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2004年02月29日(日)  一時退院
はい、こんばんは。
一時退院で自宅に戻ってきました。一週間ぶりの我が家です。

いやあ、過酷な入院生活でした。
看護されるというのは、ある意味プライバシー侵害ではないかという疑問が毎日毎日頭をもたげてしまいました。だいたい、看護士とか医師とかっていうのはノックはすれど部屋にどやどや入ってくる。まあ、私が眠っているあいだなんかは、何をされるかわからないわけ。とにかく人が自由に入れる空間に自分の身をおくということが、まず私には信じがたいことでした。
あとは、規則正しすぎる生活。なんですか?うんざりしましたよ、私は。なんで決まった時間にご飯を食べなきゃいけないのさ。なんで9時になったら電気が消えるのさ。なんでいちいち時間通りに生活しなきゃなんないのさ。自由にして欲しい。拷問でした、私にとっては。
集団生活に向いていないというよりも、他人の干渉がすぐそばまでやってきているという思いと、患者意識がまったくないというか、なんで入院しなきゃなんないのか、未だに理解できないままでいるわけです。たちの悪い患者でしょうけど、も。

で、それでも入院生活の中で私に一番の変化をもたらせたのは、禁煙。
最初はねぇ、看護士の目を盗んでは喫煙室に行っていましたよ。点滴を引っ張りながら。でも遠いんです。そこまで行くのが。やたら歩くし、何度もエレベーターに乗らなきゃいけないしで、顔を知ってる人に出会ってしまったらかなり怒られるだろうなと思いビクビクしながらタバコを吸ってるわけです。そのうち、そこまでしてタバコを吸いたいのか?という疑念が勝ち、禁煙してしまいました。禁煙というよりも、あそこまで行くのが面倒くさいという気持ちが勝っただけですけどね。けれど、何にしたってすごい。約一週間タバコを吸わずじまいでした。

そしてめでたく、一時退院。
一時なわけですから、また戻ります。猶予は一週間。
今週からは、やたらめったら忙しくなります。明日は、会社に行ってとりあえず進行中の仕事だけ人に預けてきます。そんでもって明後日からは、東京を離れて、別の病院に行ってきます。セカンドオピニオンっていうやつを受けてくるわけです。別の病院の別の医師に、とりあえず今の治療方法でよいのかどうか、他の方法があれば提示してもらうようなアドバイスを仰ぎにいくわけです。
わざわざ東京から飛行機に乗って、馬鹿みたいに電車を乗り継いで、馬鹿みたいにえらく遠い場所まで行くわけです。紹介状を握り締めて名医と言われる人のところに行くんだそうです。そこまでして行く価値はあるのかどうか、未だ納得いきませんが。私の主治医が行ってこいとうるさいので行きます。本当に彼はやかましい。

しかしながら、明後日から行く場所は、私にとって初めて行く場所。なんだか心が浮かれますね。初めてのおつかいみたいな、ぶらり一人旅みたいな。帰りの日程はまったく決めていないので、いいところだったらゆっくりしてきましょう。経済的に許される限り。



そこで皆さんに、お願いがあります。
来週からの入院生活、廃人になってしまうかと思うほど、暇なわけです。
オススメDVD、もしくはオススメCDを教えてください。DVDプレイヤーを持っているわけではなくパソコンで見るので、ちょっと見れるかどうかはあまりにも不安ですが。
最近は、「水曜どうでしょう」を借りて、バッカみたいに見ています。
なので、映画等々限らずドラマでもバラエティーでもなんでもOKです。
楽しいやつを。

それでは、どうぞ宜しく。
2004年02月28日(土)  指輪にまつわるお話 2
そして、今日。待ちに待った指輪を受け取りにいく。

久しぶりの外出。東京ってこんなに人が多かったかな。東京ってなんてごみごみしているんだろう。ああけれど、なんだか気持ちが浮かれるなぁ、だってだって、今日は指輪をもらいにいくんだもの。
さて、昨日の彼と連れ立って、デパートへ。さっそくお店に入って引き換え書を渡すと、お姉さんはにっこり笑って、「お待ちしておりました」と言うとお店の奥に消えていった。
わくわく、どきどき。

青いケースに入れられた指輪は、買った日に見たよりも増してきらきらしている。サイズの確認に指に入れてみてくださいと言われて、どきどきしながら指輪を右手の薬指に通してみる。お姉さんが鏡を持ってきて、それに映すと本当にキラキラしていてきれいだった。鏡の中に映っていた彼も指輪を見てニコニコしている。ショーケースに入っているほかの指輪と比べると、とても小さな輝きだけれど、私は本当に満足した。

こちらでよろしかったですねと聞かれて、はい、大丈夫ですと、指輪を返すとお姉さんは早速指輪をラッピングしてくれた。

すると、別のお姉さんが指輪の入ったケースを持って、奥の部屋から出てきて、私たちの前の椅子に座った。私は一瞬、何の用かと疑問に思っていると、手にしていた別の指輪を置いて、「こちらも確認していただけますでしょうか」と言った。え?と言葉に詰まった私は、けれど「それは買っていませんけど」と言いそうになったとき、お姉さんは、「こちら様からのプレゼントです」と言う。驚いて、お姉さんの手をさしだした方向にいた彼を見上げると、彼は先ほどよりももっとニコニコしている。

あ、と思った瞬間、あれよあれよという間に、お姉さんは私に指輪を試すように促し、彼は満足そうに笑顔を浮かべ、そしてそれを素早くラッピングすると、私の手に持つ手提げ袋には、二つの指輪のケースが納まった。


男の人は、こういう演出がダイスキなんだな、と思った。
彼が買った指輪は、あの日一緒に指輪を見たときに、重ね付けしたほうがもっときれいですよと、店員に言われていた指輪。けれど、私はそこまで豪華なものは欲しくなかったし、だいたいお金もなかったので、このシンプルな指輪で充分だと思っていた。その後、彼は私と別れた後、もう一度お店に入りもうひとつの指輪を購入した。さっきの指輪と同じサイズにして下さいと言って。
指輪が出来上がって、私がひとりで取りに行く場合は、お店の人が事情を説明して渡すつもりだったし、一緒に行ける機会があれば驚く君の顔が見れると思って楽しみにしていたという。そしてもし、昨日、私が取りにいけず彼がひとりで受け取りに行く場合は、病室で驚かせる予定だった。でも結局両方の指輪は受け取れなかったので、私が買った指輪と一緒に置いといてもらったんだと、彼はそう説明した。

喜ぶべきか、正直に困惑の表情を浮かべるべきか、私はとても複雑だった。
この人って、鈍感で強引だし、単純でストレートなロマンティストだと思った。
やはり、喜ぶべきだと思った。彼がそう望んでいるのだから、喜んで見せてあげなければと思った。驚いた顔をして、けれど笑顔を見せてあげなければと思った。本当は、慌てていたし困惑していたけれど。

ありがとうと言って、私は早速指につけてみた。ふたつ一緒に。

けれど、これを貰ったら、私はこの人と付き合わなきゃいけないってことかしら?とか、なにか代償を支払わなければいけないのかしら?とか、なんだかそういう計算高い?ことばかり考えてしまって、どうしようどうしようと、どうにも薬指が落ち着かない。
彼に貰った指輪は、シンプルだけれど細かい石がぎっしりと並んでいて、私が買ったものよりも強い輝きを放っている。

これからどうなってしまうんだろう。私は彼からの指輪を貰わざる得なかったし、彼はとても喜んでいる。ただの友人の女性に指輪を送るなんてどう考えても不自然だし、それに目を背け続けることも難しくなってきた。さて、どうしようかどうしようかと、私はただおろおろするばかりだけれど、これが事実なんだ。私はいなくなった恋人を思い返して毎晩泣いているのに、けれど昼間は他の男性と微笑み合いながら指輪をプレゼントされる。何かを言い訳にして自分を納得させようと必死に取り繕っている。これが事実。隠すことも目を背けることも出来ない事実。

そして、本音はこの目の前の流れになすがままに飲み込まれてしまったとしても、それはそれで致しかたないことだと思っている。断りきれなかったという自分自身への言い訳が、どんどん募ってくる。目の前の流れはとても早くてとても力強くて、とても情熱的だろう。


いなくなってしまった恋人は、どこか遠くへ消えていってしまった。それに対して私はいつまでも拘り続けていたかった。けれど、運良くなのか運悪くなのか、次の恋愛は終わった恋の余韻を間延びさせることもなくどんどん迫ってくる。それはもしかしたら、私と彼らがそういう巡り合わせなのかもしれないし、そういう運命を私が持ち合わせているのかもしれない。
「ずっと忘れられない恋」が終わったら、「終わった恋を忘れるための恋」がやってきて、そしてまた「ずっと忘れられない恋」をして、「終わった恋を忘れるための恋」がやってくる。そのサイクルを私は死ぬまで続けては、誰かを傷つけたり自分が苦しむことになるのかもしれない。

けれどそれはどうしようもないことだもの、と自分に言い聞かせ、逃げ場所を確保しておく。私はこれからもずっとそんなことを繰り返していくのだと思う。


このことで、ひとつ学んだことは、やたらに男性と一緒に宝石を見に行かないということ。
そしてこのことでわかったことは、確実に彼はこの一線から一歩こちらに踏み出し、今の私には彼を遮る言葉など言えなくなってしまったということ。
2004年02月27日(金)  指輪にまつわるお話
25歳になったので、もう逃げようもない大人なので、「本物」を身に付けなければいけないかなと、たとえば宝石とかね、持ち物とかね。私はいつも右手の薬指に細いシルバーの指輪をしているのだけど、これ、学生のときに買ったやつ。たかだか1万もしなかったような気がする。ジュエリー屋さんで買ったと言うより、雑貨屋で買ったような安物なので、よし、指輪を買おう。本物の石がついた、ダイヤモンドなんか買おうかしら。小さくてもいいから、石がついた指輪が欲しいな。そんな指輪がないわけではないけど、自分で買ったという、なんだかそういう確信が欲しい。自分が25歳を迎えたという証に。

で、某日。
ある結婚式に出席していたその日、ある男性とお茶をしていた。その近所に立派なデパートがあるので、ふたりでぶらっと寄ってみた。で、宝石屋さん。ちょっとのぞいてみると、あ、いいな、これいいな、一目である指輪を気に入ってしまった。
お店のお姉さんが、いわば無理やりに私にお試しになりますかと言いながら、取り出す。小さい石がついた細い指輪。アームが少しカーブがかってキラキラしている。「プラチナ・ダイヤモンドリングでございます。」うーん、本物。薬指に付けてみたり外してみたり。他のものもお試しになりますか、と聞かれたけれど、いやなんか直感がこれを買えといっている。そのお値段2万8千円。
買えないでもない、買えないでもない。よし、買おう。銀行カードで一括引き落とし。思い切った買い物をしました。
その後も、お店のお姉さんが「他の指輪を重ね付けすると、さらにキレイですよ」なんて、二つ目の指輪を買わせようかと張り切っている。一緒にいた男性も、「へぇ、指輪って重ね付けっていうやり方もあるんだ」と、興味津々。お姉さんが持ってきたのは、リングの外側にぎっしりと小さいダイヤが並んでいる指輪。はは。もうそんな余裕はありませんよ。さっきの指輪よりも高いじゃないの。

そして、さっき買った指輪と言えば、合うサイズがないので、サイズ直しに出していただく。
「ふぅん、8号なんだ」
「そうそう、8号。」
「それって太くない?」
なんて男性に言われてややムカついたけど、ちなみに左手の薬指は7号です。どうぞ宜しく。
指輪の受け渡しは、2月27日ですと、とても気の遠くなるような日付だったけれど、とりあえず、自分のために良いものを買ったという満足感を覚えて、家路に着いた。

そして、今日が27日。
あのお店にいた私からすると、27日の私がこんなことになろうだなんて、予想もつかなかったはず。いま、私は病院のベッドで横になりながらテレビを見たり、ぼーっとしたりしている毎日を過ごしている。

昨日、その男性から電話がかかってきてこう言う。
「明日、指輪を受け取りに行く日だね。」
覚えていたのね。数日前から、せっかく指輪を買ったのに受け取りにもいけなくて、こんなところにいる自分が腹立たしくてむしゃくしゃして、だからその男性の一言に、「言われなくてもわかってるよ」と、ひとに八つ当たりなんかしてしまう。すっかり入院生活は私をすさんだものにしてしまったと、これもまた人のせいにしてしまう。
「よかったら、僕がとりに行ってあげようか」
出来るわけないじゃん。引き換え書がないと取りに行ってももらえないに決まってるもの。
あれこれ、話した挙句、とりあえず明日店に行ってみて、その後病院に寄るよと彼は言う。

さて、急なお見舞い客がもうすぐ訪れる。
異母兄以外にこの病室を訪れた人はいない。私が入院してると知っているのは、父母兄、そして上司とこの男性だけだ。そんな状況の中、誰もお見舞いなど来るはずもなく、散らかしていた病室を朝から忙しなく片付けたり、病院なんだからすっぴんだけども、髪もとかなきゃいけないしで、そわそわしていた。
突然のノックに全身を震わせて、緊張していた。
久しぶりに会う彼は、少し痩せたのか。ここ数日、徹夜の仕事が続いているという。痩せたというよりやつれたのかもね。あいちゃんも痩せたんじゃないのって、私もきっとやつれているんです。
やっぱりというか、当然、指輪は受け渡してくれなかったという。
「融通が利かないよなぁ」と彼は言うけれど、結局、指輪なんて彼がここに来る口実だったのかもしれない。私にとっても彼にとっても。

買って来てくれた苺のお土産を、私たちはゆっくり食べて味わった。

実は、あしたから一時退院になったの。と、私が言うと彼はとても驚いて、なんだ、それじゃあ明日お店に行けるんじゃないかと言う。当然なんだけど、さっき決まったことなんだもの。
仕方ないかと言いながら苺に手を伸ばす彼は、けれど満更でもない笑顔を浮かべているけれど、本当に疲れているみたいで来させてしまって悪いことをしたな、と思う。

そしたら明日は美味しいものでも食べに行こうかと、彼は言って、初めて仕事以外の約束をした。これまで仕事の相手だった彼と、明日は会社の外で会うことになるなんて、なんだか不思議なことのように思えた。
2004年02月26日(木)  雨が降る夜
ざわざわと雨が降っています。
夜の雨は街灯の灯りを反射して、美しく窓にいくすじもの軌跡を描いています。
病棟が消灯の時間を迎えても、外の灯りが差し込んでくるのでぼんやりと明るくなっているような気がします。

腕の皮膚が痛むので点滴を外して、窓辺に立って外を眺めてみます。
薬を飲まなければいけないとは思うのに、少しも飲む気がしないのはどうしてだろう。
床に点滴の針から液体がちとりちとりと落ちています。
病室は街灯の灯りで柔らかなオレンジ色をしています。

みんなはどうしているだろう。
友だちや同僚は、今ごろ何をしているだろう。
別れた恋人は。今ごろ何をしているだろう。
彼に会いたい。彼にどうしても会いたい。
淋しくて、先も見えなくて、これからどうすればいいのかわからないでいるとき、
彼に無性に会いたくなる。

大切なものを失くしたとき、人はどうなってしまうんだろう。
自分にとっては大切にしていたと思っていたやり方が、本当は間違っていたと気づいたとき、人はどうなってしまうんだろう。

人を思いやるってどういうこと?
私はいまの彼をきっと思いやれていないんだろう。
彼の気持ちをわかろうとしてないんだろう。
自分の淋しさばかり訴えて、彼の気持ちがなにひとつわかっていない。
思っていることも伝えたいことも、ひとつも話せず、
突いて出てくる言葉は彼を責めることばかりで、余計に彼を遠ざけてしまっているのかもしれない。

彼に会いたい。
けれど、会うことも叶わない。
ベッドに横たわって一点を見つめて考えてみるけれど、
なにひとついい考えが浮かばない。


風が窓を揺らし部屋に落ちていた雨の影を揺らす。


明日、晴れたとしても、私はこの部屋からきっと出ることはできない。
心がどんどんきしんでいくような錯覚がする。
2004年02月25日(水)  ポケットの中のビスケット
疲れた夜。
シャワーを頭から浴びてバスタブに体育座りをして、そして小さな声で鼻歌をうたってみる。

ポケットの中にはビスケットがひとつ。
ポケットをたたくとビスケットはふたつ。

小さい頃、怖いテレビ番組をみたあとはひとりでお風呂に入るのが怖かった。目を閉じてシャンプーをしているとお化けが出てきてふいに襲ってくるんじゃないかって。だから、そんな夜はいつも大きな声で歌を歌ってシャンプーをした。

もひとつたたくとビスケットはみっつ。
たたいてみるたびビスケットはふえる。

この歌は、あの人がいないと私は最後まで歌えなかった。最初の出だしの音程がどこかの曲と混ざってしまったのか、違う音程で歌いだしてしまうから。彼は私の音程をなおす。

ポケットの中にはビスケットがひとつ。
ポケットをたたくとビスケットはふたつ。
だよ、って。

受話器から聞こえる彼の声は、雑音とともに遠い彼方に消えていってしまった。真冬の夜の中、私をひとりぼっち、取り残して。それからクリスマスが過ぎお正月が来て、彼の仕事が一段楽して私が25歳になっても、彼は戻っては来なかった。私が近づくのも許してはくれなかった。何度も何度もわたしは、その理由を自分の中に見つけようとしたけれど、逡巡となんども同じ考えを巡り返しては、もとの疑問に戻ってくる。結局答えは見つからなかった。


嗚咽が喉を塞いで、呼吸が止まってしまうほど、私は何百回目かの涙を流した。シャワーに打たれながら、延々と延々と。
私は、彼に出会う前の恋愛をどんなふうに終わらせてきたのだろうか。思い返すことが出来ない。今の悲しみはこれまでの別れとは比にならないのか。きっと私は、これまで自分の思うとおりに恋愛をしてきたのだろう。自分に納得尽くめの恋愛をして、自分の思うが侭の恋愛をしてきたのだろう。そして私にとって彼は、初めての恋愛の挫折になるのかもしれない。

明日のあなたも明後日のあなたも、すべて私のものだった。
そして、明日の私も明後日の私も、すべてあなたのものだった。
あなたがいなければ、生きていくことも出来ない気がした。
そんなゆがんだ愛情しか私は彼に与えられなかったのかもしれない。
私は何をあなたに与えたの。あなたから私は一体なにを得たの。


そんな不思議なポケットが欲しい。

この歌はこんな歌詞でくくられる。

思うが侭にビスケットが飛び出てくるポケットなんていらない。欲しい分だけ応えてくれるポケットなんていらない。一枚一枚、ビスケットを味わって食べればよかった。一枚一枚、大事に食べればよかった。欲しいがままにポケットをたたくんじゃなかった。欲しがらなければ良かった。大切にすればよかった、彼を。もっともっと大切に。

私が彼をノックしても、彼は私の欲しいものを、もうくれはしない。
彼はそのビスケットを今度は別の女の子に差し出した。
彼と黒い髪の女の子は、どこかへ歩いていく。
2004年02月24日(火)  深夜の病室にて
夜の病室では、やっぱり少し鬱々としてしまいます。

考えなければいいのに、どうして自分だけこんな病気になってしまうんだろう、どうして病院なんかに閉じ込められているのだろう、これからどうすればいいのか、どうやって生きていくのか、仕事はどうなるのか、これからも人を好きになることがあるのだろうか、なんて考えてしまいます。
ひとしきり泣いて、ベッドに横になったまま、眠ることも出来ず朝を迎えることもしばしばです。

私を担当している看護士のうちのひとりは男性です。
主に夜、出勤してくることが多く、夜の見回りはきっちり2時間おきに私の病室をたずねて来る。
私が起きていることを前提にでもしているかのように、彼はいつも小さくドアをノックする。彼は、さあこれから部屋に入りますよ、人が部屋に入るんだから涙を見られたくないのだったら、今のうちに拭いておきなさいね、とでも言うように。
そして、私はそのほとんどを起きて過ごしている。そして泣いて過ごしている。

暗いままの部屋に、彼はのっそりと入ってくる。
早く寝ないといけないとか、どうして薬を飲んでないのかとか、そんなことは一切口に出さず、私の顔色を窺った後、今日は何の本を読んでいたのかとか、今日の食事はうまかったかとか、そんな話しばかりをしはじめる。
たまに病院の怪談話しを始めて私を本気で怖がらせたりして、なんだか看護士の彼は私の病室を訪ねてくることを楽しんでいるようだ。

彼と話せる夜は、とても気持ちの良い眠りに包まれる。なにを話すわけでもないけれど、彼のクマのような容姿と低くて優しい声が遠い昔に出会ったような錯覚を私に与えて、幸福な夢を見ることが出来る。


ある夜。
私はその日、とても機嫌が悪かった。
予定していた入院の期間が長引きそうだということになったからだ。私はずっと入院することを拒んできたけれど、医師は以前から幾度も入院を勧めていた。風邪が悪化したのを理由に私は仕方なく入院したけれど、医師はこの入院をきっかけに長期入院を勧めてきた。はじめの約束は熱がさがったら退院させてくれるという約束だったのに。
「嘘つき」と私は医師に言ったけれど、医師は私に「現実を見ろ」と言った。

その夜、看護士の彼は私の病室を訪れた。
聞いたよ、と言っていつものようにベッドの端に腰掛けた。私はむくれて布団に潜り込んでずっと黙っていた。今日は誰とも口を聞きたくなかったし、誰にも何も言われたくなかったし、誰とも会いたくなかった。

長い沈黙が続いたけれど、彼はその沈黙にたまりかねた様にこう言った。

キミはまだ25歳で若いのに、こんな病室に閉じこもっていなきゃいけないなんて、悔しいよね、って。やりたいこともたくさんあるだろうにね、って。

私はこの言葉で、いっぺんに彼を嫌いになった。

私は、もう誰の優しさにも自分の身をまかせたくないと思った。誰にも私の気持ちなんてわからないのに、同情したような、私に近づくようなそんな言葉をいう人なんて、信用できない気がした。


心がすさんでいく。すべてが私を攻撃している言葉のように思えてしまう。
相手にそんなつもりがないことくらい、わかっているのに。わかっているはずなのに。せめてもの彼の言葉を、けれど私は受け止められなかった。
わかっている、わかっている。医師は、医師のくせして私をとても心配している。兄なんて医師の心配とは比にならないほどの不安を感じている。父と母には心労を抱えさせてしまって今にも倒れそうな様子で東京を発っていったのに、みんなみんな、私以上に私のことで悩んでいるのに、けれどだって、みんなにあれこれ言われても、私はどうすることも出来ない。なにが正しいのかわからない。どうしたらいいのかわからない。誰を信じていいのかわからない。
2004年02月23日(月)  号泣する準備はできていた
号泣する準備はできていた。

江國香織の本は、いつも私に買うのを躊躇わせる。自宅にも一冊か二冊ほど彼女の本があるけれど、最後まで読んだことがない。途中で集中力が途切れてしまうような、ストーリーの遅さに静か過ぎる平坦な世界に、どうしても馴染めなかったから。
号泣する準備はできていた。
この本を手にとってページをめくったことがないけれど、このタイトルは気に入っている。号泣する準備はできているから。


私と彼は、いくつベッドの中で話しをしただろう。彼は窓の外を眺め私はその彼の横顔を眺め、時折頬を摺り寄せながら、あの夜、いくつ私たちは話をしただろう。
私たちの恋人関係が終わったとき、彼は『ベッドで話している以外の僕を、君は知らない』と言った。もちろん、私は、私が見ている彼以外の彼を知らない。ベッドの中の彼が彼のすべてでないことはわかるけれど、彼はベッドの中でいつも彼の本質に近い話しをしていたように思う。彼にも無意識に、そして私も無自覚に。
たった4ヶ月間の恋で、私たちはいくつ大切な話をしただろう。

セックスをした夜も、セックスをしなかった夜も、部屋を暗くした途端に、私たちは鎖を外したように体が軽くなり、素直になり、聞きたいことを聞け、話したいことを話せた。都会の夜の明かりが部屋をほんのり薄明るくして私たちはベッドの中でたくさんの話しをした。だから私はベッドの中で、彼の腕に身をゆだねて、号泣する準備をしていた、その準備はいつも出来ていた。彼の話はいつも私を悲しくさせたし、いつも私を幸福にした。

私は、あの夜に彼がしてくれた話を思い出すたび、今でも涙がこみ上げてくる。わっと私の涙はこぼれて彼の淋しさを自分の淋しさのように思えて悲しくなる。泣いたってどうしようもないことだろうと、彼は言うだろうけれど、私は泣かずにはいられない。悲しいことにどうして涙を流さずにいられようか。


ベッドの端と端に背を持たせかけ向き合って、ベッドの中で抱きしめあって頬ずりをして、窓の外を見つめながらうでまくらをして、大切な話しをしよう。誰にも話すこともなく、ずっと心の中に沈めていたその想いを少しずつ吐き出してみよう。私とあなただけしかいない空間で、小さな宇宙のような暗闇で、ずっと夜があけないことを祈りながら、大切な話しを聞いてあげる。大切な話しを聞いて欲しい。

あのとき、彼が出て行った部屋で私はベッドに横になりながら、ずっとそう思っていた。
私の右側にあなたが横たわっていないだけで、号泣する準備は出来ているんだって。
2004年02月22日(日)  家族
異母兄は、私が入院した夜からずっと、私の母と父にこのことを伝えたほうがいいと言っていた。
けれど、私はぜったいに、そうしたくはなかった。
私の母が知ったら、どれだけ騒ぎ立てるか、どれだけ金切り声をあげるか、どんな罵倒の言葉を吐いて、どれだけ絶望の表情を浮かべるのか、兄は知らないのだから。
たったひとりっきりの娘が、自分とは血の繋がらない異母兄を頼って入院したかと知ったら、母はどれだけの絶望感を味わうだろう。

しかし、私の体も自由に動かすことは出来ず、兄がしてくれることも限界があり、やはり兄は私の実家に連絡をした。

父と母が、予定の飛行機よりもひとつ早い時刻の飛行機に乗ったと聞いた兄は、まだ面会時間にもならない午前中に、私の病室に駆け込んできた。主治医と兄を含めて、三人で病室で話し合う。

母をなるだけ興奮させないこと。事態が治まりそうになければ早めに母を私から離すこと。主治医は父と母に包み隠さず私の状況を伝えること。兄は、母と父が病室に居るときは部屋から出ていること。父と母の面会時間は15分で終わらせるようにと看護士に伝えておくこと。

主治医は、ずっとずっと以前、私が初めて主治医のもとを訪ねたとき、こう言った。
「君は、お母さんから遠く離れた場所にいたほうが、いい。近くにいればいるほど、君の状況はよい方向には向かわないんじゃないかな」と。


母は、異母兄が空港まで出迎えるというのを、制止して父と一緒にタクシーに乗り込んだ。
主治医は、落ち着いた様子で私のベッドのそばに椅子を持ってきて腰掛けていた。
兄は、忙しなく腕時計を気にし、窓の外を苛立つようにのぞいていた。
私は、点滴の針が気になり腕を爪で掻き毟っていた。
この部屋の空気は二酸化炭素が多すぎるのではないかと、一瞬不安になった。


病室の外から、何人もの走る靴音が小刻みに聞こえてきた。誰かの吐く荒い呼吸音と、緊迫した声音が響いてきた。医師がゆっくりと腰を上げ自ら病室のドアを開いた。兄は体を強張らせ、私は息を止めた。母の顔が見え父の顔が見え、兄が手を握り主治医が母の動揺を見て取り、父が顔を強張らせた。私は天井を仰ぎ見て、看護士が手で口を覆い目を見開いた。汚い言葉が部屋に散乱して、兄はそこから一歩も動けなくなった。父が母を制止し、主治医は母の体を部屋から出そうとした。看護士がそれを手伝ったが、兄はまだ動けずにそこにいた。私は耳を塞いで何も聞きたくないと思ったし、この部屋の空気はやはり二酸化炭素で溢れかえっているのではないかと思った。


母と父は主治医の部屋に通され、症状の説明を受けているという。
私と兄は、急に空っぽになった病室に取り残され、口も聞けず何を考えるでもなく、怒りを覚えるわけでもなく、安堵するわけでもなく、そして兄は一粒涙を流した。
兄の涙は、私が唯一この世で見たくないものだった。


家族は、どれだけの絆で結ばれるというのだろう。家族は、分かち合えるものなのだろうか。家族にとって幸せとはどんなことを言うのだろう。家族とは、どれだけ大切なものなのだろう。
私の家族は一度だって本当の笑顔を見せたことはなかった。これまでずっと。これからもずっと。
2004年02月21日(土)  入院はじめました
どうも、こんばんは。こんにちは。おはようございます。


いま、私に触れたりすると、切れますよ。話しかけると手が出ますよ。
だってだって、かなりかなりムカついているからです。

今日は、診察の日。
兄に連れられ引きずられ、病院へと参りました。定例の診察の日ですが、内科にまわされ熱を測られ体を見まわされ、はい、入院ですねと。

なにー?!
いやだって言っているでしょう。
別にこうやって病院に来るのも、あなた方がどうしても来いというから来てるんですよ。
別に私は来なくてもいいんですよ。
何を言ってるんですか、ちゃんちゃらおかしいですよ。

診察していた横で、別の科である私の主治医が立ちはだかる。

何を言ってるんだね、君は。
自分の熱が何度あるかをわかっているのかい。
何日、熱が続いているのか自覚しているのかい。
一週間だぞ、一週間。これはもうただの風邪じゃないぞ。
ちゃんちゃらおかしいのは、君の体のほうだ。
だいたい君は、自宅にいたってちゃんと安静にしていないだろうが。
ダメなんだよ、そういうのはただの我侭なんだよ。こっちにしてみたらさ。

なんかむかつく。
もう帰りたい。このまま入院とかになったら、本当に暴れるぞ。

いやだいやだ。仕事がある。仕事したいの。
今は仕事をしてたいの!
入院して、アホみたいに何もすることない毎日を過ごすなんて、ストレスだ!
苦痛だ!拷問だ!

で、最後は兄の「たいがいにしなさい」という怖ろしい声音で診察は終わり、私は受付前のソファーに寝そべりながら、ブーだれていた。
バカー。バカー。全員バカー。アホー。どアホー。とんちんかんー。まぬけー。ビッチ!ショスタコビッチ!ストイコビッチ!ピクシー!


ということで、帰宅して入院の準備。
何を持っていけばいいんだよ、わかんないよ、まったくよー。アホ!
雑誌持ってくぞー、本持ってぞー。CD持ってくぞー。あめ玉持ってぞー。携帯持ってぞー。アホが!


で、入院病棟。
暗い。暗いし冷たい。殺伐としている。静か過ぎる。狂う!
と思ったら、やけにハイテンションなおばさん看護婦。彼女が私の担当らしい。知るか!
それにしたって、このおばさんはとても声がでかい。頭にガンガン響く。うるさい!
「さあ、それではね、病棟の説明をしますよぉぉーー。」
ってそんな大声出さなくても聞こえるし、だいいちテンション高すぎて腹が立つ!
ああ、いやだ、この人と毎日顔をあわせないといけないかと思うと、腹立たしい。
ムカツクので、話も聞かずに病室のソファーにだらしなく腰掛ける。ウンザリです。何もかも。
兄は、真面目におばさんの話を聞いているが、もう私は右耳から左耳に抜けちゃってますよ。
抜け落ちちゃってますよーだ。
次に、入院中のあいだの担当医という人が病室に来て、挨拶をしていく。
おうおうおう、なんてご丁寧な。ていうか、外来の医者とは代わるのね。
というか、この医者、若い。同じ歳かと思うほど若い。若すぎてこっちが不安になる。
おいおいおい、頼むよ。君の腕にかかってるんだ。私の退院がさー。おーい。
っていうか、頼りなさげー。
「点滴をしますからね。」とか言ってる声がもう幼い。
私の機嫌の悪さが出ているのか、彼は若干怯え気味。
おいおいおーい。研修医じゃないでしょうね。大丈夫かしらー?
逃げ腰になってる場合じゃないのよー。早くさっさと治してくれないと困るんだけどー?
というか、ぼそぼそ喋ってると何言ってんのかわからないんだけどー?
おーい、ダイジョウブですかー?

さて、夜の病院。
なまら怖いです。

そして、翌日、朝6時にたたき起こされて検温。7時には朝食。12時に昼食で18時には夕食。完全看護で付き添いは禁止。最初の2日は面会謝絶にするとのこと。それ以降は面会時間しか兄は来てはいけない。しかもたった4時間くらいで面会時間は終わり。トイレに立つときは看護士を呼べ。食べもの持ち込み禁止。

牢屋ですか?ここは。

朝、たたき起こされた瞬間に、まずむかつく。朝は本当に機嫌がよろしくないわけ。体温計をはさみなさいと言われても、ムカツクので無視していたら布団を剥がされて、無理やりワキに挟まれたりして。朝7時からご飯が食べれるわけでもなく、美味しそうなものは食べれるわけでもなく、胃がむかむかするので食べずに置いとけば、無理にでも食べさせようとしてくる。そしてまたすぐ昼食とは、なんだ!この規則正しい生活の強要は。集団行動させらられてるみたいなんですけどー。ムカつくんですけどー。食べたいときに食べたいし起きたいときに起きたいの!放っておいて欲しいのだけど、2時間おきに誰かがのぞきに来る。ムカツクー!


さて、入院はじめました。
今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。
2004年02月20日(金)  頑張れ
今日は一日中、自分の携帯を見なかったかな。
帰りの電車の中では、本を読み、けれどちっとも文章が頭に入ってこないので、窓の外を、けれど真っ暗なんだけれどずっと見つめていた。
好きだった曲で、「夜の中を電車が走り抜ける」、みたいな歌詞があったのを思い出した。
とても好きな曲だったけれど、あれは誰の歌だったろう。
東京の都心は、明るいところと真っ暗なところ、本当に区別されていて、オフィス街なんかはとても真っ暗な感じがする。夜になればあまりひとはいないから。その夜の中を、完全なる闇ではないけれど、少し平衡感覚をなくしてしまいそうな、夜の中を私を乗せた電車は走っているんだなあって、そう思うと、そんな歌詞を思い出した。あれは誰の歌だったろう。

海に行きたいなあ、と思った。ひとりで。電車を数時間乗って。知らない土地だけど、知っている海。海に行きたいなあって、疲れた日には、とてもよくそう思う。

真っ暗な中を電車が走って、やがて駅に吸い込まれると、私たちはやっと我が家へとたどり着く。
部屋には、兄がいて、お風呂の準備も出来ていて、疲れた顔をしないように、出来るだけ明るい顔をするように、ドアの前で少し肩に力が入るんだけど、やっぱりそういうのって、なんだかナンセンスだよって、自分に言い聞かせて。だから私は普通の顔で普通の仕草で、だから私はいつものようにテレビを見て湯船に浸かって、だから私は兄に心配かけたくなくて兄に罪悪感を感じさせないように、だから私はいつもいつも毎晩毎晩。

私のために用意された部屋には、私のためのベッドがあって、バッグから携帯を取り出したら、メール1件の表示。


ただ一言。
「頑張れ」って。
メールにただ一言。それだけ。

応援されたって頑張れって言われたくないんだ。ずっとこのままでもいいんだ。だからだから励まさないで。そう思う反面、とても涙が出て、ああ、私頑張らなくちゃって。みんなが心配して私のことを気づかって、だから、私頑張らなくちゃって。そう思うと涙が出た。頑張れってただ一言のメール。私はそれに応える気はあまりもてないけど、けど、メールの相手に私はとても泣けて、だからだからずっと泣いていた。ごめんね。心配させて本当にごめんなさい。
2004年02月19日(木)  兄、帰る。
風呂に入りたい!

金曜の夜以来、風呂に入ってない!髪がしっとりしてきた。やばい。顔しか洗ってない、ここ数日。汚い!というわけで熱があるのは知っているけれど、いざシャワー!

湯気であたりはもやもやしている。あ、なんだか息苦しくなってきた。さ、酸素が。酸素が足りない。息苦しくて眠くなってきた。頭が締め付けられる。髪の毛を流さなきゃ。早く出よう、早く、はやく。
というわけで久々のシャワーを浴びたら、貧血になってしまいました。やっとの思いで泡を流し終えると、焼けそうなほどに体が熱くなって、雫が落ちるのも構わずベッドに倒れこんですやすや眠りたくなる。視界はもちろん真っ暗。シャワー浴びて貧血だなんて、いやー、恥ずかしい。素っ裸にバスタオルを巻いてベッドに潜り込む。

何分たったか。
玄関ががちゃりと開いて誰かが入ってきた。私はもぞもぞとベッドの中にすっぽりと体を隠す。
「ただいま。何してるの?」
あーん、帰ってきた!お兄ちゃんが出張から帰ってきた!この日をどれだけ待ち望んだか!これまでの日をどれだけ数えたか!ひとり風邪に耐え忍んで異母兄の帰る日を、なんど指折り数えたか!
「何してるのよ。そんなに髪の毛濡らしてさ」

おかえりぃ〜。

これこれあれそれ。うんぬんかんぬん。
兄は驚き、早く髪の毛を乾かせと慌て、早く服着ろ馬鹿たれと言い放ち、体温計を探し始めた。
「兄さん、体温計はここだよ」
体温計は、数日前から活躍しまくり私のベッドの脇に転がったままだ。
「よし!病院行くぞ!」
と、兄は意気揚々と声高々に勇ましく叫ぶけれど、
「兄さん、病院はすでに行ったんだ!見てよ、この風邪薬の山を!」
内服役と書かれた袋は、そこら辺に散らばっている。

数日間の出張に出ていた異母兄は、やまの土産を買ってきた。
数日間の風邪に苦しめられ続けた異母妹は、やまの風邪薬をもらってきた。

「わーい!」
と言って異母妹は、土産のやまをひとつずつひろげ、
「うそだろぉー」
と言って異母兄は、薬の説明書きにひとつずつ目を通す。


お粥。
念願のお粥!
兄ちゃん、お腹が減って仕方なかったんだよ、わたし!
作るのも億劫で、食べるのも億劫だったけど、やっぱり人に作ってもらったおかゆは最高だね!

兄は嘆く。もうぜったいにお前にはひとり暮らしをさせないぞ、と鼻の穴を広げて興奮し、どうしてお粥くらい作れないんだと、どうしてシャワーなんか浴びるんだと、どうして早く電話してこないんだと、兄は嘆きに嘆いて私の脇から体温計を取り出し、デジタル数字を確認してまた嘆く。
はぁー、しょうもない妹だ!と。



私はふと思う。
兄妹って、一体どんな関係なんだろうって。
普通の、兄妹ってどんな関係?
私たちは、血が完全に繋がっていない分、どこか普通の兄妹と違う雰囲気がするのは、思い込みすぎだろうか。私たちは、どこか異様に兄と妹という立場を役ぶっているような気がする。
兄は異常に私を気にかけ、だからこそ私は過度に甘えるような心配させるような素振りを見せる。その逆もありうる気がする。私が異常に兄に頼るからこそ、兄もそれに応えて過度に心配する。私たちは、お互いのためを思って“兄”と“妹”という役回りを演じ続ける。
私たちは、べったりと寄り添い、完全でないからこそ周りから見て「とても仲のよい兄妹」ということを演じ続けている。もちろん互いの中が悪いわけではないけれど、必要以上に寄り添ってしまうのは、また頼られて喜んでいる姿は、どこか私たちを、やはり不完全なもののように思わせてしまう。
友人の兄妹なら、もっと適度に距離感のある、大人であることの尊重や、一種の身内同士の気恥ずかしさを持ち合わせているような気がしてならない。なのに、私たちはあまり距離のないほど近い存在で、そしてそれは、例えば幼い頃を一緒に過ごせなかった分だけを埋め合わせなければいけないという無意味な義務に負われているような気がする。

私が思うのは、私たち兄妹は、すでに25歳と30歳という年齢であるにもかかわらず、お互いがお互いに見せる姿は、子供とどこも違わないということだ。私たちはまだ5歳や10歳のように、または10歳や15歳のように、お互いを子供の無邪気さで甘えて甘えられ、守って守られしているのだと、ただそれだけを懸命に何かを埋めるように、悲しいけれどそれが私たちの本音であり、本心なのではないだろうか。


私たちは、充分大人のだけれど、私たちはまだ子供のままでいたくって、子供の頃一緒に過ごせたら、きっと今はこんな風に寄り添うことをしなくてももっと確かな絆を感じられていたのに、と思う。
兄の作ったお粥は、どろどろ溶けすぎて米粒の形もなくなっていたけれど、けれどそんなものであっても、私にとっては涙がでてしまいそうなほど嬉しいもので、この人は私の唯一の兄だと思わせる。けれど、“兄”という私の言葉の響きは元来の“兄”という存在とは少し違った雰囲気がするのも事実だ。

あと、何年、こうして兄に甘えられるのだろうと思う。
2004年02月18日(水)  very far from you
少し厚い雲の下、私は友人と海に来た。ここは関東といっても東京からはとても遠い場所。
This is the land very far from you, I never can hear your voice. 

私はその歌を鼻唄う。
砂浜に下りて、靴を脱ぎ靴下を脱ぐ。友人はドアを開いたままの車の座席にまだ座っている。

薄い青の海は、ずっと向こうに続くにつれその薄さを増していっている。海が青いのは空が青いから。空が青みを失いかけていれば海も薄い青になる。空を映して海は静かな存在感をたたえている。

海は、私の生まれた町にもあった。年中、サーフィンをする若者が集まり、その町の住民は海に親しんだ。保育園から中学生まで遠足の行き先と言えば、その海だった。小さな町に大きな海。その海は隣の街にも隣の大きな町にも、ずっと続いて、その恵みを注ぐ。

私には、いま何もない。何も持っていない。自分自身さえ失った。とても空虚だ。
居場所がなくても、意味を見いだせなくても、私はこれからも生き続けていかなければいけない。
海のように、平然としていられたらいいのにと思う。海のようにじっとそこに居るだけで存在感をかんじさせられればいいのにと思う。

すべて、私のもやもやをその白い波が吸い取ってくれたらいいのに、と思う。


この場所は、あなたのいるところからとても遠いところにある。だから私はあなたの声も聞くことが出来ないし、あなたの顔に触れることも出来ない。
2004年02月17日(火)  風邪の予兆
金曜の朝。
自然と目が覚めて時刻を確認すると遅刻決定。1時間寝坊してしまった。最近、帰りが遅い。
タバコを吸いながら、さてどうしたものかと、悠長に寝坊してしまった言い訳を考えようか。いや、このまま急げばまだ間に合うかもしれない。
それにしても今日も寒い。朝から鳥肌が立っている。朝一番にタバコを吸ったせいか口の中がなにやらいつもとは違う味がする。頭もずきずき痛い。空腹に頭痛薬を飲んで支度を始める。
出かける支度時間、最短記録を出し、無事仕事に間に合う。

金曜の帰社。
昼食を食べる暇もなく、やがて夕方。今日は本当に寒かったねと一緒に会社に戻っていた同僚に言うと、「そうでした?今日はそんなに寒くないんじゃない?」そうかしら?
仕事をしていると朝の頭痛はどこかへ飛んでいってしまった。仕事は、私にとって特別なものだと思う。仕事以外がうまくいってないときでも、仕事をしていれば何もかも一瞬だけど忘れられるから。

金曜の残業。
22時まで残業をして、今日は金曜だから飲みにでも行きますかと、同僚と近くの店へ。最近見つけたその店は、ゆったりとした深いソファーの置いてあるダイニングバー。席もそれほど多くなく、なにより客が少ない。その割りに雰囲気はスタイリッシュ。なんだかよくわからない説明になってきたけれど、よく知りもしないカクテルやワインを飲む。店員のお兄さんと親しくなり始め「今度、遊びに行きませんか」なんて言われて、YESともNOともつかない曖昧な笑いを浮かべるけれど、そんなに悪い気はしない。薄暗い店内にカクテルを作る店員のシルエットが映っている。

金曜の終電。
間に合うか間に合わないか、ぎりぎり猛ダッシュ。今日で2月も半分終わり、あっという間に月末になってしまう。電車の中で来週のスケジュールを見ながら再来週のスケジュールを考え、今月の仕事も月末まで伸ばしてしまうかもしれない憂鬱な気持ちになってくる。

金曜の真夜中の街路。
誰も歩く影もなく、ひとりぼっちで真っ暗な道を歩く。明日はバレンタインデーなんだなと思う。今日と昨日で、仕事用のチョコレートはすべて渡しつくしてしまった。合計15個。大喜びしてくれて少しこちらが恥ずかしくなるようなリアクションをする人もいれば、こんなもので惑わされるものかと仕事の手を一層強める人もいれば、目の前で開けて食べ始める人もいる。仕事のチョコレートなんて、会社の経費で買った、ただの手土産でしかなく、それにしてもうちの会社はミーハーと言うか見栄っ張りと言うか、こんなところで経費を無駄使いするからダメなんだと、決して営業上手ではない自分の会社に呆れてもいたりする。こんなイベントなんて面倒くさいので、上司と相談してチョコを配るクライアントを決めていたのに、すべて無視して、あう人あう人に適当に手渡しした。チョコを渡すためだけに、時間を裂くなんて馬鹿らしいもの。上司には決めたとおりのクライアントにチョコを配ったということにしておいた。ばれたときはばれたときで、仕方ない。

金曜の風呂上り。
髪も乾かさずテレビを見る。今日も異母兄の自宅に戻ってきた。兄がいないなと思っていると、思い出した、今日から出張だったんだなと、帰ってくるのは明後日だったかその次の日だったか。自宅に戻ればよかったと後悔するけれど、もう電車が走っている時間はとっくに過ぎている。髪が濡れているので寒い思いをする。けれど、ドライヤーがあるところまで歩くのが面倒くさい。廊下は寒いしこの部屋は暖かすぎる。くしゃみをひとつして、そういえば毎年春が近づくと鼻がむずむずするけれど、花粉症ほどまでにはならないなと思う。花粉症予備軍のようなむずむず感と目の痒さ。今年こそは花粉症になってしまうんだろうか。

金曜の就寝。
深夜2時。テレビを眺めながらウトウトし始める。髪の毛は自然と乾いた。明日は昼までゆっくり眠れる。久しぶりにゆっくり眠ろう。

予兆は終わり、本格的に私は明日、風邪をひく。
2004年02月16日(月)  風邪、三日目
風邪、三日目。
今朝の体温 38.2度。
ああ、無理です。平熱からするとかなり熱があります。なんだか昨晩よりも体が重く目が開きません。というか、ベッドと体が一体化されています。
兄が帰ってくるのは、木曜日。まだまだ先です。それまでずっとひとりぼっちです。一階にある兄の仕事場には、木曜まで誰も来ません。絶望的です。孤立してます。無人島で風邪をひいたような感じです。どうしましょう。何も食べてません。何か食べたほうがいいのか。
会社の始まる時間まで待って、会社に電話する。上司に旨を伝える。大切なアポイントが入っているので、誰か代わりに行ってもらうようにお願いする。上司が全員のスケジュールを確認して、電話の折り返しをくれる。
結局、でも想像したとおり、他の営業マンは誰も体が空いてない。上司も。誰も彼も。アポの日時はずらせない。2,3週間くらい粘って、今日のアポをもらえたんだし、行かないわけにはいかないのですよ。

で、行きます。私が。
「大丈夫なの?」と上司は繰り返すけれど、止めはしてくれない。鬼のような上司です。けど、仕方ないのかどうか、よくわかりませんが、行きます。いえいえ、あなたに責任は押し付けませんよ。私の意志で行きますからね。はいはい。
とにかく厚着をしてとにかく人の多い場所に行かないようにして、タクシー拾ってきっかり領収書貰って、会社の経費で落としますよ。8000円なり。なるべくハイテンションで頑張りましょう。打ち合わせ。せきが止まってくれますように。さっきからひっきりなしにのど飴を舐めています。神様お願い、仕事してるときはセキを止めてください。アーメン。

一時間、頑張った。よくやった。自分で自分を褒めます。だって誰も褒めてくれないから。上司に打ち合わせが終わったことを伝え、あとの処理を内勤の人にお願いし、とにかくまたタクシーを拾って、今度は先日行った病院へ直行する。7000円なり。スーツを着て営業バッグをさげて高熱を出しながら病院にいる人が居れば、誰でも怒るだろう。「あなたは、こんなときでも仕事にいったんですか。呆れました」呆れるも何も、だって誰も代わりがいないんだもの。仕方ないじゃないか。たった数時間だけの仕事なんだし。社会は厳しい。どんなに風邪をひいても仕事は放っておけないし、ゆっくり休んでいないと医師から叱られる。社会って本当に厳しいなぁ。

血液を採取しますと、ベテランがかったおばさん看護婦に言われ、腕を差し出すけれど血管が浮き出てこないのか、腕に巻いていたチューブを思いっきり絞られて血管を浮きだたそうとしている。そんなに強く縛ったら、私、気を失ってしまいそうです。バシバシと腕を叩かれ押し付けられ撫でられ、やっと血管が出たところでぶっすり。で、次は注射をしますともう片方の腕にぶっすりと注射。血を抜き取られ何かの液体を注射され、私の体はもうこの医師と看護婦の思うがまま。明日、会社にいけるのであれば、何でも言うこと聞きます。どうにでもしてください。
「明日も熱が下がらなければ、出かけることは禁止です。守れますか?」
と、医師に問われ「はい」と適当に返事をすると、「守れないなら入院してもらいますよ」と脅すので、相手の目を見つめ「帰って寝ます」と答えた。風邪ぐらいで入院なんてしたらぜったい訴えてやる!
なぜか私は病院に来るとけんか腰になってしまう。病院なんて叱られるばかりで好きじゃない。私の主治医が受付のところで私を待ち受けていて、にやりと笑った。「熱、38度あるんだって?ちゃんと家で大人しく寝てるんだぞ?」わかっています。わかってるから、にやにやしながら弱っている私を見て喜ばないで下さい。気持ち悪いから。

帰宅して、何も食べる気もせず、そういえば日曜の夜にお菓子をかじったときから何も食べていないなぁ。わびしいなぁ。そう思いながらベッドに入る。
しかし、眠ったのもつかの間、会社の携帯がひっきりなしに鳴っています。内勤の人からの連絡。「○○社の○さんが電話くださいって」「○○のファックス来てますけど、どうしたらいいですか」「先週の○○の件、どうなりました?」おい。急用な用件以外は電話してくるな。それくらい気づいてくれ。けど、私も電話に出ないわけにはいかない。急な用事かもしれないから。んー、困った、一体どうしたら?


あまり眠れずぼーっとしながら、徹夜明けのような体のだるさと熱。脳がそろそろ溶けます。立ち上げる気力ももはやない。

夕方、携帯がなる。
電話の相手は最近親密になり始めている仕事相手の男性。
「風邪だって?」
会社の子に聞いたんだな。
「大丈夫か?」
大丈夫じゃないから会社を休んでいるの。
「ちゃんと食べてる?看病してくれる人は?」
食べてないし、看病人もいない。あぁ、この人なら看病してくれるかな。お粥作ってくれるかな。おでこに手を当てて心配してくれるかな。淋しいな、淋しいな。頼っちゃおうかな。気も弱ってきているみたいです。
「まあ、大丈夫。寝てれば大丈夫だから」
電話の相手は、疑いの声を向けて私にあれこれと聞くけれど、いま、頼ってしまうとこれから先、どうなるかわからないので、今日は丁重にお断りしておこう。今日は、じゃなくて、今日も。

「明日、お前と約束あるよな?」
明日、仕事のアポを彼に取り付けてある。もしかしたら行けないかもしれない。行けなさそうであれば朝一に電話して、用件は電話で済ませることにしてもらう。
「無理するなよ」彼はそう言って電話を切った。
そう、私たちは何はともあれ仕事の相手なんだから、あんまり仕事以外の関係を持ってはダメなのですよ。そうそう、仕事相手なのですから。

眠気に襲われて目を閉じる。

地球最後の日の夢を見た。
最後の24時間をどう過ごすか、考える夢。
いま、好きな人のもとに行くか、親友と一緒に過ごすか、家族と一緒に過ごすか、あれこれ悩んだ挙句、別れた恋人の家をたずねたら、「地球最後の日は、おまえだけなんだよ。おまえにとっては最後の日で、他の皆にとっては明日も続くの」
冷たくあしらわれ真実を聞かされ、そうか私だけ明日、死ぬのか。そう思うと悲しくなってわんわん泣いた。
どうしてこんなにも冷たくされるのに、私は彼を求めてしまうのだろう。


おかしな夢ばかり見てしまう。
鬱々とした夢ばかりしか見ないので、明日こそは仕事に行きたいと切に願う。
2004年02月15日(日)  風邪、二日目
風邪、二日目。大風邪になってしまった。
本日の最高体温 38.5度。
だいぶ上がってきているんですけど、昨日もらった薬は本当に風邪の薬なんだろうか。本当にインフルエンザじゃないんだろうか。あの小児科のおじいちゃん先生はやぶ医者ではないだろうか。いろいろな妄想がぐるぐる回るけれど、もう一回病院に行くなんて、今日は無理です。ベッドから起き上がれません。横になりながら水を飲むだけ。眠ろう、とにかく眠ろう。明日は仕事だし、絶対休めない。誰にも頼めないアポイントが入ってるんだから。やばい、とうとうハイになってきはじめた。躁である。

何度ボタンを押しても、電話したいところに電話が出来ない夢を見た。指が間違ったボタンばかりプッシュしている。泣きながら何度も電話をしようとしている。目が覚めてぞっとした。

テレビのリモコンをベッド下から手繰り寄せてテレビをつけると、たいして面白くもないテレビ番組が、なんだか急に面白く感じて、ヘラヘラ笑った。まずい、わびしい。たった一人風邪と闘う。いや、戦う術もないけど。
別れた恋人を思う。看病して欲しいな。お粥とかつくって欲しいな。今何してんのかな。私が風邪引いてるのなんてしらないだろうな。彼もこの前風邪引いてたな。そのとき別れたばっかりだったし、だから彼の看病にも行ってあげられなかったな。あのとき、彼も一人ぼっちだったのかな。誰か他の女の子に看病してもらったのかな。うーん、頭が痛い。


同僚と殺しあう夢を見た。目が覚めてぞっとした。

また眠って、数時間して起きて、時間を確かめて、AMかPMか確認する。携帯電話には着信があるけれど話す気力がなくかけ直さない。みんな、何してるのかな。心細いな。人が恋しいな。

自分の右足の甲を強大な釘で床に打ち付けられる夢を見た。目が覚めてぞっとした。

また眠る。ぼーっとした頭で携帯を取り上げて時間を確かめる。顔がむくんでいる気がする。淋しいな、虚しいな。誰にも助けてもらえなくて淋しいな。寝ぼけながら発信履歴を見ていた。無意識に別れた恋人に電話する。

幼い頃の夢を見た。父と母が暴力的な夫婦喧嘩をしていた。目が覚めてぐったりした。

結局、明日の朝まで眠って熱が下がっていなければ、仕事を休んで病院に行くことに決める。気合を入れて眠る。「熱が下がりますように。下がりますように…。」


別れた恋人は、ずっと遠くまで行ってしまっているみたいで、以前のように私の元に来てくれはしなかった。あなたがいる場所から私の居る場所まで、どれだけ遠いの。そこまではどれくらいの時間がかかるの。その距離は私たちの精神的距離と比例しているの。


明日も晴れたらいいな。
2004年02月14日(土)  風邪
風邪をひいております。
悪寒・熱・耳鳴り・関節痛・頭痛・せきなどなど、ひどいです。
昨晩、終電の時間まで飲んでいたからかしら…。平熱は低いほうで、よく小学生の頃、インフルエンザ注射をする日の朝に体温を測るじゃないですか。34.0度という体温記録があります。すごい、自分のことを爬虫類かなにかかと思ってしまいました。何度も測ったけれど変わりなし。同級生の問診表と比べてみたけれど明らかにおかしい自分の体温。まあ、でもそのときは低温最高記録であって、通常は35度台の体温です。おかしいのか?普通なのか?よくわかりませんが。

本日の最高体温 38.1度

死にます。熱で溶けます。兄の家で、しかも誰も居ない家でひとり唸っています。
で、今日は別の用件で診察を受けなければいけない日。運良く病院に行く機会があったので、これ幸いとタクシー拾って「○○病院まで」と言うのが精一杯。この診察がなければ病院へ行く気力もなかったろうな。あー、だるい、動きたくない。動いたら死ぬ。吐く。けど、行かなきゃ病院。会社休むのだけはやだもの。

で、早速受付を済ませて、主治医の居る病棟に歩いていくと、おかしい、真っ直ぐ歩けない。歩く速度も遅いし明らかに目が霞む。脳みそが揺れる。とうとうきた。死ぬのかもしれぬ。看護婦さんが異変に気づいて体を支えてくれ、すぐさまベッドに寝かされ、体温を測られ、「はい、相当な体温ですよ。よくここまで頑張ってきましたね。奇跡みたいだわ」と言うので、そらあなた、仕事休むのだけはいやですから、と薄っすら思いつつベッドで眠った。頭が朦朧とするので眠りが襲ってくる。

主治医が来て喉を触ったり聴診器を当てて、「内科に行きなさい」と言う。聴診器なんかあてる前にそう言って手配して欲しいものだ。看護婦が内科病棟に電話してくれるが「内科の先生、みんな帰っちゃったそうです」まじ?なんなの、この病院。と思うと時刻は土曜の夕方。そら、みんな帰る時間ですわ。私の診察時間は診察外時間にたっぷりとってくれているので、普通の診療時間には来ないのだな。困った。困った。誰か手があいてる先生いないの?と、やれ外科だ、やれなんとか科だ、と主治医と看護婦は相談していたが、結局残っているのは小児科の先生だけだそうで、いやいや、もう25歳ですから小児科ってありえないと思いますし。小児科の先生に診られるものなんですか。だったらあなたが見てくださいよ。主治医。「うーん、専門外だしなんだかなぁ、小児科の先生でも風邪くらい診てくれるって。そんなに熱が出てるんだったら僕より小児科のほうがいいよ」ということで、早速小児科の先生登場。おじいちゃんなんですけどね。

「インフルエンザではないと思いますよ。」
じゃあなんなの。その震える手でちゃんと聴診器をあててくれたのだろうか。その耳はかなり遠くなっているように思えるけれど、大丈夫だろうか。疑心暗鬼になりながら薬をもらって、「ただの風邪でしょう。明日、内科の先生が来るから、もう一度来てね」とだけ言って去っていった。
もう無理です。外出は無理です。体温が下がらない限り行きません。行けるわけがありません。体温38度。

異母兄の家で、ひとり淋しく、うつらうつらしながら浅い眠りを5時間ほど彷徨っては目が覚め、もう一度寝ては目が覚め、起きると夜の場合もあれば、薄暗い明け方か夕暮れかわからない時間だったり、太陽が高い位置にのぼっていたり、時間の感覚がなくなっても私は懸命に眠る。たまにミネラルウォーターを飲んで眠る。とくとくと眠る。

異母兄は出張。
頼れる人もいなくひとりでただひたすら眠る。自宅で寝ているのであればなんとか友達に助けてもらえるけど、ここは兄の家だし誰かに何を頼めるわけでもない。食事とかしてる場合じゃなく。淋しい。本当にわびしい。風邪ひいて助けてくれる人もいないなんて、ひとりぼっちってこういうことだなぁと改めて実感。
2004年02月13日(金)  生と死
生と死についてよく考える。とりとめもなく。
迷うわけではなく、考える。答えはないけれど、同じところを何度も繰り返すけれど、
それでもたまに考える。

たとえば、私が死んだら。
私がいなくなっても世界はまわる。

たとえば、私が死んだら。
周りの人間は悲しむだろう。そして、その悲しみは人それぞれの深さだろう。
時間がたつにつれ、私はそれぞれの思い出になり、記憶になり、曖昧になり、
忘れ去られる。
そのときが本当のさようならになるんだろう。


なにかのドラマで誰かが言っていた。
自分の意志で、僕たちは生まれたわけではないんだから、
死ぬときも自分の意思で死んではダメなんだって。
可笑しな理屈だと思うけれど、頷けるわけではないけれど、
否定は出来ない。間違ってはいないと思うから。


生と死についてよく考える。これからもずっと。
死ぬまで死について考え、生きてる間じゅう生について考え続ける。
2004年02月12日(木)  結婚式と悲鳴とカフェ
某日。

インターホンがピンポーンピンポーンピンポーンピンポーン。うるさい!酔っ払いが帰ってきた!と寝ぼけた頭で思う。なにも酔っ払いが帰ってくる予定もないけど、狂気的になるインターホンが酔っ払いを連想させる。ものすっごく不機嫌な顔でドアを思い切り開けると、「おはよう」と大の男ふたりがどやどや入ってくる。「寝てると思ったよー」と兄の声。「うわ、すごい寝癖」と兄の隣の家に住む兄の友人。なになに?だれだれ?と寝ぼけ眼で思うと、そうだ!思い出した!あ、あ、あ!まずい!寝坊!
きゃああああ、と狭い部屋に大人3人が詰めこまったところで、今日最初の悲鳴。時計を見ると昼の12時に5分前。ああ、失敗した。10時に起きるはずだったのに。「早く迎えに来て正解だったなぁ」と、兄と友人は自由な場所に座り込んでタバコを吸い缶コーヒーを飲み始める。30歳の男が二人。私の部屋でくつろぎ始める。
あ!ああ!ああ、どいて!という言葉しか出ない。やばいやばい。間に合わない。
今日は兄と私の友人の結婚パーティーなのです。先負の日なのに友人が集まって結婚パーティー。先負って午前は凶だけど午後は吉、なんだって。先勝はその逆。勉強になりました。
兄をどかしながら友人の前を跨ぎながら、顔!顔洗わなきゃ!髪!もう髪はいいや!着替え!歯磨き!トイレ!準備!化粧!化粧が先!「おまえはなんで目覚ましかけとかないの?」「ホント、早く迎えに来てよかったよ」などと小言を言われながらドアにぶつかりながら人の足に躓きながら、は、はやくぅー。
「お祝儀、用意した?」の声で思い出す。あ、ああ!朝起きてコンビニに買いに行くつもりだったんだ!あ、あ、そこでストッキングも買おうと思ったんだ。黒のストッキング!あー、ない。お祝儀袋がない!新札もない!ぐちゃぐちゃのお札でもいいかな?「はいはい、そういうことだと思ったよ」友人にあまった祝儀袋をもらって兄にお札を交換してもらう。いぇーい。もつべきは友人と兄です。おんぶに抱っこなんだけどね。ストッキングはどこかで買うことにしてとにかく素足で出かけるしかない。こっち見ないでよ!と着替えもそこそこにバッグに財布、携帯、お祝儀、あと、あと何持ってかなきゃいけないんだっけ!?
ああ、もういいや、靴!靴!ヒール!なんだか急いでいると人って単語しか出てこないのね。「ヒール!」の一言で友人が靴を玄関に揃え、「財布!」の一言で兄が床に転がっていた財布を渡してくれた。で、玄関で転びながら靴を履いてると「ワキ!」と叫んだ、私。「ワキ?!」んー、これはワキの処理したかなのチェックの言葉なんだけど、そうそう昨夜ちゃんとしたのを思い出して、ほっと一息。「なんでもない」

は、は、はやく!エレベーターに乗りながら車に乗りながら、ワンピースのヒモを結んでジャケット着てコート着て、でもなんだか忘れてる気がする。るるるるー、なんだっけ、なんだっけかなぁ。思い出せず3人で美容院へ。予約の時間より15分遅刻。すみ、すみ、すみません。息も絶え絶えにしてると、美容院のお兄さんお姉さんがわあっと駆け寄ってきて椅子に座らされると、あっというまにボサボサのままの髪の毛をクルクルにしてくれて、適当だったメイクも直してくれた。ほっ。友人が一言。「女の子って、手をかければ変わるもんなんだねぇ」、すごく失礼な言葉なんですけど。わぁー、きれーになった、よっしゃよっしゃ。なんかくるくるしたの久しぶりだなぁ。と言うと、兄が「頭はいつもクルクルなんだけどね。ぐふ」と笑った。

間に合うの?間に合うの?自分が寝坊したくせに早く早くと運転を急かせる。途中でコンビニで神田うのCMのストッキングを買って車の中ではきはじめる。「おい、やめてよー」というブーイングで、足の途中までしかストッキングが上げられないので、到着したらトイレに駆け込もうと決心。車下りて走って建物に入ってトイレへ直行!直行!何度もイメージトレーニングして抜かりなし!よし!よし!いつでもかかってこい!っていうか、足の途中のストッキングがとっても惨めなんだけど。
駐車場で兄の会社にいる同僚の女性も合流して4人で会場に到着。同僚のNさんも一緒にトイレに駆け込む。「あいちゃん、キレイよー。」「あら、Nさんだっておきれいだわよー」おほほほとふたりで甲高く笑う。よくある女子トイレでの会話。ようやくストッキングを腰まであげて、これで準備万端。やっとだよ。式場の外のソファーで兄が「なんで昨日の夜のうちに準備してなかったの」とかホント小言がうるさい。じゃあ、なんですか?小学生みたいに、明日着る服を枕元にたたんで追いとけばいいのですか?あほくさー。「おまえはそれくらいしたほうがいいよ。ぐふ」最近、兄はぐふと笑って気持ちが悪い。

続々と入り口から人が集まってくるのをNさんは目をランランとさせて見つめる。「いい男、見つけるわよー。ぐふ」ここでも、ぐふが大流行のようです。で、私も一緒に目を凝らしてナイスガイを見つけようと、でも目が悪いのであーなんだよー、メガネ持ってくりゃ良かったわ。あら、なんかアノ人たち、カッコよくない?ねえNさん。と思ったところで、今日2回目の悲鳴。ぎゃあああ。今度はぎゃあが出ました。アノ人たちのなかになんか知ってる人がいる。しかもこっち見て驚いている。
わ、わわ、会社のお客さんです。お得意さんです。私は東口に会社があるけど、彼は西口に会社がある。外資でカッコよくて年不相応なポストについてる人です。わ、わわ、こっち来る。「偶然だね」彼はちょっとくだけた笑いをしながらこっちに来る。わ、わわ、近づいてくる。
偶然というか、奇遇というか、ああ、休日に一番会いたくない人。憧れはあるのだけど、何度も食事に誘ってくれるのだけど、なんかそういうお誘いに仕事以外のものが含まれているような気がして最近は断り続けてきたしな。そういえばネクタイ締めてるのなんて初めて見たかも。いつも会社はカジュアルな格好だもんね。スーツ姿、似合うなぁ。え?ていうか、これって運命?偶然は必然?やっぱりこういう引き合わせがあるのかしら?神様のイタズラ?いやあ、どうしよっかなぁ。って、Nさんも目をキラキラさせて、アノ人誰?ねね、誰だれ?ぐふ。カッコイイよねぇ。知り合いなの?むふふ。ねね、教えなさいよ!譲りなさいよ!
結婚パーティーというのは、あるいみ合コンだと誰かが言っていたのを思い出した。言えてる。
ああ、やっぱりガツガツすんのやめよう。これってただの偶然でしょう。あまり深く考えすぎないこと。

パーティーは盛り上がり、たまに西口の彼と目が合い、隣に座っていた兄に、「ね、ね、私の顔おかしくない?髪の毛、大丈夫?」と何度も聞いてみたり。「顔も変だし頭もおかしい」と、兄はくだらないし、Nさんは友人代表で、「また独身の友人が減って淋しくなりましたが、でもきっとお幸せになってくださいね」と、本音なのかどうか怪しすぎるスピーチをし、兄の友人は両親に花束贈呈のときに花嫁以上に涙ぐみ、西口の彼は新郎の学生時代のサークル仲間と、よくある、劇?パフォーマンス?花嫁が悪者に襲われていたところを新郎が助けに来て一件落着、ふたりはゴールインという茶番劇?をやり、そしてパーティーは滞りなく終わった。

そのあとは、二次会があるのだけど私はここで帰るつもり。早めに席を立ってトイレに行った。戻ってきたら、西口の彼が私に少しずつ近づいてくる。「お茶でも行きませんか」

えへへ、こうなると思ってました。目が合ってるときから、ここで会ったときから、今日も誘ってくれるのだろうなと思ってました。行きましょう。いまは仕事ではないのだから。いまだけは、いまだけは、じっくりと仕事以外のお話しをしましょう。その一歩を踏み出しても今なら怒らないから。
2004年02月11日(水)  渋谷で会いましょう
お届け物です。

Bunkamuraチケットセンターから、郵便です。

4月29日(木)15:30開演 NHK交響楽団オーチャード定期
オーチャードホール
ドヴォルザーク チェロ協奏曲 b moll
チャイコフスキー 交響曲第五番 e moll
指揮:広上淳一

以上の内容のコンサート、S席チケット2枚です。


昨年の12月。
恋人と見に行くはずだったチャイコフスキー5番。私がクラシックの中でもっとも好きな曲。しかしながら今まで生演奏を聴いたことがなく、だからどうしてもどうしても見に行きたかった、昨年の12月。チケット2枚は、私の手によって粉々に破かれた。その数日前、私たちは細くて暗い別れの道を歩み始めた。開演前日、彼は「せっかく買ったチケットだから、一緒に行こうか」と言ったが、時は既に遅かった。

今度は、破かれることのないように。
まだ誰を誘うか決めていないけれど、きっとそのときに一番好きな人を誘おう。一番好きなクラシックは、一番好きな人と。4月29日の日、私は一体どんなふうになっているのだろう。一体何を思って、誰を誘うのだろう。2ヶ月あまり先の話し。


オーチャードホール。
渋谷で会いましょう。
2004年02月10日(火)  女は男に泣かされる
今日は、すっかり遅くなってしまい、終電で異母兄の自宅へ帰る。
時刻は、午前1時。

ドアをあけると、玄関に女性の靴が。誰かお客さんかしら? でもこんな時間に? 自然と足が忍足になる。リビングのドアの向こうに人の気配。ソファーに座る女性の横顔が見える。その隣に兄が腰掛けて、なにやら話している。重い空気が流れているらしい。

わざと、「ただいま〜」と声をかけると、その女性は慌ててソファーから立ち上がる。見たことのない女性。兄の友人かしら。「こんばんは」と挨拶を交わして、女性は無理ににっこりと笑ったけれど、でもいまはもう深夜なんだから。にっこり笑ってこんばんはという時間かしら。一体、ふたりは何をしているのかしら。兄の顔は何かを言いたげな様子。

ふぅ〜ん。
なんだか深刻な話をしているのね。はいはい、お風呂でも入ります。

脱衣所で服を脱ごうとしたとき、やはり兄たちの話し声が聞こえる。女性のほうが少し声を荒げていて兄のほうは冷静に一言一言、重い言葉を搾り出すように話している。
揉めているの? 縺れているの? 泣いているの? 困っているの?

リビングを通らず、自分の部屋に入る。
電気もつけずに、スーツをハンガーにかける。携帯でメールのチェックをする。
扉の向こうは、まだ話し合いが続いている。時刻はもう2時。

テレビを見ながら横になっていると、ガチャンと音がして玄関のドアが閉まった。
リビングはとても静かだ。
ドアを開けて台所に行って水を飲む。
どこか頭の隅で引っかかるものがある。どこかで会っただろうか。どこかで見かけてだろうか。あの女性を。何かが引っかかっている。兄は無言で新聞を読んでいる。新聞が逆さまになってないか、後ろからちらっと確認する。大丈夫、動揺はしてないみたい。

小さめの食器棚の壁にぶら下がっている、収納袋が目に入った。中には年賀状や葉書が入っている。一枚の葉書が飛び出している。
いや、私は見ようとはしてないよ。ただ見えただけだし。別に詮索してない。別に探ろうともしてない。ただ、その葉書が私になにかを知らせるように飛び出ている。だから、私はそれを手に取っただけだ。

『結婚しました』
という題名で白いウエディングドレス姿の女性と燕尾服を着た男性が、にっこり微笑んでいた。とてもきれいな花嫁さんだ。とてもきれいな花嫁は、その葉書の片隅に「元気で居ますか」と書いていた。
先ほど、ここを訪れた女性とその花嫁は同一人物だった。
私は、この葉書をどこかで見かけて記憶の片隅に引っ掛けていたのだ。

リビングのテーブルには、兄のハンカチが置かれていた。きっとそれは、あの女性の涙で濡れているのだろう。兄はまだ新聞を読んでいるままだ。テレビをつけてバラエティ番組を見た。大きな溜息をついて兄は新聞を折りたたんだ。
「参っちゃった」
と、兄は言って私の様子を窺っているように感じる。
んー、参っちゃった…、参っちゃったねぇ…。


「やっぱり女は、男に泣かされ続けるもんなんだねぇ」
私がそういうと、兄は少し笑った。
2004年02月09日(月)  午前0時を過ぎたら
どうもどうも、今日で25歳です。どうもありがとう。
深夜12時に近づくのをカウントダウンして、ケーキを友人と食べました。ショートケーキじゃなくてホールのやつ。苺つきのやつ。夜中にケーキ食べるのも胃がもたれたけど、とても嬉しかったです。
高校生の頃もこんなことしたっけかな。そのとき付き合ってた恋人と、12時のカウントダウンしてプレゼント貰ってケーキ食べて。そういえば、別の誕生日のときは、12時ピッタリに電話がなったことがあるの。で、誰だろうと恐々受話器を取ると、友達が「誕生日オメデトー!」って。で、歌をうたいますっていうから、「はい」って言って耳を澄ませると、突然DreamsComeTrueの『HAPPY HAPPY BIRTHDAY』って曲を歌ってくれて。受話器の向こうから彼女の声を聞いて、とても嬉しかった。午前0時を過ぎたら一番に届けよう〜って歌詞だったかな。とても嬉しい思い出です。

で、誕生日ってその日一日。たった一日だけ、みんなにおめでとーって言ってもらえて主役になれる。なんだか気恥ずかしい思いもします。とうとう25歳なんだなあって思うし、まだまだ25歳かぁなんて思うし、もう25歳?!と唖然とする気もします。母が、メールをよこしてきて、「今日、朝食のときにお父さんがボソッと言いました。『あいも今日で25かぁ』と。20歳の誕生日を迎えたときよりも25歳のほうが随分と大人になった気がします。突然に大人になってしまった気がして、お父さんもお母さんも少し淋しいような嬉しいような、不思議な気がします。」と書いてあった。20歳になったら成人式をして世間から大人と認められるのに、母や父にとってはまだまだ子供だったんでしょうね。やっと25歳になって大人になったと認めてくれたのかもしれません。

さて、2月9日。同じ誕生日の人はこの世にどれだけいるのかなぁって、ちょと調べてみました。
ななな、なんと!夏目漱石。1867年生まれ。112歳年上。吾輩は猫である。うーん、すごい有名な文豪!初めて知りました。で、次―ハナ肇。うーん、渋い古い。で、次、キャロルキング。歌手?私が持ってるCDでは彼女は「ナチュラルウーマン」を歌ってます。なかなか渋い歌声。カッコイー。そんですごいの伊集院静も2月9日。さすが文豪?そんであだち充も。「タッちゃん!」「ミナミ!」みたいな。毎年夏になったら再放送ね。で、でで、ラモス瑠衣だってー!!「なぁ〜〜にやってんだよぉぉ〜〜。」素足に靴。ね。髭もじゃかっこいーです。で、笑えるのが工藤兄弟。へぇ~兄弟で誕生日一緒なんだ、って思ったら双子でした。で、このあいだ豪華挙式を放送してた谷選手も。恥ずかしくないのかなぁ〜〜。さすが柔ちゃんだよね。で、まったく同じ1979年の日に生まれたのが、ななななーーーんと、降谷建志。ふふふん、やっぱり天才でしょー。この年のこの日に生まれたのは、センス溢れる独自の世界を持った天才しか生まれないでしょー。な、フルケン!彼の作ったMIHOの曲が大好き。やっぱ天才しか生まれないんだよお。生まれないんだよお。他にも安西ひろこも同じ日だけど、これはいいや。え?誰?って思ったもん。あとは、知念里奈とか鈴木あみとか。
いやー、やっぱ天才じゃない?
夏目漱石や伊集院静みたいな筆力をもちながらラモス瑠衣とか谷選手とかフルケンやキャロルキングみたいに音楽やスポーツのセンスも才能もあり。みたいなかんじね。世のありとあらゆる要素を全部制覇してるんじゃないの?文章・スポーツ・音楽とか。あとは思い浮かばないからぜんぶ制覇してると思おう。

いやー、すごい。やっぱ私ってすごいわー。やっぱこの日に生まれた人はすごい人ばっかだね。うんうん。ま、工藤兄弟とかは忘れてさ。え?同じ?誕生日?まさか!もっかいお父さんとお母さんに聞いてみなよ。ね?

なんて、ジャージでお尻かきながらパソコン叩く私。天才の破片もないかもしれない。
2004年02月08日(日)  この真実
この真実。

朧気にその全体像が私の心の中に浮かび上がってきた。
彼の言ったことといま私が見ているもの、兄が言ったことと父の気持ち、私を苦しめた根底の要因のすべてが、私の目の前に姿を現しつつあった。
もっと知ろうと思えば、知ることが出来る。私が捕まえた真実に手を伸ばそうとしたら、朧気にいまは霞がかかっているものも、はっきりと明確になるだろう。

別れた恋人が見つめているもの。
父と異母兄が見つめているもの。

私は、真実の尻尾を掴んでしまった。

私が何も知らずにいると思っているの?
私があなたたちの言ってることすべて信じていると思うの?
あなたたちは私に気づかれないようにそれを隠した。
いつかは私が知ることになるであろうその真実を、あなたたちは必死に隠した。
私が何も知らず、そしてすべて忘れられると思っているの?
馬鹿げている。
あなたたちの必死の姿が、今となってはあまりにも滑稽で、今となっては複雑に絡み合っていたと思っていた糸は、とても単純にほどけた。するする、するすると。

怒りの後には嘲笑が漏れた。
それはあなたたちに対する嘲笑です。
嘲笑のあとには、自己嫌悪に陥った。
踊らされていたのは私のほうで、騒ぎ立てたのは私のほうで、
あなたたちが望むように私は充分に傷ついた。
それ以上、なにがあるというの?
惨めでたまらなかった。
プライドを失った。
自分を失った。
時間を失って笑うことも泣くことも失って、
思考と感情と生きることを失った。


縺れていた糸が、やっとどの糸に繋がっていたのか見えた。
欠片が繋がってやがてパズルは完成するのかもしれない。
もう少し時間がたてば、私の惨めさは決定的になるのかもしれない。
いまの私に、それ以上知る勇気があるのか?
それを引っ張りあげる準備が整っているのか?

突然に、しかしタイミングよく、すべての真実を私は知ろうとしているのかもしれない。
パンドラの箱を開けるか、否か。
今以上の苦しみに耐えられるか、否か。
最後に残ったものは本当に希望なのか、否か。

みっつの嘘とみっつの真実。
探ろうとしていたものはすぐそばにあった。
2004年02月07日(土)  空白の三日間のはじまり
今週も、あっという間に終わってしまった。
そしてこの週末が終われば、私は25歳を迎える。
月曜の誕生日の日は特別休暇で仕事は休み。

どっちかというと、あまりひとりでいると鬱々としてしまうので、仕事をしていたかったのだけど。

そして、3連休。
私は、友人と目論んだ。
突然に手に入った真っ白な時間を一体どうやってやり過ごすか。

今日の朝は、まず兄の家を訪れよう。大事なものを置きっぱなしにしてあるから。包装された薬があの棚に入っている。たとえば兄がシャワーを浴びているあいだに、その棚を開けてちょうど三日間の薬を持ち出そう。あとは、足音を忍ばせて家を出よう。
そして、駅近くのコインロッカーに入れておいた、小さな旅行用のバッグを取り出そう。あとは迎えの車が来るのを待つだけ。バッグの中身は日本全国の地図と数万円入った財布とメガネと下着とトレーナーと車の中で聴くいくつかの音楽。
携帯は、たぶんきっと持っていかない。

贅沢をしなくていい、安くてもいい、ただ東京でなければどこだっていいと思う。誰とだっていいと思う。何をしたいというわけでもなく、ただただここの場所で時間を弄ばせたくないだけだ。


空白の三日間は、こうして始まりを迎え、三日目には私はきっと25歳になっているだろう。
2004年02月06日(金)  東口から西口までの距離
あの人は駅の西口側で、私は東口側で働く。
朝早い時間から、夜遅い時間まで、私たちは働く。
私の会社から、あの人の会社まで徒歩15分もあれば行ける距離。とても近い。私はあの人の会社へ週3回行くこともあれば一ヶ月も行かないこともある。どちらにしろ、うちのお得意さんであるには違いない。

今日、私は彼に対してとても怒った。なぜだか自分でもよくわからない。彼に苛々したし、彼を不信にも思った。

東口の私の会社からは、彼がいるビルがよく見える。あっちのビルのほうが高さがあるから。でもきっと彼のビルからはこちらのビルを探すのは難しいだろう。そんなに高くもないビルだし、それに彼が自分の部屋の窓からこちらのビルを探し出そうとしているかどうか、よくわからないし。


彼のことを考えると、自分が嫌になる。
彼のことを考えると、自分がとてもみすぼらしくて惨めな女に思えてくる。


彼は、最近、すごく、いや急に、タイミングを計っていたように、それとも無意識なのか、どういう下心があってか、いや、よくはわからないけど、確かめることも億劫だし、いや、でも、彼は、最近、私との、その距離を、たとえば仕事とか、そういった距離を、力ずくで?、いや、違う、笑顔で?、いや、その笑顔の裏で?、いや、とにかく、よくわからないけど、何を考えてるのか知らないけど、いや、もしかしたら、からかわれているだけなのか、いや、わからない、わからない。とにかく仕事をしましょう。仕事がないなら帰ります。いや、でも、彼は帰さない、私を、帰さないで、距離を、その距離を、それだけが私の唯一だったのに、その距離を、あっという間に、いや、計算ずくで?、何を考えているの?、このまま流されたら、私は、私はきっと、いや、どうなんだろう、よくわからない、私って馬鹿だ、こんなふうにして、私のせいだ、だから、彼に、背中を、見せないように、後ずさりして、ゆっくりと、そうだ、ゆっくりと、彼から、離れよう、距離を元に戻して、私を追い詰めないで。



その線から、こちら側に来ようとしたら、私は、本当にもう一度怒る。
2004年02月05日(木)  早朝のタクシー
吐き気がするのはわかっていたけれど、薬を飲んでまだ二日目、まだ三日目。そうやって自分を騙しながら耐えてきた。

明け方の4時まで起きていたけれど、吐き気が襲ってくるだけで何かを吐けるわけでもない。
あと二時間待って、それでも我慢できなければタクシーを拾おうか。タクシーの中で電話をしてすぐに迎えてもらえるようにしようか。
けれど、私は二時間も待てず、不眠から来るのか、意識さえ朦朧として、だんだんと視界が狭くなってきた。きた、と思う。何度も経験した症状。眩暈のように、視界がだんだんと狭くなり、やがては目が見えなくなる。真っ暗で、目を開けているのか閉じているのかさえわからない。外出しているとき、この症状が出るのが一番怖い。道端で突然に目が見えなくなり、歩くことも後ろから来る車を避けることも出来ない。ヘレンケラーは毎日こんなふうにして生きていたのかな、なんて思ったりできるのは、きっとそんな症状に慣れてしまったからだと思う。

慌てずに電話の位置する場所に手を伸ばした。そのとき、腕に触れた何かが割れた。
短縮ボタンでタクシーを呼ぶ。兄が電話番号を登録してくれたことに、今さらながら感謝する。
電話を切り、落ち着こうと深呼吸をした。これから着替えて髪の毛をまとめて、アパートのエレベーターに乗って一階で待っていなければいけない。出来るのか? それでも、じっと視界が開けてくるのを待つ。いまは、そうすることかしか出来ないから。瞼を押さえるとしっかりと血液が流れているのがわかる。
うっすらと光を感じるまでに回復してきた。いつかまた暗くなるかわからない。今のうちに着替えて髪の毛を梳く。寒くてまだ暗い朝の中を、私はタクシーを待つ。携帯には相手の番号が表示されている。あとは通話ボタンを押せば繋がるだけにしてある。


大きなソファーに座るとひんやりとして不快だった。この部屋はひどく寒い。
医師は、私に笑顔を向けた。「外、寒かったんだね」って。私の頬は寒さで凍りついている。
私は、前もって告げる。14時15分に仕事の待ち合わせがある。それはぜったいに、必ず行かなければいけない。他の人に代わってもらうわけにはいかないから、と。医師は私に行ってはならないと忠告する。再三のやり取りをして医師の忠告は警告へと変わった。

眠りなさいと、ベッドを指差し私に言った。
必ず起こしてくれるようにお願いして、私は白いシーツの固いベッドで眠ろうと努めた。
時刻は6時になろうとしていた。


何が正しいのかわからない。何が真実で本物なのかわからない。私は本物を見たことがないのかもしれない。真実を追い求めているようで、実はそれに辿りついていないのかも知れない。ひとりで生きていけないことを思い知れと、突きつけられたようなひどく空しい気がした。

医師は、きっと起こしてはくれない。
私は、きっと明日の朝まで眠り続けてしまうんだろうと思った。
2004年02月04日(水)  麻酔
私たちは、
いや、私と彼は、


いくら傷つけあっても、
いくら汚い言葉で罵り合っても、ただすべてが無意味で空しい。

私たちの完結は、いまの状態なんだと思った。
これで完結する。

本当の孤独を、この数ヶ月間の私が想像することが出来ただろうか。
楽しくて嬉しくて、ただただ彼を思う時間の中で、こんな日が来ると思えたことがあっただろうか。

私はすべて燃え尽きてしまった。
私と彼の恋火は出会った瞬間、光線を散らしてひかれ、弾けて消えた。
私の火だけは燃え落ちて、彼はまた光を共有できる相手を探した。
燃え尽きて灰になって、さらさらと風に吹かれてどこかに消えていった。
跡形もなく、痕跡もなく。


もう泣かなくなってきた。
もう泣けなくなってきた。
感情が麻痺する。
眠れずに目を閉じた時間だけが、一秒一秒を刻んで、私をその先に連れ去っていく気がする。
2004年02月03日(火)  世界は揺れる
ホームで電車を待つあいだ、ベンチに腰掛けて本を読んでいた。
風が髪の毛を舞わせて視界の邪魔をする。
13時30分。電車はまだ来ない。

ぐらぐらぐら、とベンチが揺れる。私の体がゆっくりと揺れる。
地震?
顔を上げ周りを見渡してみる。誰も地震に動揺した様子はない。
けっこう大きな揺れなのに、ほら今でも揺れているのに、誰も気づいてないのかしら?

地震が起こっているとき、電車に乗っていたらどうなるんだろう。
小刻みの揺れがだんだんと大きくなり、やがて線路をゆがめたら電車は脱線して、乗客は皆死んでしまうのだろうか。
山手線の電車が、向こうのホームに滑り込んでくるのが見える。

長い揺れがおさまり、電車は変わった様子もなく次々と平行に並んだホームに止まり、出発する。
俯いて、また本に集中する。少し高鳴っていた心臓が鼓動のスピードを緩めていく。

どれぐらいたっただろう。
今度は、確実に明らかに、揺れが襲ってくる。容赦なく私の体を縦に突き上げる。
本を握り締めて周りの人間を見上げる。ここで大きな地震が起こったら、私は死ぬのだろうか。大勢の人間が集まるこの駅なら、あっという間にパニックになり、押し合いながら出口へと進む群集で、圧死したりするのだろうか。
周りは、先ほどと何も変わった様子もなく、目の前をサラリーマンが通り過ぎ、先ほどから隣に座って本を読んでいる学生は、そのページをめくる手を休めない。

地震、でしたよね?いま。

そう、聞こうかと思った。これほどの揺れに誰も気づかないなんて、明らかにおかしい。けれど誰も立ち止まって辺りを窺う様子もなく、誰も顔を上げて周りを見渡す風でもなく、だから地震はきっと私だけに起こっているのだろう。

私の体がびくびくと揺れ、小刻みに鼓動を高め、世界が揺れているように感じられたその感覚は、ただの痙攣か、ただの貧血か、けれど確かにその揺れは明らかだった。

今も、揺れる。
私の世界はがくがくと揺れる。
その揺れを、しっかりと体で感じて、そして誰かに肯定してもらいたかった。

そうだよ、それは地震だって。私だけしか感じられない地震なんて、だっておかしいもの。
2004年02月02日(月)  深夜23時
深夜22時。
今日も遅くなってしまった。新宿駅の南口でぐるりと腕をまわす。

私は池袋に住んでいるけれど、最近は新宿駅で電車をおりる。理由は、兄の家があるから。なので、最近の拠点は池袋から新宿に変わったわけだ。たまにやはり、池袋に帰りたいなぁと思う。物騒で汚くて狭くてチープなネオンが光る街。

新宿から歩くこと10分。
賑やかな場所から離れると、あたりは一気に真っ暗になる。東京の夜は、本当は真っ暗なんだ。人がたくさんいてネオンが光る、明るい場所なんて本当はそんなに多くない。有名な会社が立ち並ぶオフィス街は、夜になると真っ暗で、等間隔に並んでいる街灯だけが足元を照らしているだけだと思う。本当の東京の夜は、本格的に人っ子一人いない真っ暗な夜になる。誰かに襲われて悲鳴をあげても誰も気づいてくれないほど、真っ暗な夜。
夜道に負けないように鼻歌をうたう。

看板がひとつ、ずっと向こうに光っている。足を速めてあれを目指して歩こう。
店の看板。ダイニングバー。半地下のその店は体をかがめて中をのぞくと、なんだか薄暗い店内に、ろうそくの灯りみたいにところどころに点る照明が揺れている。
入ってみようかしら。なにかのみたいな。病院でお酒は呑んじゃいけないって言われたけど、今日は金曜だし、それに呑んではいけないって言われれば言われるほど、のみたくなったりする。
店内をのぞいてみて、お客が4人以下だったら入ろう。たくさん人が入ってたら帰ろう。そう決めて階段をおりてみる。そろり、そろり。ガラス戸から中をのぞいてみる。二人組みが一組、ひとりの客が二組。そしてもうひとつの人影で、5人目。やめた、帰ろう。すると、5人目の影がすすっとこちらに向かってくる。ドアを開けてその陰は言う。「よろしかったら、どうぞ」その人影は店員だった。そう、店員を入れたら5人。見つかってしまったので、入らざる得ない。

カウンターの席かテーブルの席か聞かれ、ひとりでテーブルに座るのも嫌なのでカウンターの足の長いスツールに腰掛ける。ほとんど真っ暗な店内。明るいのは店員の立つ場所だけ、カラフルなお酒のボトルと透明で様々な形をしたグラスが棚にぎっしりと並んでいる。テーブル席にはステンドグラスで出来たキャンドル立ての上で炎がゆらゆら揺れている。手を置いたカウンターは真っ黒くて冷たい。真っ黒な服を着た目の前の男が、何にしましょうかと聞く。甘いお酒を下さい。わかりましたと答えて、私は出されたお酒を素直に飲み干す。男は、私のグラスが空になったら、シェイカーを振る。呑む。振る。呑む。振る。
一向に酔えなくても、それでいいと思う。
シェイカーを振る姿は、黒い壁で黒い男が踊っているように見える。ただひとつ銀色に光るのはシェイカーだけ。大げさな手振りでアルコールと振り入れる。大げさな手振りで一滴残らずグラスに絞り落とす。

カウンターに肘をついて、酒を呑む女とシェイカーを振る男のことを思ってみた。
仕事のことを考えてみた。明日の予定を考えて、ベッドでぐっすり眠ることを想像してみた。
会話もなく、カウンターだけを挟む私とその男は、ただただ酒をつくり酒を呑む。

私はこれからどうなっていくんだろう。
仕事を続けていくのだろうか。
誰かと出会うのだろうか。
自分の子の顔を見ることが出来るのだろうか。


深夜23時。
私はまだここに居たいと思う。
2004年02月01日(日)  泥の眠り
私は、こんこんと眠り続ける。
喉が渇いても何も飲まず、太陽が空の一番高い位置に昇ってもまだ起きない。兄が心配して私の鼻に手をかざす。死んだように眠る私は、このままおばあちゃんになるまで眠り続けるのかと思うほど。この数十日間、眠れなかった恨みを晴らすように、ぐったりと疲れた心と体を存分に甘やかすかのように。やがて、陽の光がオレンジ色を帯びて、それぞれの家のお母さんたちがスーパーへ買い物に行き始める時間。それでも、私は眠り続ける。
夢は見ない。ただ誰かの声が聞こえる。何時間もその声は私の心の中で囁きかける。時間が許される限り、私はその声に身を任せる。このまま眠り続けたらあなたに会えなくなるかもしれない。このまま眠り続けたら会社に行けなくなるかもしれない。このまま眠り続けたら兄が心配するかもしれない。けれど、その声は、私をまだ逃してはくれない。優しくて低い声。男性の声。とても気持ちいい。あなたの声はとても気持ちがいい。このままずっと、ずっとこのままでいたい。誰も邪魔しないで。

私は気恥ずかしかったけれど、それになんだかまとわりつく女のように思えたけれど、けれど私はその声に聞いた。
「愛してる?」
その声は、微かに息を吸い込む音を立てて私に答えをくれようとする。
その声はあともう少し。その声はあともう少しで私の鼓膜を響かせる。なんと答えてくれるの。

地震が起きて私は、どろついた沼から引き上げられた。
うっすらと目を開けると兄が大きな声で、私に怒鳴った。
「兄ちゃん、我慢できない! 心配!」
うるさいと、顔をしかめた。兄が無理やり私の体を起こして頬っぺたを叩く。いいじゃないか、何時間だって眠っても、今日は日曜だし、休日は長い。その長さは私にとって辛い。兄は知らないじゃないか、眠れないことがどれだけ辛いことか、わかってないんだから。
「時計を見ろ」と、兄は私の携帯を開いてみせる。着信3件。電話なんて出ないよ。眠いんだから。
「いいから、時計を見ろ」と、兄はデジタル時計を指す。

愕然とした、午後五時。合計18時間の眠り。
私はまだ眠い。
Will / Menu / Past