カフェチョコサハンジ。
演劇ユニット・カフェチョコシナモン主宰の日記。
モノ書き役者の日常を、どどんと。

2001年10月23日(火) 紅葉のメカニズムに思う。

日記のレイアウトを変えてみた。
紅葉シーズンということもあり、色はオレンジを採用。
自分ではけっこう気に入っている。


さて。
紅葉というと、葉っぱが枯れていく状態を指すと思われがちだが
実はそうではない。

1、気温の低下によって、葉の付け根に離層というコルク層が形成
2、葉と茎の間で水分・養分の流れがストップし、葉で作られた糖分が葉に蓄積
3、糖分がアントシアニンという赤い色素に変化し、葉緑素が減少

紅葉のメカニズムは、大雑把に言うと以上の通りだ。
木の種類によってこの過程が違うため、
いろいろな色になったり、紅葉の時期がまちまちだったりするという。
で、結果的にそれらの葉は枯れ落ちてしまうのだが、
枯れるから色が変わるというわけではないのだ。

紅葉について「燃えるような」という形容をするときがある。
これは実に言い得て妙である。
木々の葉たちは、まさに融けきる前のロウソクのように真っ赤に燃え上がり、
その姿は、はかないながらも私たちの琴線に触れる。
植物の生きざまにイノチの強さみたいなものを感じつつ思ったことひとつ。

植物は、表現者だ。
生きることで自分の姿をさまざまに変え、
そのサイクルを、死ぬまで自分のスタイルとして続けていく。
まさにエンターテイナーの鑑である。
意外なところに自分との共通点を見つけたことにちょっと嬉しく思い、
ウチも前に見える林にもちょとだけ愛着がわきそうな、今日この頃なのである。



2001年10月22日(月) 「はかる」しごと。

滞っていた日記を再開。
滞っていた理由。

「就職活動」(!)

びっくり。
してたのね、就職活動。
いやあああ、あなたの就職活動姿なんて見たくないっ。

いろいろな意見がおありだろうが、再就職決定は覆らないのだ。
はっはっはっはっは。カッコ高笑いカッコ閉じる。


今度の就職先は、測量事務所である。
どんなところか。
知りたい方は、検索エンジンででも調べなさい。
なんでも人に頼るのは良くないよ。
どんなところか。
実は、私もよく知らないのである。
実は、今のところ
「新しい戯曲の題材にでもなればなあ」
くらいにしか思っていないのである。

とにかく、新境地開拓。
どれだけ続くか、見ものである。
と、自分で言うのもちょっと気が引けるが。
なぜなら予感が当たってしまいそうな気がするから(汗)。



2001年10月19日(金) 数少ない私の財産。

部屋をちょっと片付けたら、コインアルバムが出てきた。
コインアルバムというのは、その名のとおり、コイン用のアルバムである。
ここでいうコインというのは、戦後発行された現代・現行コインのことだ。
皆さんも、
「ギザ十みっけ!」
とか言って、ふちがギザギザした十円玉を集めたことがあるだろう。
アレの発展したヤツである。
やれ昭和62年のものは発行枚数が少ないから高価だとか
やれ昭和23年の50円硬貨は穴が開いてないだとか
そんなこんなで集めに集めて、どんどんアルバムが埋まっていった。
記念硬貨もたくさんある。
東京オリンピック記念千円硬貨、つくば万博記念の五百円硬貨、
天皇御在位記念硬貨、皇太子御成婚記念硬貨…。

一ランク落ちるような安いコインばかりだ。
たいした価値はないのかもしれない。
が、この子たちだけは手放せない。
どんなに貧乏になっても、手放せない。
手放せない。手放せない。手放せ…な…い?


あ、アルバムに忍び寄るあやしい手(私の)が…(笑)。



2001年10月18日(木) 君の瞳には、星が流れるか。

吐く息が白い。
12月上旬の陽気だそうだ。
陽気というより冷気である。
紅葉前線も関東北部にまで南下してきているが、
今年の秋の目玉は、紅葉より星空である。
今年も11月18日前後に「しし座流星群」が到来するのだ。
ちょっと気が早い気もするが、いちおう1ヶ月前なのでこの話題なのである。

しし座流星群といえば、2年前も多摩湖に見に行った。
あの時は、主催者のいない観測会みたいで、とても賑やかだった。
どこからどうやってここに来たのかは分からないが、
老若男女が集い、首が痛くなるまで流れる星たちを見つづけた。
なんだかその光景にすっかり侵されてしまい、
空が明るくなるまで、その場から動くことができなかった。

ある天文学者いわく、
「今年のしし座流星群、最高のシチュエーションで見られるのは日本だ」
そこまで言われちゃあ、仕方が無い。
小学校以来の天文ファンとしては、一晩中、夜空にかぶりつかなければなるまい。


たとえ流星出現のピークが午前3時過ぎでも(泣)。



2001年10月17日(水) 日常茶飯事じゃないの?

いや、そうだけども。
でも詩とかミニ小説とか
書いたっていいじゃんよ。
たまには、その日の気分でさ
事実の記述より創作意欲のが勝っちゃう時だってあるじゃない。

どっちにしても今の自分を表していることに変わりはないから
ちょっとだけ 付き合ってくれよ。


と。
カッコいいこと言っておきながら
ホントは午前中寝っぱなしで、一日中ダラダラしちゃって、
たまった芝居のビデオばっか見てたって、い、いいじゃないか!
AVばっか見てるよりずっと健全じゃないか!

だからこれ以上ツッコまんといて〜。

そんな一日もあるもんだ。



2001年10月16日(火) ラッキー。

真夜中 ふと目が覚めた
眠れなかったから テレビをつけた
画面の中には 大好きなバンド
少し必然を感じるくらいのラッキー

「今日は『本能』で歌います」

ボーカルの女の子は そういって
からだじゅうで 歌った 歌った
その歌に 身体が 震えた 震えた

この世界の数々の偶然たちが
僕の目の前を通り過ぎてゆく
いったい いくつつかまえられるだろう

あの子の歌みたいに 身体が震えるほどの何かを
いつになったら見つけられるのだろう

奇跡のような出逢いが 僕にも訪れるのだろうか。



2001年10月15日(月) 星の林。

「真っ暗クライクラ〜イ♪」
という歌があったが、みんな覚えているだろうか。

と、それはどうでも良いことで、
最近天気が良かったので星を見ている。
なるべく暗いところに行って、こっそり見るのである。
ウチから自転車で30分ほどで西武遊園地近くの多摩湖まで行ける。
その多摩湖と狭山公園との間に長い堤防があって、
その上から見る星空が360度パノラマでとてもキレイなのだ。

真夜中、丑三つ時に堤防の上に大の字になる。
満天の星空・ときどき・流れ星。

この星空は、いったいいつまで見ていられるんだろうか。
そんなことを思いながら、夜明けまで空を見続ける。
明けの明星が顔を出す頃、ようやく我に返り、自転車のサドルにまたがる。
また新しい一日の始まりだ。
冷たい風を浴びながら、ホットの缶コーヒーを飲む。


さあ、今日も生きるぞ!



2001年10月13日(土) エンタテインメント・イズ・エナジィ!

エンタテインメント(entertainment)。
「エンターテイメント」とも言うが、
いちおう原語に忠実に発音するとこうである。
辞書を引くと「もてなし、宴会、娯楽、演芸」などと訳されている。
「エンタテインメントは最大の娯楽だ」
私の大好きな言葉なのだが、狭義では間違いである。
訳しようによっては
「娯楽は最大の娯楽だ」
とも訳せてしまうからだ。
しかしこの言葉のなかでいう「エンタテインメント」は、
ドラマ・音楽・映画・演劇・ダンス・ミュージカルなどの
見たり聞いたりして、感じて楽しむものの総称である。
一方「娯楽」は、草野球などのスポーツや切手集めなどの物集め等々も含むので、
とても意味の広いことばなのだ。
例えば、
「趣味は野球です」
というひとがいたとき、自分が実際にプレーして楽しむ方かもしれないし、
プロ野球を見るのが楽しみという方かもしれない、ということだ。
しかし、どちらもその人にとっては同じ娯楽なのである。

さて。
スポーツだって野球観戦やサッカー観戦など、
見て楽しむほうに回ればエンタテインメントと呼べるし、
そうなると、将棋や囲碁だって見るほうに回れば同じことが言える。
これらの例を見ていくと分かるように、
エンタテインメントを語るにはふたつの側面があることをまず言っておきたい。
「楽しむ側」と「楽しませる側」。
私はもっぱら「楽しませる側」、いわゆるエンターテイナーである。
私の場合、その手段はおもに演劇である。
その中でも得意としている(と本人が思っている)のはコメディ=喜劇。
「笑いこそが人間にとって最上の原動力なのだ」
そう信じて、面白いと思うものを書き続け、演じ続けてきたし、
これからも続けていきたいのである。
ちなみにどうでもいいのだが、
「最上」は「さいじょう」であって「もがみ」ではない。

閑話休題。
そんな、人を楽しませるのが大好きな私も、
楽しむ側に回ることがもちろんある。
今日はとってもステキなエンタテインメントに出逢った。
最寄の駅前。
ひとりのギター弾きが歌っている。
なにげなく見かける光景に、思わず息を飲む私。
ひたすら歌うギター弾き。
コピーだが、声がキレイで歌が巧い。
そこに私は、とてつもなく大きな生(せい)のエネルギーを感じた。
生きることそのものが、そこにはある。
彼のように生き生きと生きよう。
私は、彼の歌に活きる力を得た。

「与える」という言葉はあまり好きではないが、
エンタテインメントは夢や希望、そういうものをひっくるめて
見ている人に大小の差はあれ、与えるものである。
その与えられたエネルギーは、いつしかまた自分のエネルギーとして
さまざまな形にその姿を変え、エンターテイナーの胸に帰ってくる。
そしてエンターテイナーはまた、より魅力的なショーを披露するのだ。
なんと効率の良いエネルギー循環!
数限りないココロ同士が互いに互いを動かしあうのである。


エンタテインメントは、チカラだ!



2001年10月12日(金) どうでしょうか?

熱烈な日記読者のかたはお気づきかもしれないが
近頃、ショートショートに凝っている。
別に日記に書くネタがないから、というわけではない。
なんだか無性に小説が書きたいだけなのである。

今のところ男と女の話が多いが、
もっといろいろなジャンルの話を書いていきたい。
っていうか書くのか?このページで、という話なのだが。
もうすぐホームページをリニューアルする予定なので、
そうしたら小説や詩などのページも作りたいものである。
読む人がいなくても書いちゃうぞ。
書きたい限り書いちゃうんだからな。
ま、無事UPした暁には読んでやってくださいませ。

ちなみに言っておくが、これらの作品はフィクションである。
実体験や実感、日頃思っていることをモチーフにはしているが。



2001年10月11日(木) 雨は、上がった。

目を覚ますと、彼女は向こうを向いて眠っていた。
覗き込むと、しあわせそうな彼女の寝顔がちょこんとそこにいる。
もう午前11時を回っている。
そういえばふたり疲れて眠りについたときには、
すでに空は白んでいたような気がする。

窓から見える白い空。
すべてが嘘のような白い空。
嘘のような彼女の寝顔。
雨はもう上がったのだろうか。


「雨、だね」
「うん」
「雨、好き?」
「え?」
「あたしは好き、雨」
「ふーん」
「でもさ」
「うん」
「嫌いになるかもしれないな、雨」
「…なんで」
「だって君、雨、嫌いでしょ」
「そう見えるかな」
「それとも、嫌いなのは、あたし?」
「……」
「キスして」
「……」
「キス、して」


僕は彼女にキスなんて出来なかった。
刹那、彼女は僕の唇を奪った。
僕は何がなんだか分からなかった。
僕は、彼女のその巧みさに何も考えられなくなった。
唯一頭に浮かんだのは、「恍惚」という、うろ覚えの言葉だけだった。
こうすることを望んでいたのはずなのに、何だか気持ちが悪い。
胸に込み上げる、自我の崩れ行く妙に軽い音と、不思議な脱力感。
彼女はいったい何人の男とこうしてきたのだろうか。
いったい彼女の唇からはどれだけのキスが逃げていったのだろうか。
そのうちどれだけのキスが真実だったのだろうか。
もしくは戯言だったのか。
そのときには考えられなかったことが僕の中に一気に湧き上がり、
処理しきれないほどの言動が身体中を駆け巡る。

まもなく彼女も目を覚ますだろう。
その彼女は果たしてゆうべ僕にキスしてきた彼女とおなじ彼女なのか、
確かめる間もなく、その塊はこちらを向いてこう言った。

「君、誰」


窓から差し込む光がやけにまぶしい。
雨は、上がった。



2001年10月10日(水) なんてステキなオヤジ。

京大出身で名古屋大教授の野依良治氏がノーベル化学賞を受賞。
化学賞は去年の白川氏に続いて三人目、
日本人全体としては記念すべき10人目の受賞者だ。
業績は「触媒による不斉(ふせい)反応の研究」。
要するに、薬品などを人工的に生成するとき、
毒性のものもそうでないものも混じって出来てしまうところを
そうでないものだけ取り出して作れる、
とまあ、そんなところらしい。
ガムや歯磨き粉などにも応用されているという。
詳しいことはわれわれ化学の素人には分からないが、
何よりこの野依さんのすんごいところは、
数十年間もずっと狙いつづけて、ノーベル賞を手にしたということだ。
ノーベル賞なんてすごい賞、狙って取れるもんじゃあないぞ。
野依さん、化学の面白さに取り付かれたのが、大学4年のとき。
それまではいたって普通の大学生だった。
そんなオヤジが今となってはノーベル賞なんぞ取っちゃって、
「日本はものづくりで生きるのだ」
「自虐的にならずに、誇りを持って若い人たちは研究してほしい」
果ては、
「有機化学はマージャンよりやさしく、マージャンより面白い」
なんて言ってるわけで。
もうステキとしか言いようがないのである。
還暦過ぎても自分の好きなことに心血注ぐという姿勢が私にそう思わせるのだ。

科学というものは、使い方によってプラスにもマイナスにもなるものだ。
そこ行くと野依さんの研究は、いたってプラス方向に働いているといえる。
科学は科学者にとって飽くなき欲求を追求するための対象であり、
それは何者にも侵されない自己実現への道だ。
たとえそれが大して役に立たない研究であっても、
それまでの過程というものは、まったくその人そのものである。
その意味でこのオヤジのやってくれたことは、
今を生きるもの全てにとって、力強い激励に他ならない。

誰がなんと言おうと、野依教授というひとは、
私にとってステキなオヤジのひとりになったことは間違いないのである。



2001年10月09日(火) 「たぶら」です。

惚れ直した、田村正和。
CX・21時「さよなら、小津先生」を見ての感想。

田村正和といえば、渋くてクールでオトナっぽくて…
というようなイメージがあったが、
このドラマを見てそれが一気に覆された。
気丈で饒舌な田村正和。
大声をあげる田村正和。
むせび泣く田村正和。
カッコイイったらカッコイイ。
さすが元祖・二枚目役者。
やっぱり役者はトシ重ねてナンボなのかな、とも思った。
早く私も渋い役が似合うような役者になりたいものだ。

それにしても、
「小津です」
と、役であいさつするシーンも、
「田村です」
と、素で自己紹介してるときと全然変わらないってのは、
ある意味すごいなあ。
さすがさすがの田村正和である。



2001年10月08日(月) 世界のみんなが笑顔になる日。

アメリカ、対タリバン空爆開始。
「終わりなき戦争」のはじまりだ。
日本でも原発やら米軍基地やらなんやら警備が厳しくなっている。
タリバンにとってアメリカの友は皆、敵らしい。
しかし彼ら、なんだか反イスラムに対抗しているのではなく
アメリカを含むお金持ち大国に反抗しているようなのだ。
持たざるものの咆哮。
個人的といえば個人的な恨みのようにも思えるが、
それが、文明社会の負の遺産とも言えるのではないだろうか。

「死にたい人は死んでもいいから、
 死にたくない人が死にませんように。
 どちらの神様でもいいから、そうしてください。」

糸井重里さんの言葉から引用。
しかしあえて一言付け加えるなら、死にたい人がいても
その人が死んだら悲しむ人がひとりでもいるようなら
そのひとには死んでほしくないし、まず自ら死を選ぶべきではない。
たとえ私に関係ないひとでも。
悲しむ人は少なければ少ないほどいいんじゃないか。
喜ぶ人は多ければ多いほどいいんじゃないか。
そう思うのである。


とにかく私は悲しかった。
楽しみにしていたCXの「ザッツ・エンゲイテイメント」が
このニュースの特番につぶされたのである。
9月11日の「ウソコイ」に続いて、二度目である。
高橋尚子は一週間で世界記録抜かれちゃうし。
はああ。
こんなことで「悲しい」なんて言ってていいのかなあ、ニッポン人。
こんなモンなんだろうなあ、ニッポン人。

世界のみんなが笑顔になりますように。他力本願だけど。


あ、昨日の日記の話題、今日すればよかった。
一日早い「体育の日」の話題だったわ。おほほほ。



2001年10月07日(日) カラダを動かしたい。

体を動かしたい。
運動不足だ。
希望を言えばカーリングかバスケットボールをやりたいが、
もうこの際何でもいい。

いちおう理由を挙げておくと
カーリングは98年の長野オリンピックの時からファンになり
以来2シーズンプレイしている。
前・今シーズンはちょっと公式戦から遠ざかっているが、
また復帰して、軽井沢などでプレイしたいものだ。

バスケは、小学校と中学校のとき部活でやっていた。
この頃私は体を動かすのは好きだったのだが体育は苦手で、
5段階評価でも2ばかりもらっていた。
しかしバスケットボールは、そんな私にも希望をくれた。
体育でもバスケの授業なら、けっこう活躍できるのだ。
スポーツ万能のクラスメイトからボールを奪ってシュートを決めたときなど
優越感というか、そういう格別の気持ちよさがそこにはあった。

こーなったら、ボーリングだ。
こーなったらターキー連発である。
別にマイボール・マイシューズはもってないのである。
こう見えても(どうにも見えてないと思うが)
いちおう最高スコア193・アベレージ約140である。
ウチの家族は母も妹も130オーバーである。
なんだかボーリング一家である。
正月は必ず我が家のボーリング大会なのである。

あー、もうどうにもこうにも体を動かしたいのである。

そういえば、こないだケーブルテレビのスポーツチャンネルで、
ダーツの大会の模様を放送していた。
ダーツってスポーツなのかぁ?
ビリヤードまではまだ分かるが。



2001年10月06日(土) ちょっとちょっと。

いつのまにか、ヤクルトのリーグ優勝が決まっていた。
4年ぶり6度目の優勝である。

「さあ、今日こそ若松監督の胴上げを見るぞ!」
と、勇んでテレビの前に座った、が。

今日の横浜戦は、デイゲームだったのだ。
なんかすんごい拍子抜けである。
夜のニュースで知った。ぽかーん。
おとといまであんなにテレビにかじりついてたのに
決定的瞬間は、あっけなく過ぎ去っていってしまったのである。
これぞマーフィーの法則である。
古田より先に高津に抱きついた石井(一)が憎いのである。

とほほ。
まあ、良かった良かった。
果たして日本シリーズは近鉄のいてまえ打線に打ち勝つことができるかっ?



2001年10月05日(金) こわい、こわい。

「Q33NY」
この番号をご存知だろうか。
例の同時多発テロで世界貿易センタービルに突っ込んだ旅客機の
フライト番号が、これだった。

まず、この「Q33NY」の5文字を、
マイクロソフトのワープロソフト「Word」で打つ。
次にその文字列をすべて選択して、
「Wingdings」というフォントで実行。
すると今回の同時テロを示唆するような記号が出て来るのである。
皆さんお試しあれ。


ちなみにこのフライト番号はまったくのデマ情報である。
なので、ご安心を。恐いことは何にもないのだ。
マイクロソフトもビックリのデマである。



2001年10月04日(木) 軽妙なる。

NHK・トップランナーにラーメンズ登場。
極上のコントに脱帽する。
何度観てもおかしくてしょうがない。
片桐氏のキョーレツなキャラクターに、
小林氏の絶妙なシチュエーション作りと台詞回し。

ネタ作り担当の小林氏いわく、
「もともとインパクトのある強い言葉を探すには、限界がある。
 日常のなにげない言葉が場合によってはとても強い言葉になる。
 その言葉を利用して、面白いシチュエーションを組み立てていく」

納得。
そうなのだ。
「面白い言葉」や「面白い言い回し」というものは
そこらへんに転がっているものではないし、
見つけるにも相当の苦労を要する。
その上、そういうものたちは一度使うともう二度とつかえない場合が多く、
絶対数にも限界がある。

そこで小林氏の言う「面白いシチュエーション作り」が大切になってくる。
われわれの住む世界とは微妙にズレている世界。
これなのだ。
大きな同調と、ちょっとのギャップ。
ここにとてつもなく大きな笑いのエネルギーが詰まっているのだ。
演者が真剣にやればやるほど、客は笑う。
演者と客の距離がぐっと縮まる。
そこに流れる軽妙で旨い空気。
演者にとっても客にとっても、それこそまさに笑いの醍醐味である。

そんな空気を作り出し、その場にいる全員と共有するために
私は今日も、筆を走らせるのである。


それにしてもヤクルト、お客様をドギマギさせすぎ。
見事な3タテに、さすがにしびれを切らしてしまいそうだってば、若松さんよぉ。



2001年10月03日(水) サビしい。

最近カラオケづいている。
この2週間で3回も行っている。
これは多い。
大学を卒業してからというものの、
人との付き合いがぐっと減っているので、
必然的にカラオケに行く回数も減る。
それがこの2週間で3回。
多い。
別にいやではないのだが、
今まであんまり行ってなかったのに急にたくさん行き始めると
なんだか、落ち着かないのだ。
学生時代は1週間に2回も3回も行ってたものである。
でも今は一月にいっぺん行けば、多い方なのだ。
こんなに好きなカラオケなのに、環境次第で行かなくなるものかと思うと、
妙に寂しいものである。

そして何より寂しいのは、
今日もヤクルトが優勝できなかったことである。
何で勝てないかなあ。

そうか! わざとだ。
わざとかなあ。



2001年10月02日(火) あー、もう。

ヤクルトスワローズ、マジックナンバー・1。
あとひとつが、ムズかしい。
今日こそ決まるかと思ってテレビにかじりついてたのに
結局延長12回で阪神にサヨナラ負け。とほほ。
あんなにチャンスがあったのに…と思ってたら、実況アナいわく、
「これで若松監督の胴上げは、明日からの神宮決戦に持ち込まれましたっ!」
え? あしたから神宮球場なの?
分かった。分かっちゃったのである。
「わざとだ」
ニクいねえ、若松さん。
地元で胴上げかあ。なるほどね。
そりゃそうだ。ホームでね。はいはい。
などと自分の勝手な推論に妙に納得してしまい、
阪神ごときにサヨナラ負けしたことなどすっかり棚上げしてしまう、
「超」がつくほど楽観主義者の私なのである。

しかしいまの若者は何でも平板アクセントだと知ってちょっとショック。
「ダイスケ」という名前でさえ平板だ。
「ダイサク」という名前ならわかるが、「ダイスケ」は違うだろ。
皆さんも「ダイサク」のアクセントで「ダイスケ」と発音してみてほしい。
絶対ヘンだって。ヘンでない?



2001年10月01日(月) 衣替え。

天高く馬に限らず皆肥ゆる秋。
もう10月である。
すっかり涼しくなったものだ。
薄着で街を闊歩していた女の子たちが
一枚ずつ上着を羽織り始める秋。
私としては、これから寒くなる一方だし、
女の子は厚着になって露出度がダウンするし、
秋に突入するいうのは、ものさびしい限りなのだ。
そんな中、ただひとつ秋の楽しみといえば、
広葉樹の燃え盛る紅葉くらいだろう。
紅葉を楽しむにはまだ気が早いが、
今年は久しぶりに鎌倉にでも行ってこようか、
なんて思いを馳せながら、
秋の時刻表を見て架空の旅に出かける私なのである。

ちなみに昨日の日記は私小説風になってしまったが、
別にまるまる実体験ではないので、あしからず。


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