをとてもとても気に入らないのだ。別に、私は兄にこれまでの恋人を紹介したことはないし、恋人が出来ただの恋人と別れただのという細かい報告をしているわけでもない。ただ、話しの延長上で私が恋人と別れたりくっついたりしていることを、兄は何気なく知ることとなる。

兄が私の恋人のことを気に入らない理由は、逆に私が兄の立場だったら同じように気に入らないと思うだろうな、という出来事があったから。でもそれは一方的に彼のせいではなく、半分は私のせいでもあったりする。兄と彼が接近して何かが起こったというわけではないけれど、彼と兄は顔見知り程度な間柄であり、二人はまったく知らないもの同士というわけでもなない。ただ、ちゃんと顔をあわせて話したことがない。

このままだと、血を見るのではないかしら? と私は本気で思う。それぐらい兄は沸々としている。もう少し時間がたてば兄の温度も下がって彼に無関心を貫くようにはなるだろうけれど。
兄と彼がケンかをしたらどちらが勝つかな? と私は想像してしまう。
兄が彼の顎に右ストレートをめり込ませる。
彼はつま先で兄の鳩尾を突き上げる。
なんてねー。
でも、そうなったらなったで見てみたいなあ、ふたりのケンカを。なんか面白そう。
兄の友人が言うには、学生の頃の兄はケンカをさせたら強かったといっていたし。本当かどうかは知らないけど。彼は彼で一時期ボクシングをしていたそうだ。今はビール腹だけど。ああ、でもふたりが会っちゃったらどうなるんだろう。兄は多分機嫌悪くなるだろうな、彼は彼で兄のことを牽制しているしなあ。私の中でも、父に彼を紹介するより、異母兄に彼を紹介するほうがとても緊張することのように思える。なんかそんな気がする。やばいやばい、血を見ないためにも二人の距離を保たなければ。妄想を膨らませて楽しんでいる場合じゃないよ。


と、思っていた矢先、私の部屋で彼とテレビを見ていると「ピンポーンピンポーン」とインターホンが鳴った。受話器を上げるとなんと兄じゃないの! やばい。血が出る、血を見る、歯が砕けるか骨が砕けるか。何とか兄を追い返そうとするけれど、もうドアの前に立っている兄を追い返すことも出来ず、部屋に上げないでドアの前で用を済ませるのも不自然だ。
慌てふためきながらも事の次第を彼に告げ、息を飲んでドアを薄く開く。彼は私のすぐ後ろに立っていてドアのすぐ向こう側には兄の顔が見えた。ゆっくりとドアを開けると兄が彼の姿を認めたのがわかった。きゃあ、始まった! 私の頭の中でゴングが「カーン!」と鳴ってレフェリーが「ファイッ!」と腕を交差させて振るのが見えた。もし、険しい雰囲気になったら私は彼と兄のあいだから飛びのいて腕を組んで目を潤ませて「お願いだから、やめて」と殴り合いを見守ろうかとも思った。30前の男と30過ぎの男のケンカを私が止められるはずもない。大人気ないけど、この人たちはきっとケンカするだろうという気がする。きっとするね。「ヤッチマイナ!」とルーシーリューは言うだろうし、竹内まりやは「ケンカをやめてぇ、二人をとめてぇ、私のためにぃ争わないぃでぇ、もうこれ以上ぉ」と歌うかもしれない! きゃあ、私の中でサディズムな期待とマゾヒズムな願望が交差シテイマス!

で、結局どうなったかと言うと、米ソ両首脳の会談は和やかなうちに終わりを告げ、冷戦時代にピリオドを打ったわけである。会談前の握手は13秒だったが会談後には報道陣のカメラに笑顔を振りまき30秒も握手をしあったわけである。

なんかツマンナイ。ふたりとも大人すぎる。もっとこう、欲望をむき出しにしてさぁ、こう、熱くなってよ。つまんないよ、そういう笑顔はサァ。わかりあっちゃったような顔してサァ、なに仲良くビールなんか飲んでるの。バッカじゃないの。私が気を揉んでたのがアホみたいじゃない。もっとケンカしなさいよ。殴り合いくらいしてよ。血ぐらい出してよ。うちの救急箱にだって擦り傷・きり傷の塗り薬と絆創膏くらいあるわよ。やっていいんだよ? それぐらいならやってもいいからサァ。ちょっとそんなに肩寄せ合って仲良くするのヤメテ。気持ち悪い。もうちょっとサァ、こうサァ、「あいはお前になんかやらん!」とか「あいは僕のものダ!」とか、言ってくれないの? やりあってくれないの? 奪い合ってくれないのー? おかしい、おかしいよ。君たちはおかしいよ。つまんないよ、笑えないよ。バッカじゃないの、なにが男の友情だよ。なにが今度また飲みに行きましょう、だよ。なにが「いい奴じゃん。」だよ。なにが「いいお兄さんだなぁ」だよ。ふたりがケンカを始めてくれなきゃ、私はルーシーリューにもなれないし、竹内まりやにもなれないじゃないか! そんなのダメだよ!
つまんないっつーの。ツマナーイ。ツマナーイ。


あー、なんか他に面白いこと起きてくれないかなー。
2004年05月23日(日)  静かな湖面に石を投げる
音大生の頃、ある人に「君は、静かな湖に石を投げる人でありなさい」と言われたことがある。

今ごろの音楽大学や他の大学では知らないけれど、私の通っていた大学はとても先輩・後輩の関係に厳しく体育会系並みに後輩が先輩のためにいろんなことをしなければいけなかった。たとえば、先に椅子に座っていた後輩が、あとから来た先輩がその席に座りたいと言おうものなら、他にも席が空いていようともその椅子を譲らなければいけなかったし、乗ったエレベーターが満員で先輩が乗れずにいようものなら、そこにいたすべての後輩たちがエレベーターから降り、待っていた先輩ひとりがエレベーターに乗ることもあった。それぞれの楽器専攻にわかれた実技の授業がある日は、わざわざ駐車場で教授が出勤してくるのを待つのも後輩の役割だった。4年生は王様扱いで、先生は神様扱いだった。敬いの態度を常に心がけなければいけなかった。
学年で示される地位は絶対で、各専攻の教授は絶対だった。

私は、あまりそういう世界は得意ではないので、なるべく関わりのないように何かと理由をつけては逃れてきた。逃れられるものはすべてパスし続けてきた。多少の非難はあったかもしれないけれど、それを耳にしないようにしてきたし、音楽を学ぶのにはまったく関係のないことであると思っていた。

たとえば、オーケストラなどで弦楽器・管楽器・打楽器が集まって練習を行うとき、譜面わけというものを行う。フルートであればフルートの楽譜があり、トランペットであればトランペットの楽譜があるけれど、その楽器ごとの楽譜の中でも、更に1st・2nd・3rdというふうに音域ごとに楽譜が分かれている。そして、1stの楽譜は主に主旋律や高音域を担当し、3rdにいくほどハモリや低音域を担当することになる。だから、1stを演奏するプレイヤーは主席といってその楽器のリーダー的な存在にもなるわけだ。縦列社会に生きる私たちは誰の有無もなく主席を4年生が担当し、下へいくほど学年は下がり、1年生の頃などは主旋律を一度も吹かぬままでいることだってある。

そういう仕組みってどうにも可笑しいことではないかと思った。同じ楽器を専攻するものの中では、学生といえどもそれぞれの個性があって得意不得意がある。ソロパートを堂々と演奏できるタイプの者もいれば、耳がよく和音でハモるのが上手い者もいる。それを無視して学年ごとに割っていくことはあまりにも賢い方法だとは思えない。大事な演奏会で披露する曲であれば、その譜面わけは慎重に行わないといけないんじゃないだろうか。

そこで、私はなみなみと水を湛えていた湖に石をぽちゃりと投げた。波紋は広がり遠くにまで及んで物議をかもし衝突したけれど、私の言うことは何一つ間違っていはいないという自信があった。ただ、静かな場所でみんなが納得面して言えずにいたことをストレートに口にして、騒がしくさせただけのことだ。


そんなことがいい作用を生むこともあるし、悪い方向に転じてしまうこともある。石を投げてみないとわからないと言うと、とても無責任なようにも思えるけれど、「違う」ということを投げてみて何かが変わればいいと思う。みんなが目指しているところはひとつなのにその方法に異論があるのであれば、主張してみても罪にはならないのではないだろうか。そう思う。

大人になると異議を唱えることが億劫になってくる。1人対大勢のやり取りはとてもパワーを使うし気が滅入る。黙って倣っていたほうが面倒なことにならないときもある。常に正義が勝つわけではないときもある。笑って済まさなければいけないときもある。ただ、そういうことばかりではもっと疲れるし気が滅入るだろう。


静かな場所はとても平和で強い風も吹かないけれど、不穏な空気がわだかまって渦巻いていることもある。狎れて来た場所に、果たして質のよいものは生まれるかどうかということには疑問を持つ。だったら、私はきっとあの人が言ったように、たまに石を投げるかもしれない。私に石を投げさせた動機は、「ここにいるみんなが目指しているものは同じである」ということだけ。目指す着地点が全員の中で一致していれば波紋はとてもいい影響を与えるだろう。何かを模索する場であれば、何かを恐れて黙っていることほど気が滅入ることはない。そう思う。

いい音楽を作ろうと思った、あの頃の先輩も私も目指すものは一緒だったはずだ。
それは今、社会に出ても同じことだ。そう思いたい。
2004年05月22日(土)  洗たろか?
ずっとずっと思ってたんだけど、

『パペットマペット』の牛くんとカエルくんをそろそろ洗ってあげたほうがいいと思う。薄汚くなっている。手垢とか。すごい気になる。すごく洗ってあげたい衝動に駆られる。

というか、あれのお陰でパペット人形はUFOキャッチャーで馬鹿みたいに売れてるだろうに、パペット人形製造会社は『パペットマペット』に感謝の印として人形贈呈とかしてあげないんだろうか。私が社長だったら贈呈するのに。


彼の部屋のベッドには薄汚いタオルケットが一枚おいてある。いつもいつもそのタオルケットがおいてある。ちょっと汚いしちょっと臭う。休日の朝、彼が洗濯をしていたので「これも洗ったら?」とタオルケットを掴むと、ものすごく怒られた。「これはまだいいの!」
赤ん坊のようだけれど、彼はそのタオルケットをお腹にかけて寝ないと不安で仕方ないらしい。もうすぐ30になろうという男が、だ。私は、彼の性癖を疑ったね。うまくは言えないけど、マザコンに近いものを感じた気がしたね。ちょっと異常じゃない?

彼が仕事へ行っているあいだ、私は彼の部屋でくつろいでいた。と言っても昼のテレビ番組は面白いものもなく、彼の本棚にある本は難しそうなものばかりで読んでいると眠たくなってくる。ちょうど良い天気だったので、先日から気になっていた例のタオルケットを洗うことにした。だって、ちょっと汚れが気になるんですもの。怒られるとわかってはいるし余計なお世話だともわかっているけれど、ちょっと、ちょっとイタズラをしてみたい。確信犯のように洗濯機のスイッチをオン。

仕事から帰ってきた彼が、ベランダに干されてあるタオルケットを見て悲しげな顔で一言。
「匂いがとれちゃう〜。」
うーん、彼の性癖は計り知れない。
2004年05月21日(金)  足が臭い
足が臭い。強烈に臭い。

原因はひとつ。「営業をしているから」
私の足が汚いからとか、水虫なんじゃないかとか、汗かきだからとか、周りからは在らぬ疑いをかけられているけれど、そんなことはない。私がただ「営業」という職業を選んでしまったからだと、私は信じて止まない。それ以外の理由を信じたくない。「汗かきだからじゃないの?」って人をデブのように言わんで欲しいなぁ。
営業をしていると、ずっとヒールを履いたままでしょう。とても歩くからデブじゃなくても汗をかいてしまうんだよ。涼しいオフィスで仕事をしているあなた達にはわかんないと思うけどねー。
梅雨と夏は、ひどい。営業マンたちのデスクの下はひどい臭いで充満してます。書類をデスクの下に落としたに日は、あなた、地獄よ。息を止めて手を伸ばしてデスクの下の書類をまさぐらなきゃいけないのよ。むんむんしているのよ、営業マン全員の足の刺激臭で。この世のものとは思えない臭いがしてます。3秒吸ったら死にます、確実に。

「営業マンの悲哀だなぁ」と先輩営業マンは言ってます。
「大丈夫だって! あいちゃんだけ臭いんじゃないって!」と同僚営業マンは私を励まします。
「俺なんてもう慣れたぞぉー。自分の足の臭い。」と上司は開き直っています。
会社の人たちで飲みに行ったとき、予約した席が座敷だったら営業マン全員の顔が引きつります。アシスタントの女の子や内勤の人たちは意気揚々と靴を脱いで座布団の上なんかに座っているけれど、我々営業マンたちは、「え?!」とか「げっ!」とか「な、なに?!」とかそれぞれの言葉で顔を引きつらせています。全員の胸にある言葉は、「靴脱ぐのかよ!」。

出来るだけ外で靴を脱ぐ機会を減らしたい。
営業中にちょっと休もうと、カフェなんかに入るとするでしょう? ちょっと足がむくんでるからってヒールを脱ぐとするでしょう? そしたら、ムンとくるわけ、刺激臭が。店員さんが注文をとりに来ようとすると慌てて靴を履かなきゃいけない。足が疲れているのに靴が脱げない。脱いでしまうと店員さんにこの世のものとは思えない臭い匂いを嗅がさなきゃいけなくなる。まさに営業マンの悲哀だね。
なので、考えました。
とにかく、足の匂いはお風呂でごしごし擦るしかない。でも、靴の匂いはどうするべか。
ということで、ファブリーズを靴の中にかけることにしました。
自分の靴のクセに近づいて触るときは鼻をつままないといけない。悲しいけれど、臭いから仕方ない。夜、ファブリーズをして朝ちょっと顔を近づけてみると、なんと匂いがまったくない。素晴らしい。素晴らしい、P&G。そこで、新しく生み出した刺激臭撲滅方法を同僚の女の子に教えてあげると、嬉々として彼女はファブリーズを買って帰りました。

が、しかし3日ほど続けてファブリーズをしていると、今度は新たな問題が勃発。それは靴の中が真っ黒になっちゃったということ。ファブリーズの水分で靴の中の汚れがぜんぶ落ちたのか、下敷きに汚い水分がすべて吸い込まれてしまった。真っ黒。臭いはないけど見た目が汚そう。
どうやったって、私の足は汚くなる。困った、ホント困った。


どうにかならないものかしら。
2004年05月20日(木)  大人と子供
商談を終えてビルを出たら、雨が本降りになっていた。
気持ちよいほど、ざあざあと音を立てて雨は降る。営業中に傘を持って出るときは、なるべくビニール傘にするようにしている。だって、電車の中や客先に置き忘れることが多いから。私がずっと大切に使っている傘は、とっても大事な人に買ってもらったもの。失くしたくないから営業中は持たないようにしていた。でも、今日は何となくお気に入りの傘を差して出かけたくなった。
傘を差して歩きたくなるほど、気持ちよい雨が降っていた。

空は灰色で、風がとても冷たい。もうすぐ6月になるというのに肌寒い。
また今年もうんざりするような梅雨が始まるんだろう。

オフィス街に林立するビルのあいだに小さな公園がある。
天気の良い日は、サラリーマンがスーツを脱いで日陰で休み、昼休みにはOLがサンドイッチを広げて昼食をとる。けれど、雨の昼下がりには誰も誰もいない筈だった。

高校生の女の子がひとり。ぽつりとベンチに腰掛けている。
半そでのシャツは雨で透けてしまい、スカートのひだはすっかり濡れて皺になっている。色の抜けた髪の毛はべっとりと頬に張り付いていた。彼女は俯いてずっと自分の靴先を見つめていた。
雨の降る中、傘もささずにずっと俯いたままの高校生。

女の子の横顔からは表情を窺えなかったけれど、泣いているようにも見えた。髪の毛の一本一本から涙が滴り落ちて頬を伝う様子が、遠くからでも泣いている様を想像させた。自分が高校生の頃、泣いてしまうほど悲しい出来事があったとしたらそれは一体どんなものだったろうと思い出そうとした。
高校生の時期は、子供と大人の顔を使い分けることを望まれる時期なのかもしれない。背伸びして大人の真似をすればまだ未成年だからと叱られたり、子供のように甘えようとすればもう大人なんだからと窘められたり。大人から、子供であることと大人であることを都合よく求められる時期なのかもしれない。

雨の中で俯く彼女は、大人なんだろうか。それとも子供なんだろうか。
奇異な目で通行人から見られていたとしても、彼女は微動だにしない。これほど強く降り続ける雨も気にせず気の済むまで泣き続ける姿は、子供のようでもあるけれど、自分に忠実に生きる大人のようにも見えた。


私は彼女に、そのままで泣き続けることを望んだ。
まだ、大人になりきれない小さな大人の彼女に、このままで泣き続けて欲しいと思った。泣きたいときに泣ける大人であることはとても素敵だと思う。雨の中でも気にせずに、人に見られようが服が濡れようが構わずに。
きらりと濡れた頬を認めて、やっぱり彼女は泣いていたんだと思った。
横目で彼女を見つめて私は会社に戻った。
雨に濡れながら泣く人は美しい。
2004年05月19日(水)  電話番号を知る男
ある日、知らない男が私の携帯に電話をかけてきた。

とても優しい声を出してその男は「私のことをよく知っている」と言った。「どうして?」とたずねると「僕は○○の友人なんだ」と言った。○○とは、そのときの私の恋人だった。「あなたが音楽大学に通っていると聞いている。いくつかクラシックのことについて教えて欲しい」とその男は言った。すぐに私はその男を警戒した。その男の名前を恋人の口から聞いたことはなかったし、そもそも私に何も言わず、自分の友人に私の携帯番号を教えるだろうか。男が私と連絡をとりたいのなら、前もって恋人は私にそのことを伝えるはずだと思った。

とても親しげに男は私に話しかける。言い換えれば馴れ馴れしくと言ってもいい。けれど、恋人の友人とあれば私もその男を無下に扱うことは出来ない。「アイツは幸せだな。可愛らしい恋人をもって」男は、私の写真を恋人から見せてもらったことがあると言った。恋人が私の写真を持ち歩いているとは知らなかった。「アイツとは学生の頃からの友だちでね」男は、そのときは既に社会人だった恋人の、学生だった頃の昔話を聞かせてくれた。私の知らない側面を持った恋人の話を聞くのは悪い気はしない。

しかし突然、その電話は相手の男の事情で切らなければいけなくなる。「突然電話してごめんね。また電話していいかな。アイツの学生時代の話の続きをしてあげるからさ」私は迷った。「ちなみに、僕がアイツのことを喋っているのは内緒だよ。知れたらどれだけ怒られるかわからないから」男は楽しそうに笑って電話を切った。

そのときの私と恋人は、仕事やバイトや大学が忙しく、会う暇がなかった。電話で話すことはあったけれど、その短い電話の中で私があの男を思い出して恋人にたずねることは出来なかった。そのときの私は、あの男のことをはっと思い出せるほど気にしていたわけではなかったし、一抹の疑問を残してもただそれだけの存在だったから。
数日後、あの男は予告どおり二度目の電話をかけてきた。その電話は三度四度と続いた。私は空の相槌をうち続けていた。男の話を聞かずに、男の言葉を聞いた。
この男の言うことは真実か。この男は何者か。一体なにが目的か。
恋人に打ち明けるべきか。けれど、もしこの男の言うことが事実で、もしこの男が本当に恋人の友人なら、私は恋人に疑われるのではないだろうか。ただクラシックについて訊ねられたことをきっかけに、どうして幾度もその男と電話をしているのだ、と。
恋人にたずねてみるきっかけを失ってしまったほど、男は私をとても親切に優しく扱った。受話器の向こうで。それがとても疑問だった。なぜそれほどまでに私に親切にするのだろうと。私は男に好意はなかったが興味はあった。男にとって何が目的かを知りたかった。

ある日、大学にいた私は男からの電話を受け取った。
今、仕事で大学のそばのビルに来ている。もうすぐ終わるから一緒に食事をしないかと言った。
もうすぐ夕方だった。
私はもうその頃には気づいていた。男の言っていることはすべて偽りだと判断していた。
数日間にもわたって、自分の友人の恋人に昔話を聞かせて面白がる人間がいるだろうか。男は、自分の話しの中に、私へのいくつかの質問を織り交ぜていた。内容は、私と恋人がうまくいっているのかどうか、私が恋人へ少しもの不満を抱いていないかどうか、私の中に自分の入り込む隙はあるのかどうか、というような類のもの。
数日ものあいだ、私がその男の電話に付き合った時点で、私は充分その男に付け込まれている。
そして、男はとても辻褄の合わないことを言っている。そのときの私は恋人のことを名前ではなく愛称で呼んでいた。その呼び方をするのは私と恋人がふたりでいるときにしか使わず、誰かそばに友人がいるときには一度も使ったことがなかった。これまでその愛称で恋人を呼んだことのある人もいない。その呼び名を知っているのは、私と恋人と私のごく親しい友人だけだ。もしかしたら恋人のごく親しい友人も知っていたかもしれないけれど。
私はその恋人の呼び名の矛盾にふと気がついた。

そもそも、電話をかけてきた最初の日から疑わしかったけれど、ただ疑わしいだけなら私はすぐ恋人に聞いただろう。ただ、その恋人の呼び名をその男が知っているとわかった時点で、とてもおかしなことが起こっているだろうということがわかった。

ファミリーレストランで私と男は、相対して座った。私はその間ずっと携帯電話を手に握り締めていた。男は恋人と同じぐらいの年齢でとても爽やかに笑いかける。おかしな風なところもないし見た目はごく普通の青年に見える。ただ一点、怪しいところをあげるのであれば不気味なほど爽やかに笑う口元だろうか。
そのときの私が、どうするつもりだったのかはわからない。
問い詰める気があったのかどうかも自分自身でさえわからなかった。けれど、どうにかしなければという気持ちがあっただろう。自分のせいでここまで事が大きくなったのであれば自分で何とかしなければいけないと思っただろう。
危険だと感じる神経が麻痺してしまったのかもしれない。軽率だと自分に忠告する信号はとうの前になくなっていた。食事をする気にもなれず、ただただ口の中が乾いて仕方なかった。男は電話と同じように喋り続ける。うるさいほど喋り続ける。

何がきっかけだったかはもう忘れてしまった。
私が口火を切ったのかもしれないし、男の中の何かがプツリと切れてしまったのかもしれなかった。店の中は充分に大勢の客がいたし、隣のテーブルまでの距離はとても短かった。大声をあげればどうにかなるのかもしれないと、私は携帯電話を握り締めていた。男は言った。
これまで話したことはぜんぶ嘘だ、と。あなたの恋人のことなんか知らない、と。ただあなたのことが知りたかっただけだ、と。あなたにとても興味を持った、と。
店の外でパトカーが走り去ったのを覚えている。どうしてこの店の前に止まって、この男を連れ去ってくれないのだろうと思った。穏やかに男は話し続ける。どうして男が私のことを知り得たのか。電話番号も私の名前も顔も恋人の名前も大学のことやアルバイトのことや私の友達のことを。
男はゆっくり煙草を吸う。私は煙草を吸う気になどなれなかった。

すべてを男から聞いた。それが本当にすべてだったかどうかは知らないけれど、もうどうでもよかった。早くここから出て行きたかった。彼の目的がわかったからこそ、その目的を私が否定しようとしてもこの男には通じないとわかった。突然に席を立つことも考えたけれど、男の穏やかさが逆に恐怖に思えた。目でウェイトレスを見つめてみたけれど視線の先を受け取ってはくれなかった。
男は、自分の話したかったことだけを話し終えたあと「煙草がきれた」と言った。打って変わって横柄な態度でウェイトレスを呼びつけ煙草を買って来るように言った。ウェイトレスはそれをやんわりと断り、店の外に自動販売機があることを伝えて去っていった。私は静かに息を吐いた。
男は舌打ちをしたあと、私ににっこりと笑いかけて「待っててね」と言い店の外に出て行った。男が店を出て行ったあと、3秒数えて私は席を立った。ウェイトレスが不可思議な顔で私を見たけれど、もうそのときは何にも構わずここから出て行くことだけを考えた。階段を飛んで駆け下り自動販売機のある場所からなるべく遠ざかって走った。並んでいたタクシー待ちの人間を無視して、私はタクシーの窓を叩いた。「どこでもいいから行ってください」と告げて目をつぶった。

とても滑稽だ。

その数日後、恋人は私を買い物に出かけようと誘った。シュレッダーを買いに出かけようと言った。

男は、私の捨てたゴミ袋から一通の書き損じの手紙を見つけた。それは私が書いたものだった。携帯電話の明細書を見つけて、私と友人で撮ったプリクラの写真を見つけた。アルバイト先からもらった給与明細を見つけて、大学の名前が入った五線ノートやコピーしすぎて捨てた楽譜を見つけた。
大学の進学とともに上京したてだった私は、地元に住む友人によく手紙を書いていた。恋人のことを話題にしていたかもしれない。書き損じの手紙は、本当は書き損じではなく一度書いてはみたものの「恋人の自慢話」のような手紙になってしまい、読み返すと自分で嫌気が差したので捨て、別の手紙を書いたというものだった。書き損じでは誰かが見ても内容がわからないだろうけれど、その手紙だけは誰が見ても細部までよくわかる、「私と恋人」について書かれてあった。


シュレッダーは結局買わなかった。理由はもう忘れてしまったけれど、多分私が外を歩くのが怖いと思ったからだと思う。男は私の住所を知り大学の場所を知り私の顔を知っているから。その後数日間は、恋人の家で眠り恋人の車で大学に行った。恋人は、最初こそ怒りはしたもののそのあとはとても優しかった。

都会に住むために必要な用心深さを、とても大きなリスクを払って学んだ。
とても滑稽だ。
2004年05月18日(火)  セックス
暗い暗い漆黒の闇。ここはトンネルの中なのだろうか。深い海の底かもしれないし、光のない世界なのかもしれない。その闇の中に確かに光る明かりが一粒。
私たちはそれだけをただ目指して駆け抜ける。

シャワーを浴びる前、たまに裸のまま姿見の前に立ってみる。
自分の体は、いつ頃から大人に似た体になってきたのだろうと思う。いつの間にか私の体は大人になってしまって、私の意志はいまだ大人になりきれず、焦りを感じているというのに、体には別の意志が宿っているようで私を待たずにどんどんと成長し続けていくような気がしてならない。
鏡の中の自分の裸身をここそこと点検をする。壊れているところはありませんか。誤っているところはありませんか。不具合はありませんか。その体は快適ですか。
私の胸の膨らみは一体何のためにあるんだろう。一体誰のためにあるんだろう。
少し前までは、男性のためにあるものだと思っていた。
今では未だ見ぬ我が子のためにあるものだと信じている。
唯一そこが、私の意志と体の意志が連動しているという証拠かもしれない。

男の人の前で裸になると、不意に自分が頼りない存在に思えてしまう。まだ未完成で不完全な自分を恥じる。私はまだ何もかもに足らないから、だからあなたとセックスするのも不十分な人間なのだと思う。何かが足らずに恥じて隠してしまいたくなる。心の中で咄嗟にそう思ってしまう。もう逃げられるタイミングはとっくに失くしているはずなのに。
肌に直接触れる空気はいつもひとりの時に裸になるよりとても冷たく感じてしまう。自分の頼りない体が宙に浮いたり足や手ををばたつかせるたびに、頼りなさはさらに増して理由もない心細さを感じる。
彼はこんな不完全な私を許してくれるのだろうかと意味もなく思ってしまう。


19歳のときひと回り年上の男性と付き合った。
その人とのセックスは、自分の中のセックスを捉える角度を少し違ったものにさせた。
19歳のころは、相手の体に指を入れたり口に含むことが汚らしく思えていた。指を入れてみようと思う衝動や口に含みたくなる欲求が理解できずにいた。けれどその反面、その頃は今のように自分の体を頼りなく感じることはまったくなく、ただただお互いが裸になって抱きしめあうことに好奇心をそそられ、異性とセックスをしているんだという事実に興奮していた。
セックスを汚いものではないと思いたい期待が、私の好奇心をくすぐり興奮させたのかもしれない。
31歳の男性のセックスは既に完璧ですべてが整いすべてを許容した。私はそのことにひどく驚いた。それは緩やかに長く確実なセックスだった。自分の手で相手に触れることの喜びを知り、その喜びと引き換えに私は自分の体の不完全さを思い知ったのかもしれない。25歳になった今の私にとっては、年齢も経験も彼のそれに近づきつつあるために、セックスの中にもっと別の喜びを見出さなければいけなくなってきたけれど、19歳の私にとっては彼に触れるというセックスが喜びであり、意味もなく不安定だった。その後はずっと誰かとセックスをするたびに、頼りなく心細くただただ恥ずかしかった。初めて羞恥心を感じたときだろう。遅れてやってきた羞恥心は余計に相手を興奮させ、お互いの衝動は増したのかもしれない。

友だちと遊びすぎて疲れた夜、その彼に電話をした。
ちょうど私のいる駅は彼の家の最寄の駅だった。泊まりに行きたいわけでもなかったけれど彼のことをふと思い出して電話をした。呼び出し音はすぐに止み彼の声が応答した。何をしていたのかと聞くと、「君の帰りをずっと待っている」と彼は答えた。この深夜に私がちゃんと自宅に帰ったかどうかの連絡を待っているのか、それとも彼の家へ呼び出されているのか、はっきりとはわからなかったけれど、私はその言葉に身も心もひどく揺るがされた。今からそちらに行きたいと言うと、待っていると冷静に彼は答えた。自分でも驚くほどセックスの衝動を抑えられなかった。

セックスの中で休息を感じるとき、その場所こそが自分の帰る場所だったのかと思う人もいるだろう。でも私は、自分の肉体や精神が自分の裡以外のどこかへ帰ることを許したくなかった。私はどこにも留まらずどこにも休むことなく、誰のものにもならずひれ伏せることも擦り寄ることもなく生きていきたいと思っていた。男性に抱きしめられてここが私の居場所だと思うことを認めたくなかった。
待っていると言われて易々と帰る女性にはなりたくなかったし、居場所を見つけて安心する女性にもなりたくなかった。ただ、彼の声を聞いたら相手がてぐすね引いて私を待っているような姿を想像してしまい、ひどく興奮してしまったのかもしれない。私はあなたとの関係に安らぎを覚えないと反発すればするほど、彼が私を引き寄せようとしている気がして、とても性的な衝動を感じた。
深夜の電車はとっくに走っておらず、私は歩く時間も惜しいと思いタクシーを飛ばして彼のアパートのドアを叩いた。部屋のライトはすでに薄暗かった。彼の猫が私の足元に近づいてきて、その毛が私の足首をくすぐった。


夜の高速道路を私たちの車は猛スピードで走る。
都会の深夜は、私たち以外に誰一人存在しないのではないだろうかという不安を感じるほど人の気配がない。緑のメーターのライトだけが光る暗い車内で、私は平衡感覚を失くしてしまい、途端に自分が頼りない物体に思えてくる。
私たちの乗った車は、長いトンネルにさしかかる。
真っ暗なトンネルの中には、ぽつんとひとつ、出口の明かりが見える。
白く細く小さな点のような光り。
私たちはそれに向かってスピードを上げる。
私たちはただそれだけに向かってアクセルを踏む。トンネルの出口を間違ってはいけない。壁に衝突したりせず確実にその出口に出なければいけない。誤ってはいけない。その小さなトンネルの出口を通って外に出なければ、私たちのこのドライブは完結して成立しないのだから。

セックスをしているとき、いつもそんなイメージが頭の中を飛ぶ。
真っ暗な空間に、真っ白い点がひとつ。
私たちはその穴に向けて慎重にそして猛スピードで飛び出さなければいけない。
的を外してはならない。スピードを緩めてはならない。
それは針の先でも突付くのは難しそうな小さな小さな光りの点だけれど、けれどその光りを捕らえた喜びは、セックスの快感に似ていると思えた。

会話もなく音楽も流れない車内は、密室であるということがとてもセックスに似ていると思える。うなりをあげるエンジンがシートに触れている体から伝わってくると、それは確実にセックスに近いという思いがする。そして、時にはその車のアクセルを私が踏み込む場合もある。彼を誘ってどこか遠くまで走り抜けようとアクセルを踏み込む。胸が高鳴るほどのスピードで私たちはどこかへ跳んで行ってしまう。そのスピードに、私も彼も抵抗することも出来ず車の外へ飛び降りることも出来ない。


彼は、私がこの助手席に座っていることを許してくれるのだろうか。
彼は、私がこの車を運転して彼をどこかへ連れて行くことを許してくれるのだろうか。

これからもずっと、そんな風なことを考えながらセックスをしつづける。
2004年05月17日(月)  復帰
しました。今日から仕事です。
胸が高鳴ります。ドキドキ、トクトクと。

あるべきところに帰ってきたと思えた。これが私のあるべきところ。
会社に帰属しているわけではない。
「仕事をする私」それが私にとって自然なかたち。
そう思えた。

仕事は私の喜びです。
2004年05月16日(日)  一体
寝起きは汗をかいている。びっしょり。
暑くて体にかけていた毛布は足元で丸まっている。

足と足が絡み合っている。
手と手が絡み合っている。

暑いのに、どっちの足かどっちの腕かわからなくなるほど、私たちは絡み合って眠っている。目を開ければすぐそこに彼の大きな瞳が見え、唇を動かすとすぐ彼の唇に触れそうになる。
私たちは一体化したように眠る。
夜のうちにふたつの体がひとつになって朝を迎える。


彼の子供の頃の話を聞くと、シンパシーを感じる。

彼の薄く開いた唇の中に人差し指をねじ込んだ。
情熱は衰えることもなく、
だからずっとこのままでと、永遠を願いたくなる。
2004年05月15日(土)  奥さま?
五月晴れの土曜日、皆様いかがお過ごしでしょうか。

今日の私は、彼のお引越しを手伝ってまいりました。雨が降ったり強風が吹いたり曇って蒸し暑かったりと最近の天気は変なのばっかりでしたが、今日は引越し日和。朝、6時に目が覚めて髪をしばって汚れてもいいジーンズはいて腕まくりをして、本当に今日は気持ちのいい天気だなあ。
お昼前に、引っ越しセンターの男性がふたりやって来て、あっという間にタンスもベッドも山のようなダンボールもトラックに乗っけてくれると、がらんとした部屋にはちょっと淋しげな彼の姿。
ここに大学生の頃からずっと住んでたんだって。ちょっとお金も溜まったから広い部屋に引っ越すんだって。「ここって、こんなに広かったっけかなぁ」と。

新しい部屋まで、私たちは車を走らせて行くと、まあとってもきれいなマンション。トラックも到着して引っ越しのお兄さん達が器用に家具を担いで、えっさえっさと階段を上る。彼が後ろからわっせわっせとダンボールを運ぶ。すると、先に部屋に上がっていた私に向かって「奥さん、これはどこに置きましょうか」とお兄さんが言う。え? 奥さんって。きゃあ、奥さんって言われちゃった。「あ、あ、そこら辺でいいんじゃないんでしょうかねぇ。よくわからないけど」いやあ、夫婦って思ってるのかなぁ。夫婦? 夫婦? きゃあ!

部屋に戻ってきた彼に、「ねえねえ、『奥さん』って呼ばれちゃった、『奥さん』だって!」と、耳打ちすると、「ええ? だってこの荷物の量を見たら二人暮らしとは思わないんじゃないの?」だってさ。ツレナイねぇ。「からかわれてるんだよ。きっと」と言ってアハハと笑いながら彼はまたダンボールを取りに下までおりる。ホント、ツレナイ。えーい、働け働け。さっさとダンボール持ってきなさいよ。私がダンボールを開けて戸棚に適当に隠したりクローゼットに押し込んだりしてると、「奥さん、ベッドはこっちの部屋で良かったですか?」とまた言われた。「はい、そちらで結構でございます。」と、なんか奥さんって言われると大金持ちのご夫人になったみたい。そちらで結構でございますわよ。オホホ。「これはここら辺に寄せといて良かったですか?奥さん」「このダンボールこっちに置いときますね、奥さん?」と、何回も奥さん奥さんって言われると、そのうちなんか自分が疲れた主婦のような気分になってちょっと飽きてきた。ちょっとアンタたち、私はレッキとした独身女性、ピチピチではなくなってきたけど、まだ人のものにはなっていない25歳なのよ。オバサン扱いしないでよ!
全部の荷物を部屋に運んだら、ここで引っ越しセンターのお兄さん達とはお別れ。彼に言われて冷たい缶コーヒーをふたつ買ってきて、彼らに手渡すと、「お幸せにね。奥さん」と、また言われた。やっぱりこの人たちは私をからかってんだわ! 『奥さん』って言われて喜んでた私をからかってたんだわ! ムカツクー。「幸せになりまーす。」とトラックに手を振って私と彼はまたセコセコとダンボールの開封を始める。「ちょっと奥さん、これはここに置いてくれるかな?」「ちょっと奥さん、開いたダンボールはちゃんと畳んでおいといてね。」「ちょっと奥さん、煙草吸ってないでこっちを手伝ってよ」と、彼まで私をからかい始める。ハラタツ。どうして彼にまで奥さんって言われなきゃいけないの。あなたは、「おい妻よ」とかなんとか呼びなさいよ。あなたの奥さんって呼ばれたんだからね、私は。「おーーい、妻よー。新妻よー。」と、ベランダの外からヘンな雄たけびが聞こえる。外をのぞくとダンボールを片付けに外に出ていた彼がこちらへ手を振っている。恥ずかしいからやめて、近所迷惑だからやめて、私は別にいいけど、今後ここに住むのはあなたなんですけど。その叫び声でたぶんきっとこのマンションの3分の2の住人はあなたのことをバカかアホかと思っていると思うよ。「○○号室に新しく引っ越してきた○○さん、ちょっと頭悪いらしいわよ、いやあねぇ。」と本物の『奥さま』連中に噂されるよ、きっと。「ダンボール、もう、なあぁーいー?」と外で一生懸命叫ぶけれど、恥ずかしくって私はナイナイと手を振ってすぐ窓を閉めた。恥ずかしいこと極まりない。


今日の目標だった「今日のうちに引っ越しをぜんぶ終わらせる」は達成され、私たちは念願の焼肉屋へ。労働のあとのビールと肉は美味。
2004年05月14日(金)  新しい友情の始まり
今日はとてもセンチメンタルな日だった。

今日で私がとても親しくしていた男の先輩が会社を去ることになった。
私は、夕方の時間を見計らって久しぶりに会社に出向いた。久々のオフィスは相も変わらず電話が鳴り響きざわざわと人が忙しげに歩いたり話し合ったりしている。心地よい雑然さが私をとても懐かしい思いにさせた。
皆の仕事が一段楽してから、全員が集まりその先輩に女の子が花束を手渡す。皆の拍手が鳴り終わると上司が、じゃあ最後の一言、お願いしますと、先輩の背中を押した。
彼はきっと泣くだろうと思った。
仕事では太い神経でぐいぐい相手を押すのに、人一倍心配性で人一倍淋しがり屋で泣き虫な彼は、きっと泣くだろうと私は思っていた。彼の言葉はやがて詰まり声がはじめる。

会社を辞めるのに、その先輩はいろいろと考えたことがあっただろう。それは複雑な気持ちの一部だろうけれど、私を相手に先輩はぽろりと吐いたこともあった。32歳の男が会社を辞めていくことは、25歳の私が考えるより様々な思いに駆られるだろう。私と彼では持ち物の多さや質が違うわけだし。決断まではとても長い日を要して、数ヶ月も悩んだ末、複雑すぎたその思いが一瞬にしてシンプルになり、最後は会社の上層部の留保にさえ耳を傾けず辞表を書いた。私とその先輩は一年前、私が入社してすぐ一緒に仕事をするようになった。だからとても近い場所で、先輩が退職するに悩む姿やその過程を私は何も言わずに見ていた。

男の人が泣く姿は、見ていて耐えられない。私を悲しくさせて、私の心を打つ。だから見るには耐えられない。その場にいた女性全員もしくしくと泣き始める。私は、私は今は泣いてはいけない、と思った。皆が泣いてるからこそ、自分だけは泣かずにいなければと思った。
泣くことが、淋しさや悲しさを伝える手段ではないと思った。彼は袖で顔拭いながら、少し俯きながら、ひとつずつ言葉をかみ締めている。

この人は、こんなふうに泣く人のようには見えなかった。
強くて優しくて、厳しくて怖かったし、楽しい人でとても信頼できる人だった。
そんな強い人が、別れの悲しみと感謝の気持ちで涙を流す姿を、私は頭のどこかで冷静にも観察しては、驚きもしたし不思議な気分にもなった。シャツで何度も涙をふく姿が、ずっと忘れられない光景になるだろうと、そのときふと思った。その白いシャツが涙で濡れていく様を、鮮明に私の記憶がインプットしてくれている気がした。

目の前で同僚の女の子も泣いている。彼女と私とそして先輩は、よく3人で夜遅くまで飲んでは馬鹿みたいな話しばかりしたり、愚痴を言っては笑いあったりしてよく遊んだ。たった1年だけの3人の付き合いだったけれど、その先輩がよく言っていた。「会社の人間の中で、これほど何でも言い合えた仲間はいないな」って。私もそう思った。出来るだけ会社の人間とはビジネスライクに付き合ったほうが無難だと思っていたのに、これほど親しい人に社内で出会えるとは思ってもいなかった。私にとってこの二人は計算外の産物で、私たちは良い関係で結ばれている気がした。けれど今、そのうちの一人がこの場からいなくなってしまう。手で顔を覆って肩を揺らしている彼女を見ていると、急に私も悲しくて目頭が熱くなった。

もう、会えないわけじゃないのにね。会社を辞めていくってどうしてこんなに悲しいんだろう。その人と自分が親しければ親しいほど、頼りにしていれば頼りにしているほど、その存在が明日から消えてしまうのだと思うと、急に心細くなったり淋しくなったりする。同僚って関係はとても不思議なものだ。あとで先輩からこっそりもらった短い手紙にこう書いてあった。「あいさんは僕がこれまで一緒に働いた人の中で、一番信頼できるパートナーでした」と。それを読んでまた涙が出そうになった。


私が会社を出るとき、先輩と私は普段と変わらず冗談を言ってエレベーターの前で別れた。
「やっぱ、泣かなかったな、あいちゃんは。」と先輩は笑っている。
「泣くものですか。一生会えなくなるわけじゃあるまいし。」
私は、ぐっと泣きたくなる気持ちを抑えた。
本当は泣きたかったのだ。とっても泣きたかったけれど、私はみんなが泣けば泣くほど我慢してしまうタチなのだ。とても損な性格で素直じゃないし可愛くないのだ。私が泣いてしまえば、本当にみんなが驚いてしまうほど、「泣かない強い人」と周りには思われてるんだから。ずっとずっと堪えていた。声が震えそうになる前に手を振って見送られながらエレベーターのドアを閉めた。

そのまま彼の家に帰って、わんさか泣いた。我慢していればしているほど、必要以上に涙は出てくるものだ。彼は笑って、「その涙は、ちゃんとその人の前で流さなきゃ意味がないでしょう。」とも言ったし、「他の男のために彼女が泣くのも複雑だなぁ」とも言った。そういえば、会社を出る前に、他の同僚に「あいさんは、本当にクールですよね。どうしてこんなときでも泣かないんですか?」って言われた。責められていたのかしら? その人の目は真っ赤に腫れていてこちらを睨んでいるのかどうかよくわからなかったけれど。
そうだな。やっぱり泣くことは悲しさや淋しさを相手に伝える唯一の表現なのかもしれない。
私は、本当に損な性格だな。
みんなが泣けば泣くほど我慢してしてしまう。
家に帰っていくら泣いたって、その気持ちはいつまでも届かないものなんだよな。
彼に抱っこされながらずっと泣きながら、そんなことを思った。
よし、今度3人でまた飲みに行ったときは、ふたりの前でわんさか泣いてやる。本当はとっても悲しくて淋しかったんです、って泣いてやるぞ。

私たち3人は、それぞれの環境が違ったっていくらでも会える。いくらでもお酒を飲みにいける。
だって、私たちは年齢やキャリアも超えた厚い熱い友情で結ばれているのだから。
2004年05月13日(木)  長い休暇
最近の毎日は、慌しく、けれど静かに過ぎていっている。

朝、目が覚めてニュースを見ながら化粧をする。煙草を吸って着替えたらすぐに出かける。毎日いろんな人と出会う。いろんな人に会って話を聞いてもらったり、話を聞かせてもらったりする。たまに、どこかのお店でアイスティーを飲みながら読書をする。何時間もそこで読書をする。本屋に入り浸って新刊を物色する。デパートに入ってウィンドウショッピングをする。
ひとりでブラブラと街を歩く。
夕暮れになったら、また人と会ってお酒をのむ。美味しいものを食べておしゃべりに花を咲かせる。夜は短く、終電はやがてホームに滑り込む。私はそれに駆け込み、深夜過ぎに自宅へ帰る。シャワーを浴びたら髪の毛を乾かす間もなく、私はベッドに倒れこんでそのままの姿勢で、朝を迎える。
たまに、彼の家に出かけ彼が帰ってくるのを待ち、彼と一緒に食事をしてビールを飲んで一緒に眠る。ときには、異母兄の家に行ってテレビを見ながら笑い転げ、副都心の夜景を眺めながら眠る。

毎日、いろんな予定が入っているけれど、私はとても充実した日を過ごしている。
毎日、いろんな人といろんな話をする。
けれど、もうすぐそんな日も終わり、私はまた仕事へと復帰する。
ずっと願った仕事の復帰は、もうすぐ叶えられる。
8月31日の小学生みたいに淋しい気持ちも半分、仕事の期待に胸がはずむ気持ちも半分というかんじ。


もうすぐ長い長い休暇も終わる。
充実した休暇は私に何をもたらすのだろう。
2004年05月12日(水)  恋
よく思う。
煙草をすっているとき、「死ぬまでにあと何本煙草を吸うことができるんだろう」
夜を迎えるたび、「死ぬまでにあといく晩夜を迎えることが出来るんだろう」
泣くたびに、「死ぬまでにあと何回泣けばいいんだろう」

私は限りある時間の中で生きている。いつかは死ぬ瞬間が訪れる。私はカウントダウンをし始めているのだろうか。あと何日。あといく晩。あと何回。

今日は、私にとって生まれてから9225日目だそうだ。じゃぁ、死ぬまではあと何日? あと何日で死ぬ? 自分が生きている時間は限りあるものだと、私は強く意識している。死の恐怖を知らないくせに、私は自分がいつかは死んでしまうことに納得さえしている。


生きているうちに、どれくらいの恋をするのだろう。
一体、どれくらいの男性をどんなふうに好きになるんだろう。私には好きな人がいる。私にとって特別な存在の人がいる。私にとって彼はとても大切で、かけがえのない人だ。限りある人生の中で私はこの人に出会って好きになったことを、とても幸運に思う。

今年の冬、ずっと私は泣いてばかりだったし、恋をしてしまった自分に怒ってばかりだった。だから、これ以上人を好きになるなんて馬鹿らしいと思ったし、自分は人を好きになってはいけないんじゃないかとさえ思った。私が誰かを好きになれば、不幸が広がっていくのではないかと思った。自分も相手も不幸になるばかりだと思った。でもまた、私は人を好きになった。懲りずにまた人を好きになった。忘れたわけじゃない、泣いたこと、怒っていたこと、悔しかったこと、後悔したこと、私は忘れたわけじゃないのに、それでもまた人を好きになった。
感情の中で一番強いのは「憎しみ」だと誰かが言っていた。私はそのとき確かに自分を憎しんだ。けれど別のところから恋する気持ちが沸いてきて、いつの間にか憎しみの感情は和らいだ。恋する気持ちは憎しみにも勝るのかもしれない。腕を噛み続けて自分を憎んでいたことを、自分自身で許したらほっとした気持ちになった。自分で自分を縛っていた縄をほどいたらとても楽になった。自由になる手足で自分の意志で彼の元へ歩いていったらとても幸せな気分になった。

焦ることなくゆっくりともっと深くこの人を好きになっていきたい。
もし、泣くことがあっても絶望することがあっても、人を好きになったら私はひとりだけで生きているんじゃないと思った。
死ぬまでに、と人生のゴールを意識する生き方よりも、今を大切に生きたいと思った。今のときや明日を意識して生きたい。短いスパンで物事を積み重ねていくと、とても楽に生きられる気がした。

今日は、私にとって生まれてから9225日目。彼にとっては10944日目。死ぬまであと何日と数えるより、明日は9226日目と10945日目で、明後日は9227日目と10946日目だって、考えればずっともっと楽しく過ごせる気がした。

そんなふうに思わせてくれた彼に、とても感謝する。
2004年05月11日(火)  棲家
今日は夏日になると朝のニュースで言ってた。
とても陽射しが強くて、服が背中にぴたりと張り付いているのを感じる。
バス停の近くには日陰がない。
どこにも逃げ場がなくて私はずっとそこに立ってバスが来るのを待つしかなかった。
それは仕方がないことだった。

ようやく緑色のバスが来て私はようやく暑さから解放されることになる。
ドアが開いて私はステップを上る。200円払って車内を振り返った。
発車しますと運転手が事務的に言った。
乗客はひとりもいなかった。けれど、彼はそこにいた。

一番後ろの長い座席の真ん中。
ダブついたジーンズをはいてだらりと足を広げている。
髪の毛は赤に近い茶色で、耳にはピアスが光っている。
彼はこちらを真っ直ぐ見つめている。

私より年下に見えるけれど、だからきっと彼は私と同じ歳くらいなんだろう。
男の子は、いつもいつもその外見は幼く見えるから。

一歩足を運んで、私は彼から少し距離をとった座席に座った。
そっと彼の許しを乞うように怒りをかわないように静かに座った。

彼はきっと運転手の男には見えない。
彼はずっとこのバスの中の空間を支配していて、私にしか見えない。
彼はこのバスに乗ってくる人たちを品定めをするかのような目で見る。
彼はバスが安全に走るのを妨害する人間がいないか見張っている。
あの後ろの座席に座って、バスの中をいつもいつも見渡しているんだ。

彼は幼いころ、バスが大好きだったそうだ。バスの運転手に憧れてきっと大人になったらバスの運転手になろうと心に決めていた。けれど、小学校に入る前、あの交差点で左折してくるバスに轢かれて死んじゃったんだ。バスの運転手になりたかったけれど、それも叶わないまま大人にならずに死んじゃった。

だから、彼はどこに行くこともなくずっとこうやってバスの中に座っているんだ。
バスが安全に走れるように、事故を起こさないように、それを妨害する乗客がいないか、
バスを守るためにあそこに座ってるんだ。バスに棲む男。
彼は微動だにせずじっとそこにいる。

私は彼の視線を背中に感じている。
外の陽射しはきらきらと輝いて、バスの中に不思議な影を落としている。
私は、彼に会った。悲しい過去を持つ彼を見たんだ。きっとあれはあの彼だったんだ。
私の背中にはまだ服が張り付いたままだった。
2004年05月10日(月)  さようなら
さようならという言葉は、本当の別れの意味を持たないと思っている。
さようならと呟いていても、それが本当の別れかどうか誰もわからないし、自分でさえも本当の別れの重さが如何ほどのものかなんてわかっていはいない。

本当の別れはひたひたと近づいている。
気づかないうちにすぐ真後ろにある場合もある。時間がたちその時を思い返してみて、あれが本当の別れだったのかなんて、知らない間に別れに飲み込まれてしまっているものである。
思い返せばあの人に会ったのはあれが最後だったとか、
思い返せばあれがあの人との最後のキスだったとか。
本当のさようならを言う機会もなく、本当の別れは突然に何かを私から奪っていく。
振り返ってみてようやくそれに気づく。

けれど、さようならを言わずにすんだことに私は感謝すらする。
最後だと言い聞かせて相手の目を見ながら「さようなら」と呟くなんて、出来る自信がないしそもそも勇気だってない。

けれどもし、さようならという言葉に真実の意味を持たせるのであれば、私はこの世から去るときだけ、その言葉を使おう。死ぬその直前に、私は誰に看取られ誰の顔を最後に見るかはわからないけれど、その人に向かってさようならの本当の意味を知ろう。
ただ、さようならという間もなくこの世から去ることがあれば、それはそれでいたし方ないと思おう。


死ぬ最後の瞬間に、私は真実の別れを知ることになるんだ。
2004年05月09日(日)  甘えたい
誰かに甘えたい。


甘えると言っても、たとえば誰かに頼りっぱなしですべてを人に決めてもらいながら過ごすわけでもなく、自分の言動に責任を持たず成り行き任せにするわけでもない。
ただただ誰かに頭を撫でてもらって抱きしめてもらいたいと思う。それだけで構わないから少しのあいだだけそうしてもらいたいと思う。その理由は自分でもよくわからないのだけど。

もっと幼いとき、たとえば父や母に甘えていられた子供の頃の、無条件に愛され尽くすようなこと。私は幼い頃に戻って、もう一度、いや、もっと、父や母に甘えたかったのかもしれない。
私の甘えの欲望が強すぎるのか、私の甘えが子供の頃にすべて枯渇してしまわなかったのか、それはわからないけど、ただただその甘えを、今でも誰かに求めている。


無条件に愛されて、
可愛がられ、
守られて。

甘えたいだなんて、私らしくないと、誰かは言うだろうけれど、どうしようもない夜になると、誰かに甘えてたいと考えてしまったりする。
そういうのって、間違っているの。
2004年05月08日(土)  致命的記憶喪失
最近、眠りが深い。よいことです。
しかし、眠りが深すぎて寝ぼけることが多い。
一人暮らしなので、部屋で寝ていて寝ぼけていても誰にも迷惑をかけることはないので、別にいいのだけど、電話、電話が一番困る。

はっと気づくと、私は受話器を下ろす瞬間だったのです。
あれ。
私は、いま誰かと電話をしていたのね?
あれ? 誰と?
いや、もしかしたら寝ぼけて受話器をとり外したのかもしれません。
いや、でも私はさっきまで誰かと会話をしていたような。していないような。
寝ぼけ中の電話が一番困ります。

高校生のとき寝ぼけて電話をとった私は、翌日の約束を覚えていなくて幾度かすっぽかした経験がある。そんな約束した覚えがないのに、相手はとっても怒って私に電話をよこす。「来たくなかったんだったら、そういえばいいじゃん!」寝ぼけたせいで恋人をなくし友達は減っていくのです。

で、さっき切った電話だけど、んー誰と話していたんだろう。何を話していたんだろう。記憶喪失。
覚えていない時間があるって、けっこう怖ろしかったりするもんです。まあ、何かあったらまた相手から電話がかかってくるだろうと思いなおし、再びベッドへ。そのまますやすやと眠りに誘われた。

で、翌日。翌日と言っても朝4時半。
インターホンで目が覚めた。なに? なにこんな時間に! 怖いんですけど! NHKの取立て? 宅急便? いやいや、こんな時間に来ないでしょう。も、もしかして悪者に追われた人がかくまってくださいとかってことじゃないだろうか。だって、こんな時間だし。怖いから無視してよーっと。無視無視。居留守を決め込んで毛布を頭の上まで引っ張りあげるんだけど、切迫したようにしつこく鳴り続ける。なんだよ、怖いなぁ。恐る恐るインターホンに応答すると、あら友だち。なあにと寝癖がとぐろを巻いた頭でドアを開けたら、ドドドと彼は上がりこんで「だ、大丈夫か?!」と言った。彼は手にゴルフのクラブを持っている。なに? これからゴルフ? まぁ高尚なご趣味だこと。頑張りたまえ。
「おい! いないぞ!」と友人。
「誰が」と私。
「ストーカーだよ!」と友人。
「もう、なに言ってんの」と私。
「だって、ストーカーがベランダからぶら下がってこっち見てるって言ってたじゃんか」と友人。
「なにそれ、初耳」と私。
「何言ってんだよー! どこにもいないじゃんかよー!」と友人。
「いるわけないじゃん」とベッドに入りなおした私。
「お、おまえ、言った……。絶対言った」とへたり込む友人。
「なに寝ぼけたこと言ってるの」と目を閉じつつある私。
「……ハッ! お、おまえ!」と立ち上がる友人。
「ん?」と目を見開く私。
「……やってくれたね」と泣く友人。
「やっちゃったみたいだね」と起き上がる私。

んー、寝ぼけて電話をした相手は、この人だったらしく、私はその電話で「ストーカーが私の部屋をのぞいているのーと言ったらしく、友人は慌てて私の安否を確認しに来たらしく、その際に何かあったらイケナイとゴルフのクラブまで持参したらしく、でももちろんクラブで殴る相手もいるわけがなく、すべてが私の寝言らしく、むはは。
これは本当にあった出来事です。嘘じゃないの。本当なの。素晴らしいね、友情って。この瞬間、私は友情を熱く感じた瞬間だったけれど、きっと彼は友だちの縁を切りたいと思っただろう。
ちなみに、この友人は私が寝ぼけることを知っていて、トイレに行こうと寝ぼけて起き上がった私が、ドアも何もない壁に吸い込まれるように歩いていくところを目撃しているし、真夜中にはたと起き上がって突然足の爪を切り始めたところを目撃している。もちろん、私にはその記憶がない。

このあと、私はねちねちとお説教を喰らったことは言うまでもない。
やばい、やばいね。笑えないね。夢遊病ですか、私は。
2004年05月07日(金)  女のたたかい
西麻布辺りでのんでいたと思ったのだけど、気づいたら恵比寿にいた。
どれだけ歩いたんだよ、というかんじ。酔っ払いすぎです。

いまだ休職中ではありますが、今日は会社の同僚と先輩と待ち合わせをしてお洒落なレストランへ。じつはこの先輩が今月いっぱいで退職してしまうのです。やばいな、うちの会社。出来る人はどんどん辞めていっている。もうそろそろ潰れてしまうんじゃないだろうか? 先輩は「こんな俺のためにふたりで送別会ひらいてくれるなんて、嬉しいよぉー」と酔っ払いすぎて泣く始末。泣くな、泣くな、送別会といいつつも私たちはただ飲みたかっただけなんだから。

というかこのお店、なんかカッコイイ店員さんがいっぱいいるー。いっぱいいるー。わー、かっこいいー。同僚の女の子とあちらこちらへ目を泳がせる私たち。
「あ、あの人いいんじゃない?」
「あー、ちょっとくどいね、顔が」
「そうかなあ。ちょっと平井ケンに似てカッコイイと思うんだけど」
「ねえ、あっちの人、かわいいー。」
「“可愛い”は男として認めん」
「あ、あの人カッコイイ!」
「あ、ホントだ。ちょっとぉ、初めて私たちの趣味があったんじゃない?!」
男泣きする先輩をよそに、私たち女子はかっこいい男子を探すのに懸命。
泣いてる場合じゃないのよ、先輩。

同僚の女の子が目をつけた店員さんを見つめて、「あの人カッコイイ」と何度も連発するので彼女がトイレに席を立ったときに、先輩に「○さんが、あの人のことカッコいいって言ってたから、電話番号聞いてあげてくださいよ!」と冗談で言うと、べろんべろんになった先輩は、「よし、まかせろ!」と言って標的の店員さんを呼んだ。「あのねぇ、この娘たちがねぇ、君のこと気に入ったんだって、電話番号教えてくれる?」「あ、いいですよ。」

ちょろい! なんてちょろい男なんだ。店員も先輩も! どっちもチョロイ!

電話番号教えてっていったらかんたんに教えてくれるものなの?
電話番号聞いてっていったら、先輩は後輩のために男の人を引っ掛けてくれるの?
世の中渡るのって、とても簡単じゃないか。

名刺を渡してあげなよ、と先輩が言うので、私の名刺をその店員にあげたのだけど。なんで私の名刺をあげなきゃいけないのかしら。店員の電話番号とおまけにメールのアドレスまで教えてもらった。これじゃ、私が彼の電話番号を聞きたがっているみたいじゃないか。あれだけ目を泳がせてはいたものの、こうなってしまうとなんか恥ずかしいなぁ。先輩は一仕事終えたようにご満悦だけれど、トイレから戻ってきた同僚の子はちょっと怒り顔。
「どうして、あいさんの名刺を渡すんですか! これじゃ、あいさんの携帯に電話しちゃうじゃん、あの店員さんは!」ものすごくご立腹。男の取り合いです。大丈夫、大丈夫。ほらこの電話番号を書いたメモ、あなたにあげるからあとで電話してあげなよ。ね? そんなに怒んないで。
ちょっと彼女のご機嫌を取りもどし、その後、電話番号を聞いた店員さんの顔も恥ずかしくて見れず、店員の電話番号を聞くというイマドキ古い粗相を犯してしまった私たちは、そろそろ次の店に移動することにした。

みんな既に千鳥足で、一体誰がいくら払ったのかも覚えておらず、先輩の送別会だと言うのに私は細かい小銭しかはらった記憶がないので、きっと私たちより先輩のほうが多くお金を出している。しかもやめていく先輩に男の人の電話番号を聞かせている。悪魔のような後輩です。

帰り際、あの店員がドアまで送ってくれたのだけど、そこでこっそり私用の名刺をもらった。やった。ゲットした電話番号取替えした。ゲットゲット。ゲッツゲッツ。

にんまり嬉しそうな同僚の女の子を見ながら、むふふ、ホクソエム。私が名刺をもらったんだもんねー! 私のほうが名刺をもらったんだもんねー。

さて、この電話番号をこれからどうしてやろうかな。
2004年05月05日(水)  カーテンの向こう側
父方の祖母は、もう数年前から福祉施設に入っている。
私がそんな祖母に会うのは、帰省したときだけで年に数度もない。

その日は朝から霧のような雨が降っていた。今年の連休はそれほどいい天気にも恵まれず、ずっと曇り空が続いていたけれど、今日になってとうとう雨が降り出した。強い風は昨日から吹いていて、今日、東京に帰る私と彼は、空を見上げながら飛行機が離陸できるのか不安に思っていた。台風が近づいてきているような強風だったから。

祖母のいる施設に、私たちは朝早くに到着した。
薄暗くじめじめした建物の中は、けして清潔な印象は与えずどこか饐えた匂いがしたし、建物の奥からは奇声が聞こえる。暗く長い廊下の突き当りにはアコーディオンカーテンがひいてあって、そこを開けると、何人もの老人がみな車椅子にのって廊下にあふれ出ていた。母が職員の女性に挨拶をして祖母の部屋をのぞきに行く。私と一緒にいた彼もそれについて歩く。
職員の男性が老人たちの車椅子を引っ張り、私たちが通れるように避けてくれた。それまでめいめいに話していた老人たちが一斉に黙り込み、私たちを見上げている。奇妙な連帯感を感じた。
祖母は、部屋にはおらず私たちは祖母を探して廊下中に溢れている老人たちの中を探した。
みな、一様に同じ服を着て、同じ車椅子に乗り、髪の毛は薄く白く、顔中には深い深い皺が刻まれている。ここには男性であること・女性であることの区別もなく、誰がお婆さんで誰がお爺さんなのか、見分けがつかなかった。同じ顔をして同じ服を着た人たち。私はその中で祖母を見つけられるのか、一瞬不安になった。

祖母は横に伸びた廊下の一番端っこに、ひとりぽつんと座っていた。
そこのソファーに腰掛けて雨の降る空を眺めていた。
私と母が駆け寄り、私は祖母の隣に腰掛けた。
祖母は、「どなたかしら?」と私に問う。「あいだよ、おばちゃん。」と答えると祖母は満足したように頷いて「まあ、大きくなったね」と言うとまた窓の外に顔を戻した。
祖母は、数年前から私の顔を忘れた。私の名前は覚えていてそれが自分の孫だということも覚えていても、私の顔は祖母にとっては初対面の人間に見えるのだ。

祖母はどうしてあの老人たちから離れて、こんな端っこでぽつりと一人で座っているのだろう。

祖母は会うたびに体が小さくなってしまっているように思える。そんな祖母をみるたびに、祖母が私を初対面の人間として扱うのと同じように、私もこれが本当の私の祖母の姿だったろうかと、疑問を持ってしまいそうになる。祖母の生きる機能は少しずつ失われてきている。祖母の体はますます小さくなる。わたしに窓の外を見上げてぽつりぽつりと話す祖母に、私はどんな風に振舞えばいいのかわからなくなってきた。
母が祖母の正面に立って見下ろすように祖母を見ている。「お母さん、ご飯はもう食べたの?」母は祖母の遠くなった耳のそばで大きな声をはりあげて話しかける。母は、祖母を見下ろしている。祖母は母を見上げてにっこりと笑いかける。まるで子供が母親に会えたときの嬉しそうな顔みたいだ。私はそんなふたりの姿に、どうしても我慢が出来なかった。せめて、母には祖母の隣に腰掛けて祖母と同じ視線で話して欲しい。

職員の人間は、老人たちを取り巻く澱んだ空気とは正反対に、溌剌とした明るさを常に失わない。老人と職員。その明るさがふたつの集団の溝を余計に深くしているように見える。職員たちの明るさは老人たちに届いているのだろうか。

祖母の車椅子を部屋の前まで押していく。
祖母はベッドに横になりじっと目を閉じた。数分して寝息が聞こえると私たちはその部屋をあとにした。


部屋を出るといくつもの車椅子に乗った老人が私たちを振り返った。
私の横にいた老婆がゆっくりと右手をあげる。私はそれをじっと見ていた。腕はゆっくりと中を彷徨ったあと私に伸ばされた。私に何かを乞うようなその手を、私は握ってあげるべきか笑いかけてあげるべきか迷った。宙をただ彷徨う手に私はなんと応えるべきだったのだろうか。

私たちは職員の女性に挨拶をして、アコーディオンカーテンの外側に向かった。あのカーテンがきっと外界とこちらを隔てているんだ。ひとりの老人が私たちのあとを追ってきた。「もう帰るの? 私も一緒に帰りたいんだけどねぇ。誰も迎えに来ないからねぇ。一緒に帰りたいんだけどねぇ。」そう言いながらアコーディオンカーテンの手前で立ち止まった。私は曖昧な笑みを浮かべて会釈をした。私はカーテンの外に出て、その老人はカーテンの外に出ることを躊躇っているようだった。


人間の細胞は毎日死んで再生する。
もしかしたら、このカーテンの向こうには死んだきり再生しない細胞が増殖しているのかもしれない。祖母は確実に何かを失いつつある。来年には私の存在すら忘れているのかもしれない。けれど、もしそうなったとしても私にはきっと悲しむ権利などないのかもしれない。だって、私はずっと祖母のそばにいて話し相手になることも出来ないのだから。たまに訪ねてきてはたまにしか顔を出さない、薄情な孫なのだから。

車の中に戻って、私は大きく長い溜息をついた。台風みたいな風が車を揺らす。
2004年05月04日(火)  白雲の支配
母の車を借りた私たちのドライブは、2時間半の予定だった。
ロードマップはちゃんと買ってあるし、どのルートを通っていくか何度か確認したはずなのだけれど、私のナビの仕方が悪いのか、標識をどこかで見逃したのか、いつのまにか私たちは、四国カルストという標高の高い山を登る遠回りなルートを走ってしまっていた。

東京生まれで東京育ちの彼にとっては、こんな山深い場所で車を運転するのはとても怖いことだったろう。山道はくねくねとらせん状に頂上を目指し、道幅は軽自動車がやっとすれ違えるほどの幅しかなく、対向車が来れば広さに余裕のある道までどちらかがバックして、車を避けさせなければいけない。カーブミラーだけが私たちの頼りだった。

私が運転を代わっても良かったのだけれど、たぶんきっと対向車と正面衝突をするより先に、斜面からまっ逆さまに落ちてしまうか、崖に車の鼻先をぶつけてしまうだろう。彼は、絶対にそれだけはいやだと運転を代わってはくれなかった。

光がまぶしくて、これほど濃い緑色があるのかと本当に驚かされる景色だった。この色は人工ではぜったいに作れない色だろう。頂上近くの広いスペースに私たちは車を止め、少し休憩することにした。彼は、空気が美味しいとはしゃぎ、山の高さに驚いていた。ひんやりとした空気が景色を澄み渡らせているのだろう。こちらの山と同じ高さほどの山がいくつも目の前にそびえ立っている。山と山とのあいだの谷は家々が微かに見え、あんなところにある生活は、一体どういうものなのだろうかと私は想像した。足元からすぐ下は、目が眩むほどの景色が広がっている。東京生まれの彼は、田舎って空気がおいしくて美味しいものもたくさんあって静かで羨ましいなあと呟いていた。今日は、決して天気の良い日ではなかったけれど、私たちが山を眺めている時間は雲が流れて向こうの景色まで見渡せた。彼は嬉しそうに何度も深呼吸を繰り返す。空も高くて気持ちがいい。田舎育ちの私はそんな彼に、田舎はたまに帰るからこそいいものだと思うんだよ、とそっと心の中で笑った。

高い山と山とのあいだに白い雲が流れてきた。下の景色が透けて見えそうなほど薄い雲だったけれど、数分もたたない間に私たちのいる場所より少し下辺りに、その雲はどんどん流れ込んできてたちまち景色を隠した。薄い雲が何層にも重なりはじめ、空気がよりひんやりと尖ってきた。意志を持ったように雲は集まりはじめたかと思えばぶつかり合ってひとつの大きな雲になったり、弾け飛んだりしている。雲が山を支配しているのかもしれない。
そうして気づくと、それは雲海と呼べるほどの美しさを見せていた。
雲は真っ白に波を打っていた。膨らんでは引いていきそしてまた膨らんだ。
白と緑と青とがくっきりと別れて眩しく光っていた。
私たちはその風景を見られたことを幸運に思った。

私たちはそれを見ながら初めてキスをした。

雲海は数分間だけの美しさを見せ、やがて知らぬ間にどこへ消えたのか雲はそれぞれの場所へ帰っていった。自然の美しさは一瞬の幸運だからこそ神秘的に見えるのかもしれない。空気の尖りが消え、私たちはまた車を走らせた。あのとき、道を間違えずにドライブをしていたらそれは見られなかったのかもしれない。

雲が山を支配していた光景。
2004年05月03日(月)  別世界に住む親友
いろいろとそれについて詳しくここに書き並べることは出来る。
でも、それをしたら私は本当に自己嫌悪で一杯になるし、それをしたら認めたくない事実を認めてしまうような気がする。

簡潔に言うと、「彼女は、私が最もそうありたくない女性になってしまっていた」ということだ。

彼女との付き合いは、彼是13年にも及ぶ。こうして13年と書いてみるとその長さに驚く。もう13年経ったのかという気持ちと、まだ13年かという思い。最初の3年間はまったく同じ環境で生きた。机を並べて勉強をして、同じ音楽で心を通わせた。次の3年間は学校は別でも、ここでもまた同じ音楽で心を通わせた。次の2年間、私たちは一緒に上京をしたが、環境を別にして暮らした。たまに居酒屋で会いお互いの近況を報告しあった。その後の数年間は、私は東京で大学を卒業し、そのまま東京で就職をした。彼女は東京の専門学校を卒業して地元に戻りそこで就職をした。
別々の土地で別々の生活をすることになったが、私たちは「親友」と呼んでも間違いのない間柄だった。中学生の頃からの親友である。
ちなみに言うと、彼女が私に「ビートルズ」を聞かせてくれた人でもある。私は、それをきっかけに音楽の世界のドアをノックしたと言っても過言ではない。あれがなければ、私の人生は音楽大学に通うことを選んではいなかっただろう。

彼女とは、旅先の松山市内で合流した。
私と一緒にいた彼は、車を数時間走らせその晩に松山に着いた。彼女は前日から別の友人と松山を訪れていた。せっかくだからと、夕食を一緒にとることにした。彼女の友人は、別の用事があるからと来なかった。私たちは3人で2件の店に行き、5時間も一緒に過ごした。


私は喋り続ける彼女の話に上の空になりかけながら、いろいろと考えた。
私と彼女が同じ環境で過ごした時間と、別の環境で過ごした時間。どちらが長いだろうかと。
そして、その環境の違いが、「私が彼女に抱く違和感を感じさせるのだろうか」と。
環境と言ってもいろいろあるだろう。仕事、恋人、近しい友人、暮らし、お金、見るもの、聞くもの、そして考えることと感じること。

私がずっと彼女に抱いていた印象は、いつも冷静で頼りがいのあるお姉さんタイプの人間だった。友達同士のグループのいさかいには常に真ん中でバランスをとったし、興奮せず周囲の空気を感じ取れた。正義感が強くどんなときでもリーダー的な存在になってくれた。もちろん、嫌だなと感じるところもあるかもしれないが、そんなことはいくつも思い浮かばない。
けれど、その日の彼女は、仕事と恋人の愚痴と、携帯電話との格闘で手がいっぱいだという感じだった。私たちが口を挟む暇もなく、彼女は仕事の同僚の不満を吐き続け、不倫でもある恋人への不平を並べ立てた。その間には30分おきに携帯電話へメールが届き、その返信をしながら喋り続けた。
私と一緒にいた彼には、一切興味を抱かずといった感じで、自分の話を聞いてもらいたがった。初対面の彼がいるにも関わらず彼女は私にばかりその話しを聞いてもらいたがっていた。たまに携帯電話が鳴り、話の途中で断りもなく通話ボタンを押し、15分近くも話して電話を切ると、「で、どこまで話したっけ?」とにべもなく言った。

私はうんざりしていたが、一緒にいた彼はとうの以前にうんざりしていた。私たちは席を立つタイミングを失っていた。彼は長い時間の運転で疲れていただろうに、申し訳なく思った。

愚痴を聞くのが嫌だと思っているつもりはない。
派遣会社で営業をしていて、いろんな派遣スタッフの人と関わると、彼女達からいろんな仕事の愚痴を聞くことが多い。それは単なる愚痴に始まりやがては仕事を辞めたいと思うほどの大きな不満にもなる。営業としてその不満を聞いてあげながら、如何にその人に長く勤務してもらうかを考える。それが仕事だから。女性特有の愚痴や文句を聞くのには慣れていたつもりだった。ただ、愚痴を言う人の中で、自分が愚痴を言っているとわかっている人は、とても救いがあると思える。愚痴を言ってすっきりと仕事に戻るのもよし。不満の要素を自分なりに試行錯誤して解消しようとした結果、だめなら契約をやめて次の仕事を探すのもよし。それは彼女たち自身の決断だ。けれど、自分の言っていることがすべて正義ですべて正しいと思い、周りに責任ばかり押し付けて現実が見えなくなったただの我侭な人は、救いがないと思われる。私はそう感じている。

私の親友である彼女は、後者だった。口ではただの愚痴だと言っていたにも関わらず、私がわざと彼女の言葉を突付いてみようとすると、彼女はとても興奮して声を荒げた。声を荒げて私の言葉を跳ね除けた。ムキになって否定すると言うことは、自分の主張が正義だと思っている証だと私は思う。自分の主張を攻撃してくるものには声を荒げて抵抗するのだ。
周りにいた客が驚いて私たちを見ていた。
彼女はそれすら気づかないようだ。酔っているのだろうか。

いろいろと疲れることがあって、神経が過敏になっているのかもしれない。ストレスが溜まっているのかもしれない。それを聞くのはとても容易いけれど、彼女がその不満だらけの日常に、なんの突破口を見出そうとしているのか、私にはまったくわからなかった。
「〜してみたら?」と私が言っても、彼女は「ぜったいに〜なるもの」と決めてかかっていた。「ぜったいに〜なるもの」というのは、彼女が試してみて「〜なった」わけではない。ただの彼女の想像だ。「じゃあ、〜してみたら?」と言うと、彼女はまた「それもきっと〜なるもの」と言って否定した。これもただの彼女の思い込みにしか過ぎない。彼女の行く方向を塞いでいるのは彼女自身であり、そうやって自分のテリトリーから外に出ず、そして誰も受け入れず、ただ執拗に周りを攻撃していることを彼女は気づいているのだろうか。
たぶん、気づいてはいないだろう。
そのあいだにも、恋人からのメールや電話の対応に忙しそうだ。
彼女は、いま言う不平や不満をシリアスには考えていないのだろうか。もしそうなら、心配する私の気持ちは空回りで終わる。心配してあげているというわけではないが、どんな風に彼女の話を聞けばいいのか、よくわからなくなる。


私たちは、同じ言葉で通じ合える親友だと思っていた。
もちろん、「彼女は、私が最もそうありたくない女性になってしまっていた」という、「そうありたくない女性」というのは、ただの私の主観でしかなく、もしかしたら、私が思う「そうありたくない女性」に彼女がなってしまっても気にならないのかもしれない。それはよくわからない。もしかしたら、私だって自分の気づかないうちに彼女のように我侭にも似た愚痴を言ったり不満を吐いて居酒屋でとぐろを巻くことだってあるかもしれないし、人は誰だって悩んだり壁にぶつかったりしたら自棄になることだってあるのだし。

私は考えた。
彼女は、ただいろいろな事情で参っているだけなのだろうと。つぎに会えるのはたぶん来年の正月になるだろうけれど、そのときまでにはこれまでの彼女に戻っているだろうと。
けれど、もしかしたら彼女はこのままかもしれない。同じ言葉で通じ合えると思っていた親友は、もう私には理解できない考え方をして意味のわからない言葉を操るのかもしれない。
彼女は変わってしまったのだろうか。
それとも、私がただ老いてしまっただけなのだろか。自分以外の人を理解できなくなるほど、つまらない大人になってしまったのだろうか。

私たちは確かに、同じ歩調で一緒に歩いていた時期があった。その後、道を別にした。別れてから、私たちの成長の度合いは異なってきたのかもしれない。どちらが大人や子供という意味ではなく、私たちはもう別世界の人間になってしまったのかもしれなかった。
それを打ち消したい気持ちと、認めてしまいそうな気持ち。私は複雑な心境になった。

ホテルに戻って彼は言った。
女性同士の付き合いっていろいろ大変だね、と。
本当に彼には申し訳ないことをしてしまったね。
2004年05月02日(日)  親不孝娘、結婚を考える
「ホテル代を浮かすため」
という名目のもと、私は彼を実家に連れ帰った。

異母兄がいるけれど、一応、私はこの家の一人娘であり、いつかは結婚して家を出て行くことになるだろう。そのときの予行練習として、そのときまでの親への免疫として、男性を実家につれて帰った。だって、「結婚したいんです」と急にどこの馬の骨ともわからない男性を、父が許してくれるとは思わないんですもの。男性を実家に連れて帰って父に紹介する、という予行練習と娘のボーイフレンドに会う免疫をつけておきたかったから。ちょっと可哀想かな、お父さん。

母はとても喜んで歓迎してくれた。男性を私が連れて来たのは初めてのことで、母にとっては息子のように可愛がる対象が出来たと喜んでいるのかもしれない。実は、彼は私の父と母と面識がある。まったく知らない人の家にお世話になるというほど堅苦しくはならず、「お言葉に甘えて」といった感じで快く私の家に遊びに来てくれた。けれど私が彼を家に連れてきた本当の本当の理由は、私ひとりで実家に帰ることがどうしても苦痛でならなかった、ということだ。ここ最近、私が入院したりいろいろと家族の揉め事があったので、私ひとりだけで家に帰るとまたその話の続きが行われるのではないかと思い、彼を連れて帰ることで迂遠に家族だけの話をすることを避けたのだ。
彼はその理由もちゃんと知っている。

父は
父は、やはり予想通り、むっつりとした顔だった。前もって電話で彼を連れて行くことを告げていたのだけれど、父の雰囲気はやはり歓迎していない感じがする。むむ、……やっぱり、そうか。お父さん、ごめんなさい。
いろいろと彼が気を使って父に話しかけている。夜、居間で父が野球観戦をしていると、「どこのチームのファンですか?」と話しかけたり、「今年はどこが優勝でしょうね」と聞いてみたりするけれど、父はむっつりして「中日」と答えたっきり口を開かなくなってしまった。
ちなみに、我が家のプロ野球チームファン分布図は、父がアンチ巨人。(好きなチームをあえて言うなら中日。)母が巨人ファン。彼も巨人ファン。私は、一切興味なし。という具合だ。巨人戦を見る時の父と母の雰囲気は毎度毎度ピリピリしたものになる。巨人が優勢なら母は大喜びで父は不機嫌だし、巨人が劣勢なら父はご機嫌で母はテレビの前で清原を罵倒する。我が家の居間は、すさまじい地獄絵のようになり変わります。
だから、野球の話になると父と彼とのあいだは明らかに溝が深まる。ダ、ダメだよ。野球の話をしちゃ! と私は焦りながら父と彼との会話を聞いているけれど、いつの間にか居間に来た母が巨人を応援し始めると、彼も一緒になって巨人の話に花を咲かせ始める。あらー、マズイ。父は、たちまち不機嫌になって、家の外へ煙草を吸いに出た。

それにしても、日本でケンカの種になるのは、「政治」と「プロ野球」の話しらしいね。

父が外に出たので、私も何気なくを装って追いかけてみると、ちょっとその背中が淋しそう。
ごめんね、お父さん。ちょっと刺激が強すぎたかな。
「おまえ、どれくらい付き合ってるの」と父は聞くけれど、ごめんなさい。私たち、付き合っているとかってことでもないんです。中途半端でごめんなさい。「おまえ、ああいう男がいいのか」と父は聞くけれど、ごめんなさい。私たちだからまだキスもしてないんです。ホントごめんなさい。「……結婚するのか」とボソッと父は呟くけれど、ごめんなさい。当分まだ、私は結婚しないし、だからお父さんに孫の顔を見せてあげられるのも当分先になりそうです。甲斐性のない娘でホントごめんなさい。

お父さん、親不孝な娘を許して!

夜になって部屋に戻って、彼に「大丈夫だった?」と聞くと、「なにが?」と意外にも緊張していなかった様子? きっと、私のほうが必要以上に気を張り詰めていたのかな。私の我侭にあなたを巻き込んでしまってごめんね。と言うと彼は笑って、「一人娘は苦労するな」と言ってベッドに潜り込んだ。子供みたいな無垢な笑顔ではじけたように笑うけれど、彼は実はいろんなことを冷静に見ている。私と両親の関係、家族の中の私、母と私、父と私、父と母。ずけずけと土足で上がりこむようなことを言うのではなく、あくまでも客観的な、私にとっては新鮮なことを言ってくれる。いろんなことを家族の中で悩んでいたけれど、ふと他の人の視点を取り入れることでとても気が楽になることを知った。
そういう気持ちが、もしかしたら「結婚の良さ」を表しているのかもしれないね。
私たち、父と母と私の家族3人は時どき家族であることに息詰まってしまうけれど、もしかしたら私が結婚して家族が増えることで私たち家族は明るい方向へ進むことが出来るのかもしれない。もちろん、私の旦那様にその突破口の役割だけを求めるわけではなく、結婚してよかったねと笑いあえる、ささやかでもいいから少しの幸せを結婚に見出せればいいと思う。


父と母の結婚。
私の結婚。
それぞれの家族のあり方を考えてみた。
2004年05月01日(土)  パートナー
旅をすることは、通常の生活の中で培われてきた「時間の感覚」を狂わせるものだと思う。

4時間、5時間の移動はざらにあることだし、その時間を如何に過ごすか、そして限られた時間の中でどこへ行って楽しむか何を見て観光するか、効率よく決めなければいけないと思うから。せかせかと時間に追われて旅行をするのは嫌だけど、残念ながら楽しい旅の時間はいつまでも続くわけではない。

私は近頃、とても良い旅のパートナーを見つけた。
一番安いチケットを見つけるのが上手く、長い電車のたびも苦にせず、狭いホテルの部屋でも文句は言わず、ガイドブックに乗っていない場所でも楽しい匂いを嗅ぎ分けられる能力を持っている。もちろん、好奇心もたっぷりと持ち合わせている。予定外の寄り道をすることは何より彼の一番好きな旅の方法だ。

私たちは、ゴールデンウィークを利用して、私の帰省がてら隣県の道後温泉に行く予定を立てた。

彼はちょっとしたイタズラをよくする。到着した空港から駅に向かうタクシーの中、運転手の気のよさそうなおじさんが、ルームミラーで私たちに微笑みかけ「ご旅行ですか?」と問うと、彼はにんまりと笑い「ええ、婚前旅行なんです。」と答えた。そうですかと言うおじさんの祝福の言葉をもらいながら、彼はタクシー運転手の広い情報網から穴場の店や観光スポットを教えてもらう。車を下りるとき「良いご旅行を!」とおじさんは手を上げ、私たちも答えた。


ずっと一緒にいると黙っていたくなるときもある。眠りたくなるときもある。写真を撮りたくてその場に佇むことだってあるし、相手を待たせてしまうこともある。それを気にせずできる相手は、そうそういないだろう。
私たちは、ずっと黙って四国の渓谷や深い緑の山々を抜ける電車からの風景を楽しんだ。
私たちは、これからいくつの旅に出かけるのだろう。

私は、これまで旅行に行くことを億劫に思っていたけれど、彼と一緒に出かけてみて遠くの町の知らない場所へ出かけることの楽しさを知った。家でゆっくり過ごすよりもいくらかお金を使ってでもはじめて訪れる土地を歩くことは、とても有意義なことであると今さらながら知った。


出来ることなら、ずっとこのまま旅に出ていたいと思う。
濃い緑の山々を見つめ、彼と私は黙って同じ時間を過ごしている。その時間がずっと続けばいいのに、と思う。
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