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2004年03月31日(水)  惜別
入院して仕事を休んでいるとはいえ、年度末なのでしょっちゅう会社から社用の携帯へ電話がかかってくる。会社メールも携帯で見ることが出来るようにしているので、ある程度の社内の情報は伝わってくるが、同僚の女の子や先輩からも私宛てのメールがたまに届き、「元気にしてる?入院ライフはどうだい?」といった内容や「今日はみんなで焼き肉行くんだ!いいでしょ?!」といったどうでもいい内容のメールも届いたりする。

そして、3月のある日。同僚の子から「緊急報告!」という題名のメール。この3月の異動に際してうちの上司が異動になったとのこと。あまりにも身近な人間の異動でみんなの動揺は大きいようだ。
よく小難しいことばかり言ったり、部下を動かすよりも自分が一番先に動いてしまったり、中間管理職らしく私たちの下からの突き上げに苦戦してきた上司でもあったが、とは言えどんな部下にだって自分の自由に仕事をさせてくれた上司でもあった。ある意味よく私たちの意見や気持ちを聞いてくれた人だった。
上司はどう思っているのかはわからないが、私にとってはよくぶつかり合った人でもあったと思う。納得できないことや腑に落ちないことは、営業の仕事をしているのであればある程度のことも我慢しなければならないことも多々あると思うけれど、私はクライアントに対しては折れたほうがいいとは思うが、社内ではその答えを求めてしまいたくなる。特に上司にはその意味をとても強く求める。けれどもちろん相手は見極めて。この上司は困り顔になりながらも、とことん私のそういう疑問に答えてくれた。
そういう理由からも、その上司と仕事をするのはとてもやり易かったと思えるだろう。
異動の発表が会った日も上司は私宛てへメールをよこし異動のすることになったと伝えてくれていた。

今日は、年度の最後の日ということもあって、みんなは忙しくしているだろうけれど私は一本会社に電話を入れてみることにした。
次の新しい上司へ私の入院のことを引き継ぐことを話しをしたりだとか、私の担当するクライアントの現在の状況を話したりだとか、上司と電話すれば仕事のばかりだけれど、私がこの人に電話をいれたのは、「1年間お世話になりました。ありがとうございました。」と言いたかったため。
やっと、仕事の話も区切りがついて途切れたとき、私は用意していたその言葉をその人に伝え、その人は「こちらこそどうもありがとう。あなたには何にもしてやれないで後悔ばかりが残る」と言っていた。私についていくつか話をしてくれ、きっと次の上司にもあなたのことを伝えておくからと約束してくれて、「焦って仕事に戻ってくることはないけれど、あなたがいないと飲み会が盛り上がらない」と最後にその人は笑って電話を切った。

ふと淋しくなり、今までは憎まれ口ばかり叩いていたのに、この人が私の上司でよかったと、そのとき初めて思った。
送別会の場では、女の子達はみんな泣き上司も泣いていたという。
私は社内間での異動なので、きっと何かの仕事ではまた関わりあうのだから泣くことはないと思っていたけれど、やはり一抹の淋しさが私の胸にもあったのは事実。
みんながこの1年、いろんなことに取り組んで夜遅くまで会議を重ねて自分たちのチームがいい仕事が出来るように考えてきたのに、その半ばで抜けなければいけなくなったその人は本当にいま心残りでいるだろう。また別の事業部に行っても今のままのあの人でいて欲しいと思う。どこかでまた一緒に仕事が出来ればと思う。
2004年03月30日(火)  追伸
北海道小旅行は2泊3日で終わった。
飛行機代やホテル代をなるだけ安く抑えるためにかなりケチりましたが、本当に楽しかった。もともと観光をするために行ったわけではないのでまだ充分に遊び足りない感もあるけど、またもう一度行けたらいいなと思う。
もう、ずっと思っていることだけれど私は東京に住むよりどこかの地方の都市のほうが随分と便利だと思う。こじんまりしていても最低限のものは買い揃えるだろうし人口も多くなくてごみごみしていないでしょう。なんだか、そういうイメージがあって地域密着型? というか地方であることの連帯感? のようなものがとても居心地がいいなあとあらためて発見。というか、私も地方出身ではあるけどね。

グルメガイドというものを買ってはいたものの、実は私たちはそのガイドどおりに店に行けたことはなかった。案内のいい札幌の街と言いつつも「南5・西5」なんて呪文のように住所を繰り返しながら歩いていたのに何故だか私たちは行き着くことが出来ず結局疲れ果てて、観光案内の女性の力を借りることとなる。昼間は「味の時計台」に行き夜は回転寿司三昧、朝はもちろん泊まりもしてないホテルで朝食バイキング。もっと有名といわれるお店に行きたかったのだけど、それにしても「味の時計台」だって、北海道でラーメン! という気で食べたら美味しいです。いや、もともと美味しいんですけど。それにしてもホタテなんてどうしてあんなに厚いんでしょう。かなり食欲がわいた旅でもありました。
札幌や小樽の街が私にとっては新鮮でリフレッシュできた街であったとしても、住んでいる人にとってはどうなんでしょうね。雪が降れば慣れていない私たちは結構喜べたのに、もしかしたら地元の人にとっては忌み嫌うほどのものであったり、日常茶飯事で何の思いもないものかもしれないですね。やっぱり観光客は美味しいとこ取りなので自分たちの住む街と比べて違う部分があったりすれは素直に喜べたりするけど、地元の人にとってはそうでもないのかもしれない。小樽のほうで言えば本当に全体が観光地と化していて、人力車をひく若者なんかは「ボク、小樽出身ではないんですけど…、小樽はやっぱり仕事があるから!」と言っていたし市場のお兄さんも「関東にバイトをしに行きながら観光の季節になると小樽に戻ってくる」と言っていたし、それぞれの街に住むのであればそれ相応の事情はつきものなのかもしれません。

北海道には方言があるのかと思っていましたが、札幌ではそれほどの方言も聞きあたらなかったです。けれど、あるお店で買い物をしていたとき何を言っているのかまったくわからない女の人に出会いました。きれいにお化粧して足も細くて顔立ちもはっきりした美人な女性でしたが、何を言っているのかさっぱりわからず、突然に外国人に話しかけられて戸惑い逃げるときのような愛想笑いを浮かべてしまいました。彼女は、「○★!=◆*!□◎☆・?」と話しているように聞こえました。札幌よりももっと地方の方だったんでしょうね。

北大も見に行きたかったな。もっとすすきののほうにも行ってみたかったな。サッポロファクトリーにも見てみたかったな。


また再び北海道に行けたら、と思います。次は函館や旭川あたりにね。ひとり旅もいいです。何も予定をたてずふらふらとね。景色を見て写真を撮ってその場所の人々と会話を楽しんでお酒を飲んで、静かに過ごせたらと思います。北海道のどこかいいスポットがあれば教えて下さい。
2004年03月29日(月)  静かな風景からの手紙
二泊した札幌のホテルはビジネスホテルだったけれど、湯船を張って体を温めていると本当に贅沢な気分になる。浴室の外からはテレビの音が聞こえ誰かがいる気配がする。それがとても安らいで湯に浸かったまま眠ってしまってもいいと思うほど、とても気持ちがよかった。翌朝も私たちはまた別の有名ホテルの朝のバイキングに出かけた。私と同行した彼が泊まったホテルは安い分、食事がつかなかったため近くにいくつも建つ有名ホテルに出かけては朝食を済ませていた。北海道滞在の最終日はとてもいい天気で窓から入ってくる朝陽にきらきら照らされてクロワッサンをかじると、もうそれだけで、またとても贅沢な時間になった。

今日は何の予定もない。羽田へ帰る飛行機の時間を夕方に変更して私たちはまたあの観光案内に座る女性を頼りに、存分に楽しめる一日にしようと考えた。札幌から快速の電車に乗って30分もすると札幌よりもはるかに小さな街、小樽に到着する。居心地のよかったホテルや札幌の駅をあとにするときは、少し淋しい気分にもなってしまった。

日本海と呼んでもいいのだろうか、急にあらわれた海を臨みながら日陰の斜面に残った真っ白い雪を眺めながら私たちは小樽の駅に降り立った。

二台の自転車を借りに行こうと古びた自転車屋へ向かうと観光客慣れした店主が出てきて、私たちにこれからの予定を聞く。お土産屋の並ぶ通りや有名な小樽倉庫が並ぶ場所、美味しくて安いすし屋を教えてくれた。私と彼はもう既に札幌の観光案内の女性にその店らを聞いていたけれど、親切で陽気な店主のために数分ばかり付き合いながら、店主の広げる観光マップに興味深そうに見ていた。あの女性に貰ったそれと同じ観光マップをそっとポケットに隠しながら。

函館ほどではないにしろ小樽の駅前には緩い坂が伸びていて、その坂を降り切るとそこは観光客でごった返していた。歩いて周ると疲れるけれどタクシーを使うほどの距離でもなく、やはりあの女性が勧めてくれたように自転車のほうが小樽の中心地を回り切るには最高の手段だった。先日、テレビでやっていた岩井俊二の映画「ラブレター」の撮影スポットを通りながら北のウォール街を過ぎて土産物屋が並ぶ通りを抜け、メルヘン交差点でカーブして古い倉庫が並ぶ小樽運河を通り博物館の前で、また駅前通りに戻ってきた。自転車で走るたびにクラシックな旧銀行の建物や日本家屋を改装したような土産物屋の街並みをデジカメで撮影して回った。若い男性が人力車を引きながら観光案内をしつつカップルを乗せて走るし、店の呼び込みは威勢がよく街中にオルゴールの音が響いていたし、カメラを片手に観光客らしい女の子が颯爽と歩いていた。ソフトクリームをなめている観光客がたくさん居れば私たちはそれに倣ってラベンダーやメロンやミルクの3色ソフトをなめて、教えてもらった店に入って蟹をほお張ったりビールを飲んだりして楽しんだ。途中、小樽倶楽部という歴史的建造物と書かれた洋風の建物に入った。喫茶店ではあるけれど客は誰ひとりおらず年配の女性がひとり静かにカウンターの中に立っていた。窓枠や暖炉や照明や流れる音楽がとても古めかしくて落ち着いた雰囲気で、私は一目でこのお店が気にいった。ゆっくり時間をかけて紅茶を飲み燦燦と降り注がれる太陽の光を浴びてとても幸せな気分になった。
旅行に来たからには土産物を買って帰ろうと、あれこれと彼と話し合いながらいくつ土産を買って帰るか何を買って帰るか考えていたけれど、何もかもをみんなに買って帰ってあげたくてなかなかそれは決まらない。私たちは土産物屋の通りでいろいろな店を見てまわった。結局、蔵のような酒屋で地酒や地ビールを買い込んで、そして私は友人や兄にも送ってあげようと、せっせと宅急便の伝票に彼らの住所を書く。兄は勿論私が北海道に来ていることを知っているけれど、小樽からの届け物を見るととても驚くだろう。友人であればなぜ北海道からの名産が届くのか不思議に思うだろう。かんたんなメッセージカードをつけてそれぞれに梱包してもらった。

「私はいま小樽という街にいます。とても素敵な場所なのでみんなにもお土産を送ります」

市場に行き魚介類を見てまわった。同行していた彼は本場の蟹を買ってやろうと張り切っている。市場のお兄さんとたくさん交渉してとても安く蟹を買うと、私は四国にいる父と母に送ってもらうことにした。


小樽に滞在した時間はたった3時間しかなく、私たちは後ろ髪をひかれるように千歳空港行きの電車に乗った。小樽の夜景も見ることも出来ず、凍れ館だって行くことも出来なかったし運河や倉庫ももっと見てみたかった。まだ見足りなくてまだそこに居たかったけれど飛行機の時間は刻一刻と迫っている。時間がなくて本当に残念で少し淋しかったけれど、またもう一度来ればいいよと彼は言って私たちは電車に乗った。動き出した電車の座席から遠目で海を見ていると、私たちの乗った電車がまるで海の中を走っているような錯覚がした。

忘れられない風景は、小樽の繁華街を逸れて小さな坂道に自転車を走らせたとき、トタン屋根の建物からぽつんぽつんと雪の解けた水滴が落ちてキラキラ光ってきれいだったこと。その小道の角には避けられた雪が高く積もっていた。ぽつんぽつんと雫が落ちる音だけがしてとても静かな風景だった。ここに住む人たちは雪解けの小樽という街をどんな風に思っているのだろう、春をどんな風に思い焦がれているのだろう。東京は今日あたりが花見の頃だと言っていたけれど、北海道にもやっと春が来るんだなと思った。そういえば、人力車を引く若い男性が小樽の桜は4月下旬に咲くと言っていた。

本当にまた来たくて本当に淋しくなって、私はぎゅっと隣に座っていた彼の手を握った。
2004年03月28日(日)  雪の降る街からの手紙
「道央・道東」という言葉が天気予報から聞こえる。
札幌のビジネスホテルの一室で私と彼は目を覚ました。
シングルルームを2つ予約していたのに、東京を出発する前の私は、やっぱり一部屋だけ予約すればよかったと思うだろう、そう予感していたがそれは見事に的中した。
昨晩の睡眠不足で私たちは明日の予定を話し合いながら眠ってしまった。布団もかけずテレビも照明もつけっぱなしだった。空調が効いている部屋は寒くはなかったけれど、窓の外の空はとても薄暗く重い。今日は曇りになるだろうという天気予報。私たちは6時に起き上がり支度をして近くの大きなホテルへと向かって、朝のバイキングを楽しんだ。

地下鉄に乗り、私たちは本来の目的を果たすため、約束の医師に会いに出かける。

雪はまだあらゆるところに残っていた。歩道や道路は乾いているけれど、路肩や空き地だろう場所にはかいた分の雪が積み上げられて泥だらけの灰色に光っていた。けれどところどころ歩く道はシャーベットになっていてつるつると滑り、私は用心して慎重に歩いた。氷を踏みしめながら歩くことはとても怖い。急に広がった場所は公園らしく、辺り一面真っ白になっている。歩道の雪がそこに避けられているのか、公園の地面だけは他とは違って随分高くなっている。面白がった彼は踏みしめられた雪がしき詰まっている公園へ入っていき、私は覚束ない足取りでそれを追いかけた。底の氷が解け始めているのか、足を踏み入れるごとに地面が沈み足を取られては抜き取り一歩を進めては地面は陥没する。スニーカーが脱げるのも濡れるのも構わずに私たちは、ただそれが面白くてはしゃぎ回り、雪を反射してとても眩しかった。しゃりしゃりと音が聞こえてかちかちの雪玉を彼は私に投げつけては笑っていた。

風が強く吹き、空から雪が降ってきた。もうすぐ4月になるのに。
この雪はなんて名前の雪なんだろう。綿でもなくみぞれでもなく、まあるい玉のような雪。コートに染み込むこともなくころころと生地の上を滑っていって地面に落ちていく。地面に落ちてもいっとき解けることもなくまあるいまま少しずつ降り注いでいく。とても不思議な気分になって、初めて見たそんな雪をずっと見ていた。ずっとずっと降り続ければいいのにと思った。傘をさすこともなく空を見上げることもなく歩道を歩いていく北海道のひとたち。

昨晩も行ったその店に、夕飯を食べた私たちは向かった。薄暗くて広くてオレンジの照明でカウンターの席。私たちはビールを飲んで、常連のお客とおしゃべりをしながらシェイカーを振る女の子を見つめる。札幌タワーはどの角度から見てもいつも同じなのに、デジタルの時計を表示させながらいま私たちのいる場所を教えてくれる。あのあと、まあるい雪が止んだ空は突き抜けるほど青くてとても美しかった。側面がレンガつくりのデパートに取り付けられた照明さえも洒落て見え、車のライトと混ざってオレンジの光がきれいだった。毎日通った観光インフォメーションの女性はとても親しみやすくて彼女の教えた店はどれもとても美味しい料理を出した。ライトアップされた赤レンガの道庁舎の前に立ちずっと見上げていた。全然寒くなんてなかった。


ホテルに帰るのが嫌で、もう一度駅前の通りを歩いた。
2004年03月27日(土)  雪が残る街からの手紙
出発する羽田空港から私はいくつか彼に注意事項を言い渡されている。

夜は早く眠ること。食べ過ぎないこと。お酒や煙草は控えること。薬はきちんと飲むこと。我侭は言わないこと。彼の言いつけをよく守ること。ここへ来た本来の目的を忘れないこと。
入院して一ヶ月。私はまた、ある医師の診断を受けるため札幌にやってきた。都合よく相手の医師がこの期間は札幌にいることもあり、私は遠くへ旅行へ行きたいという好奇心とすりかえて、外泊許可とセカンドオピニオンの紹介状を主治医から得た。異例中の異例であることを医師は何度も言い、私に同行者をつけることを望んだ。医師の信頼する私の同行者は、最初こそ私にいろんな忠告をするけれど、私は耳半分も彼には傾けずに笑みさえ浮かべていた。
だって、その忠告は遠くへ来てみればほとんどが無意味になってしまうだろうから。薬を飲み忘れてしまうほど眠りたくないほど楽しかったり、美味しいものが豊富だといわれている北海道でどうして質素な食事で過ごせることが出来るだろうか。私よりも先に彼が自分の言い渡した注意事項を破ってしまうという私の計算もある。だって、彼のポケットの手帳には知り合いから教えてもらった美味しいラーメン屋さんの地図と店の名前が書いてあるのを私は知っているから。

私はこれまで東京以北の街に行ったことがない。雪が多く降るということにまったく慣れていない。東京なら少し積もるほどの雪でさえ交通機関は麻痺してしまう。会社や学校へ行くことが出来なければ東京の機能のほとんどが失われてしまい、仕事や勉強どころではなくなる。雪が降るということは四国で育った私にとって、台風が近づき学校が休みになるその期待や喜びに似ている。明日は雪だという天気予報を聞いた翌朝、カーテンを開けたときの嬉々とした驚きにとても似ている。

簡単な札幌のガイドマップと札幌グルメ辞典の冊子を買い、私たちはまず目に付いた駅ビルのカフェに陣取った。隅から隅までその雑誌を読む時点で彼の注意事項はすべてが無効となる。
札幌の街はとても案内しやすい。駅の前に広がる街はまさに碁盤の目であり、縦のブロックごとに「条」と名前が付けられ、それを横に1丁目2丁目と分けられている。「北4西4」と言えば北4条西4丁目ということになるそうだ。本当に驚いたのはどの道も寸分の歪みもなく真っ直ぐに伸びていること。いつの時代から札幌がこんな風につくられたのか、東京で真っ直ぐに伸びた道を作れば観光客が迷子になることはないだろうし、タクシーの運転手にも行き先を告げるのは簡単だろうと思う。誰が考え出したのかどうして東京はあれほど複雑に曲がりくねってしまったのだろう。ジェットコースターのように高速道路は宙で曲がりくねっているし、感心してしまうほどそれぞれの道は何層にも渡って交差していて、車高は規制されいつもすれすれの距離を保たなければならない。東京は上へ上へと空間を広げなければならないのに比べて、北海道はいくら横へ横へと伸ばして行ってもその空間は尽きることがないということなのだろうか。

とりあえずは、やはりいくら「ガッカリ名所」と言われていても時計台やテレビ塔はみておいたほうがいいだろう。駅から何ブロックか歩くと一軒家がぽつりと立っているのかと見間違うほど時計台はそこにあった。本当に小さくて、通り過ぎてしまいそうだったのにそれでももう週末だという今日は幾人かの観光客がカメラのレンズを向けていた。私も首からぶら下げていたデジカメでぱしゃりとおさめた。テレビ塔という名前を知らずに、私たちは札幌に滞在中ずっと「札幌タワー」と呼んでいたけれどとくに東京タワーと違わず夜はとてもきれいにライトアップされている札幌タワーもぱしゃりとデジカメでおさめる。とてもお約束。地下街に降りると、南国に生まれた私は小学校の頃担任教師が話してくれた話を思い出した。札幌には街中を網羅した地下街があり、真冬になると外を歩く人はひとりもいないのに比べ、地下街には夏や春と変わらない街の風景や人々の姿がある。北の国の人は冬は地下の街で暮らしていて、その地下街の広さは街中の人たちが暮らせるほどの大きさがある、と。満足に雪も見たことのない小学生だった私たちに話したそのエピソードはからかい半分なところもあっただろうけれど、あながち間違ってもいないのではないかと思いなおした。東京の地下鉄の駅とはまったく違い、地上と同じように地下には街が広がっていた。

駅ビルや大通りまでの道を何度か往復して散策し、私たちはほとんどその札幌の繁華街を歩きつくしたかもしれない。西武や東急やパルコやロフトやアルタや私がよく買い物をするショップまである札幌は東京の街をぎゅっと凝縮したようであまり変わりもなかった。ただ、小さい街だからこそ便宜だと思える。人も多くなくごみごみしておらず小さいからこそ密着できる親密感は東京のものとは違う気がする。便利で親切でわかりやすいこの街が私はとても気に入った。
2004年03月26日(金)  上空1万フィートからの手紙
AIRDO11便に乗って、私はいま日本列島を羽田空港から北上している。まずはじめの驚きは、私が乗っている飛行機が地上を飛んでおり小さな窓から見下ろせるものは、くねくね曲がりくねった高速道路だったり河だったり、様々な濃さを持った山岳だったり、港だったり、それが私にとっては新鮮だった。いつも飛行機を利用するときは、東京から実家のある四国まで帰省するとき。四国へ向かう航路はたいていが太平洋の上空を飛ぶ場合が多く、いつだって窓の外は白い雲と青い海と青い空しかない風景だったのに、北上するときはその列島の形をそのままなぞるように飛ぶので、飛行機の外から眺める風景はとても私を飽きさせずに眠ることも忘れさせてしまう。少し厚い雲の中を通り抜けるとき機体は揺れ、振動が伝わってくるけれど、それを抜け出るとそこは一面に朝陽の世界だった。着陸したあとの機内アナウンスが到着地点の気温を伝え、私の隣に座っていた彼は膝にかけていた厚めのコートに腕を通した。

私は昨晩、小さな旅行へ行くための小さな準備をした。薄手のトレーナーとジーンズ、Tシャツとカーディガンと化粧水。コートは厚手のものを取り出しているしキャップは戸棚の奥から引っ張り出している。手袋を用意したほうがいいのか迷ったけれど、さすがにもうすぐ4月になろうとしているのだし、それはただの荷物になってしまうのではないかと思い仕舞い直した。準備は整っているか何度も確認しながら、とても興奮していてなかなか寝付けなかった。明日の朝は5時おきだというのに、私がベッドに入ったのは午前3時だった。楽しみに待ちわびる気持ちを久しぶりに思い出し、明日への期待を込めて私はじっと目を瞑って眠りに誘われるのを待っていた。

小さめの空港を出ると、彼は電車に乗って街へ向かうことを提案したけれど、私はなんと言っても観光するのであれば断然バスがいいと主張した。ただ電車の窓から山やトンネルを抜けるよりも、バスからの眺めは街をくぐり抜けて様々な場所を見ることが出来る気がしたから。彼は、腕時計を何度か確かめて時間にまだ余裕があるとわかれば、小さなバッグを持ち上げてバス停へと向かってくれた。空港の自動ドアをくぐった途端、私と彼は息を呑んだ。雪がまだ残っている。路肩によけられた雪の残りがまだきらきら光っていて空気は冷たかった。私は急いでコートのボタンをとめ、キャップを目深にかぶった。バス停を探しながらも、彼に初めての北の地を踏みしめているんだと、興奮しながら話し、見つけたバス停では「このバスは北海道に行きますか?」なんて並んでいた人に聞いてしまったけれど、もうすでにここは北海道で私たちが向かう街は札幌である。

バスを選んだのは正解だったかもしれない。車窓からの眺めは本当に新鮮だった。広くて真っ直ぐな道路と遠くに見える白い粉を吹いたような山々や、クリスマスツリーの樅ノ木のような林や一面に敷き詰められている雪、すべてが私にはとてつもなく嬉しかった。遠くへ来たんだという実感がじわじわと沸いてきた。
風景を見て不思議だったのは、びっしりと並ぶ木々の根本には必ずといっていいほど、雪が積もっていない。根本だけぽっかりと避けられているように雪が降り注いでいないのは、どうしてだろうと思う。雪が降っている大地に木を植えたのではないかと思うほど、不自然だけれどなにか自然の法則があってのことなのだろうかと、ただそれだけでも私は何もかにもに意味や理由を見つけたくなってしまう。その思考は休みなく続けられて昨晩は2時間しか眠っていないというのに、少しも眠くはならないほど、小さな冒険にこれから臨むかのような気分で胸が浮かれた。


ここは、どうしてこんなに広いんだろうと、ずっと向こうにそびえる山でさえその姿がすべて見渡せるほど、何の障害もない大地だと思った。だからこそ多分きっと、いいことが待ち受けているんだと私は寝息を立てる彼の横でずっとそう思っていた。
2004年03月25日(木)  それで?
私は、いつも笑っていた。そういう類の話しはいつも笑い飛ばしていた。だって、馬鹿げているんだもの。

その人に、彼氏がいるから、彼女がいるから、奥さんがいるから、結婚してるから、って。だから、なに? と思う。だからなによ。結婚してるから、恋人がいるから、だからどうなの?

「その人は、彼氏がいるんだよ?」
男友達が、そう言った。だから、それ以上彼女を誘えないんだって。彼はその人に好意を持っているのに。
「だから、なんなの?」
私は、薄笑いを浮かべて、そう答える。
恋人がいるからその先には進めないの? 結婚してるから誘ってはいけないの? 意思表示をしてはいけないの? もちろん、ふたりの関係のずっと先には、何らかの壁があったとしても、恋人がいようが妻がいようが、好きになったら仕方ないのではないかと思う。好きな気持ち自体を消す必要はないんではないかと思う。恋人がいる男の人でも、別の誰かと恋愛をすることはあるだろうし、結婚している女性が誰かに恋することはあり得るでしょう?

私には結婚の経験がないので、たとえば、結婚したふたりがどれほどの強い結びつきで一緒に居るのかは私にはわからない。結婚の意味もわからない。それは恋愛も同じではないかと思う。だから、恋人がいてもいなくても、好きな人が出来たらその人と一緒にいるべきだと思う。
「僕には彼女がいるんだけど。」と、たとえばその男性が私に言ったとしても、それが私を遠ざけるための文句ではないとわかったなら、私は一切気にしない。そしていつしかその言葉は忘れてしまっているだろう。彼女がいるということが何の障害になるだろうとさえ思う。


人の心はいつかは動く。
心が変わるとは言わない。けれど、動くことは必ずある。その人を見つめ続ければ彼の心は動くこともあると思う。その動きがたまたま彼女と別れた、ということにもなるかしれないし、私とはもう会えない、ということになるかもしれない。それは紙一重のことだと思う。どっちになるかは、その人次第ではないの。
恋人がいる人を見つめ続けても、妻がいる人を思い続けても、結局、その相手がどんなふうに心を動かすか、それが結果であって結論なんじゃないかと思う。相手に思いを打ち明けるまでは私の自由。その先どうするかは、相手の自由。私はそう考えている。ただ、そこできちんと決めてくれないような相手なら、私はさっさと彼の前からいなくなるだけだと思う。

だから、僕には恋人がいるから、そう言われたら、私は「そう」と答えるし、こうも思う。
私が、こういう考えを変えない以上、恋人としての安心感も、妻としての幸せも、一生感じることは出来ないだろうって。相手に恋人がいることを気にしないでいればいるほど、私の恋人が他の誰かを選んだらとか、夫が誰かに恋したらなどと、そんな想像ばかり逞しくさせて、私は一生静かに生き続けていくのは無理だろうと思う。


向かい合って座った彼は、「きのう、彼女と別れたよ」と言った。
私はあいも変わらず「そう」と答えた。
2004年03月24日(水)  ヒロキ
ヒロキ。
その言葉をどこかで耳にしたり目にしたりすると、私の心はとくんと波を打つ。時がたつにつれ思い出す回数は減っても、どんなに長く生きたってその思い出は色褪せない気がする。


その写真を見つけたとき、それは奇跡的な偶然だと思った。
その写真自体がここにあること、それが偶然であり、奇跡であるということ。
保存されることのない数々の恋人との写真は、今ここに、しかもたった一枚だけあった。
ここに仕舞ったときの私には、きっと奇跡が起こっていたんだろうし、複雑な偶然の産物なのかもしれない。

どちらが馬鹿だったかいうと、私は間違いなくヒロキだと思うけれど、きっとヒロキは私だというだろう。どちらも馬鹿だったしどちらも真剣だったのかもしれないけど。そんなことを言うと、明日あたりヒロキから電話がかかってきそうな気がする。「僕のこと、馬鹿って言ったんだって?」って。ヒロキはいつも私を見ていたし、私を知っていた。けれど、私を知っているなんて言っても、それは、足首程度の浅さしかないってことはヒロキ自身がよくわかっていると思う。皮肉ではなく。だって私もヒロキのことを知っていると言ったって、かかと程度の浅さかもしれないし。


ヒロキは本当に見ていて飽きなかった。とても興味深い人だった。
くるくる変わるその表情や気持ちはムラだらけで、つかみ所のないその性質がいつもみんなを惹きつけた。けれどその反面、ヒロキの味方は少なかったね。端正な顔立ちをしたヒロキに好意を持つ女性はたくさんいたとしても、その多くが泣きながら腹を立たせながら離れていっていた。ヒロキの友だちだって薄情なものだったと思うよ。ヒロキのことを話す友だちは誰一人としてヒロキを良くは言わなかった。味方が多すぎるのも考え物だけどこれほど敵が多い人もはじめてみた。どうしてこんな風になっちゃうんだろうって、ヒロキの悪口ばかり聞いては、よくそう思った。

それにしても、ヒロキと会ったのはもう3年も前になるんだね。あっという間だった気がするしもっと昔だったような気もする。ヒロキはそろそろ仕事が面白くなってきた頃だったし、私は仕事を始めたばかりだった。互いに寝る時間を削ってでも懸命に仕事をしたし、寝る時間を惜しんで真夜中のデートを楽しんでいた。眠ることが馬鹿らしくなってきて、1日24時間をどうして好きなことだけして過ごしちゃいけないんだろうってよく話していたね。そのときの私にとっては、仕事をする時間とヒロキと過ごす時間が24時間だった。そのとき聞いた音楽や、食事をしたレストランや、走る高速道路や、プレゼントしあった物や、話した言葉、そのときのヒロキでさえ、何気ないすべてが大人の世界の大人の恋愛のように見えて、私は一歩大人の階段をのぼった気がしていたのに、いま思い返してみれば、今の私はあの頃のヒロキと同じ歳になってしまい、いま振り返ってみれば、とてもとても子供らしく愛らしい恋愛だったような気がするよ。

ある夜、ヒロキは泣いてた。
僕には、父親がいない。だから早く子供が欲しいって。早く家族を作って早く母親の面倒を見られる男になりたいって。ソファーに座ってまばたきさえせず、ずっとヒロキは泣いた。私はヒロキの膝に座ってずっとヒロキの肩をさすっていた気がする。ヒロキは、家族を作るなんて程遠い場所に立っている人間だったのに、人一倍、その思いは強かったんじゃないのかな。違うかな。


私たちは、もう二度と会うこともないけど、ヒロキがどこかに存在しているのかと思うと、急に胸が苦しくなったり、痛くなったりする。切なさがこみ上げてきて、急にどこかに走り出してしまいたくなる。衝動を抑えられなくなる。
泣いたのはあの晩だけじゃなかったって本当は知ってた。
お互いが背を向けてベッドに横たわっているとき、ヒロキは声を震わせるわけでもなく、ただ静かに涙を流していた。けれど、私は部屋の暗さにまかせて気づかない振りをしていた。だって、ヒロキの味方になる自信があのときの私には持てなかったし、これ以上もう泣かないで欲しくて、ヒロキが私にどうして欲しいのかわからなかった。私が気づかない振りをしながらおやすみを言って眠った後、ふと目が覚めたらヒロキの暖かい手が私の背中をとても優しい手つきで触れて、そして愛していると言ったけど、私はそんなヒロキの姿にどうしようもないほど胸が痛くなった。何も言えずに、何も出来ずに、ただ私はそれが悔しくて悲しかった。

ヒロキに惑わされて振り回されて惹きつけられて傷つけられたのに、ヒロキの愛してるという言葉なんか信じちゃいけないと思っていたのに、ヒロキが涙を流しながら私に何かを求めているような気がして、私はどうしたらいいか、何を言えばいいのかわからなかった。私とヒロキという存在がとても心細く思えて、このまま闇に溶けて消えていってしまうんじゃないかって、いつもいつも心配だったし何もかもわからなかった。

その頃の不安や心配は、今になっても、たまに私の心のひだを揺らしています。


ふと思いついたように空を見上げて、ずっとずっと遠くにいるだろうヒロキのことを思い出す。春になりかけのこの季節は、特別にね。ヒロキ、ヒロキって心の中で何度か呟いたりもする。私が空を見上げて思い出すのは、かつてとても好きだった男の人たちのこと。その中にヒロキが含まれるなんて、なんだかとても不思議な気がする。恋人でもあり、親友でもあり、同志のようでもあったヒロキは、とてもありきたりな言葉だけれど、とても大切な人だった。
2004年03月23日(火)  病室カテキョ
入院一日目から「退院したい病」が蔓延しています。勢いは増すばかり。
もうすぐ廃人になると思うし、歩行動作を忘れてしまいそうです。筋肉は衰えてきています。
けれど、一抹の希望の光はずっとずっと向こうに、点のように見えています。

家庭教師をすることになりました。この病室で。よくも主治医がOKを出したものだと思います。家庭教師をしてもいいくらいなら、さっさと退院させて欲しいものです。たいてい、彼の許可は私の入院と矛盾していることが多いです。
実は、昨年の今ごろも同じように家庭教師をしました。ちょうど、転職活動をしていた時期なのでバイトとしてですけど、もうすぐ高校3年生の受験生になろうとする男の子を教えていたのです。内容は、数学でも英語でもなければ、「音楽理論」。音大を受験するために必要な筆記受験科目です。難しいといえば難しいですけど、基本を覚えればあとは応用するのみです。どんな教科でも同じだとは思うけれど。ちなみに、昨年教えた男の子は今年受験でしたが、無事合格したとのこと。当たり前です。私が教えたんだから。音大なんだから実技以外はそんなに勉強しなくても大丈夫だろうと甘く考える人も多いらしいですが、舐めてたら泣かされます。ちゃんと勉強しとかないと大学で単位落とすことは愚か、桜散る春になってしまいます。なので、彼が合格したのはひとえに私のお陰なのですという私の自信がまたもうひとりの迷える生徒を呼ぶきっかけになったのです。しまった。

異母兄の知り合いの知り合いのお兄さんの娘。という初対面な女の子です。男の子がよかったなあ、だって素直そうだもの、男の子のほうが。女の子なんて怖そうだなあ、意味もなくナイフで刺されそうだなあと、意味もない偏見。この娘のお父さんは、とても社交的で丁寧な人。それに比べるとこの娘はどうしてこんなにも無口で無愛想なのか。でも、この年頃の娘はたいてい初対面の人にはこういう態度なのかしらねぇ。たぶんここの家はお金持ちだね、それできっとこの娘はハコイリムスメなんだよ、だから少々の礼儀しらずは大目に見ようじゃないか。と、意味もなく偉そうに言ってはみたものの、兄が「いまいくつだっけ?」という質問を彼女に投げてもむっつりしたままプイと顔を背ける始末。お父さんは恐縮しきってはいるものの、なんだこの子は子供じゃあるまいし。
本物のハコイリムスメ。なかなか、手ごわい相手になりそうです。

よし、じゃあはじめましょう。早くお父さんは帰ってください。心配げな顔してついていなくても大丈夫ですよ。それじゃ、持ってきたテキストを見せてくれますか。と、じつは今日彼女が来ることもすっかり忘れていた私は、復習・予習をするための、自分が大学のとき使っていたテキストを持ってくるのをすっかり忘れていたし、眠くてやる気も出ないし、若い男子看護士が興味本位で病室をのぞきに来るし、主治医が来ては「こうやって、勉強を人に教えるということは自分のための勉強にもなるんだぞ。ハハハ」と邪魔をするしでなかなかはかどりません。
彼女に、どの項目まで自主学習で覚えてきたかを聞いたり、これまでやってきた中で何かわからなかったところはなかったか、などとヒアリングしている最中にテキストを見る振りをして、記憶の糸をたぐりよせています。音楽理論ってどんなんだったっけ?

この彼女は、落ち着き払って私が聞くことに答えてくれます。それではこの問題を解いてみてというと、さらさらとノートに書き始めます。その隙にどんどんテキストを読み進めていこうと私は彼女とは逆に焦っています。なんて、無様な光景。
出来た答えを見てみると、驚いたことにほとんどが間違っています。なぜ?
全ての答えが間違っているなら、まだいいです。全て間違えているならたぶん掛け違えたボタンみたくなっているだろうからです。すぐ軌道修正できる気がするんです。ただ、正解している問題と間違っている問題、かなり似たり寄ったりの問題があるので似ている問題はそれぞれ正解しているか、両方とも間違っていなければいけないのに、その傾向がない。彼女の思考は一体音楽理論をどのように理解しているのでしょう。

困った。間違っているその理由が見当たらない。困った。困った。

ここ間違ってるよ、と指摘すれば、「ああ」と答えてすらすら書き直します。はい、正解。すぐ解けるならどうしてさっきは間違えたのかしら? 不思議。はい、じゃこっちの問題を解いてみて。というと、また繰り返し。意味もなく正解と不正解が入り混じっています。意味がわからない。なぜ間違うのでしょう。また指摘すればちゃんと訂正してくれます。ただの単純なミスなのか、注意不足なのでしょうか。なんかこういう間違いをされることは、教える身としてとても不気味に思えてしまうのはいけないことでしょうか。さらに、もうひとつ似たような問題集を解かせてみるけど、まったく同じことをやってのけてくれます。「どうして、ここを間違えたの?」と問うてみたら「さあ」と言ってくれました。なかなか手ごわい相手です。


やっぱり女の子って怖いなぁ。男の子のほうがまだ可愛げがある気がするのは偏見ですか。家庭教師ですから、別にどんな態度をとられても腹も立たないし教える気が失せるわけではありません。淡々と勉強を続けていくのみです。彼女の気持ちをほぐしてやろうとか、勉強以外のコミュニケーションをとって信頼関係を結ぶ必要もないので別に相手がどんな人であろうと構わないですが。
この彼女は、高校生だからとかまだ子供だからとかまだ世間知らずだから、という言葉では片付けられないバリアがあって、なかなか怖ろしい存在ではあります。

黒くて長い髪の毛で爪もちゃんとカットされているしメイクをしている風でもなければピアスの穴だって見つからない彼女。イマドキって言う高校生がどんなものかは知りませんが、よくテレビで見る高校生像とはかなりかけ離れている容姿。
それが余計に不気味さを増幅させています。


ああ、お断りすればよかった。やめてしまおうか。
2004年03月22日(月)  平手
私はきっと、その人に出会ったら反射的に手をあげると思う。
その場所が人気の多い街角だったとしても、その人が誰かと一緒だったとしても、私は無条件にその人を叩くと思う。何も言わずに出会った瞬間、ただぴしゃりと叩くと思う。

拳ではなく平手で。
私は拳で殴られてことがないのでよくわからないけど、人に叩かれるときは、拳で殴られればそれは体力的にダメージを受け、平手で叩かれれば精神的にダメージを受けそうな感じがする。
だから、私はその人を平手で叩きたい。
精神的な傷を残すために平手で、思い切り音がなるくらい。
怒りは満ちて、すでに溢れている。溢れた分だけ叩く力は強くなるだろう。
その人に対する、怒りと憎しみと情けなさが募ってくる。

だからきっと、私はその人に会ったら叩いてやるんだ、そう思っている。

その人を見つけたら教えてください。
その人がどこかにいたら教えてください。
私はその人を叩いてやりたいから。
けれどもしかしたら、みんなは知らない人かもしれない。
だってその人は、私自身の中にいるから。
だってその人は、私自身だから。
2004年03月21日(日)  コミュニケーション
入院して通算一ヶ月がたとうとしています。いや、3週間くらいかもしれないけど。
病院の中には、いろんな病気の人が入院していて毎日毎日生と死が交差している場所だと思う。建物のどこかには新生児室があって地下にはきっと死体安置室がある。また患者を看護したり診察するためには何百人という職員が働いている。
そんな大勢の人たちがいるこの病院の中で、私は一ヶ月近くも入院しているというのに、一切コミュニケーションをとることをしていません。担当看護士の名前なんてぜんぜん覚えていないし、毎日顔を合わすほかの看護士だって、看護助手や部屋を片付けてくれる人とだってあまり口をきいたことがありません。
というのも、それは私がいまは誰とも話したくないと思っているからです。看病してもらうのに必要な会話以外はあまり話しが続かないし、看護士たちが私の機嫌をうかがって話しかけてくることが、どうにも煩わしく思えるからです。少し前なら、夜勤で巡回してくる看護士と一言二言話すことはありますが、最近は私が一日中眠っていることも重なってその看護士とも一切顔をあわすということをしなくなりました。隣の病室の人だって、どんな顔をしている人かもわかりません。

その点、異母兄なんかはもうすべての看護士の名前を覚えています。あの人はマメなんだよね。結構、女性の看護士と仲良くしてたりするし、私に「こんなに気を使って看護してくれているのに、名前も覚えずにむっつりした顔をしてると、愛想がないぞ」とさえ言います。余計なお世話です。

で、つい一週間前ほど。たぶん、病院側はこんな患者にほとほと手を焼いたのかどうかは知らないけど、担当看護士を交代してきました。男性看護士です。女の手じゃおえない患者とみなしたのかしら。あ、あれが原因かもね。あまりにもご飯食べろとか薬飲めとかうるさく言われ、今やろうと思ったのに早くしなさいと先に相手に言われてしまってちょっとカチンと来たことがあったりとか、その人の話すことが私にとってはあまりにも無神経だったことがあって……。あとに起こった出来事は省略するけど、えらく機嫌が悪くえらい剣幕で怒ったことががありました。いや、なんかこうやって書いてみると私ってとても子供じみてるなぁ。なので、担当看護士交代ということかもしれない。いや別にどうでもいいけど。

「こんにちは。○○です。よろしく」と、なんだこの人の顔はとても怖そうじゃないか。メガネの奥の目が鈍く光ってるよ。と、新しい担当看護士は顔が怖い。怖いというかとても無表情で冷淡という第一印象。仕事は出来そうなんだけどとても淡々としてそうで近寄りがたいオーラを出している。そんな顔で務まっていけるのかしら、看護士。と、人の顔に文句をつけながらも、彼が私を担当してくれることになった。
彼は主に昼間勤務することが多いらしく、夕方になると私の部屋をのぞいて「これから帰るよ」と言いにくる。「また明日」と私も答えるけれど、彼はその後、私の部屋でテレビを見て過ごすか私の持ってきた本を読んで過ごす。或いは私と会話をする。彼が病室にいたとしても私は気を使わず本を読み続けるし、テレビのニュースを見続ける。ヘッドフォンをして音楽を聞いていればそれを外して話をしはじめる。そうして数時間過ごした後、彼は家路につく。最近は、顔が怖い人だなぁという印象もなくなり柔和な人というかおっとりした人というか、でもやっぱりメガネの奥で光る眼は鋭く、どこか頭の中では緻密な計算をしていそうな印象。あんまり第一印象からはそんなに変わっていないかもしれないけど、とにかく少し印象は変わった。

入院して一ヶ月弱、とにかくこれが初めてのコミュニケーションなわけです。遅すぎですが。
2004年03月20日(土)  冬の約束
いつから降っていたのかはわからない。ふと窓の外に目をやるとちらりほらりと雨の水滴ではないものが、落ちていく。雨が落下する瞬間を目で追うことは出来ないのに、確かにそれは水滴じゃなく、ふわふわとした丸いものが落下する様子を目で追うことが出来る。

読んでいた本を放り投げて、窓を開けに慌ててベッドから出た。
外から冷たい空気が流れてきて、雨と混じった雪が降っていた。近くの手すりから遠くの景色まで雪に覆われている。ずっと遠くのあちらまで雪は降っている。隣の病棟の屋上からは真っ白い煙が立ち昇っている。

だれか、雪が降るって言ってた?
だれか、こんなに寒くなるって言ってた?
だれか、そんなことを私に教えてくれた?

雪が降るなんて知らないし、真冬に逆戻りするつもりならどうして私に教えてくれないの? もうすぐ春が来て東京の桜は咲き始めているんでしょう? ニュースで言ってたんじゃないの? どうして雪が降っているの? どうして逆戻りなの? 春が訪れたら私は退院できるって言ったのに。桜が咲いたらお花見をする約束もしていたのに。どうして雪が降っているの?どうしてこんなに寒いの?
このままだと蕾はとじてしまうよ。桜の木は眠ってしまうよ。

冷たい水滴が桜のつぼみをつたっていくのを想像したら、どうしようもなく悲しくなってきた。どうしようもなく淋しくなってきてどうしようもなく涙がこぼれてきた。

私が覚えている約束は、夢想だったんだろうか。ただそれだけを待ち焦がれて、ただそれだけを支えにしてずっとここにいるのに。その約束が実現される日が確実に近づいてきていると思ったのは、間違いだったのかもしれない。一体、誰と交わした約束だったんだろう。桜を見に行く約束は一体誰としたんだったろう。もう忘れた。もう忘れてしまって、その約束は現実ではなかったのかもしれない。だって、いま目の前には雪が降っているし、肌に触れる空気はこんなに冷たい。


気づくと雪はやんでいたけれど、つぼみに触れた冷たい水滴はもう取り返しがつかないよ。まだ冬だったのかと、桜は眠るだろうし、私はまだまだこの病室に閉じ込められるんだから。
2004年03月19日(金)  6時間
6時間あったら何が出来ると思う?
眠って疲れをとることが出来ると思うし、DVDなら3本は見れる。本なら3冊は読めるかもしれない。時給900円のバイトなら5400円はもらえるし、飛行機なら羽田と沖縄を往復できる。新幹線なら東京駅から青森くらいまで行けるらしい。

可笑しな話だけれど、6時間あったら人を好きになることも出来る。
6時間話し続けて、6時間密室にふたりっきりで、6時間向かい合っていれば、相手が同性であることの例外を除けば、恋はできると思う。


私は女なので、頭の中はいつも男の人でいっぱいだ。好きな作家は男性ばかりだし好きなアーティストも男性ばかり、いつも見て回るサイトだって男性のものが多い。男性のことばかりを考えて、男性と6時間を共にしたら、何らかの直感を感じるかもしれない。
だから、私の恋はとても安いし単純で熱を帯びやすい。

だけどその反面、私はいつも男性のことばかり考えているので、とても理想が高いし、自分が好む男性像には誰もなかなか近づかない。
誰もが羨む男性でも、私の恋は石のように硬く理想やプライドはエベレストくらい高い。

だったら、この6時間は一体どんな意味を持つ時間なんだろう。


夏休みの日の朝、小学生の私は公園に出かけてポケットからU字型の磁石を取り出した。砂場の中に埋めて右に左に泳がせる。引き上げた磁石にはほんの少しの砂鉄がついている。何億とあろう砂の粒の中で砂鉄はたった少しだけ。私の心を揺るがせるほどの男性に出会うには、砂の中の砂鉄を探すのに近い。でも、砂鉄は磁石に確かに反応してくれるなら、きっと私が一生懸命に呼べば理想の男性は惹きつけられるように私の目の前に現れてくれるはずだ。誰かにだけ通じるような磁石を持ち歩けば、きっと出会える気がする。そして、引き寄せられたその人が本当にその人なのか、それを見極める時間が、きっと6時間が必要だと言えるのだろう。


6時間あれば、その人が何者かを知ることが出来て、
6時間後にはきっと恋に落ちることができると思う。
2004年03月18日(木)  罰ゲーム
とても恥ずかしい話しではありますが、私の背中はニキビです。昨年の夏ごろからすごい。もともと皮膚は丈夫なほうではなく、すぐ何かにかぶれてしまいます。「かぶれる」って方言じゃないよね?

ニキビというより何かにかぶれているというか、荒れているのだと思うけど、以前皮膚科にいったときも「原因はよくわかりません」と言われて診察は終わった。風呂上りは背中に市販のボディクリームを塗っているけれど、どうにも場所が場所だけに手が届かない。うむむ。

入院中のお風呂というのは、とても心地よいものです。これは唯一楽しみなものですね。もう毎日入っています。当たり前かもしれないけど入院中は毎日は入らせてもらえない。きっと2,3日に一回くらいしか入らせてもらえない。けど、「お風呂に入りたぁい」と呪文のように看護士・主治医に唱えてみます。でもね相手もそれほど甘くない。ダメなものはダメなのよと言われたら、強行突破の素っ裸になってみるべきです。素っ裸になってうろうろしていれば、風呂の鍵を開けてもらえるのです。嘘です。裸にはなりません。

風呂上りは体全体がむず痒くなってしまう。特に背中。クリームをぬりまくってみるけれど、やっぱり背中は手が届かない。あぁぬりたい。クリームぬりたい。病室に戻ってもぞもぞと背中を引っかいてみる。と、そこへ「なにしてるの」と男子看護士がやってきた。いいところへ来た来た。このクリームを背中にぬって! えぇ、そういうのは女性にやってもらってよ。いくらなんでもそこまで、ねぇ。と、なんだか嫌がっているのか。それとも恥ずかしがっているのか? もちろんブラなしですよ。当たり前じゃないですか。服はめくるけど仰向けにはもちろんなりませんよ、ずっとうつ伏せですし。いいじゃないか、あなた看護士でしょ。病院には性はないはずだ! さぁ何をいじいじしているんだ、早くやれ、やってください、お願いします。

何分かゴネた看護士を無理やり使って、背中にクリームぬりたくってもらいました。

という、日頃からいじめられている看護士への罰ゲーム。さて、明日は誰が餌食になるのでしょう。ひとりずつ全員にやってもらうからね。
2004年03月17日(水)  おっきしたのぉ
最近、体調がよろしくない。

微熱、吐血、下痢、意識混濁、血圧降下、脈拍微弱
というほどではないけど、

倦怠感とものすごい睡魔。
最近はよく寝ています。起きているのが一日のうちで合計して3時間ほど。寝る子は育つのかしら。もうすでに育っている気がするのでこれ以上成長しても困るなあ。異母兄が来ていたかどうかというのは痕跡を確かめるしか手立てはなく、すでにここ数日、私は兄とメモで会話をしている。

「起きれないかもしれないから、お願いしたいことを書いておきます…。」
「依頼物は明日の夕方持ってきます。今日も眠っていたよ。ずっとこのまま眠り続けるのかおまえは。」
「薬があってないらしく眠り続けているらしい。ごめんよ。それにしても最近あたたかいね」
「もうすぐ桜が咲くってさ。それにしても今日も眠っているな。心配だ」
「眠ってばっかしで、起きると実は10年くらいたっていたという夢を見たよ。悪夢!」
「あり得るな。その夢たぶん正夢。タオルは足りているのか?」
「タオルは充分すぎるほどあります。ありがとう。今度来たとき眠ってたらたたき起こしてみてくれないでしょうか。私も少し心配になってきた」
「何か欲しいものがあったら言いなさい。さっきたたき起こしたけど寝ぼけてまた眠ってしまった。君は本当に寝起きの機嫌がよくない」
「はい、どうもごめんなさい。もうずっと寝ています」
「医者に聞いたら、もうすぐ薬変えるって。これで眠りはとけるかもな」
「薬変えてみた。すでに眠い」
「まずいじゃないか」
「ものすごくやばい。私の体はどうなっているのか」
「やっぱり眠れることはいいことだよ。ゆっくり寝なさい」

会話をメモでするというのもなんだかアホみたいで。


一日中眠ってしまうと本当に損な生き方をしているみたいで、落ち込む。真夜中なんかに目が覚めてしまうと涙が出そうになる。なんなんだ、この一日はって。起きているときしか薬が飲めないので、所定の量をちゃんと飲んでない。そのくせよく効く薬なわけ。目が覚めるとものすごいハイテンションなときもあって、なんなんだ私はってカンジなときもある。起きたらナースコールしなさいと言われているけれど、だるくてだるくてボタンを押す指の力がないわけ。でも、ちょっとは体を動かさなきゃと歩いてナースステーションに行くと、「おっきしたのぉ」と赤ん坊に話しかけるように看護士が言う。ムカツク。絶対、私はここの看護士たちに遊ばれていると思う。食事の残ったものを食べさせられどさくさに紛れてまた薬を飲まされ、そしてまた眠りに誘われ。私はそのうちベッドと一体化してしまいます。映画「セブン」のあの人みたいに。骨と皮だけになってしまいます。やばいです。
2004年03月16日(火)  獣と眠る
気配を感じて薄く目を開けると、ふたつの光が私に覆いかぶさってこちらをじっと見つめていた。
「何時?」と聞いても光は答えず、ただ湿った光を震わせてこちらをじっと見ている。私もその光に応えようと大きく目を開け、その光をじっと見つめる。光は手足を持ちぎゅっと私の体を締め上げている。私を動けなくするように。月の光が、動かない私たちの影を映している。今日は満月かもしれないね。光にそう呟いてみるけれど耳を持たない動物のように微動だにしない。私は何度か瞬きを繰り返した。けれど光は瞬きさえせず濡れた瞳でこちらを見ている。

おやすみ、私はそう言うとまた眠りに支配されてそっと目を閉じた。
光は私の頬を照らしているだろう。


眠れずに何度か寝返りをうっていた。どんなに大きくベッドが揺れようとも隣に眠る彼は、起きることはないだろう。彼の眠りはとても深くとても冷んやりとしている。鼻を詰まらせているのか彼はずずっと音を立てる。私はそっと彼の耳たぶを噛んでみる。彼の鼻音は少しだけ止まった。いたずらな好奇心が私を刺激して、私は静かに彼の上に跨った。太ももで彼の体を締め付け、腕で彼の顔をはさみ、数ミリもなく私たちの唇は近づいた。彼の唇の向きに合わせて自分の顔を傾ける。ゆっくりと腰を揺らすと眠っている彼は溜息を漏らした。

部屋には私と彼の呼吸音だけが響く。
2004年03月15日(月)  冷たいキス
みぞれの降る日、私は傘を持たず、彼は傘を持ち、そこに現れた。
裸の木が寒々しく立つその公園で、私たちは密封されるかのように強く抱き合った。
違和感があるような錯覚がしたのは、どうしてだろう。

彼の口の中はとてもひんやりとしていたけれど、唇はとても柔らかく温かかった。
私は寒くて手をポケットにしまいこみ、彼の手は居場所を失くして不器用に空を彷徨った。
唇を離したとき、そこには羞恥心も後悔も喜びもなく、ただ一切の感情がない時間が流れるだけだった。


冷たいキスは長くも続かず、彼は腕時計で時間を確かめた。
私は寒くて、早く家に帰りたいと思った。
2004年03月14日(日)  この世で一番怖い人
私は異母兄からよくこう言われる。
「あいを本気で怒らせてしまったら最後だね。おまえが怒ればどんなに謝ってもどんなに撤回しても無理だもんね。おまえを敵に回したら二度とこちら側には戻ってこれないもんな」
別に、おかしな他意はないだろうと思う。ただ、兄が言いたいのは私が本気で怒ってしまったらもう二度とその人を許さないということ。ただ、私も心の狭い人間ではないと思っている。本気で怒ったことなどこれまでに数度しかないと思うし。それに、どちらかというと人を許して生きていたほうが幸せだろうと思っている。大抵ヒステリックに怒ったとしてもそれは翌朝になればすぐ忘れる程度のことだ。ただ、もう愛すべき点もなくなり考慮すべき点も見つからなくなって本当に見放したものは、二度と、二度と陽の目を見ることはない、ただそれだけのこと。私自身も自分のその頑なな態度をわかっているし、自分でも自分の怖さに気づくこともある。ダメだと見切りをつけたものはそれの一切を排除し割り切る。気づかない振りをするのではなくその人自身を私の外側に置き、一度としてその人に注目することもないということ。
他人からは好き嫌いが激しいと言われるけれど、こうと決めたら私は一切自分の意志は翻さないだけだ。だからこそ、愛する人は惜しみなく愛せるものだと思う。

そして、私自身が一番怖いものは、絶対的に“私自身”なのだ。


病室で。
久々の休日を彼は思う存分楽しんだようだ。手にはいろんなショップの袋が提げられている。
話しは自然と私たちの関係について及ぶ。まだ恋人ではないけれど友達と呼ぶには近すぎてとても曖昧にぶら下がってしまった関係を、彼はたびたび話題にする。

けれど、あなたは仕事以外の私を知らないでしょう?
これから知っていけばいいんじゃないの?
そうだけど、きっとガッカリすると思うよ。仕事以外の私に。
そんなことやってみないとわからないでしょ。
そうだけどさ。
そんなに僕のこと嫌いなの?
どうだろうね。

こんな深刻そうな会話を険しい顔をするわけでもなく臆面もなく出来るのは、お互いがお互いの曖昧さをわかっているからだと思う。私たちは、お互いのいろんな部分を許容しているからだと思う。それは自分たちにとっても居心地がいいから。
彼から電話がかかってくると私のほうから切る素振りも見せず彼の切りたいときまで電話は続き、会おうかといえば時間が許す限り私は応じている。いろんなことを質問されても私は遠慮することなく真実を話す。そういう状況が、彼にまだ脈はあると思わせるのか、まだそばに居てもいいんだろうと思わせるのか。そんな二人のだぶつきを作っているのは、まさに私自身の意志であることをふたりはとてもよくわかっている。そしてあとは私の決断だけが未来を決めるということもふたりはわかっている。よく、わかっているんだ。

どうして君にガッカリするの?
だって、仕事のときと今の私は違うでしょう。
そんなのは、知ってたよ。
そうかな。
そうだよ。
どんなふうに?
どうしてそれほどまでに君は僕がガッカリすることに拘るの? もう子供じゃあるまいし。
どうしてかなぁ。
考えすぎだよ。
だって、仕事をしながら恋愛するなんて疲れるもの。
仕事なんて関係ないでしょ。現にいま君は仕事を休んでるんだし。
私は、もっと姑息で陰湿で嫉妬ばかりして束縛ばかりしてしまうんだから。
へぇ。
そんなふうに思えなかったでしょ、今まで。
うぅん。
ジメジメしてるの、本当は。みんなが思っているよりずっと。
そうなんだ。
全然ダメなの。自分に自信がなくて迷ってばかりでダメなの。
知ってるよ。
ウソ。
知ってたよ。
なにを?
君は表で見せるほどのクールでもさばさばしているわけでもない。
ふむ。
いつも何かに悩んでいつもそれを考えている。
ふぅん。
そのくせ、君は頑固で自分の決めたことはぜったいに覆さない。
そうね。

君は君自身にいつも怯えてるんだよ。自分に自信がないのはまだ自分では見えない未知の自分が顔を出しては君はただオロオロして何もできないんだ。君は思っているほど自分を知らないからね。だから、僕が思っている事だってぜんぜんわかってない。

ひどい言いかた。
だって図星でしょ?


図星かどうかはわからないけれど、一理あると思った。
兄が言ったのは、私が誰かを敵に回したら、私が私自身をコントロールできなくなってもうその相手をどんなふうに許していいかわからなくなってしまうから、私を怖いと言っているのだと思った。

私は、もっと皆が思っているより、
もっと私が思っているより、
ずっとずっと厄介で恐ろしい人間なんだよ、きっとね。
2004年03月13日(土)  先へすすむ道
いま、私の目の前には、ひとつの手が差し出されている。
たとえば、それを私が握ったとすれば、
私は、ここから抜け出せるのだろうか。

その人は、私が先へ歩くための材料にしかならないのではないだろうか。
きっと私はその人の気持ちなど理解できないだろうし、
その人の気持ちには応えられないかもしれない。
だから、きっとうまくはいかないだろう。

どうしようもなく心細くて、真っ暗な病室に居ると、その差し出された手のひらを今にも握ってしまいそうで、けれどそれは、相手を特定するわけではなく、きっと誰の手でも差し出されたものなら、何だっていいのかもしれない。


だから、きっと私は誰も幸せにすることなんて、出来ないだろう。
2004年03月12日(金)  あなたには無理
あなたに私は無理だと思うの。
あなたのシャツは糸くずひとつついてなくて、皺だってどこにもない。靴はいつも磨かれていて剃り残しの髭なんてまったくない。だからきっとあなたの心は乱れることを知らないんだと思う。もしかしたら乱れを隠すのに長けているのかもしれないね。
けれど私には、とてもリラックスしたその姿がいつも無理をしているような錯覚を起こさせるの。笑った顔が意図したもののような気がしてしまうの。
だから、そんなあなたに私はきっと手に負えないと思う。
それにきっと私にはあなたが手に余ってしまうかもしれない。

高飛車になっているわけではないの。
ただ、いつかはお互い傷つくような気がする。
すでに私たちはすれ違っているしかみ合っていないんじゃないかな。
どこかちぐはぐな歯車が、一生懸命回ろうとしているけれどきっといつかどちらかの体が欠けてしまうような気がしてしょうがないの。

私だって、あなたといるときはいつも緊張してしまう。どこか防波堤を作って構えてしまう。あなたの一挙手一投足に神経を注いでは観察している。それがひどく私を疲れさせる。こんな期間は恋人になる前の胸が高鳴る時期なのかもしれないけど、これは少し種類が違うような気がする。一瞬のうちで恋に落ちてしまうのが愛情のような気がする。長く時間をおいてお互いを見定めるなんて、私はきっとそうやってあなたを見つめているうちに疲れきってしまうような気がする。最初の瞬間でだめなら、私たちはもうそこから先には進めないような気がして仕方ない。


あなたは乱れたことがある?
汚い欲求を剥き出しにしたことがある?
格好悪いところを人に見せたことがある?
今のあなたが本当のあなたであれば私はこれ以上あなたに惹かれることはないと思う。
だから、もうちょっといろんな話しをしようか。
スーツを着ることもなく仕事の書類を広げることもなく、病室の黒いソファーの上でいろんな話しをしてみようか。私が退院するまでやってみてそれでもだめだったらもうやめよう。
2004年03月11日(木)  流れる血
病院の下りエスカレーターの左側には、老人がびっしりと整列して立っていた。私はその脇を歩いて外来にある自動販売機までジュースを買いに行こうとしていた。
今日は暖かい。膝丈のジャージで過ごしてもぜんぜん寒くない。もうすぐ春なんだな。
と、思っていると履いていたスリッパが突然エスカレーターにとられて、私は左足を動かせなくなってしまった。あ、と思った瞬間左足を前に進めようとすぐに身をかがめるけれど、どうにも体のバランスを保てなくなり、私は膝で階段を2、3段ほど滑り落ちた。手をついたところは足をとられているところよりも低い。状態は四つんばいになって腰を持ち上げている感じ。ここから下までまっさかさまに落ちてしまうかと思ったけれど、辛うじてそれは膝で食い止めた。横に立っていた老人が、「あらあらあら」と気の抜けた声を出して、「あら、大丈夫。エスカレーターを歩いてるからよ」なんて言う。
大丈夫もなにも左膝がすごく痛い。折り曲げたところから真っ直ぐに伸ばすことが出来ないし、それにこの狭いエスカレーターで座り込んでしまうとどうにも立ち上がりにくい。恥ずかしいと思うより痛い。本当に痛い。下まで到達するまでには立ち上がらないと、今度はあの下段の巻き込みに挟まれてしまう。ぎりぎりのところで身を縮めてやっとの思いで立ち上がると、左のすねが血まみれになっていた。
「あらあらあら」「まぁ!」「大丈夫かい」
という幾人もの老人達が私を取り囲んで悲鳴を上げたり気の抜けた声をあげている。
私は苦笑いと照れ笑いを繰り返しながら、踵を返して自分の病室に帰る。逃げるように。

25歳にもなって足から血を出しながら廊下を歩くと、そりゃ誰もが振り返るし誰もが立ち止まる。私は足を引きずってようやく帰ってきた。ナースステーションに知っている看護士を見つけると、「ねぇ、血が出ちゃった」と言って足を見せた。「やだぁ」「きゃぁ」「だ、大丈夫?!」と看護士さえも唸らせるほどの流血。足首まで行く筋も血の流れた跡が出来ている。

あなたは血の気の多い人かしらね、と笑いながら看護士が私の左すねを消毒している。
主治医がそばを通りかかって事情を聞くと、エスカレーターでつまずくなんて子供かよ、と笑う。けれどそれを看護士が嗜めて、からかってる場合じゃないですよ、あそこでまっさかさまに落ちていたら頭を打ってたかもしれないのに、と言った。だから、看護士さえも驚かせる怪我の程だったわけである。

血はまだ治まらず、消毒と滲んで今にも溢れそうになっている。左足を横から眺めてみると傷の部分が少しえぐれていている。傷はすねを猫に引っかかれたように7本の斜めの筋3本の小さな筋が出来ている。打ち身が酷くて歩くのもままならない。子供の頃はよく何もないところで派手に転んではよく膝を怪我していた。消毒なんて何百回としただろう。私の膝はその傷跡がまだ残っているものもある。それ以来、転んで出来た傷はとても生々しくて、ほら今また血が流れてきた。
病室に戻って興味深く足を眺める。えぐれた私の皮膚は、一体どこにいったんだろうって。

この傷は、私のものだ。
たとえば、遠い異次元の世界。
歯車がどこかで変わったとして、私という存在が別の次元でも生きていると考えよう。
たとえば、入院をすることなく仕事をしている私。
昔の恋人と結婚して海外で暮らしている私。
それとも、東京ではなくまったく他の場所に住んでいる私。
どの私も、きっと今ごろ膝から血を流しているだろう。
仕事をしていた私はきっと駅のエスカレーターで人の大勢いる前で転んでいたかもしれないし、結婚した私は、きっと海の向こうは明け方の時間だから寝ぼけた頭で部屋で転び、夫に介抱してもらっているかもしれない。どの場所にいてどんなことをしていたとしても、私という人間であればいまこの時間に転んで膝から血を流しているのではないかと想像した。

だから、その人に背負わされている運命や宿命からはどんな選択をして他の人生を選んだとしても逃れられないのかもしれない。だから、大丈夫。どんなに大きな決断が目の前に突きつけられて迷ったとしても、そんなに運命は大きく変わらない。どちらを選んだとしても根本的なことは何も変わらない。そう思えば今を焦って過ごすことはナンセンスに思えてくる。大丈夫、私は私という人生をロスせずちゃんと歩いているんだって。

海の向こうの暗い部屋で、消毒で足を拭きながら座り込んでいる私が見える気がする。
だから、大丈夫。海の向こうに住もうが入院してようが変わらず仕事をしていようが、どちらもそれなりに幸せだしそれなりに辛いこともある。

大丈夫、だからそんなに迷わなくてもきっと大丈夫。
そう思うとなぜだか少し眠れる気がした。
2004年03月10日(水)  拘束生活
再び入院。
病室で如何に面白く過ごすかということが、今後の最大のテーマである。ふむ。
DVDはとにかくたくさん買ったし、CDはとにかく買いまくって借りまくった。

今回も個室です。
1週間前に使っていた部屋ではないけど同じ病棟なので、看護士は特に変わらずに私を担当してくれるそうで。もちろん主治医も変わらない。5年来のお付き合いですわね。そろそろ代わってもいい頃なんじゃ、と思いたいけどそこはぐっと我慢して。

まず、病院のこと。

1. 起床 6時。
馬鹿みたいに早いの。なんでこんな時間に起きなきゃいけないんだよ、と思うので私はいくら起こされようがぜったいに起きません。子供みたいに意地はるなと言われても朝の私は機嫌が悪いのですから。
2. 消灯 21時。
これも馬鹿みたいに早いの。消灯の時間になるとなんか音楽が流れるの。あれって睡眠を促す音楽なんだって。だから、私はその時間には耳を塞ぐかヘッドフォンをして過ごすことにしています。マインドコントロールをかける気ですよ、この病院は。
3. 食事 7時半 昼12時 夜18時半。
ムカツクくらい規則正しすぎる食事。しかも美味しくない。エサか、と思うくらい質素。運動もあまりしないのでおなかもすかないし。
4.  面会時間 平日13時から17時  休日13時から19時
喫煙・飲食・携帯電話使用はだめです。異母兄なんかお菓子とか一杯買ってきてるけどな。


むかつくでしょう。むかつくでしょう。
嫌だなぁ、とても規則正しい生活の強要。本気で看護士なんかはたたき起こしに来ますから。毎朝、格闘ですよ。一旦起きる振りして寝ます。だって目が開かないんだもの。夜にテレビなんか見てたら大変ですよ。かたっと音がしただけでビクッとしてしまいます。怒られるんじゃないかって。テレビを見てもいいんだけどあまり夜遅くまで起きてると、見回りの時間がきつくなってくるんです。牢屋のようでステキな場所です。

そんで最近、私はアボガドとあまぐりとクレームブリュレにはまっています。
一日、いっこどれかは食べています。アボガドは生でかじりつくしあまぐりはやっぱりレトルトパウチに入ってるウェットなのがおいしい。クレームブリュレはカリカリしたところが大好き!
兄は、どれかひとつ選んで差し入れてくれます。袋を提げてナースステーションの前を通るそうですが、もう誰も注意しません。看護士からしたら、本当に腹の立つ患者でしょうけど、反省するわけもなく怯むことなく、ワガママ言い放題です。兄ちゃんありがとう。

なので、お見舞いに来てくれる人は必ず上記のものをもっていらっしゃることをお勧めします。
2004年03月09日(火)  春。
あたらしい口紅。
スリッドの深いスカート。
ぺたんこ靴。
短くした髪の毛。
鎖骨。顎のライン。
かさついた手の甲。
素足。
桃色の絨毯。
散る。
冷たい雨。
賑わう人々。
余韻と残り香。
殺風景。
欲情した猫。
青白い街灯。
濡れた坂道。
ひるがえるコート。
年上の男性。
ドライブ。
橋と海。
多摩川。
夕陽。
サンシャインビル。
風俗の呼びこみ。
ポケットティッシュ。
友だち。
お酒。
強い陽射し。
視線。
怒鳴り声。
火事。
笑い声。
リクルートスーツ
ランドセル。
タバコの煙。
出会いと別れ。


春は知らないうちにもうすぐそばまで。
2004年03月08日(月)  午前3時に思うこと
目が覚めて、というよりも眠れずに起き上がり、暗い部屋のソファーに腰掛けて思うことは、私は一体どうなってしまったんだろうということ。

胸の奥からこみ上げてくる切迫感のようなものが絶えず動悸を速めて、何かが背中から襲ってくるような何かに追われているような、強迫観念が私の胸のうちを覆う。

友だちに「入院するの」と言うと、「嘘でしょう」と笑った。私が病人になることなど彼女には想像も出来ず、私が恐怖に苛まれていることなど彼女には解らず、あなたらしくもないと言って笑った。
先日、食事をした彼が「いよいよ入院か」と言った。私が「そうだよ」と答えると、彼は黙々と食べものを口に運んだ。
異母兄が入院の準備は出来たかと、毎晩のように電話をかけてくる。その声はどこか事務的に、そしてどこかやるせないような、疲れきっているような、そんな声で毎晩私に電話をする。

生きることに休憩は必要なのだろうか。
そんなものは、あと何十年後かにたっぷりと楽しめるのに、どうして今、どうして今の私が、ゆっくり休む時間が必要なのだろうか。なぜ私だけが、どうして私が、こんな目に合わなければいけないのだろうか。
周りの病室の患者から見ると、私の入院期間など比べようもならないくらい短いかもしれない。
けれど、今の私にとっては、一日とて惜しいと思う。人生の時間はその時どきによって速さは違ってくるものではないか。だったら今の私にとっては、毎日毎日がとても大切な意味を持っているはずなのに。
仕事を休むこと。
好きなことが出来ないこと。
なぜ私だけが、それを制限されてしまうのだろう。

一日一日が惜しく思う。
今の私にとって出来るはずのもの、今の私にとって見るはずのもの、感じるはずのもの、それがすべて狂わされたような気がするのは、私の思い込みすぎなのだろうか。
思考はとまらず、すぐ先の未来を探ろうと、いつまでもいつまでも巡り続ける。

心臓が弾けそうなほど、鼓動が高鳴り、胸がとても痛んだ。
2004年03月07日(日)  私 愛する あなた
電気を消して真っ暗なベッドの中で、携帯を開くと、新着メールが一件届いている。

「我愛イ尓」
愛の告白が書かれてあった。

Wo ai ni.wo ai ni.
呪文のような言葉だと思った。
2004年03月06日(土)  典型的
たいてい、私は我がままで頑固です。

初対面の方に一発で、「一人っ子でしょう?」か、「お兄さんいるでしょう?」などと、言われてしまうほどです。というか、初対面の人に我侭振りを発揮しているわけでなく、調子に乗ってくるとだんだんと我侭が出てくるので、『うちべんけい×ひとりっこ』みたいな感じなのですよくわからないいいですけど。

まあ、とにかく典型的一人っ子だと、自分でも大人になってから気づきました異母兄は居ますけど。
その上、頑固。
NOと言えば、絶対に覆さない。どちらかというと、自分から人にアドバイスを乞わないし人の言うことなんてあまり聞いていない。自分中心、世界は私のために。自分がしたいことをする。

で、患者と言う立場になっても、それは大いに発揮されるわけであります。

「点滴しましょうね」
いやです。腕の皮膚がもう痛くて仕方ないし、気分が悪くなるから。だいたい点滴して症状が軽くなってないじゃないの。もう少し別のやり方ないのかしら?
「お薬飲む時間ですよ」
そのうち、飲むからそこに置いといてください。
「ご飯の時間ですよ」
ああ、そうですか。まだ、お腹すいてないから食べない。

点滴も許さない、薬も定期的には飲まないし、ご飯だって興味がないなら一切食べない。看護士たちは、薬を飲ませようと躍起になるし、ご飯を食べないならスプーンを私の口元まで運ぶし、点滴しないなら医者を呼びつける。
体温を測っておけと言われても面倒くさいし、早く起きろとうるさい。

指図されるのが一番嫌い。
それは、自分のペースを乱されるのが嫌いとも言える。


自分は自分のために。
自分の思うように叶えたい。
自分の好きなことを優先して。

こんなことを平気で人に言えるのは、典型的ひとりっこなんだよって、誰かが言ってた。
2004年03月05日(金)  プリズム
夜中にしくしくと泣く私がいれば、
ヒドイ言葉をはいて容易く人を傷つける私もいる。

じめじめと陰湿な私もいれば、
ドライでクールな私がいる。

悶々と考え優柔不断な私がいれば、
合理的で結果主義の私がいる。

人の言葉の裏をかいて何もない腹を探ろうとする私がいれば、
何気ない人の言葉で単純に舞い上がる私もいる。


シャワーを浴びているとき
昨晩は左手から洗ったのに、
今晩は左足から洗う。
たったそれだけのことでも、真逆な意味を持つ私は、
それでもすべてが私の要素だと言えるだろう。


それらに翻弄されず許容できたらどんなに幸せだろう。
相反した要素がお互いに反射しあい、刺激しあって、
プリズムが美しく輝くように、生きていけたら楽しいだろうなと思う。

そんな風に思えたのはあなたのおかげです。
2004年03月04日(木)  完結
私にはずるい部分があって、嫌なことがあったらそれをすべて自分のせいにすることによって納得して嫌な気持ちを風化させる。

まだ、終わった恋の理由を探していた。自分の罪がわからなかったから。僕が全て悪かったんだと言う相手に私はずっと納得できずにいた。ぜったいそんなはずはないと信じていた。きっと彼は何かをたくさん隠しているような気がした。私に何一つ悪いところがなければどうして別れなければいけなかったのか、理解できずにいたから。

彼が、最後まで私を知らなかった部分は、そういうところにあると思う。
私は、私のせいにしてくれたほうがずっともっと早く別れていられたと思うのに。
そして、私も彼が本当のことを言えずにいたことをずっと知らずにいたことにもなる。
彼は、真実を口にすることで自分自身への罪悪感を感じていたのに、私はそれをわざわざ暴いた。ただ自分が納得するために。

真実を口にしたことで彼が傷ついたかどうか、彼の心が軽くなったかどうかはわからない。ただ、私の心は納得して消化した。胸元で疼いていたものがすっと消えてなくなった。


そう、すべては私の罪である。私の膨れ上がった欲望のせいである。
この恋を終わらせたのは、他でもなく自分自身だったのである。
愛しているという言葉も今となっては偽りの言葉になった。私はそう信じている。
そう信じることで深い湖の底で沈んでいた自分自身を救う。
湖面に浮かび出た私の顔は、何事もなかったように無表情ですぐさま外に出るとすたすたと歩いていく。

そんな恋の完結。
2004年03月03日(水)  上書き
夢の中で私は、誰かに向かって叫んでいた。その相手に何かを伝えたかったけれど、たぶんきっとその人までの距離は遠くて、私の声は届いてないだろう。
もう一度眠ることも出来なくてベッドから出て時計を確かめると、時刻は午前三時。

見てしまった。見てはいけないものを見てしまった。
そのことを起きぬけの頭で思い出した。
別れた恋人とそしてその彼の今の恋人を、見てしまった。

彼はきっと、以前私を恋しいと思ったようにその彼女のことを恋しく思い、愛しいと思ったようにその彼女を愛しく思っているのだろう。嫉妬心を通り越して自分の価値を見失いそうになった。彼の気持ちは、私のことを考えた同じ心で別の女性のことを考えているんだろうなって思ったら、そんな風に思えた。記憶は上書きされて、思いは上塗りされてしまうものなんだろうなって。


午前三時に、電話をかけた。
電話の相手は、もう眠ってしまっているだろうか。
3回コールがなって出なければ切ろうと思った。
2回のコールで、相手は電話を取った。


彼は、まだ会社にいたようで、周りには誰も居ないのか、いつもより今日は声を潜めて話はしない。
はた迷惑な、そして思い切り高飛車なワガママを、私は彼に言った。
彼は笑って受け流した。
無理だってば。無理だよ。出来ないよ。そんなワガママ言わないで。明日にしよう。もうこんな時間なんだからって。
けれど、私もそれを聞き流した。
今じゃないとダメなの。今じゃないと意味がないの。出来ないんだったら、もういい、って。
けれど彼は、慌てる風でもなく、一体どうしたの?って優しい声を出してたずねる。
今じゃなきゃ嫌なのって。私は彼の質問にも答えず、子供のようにずっとそればっかり。

一体どうしちゃったんだろうって。一体何があったんだろうって。
彼は、ずっとずっとそう思っていただろうけれど、けれど結局、彼は午前4時に私の言うとおりに、そうした。

午前4時。
別れた恋人は、新しい恋人と一緒に眠り、そして私は恋人でもない男性と一緒に眠る。
取り返しのつかないことなんて、多分私が、別れた恋人と出会った頃からずっと起き続けているんだろうと思う。誰かに非難されたとしても別にどうでもよくって、後になってこんなことしなければ良かったなんて、後悔することなんか絶対ないと思えた。だって、もう私たちは子供じゃないんだから。子供のするようなことをして子供じゃないと思った。とても可笑しな話だけれど。こうやって、今までもやってきたんだから、だから、今だってこうやってやっていくの。


だから大丈夫。
そのうち、記憶は上書きされて、気持ちは上塗りされていくんだから、きっときっと嫌なことはぜんぶ忘れられる。
2004年03月02日(火)  私が彼女を好きな理由
私が彼女を好きな理由。
そうだね、それは私と違うところがあるからかもしれない。

会社の同僚である彼女は、私より年齢はひとつ下だけど、中途採用で入社した私よりは社歴は1年多い。と言っても、社会人歴2年と3年じゃ、どんぐりの背比べだとは思うけれど。


私が思う彼女は、
優先順位をつけるのが下手で、何をするにもスローで時間がかかり、周りの人に気を使ってばかりで人の意見に流されてしまうのに、けれどその半面プライドも高く、毅然とした態度をとるときもある。とまあ、散々なことを書いているけれど、彼女のイメージは本当にそれそのものだと思う。
彼女と一緒に仕事をする機会が多く、たまに私は苛々させられ、議論になることもしばしばだけれど、本当に自分の反対側にいる彼女は、私にとってとても興味深い人物になった。

仕事以外でも、よく帰り際に食事に行ったり飲みに行ったりすることも多い。
私は、どちらかと言うとビジネスライク的な関係のほうがらくだと思うので、同僚と仕事以外で一緒にいるのは苦手だし、周りから見て仲良くしているクライアントがいたとしても、本当のところはそんなことも好きではなかった。そんなときは無理をしているというか、おどけていたりする。だから、仕事上では人間関係を新たに作ろうという気持ちになれない。


彼女は、こつこつと仕事をする。私は面倒くさがりなので大雑把に大胆にやってしまって、残った細かい仕事は一気にまとめてしまうことが多い。彼女は無邪気だし純粋で、たとえば恋愛の始まりなどでは、相手の一挙手一投足に敏感に反応して泣いたり喜んだりしている。私は、気分にむらがあるので、どちらかというと相手を泣かしたり喜ばせたりしている。

彼女と、いちど上司の話をしたことがある。
私は、上司は上司でも同じ人間ではあると思うので、たとえどんなに経験があり功績をあげた人であっても、失敗はあって間違うこともあると思っている。だからこそ意見の交換が必要で、それに私の意見を正しくジャッジしてくれる人こそが上司なのだと思っている。その考えはどうして正しくないのか、説明してくれるのが上手い上司のやり方だと思う。けれど彼女にとって上司は、絶対的な存在で、上司の言うことがすべて正しく異見をすることが許されず。彼女がどんなに自信を持って懸命にやった仕事でも、上司に指摘されれば自分の主張をすることなく、すぐに方向転換しなければいけないことだと言う。

このとき、本当に自分と彼女との違いを実感した。

けれど、私と彼女が違うからこそ、私は彼女が好きなんだと思う出来事があった。
彼女とともに仕事をしたとき、あるコンペで私たちはコンペ落ちをしてしまった。ふたりで一生懸命やった仕事だったし、コンペ落ちした理由が納得できるものではなく、もしかしたらコンペは形だけで既にどこの会社と契約するかは、明確になっていたのではないかと上司も言っていた。角が立たないようにととりあえずなコンペだったんじゃないかと。
私は、散々と文句を言い、悔しがった。
けれど、彼女は苦笑いを浮かべても、一度も愚痴も弱音もはかなかった。
仕方ないですよ、私たちだって完璧とは言えなかったんですから。
そのとき、私ははっと我に返って彼女の言葉に頷いた。

その後、彼女をずっと見てきたが、一度だって愚痴も弱音も言い訳も言わなかった。たぶん、これまでも言ってなかったような気がする。我慢強いというわけでも内省的というわけでもなく、彼女はどんな理由があるのかは知らないが、悔しがることはあるにせよ決して驕ることはなかった。

私は、そんな人を見たことがなかったし、そんな人と距離を近くして居たこともなかった。
とても新鮮だったし、とても驚いたし興味深かった。


そこが、私が彼女を好きな理由。
自信をもってはっきりとそう言える部分だ。
2004年03月01日(月)  一時のさようなら
娑婆に出て三日目。
空気が美味しい。光化学スモッグの空気が。

昼前にのそのそと出勤。久しぶりの電車に乗ったら、少し動悸がしてしまって、落ち着け落ち着けと唱えてみる。

まる2週間、お休みをしてしまった、仕事。結局、いま進行中の仕事はすべて上司にやってもらった。けれど、今後はあと数日間は休まなければいけなくなってしまったので、今日は業務引継ぎのために数時間だけでも会社に出て行くことになった。といっても、昨夜、明け方くらいまで詳しい仕事の流れややり方をマニュアル化してある。すでに上司宛にメールしておいたので、会社では細々とした内容を伝えるだけ。

久しぶりの会社に、少し緊張したりする。

仕事というのは、私にとって重要不可欠なものだ。
私を形成するひとつの要素だと思う。それはきっと他の誰だって同じだと思うけど。
だから私は、仕事をする上で、自分のバランスをとってきたと思う。
仕事があって友達と遊ぶ。恋愛をして仕事をする。
私をつくる、どの要素にも偏らないように、仕事というものは私自身を程よく中和させてきた。
もちろん、逆のことも言えて、仕事だけに偏らないように友だちと遊んだり、プールに足繁く通って気分転換をする。とにかく、仕事は私にとってぜったいに欠かせないもののうちのひとつ。

そのひとつが、今失われてしまったら、一体私はどうなるんだろうって、最近はそればかりに怯えている。私の細胞がひとつ壊れてしまうことに、全体のアンバランスさを認めないわけにはいかない。多分きっと、私は左へ左へと傾いている。三半規管を失った人みたいに。船は座礁して飛行機は車輪も出さずに着陸に失敗するみたいに。

特に、営業という私の仕事は、体力よりも精神力が必要になる仕事だろうと思う。センスも必要だろうし洞察力や決断力も必要になるだろう。そんな仕事を今の君にこなせるのかい、と主治医は何度も私に話した。私は、仕事を休むことこそが私のバランスを失うことだと懸命に説明したけれど、結局それは聞き入れてはもらえなかった。
だから、今日から休職する。
これまでにない複雑さを見せる私の生活の中で、唯一変わらなかったのは、仕事だけだった。ここ数ヶ月どれだけ真剣に仕事をしてきただろう。仕事しかない人生という形容詞を使えば、それは淋しい人間のように聞こえるかもしれないけど、着実に誠実に相対すればするほど、応えてくれるのは、たぶん仕事だけだったかもしれない。
それを私は、明日から失う。

一体、誰のせい?
そう思った。
どうして私だけこんなふうにならなければいけないのかと強く思った。
一体、誰のせいで私は仕事を休まなければいけないのだろうと思った。
周りのみんなは、何にも阻まれることなく仕事が出来ているというのに、どうして私だけこんな目にあわなくてはいけないんだろうと思った。
仕事は私にとってとても楽しくて興味の尽きないものだった。集中しなければ出来ないことだし、時間がかかって手間がかかることであっても、跳ね返ってきた結果はこの上ない喜びだから。たくさんの人と会って、いろんな性質の人や思考を持った人と出会うことが出来て、私はきっと同年代の人間よりも少し世間を知っているという自負もあった。これ以上面白い仕事なんてないだろうなとさえ、思った。
これだけ面白いと思いながら仕事をしていた私が、どうして休まなければいけないのか、不思議で仕方なかった。仕事が嫌で辞めていく人さえいるのに。


一時のさようなら。
まずは、一ヶ月間の別れ。
私は、同僚の営業マンが会社に帰ってくる前に、そこを後にした。
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