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2004年04月30日(金)  短い爪とニキビ
会える日。やっときた。

今朝、起きたらおでこが痒くてずっと爪をたてていた。顔を洗うとき、充分に自分の顔を見なくなったのは、自分が女性であることをそれほど重視しなくなったからだろうか。にきびが出来ている。女性であることって面倒くさい。

そんなに劇的な再会もなく、成田から会社に直行して、帰宅する途中の彼に会う。
昨日、会ったばかりの錯覚がするのは、彼が私にとってとても身近な存在ということかもしれない。
海外から戻ってきた彼は、少し陽に焼け逞しくなったように思える。

恋愛は何度でも繰り返されて、何度も泣くことになり、いつだって確実に終わる。
誠実であるってどういうことだろうね。愛するってどういうことだろうね。思いやりってどういうことだろうね。見返りや無償ってどういうことだろうね。キスしてセックスして好きだと言い合って、そのあとには一体何があるの?

鼻歌をうたいながら、坂道を上る。

男の人の体は骨っぽい。彼の爪は短い。
隣の部屋から話し声が聞こえる。こちらの部屋には何の音もない。呼吸音さえ聞こえずに表情もなくぶら下がった彼の腕の先を見つめていた。彼の爪は短い。

これから、どうしようか。
彼がそう言って立ち上がった。
これから、ってどういう意味の「これから」だろうとふと思った
これからの時間、何をしようかって?
それとも、これからの私たちのことですか?


彼が短い爪の先を私に向けて、おでこに触れた。
私は一瞬、目を瞑った。
一体、なにを考えているの?と、よく彼は私に気く。
目を瞑った真っ暗闇の中で聞こえた彼の声とその言葉は、少し心細そうに聞こえた。

25歳にもなって、人を好きになることがよくわからなくなってきました。
2004年04月29日(木)  チャイ5
いつかの日記にも書いたけれど、今日はBunkamuraでNHK交響楽団の演奏会がある。
嬉しくて嬉しくて、朝はいつも遅く起きるのに7時に目がパッチリと覚めてしまいました。チャイコフスキー5番は私の大好きな曲だから。

クラシックにまったく興味がない人なら、聴きに行ったとしても退屈なだけかもしれない。私だってクラシックの知識が溢れんばかりにあるというわけではないし、数々の名曲を聞き込んでその曲が出来た歴史的背景をすべて知っているわけでもないけれど、この曲だけはよくCDを聞いて、細部の音符が頭に入っている。私の持っているチャイコフスキー5番のCDは、マエストロ小澤の指揮でベルリンフィルのもの。世界の最高峰の演奏である。

チケットは2枚。
チケットを買った頃は、ぜったいに好きな人と一緒に聴きに行こうと決めてあったけれど、その対象であろう人を好きかどうかもわからないし、だいいち彼はいま日本におらず、誘いたくても誘えなくて、結局、音大時代の友だちを仕方なく連れて行くことにした。
「燕尾服、ちゃんと着てきてね」と、電話で言うと、
「お前こそ、このあいだ結婚式に着てきた服着て、めかしこんで来いよ」と言うのだけれど、別にクラシックには正装していかなくてもいいんですよ、皆さん。


さて、いよいよその演奏の始まり。胸がドキドキする。
運命の主題が厳かに始まり、観衆は小さく鳴るピアニッシモの音さえも聞き逃さないよう息を止める。
この曲は、金管楽器がとてもカッコイイ。バリバリな音で特にホルンとトロンボーンがカッコイイ。どうして、あんなにカッコいいんだろう。とても興奮して隣の席の友だちの腕をぐっと掴んでしまうほど。チャイコフスキーは純器楽的な曲をつくるのでとても好きだ。もう最高に音が響いてきてちょっと泣きそうなほど感動した。終わったあと、席を立って「ブラボー」って叫びたかったもの。


クラシックのコンサートの雰囲気はとても好き。
鳴り止まない拍手の音は、とても気持ちいい。
雨が屋根を打ちつけているようで、とても耳に心地いい。
演奏者がプロであれば聴いているほうもプロで、楽章と楽章のあいだには、一斉に聴衆の溜息や咳払いの音がして独特の空気が流れている。
クラシックが好きでない人も、ぜひ有名な曲を演奏するコンサートを選んで安いチケットを見つけて聴きに行ってもらいたい。知っている曲を生で聴くことは退屈な音楽を聴くより断然に面白いし、その独特の雰囲気はけっして堅苦しく思わないで気軽に行ってみて欲しい。かしこまったマナーもルールも特にないのだから。そして、あの雨のような拍手の音を聞いたら、皆もきっとぜひもう一回聴きに来たいと思うはずだろうから。あれは、素晴らしかった音楽を自分の中に浸透させるための雨なのだから。いい音楽を自分の体の中へ染みこませるための、雨なのだから。心のすみずみにまで行き渡る雨がざあざあと降り続く、ホールの中いっぱいに。


強い雨音のような拍手の中で演奏できたら、どんなにか幸せだろうと思った。
2004年04月28日(水)  真実
いま、読んでいる本が言っていた。

真実を突き止めることは、誰かにとってははた迷惑なことであり、誰かを不幸に陥れることになるかもしれない。真実は、誰かにとっては歓迎できないことであり、真実を突き止めることはただの自己満足にしか過ぎないのだろう。

私は、真実を知りたいと願っている。
たとえば、それによって自分が傷つこうとも、今まで真実を知ったことで後悔したことは一度もない。知らずにいることの歯痒さを誤魔化すことは出来ない。
私は、真実に基づいて生きたい。
けれど、誰かにとって望まないことであれば、私はときにはそれを諦めなければいけない。

誰も傷つけずに真実を知ろうとすることはとても困難だから。

私には、傷つけたくない人がたくさんいる。
その人たちが傷つく姿を思い浮かべると私は涙が出そうになってくる。
それほど、守りたいと願う人たちがいる。

私が真実を知りたいと思うことは、すべてが自分のためである。
闇雲に本質を暴こうとしているつもりはないはずだ。
けれど、悶々とそのことを考えるよりは、真実を探そうと立ち上げるほうが建設的だと思う。

少し前までは誰かが傷ついても真実を知りたいと思っていた。
けれど今は自分が真実を知ろうとすることで誰かが傷つくことを恐れ始めた。
それはもしかしたら、自分の守りたいものが出来たからかもしれない。

だから、これからは誰かを傷つけることと真実を知りたい気持ちとで葛藤するのだろうか。
誰かを傷つけるほどの真実なら知ろうとしないほうが賢明なのだろうけれど、でも、私の根本的なところは死ぬまで変わらないのかもしれない。
守りたいものを傍らに抱え、けれど私は真実を知ろうとするだろう。
2004年04月27日(火)  カミングアウト
EXILEのボーカルのごつくないほうの男性が好きです。とても好みな容姿です。

セックスを定期的にしていないと便秘になります。定期的といっても2-3ヶ月に1回くらい。

私の歌唱力は宇多田ヒカルに匹敵します。

笑いすぎるとおならが出てしまいます。

池袋のキャッチのお兄さんと白昼堂々ケンカをしました。

宗教のキャッチがうざかったのでわざと事務所にまで連れて行かれてケンカをしました。

目覚ましがないと起きれません。

寝起きの顔は見れたものではありません。

日清ヨークのピルクルを愛飲しています。

甘栗むいちゃいましたをあまりにも愛しすぎてしまいました。

上司のボールペンを隠したことがあります。

玉木宏と瑛太が好き。ミーハー。

家の電話は常にサイレントです。電話番号を親以外の人に教えていません。

冷蔵庫を開けっ放しで一晩過ごしたことがあります。

酔っ払いすぎると白目になります。

スポーツクラブのプールでステキな男性がいるとゴーグルをしてそのビキニ姿を眺めています。

車の運転をするときどちらがアクセルでどちらがブレーキか確認しないと不安です。

漬物は充分洗って食べるものだと信じてやまなかった時期がありました。

「兎に角」という字を最近になって読めました。

ベランダからロケット花火を打ち上げたことがあります。

枝毛を切ろうとしたら指をちょん切るほど不器用です。

掃除と料理が嫌いです。

逆上がりが出来ずにこの歳になってしまいました。

大学生のとき「17歳」だと言ってクラブで出会った男の人を騙しました。

社会保険の仕組みとか健康保険の仕組みとか未だにわかっていません。

海外旅行は怖ろしくて行けません。

よく行く美容室では予約のドタキャン常習者として有名です。

部屋は暗いほうが落ち着きます。

池袋より巣鴨でよく遊んでいます。

飛行機に乗ると毎回「死ぬかも」と思っています。

10chと12chとNHKを見たことがありません。

「水曜どうでしょう」が好きで札幌移住を真剣に考えました。

さとう玉緒と山川恵里佳がテレビに出ているとチャンネルを変えます。

ブラジャーをするのを忘れて会社に行ったことがあります2回。

去年のジーンズをはいてうっ血した事があります。

ゲームボーイのしすぎで両手親指に包帯を巻きました。

高校生のとき本気で医大に行って医者になろうと思っていました。

貯金ということを知りません。

高校生の頃、どうしてもお金が欲しくて臭いオヤジとご飯を食べに行きました。当時ではセンセーショナルでした。

恋人の携帯メールを盗み見してしかもそれが相手にばれていたことがあります。

光ゲンジでは大沢ミキオが好きでした。

Jリーグ発足当時は武田が好きでした。

3回ほどクライアントとケンカをしたことがあります。

2回ほどクライアントとの接待で寝たことがあります。

1回ほどクライアントとの商談中に寝たことがあります。

4週連続ほど人を泣かしたことがあります。

自分の顔ではなくカメラ写りが悪いんだと信じています。


こんな私でも友だちになってくれますか。
最近、めっきりと友達が減ったものですから。
2004年04月26日(月)  Link!Link!Link!
リンクというものは不思議なものですね。

サイトを作るからにはリンクのページを作って「友だちの輪」を広げようと、以前には考えていたものです。けれど最近までは、そのリンクのページを作るのも面倒くさく、だいたいサイトを作ることも面倒くさく、だったら辞めればいいじゃんかと思うけれど、そのままにしておくのも癪に障って、あれこれ試行錯誤をして作り直してみました。とはいうものの、「なんじゃ、こら」とホームページビルダーに叫び続けていました。つくっては「は?なにコレ?」、つくっては「なあに、コレは?!」つくっては「なんなの?!コレは」と。どう作りたいかということを、そもそも持ち合わせてはいないのに、人のサイトを見ては「かっこいいのつくりたい」と、理想だけは高いわけで、だいたいセンスはないし「HTML?なにそれ」と知識もないくせに、飽きっぽいのですぐ変えたくなってしまうのです。で、最後のほうにはどうでもよくなって開き直ってくるわけです。

で、リンクの話し。
他の人たちのホームページをいろいろと見て回っていたので、それを今日はリンクのページにまとめてみようと思い立ちました。せっかくページも作ったんだから。けれど、如何せん私はその人たちと一切交流がなく、何かを話しかけたことも掲示板に書き込んだこともない人たちがほとんどなわけです。これはかなり勇気がいります。そもそも、私は人見知りです。ウェブの世界で人見知りというのも矛盾している気もしますが、初めての人に話しかけるのはウェブでもリアルでも、あまり好きなことではないわけです。けれど、こっそりその人たちのサイトを見ていたことは、事実。ストーカーのようにこっそり電柱の影から見つめていたのは事実です。

このままじゃいけない、自分。
ウェブは世界と通じるお手軽なツールじゃないか。その中で何の接触も持たず本流から離れて傍観者になるのは、あまりにも淋しすぎる。
このままじゃいけない、自分。勇気を出そう。

で、「お気に入りサイト」を全部リンクしてやろうと、嫌がらせのように全部リンクしてやるぞと、意気揚々と「submit」を押すわけですが、押すたびに、そのケンカ腰のような「リンクしてやるぞ」という気持ちがしぼんできます。あ、なんかとってもハズカシイコトをしているのではないか、自分。相手にとっては初対面の私が、「自分はずっとこのサイトを見てたから」という理由だけでリンクして、一体相手はどんな風に思うのだろうと。ふと思ったわけです。そう思い始めるとなんかハズカシイコトをしているような気持ちに。けれど、勢いでリンクをしてきた手は止まらず、けれど恥ずかしさで胸一杯だし、でもやり始めたら途中で止めるのは嫌だし。
なんか目頭がジンと熱くなってきました。恥ずかしすぎて涙がこぼれそうになりました。なんか、手が止まってしまいました。「お気に入りサイト」の半分もリンクしていないのに。視界がぼやけてきました。馬鹿じゃないのか、自分。


ほとんどのサイトは「リンク報告は特にいりませんが、お知らせいただいたら嬉しいです」というような文句が多々。特にお知らせをしなくていいのなら、私は絶対にお知らせはしないつもりでした。だって、私には勝手に自分のサイトに相手のサイトのURLを貼り付けることだけでも精一杯の勇気ですから、それ以上になにかコンタクトを取るということは、もっともっと勇気が必要なわけです。ああ、でも黙ってやり逃げするのも心苦しいなあ。だいたい知らないうちにリンクされているということは、一体どんな気持ちになるもんなんだろう、私はされたことがないからわからないけれど。やっぱりこれは知らせるべきか。「リンクの報告は特に必要ない」というのはただの社交辞令か。やっぱり本当は教えて欲しいものなのか。どうなんだろう。

んー。んんんー。
「このまま勝手にリンクして逃げちゃえばいいじゃん。だって報告は必要ないんでしょ?」
「やっぱりちゃんとお知らせして、『リンクさせてもらってよかったでしょうか』みたいなことは言うべきよ!」という葛藤。
いや、そもそも「なんの交流もないくせに一方的なストーカーの片思いみたいで、キモイ!そのリンクの仕方は!」という気持ちも根底にはある。どうしよう、どうすべきなんだろうか。
また、目頭が熱くなってきた。
馬鹿じゃないか、自分。
自意識過剰に気にしすぎ、自分。
誰もなんとも思ってないって、大丈夫。大丈夫。


ということで、たくさんリンクをさせてもらいました。
キモいとか不都合がありましたら、気にせず連絡ください。
2004年04月25日(日)  怠惰な生活
ここ数日、友だちと飲み歩いてばかり。

帰宅するのは、3時4時だし、眠るのは4時5時だし、起きるのは12時13時。
で、また17時18時に出かけていって2時3時に帰ってくる。

最近、頭で考えていることがまとまらない。ちゃんと言葉に出来ない。歯痒い。
話す言葉もままならない。えーっとだから、えーっと、が口癖になってきた。

踊れるクラブは、最近ではクラブと言わなくなってきたんだろうか。
クラブ帰りは必ず耳が痛くなる。目がチカチカする。頭がカタカタいう。

うちのアパートにはホストやヤクザのしたっぱがたくさん住んでいるらしい。
朝帰りをすると、必ず彼らと帰りが一緒になってしまう。
彼らの香水の匂いがエレベーターに充満して、鼻が曲がりそうになる。

クラブでどうでもいい芸能人を見かけるとへこむ。
帰りの電車で出勤途中らしいサラリーマンを見かけるとへこむ。
帰ったら留守電が1件入っていて、「またかけます」という切ない男声が聞こえたらへこむ。
眩しすぎて眠れないことにへこむ。
起きたら、タモリが終わっていたことにへこむ。
肌がぱさぱさなことにへこむ。


それでも夕方はまた出かけて行く。
どうしてそこまで。
2004年04月24日(土)  女性であること
どうして男の人の胸は、こんなに広いんだろう。どうしてこんなに頼もしく思えるのだろう。

男の人は、私が女である以上にいろんなものを持っていて、たとえばその屈託のない笑顔や男同士の友情や、汗まみれの体や大らかな仕草や、すべてが私にないものを持っている。
よく、「男らしさ・女らしさ」と言われるけれど、私にはどうしても「女らしさ」という入れ物が窮屈な気がしてならなかった。女の子なんだから、女性なんだから、っていろんなものを制限されて生かされてきたような気さえする。男の子同士で遊ぶ輪の中にいつも入りたくて仕方なかった。

女性同士の複雑に絡み合った関係から逃れて、男に生まれたかったと幾度思ったか知れない。

私が憧れるものはすべて、この広い胸板の中に詰まっているのだろうか。彼の胸に耳を当ててノックしてみたり唇で触れてみたりする。この中に私にはないものがたくさん詰まっているんだ。
彼の胸の上はとても心地がいい。手を思い切り伸ばさないと彼の反対側の肩が抱けないほど、それはとても広い。厚くて暖かい。とてもいい匂いがしてすべすべの肌が気持ちいい。目をつぶって頬を押し当てると彼の鼓動が聞こえる。

抱きしめられることはどうしてこんなに嬉しくて幸せなんだろう。


でもね、君が女性であるからこんな風に男の人に抱きしめてもらえるんだよ。君が女性でなく男性であれば、きっとこんな風に男性の胸で抱きしめられることなんてなかっただろうから。君が女性に生まれてきたから、今こうしていられるんだよ。

彼のその言葉によって、女性であることの新しい発見をした気がして、自分が女性で生まれてきたことを少し幸運に思った。
2004年04月23日(金)  No Truth,No life.
No Truth,No life.

事実を追い求めるならリスクは避けられないだろう。リスクヘッジをしようにもその効果は低い。不意をつかれてどん底に突き落とされることもあれば、一瞬で幸福の絶頂に立てることもある。だから、それは紙一重なんだと思う。

真実を知ることが、果たして正しいのかどうか、それはどん底に落ちるか幸福の絶頂に立つまで、わからない。そして真実を追い求めるが故に、自分以外の誰かの心を乱すことにも繋がる。誰かを傷つけてでさえ私は真実を追い求めようとしているのか。
けれど、だからと言って何も知らずにいられる自分ではないと思うし、真実を知りたがらない自分は自分ではないと思う。

自分のためだけに生きるという考えは、もう捨てなければいけない歳になった。自分の思うとおりにしたいと思うことは、もうやめなければいけない歳になってしまった。誰かと生きることを考えなければいけないほど、大人になってしまった。

大人になるということは、真実を追うのを諦めるということなのだろうか。
その線は、まだ私の中では繋がらない。まだわからない。

No Reality,No life.
No Truth,No life.

まだ考え続ける。
2004年04月22日(木)  受話器を握る
最近は、「ごめんなさい」とばかり言っている。

深夜の電話はいつも決まった時間にかかってくる。その時間は私たちが約束した時間だから。
「昨日は、ごめんなさい。電話に出られなくて」
その電話は毎日かかってくる。それは私たちが約束したから。
毎日電話をするよ。無理に出なくてもいいよ。僕がかけたいだけだから。
昨晩は、電話に出られなかった。かかってくる時間はちゃんとわかっているはずだけど、その時間に家にいなかったから。家に帰らなかったから。帰りたくなかったから。電話に出たくなかったから。彼の声を聞きたくなかったから。

だから、嘘のごめんなさいをする。
昨日は出られなかったんじゃなくて、出たくなかったんだけれど。


私たちは、まだお互いに遠慮し合ってお互いの声の色を聞き分けようと必死で、ひとつひとつの小さなことに一喜一憂して、それはよくある恋の始まりなわけだけれど、私は冷静に構えている振りをして余裕のある顔をして、本当はとてもとても慌てふためいている。いろんな理由を見出したくて狼狽している。
頭で考えても答えが出るものではないとわかっているのに。そもそも答えなんてあるわけがないのに。
どうして彼は私のことを? 本当に私は彼のことを? それは本物なのか偽者なのか、ただの気の迷いなのか、うまくやっていけるのかどうか、その人は本当に私が思っているような人なのか。
考えることに少し疲れたら、ふとその相手から離れたくなってしまう。電話に出たくなくなってしまう。

「昨日はごめんなさい。ちょっと出かけてて」
ちゃんと会って話せたら、私の思いには答えが出るのだろうか。短い電話だけでは何にもわからないし、余計に考え込んでしまうだけなのかもしれない。まだ始まったばかりなら今ならやめられるだろうか。今なら間に合うんだろうか。もしかしたらもう引き返せないのかもしれない。けっして彼のことを嫌いじゃないし、彼が不意にいなくなったらとても淋しいだろうけれど、その先がその先がどうしてもまだ見出せない。見出してはいけない気がするのは何故だろう。

彼と直接会える日は、まだまだ当分先のこと。


恋愛ってこんなに簡単に始まって、だからきっと簡単に終わってしまうものなのかもしれない。
本当の恋愛を私は出来ないのかもしれない。怖ろしく淋しいことだ。
2004年04月21日(水)  嫁ぐ日
幼い頃思い描いていた、結婚生活。

それはね、旦那さんは東京の下町あたりの人で、おうちは何かの店をしてなきゃいけない。もうちゃきちゃきの江戸っ子な人がいいなぁ。お姑もお舅もさっぱりすっきりな竹をわったようなひとで、夏の夕方なんかは隅田川を散歩するの。夏になる前には地元のお祭りがあって旦那さんはお神輿かついでわっしょいわっしょいって言ってるよこで、「わぁっしょい」って掛け声かけたり、男の人たちにお酒を振舞ったり、近所の子供も自分の子供も分け隔てなく育てて、隣の人なんかにお味噌を借りに行くの。そんな生活。ぜんぜん貧乏でもいいの。贅沢しなくていいの。いつまでも夫婦が仲良く出来ればね。なんて、書いててかなり恥ずかしくなってきたぞえ。

意外といわれるけど、新宿とか渋谷とかの洒落たレストランよりも、壁に油が散ってるような居酒屋とか好きだし、何より下町風情がいいなあと思う。


で、見つけたの。
理想にぴったりな人。
おうちは下町なんだって。実家は店をやってます、だって。しかも次男なんだって!
夏になったらお祭りとかあるの? って聞いたら、あるよ、だって! ぴったりじゃん。

結婚してるの? 恋人はいるの?
いないんだったら、結婚しよう?
いいお嫁さんになるし、子供もたくさん産むよ。もし家業を継ぐなら手伝うし、家を継がなくていまの仕事を続けていったとしても、マンションなんかの高い家賃を払わないで、あなたのおうちに住んでもいいよ。お祭りになったらはっぴと手ぬぐいを用意してあげる。地元の寄り合いにだってちゃんと行くし、あなたのお父さんやお母さんやお兄さんとも仲良くするし、近所の人とだって仲良くできるよ。しっかりいい奥さんになります。下町にお嫁に行くよ。

いいよ、じゃぁ結婚しましょうか。
やった!
お父さん、お母さん、今までお世話になりました。
私は今日、下町に嫁ぎます。
祭りと聞くとやけに血が騒ぐお嫁さんになります。
幸せになります。
2004年04月20日(火)  抱きしめる、という会話
最近、公共広告機構のCMで「抱きしめる、という会話」というものがある。

あのCMをみたとき、驚いた。
自分の子の愛し方を知らない母親に向けてCMを流しているらしい。
まずは愛し方の第一歩。それが抱きしめる、ということらしい。

え? と思ったそのCMを見た瞬間。誰だってわかることでしょう? なぜわざわざCMにまでする必要があるんだろうって、驚いた。とてもショッキングなCMだと思った。愛し方がわからないのは誰でも思うことかもしれないけど、抱きしめるってことはとても生理的なことで特にCMや広告で世間に促す必要もないんじゃないかと思ってた。
だって、抱きしめるって、たとえばお腹がすいたらご飯を食べるような行為とまったく同じ意味じゃないの。自然と抱きしめるでしょう、愛していたら。と、思っていたけれど。でも、私はぜんぜん母親の立場になったことがないから、そのCMの意味がわからないのかもしれないな。抱きしめるっていう意味がわからない人もいるのかな、ってあらためて思った。

それじゃ逆に、私と両親のあいだのことを考えてみると、そうだねやっぱり思い返してみると、わたしの母も父も私の記憶の中では、私を抱きしめていなかった気がする。ただ私が忘れているだけなのかもしれないけど。私がまだもっと幼い頃、こんなCMが流れていたら母はもっと違う育て方をしたんだろうか。

愛し方がわからないっていうのは、誰だって思っていることだろうし、ここで言えば、多分子育ての方法や母親としてのあり方がわからないとか、子供と何を話していいかわからないってことになるのかな。そんなの正解なんてないのにね。
抱きしめるってとても原始的なことだと思う。誰にも教わることのない生理的な欲求だと思う。わざわざテレビで流さなくったって誰でも自然にやってしまうことだと思うのに。
それじゃ、そのうちここのCMは「自分の腹がすいているのに、どうしたらいいかわからない。まずは冷蔵庫をあけて食べものを口にしてみよう。」とか、「まずはスーパーに出かけて野菜を選んでみよう」とかっていうのになるのかな。だって、そういうことじゃないの? このCMの言ってることって。
違うかな。

私に子供が出来たらきっと毎日抱きしめてしまうと思う。だってきっと我慢できないと思うもの。抱きしめたくってうずうずしてしまう気がする。でも、もしこういうCMを流されなければいけない理由が、「愛し方がわからない母親が増えているから」ということであれば、きっと私もそんな母親になってしまう可能性もあるだろう。理想は現実よりはるかにかけ離れているのかもしれない。そうしたら、安易に母親になることがどれだけの罪なのか、よくわかる気がする。


ちなみに、このCMはこうも言っている。
「人は愛されたことがあるから人を愛せると思う。」
とっても怖ろしい言葉だね。なんてわかったような言葉なんだろう。
2004年04月19日(月)  満ちる音
小学校にあがる1年前から、私はピアノ教室に通っていた。ではなくて、通わされていた。
はじめは、きれいに磨かれて自分の顔を映すピアノの表面を、いつも眺めていた。だから、鍵盤に指を置くことにはさして興味もなかった。
小学校の中学年、高学年になるにつれ、年月を重ねた分だけ私はピアノを弾けるようになり、教室の発表会などでは、かならず一番最後の演奏者として弾かされるようになっていった。けれど、正直に言うとそのときの私は一切楽譜を読めないままだった。楽譜の五線を下から、ド・ミ・ソと数えなければ読めなかった。私はすべての曲を暗譜して弾くスタイルを身に付けた。
中学生になり吹奏楽部に入部してトランペットを吹くようになった。そのころ流行っていたポップスの曲や有名なクラシックを演奏した。するとたった数ヶ月で私は楽譜を読めるようになっていた。初見ですべて読めた。好きこそものの上手なれ、を身に染みて感じた気がした。

しかしながら、そのピアノ教室に10年は通ったことになるが、一切ピアノを好きだとは思えなかった。


騒がしい交差点を曲がったところに建つその家は、屋敷と言うのがぴったりなほど、外観はうっそうと茂った木に囲まれ古びた雰囲気を感じさせる。玄関のドアにはライオンのドアノックが取り付けられている。
さて、何年ぶりだろう。ここを訪れるのは。音大生の頃、よくここに来た。社会人になってからは自然と足も遠のいた。
老婆は、やはりあのころと少しも変わらず、表情もオーラも失せることなく、そこにあった。老いは、老いていくほど速さを緩め、老いの入り口に立つほど加速していくものなのだろうかと、ふと思った。部屋のデザインも家具も、あのころと比べてもそこから1ミリも動いていないように、そのままだった。
現在の私の近況を話題にして、老婆と私は相対して座った。
目の前に座る異母兄の祖母は、私のことを孫だと思ってくれているだろう。血は繋がっていないけれど。

いくつか、私が置いたままだった楽譜とメソードの教本を持ってきてくれた。
弾いていきなさい、と老婆は言って、部屋に戻った。
私は、隣の部屋に続く少し長めの廊下を歩いた。廊下から庭を眺めると小さな池が見えてきれいな花壇がその周りを取り囲んでいた。そこだけ本物の春のような景色だった。

ドアノブを握ると、少しこころが固くなった。
開くと、そこにはとても大きな、グランドピアノが静かに立っていた。
漆黒の艶を光らせて私の足をそこにうつしている。静電気で取り囲んでいるようにその周りの空気は、他とどこか違う気がする。近づいて蓋をそっと開けた。赤い布のカバーが鍵盤の上にかけられている。私は一瞬の力でそのカバーを剥ぎ取った。それはふわりと揺れて、白さを見せた。

腕時計を外して、鍵盤を前にして私は少し緊張しながら、指を置く。
まだ弾けるのか? もう弾けないのか?
鍵盤は、古びた白さを光らせて、けれどそれはとても軽い。誰かが引き込んだ、誰かのクセのある音がした。老婆は、毎日これを弾いているのか。弦をすべてオープンにすると、部屋に和音が響いた。音は一度として狂ってはいないように聞こえる。

夢中になって楽譜を見ながら指を動かした。指はまだ覚えている。目で追いかけている楽譜を追い越して指は進む。目が指を追いかける。
夢中になって夢中になって、ミスタッチをしながらけれどそこを繰り返し、そして何度もエンドレスにその曲を弾きつづけ、部屋は音で充満した。

記憶していた曲のメロディーを少し弾いてみた。
思い出した、最初はこんな旋律で。
ここに楽譜がない、けれど好きで何度も弾いた曲。無名の現代の作曲家がつくった簡単な練習曲。好きだからこそふと思い出して弾きたくなる曲。いちどもミスすることなく最後まで曲は保たれた。
夢中になって夢中になって夢中になって、覚えている曲はすべて弾きこめた。べダルを踏みかえる音もなく、私は右足と両指を休むことなく動かし続けた。こういうときの気持ちは無になっているのかもしれない。

ショパンの英雄を、私は弾けるわけでもないけれど、単音で私は旋律の音を探した。人差し指でひとつずつ。たくさんの有名ピアニストで演奏し続けられ、たくさんのアマチュアピアニストで弾かれ続けているこの曲。けれど、私が最も好きなのは、遠い時間に出会ったあの人が弾く「英雄」だった。彼のことを思い出すのが罪のように思っていた自分を、今日許してやろうと思った。英雄を人差し指で探しながら。旋律を確かめながら。

英雄で部屋は満ちた。
2004年04月18日(日)  I'm knockin' on your door.
最近、調子はどうですか。元気ですか。

こちらは、仕事をしてない身ではありますがとても忙しい日を送っています。
ちゃんと読書もしています。最近は、大沢在昌です。佐久間公シリーズ読んでます。かなり臭カッコイイ登場人物でかなり古い本ですけど、これがちょっと面白いです。ハードボイルドです。恋だの愛だのという小説には嫌気がさしてきました。ほかに面白い本があったら教えてください。そういえば、このあいだ芥川賞を受賞した10代の作家の本は読むべきですか?

先日、母が電話をしてきまして、「あんた仕事してないんだったら帰ってきなさいよ」と言うので仕方なく帰省する予定を立てました。ゴールデンウィークの人がごみごみ移動している時期ですけど、格安の航空チケットがとれたので帰ってきます。実家は四国なんです。道後温泉にでもつかってこようかなと思っています。お土産は何がいいですか?

実はね、最近悩みがあるのです。それは、隣人のことなんです。週末の朝9時なんかに布団をパンパン叩くんです。かなり大きい音なのでビックリして起きてしまうのです、私。すごく寝起きの機嫌はよろしくないタチなので、とても腹立たしいんです。朝9時ですよ、朝9時。寝ぼけた頭の中で悪態をついています。ファッキューと叫んでいます。ごめんなさい、品のない言葉で。だってだって、私の眠りを邪魔するものはファッキューなんですもの。

そういえば、このあいだ部屋を大掃除しました。カーテンまで洗ってやるくらいの大掃除です。で、カーテンがちょっと汚れてるなと思って洗濯機に入れてまわしてたんです。洗濯機が回るところって飽きないですよね、だからじっと見てたんです。そしたら、水がみるみる真っ黒になってしまったんです。原因はアレです。煙草のヤニ。汚いデスネ。全部、ヤニなんです。見てはいけないものを見てしまったと思い、すぐ洗濯機の蓋を閉めました。洗ったカーテンを干して部屋にかけなおすと、なんだか部屋が明るく感じました。今までの部屋の暗さはすべて煙草のヤニが原因だったんですね。少し、自分の部屋の汚さに唖然としました。すみません、こんな私に失望しないでね。

昨日は、時間を持て余していたので、自転車に跨って池袋から東京駅辺りまで走りました。特に意味もなく行ってみただけですけどね。お堀の周りの公園は都会のど真ん中なのにとてものどかでしたよ。外人がうようよいて日光浴をしていました。外人の胸毛はナイスでした。彼らのぽっこり出た腹を眺めながらサンドウィッチを食べました。なかなか有意義な一日でした。


さて、たまにはそちらの近況を教えてください。仕事が忙しいのはわかるけれど、たまにはこちらに付き合ってください。でないと、私はまたどこかに行ってしまいますよ。たまにはこちらを振り返ってください。
2004年04月17日(土)  森の奥の倒木
つい先日、「きらきらひかる」というドラマを再放送していた。けっこう楽しみにしていたのに、残念ながら、私は初回と最終回しか見られなかった。そういえば、いつのドラマだって社会人になってからは満足に見ていない。このドラマもずっと以前に放送されたときに、初回の分だけしか見られなかった。きっとそのときは家にいて何もすることがなかったからだろう。その初回のドラマの中ですごく魅力的な話しがあった。

「深い森の中で大きな木が一本倒れた。誰もいないようなところなので、もちろん誰もその倒れる瞬間を見てはいない。けれど、木は倒れた。彼女という人は、本当に木は倒れたのか、どれくらい大きな木だったのか、何故倒れたのか、それを見に行ってしまうような人なんだ。自分の目で確かめるためにはどこへだって行ってしまうんだ。」

なんだかうまく説明できないけど、多分こんな話だったと思う。私はそれを魅力的だと思った。
ドラマの中の女性をカッコイイだなんて、手に届かない魅力に精一杯背伸びをしている普通の女の子みたいで嫌だけど、それでも私はやっぱりそういう女性っていいな、と思った。

自分の目で見て確かめて自分の頭で考えて、誰にも左右されることもなく自分が納得するまで突き詰めて、最終的には自分の導き出した意志で決めていく。探究心の塊のような強くて孤独で大胆な人。
でもそれは、逆を言えば自分しか信じない人ということになるかもしれない。他の意見を聞かず我を通す頑固な人間。仕事をする中でそんな自己主張をすることはとても致命的かもしれない。そのうち周りの人間は知らぬ間に離れていってしまうだろう。強いというのもほどほどに、ということかもしれない。


でもやはり、私もきっとたぶん、森の奥で木が倒れたと聞いたら、見に行きたいと思うだろう。それは興味本位かもしれないし、自分の目で見なければそれを信じることが出来ないからかもしれない。
けれど人を信じない用心深さを持つよりも、自分で見て自分で考えるということを大切にしたい。そうやって自分をいろんな場面に立たせてみたいから。その倒れた木を見て自分がどう感じるかにとても興味があるから。そうやって自分の引き出しを増やしていきたいから。

伝え聞くよりも自分で確かめることのほうが、ある意味ニュートラルのような気がした。
2004年04月16日(金)  退院
通算して2ヶ月ほどの入院を無事終え、やっと退院。

本当に辛かった。
「うちに帰りたい」と主治医に叫んだし、ヒステリックになって「どうでもいいよ」と薬を飲ませに来た看護士に枕を投げつけたし、秒針の音がイライラするからという理由で目覚まし時計を壊したし、点滴の針が忌々しくて自分で外したし、食事も食べず病室を一切出ず誰とも口を聞かずに抵抗した日もあった。
病院の人たちから見ればとても手の付けられない我侭な患者だったろう。


私にとって入院をしていたこの期間は、とても不本意だったし、これから先二度と思い出したくもないだろう時間になったけれど、それはとても静かに過ぎた日だったと思う。
ベッドに寝転がっていろんなことを考えたし、いろんな人を思った。
いろんな話しを、主治医や看護士や異母兄とした。
たくさん泣いて病気についてたくさん勉強をした。
将来、どうなるかはわからない。
未来、どうなるかはわからない。
いろんなことを考えて過ごした日々だった。


この病気は一生治らない。完治することなどない。
一生付き合っていく工夫をしなくちゃいけない。
でも、大丈夫。
大丈夫、命に関わる病気ではないんだから。ただ少し厄介なだけだから。

だから大丈夫。
また、明日から普段どおりの生活に戻る。
2004年04月15日(木)  言ってごらん
その人はベッドの端に腰掛けて、横になっている私に背を向けている。

どうしたの。

何度もそう聞くけれど、私は答えるのも億劫でずっと目を閉じている。

大丈夫かい。

その人は何度もそう聞くので、なんにもないと私は答えた。

言ってごらん、聞いてあげるから。

と、その人は私を振り返り、私はその言葉に驚いてその人の顔を仰ぎ見た。

言ってごらんって。言ってみなって。そういう言葉使い、優しく言われるとつい心を開いてしまいそうで、危ない危ない、ついその人の目を覗き込みそうになってしまった。

そういう言葉は、私を力なくさせてしまうのです。
2004年04月14日(水)  春の雨
春の雨が好き。窓をつたう雨の雫が好き。

突然の淋しさに襲われてしまう。

私の喜びはどこにあるんだろうと悲しくなる。幸せになることがどれだけ不幸なことか、気が遠くなる。そんなことばかり考えている自分が好きではない。人を好きになることがどういうことなのかよくわからなくなる。

すっかり大人になってしまった。
自分を責めることが楽だと思うようになってしまった。
可能性や夢を現実のものとはわけ隔てて考えるようになってしまった。

私は私を好きではない。
私は私が一番怖いし、
私は私が一番残酷でお人好しで計算高くて弱い人間だと思っている。
私のことを好きだという男の気が知れないと思う。
そんな私を私は好きではない。


春の雨が好きなのは、外に出れば新しいもので溢れた雪解けの街があるのに、雨の中を傘差して出かけることもせずに、私は守られたこの場所でただそれをずっと見つめているだけにしか過ぎないということ。
窓をつたう雨が好きなのは、強く頑丈なガラスをいくら打ち続けようとも、怖ろしいものはそこから先、一切私に近づけないという薄くて軟くて根拠のないガラスのような安心感があるということ。


すっかり大人になってしまった。対岸の火事を見つめるような大人になってしまった。そう思うことがただただ自分を悲しくさせてしまう。
2004年04月13日(火)  辻仁成と会った
数年前。
自慢じゃないけど自慢だけど、辻仁成に会ったことがある。


いくつか彼の本は読んできたはずだった。
ピアニシモ、クラウディ、冷静と情熱のあいだ、目下の恋人、アンチノイズ、そこに僕はいた、千年旅人、サヨナライツカ、嫉妬の香り、愛はプライドより強く。
しかし、いまになって冷静に考えてみると、彼の本を私は最後まで読んではいない。
最後まで読みきったのは、「冷静と情熱」と「愛はプライドより」だけだった。
これは、一体どうしたことだろう。もちろん最後まで読みきってはいないのでタイトルを聞いてもストーリーが思い浮かばない。


さて、辻仁成と会ったことがあるというはなし。
ある建物の裏口。彼は、3人ほどの男を連れ添えてそこから出てきた。
背はとても低く、ハンチング帽をかぶっていた。
私は何を話すでもなく、何を聞くわけでもなく彼を見ていたけれど、意外にも彼は彼のほうから私に話しかけてきた。残念ながらどんな会話をしたのかは、まったく覚えていない。
驚いたとか緊張したというよりも私の持つ彼のイメージと実物の彼があまりにも違いすぎて拍子抜けしてしまった。彼はハスキーな声でぼそぼそと話していたけれど、その言葉はとても鋭く尖っていた。その反面、顔は満面の笑みをたたえていたけれど。

すごくつっけんどんで傲慢な感じでした。さすが作家ってかんじ。とても傲慢で自尊心の高いイメージをぷんぷん漂わせていた。芥川賞作家なほどだけはあります。ちょっと機嫌が悪かったのかもしれない。けどもし、普段の彼があのとき見た彼そのものだとしたら、それはそれでとても魅力のある人かもしれないと思った。自由でマイノリティな人ほどマスコミには叩かれるけど、それを非難する人はどこかしら嫉妬心を燃やしている気がするから。

近頃は、「辻仁成が好きです」って言うと「……え? マジで?」みたいな顔されることが多いでしょう? ちょっとひく人いるでしょう? あれはなぜ? 「辻仁成が好きです」って声を大にして言えないのは私もそうなんだけど、いや、でも第一、彼が好きならぜんぶ本は読みきっているわけで、やっぱり好きじゃないのかな。というかなんだろう、この気恥ずかしさ、この矛盾。好きなんだけど好きじゃない、好きだけど読んでない、好きだけど好きって言えないこの世の中。なにが私を躊躇させるのでしょう。

とにかくあのとき、彼に会ったことは早く忘れようと思ったのです。いや、繊細でだらしなくてエゴの塊みたいな主人公が登場する本を、こんな傲慢な人が書くわけないと思いたかったわけです。その後すっかり彼のことは忘れてしまって、話した内容もすっかり忘れてしまえているけれど。


とにかくね、とにかく、私が言いたいことは彼の本が好きだというわけではないということです。彼そのものが好きかもなぁ。あの鋭い目つきとぶっきらぼうな話し方、突っかかってくるような傲慢さ、あの態度が怒っていたのか、それとも普段からあんな態度かは知らないけど、まったく手に負えない人のような気がするのは、なんだかとても魅力的な人のように私には映って、とてもむかついた。人間的には興味の絶えない人だろうなと思った。人間的にはね。けど、映画や音楽やドラマはもうやらないほうがいいと思うよ。


ただ、はっきりと言えるのは、暇があれば私は何度となく「愛はプライドより強く」だけは読み返しているし、あのときあの建物の裏側で「やっと会えたね」ってどうしてこの私に言ってくれなかったのかとても複雑な思いでいるわけです嘘ですけど。
2004年04月12日(月)  種子
自分で決めたことは最後まで貫く。

自分が決めたことによって誰かが傷ついたとしても、誰かの期待に背くことがあっても、どのような決定をするにしても結局誰かが傷つくのであれば、その惨事から目を背けることは許されない。その悲劇から逃れようと思ってはいけない。

好きになれる男性はたったひとりで、ふたりはいらない。恋人である人はふたりもいらない。
それを決断しなければいけない。誰かが泣こうとも、誰かが怒ろうとも、誰かが私を恨もうとも。

揺れているわけではない。もう以前から答えは出ていたのだろうか。初めから答えは決まっていたような気がする。それが正直な気持ちというものだろう。


自分で蒔いた種は毒づいた実を結び花を咲かせた。
だからこそ自分の手で刈り取る必要がある。
根本から跡形もなく痛みの一番少ない方法で。
そして実から取り出したまた新しい種を相手に返さなければならない。
それは、私のものではなく相手のものであるから。

自分で蒔いた種を最後は必ず自分で刈り取らなければならない。
私のことを冷淡だと誰かが言うだろう。冷酷だとゆび指すだろう。
けれど、自分で蒔いた種だからこそ冷徹でいなければいけない。
2004年04月11日(日)  示唆
夢を見た。


空からもうすぐ雪が降るだろうと思って、夜の空を見上げていた。真っ暗な空からキラキラと光る雨粒が落ちてくる。もうすぐ、もうすぐ雪が降るんだよ、見てなよ。
ベージュのスプリングコートを着てきたのがそもそもの失敗だった。雪なんか降ったら承知しないと思って袖を通したのに、もうそれは雨じゃなくて氷に変わっている。ベージュの生地が濡れて色を濃くしてきた。肩から胸にかけて。

もう帰ろうと黒塗のタクシーをつかまえた。「池袋へ」と伝える前に車は動き出した。この人は行き先を知っているんだろうかと不安になってくる。「池袋へお願いします」返事もせず帽子をかぶった運転手はただ前を向いている。不可思議にも思ったけれど、やがて雪が降ってきたので、私はシートにもたれてずっと外の風景を見ていた。

いつの間にか、私はハンドルを握りアクセルを踏んでいる。ヘッドライトがずっと向こうの道まで照らしていてとても心地がよい。前の車を追い越して交差点をいくつも通り越して、私は走り続ける。誰かを迎えに行かなければとふと思い出す。そうだ、早く迎えに行ってあげなければ、この寒い空の下であの人を凍えさせてしまう。焦ってアクセルを踏み込むとハンドルを操作しきれず、対向車や歩道を歩く人間にぶつかりそうになる。赤信号を無視してガードレールにこすり電柱にこすり、きっと車体はぼこぼこだろう。待ち合わせの場所は思い出せない。けれどどこかへ走り出さないとあの人はきっと死んでしまうだろう。額から汗が滲んで眼が霞んでくる。

急ブレーキを踏んだら、向こうから手を振る人が見えた。「待たせてごめんね」と言うと、彼は笑って首を振った。途端に気が緩んだのか私の手はがくがくと震えてきた。「もうだめなの。運転できない。もう何もできない」知らずに涙が溢れてきて私はぬぐうことも躊躇い、彼はあやふやな笑顔を見せた。その笑顔の意味はなんだろうと私は思った。彼に車の運転を預け、私は助手席のシートに深くもたれたら目を閉じて音楽に耳を傾けた。いつの間にかカーステレオから懐かしい曲が流れている。「雪は降っている?」とたずねると、「心配しなくてもいいんだよ」と彼は答えて車のスピードをあげた。

彼に抱えられて私は病室に戻ると、首まで毛布を引っ張り上げて彼の顔を見上げた。私を見る彼の視線がとても心地よく感じた。彼の髪が濡れている。きっと私の髪も濡れているだろう。それがとても艶かしく思えた。私は手を伸ばして真上にある彼の頬に触れた。彼は愛しそうに私のてのひらに自分の頬をこすりつけた。私はそれを無表情にけれど心地よく感じた。


この夢はいろんなものを示唆している。これからのこと、これまでのこと。
いろんなことを示唆している。とても具体的に、抽象的に。
2004年04月10日(土)  別の空の下
話したいことは山ほどある。伝えたいことは山ほどある。時間はとても足りない。まだ届かない。まだ受け取れていない。どうにも出来ないジレンマが針でちくりと刺したかのように胸を痛ませる。


偶然だとは思うけれど、私がこれまで付き合った男性のうちの3人が夢を叶えて海外へ飛び立っていった。彼らの夢は日本国内には留まらず世界中を股にかけたものだったから。強い信念とこれまでの経験や技術をもってしても、世界へ羽ばたくチャンスはそんなに簡単には手に入らない。タイミングやコネクションや又は経済力も必要とされてくるだろう。そんな難しい夢を彼らが少し諦め始めた頃、思いがけなくチャンスは訪れ、それと同時に彼らと私との恋人関係は消滅してきた。
ボクの夢が叶うときが来たんだ。

海の向こう側の世界は果たしてどんなものなんだろう。国外へ行ったことのない私には、何光年も彼方の場所のように思えて、どれだけ遠い国なのか、どれだけ離れていても身近な存在でいられるのか実感が沸かない。自分が見上げる空はずっと遠くまで続いて、彼の眠る街にまで続いていると聞かされても、私には彼の空と私の空はまったく別物のように思える。空がどこかでくっきりと切り取られているような錯覚さえおぼえる。
遠いって、どれだけ遠いの?

国際電話をかける時間を決めて私は電話の前で待ち続ける。鳴ったらすぐ受話器をあげて耳を押し当てる。ずっと遠くにいる彼の声を聞き逃さないようにと息を詰める。彼の声はとても小さく、向こうの空気は日本とも変わりないように聞こえるし、私には聴いたこともない言葉や音楽が溢れている。こちらは静かな夜なのに彼は今日は陽射しが強いと言っている。
いま、どこにいるの?

成田で彼を見送るときはどうしようもなく絶望を感じる。それまで沢山の時間をかけて私たちのことについて話し合ってきたはずなのに、そしてそれをちゃんと理解して納得したはずなのに。どうしようもない巨大な力が私たちを引き裂いているのかもしれない。誰が悪いわけでもなく誰のせいでもない。だけど、やり場のない悲しさや淋しさだけがあとに残る。イヤだとかぶりを振って彼を止めたとしても一体どうなるというのだろう。空港からの帰りにバスの中で涙も拭かずに私はずっと泣き続ける。窓に映る自分の泣き顔が、世界で一番哀れな存在に思えてくる。
これは、私の宿命なの?


私が一番嫌なことは、誰かを見送ることである。
空港でも駅のホームでも、どこでもいい。もう逢えなくなる人を、または少しの間逢えなくなる人を見送ることが、この世で一番嫌いなことだ。置いていかれることの惨めさと誰かを失うことの空虚さ、ぽっかりと胸にあいた穴は何に代えても埋めることは出来ない。私の胸の中には大きな穴が既に3つもあいていて、だから私は過剰に誰かがどこかへ行ってしまうことを嫌がりたくなる。過敏に反応してしまいたくなる。
また、行ってしまうの?

一ヶ月であろうが、2週間であろうが、今の私にとっては遠い国へ行ってしまうことには変わりはない。いなくなることには変わりはない。もちろん、あなたがどこにも行かなくたって私たちは毎日会うわけではないし、毎日話しをするわけでもない。だから一ヶ月だけ、2週間だけ会えない時間が続くと思えばいい、辛抱すればいいだけなのかもしれない。けれど私にはそういう問題のようには感じられない。どうしてだかわからないけれど、時間の問題ではなく、何か別のもっと大きな力が私たちを引き離そうとしているように思えてならない。その力が距離に比例するように思えてならない。私の想像できない場所へ誰かがあなたを連れて行ってしまうような気がしてならない。もう二度と逢えないような気がしてならない。
だって、私の知らない別の空の下へ行ってしまうんでしょう?


友達と呼ぶには遥かに親密で、けれど恋人と呼ぶにはまだ遠く、けれどもっともっとその人のことを知りたいと思った。その彼は私の向かい側に座って、数日だけのさようならを言った。私にはもっと時間が必要でもっと言葉が必要なのに、それを遮るようにして彼は今日、成田から飛び立った。少しの辛抱だよと彼は言ったし、毎晩電話はするよと彼は言ったけれど、私はそんな言葉を気休めになんかできないほど、この種の淋しさを幾度となく経験している。
いつ、いつ帰ってくるの?


指折り数える毎日がまた始まる。
2004年04月09日(金)  腱鞘炎になるかも
GAMEBOYアドバンスをもらいました。相手は貸したといっていますが私はもらいました。私が言うのだから間違いありません。
昔、懐かしいスーパーマリオブラザーズばかり楽しんでいます。懐かしいなぁ。ゲームボーイも昔懐かしいカラーです。エンジ色と白のやつ。懐かしいなぁ。

ファミコンが流行ったのは、あれは小学生のころだったなぁ。うちじゃ、ファミコンなんかを買ってくれる家庭ではなく、ドリフも見ちゃダメ。カトちゃんケンちゃんごきげんテレビも見ちゃダメという、当時にとっては大変珍しい家庭でありました。
買ってぇ、買ってぇ、だってミッちゃんちもマキちゃんちもタクヤくんやマコトくんちも買ってもらったって言ってたもぉん。どうしてみんなが買ってもらえるのにあいのうちはダメなのさ!
「あんなのしてたらバカになるわよ!」という母の一蹴。たいへん子育てには厳しい母でした。バカというのはなかなか言い過ぎなところがありますけど。

がぁー! どぉー! ぶはぁー!という声を病室に響かせながら没頭です。
しかしながら、私のマリオとルイージはいつもジサツしてしまいます。果敢にも亀に体当たりですし、崖っぷちに投身します。なにがそんなに悲しくてジサツばかりするのか。1−4すらいってません。いや、なんか指が痛くなってきます。ボタンのあとが指の腹にくっきり。
2004年04月08日(木)  キミを守る
ボクがキミを守る。
30歳を目前に控えた男が、出会って間もない女にそう呟いた。彼にそう言わしめたのは一体なんなのだろう。


もし本当に女が男に守られる動物だとしたら、私は男に生まれたかったと切に願うだろう。
誰かの保護が生きるために必要なのだとしたら私はすっかり生きる気力を失くしてしまうかも知れない。
私はひとりでも生きていける。私はひとりで考えてひとりで歩いていける。そう思っている。
ただ、時には淋しくなったり恋しくなったり温もりが欲しくなることが、少し人よりも多いだけである。
守られることを望みはしないけれど、たまにおしゃべりに付き合ってくれれば、私はそれでいい。

しかし、彼がその言葉をはいた動機は紛れもなく私自身にあり、私のすべてが彼の原動力になる。

キミの味方でいつづける。

彼の髪の毛は柔らかくカールして耳元でそよそよと揺れている。
メガネを外したら濡れて輝く瞳が見えた。
唇を強く引いて彼は私にそう言った。
2004年04月07日(水)  賭け
これは賭けなのです。

いまの私にとってはいろんな意味合いのある賭けなのです。
もう私の手の届かない場所へその結論はいってしまい、だから私にはどうすることも出来ない。
あなたは、試されていると思うのでしょうか。
あなたは、無意味な駆け引きだと思うのでしょうか。
でもこれは、あなたを試しているわけでもなく押せば引くような駆け引きでもない。
だって、あなたにだってどうすることも出来ないわけだから。

いろいろなリスクは想像できる。
最悪の場合を考えると、それは果てがない。
けれど、結局私たちは私たちの出来ることを私たちなりに精一杯やったはず。正直な気持ちをぶつけたはず。
だったら、最悪な状況に陥ったとしても、私は泣き言など言わない。
私は、そんな風に高をくくっている。

私たちはいまどっちでもない境界線に立っている。
私たちはいまどうすることも出来ない窮地に立たされている。
私たちはいま目に見えない何かにそれを託した。


だから、私はリスクを覚悟の上で賭けてみた。
私という人間に賭けてみた。
あなたは、どうするの。
2004年04月06日(火)  CMEHA35
入院していますのでうちには帰れません。なので、手紙や携帯の請求書や不意の宅急便なんかは受け取ることが出来ません、という不具合は異母兄が全て解決してくれます。
ある日。
兄が、宅急便の不在通知書を病室に持ってきました。代金引換の荷物らしいです。
送り主の名前に覚えがありません。通販でもしたかしらと考えてみたけれど、思い当たる節がありません。代金はそんなに高くなくて品物名には「CMEHA」と書いています。
ぜんぜん、何の買い物をしたのか思い出せない。なんだかちょっと薄気味悪い。
兄は、「とりあえず受け取ればいいじゃん」と言いますが、私はあんまり乗り気じゃない。だって怖いもの。爆発物とかだったらどうする? 誰かの陰謀だったらどうする? 届け先の間違いだったらどうする? 間違いだったらお金がもったいないよ。
また、ある日。
異母兄が小さな箱を病室に持ってきました。「とって来ちゃった」と。その荷物。早速宅急便に問い合わせをしてもらってきたらしいです。えぇ!なんだろう?! 振っても叩いても耳をそばだてても何の反応もない箱。えぇ〜、なんか怖いなぁ。

開けてみると、なんとカメラ! トイカメラ!
わぁ、1年前に予約したものがいま届いたらしいです。忘れた頃にやっとカメラが送られてきました。デッドストックだかなんだか知らないけど、かなりの順番待ち。LOMO! LOMO! と叫びながら手にとって見ると、あれ、ロモじゃない。これはロモじゃない。もっとチープな感じのカメラ。えー、なんでこんなカメラを買ってしまったのかしら。あれだけLOMOが欲しい欲しいと思っていたのに。
カメラには「CMEHA35」って書いてます。えぇ〜、読み方すらわからないカメラ。どうしてこんなの買っちゃったんだろう。なあにこれ、ちゃんと写るの? なんかフィルムをまくところが使い捨てカメラと同じじゃないか。しょぼいなぁ。

先日のクリスマス。
もう別れ間際の恋人だった人が、クリスマスプレゼントを贈ってくれると言うので、かなりワクワクしていました。何を贈ってくれるの?! と期待して止まない私は彼の「君がずっと欲しがってたものだよ」と聞いて、ぜったいLOMOだ! と今となっては意味のわからない独りよがりな自信でたっぷりでしたが、もちろんその彼には私が欲しがっていたのはLOMOだと知ることもなかったわけで。だって言ってないから。
いや、でもやっと届いたのですね。一年越しのLOMOもどきのカメラが。


どうやって使うのかもわからず、かといって説明書を読むことなどこの私がするはずもなく。あれこれ触ってみてはそのうち使えるようになるんじゃないでしょうか。たぶん。
2004年04月05日(月)  人と暮らすということ
がしゃっと冷蔵庫を開く音がする。
がさごそとクローゼットを探る音がする。
たんたんと床を歩く音がして、ううんと咳払いをする声がする。

重い扉を開くぎーっという音がしてばたんと扉は閉まった。

人と一緒に生活をするということ。
どれだけの苦労があってどれだけの楽しさがあるのか、私にはわからない。

ただいまと言うと、おかえりという声が返ってくる。
おはようと言うと行ってきますと答えて、おやすみと言うとまた明日と答える。
ひとりになりたければ部屋を一歩も出なければいいし、淋しくなったらダイニングに行けばいい。つけっぱなしのテレビを見ながら笑うでもなく話すでもなく、ひとつの皿に盛られたお菓子へふたりの手が伸びる。お互いが忙しくて顔を合わさないことが数日あったとしても、誰かの寝息が聞こえそうなその扉の向こうに、ひとつの確かな存在感があるような気がする。
駅のホームや商店街でばったり相手と出くわしてなんだか気恥ずかしくなったり、洗濯物のたたみ方に心地よい違和感を覚えたり、夏はTシャツ一枚で歩いたりシャワーの後のビールを奪い合ったり、シャンプーやトレイッとペーパーの減りが早かったり、片方は大いに酔っ払って帰ったのに、もう片方は完全なる素面だったり、ただの日常が2分の1になるのではなく、2倍になったらどれだけ楽しいだろうと思う。

でも、人間の生活は、数学のように理論的で単純ではないことを知っている。
1+1=2ではなく、ときに3になったり5になるけれど、0.5になる日もある。
ひとりの空間を切に願う瞬間もあるかもしれない。何もかもに苛立つ時間もあるかもしれない。
相手のことばかりに気を回しては疲れる一日もあるかもしれない。けれど、ひとりでいてはいけない時間にどれだけ救われる存在になるか、それは誰にもわからない。

だから、同棲はしない。
その味を知ったら、そのときこそ私はたぶん絶対にだめになると思う。
2004年04月04日(日)  家出ノススメ
みんなは家出をしたことがある?

私は両親と同居していた小中学生のころ、数回家出をしようと試みたことがある。
もちろん、すべてが未遂に終わってしまったけれど、一体何がきっかけで家出をしようとしたのかはもうすっかり忘れてしまった。最初は確か小学生の頃だったと思う。真っ暗な道を突っ掛けを鳴らして歩いていた。母が、後ろからスピードを同じくしてついて来ている事は知っていた。その突っ掛けの音がふたつ聞こえていたから。からんころんって。10歳になるかならないかの頃、あれがきっと初めて家出をしようと思ったときだった。

中学生の頃のいつかの日、きっと高校入試の頃だったから3年生だったと思う。毎晩、塾に通って勉強をした。家に戻ってきてからも勉強をしていた。勉強は苦にならずどちらかというと誰にも話しかけられたくないために勉強をしていたようなものだ。私の母は決してどんなことでも私を褒めなかった。だから、母とは幾度となく衝突を繰り返した。それは思春期独特の反抗だったと思う。もうこの家にいることが嫌だと思った。

塾の時間は午後6時から午後10時で、学校が終わると母に塾まで連れてきてもらい帰りの時間には迎えに来てもらっていた。同じ歳の従姉妹と一緒に塾の前で車を下り階段を上って教室に入る、はずだったけれど、私は母の車が見えなくなると階段を上らずに街のネオンが光る方向へ歩いた。従姉妹が私の背中に「どこへ行ってるの?」と聞いたけれど「誰にも何も言わないで」と私は返した。塾の授業には出ないつもりでこのままどこに行くわけでもなく街をぶらぶらするつもりだった。気が向けば塾の終わる時間にここに戻ってくるし、気が向かなければこのままどこかで眠るつもりだった。
いつも家出というものは思いつきで始まり気の向くままに終わる。

街と言っても田舎の街はそんなに大きくもなく明るい場所も少なく賑わう場所も多くはない。どの店も早く閉まるし今の時間で開いている場所などお酒を出す店がほとんどだ。街で唯一のコンビニを目指し私は暗い道を歩いた。時々車が通り過ぎバイクが走り去って猫が横切っていった。
勉強に疲れていたのもあるし、家族にむしゃくしゃしていただろう。学校の教師は誰も話がわからない者ばかりだし塾の教師はマニュアルのように授業を進める。そんな環境の中でクラスメートは勉強に没頭するものとそうでないものに真っ二つに分かれていた。進学とか社会とか将来とか、大人たちは色々と私の希望を聞きたがるけれど、そのときの私はこうなりたい、こうしたいというはっきりとした意志が見えずにゆらゆら揺れていたのかもしれない。

街灯の間隔は広かったと思う。向こうの街灯まではまだ幾分距離があったと思う。道端のゴミ捨て場から異様なにおいがして私は足早に歩いていた。2階建ての何の飾りもない建物が電車の高架下に建っていた。


私は今でも覚えている。私は今でもその気持ちを覚えている。
その建物の窓は真っ暗で、人のいる気配などなかったのに、建物を見上げると二人の女の悲鳴と怒声が聞こえてきた。
あんたなんか最低よ、死んでしまえ。なによあんたこそ死んじまえ。やめてよ、なにすんのよ、うるせぇ、死んでしまえ、殺してやる、黙れ、馬鹿ヤロウ。
その声は金切り声で始終鳴り響いていた。電車が通るときはかき消されたが何かが倒れる音と何かがぶつかる音と言葉にならない怒鳴り声がずっと聞こえていた。真っ暗な部屋で女ふたりの声が聞こえていた。あれは確かに成人した大人の声だった。

汚いものを見てしまったと、私は走ってその場を去った。
大人が醜い欲求をむき出しにして叫んでいる姿を聞いた。あれだけの声であんな言葉を吐き出すなんて、そのときの私の周りにいた大人からは想像も出来ないことだった。大人でもあんな言葉を吐き出すこともあって形振り構わず叫ぶなんて、信じられなかった。私が思う社会では、大人はいつも仮面をかぶって社交辞令だらけの言葉を操ったり、体裁ばかりを気にして意地汚くいやらしい部分をうまく隠した人間だと思っていたから。今まで大人のそんな姿を目にしたことがないために、とてもショッキングだった。私がいる場所はぬくぬくとした守られた場所だったんだとも思った。外に一歩出ればあんなに怖い出来事が多く待ち受けているのかもしれない。いつかは私もあんな言葉や怒声を浴びせかけられることがあるのだろうか。社会では誰も味方になってくれず誰も助けてくれず、たったひとりであんな言葉や声を浴びせかけられるのだとしたら、私はそれに耐えられるだろうか。それに耐えられる気持ちがあるなら私は未来に飛び込もうと思った。自分がいま立たされている分岐点の大切な意味を知った瞬間なのかもしれない。
その場に立ち尽くしてそんなことを考えていた。目の前にはミニスカートをはいた風俗の呼び込みの女性に酔っ払いのサラリーマンが鼻の下を伸ばしながらしなだれかかっている。店のネオンがチカチカと光っていた。

うん、私は耐えられる。きっと耐えられるしきっと屈しない、きっとやっていける。誰にも負けない。


もう0時をまわろうとしている。
母や父は今ごろ私を探しているだろうか。ベッドが恋しくなり私は歩いて家に帰った。
外を探し回っていた父と母は不意に帰ってきた私に何も言わず、私はその日夜遅くに眠った。
外が明るくなっているのに気づき目を覚ますと昼近くになっている。電話が鳴っている。すっかり寝過ごしてしまい誰も起こしてはくれず母はきっと呆れているのか、もしかしたら腫れ物に触るように避けているのか、食卓には朝ごはんが用意されていた。もう一度電話が鳴り、通話ボタンを押すと担任教師からの電話だった。30分後に迎えにいくと言っている。30分後に迎えに来た彼の車の助手席にはチャイルドシートが置かれていた。それを見たとき胸が少し痛んだ。職員室に連れて行かれても、周りの誰も私に昨晩の理由など聞かない。誰も私を責めないし誰も私を問い詰めない。5時間目の授業は美術の時間で、私が美術室に入るとクラスメートの目が一斉に私に注がれすぐ外された。あと、数分もない授業に私は隅のテーブルに座り寝て過ごした。チャイムが鳴り頭をあげると、美術の教師が「大丈夫か?」と私に聞いた。


あの晩の出来事は私に少しの免疫をつけたように思う。
これまで誰にも話したことがなかった出来事。何か特別な意味があり私に与えた気がして、誰にも言わないできた。けれど、ふとしたきっかけであの夜のことを思い返すと、あの出来事があってから私の思春期の焦りや苛立ちは消え、自分が大人たちに主張していたことは守られて育ったリアリティのない言葉だと知ったような気がする。それからは大人をひとりの人間として冷静な目で見るようになり自分を強くした。それが良いことなのか悪いことなのかはわからないけれど、同級生よりも早くに大人になり、どっしりと構えることが出来るようになったのはあのことがあってからだと思う。


私に子供が出来たら一度は家出をしてもいいんじゃないかと思う。守られない社会がどれだけ怖くて厳しいものか何かのきっかけで解ってもらえたらと思う。
2004年04月03日(土)  オアシス
病室のベッドで横になりながら、ヘッドフォンをしてオアシスを聴いていた。私に初めてオアシスを聴かせてくれた人はずっとずっと以前に会った人だった。オアシスの曲を聴くと否応なしにその人の事を思い出されてならない。

突然に病室のカーテンが開き誰かが立っている気配がした。うとうとしていた目を向けると私はとても驚いた。初めてオアシスを聴かせてくれた彼が、そこに立っていた。息を切らせてそこに立っていた。ゆき過ぎた偶然だった。

私は驚いて少しのあいだ口をきけなかった。入院していることなどあまり人には知らせていないし、見舞いに来る人などほとんどいない。なぜ彼がここへ来ることが出来たのか私はいま見ている光景が幻ではないかと疑ったほどだ。


ちょうど半年前、私たちは車を借りてドライブに出かけた。秋空は晴れることなく始終厚い雲に覆われていて、湘南の海も鎌倉の家並みもすべてが暗く見えた。冷たい雨が降り注いで私たちの髪の毛を濡らした。ちょうど一年前、待ち合わせの場所で彼は私を待ち続け、確信犯のように数時間も遅れていった私を少しも怒りはしなかった。もうすぐ深夜になるところだった。ちょうど一年半前、私は恋人と一緒に歩き、彼は恋人を連れて、雑踏の中で相手を認めそしてすれ違った。
私たちはちょうど半年の時間をおきながら再会を果たし続ける。もう会う理由もとくには見当たらないというのに、私たちは何らかのきっかけによって引き戻されることになる。

やっと離した距離がまた半年たてばもとに戻り、再び生まれた親密さををまた半年という時間が引き離していく。つかず離れず私たちはいくつもの季節を過ごすけれどお互いに寄り添うつもりもなく、かといって完全に離れてしまうには淋しいという曖昧な関係におさまっている。
もう数年前に好意を持っていた人は、今こうして半年たってまた私の目の前に現れた。恋人になることもなく友人とも呼べず、ずっとこんな関係がこれから数年先まで続いていくんだろう。

そんなことを思うと、自分にうんざりしてきた。
2004年04月02日(金)  夜桜
真夜中に病室を抜け出すと、予想外にも外は冷たくなく風がとても心地よかった。時刻はもうすぐ深夜3時をまわろうとしているだろうか。たった一本だけの老木は淋しげで儚げだけれど力強い。老いた枝からはらはらと桜の花びらが舞う。

泣かないで、泣かないでと思う。
1年間我慢し続けた涙を花びらにして流しているように思える。
強い風が吹けば飛んでいきそうな地面の花びらがさやさやと体を持ち上げようとしている。
黒い闇が一層ピンクを際立たせて、私は泣かないで泣かないでと言わずにはいられなかった。

散ることは悲しく、咲き誇る時間は短く、夜のうちに消えていってしまいそうな淋しさは、どうしてこんなにも泣きたくさせてしまうのだろう。
桜が泣いて私も泣いて、みんなみんな泣いて、一体なんのためにそんなに咲き誇ろうとしているのだろう。一体なんのために私はいまここに生きているのだろう。

夜のうちに流れた涙の中でずっとこのまま立っていたかった。今この時間が惜しくてたまらなかった。
白衣を着た看護士が「もう帰ろうよ」と私に声をかけた。
2004年04月01日(木)  輝かしき思い出
いくつかしかない思い出。
少ない思い出だからこそ、ひとつひとつが輝かしく見えるでしょう?
思い出すたびそれは皺が刻まれるように重厚になってきて、
けれど、いつしかそれはそれ自体の面影もなくしてしまうのかもしれないね。
思い出は美化されていくの。
自分の都合のいいように。
事実は曲がって幻想は遥か彼方まで飛んでいく。

君は、少ない思い出の中でだって生きていける。
少ないからこそ君は生きていけるのかもしれないね。
思い出の中で行き続けて欲しい。
大事に大事にそれを抱えて、みんなに置いてけぼりにされたとしても、その思い出の中の誰かが嘘をついていたとしても、それに気づかず生きていって欲しい。


思い出の中だけで生きることは、この世でとても幸せなことなんだよ。
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