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2002年05月31日(金)→→→ちいさいうつわ

大阪の試合って、予選はイングランド−ナイジェリアか、日本−チュニジア!
おいおいおいおいおい。
トラキチくんってばやたら運よくない?
なーんかまだゲーム差0.5だし、大阪の試合こんなんだし、くやしいなあ。
ベッカムもすごい復活してるし。

きょうの日記、意味わかんないかも。
トラキチくんてば大阪の試合(予選)のチケットが当たったんですって。
だいぶ前にメールですっごい自慢されたの。
イングランド戦だったら僕は幸せ者です。
だって(彼はベッカムの大ファン)。
絶対イングランド戦(とできれば日本戦)だけははずしてくれ!大阪!
と思ったわたしはやっぱりひねくれ者なのかしらね。

いま、わたしにのろわれたひとは、もれなくいい方に運が向いてきます。
さあ、のろわれるくらいわたしに嫌われるか好かれるかしてみましょう。

やっぱりね、自分に返ってくるからのろったりしちゃいけないのね。
ってのろったわけじゃないけど。
トラキチくんの幸せにちょっと嫉妬しただけ。
器、小さいなあ。


2002年05月27日(月)→→→go in couples

きょう駅で、
カップルの男の子が女の子の手をすっととる瞬間を見た。
あーなんか、がんばれよーって思って微笑んだ。

そういう瞬間って、目にするととってもいとおしい。
人前でいちゃいちゃしているカップルも、
喧嘩をしてしまっているカップルも、
付き合いはじめなのかもじもじしあっているカップルも、
地球上のすべてのカップルが、仲良くしていたらいいなあと思う。

いつもふたりでいてほしいなあって思う。
そしていつもわたしの目尻を下げさせてほしいなあって思う。


2002年05月26日(日)→→→boundary condition

きのう、たどりつく場所にリンク貼ってみたらそこから8ヒットもしていた…
おそろしいのでもうやめておこう…知り合いにはあまり見られたくないので(←知り合いのみなさん、察知してあまり読まないように・笑)。

水族館に行こう。
っていうことばは私にとって君が好き、って意味だときのう書いた。
内田春菊と同じだ(「水族館行こミーンズアイラブユー」)。
水族館は、博物館マニアの私の中で、すきなひととしか行きたくない場所だ。
たとえば美術館は誰と行ってもまあいい。
美術館でもコンテンポラリーアート系やデザイン系だったら、それをわかってくれるような親しいひとと行きたい。
自然史系の博物館は理系の親しいひとと行きたい。すきなひとが理系だったら一緒に行きたい。
文学館はひとりで行くか、親しい長年の女の子友達と行きたい。
この違いは何だろう。
水族館や自然史系の博物館は、私のパブリックな好きな分野だから、すきなひとと共有したいのかもしれない。
文学館はかなりパーソナルな好きな分野だから、ひとりで行くか黙っていても私の気持ちを汲み取ってしまうような友達とでなくては行かれないのかもしれない。
それって水族館で境界線を引いているっていうことだろうか。
水族館までは踏み込んできてもいいけれど、文学館までは来ないでねっていうか。
うーん。
たぶん、文学館まで来られて嫌われるのがこわいのだろう。
文学館ってちょっとマニア感強い気がするから。
文学館行こう、って言えるような恋をしなくてはいけないのかもしれない。
ま、文学館行こうって言ってノリノリで行くひとなんていないだろうし、そんなひとはわたしが引いたりしちゃうんだろうけど(笑)。


2002年05月25日(土)→→→sleeveless

もうすぐ夏がやってくる。
まあ今年が「例年」という言葉で定義できるような気候であれば、梅雨を経て夏がやってくる(ああ理屈っぽい)。
夏になると、ノースリーヴの服を着たひとをたくさん街で見かけるようになる。
でもわたしはノースリーヴが苦手だ。正確に言えば苦手だった。
一昨年の夏、当時すきだったひとを水族館に誘った(水族館に誘う、ということは君が好きだー!と言っているようなもの。あと花火も。)。
その前にそのひとと会ったとき、ノースリーヴなんて恥ずかしくって絶対着れない!とノースリーヴがいかに苦手かを話した。
ノースリーヴは胸のある人が着ると服が前に引っ張られて脇のところがきちんとフィットするけれど、わたしみたいな胸なしは脇がぶかぶかして下着が見えてしまうとか、胸無い貧弱体型だけど手足が太いので二の腕なんて出せないとか、二の腕のアトピーが気になるとか、アトピーだからワキ処理をそうしょっちゅうできないとか、色々色々理由はある。
まあ端的に言えば、人前に二の腕という肌をさらすのが恥ずかしかったのだ。
しかし、その水族館の日、わたしはノースリーヴのブラウスを着て行った。
本当は上にカーディガンをはおって行きたかったのに、カーディガンは洗濯機の中。
文句を言うわたしに母は、そのまま行きなさい!と一喝した。
実際のところわたしの二の腕は目を覆いたくなるほどではなく、周りを見渡せばわたしよりも太い二の腕をさらしているひとは沢山いた。
でも自分ではないみたいで、終始落ち着かず、そのひとに会ってもまず、上に着ようと思っていたカーディガンが乾いてなくて〜とたくさん言い訳をした。
そのひとは、がんばってるなーと思った、とだけ言って笑った。
ノースリーヴを着ることで、水族館に誘うだけでは伝わらなかった気持ちが伝わったのかもしれない。
ノースリーヴを着ることで、すきだという気持ちを体現しようとしていたのかもしれない。
その日の帰り道、つきあってほしいと言われた。
それ以来、わたしはすきなひととのとびっきりの夏デートの時は無意識にノースリーヴを着ていた。
もう、恥ずかしいよーどうしようとは思わなかった。
もちろん、「いつもと違う」感を察知されてしまうのだけれど、それは狙っているわけではなくて、自分の中での「いつもと違う」感を演出して気分をうきうきさせるためだった。
だから、ノースリーヴはすきなひととのデート以外では着ない。
袖=わたしのバリア。
袖を取り去ってしまうことはそこに踏み込むまでは難しい。
けれど踏み込んでしまえば、たいしたことではないのかもしれない。
すきなひとの前ではいつもノースリーヴでいたいものだ。

もうすぐまたノースリーヴの季節がやって来る。
今年は例え着たとしてもずっと上にカーディガンをはおっていそうな予感…
もしわたしに水族館か花火に誘われてわたしがそのときノースリーヴを着ていたら、あなたは確実にわたしに好かれていますので逃げるなり腹括るなり対策をお願いします。
ってそんなことここ読んでる可能性のあるひとにはしませんけどね。


2002年05月20日(月)→→→楽

Nさんメールで、市川実和子似だと(勝手に思ってると)言われた。
初めて言われたよ、おい(笑)。
さすがNさん、NASDAのSさんに仏像似と言われるだけのことあり(え?)。
なんだか落ちている時にいつも、Nさんのメールで笑ってる気がする。
わたしの回復剤(ポーションというよりエーテルかな・笑)なのかなあNさんは。
それにしたって、ジャイアンツをそこまでこきおろさなくたっていいじゃないさ…(涙)
わたし的にはNさんは二岡風だと思う。
ま、顔は全然似てないけど。雰囲気ね。
なんかひょうひょうとしているところとか。
実はよくしゃべるところとか(二岡はどうか知らないが)。
秋元研の話とか環境の話とかNASDAの話とかそういうマニアな話を、気兼ねなくとめどなく出来るのがNさんなの。
何言っても引かないの。
だってNさんの方がわたしより変なひとだから(笑)。
変なひとと会話するのは、安心してマニアックなこととか言えて楽。
そして分野がかぶってるし話が通じるから楽。
かわしまくんもそういうラインだなあ。
わたしってこのままいくと、マニア友達しかいなくなるかも…


2002年05月18日(土)→→→俺は虎とロケットと君が好きだ

わたしの足の指は人差し指がいちばん長い。
それをいっつも指摘してきたひとがいた。
人差し指長っ
とか言って。
なんか、そんなことばっかり思い出していやになっちゃう。

わたしは虎もロケットも好きだけど君は好きじゃない。
そういう風に言えたらいいのに。
(あ、虎はそれほど好きじゃないかも(笑))

俺は星とジャイアンツと君が好きだ


2002年05月15日(水)→→→中田浩二

中田浩二かっこいい。
とても年下とは思えないきりりとした感じ。
(中田英寿もとても同い年とは思えないけどー。)
あのひとと全然違う。
でも…タイプ的にはあのひとの方がタイプなんだよねえ。
ああくやしい。

がんばれ〜ニッポン〜(←やる気なし)。


2002年05月13日(月)→→→恋をして

さて、ついに25歳になった。
しっかしきょうはいままでの人生でいちばん暗い気持ちの誕生日だった。
自分がしっかりしていないのがいけないんだけど。
そしてもう泣きたくて泣きたくて泣きたくて、仕方なくて本読んでみたり。
でも読んだのが「体は全部知っている(吉本ばなな)」なので、なんか癒されちゃって、ちょこっと泣いたけどそれでどうでもよくなった。
明日からをしっかり生きていけばいいやって思ったり。
それでHEY!HEY!HEY!のヒッキー観て、それでもまた戦わなくちゃいけないんだよな〜とか思ったり。
恋をして願うこと、いつもこれが最後のheartbreakであるように、なんだけどそんなこと有り得ないって思ったり。
有り得たらいけないの。
そしてまた、恋をしなくてはね。


SAKURAドロップス 宇多田ヒカル

恋をして 終わりを告げ
誓うことは: これが最後のheartbreak
桜さえ風の中で揺れて
やがて花を咲かすよ

降り出した夏の雨が
涙の横を通った すーっと
思い出とダブる映像
秋のドラマ再放送

どうして同じようなパンチ
何度もくらっちゃうんだ
それでもまた戦うんだろう
それが命の不思議

恋をして 全て捧げ
願うことは: これが最後のheartbreak
桜さえ時の中で揺れて
やがて花を咲かすよ

繰り返す季節の中で
くつが擦り減ってく

もっと肩の力抜いて
過去はどこかにしまっておけ
ここからそう遠くないだろう
観たこともない景色

止まらない胸の痛み超えて
もっと君に近づきたいよ
一周りしては戻り
青い空をずっと手探り

恋をして 終わりを告げ
誓うことは: 今日が最初のgood day
桜まで風の中で揺れて
そっと君に手を伸ばすよ

好きで好きでどうしようもない
それとこれとは関係無い…


2002年05月12日(日)→→→何処まで行けば

24歳最終日。新月。

どこまで行けばたどりつけるのだろう?
といつもいつも思っていた。
でも最近思うのは、どこまで行ってもたどりつく場所なんてないってこと。
たどりつきたいと願う場所は、時と共にどんどん変わっていくっていうこと。
でも、そう思うことはゴールに向かうという張り合いとか、目標とかそういうものを見失ってしまうのかしら。

最近、気付かないふりがうまくなった。
傷ついてないふりもうまくなった。
浮き沈みもしてないふりがうまくなった。
その代わり、何に対しても踏み出せなくなった。
飛び込めなくなった。
臆病になった。
傷つくのがこわくて仕方なくなった。

やっぱり、どこかに誰かに何かに期待して生きているのだ。
もっともっと絶望したら、しずかに、冷静に、生きることができるのだろうか。
江國香織の好きなもののように。
あー支離滅裂。


昨日探し当てた場所に
今日もジャンプしてみるけれど
なぜか NOT FOUND 今日は NOT FOUND OH NOT FOUND

ジェットコースターみたいに浮き沈み

あぁ 何処まで行けば辿り着けるのだろう?
目の前に積まれた この絶望と希望
君に触れていたい 痛みすら伴い歯痒くとも
切なくとも 微笑みを 微笑みを もう一度 微笑みを


2002年05月08日(水)→→→理想

わたしの理想の男の子。
それはおとなの体に、ぽんと、どこまでも透明な少年のような眼をのせたひと。
そうね、例えて言うなら山田詠美の小説に出てくるような。
めちゃくちゃ理想が高いと思う。
でも、そういう男の子を見つけたいのよ。
見つけたら離さないよ?


2002年05月07日(火)→→→Voi, che sapete che cosa e'amor

新しいページで、「恋をしたい人に100の質問」っていうのに答えてみた。
わたしは恋をしたい人、なんだろうか。
したいしたいと口では言っているが、いつだって飛び込まないで日常の中に踏みとどまって、安心している。
もっとも、恋はすると決めてするものではない。
落ちるもの。
気が付いたら落ちているもの。
でもちょっと、好きになると決めるとき、というときがあるかもしれない。
このひとになら落ちてもいいわ、と決めるときが。
それは、自分が恋に落ちにくいという性質を装っているが、実はなんにでも落ちてしまいやすい、突っ走ってしまいやすいという性質のカムフラージュ。
そして恋を失ったときのあの壮絶な痛みを思い出して、躊躇するのだ。
擦れていないと言われたことがある。
擦れる経験がなかっただけのことだ。
けれど、経験を積めば積むだけ、臆病になっていくような気がする。
あの痛みは本当に耐えぬく事を想像すると、くじけそうになるからだ。
擦り切れないうちに、恋をした方がいいのかもしれない。
あの痛みを、忘れさせるくらい、甘美な瞬間もたくさんあるのだしね。

タイトルは、モーツァルト「フィガロの結婚」の有名なアリア。
邦題は「恋とはどんなものかしら(恋の悩みを知る君は)」。
ものすごく有名な曲なので、絶対誰でも知ってます。
歌詞は、恋とはどんなものか知っているあなた、私の心は恋をしているのでしょうか?って感じです。


2002年05月01日(水)→→→時の声

もうすぐワールドカップが始まる。
でもわたしは知らんぷりを決め込むことにしている。
元々、野球は大好きだけれど、サッカーに興味は無い。
でも去年の夏はサッカーの勉強をちょこっとしたりした。
あのひとが中田浩二に似ていることやアントラーズファンであることやデイビッド・ベッカムの大ファンであることやバティストゥータの髪型を真似したがっていたことやマンチェスター・ユナイテッドのユニフォームの種類やナイジェリアチームがスーパーイーグルスと呼ばれていることや…
そんなこと、知ったこっちゃない。
わたしはそこらへんのサッカーに興味のない女の子よりも、スポーツニュースを見慣れていることや、研究室では男の子にかこまれた生活だったこととかもあって、サッカーだってちょっとは知っている。
でも、もう学校も卒業したしあのひととだって会うことも無い。
だったらもうそんなことは忘れたいのだ。
でも、ワールドカップ熱が、わたしに否応なく囁いてくる。
オランダは代表になれなかった。
ドイツ−イングランド戦は1−5でイングランドが勝って代表になった。
イングランドとナイジェリアとアルゼンチンが予選同じグループになってしまった、“死のグループ”。
小野のフェイエノールトがリーグ3位に入ってチャンピオンシップに出られるか。
ベッカムが怪我をしてしまった。
オウンゴールじゃなくて西沢のゴールだった。
…聞きたくないのに耳に入ってくる。
サッカーなんて嫌いだ。
この前のワールドカップだって、日本戦はいちおうみたけれど、途中で寝てしまったくらいなのよ?
だからわたしは狂ったようにプロ野球をみる。二岡を応援する。
サッカーなんて霞んでしまうように。
野球野球野球野球野球…
…でもやっぱり、世間のサッカー熱がわたしに囁く。時の声を。
新聞やテレビで「中田浩二」の文字を見ただけでどきっとしている自分はばかばかしくてやっていられない。
早く終われーワールドカップ!




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