カフェチョコサハンジ。
演劇ユニット・カフェチョコシナモン主宰の日記。
モノ書き役者の日常を、どどんと。

2001年09月30日(日) 秋雨前線、到来。

雨。
恵みの雨。
実りの雨。
「雨降って地固まる」という言葉もあるが、
僕はあまり雨が好きではない。

それは、予報外れのどしゃぶりが降ってきた日の夕方だった。
帰りしな彼女は言った。
「今日は傘要らない」
僕は言った。
「なんで」
「今日は濡れて帰りたい気分なの」
「…そう」
「じゃ、またね」
「うん」
そういって彼女は、雨の中に消えていった。
そのときの彼女の顔は笑顔のように見えたが、
しかしその背中は僕に対する反抗にも見えた。
僕は、どうしようもない切なさを覚えた。
彼女は本当に僕の目の前にいたのだろうか。
まるでひとひらの雨粒のように、すぐに見えなくなってしまった彼女は、
いったいどこに行ってしまうのだろうか。
そう思うと、僕まで雨の中に走り出してしまいそうになった。
彼女が、今にもアスファルトにしみ込んでしまうのではないかと思うと、
僕は、いてもたってもいられなくなって、雨降る黄昏に飛び出した。
雨は、どんどんどんどん強くなっていく。
雨は、どんどんどんどん激しくなっていく。
雨は、痛いほど僕の体に突き刺さるのだった。

雨は、昔の思い出を呼び起こす。
秋雨前線は、じわじわと大地を湿らせて、
僕の思い出にまで、しみ込んでくるのだ。
また、雨が降ってきた。
僕はそいつを好きになることが、できるのだろうか。

秋雨前線、到来。



2001年09月29日(土) ハシゴ。

芝居のハシゴ。

昼の部。
転球劇場「まるきん」@ザ・スズナリ(下北沢)。
オムニバスコントライブ。
ヌル〜いネタに爆笑。
私も関西人に生まれたかったと本気で思う。

夕方の部。
劇団てにどう「グリンピースのお話」@銀座小劇場。
旗揚げ公演でシチュエーション・コメディ披露。
旗揚げ公演ということでやや緊張気味か。
今後の活動に期待。
「笑い」という同じ志を持っているもの同士、
見守りつづけていきたい。

そして夜は、フードファイトのスペシャルを見る。
やっぱり深田恭子はかわいい。
一度私の夢に出てきて以来、
フカキョン見るたび意識過剰気味の私。
あのむちむちの二の腕がどうも。
むちむち。



2001年09月28日(金) コーヒーの恋しくなる季節。

私はコーヒーが好きだ。
ひさびさの「ホニャララ好き」ネタである。
最近はインスタントのカプチーノを買ってきて
ぐびぐびぐびぐび飲んでいる。

私は以前この日記で、
「モノ書きは ソルティードッグと 缶コーヒー」
というフレーズを持ち出したことがあるが、
まさにこれからはホットコーヒーの季節だ。
だんだん涼しくなっていくこの季節、
自販機の「あったか〜い」が待たれる今日この頃である。

しかし、缶コーヒーの新製品は、だいたいコールドだ。
どんなに寒い日でも、新しいモノを飲みたいときは
「つめた〜い」を買わなきゃいけないので、ちょっと不満である。
はやくホットの什器があったか〜いコーヒーでいっぱいになる日を
少しずつ待つようになってきた、私なのである。



2001年09月26日(水) ヒサブリだぜ。

久しぶりの更新で。

演劇ユニット「カフェ・チョコ・シナモン」プレ旗揚げ公演、無事閉幕。
足を運んでくださった皆様に大感謝。

そういうわけで、今後ともよろしく。
え? 何がだって?
えーと、それは、私もっともっとがんばりますから、
私を必要としてる人たち全てに、
私をずっと必要でいてくださいということで。

あ、そうそう。
1500ヒッツ突破。



2001年09月20日(木) いよいよ。

いよいよ明日、わが劇団のプレ旗揚げ公演。
結局、稽古場日記を一回もUPできずに公演を迎えることに。
サイトの更新はままならなかったが、
一同、精一杯の演技で答えるつもり。気合十分。
よろしくったらよろしく。



2001年09月18日(火) 困ったものです。

アメリカの同時多発テロ事件から、一週間。
その飛び火がこんなところにも現れている。


・空港のラウンジ(シンガポール)にて。

米国人「やあ兄弟。どこ行くんだい」
印度人「ちょいと香港にね」
米国人「ほう」
印度人「僕はベース・ギタリストなんだ」
米国人「何!? ボスニアのテロリスト!?」
印度人「は?」

 米国人、空港事務所へダッシュ!
 印度人、すぐさま身柄拘束!

印度人「ちょっと待ってくれよ! 誤解なんだ」
警備員「なんだって?」
印度人「僕は『ギタリスト』と言ったんだ。それを『テロリスト』だなんて…」
警備員「おい、おまえ」
米国人「およびでない? およびでないねえ。こりゃまた失礼いたしましたっ」
 
 ハラホロヒレハレ〜。ちゃんちゃん(一部脚色)。


これはシンガポールの空港で起きた実話だ。
アメリカをはじめ、空港関係者など、もうみんな病んでいるのである。



2001年09月15日(土) お安いセンパイ。

出身大学の後輩が学園祭で何かやりたいらしい。
演劇研究会の後輩たちだ。
後輩のひとりがこう切り出す。
「あのー」
私には、彼女が何を言わんとしているかが、この時点ですでに分かっている。
彼女らが私に何か頼みごとをするというとき、選択肢はおおよそひとつだ。
「女3・男1なんですけど」
やっぱり。思ったとおりだ。
これはまぎれもなく台本執筆の依頼である。
私はもちろん劇作家として食っているわけではないので、
要するに精神的な見返りしか見込めない苦しいタダ働きなのだ。
この場合「女3・男1」というのは、役者の数で、
それに見合った…と彼女は言っている。
そして、そのキャストは4人とも私の知る人物である。
脚本家としては、これ以上書きやすいパターンはない。
どういうことかというと、役者の質に応じて登場人物とストーリーを設定する
いわゆる「アテ書き」という手法を取ることが出来るのだ。
私の戯曲は基本的にこの手法をとっていることが多い。
アテ書きできれば、役者にとっても演出家にとってもイメージが湧きやすく
芝居を組み立てやすいのである。
脚本家としては、
「この子はこないだあーんな役をやっていたから、今度はこーんな役で…」
というような楽しみもある。

しかし、タダ働きとはいえ、結局喜んでその依頼を受けてしまうのは、
私が、とどのつまり「モノ書き」が大好きだからなのである。
だから、書いちゃうのである。
書いちゃう以上、上演してほしいのである。
上演しちゃう以上、絶対面白い舞台にしてほしいのである。
そして、
「いやー、おもしろかったっす」
を、観に来ていただいたお客様はもちろん、
その芝居を作ったキャストやスタッフみんなからも言ってほしいのである。
言ってもらっちゃうと、お調子に乗って、
また次の機会にも快く引き受けちゃうお安いセンパイなのである。はうっ。



2001年09月14日(金) いまだに。

アメリカのテロ事件から数日たった今も、当地は混乱の渦中だ。
これはもう「戦争」である。
大統領の台詞は伊達ではない。
でも「報復」って言葉は、いまだに受容できない。
なんていうか、やり返したからいいってモンでもないんじゃないか。
でも、そうすることでしか米国民の心が救われないというのなら、
やはり、そうするしかないのだろうか。
それが報いだというのなら、仕方がないのだろうか。
争いを実感として持たない私は、そんな風に考えてしまうのである。

世界にひとが二人以上いるうちは、この世から争いは無くならないだろう。
でもそこで流されるであろう血は、決して美しいものではない。
その血がもし命を救うために、他人の体の中に流されるとすれば
こんなにも綺麗な血はないだろう。
その血は、その昔からいまに至るまで人の体に流れる優しい心なのである。

それにしても、いまだに沖縄上空に停滞している台風16号。
いつまでいる気なんだろ。



2001年09月11日(火) 別の嵐。

台風一過。
と思いきや、夜になってもうひとつの嵐がひとつの都市を襲った。
ニューヨークの世界貿易センタービルに2機の飛行機が衝突。
おかげで「ウソコイ」のラストシーンが特番で見られなかった。
そういう問題ではない。
いたたまれない事件である。

しかし「日本人の安否確認」でそれが確認されると
「他にも犠牲者は大勢いるのに、安心してしまう自分たちって…」
と考えてしまうのは、私だけだろうか。
ああ、また暗い話題になってしまった。あうう。

ちなみに今日は故・夏目雅子さんの命日。
キレイでかわいい人だったなあ。
いや、キレイでかわいい人だなあ。今でも。



2001年09月10日(月) 夏の終わりにゃ、嵐が似合う。

8月のような雨風ふたたび。
また台風が近づいている。
15・16号ダブルである。
困ったものだ。
なにやら今回のヤツも、けっこう大きいようだ。
東京も雨が降ったりやんだり。
これは15号の仕業である。
タチが悪いのは、16号である。
ていうか、なんでUターンするかな、16号。
北上→南下→停滞。
っておい。おい。お前なあ。聞いてんのか?
…もういい、何言ってもラチがあかん。
沖縄の人たちが迷惑してるから、とっとと無害な低気圧に変わっちゃいなさい。

それにしても、夏の終わりにゃ嵐が似合う。
台風一過ってのは、なんだかすっきりするんだな、気分的に。
(家の中にいるぶんには)
え? 外? 
とんでもない。
出かけようなんておこがましいこと言いませんよ、あたしゃ(誰だよ)。
なぜなら濡れるのキライだからね、あたしゃ(誰なんだよ)。



2001年09月09日(日) 強くなりたい。

ここ何日かの日記は、なんだかまじめクサ―いものになっていますが、
もうしばらくお付き合いを。
いまのところ、面白おかしい文章を書くような心理状況ではないもので。
うぐぐ。申し訳ない。

BSで放送していた「ショーシャンクの空に」を見る。
無実の罪で殺人犯にされてしまった元エリート銀行マンが、
19年という歳月をかけて、刑務所を脱走する話である。
ティム・ロビンス演じる主人公アンディの機転の利くことといったらない。
アメリカの刑務所ってこんな感じなのかなあ、などと思いつつ
彼の驚くほど大胆で綿密な脱走計画に脱帽してしまうのだ。
どん底の状況においてさえも決して生きる希望を捨てない彼の姿に、
奮い立たされるような感触さえおぼえてしまう。

身体的な力だけでなく、精神的・知的な力も、それは強さと呼べる。
いろいろな意味で、いろいろな部分で、もっともっと強くなって、
自分を磨いてしなやかに生きていきたいものである。



2001年09月08日(土) シアワセのバランス。

一年ぶりの到来だ。
9月8日。
私の24回目の誕生日である。
私はなんともシアワセなことに、
いままで自分の誕生日をひとりぼっちで過ごしたことがない。
もちろん実家にいる時は家族と過ごしていたが、
ひとり暮らしするようになってからも、誰かがそばにいてくれた。
学生寮の寮生だったり、恋人だったり、同じサークルの友人だったり。
今年は、いっしょに芝居を作っている仲間が祝ってくれた。
私という人間は、まったくもってしあわせモノである。

「人はひとりでは生きていけない」
そんな一見陳腐に見えることばがあるが、これはまったく真である。
淋しがりやには到底見えないこの私は、
いままで多くの人たちに支えられ生きてきていて、
そしてこれからも多くの人たちに支えられ生きていくだろう。
その多くの人たちにすこしでも幸せを返せるように、
また私は芝居を続けていくのだろう。
いったいいくつのしあわせを共有できるのだろうか。



2001年09月07日(金) ときに人生は。

ときに人生というものは、ドラマよりドラマティックである。
仕事、恋愛、遊び、生活。
家の中、道端、学校、会社、ドラッグストア、電車内。
さまざまな場面でそれらは起こる。
大きな駅でふと立ち止まって、人の流れを見る。
刹那の間に信じられないほど多くの人間が目の前をよぎる。
笑う人、怒る人、中には泣く人も。
いままでの自分の人生を振り返るだけでも
毎日大小問わずものすごい数の事件が起きているというのに、
いま目の前をなにげなく通り過ぎる人たちの数だけ
ドラマティックな日常が繰り広げられているはずなのだと思うと、
どうしようもない無常感に襲われるのである。

そう考えると、私の書く戯曲など、他愛もないただのおとぎ話なのかもしれない。
しかし、そんな他愛もない話に心血注いでいる自分という存在は
いったい他人にはどう見えるのか。
せめて少しは厚みのある人生であるように見られたいものである。

ときに人生は、想像を越え、私たちの前に忽然と姿を現すのである。
そんな現実に出会ったとき、皆さんはいったいどんな顔をするのだろうか。
私は、どんな言葉を口にするのだろうか。
それはきっと、芝居の台詞など足元にも及ばない、
衝撃的で爆発的なひとことに違いないのである。
生きること。
それは、自分では計り知れない素敵なシナリオに出会うことなのである。


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